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2010年3月17日水曜日

移民議論の道標~その十四、移民の受け入れ方式

 これまでのこの連載で私は長期的視野に立つのであれば日本は期間を定めて移民の受け入れを行うべきだと主張してきましたが、今日はその移民を受け入れるとしてどのように受け入れればどのような制度がいいのかについて私の考えを紹介します。

 まず結論から述べると、移民を受け入れるとしてその受け入れ方式は大きく分けて二種類になる、二元方式が一番望ましいかと思います。一つ目の受け入れ方法はこれまで私が主張してきたような、労働者が不足している医療や農業といった比較的単純労働分野における移民で、これらの分野の移民については募集期間や人数をあらかじめ定めて受け入れるべきだと思います。また募集をする際、あらかじめ人数や職種を限定するために募集をかける地域などを限定すればもっと良いかもしれません。

 このような通常の移民の受け入れ方式に対し、もう一つ目の受け入れ方式は恒久的な、地域を限定せず広く優秀な人材を集める方式です。現在でも日本の各大学では留学生や研修生として外国人技術者や学者を受け入れる事はありますが、今後はこの受け入れ枠を拡大するとともに将来の日本永住も含めた待遇を用意した上で幅広く人材を求めていく事が必要だと私は考えております。なんだったら日本側から世界各地にスカウトを派遣した上でそういった優秀な人材、目の出そうな人材を片っ端から日本に呼び込むというのもありかもしれません。もちろんお金はかかってきますし、現在のポストドクターの問題に始まるように研究職の枠が限られているという現実もありますが、ただ手をこまねいていても日本はアメリカの大学や研究所に優秀な人材が取られていくだけで、もっと積極的に移民受け入れとともに日本は人材を集める事が必要になるでしょう。

 実はかつて私は大学の授業にてこの移民についてグループで調べた事があったのですが、確か2000年頃の経済産業省の白書を見ると、IT分野に明るいインド人技術者に就労ビザを発行してたくさん集めようと書いてあったのですが、当時はおろか十年立った今でも日本ではIT技術者よりカレー職人のインド人のが多いような状況です。私としてはそれはそれで構わないんだけど。
 政府としてはいちおうは技術者や学者といった優秀な人材の移民募集を行っているぞと掛け声こそ出しているものの実態的には何にも行動に起こさないばかりか、日本から出て行く人材に対してすらもなんの引き留める努力をしておりません。

 いくつか日本から人材が流出した代表的な例を紹介すると、まず一番大きかったのは90年代後期に韓国企業へ半導体技術者が引き抜かれた例が最も好例でしょう。この時流出した日本人技術者によって韓国企業が開発したメモリによって日本は一挙に半導体業界におけるイニシアチブを失いました。
 よくこの半導体のケースと一緒に日亜化学と中村修二氏の裁判が引き合いに出されますが、こちらについては逆に日亜化学のが分があるんじゃないかと私は思います。

 よく移民と言うと非常にマクロなレベルでの移民ばかりが議論されますが、ここで取り上げたミクロなレベルの議論も同様に必要なのではないかと言う事を常々感じており、やや内容にまとまりがありませんがこうして取り上げた次第です。
 さて次回は最後の難関、外国人地方参政権付与についてです。

2010年3月16日火曜日

鳩山邦夫氏の自民党離党について

 すでにあちこちで報じられていますが、かつて総務大臣時代にいろいろと煙を吹く発言を繰り返した自民党の鳩山邦夫氏が昨日自民党を離党しました。離党の理由について邦夫氏は、「坂本龍馬になるんだ!」と、いつもどおりやや意味のわからない発言をしているものの、結論から書けば自民党に見切りをつけたのが本音でしょう。本人は今後与謝野氏や桝添氏を引き込んで政界再編の起爆剤になると主張していますが、党の与謝野氏や桝添氏どちらも新党結成や離党をかねてから匂わせ、与謝野氏なんて文芸春秋の今月号でかなり激しく現執行部を批判してもう出て行くぞなんて言っていたほどなのに、両者とも今回の邦夫氏の行動に対しては淡白な態度をとっております。

