ページ

2014年10月22日水曜日

道徳科目の正式教科化方針について

 
 今日辺り二週間前に思いついた就職活動における交通費優遇案について書こうと思っていましたが久々に家でご飯炊いてカレーとおにぎりで一気に二合ぐらい食べたらちょっとボーっとしてきたので、やっぱり気軽に書ける時事ものにします。時事ものを気軽に書くというのもなんだけれど。
 ってわけでサクサク本題に入りますが、上記リンクは今日出ていたニュースなのですが「道徳」を小中学校で正式科目に昇格させる方針を中央教育審議会が出したそうです。結論から述べると基本的に私もこの方針に賛成ですが、やるなら思い切りやった方が良いと思います。
 
 道徳を正式科目に引き上げる背景としては現在の形態ではやっぱりサブ的な扱いで学校など教育の現場ではそれほど力を入れて授業が行われていないそうです。実際に私が通っていた小学校ではほぼすべてのクラスが土曜日(当時はまだ第二だけ休み)に授業を持っていき、道徳科目の研究を行うよう上から言われたていた学校なのに授業数が少ないと指摘されたと聞いています。こうした授業コマ数的な問題はもとより、教師の裁量によって授業が行われ教科書も自治体によってかなりまちまちであることが問題点として挙げられており、今回出た方針では検定教科書の導入を入れる一方、各地方ごとに郷土資料も活用するという案も提示されています。
 
 あと地味に私が今回の方針で評価した点として、正式科目には挙げるものの数値による成績評価は不適切としている点です。もし仮に道徳で音楽や書道などの科目同様に数値評価となればそれこそ学校による価値観の押し売りとなると共に、教師の恣意的な価値観で内申点が変動することもあって教育にとって非常に良くないものとなる気がします。しかし今回の方針では数値評価は避け指導要録に文章で記録するだけにするべしと書かれてあり、また倫理観などを育てると共に情報モラルも扱っていく方針も出ていて、ちょっと誉め過ぎな気もしますが非常にバランスがよくまともな提案じゃないかと感じます。
 
 何気にこれも今度別に記事で書く予定ですが今の中国ではかつての日本の様に受験競争が非常に激しくなっており、親も学校側も各試験科目の成績アップにしか眼中になく子供のモラルや倫理観について誰も教育しようとしない、昔より悪くなっているなどと言われてはちょっとした社会問題となっております。義務教育の学校で倫理観を育てるというのは考えようによっては国家による思想教育とも取られますが、全くそういった教育が行われていないであろう中国にいて街中や電車の中でやたらと奇声をあげる子供をしょっちゅう見ているだけに、やっぱり多少はこういう独特教育も学校に必要なんだろうなと思っていた矢先だっただけに、このニュースを見てちょっとホッとした気がしました。ってかこっちいるとたまに、本気で奇声上げる子供を殴りたくなるほどイライラします。
 
 話は戻って道徳教育ですが、私が子供だった頃は倫理観や公共意識の重要さが示される有名なエピソード、体験談の話を授業で読み、それらのエピソードについて班ごとに感想をまとめるようなやり方が多かったです。パッと思いつく当たりだと、副島種臣が主役のマリア・ルス号事件なども読んでおり、最近だと元阪神の藤川球児選手の戦力外間近から不動のストッパーに至るまでのエピソードも題材となっているようです。
 
 確かにこうしたエピソードを読むだけでもやらないよりはやった方がよく当たり障りはないのですが、友人にもたびたび注意されるほど極端な方面に私は走りがちで、どうせ正式科目に引き上げるんだったら倫理の限界まで悩み抜いた方が良いのではと個人的に思います。具体的にどうすればいいのかというと、タブーなど普通じゃ議論できないことについて道徳の授業で取り上げて真剣に意見を交換し合うというやり方です。それもなるべく現実世界にベースを置いた内容で。
 それこそ今なんか中学生に議論させてみたら面白そうなテーマがたくさんあって、パッと思いつくのをまた書いてくと以下のようなのがあります。
 
・いい政治を行うために賄賂や裏金を取ることは許されるのか
・会見で大泣きすれば許されるれのか
・大津のいじめ事件の犯人は制裁を受けるべきか
・悪いことしても自殺すれば許してあげるべきか
・すき家のワンオペは容認すべきか
・お金を稼ぐために従業員をこき使うのは許されるのか
・先輩だからといって後輩をしごいてもいいのか
・ナベツネと清武はどっちが悪いのか
 
