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2013年2月16日土曜日

平成史考察~パナウェーブ研究所騒動(2003年)

 今朝、日本に帰国して初めてランニングを行いましたが、上海で走った時と比べて息が上がらないというか、走っている最中に咳をすることがありませんでした。ペース的にはそんな差がないと思うのですが、これって大気汚染の差?ぶっちゃけ、中国でランニングすることが体にいいのか悪いのか判断しづらいんだけど。
 話しは本題に入りますが、今回は覚えている人も多いと思われるあの白装束集団ことパナウェーブ研究所の騒動を取り上げます。

パナウェーブ研究所(Wikipedia)

 この騒動が起こったのは2003年の4~5月、パナウェーブ研究所と名乗る全身白づくめの宗教団体の動向がお茶の間のテレビを席巻しました。この団体は千乃裕子を代表とする宗教団体で、方針としては統一教会と同じく反共主義を掲げていたようですがそれ以上に「スカラー波」と呼ぶ電磁波が人体に悪影響を与えるとして、防護策として白装束を着るだけでなく周囲に白布をかけたりするといった行動が注目を集めました。
 ウィキペディアの記事によるとパナウェーブ研究所が注目を集めるきっかけとなったのは当時、多摩川に流れ着いてこちらも注目を集めていたアゴヒゲアザラシのタマちゃんに対して捕獲保護を試みようとする動きがテレビで報じられたことからだったようです。その白装束という見た目のインパクトがあった上、テントでの集団移動生活を続けていたことから他のメディアも追従するようになり、この年のGWは岐阜県あたりにいたこの集団の一挙手一足が生放送で報じられました。当時の私もテレビで見ており、それこそ朝から晩まで、いつどの程度動いたかなども詳細に報じられていたことをよく覚えております。

 この騒動自体はGWの終了とともに視聴者の興味が離れたことから徐々に落ち着いてきたのですが、確かGWの後半あたりに、それまで一度も姿を見せなかった千乃代表がどこかのテレビ局のインタビューに応えて初めて姿を見せてきました。それまで千乃代表の姿は若い頃に取られた写真(そこそこ美人)しか出回ってなかったため、テレビで出てきた姿はお婆ちゃんだっただけになんとなくがっかりみたいな気持ちにさせられました。なおそのインタビューで千乃代表は、「私はもうすぐ(電波攻撃によって)死ぬけど、タマちゃんを早く保護してあげて」と訴えておりましたが、千野代表が死去したのはそれから3年後の2006年でした。調べてみて自分も初めて知ったけど、これ以前から「もうすぐ死ぬから」っていうのがこの人の口癖だったようです。

 そんなパナウェーブ研究所の現状ですが、先にも書いたとおりに千野代表が2006年に死去したことから自然消滅していったようです。これだけ見るなら言い方は悪いですが寿命の短い一種のカルト集団だったとして片づけられるのですが、自分が少し気になるのは「スカラー波」こと電磁波という概念です。
 パナウェーブ研究所に限らず日本では「米国が電磁波で日本人を攻撃してくる」とか「メタトロン星の電波によると~」などといった主張を行う人がそこそこ多く、ちょっと変わった精神をしている、神憑りしやすい人を表すスラングとして「電波系」という言葉まであります。この電波系ですが、ネットでの情報だけで二次確認を行ってはいないのですが、その始まりは深川通り魔殺人事件の犯人にあるという説を聞きます。

