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2009年10月18日日曜日

副島種臣とマリア・ルス号事件

副島種臣
マリア・ルス号事件(ウィキペディア)

 思うところがあるので、副島種臣について書いてみようと思います。
 副島種臣というのは詳しくはウィキペディアに書いてある通り幕末における佐賀藩の維新志士の一人で、同郷の大隈重信らとともに維新期を生き抜き明治政府成立後には外務卿、現在の外務大臣のような職で活躍した政治家です。その副島の外務卿時代に起きた事件というのが、卿のもう一つのトピックスであるマリア・ルス号事件です。

 このマリア・ルス号事件というのはもしかしたら知っている方も多いかもしれません。というのも私が小学生の頃には道徳の教科書にも取り上げられていた事件で、日本史の教科書にはあまり載っておりませんが内容を聞けば思い出される方もいるでしょう。
 この事件が起きたのは明治五年の六月、横浜港に停泊していたイギリス軍艦に清国人(今の中国人)が海を泳いで救助を求めてきた事から始まりました。その清国人は同じく横浜に停泊中のペルー船籍のマリア・ルス号から来たと話し、この船には彼らと同じ清国人231名が乗船しているが彼らは皆奴隷で運搬されていく途中であるとイギリス軍艦に助けを求めました。この突然の来訪に対してイギリス政府は現地の日本政府に連絡し、清国人の救助をするようにと要請しました。

 この要請を受けたのはまさに時の外務卿である副島だったのですが、マリア・ルス号側は彼ら清国人は奴隷ではなく移民だと主張して、神奈川県庁にて保護されていた逃げてきた清国人を引き渡すように要求してきました。
 この要求に対して恐らくはっきりと奴隷である事を証明する証拠がなかったという理由もあったでしょうが、当時の日本は江戸時代に結んだ不平等条約、この場合治外法権が列強諸国との間にまだ生きており、外国人に対し自国の法律で裁判を行う事が出来ずにいました。ただマリア・ルス号の船籍であるペルーとはこの時まだ二国間条約は結ばれていなかったので必ずしもこの治外法権の適用対象ではなかったのですが、それまで全く国際裁判というものを経験していないこともあって結局はこの引渡し要求に日本側も応じてしまいました。

 しかしこの日本側の処置に対して当時のイギリス公使のワトソンは納得せず、本人が行ったかどうかまでは分かりませんがマリア・ルス号に事実関係を確かめに行きました。するとそこでは日本側から引き渡された逃げてきた清国人が壮絶なリンチを受けており、ワトソンはすぐに副島に対して船長を再度審問するべきだと勧告しました。
 これを受けて当初は弱気だった副島も敢然と行動を行うようになり、直ちにマリア・ルス号の出航を停止させると清国人を解放するための法手続きに着手しました。もちろんこうした副島の動きにマリア・ルス号側黙っておらず、彼ら清国人はあくまで移民契約を受けた者たちだと主張するも、日本側はその移民契約は実質奴隷契約であり人道上放置する事は出来ないとして日本国内の裁判で互いに争いました。

 その裁判の途中、マリア・ルス号側のイギリス人弁護士がこんな主張をしてきました。

「日本が奴隷契約が無効であるというなら、日本においてもっとも酷い奴隷契約が有効に認められて、悲惨な生活をなしつつあるではないか。それは遊女の約定である」(ウィキペディアの記述を引用)

 これは当時の日本で行われていた遊女契約、要は若い女性の身売りは人身売買であり、そのような現実を放置している日本が奴隷契約にあれこれ言うのはおかしいと主張してきたわけです。言われてみると確かにその通りなのですが、これに対して日本側はすぐに動き、実質的にはその後もあまり変わらなかったと思いますが「芸娼妓解放令」という建前ではこれを禁止する法律を出してマリア・ルス号側の主張の突き崩しにはかりました。

 最終的には日本国内の裁判という事もあり、マリア・ルス号に乗船していた清国人は皆解放されて帰国を果たす事が出来ました。しかしこれに船籍のペルー側は納得せず翌年には損害賠償を日本政府に請求してきましたが、ロシア帝国を仲立ちとした国際仲裁裁判にて当時のロシア皇帝アレクサンドル2世は日本側の取った行動は国際法上妥当なものとしてペルー側の主張を退けました。
 この事件は日本が初めて直面した国際裁判であり、この時に取った日本の人道的処置は当時の列強諸国からも高い評価を受けて後の不平等条約改正につながったとまで言われており、私としても百年以上前の先人の人道的判断とその処置は全く汚点の付け所のない、素晴らしい功績だったと胸を張って言うことが出来ます。