 適当に考えた内容ですがまさにホットな話題だからこそいま議論すべきだと私は思いますし、中には中学生にはまだ早いと思う人もいるかもしれませんが、議論をするのに早い遅いは関係なく今やるか否かだというのが私の隠れた信条です。でも深刻なテーマについてわからないなりにでも中学生くらいから手を付けた方が良いんじゃないかというのは真面目な意見です。

2014年10月20日月曜日

昨夜見た恐ろしい夢( ˘ω˘ ) スヤァ

 雨雲が近づいているのか今日は昼から頭痛がしてブログは休もうと考えておりましたが、昨夜に見た夢が相当なインパクトがあったので「ゆめにっき」とばかりにここで書いておくことにします。
 
 その夢で最初に視界に入ったのはセミナー会場らしき広いイベントホールの中で、そこで自分の席の後ろにいる人に回ってきた紙の束を手渡しした所、「花園君じゃない?」と手渡した女性から声をかけられました。見てみると相手は小学校時代の同級生で、私を見ながら「昔と全然雰囲気が変わっていない」という、リアルでもしょっちゅう言われることを言ってきたので、この時点で夢にしては変な内容だと思い始めました。
 なおこの夢に出てきたその同級生ですが初恋の相手でもなんでもなく、むしろクラス内で騒ぐことが多かったので内心で嫌な女だとみなしていた子でした。同級生だった頃もそれほど頻繁に会話したこともなければ卒業後は一瞥すらしたことありません。
 
 話は夢の内容に戻りますがやや思い出話をした後に連れだって外へ出ると、その子は雨が振りしきる中でブームも沈静化してきた「アイスバケツチャレンジ」をやおら自分の目の前でおっぱじめました。しかも二回も。この行為に私が興味なさそうにしていると今度はライターに火をつけ、その火をそのまま自分の鼻の穴に入れて鼻毛を一気に焼き切る妙なパフォーマンスをやりだしたので、「自虐的な行為はよせ」と、そこで私もさすがに止めに入りました。そのシーンを最後に目が覚めたわけです。
 
 読んでて何を言ってるんだと思うでしょうが、夢を見た本人である私も「なんだったんだ今の?(´゚ω゚` )」という具合で、起きたあとはしばらく悩みました。夢というのは基本カオスなものでカオスだからこそ面白いのですがこの夢は近頃見た中でもカオスっぷりが飛びぬけており、特に鼻の穴にライターの火を突っこむシーンは思い出そうとすればするほど触れてはならないものに近づいているような奇妙な感覚があります。
 自分は神様を信じていなければ(悪魔はちょっと信じてる)それほど信心深い方でもありませんが、ちょっとこのカオス極まりない夢を見ただけに、その同級生だった女の子の身に何か起きたのではないかと少し心配です。もちろん確認する気はさらさらありませんが、その身の安全を陰ながら祈りつつ今日は寝ようと思います。

2014年10月19日日曜日

ゲームレビュー~ウォーシップガンナー2 鋼鉄の咆哮

 現在このブログはVPNを繋げて中国から直接アクセスすることも可能ですが、VPNが無ければ無理なので普段はメールアドレスを設定してそこにメールを送ることで記事を投稿しています。ただ最近気が付きましたがアップロードされる際に改行が無くなっていることが頻繁に発生しており、昨日の記事もさっき見たらそうなっていました。一応気が付いたら修正しますが、改行ないとやっぱ見辛いな自分の文章。
 そういうわけでサクサクと本題に入りますが、現在PSPのゲーム「ウォーシップガンナー2 鋼の咆哮」というゲームにはまり、休日が来るのがリアルに楽しみなほどはまっています。
 
ウォーシップガンナー2 鋼鉄の咆哮(Wikipedia)
 
 このゲームはどんなゲームかというと、軍艦を使って海上でひたすら戦う海戦シューティングといったところです。世間が「艦隊これくしょん」で盛り上がっている中、こういうゲームするのもなかなかオツな感じがします。
 
