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2020年1月31日金曜日

かんぽ不正の再調査について

保険契約22万件を追加調査 6万人不利益の疑い、かんぽ不正(共同通信)

 昨日の記事じゃないけど、なんで今更って感じのするニュースです。
 詳細はリンク先にありますが、昨年に高齢者を散々食い物にしてきたことがばれたかんぽですが、前回調査における対象でなかった保険契約22万件、対象者6万人について再調査をすることとなったそうです。内容について具体的な言及はありませんが、時期的に考えて下記の西日本新聞による報道のものではないかと推測しています。

「孫死亡」の保険金、受取人は高齢客 かんぽで不自然な契約相次ぐ(西日本新聞)

 内容を簡単に説明すると、高齢者による生命保険契約なのですが、その付保対象者は高齢者自身ではなくまだ若い息子や孫ばかりで、明らかに寿命の順番を無視した異常な契約内容となっています。その内容の歪さから、契約時には説明の怠慢、または認知能力の低い高齢者を狙ったものかと思われ、どちらにしろ非常に悪質な契約内容です。
 何が不思議かというとこれほど異常な契約内容にもかかわらず、前回の一斉調査時にはこうした契約は調査していなかったそうです。こうした契約が今回の再調査に含まれるかはまだわかりませんが、これまでに調査していなかったというその一点だけとってももはや救いがたい組織であるとしか言わざるを得ないでしょう。

 ちなみにかつてかんぽは「安心・安全のかんぽ」みたいなキャッチコピーを謳っていましたが、「大丈夫!ファミ通の攻略本だよ」といい、「安心」とか「大丈夫」とかいう連中ほど信用はできないものです。

 話を戻すと、かんぽは前回調査結果を踏まえて現在業務停止命令を受けており、今年4月から業務再開する予定となっています。普通の感覚で言えば、前回の不正の時点で通常なら事業完全停止命令が出てもおかしくない規模の問題を起こしていますが、国の事情も相まって非常に穏便な処分に抑えられています。そこへきて今回の新たな不正ほぼ発覚ですが、今に始まるわけでなく自浄能力なんて皆無に等しいのだから、今度こそ完全な事業停止を命じるべきだと思います。まぁなるわけないが。

 それにしても東芝といい最近の企業不祥事は、不祥事の規模や内容よりも、政府との距離の近さによって処分が決まるようになってきたなとつくづく思います。あんまりこういうこと言いたくないけど、日本も中国っぽくなってきたなぁ。

2020年1月30日木曜日

独眼竜の元となった武将

検査拒否した帰国者2人、「検査受けたい」と申し出(朝日新聞)

 さすがに、今更これはどうかと思う。

 話は本題ですが、独眼竜とくれば政宗、政宗とくればずんだ餅というのが連想ゲームの定番ですが、この「独眼竜」という通称は実は伊達政宗に端を発するものではなく、中国の李克用という武将のあだ名から由来としています。

李克用(Wikipedia)

 李克用は唐末期(9世紀末)の武将で、父親も地方軍閥の長という家系の出身です。元々の名字は「朱邪」といいましたが、父とともに従軍して大規模な反乱を収めた功績への恩賞として、唐の皇帝一族の名字である「李」を名乗ることが許され、「朱邪克用」から「克用」へクラスチェンジを果たしました。
 その李克用ですが、どうも生来から片目が不自由だった、若しくは外見的な特徴があったと言われています。そうした外見的特徴と抜群の武勇を誇ることから、いつしか「独眼竜」という通称が付いたそうです。

 前述の通り、李克用は若年の頃から父親とともに反乱を抑え込むなど軍事面で活躍していますが、唐末期の混乱期であったこともあり、父親とともに一度反乱を起こしています。ただこの反乱は失敗して韃靼族の元へ逃亡し、唐王朝からは韃靼族へ李克用らを引き渡すよう要求されましたが、そこらへんは李克用が韃靼族らに百発百中の弓矢の腕をアピールしてどうにかこうにかかくまってもらっています。

