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2015年11月14日土曜日

気高き医師たち

 ひとつ前の記事でちょこっとだけ出てきますが、人気作でドラマ化された「Dr.コトー診療所」という漫画を連載中は購読していました。最初に読んだのは高校二年生の時でそれから最新刊が出る度に買ってはクラスメートの間で回し読みさせるくらい熱中し、現在においても文句なしに素晴らしい漫画だったという評価に変わりありません。やや残念な点としては、本人もブログで書いていますが作者の体調不良によって2010年以降は連載が中断しており、このまま未完の作品として終わりそうであるということです。
 なんでまた急にこの漫画の話をするのかというと、主人公のモデルとなった鹿児島県の下甑島で長年離島医をされていた瀬戸上研二郎医師がこのほど退任されるというニュースを見たからです。

「Dr.コトー」のモデルが退任へ…離島医療37年(読売新聞)

 上記リンク先の記事によると瀬戸上医師は74後歳となる今年まで37年間も下甑島で離島医をされていたとのことで、離島医療の現状を伝える活動など様々な方面で活躍されてきたとのことです。漫画の中でもまともな医療設備もなければ輸血用の血液にすら事欠く有様が描かれていましたが、都市部で暮らす人間からは想像もつかないような苦労が数多くあったと思われるだけに瀬戸上医師の長年の勤務については本当に頭が下がります。

 このニュースについて友人と話したところ、「そうは言っても地方の医師は漫画ほどうまく地域に受け入れられないんじゃないのか?」と切り返してきました。私はこの返答でぱっと思いついたのですが、以前に限界集落ともいうようなとある村に外部から医師が赴任してきたところ、なんと村八分にあってせっかく来てもらったのに辞めざるを得なくなったというニュースがありました。村名を出すのはなんか忍びないので、興味ある方は自分で検索して調べてみてください。

 恐らくこの友人のいう通りに、どの医者も村の人間たちとの関係も築けて上手くやってけるというわけではないでしょう。しかし現実問題として日本の各地では無医療無医村ともいうべき限界集落は増えており、該当する自治体では赴任してもらう医師の確保に苦しんでいるとも聞きます。村八分の恐ろしさはもとより、都会と比べて不便な地方での生活、給与面での問題など様々な障害はあり、普通に考えればなんでもってそんなところへ働きに行かなきゃならないんだと傍観者的な価値観からすると思えてしまいます。

 しかし、以前というかかなり昔に読んだコラムで、ある人(名前や団体は失念)こうした無医村に医師を斡旋する活動を始めたところ本人が思っていた以上に多くの医師が応募してきたと書いてありました。応募してきたどの医師も自分が地方の医療を支えるんだという強い意志を持っており、また都会の大病院では大量の患者を診るため文字通り「患者を捌く」ように診療しなければならないため、もっと患者とじっくり向き合って診療をしたいという希望を持つ方もいたそうです。
 仮にこの話が本当であるならばなかなか世の中も捨てたもんじゃないと思えると同時に、気高い医師というのは存外に多いのではとも思えてきます。実際、医療現場の方々は看護師にしろ医者にしろ全体的に高いモラルを保っているとされ、彼らの献身あって予算も人員も減らされるなかギリギリのラインで医療現場は水準が保たれているという話をよく聞きます。

 しかし、残念ながらというか彼ら気高い医師たちよりもメディアはどちらかというと不祥事を起こした医者の方をより多く取り上げようとします。かなり昔ですが「ポケット解説 崩壊する日本の医療」鈴木厚医師の講演を聞いたことがありますが、彼曰くテレビに出てくるようなゴッドハンドとか呼ばれ名医とされる医師たちはテレビに出る時間だけ診療をサボっている医師で、もっと毎日現場を底辺で支えている「ゴッドハート」のような医師たちこそ取り上げるべきだと強く主張されていました。もっともそのすぐ後、「ならお前もこんなところ講演してる場合かと言われるのですが」と、自分でツッコミを入れていましたが本当に漫才師かっていうくらい話のうまい医者でした。

