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2011年6月15日水曜日

警察官を増やすと犯罪が増える

 久々に社会学の話をしますが、よく教えられる内容に今日のお題とした「警察官を増やすと犯罪が増える」というものがあります。一般的に警察官を増やすと治安が良くなりそうで犯罪も減るような感じがしますが、これは確実と言ってもいいくらいに増えること間違いなしです。一体なぜ犯罪が増えるのかというと仕組みはごくごく単純で、警察官が増えることでそれまで犯罪として取り扱われなかった事件(落書きや軽度の違反など)がきちんと取り締まられるようになり、認知犯罪件数が増加して見かけ上で犯罪が増えてるように見えてしまうからです。
 もちろん実際の治安はそれまで無視されてきた軽微な犯罪も取り締まられるようになるので良くなるはずなのですが、統計にはしばしばこのように実態と中身が反映されないものが多く、というより大半の統計はそのようなミスリードを引き起こすものばかりです。参考程度には使えても、本気で信じると痛い目を見るものばかりと言っても過言ではないでしょう。

 現在、各都道府県警を評価する記事を準備していますが、そこでぶち当たったのが上記統計の問題でした。たまにどこの警察が優秀なのかということで人口当たりの犯罪件数を比較している人もいますが、確かにそういった統計は無駄ではないもののそれを絶対基準にして評価していいものかとなると私は首を振ります。何故なら交通違反などかなり恣意的に犯罪として取り締まられるものも少なくなく、また地域によって取り締まる熱意というか基準も大きく変わってくる可能性が捨てきれないからです。
 同様に、警察官への懲戒処分件数もあまり当てになりません。これはその準備している記事で詳しく書くつもりですが警察の内部処分の厳しさや基準は表に出ているだけでも相当差があり、懲戒処分が多い県警よりもむしろ懲戒処分を敢えて行おうとしない警察の方が悪質だと思えるため、比較数字としては適格でないように思います。

 このように当てにならない統計というのは他にも数多くあり、以前に私ももはやGDPは景気指標としてならともかく国家力のバロメーター、国民の豊かさの指標としては的確なのかという疑問を呈しましたがこれ以外にも、最近だと失業率なんかの数字についても疑義が上がっておりますが、試しに自分で正確な失業率を出そうと思いましたがこれは想像していたよりかなり困難な作業だと途中で気がつき、今の国の統計方法のが正しいんじゃないかと変に心変わりしました。

 ちょっと字数が少ないのでついでに書き加えておくと、現在テレビ局などが多くやっている調査方法はRODといって乱数表を元に電話帳から電話番号を選び出して電話をかける調査ですが、以前であれば確かにこの方法は代表性の高いデータを取ることが出来たものの、現代のように固定電話を持たず携帯電話しか使わない若者が多い世の中だと、この調査方法だと年齢層の高い層の意見しか集約できていない可能性が高いです。そのため報道ステーションなどがこのROD調査の結果を出す際に私は40代以上の意見という前提でいつも見ていました。またさらに言うと、最近はみんな仕事が忙しくて家の電話を取るのは主婦が多いのも見逃せません。まぁ多少は調整してるだろうけど。
 それに対して最近増えているインターネット調査ですが、これなんてよっぽどうまい調査方法以外は全く信用性もなく、出してる側も恣意的な結果だとわかって出しているのが多いです。ここまえいい加減な統計情報が溢れていると、下手に数字を元に計画出すよりも肌感覚で突き進んだほうがいいんじゃないかとすら思うくらいです。

2011年6月13日月曜日

ヤタガラスにみる日本人とカラスの関係

 前回の山幸彦の記事から大分経っていますが、また古代史ネタです。
 さて山幸彦は天皇家の先祖ということは前の記事でも紹介しましたが、ちょうど山幸彦の孫が初代天皇とされている神武天皇でここから万世一系の天皇家が始まるわけですが、正直言って神武天皇については私はあまり興味が湧きません。あまり勉強してないのもありますが具体的なエピソードがちょっと乏しく、東征したっつってもなんだかピンと来ず、おまけに初代天皇とされるだけあっていろんな人間が一緒くたにまとめられてて実在性もなんだか乏しいような気がします。そんな神武天皇よりもむしろ、東征を助けたとされるヤタガラスの方が日本人への影響力は強いんじゃないかと密かに考えているわけです。

