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2013年6月23日日曜日

わからないことをわからないと言う意識

 昨日の記事でも少し触れましたが、私が意見を発信する際に気を付けていることとして「わからないことははっきりとわからない」と言うようにしています。これには一つエピソードがあり、その時は私が中学生の頃に戻ります。

 当時、確か中学一年生の夏休みに出された読書感想文の宿題用として図書館で何故か死刑関連の本を読んでいたのですが、その本で死刑は犯罪抑止につながるのかどうかという項目で、「ここ数年の犯罪件数は増えていると思うか?」という質問のアンケートが載せられており、「はい」、「いいえ」、「わからない」の三通りの回答割合が掲載されていました。確か「はい」の割合が最も高かったと思うのですが実態は逆で、むしろ当時の犯罪件数は減少傾向にありました。
 これと同様のものでよく少年犯罪の認知件数がありますが、テレビでセンセーショナルに報じられることから増加傾向にあると思われがちですが、前年比では増えたりする年もあるものの、1980年代と2000年代を比較すると大幅に減少しております。なんで増加していると思われるのかというと、マスメディアがセンセーショナルに報道しがちだからだと言われている、というかそれしか有り得ません。

 話は戻りますがまだくちばしの青いガキンチョだったこともあり、実際には犯罪件数が減っているという事実にかなり驚くとともに、「何故自分は見たこともない統計に対して増えているなどと勝手に判断したのだろう」と思い、「わからない」と回答した人たちになにやら敬意を持ちました。今思い返すとこの頃に統計に対する意識というものが芽生え、わからないものは調査して調べる、または統計結果を必ず出すようにしようという変な性格が方向づいたのだと思います。

 ソクラテスの無知の知ではありませんが、知らないということを知らないというのは簡単そうに見えて実は必ずしもそうではないような気がします。自分が一体何を理解していて何を理解していないのかを把握することは重要ではありますが、それをきちんと実践できてるかとなるとまだ疑問です。出来ないなりにしろそういったことに気を付けることが意見を主張する上で大事なのではというのが、今日の私の意見です。

2013年6月22日土曜日

このブログの公正・公平さについて

 日本に帰国してからこのブログの読者と会う機会が増えていますが、その際にブログの感想を尋ねるとよく、「発信される意見がどれも公平な視点で書かれている」ということを数多く聞きます。このブログは現在、歴史系記事がアクセスゲッターとなってはありますが一応は政治解説ブログとして出発しており書いてる本人は今も政治解説ブログだと信じており、政治というやや機微なテーマを扱うことから偏った意見を発信するブログにしてはいけないとは心がけていたものの、こうして読者から公正・公平という意見をもらえて素直にうれしく感じました。
 もっとも、こんなことを言ってもらえるのはわざわざ会ってくれるほどのコアな読者だったためと言われればそれまでなのですが、折角だから具体的に私が意見を主張する上でどのような点にを気を付けているのか、またどういったところが公平だと見てもらえているのかを今日はちょっと書いてみようかと思います。

 まず先にも書いた通りに、このブログを起ち上げるに当たってなるべく公正な視点で政治意見を主張しようと一応は気を付けており、気を付けるに当たって主に意識したのは以下の三点です。

自分の立場、身分を明確にする
最終的に自分がどの意見を支持するのかを明示する
わからないことははっきりとわからないと明示する

 ごくごく単純ですが、この三原則は意識して守るようにしております。

<自分の立場、身分を明確にする>
 上から解説していくと1番目は基本中の基本ではありますが、はっきり書けば大手マスコミなどが疎かにしている点だと言ってもいいと思います。たとえば非正規雇用問題を書くに当たって私が正社員か、契約社員か、フリーターか、その属性によって主張する意見は同じでも中身は変わってしまうこともあります。正社員の手厚い保護手当への批判をフリーターの身分で行うよりも正社員の身分で批判する方が説得力があるのは言うまでもないことですが、一番よくないのは自分がフリーターなのか正社員なのか、どっちの身分に今いるのかを明らかにしないことだと思います。読者の側からしたらこんなの見えるわけがなく筆者の側から提示するよりほかないわけですが、その意見に対する判断材料としても重要になってくるものなだけに言われなくても筆者側が明らかにすべき情報だと私は考えます。