 実はこのマリア・ルス号事件は前々から取り上げようと考えていた事件で、まずもって現在の中国人でこの事件のことを知っている人間はいないであろうことから、昔の日本と中国を結ぶエピソードとして両国の相手感情を少しでも良くする為に広く日本人、中国人に知らしめる必要があると考えていました。
 そんな風に考えていた矢先、今月の文芸春秋にて書道家の石川九楊氏が「現代政治家 文字に品格を問う」という記事を寄稿しており、その中で書道家として石川氏がその著作にて大きく取り上げた副島種臣について触れているのを見て、なかなかにタイムリーだと思って今日書くことになりました。

 なおその記事にて石川氏が言うには、副島の書にはその時期ごとに変化があり、明治政府設立直後の書は一画一画に力こぶの入った闘争心溢れる書であったところ、外務卿に就任後は自らを鼓舞させるような速度のある書に変わり、副島が征韓論に敗れて明治政府を下野してからは急いでいるような筆の運びに回転が強まった書になっているそうです。今ちょっと触れましたが、副島は西郷隆盛らとともに征韓論を主張して敗れた後は下野し、その後しばらく中国に渡って滞在しております。その中国滞在中に西南戦争が起こり、西郷、大久保、木戸の維新三傑が皆没し、そのような仲間がいなくなってゆ中ゆえの焦りが書に出たのではないかと解説されております。

 そしてそれ以後の副島は板垣退助らの自由民権運動に当初は参加するも途中で離れ、まるで何かに抵抗する意思が現れるかのように文字形の崩れた書になり、字の構築性も失われていったそうです。更にそれから時が流れ1981年以降からはまるで自らの挫折した政治の理想が書にも現れ、これ以降から副島は卓抜した作品を残すようになっていったそうです。まぁその後、また政府に戻って内務大臣とかも歴任しているんだけどね。

  参考文献
・教科書が教えない歴史(産経新聞社)
・文芸春秋 2009年11月号(文芸春秋社)

鳩山政権のこの一ヶ月

 ちょっと政治記事からこのところ離れているので、発足から一ヶ月経った事もあり鳩山政権のこの一ヶ月について一本軽くまとめておこうと思います。

 まず結論から言えば、この一ヶ月は可もなく不可もなくといったところでしょう。鳩山首相はあちこちに外遊なりレセプションなりに出席するなりで露出が非常に多いですが、政権が変わったことを見せる上ではこれは悪い事だとは思いません。また外遊、特にアメリカへの訪問については産経を初めとして、アメリカ海軍基地の沖縄からグァム移転について何の言及もなかったなどと激しく非難されていますが、これについては私自身はあまり問題視しておりません。というのもそもそもこの問題は自民党が与党だった頃にもなかなか解決が付かなかった、いわば放置されてきた感のある問題で、それを発足間もない民主党政権に協議させるのはちょっと酷かと思います。協議が進むに越した事はありませんが。

 こうした外交に対して、内政については評価のはっきり別れる点がいくつかあります。
 まず国民にとって一番影響のあるであろう予算の見直し問題で、今年度自民党がまとめた補正予算のうち必要のないものを執行停止して確か4兆円をかき出して公約に掲げた政策に使うとしてきましたが、現時点では目標額には達成せず、一時赤字国債を新たに発行するべきかと議論されたことが報道されていました。これについてははっきりと批判した橋本大阪府知事同様に私も同意できず、赤字国債を発行するくらいならそもそも各社の調査で高速道路原則無料化には国民の過半数が反対しているのだから、無理に公約に掲げた政策を実現しようと無駄な出費を作らない方がいいと思います。

 また同じ予算の編成問題でいわゆるエコ減税、エコポイントを継続するべきかどうかで民主党内にて意見が分かれたと報じられていましたが、これについては私は即刻廃止してもかまわないと考えております。というのもちょっと前に参加した武田邦彦氏の講演会にて武田氏が、エコポイントというのは環境によい商品を購入した人への補助と喧伝されているが実際には何のことはなくただの消費加速政策で、大型テレビなどを購入した人間に国民全体から巻き上げた税金を配っているに過ぎないと激しく批判しておりました。私もこの政策は一見するとさも全体の公益のために行われているように見えますが、配られるエコポイントの原資が税金である事を考えると結局は消費の出来る層への資本移動にしかなっていないのかと思え、あまりこの政策を支持する気にはなりません。大体環境に貢献しようってんなら、そもそも家電を使わなければいいだけの話しだし。私の友人なんか、一人暮らしの学生時代に電子レンジも冷蔵庫も持たなかったのだし。