八咫烏(Wikipedia)

 ヤタガラスは東征を始めた神武天皇を道案内するよう高天原から遣わされるカラスなのですが、身体的特徴としては足が三本あると言われているものの、なんかウィキペディアの記事によると三つ足があるとはっきり書いた資料はなくむしろそれこそが後世の俗説ではないかと書かれてます。
 このヤタガラスが現代日本にどのように影響を与えているかですが、まずは何と言っても全日本サッカー協会のシンボルマークに採用されていることでしょう。全日本関係のグッズなんかにはよくこのマークが使われておりますが、古来の日本の神性を持った動物としては格好の材料で採用を決定したサッカー協会の人は先見の明があると思います。

 こうしたサッカー方面の影響はもとより、現代日本人とカラスの関係性を考えてみるにつけてもなかなか面白い材料ではないかと私は見ています。というのもこれは私の留学先の中国人教師が日本に来た時のエピソードですが、なんでも朝早くに宿舎を出て散歩していたらカラスがたくさんいて非常に気味が悪かったそうです。そりゃ確かにカラスがたくさんいれば気味が悪いと思う日本人は他にもいそうですが、これは断言してもいいですが日本以外の国の人からするとカラスは気味が悪いってもんじゃなくて見るも不愉快な鳥として見られています。私の感覚だと、日本人にとってはドブネズミを見るような感覚で見ているんじゃないかと思います。

 それに対して我らが日本人ですが、確かにカラスは気味が悪いとか某都知事のように目の敵にされることがあるものの、別に空を飛んでるところを見ても外国人みたく極端に気分を悪くすることはないかと思います。それどころか、「カーラースー、なぜ鳴くのー?」などといった童謡にもよく歌われ、人によっては私みたいに親近感を持っている人もいるんじゃないかと思います。一般的には狡猾でずる賢く書かれるものの、中には親子連れで書かれたりしてどこか郷愁的なイメージが日本人の中にはあるんじゃないかとみています。
 元々、鳥自体が日本人にとって他の動物とは一線を画した扱いが神話時代からされております。神社の鳥居もその名の通りに神の使いである鳥が休む場所として設置されたのが始まりとしており、ヤタガラスが現代にまで伝えられているのもそうした流れなのかもしれません。

 なんだか話が尻切れトンボ気味ですが、最後にカラスに関するエピソードを二つ紹介します。

・カラスの死骸が街中でほとんど見られないことについて昔に矢追純一氏が、「カラスは死んだ瞬間にこの世から消滅する」と一時期主張していました。なんか妙なところで説得力あって変に納得しそうになりましたが、なんとなくこのカラスがなぜ電線に止まって感電しないのかという話に通じるものがある気がします。

・Wikipediaの記事によると、
「1996年、神奈川県で鉄道のレール上にハシボソガラスが石を置くという事件が頻発した。JRの人間に巣を撤去されたことに対する復讐として、列車を転覆させようとしたと言われたこともあったが、実際は敷石の下にパンを貯食した際にくわえ上げた石を偶然レール上に置き、それを放置することで起きていたというのが真相であった。」
 確かこの事件があった時の新聞の見出しは、「カラス、なぜ置くの?」だった気がします。

2011年6月12日日曜日

中国の空母建艦報道について

空母建設で中国のネット大興奮 名前は「周瑜」?「毛沢東」?(産経新聞)

 先月から中国の空母建艦ニュースが盛んに報じられておりますが、この報道というか中国がどうも空母建艦に乗り出したというニュースは去年から出ていて、つい最近に参謀長がそれを認めたという経過を辿っております。