 ただ先ほどの正社員の手当てに関するものであればまだ正社員でもフリーターでも意見の中身がしっかりしていれば大きな問題にはなりませんが、それこそ死刑廃立問題、原発再稼働問題においては立場や身分を隠し立てすることは完全に欺瞞となります。昨年などは原発再稼働を市民に問う意見公聴会で電力会社社員が組織的に参加し、かつ自分が利益受益者であることを隠しながら再稼働に賛成という意見を主張しましたが、これなどまさに我田引水な駄目な典型でしょう。
 大手メディアも死刑問題や税制問題において専門家の意見を取り上げることがありますが、こういうのは大抵そのメディアが持つ意見に近い片側の専門家で占められる(死刑問題なら廃立派の専門家しか出さないなど)ことが多いにもかかわらず、さも中立を装って専門家の意見として載せるのを見てたら読者もいい気がしないでしょう。だったらもっと堂々と、「うちの新聞は廃立派だ!存立派の意見聞きたきゃヨソ行けヨソ!」と言い切った方がいいんじゃないかと他人事ながら思います。一回でいいからこんなこと書く新聞見てみたいな( ・∀・)イイ!!

<最終的に自分がどの意見を支持するのかを明示する>
 次に2番目についてですが、基本的にこのブログではよっぽどのことがない限り判断材料となる肯定派、否定派の意見を両論併記するようにしております。そして両論を併記した上で筆者である私はどっちの意見が優勢であるかを判断し、自分の支持する意見を直接的にはっきりと書くように心掛けています。
 これも大手メディアに多いのですが両論を併記しただけで投げっ放すというか、どっちの意見が書き手として正しいと思うかは書かないことが多いです。まぁこの辺に関してはメディアも企業という立場もあるのだし多少は理解できなくはないのですが、私自身もそうですが読者としては読後に消化不良な感じを持たざるを得ず、私自身がそういうのに不満だから「じゃあ俺が書いてやるよ( ゚Д゚)ドルァ!!」ってばかりにこのブログを始めたきっかけになったのですが。

 ただこの意見を明示するという行為ですが、この辺の書き方は地味に自分のストロングポイントというか腕の見せ所なのかなと思う時があります。基本的に私が意見を主張する際は、「100%絶対的にこっちが正しい」と書くことも結構ありますが、実際には8:2ないし6:4でこっちの意見が正しいと思うというような、否定する意見にも一理あると思うことが多いです。一理はあるものの全体的利益や現在の情勢、下手したら私個人の感情を考慮した上で優先すべきは賛成する意見だという具合にして自分の立場を明示するわけですが、この辺の感覚をどのように読者に伝えるかはなかなか難しく今でもまだ力が及んでないとは自覚するものの、そもそもこういう書き方をする意見発信者が世の中で極端に少ないため、私個人の勝手な当て推量ですが読者の人からしたら新鮮に映っているのかもしれません。

わからないことははっきりとわからないと明示する
 最後のこの原則もそうですが、基本的に意見を主張する際は言い切った方が絶対的に得です。「~はこうなる!」といった具合に言い切って、もしその予想が間違えていたら、「外しました。予想が甘かったです(´・ω・)スマソ」と言い切ると相手側も批判し辛くなります。たまにこれを理解してなくて、「~になる可能性も無きにしも非ずという意見があり」などと書いたり言ったりする輩もいますがこれだと聞いてる側も不快感覚えるし、外した際も曖昧に弁明してたらその態度自体が批判されることになります。どうでもいいですが、前職の上司も講演をする際は、「外してもいいから予想を言う時は自信たっぷりな振りして言う」と言っており、何事も言い切った方がいいと言った自分を何故か誉めてくれました。

