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2015年6月13日土曜日

千葉のマッドシティ~戸定邸

 このマッドシティではいつもどローカルなことばかり書いていますが、今日はまだ一般受けしそうなスポットを紹介します。

戸定邸

 本日紹介する戸定邸とは松戸駅から徒歩で行ける距離にある武家屋敷の事です。武家屋敷と言ってもただの武家屋敷ではなく、元々は徳川慶喜の実弟で水戸藩最後の藩主となった徳川昭武が使っていた屋敷でした。

 まず最初に徳川昭武について軽く紹介すると、徳川斉昭の十八男(多過ぎ)として1853年に生まれた昭武は幕末の動乱のさなか、徳川御三卿の一つである清水家の家督を継ぎ清水家当主となります。清水家は18世紀に継嗣がなく一旦断絶されますが慶喜と昭武の父である斉昭が自分の息子を当主に据えて再興させたものの、片っ端から当主に置かれた斉昭の息子は夭折していき、最終的には十八番目の男児である昭武が襲封することとなったわけです。
 昭武が清水家当主となったのは1857年で、その後すぐに兄であり徳川将軍である慶喜の名代としてパリ万博へ訪れるためヨーロッパ歴訪の旅へ出てそのまま現地で留学を開始しました。しかし翌年の1867年には大政奉還、そして戊辰戦争が起こり徳川家が日本の代表政府から引き摺り下ろされたことによって昭武の欧州における立ち位置も不安定となり、結果的には留学を切り上げる形で同年に日本へ帰国します。

 日本へ帰国した昭武は水戸藩主であった兄の慶篤が死去したことを受け兄の後を継ぐ形で水戸藩主に就任します。と言ってもその後すぐに版籍奉還、廃藩置県が行われたため東京へ移住し、西南戦争の前あたりには再び欧州へ留学に出て、帰国後の1883年には隠居して翌1884年に松戸市に隠居屋敷を構えそこで長い時間を過ごしました。

 この戸定邸というのがまさにこの昭武の隠居屋敷で、聖徳大学、千葉大歯学部のキャンパス近くにある小高い丘の上に構えております。休館日でなければ敷地内の出入りは自由で、保存されている屋敷も入館料を払えば入ることが出来ます。駐車場もあるにはありますが、やけに傾斜が激しく細くうねった登り道を通ることになるので、駅からそんな遠くないので来館される際は電車で来るのがベターです。

 中にある歴史観の展示物について少し述べると、屋敷の主であった昭武ゆかりの品々と共に、その兄の慶喜ゆかりの品々も多く、というよりはむしろ慶喜関連の方がメインであるように見えます。割とこの兄弟は仲が良く、二人揃って写真が趣味だったようで撮影された写真も数多く展示されていますがその多くは慶喜の物で、掛け軸に書かれた書もたしか慶喜の物があったような気がします。知名度の点から言って多少はしょうがないと思うものの、もっと昭武もPRしてこうよと少し言いたいです。

 私はこの戸定邸にうちの名古屋だけでなく広島にも左遷されたことのある親父と一緒に、中学生くらいの頃に初めて訪れました。こう言ってはなんですがマッドシティ周辺に当たる千葉県北西部は貝塚跡はやたらあっても史跡はそれほど多くなく、その中でもまだ由緒深いと思える史跡であったため最初の訪問時から文化的な匂いを感じることが出来ました。また戸定邸は歴史的な背景と共に、小高い丘の上に狭いながらもよく整えられた庭園も備えてあるため、ちょっと時間が空いた時にふらりと訪れるのになかなか気分がよく、その後も機会があればしょっちゅう親父と共にここへ訪れていました。

 ただ文化的に悪くないスポットだと思えるものの知名度は決して高くなく、私の周囲でもここへ訪れたことのある人となるとほぼ全くいませんでした。茶道をしている人なんかはこの戸定邸の中にある屋敷を借りて開かれる茶会などに参加するなどして来る人もいましたが、そうでもない人となると存在すら知らないことも多いです。今でこそ松戸駅前に「戸定邸はこっち!」というような案内板もありますが以前はなく、ちょっと丘を登らなくてはならないのもあって目につきずらいというのもあってこちらもしょうがない気はしますが。

 最後にこの記事を書くに当たってネットで調べたところ、昭武の息子の武定が華族に列せられたことにより「松戸徳川家」という分家が生まれ、現在も続いているようです。この武定が戸定邸を市に寄付した張本人なのですが、戦前は海軍の設計畑を歩んで潜水艦の研究において大きな役割を果たすなどなかなか胸を熱くさせる人物です。

