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2015年10月29日木曜日

千葉のマッドシティ~バーガーキング松戸西口店(閉店)


 昨夜、友人からスカイプで、「知ってるかもしれないけど松戸駅前のバーガーキングが潰れたぞ」という通知を受け、何故かやたらとショックを受けて今日はこの記事を書こうとその場で決心しました。ってか昨夜は友人とスカイプで日本シリーズの実況中継を楽しんでたので久々に休んじゃったけど。

 知らない人にはさっぱりちんぷんかんぷんでしょうが松戸駅の西口を出て伊勢丹方面へ向かって立体歩道を歩いて階段を下りると、不二家レストランの隣にこのバーガーキングがありました。このバーガーキングには私自身もよく行ってて、多分松戸に潜伏している最中は週一くらいのペースで通っててポイントもどんどんたまるもんだからスチール製マグカップももらうくらいに通ってました。
 なんでそんなに通ったのかというと、一に駅から近いので帰りに寄りやすかったのと、二にバーガーチェーンでこのバーガーキングが実は一番好きだったためです。バーガーキングはマクドナルドと比べてバーガーのボリュームが大きく、晩飯に食べる量としては私にとってちょうどいいボリュームだったので数年前から好んで通うようになりました。

 ちなみに昔の自分であればファーストフード店に週一で通うなんて不健康じゃないかと懸念したでしょうが、香港で働いていた時に毎日夜遅くに帰るもんだからマクドナルドかバーガーキングしか選択しなくてしょうがなく通っていても健康は全く崩れる様子はなく、「要は栄養とかよりも日々のストレスの方が体に悪い」と開き直ってからはファーストフードに抵抗がなくなりました。そのせいか今でも毎週マクドナルドかケンタッキーに行っては優雅に食事しています。

 話は戻りますがこの松戸店は潜伏地にも松戸駅にも近いもんだから本当によく通っており、仕事帰りにここでメシ食いながらパズドラするのが私の中で一種ステイタス化していました。ある日などは「1000円出せば30分おかわりし放題」のキャンペーンに乗ってハンバーガーセットを2セット食べたこともありました、重量的にはそれほどでもない量であるものの、元々のカロリー数が半端じゃないせいかこの時はさすがに私も「ねこあつめ」の「まんぞくさん」みたいにお腹パンパンになって帰る足取りが重くなったこともありました。それでも翌週にはまた来たけど。

 そんなそこそこ思い出のあるバーガーキングが潰れてしまって、まぁショックと言えばショックです。松戸駅周辺の店ではここ以外にも地下にある喫茶店と元ラリーストがやってるカレー屋にもしょっちゅう通っていましたが、それらに負けず劣らず通っていた店なだけに文字通り行きつけの店の消失と言っていいでしょう。潰れたってことはやっぱり客が多くなかったってことでしょうが、マクドナルドを含めてファーストフードチェーンはこのところ逆風が吹いているだけにきつかったのかもしれません。

 あとこれは友人の意見ですが、「松戸じゃやっぱりハンバーガーよりもラーメンの方が受けるんじゃないか」という、ジャンルの違いも原因として考えられます。何度かこの連載でも取り上げていますが松戸は知る人ぞ知るラーメン激戦区で、松戸駅前にも「なんでこないいっぱいあんねん」と思うくらいにラーメン屋がたくさんあります。まぁ自分がいつも行くのは松戸駅東口前の日高屋で味噌ラーメンしか頼まないんだけど、この前店の中で宮崎大医学部に通う友人と携帯で話してたら店員に、「携帯での通話はご遠慮ください」と注意され、「あ、そういやここ中国とちゃうんや」と思って反省しました。

 話が横道逸れてばっかですが松戸で求められるファーストフードはハンバーガーではなくやはりラーメンなのか。確かにそういう雰囲気があり、マクドナルドも東口のゲームセンターと同じビルに入ってるけどなんか激しく混んでいる印象ないだけに、案外そうなのかもしれません。
 それにしても、あのバーガーキングがなくなったのか……。ちなみに今住んでる昆山市内にもバーガーキングがなく、しょうがないから今夜はマクドナルドでビックマック食って帰ってきました。