 ただ今回の邦夫氏の離党によって久々に自民党が民主党を押さえてニュースの中心に躍り出た事を思うと、今後の政界の動きに一石を投じる行動にはなるかと思います。しかし民主、自民に対する第三勢力としては前回衆議院選にて社民党を上回る比例表を獲得した渡辺喜美氏率いる「みんなの党」が依然と最有力候補で、仮に邦夫氏が新党を結成したとしても集まる議員は限られてくるでしょう。
 その一方で自民党としてはすでに何人か離党者を出していて、今回のように大きく邦夫氏の離党が報じられることによってますます執行部への批判は強まり、ジリ貧の様相をなしてくる可能性が高いです。恐らく今のところ与謝野氏は本気で離党する意思はまだ少なく、現執行部の退陣、そして桝添氏らを中心とした新たな執行部の成立が本当の狙いかと思いますが、今回の邦夫氏の行動で邦夫氏の下ではなく民主党へ移籍する議員がまた出始めたらそうした与謝野氏の狙いも変わってくるかもしれません。

 あと今回の騒動で少し気になるのが、現自民党総裁の谷垣氏と総裁選で争った河野太郎氏のコメントがまだ見受けられません。この人なんてかねてより矢面に立って現執行部を批判していた一人で、今回の離党騒動なんかおころうものならそれ見た事かといわんばかりの経歴なのですが、何故かまだ反応が見えてきません。確率的には河野氏が一番「みんなの党」に合流する可能性が高いと見ているだけに、今後注視していこうかと思います。

 最後に今回の騒動についてコメントした方々の中で、一番面白かった前原誠司国交相のコメントを紹介しておきます。

「私は坂本龍馬が好きな人間なので、(邦夫氏が龍馬になると言っている事を)不快に感じます」

2010年3月14日日曜日

日中韓東アジア三国志

 昨日に引き続き、このところというかめっきり書かなくなっている私の専門である国際政治についてまた一本記事を投下しておこうと思います。今回投下するネタは私に限らず様々な方がやっている、「日中韓東アジア三国志」についてです。

 物事を何かの構図に当てはめると他人に対して非常に説明がしやすくなるのですが、その一方で取ってつけた構図のバイアスがかかって細部の理解が及ばなかったり、場合によっては余計な誤解を与えたりするので私は極力この様な説明法は避けております。しかし日中韓の政治状況についてはその当事者同士がほとんど理解できていないという事もあるので、今回についてはちょこっとおふざけも兼ねて現代のこの三国を三国志の構図に当てはめながら簡単に解説を行います。

 それではまず日中韓が三国志の魏呉蜀のどれにそれぞれ当てはまるかですが、私の見立てでは以下の通りです。

魏=中国
呉=日本
蜀=韓国


 日本人である私としてもやはり蜀=日本と来てもらいたいものですが、総合的な立ち位置やデータを比べるならこれがやはり適当かと思います。
 それではこの構図からどういった比較ができるか一つ一つポイントを上げて説明してきますが、まず国力の面では人口比がちょうど三国時代とみごとに被ります。如何に比較すると、

中国:約13億4000万人
日本:約1億2000万人
韓国:約4800万人


 見ての通り、日本と韓国を合わせても中国の半分にも届きません。もちろん現代は人口=国力ではありませんが、GDPも去年にはとうとう日本が中国に世界第2位の座を譲り渡し3位に転落し(韓国は15位)、一人当たりGDPで見るならばまだ日中には大きな差がありますが国という単位のデータで見る分には三国志の図式はそのまま当てはまるかと思います。

 では人材面についてはどうか。三国志において蜀の諸葛亮は人材豊富な魏に対して何度も蜀の人材不足を嘆いていましたが、実態的には当時は呉の方が人材不足が深刻だったといわれております。これなんかゲームの三国志をやれば歴然としますが、後半のシナリオにおいて呉は陸遜を除くとまともな人材なんて皆無に近くてゲームを進めるだけでも大変になってきます。史実においてもそのような傾向はあり、呉は孫権の死後だとその後継者争いからただでさえ少ない人材がさらに削り落とされ、晋の侵攻時にはまともな戦いにすらならなかったほどです。なおこれは豆知識ですが、その際の侵攻速度があまりに速かったことから「破竹の勢い」という言葉が生まれています。

