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2019年2月5日火曜日

いい漫画とだめな漫画の特徴


 春節だしなにか無駄遣いしようと思って、高島屋で上のお皿を買ってきました。最初は茶碗を買おうと思ってましたが、これ以上増えるとやばいと考え、ちょうど家に足りないと感じていた幅広の皿があったためこっちにしたわけです。

早速カレーを盛り付ける

 さて話は本題ですが、いい漫画とだめな漫画の特徴とはなにか、結論から言えばコマ割りの良し悪しでそれが分かれると思います。どれだけ魅力的なストーリーで、美麗な絵柄であったとして、コマ割りが悪ければ一発で駄作になりえ、逆にストーリーも絵柄も悪いながらもコマ割りがまだしっかりしておれば読む分にはストレスはなく、作品としては成立するかと思います。

 このコマ割りがうまい作家を上げるとすれば、まずは現代漫画の技法を開拓した手塚治虫、次に歴史漫画の大家である横山光輝が私の中で上がってきます。特に横山光輝に関してはやや何回とも言える三国志などの歴史小説を非常にわかりやすい状態で漫画化しており、現実に彼の漫画を読んでて内容の前後や意味がわからず二度見することはほぼありません。コマ割り以前にストーリー構成がうまいこともあると思いますが、あの流れるように読めるコマ割りは正直神がかっていると思います。

 逆にこのコマ割りが悪い漫画を挙げるならば、名指しして少し悪いですが美樹本晴彦氏です。以前内容に興味があったのとセール中であったので彼の「機動戦士ガンダム エコール・デュ・シエル」という漫画を一巻、二巻をまとめて購入しましたが、正直一巻だけにしておけばよかったと激しく後悔しました。兎にも角にも読んでて見づらく、コマからコマへのつながりが非常に悪い上に絵と内容がすぐ一気に飛ぶため展開がつかめず、何度も「今どんな場面なんだ?」と見直さないと内容が全く入ってきませんでした。
 ただでさえ動きの激しいロボットアクションがテーマだというのに、そのロボの動きも気がついたら片方が相手を倒しているような描写ばかりで、よくこんな内容で出せたなと正直不思議に思います。もともとイラストレーター出身ということもあるかもしれませんが、今まで私が見た漫画の中でぶっちぎりにコマ割りの悪い漫画を挙げるとすればこれです。

 またこれとは別ですが、つい最近に巷で話題になっていることから「金田一37歳の事件簿」という漫画を購入して読んでみましたが、これが非常に読みやすい内容で結構驚きました。何故見やすかったのかというとかつての「金田一少年~」当時と同じくコマ割りが完結でストーリーを非常に読ませられる内容であるとともに、近年の他の作家の漫画と違って、背景が簡潔であるためだということに気が付きました。
 近年、漫画制作もデジタル化が進んできたこともあって、撮影した風景写真をトレースするなど、背景が非常にリアルな漫画は少なくありません。ただその一方、非常に密な背景や描写であるため、陰影がはっきり見えなくなってしまうせいかキャラやセリフがなんとなく目立たなくなってきているようにも思え、やはり一定度の読みづらさを感じます。

 それが先程の「金田一37歳」では全くそういうことがなく、キャラの動きやセリフ、状況などがスラスラ読み取れて、「ああ書き込みって多ければ多いほどいいってもんじゃないんだな」という感想を覚えました。特にこの作品のようにミステリーを題材とした、セリフの多い漫画であればなおさらでしょう。もっともさっき述べたような書き込みの多い漫画は概して、セリフも以上に多く書き込む傾向があって余計に見づらくなるのですが。

 書き込みの多い漫画でも、例えば「GANTZ」などのように現代世界が舞台にした漫画などは緻密な書き込みはかえって内容を映えさせます。まぁ「GANTZ」の場合、アクションシーンの描写、コマ割りが非常にうまく、こちらも見返す必要がないほど自然にすっと入ってくる技法があるからこそ成立するのかもしれませんが。
 しかし全体として、書き込みの多い漫画はその書き込みの多さがかえって漫画作品としての価値を低下せしめているようにも感じます。漫画の絵は緻密であればあるほどいいというわけではないというのを最新の金田一を読んで改めて感じた内容です。

 なお「エコールデュシエル」は書き込みが多くもないのに読みづらかったです。ガチで読みづらさにかけてはワーストレベルの漫画だと思います。

2019年2月4日月曜日

あれから二年……

 中国では今日が旧暦の大晦日、明日が元旦のため、今日から一週間のお休みです。最も昨日の段階で有休使って休んでおり、ようやくというか左側頭部、多分リンパ管の異常からくる痛みが引いてきました。