 しかし鈴木医師の言わんとしていること、現場を支えている日の当たらない医師たちこそもっと注目すべきであるというのは同感です。離島医をされていた瀬戸上医師もそうですがこういった医療の最前線ともいうべき場所にいる医師というのはなかなか知る機会がなく、彼らが日々どれほど診療し、どんな勉強をして、どんな治療を行っているのか、普通は目に入ることはありません。
 これは前にテレビで見たある獣医師の例ですが、朝から夕方まで診療し、一時帰宅して食事を取ると夜間の急患対応に出て、夜寝る前に外国の医療論文を睡眠時間を削ってまで読むなどして勉強をするという、本当に頭の下がる生活をされていました。このような生活リズムはこの獣医師に限らないことでしょう。

 少子高齢化が進み医療問題が紛糾する中、ついつい医療費の制度とかばかりに目が行きがちですが医療の根本ともいうべき医療従事者にももっと目を向けるべきではないか、その上で現場を支える気高い医師たちをもっと知るべきだと友人と会話していて思ったわけです。

漫画レビュー「健康で文化的な最低限度の生活」

 あんまりやっちゃいけないと思いつつもこのところ紹介はしておきたい漫画が多いので続いている漫画レビューですが、今日は柏木ハルコ氏の「健康で文化的な最低限度の生活」という漫画を紹介します。書いてて思ったけど「今日は」っていうより「今日も」だな。

健康で文化的な最低限度の生活(Wikipedia)

 タイトルがなかなか凝ってありますが、この漫画は生活保護をテーマにした作品です。主人公は東京都の区役所に入った新人ケースワーカーの女性で、彼女と彼女の同期を中心に生活保護を受給している人たちとその支援の姿を追った作品であります。テーマがテーマなだけに連載開始当初から各方面から注目されて朝日新聞などにも取り上げられたそうなのですが、確かにこの「生活保護」というのは嫌が応にも普段生活していて気になるというか目に入るキーワードでもあり、また某売れっ子お笑い芸人の家族が受給していた事件が取り沙汰された時も大きな話題となっただけに、「年金」と並んで日本国民の関心事でトップ3には入るんじゃないかと思います。もう一つは今だったら「くい打ち」かな。

 作品の展開は基本的に主人公たちが担当する生活保護受給者とその家族が中心で、彼らへの就業支援や生活状況確認を通してトラブルを発見し、解決への道筋を探っていくような流れになっています。巻末には取材協力者、団体の一覧が載せてありますが、確かにこの作者は作品を読んでて生活保護というかケースワーカーについてよく取材しており、その仕事描写などは非常によく描けている印象があります。生活保護と言ってもそのシステムや受給に至るまでの過程、受給後の支援などはどうなのかは案外知る機会が少ないのですが、そうした部分へのとっかかりの様に生活保護とはどんなシステムなのかを知る上ではよく出来た構成になっていると太鼓判を押せます。
 あとこれは私の主観ですが、よく取材しているなぁと感じた点として主人公たちの着ている服に注目しました。一体どんな服かというと男性キャラは基本Yシャツにネクタイ姿ですが女性陣はブラウスにスカートやズボンが多く、しかもその組み合わせが程よくダサいというかババ臭かったりします。偏見かもしれませんがなんか役所の人たちってこういう服着ている人多いなぁというかパシッとした格好の人が少ないと前から思ってただけに、よくそういう情景見ていると変な所ですが共感しました。

 と、ここまで解説しておきながらですが現在この作品は連載が中断しております。公式発表では作者の体調不良だそうで、現在単行本は2巻まで出ておりますが連載は現在も再開されておらずその目途も経ってない状態なので続刊がでるかとなるとやや微妙な状態になっております。
 しかし、敢えて言わせてもらうとこのまま続きは出さない方がいいのではないかと私は考えています。あくまで私の評価ですが、今後連載が続いたとしてもこの作品は面白い展開が広がっていくとは思えないからです。

