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2010年11月16日火曜日

中国の自動改札と券売機

 今回中国に滞在していて一番面食らったというか中国らしさを感じたのは、地下鉄や列車の駅にある自動改札と自動券売機です。上海市地下鉄は結構前から自動改札と自動券売機が普及して入るのですが首都北京を含むそれ以外の都市となるとほとんどこういった機会は導入されておらず、実際に私が留学していた頃の北京は切符は窓口で手売りで、改札も買った切符を駅員がせっせせっせと一枚一枚ちぎって通る仕組みでした。

 これが都市内の地下鉄程度であればまだ笑って許せるのですが、都市と都市を結ぶ長距離列車となると如何な中国通と言えども苛立ちを押さえきれない物があります。何が辛いかというと駅の外にあるチケット売り場で買うのであればともかく駅構内のチケット売り場で買おう物ならさすがは人口大国というべきか、いつも窓口は長蛇の列が出来ていて一枚のチケットを買うのにも非常に多くの手間と時間がかかります。
 窓口では基本的に駅員がプラスチックの窓越しにわざわざマイクとイヤホンを使って客から行き先などを聞いて発券するのですが、この駅員というのも大抵女性ですが誰もが高慢な態度で、私は知りませんが旧国鉄は駅員の態度が悪かったといいますがこんな感じだったのかと思うくらいひどいです。

 そんな駅員の態度などもあってか、どうにもこうにも列はサクサクと進む事はありません。それだから以前から上海の地下鉄同様に自動券売機が都市間列車にもないものかと以前から感じていたのですが、今回上海虹橋駅という駅に行ってみたらなんとこれがありました。早速使ってみると外国人の自分でも簡単に操作が出来て窓口なら30分はかかるまい発券がわずか2分で済んでほっとしたのですが、なにやら気配を感じて後ろを振り向くと数人の中国人が私の操作をじっと眺めていました。
 見ると便利で簡単な自動券売機があるにもかかわらず他の乗客は依然として駅員のいる窓口に並んでおり、自動券売機には一応は見てみるものの手をつける人はほとんどいません。また自動券売機にも操作を教える駅員がついているのですが、空いている自動券売機があるにもかかわらずほとんどの中国人はその駅員のついている券売機に集中して操作を教えてもらっていました。

 上海の駅には前から導入されていると聞いているのであの時の中国人はきっと地方から上海に来たいわゆるお上りさんだったのだと思いますが、それにしたって大した操作でもないのにという感情を覚えずにはいませんでした。また万博中の期間ということもあって地下鉄の自動改札機においても、いまいち上手く通れないという人を数多く見ました。
 まぁ地方には全くないんだし、見慣れない代物だから戸惑うのはしょうがないと思いつつもついつい日本と比べてしまいます。日本は歴史を調べてみると1980年位には自動改札と券売機が大都市ではほぼ普及しており、漫画の「バキ」に出てくる烈海王じゃないですが、「ここ数年で中国が経済成長したのは認める。だが君らのいる場所(自動改札と券売機)は我々はすでに三十年以上前に通過しているッ!」というセリフが何故だか浮かんできました。

 結局の所、中国の最大のアキレス腱というか日本の経済成長期と違うのはここだと思います。日本はなんだかんだ言っても全国である程度情報や技術を共用し、地方民と都市民で中国ほど極端な差異がありません。また基礎教育のレベルも段違いで、こうした新奇の技術に対してもそれほどの時間を費やさずともすぐに操作に慣れて普及させる事ができます。携帯電話一つとっても、自分はほとんど使いませんがインターネットコンテンツなどを日本の高校生がすぐに使い慣れるのを見てどこが教育レベルの低下だなどと思いますし。

 中国は沿岸部ならまだしも内陸部は日本ではほとんど報道される事もなく、情報を入手するのも難しいほどです。私の上海人の友人などは露骨に地方出身者のことを「土人」と呼びますし、基礎教育レベルにおいても大きな差があります。今後この差が何かのてこに働くかも知れず、注視する必要があるでしょう。

征韓論とはなんだったのか

 帰国してからまだ歴史系の記事を一本も書いてないので、恐らく中国系記事と並ぶこのブログのメインコンテンツの歴史系記事を上げとこうと思います。

征韓論
明治六年の政変(Wikipedia)