2015年10月27日火曜日

このところの車内広告

 今記事書いている最中ですが日本シリーズでスワローズの山田選手が三打席連続でホームランを打つという快挙をしたと速報が出て、文字通り目を疑いました。本当にこの人はこれからの日本野球界を日ハムの大谷選手などと共に引っ張ってく人なのかもしれません。

 話は本題に入りますが、今月初めに日本へ帰国した際にいつもの如く電車の車内広告を細かく観察しておりました。なんでこんなことをやるのかというと広告というのはその当時の社会を映す材料としては大きなもので、トレンドを見る上ではどんな広告が多いのか、またその広告に使われている効果はどんなものかを見ることで少なからず把握できると広告屋の息子なだけに子供の頃から意識してみていました。

 それで今回の帰国時に気になった点を挙げると、第一にまず「消費者金融からお金を取り返します」といった類の弁護士事務所の広告がすっかりなくなっておりました。2014年くらいまではいやでも目に付いたような気がしますが、どこをどう探しても一件も見つからないほど駆逐されてて時間の流れを感じるくらいです。その一方、空いた広告欄には何が入ってきたのかが気になる所ですが、私の見る限りだと一番広告量が多かったのはアコムやプロミスに代表される消費者金融だった気がします。

 さらっと書きましたが非常に皮肉な話で、グレーゾーン金利の撤廃によって大手を振っていた消費者金融が社会から散々叩かれ、その先鋒を弁護士事務所が行っていたというのにひとたび時間が流れたらまた消費者金融が大手を振って広告を出してしまうという。やっぱり叩かれても死なない連中というか企業というか。昔学生時代に友人が、「消費者金融の広告があちこちに貼られている社会ってどんなもんやろか」って言ったセリフが思い出されました。

 なおほかの車内広告となるとやっぱり疲れたサラリーマンに見せると効果があるのか転職会社関連が多く(ドアの窓に多い)、他は栄養剤とか学校の募集案内が目立つくらいでした。これらは万年同じで変化はなくそれほど興味はなく、電化製品とかの広告が昔と比べてずいぶん減ったなぁという印象くらいしか湧きません。
 あとこれは逆の話というか、都内の列車を見ていても広告欄に空きがある車両が数多く見られました。これは単純に広告主が出ていない証拠でもあるのですが、以前は地方ならともかく都内では確実にすべて埋まっていたことを考えると随分と人気が落ちたもんだなと思え、広告業界の苦しい現状が見て取れます。

2015年10月26日月曜日

平家物語と日本人


 いつも変な行動ばかりとっているヤクルトスワローズの畜ペンことつば九郎ですが、この写真には一瞬うるっとさせられました。まぁこの時は高橋由伸選手の監督就任はまだ決まってなかった段階でしょうが、発表された後で見ると一味違います。

 それで話は本題ですが、先日私は「腐女子のDNA」という記事で源氏物語が日本古典文学の最高峰の様に取り扱われるのは過大な評価では、支持層の大半は昔も今も女性ではないのかということを主張しました。ならば日本古典で何が最大の傑作なのか少し考えたところ、すぐ出てきた結論というのは平家物語で、下手すればこれは現代にも続く日本人の価値観を形作った作品ではないかと思えてきました。

 平家物語とは何かについての解説はするまでもないでしょうが、この作品のテーマは何かとなるとそりゃやっぱり「無常観」という言葉に尽き、言い換えれば「滅びの美学」といったところになるでしょう。権勢絶頂期の平家の記述から始まり、その平家が源氏によって徐々に追い詰められ没落し、またその平家を打倒した源義経もまた兄頼朝によって追い込まれるという過程は冒頭で語られる「諸行無常」以外の何物でもありません。
 こうした滅びの美学をテーマにした悲劇作品は日本に限らず他の国や文化圏においても数多く見られますが、それらを考慮してもやっぱり日本人はこういう無常系作品を好む傾向が強いような気がします。この平家物語以降も太平記や忠臣蔵、人物においても来年の大河に使われる真田幸村や新撰組など、勝利の栄光を勝ち取る側よりも滅びゆく側に強いスポットが当てられ共感する人間も多いように思え、実際、栄光の大勝利で終わる作品といって私がパッと浮かぶものと言ったら「坂の上の雲」こと日露戦争ものしかないような気がします。