 このように一度は反乱を起こした李克用でしたが、何故かその四年後には唐に帰順し、その後は唐の軍人として大活躍します。折しも当時は塩の密売業者である黄巣が反乱を起こしており(黄巣の乱)、中国はまた群雄割拠時代に突入していました。この時に李克用は鴉軍という、全員黒一色の衣装で統一した部隊を率いて連戦連勝し、黄巣の反乱部隊を裏切った朱全忠とともにこの反乱を一気に鎮圧して見せました。

 しかし黄巣の乱の後、唐王朝内部で実力者となった李克用と朱全忠が対立するようになります。軍事面では圧倒的な実力を有する李克用でしたが、宮廷政治の方はからきし駄目だったこともあって、宮廷内の主導権は徐々に朱全忠に握られていくこととなりました。
 なお黄巣の乱の最中、黄巣を裏切ったばかりの朱全忠は黄巣軍から攻撃を受けた際、李克用に救援を求めて救出されています。この際に朱全忠は李克用に慇懃な態度でお礼を伝えましたが李克用からは、「裏切った元主君を相手にするのは大変だろう」とか皮肉を言われたそうです。李克用も以前に唐に反乱起こしているくせにと、内心思いますが。

 話を戻すと、李克用は拠点である山西省に拠って朱全忠との抗争を続けていましたが、そうこうしているうちに唐王朝は朱全忠によって簒奪され、朱全忠が皇帝になってしまいます(王朝名は後梁)。この簒奪劇を李克用は認めるはずもなく朱全忠への抵抗を続けていましたが、後梁の成立から間もなく李克用は寿命で逝去しました。その逝去の際、後継者の息子に対して必ず後梁を打ち倒すように伝えたそうです。
 その後、後を継いだ息子の李存勗は父の悲願を果たす形で内部瓦解していた後梁を打ち滅ぼし、新たな王朝を開いて国号を「唐」としました。なんで「唐」にしたのかというと、前述の通り「李」の名字を前の唐王朝から拝領していたことが理由で、元の唐と区別するためこの新しい王朝は現在「後唐」と呼ばれています。

 自分はこの一連の経緯を社会人になってから学びましたが、本音を言えば高校時代に教えてほしかったなと当時思いました。というのも高校世界史では唐が黄巣の乱で亡んだ後、「後梁→後唐→後晋→後漢→後周」という風に王朝が変わったとしか教えられず、全く脈絡がなく各王朝名をそのまま丸暗記するしかなかったからです。せめてこの李克用の話があれば、独眼竜の由来もわかったし、唐から後梁、後唐までへの流れはストンと消化できたように思え、無駄に覚えるのに苦労させられたという感じがしてなりませんでした。
 歴史の勉強だからこそ、こういうちょっとしたエピソードは大事だというのに( ・´ー・`)

2020年1月29日水曜日

コロナウイルスの細菌兵器研究所流出説について

 わざわざリンクを張るまでもないですが、一部メディアで今回中国で流行しているコロナウイルスは、武漢市の細菌兵器研究所で実験されていたウイルスが流出したものだとする報道が出ています。この件に関する私の意見としては、もっと調べてから言えといったところです。

 この説の根拠としては、多くの感染者が罹患したとされる感染中心源である市場から近いということと、細菌やウイルスを扱っている施設という、この二点しか見当たりません。しかも市場から近いったってその距離は報道によると30キロもあるそうで、なんで研究所から漏れたウイルスが30キロ離れた市場で大量に感染者が出るのか、自分としては腑に落ちません。
 それこそ、研究所の職員が最初の感染源と思しいという情報があればまだ別ですが、今見ている限りだとそうした報道や報告は見当たりません。もっとも陰謀論者からすれば、「中国政府がその事実を隠している」と主張するだけでしょうが。

 正直に言ってこの手の報道は見るだに不快感を覚えます。理由としてはいくつかあり、まずこうした物騒な状況で確たる根拠もなく、単純な連想から感染ルートを推測し、それをそのまま報じるというのは情報の錯綜面からいってよくないと思うからです。こうした報道はひとたび間違えれば妙なパニックや悪意を招きかねず、報道に関しては慎重さが求められます。