2015年6月12日金曜日

創造は破壊の後で

 私の友人は大学時代に中国古代史を専攻いたそうですが、卒業論文には項羽と劉邦を比較するというテーマを選んだそうです。曰く、項羽という既成の秩序を徹底的に破壊する存在の後だったからこそ劉邦は漢王朝という安定的な秩序を作ることが出来たという内容だったらしく、項羽がいたからこそ劉邦もその英雄的価値を高められたという結論だったそうです。
 この友人の主張には私も基本的に同感で、というよりこの「破壊→創造」というサイクル自体が一種普遍的な概念を持っているとも考えております。逆を言えばこのサイクルが上手く働かないと世の中は混乱するとさえ思え、「創造的破壊」という言葉があるように時には起こすよムーブメントとばかりにある一定の段階で秩序を破壊をしなければ物事は上手くいかないとすら考えています。

 この破壊と創造のサイクルを例えるならば、敷地とその上に立つ建物(=上物)で比較するとわかりやすいです。この例えだと敷地は世界というか国家などの領域を差し、建物はまんま秩序となります。ある領域においてそのまんまだとその土地は何の価値も持ちませんが、秩序という上物がついて段々と価値を帯びていきます。その敷地にないに領域がある限り建物は増えていきそこに住む人々の生活も段々と便利さを増しますが、ある段階に至ると限界が来るというか、敷地に建物が一杯となってそれ以上の建て増しが出来なくなります。
 建て増しが出来なくなった敷地はどうするか。そのまま使い続けるということも一つの手ですが一度建てた建物は所詮は建物、風雨による経年劣化は避けられません。となると何がベストかというと再開発とばかりに一旦破壊した上で、構造から見直して建て直す方が案外よかったりします。

 大体これで私の言いたいことはわかると思いますが、政治体制や法などの秩序は長い歴史から見たら細かい改正や再編など付け焼刃をつけるよりも、折々で抜本的に改革するというか作り直した方が案外よかったりします。また改革というほど大げさなものでなくても、何かしら制度を変えるにはその制度を変える余地、先ほどの例えだと空余地を作る必要があり、地上げ屋の様に上物を立ち退かさなければなりません。
 総じて言えば創造の上に創造はなく、一旦破壊という過程を経なければ新たな秩序也概念というものは生まれないと言いたいわけです。まぁ破壊の上に破壊はあるのかと言えば議論の余地がありますが。

 こうしたサイクルは歴史上で何度も繰り返されており、わかりやすいのだと安土桃山時代で織田信長という破壊者が既成の秩序を徹底的に破壊した上で、豊臣秀吉と徳川家康という創造者が新たな秩序を作りその後の長く平和な江戸時代が成立したと言えるでしょう。
 また近年の日本政治において言うならば、小泉純一郎首相なんかは間違いなく破壊型の政治家で、実際就任当時に政治評論家からも破壊型の政治家だと指摘されていました。その評論家(名前は忘れた)によると総理大臣は破壊型、創造型の二種類にはっきり分かれるそうで、基本的には破壊型の方が政策が目に見えるので世間からは評価されやすく、逆に創造型は地味で人気が出ない傾向があるそうで、その人が創造型として挙げたのは消費税を導入した竹下登内閣でした。

 ここでちょっと小泉内閣以後の内閣を分析します。小泉内閣は間違いなく破壊型の内閣で郵政民営化などで「改革を行うための空余地」を作ることには成功したと私は考えています。ではその空余地はどうなったのか、その後の内閣は創造型が続いたのかというとこれが非常に疑問で、結論を述べるとその後の内閣は創造も破壊もしなかったのではと思います。
 強いてあげれば福田康夫内閣がまだ創造型の要素を持っていたと思いますが、それ以外となると麻生太郎内閣が顕著でしたが1990年前後のバブル期を再現しようとするような、未来よりも過去志向、フランス革命的に言うなら旧体制(アンシャンレジーム)的な価値観を持つ内閣が続いてしまったのではないかと思います。これは民主党政権時も同様で、郵政民営化によってつくられた改革の空余地の上に、かつての郵政と同じ組織を作って折角の空余地を埋めてしまっています。

 では現在の安倍政権はどうなのか。これも憲法改正を声高に叫んでいますがこれはどちらかというと安倍首相個人の気持ち的な内容で、こう言ってはなんですが日本国家全体の秩序の問題かというと疑問です。さすがに徴兵制の導入まで行ったら話は変わりますが、自衛隊の扱い一つで劇的に秩序が変わるかと言ったらそうでもなく、消費税増税の方がインパクト的には大きいでしょう。