 また文学作品のみならず、「徒然草」や「葉隠」といった無常観を主とする随筆や思想書も後の世に生まれていますが(徒然草は平家物語と同時期に成立したのかもしれませんが)、うがった見方をすると平家物語の価値観が日本人に根付いて、だからこそこうした無常系作品が未だに受け入れられているのでは、大きく出れば日本人の魂を形作ったのは平家物語じゃないかとすら思えてきたわけです。桜の鑑賞においても満開ではなく塵り際こそが最高潮とされ、命が誕生したり、最高に輝いている瞬間ではなく、事切れる直前の最後の灯にこそ日本人は美を見出しており、現代においてもこれは大きく変わらないでしょう。

 無論、平家物語の思想背景には仏教、そして中国から渡ってきた老荘思想が大きく影響しており、根っこは何かとなればこの両者だと断言できます。しかしこと文学作品の枠で見ればこの平家物語が無常系のトップランナーで、また日本人の価値観に強い影響を与えている可能性を考えると、古典最高峰として置くにはこの作品しかないというのが私の意見です。

 最後に以前にも昔書いておりますが、私の曾祖母は平家の隠れ里出身だったため私も家系的には平家寄りだったりします。

2015年10月25日日曜日

私の記憶の仕方

 また本題と関係ないですが映画評論家の前田有一氏がこのほど、幸福の科学が有り余る予算を使って作った「UFO学園の秘密」というアニメ映画の批評を行っていたので今日読んでみました。批評内容の概要を私なりに述べると堂々たる予算を使っているだけあってアニメーションの出来も悪くないものの、後半に待ち受ける教義丸出しな説教的展開によって見に来る人間を選んでしまっているというものでした。その上で前田氏は、「個人的にはネット民が喜ぶ架空戦記など作ればウケるのではないかと思うのだが」と踏まえた上で、

「尖閣諸島にせめこんだ中国軍の快進撃と、トボけて高みの見物を決め込むオバマを前に、安保法制も日米安保条約も無力と知り絶望する日本人。陰で握手して笑う中米の最高指導者たち。尽くしてきた恋人アメリカにふられ、涙目の安倍首相。そこに突如現れたエル・カンターレ(山本太郎)が日本を救う──なんてストーリーを、リアリティあふれる軍事スペクタクルとしてぜひ作ってほしい。」

 なんていいますか、普通に見てみたいなこんな映画と思ってしまう自分がいました。

 そんなわけで本題に入りますが、先日高校時代の友人に高一の頃にあった別のクラスメートとの思い出話を聞かせました。内容はそんな大したものではなく、入試の手伝いのため休日に登校して手伝った後に学校から振る舞われたのは牛丼だった。でもって食べようとしたら牛肉一枚を床に落としてしまったので蓋の上に置いておいたら蓋に貼り付いた肉を自分が気が付いてないと思ってクラスメートが盗み食いした。「それ床に落ちた肉だよ」と伝えたら「早く言えよ」と言われ、手伝いが終わった後はそのクラスメートと別の友人と一緒にカラオケに行ったという内容でした。

 内容自体はそれほど大したものではないですが、友人曰く「怖いくらいに細かいことをなんでも覚えてるよね」とのことでした。別にその友人に限らなくてもほかの人からも私の記憶力については誉められるというか畏怖されることが多く、特に多い反応として、「そんなこと言ったっけ?」という、言った本人すら覚えていない過去の発言を私は覚えていることが多く、その発言時の情景、前後の会話などを含めて説明すると相手も記憶を取り戻していくのですが大抵、「なんでそんなこと覚えてるの?」と、非常に不気味そうな目で相手は私を見てきます。

 実際の所、こうした記憶力を披露する相手は前もって選んでいます。というのも気味悪がられるのを私自身もわかっており、数年前にあったことなどを話しのネタになると思いつつも敢えて口には出さずスルーすることも少なくありません。学生時代の友人などはある時私の記憶力について、「誰がどういう順番でどんなことを言ったのかを全部記憶していて、たまにコンビ芸人のネタも全部言ってしまうこともあるが正直怖い」と評していました。
 本人としてはそれほど特別なことをしている自覚はなくただ何となく覚えているから口にしているだけなのですが、周囲の反応を見ている限りだとやっぱり異常な記憶の仕方をしているんだとは考えています。ただ記憶力がいいといっても物覚えという意味ではそんなに大した水準ではなく、たとえばIQテストの様に短時間でどれだけ覚えるかといったものは実は苦手で、あと相手の顔と名前を覚えるのは実は苦手だったりします。