 この深川通り魔殺人事件の詳細はリンク先のウィキペディアの記事に書かれていますが簡単に私の方から説明すると、覚せい剤中毒者だった元寿司職人の男が路上で児童や主婦を次々と殺傷した事件です。この犯人は勤め先で毎回といっていいほど騒動を起こしており本当に救いようのない男なのですが、逮捕された後の供述で、恐らく薬中の影響もあるでしょうが度々「電波が引っ付いて」などと「電波」という言葉を多用しわけのわからない主張を繰り返しております。
 それ以前から電波系と呼ばれる人々が存在したのかどうかはわからないのですが、仮にこの深川通り魔殺人事件の犯人から現在の様な電波系の概念が生まれ、パナウェーブ研究所をはじめとする団体などにも影響を与えたとすると世の中、実に不思議なものだと感じます。あとこの電波でもう一つ気になる点として、この概念ってもしかして日本にしか存在しないのではないかという疑念を持っております。欧米はどうだか知らないですが中国においては「電波が精神を惑わせる」という概念は少なくとも私が見る限りほとんど存在せず、改めて考えると独特な概念のように思えてきたりします。最後に一応断りというか、私はこのような電波が精神を惑わすという概念は全くと言っていいほど信じておりませんが、社会学で言うと無機論というか、人間はその環境や条件によってロボットみたいに大半の行動や思考を決めるという立場を取っております。

2013年2月15日金曜日

猛将列伝~藤堂高虎

 歴史好きの人間なら誰しも自分を重ねる歴史上の人物の一人や二人はいるかと思いますが、私の場合は一番重なるのはほかでもなく、新撰組局長の近藤勇です。理由はいくつかありますが学生時代に私は実家のある関東から大学のある京都へ学期ごとに往復しており、このルートが近藤勇の辿った足跡とほぼ完全に重なるからです。あと彼は水木しげる氏をして「星をつかみ損ねた男」と評されており、私もそうした生き方に変に共感するところがあります。
 ではこのほかに自分を重ねる人物はいるのか、戦国時代の人物で挙げるとしたら本日紹介する藤堂高虎が入ってきます。

藤堂高虎(Wikipedia)

 戦国史が好きな人物なら藤堂高虎のことは誰もが知っているでしょうし、その能力の高さから歴史ゲームではいわゆる「かわいがられる」キャラクターであります。私もこの前に「太閤立志伝5」というゲームでこの人を使用しましたが、そのあまりの能力値の高さによってゲームが簡単になってしまい、かえって面白くないという妙な状態に陥りました。

 ではそれほどまでにKOEIさんからも能力値が高く評される藤堂高虎はどんな人物なのかですが、簡単に言ってしまうと現在の三重県に当たる伊勢国津藩の藩祖です。彼の出身地は近江(滋賀県)で初めは地元の浅井長政に仕えており、織田家と浅井家が激突したあの姉川の戦いでは一兵士として奮戦しており浅井長政から感謝状も受け取っております。ただ主家の浅井氏が織田家によって滅ぼされるとその後は主を転々とし、豊臣(羽柴)秀吉の弟である羽柴秀長の家臣となったところで一気に世に出ます。
 羽柴秀長の家臣となってからはその才能を戦に、施政に存分に発揮し、秀吉からも高く評価され秀長の死後も順調に出世していきます。この時(安土桃山時代後期)の藤堂高虎の事績として注目に値するのは数多くの名城を築城している点で、和歌山城をはじめ宇和島城、今治城、篠山城、津城、伊賀上野城、膳所城などと、森ビルや大林組も真っ青なくらいに全国各地で築城工事を指揮しております。「その時、歴史が動いた」の松平定知氏も藤堂高虎の高い築城技術を指摘した上で、コアコンピタンスを発揮して出世した好例だと以前に著書で評価しておりました。

 このように豊臣政権下で大活躍し出世を続けた藤堂高虎ですが秀吉の死後は真っ先に徳川家康の側につき、関ヶ原の戦いでも西軍大名の切り崩し工作を担当したほか大谷吉継隊とも死闘を行っており、家康から戦後は20万石に至る加増を受けております。その後の大坂の陣でも真正面で戦って奮戦したことから家康にも「有事の際には高虎を先鋒とせよ」と評されるなど絶大な信頼を勝ち取り、死の直前に枕元に侍ることを許された数少ない人物となっております。これらの業績から藤堂高虎の国津藩は江戸時代にあって「別格譜代」という扱いを受けており、外様大名でありながら譜代大名と同様の扱いを受けていたと言われます。