 大まかなあらすじを紹介すると、ストーリー内の世界は二次大戦期の年代に設定されており、主人公はシベリアにある架空の小国の主人公で日本や米国、イギリスなどの国々を渡りながら各海域で敵軍とドンパチし合うと言ったところです。ストーリールートは三種類用意されててそれぞれのルートで副官が変わり、昔堅気の老軍人(日本)、美人でメガネな女性科学者(ドイツ)、主人公の士官学校時代の後輩(主人公の国)と、よくわかっている人選がなされております。
 
 ゲーム中では軍艦であればどんなものでも使え、駆逐艦、巡洋艦、戦艦、空母はもちろんのこと、潜水艦や最新のフリゲート艦などもストーリーの進行に合わせて使えるようになります。またこのゲームの醍醐味として、各軍艦はパーツを組み込むようにして自ら設計していくようになっており、多種多様な兵装の中から好きなものを選ぶだけでなく機関に通常のボイラーを使うのか、熱量の大きいが重量のある原子炉を用いるか、コンパクトなディーゼル機関を使うのかと色々思案に暮れているだけでも楽しいくらいです。
 特に兵装については本当に幅が広く、魚雷や砲はもちろんのこと、ロケット弾から火炎放射器、巨大機銃など戦闘に合わせていろいろな組み合わせが試せます。しかもゲーム序盤は設定された時代に合わせた小さな砲や原始的な魚雷とかしか使えませんが、ストーリが進むにつれて使える兵器はどんどんと増えていき、最終的には後半に至っては酸素魚雷や誘導弾、果てにはミサイルやレーザーまで使えるようになります。
 またこのゲームにはいわゆるボスキャラに当たる「超兵器」と呼ばれる巨大な軍艦などが登場しますが、その超兵器が使う兵器がかなりぶっ飛んでおり、いくつか例を挙げると艦首にまんま巨大なドリル付けた奴とか、宇宙戦艦を彷彿とさせるような波動砲とかが普通に出てきます。しかも攻略することでプレイヤーも波動砲をぶっ放せるようになるし。
 
 あと軍艦がメインなためサブな感じは否めませんが、空母などであれば戦闘機を搭載し運用することもできますが、その戦闘機のバリエーションも半端な量じゃありません。お馴染みのゼロ戦はもとよりスピットファイア、スツーカは当たり前で、最新鋭のホーネットやファントム、でもって銀色の円盤状したUFOとか普通に飛ばせます。なおこのゲーム中盤で非常に威力を発揮することから、スウェーデンのサーブが作っている「グリペン」って戦闘機が大好きになりました。ウィキペディアの記述を見ると、現実でも傑作機として高く評価された機体のようです。
 
 私の主観で述べると、案外こういう軍艦シューティングというのはありそうで今までなかったような気がします。なもんだからこういうゲームがあると知って、「まさにこういうのを遊びたかったんだ」と思い、先月の日本帰国時にPSVitaでダウンロード購入をしたのですが、期待に違わず自分がやりたかったゲームのジャンルにぴったりと合致しました。
 ただこのゲーム、PSP版だと特にその傾向が激しいとレビューでも語られていますが、正直に言って非常に難しいです。後半に至ってはこちらが一隻に対して百隻くらいの軍艦を相手にさせられるステージもあり、レビューにも経験者であっても最初は難易度EASYからやるべしと書かれているくらいで事実私も一週目ではNORMALではどうやっても越せないステージがありました。それでもどうにか一週目を攻略して開発した兵器を引き継ぐ二週目は余裕でクリアできるだろうと思っていたら、二週目には強力な敵艦が新たに配備されるようになり一週目以上に苦戦する面が増える始末でした(ーー;)
 
 とはいえ難しくてなかなかクリアできなくても不快に感じることは少なく、むしろ「次はこういう設計と組み合わせで戦ってみよう」といろいろと兵装を変えて望んだりして、負け続けていても楽しさを覚えられます。なお私が試した組み合わせとしては、戦艦に小型サイズの砲をあらん限り搭載し、最終的には一隻に36門もの砲を搭載するという設計がお気に入りです。砲が小型なため射程や威力は確かに小さいですが一旦接近してからはマシンガンの如く異常な量の砲弾を絶え間なく打ち込めるので、単位時間当たりの破壊力は目を見張るものがありました。そのほかとしては「にゃんこビーム」は面白いんだけど使い勝手があまりにも良すぎてかえって使う気にならず温存してます。
 