 では私の記憶で際立っているのは何か。恐らくですが何をどれだけ記憶するかというより、一度記憶した物を意識化に呼び覚ます能力の方じゃないかと分析しています。会話の中で関連するキーワードが出てきたら、「ああ、それなら」という具合にデータベースから関連する項目の記憶を引っ張ってくる「引き」が強いため、何年も前の出来事や会話なども一瞬で思い出して来れるのではと考えています。

 私自身、15歳くらいの頃から意識的に記憶力を高めるよう心掛けてきましたが、どっちかっていうとそうした心がけや行動よりも今の自分の記憶力は先天的な要素が大きいように思えます。そんな自分と比べて周囲の人間の記憶の仕方について比較すると、なんていうか記憶の整理の仕方が自分とは違うんじゃないかとこの頃思えてきました。
 記憶を本にたとえると、周囲の人は古い本の上に新しい本をどんどん積み重ねていくようなスタイルをしており、そのため新しい記憶は上の方にあるからすぐ持ってこれるけど古い本は下の方に埋もれているため引っ張り出すことはおろか探すのにも苦労します。
 それに対して私の場合は本棚に横並べするようなスタイルで、新しい本も古い本も背表紙を向けてずらっと並んでいるので一目で探したい本を見つけ取り出せる。感覚的にはこんな具合で、一度覚えた内容であれば、もちろん新しい方が思い出しやすいですが、古い記憶も新しい記憶もそれほど差がなくさっと引っ張り出せるというのが大きな特徴のような気がします。

2015年10月24日土曜日

横浜高校野球部監督の教育論

 また今月の文芸春秋からの引用記事ですが、甲子園で幾度もの優勝をかっさらった横浜高校野球部を50年に渡って引っ張った渡辺元智前監督のインタビュー記事がなかなか面白かったので紹介しようと思います。

 渡辺氏は24歳で同高校野球部の監督に就任し、今年5月に引退するまで甲子園で春夏優勝5回を経験し、また松坂大輔選手をはじめとして横浜高校出身のスター選手を日本プロ野球界へ数多く送り出しており、名実ともに名監督と呼び声の高い人物です。そんな渡辺氏ですが部員の指導方法については「ひとつの指導方法でやってきたわけじゃない」と、冒頭から述べております。

 監督就任当初の渡辺氏は昔のスポ根ドラマよろしく、鉄拳制裁を当たり前のように行って指導してきたそうです。この指導方法について渡辺氏は当時の世相というか戦後は軍隊出身の指導者が多かったため誰もが殴られて教育されてきており、また他校でも当たり前のように行われてて練習試合でも野球そっちのけで双方のベンチで監督が選手を殴り飛ばしていたそうです。
 しかしそうした鉄拳制裁も次第に通用しなくなってきたそうです。通用しなくなった理由について渡辺氏は、若い当時は優勝実績がつくとともに周囲からちやほやされやや浮かれた生活を送ってしまい、そんな姿を部員たちが見透かしていたせいではないかと分析しています。ただそうした事態に至ってから立ち直りは早かったというか、一方的にこうしろという指導をやめて選手との対話を重視した指導へと切り替え、これが功を奏して1980年には愛甲猛氏を擁するチームで夏の甲子園優勝を達成できたと述懐しています。

 しかしこうした「対話路線」もそう長くは続かず数年でまた勝てなくなり、仕方ないので今度はアメリカの野球チームを参考に「伸び伸び野球」を打ち出したところチーム内に「甘え」が蔓延して余計に勝てなくなるという余計に悪循環となってしまいました。転機となったのは松坂世代が入ってきたころで、この世代は松坂選手を筆頭に後藤選手、小池元選手、小山元選手など後にプロ野球でも活躍する人材が大量に入ってきた年代だったため、彼らをきちんと使いこなせば必ず優勝できると確信が持てたそうです。
 しかしこう言った才能ある部員たちは渡辺氏によると「往々にして我が強い」とのことで、ひとまとめな指導ではとても対処できないと考え部品一人一人に合わせた指導を採用することにしました。具体的にはある選手には厳しく指導する一方で別の選手には誉めることを重視したり、またほかの人には体調管理の重要性を説いたりと、現代では当たり前とされる指導方法ですが98年の段階でこれを実践していたということはやはり渡辺氏には先見の明があるように感じられます。