 結論の上の結論を述べると、小泉内閣による秩序破壊の後に新たな秩序を作れる人間が出てきてないのが今の日本の混乱を招いているのではというの私の見解です。真面目な話し、国家全体のグランドデザインに関する議論がこのところ本当無く、一時期流行った「北欧モデル」すらも話に出てきません。
 かくいう私もその手のグランドデザインを作っているわけではなく、現時点では漠然と「オランダモデル」だと自分自身が生きやすくなるなと思えるのでこっちを志向しているだけです。オランダは自転車の一人当たり保有台数も世界最大だというし、サイクリストの夢の王国がつくれるのではと思うと胸が熱くなります。

 急いで書いたから26分で書き上がりました。

2015年6月11日木曜日

派遣マージン率記事の裏話

 季節の変わり目であるせいか昨日は昼過ぎから地味な頭痛に苦しみ、家帰った時点でバタンキューとなって夜8時に床に入り、翌朝7時まで計11時間もの連続睡眠をやってのけました。そのせいか今日は割と好調で、夕ご飯も気分よくマクドナルドで済ませてきました。

 そういうくだらない事情は置いといて本題に入りますが、現在私のブログでは今年1月にアップした「人材派遣企業各社のマージン率一覧、及びその公開率」という記事が一番アクセス数がよく、現在までの合計PV数もこの記事だけで6000回を越えています。もっともこの記事を執筆することを猛プッシュしてきた友人などはもっとアクセス数は多くてもいいはずだと述べており、私も周りには大手紙の一面を飾ったっていい調査報道記事だと吹聴しております。
 実際にこの記事は公開してから多数の応援コメントが寄せられており、また直接私のメールアドレス宛てにも記事内容を評価していただけるメールが何件か送られてもいます。理想を言えば国会審議でちょうど今話題になりつつある派遣校の改正でこのマージン率の公開もやり玉に挙がってくれると、このブログもアクセス数が増えて一石二鳥なのになぁという気持ちはありますが。

 私は直接派遣労働に関して何か運動とか起こすつもりはなく、というかそもそも派遣労働者でもないんだからそういうことをやろうってのは筋違いだと考えております。ただ派遣の制度自体は社会全体で見直す、設計し直す必要があると思って、派遣労働者の方々にとって武器となるようなデータを作ってみたら面白そうという動機でもってこの調査記事をまとめました。
 調査、記事内容はともに私自身も納得の出来となり、公開後の反応もはっきり言って悪くありませんでした。ただ個人ブログであることからどれだけ日の目を浴びるのかというのが問題で、友人からのすすめもあってこの記事に関してはほかのメディアに対していくつか売り込みをかけていました。

 最初に売り込んだのは友人がプッシュしてきた「マイニュースジャパン」というネットメディアで、一回メールを送ったら無視されてなんやねんと思いましたが友人が「メールに気付いてないだけかも」というのでもう一回送ったところ返事があり、向こうの方でもこのネタで記事化していただくこととなりました。
 ただ記事化と言っても、マイニュースジャパンさんの方では「大手派遣企業のマージン率公開が微妙」というテーマでもって記事化しており、私が調査して集めた公開率や平均マージン率などのデータは一切引用してもらえませんでした。私としてはマージン率公開に後ろ向きな大手企業は批判するのはもっともだと思うものの、それ以上に平均マージン率という数字が一番ニュースな内容だと考えていただけにいくらか記事の方向性に違いを覚えました。まぁ売り込んでおきながらあれこれ文句言うのは筋違いかもという気はしますが。

 こんな具合でマイニュースジャパンさんとはしっくりくるコラボレーションが出来なかったので、今度は同じネットメディアの「ジェイキャスト」に売り込みメールを送ったらこっちは完全になしのつぶてでした。それならとばかりに一番こういう問題に熱心そうだと見えた日本共産党の機関紙こと「しんぶん赤旗」に売り込んだところ、メールは編集担当に回しておいたという返事があっただけでその後は何のアクションもありませんでした。
 ジェイキャストはともかくとして赤旗のこの反応は正直意外でした。メディアの性格的にも一番食らいつきそうなネタだし、私の調査データも追証可能な物だから扱うに当たって問題はないと思ってただけに、日系メディアは案外冷淡なんだなぁとこの時つくづく感じました。自分なんか記者時代、読者からくるクレームにも一つ一つきちんと返信してたってのに。

 なお売り込みメールは上記のメディアにしか送っておらず、大手メディアには一切送っていません。理由はちょっと調べればわかるでしょうが、送ってもどうせ記事化しないだろうという確信があったからです。多分世論が大きくなれば報じるでしょうが、私だけのアクションでは決して動くことはないでしょう。