 さてそんな長期連休初日(本当は二日目)、特にやることがないというか昨日の段階で部屋の掃除とか買い物も済ませていたので今朝は九時頃に目を覚ますと布団カバー洗ったりして、割とすぐ自転車に乗ってでかけました。行き先はというと上海市北にある郊外で、お目当てはこれでした。


 覚えている人がいるかは微妙ですが、ちょうど二年前に撮影した実物大エヴァ初号機像です。二年前と同じ場所に鎮座していました。


 なんでここ来たのかというと友人が「あれどうなっている?」とか聞いてきたからです。そのせいで片道一時間半を自転車でえっちらおっちら乗りながら撮影へ行く羽目となりました。自転車で長距離乗るの久しぶりで、結構疲れたし(ヽ´ω`)


 二年以上も風雨にさらされたこともあって、二年前と比べるとやや色褪せてきているのがアップだとわかります。それにしても今日は天気良くて撮影のし甲斐があった。


 たまには後ろからとばかりに取ってみました。靴底見えるのはいいと思います。

 この撮影現場ですが、上海市はマルチメディア産業集積地とするべく商業ビルを整備して関連業界企業などを誘致しているようです。実際に二年前と比べると高層ビルや建物が増え、道路なども格段に整備されてて結構驚きました。このエヴァ像がある場所も、前はフェンスに囲まれた建材置き場みたいなところでしたが、見ての通り公園っぽく整備してあって近くて撮影するのもオープンとなっています。
 念の為場所を書いておくと汶水路と万荣路の交差点近くです。近くまで行けば像がでかいだけにすぐわかるでしょう。この後自宅で洗った布団カバーにアイロンかけてたら友人の呼び出し食らってスーパーまで買い物に行きました。

 それにしても二年前のネタをこうしてまた再掲載するというのも少し感慨があり、この二年間で自分もずいぶん楽な身分になったもんだというのが正直なところです。まぁ四年前と比べると楽どころとか言うレベルじゃなく、危険な状態からよく脱したなという気がしますが。
 ちょうど中国アニメコンテンツ市場ネタの記事もJBpress用に書く予定なので、今回の写真はトップ写真とかに使えそうで、まぁ悪くない撮影でした。

2019年2月3日日曜日

責任を取る人が去り、取らない人が残る社会

 昨年秋に日本へ一時帰国した際に喫茶店でたまたま目撃した「思春期ルネサンス!ダビデ君」の単行本が出ていると知って先程購入しましたが、期待を裏切らない内容で非常に満足しています。やっぱりギャグ漫画には厨二病的なのりが重要なんだということを再確認しました。
 なお「僕のルネサンスに洗濯ばさみが」ってセリフがツボに来ました。

 話は戻りますが例の明石市の泉市長がこのほど辞任を発表しました。統一地方選前に人気切れになることから、だったらもう早くに決着をつけようっていう魂胆だったら全く問題ないですが、そうでなくもし本気で今回の一件で辞任を考えたというのであれば、個人的には非常に残念というか惜しいという気がしてなりません。
 すでに各所でも報じられている通り、泉市長自身の手腕を疑う声はほとんどなく、今回の一件に関しても必要でありながら放置されていた道路拡幅問題という内容であり、むしろあそこまで熱心にこの問題に向き合って対処したという風に世間も受け取っているように感じます。そして何より、直接叱責された職員本人が「パワハラだと感じていない」と証言していることからも、勝手にパワハラだと勘違いしたメディアを含む周囲の人間によって優秀な行政担当者を去らせてしまったともいえるかもしれません。

 以前にもこのブログで主張したことがありますが、現在の日本の出世ルートにおいて非常に重要な要素と言えるのが「責任を取らない、回避する」という概念があります。如何に社会で責任から逃れ続けて無傷で年季を重ねられるかが企業、官界、芸能界などあらゆる業界において非常に重要で、はっきり言えば自分の責任すらも他人におっかぶせるような奴ほど出生しやすいとも言えます。
 その逆に、本来取らなくてもいい、無視してもいいような問題の責任すらもきちんと取って、自らをきちんと処罰するような責任感の強い人間ほど、今の日本社会では日の目を見ません。こうした社会の空気を何となくみんな感じ取っているのか、リスクのある事案に対して誰もが忌避するような傾向が日本人を見ていて感じられます。野球で言えば、頑張れば取れるかもしれないけど失敗したらエラーとなるフライに対し、誰もキャッチを試みないような状況と言えます。