 それでこのわからないことをはっきりと明示することについてですが、予想や判断をする上ですべての判断材料を網羅することは無理に決まっており、基本的には手持ちの判断材料で決めるしかありません。ではその判断材料から漏れたものはどうするかといったら無視するよりほかなく、たとえば現地に住んでいる人の感情などはわかりようがないのですが、こうした材料についてなるべく言及する様には心がけています。書き方としては、「現地住民はどのように感じているかわからないまでも、あくまで外から見ている立場の自分の意見は~」といった具合で、最初の「立場や身分を明示する」という原則にも通じますがどの重要な判断材料を無視した、またはわからないかは書くに越したことはありません。逆に知らないにもかかわらず知った風な口きいて書くのは私個人も気に入りませんし、読む側からもいい気がしないでしょう。
 このわからないということをはっきりわからないと言うことについてはちょっとバックグラウンドがあり、この辺の経緯についてはまた次回に紹介します。

 またずいぶんと長くなりましたが、自分が公正・公平を期すために気をつけている点はざっと以上の三点です。細かい点ならまだありますが私個人としては上記の三点をきちんと守ってさえ言れば大きく道を外すことはないと考えており、もし自分の意見が公平に見られているのならこうした原則が担保してくれているのだと思います。

2013年6月20日木曜日

韓国の近現代史~その十六、光州事件

 まだなかなか終着点の見えないこの連載ですが、前回は朴正煕の死後、軍部内での権力争い(粛軍クーデター)で機先を制することによって全斗煥が実権を握ったところまで紹介しました。軍部内で実権を握ったことによって取り立てて政権基盤を持たない当時の崔圭夏大統領に対する全斗煥の影響力は強まり、この時点でほぼ傀儡政権化しておりましたがそれでも飽き足らず、全斗煥は本命の大統領就任に向けて行動を開始します。この過程で起きた民衆運動こそが1980年の光州事件で、今日はこれを紹介します。

5.18光州民主化運動(Wikipedia)

 事件の発端となったのは軍部を握った全斗煥が新たに施行した戒厳令がきっかけでした。朴正煕政権時代も夜間の外出を禁止するなど厳しい戒厳令が敷かれておりましたが、朴正煕の死後に大統領に就任した崔圭夏はそれまで行動を制限していた金泳三や金大中など民主派活動家の行動制限を緩めたことにより、韓国では一時民主化ムードが立ち込め「ソウルの春」という時代がありました。しかしこうした流れを止めたのは全斗煥でした。彼は自分が立候補する大統領選に際して敵となると見た金泳三、金大中らをこの戒厳令によって逮捕・拘束し、政治活動を著しく制限しました。

 これに怒ったのは金大中の出身地域に当たる全羅南道にある光州市の市民。現在はどうだかわかりませんが当時の韓国は地域意識が非常に高く、政治も地元出身の議員が熱烈に応援される状況だったらしく、一連の金大中への制裁に激しく起こり、反対運動デモが頻繁に実施されました。こうした動きに全斗煥も黙っていません。早速軍隊を光州市に差し向けてデモ鎮圧に動いたのですが、これに対して光州市民側も態度を強行化させ、大きな暴動へと発展していくこととなりました。

 ウィキペディアの記述を引用すると、当時人口75万人だった光州市に投入された総兵力は2万人と、非常に大規模と言ってもいい数字です。鎮圧部隊は群衆に向かって一斉射撃を行ったほか、光州市をぐるりと包囲して情報を完全にシャットアウトし、市民側代表者と武装解除に向けた交渉を行ったと言われております。この間、韓国国内では光州市で何が起こっているのかが全く報じられず、この時の事実はそれからしばらく中国における天安門事件よろしく口伝てでしか伝わら中たようです。

 むしろ逆にというべきか、海外では重大な政治弾圧事件だとして大きく報じられ、アメリカの当局関係者も関心を持ったと言われております。私自身は今回の連載開始に向けた勉強でこの事件を始めて知ったのですが、名古屋・広島に十年以上も左遷され続けてとうとう東京本社に戻ることなく会社を退社したうちの親父は事件を覚えており、一定の年齢層以上は多かれ少なかれ日本での報道を見聞きしていたようです。