 先程にも書いたようにこの漫画は決して面白くないわけではなく人に全く薦められない作品ではありません。にもかかわらず何故このような評価をするのかというと、読んでていくつか気になった点があって連載を続けていくにはちょっと厳しいのではないかと感じたからです。

 気になった一つ目のポイントは、展開される話が取材で聞きかじった内容そのままなのではないかと思えた点です。各話で個別の生活保護受給者の状況と彼らへの支援の姿が描かれてはいるのですが、そのどれもがどこかで「生活保護者の実態」などのような特集で見たり聞いたりしたかのような内容で、「えっ、こういうケースとかあったんだ」と思うような意外性がほとんど感じられませんでした。
 私の想像ですが、取材で聞いた内容をほんの少し弄ってストーリーが作られているのではと思う節があり、取材内容を元に換骨奪胎させて自分の作品として仕上げるために付け加えるオリジナリティが余りにも欠けているような気がします。生活保護の実態をありのままに描くという目的で書かれているのかもしれませんが、結局それでは制度紹介漫画に終始してしまうこととなりかねず、「漫画家の作品」としてみるならばこれは大きなマイナス点になるのではと私は見ます。実際、回を重ねるごとに面白味が薄れていったし。
 なお、この取材内容にオリジナリティを付け加えるという点では「Dr.コトー診療所」が非常に優れていたと考えています。離島医という普段の生活ではなかなかお目にかかれない存在をテーマにしつつ、普通じゃあり得ない難手術を次々と成功させるというあのストーリー展開は今読み返しても見事だったと思える作品でした。

 もう一つの気になったポイントは、これは作者に対して過剰な要求であるということを承知した上で述べると、生活保護を選ぶというテーマ設定は抜群に良かったものの、そのテーマで漫画の舞台を東京都の区役所にしてしまったのは最大の失敗だったと思います。わかる人にはもう私が何を言いたいのかを想像していると思いますが、生活保護制度の問題というのは東京都内とそれ以外の自治体とでは本質が大きく変わってくるからです。具体的に言えば金というか予算の問題で、東京都は比較的予算が潤沢であるのに対してそれ以外の自治体はどこもカツカツの状態の上で税収は右肩下がり、なのに受給世帯は増えていて膨れ上がる支給費に対して限られた予算をどう使うのか、下手すれば生活保護申請をどこまで受け入れるのかというのが深刻な問題として横たわっております。
 実際にこの漫画の中ではそうした予算の話はほとんど出て来ず、生活保護者に対しても支援するのが当たり前のように描かれていて予算の面で切羽詰った場面は出てきません。ひどく汚い話ですが読者としてはそうした金にまつわるドロドロしたグロテスクな部分こそ一番見たがっているように思え、そうした場面を描けない、描き辛い東京都の区役所を舞台(恐らく取材先でもある)にしてしまったのはテーマはいいだけにとても勿体なかったという気がしてなりません。いい子向けの漫画じゃないんだからさ。
 理想を言えば最も多くの生活保護世帯を抱える大阪府、または人口減で限界集落すらも抱える自治体がこのテーマの舞台としてはうってつけだったでしょう。さすがに「闇金ウシジマくん」ほど激しい描写はいりませんが、やっぱり私も「一体どういう人が生活保護を受給するのか、できるのか」が一番見たかったです。

 以上のような評価から、決してつまらなくはないけど連載再開したとしても劇的に面白くなっていく可能性が低いというのが私の見方です。我ながら厳しい評価の仕方だと思いますが、生活保護ってどんなもんなんだろうと知りたい方にはまだ薦められる作品であることだけは述べておきます。


 