 これを現在の日中韓に当てはめると、多少自虐的な見方もありますが今の日本は政界、官界、財界、文化界のどこを見回してもこれだといえる人材がおりません。まだ世界的にも評価の高い人物を挙げるとしたらこの前もフランスからコマンドールをもらった北野武監督にIPS細胞発見の京大の山中伸弥教授くらいなもので、政界に至ってはどうしてこの程度の人間らが選挙に受かるのか疑問に思う政治家ばかりで、財界においても前までちょっと評価していたけど伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長についても未だに公共事業を行えと提言しているる人物が大物として祭り上げられていて、経団連のキャノン御手洗会長なんて言語道断なのまでいる辺り人材不足を感じてしまいます。なんていうか、目先の対策ばかりでグランドデザインが全然この人らからは見えてこないし……。

 では他の二国はどうかということですが、韓国についてはちょっと私も詳しくないのでわかりませんが中国については景気がいいというのもありますが、やはりその人材の底堅さは見ていてうらやましくなるくらいです。特に注目すべきは中国の政治家や官僚たちで、現在の著しく不安定な中国を共産党の強権があるとしてしもその切り盛り振りにはつくづく感心させられます。まだなんどか日本のメディアにて取り上げられた中国官僚のレポートを読みましたが、その分析といい表現といい的確この上ないもので、こんな連中をどうやって相手すりゃいいのかと思わせられたほどの完成度でした。
 ついでにいうと中国は世界各地にチャイナコミュニティを持っており、日本なんかよりも米国などの世論に影響を与える人物も数多くいます。「ザ・レイプ・オブ・ナンキン」のアイリス・チャンなんて、日本からすれば煙たかったことこの上ないのでしたが。

 ただあんまり中国を誉めるのもなんなのですこしケチをつけておくと、史実の魏国同様に今の中国は反乱によって国がひっくり返される可能性が他の二国と比べてずば抜けて高い国です。先ほども不安定な国事情と書きましたが普通に農民の反乱がこのところ頻発しており、また共産党に不満を持つ軍人も確実に増えてきております。今は景気がいいからみんな従っているものの、なにかで躓いたらえらい事になるのではというのが俗に言う「チャイナリスク」です。

 こうした各国の事情の比較をする上で三国志の構図は割と役に立つのですが、それ以上に日本人に説明する上で一番いいのは、日中韓それぞれの対外関係です。
 史実では魏と蜀が延々といがみ合い、呉はそれに対して日和見的な態度をとっていることが多いのですが、現代の日本人からすると呉であると定義した日本が他の二国と仲が悪く、中には中国と韓国は宗主国関係で仲がいいという意見を述べる方を見受ける事すらあります(主に2ちゃんねるで)。

 しかし実態的には、過去に私も「中国と韓国の仲が悪い件について」の記事で書いたように、明らかに中韓の関係の方が日中、日韓の関係以上に険悪です。私が話を聞く中国人はみんなそろって韓国のことを悪くいい、また韓国の方も政府発表で主に領土問題について中国を批判する事が珍しくありません。この温度差はやはり国境が近いかどうかが影響していると思われ、日本も竹島、東シナ海ガス田問題などそれぞれに領土問題を抱えていますが、それでも中国と韓国ほど険悪なものではないと断言できます。

 ここから少し話を発展させると、日本は中国と韓国、どちらかに肩入れができるという選択権を持っている状態だといえます。韓国と組んで脅威となる中国に対抗するか、中国と組んでひとまずの権益(竹島や対馬ななど)を確保するか、はたまた中韓の関係をよりこじらせるように仕向けるかなど考えれば考えるほど夢が広がります。
 ただ現在においては北朝鮮という、日中韓(+アメリカ)が共同して当たって取り組まねばならない大きな緩衝材があるため、日本は急いで外交方針を決める必要はないでしょう。問題は北朝鮮が崩壊して犬猿の仲の中韓が直に国境が接触し、対立がエスカレートしてからです。その際には周辺勢力のアメリカやロシアの動きを見つつ対応を取らねばならないのですが、日清戦争前みたいな関係になるのかな。

 差し当たって上記の分析から私が今の日本に求める事は、なによりもまず人材問題の解決です。呉はまさに最後の希望ともいえる陸遜の息子の陸抗を司令官職から解任した事が亡国につながりましたが、今の日本でもまだ探せば幾らでも有意の人材がいるにもかかわらず世に出てきません。問題は何かといえば有意な人材が世に出辛いという社会環境で、この社会環境を少しでも改善し、日本に見切りをつけて出て行ってしまうような人材流出を防ぐ事が肝要なのではないかと思います。