 加えて同じ内政においては、前原国土交通省のスタンドプレー振りが目立った一ヶ月でした。
 私も記事にした八ツ場ダム問題に始まりつい先週まで揉めに揉めてたハブ空港問題など、やや呆れる手際がいくつか見られました。八ツ場ダムについては初めから民主党が公約にて建設中止を謳っていて私もダム建設から来る府の影響を考慮すると今回の民主党の処置を支持しますが、唯一突っ込むところとしてこの八ツ場ダム建設地を含む選挙区に先の選挙で民主党が候補を出さなかった事です。難しい判断だとは思いますが。

 その八ツ場ダムに対して羽田、成田、関空の国際ハブ空港化についての前原大臣の対応はいろんな意味で私をがっかりさせました。私は生憎航空行政については詳しくなくてこのハブ空港はどこが適しているかについては意見を持っていませんが、橋本府知事との会談にてなんの根回しなく突然羽田のハブ化を口にした上、その上具体的なビジョンが未だに国民に見えてこないというのは個人的に不満です。あまり分かってないで言うのもなんですが、私は旧自民党政権が中部空港や神戸空港などあまり再三の見込めない地方空港を片っ端から作っていった姿勢には大きな方向性が見えてこず、今後航空行政はなにかしら方向性を持って進めるべきだとは考えていましたが、今一体民主党政権がどのような方向性を持って航空行政を整理しようというのか、全く見えてきません。その中で羽田のハブ化が急に出てきて、それでいて現在国際路線を担当している成田の処遇についてもよく分からず、しかもその発信源が大臣の本来関係ない場面での一言からというのはあまり誉められたものではありません。

 この前原大臣は以前から威勢が良過ぎるところがあって顔もイケメンなのに玉に瑕だと見ていましたが、それが未だに修正されていないのではないかと思わせる発言、行動振りでした。特に前原大臣は以前の民主党代表時代に故永田寿康氏の偽メール事件での国会での追及を周りとの相談なしにGOサインを出した前歴があり、今後この点に改善がなければいつかまたとんでもない舌禍失言をしでかすのではないかと他人事ながら心配になります。

2009年10月17日土曜日

北京留学記~その十六、李尚民

 この北京留学記もこれでもう十六回目、といっても一回番号振り間違えてダブっている回もあるのですがそれは置いといて、ようやく内容も充実してくる場面にまで持ってくることが出来ました。
 本日からある意味この体験記の核心部分とも言うべき、留学中に私が出会った人達の証言やエピソードを紹介していきます。何度も言いますが私の留学した北京語言大学というのは外国人に中国語を教えるために作られた大学で、カリキュラムや受け入れ態勢も各国ごとにある程度整えられている事からそれこそ世界中から中国語を学ぼうという学生が集まるゆえに非常に国際色豊かなキャンパスでした。そのような環境ゆえに中国人に限らず様々な国の人間と留学中に私は交流することができ、今も胸を張って大きな財産だといえる経験をこの時期に得ることが出来ました。今後この留学記ではしばらく、そんな留学中に出会った人達のエピソードを紹介していきます。

 そんな大層な前フリから始まった今日の第一発目の紹介人物ですが、題につけた名前からもわかる通りに韓国人男性で、この漢字での中国語の発音は「リーシャオミン」を今日は紹介します。この李尚民は私と同じくらいの年齢で確か当時二十歳くらいで、私と共に一年間一緒に同じクラスで勉強した同級生でした。私のクラスに居た韓国人は彼以外にも数人の女子学生とシーナンジャオという名の男子学生もいたのですが、彼らは李尚民と違って全期ではなく半期だけの留学で帰っていってしまいました。

 もののついでですから先にシーナンジャオについて軽く説明しておきますが、彼は韓国国内にて既に徴兵を終えてから留学に来ており、夏場の暑い時期に彼の薄着姿を見ましたがやはり一般の日本人男性と比べてもがっしりとした体格でした。ちなみに留学中の韓国人男性を徴兵済みかどうかを見分ける一つの指標として、徴兵終了時に記念品として配られるタオルを持っているかどうかというのが最も簡単な方法でした。