 あとこのゲームで使ってみて初めて、酸素魚雷がこれ一つで戦況を変えるくらいの威力を持つ強力な兵器であることを実感しました。詳しくはリンク先のウィキペディアの記事を見てもらいたいのですがこの酸素魚雷というのは推進剤に空気ではなく純酸素を用いた魚雷のことを指し、爆発事故を頻発させるほどの整備性の悪さから各国で研究、開発が進んだものの、二次大戦中に実際の運用までこぎつけたのは日本だけだったというやや特殊な兵器です。
 特徴としては推進剤が空気より燃焼効率の高い純酸素であるため推進力が高い上に射程距離が半端なく長く、燃焼後に発生するガスが炭酸ガスのため水に溶けるので航跡が読み辛くなり通常の魚雷と比べ相手側に気付かれにくいという長所があります。その上で破壊力も半端じゃなく、実際の戦闘で使用された際は目標の敵艦を撃沈しただけでなく、撃ち洩らした酸素魚雷がその延長方向先にある別の艦も撃沈してしまったという例までありました。
 なお私が高圧ガス業界にいた際、当時は広島に左遷されていたうちの親父がこの酸素魚雷について話しだし、どこのガスメーカーが絡んで酸素魚雷は開発されたのかと聞いてきました。業界人ったってそんなのわかる奴なんて普通いないだろ(;´Д`)

2014年10月18日土曜日

小渕経済産業相の問題について

 既に出ている報道で皆さんも知っての通りでしょうが、故小渕元首相の娘でその地盤を引き継いだ小渕優子経済産業大臣がまた政治と金の問題で炎上しています。結論から述べるとさすがにこれは安倍首相の任命責任が問われるというか人事観について疑問がもたれるところでしょう。

 ネットベースでの報道しか私は見ていませんが、支援者を伴った観劇会の収支で約2700万円もの差額があったことと、政治収支報告書を見たらあまり政治と関係なさそうなものを政治資金で買ってたことがわかり内からも外からも批判が出ていると聞きます。なお購入した品の中にさりげなく下仁田ネギが入っていたという事実には失笑を禁じ得ません、新手のステルスマーケティングか……。

 この問題の根本的原因は内閣改造に当たって身体検査をきちんと出来ていなかったという点に尽きるのですが、そもそも論として私はTPP交渉を控えたこの時期に小渕氏が経済産業大臣に就任すること自体がおかしいと疑問を感じていました。前大臣だった甘利氏は途中で体調を崩して米国との協議を欠席することもありましたが私の目から見て非常に粘り強く交渉に臨み、またこのTPPの論点や課題についてしっかりと理解しているように見え、手放しで誉め過ぎな気もしますが非常に頼りになる仕事ぶりでした。それに対して小渕氏ですが、はっきり言ってしまえば無能な政治家の典型とみなしていた人物であり、政権マスコット(もしくはパンダ)として採用するならもっと無難なポストをあてがえばよかったのにと、安倍首相の人事観について強く疑問に感じた程でした。

 なんか後出しじゃんけんっぽくて今この段階で批判するのも自分ですらどうかと思いますが、先ほどにも述べたように私は小渕大臣が無能な政治家だと以前から考えていました。理由としては明らかに父親の威光で議員になれただけで普段の発言内容を見ても政治家として明らかに実力が不足していると感じるのに対し、本人がその点に気付いて弁論や政策研究に努力する節が全く見られないどころか全く謙虚さも見せず、むしろ年々実力をつけてきたと勘違いしている節が見られたからです。自分が党内でポストを得られるのはマスコットとしての役割でしかないのにそれすらも気づいている節が無く、発言する内容はいかにも官僚が作ったノートの通りで、しかも答弁の仕方も同じマスコットだった川口順子元外務大臣と比べると雲泥の差です。その点、川口元大臣は自分がマスコットだと自覚している節があってその役割をきっちりこなしているだけにまだまともな人だったなとちょっと評価してます。