 最終的に武装した市民の指導者らが射殺されるなどして、包囲は約10日間を以って終わりを告げます。事件の死亡・負傷者については未だはっきりしておらず今後の研究が待たれるのですが、ウィキペディアが引用している「518記念財団ホームページ(リンク切れ)」の発表によると死者数は240人、行方不明者数は409人、負傷者数は5019人と、どれも大衆運動の鎮圧事件とみるには大人数です。

 こうした政治弾圧を行いつつ全斗煥は崔圭夏に大統領を辞任するよう圧力をかけ、彼を引き摺り下ろします。そして行われた大統領選挙で当選したことにより念願の大統領職に就任することとなるわけですが、その際の施政はソウル五輪の招致などなかなか見るべき点が多いので、次回でまたゆっくり解説します。

2013年6月19日水曜日

ワタミ会長に対する私の印象

 前回の記事で私はブラック企業という言葉が普及して久しいが、いつの間にか日本ではブラック企業が世の中に存在することを誰もが当たり前に思う世の中になってしまっていることに懸念を示しました。その上で一部のブラック企業は悪びれるどころか自らの違法な経営ぶりを堂々と、むしろ自慢げに主張しており、その代表格と言ってもいい会社として居酒屋チェーン運営「ワタミ」を名指ししましたが、今日はここの渡邉美樹会長に対する私の印象を書いてこうと思います。結論から言うと私はワタミでバイトしたこともなければ渡邊会長と直接会ったことも話したこともないという縁もゆかりもない身ではありますが、やはり人間の資質としてみた際にこの人は如何なものかと思う人物です。

 まずワタミがどれだけブラックな会社かというと、説明するのなんだか馬鹿馬鹿しい気がしますがいくつか有名なエピソードを箇条書きで書いてきます。

・従業員に対する社内文書に「365日24時間死ぬまで働け」と書いてあった
・死ぬまで働けと要求する一方、「ワタミの従業員は家族であり労使一体だ」という主張の下で労働組合の結成を認めていない
・労働組合も存在しないのに、勝手に時間外労働時間を雇用者側のみで規定していた
・入社2ヶ月目の26歳の女性が自殺。自殺1ヶ月前の月の残業時間は約140時間で、このほか休日中にもボランティア活動や社員研修なども強制されていた
・老人ホームを運営するグループ会社「ワタミの介護」の運営施設内で、体調急変によって死亡した男性の遺族に対し渡邊会長は「1億欲しいのか」という言葉を吐いたとされる

 どれ一つとっても十分にブラック認定できるほどのエピソードばかりですが、細かいのを上げるとまだまだ出てきます。さらにタイミングがいいというか、今日はこんなニュースも出てきました。

渡辺美樹理事長の学校法人 生徒に反省文100枚書かせるなどして退学者続出(週刊文春)

 上記のニュースは渡邊会長が運営する(2003年から参加)学校法人の郁文館夢学園で、100人弱いた教職員が2年間で30人辞めたほか、今年卒業した学年では生徒約160人のうち10人以上が退学していたということが報じられております。あと記事中で面白かったのは、教員の携帯電話番号を生徒に教えさせた上で、「365日24時間電話していい」とも言っていたそうです。「365日24時間~」というフレーズがきっと好きなんだろうな。

 遠慮なく言わせてもらうと、本当に頭のおかしい企業と会長だなと思います。もっとも、世の中広いんだしこういう会社の一社や二社あってもおかしくはないと思うのですが、渡邊会長については最初にも述べたように自らのやっている行為を悪びれる様子なく、むしろ如何にも自分が正しいかのようにいろんな場所で主張していることに対し不気味さを通り越して呆れてきます。でもって明らかに労基違反をやっていると堂々と主張しているのに対し、行政が取り締まらないというのも凄い国だとも思えてきます。