 今の日本には中国を遥かに凌ぐ経済環境にインフラ、技術力がありますが、いかんせんそれを生かし切る人材においては不足するって言うレベルじゃねーぞといいたい状況です。何気に今日調べものの作業をしていて知ったのですが、明治維新期に活躍した高杉晋作は27歳で死去しており、伊藤博文は44歳で初代総理大臣に就任しております。
 ちょっと本題と趣旨がずれますが、このところの日本社会を見るにつけ高齢層は幼稚化し、逆に若年層は老成化しすぎなんじゃないかと思います。もっとこの辺のバランスをただす事が、呉=日本の大逆転のシナリオじゃないかと考えるわけです。

2010年3月13日土曜日

核兵器持込み密約問題について

 このところ連載記事やどうでもいい記事にかまけて時事系解説が遅れているので、発表当日は各紙一面を飾った日米の核兵器密約問題について私の見方を今日は解説します。

 まずこの問題は何に始まったのかというと、今を遡る事50年前の日米安保条約時にまで戻ります。日米はこの条約の締結によって有事の際はお互いに共同して問題の解決に当たると確約し、また平時においても米軍艦隊の日本への寄港や日本国内の米軍基地の活用なども日本側は許可しました。
 しかしこの条約の締結時、日本側は米軍に対して広島や長崎の経験から核兵器を日本国内に持ち込まないように条件をつけたと当時には発表されましたが、実際には核ミサイルを搭載した艦が寄港し、通過する事を日本側はとがめないと相互に確認されていたというのが、今回明らかになった密約の中身です。

 さらに38年前の沖縄返還時においても、それまで沖縄に配置されていた核兵器は日本への返還時にすべて撤去される事となっていましたが、この際ももし朝鮮半島などで有事が起こった際には米軍は再配備を行うという事を時の首相の佐藤栄作は暗黙のうちに認めていたとされています。これは佐藤氏が当時に提唱した非核三原則こと「核兵器を造らず持たず持ち込ませず」に明確に反する内容であり、佐藤栄作自身も下記のニュースによるとはっきりと認識をしていたそうです。

日米密約:佐藤栄作元首相「非核三原則は誤り」(毎日新聞)

 まずこれら日米の密約自体について私の評価を述べると、当時米ソで核競争が行われていたという時代状況を考慮に入れるならば、時の政治家が判断したというのであればやむをえないかと考えております。現在でこそ核兵器が米露で削減が進んでいますが当時はそれこそ一触即発ともいえる時代で、何が判断として正しかったのかとなると結果論ではどうとでもいえますが、私はこうした決断を佐藤栄作が行ったというのもやむをえなかったところもあると考えております。

 しかし、だからといってこの密約問題はもう過ぎた事だとして忘れていいものではなく、けじめをつけておかねばならない人物や組織がいくつか存在します。
 では何がこの密約問題で一番問題なのかというと、条約の締結を行ったアメリカ側は外交文書を公開してこの様な密約、ひいては西山事件で明らかになった日本側の費用の肩代わりを認めているにもかかわらず、時の政権であった自民党が一切この件を認めないどころか、調査も全く行わなかった事です。

 考えてみればこれほどおかしなことはなく、約束をした片側が事実を認めて外交文書という何者にも勝る証拠まで出しているにもかかわらず、もう片側の日本は延々とそんな事実はないといいながら当時の文書について、「紛失してしまった」と言い逃れをし続けてきました。実際にはこの時の日本側外交文書は外務省が隠蔽目的で意図的に破棄した可能性が高く、佐藤栄作の親族が保管していた文書があったからこそよかったものの、おちおち天安門事件を隠蔽しようとする中国を笑えない事態が日本でも起こっていました。

 今回の件は民主党が政権を取り調査したことによって判明したから良かったものの、民主主義に明らかにそむく愚行を自民党は重ねていた事になります。幸いにして現在はソ連が崩壊して核戦争の危険性が薄れて核兵器の削減が進み、核兵器を搭載した艦船が日本に寄港する可能性はほぼゼロに近いです。そのため当時のこの密約が明らかになったとしても日米の関係に大きな影響を与える要素は少なく、当事者の一人である米側が認めているのだから日本としてももはや隠す必要などほとんどありませんでした。それならばむしろ、密約を行ったとはいえ時代、歴史の評価や洗礼を受けるべきであるのに、自民党はこの事実をひた隠しにし続けてきました。