 最後にこの記事にまつわる裏エピソードをもう一つ。この記事がそこそこいいアクセスを集めるもんだから時折合計PV数をチェックし続けていたところ、一つの妙な事実に気が付きました。その事実というのも、前後の記事も並行してPV数が高いということです。
 恐らくリンクか何かを踏んでこの記事を読んだ方が、「この筆者はほかにどんな記事を書いているんだろう?」と前後の記事を一緒にチェックするからではないかと思うのですが、後ろの記事は「派遣企業調査記事の執筆後記」といって実質的にマージン率記事の続きだからまだいいものの、前の記事はこれらとは全く関係なく、私の後輩の声がゲーム「バイオハザード2」に出てくる豆腐の声によく似ているということを書いた「後輩の声(宝塚イントネーション)について」という、ほんとにどうでもいい内容の記事でした。

 時間が経った記事は通常、PV数は100回前後で頭打ちする傾向にあるのですが、何故か先程の後輩の声に関する記事は現時点で294回と明らかに通常の記事よりアクセス数を稼いでおります。「なんで俺はむやみやたらに後輩の声を世間にPRしてんだろ……」などと、このところのPV数を見ていて複雑に感じます。

2015年6月9日火曜日

ダイエー・松下戦争

 私より上の世代ならお馴染みかもしれませんが私より下の世代ならせいぜい私と冷凍たこ焼き大好きな友人くらいしか知らないと思うので、今日は一つ昔話としてダイエー・松下戦争を紹介します。

ダイエー・松下戦争(Wikipedia)

 この戦争は1964年から1994年の足かけ30年に渡ってダイエーと松下(現パナソニック)との間でテレビ販売の取扱いを巡り繰り広げられた戦争を指します。何気に30年という期間といい、片方の親玉の死去により集結したことといい、ドイツ三十年戦争といろいろ被ります。

 この戦争の始まりはダイエー側から松下側への侵略ともいうべき交渉から始まります。当時、松下は自社製テレビをいわゆる「ナショナルのお店」と言われた特約店にのみ卸していたのですが、その特約店に対しては小売価格を統制し、実質的に生産から卸売、小売までのサプライチェーンを垂直統合しておりました。
 そもそも松下は日本の家電メーカーとしては技術力や開発力が特段優れていたわけではなく、この点で言えばむしろソニーや三洋の方が大きく上回っていたでしょう。にもかかわらず何故松下は日本一の家電メーカーとなり得たのかというと、商品の供給を条件に上記の特約店を厳しく管理し、価格の下落を防いできたからです。このサプライチェーンの統制こそが松下幸之助の代表的な経営手法と言えるでしょう。

 こうした幸之助の牙城に対し切り崩しにかかったのがほかでもなくダイエーの中内功でした。中内は松下がテレビの販売に当たって許容していた希望小売価格の値下げ範囲の15%を超える20%引きで販売しようとしたところ、この動きを懸念した松下はダイエーに対してテレビの供給をストップさせました。そしたら今度はダイエーが松下のやり方は独占禁止法違反だとして裁判所に訴えだし、両者の関係は泥沼へと向かいます。

 ダイエー側はあくまでもいい商品を安く提供するという「消費者の利益」を主張したのに対し、価格を維持して適正な利潤を上げることによって特約店との「共存・共栄」を主張し、議論は平行線を辿ります。両社のトップは何度か直談判して和解策を探ったものの、結局どちらも折れることなく対立は続き、1970年にダイエーがプライベートブランドで13インチのカラーテレビを当時としては破格値である59800円で売り出したことによってより先鋭化していきました。
 最終的に両社が和解したのは幸之助が没した後の1994年で、ダイエーが松下と取引のある小売会社を買収して取引を再開するようになり、結果論で言えば松下が折れてダイエーが勝利したと言えるのがこの戦争の結末です。

 この30年戦争によって何が起こったのかというと、最も大きいのはなんといっても家電メーカーと小売店の立場の逆転でしょう。先程も書いたように以前はメーカーである松下が商品の価格決定権を持っており、これに逆らう小売店には商品供給をストップさせることで締めだすことが出来ました。しかしダイエーが風穴を開けて以降、価格決定権は小売店、並びに消費者が持つに至り、メーカー側はむしろ小売店に頼み込んで商品を置いてもらわないと売上げが立たなくなるほど立場が弱くなりました。
 実際、現代において小売と家電メーカーでは小売側が圧倒的に力が強くなっており、大手家電量販店が新店舗をオープンさせる際は家電メーカーの営業社員を雑用として無賃で働かせるという例もよく報告されており、ネットなどで見ていても小売側から出される無理難題にメーカー営業社員が泣かされるという話を目にします。