 もう少し渡邊会長について私の印象を述べると、見ている限りだとやはり権力欲というか社会的地位に対する執着が本当に強い人だという気がします。飲食チェーン企業の運営の傍ら学校法人の理事長に就任したのもその表れですし、かなり早い段階から政界への進出も考えていたことでしょう。恐らく彼の頭の中では総理になることも夢じゃないと考え、本気で狙ってるんじゃないかとも思えます。この辺、折口雅博氏とよく似ている。
 そういった個人の思考に対して私は批判するつもりはないし、高い上昇志向を持つことは基本的に悪くはないと言い切れます。しかし私が渡邊会長を好きになれないのは、そういった自分の欲望達成のために平気で他人をドブに突き落とし、またそういった行為にまるで負い目を感じていない所があるからです。

 漫画の話で申し訳ないのですが「ジョジョの奇妙な冒険」の第6部(7部が最高)にエンリコ・プッチというキャラクターが出てきます。このキャラクターは言うなればラスボスなのですが、目的達成のためなら他人を平気で踏み台にするようなキャラで、ある別のキャラクターからは「お前(プッチ)は自分が『悪』だと気づいていない、もっともドス黒い『悪』だ」と評されております。
 「ジョジョ」の作者である荒木飛呂彦氏はこれ以前にも、「悪の定義は人それぞれに違うし状況で変わってくるけど、他人を踏み台にする人、これは絶対に誰が何と言おうと悪だと思う」と述べており、「ジョジョ」に出てくる悪役は上記のプッチを始め7部のファニー・バレンタインなど多かれ少なかれこの要素を含んでおります。

 自分の欲望のために他人を平気で犠牲にして、その上、自分の行為がまるで何も間違っていないと信じ切っている人間以上のカスは存在しないと私も思います。部外者ながら差し出がましいとは思うもののそれでも一言言わせてもらえば、ワタミの従業員らはもっとストライキとか実際に行動を取った方がいいと思います。現場が止まれば完全に業務がストップするのだし、現場同士で連絡を取り合うなど、場合によっては外部組織に支援を頼んだっていいのだから何か実行に移すべきではないかというのが一つの今日の私の意見です。

  おまけ
 上記のストライキをなんで起こさないのかと関連しますが、先週末に友人と話した際に友人が、「最近の若者は『連帯』がないよね」と話していました。ルームシェアも嫌がるなど、一緒に何か行動を取ろうとする若者が少ないと主張したのですがある程度話し終えると、「まぁ連帯って言ったらワレサが出てくるんだけどさ」と、まさに自分が言いたかったことを先に言ってきました。高校受験とかで世界史を勉強していると、「連帯」と聞くと条件反射的に「ワレサ」が出てきてしまい、これはこれでどんなものかなと二人で笑ってました。

2013年6月18日火曜日

ブラック企業が当たり前に存在する世の中

 なかなか面白い記事を本日見つけたのと、前からブラック企業ネタで一本書こうと準備していたので今日はこのテーマを取り上げます。
 もはや日本語において一般名詞化したと過言ではない「ブラック企業」という言葉ですが、このところは普及を通り越して過剰なまでに一般化し過ぎではないかと少し懸念を覚えております。敢えてこまっしゃくれた言い方しましたが言い直すと、今の日本ではさもブラック企業が存在するのが当たり前のようになってきているように感じます。

「ブラック企業」の台頭とうつ病(西多昌規)

 そんな風に感じていた矢先に見つけたのがこの記事なのですが、記事中にMy News Japanの記事が引用されており、折角だから(越前康介がわかる人も少ないだろうな)私も引用すると、下記のような衝撃的な内容が書かれてあります。
 就職人気企業225社のうち60.8%にあたる137社が、国の過労死基準を超える時間外労働を命じることができる労使協定を締結していることが、労働局に対する文書開示請求によって明らかとなった。1年間で見た場合の時間外労働時間ワースト1は、大日本印刷(1920時間)、2位が任天堂(1600時間)、3位がソニーとニコン(1500時間)だった。労使一体となって社員を死ぬまで働かせる仕組みが、大半の企業でまかりとおっていることが改めてはっきりした。人気企業の時間外労働の上限が網羅的に明らかになったのは今回がはじめて。
なかなかに衝撃的な内容で私以外にも引用している方がたくさんいるのですが、確かにいい仕事をしております。このMy News Japanの記事を引用した上で西多氏は日本人の働き方、また過剰なまでにサービスを強要すれば回り回って自分に返ってくることについて重要な提言をしているのですがそれは今回置いといて、私の主張を一本に絞って展開します。今日ここで私が言いたいのはただ一つ、労働法によって労働時間の上限が規定されているにもかかわらず、日本全国それを破る企業がいるどころではなくもはや誰も守っていない状況にあり、しかもその状況を当の日本人自身が当たり前に受け取っていることはもはや危機的状況なのではないのかということです。