パリ同時多発テロについて

 各種の報道で皆さんも知っておられるかと思いますが、このほどパリ市内の複数の公共施設でテロと思われる事件が同時に発生しました。特に市内劇場では銃の乱射も行われ死傷者が百人を超すほどの大惨事となり、仏オランド大統領が国内で非常事態宣言を発したほか各国のフランス関連施設では警備が増すなどその影響は計り知れないほど広がっております。

 この事件を私は今朝のネットニュースで知りましたが、恐らくほかの人もそうでしょうが真っ先に思い浮かんだのは2001年のNY同時多発テロで、影響で言えばこの事件に次ぐ規模と見て間違いないでしょう。そして今後についても同様で、これ以前からもフランスではテロ事件への警戒は強かったですがこれからはますます強まり、具体的に言えば移民や難民、そして国内のイスラム教徒に対する審査や監視が強まることが予想されます。
 その上でまだ犯人グループの正体についてははっきりしていないものの、各種報道や事件現場にいた方たちの話からフランスによるシリア空爆への参加を快く思わない連中が引き起こしたものなどと見られ、仮にそうだとすればフランスやヨーロッパ各国はシリアへの更に強めるのではないかと思います。この過程は言うまでもなく、9.11以後の過程と同じです。

 では今後日本はどうするべきか。私としてはかつてから主張してきたように日本が欧米に肩入れしようがしまいがただ「貿易をしている」という一点でもってテロリストは日本も標的に入れると思われることから、目立たない形でもいいからISISを始めとしたイスラムテログループの撲滅活動を支援すべきだと考えます。今度の事件を受けてフランス政府は犯人らを、「人類の敵」と呼んだそうですが、無関係の人間を標的にして自分たちに都合のいい主張をする様を見るだに私もまさにその通りだと思え、日本は無関係だからと無視していいものかと言ったらやはり違うような気がします。既に述べている通り、日本がどのような態度を取ろうが彼らは日本人も狙ってくるだろうと思うからです。

 その上でテロが起きる度に攻撃をするという、米国がアルカイダに対して行った行動を再び繰り返せばいいのかという点についてはやや疑問があります。それについてはちょうどこの前に「中心無きイスラム世界」の記事で述べた通り、如何にしてイスラム教圏でまとめさせるかについてもっと具体的で効果のある施策を取る必要がある気がします。こう言っては何ですが、思想無き連中を片っ端から叩き続けても結局はいたちごっこに陥りかねないからです。彼らテロリストグループはイスラム教の教義を唱えてはいますがそれを真に受ける人間ははっきりいって馬鹿でしかないし、その馬鹿どもを如何に別方向へ誘導させればいいのか、汚い言葉で言いましたが結局はこの点こそが真剣に議論すべき個所だというのが私の意見です。

  追記
 なお中国でこの事件はどう報じられているのか少し調べてみたところ、基本的には日本と同じくトップニュース扱いで被害情報といった現地の事実報道を報じております。また習近平総書記がオランド大統領に見舞い電を出し、テロリズムには断固として反対の立場を取ると言う声明を出したことを新華社が報じています。
 ついでに見つけた記事で、何故か日刊ゲンダイのどうでもいい記事を引用して「安倍首相の次は女性首相就任か?」というくだらない記事ものっけてました。


2015年11月12日木曜日

今年の流行語大賞の候補

 本題と関係ありませんがAmazonでの段ボール箱に関するレビューが本来の用途と全く違った用途で話されてて面白いです。

 それで本題ですが今年の流行語大賞の候補が各メディアで発表されたものの、正直言ってどれを見てもピンとこないものばかりで、もう今年は該当なしでいいんじゃないかと思う低調ぶりでした。まだ流行したなと感じられるのは「爆買い」で、それ以外だとそもそも聞いたことない単語ばかりです、「刀剣女子」ってなんやねん。