 征韓論といえば中学校の歴史でも学ぶくらいポピュラーな日本の事件史ですがこの征韓論の中身とその後の展開については高校の日本史選択者くらいしか学ばず、またそうやって高校で学んだとしても他の事件との関連を教師から教えられなくていまいち理解せずに終わっている方も少なくないと思うので、ちょっと今日は気合を入れてこの事件の発端から帰結までを解説いたします。

 まずそもそもの「征韓論」の中身ですが、呼んで字の如く当時の朝鮮王国に対する外交をどうするかという論争でした。当時の明治政府内部は大きく二分しており、欧米を視察した岩倉市切断のメンバーとその視察中に政務を取り仕切った留守政府メンバーでこの征韓論の論争は行われました。なお、それぞれのグループにおける中心メンバーは下記の通りです。

  岩倉使節団
大久保利通、岩倉具視、木戸孝允、伊藤博文、黒田清隆

  留守政府
西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、江藤新平、副島種臣、桐野利秋

 当時の明治政府は朝鮮王国に対し、かねてから開国を促していました。何故日本が朝鮮へ開国を促していたのかというとまず単純に大陸マーケットの足がかりを作るのと、朝鮮を開国して自衛力を付けさせる事で欧米のアジアからの干渉を排除するという目的があったとされています。ただ後者については私はやや疑問視している所があり、一応教科書では日本は当時の清(中国)が領土を割譲させられたように朝鮮が欧米列強の植民地となると距離的にも欧米の日本に対する干渉や危険性が高まるとして、それを未然に防ぐために日本が朝鮮を援助するという目的だったとしています。この方針が引っくり返ったのは福澤諭吉の「脱亜論」発表からと言われていますが、私としては初めから清と対抗して欧米列強の如く朝鮮を日本の支配化に入れるという目的が強かった気がします。

 話は戻って征韓論についてですが、朝鮮を開国するために留守政府は西郷隆盛を特使として派遣して改めて開国を迫り、もしこれを朝鮮が拒否しようものならそれを口実に出兵してでも開国させようというのが征韓論です。
 留守政府は明治六年(1873年)に西郷の派遣を決めたものの、もうすぐ帰ってくるという事だったので岩倉ら使節団の帰還と彼らの承認を受けてから実施しようとしたところ、使節団のメンバーらは日本はまだ内政に従事するべき時期で外征を考えるべきでないと強く反対したのです。

 これによって政府は上記の使節団メンバーと留守政府メンバーに二分されて激しく対立し、最終的には使節団メンバーが天皇を動かして西郷の派遣を取りやめさせた事で決着がつきました。ただこの裁可に不満を覚えた上に記した留守政府メンバーは皆下野し、事実上その後の政府は使節団のメンバーが中心となっていきます。

 この辺までが学校でも習う征韓論のお話なのですが、実はこの後切って離してはならない事件が続々と起こります。その第一発目に当たるのがこの翌年に起きた台湾出兵です。
 この事件は1871年に数十名の沖縄の漁師が台湾に漂流した際に現地住民に殺害されたことに対して清政府に賠償を求めた所対応がなく(管轄外として拒否)、1874年に日本が兵士を台湾へ派遣した事件です。この事件を経て清側から撤兵の為の賠償金支払いがあり日本の沖縄の領有権を確定したのですが、内政を優先すると言いながら露骨な外征を真っ先に政府が行ったことに木戸は筋が通らぬと政府を下野しています。

 木戸が下野した後の明治政府は同じ使節団メンバーの大久保利通が取り仕切っていたのですが士族らによる政府への反乱が続々と起きるなど政情は不安定化さ増したことで、伊藤博文や井上馨らの仲介で行われたのが翌年(1875年)の大坂会議です。この大坂会議ではその後の政治体制をどのようにするかについて大久保、木戸、板垣の三者で話し合われ、下野した木戸と板垣はこの会議を経て政府に復帰する事となりました。

 ところがその同じ年(1875年)に日本政府はまたも、今度は朝鮮に対して江華島事件というまさに征韓論をそのまま実行したかのような外征を実行しました。まだ事件の詳細については議論がされていますが、現在伝えられている内容では日本側が朝鮮王国の砲台付近で測量をするなど挑発的行為を行い、それに朝鮮側が乗って砲撃するやあっという間に日本軍は砲台を占領したそうです。この事件の後に日本は朝鮮に賠償として日朝修好条規という、かつて日本が江戸時代に欧米と結ばされた不平等条約を結ばせます。