 直近の指導方法については現在ロッテで活躍している涌井選手を引き合いにして、「メールでのコミュニケーション」をしたことが書かれています。なんでも松坂選手はどれだけ厳しく叱っても後でフォローすればきちんと彼も応えてくれたそうなのですが、涌井選手は一回叱ったら俯いて、誰とも話をしなくなってしまうため渡辺氏も、「叱り過ぎたのかな?」と度々感じたそうです。そこでマニュアルを必死で見ながら涌井選手の携帯にメールでフォローした所ようやく「わかりました」と返事が来てほっと一安心できたと書いてあり、それ以降はまめにメールで選手たちと頻繁に連絡を取り合うようにしていたそうです。ってかほんとマメだなこの人。

 自分の指導について渡辺氏は、選手に成長してもらいたいという信念だけは変わりはなかったものの、その指導方法は時代と共に常に変化していた。むしろそういう信念があったからこそ変化できたとまとめており、さすがベイスターズより強いのではと言われるくらいに横浜高校を牽引してきた監督だと感じるほど読み応えのあるインタビュー記事でした。

 本題とは少し外れるかもしれませんが、戦争指揮において参謀が将軍に優越する指揮システムを確立させた人物として、ドイツのモルトケという軍人がおります。彼の時代のプロイセンでは「戦争論」を著したクラウゼヴィッツなどが活躍しており戦争を学問体系的に分析する動きが強かったのですがモルトケはこうした動きに反発し、「戦争に不変の原則などないという事実のみが不変である」と述べ、従来の概念からは考えられないような鉄道や無線を活用した戦争指揮システムを導入し、ビスマルクと二人三脚でプロイセンを強国化させました。
 私自身もこのモルトケの意見というか概念を日頃から重視しており、不変なシステムなどほとんどなく時代とともにシステムはどんどん変えていくべきだと考えており、この渡辺氏もそうした価値観だったからこそ名監督足り得たと今回感じた次第です。

  おまけ Wikipediaに載っている渡辺氏の指導を受けた主だったプロ野球選手
青木実
永川英植
愛甲猛
高橋建
鈴木尚典
紀田彰一
多村仁志
松井光介
松坂大輔
成瀬善久
後藤武敏
小池正晃
荒波翔
涌井秀章
石川雄洋
筒香嘉智

大学ランクの壁、そして下剋上

 先日、日本から中国へ戻る飛行機を待っている間、空港の売店でかなり久しぶりに文芸春秋を購入しました。元々私は文芸春秋を購読していたものの姉妹雑誌の週刊文春で不必要と思うくらいに橋下大阪市長へのバッシング記事が続いたことに反感を持って数年前に購読をやめていたのですが、そろそろ過去は忘れてもいいかなと思ったのと、今月号(11月号)の特集が教育関連議論でその中に池上彰氏と佐藤優氏の対談が入っていたので、衝動買いの様にして買って持ってきました。

 掲載されていた記事や対談はどれも面白くこれからまた少しずつ記事化していく予定ですが、先ほど挙げた二人の対談では日本の大学の役割、そして改革案が中心となって語られており、自分は全然その存在を知らなかった「ビリギャル」という慶應大学の入試に合格した女の子について佐藤優氏が、「彼女は受験科目として使用した小論文と英語だけが合格水準にあってその他の科目は恐らく一定の水準に達していないだろう」的なことを指摘して、こうした偏った学力の学生を入学させることは問題があるとさりげなくディスっていました。
 なおこの佐藤氏の指摘を友人に話したところその友人は、ビリギャルが自分の受験体験をまとめた本の表紙に自分自身ではなくモデルの女性を使用したことについて、「結局女は見た目で決まるというようなことを自分でやっておいて何がビリギャルだよ。自分の実績をピーアールしたいなら自分が表紙に出ろ」とこっちもディスっていました。まぁ私もこの友人のいわんとしていることに同感なのですが。