 逆に自分の中で今年熱いと持った単語をあげるとすれば、やっぱ「佐野デザイン」と「トートバッグ」の二つです。去年は小保方氏、佐村河内氏、野々村元議員を始めとして大物が多数で田中今年はなかなかニュースな人物が現れなかったところ、佐野研二郎氏が彗星の如く現れて話題をかっさらってきたことからやっぱこの人に関連したキーワードを候補に入れるべきだったんじゃないかと思います。一応、「エンブレム」って単語は入ってるけどこれじゃないような。

 なお今年の自分にあったマイブームを述べると、漫画なら近々レビュー書こうと思っている「ちおちゃんの通学路」、ゲームならPSPの「メタルギアソリッド ピースウォーカー」です。

 ちなみに関連するかやや微妙ですが、先週から左側頭部から左首にかけてやけに鋭い痛みが頻繁に走るようになり、9月に中国人からスチール棒で殴られた箇所とちょうど重なっていたことから後から悪いの来たのかな、治療できるのかななんて思いながら痛みに耐えていました。しかし首を回しても痛みはなく、その一方でことある毎に痛みが走り、左耳の奥もジンジンと痛むので筋肉ではなく神経的な痛みではないかと推測して、何か左半身の神経を痛めるようなことはなかったかと反芻してみたところ、「もしかして、パズドラが原因では?」という結論に至りました。

 というのもパズドラを私は左手でタブレットPCを持ちながら遊んでいますが、この際に左手首を自分に向けて返したままタブレットを支える形になり、なおかつ同じ姿勢を長時間維持することから腕から首にかけて左側の神経に負担を抱え、その結果悼むようになったのではと分析しました。以前にもデータ収録作業でCtrl+CとVを交互に押す作業を続けた際も同じ症状があり、ひとまず対策として机に置いてパズドラをやり始めたらあら不思議、痛みがどんどん緩和していきほぼなくなってきました。
 最近になってパズドラは中国でも遊べるようになり、私もこっちで毎日楽しく遊んでいるわけですが、ちょっとはまりすぎだぞ俺と反省しきりです。でも4日前、覚醒イシス取れてマジ嬉しかった。

2015年11月11日水曜日

ヘイトスピーチは規制すべきか

 結論から言えば「Exactly(その通りでございます)」で、何だったら規制法なんかも用意して逮捕も辞さないくらいの態度を取るべきだと私は考えています。

日本のヘイトスピーチ(Wikipedia)

 昨日は久々に電池切れたのか帰宅から元気なくてブログの更新をサボりましたが、私は一昨日の記事でスポーツ界における過激・差別表現に対する取り組みについて最近話題になった事件を取り上げながら比較的どのチームも真摯に対応しているのではと評しました。その一方で日本社会全体ではどうかというとやや対応が遅れているのではないかと思え、その最たる例と思われるヘイトスピーチに対する法的規制などもこう言ってはなんだが緩すぎる気がすると最後に書きました。

ヘイトスピーチに対する私の所感

 上記リンク先は去年私が書いたヘイトしピーチに対する所見ですが、こうして改めて振り返ってみると、最近「ヘイトスピーチ」という単語を全く聞かなくなったような気がして、なんていうか時代が過ぎるの早すぎじゃねって呟きたくなります。個人的な実感としては「ヘイトスピーチ」に対して「シールズ」が取って代わったような感じじゃないかと思いますが、なんでこういうの毎回横文字なんだろう、三国志っぽく「罵詈雑言」じゃダメなのなどなど考えてしまいます。

 話は本題に戻りますが、ヘイトスピーチに代表される過激・差別表現に対して日本社会はちょっと規制が緩すぎるのではないかという気がしてなりません。以前にフランス帰りの知人から聞いた話だと、特定の民族や団体をターゲットにしたヘイトスピーチなどはフランスでやろうものならすぐ逮捕されるとのことで、フランスに限らずああした発言に対して大概の国は厳しい処置で臨んでいるでしょう。
 日本の場合は一応はマスコミなどでヘイトスピーチ団体への批判は起こってましたが逮捕にまで至ったことは私の知る限りなく、一部が名誉棄損の民事裁判で訴えられた末に賠償判決が下りたくらいです。また現在に至ってもこうした発言を法などによって規制するような議論は出ておらず、恐らく今後も出ないままでしょう。