 以上が藤堂高虎の事績ですがよく言われる彼への評価としては、「能力は高いが主君を変え過ぎ」というものが大半です。本人も「武士たるもの七度主君を変えねば武士とは言えぬ」と居直っており、特に豊臣家から徳川家への転身ぶりには批判も少なくありません。ただ自分がそういうキャラだからかもしれませんが家臣が暇乞いした際には快く送り出し、他家で思うようにいかなくて戻ってきた際にはこれまた快く迎え入れて元の役職に就かせていたといいます。こうしたことから現代で言えば「風見鶏」と呼ばれた中曽根康弘元首相同様に、実力のある主君を見極め転身を図るのも一つの必要な才能と割り切っていた節があります。

 ただそのように仕官というか就職に関してはドライな感覚であったものの、数寄というか風流が全く分からない人物でもなかったようです。そう窺わせるエピソードがいくつかあるのですが一つは関ヶ原の合戦直後の石田三成との話で、捕縛された三成に「此度の戦、ご苦労でござった。ところで我が隊はどのように見えた」と尋ね、「鉄砲隊が良くないように見えた。指揮官を変えるべきでは」との答えに「まさにそのように思っていたところです。ご助言、ありがとうございます」と交わしたと伝えられております。
 また宇和島藩主だった時期に隣国の今治藩を修める加藤嘉明とは境界争いで不仲であったものの、蒲生騒動で会津藩を治めていた蒲生家が取り潰された際に後釜を誰にするか徳川秀忠に問われ、「要衝である会津を治めるに当たっては加藤嘉明が適任」と答え、遺恨なく実力の足る人物として推挙しております。

 このような藤堂高虎に対して何故自分がやたらと親近感を覚えるのかというと、良くも悪くもマイペースな人だからだと思います。周囲から「不忠者」と罵られながらもそれが処世術とばかりに次々と主君を変え、それでいて奉公人でいる間はこれと決めた主君のために手抜きせず存分に力を発揮する姿勢がビジネスライクで強い好感を覚えます。
 昔というほどでもありませんが二年前に同僚から、「花園さんが最初に勤めた会社は花園さんを持て余したのでしょうね」とやけに突然言われたことがありましたが、はっきり言って同じことを自分も考えて退社しました。忠誠といえば聞こえはいいですが、自身の才能を使い切れない会社というか環境に留まるのは自分以外にとっても損だと思え、たとえ後ろ指を指されてもより自身の成長を期待できる環境へ身を置こうと決断し、私は中国へ行きました。そうして実行した決断に価値があったのかどうかはこれからの自分にかかっているわけではありますが。

 それにしても「七度主君を変えねば武士とは言えぬ」という藤堂高虎のセリフ。自分はもう三回変わっているからあと四回しないと武士にはなれないのかなとか不遜なことを思っちゃったりします。

  おまけ
 藤堂高虎が起ち上げた津藩ですが、幕末の戊辰戦争の頃は幕府軍として出陣したにもかかわらず真っ先に官軍へ裏切っており、藩祖が藩祖だけに「さすが藩祖の薫陶著しいことじゃ」と罵られたそうです。

2013年2月14日木曜日

短期集中的な報道をする日本のニュース番組

 先週に日本に帰国後、出会う人みんなに十中八九聞かれたのは「中国の大気汚染はどう?」という質問でした。あまりにも質問が多いもんだから前にも記事化しましたが、一体何故これほどまでに日本人が中国の大気汚染を気にするのかというとその原因は間違いなく日本のテレビ局による報道によるものでしょう。
 私の帰国直後も中国の大気汚染はどこも朝、昼、夕方、夜のどの時間帯でもトップニュース扱いで報じており、あんな報じ方されれば中国に関心のない人ですら嫌が応にも気にするようになるでしょう。ところがそれほどまでに報道が集中していた頃から一週間も経たない今日の報道は、中国の大気汚染はほとんど報じられずにグァムで起きた無差別殺傷事件で一色といっていいほどに報道が集中しました。