 なもんだからTPP交渉が始まったらすぐに問題起こすだろうと見ていましたがまさか交渉を始める前の段階でこんな問題が見つかる当たり、日本にとってはある意味、「塞翁が馬」になるかもしれません。ほんとなんで採用したんだろうなぁ。
 それにしてもこの小渕大臣の就任は内閣改造の目玉として取り上げられていただけに安倍首相に対する印象悪化は避けられないでしょう。改造前の内閣ではたまに麻生氏が失言をぽろっと洩らすのを除けば非常に防御の硬い内閣だっただけに、どうしてこうなったのか、やっぱり安倍首相の人事観は当てにならないのかと不安ももたげます。ってか、次の経済産業大臣は今、規制改革匿名大臣している甘利氏が横滑りして再任になるのかな。

 あと小渕大臣の就任前の報道についても苦言を呈すと、先ほどにも述べた通りに内閣改造の目玉になったのはともかく、人事案が発表される前には、「幹事長に就任か?」なんて推測報道もあり、人事案が発表されると今度は、「将来の女性首相候補」なんて報道もありました。はっきり言いますがこんな無能がそんなわけないだろと誰も思わないのかがその時凄い疑問で、悪いことは言わないからこういった見出しの記事書いた人は政治記者降りた方が良いとすら思います。あまりにも勘が無さすぎる。

 最後に、小渕大臣と同じように松島法務大臣についてもうちわの配布が有権者への寄付に当たるのでは巡って野党が批判していますが、これに関して私は松島大臣の方を持ちます。第一、うちわなんて無料で配られることも多く金銭的価値を持つかどうかとなると果たして疑問で、むしろこういった日用品に写真なりイラストなり政策なりを書いて配布するのはPR手段として真っ当かつ悪くないんじゃないかと思います。それにこんなのにまで金銭的価値がどうのこうの言うなんていくら何でも了見が狭すぎるのではと仙石氏に言いたいです。

中国で普通選挙を行わない理由

 先月から今月にかけて香港では民主選挙を求めるデモ活動ですっかり日本のお茶の間でもメジャーになりましたが、ちょこっと豆知識書くと香港市民はかなりデモ好きでいつも何かしらデモ活動が行われるため観光ガイドブックにすら「デモが見物」と書かれたこともあります。ただこの民主的選挙について香港特別行政区という限られたエリアならともかく、中国の本土でやろうとなると現在障害が大きく、一外国人の立場である私からしてもやらない方が良いと考えております。今日はその辺の理由をこの前後輩に行った講義を基にいくつか書いてきます。
 
 まず中国の政体を簡単に述べると、共産党の一党独裁体制によって運営されております。一応、財界関係者による政治協商会議(政協)というものもありますがこれは業界関係者から政府に対して規制や制度改正といった要望を行う場所となっていて主体的に立法を行うようなものではありません。では中国の政治トップは何によって決まるのか、端的に言ってしまえば共産党内部でのパワーゲームによって決まると言って過言ではなく、かつては�小平が幹部人事を先の胡錦濤までほぼ全部決めていましたが、近年は共産党内部の派閥間で調整が行われるなどして決まります。
 この辺、民主主義しか知らない普通の日本人からしたら「中国には選挙がないの?」とたまに驚かれますが、中国で選挙と言ったらAKB48とその姉妹バンドのSHN48の選抜という意味でしかありません、リアルで。無論選挙制度については中国人も理解はしていますが、当の中国人ですら、「アメリカとかならともかく中国ではやらない方が良いよね」とちょっと達観した考えを持っております。
 
 
理由その一、中国人全体で選挙できるほど啓蒙できてない
 かなりもも蓋もない意見ですがこれは大卒の中国人なら恐らく誰もが持っている考えだと思います。今まで私が聞いた中では最低が2割、最大が9割なのですが、この数字は何なのかというと中国人自身がこの世にいらない中国人として挙げた割合です。よく中国人はマナーが悪いとか横柄だとか頭おかしいと日本人は言ったりしますが当の中国人自身はもっと激しく、人間というよりは獣に近いとかまともな神経していないなどと質の悪いとする中国人を批判しています。
 そんな中国人からしたら全員が選挙権持ったらたちまち投票とかで混乱が起こり、またなまじっか人数多いせいか変な人間も議員になったりして下仁田ネギとかで騒いでる場合じゃないような事態も起こり得ます。こうしたリスクについて中国人は割としっかり認識しており、普通選挙なんてもってのほかと言う人もいます。
 