 特に今回の件で一番呆れたのは自民党の総理経験者である安倍氏、麻生氏の発言です。

【密約】麻生前首相、「自分は承知していない」とコメント(産経新聞)

 今回の報道を受けて両氏はこの様な事実を知らなかったとした上で、今更昔の事を掘り返してあれこれ批判したりするべきではないといった旨の発言をしております。後半の言い分なら全く理解できないわけでもないのですが、前半部の発言については私はやはり如何なものかとその神経を疑いました。というのもそもそもの発端となった米側の文書公開は彼らが政権に就いていた頃に行われており、何故その当時にすぐ調査を行わなかったばかりか、みすみす外務省が文書を破棄するのを黙って見過ごしていたのかという気がするからです。理由は単純に、彼らがむしろ事実が明らかになってほしくない側の立場だったからという事に尽きるでしょう。

 何度も言いますが、私は佐藤栄作の決断はまだ理解できます。しかし事実がほぼ発覚しているにも関わらず隠蔽を行おうとした自民党の歴代政権はやはり批判は免れ得ないかと思います。そういう意味で今回の核密約問題はその事実よりも、自民党と外務省の隠蔽体質の問題性を浮かび上がらせた事件だったと私の中でまとめております。

2010年3月11日木曜日

移民議論の道標~その十三、どこから移民を迎えるか

 大分この連載も終盤に差し掛かってきましたが、そろそろ具体的な議論に入ってくるのでコメント等があれば是非寄せてください。

 これまで散々に移民についてあれこれ言いたい事を書き綴ってきましたが、私はやらずにすむというのであれば移民は行わないに越した事はないと考えてはいますが、これからの日本を考える上、世界的な潮流を考えていく上ではある程度の受け入れはやはり必要となって来るかと思います。ただこの場合、受け入れるといってもいきなり無制限にどこの国からも一気に受け入れるというわけでなく、やはり各条件等を細かく精査した上で、また一体どれだけの人数をどれだけの期間に受け入れるかをきちんと定めた上で実施するべきだと考えています。

 具体的な人数については私も専門家でないことからはっきりと出す事は適いませんが、期間について私は試験的に始めて受け入れの施設や体制を整えつつ年々増やし、大体2015年から2020年、もしくは2025年までとはじめから終了期間まで定めて行うのが良いと考えています。
 そして移民を募集する国の限定についてですが、これについては受け入れ体制とも関わるのである程度限定した方が良いと思います。というのも受け入れる国が複数多岐に渡れば渡るほど対応しなければならない言語や文化が増えてしまい、費用も余計にかかっていきます。それならば一体どこの国から移民を迎えればいいのかですが、移民募集のやり方や制度設計によって変わってはますが、今現在で見るならば意外と狙い目なのは中国なのではないかと私は見ています。

 もちろん私自身が過去に中国に留学したことがあるという経歴ゆえに贔屓目に見てしまうという指摘は免れませんが、それを推しても私は今の中国からなるべく多くの優秀な人材を日本へ招聘していく価値があると見ております。
 それで何故中国からなのかですが、まず中国は移民募集を行う上で最低条件である余剰人口が多い国であるからです。たとえばお隣の韓国では失業者が多いものの日本と同じく労働者人口は少なく、さらに全体人口も日本より下です。このような環境では移民募集を行おうにも政府間で対立するのは目に見えていますし、また余剰人口が少ないために前回の記事で書いたように日本で一山当てようというような犯罪者予備軍しか募集に応じてこない可能性があります。

 次に文化面ですが、日中で文化の違いは確かに大きいものの、インドネシアやフィリピン、そしてインドといった国と決定的に違うある条件が中国人にはあります。その条件というのも、特定の宗教を強く持っていないということです。
 これも例えばインドネシアであればイスラム教徒人口が多く、昨今の情勢から宗教ネットワークを介して、日本では可能性が低いものの、移民者がイスラム系テロリストとつながってくる可能性があります。またそれだけに止まらず宗教間の文化の違いは生活面でも様々な影響を与える可能性があり、受け入れしてから予想だにしない問題が起きてしまうこともあるでしょう。
 それに対して中国は日本人より儒教思想は強いものの韓国人ほど長幼の礼は厳しくなく、あと結構意外ですが恐らく日本人以上に中国人男性は女性に対してレディーファーストを心がけています。この辺も面白いから今度記事にして紹介します。