 そのように考えるとこのダイエー・松下戦争は現在のサプライチェーン間における立場の逆転を決定づける象徴的な事件だったのではないかと思え、なかなかに無視できない大きな事件だったようにこの頃思います。ただ仮にこの事件がなくともグローバル化によって現代のような趨勢は起きていた、言うなればダイエーがいなくてもいずれこのようになったと思いはしますが。

 最後にもう一つだけ付け加えると、一時期は猛威を振るった家電量販店も近年はネット販売の普及によって最大手のヤマダ電機を筆頭に苦戦が続いていると報じられています。所変われば時代は変わるもんで、恐らくこの流れは今後も続くでしょう。これに対して家電メーカー側は米アップルの様に強力なブランド力を持つか、自らネット販売のサプライチェーンをうまく構築できなければますますフェードアウトすると私は見ており、BTOパソコンの様にBTO洗濯機やBTO冷蔵庫を作るベンチャーも現れるんじゃないかと密かに期待してます。

2015年6月8日月曜日

プライベートブランドで得するのは誰か?

 先日書いた「安けりゃいいってもんじゃないプライベートブランド」の記事で、友人からコメントで下記のような質問を受けました。質問主に対してはその後でスカイプで連絡を取り既に回答をしましたが、折角だからブログ上でもこの問いに対する私の回答を下記に記します。

<質問内容>
 「値切ってナンボな世界の方が消費者はどんどん賢くなろうとして良いのでは?」と思うと同時に「でもそうなると買い物もギスギスしながら、腹さぐりあいながらで神経削れるなぁ」とも思います。花園さんとしてはどちらの購入方式が主流の方が社会的に大きい利益になると考えられますかね?

<回答内容>
 結論から言えば消費者が賢くなって商品の価格と品質にシビアになれば小売り側としても対応せざるを得なくなり、「価格に対する品質」は確実に向上していくでしょう。ただ消費者の要求が異常に高く、たとえば商品やサービスの質がいいにもかかわらずさらに価格を下げるような要求が続くとサービスの供給側は疲弊することとなり、結果的には上記の価格に対する品質は悪化することとなるでしょう。
つまりいい消費市場は品質に対し相応の代価を支払う消費者と、代価に対し相応の品質を提供する供給者の二者が揃って初めて成立すると言えます。そういう意味では消費者も供給者も互いに賢くなることが求められるわけですが、実際の商取引上は供給側の方が有利というか消費者をだましやすい立場にあるため、消費者を保護するような法体系が必要だと私は考えます。

 と、上記のような回答をした後、追加で下記のような新たな質問を受けました。

<質問内容 その二>
 プライベートブランドによって商品を生産するメーカーのメリットは大きいのでしょうか?

<回答内容 その二>
 恐らく、メーカー側としては本音ではプライベートブランドなんてやりたくないのではないかと思える。

 実はこのトピックは最初の記事でも書こうと思っていた内容でしたが、最初の記事ではかなり文章が長くなってしまったためやむなく省略していた内容だっただけに、この質問が来て内心うれしい思いがしました。そもそもの話をするとこのプライベートブランド関連の記事ネタは冷凍たこ焼きが好きな友人との会話をまとめたもので、その際に一番盛り上がったのもこのメーカー側の影響話でした。

 そんなわけで解説に移りますが、プライベートブランドとは販売業者、たとえば「セブンプレミアム」で言えば販売を行うセブン&アイ・ホールディングスが企画・開発し、食品メーカーなどに生産してもらう商品を指します。この販売手法の各方面に対するメリットとデメリットは前回記事でまとめましたが、販売側のメリットとしては自社の開発製品として売り出せるため粗利率の上昇、並びにブランドイメージの向上があり、メーカー側としては工場稼働率の上昇、自社ブランド(=ナショナルブランド)製品を売り出す下地作りが出来ると挙げられています。

 しかし実際には、こう言ってはなんですがメーカー側にはほとんどメリットがないというのが実態のようです。一つ例を出すと、味塩コショウを作っているある食品メーカーが小売業者からプライベートブランドの企画を持ちだされ、その話に乗るとします。小売業者と一緒に開発するとはいえ変わるのはパッケージ程度なもので、味塩コショウの中身自体は従来品とほぼ全く変わることはありません。ですがプライベートブランド化に伴って商品の卸値は引き下げられるので、メーカー側としては味塩コショウの粗利率は下がってしまいます。
 さらにそうして開発された味塩コショウは、持ちかけてきた小売業者のブランドで売られるため、他の小売業者に対して並行販売することが出来なくなります。契約した小売業者がある程度まとまった量で購入し続けてくれるとはいえ商品の横展開はできなくなるため、メーカー側としては決して面白くないでしょう。