 何もこうしたリスク回避思考、無責任者がのさばるような社会は現代日本に限るわけじゃなくどの時代、どの世界でも多かれ少なかれ存在しますが、はっきり言ってその「程度」で言えば現代日本のレベルは相当高いように感じます。そう感じるのも、20年くらい前の日本であればもう少しきちんと責任を取る人間に対して評価する空気が感じられましたが、今の日本だとネット社会の隆盛故か、糾弾しようとする人の声があまりにも強くなりすぎており、責任をとったが最後一巻の終わりのような空気を感じます。

 で、はっきり言えばこんな無責任者、または責任から逃げ続けてきた人間が出世する社会が良くなるなんて私には思えません。ヤクザの世界にも「お務め」という言葉があるように(今もあるか知らないけど)、責任をとった人間に対してきちんと評価する仕組みや社会がなければ、やはり世の中はどんどんおかしくなっていく気がします。
 今回の明石市の問題ではまだ市長の発言の前後が報じられて世間は再評価を行いましたが、それでもこのような辞任というある意味ごく一部の不心得者以外誰も得しない最悪の結果を招いており、これでなにか良くなることよりも悪くなることのほうがはっきり言って多いでしょう。

 そもそもパワハラというのは、言葉の苛烈さが決めるものではなく、言葉の主張と現実実態の理不尽さによって決まるものだと私は思います。今回の場合は叱責するに足る不手際があったからこそ強烈な言葉(私はそう思わないが)で叱責が起こりましたが、明らかに実現不可能な要求であったり、規制を無視した残業強制などの事案など、理不尽な状況における罵倒こそがパワハラの条件だと考えます。具体的には、「このハゲー!」とか。

 ある意味、自分も必要以上に責任を撮ろうとする人間だからこそ日本の社会から若干追い出された感があります。本来こうした問題は上に立つ人間がきちんと識別して責任と処分をはっきりさせなければならないのですが、責任から逃れ続けて上に立った人間にそんなの期待することはできないだけに、今後もこの問題は続くことでしょう。

2019年2月1日金曜日

で、GDPは?

 長期連休を前にあんまやる気湧かないので手っ取り早く書くと、昨日に厚生労働省の統計不正事件について書きましたが、誰も言及しませんがこの分だとやはりGDP統計も不正が行われているのではと疑わないのはおかしいでしょう。以前にも紹介しましたがここ数年、謎の数値が増え続けており、各方面からも疑問の声が相次いでいます。
 そもそも体感景気と連動していない、家計はどんどん厳しくなっているという人が多いというのに経済成長とはこれ如何にで、こっちの統計は経済産業省でしょうけど、自分の中ではすでに数年前から信用しておらず、デフレも進んでて名目では横ばい、実質ではマイナス成長ではないかと見ています。

 っていうかこれも誰も指摘しませんが、街中にバイト時給額というすごくいい景気のバロメーターあるのにこっちもあまり取り上げられません。去年都内と地方を見て回りましたが、都内は1000円前後、地方は800円台でどこも私が学生だった15年くらい前とほとんど変化がなく、これは何を言えるかというと、名目成長率でほぼ横ばいだということを暗に示していると私は思います。はっきり言えば、全く経済成長していないか、やや微減と言ったくらいじゃないかというわけです。

 ブログに書くのは多分初めてでしょうが、はっきり言えば私は日本の統計を中国の統計よりも信用していません。日本の統計を見る場合は必ず民間などの外部シンクタンクの情報と比較してみるようにしており、最近だと人口統計すらもあんま信用しなくなっています。

2019年1月31日木曜日

厚生労働省の解体案

 最近社内チャットで「オッケー☆⌒d(´∀`)ノ」って顔文字を多用しまくって、「これお気に入りなんだ!」と同僚に言ったら「知ってる」って即返されてなんかちょっと悪いことしたような気になりました。
 あと関係ないけど、微妙に中国のキーボードと日本のキーボードはキー配置が異なっており、多分その関係のミスタイプで今左手の神経やられてるんだと思います。