 話は李尚民に戻ります。彼はこう言っては何ですが韓国人男性にしては珍しく非常に大人しい性格でした。授業の出席率も高くて宿題もちゃんとやってきて、よくサボっていた前述のシーナンジャオとは本当に正反対でした。
 それゆえか私も留学中には隣のタイ人の女の子とばかり世間話をしていたものだから、李尚民とはそれほど頻繁に話すことはありませんでした。ただ幾度か互いに一人の時にばったり会っては長々話をしたことがあり、今回ここで紹介するのは主にそのような場面での会話です。

 まず一番最初に思い出されるのは冬休みの間、食事のために食堂に行ったらそこでばったり会った時の話です。それまでにあまり世間話をなどをした事ない二人ゆえに、お互いに無難に互いの国の知っている人間の話題をこの時しました。
 まず最初に切り出してきたのは李尚民からで、「ねぇ、韓国人で誰か知っている人がいる?」と言い、私が口を開く間もなく続けて、「ヨンサマ?」と聞いてきました。やっぱり韓国人も当時のヨン様ブームの事を自認していたようです。この李尚民の問いかけに私も、そりゃあ彼は有名人だからねと頷きながら続けて、「あと金正日もよく知っているよ」と言った際、私だけかもしれませんがちょっと興味深い返答が返ってきました。
「なんで、金正日が嫌いなの?」

 韓国人は支持政党によってかなり考えに隔たりがあると聞きますが、私はこの時に彼の家は北朝鮮寄りの家なのではないかと思いました。というのも日本人の間ではわざわざ金正日が嫌いな理由を尋ねたりすることはなく独裁国家の大悪人で一致していますが、韓国では国境が接しているためか北朝鮮に対する意識が大きく二分されており、言うなれば殲滅派と和平派で両極端だそうです。この時の李尚民の問いかけからは北朝鮮に対する嫌悪感や憎悪といった感情は微塵も感じられず、あくまで私の直感ですが前韓国政権のようないわゆる和平派なのではないかと推測しました。
 しかしこんなことを腹の中で考えてはいるもののまさか正直に、「君は北朝鮮寄りなのかね?」などと言えるわけもなく、ひとまず話を適当に流そうと思って、「あの髪形はないでしょ」と冗談言って流しました。

 その後はソニン、ユンソナ、小泉純一郎と有名人を挙げていき、ゲームの話題に映ったところで韓国でも日本のゲームは結構普及している教えてくれ、彼自身もサッカーゲームの「ウィニングイレブン」をよくやったと言っていました。また同じゲームの話題だとこちらは授業中のやり取りで出てきた話ですが、なんでも彼が子供の頃は周りの友達にはみんな親からパソコンを買ってもらっていたのに彼の親は厳しくて買ってくれず、周りがパソコン使ってゲームをやっていたのがうらやましかったとも言っていました。

 そんな李尚民と最後にゆっくりと話をしたのは一年間の留学生活を終えて帰国する前に行ったクラス打ち上げ前で、お互いに律儀なもんだから待ち合わせ場所に早くから来て他の同級生が来るまで二人でいろいろ話しました。ちょうどその打ち上げ前にHSKという中国政府が行う中国語能力検定をどちらも受けており、その成績についての話題がまず最初に出てきました。このHSKというテストは取った成績によって一級から八級まで成績分けされ、八級が最も良い成績なのですが私も李尚民も七級を取得していました。
 私はこの成績で満足していたのですが李尚民は周りには納得しているといいつつも、八級を取得すれば韓国政府、もしくは大学から奨学金がもらえたらしくて、内心では八級を狙っていたので少し残念だったと話していました。

 そんなHSKの話の後、最後なのだから思い切ってきわどい事を聞いてみようと徴兵にはもう行ったのかと訪ねてみたのですが、なんでも彼は以前に中学校か高校の部活中に足を怪我してしまい、そのせいで徴兵検査に落ちて徴兵が免除されていたそうです。韓国では徴兵に行かねば立派な成人男性と見られない風潮があると別の人から聞いたことがあるのですが李尚民としてもやはりその様で、徴兵免除を受けた際には非常に落ち込んだそうです。しかしその後、実際に徴兵に行った彼の友人らから軍隊生活の過酷さを聞くにつけて自分はラッキーだったと思うようになり、今はもうあまり気にしていないと話していました。