 ではここで疑問ですが、粗利率は下がるし横展開も出来なくなるなど一見するとデメリットの方が多いように見えるのにどうしてメーカーはプライベートブランドの企画に乗っかるのでしょうか?これは私と友人の推論ですがメーカー側としては、本音ではやりたくないものの小売業者に圧迫かけられて無理矢理やらされているというのが実情のように見えます。
 実際にイトーヨーカドーやイオンの売り場を見ているとプライベートブランド商品がずらっと並んでいる棚には通常のメーカーブランド商品がないことが多いです。つまりプライベートブランドに協力しないと売り場から商品が締め出されるため、やむなくデメリットを覚悟でメーカーは作ってるのではないかと思えます。さっきの味塩コショウなんかそれで、前から気に入っているダイショーのが買えなかったし。

 実際、こういうことがまかり通るほど現代社会では小売企業のイニシアチブがどこの業界でも強いです。別にこうしたやり方を否定するつもりはないしひどいやり方だとは思いますが、メーカーとしては何らかの形でナショナルブランドを確立させないと今後どんどん埋没していく可能性があります。対抗手段としては同じメーカー同士で何かしら連合を組むとか、大手の小売業者に対抗するため第三極となるような企業を応援するとかやった方が良いのではと個人的に思います。

 なお小売業者がサプライチェーンの中でメーカーの力を上回るように至る、一つ大きなきっかけとなる事件が過去にありました。ちょうど頃合いだし前から準備もしていたので、次は私がそのきっかけとみなしている松下・ダイエー戦争についてでも書いてみましょう。

2015年6月7日日曜日

フジテレビの「~パン」シリーズにおける起死回生策

 昨日は自転車サークルで暑い中約70キロ走ったせいか今日はやけに体重く、昼ごはん外に食べに行った後で昼寝してましたがいまいち今日なにしたかという記憶曖昧です。晩御飯には8元(約160円)の卵チャーハン食べて12元(約240円)のケーキ買って帰ろ。

視聴率1%台でフジの「○○パン」がついに打ち止め? 局内からも「パンが多すぎる」と批判の声(週プレNEWS)

 そんなけだるい気分の中、ちょっと気になったのが上記のニュースです。フジテレビの代々の新人女性アナがMCを務め、そのMCの名前から無理やり「~パン」とするトークバラエティ番組シリーズの視聴率が絶望的で打ち切りが健闘されている模様です。このシリーズ番組は初代MCの千野志麻アナの名前に引っ掛けて「チノパン」となって以降、「アヤパン」とか「カトパン」とか、こう言っちゃなんだけど無理して番組名にするなよと思うような名前のMCにも無理矢理「~パン」としてやってきており、最初のコンセプトの時点でいろいろ間違ってたんじゃないかなと個人的に思います。

 現在は永島優美アナによる「ユミパン」という名前で放送されているようですが視聴率は上記のとおりひどいもので、もうこの際だから打ち切ったらどうかってのが上記の記事内容です。しかしもし何でもやっていいのであれば私の中には一つ、起死回生の腹案があります。
 それはどんな腹案かというと、無理矢理「~パン」と名前を付ける人物をMCにつけるのではなく、始めから「~パン」と呼ばれている人物を持ってくる、具体的に言えば、現役在職時代にネット上で「チンパン」とあだ名された福田康夫元首相をMCに持ってくるという柵です。

 この方法なら「~パン」という無理矢理なネーミングにねじ込む必要がないどころか初めから「チンパン」で定着しているし、福田元首相が普通の女子アナがやってるようなグルメレポートやエステ体験をしてテレビ番組に流せば視聴者も反応するだろうし、官房長官時代の様に「ここのエステはまぁ、人並みには見られるようにはなるんじゃないですか」などとまるで他人事のようなレポートしてくれればしめたものです。
 またちょっとお堅いニュースも報じようってのなら福田元首相から政治家へアポなし取材をかけてもらうのもありかもしれません。アポなしとはいえ、元首相からのインタビュー依頼を断る政治家なんてそうそういないでしょうし。

 私案ながらこの起用策は決して悪くない気がします。ですので落ち目のフジテレビには是非とも福田元首相にこのコンセプトで出演依頼をかけるべきでしょうし、役に立たない女子アナなんてわざわざ番組に使うこともないでしょう。