 この空母建艦について話す前に現在の中国人民解放軍について少し解説しておくと、ある評論家によると人民解放軍こそ自衛隊だという意見があります。というのも人民解放軍の主力は戦車で、航空機や艦船といった兵器がほとんどないため陸続きならまだしも海外の国へミサイルなどで攻撃することは出来ても進攻、占領することはほぼ不可能で、台湾すらも攻略できないだろうという意見で一致しております。むしろイージス艦みたいなとんでもない兵器やそこそこの航空戦力を持っている日本の自衛隊の方がこの点で遥かに上回ります。
 それゆえに中国の軍事費が毎年二桁増で問題だという主張があちこちでされておりますが、これについては中国側が発信しているよりもペンタゴンの方が熱心に発信しているとまで言われています。何故かというと、言うは邪推ですが中国脅威論を盛り立てることで自分たちの予算を獲得できるからです。実際には進攻能力がほぼ無に等しいので、アメリカ側は人民解放軍なんか脅威ともなんとも思っていないでしょう。

 ただ、今回の空母建艦のニュースはそんなパワーバランスに一石を投じる報道で間違いありません。空母があるかないかは進攻能力において大きく影響し、しかも国産空母を作っているとのことでこれを量産するとなるといろいろと話が変わってきます。それゆえに現段階ではまだ性能も未知数ゆえにあまり大騒ぎすることは返って人民解放軍を喜ばせることとなるので刷るべきではありませんが、注視するべきニュースであることに間違いはありません。

 その上でこの機に説明してしまいますが、今回引用したニュース記事中でも触れられておりますが中国はこの空母建艦について必ずしも一枚岩ではありません。私がいつも読んでいる現地紙においてすら空母を建艦する必要はあるのか、維持費がどれだけの負担になるのかなどと真っ向から批判する論説を載せてあったのを目にしてますし、こういった論説が載るということは中国式に言うと、「ある程度好きに議論していい」ということで、批判しても罰されないということです。
 たまに日本人の方で勘違いしている方がいますが、同じ社会主義国家でも中国と北朝鮮とでは軍に対する価値観は真逆と言っていいほど違います。圧倒的大多数の中国人は人民解放軍に対してほとんど信用しておらず、人によっては軍人なんてならず者の集まりだと言ってはばからず、親戚縁者がなろうとするものなら大反対するほどです。はっきり言って、日本人の自衛隊への信頼感と比べるなら雲泥の差です。

 また共産党政府も毎年軍事費の予算は確かに二桁増を続けていますが、内心では百万を超える兵力を可能な限り削減して財政負担を減らしたいと考えていると言われており、私もこの予想を支持します。しかしこれに対して軍人側も反発が強く、退役後の年金の扱いなどを巡って中国共産党内では相当な暗闘があるとも聞きます。
 あくまでこれは一説ですが、昨年の尖閣諸島沖の事件もその暗闘の延長線上で起こったという話すらあります。この辺については細かくは書きませんが、昨年に自衛隊が尖閣諸島に有事が起きた際の対応マニュアルを作成していたということが日本で報じられるや中国でも報じられましたが、これに手を叩いて一番喜んだのは人民解放軍幹部でしょう。

中国のアダルトショップについて



 上海人の友人に勧められたので、上記写真について紹介します。
 上記写真は上海市内にあるお店の写真ですが、見てもらえばわかるとおりにこれはアダルトグッズショップです。私のブログの性格からすると本来こういうものは取り上げることはないのですが、中国の変化という観点からすれば確かに面白い材料なので友人のアドバイスに従ってコソコソと写真撮ってきました。

 さてこのアダルトグッズショップですが、上海人の友人曰く「十年前だと考えられない」代物だそうです。また私にとっても、十年前と言わず五年前の北京ではありえないお店で、もし開店しようものなら民警にでも即取り締まられるのではと考えてしまいます。
 今でこそ改革開放で資本主義まっしぐらの中国ですが、それでも日本と比べれば社会上いろいろとお堅いところが少なくありません。そんな中国においてこういうお店があるということ自体が一昔前の中国を知る人間からすれば驚きで、しかも今回写真で撮ってきたお店以外にも市内を歩いていればこういう店は意外と頻繁に見つけることが出来ます。もちろん中には入りませんが。

 こうした中国の変化を好意的に見るか、否定的に見るかはなかなか判断が難しいです。私以上に昔、大体90年代頃の中国を知る世代からすると牧歌的な雰囲気を求めることが多くてこうした経済発展による変化をあまり好ましく思わない世代が多いですが、私としてはやはり経済発展とともに文化的要素が日本などといった先進国に近づいてきて余計な軋轢が減ってきていることを考えると、やはり甘受するべきかなと思ってしまいます。