 話は本題ですが、既に報じられている通り厚生労働省がまたやらかしました。本来全研調査すべき賃金実態調査を報告もしないまま勝手にサンプル調査へと切り替え、またその全容調査もまさかの身内調査だけで済ませようとしてあっさりバレるなど、「日本最高の無能省庁」の名を欲しいがままにしています。
 特に調査に関しては上級役人も同席していたという呆れる内容で、ちょっと古いですけど松浪健四郎氏じゃなくても水ぶっかけたくなります。なお松浪氏はあの時ヤジにカチンときてやってしまったそうですが、同じカチンときた発言で今話題の明石市長だったら今回の調査不手際について、「一軒一軒火をつけて調査してこい!」と言ってくれそうな気がして、もし次の市長選落ちたらこっち方面の官僚の綱紀粛正やってくんないかな。

 話は戻りますが、厚生労働省の言い分ではサンプル調査でも問題ないとのことでしたが、現在行っている再集計によると賃金統計結果の変更は免れず、これまでプラスと出ていた成長率はマイナスにひっくり返るそうです。一部でも言われていますが、今年予定している消費税増税を延期するためにわざとこの統計不正を政府は明らかにしたのではないかという気もしないでもないです。
 なおこの問題について野党は政府を批判していますが、統計不正は2000年代前半から始められており、民主党政権時代ももちろん含まれています。野党は政府の指示だとか忖度だと言っていますが不正期間から考えるとむしろそうした可能性はないと言え、今の野党も政権時代に騙されていたのだから現在の政府をいちいち批判せず、この問題への対応と対策を一緒になって練るのが本来の姿だと私には思います。

 それでその対策についてですが、結論から言えばこの際、厚生労働省は解体した方がいいというのが私の意見です。
 そもそも、橋本内閣時代の行革によって現在の厚生労働省の枠組みが作られましたが、この厚生労働省に関しては誰もが「失敗だった」と口を揃えて言っています。というのも医療・健康と労働というあまり関連性も高くない、ともに大きな社会制度を管轄させてしまい、どちらの業務も中途半端となった上に職員の負担が異常に大きくなったと指摘されています。現実に内閣の厚生労働大臣の負担は明らかに高く、少しでも能力が足らない人が大臣に就任するやあれこれ問題が噴出して手に負えなくなるというのがお決まりのパターンです。

 それに輪をかけて、この厚生労働省の役人は文部科学省、農水省と並んで無能揃いです。今は解体されましたがあの社会保険庁も元々はこの厚生労働省の部署で、あの時も案だけ大騒ぎしたのにまた今回もこのような問題を引き起こすなど、ミドリ十字の薬害エイズ問題の頃から全く体質が変わっていないと今回見ていてつくづく感じました。

 ではどうすれば厚生労働省を是正できるのか。もはや自己改革を期待するには難しく、分解も兼ねて厚生労働省を敢えて「厚生庁」、「労働庁」に分け、他の省の傘下に組み込むことが一番効果的ではないかと思います。他省の傘下に置き、彼らよりましな他省の役人の指導や管理を浸透させることで改革を行うという手法です。
 具体的には総務省、内閣府辺りが上に置くにはいいと考えています。何なら厚生庁、労働庁を別々の省の下に置くのもありかもしれません。それだったら労働庁は

 中には「厚生労働省のような予算や利権の大きな巨大な組織を他の省に置くなんて無理だ」なんて意見が出るかもしれませんが、こうした発言を出す前に日本にはかつて「防衛庁」があったということを思い出せなければ二流もいいところでしょう。

 なおこの他省の傘下に置くという手法の何がいいかというと、今出てきた利権、具体的には天下り先を一気に潰したりするのにちょうどいいです。特に厚生労働量の利権は社会効率を大きく阻害させるもの少なくないだけに、吸収する省に他省甘い汁を吸わせても今のうちにこれやった方がいいと本気で思います。
 もっとも、報道を見る限りではこうした案を既に出している人間もいなければ、今後実行出来る人もいないでしょう。恐らく今回の統計不正も、責任のなすりつけあいだけして何も対策が取られないまま終わるだけでしょう。

2019年1月29日火曜日

明石市長の暴言騒動について

明石市長、職員に「火つけてこい」(時事通信)

 さて巷で話題になっている明石市長のこの暴言騒動ですが、結論から言うと「何が問題やねん」というのが私の意見です。

【空白の7年】明石市長、キレて当然だった(アルファルファモザイク)