 こうしたヘイトスピーチに対する法規制の話が出るとヘイトスピーチ団体からは、法規制を行えば表現や政治活動の自由を侵害するなどといった反論が毎回出てきます。しかしこうした反論は私に言わせれば論外であって、自由というのは他者の自由を侵害しない範囲で認められる概念であって、そうした前提を無視した反論は一顧だにする必要はないでしょう。
 このほかヘイトスピーチとそうでない発言を区別する基準が曖昧だから法規制はすべきではないという意見もありました。特に政治絡みだとわかり辛いなどという人が当時結構いましたが、これに関してもそれほど悩む必要はなく、明確な基準はあるのだからそれに従えばいいだけです。その基準というのも前回の記事でも書きましたが、発言目的が社会の改善を目指すのか、特定の団体や人物への憎悪を煽るものなのかという基準です。

 言うまでもなくヘイトスピーチは制度の改革や改善を目的としたものではなく特定の団体や人物への憎悪を煽ることが主目的であって、本人らがいくら政治目的だと主張したとしてもそんなの嘘っぱちだということは明白です。逆にどれだけ強い言葉の主張であっても、政治改革を目的とした発言は政治発言だとしてとらえて規制すべきではないというのが私の立場です。
 ちょっと方向性違うかもしれませんが、そういう意味では2011年に起こったフジテレビ抗議デモはアリだったと考えています。このデモは韓流偏向を批判するもので一部で韓国に対する民族差別的要素があって問題だという声もありましたが、主旨としては偏向報道の是正が第一であるように感じられたし、実際に当時のフジテレビがそう思われても仕方ない報道をしていたとも思います。

 繰り返しになりますが日本社会は未だにこういった差別発言への規制なりが緩いように感じられ、また議論のレベルも低いように感じられます。2020年に東京五輪を控えているだけにもっとこの辺というか政治発言と差別発言の区別が社会全体で明確になるよう対策を取っておくべきではないかと、この前の記事を書きながら思った次第です。

2015年11月9日月曜日

スポーツ界の過激・差別表現に対する取り組み

<日本ハム・空港広告>「アイヌ民族に配慮欠きすべて撤去」(毎日新聞)

 先日、プロ野球の日本ハムファイターズが新千歳空港に「北海道は、開拓者の大地だ。」というコピーを書いた広告を出したところ、北海道アイヌ協会から先住民の歴史を無視したかのような内容だとして抗議を受けました。最初のニュースを見た時点で私としては、北海道自体が明治以降は紛れもなく開拓者がたくさん来た土地でもあるから大きな間違いではないし、日ハム自身もここに球団本拠地を置いて野球ファンを「開拓」したのだからそこまで目くじら立てなくてもいいのではと思いつつ、かといって何が何でも出さなければとこだわるようなコピーでもないが日ハムはどう対応するだろうかと気になっていました。
 最終的に日ハムはこの抗議を聞き入れ、ポスターを撤去して新たにデザインし直すことを決めたのが上記リンク先のニュースです。日ハムは以前にもアイヌ語を広告に取り入れるなどアイヌ民族への配慮を行っていたことも影響したのかもしれませんが、なかなかに素早い決断と対応で、東京五輪の佐野ロゴ問題が無駄に長引いた後だけにこの落とし方は傍から見ていて実に見事だったと思います。なんていうか、すぐ対応したわけで見ていてなんか気持ちいいし。

「ぶちくらせ」応援、14人を無期限入場禁止に(読売新聞)