 あらかじめ書いておくと私自身は労働時間をピッタリ守って仕事が回っていけると信じるほど理想主義ではなく、多かれ少なかれ残業は必然的に生まれると思います。ただその必然的に生まれる残業に対して企業側が支払うべき賃金を支払わず、あまつさえ出社規定時刻の30分前には出社するよう社員に求める会社というのはやはりおかしく、さらにというか見ていて呆れるのですが、そういう会社に限ってタイムカードを押すよう強制していて、「何のためにこれ存在するの?」と大声で突っ込みたくなってきます。
 そしてこのような企業が世の中に大半ある中で、本来監督するべき立場の労働基準監督署が何も動かないというのは、もはや法律はあってないも同然の世の中です。それこそ石を投げれば違反企業に当たるほど多いというのに摘発されたという話はとんと聞いたことがなく、むしろ逆に「残業のない会社なんてあるわけない」、「社会人になったら少なくないサービス残業を我慢しなければ駄目だ」といった、現状を肯定するような意見ばかりよく聞こえます。

 少し抽象的な話をしますが、貨幣というのは信用があって初めて成り立つというのは経済学の基本です。法律学ではどうかはわかりませんが私が思うに基本は一緒で、法律というのはそれが守られるという信用があって初めて成り立つ概念だと考えており、言うなれば「信なくば立たず」です。
 中国の戦国時代にいた法家の先祖といってもいい商鞅などはこれを実践しており、法律を国内に広めるに当たってまず最初に、「この木の棒を向こうまで持っていったら賞金を与える」というお触れを出し、実際に運んだ男に約束通りの賞金を与えることによってお上の出す法律は確実に守られるという概念を植え込んだと言われております。つまり仮に法律があってもそれを守る人が少なければ、赤信号をみんなで渡るかのようにその法律は有名無実化していってしまうということです。

 現在の日本の労働法などはまさにそのような有名無実化の一途を辿っており、「守らないのが当たり前」、「守る奴の方が馬鹿だ」と言わんばかりの状況です。もうこんな状況で労働基準監督署も正す気がないなら労働法自体を廃止したらどうだと内心思うのですが、仮にそうやったら優秀な外国人人材は日本を去り、日本人からも頭脳流出が起こる気がします。そしてなによりも今以上にブラック企業が勢いづくことによって精神疾患などで体調を崩す人間が増え、社会負担もどんどん増していっていくというのがオチじゃないかと思います。

 ブラック企業の弊害についてはこれまでも散々主張してきたので細かくは書きませんが、ブラック企業経営者は雇用を作っていると主張するものの、彼らがいなければもっと大きな雇用が生まれる可能性もあり、また過重労働から解放されて娯楽時間が増えることによって消費拡大も期待できることからその存在は百害あって一利なしだと私は断じます。なので一応は労働時間を縛る労働法があるものの全く機能していないので、この際だからブラック企業を規制する新たな法律を作ってみるのも手かもしれません。
 ただこのブラック企業についてこのところよく思うのは冒頭にも書いたように、いつの間にか存在すること自体をみんな当たり前のように思ってきていて、そうした企業への批判が異常に緩くなっていることです。そしてこうした空気の中で、まだ恥を感じることが出来るなら救いがあるものの、むしろブラックで何が悪いと堂々と居直るようなブラック企業経営者も出てきているというのが日本の変な所だと強く感じます。

 そんな居直るような会社ってどこなのかですが、言ってしまえばワタミです。そういうわけで次回はみんな楽しい陽月秘話流のワタミ特集です。我ながら、いやらしい書き方をしてくるなぁ。