 次に、私と同じように考えた人はいるのかやや疑問ですが、河野義之氏の例を思い出すからです。やはり病気や体調不良の感染源というのは人の注目を呼ぶものというべきか、「どこに責任があるのか」という点について世論は追及しがちです。であるからこそ根も葉もない、根拠の薄い説であっても、適当に報じられたら大衆はそれを信じ、糾弾してしまうのだと考えます。
 であるからこそ、こうした感染源に関する情報というのは特段の注意と慎重さが必要であるべきです。なんとなく、他国だから適当なこと言っていいという雰囲気をこの手の報道には感じますが、仮に国内で「30キロ圏内にあるから」という理由だけで、自衛隊の施設を感染源と報じていいのかといったらそれは違うでしょう。

 仮にこの件について報道するというのなら、ちゃんとした根拠や因果関係をもっと詰めるか、安全な所からじゃなく現地取材してから報じるべきでしょう。大体思うけど、事件や事故を無駄に煽る報道をする人というのは現場ではなく、決まって安全なところにいる人間ばかりな気がします。

2020年1月28日火曜日

コンクリート壁に対する断熱対策

 今日は久々に曇りですが雨が止んだこともあり、昼過ぎから行く当てもなくニトリへ行くことにしました。
 なお出がけにアパートの階段降りてたら一階の踊り場で、「ちょっとあんた、WiFiつながんないんだけど助けてよ」と一階の住人の見知らぬおばさんに声かけられ、WiFiのスマホとの接続作業をやらされました。何のことはなくルーターの電源が切れていただけでしたが、おばさん曰く「みんないなくて誰にも頼れず、困ってたのよ」ということでした。こういうところは本当に中国らしい。


 さて上の写真は私の室内にある壁を映したものです。変な感じに次元が湾曲したように見えますが、実際にこの壁は真ん中ほど奥行きが長くなるよう湾曲してます。
 そんな湾曲のことはどうだっていいのですがこの壁、見ての通りにコンクリの地肌がほぼむき出しなため、室内に夏場は昼間あっためた熱を放出し、冬場は外の寒気をガンガン流してきます。夏場はともかく、冬場はこの壁の側にパソコンおいていることもあって、作業中はいつも寒かったです。



 そんな寒々しい壁への対策として今冬から、上記写真のように夏に買ったござを覆い代わりに被せていました。これが結構効果あったというか、寒いっちゃ寒いけど以前みたいに壁からにじり寄るような寒気は大分おさまり、個人的には「これが文明の力だ」などと悦に乗ってました。今朝までは。
 今朝、何気なく頼りがいあるなぁとこのござを眺めてたら、なんか上部の方に埃のようなものが付いているのを見つけました。よくよく見てみると、それは埃じゃなくカビで、ここ数日の窓際の結露によってどうも発生していたようです。慌てて裏面をめくってみると、激しくってほどではないものの表側にはみられないカビの胞子がところどころくっついており、「ござじゃあかんかったんや」と激しく悟りました。


 それで慌ててニトリで買ってきたのが、上の子供用フロアマットです。実はこのフロアマット、今年夏ごろから「次の冬にはこれで行く!」と見定めていた商品でした。ただ前述の通りに夏場に買ったござをおいてみたら意外と効果を発揮したので、購入を見送っていました。
 素材が素材なだけに断熱効果は折り紙付きで、尚且つ値段も600円(40元)くらいと安く、我ながらうまい発想の転換をした気がします。夏場になればばらして保管すればいいんだし。

 なお今日も上海は人気がすくなく、ニトリも一人ではしゃげるくらい閑散としていたのですが、日系スーパーのアピタ行ったらめちゃくちゃ人が来ててびっくりしました。どうも食料とかの買いだめに人が集まっていたようで、日本人店員が話している会話を聞いたら、

「なんでこんなに人多いねん」
「野菜とかもうあらへん」

 と言ってて、実際に野菜売り場は商品がほとんどなくなっていました。一方、肉類は冷凍在庫が多いのか割と余裕があり、あとカップラーメンもなんか極端に少なくなっていました。