 独立するとは言ってもまだ会社の設立登記が済んでないこともあって(来週完了予定)ニートと変わらない生活を送っておりニュース番組ばかり見ていますが、NHKはまだ違いますが、民放のニュース番組はほとんどどれも同じ時間帯に放送されるにもかかわらず報じる内容、報じ方、果てにはフリップに書かれている内容までほとんど瓜二つであるような印象を受けます。特に今回のグァム島の無差別殺傷事件に関する報道では、生放送のある番組で現地日本人向けメディアの記者がインタビューに応じており、一通り話し終えたので別のチャンネルに回すとさっきまで別番組に出ていた同じ記者がまた同じようなインタビューに応じるという一幕もありました。もちろん、話す内容は一緒です。

 どのチャンネルを回しても同じような語り口、同じ内容のニュース番組が報じられており、はっきり言ってしまってなんか自分、洗脳されいるんじゃないかなという印象を日本のニュース番組に持ちます。確かに一番注目度の高いホットな話題を大きく取り扱うのはメディアとして当たり前の姿勢ではありますが、日本の民放におけるニュース番組関してはその集中度合いがあまりにも高すぎる気がしてなりません。
 たとえばNHKなどはトップニュースに長く時間を割くとしてもせいぜい開始10分程度で、残りの時間はその他のニュースを淡々と報じます。一方、民放のニュースでは放送局にもよりますが長いところだと30分以上も長々と報じ、その他のニュースに関しては非常に短くさらりと流してしまいます。さっきも言いましたがこれでは視聴者を洗脳したいのかといいたくなるような報道で、延々と同じ話題を取り上げ続け、コメンテーターも同じようなことを言い続け、さらにはほかの番組でも同じような内容が続くときたらその報じられている内容通りにしか物事が考えられなくなるのではという懸念すら持ちます。

 またトップで報じる内容にも少し疑問を覚えます。先週まではほかに注目するニュースがなかったためかほぼ毎日中国の大気汚染について長々報じていましたが、今週に入って北朝鮮が核実験をしたと発表するや大気汚染は忘れて核実験一色、そのすぐ次の日にオリンピックでレスリングが除外されそうだとなるや核実験の報道時間は一気に急減し、グァム島の無差別殺傷事件が起こるやレスリングもほとんど扱われなくなりました。なにも無差別殺傷事件より核実験を大きく取り扱えと言うつもりは毛頭ありませんが、内容が大きなものであるだけに放送時間の配分などはもう少し考慮する余地があるのではと強く疑問に感じます。そしてレスリング問題、無差別殺傷事件が起きなければ、今も核実験について延々と報じていたのかもと考えるといろいろ複雑な気分にさせられます。

 私は常々、何事も過小にも過大にも評価してはならないと自分に言い聞かせております。たとえばあるニュースの話題性が百分率で言って50程度だったとすると、70とか80のような価値があるように報じてはならないと、くだらないニュースを実態以上に大きく報じてはならないと考えております。そういう目で見て今の民放ニュース番組は、やはり一つのニュースに対して過剰に大きく報じ過ぎているように見えます。
 もちろん、それならば民放のテレビニュースを見なければいいのではないのかという意見もあるでしょう。実際に自分もこれからNHKだけ見てればいいかなと考えてますが、それでも民放にはもっと工夫してもらいたいという一心があり、今回こうして記事にしたためました。

2013年2月13日水曜日

中国の新型エイズ報道について

 コメント欄で質問をいただいたので、かなり昔に出た中国の新型エイズ報道について私の見方と意見+中国のエイズ事情について簡単に解説します。

唾液で感染する新エイズが中国全土で蔓延中です!(ひめのブログ)