 こちらのまとめ記事で書かれているように、「火ぃつけてこい!」という暴言が出た背景としては本来立ち退きを進めるべき持主への交渉をなんと7年もサボっていた職員に対して出てきた発言ということで、件の持主としてはちょっと冷汗覚えるかもしれませんが、これくらい物騒な発言出して怒るのも私としては十分理解できます。
 っていうか、「てめ、殺すぞこのボケ!」って言って灰皿投げないだけまだこの市長は優しいとすら思います、本気で。自分が言うのもなんだけど灰皿とかお皿って投げやすいし、適度に割れるし。

 一部の反応としてこの市長がNHK出身なのにヤクザみたいだという声が見られましたが、断言しますがこれは誤った認識で、元NHKだからこそこうした発言が出てきたのでしょう。というのもメディア業界では世間一般的にはパワハラセクハラとなる発言が日常挨拶のように飛び交う業界で、本気で冗談ではなくメディア業界における「ぶっ殺す!」というのは他の世界の「おはよう!」みたいな挨拶のような言葉で、私自身もほぼ毎日言われながら仕事してました。
 逆を言えば、そういうのに耐えられない奴はこの業界に来るべきではありません。「知らなかった」というのは自由ですが、その責任は自分で取るだけです。

 話は戻りますが私としてはこの市長の言い分は至極適切で、果たすべき仕事を数ヶ月とかならまだしも、7年も放置していたというのは怠慢というよりほかなく、公務員法とかで無理でしょうがクビにしたくなるのも当然でしょうし、実際そこまで無能ならクビにしたほうが業務効率の改善にもいいでしょう。またこの立ち退きは道路拡幅のための措置とのことで、その必要性、重要性から考えると確かに急ぎ対応すべき案件であるように感じます。

 ついでにと言っては何ですが、なんていうかこのところ、自分の世代を含め単純に肝の弱い日本人が増えすぎてて、これはこれで問題である気がしてなりません。「てめぇぶっ殺すぞ!」と数回言っただけで友人が物凄い自分を怖がるようになったので聞くと、「本気で殺そうとするように言うから怖い」と言ってました。本気なら黙って実行するというものを。
 必要以上に恫喝が氾濫するのは意味ないし、恫喝する方も正直言って、怒鳴ってて結構疲れるので無意味だと思いますが、やはり海外で働いていて、大金や会社の責任を左右するシビアなビジネスの場だときつい言葉が飛び交うのはよくあります。そうした環境においてビビらず、自分がどうして正当性を持つのかを主張できるだけの肝の強さは非常に肝心であるだけに、現代人、特に若い世代はもう少し怒鳴られ慣れた方がいいのではと密かに覚えます。

 もちろん、理不尽な怒鳴られ方をされるのであれば抵抗すべきで、むしろそういう場面で上に抵抗する人間は見所があります。
 本来慣れるべきは、この明石市長のような、理不尽ではなくはっきり落ち度のある場面での叱責です。っていうかこの音声流したチキン野郎はあんま反省してないから流したんだろうなぁ。

2019年1月27日日曜日

玉鷲優勝!!

 最近のMicrosoftの日本語入力システムであるIMEは明らかにおかしく、恐らく予測変換に重きを置いているせいか、尋常では考えられない変換をWindows10への移行から繰り返しています。さっきも「優勝→友松」とされて、画面叩きそうになりました。っていうか「友松」なんて単語どこで使うんだよクソが。

 それで本題ですが、本日大相撲初場所で玉鷲関が初優勝しました。今朝ハリーがテレビ番組で、「肩入れしては悪いが長く頑張っている玉鷲に優勝してもらいたい」と話していたようですが、意外とこの人も相撲見ているんだなと感心しました。
 報道によると玉鷲氏は今朝早くに第二子が生まれたとのことで、非常にめでたいというか最高の門出に初優勝を決めており、思わず自分もうるるとさららと来ました。現在の最年長優勝記録の旭鷲山の時もそうでしたが、長年にわたり出場してきた力士が優勝するというのはやはり感動させられるものがあります。

 それにしても今場所は稀勢の里の引退に始まり、やっぱり白鵬優勝(また「友松」と変換された)ペースできたのかと思ってたら御嶽海が再出場一日目にして白鵬を倒してそのまま三連敗、そして今回の玉鷲優勝(また「友松」と変換された)と非常に荒れた場所だったと思います。世代交代という単語を用いた報道もありますが、白鵬、日馬富士、鶴竜(+大関稀勢の里)の三横綱時代が長く、その日馬富士が引退したこともあってパワーバランスが崩れているのは間違いないでしょう。来年以降ニューヒーローが出るか楽しみです。