 この江華島事件を受けて復帰したばかりの板垣は、それ以前からも自由民権運動をしながらすぐに政府に寝返ったという批判を受けていたのもあってまたまた下野してます。また木戸もこの頃から体調を悪くして主だった政治行動を取らなくなり、大坂会議体制は早くも滅んで再び大久保独裁体制というような時代に舞い戻ります。

 このように征韓論こと明治六年の政変後の歴史を見ると、征韓論に反対した大久保や伊藤といった使節団メンバーに主導される形で日本は外征を行っていた事がよくわかり、あの論争は一体なんだったのかと言いたくなるような結果です。西郷らが征韓論を強く主張していたのは出兵する事で秩禄処分によって生活が困窮していた士族らを救う、もとい始末する目的があったためだとされますが、台湾出兵時の目的もやはり士族への対応が大きかったそうなので使節団メンバーは留守政府メンバーと価値観を共有していたように思えます。

 となると征韓論は何故あれほどの論争になったのか。
 結論を述べると私は征韓論論争とは、使節団メンバーと留守政府メンバーの単純な派閥抗争、主導権争いだったというのが実情だったように思えます。それだけに各派閥の頭領こと大久保利通と西郷隆盛の対立には運命に皮肉を感じざるを得ません。
 その後の西郷は西南戦争にて政府が処理にあぐねていた多くの士族らとともに戦死し、大久保はその施政に不満を持った石川県士族によって暗殺されます。

2010年11月14日日曜日

社会人という言葉に思うこと

 いきなり結論ですが、私は「社会人」という言葉をあまり好んではいません。理由は単純で一般的に社会人と呼ばれるカテゴリーの人間らがその社会人という言葉が意図する内容から程遠い人間が多く、人を貶めるために使われている事が多いように感じるからです。

 一般的な社会人という言葉の定義を簡単にまとめると、まず誰かの保護を受けずに自らの給料でもって独立して生活しながら一般社会で勤労する人間というのが無難かと思います。そのため日本で一番適用されるカテゴリーとしてはサラリーマンで、「社会人とはかくあるべし」としてサラリーマンとして心得なり訓示なりでよく使われています。
 ただこうした一方で、「社会人なんだから」などや「学生じゃないんだから」などと、よく上司が若手社員を叱る際によく聞こえ、聞いててよく「社会人って随分万能人間なんだな」と皮肉っぽく感じてました。

 恐らく叱る側の意図としては「もっと責任感を持て」という具合で叱っているんでしょうが、私は聞いててつくづく、そもそも日本のサラリーマンは皆が皆で責任から忌避していて如何にも「後は俺が責任を取る」っていう人が全くいないのに誰の事を指してんだ、って思ってました。また責任以外の面でも社会人以前に人間としてどうかと思う行動や発言をする人もサラリーマンには多く(そういうのに限って社会人という言葉を使って人をよく批判する)、なんとなくこの言葉に空々しさを感じます。
 さらにはこの「社会人」と言う言葉と対比して使われる「学生」と言う言葉についても、昔はどうだか知りませんが少なくとも私の周りではサラリーマン以上に責任感というか人間的にもしっかりした人間が多く、如何にもサラリーマンこと社会人に劣るような使われ方をするというのはどんなものかと思います。

 繰り返し結論を述べると、社会人であろうと学生であろうと、無責任な奴は無責任だし立派な奴は立派だと思うので、何も働いているからって何でもかんでも偉そうにするなとこの社会人という言葉を多用する人間には言いたいです。私はサラリーマン以上に無責任で卑屈な人間が多い集団は知らず(主婦の方がしっかりしてると思う)、むしろこれからは「社会人風情が」、「社会人の分際で」などと、下に見る言葉として使う方が適切なんじゃないかな。