 最後に本題とは関係ありませんが、知ってる人には有名ですが最初に挙げた千野志麻アナは2013年に静岡県のホテル駐車場内で男性一人を轢く死亡事故を起こしております。千野アナには昔の傷を穿り返すような書き方になるのでいくらか申し訳ないと思うのですが、この事故後、千野アナは逮捕されないまま書類送検となり、罰金刑を受けております。
 仮にこのような死亡事故を一般人が起こした場合、警察はまず間違いなくその当事者を逮捕した上でメディアも実名などをニュースで報じることになるでしょう。では何故千野アナは逮捕されなかったのかですが、知名度が高く逃亡が難しいと判断されたとも考えられますが、それにしても事故後の警察の対応は非常に温度差があったように感じられます。

 またこれとは別に、事故被害者が赤信号で飛び出して来たとか、別の車に弾き飛ばされて轢いてしまったなどの不可抗力ともいえるケースでも、死亡事故を起こした当事者は事故後に職業とフルネームがメディアによって報じられてしまいます。刑罰には社会的制裁も含まれるとはいえ、このような不可抗力と思えるケースでもそこまでの制裁を受ける必要があるのか強く疑問を覚えます。はっきり言えば、飲酒運転など当事者に強く起因する事故でない限りは名前などは報じるべきではないというのが私の意見です。

2015年6月5日金曜日

安けりゃいいってもんじゃないプライベートブランド

 「トップバリュ」や「セブンプレミアム」などで既におなじみのプライベートブランドですが、今日は少し昔話と共にこの販売戦術の表と裏について私の思うことを書いていきます。

プライベートブランド(Wikipedia)

 プライベートブランドとは主に小売企業が主体となって行われる、自社で商品を企画・開発してメーカーに生産委託し、自社のブランドで販売するという手法を指します。このプライベートブランドという販売手法によってどのような効果が得られるのかですが、上記リンク先のウィキペディアに各方面のメリットとデメリットがきれいにまとめられているので、そこから引用いたします。

<メリット>
  消費者側
・ナショナルブランドとほぼ同品質の製品を、より安価に購入できる。
・ナショナルブランドにはない高品質・付加価値のある製品を購入できる。

  販売側
・商品の仕様を容易に変更できるため、小売店・消費者の声を直接反映した商品を販売できる。
・宣伝・営業費用や卸売り業者は不要であるため、ナショナルブランド商品よりも粗利益率が5 - 10ポイント程度高く、販売価格を自由に設定できる。
・原材料・製造方法・仕様を指定することで、商品にオリジナリティのある付加価値をつけることができ、企業・ブランドイメージの向上を計ることができる。

  メーカー側
・一定量の販売が確約されることにより、閑散期でも工場稼働率を上げて効率よく生産できるため、コスト削減が可能となる。
・売上を安定させることでメーカーの経営が安定する。
・ナショナルブランドの開発・売込みの土壌を作ることができる。

<デメリット>
  消費者側
・ナショナルブランドと同じように見えても原材料や配合比率・加工方法・内容量を変えている場合があり、風味・食感に影響を及ぼしたり、品質が価格相応もしくは割高になる場合もある。
・販売店はプライベートブランド商品を優先して取り扱うためにナショナルブランド商品の取り扱いが削減され、商品の選択の幅が狭められる場合がある。
・当初からナショナルブランドより低価格の商品が多いため、特売商品となりにくい(賞味期限の近い食品などの割引を除く)。
・大半の商品で製造者が記載されていないため、消費者から製造者への意見を直接伝えるのが難しい。

  販売側
・全量買い取りであるため売れ残りが出ても返品できず、他社に転売することもできない。また追加生産のタイミングを誤ると長期間品切れになってしまうので、常に在庫リスクが発生する。
・食中毒や異物混入などの事故が発生した場合、製造者に代ってクレーム対応などの責任を負わなければならない。また生産終了後のアフターサービスも行わなければならない。

  メーカー側
・並行して生産しているナショナルブランド商品の売り上げが減少することがある。
・商品によっては粗利益率がナショナルブランドよりも10ポイント程度低くなることがある。
・販売側の指摘する規格と誤差が生じた場合、商品の受け取り拒否をされることがある。とくに食品の場合は転売はおろか中身の詰め替えもできず、大量の在庫を抱えたり、そのまま処分しなければならず、本来回収できるはずの費用が入ってこないため、資金繰りが苦しくなる。
・受託生産の依存度が高くなるとナショナルブランドの開発力・営業力が低下し、工場の稼働率が発注元の発注量に左右される。