 オチらしいオチがないので、昔に保存したたけし軍団と土佐犬の写真も載せておきます。最近は四国犬と呼ぶようになっているそうですが、番犬として非常に優秀というだけにケンカしても敵う気がしません。

2011年6月11日土曜日

人質立てこもり犯に対する射殺の是非

瀬戸内シージャック事件(Wikipedia)

 私くらいの世代であれば上記リンク先で書かれている「瀬戸内シージャック事件」について知らない方々が多いかと思われます。この事件の概要を簡単に話すと、盗難車両で運転中に検問に引っかかった当時20歳だった犯人は仲間らと逃走し、その逃走中に銃砲店を襲ってライフルなど銃器を強奪すると広島港に停泊中だった「ぷりんす号」を襲って乗客、船員を乗せたまま乗っ取りました。その後犯人は途中で乗客を解放したものの船員は人質にし続け、何度も発砲(散弾は64発、ライフル銃弾は50発)しながら海上で篭城を続けていましたが、最終的にはその存在すら隠されていた大阪府警の狙撃部隊によって射殺されて落着しました。

 この事件がどのような影響を与えたかと言うと、言うまでもありませんが犯人射殺の是非です。Wikipediaの記事によると当時の新聞はほとんどが「射殺もやむを得ない」と立場をとり、「あの」といったらなんですが朝日新聞ですら是認したそうです。しかしいつの世にもこういうのがいるもんだと言うべきか、自由人権協会のある弁護士によって犯人を狙撃した狙撃手が殺人罪で起訴されました。曰く、頭部ではなく手足などを狙えば十分であったのではという意見だったそうですが、最終的に裁判では県警らの正当防衛が認められて無罪とはなったものの、その後の犯人逮捕における銃使用条件に影響を与えたとされます。

 この事件を踏まえて今回私が提起したい問題は、人質をとって立てこもる犯人を射殺するべきかどうかです。結論を言えば私は有無を言わさず即刻射殺するべきだという立場をとります。
 私が何故このような立場をとるのかと言うと、人質をとって立てこもられた場合は人質自身の安否はもとより対応する警察も大きな危険にさらされるからです。いちいち挙げませんが主だった立てこもり事件では多くの殉職者が出ております。しかもこの手の事件は人質をとっている犯人側の立場が強く、食料などを要求することで事件が長期化することも少なく、長期化すればするほど人質の安全に影響する可能性を考えれば狙撃による犯人射殺という手段を積極的に採用するべきではないかと思います。

 しかもこういった立てこもり事件についてさらに言えば、通常裁判というのはその犯罪を本当に行ったのかを審議する場所でありますが、立てこもり事件においては現行犯どころか現在進行で犯罪を続けているといっても過言ではなく、そもそも裁判なんて刷る必要があるのか疑問に感じます。量刑についてはまだ議論の余地がありますが死刑のハードルも下がっているのですし、いちいち裁判なんてせずに即刻犯人を射殺することは私はそれほど大きな問題ではないように考えます。そしてなにより、ここで私の主張する立てこもり犯に対する射殺が一般化することによってこんな馬鹿な真似する人間が出てこなくなることも期待できるのではないでしょうか。

 なお私にとって印象的な立てこもり事件を上げるとすると、「西鉄バスジャック事件」が挙がって来ます。詳細はここでは語りませんが一人の女性を殺害した上にわずか6歳の女の子までも人質に取った犯人は既に社会復帰しているそうですが、私はこの犯人がのうのうと生きていることに腹が立つ上、あそこで狙撃することが出来ればどれだけ事件解決が簡単だったのだろうかと考えるといろいろと思うところがあります。