  おまけ
 何でも先週、ロンドンにおいて学費値上げに反対する学生が与党本部にデモで押しかけたというニュースがありました。日本もこの数十年はスライド式に学費が値上げされてて私立大だと1990年時の平均が611,500円に対し、2009年時の平均は848,200円(「旺文社 教育情報センター)より:http://passnavi.evidus.com/teachers/viewpoint/pdf/20100303.pdf)と、約1.4倍にまで跳ね上がってます。暴動を起こせとまでは言いませんが、私大の経営が苦しいのは知っていますし、日本は先進国中でも国の教育予算が少ないことで有名ですからもう少し行動を起こしてもいいかとおもいます。

  おまけ2
 東京の大学で金持学生の学校とくれば慶応、貧乏学生の学校と来れば早稲田。これが京都だと同志社と立命館だと言われてましたが、最近は必ずしもそうではないと言うのでちょこっと学費を調べてみました。その結果は以下の通りです。

  各大学学費(初年度納入金から入学金のみを差し引いた金額)
慶応 :1,049,350円(経済学部)、1,513,350円(理工学部)
早稲田:1,054,500円(政経学部)、1,496,000円(基幹理工学部)

同志社:838,500円(経済学部)、1,301,000円(理工学部)
立命館:904,000円(経済学部)、1,358,000円(理工学部)

 ちょっと関西は安くしすぎじゃないか? でも関西の学生の方が学費に関する文句が多いような……。
 結果は慶応と早稲田はほとんど差がなく学部によって上だったり下だったり、同志社と立命館について言えばもう同志社の方が安かったりします。未だに昔の価値観で大学を見る人がいますが、もっと現実を見たほうがいいでしょう。実際金持ちの学生は同志社にも立命館にも多いんだし。

 あと入学金について言えば慶応と早稲田はどちらも200,000円で、同志社は280,000円に対して立命館は300,000円でした。私が受験生だった頃はどこも一律300,000円だったと思うのですが、最近はそれぞれでちょっと色をつけてるようです。

2010年11月12日金曜日

前原誠二への中国の関心

 昨日の晩に友人からリクエストというか質問を受けたので、自分としても書く気満々の内容であったので早速記事にしようと思います。
 確か先々週辺りだったと思いますが、日本のネットニュースにて中国の環球時報という新聞が一面を使って日本の前原誠二外相を激しく批判する内容を載せたという情報が載っていました。昨晩の友人の質問はこれが本当だったのかという質問だったのですが実はたまたま私もこのネットニュースを見ていたこともあり、当時直接環球時報のサイトへ行って確認をしていました。

 結果から言うと、この情報は本当でした。環球時報時報の社説欄にて前原氏一人を取り上げて、私の見た印象だと日本のネットニュースの表現(外交ではタカ派で要注意人物と書かれていた)以上に強い調子で以って、批判を通り越して非難を行っていたように思えます。覚えている内容を抜粋すると、

「(前原外相は)尖閣諸島問題について日本に領土問題はないと否定した」
「かねてから中国の軍事拡大を批判している」
「彼一人の行動と発言によって日中は会談や関係発展が阻害されている」

 といった所でした。個人的には三番目の点についてこの前の東アジアサミットの日中首脳会談を中国がドタキャンした際に、「日本側が雰囲気を壊した」などと、夢見る女子高生みたいな理由を話したのはどっちだよとちょっと思いましたが。

 ただこの環球時報に限らず、中国の政府側が前原外相に対して良くも悪くも注目しているのは確かなようです。実は中国滞在中のある日の朝、たまたまテレビをつけていたら世界事情を取り上げるニュース番組にて前原外相を単独で取り上げる特集が組まれていました。内容は前原氏のこれまでの経歴から外交姿勢までを解説したのですが見ていて驚いたのは実に細かい情報まで逐一取り上げている事で、特に経歴については京都大学卒で松下政経塾を出ており、さらには鉄道オタクであることまで鉄道博物館訪問時の映像つきで紹介していました。その上で一時は民主党の代表を務めるなど要職を歴任し、これまでに何度も中国脅威論を唱えてきた人物であるといった具合でまとめられていました。

 ここから私の情報ですが前原外相は確かにかなり昔から中国脅威論を唱えており、今の日本の政治家の中でも中国に対して厳しい発言をする第一人者であることは間違いありません。特に軍事費の拡大については度々言及しており、中国を牽制する上でも自衛隊の拡充や運用について法整備すべしと主張するなど、外相としては中国にとって最も厄介な人物であるのは間違いありません。
 ただ個人的に一つ気になる発言として、小泉時代に前原氏が民主党の代表をしていた際に代表者質問でこんな発言がありました。