 引用した記事自体は3年前の2010年の物ですが、逆を言えばその後3年間に全く続報がないとも言えますね。
 書かれている内容は中国では通常のエイズとは異なる新型エイズが発生しており、唾液からも感染することから各地で患者が増加していると報じるものです。でもって中国政府はこれら新型エイズの存在を隠蔽し、患者たちは「エイズ恐怖症患者」と呼んで実際にはエイズに感染していないのに自分がエイズと信じ込んで精神的に参っているだけだと説明していると書かれています。

 さすがに自分は医者ではないので断言することはできませんが、まぁこれはデマもいいところでしょう。そう思う根拠としてこのブログの筆者が情報ソースの一つに、大紀元というニュースサイトを引用している点があります。

「未知のウィルス」=エイズに似た怪病、中国で急速に拡散か(大紀元)

 この大紀元というニュースサイトは中国政府に弾圧されている宗教団体、法輪功が運営しているニュースサイトで、中国に関するネガティブな情報を東スポばりになんでもかんでも報じるところです。直近だと去年の秋頃、酒鬼酒というメーカーの白酒に可塑剤が混入していた事件が発覚した際、「中国で売られているリプトンの紅茶にも可塑剤が混入されている!」と大々的に報じてました。大紀元だから信用するなよと上司から言われていたので記事化せずに一応眺めていましたが、リプトン側は「ほかの国と全く同じ成分で作っていてどうして中国だけ可塑剤入っているんだ!」と反論し、中国の国家質検管理当局も「問題の成分は混入していない」と発表したことにより、しりすぼみに消えていきました。

 はっきり言って大紀元をニュース元とすることは東スポをニュース元にするのと同義で(東スポ自体は私は好きだが)、しかも内容はただ過激なものでかつエイズでよく誤解されがちな、「唾液で感染する」という話であるだけに、真実であるとは私には思えません。なおエイズは血液などからは非常に感染しやすいですが、唾液から感染するためにはバケツ数杯分を一気に飲みきる必要があります。
 こうしたニュース元の怪しさに加え、中国の報道を見ていてこの新型エイズに関する報道は少なくとも私はほとんど見受けません。仮に中国本土だけならともかく、こういうネタに飛びつきそうな香港メディアもほとんど取り扱っていないようですし、まぁ引っかかるネタではありませんね。

 そんな具合でこの新型エイズ自体はデマだと私は主張しますが、中国のエイズ事情、特に記事中にある「エイズ恐怖症」に関しては実際にあるとよく報じられています。このエイズ恐怖症はあくまで「自分がエイズ感染者だと思いこむ」ことによって身体的変調が起こる症状ですが、中国ではエイズ感染者が増加しており、市民が持つ恐怖感は日本と比べても高いような気はします。去年にもタクシー車内にエイズ患者の物と思われる注射器が転がっていて気づかずに座席に座ったら注射器が太ももに刺さり、感染したのではないかと感じたその男性が思い悩んだという事件が起きています。検査したら陰性だったようですが。
 中国政府もエイズの感染拡大には様々な防止策を打ち出しておりますが、歯止めをかけるには至っておりません。国立艦船研究所によると日本はやや横ばいの状態のようですが、目的は一致しているのだしこういう方面で両国が協力しあってければいいなと個人的に思います。

2013年2月12日火曜日

アベノミクスの円安メリット、デメリット

 本日北朝鮮が核実験をやったと発表し、国際政治を専門にしている当ブログの方向性からは取り上げるべきなんでしょうが、報道ベース以上の内容は語れないし、日本のメディアが今日はこの件ばかり報じているのが少し煩わしさを感じるので、延び延びになっていたアベノミクスについて今日は書いてきます。日本帰ってきてから気になるけど、どうしてどの放送局のニュースも同じような切り口ばかりなんだろう。