2013年6月16日日曜日

大卒内定率データは正しいのか

 コメント欄でちょこっと聞かれたのと前から興味があったので、日本の大卒内定率について思うことを書いて行こうと思います。

平成24年度「大学等卒業者の就職状況調査」(平成25年4月1日現在)(厚生労働省)

 まず現状で最新となる2013月卒の学生の内定率データですが厚生労働省によると前年同期比0.3ポイント増の93.9%だったそうですこの数値から言えば、大学生100人中94人が内定を取得していたという計算になるのですが、果たして額面通りに受け取っていいものか疑問に感じます。というのもそんなに内定率が高ければ就職状況は非常にいいと言ってもいい状況だというのに、報道を見る限りだと今年も例年通り、学生は内定取得に苦労しており卒業間際になっても進路の決まっていない学生が多いように見えます。

「内定率」カラクリ 実際は60~70%? 留年組は「就職希望者」に含まれず ブランド校もずらり(産経新聞)

 そんな私の疑問に答えてくれるかのように、「内定塾」の創業者である宮川洋氏は上記リンク先の記事を書いてくれております。この記事によると、厚生労働省が発表している内定率調査は偏差値の高い大学の学生しか対象としておらず、言うなれば実態を反映した数字ではないそうです。では実際の内定率はどの程度かというと見出しにも書かれている通り、60~70%くらいが実態ではないかと予想しております。
 あくまで私の肌感覚ではありますが、宮川氏の言う通りに半数にあたる50%よりやや多い、60%くらいが適当な数字だと私も思います。ただそれにしたって厚生労働省の統計発表とは隔たりがあるようなという気もするのですが、改めて厚生労働省のレポートを仔細に見てみると確かに妙な記述が目に入ります。

 一番気になるというか諸悪の根源に当たる調査対象の項目ですが、そのまま引用すると下記の通りです。

「調査対象は、全国の大学、短期大学、高等専門学校、専修学校の中から、設置者や地域などを考慮して抽出した112校、6,250人です」

「調査校112校の内訳は、国立大学21校、公立大学3校、私立大学20校、高等専門学校10校、専修学校20校。調査対象人員6,250人の内訳は、大学、短期大学、高等専門学校併せて5,690人、専修学校560人」

 この説明でおかしなところは、調査対象校を「無作為抽出(ランダムサンプリング)」で選んだとは書いていない点です。はっきり言いますが(はっきり言わないことの方が珍しいブログではありますが)このような統計調査ではランダムサンプリングで調査対象校を選ぶのが当然で、仮に地域を考慮するのであれば人口比から換算して九州は10校、関東は50校と学生数に比例して調査対象校の数を決め、その上で各地域ごとにランダムに対象校を選ぶ層化抽出法を取るのが自然です。しかしそういった調査手法を取っているとは全く書いておらず、やはり宮川氏の言う通りに恣意的に内定率が高く出る学校を選んでいるのではないかという気がしてなりません。

 その上でこちらは決定的に数字がおかしい点ですが、調査対象校の区分内訳として「国立大学21校、公立大学3校、私立大学38校」という数字を出しておりますが、ナレッジステーションのデータによると日本の大学数は783校で、区分内訳は、

  国立:公立:私立=86:92:605(実数)

 となっており、1の位を切って大まかな比率を求めると「8:9:60」という計算になります。この数字に対して厚生労働省の調査対象校の数は「21:3:20」(実数ベース)という具合に、実数的には7倍超も開きのある国立大学と私立大学がほぼ同数という奇妙な選ばれ方がされています。いうまでもなく国立大学は一般的に私立大学より高く評価されやすい面があるため、同じ偏差値でも国立出身の学生の方が内定率は高くなると予想されます。

 もうここまで来たら厚生労働省は確信犯的に内定率を高く見せるためにデータを弄っていると言わざるを得ません。どうも日本や中国といったアジア人というのは何かと統計データに感情をこめたがる傾向があり、実態を正しく理解するための統計数字を歪ませることが多いのですが、こんなことやって誰が得するのか非常に疑問です。というか、この調査を主導した責任者は明らかに能力に問題があるのだから早めにクビを切るべきでしょう。