「米側に日中の接近を妨害するような、わざと関係を悪化させるような動きがあるのでは」

 さすがに外相となった今にこんな発言をしたらとんでもないでしょうが、なかなかに太平洋地域外交を考える上で重要な発言なので五年も前の発言ですがここで書いとこうと思います。
 米国側からしたら確かに日中が仲良くなるのは思わしくなく、露骨な事はしてませんが日中関係が悪化して欲しいと内心では願っていると私も思います。だからといって日本は中国と組んだ方がいいかとなるとそれも難しく、現時点では私はやはり日本は米国と共同して生きてくべきだとは思いますが、日中関係を考える際に米国を抜くことはありえないという意味ではこの前原氏の発言は含蓄深いものがあります。

 とにもかくにもこんな感じで中国は前原氏に良くも悪くもかなり注目しています。私としては外交というものは無関心であるよりは憎み合っている方がまだ関心が持てていいのではないかと思っており、小泉時代も散々日中で言い合いをしましたがあの過程を経てお互いの勘なりツボなりをそれなりに知り合えたのではないかと考えてるため、かえって前原氏が外相でいる方がこうして互いに特集組めるので日中関係的にはいいんじゃないかと思います。

 ただ前原氏は中国脅威論の第一人者であるものの、感情的な批判をしないからまだ安心して見てられます(その分脇が甘いけど)。中国が嫌いな日本人を挙げると石原慎太郎都知事などがいますが、この人なんか理屈とかそういうの抜きで感情的な発言を全然関係ないところで突然ぶちかますから、もう影響力なんて全然ないけど出来ればこのまま表舞台から去ってもらいたいのが私の本音です。逆に非常に理論立って批判するけどその批判振りが激しいのになると櫻井よしこ氏がいますが、中国は櫻井氏の特集は組まないのかな。

2010年11月11日木曜日

続、尖閣ビデオ流出事件について

 昨日就労ビザを取るために日本に一時帰国しました。日本は上海とかと違って空にもやがなく、視界が広いのが何故だか新鮮。

 昨日は前にも取り上げた尖閣諸島沖漁船衝突事故のビデオをYoutubeに流出させた海保職員が名乗り出たニュース一色でしたが、放りっぱなしもあれなので続きを書こうかと思います。

 まずそもそもの今回流出した映像について前の記事で書きそびれたことを書くと、そもそもこの映像を非公開にする必要があったのかどうかということに疑問を感じます。流出した映像はすべてではなく数分間に編集されているとはいえ、少なくとも映っている内容を見る限りでは漁船側から故意に衝突を行ってきたことを明確に映しており、船長を逮捕する根拠を示す上では日本が川からするとなんら恥ずかしい映像ではありません。民主党は中国側への配慮から映像をこれまで公開しなかったと行っていますが、今回の問題がなんでここまでこじれたのかというと、衝突が海保側からか漁船側からかどっちに責任があるのかはっきりせず、また日本政府が衝突時の映像を出し渋ったことでなおさら中国側に、「やっぱり日本は自分に非があるのを隠そうとしている」として付け入る隙を与えたことに尽きます。それであれば、事件発覚後に今回の編集された状態でもいいから衝突時の映像を日本、中国それぞれにはっきりと公開するべきだったでしょう。

 それで今回映像を流出させた海保職員の件ですが、他の評論家らも述べていますがこの職員一人を罰するというのは確かにお門違いもいいところでしょう。高級幹部が流出させたならいざ知らず、一職員が秘匿すべきとしていた映像を入手できたというこの事実一つとっても危機管理、情報管理の不徹底ぶりが窺え、幸いというか今回流出した映像は秘密兵器の隠し場所を書いてるような超重要な代物ではありませんでしたけど、今回のような情報管理の不徹底ぶりを考えるならば責任持つべき役職の人間が相応の責任を取るべきでしょう。