 話は本題に入りますが、もはや海外でも「アベノミクス」と報じられるほどに日本の円安が昨年末から一気に進みました。これほどまでに円安が進んだ理由はいうまでもなく安倍首相が前回衆議院選挙前から主張してた、インフレ目標を2%に定めるという強い方向性が最大の要因でしょう。そしてこの方針に当初反対の姿勢を示していた白川日銀総裁も退任が決まっており、後任にはより安倍首相の考えに近い人が就くでしょうから、円安が1ドル=100円を大きく上回ることはないでしょうが円高に再び戻ることはしばらくはないと見てもいいでしょう。
 その上でちょっと下世話な予想をすると、今夏に予定されている次回参院選で自民党が大勝すれば株価は現状よりさらに跳ね上がる可能性があると勝手に見ています。今のままならまず間違いなく大勝するでしょうが、まだ失言など波乱もあるかもしれず、4月くらいまでは様子を見る必要があるのでしょうが、4月まで波風なく政権運営をし続けていれば株は買い時かなと友人と話してます。

 さっきから話が脱線しまくっていますが既に1ドル=90円を超えており、円高によって青息吐息だったメーカーをはじめとした輸出産業は復活の兆しを見せております。この円高、私はアメリカが先に「いい加減にしろ(#゚Д゚) プンスコ!」と言ってくるかと思いましたが、意外というのもなんですがドイツのメルケル首相の方が先に「日本の為替操作だ(#゚Д゚)ゴルァ!!」と怒ってきました。このドイツの主張に対して麻生財務相は昔には1ドル=120円だったこともあり、今以上に円高は進んでいたので為替操作に当たらないと言い返しましたが麻生財務相にしてはといってはなんですが、うまい切り返しだったように思えます。本音としては「あれだけ日本円高でボーナスタイムあげたのに、それしかシェア取れなかったの?( ̄ー ̄)フッ」とまで言ってもよかった気がしますが。
 ただこの時のやり取りを見て少し感じた事なのですが、思っている以上にドイツが焦っているようです。ドイツ、日本と同じく輸出がメインの韓国も円安に加えてウォン高が始まり苦しんでいると聞きますが、逆の見方をすればこれらの競争相手から恐れられるほど昨今の円安は強烈なパンチになっていると言えるでしょう。

 ただこの円安、メディアでは万事が万事福を運ぶものとして経済的に歓迎する報道が多いですが、私は必ずしもメリット一辺倒のものではなく大きなデメリットも含んでいると考えております。もったいぶらずにそのデメリットを指摘すると、輸入費用の増大です。
 円安は基本的に輸出企業にとってはメリットしかありませんが、輸入企業にとっては100万円で輸入できたものが120万円になるなど、マイナス要因でしかありません。日本は確かに輸出企業が多いことは多いのですが、その一方で食料とエネルギーの大半は輸入に頼っており、市場規模も決して小さくありません。特にエネルギーに関しては原子力発電所が止まっている関係で火力エネルギーの輸入量が増大しており、昨年末に戦後かつてないほどに貿易赤字が拡大した原因ともなっております。

 敢えてクエスチョン形式に書きますが、どうしてこうした円安のデメリットについての報道は少ないのでしょうか。答えは非常に簡単で、重工業をはじめとした輸出企業が日本ではやけに発言力が強く、食品など輸入企業の声は非常に小さいからです。まだ東電などは声がでかい方ですがそれでも円安は絶対的な善とまで報じられるのはこうした日本の産業構造というか、財界での発言力の差が大きいと私は見ています。
 皮肉な話ですが、東日本大震災以降に日本は円高に振れて大きく助かったという面も少なくありません。先にも書いた通りに震災以降は減少した原子力発電量を火力発電で補ったために重油などの輸入量が増えましたが、円高によってその費用は少なからずペイできておりました。それが今回円安になって、関電なんかは役員給与などもうちょっと絞れるでしょうが、やっぱり電力会社はこの先厳しさを増すでしょう。