 
理由その二、地方意識が非常に強い
 これはある意味日本だけがやや特別なのですが、日本は何人かと聞かれたら普通は日本人だと答えてわざわざ「北海道人」みたいに出身地方名を関することはまずないでしょう。中国人ももちろん外国なら「中国人だ」と答えるでしょうが中国国内では北京人だ、上海人だ、ウイグル人などと地方名を出し、なおかつ地方ごとに意識や考え方、下手すりゃ言語だって変わってきます。そして何より重要なのは、中国全土よりも出身地方が発展することを強く望みます。
 一言で言えば出身とする地方に対する意識が強く、同じ中国と言っても日本ほどには一体感を持っていないということです。逆を言えば日本は世界でも稀なほど国内の地方同士で文化水準や言語、メディアが共通化していて一体感が非常に強い国で、米国ですらここまで統一できてはいないでしょう。ただ米国は州ごとに地方差が強く出ますが、政党と軍隊、そして経済は統一できているのでまぁ強い国です。
 
 こうした地方意識の強さというのが政治にどう影響するかですが、自分も最近になって知りましたが隣の韓国なんかは如実に出ており、候補者がどの政党というよりもどの地域の出身者かで支持するかしないかが分かれ、大統領選などは地方ごとに得票差が物凄くはっきり出ます。そして、そうやって選ばれた議員らはやっぱり出身地域への利益誘導を強く行おうとすると聞きます。
 こういっては何ですがまだ国土も人口も小さい韓国ですらこの有様ですから、仮に中国で普通選挙をやったら地方間の対立は確実に深まるでしょうし、汚職も今以上に増えるかもしれません。現時点ですら沿岸地域で徴収した税金が内陸部の開発に使われることについて不満を感じるという声が出ており、それぞれの議員同士で税金の使い道や利益誘導を巡ってかなり激しい対立となるでしょう。その点、共産党は汚職もやらかすけどまた地方間対立についてはニュートラルに近いので、中国という国家単位で運営できる組織なのかなという気はします。
 
 
理由その三、極端な人口比
 その二と多少被りますが、中国は地方ごとに人口に大きな差があり、仮に人口で選挙区を作ろうものなら四川省を始めとした開発の進んでいない内陸部出身の議員が議会で多くの議席を占めることとなります。それに対して上海市や広州市はそのGDP貢献度や影響力に比して少ない議員しか送れず、まぁどうなるかは目に見えてきます。
 
 上記までが私が中国で普通選挙を薦めない主な理由となります。共産党の支配が決して完璧だとは言うつもりはありませんが仮に普通選挙による民主制を実施したら今以上の混乱と停滞を招きかねず、行うまでにはもう少し時間をかけるか制限選挙をするしかないと思います。
 逆に日本人に言いたいこととしては普通選挙と民主制によるデメリットをもう少し自覚してもらいたいです。現代日本は先ほども述べた通りに世界的にもまれなくらいに国家統一が出来ててあまり心配する必要はありませんが、男性のみですが普通選挙法が可決してからの大正から昭和前期にかけての議会政治がどれだけ腐敗して混乱したか、そして軍部の増長を許したという歴史をもっと意識してもらいたいのが今日の私の意見です。

2014年10月17日金曜日

ストレス重圧化の文章表現

 以前の記事にも書きましたが10/8のソフト更新以降からAmazonKindleでダウンロードが急劇に遅くなる事態が続いています。先程から「極黒のブリュンヒルデ(10巻)」をかれこれ4時間以上もダウンロードしておりますがたった44Mのファイルに対してちまちまとしかダウンロードできず、しかも途中で何度も失敗してやり直す羽目になることから未だに完了しません。しかもWiFi接続しているのに「ダウンロードするならネットワークを繋げ」と何度もエラーメッセージが出てきて、いい加減にタブレットかマウスを投げつけたくなるほどイライラしてきました。さっきAmazonのヘルプセンターにも「てめぇどういう了見だ」って文句書いたけど。
 