 この日ハムのポスター問題に限らず、このところスポーツ界において表現の仕方が大きく取り上げられるケースが増えてきているように思います。日ハムとは少し方向性が違いますが、上記のサッカーJ2チームのギラヴァンツ北九州を舞台にしたいわゆる「ぶちくらせ」表現問題も密かに注目していました。
 この問題は一部サポーターが横断幕に地元方言の「ぶちくらせ」という言葉を使うことに対してチームが懸念を示して横断幕の撤去を要請したもののサポーターは拒絶したことから、今回チームは件のサポーター14人を撤去に応じるまで無期限入場禁止にしたのが上記ニュースです。

 こちらの「ぶちくらせ」という言葉は地元の言葉で「倒せ」とか「殴れ」という意味の言葉だそうでサッカーの応援に使うには過激すぎるとチームは考えたそうですが、サポーター側の言い分を報じた記事では地元の方言を使って応援したい、そこまで過激な表現ではないというようなことが書かれていました。
 あくまで私個人の所見ですが、特段違和感を感じなかった先程の日ハムのコピーと違ってやっぱり「ぶちくらせ」って言葉は言われたりするとちょっとドキッとするというか、聞いてて少し怖さを感じます。音的に「ぶっころせ」に近くて同じようなイメージを想起してしまいますし、「打ち倒せ」とかと比べるとどうも過激に聞こえるだけになるべくなら使ってもらいたくないと思えこの件でもギラヴァンツ北九州の対応は間違っていないのではと支持します。

 以上、スポーツ界における過激・差別表現に対する取り組みとして二チームの例を取り上げましたが、やはりスポーツというのはエキサイトしやすいものなだけに表現に対して万全な注意を払う行為が必要だと感じると共に、どちらのチームも比較的熱心かつ真摯に対応してよくやっているなと感心します。恐らくと言っては何ですがこうした対応の背景には昨年J1の浦和レッズで起きた差別横断幕事件も担当者の念頭にあったのではないかと思え、スポーツは日本国内だけではなく世界中のファンが見つめる(可能性のある)舞台で、様々な人種や文化を持つ選手が参加するだけにそのリスク意識も高く持っておく必要があるのでしょう。
 なお浦和レッズの事件に関して述べると、当のサポーターはあれこれ言い訳を述べていましたが、「JANANESE ONLY」なんて差別に使う以外ほかに使いようのない表現で全く以って問題外な行為だったと私には思います。レッズもその試合で初めて掲げられたことから果断に対応出来なかったようで少し同情する気持ちもありますが、さすがにこの件に関しては無観客試合という制裁を受けることになるのも無理ない気がします。

 まとめとして述べると、日本のスポーツ界は一般社会よりもこうした過激・差別表現に対して比較的注意深く対応していると見ていて感じます。逆を言うなら日本社会はこうした問題に対してちょっと対応が鈍いのかなと思える節があるので、続きは次回の記事にて最近あまり聞かなくなったヘイトスピーチについて取り上げます。

2015年11月8日日曜日

漫画レビュー「飯田橋のふたばちゃん」

 先日、冷凍たこ焼き好きの友人から、「これは是非読んだ方がいい」と、イーロン・マスクの本に続いてある漫画を紹介されました。

飯田橋のふたばちゃん(Wikipedia)

 この漫画はどんな漫画家というと、ごくありふれた女子高を舞台にした女子高生四コマ漫画です。ただ一つ他のゆるふわ系四コマと違うのは、登場人物全てが漫画出版社を擬人化したキャラクターであるということです。
 具体的にいうと、主人公のふたばちゃんは双葉社がモチーフになっており良くも悪くも全く特徴のないキャラで、そのほか集英社、講談社、小学館、秋田書店など有名漫画出版社がモチーフで、それぞれが発行する雑誌の性格や連載漫画の特徴をもっているという設定です。こう説明していてもピンとこないでしょうからいくつか特徴をあげると、集英ちゃんは万能でなんでもそつなくこなすがビジネスライクな性格で芽がないと思ったら10回で打ち切ろうとしたり、講談ちゃんはスポ魂な性格で他人の作文課題にもやたら介入しようとし、小学ちゃんは書類や配布物をしょっちゅう紛失するラブコメ体質ののんびり屋さんで、わかる人にはわかるツボを確実に抑えられて作られています。あ、あと秋田書店はヤンキー。