 最後に、ここまで立てこもり犯の射殺を主張しながらでありますが今回引用した「瀬戸内シージャック事件」の記事の下部にあったこの記述に目を引かされました。

「1972年、連合赤軍の活動家が銃器で武装し人質をとって山荘内に立てこもったあさま山荘事件において警察は犯人を射殺せず全員逮捕した。この事件に関しては、「連合赤軍「あさま山荘」事件」(文藝春秋発行、著者佐々淳行)によると、当時の警察庁長官である後藤田正晴が「犯人は全員生け捕りにせよ。射殺すると殉教者になり今後も尾をひく」との考えから、機動隊は犯人の逮捕を前提に活動したとされている。」

 ここで語られている「あさま山荘事件」は語るまでもない有名な事件で、犯人逮捕までに複数の殉職者が発生したことはもとより多数の警官が重傷を負いました。私のさっきの主張からするとこういう事件でこそ犯人射殺をするべきなのですが、殺しては殉教者になり後を引くという当時の後藤田正晴のこの発言は、政治家とはこういうものなのかと正直しびれました。結末を知っている人間からすればわかりやすいですがこの事件で犯人らが逮捕されたことを受けて直前の「山岳ベース事件」の全容が明らかになり、連合赤軍解体はもとより過激派に対する社会の見方も一変することとなりました。そのような観点からすれば後藤田正晴のこの対応は、多くの犠牲者が出てしまったことは誠に残念ではあるものの決して的はずれなものではなかったように思えます。

  おまけ
 私は今回取り上げた「瀬戸内シージャック事件」については昔にテレビで放映された番組(確か「女神の天秤」)で知りましたが、私の記憶では確かこの番組で犯人を狙撃したのは「国民にもその存在を隠されていた大阪府警の零中隊隊員」と報じられていたように思います。ただ現在のSATの前身となったその零中隊は1977年に創設され、シージャック事件が起きたのが1970年と考えると時期にずれがあり、最初はただの記憶違いかなと考えました。しかし、そもそも「零中隊」なんてかなり珍しい単語をどこで覚えたのか、しかもかなり鮮明にこのシージャック事件と記憶が結びついていることを考えるとただの記憶違いですっ飛ばしていいものか悩むので、詳細がわかる人がいればコメント欄にでも書いてください。
 あとついでに書くと、現在のSATは本当に国民に完全内緒で創設され、これも今日ここで取り上げた「西鉄バスジャック事件」で初めてお見えした部隊です。なおかつとどめとばかりに書き込んでおくと、SATで初めて殉職者が出た事件は2007年の「愛知長くて立てこもり発砲事件」です。この事件も、私が犯人即射殺を主張する一つの材料となっております。

2011年6月8日水曜日

私の信頼度リスト(機関、団体編)

 大分昔にやった信頼度リストネタを今日ふと思い出したので、今回は機関と団体に対して私の信頼度を紹介しようと思います。前置きは余計なので、早速どうぞ。

<信頼している>
・消防、レスキュー隊
・国税庁
・ジェトロ(日本貿易振興機構)

<半信半疑>
・自衛隊(防衛省)
・弁護士
・経済産業省
・財務省
・公安
・医師会
・BPO

<信頼していない>
・検察
・裁判所
・国土交通省
・文部科学省
・農林水産省
・環境省
・外務省
・日銀
・経団連

<論外>
・消費者庁
・厚生労働省

 さらっと思いつくのはざっとこんなもんです。
 いくつか解説すると、消防、レスキュー隊は激務な任務をしっかりこなしていることから私は高く評価しています。アメリカではものすごい評価されるのに対して日本だとちょっと影が薄いような気がするので、もっとみんな注目したほうがいいんじゃないかとすら思うほどの評価です。その次の国税庁は国の機関としては最も活動力というかいいところを突いてきておりこちらも高く評価しており、ジェトロについては前職が貿易屋だっただけにないと困ってしまう存在です。

 自衛隊については当初は信頼のカテゴリーに入れようと考えていましたが、現場の隊員らについては疑いの余地なく信頼しているものの、バックの防衛省こと防衛利権というものは相当根深いと聞くのであえて半信半疑に落ち着かせました。そのほかはちょっと曖昧な感じにまとめていますが、やはりというか国の機関の大半は信頼していないのが我ながら浮き彫りとなりました。