 普段からこのブログを読んでる人間ならわかるでしょうが、私の文章は結構感情が素直に出やすくイライラしていたりするとただでさえ過激な表現が普段以上に凶暴な表現になってきます。ただ文章表現者の立場からすると文章ほど執筆者のその時々の感情が出やすい物はなく、むしろ今ある感情が文章の中に出てこないのであればその人は表現力が足りていないのではとすら私は考えます。ちょうど現在の状態と好対照なのは昨日の記事で、比較的落ち着いた状態で書いていることから書いている内容は「暴力」であるのに割と淡々と書けて書き終えた後は割といい気分で出られました。
 
 そんなわけで今日はまたちょっと重たいテーマの内容を続けて書こうと考えていましたが今の精神状態だととてもまともな記事になるとは思えないためまた再延期です。見ている人間からすれば何を言っているのだという気もするでしょうがストレス重圧化では文章なんてなかなかまともに書くことが出来ず、政治家とかへの文句ならともかくちゃんとした内容ならしかるべき状態で書くべきだと言いたいわけです。
 もっともすごい作家や漫画家というのはそのような高いストレス重圧化にありながらも凄い作品を書いて来たりします。具体的にどんなストレスかというとその多くは貧困などで、お腹すかせた状態でありながら高い芸術作品を作るのは文字通り神業です。逆を言えば自分はまだその領域に達していないということになりますが、それでもほぼ毎日こうやって記事書けるんだから人並み以上にはストレスとかには強い気がしますけど。

2014年10月16日木曜日

暴力が支配する閉鎖空間

 香港で話題になっているので中国と民主主義について一本記事を準備中ですが、このところ中国ネタばかり書いていて今日もまた中国ネタになるとやや過剰投下な気もするので今日は一風変わったネタを書いていきます。先に書いておくとこういう他愛のない出来事から深い話に持っていくのが案外得意なのかもしれません。
 
 先日日本に帰国している際、たまたまAmazonのKindleストアで電子書籍の日替わりセールをチェックしてみたら「漂流ネットカフェ」という漫画が99円という価格で販売されていました。この漫画の作者は押見修造氏という方ですが、彼の代表作は知ってる人には有名なあの「惡の華」という漫画で、私も前回の日本帰国時に最終巻を読み終えてそのあまりのぶっ飛んだ内容というか言いようのないストーリー展開にびっくりさせられた作者だっただけに、ほかの作品はどうなのかと思っていた矢先だったので迷わず購入しました。
 
 この「漂流ネットカフェ」は全7巻なのですが1巻を購入してすぐに引き込まれ、そのまま徐々に買い進めていって先週にようやく最後まで読み終えました。大まかなあらすじを書くと妊娠中の妻を持つサラリーマンの主人公はある日何気なく立ち寄ったネットカフェで中学生時代の発行為の相手と十数年ぶりの再会を果たします。再会を果たしたその直後、主人公たちがいたネットカフェは360度周囲に何もない湿地帯へワープし、原因も何もわからないまま主人公とヒロイン、そしてワープ時にネットカフェにいたメンバーたちは思い思いにその世界から元の世界へ帰る方法を探る……といったところです。
 タイトルからも察することが出来るように、この作品は楳図かずお氏の傑作の一つである「漂流教室」のオマージュが入っていて序盤などは意識して似たようなエピソードを持ってきているなと思う節があります。もっとも後半に行くにつれて「忘れられない初恋の人」というテーマ性がどんどん強まっていくのですが両作品に強く共通している点として、体格・腕力に優れた人物が暴力によって自分以外の人間を支配しようとする点が挙げられます。
 
 正直に言うと「漂流教室」は前から読みたいと思いつつもまだ手に取れていないのですが、ざらっとあらすじを聞く限りだとワープ後の世界で唯一の大人に当たる人物が暴力でもって度々主人公を妨害する様が描かれていると聞きます。この「漂流ネットカフェ」だとさらに露骨で、腕力のある人物が初めから周囲の人物を暴力で屈服させ、主人公を罠にはめようとしたりなどと文字通りの横暴の限りを尽くします。Amazonのレビューを見るとこの人物による暴力描写がはっきり不快だと述べて作品の評価を低くする方も見受けられるのですが、私の目から見ても見る人によっては強い嫌悪感が持たれ評価は二分すると思えるだけに、そのような評価が出てくるのもやむを得ないなという気がします。ちなみにどれくらいの暴力描写かというと、端的に述べると途中で誰も逃げられないようみんなのアキレス健を切ったりします。
 しかしそうした暴力描写に嫌悪感を示すレビューの中には、「このような暴力描写を描く作者の妄想がひどい」という一文が目に留まりました。この意見自体を批判する気は毛頭ありませんが、私は一見して逆に、「閉鎖空間ならきっとこうなるだろう」と逆に、程度の差はあれこの漫画の中で描かれている描写は現実に近いという印象を覚えました。
 