 そうした各キャラの特徴が一番うまく比較できてるネタとして「鳴かぬなら」で始まるホトトギスの俳句をどう読むかというお題があって各キャラがセリフ言うのですが、折角なので下記に引用します。

「根性で鳴かせろホトトギス」(講談ちゃん)
「ゆるりと待とうホトトギス」(小学ちゃん)
「一年半待とう冨が…いやホトトギス」(集英ちゃん)
「タイマンはろうぜホトトギス」(画報ちゃん←少年画報社)
「喰らってしまえホトトギス」(秋田ちゃん)
「平和(ピンフ)狙いだホトトギス」(竹書ちゃん←竹書房、麻雀漫画多いから)

 わからない人にはちょっと厳しいネタですが、よくもまぁ見事に各出版社の特徴を掴んだネタだと読んでて唸らされました。特に麻雀ネタだと竹書房のキャラがスクウェア・エニックスのキャラに対して、「てめぇのファンタジー麻雀に今日は勝つ」というセリフもあったりして、よく無事に出版できたなぁと思えるくらいきわどいネタが飛び交ったりします。
 もっともきわどいネタ関連で言うと各キャラクターの姉妹関連の方がいろいろとヤバかったです。姉妹誌を妹キャラとして出してくるのですが、スクウェア・エニックスに関してはお家騒動で一部編集者と作家が独立したことから「生き別れの姉妹がいる」と描くのはまだいいとしても、秋田書店に至っては「赤い核実験場」と呼ばれる「チャンピオンREDいちご」をモチーフとした「いちごちゃん」という妹キャラが出てきて、都条例関連でしょっちゅう問題起こしているが大丈夫かという問いかけに、「大丈夫ですよ、本番はNGですから」という、わかる人からしたら本当に恐ろしいセリフを吐かせたりしています。

 書評に戻ると、非常に各キャラクターと出版社の特徴をうまく組み合わせてあり正直に面白い漫画だと太鼓判を押せます。難点としては漫画業界の事件やネタに詳しくないとややわかり辛い所があり大衆向けかというとそうではないですが、なるべくネタ元がわかりやすいようにして作者も描いており、ネットで調べるなどすればまだわかる範囲なのでまだ許容できるレベルだとは思います。
 あとコンセプトだけでなく単純に四コマ漫画としてみても良質で、地味にギャグのテンポが素晴らしかったりします。ボケやツッコミの切れが鋭く、なおかつ三コマ目にボケとツッコみのセリフを入れた上で、四コマ目でさらにボケを入れる畳み掛けのような手法がいくつか見受けられ、作者のギャグセンスとコマ回しには文字通り脱帽しました。仮に出版社を擬人化しただけではこれほどの面白さは得られなかったと思うだけに、コンセプトの発想といいこのテンポの良さ一つとっても大した作家だと思えます。

 なお上記にも書いてる通り読んでて大丈夫かと思うくらいきわどい業界ネタが多いのですが、あとがきによるとこれは作者も気にしたものの、普通に出版してくれた双葉社はすげぇと思ったそうです。また作者は双葉社の担当者(「うち妻に出てくる人だ」と作者は言及)から、「体力ないから一発当てたいんだけど」と言われた上で女子高生四コマを提示され、出版社を擬人化することで了解を得たものの、女の子を書くのは苦手で作画は別の人に任せようと捜したところ、「アタシが描く」と言って同じく漫画家の嫁さんが手をあげてくれ、何気に漫画か夫婦の合作だったりします。