 最後に警察についてですが、警察は各県の県警ごとに性格が変わったりするので一緒くたに評価することはやめました。公安は入れてみたけど。警察に対する評価、というか問題あると思う県警を今度あたりに平成に起こった警察不祥事とともにまとめてみようかと企画中ですが、敢えてここで名指しで批判させてもらうと足利事件で冤罪を生み、なおかつ真相を闇に葬ろうとしている栃木県警はクズだと言わざるを得ません。その警察関係ですと現在日テレ記者の清水潔氏の取材力には脱帽するばかりで、このブログを読んでいる方々も是非、文芸春秋で毎号取り上げられる清水氏の足利事件追跡レポートを読んでほしいです。

2011年6月7日火曜日

役に立たない学問を勉強する価値

 このブログでは頻繁に歴史ネタを出すだけあって、プライベートでも私はかなりの歴史オタクです。そのせいか野球が好きな友人が出身地が甲子園の強い県かどうかで相手をリアルに値踏みするように、私も歴史が好きだという人間には無条件で信用してしまうところがあります。ただこれは野球や歴史に限らずとも、相似性といって似た趣味を持つ人間同士は仲良くなりやすい傾向がはっきりと確認されているので一般常識的にもおかしくはないでしょうが。
 そんな歴史について逆に歴史が苦手だった人間からよく、「そんな役に立たないこと暗記してどうするの?」と聞かれたりします。確かに歴史を知っているからといって飯の種に出来るわけでなく、人生で役に立つと言っても思想面では本家本元の哲学や倫理学を勉強したほうが遥かに効果は高いです。それにも関わらず歴史をどうして学び続けるのかと言ったら、私は役に立たない学問だからこそだと主張します。

 以前にも友人と歴史は勉強する価値があるのかというテーマで議論しましたが、結論としては、「少なくとも、歴史を勉強しようとする人は話しやすいよね」というところに落ち着きました。私が思うに歴史というのは確かに生活上何の役にも立たない学問ですが、そんな役にも立たないものに対しても興味を持てる人間というのは比較的自分から遠く離れたもの、経験したことがないものに対して抵抗が薄く、「自分とは関係ないから」といって切り捨てることなく寛容な人間が多いような気がします。同様に理系マイナー学問代表の天文学が好きな人も比較的多分野に興味を持つ人が多く、私にとってすれば話しやすい人が多いです。
 逆に自ら専門分野を狭めようとしている人は私にとってすれば会話し辛く、今までの経験からもそのような人たちから何の意図もない発言をとられて「それってどういうことだよ」と突っかかられることが非常に多かったです。高校時代にはまさにそういう人間がおり、自分の受験する大学は国語の試験に漢文科目がないことから模試で「国語1」を受け、比較的高い偏差値を取って悦に入っておりましたが、上位校を受ける大半の受験生は「国語1・2」を受けるから何の指標にもならんよと言ったらまた突っかかってくるのが目に見えていたので敢えて黙ってました。

 私が思うにあまり役に立たない学問を何故勉強するのかと言うと、多方面への興味を持つ訓練として必要だからだと思います。現在の大学教育においても、近年は文系でも専門化が進んできましたが、一般教養課程の重要性は大学人なら誰もが理解していると思いますし、私自身も貴重な時間だったと思います。ただ調子に乗って取り過ぎて、卒業時に160単位を超えていたのはやり過ぎでしたが。単位未認定を含めれば180単位に近かったし。
 学問に限らず多趣味であることは相手を評価する上で非常に好意的な材料だと思います。ただ最近は何か一つで大きな成果なり知見が求められ、特に就職面接では具体的なエピソードを要求されるなどして何か一つへの特化が社会的にも強く求められているような気がします。昔なんかは誰がこんな社会にしたんだと憤懣やるかたありませんでしたが、この年になると何故今になっても変えられないのだろうと、自分の無力さを感じることのが増えてきました。

  おまけ
 先週にやけに日本のサイトにつながらないと書きましたが、すっかり忘れてましたが6月初旬は天安門事件記念日があり、中国政府がピリピリしている頃で、そのせいで海外へのアクセスが制限されていたようです。

  おまけ2
 初対面の人間を相手にする際、歴史好きかどうかに加え動物好きかどうかでも結構値踏みします。動物好きな人には悪い人は少ないように感じますし。