 何故私がこのように考えるのかというと、以前に読んだあるシベリア抑留体験者の話が浮かんできたからです。その抑留体験者はちょっと変わった人で抑留中にもかかわらず二次大戦での日本の敗因を分析し、記録しており、元々技術者であったことからその内容はリアリスティックに科学的な見地に基づいていてそれも非常に面白いのですが、ちょっと気になったというか記憶に強く残ったのはシベリア抑留者の収容施設の話でした。
 その人物によると収容所の中では文字通り「無法」な世界で最高権力者は言うまでもなくロシア兵であることに間違いないのですが、収容者である日本人の中で腕力などに優れた者がその力に物を言わせ、ロシア兵に取り入るなどしてほかの日本人を暴力的に支配することがどの施設にも見られたそうです。具体的な記述はそう多くありませんでした気に入らないなどの理由で同じ日本人を殴る蹴るは当たり前で、配給される食事を強奪したりいじめたりと、おおよそ法も秩序のない世界であったと書かれてあり壮絶な世界が広がっていたのだと思えます。
 
 このシベリア抑留の体験者が書いた著作に対し批評を寄せた、一時期ユダヤ人だと僭称したある作家(わかる人いるかな?)も戦後、フィリピンの捕虜収容所に収容された経験を持ち、その収容所でも全く同じ光景が広がっていたと話し、シベリア抑留体験者の話は真実味があると高く評価しております。そしてこの二人は共に、「収容所内の暴力による支配者らは帰国が近づくにつれ、元気をなくしていった」という事実を述べています。
 どう解釈するかは勝手です。私は後者の作家が書いたように、無法な収容所から法の秩序のある世界に戻ることで閉鎖された空間の支配者からただの一般人に戻ることをお山の大将たちは恐れたという説に納得しており、それと共に人間というのはたとえ小さかろうが、本質的な自由が無かろうが支配者であり続けたいとする妙な支配欲を多かれ少なかれ持つのだなという風に感じました。そして法という秩序が無ければ暴力によってその支配欲が強く発散される、そのためには同胞を痛めようが気にしなくもなる……なんていう具合で。
 
 ここで話は最初の「漂流ネットカフェ」に戻りますが、暴力でネットカフェを支配するキャラクターは序盤はまだその世界からの脱出を図ろうとする節があるのですが、中盤からは全く以ってその意思を失い、むしろ脱出する手段が見え始めてくるやその手段を妨害しようとする、つまり閉鎖された空間に自ら居続けようとする行動を取ります。作者の押見氏が意識的に描いたのかどうかはわかりかねますが、私にとってすればこのような描写は上記の収容所体験者の話と一致し、ある意味でリアリティがあり実際にこうなったら案外こういう奴が出てくるのかもしれないと思えてきました。
 
 近年の日本では暴力というと犯罪といじめがらみではよく取り上げられますが、その本質についてはあまり議論が無いように思えます。もっとも議論した所で何かいい解が生まれるのか私も疑問ですが、暴力には様々な型がありなおかつ手段ではなくその用途ははっせい原因を探ることで見えてくるものはある気がします。何が言いたいのかというと、平時は大人しい奴でもいざ閉鎖空間に放り込まれたり、秩序が無くなったりすると暴力的になる人間は少なくなく、人間の良心や団結信というものはどこまで通用するのかななんていうのをちょっとはみんな意識してみたらと言いたいわけです。自らも含めて。
 
  補足
 補足ならぬ蛇足でしょうが、シベリア抑留において日本人にとって日本人は被害者以外の何物でもないでしょう。しかし先程の暴力的な支配者の話を聞くにつけ、抑留中に日本人が殺した日本人は何人いたのか、ちょっと気になりました。