 以前の記事でも書きましたが、中国の大学において韓国人留学生は人数も多いことからしばしば集団的に粗野になりがちになります。実際に寮内で夜中まで騒ぐ韓国人学生を何度か私も目撃しており、中国国内でも以前に大きな問題として挙げられた事までありました。そんな中でこの李尚民は非常に穏やかで礼儀正しく、ちょっと気の弱そうなところをのぞけば本当にいいクラスメートでした。ただ唯一彼に対して私が残念だったのは、私の十八番である北朝鮮の女子アナの物真似で彼を一度も爆笑に追い込めなかったことでした。愛想笑いはしてくれたけどさ(つД`)

2009年10月16日金曜日

文章表現における波

 私は私生活でもそうですが、文章表現においても調子のいい時もあれば悪い時もあって割りと激しく表現方法や技術が変わっていくタイプです。最近でも今月に入ってやや持ち直してきたものの、先月九月のこのブログの記事を読み返すと自分でも唖然とするような呆れた表現をかましており、ようやく気が付いた時点から今日までに慌てて軌道修正に取り組んでいました。

 特に一番ひどかったのは同じ表現の繰り返しで、一行目に使った表現をすぐ下の二行目でも使い回している事が多く、自分で気づいた中で挙げると先月の記事では「もっとも~」と「非常に~」という言い回しが異常に多くて激しい自己嫌悪に陥りました。ちなみにここでワンポイントアドバイスをすると、文章を書く際には一度使った表現を何度も使うよりは同じ意味でも別の語を使った方が見栄えが格段によくなります。一例を挙げると何かが大きい事を強調する表現でも、「とても」を使った後には「遥かに」を使い、そのまた後には「比較にならないほど」という具合に、前後の文章のリズムに合わせて選んでいければいいと思います。

 では何故九月にそれほど同じ表現の繰り返しが起こったのかとこの前自分で分析したのですが、一つにはこのところ私生活で堅い英文を作成する機会が増え、主語を強調して文章を書かなければならないという意識が強まったせいではないかと考えました。英文は主語と動詞を中心に据えてすべての文章を組み立てるので、英文ばかり書いていると一番最初に主語を持ってきてその後に動詞、でもって副詞で埋めてく作業が多くなってしまい、その意識が主語が曖昧なままでもなんとかなる日本語文章にまで来てしまうと全体のリズム感が悪くなり、表現においても分かっていながら窮して使い回しをやることが増えてしまいました。

 とはいえ九月以前もこのブログでは主語を強調した文章表現が目立つと思いますが、それらについてはあまり問題はないと私は考えております。ちょうど今使ったように、何か政治や社会問題に対する自分の意見を書く際にはそれが誰の意見かということを明示するに越したことはなく、本来なら無主語の意見は私の意見で当たり前に読んでくれるだろうと言いたいところですが、他の専門家や学者の意見を引用して織り交ぜるとなると書いてる自分はよくても読んでる側からすると混同するかもしれないし、責任感を持って自分の意見、立場を書く場合ははっきりと「私は~」という風に敢えて明示するようにしております。

 こんな具合でこの記事では自分の文章表現をやや卑下して書いてはいるものの、普段の私はという逆に自信過剰な性格でよく家族や友人に対して、「自分ほど文章を器用にかつ大量に書く人間となると、同世代にはほとんどいないだろう(・∀・)」、などと言ってはよく顰蹙を買っております。そんな自分でも、ここ数ヶ月の自分の表現力の低迷振りにはほとほと落ち込まされました。

 特に一番自分を落ち込ませたのは、なんと過去に書いた自分の記事でした。これは自他共にはっきりと認め合っている事ですが、このブログにおける私の全盛期と呼べるのはちょうど去年の9月頃で、カテゴリーにも設けてある「文化大革命とは」の記事を連載している頃でした。実は最近になってまたコアな新しい読者ができたのか、FC2の出張所の方にて何故だか昔の記事に拍手が増えているのですがその中で、「文化大革命とは~その五、毛沢東思想~」の記事も拍手を受けていたので何の気なしに読み返してみたところ、口語が頻繁に織り交ぜられていて見る人にとっては噴飯ものかもしれませんが、書かれている内容レベルもさることながらその読み易さに舌を巻きました。

 この文革の記事を書いた頃よりも最近は閲覧者数も増え、本店では約100人弱、出張所の方では50人弱の方が毎日見に来られるようになり、多少恥ずかしくないように去年より砕けた表現を抑えるようにしています、顔文字は増えたけど。ただ元々私は硬い文章を出来るだけ砕けた表現で読み易くすることに重点を置いて技術を磨いてきたので、今でも砕けた表現が多いですがやっぱり以前くらいのレベルに戻すべきかなと今ちょっと悩んでいます。