 また流出した映像の中身についても、先にも書きましたが非公開にする理由があるとは私にはとても思いません。むしろこの問題を日中ではっきり白黒つける意味では公開するべき映像で、先年に公開された米軍の核兵器持込みを容認する密約ならばいざ知らずいくら政府が公開するべきでない機密だと言っても私自身は納得できません。私は民主主義国だからと行って何でもかんでも情報公開するべきとまでは言うつもりはありませんが、言ってはなんですがこんな機密レベルが低いと思える情報まで非公開にしようとする現政府の意向は如何なものかと思います。中国じゃないんだから。

 日本に戻ってきてまだ本調子じゃなくやや凝り固まった文章になりましたが、私はそもそも今回公開された映像を非公開に扱う理由が見当たらず、今回流出させた海保職員の処分は形式程度に止めるべきでそれよりは情報の管理がなっていなかった責任をしっかりと問うべきだというのが私の意見です。
 あとあまりニュースとか見ていないですが、かつての西山事件と比較する人とかいるのかが少し気になります。西山事件も今回の事件も政府が隠したがっていた情報を公開したことで公開者が政府にプレッシャーをかけられることになった点では一致していますが、前者は国民がその密約の事実を全く知らなかった、後者はある程度と言うか伝聞で内容は知っていたという点ではっきり違います。これは逆に言えば、この程度でなに大騒ぎしてんだってことにもつながるんですが。

ブログ更新の停止について

 毎度、陽月秘話をご贔屓していただきありがとうございます。

 前回の記事でアクセスが出来ないと書きましたが、これは「陽月秘話 出張所」の方では書きましたが当時私が中国に滞在していたため、中国国内ではこのBroggerへのアクセスでが禁止されているが故でした。また今度私は中国に長期で滞在する予定となってこちらのBroggerの更新は難しく、私自身が残念に思いながらも今後の更新は「陽月秘話 出張所」(http://yougetuhiwa.blog39.fc2.com/)に移行する予定です。

 誠にお手数ですが、ブックマーク、RSS登録をされている方は上記の出張所のアドレスへの以降をお願いします。なおこのサイト自体はバックアップ、または今後の活用の可能性を考えて残していこうと考えています。
 今後とも、陽月秘話をよろしくお願いします。

2010年11月9日火曜日

北方領土問題に対する中国の反応

 留学中もそうでしたが中国の街中を歩いてて何が一番気になるこというと、やけに中国人が自分に道を聞いてくることです。周りにも人はたくさんいるにもかかわらず何故か外国人の自分に道を聞いてきて、「あの、中国人じゃないんで……」といつも断っていますが、友人いわく顔が中国人そっくりでやさしそうに見えるからみんな声かけてくるんだそうです。

 話は本題に移りますが、先週の金曜日に私が中国に滞在中住む予定の部屋にインターネットを引きました。それほどヘビーユーザーというわけじゃないですが一応高速回線に越したことはないのでADSLを引きましたが、中国のADSLは日本のADSLと比べて回線速度はちょっと低いのが難点ですが工事も無事終わり、これでブログも安心してかけるぞとほっとしていたらこんな会話がありました。

「最近、日本はロシアと揉めてるよね」

 工事に来た中国電信の作業員の方が、不意に中国語でこんな風に話しかけてきました。
 恐らく先のメドベーチェフロシア大統領が北方領土に足を下ろしたことに日本側が抗議した事件についてですが、尖閣諸島の問題ならいざ知らず、いきなり北方領土について話しかけたことにやや驚きを感じました。
 しかもその次の日にテレビでニュースを見ているとまさにこの問題について特集が組まれており、日本側、ロシア側のそれぞれの対応を逐一報道していました。

 今回のこの北方領土問題に対する中国の反応ですが、私の感想は驚き半分納得半分、あとおまけが安心ちょっとといったところでした。
 驚き半分は先に書いた通りに思ってた以上に中国側が関心を寄せていたという事実ですが、納得半分というのは中国側が関心を寄せるのも決して土台違いな話じゃないと判断したからです。その理由はいくつかありまず一つ目は先の尖閣諸島沖での漁船衝突事故から起きた日中の領土問題で、日本の他の領土問題についてもこの事件の影響から気になるようになったという理由です。ただこれは自分で書いておきながら無理やりにでっち上げたもので、中国側がなんでこの問題に関心を寄せたかという本命の理由は相手がロシアだったからだと私は睨んでいます。