 上記の列記された内容は非常によくまとまっており、この内容を覚えればプライベートブランドに関しては物知り博士と名乗ってもいいくらいです。ただもうこれ以上私から書くことはないと言えばそれまでとなっちゃうので、昨今のプライベートブランドの状況について続いて書いてきます。

 まず結論から言うと、プライベートブランドで最も成功しているのは間違いなくセブンイレブン、イトーヨーカドーで展開される「セブンプレミアム」と言っていいでしょう。このセブンプレミアムは消費者にも大分浸透しているように思え、またその品質と価格が幅広い層に評価されて商品幅も年々拡大しているように見えます。実際に私も日本にいた頃にセブンプレミアムの商品を買って試してたりしましたが、商品によってはナショナルブランド商品よりも割高なものもありながら品質に関しては文句がなく、値段を考えれば割に合うかと思えました。
 ただこのセブンプレミアムで一番重要な点は、品質や価格がいいから売れているというよりも、ナショナルブランドを完全に締めだしているから売れているという点もあるのではないかという気がします。これも私の体験ですが、ステーキ焼くのに味塩コショウを捜したらセブンプレミアム品しか置いてなく、いつも買っていたダイショーの商品が置いてなかったのでやむなく前者を購入しました。味塩コショウに限らなくてもセブンプレミアムにはこういうことが多く、不満はないのですけど選択肢が狭まっているような印象を覚えます。

 そのセブン&アイホールディングスのライバルと言ってもいいイオングループでは「トップバリュ」というプライベートブランドを展開していますが、失敗とまでは言わないまでもライバルには大分差をつけられているように思えます。価格面は確かに安価な製品が多いですが品質に対しては私の周りでは評価は高くなく、私自身も正直に言えば「安かろう悪かろう」という印象を持っています。
 さらに近年では2013年にイオンに米を卸していた三瀧商事が国産米として中国産米を偽装して販売していたことが明るみになり、これの煽りを食ってかトップバリュの製品も産地表示などで大きく疑念を持たれるようになったのも追い打ちをかけています。しかも事件が本格的に明るみになる前に週刊文春が産地偽装米がイオンの弁当などに使われていることを報じた際はイオンは事実を否定した上、文春を売り場から撤去するとともに損害賠償請求を起こしており、こう言ってはなんですが事実隠蔽と見られかねないまずい対応を取ってしまっております。


 あくまで個人的な意見ですが、この時のまずい対応を消費者はやっぱり覚えているように見えます。そのためトップバリュに対しては「安かろう悪かろう中国産だろう」のイメージが強く、このイメージを解き放つのは並大抵ではないでしょう。またプライベートブランドは文字通りその小売企業の看板を背負った商品であり、商品イメージの悪化がそのまま企業イメージにも大きなダメージを与えることにもなりません。

 実際に過去、プライベートブランドのイメージが悪くて販売する小売企業のイメージまで大きく悪化させた例があります。それは何かというと、かつての小売王者であるダイエーの「セービング」というプライベートブランドです。
 私が子供だった頃、ダイエーでこのセービングのコーラが1本50円くらいで売っているのを見て、「すげーコーラが半額だ!」と驚きながら親にねだって買ってもらって飲んだところ、あまりの不味さに全部飲み切れずに捨ててしまったという苦い思い出があります。コーラに限らずセービングの商品はどれも価格は極端に安かったものの品質が悪く、アナリストなどからも消費者のダイエー離れを加速させる一因になったとも指摘されています。
 私の中でもあの不味いコーラのイメージは強烈で、二度とセービングと名のついた商品は買うものかと北斗七星に誓ったほどでした。でもってダイエーに足を運ぶことも減ったわけですが、ダイエーのその後の顛末は歴史の通りです。

 何が言いたいのかというと、プライベートブランドは企業の看板を大きく背負っているだけに品質が悪いと会社そのもののイメージも大きく悪化するという傾向があるのではということです。そのためいくら商品を売るため品質を落として価格を下げるやり方は逆効果で、そういう意味では多少割高であっても高い品質を維持した方がブランドイメージは守れるのではと思います。
 そう考えるとセブンプレミアムの路線はなかなか理に適っており、今後もスタンダードの位置を維持していくんじゃないかと私は見ています。

  おまけ
 マッドシティの潜伏地ではヨーカドーが近かったのでよくここで買い物してましたが、あの店舗は売り場の配置が変な形になってほしい商品がなかなか見つからないことが多かったです。一番苦労したのは100円の羊羹探しだったっけな。