 しかしそうは言っても中国人は日本で犯罪を犯す者も多く、また反日思想が強いから無理のではないかと一般の日本人からしたら思われるでしょう。犯罪については確かに犯罪率は日本人より高いものの、これまでの連載の記事で書いたようにもう少し精査して見る必要があり、現実に思われているほど高くはないのかと私は考えています。そして反日思想についてですが、確かに中国人大学生の中には突拍子もなく日本の過去の歴史を批判する人間もおりますが、実際に会って話した中国人に聞いてみると日本に来て見たら拍子抜けしたという方が多いです。

 その中国人の話によると、今でも懸案となっている靖国神社などは軍事色丸出しのおどろおどろしい場所だと想像していたようなのですが、実際に見てみるとただの神社で何をあんなに怒っていたのだろうかとさえ思えたそうです。また実際に中国現地で会った中国人に私が反日暴動を日本人は気にしていると話をしたところ、あんなのは政府がやらせている暴動だからきにするな、と言っていましたし、私もいろいろ情報を見比べているとどうもそのような気がします。

 そもそもの話、今の中国を見る上で決して見落としてならないのは、日本以上に中国共産党を憎悪している中国人(漢民族を含む)が大量にいるということです。この傾向はトップにはなりきれない準エリート層に実は多く、私が以前に書いた、「中国の不公平な大学入試制度について」の記事でも紹介しているように、出身地や戸籍によって優秀な成績にもかかわらず希望する大学に入学できなかった人を始め、各地方政府の腐敗によって不遇をかこっている人などまさに目白押しです。そういった中国人準エリートらに対し、日本からアプローチをかけて移民として受け入れるという事は対中戦略上でも効果的な手段になりうるのではないかと思います。

 2000年以降よく中国脅威論が語られるものの、具体的にどのように中国を押さえていくかという案となるとアメリカに頼るという意見ばかりでそれ以外となると軍事費の増大などを主張者は批判しているばかりです。私としたらただ中国人は汚いなどと揶揄するだけでなく、敵の中にいる敵を如何にして日本に引き込むかということをもっと考え、実行に移していくべきではないかと考える次第です。
 ただこれは逆に言えば、おそらくあまりないでしょうが中国側から日本へもこのようなアプローチが行われる可能性があるということです。少なくとも日韓の間では冷遇されていた技術者を韓国企業が引き抜いた事から半導体業界の主導権を握られた過去があり、今に始まった事ではありませんが引き抜くだけでなくこれからの日本は如何に人材の流出を防ぐかも考えていかねばなりません。

 じゃあ人材の流出を防ぐにはどうすればいいかですが、やっぱりまず呆れた労働環境の改善に尽きるんじゃないかと思います。どうでもいいですけど、過去にこの様なネタで爆笑した掲示板があるので紹介しておきます。

ランボー怒りの休日出勤(ワラノート)

2010年3月10日水曜日

移民議論の道標~その十二、犯罪者は増えるのか

 ちょっと間をおいての連載再開。「ハンターハンター」ほどじゃないけど。
 さて前回の記事では移民を行うにあたり真っ先に行わなければならないのは入管こと入国管理局の強化であると私は主張しましたが、今日もその辺に関わる内容として犯罪の問題についてまた少し語ろうと思います。

 この移民議論において移民に反対している方々の反対理由を尋ねるのであれば、まず間違いなく外国人犯罪者が増加するという理由が第一位に挙がる事でしょう。日本と通貨格差がある中国や東南アジア諸国の人間からすれば日本はまさに一攫千金が狙える場所で多少のリスクを張ったとしても犯罪に手を染めて大金を稼ごうという人間も少なくなく、移民の受け入れを行おうものならば労働者のふりしてやってくる犯罪者を自ら招き入れてしまう、という意見はかなり以前から現在に至るまで存在しています。

 結論から言えば、私も移民の受け入れを行えば外国人犯罪者は増加すると確信しています。しかしその増加率ともなれば入国者数が二倍になれば流入する犯罪者の数も二倍にと単純比例で増えていくのではなく、実際には二倍に対してそれを下回る倍率で増加していくのではないかと思います。
 一体何故私がそのように考えるのかというと、移民についての議論で以前からこのような意見があるからです。