 最後にもう一つ参考になるデータとして、下記の記事を紹介しておきます。

新卒ニート3万人は本当か、内定率改善も依然厳しい就職戦線(日経BP)

 こちらの記事は2012年10月に出されたやや古い記事ですが2012年3月卒の大卒就職率について、厚生労働省はは93.6%と発表したのに対し文部科学省は63.9%と発表したと報じております。この数字の開きは厚生労働省は就職希望者を母数にしているのに対して文部科学省は卒業者数を母数にしているためだとしていますが、それにしたって開きすぎもいい所ではという気がします。
 その上で文部科学省の調査では、

「(文部科学省の)学校基本調査によれば大学を今春卒業した約56万人のうち、進学も就職もしていない人が8万6000人(15.5%)を占める。そのうち5万3000人は進学準備や求職活動を行なっており、残りの3万3000人余りが分類では『その他』となっている」

 と書かれているようで、「その他」というのはニートに当たるのではと日経BPは書いております。この辺りの方が社会実態をよく表しているのではないかと私自身思います。それにしても今日の記事は引用ばかりであまり気分良くないな。

2013年6月15日土曜日

気象庁に物申す(#゚Д゚) プンスコ!

 今日、午前に出ていた関東地方の天気予報では昼過ぎから激しい雨になるとのことだったので、朝4時半まで漫画喫茶でマンガ読んでたこともあり、当初のサイクリング計画を捨てて午後の1時から4時まで昼寝していましたが、その間の関東地方はやや雲がありつつも晴れ渡っていました。ちなみ雨はその後も降らず、ついさっきの11時くらいからようやく降ってきましたがしとしとぴっちゃん程度で、とても「激しい」なんていう表現は使えない程度です。
 それにしても、昼日中の時間帯を全部昼寝に使ってしまったというのはさすがにもったいない気がしてならないな。寝ていた自分が悪いのだが。

 天気予報なんてものはあくまで予想なのではずれたからと言っていちいち目くじら立てるべきではないと思うのですが、このところというか近年の気象庁発表はいくらなんでも大はずれし過ぎだと密かに、このブログに書いてる時点で密かじゃないですがとにかく思います。今冬は記憶にも新しいとかと思いますが「雪は降らない」といったその日が記録的大雪になったかと思えば逆に、「激しく雪が降るから早や前の出発を」と言ったその日は全然降らず、フェイクに騙されたJRが間引き運転をして通勤が混乱した日もありました。

 極めつけは長期予報です。今年は「例年よりかなり早い」と言って5月に梅雨入り宣言してから、今週に入るまでほぼ全く雨が降らず、全国的な水不足な状態になっているという始末です。気象庁も梅雨入りの時期を修正するかもとか言っていますが、修正以前に「間違ってました」と一言入れたらどうかという気がします。
 また今年に限らなくても、このところの長期予報はちょっとひどすぎます。毎年夏も冬も「例年並み」としか言わず、例年より暑いか寒いかについて言及を避けようとする傾向が見られます。実際に今冬は平均気温がその「例年」より低かったそうで、見事に予想を外してくれたようです。

 以前にも一回書いておりますが、天気予報というのは外出をするかどうかを決めるに当たって大きな指標になるため、飲食店関係者にとっては売り上げを左右する大きな要素です。前に寄った和食屋のおばさんも、「雨が降ってお客さんが減るならまだしも、晴れなのに雨だと予報が出てお客さんが出るのはどうにもかなわないねぇ」と言っており、毎回当てろとは言いませんが、無用な悲劇を生まないためにも気象庁はもっと奮起してもらいたいです。

  おまけ
 昨晩は夜12時から朝4時半まで漫画喫茶で適当に漫画読んでました。帰りしな、道のあちこちで猫が集会開いてました。

  おまけ2
 昨日はセリフが多くて読むのに時間がかかる「銀魂」ばかり読んでましたが、ちょうど読んだ回が天気予報を外し続ける結野アナを助ける回でした。にしてもこの漫画、よくもまぁあれだけ下ネタを展開し続けられるなぁ。