 では日本は円高のままがよかったのか。この問いに対する私の答えはNOで、円安に誘導するアベノミクスを支持します。その理由というのもあまり深く考えた物ではありませんが、あのまま円高が続けば日本の産業全体が打撃を受けたままで、即死とはいきませんがジリ貧になるのは見えていたからです。それならば輸入企業には多大な負担をかけ貿易赤字も一気に広がる可能性を孕んでいるものの、輸出企業の活性化を促して外貨を稼ぎ、その上でエネルギー対策をするという博打に出る方がまだ活路があるような気がします。
 ただ円安に誘導するこのやり方、決して簡単な道程ではないでしょう。それこそ1ドル=120円くらいまで一気に飛んだら冗談抜きでエネルギー資源の輸入に支障をきたすでしょうし、外国からも猛烈な批判を受けダンピング措置を取ってこられる懸念もあります。そういう意味では現在政府が出している1ドル=95円前後という指標は私からしても適切な数値に思え、これ以上に円安にぶれるようであれば政府も本腰で抑えにかかってくるのではないかというのが私の意見です。

2013年2月11日月曜日

続、中国艦船のレーダー照射事件について

 以前にも取り挙げた、中国の艦船が火器管制レーダーを日本の艦船に照射した問題について、続報が出てきたので軽く自分の意見も書いていきます。

中国艦船のレーダー照射を「面子」から考える (1)

 上記のページは国際政治学者の六辻彰二氏のブログの記事ですが、言いたいことは基本的に私も同じです。六辻氏は上記のページにて今回のレーダー照射問題の背景には下記二つのシナリオがあると指摘しております。そのまま抜粋すると、


1、国際常識に乏しく、なおかつ反日的な末端の兵員が、勝手にレーダーを照射した。それを公にすれば、人民解放軍の管理能力に対する評価を著しく損なうため、「事実でない」と強弁している。

2、日本に対してプレッシャーをかけるため、実は政府レベルから、明示的であれ暗示的であれ、フリゲート艦にレーダー照射の指示があった。それもやはり公にできないので、知らなかったふりをして、「事実でない」と強弁している。


 現状出ている情報を見ている限りこの二つのシナリオのうちどちらかでほぼ間違いないでしょう。その上で私の意見を述べると、やはりシナリオ1、つまり政府の指示がないままに現場の人民解放軍が勝手に照射してしまったという可能性が高いとみております。今日ニュースを見ていたら自分が尊敬する富阪聰氏も同じこと言ってたし。
 こう考える理由は一つ、事件発覚直後の中国政府報道官の反応です。記者団にこの件を触れられた報道官は当初、「この件に関して把握しておらず現在回答できない」と、ビデオ映像で私もこのように述べているのを確認しました。正直に申してこのような回答は異例中の異例で、事件発生に中国側も明らかに戸惑っているように私には見えました。では何故戸惑ったのか、やはりレーダー照射が行われていたことを政府は把握しておらず、対応を当時検討していたからだと思えます。

 ここで少し話は変わって、中国政府と共産党の関係を少し解説します。中国の政治は共産党一党独裁なため基本的に共産党=中国政府と考えていいのですが、役職とかそういうものは国と党とで微妙に異なっております。たとえば「総書記」という役職は共産党の最上級役職であって、中国政府の役職ではありません。一方、「首相」というのは中国政府の役職で共産党の役職ではないのですが、共産党のナンバー3とか4が就く役職なので、共産党内の「総書記」の命令には従うという仕組みになっております。
 そうした事情を踏まえて述べると、「人民解放軍」というのはあくまで共産党の軍であって中国という国家の軍ではないのです。最近は制度上でも国家の軍になりつつはありますが、共産党の言うことを聞く理由はあっても中国外務省など国家の機関の命令に従うという制度規則はあるのかないのかあいまいな状態です。それゆえ上記のシナリオ1のようにレーダーを照射したかどうかで、中国外務省は確認に戸惑ったのもさもありなんという話になるわけです。