「日本で大金が得られると知って犯罪目当てにやってくる外国人らは入国規制が厳しいか緩いかといった事を始めから考えず、なんとしてでも入国しようとするものばかりである。そのため正式ではあるものの煩雑な手続きを敢えて行って入国する者もいれば、入国審査が通らないとわかれば密入国をしてでも入国しようとする者もいる。如何に入国に当たって規制や審査をかけようとしても彼ら外国人犯罪者を防ぐ有効な手段とはなりえず、そのような規制や煩雑な審査はむしろ真っ当な外国人の来日を倦厭させるだけにしかなりえない」

 恐らくそんなものなどないでしょうが、私がかねてより気になっているのは日本で犯罪を犯した外国人の入国手段は一体どんなものか、正式な手続きを経て入国してきた外国人と密入国者との犯罪率を比較するような統計はないものかと前から探していますが未だに見つかりません。よく中国人などは犯罪をするためだけに日本にやってくるなどという極端な意見を言う方もおりますが、現行でとっ捕まっている外国人犯罪者のうち密入国者の割合はいったいどんなものかというのがなかなか見えてきません。

 仮に外国人犯罪者の来歴のうち密入国者の割合が高いのであれば、正式な手続きや審査を経て日本に入国してくる外国人については現在ほど懸念されるような犯罪者である確率は低いのではないかと思います。もちろんそれを見越しても移民のように大量の外国人を受け入れる事となれば審査漏れなどが発生して犯罪者が混じってくる可能性は高まるでしょうが、その辺の問題というのは移民をやるかどうかというより、前回で話した入管の問題なのではないかと私は思います。

 そしてさっきの意見で書いたように、犯罪者というのは儲け話があればどんな苦労も気にせずやってくるのに対し、日本に興味があったり留学を考えてやってこようとする真っ当な外国人からすれば煩雑な手続きや審査は気だるいものにしか過ぎず、緩めろとまでは言いませんがあまりにも厳しすぎれば返って人材の交流を妨げて犯罪者だけしかやってこないような体制にしかねません。

 何度も繰り返しになりますが、外国人犯罪について本来議論すべき場所は入管や警察、海上保安庁だと私は思います。如何に相手国と犯罪者情報を交換し合って共有するか、密入国ルートをどれだけ潰すか、入国前の審査でどれだけ阻めるかであって、移民の議論でも無関係ではありませんがもっと議論のポイントを広げて語るべきでしょう。そして移民を議論するのであれば、外国人犯罪者が増えるからという理由で即座に否定するのではなく、どうやって外国人犯罪者を招かずに受け入れていくかを考えていくことも移民議論に限らず必要です。

 そんなわけで次回は、多分この連載で一番私の加工が入った情報の詰まっている、中国からの移民の価値について解説します。

2010年3月9日火曜日

秋葉原連続通り魔事件裁判の証言

 今日はそろそろ腹を括って移民の連載記事の続きを書こうかと思っていたのですが、さすがに捨て置けないニュースが入ってきたのでこちらを取り上げます。

【秋葉原17人殺傷 第4回(1)】(産経新聞)

 本日午後、一昨年に起きた秋葉原連続通り魔事件の裁判が東京地裁にて行われました。上記ニュースは今日の裁判において行われた証人による証言をまとめた記事ですが、前もって言っておくと心臓の弱い方や残虐な描写に耐えられないという方は証言に生々しい描写があるために絶対に見ないようにしてください。逆にある程度の不快感に耐えられる自信があるのであれば、やや長いですがこの一連の証言記事は是非読んでもらいたいと思います。

 この裁判は今日で四回目ですが、前回では主に事件現場に居合わせた目撃者による証言がなされたのに対し、この四回目では実際に被害に遭われた方が証言台に立ちました。本日証言台にたったのは二人で、一人目の方は加藤被告の運転する車によって自身もはねられ、また一緒に秋葉原を訪れていた友人を亡くされた方で、二人目の方は加藤被告に直接ナイフで刺された方です。