 ちょっとこの辺を説明するに当たって、中国とロシアの関係史を軽く紐解く必要があります。中国は蒋介石率いる国民党を台湾に追い出した後、同じ共産主義国の旧ソ連とは深い親交で結ばれてしばらくは蜜月関係が続きました。何気に私が留学のため初めて北京で住んだ学生寮はこの旧ソ連との蜜月時代にソ連の設計士や技術者が作った建物でしたが、この蜜月時代はそれほど長くなく、スターリンの死とともに終わりを迎えます。

 スターリンの死後のソ連はフルシチョフが書記長となっていわゆる雪解けことデタントが始まり、アメリカとの冷戦も一時和らぎます。ただこれに反発したというかフルシチョフの路線に反を唱えたのは何を隠そう毛沢東で、共産主義の路線対立から中国とソ連の外交関係は一気に冷えました。
 その後ソ連が共産圏から離脱しようとする東欧諸国に対してプラハの春など武力を以ってしてでも強行に従わせようとする行動を見て、中国こと毛沢東は非常に焦りを感じるようになります。というのも当時の中国の人民解放軍はお粗末なくらいに弱く、ソ連軍が攻めてこようものならあっという間に制圧される可能性が強かったからです。

 そのために毛沢東が取った選択はというと、「敵の敵は味方」ことソ連と対抗するアメリカと手を結ぶことでした。俗に言うパンダ外交を展開して日本とも田中角栄政権時に国交を開くなど世界外交に劇的な変化が起こったわけですが、この外交転換のそもそもの原因は中国が抱いたソ連への脅威においてほかなりません。こうして形だけでも米国と手を結んだ中国ですがその後もソ連への恐怖は拭えず、国境も直に接していることもあって事実上2000年に入るまでは最大の仮想敵国はソ連ことロシアであったでしょう。これに限るわけじゃないですが、行くところまで行った同属嫌悪というのは始末が悪いです。
 ちなみに大友克弘氏の「気分はもう戦争」という漫画は、ソ連がアメリカの許諾を得て中国(ウイグル自治区のあたりへ)に侵攻するという仮想のお話です。

 中国は日本に限らず韓国、ベトナム、インドネシアなどたくさんの国々と国境問題を抱えていますが、その中でもこれまで一番中国が深刻視してきたのはロシアとの国境問題でした。ただこれは種明かしをするとすでに解決済みの問題で、確か去年か一昨年くらいに中国とロシアはきちんと国境線を定めてようやくこの領土問題はケリがつきました。私はこの中露の領土問題が終わったと報道された際に内心、中国とロシアがお互いの問題が片付いたのを機に揃って日本へ尖閣諸島、北方領土の問題で圧力をかけてくるのではないかと懸念してまずいことになったと思ったのですが、幸いというか今の今までそんなことは起こりませんでした。

 今回、九月に尖閣諸島の問題であれだけ揺れたのに続いて今度はまたロシアが突然北方領土に対して強気の姿勢を見せてきました。尖閣諸島の問題についてはまだともかくとして今回のメドベーチェフ大統領の北方領土訪問は、確実とは言い切れませんが尖閣諸島の日本側の対応が影響してとの可能性も考えられます。それだけに漁船衝突事故の政府の対応がやや悔やまれるのですが、幸いというか私の見立てだとこのロシアの行動に対して中国側は関心を持ったものの、ロシアの行動をあまり支持していないのではないかと思います。

 元々中国はソ連と対立していたという歴史上、これまでの世界地図でも北方領土については「日本領(ロシア占領中)」と書くなど、うれしいことしてくれるじゃないのと言いたくなるような態度を取っていました。現時点でもそれは変わらず、私が見たテレビ番組中でも同じような説明で、まだ両者の立場を説明するような中立的な報道でしたが端々に日本、ロシアそれぞれへの警戒感を感じる内容でした。

 中国としても大連港を始めとする東北地域はロシアの国境とも近く、軍事的な観点から言えば北方領土までロシアが出張って来るのはあまりうれしくはないでしょう。ただそれは日本にとって都合のいい考え方で、状況が変われば先ほど私が言ったようにそれぞれの抱える日本との領土問題に対して中露が共同歩調を取ってくる可能性もまだあります。そういう意味ではこれらの領土問題を相手を一国と考えず、別の相手も意識しつつ毅然とした態度を取ることが今後必要となってくるかもしれません。