 それだけに今回の事態、政府の意向を関係なしに人民解放軍が勝手に行ったとなるとなかなか怖い話だと思います。仮に六辻氏の言う通りに現場の指揮官が国際感覚に疎くてちょっと脅かしてやろうっていうつもりで照射したならともかく、確信犯で紛争になってもいいやとばかりに、政府のコントロールなしにそう判断して実行したとなると、何かひょんなことで実戦に移る可能性も否定できません。可能性は低いとはいえ。
 実際にこの問題、人民解放軍にとっては前々から非常に都合のいい問題だと考えています。軍隊というのは平和になれば予算は削減される傾向にありますが、危機感が高まれば高まるほど強く予算増額を要求できます。連中にとって、尖閣問題が大きくなればなるほど都合がいいのです。もっともそれを言ったら日本の自衛隊にも当てはまる節がありますが。

 私が何を言いたいのかというと、中国政府のコントロールがあまり効いてないようであれば人民解放軍はより危機感をあおるような過激な行動を取りかねないことです。もし中国政府が事態を発展させたくないと考えているのであれば、この点に関して日中両政府でしっかり押さえていくことが肝要になるというのが私の結論です。

2013年2月10日日曜日

日本人の視線

 自分のパソコンは中国関連の単語をタイプすることが多いので「しせん」と入力すると「四川」と変換されて「視線」にならないことが多いです。それとはあまり関係はないですが、日本帰国から五日経ち日本人の視線について思うことがあるので今日はこのテーマで一本書いていきます。

 日本に帰ってから当初は自転車で自宅周辺を回る日々でしたが、昨日は用事があって東京の方へ電車に乗って遠出しました。その電車乗車中、駅に停車して乗客が乗り込むあの瞬間に何故だかよく乗り込む客が自分に視線を向けてくるのでこちらも視線を向けたところ、パッと逆方向に視線を向きかえられるということが異常に多かった気がします。もっとも前から日本にいる人からしたら当たり前の光景かもしれませんが、つい一週間前まで上海で過ごしていた自分からしたら違和感があり、なんでそんな視線の向け方するのかなと少し不思議に感じました。

 あくまで私の実感ですが、中国でも道歩いていて向かいから歩いてくる中国人がこっちに視線を向けてくることは多いにあります。でもってその視線にこちらが反応して相手に向けると一瞬目が合い、「ん、なに?」って具合で見据えるとまた自分の進行方向、または周囲へ自然と視線を戻すというパターンが大半です。これに対し日本人(自分もだが)はやたらめったら周囲の人間に視線を送る、それも相手にばれないようにそれこそ忍者みたいに視線を張り巡らそうとする人が多いような気がします。といっても視線なんて後ろからならともかく正面180度以内から向けられでもしたらいくら忍んでいたってすぐわかりますし、私が反応して逆視線を向けるといかにも「マズっΣ(゚Д゚;)」っていうくらいに真逆の方向に視線そらすから、こういってはなんですがバレバレです。

 私がクエスチョンを持つのは、全員が全員ではありませんがどうして日本人はやたらめったら周囲に視線を向けるのか、でもって逆に視線を向けると何故そんなに慌てるのかの二点です。私個人の考えとしては普通に歩いてりゃ進行方向などに注意向ける必要があるのだし他人と目が合うことはおかしなことではないのだから忍んだりせず堂々と見りゃいいのに、はっきり言えば何故それほど怖がるようなそぶりを見せるのかがわかりません。ただこういうのは思い起こすと関西では中国と同じく全くこういうことはなく、関東限定の現象なのかもしれません。
 ちょっと紙幅が余っているので帰国後の近況を書くと、環境の変化に伴って躁鬱状態になるだろうと予想してそれなりに対策を立てておりましたが、案の定というか昨日までハイテンションな状態が続いておりました。今日昼寝したあたりから前ほどの高揚感はなくなったので鬱期に突入したかと思いますが、鬱といってもなんとなくだるいなぁって思う日が続く程度なので、そこそこ対策が奏功したかと考えています。後ほんとどうでもいい話ですが先程スーツを買いに洋品店行ってウエスト測ったところ、長い中国生活で細くなってたせいか「このサイズに合うのはうちでは一着です」と言われてしまいました。そりゃまぁ、選びやすいんだけどさ。