 今日の証言内容を私の方で簡単にまとめると、まず一人目の方は大学での友人と四人でその日に秋葉原に訪れたことから事件に巻き込まれた方です。事件当時、証言者らは前に二人、後ろに二人でそれぞれ連れ立って横断歩道を渡っていた所へ加藤被告が運転する車が迫り、証言者と、彼と並んで前を歩いていた友人は咄嗟に前へと飛んだことから車体が直撃するのを避けられ腰の打撲で済みましたが、後ろの友人二人は避けきれず、そのまま車にはねられて亡くなってしまいました。この時の状況について証言者は、「死線をぎりぎりすり抜けたと思いました」と証言し、また一歩間違えば確実に死んでいたと述べています。

 証言者ははねられた直後は腰の痛みからしばらく立ち上がれなかったものの、すぐにほかの友人らはどうなったのかと見回したところ、亡くなられた友人二人が血を流して倒れていたそうです。証言者は友人に駆け寄って何度も声をかけたもののどちらからも返事は返って来ず、その無念さや悲しさは証言を聞いているだけでも胸が詰まる思いがします。

 そして二人目の証言者は、事件当日は後方でなにやら騒ぎが起きていると感じた直後から一時記憶がなく、気が付いたら路上に血を流しながら倒れていたそうです。この時証言者は加藤被告によってナイフで背中を刺されていたのですが自分に何が起きたのかわからず、その場に居合わせた周囲の方から止血や励ましを受けながら救急車が来るまで途方もなく長く感じたと述べております。
 しかし証言者は病院へ搬送後、一命こそ取り留めたものの医師からは一生車椅子生活になると告げられ、その際には絶望感よりも「勝手に決めつけるなよ」という気持ちを覚えたそうです。現在も証言者は懸命にリハビリを続け一部の機能回復こそ果たしたものの左足は未だに全く動かず、事件以前より不自由な生活を余儀なくされております。

 どちらの証言も、読んでいる私ですら犯人に対しとてつもない悔しさを感じるとともに、もしこれが自分の身であればと思うとあまりにも運命は残酷すぎると言いたくなる内容です。二人目の証言者など事件前には仕事もあってそこそこ不自由のない生活であったのが一瞬で壊されてしまい、その不遇を思うにつけ目頭が熱くなります。

 蛇足になるかもしれませんが、実はこの事件が起きたすぐ後、生前私がお世話になった人へ線香を手向けようと近所の仏具屋に行った所、お店のおばさんから、「もしかして、秋葉原の事件で亡くなられた子のご友人ですか?」と尋ねられたことがありました。なんでもこの事件に巻き込まれて亡くなられた方は生前に近所に住んでいたらしく、その仏具屋にも何人か線香を買い求めにその方の友人が訪れていたそうなのです。
 そのお店のおばさんは比較的年齢の若い私を見て大学生だと思ったことからそのように尋ねたそうなのですが、今日のこの記事を見て、一人目の証言者の亡くなられた友人は大学生だったという事からもしかしたらあのおばさんの言っていた方というのはこの人のことではないかとすぐに浮かんできました。

 もちろん本当にそうなのかどうか確かめようがありませんし、仮にそうであったとしても何かが変わるというわけでもありません。しかしもしかしたら近所に住んでいて、仏具屋でのあの会話を考えながら証言者の語る事件当時の状況を読むにつけ、他人の分際でこんなことを言うのはおこがましいかもしれませんが、他の殺人事件などとは異なりまるで身近で起きた事件であるかのような感覚を覚えます。

 昔大学での倫理の授業にて講師が、戦争は鳥瞰的に見るのではなく匍匐的に見よ、戦闘で何人が死んだとかを見るのではなく一体どんな人がどのように殺されていくかを見なくてはならない。そうでなければ戦争の現実などなにも理解できないのだと語っていましたが、全く理解していないつもりはなかったのですが今回のこの裁判の証言を読むにつけ、やっぱり自分はあの講師の言葉をきちんと理解していなかったのだと痛感させられました。

 やはり内容が内容だけに、文字量に比べて今日は書き上げるのに時間がかかりました。あまりにも堅い内容なので最後に一息つける内容を入れておくと、上記の倫理の講師の授業はとても面白かったのですが、ある日の授業では始まるやいなや、お前ら京都にいるんだったらもっと奈良に行け、奈良はたくさんいいところがあると延々と授業時間の大半が奈良の宣伝に使われた事もありました。これはこれで面白かったけど。