 話は本題に入りますがこうした大学関連の改革話を聞いていてふと、「何で日本で最高峰の大学は東大なんだろう?」という妙な疑問がもたげました。こんな風に考えたのもちょっと前に戦前で本当のエリート校だったのは東大ではなく陸軍大学校だとか、エリート養成校として真に優れていたのは陸軍中野学校(佐藤優氏の主張)だったとかそういう内容を思い出しており、どうして現在では東大が一番なのか、否、どうして東大が一番に固定されているのかという点について疑問を覚えました。

 そりゃ東大は官制学校として一番金もつぎ込まれているだけでなく入試難易度でも文句なしにトップクラスです。しかし米国の大学ではアイビーリーグというトップクラスの大学ランクは存在するもののその中の順位や価値は常に変動していると聞き、特にハーバード大学を未だにありがたがっているのはアジア人だけで実は外国人留学生が学生の大半を占めているという噂も聞きます。
 大学の価値を推しはかる上で伝統は確かに重要な要素であるものの、真にその価値を見定める指標としては輩出した卒業生の質と、学内での研究ではないかと思えます。何が言いたいのかというと本来なら大学のランクというものはもっと変動があるべきで、この辺の競争システムが日本国内の大学業界では上手く働いていないのではと考えたわけです。

 先ほども言った通り日本でナンバーワンの大学と言ったら東大、次いで京大というのは戦後ずっと変わりがありません。国立大なんかは予算や教員などの面で政府も絡んでいるだけあってこのように順位が固定されるのは多少はしょうがない気がします。では私立大学はどうか。全く変動がないわけではないもののあるとしても同じ大学ランク内の優劣の逆転程度で、大学ランクを飛び越えた変動となるとほとんどあり得ないといっても問題ないでしょう。

 日本の私立大学のランクとなると最上位は言うまでもなく早慶こと早稲田大学と慶応大学です。以前はこの二者の実力は伯仲していたそうですが現在は私の見る限り明らかに慶應の方が上回るようになり、実際につくば市の風力発電機事件や小保方騒動とその対応を見ていると早稲田の水準は世間が見ているより実は低いのではと思うところもあります。もっとも、今思うと早稲田の凋落の始まりはスーパーフリー事件からだったのかなという気もしますが。

 関東圏内だとこの早慶に上智大学を加えた「早慶上智」という言葉もありますが、実は私はこの言葉にあまりピンと来なかったりします。というのも関西圏だと早慶のネームバリューは依然と高いものの上智大学についてはその存在すら知らない人間も少なくなく、高校時代までは関東にいたものの進学後は関西で過ごしてた私からすると「早慶上智」はいまいち実感の湧かない言葉だったりします。はっきり言えることは上智大学は早慶ほど全国的なネームバリューはなく、上智OBの方には申し訳ないですが早慶よりは一段劣るだろうというのが私の見方です。

 その早慶上智の下となると、今後はMARCH(+学習院)というランク層になり、その下は今度は日東駒専が来たりします。私の見る限りだとこれらも同ランク内での変動はあってもランクを越えた変動は数十年なく、なんていうか面白みに欠けます。
 では関西私立はどうか。こちらは最上位ランクにあたる「関関同立」というグループがあり、関西学院大学と立命館大学で2~3位の変動がたまにあるものの基本大きな変化はありません。ただその下の「産近甲龍」の中では近年大きな変動が起こっており、具体的に言うと近畿大学が目覚ましいばかりの躍進を続けています。

近畿大、志願者数で連続トップに 私立大の一般入試(朝日新聞)

 かつて大学入試の志願者数と言ったら早稲田大学か明治大学がトップの座をいつも争っていたのですが、なんとこの二大学を抑えて2014年と2015年は近畿大学がトップに躍り出てきました。近畿大学は関西圏にあることから東京の大学と比べ「上京への憧れ」という面でハンデを抱えておりますが、そのハンデを抱えながらトップに出たというのは控え目に見ても素晴らしい偉業と言っていいでしょう。

 何故近畿大学がトップに出たのか多方面で分析がされているものの、ほぼ一致した意見として「近大マグロ」ことマグロの完全養殖に成功した実績が世間に評価されたものとされ、私もこれに同感です。本人らもそれを自覚しているのか、「近代ってマグロだけだと思ってない?」という言葉が書かれた全面マグロの大学PRポスターを作ってたりしていて、見ていていいセンスを感じます。
 実際に近畿大学がどれほど躍進してるのかなと偏差値ランキングを少し見てみましたが、偏差値レベルでは同ランク内で明らかに最上位に入っており一部学部では関関同立をも上回っているところもあるほどで、もしかしたら絶対不滅と見られていたランクの壁をも超えるんじゃないかと思うくらいの勢いぶりです。