 三が日を過ぎて本来なら物流などが動き出す頃なのですが、あちこちでコロナウイルス対策の封鎖、業務停止が段々響いてきているように感じます。差し当たって明日はインドカレー屋でご飯食べようと思いますが、一昨日、昨日、今朝と自作のカレーで食いつないできているので、四日連続カレーデーになりそうです。

2020年1月27日月曜日

公約したZ33


 今日も朝方はやんでいたもののすぐまた雨が降り出したし、上海市にもあんま外出んなと言われているので、Z33型フェアレディZのプラモを作っていました。


 作ったのはタミヤのキットで、前輪が左右に動かず、なおかつマフラーやクランクシャフトなどもシャシーボディにあらかじめ一体化して成型されていたため、組むこと自体は非常に簡単なキットでした。もっとも、ライトのパーツがエッジの聞いたデザインのためはめ込んで接着するのが地味に難しく、この点だけは苦労しました。


 元々このZ33型フェアレディZは日産車の中でも多分一番好きなモデルで、ゲームでもインプ、エボ3、FTOに並んでよく使う車です。もっとも最近、この手の日本車が出てくるゲーム減ってますが。

 今回これ組み立てて改めて思ったこととしては、とにもかくにもスタイリッシュな車で、ボディデザインのカーブは今まで作ってきたプラモの中でも一番優れているように感じます。また写真からも確認できますが、ライト部分のパーツは非常によくできており、はめ込みに苦労はしたものの、フロントもリアも写真の撮り方によっては実車っぽく見せることも出来そうです。特にリアパーツはシンプルな構成ながら、非常に良く再現されています。

 なお塗装は元からやりませんが、仮にボディ色を選べるとしたら迷わずオレンジにしていました。以前スピリチュアリストの方に自分のソウルカラーはオレンジだと言われましたが、そう言われる大分以前に「街道2」というゲームでこのZ33を使っていた際、ボディカラーをオレンジにしていました。またその配色が選べるということもZ33を気にいるようになったきっかけであり、自分とオレンジカラーの因縁を辿ると何気にこの車に行きつくような気がしてなりません。

2020年1月26日日曜日

書評「2050年のメディア」

 昨日朝起きて目覚まし時計を見てみたら、11時を指しててめちゃ慌てました。実際には8時半だったのですが、目覚まし時計が壊れたのか恐ろしい速度で秒数がカウントされるという状態にあり、時間がずれていたようです。
 なので今日新しい目覚まし時計を購入して、元の目覚まし時計の電池を抜こうとしたら2本のうち1本が液漏れしてたのか白い粉にまみれてました。壊れたのもこれのせいだったのかわかりませんが、電池を取り換えても元の目覚まし時計は電源すらつかなくなっていました。

 話は本題ですが、何度か過去の記事でも紹介している「2050年のメディア」という本についてレビュー記事を書きます。

 この本は以前書いたように友人から面白いと言われて勧められたものの、値段が1900円もすることから電子書籍のセールを待つため一旦保留し、年末のセール時に満を持して買いました。大まかな内容を説明すると、インターネット技術の登場により新聞メディアはどのような影響を受けたのかを、実際の企業当事者たちの当時の動向について丹念に取材して、時系列でそのインパクトや変化、対応が追われています。
 元々は慶応大学のSFCで開かれていた著者の講義がベースになっているということから、掲載内容も1つのテーマごとに細かく区切られて載せられています。具体的にはインターネット黎明期における通信インフラ敷設時代、Yahoo発足当初のポータルサイトにおけるニュース掲載契約、読売・朝日・日経の夢のコラボ(であったはず)の「あらたにす」の設立背景、日系電子版の設立経緯などテーマごとに章が区切られており、連載特集記事の様に読むことができて非常に読みやすい構成でした。それでも内容多くて全部読むのに時間かかりましたが。