 それにしても自分の文章表現についてもこれだけ長々書けるのだから、つくづく自分は文章書くのが好きなんだと思い知らされます。さっきの記事に続きますけど、水野晴郎ばりに本当に文章っていいものですねと、作文書くのが嫌いな小中高生に声を大にして伝えたいです。

楽天、クライマックスシリーズ初勝利について

楽天打線爆発、岩隈完投!CS第2S進出に王手(サンケイスポーツ)

 つい先ほど試合が終了しましたが、パリーグクライマックスシリーズ第一戦の楽天VSソフトバンク戦にて、シーズン成績二位だった楽天が地元仙台にて見事クライマックスシリーズ初出場、及び初勝利を挙げて第一ステージ突破に王手をかけました。
 こんな記事を書いておきながら私は実はソフトバンクのファンなのですが、今期の楽天の快進撃に加え球団創設からこれまでの五年間の苦難の時代を考えると、今日の楽天の勝利には思わず目が潤まされました(ノД`)

 そんな今日の試合、やはり決め手となったのは楽天の一番高須選手の先頭打者ホームランに尽きるでしょう。ソフトバンクのエースにとどまらず松坂、岩隈、ダルビッシュに続く「第四の男」とWBCにて称され、そのWBCでも大活躍した上に今シーズンでも奪三振王のタイトルを獲得した杉内投手が今日のソフトバンクの先発でしたが、まさかまさかでいきなり先頭打者ホームランを打たれ、さらには同じ回にてまたもセギノール選手にホームランを打たれて三回七失点でKOされるなんて試合前には誰も想像だにしなかったでしょう。私も今日の先発が岩隈投手、杉内投手となることから息詰まる投手戦かと思っていたところ、終わってみれば両チームで合計15点を取るハイスコアなゲームでした。

 その杉内投手に対して楽天の岩隈投手は4回にて味方のまずい守備もあって4失点をするも、その後は尻上がりに調子を上げて7回と8回では三振を含めた三者凡退に抑えるなど見ていて圧巻のピッチングでした。さすが仙台の理想のお父さん、決めるところはきちんと決めてくる。

 ただ個人的に私が今日の試合で私が一番胸に来たのは、7回の楽天の攻撃における山崎武選手のホームランでした。シーズン後半に調子を落としていた事からクライマックスシリーズでも活躍が危ぶまれていたものの、それこそ目の覚めるような高度のあるホームランを決めてこの試合の勝利を決定づけました。楽天入団直前まですでに過去の選手のような扱いをされていたあの山崎選手が、こうしてポストシーズンの試合にて4番を務めるその姿を見るにつけなんともいえない、本当によかったという感情がぐっとこみ上がってきました。

 明日はソフトバンクキラーの異名を取るマー君こと田中選手が先発として登板する予定ですが、ソフトバンクも好きだけど楽天も好きな私からすれば、ちょっと悩ましいところですがやっぱり明日も楽天に勝ってもらいたいです。
 故水野晴郎氏ではないですが、今日の試合は野球って本当にいいものですねと言いたくなる試合でした。明日は昼間から第二戦が始まりますが、全力でテレビにて観戦させてもらおうと思います。あとセリーグでもヤクルトVS中日戦が夜に行われますが、世界中のどの球団よりも私は中日が嫌いなのでヤクルトには是非奮起していただきたいと思います。( ゚∀゚)=◯)`Д゚)・;'

2009年10月15日木曜日

太郎さんは何故流行らなかったのか

 この前友人と会った際にこのブログのことを話し、以前に書いた記事で「花子さんの評価が逆転する時」のことで少し盛り上がりました。この記事の内容は中身を読んでもらえば分かりますが、私が小学生の頃には恐怖の対象でしかなかった花子さんが最近ではいつの間にか漫画で萌えキャラ化しており、随分と時代が変わってしまったものだと思ったことが書かれています。ちなみにその友人、というか某K君は小学生の頃に入院した際にこの花子さんの怪談が恐くてなかなか病院のトイレに入れなかったそうです。

 そんな花子さんですが前回の記事のコメント欄にも書いてある通りに、花子さんにはパートナーに当たるような「太郎さん」という男の子の怪談キャラがおり、基本的には花子さんの男の子バージョンとして私が子供だった頃に怪談話で噂されていました。この太郎さんというのは登場の仕方からやることまで花子さんと全く同じで、唯一違っていたのが花子さんが女子トイレに現れるのに対して太郎さんは男子トイレに現れるという設定だけだったのですが、不思議な事に花子さんが日本怪談業界において圧倒的な知名度と迫力を持っていたのに対してこちらは全然恐がられもせず、取り上げられる回数も花子さんとでは天と地ほどの差がありました。