 先ほども書いたように大学の質を測る上でもっとも重要な指標は卒業生の指標、そして研究実績の二つです。近畿大学はこのうち後者で見事な成功を収めて躍進しており、今後もこう言った方面での競争が進んでランクの壁が破られて行けば日本の教育界も全体的な底上げが起こるのではないかと思っており、近畿大学には密かに期待していたりします。
 逆を言えばほかの私立大学についても小手先の改革に頼らず、学生の質向上に取り組みながらいい研究実績を作るなどといった、まともな方面の努力でもって大学ランクの壁を破るような下剋上を達成してもらいたいものです。なんでも競争に巻き込むことは私も反対ですが、真に競い合うべきところは競い合うに越したことはなく、そうした切磋琢磨によって世の中よくなってほしいものだというのが今日の私の意見です。

2015年10月23日金曜日

腐女子のDNA

 最近多いですがまた先日に友人と話した時の話題に、「なんで源氏物語が日本文学の最高峰の一つとして位置づけられるのがわからない」というものがありました。源氏物語が現在確認されている日本史上で最初に成立した小説であることには疑問の余地がないものの、果たしてこれが文学作品的に優れているかどうかとなったら正直疑問です。
 このように考えるのも源氏物語のストーリーがいろいろとアレで、短くいってしまえば母親に似た継母とか幼女を筆頭に女性をとっかえひっかえ(そのくせ正妻には手を出さない)するのがメインストーリーという、恋物語というかただのマザコンとロリコンのコンボを叩き出す変態物語なだけではとそこはかとなく感じるからです。ちなみに当時の感覚でも紫上に手を出そうとする光源氏はロリコンのように見られてたと当時の貴族の日記にも書かれてます。

 もちろん源氏物語には女をとっかえひっかえするだけの小説でないということはわかってはいますが、それにしたって現代から見ても内容がちょっとアレすぎやしないかと思うわけです。作者の紫式部なんて現代で言えばレディースコミックの作家にしか見えないという風にまた私が友人を前にして吠えていると、「レディースコミックと言えば、源氏物語の支持者って女性が多くないか?」という疑問が突然もたげました。

 ただ単に私が物を知らないだけなのかもしれませんが、源氏物語を持ち上げるような男性著名人となるとなんだかぴんと来ず、逆に女子大の教授とか瀬戸内寂聴先生など女性人だといっぱいいるような気がしてなりません。詳しくデータ取ってないで言うのもなんですが恐らく源氏物語の支持者は女性がやっぱり大半だと思え、また成立間もない頃も同じ状況だったのではと伺える資料もあったりします。
 その資料とは「更級日記」で、これは菅原道真の子孫にあたる菅原孝標女が自分の半生を綴った日記なのですがこの中で彼女は子供の頃、たまたま家にあった源氏物語の一部を読みふけって非常にはまり、何とかしてでも全巻揃えたいと訴え続けた末に念願かなって叔母さんから全巻をもらった時には、「ヒャッホー!(゚∀゚)」と言わんばかりにその喜びを表現して、貪るように読んだことが記されています。ってかこの時の菅原孝標女って十代前半だと思うけど、その頃からこんな本読んで大丈夫なのかという疑問がもたげますが……。

 この記事で何が言いたいのかというと、日本女子は昔も今もレディース系の激しくきっついストーリーが好きだった、平たく言えば腐女子だったのではという仮説です。自分は文系なので「日本人はDNA的にこれこれ~」という説明や主張は大嫌いであるものの、ことこの腐女子の系譜については日本女子のDNAと言っても差し支えないのではと少し考えています。
 ちなみに自分は過去に何度かレディースコミックをなんかの手違いで読んでしまったことありますが、「え?何これ?何が何だか全然わからないんだけどほんとに需要あんの?(;´Д`)」という感想を持った上では、はっきり言えば「ちょっと無理!」ってばかりに拒否感をリアルに持ちました。女性はあれ見て本当に面白いと思うのだろうか?