 K君と話した際にもこの太郎さんの話題が出てきたのですが、その時に二人でどうして太郎さんは流行らなかったのか、何がいけなかったのかといろいろと議論してみたのですが、その結果太郎さんの失敗要因が下記の通りにいくつか浮かび上がってきました。
 まず花子さんが個室トイレしかない女子トイレに現れるのに対して、小便用トイレもある男子トイレに修験するという事がそもそもの失敗だったと二人で一致しました。女子の場合はトイレに入るとなると必ず個室に入らないといけないのに対し、男子は逆に個室に入らず小便用トイレを使う頻度の方が圧倒的に高いため、個室にて潜むという太郎さんのシチュエーションがいまいちリアリティに欠けたのではないかと我々は考えました。

 こうした男女のトイレの構造の違いに加え、小学生の男子が個室トイレに入るという大きな大きな意味に比べると太郎さんの存在は非常に小さかったのではというの大きな原因だという意見が出てきました。

 かつて私がどこかでみた評論にて、「小学生の男子が排泄のために個室トイレに入るという事は、イスラム教徒が豚肉を食べるに等しいタブー行為である」と評した人がいましたが、現実はまさにその通りでした。これは男性の方ならみんな分かってくれると思いますが、小学生の中学年くらいに至ると男子が個室トイレに入ろうものならすぐさまみんなからバイ菌扱いされ、どれだけそれ以前にクラスで権力を持っていようが一瞬で吹き飛んでしまいます。そのためたとえ学校で用を足したくともみんな家に帰るまで必死で我慢をして、最終的にこらえ切れなかった者は授業中に、「先生、トイレ行って来ていいですか?」と言って緊急避難を行い、ここまで我慢した者については周りも深くは追求しないというのが暗黙のルールとなっておりました。ちなみに私は、一般の児童がまず入ってこない教員用トイレを使う事で自らの権威を保っておりました。

 こうした日本の小学生男子が抱える構造的問題から、そもそも男子トイレでノックをするという行為は当時においてまずありえなかったと私は考えています。というのもどうしても学校で用を足そうものなら絶対に同級生にトイレに入るところを目撃されてはならず、それこそ完全な隠密ミッションで事を果たさなければなりません。ですので仮に個室トイレに先客がいても絶対にノックなどせず、その個室の住人にすら知られぬように別のトイレに向かうのが常でした。

 こうしたことから三回ノックをして太郎さんが出てくるというシチュエーションがまず小学校ではありえなかったことが、太郎さんが流行らなかった最大の原因だったのではないかという結論に落ち着きました。
 むしろ私はトイレのドアを三回ノックするより、男子が小便用トイレを使用していると勝手に後ろの個室トイレから現れていろんなところに引きずり込んだり首を絞めたりする、という風に伝わっていればそれなりにリアリティがあってまだ流行ったんじゃないかと思います。結局のところ太郎さんは、小学生男子が持つ個室トイレのタブーに勝てなかったということになるわけです。あしがらず。

2009年10月14日水曜日

武田邦彦氏の講演会にて

 去年の五月にも行きましたが、平日にもかかわらず本日某所にて行われた中部大学の武田邦彦教授の講演会に参加してきました。ついさっき帰ってきたもんだから、今ちょっと疲労気味です。
 武田邦彦氏についてはもうあまり説明の必要はないと思われますが、世の中の環境問題のほとんどすべては嘘だとはっきりと断言してはよく議論の的になってきた人物で、私は武田氏の著書である「何故環境問題にウソがまかり通るのか」を読んでその筋道だった説明と解説に惹かれ、環境問題については武田氏の意見の方を現在では支持しております。

 そういう前置きはひとまず置いといて、早速今日の講演会で聞いてきた内容を一部抜粋して説明いたします。
 まず最初に武田氏が私から見て如何にも勝ち誇ったかのように主張していたのが、海水面上昇の話です。NHKを筆頭として温暖化の進行とともに北極、南極の氷が解けることによって海水面が上昇して地表の多くが水没するという説に対して、武田氏は約二年位前の初登場時より真っ向から否定していました。原理についてはいろんな本で武田氏も説明しているので割愛しますが、こうした武田氏らの活動が実ったのか、こんなあからさまな嘘を最近はどこも報道しなくなったと力強く言っていました。実際に私の感覚からしても数年前まであちらこちらで水没、水没といっていたのに、この一年間はそういった話をとんと聞かなくなったように思えます。

 こうした海水面上昇など、環境問題に関する報道の大半は嘘が多いという話から始まって武田氏を一躍有名人にした「ダイオキシンは無害だ」という主張についてあれこれ話していましたが、こちらも具体的な内容は武田氏の著作に書かれているのでここでは割愛します。ただこのダイオキシンは無害だと主張したことについて、初めてメディアでこの内容を主張したのをフジテレビであったことを紹介し、当時にフジテレビ内でも内容が内容だけに放送前に局内でいろいろと議論があったそうなのですが、最終的には当時のフジテレビの専務が武田氏に会い、

「我々は真実を報道します」

 と言って、放送を決断したそうです。
 結果はやはり、「そんな適当な事を言うな!」などと沢山の批判がフジテレビに寄せられたそうですが、このエピソードから武田氏はNHKを散々批判するのと打って変わってフジテレビはしっかりしているなどとべた褒めしていました。なお武田氏によると、高分子を300℃から400℃で焼いて煙を出すというダイオキシンを発生させるのに最も適した条件というのは実は焼き鳥屋らしく、そのために最初に毒性を否定する記事の題には、「焼き鳥屋は何故死なないのか」を採用したそうです。

 このほかエコポイントの欺瞞性などについてもあれこれ語っていたのですがそちらはまた今度にするとして、最後の質問時間にあまりほかから手が上がらなかったので私自らこのような質問をして見ました。

「日本の将来のエネルギー事情を考える上で、私は今後はどうしても原発に頼らざるを得ないと考えております。しかし原発事故の危険性はもとより、原子力発電によって無害化するまでに膨大な時間のかかる核廃棄物などが生まれる事を考えると、自分たちの世代がよりいい思いをするために将来の世代に負の遺産を残してしまうのではないかと思い、果たして本当に原発に頼っていいものかと考えてしまいます。その点について、武田先生はどのようにお考えでしょうか」

 この私の質問に対し、武田氏の返答は意外なものでした。
 まずいつもどおりに歯切れよく、原発というものは実際にはそれほど危険性はないと断言してきました。しかしそれでもなお危険性が心配されるのは、実は人災によるものだと答えました。

 核廃棄物については現状の技術、保管管理の方法でも限りなく無害化できるものの、その処理を巡って政府内で裏取引が平然と行われており、それらの技術が100%生かしきれていない現状があると武田氏は答えました。また発電所についても、日本で何が一番問題なのかといえば地震による倒壊のリスクだとして、2007年の新潟県中越地震で一部倒壊を起こした柏崎刈羽原発を例に取って説明してくれました。

 武田氏はこの発電所の建設にあたり日本で起こりうる地震としては非常に大きな部類にあたる400Galの二倍にあたる800Galに耐えられる設計で建設するべきだと主張したものの、政府の役人がどこかからかつれてきた地質学者、さすがに武田氏も温情を効かせて実名は明かしませんでしたが、その地質学者がこの地帯では250Gal以上の地震は起きないから250Galまで耐えられるレベルの建設でいいと主張し、結局それが委員会でまかり通ってしまったそうです。
 たださすがに東京電力が気を利かして400Galまで耐えられる設計で建設したものの、結局は新潟県中越地震の際には一部倒壊する事態となってしまいました。仮に250Galレベルの耐震設計では全壊もありえたと武田氏は述べ、地震後にその地質学者が何を言ったかというと、こんなレベルの地震を起こす断層があったとは分からなかった、と呆れる発言をしていたということを紹介していました。

 そもそもこのような地震リスクを避けるためには初めから大きな地震が起こらない断層の上で建設すればいいのに、そのような調査もほとんどなされていないと述べた上で、発電所の所長はそれこそ戦艦大和と殉じた艦長のように、世俗を超越した貴族のような人が行わなければならないと主張しました。原子力発電には沢山の組織や人間が複雑に絡み合った上で成り立っており、個人の利権やそういったものに全く左右されない人間でなければ所長は勤まらないとまで言っていました。

 その上で最初の話に戻りますが、様々な利権が絡んで裏取引も数多く行われており、原子力は安全に運用できるのにそのような人災によって危険性が付きまとってしまうと、「人災ゆえに技術ではどうにもならない」とまとめてくれました。この最後の一言が、私にとっては非常に印象深かったです。
 このような具合で、とても面白い講演会でした。残った話はまた折あらばご紹介します。