 この手のネットメディアによる新聞メディア駆逐系の本は、今に始まるわけじゃなくかねてから数多くあります。その手の本とこの「2050年のメディア」の最大の差を挙げるとしたら、「2050年のメディア」は、ネットと新聞、双方の立場からその周辺状況の変化を追っている点でしょう。
 具体的な当事者を挙げるとYahoo Japanことソフトバンク、読売、日経新聞で、中でも読売新聞は恐らく著者にとって最大の取材対象であったことから非常に事細かにその動きが取り上げられています。そのためか、本来はネットメディアとの相克とはあまり関係なにもかかわらず、清武の乱とか2000年前後のプロ野球の暴力団追放運動まで何故か解説されています。

 通常、この手の本はネットならネットメディア、新聞なら新聞メディアの一方向をベースに語られることが多く、どちらかといえば後者の方が多いですが、やや「それでも新聞は滅びない!」的な結論に至ることが多いです。
 それに対してこの本では、先ほども書いた通りにネットと新聞の双方の立場からニュースという者を軸にメディア環境の変化が追われており、非常に示唆に富んでいます。2010年代におけるYahoo Jaopanにおけるニュース配信事業を巡る内部分裂など、こうした取材姿勢だからなこそ終えることのできた代表格とも言えるでしょう。

 また、著者はそれこそネット黎明期からこのテーマを長年取材してきているだけあって、90年代からつい最近の事件まで詳しく追われています。そうした流れを読んでて感じることとしては、以前にも書きましたがこの議論は「ネットVS新聞」なのではなく、結局は「Yahoo JapanVS新聞」であったということも読んでて感じ取れました。

 控えめに言ってもお勧めできる内容で、単純に新聞メディアの90年代以降の動きを追うだけでも読む価値があります。特に私から批判する点はなく、非常に学ぶことの多い内容です。
 最後にこの本の展望にそうならば、この先生き残るのは系列印刷所が少なかったからこそ事業転換を遂げられた日経新聞だけとなるわけですが、いろいろと対策をとってきた読売新聞、というより読売新現社長の山口寿一氏がどういう風に舵を取るのかも個人的には気になります。これまでその名前も知りませんでしたが、この「2050年のメディア」の主人公は誰かとなるとこの山口氏がそうであるように思え、個人的に非常に興味の持てる人物であります。


2020年1月24日金曜日

ゲームレビュー「デイグラシアの羅針盤」

 今日スーパー行ったら、マスクがワゴンに大量に置かれててやたらみんな写メ取ってました。っていうか「写メ」って今でもいうのか?
 上海市内は比較的落ち着いているというか、元々この時期は大量の流入人口が地方に帰るため、街中の人気は少なくなります。そのおかげで自転車も走りやすいのですが、夕方からはまた激しい雨になり、明日は政府に言われなくたってあまり外出できそうもありません。

デイグラシアの羅針盤(公式サイト

 そんなわけでゲームの話ですが、昨夜この「デイグラシアの羅針盤」というゲームをクリアしました。このゲームはアドベンチャーで、大まかなあらすじとしては完成したばかりの深海遊覧船に乗り込んだところトラブルに遭い、水深700メートルの深海で主人公を含む六人が脱出を図るというよくあるパニックものです。
 私はSwitch版を購入しましたがお値段はなんと900円と格安設定でしたが、正直に話すと、あまりにも安いからシナリオが短くてすぐ終わるんじゃないかと当初考えていました。

 しかし、結論から言うと上記の予想は外れました。この作品はエンディングが三つで、分岐選択肢もたった二つしかないものの、盛り込まれたテキスト量は非常に膨大で、ゆっくり遊んでいたのもありますがプレイ時間はそこそこ要しました。
 またアドベンチャーゲームの肝であるシナリオの質も単純に優れており、SF(深海・フィクション)に求められる科学的考証も非常に説得力ある内容がしあげられており、ちょうど深海魚のホウネンエソが状態がいいまま釣り上げられたというニュースが出ていた時期であったことから、シナリオ中に出てくる「生物発光」の話とかが興味深く読むことが出来ました。

 他の人のレビューを見ていると、元々は同人ゲームとして作られたことからBGMや一枚絵がやや乏しい出来という意見が多くみられますが、私個人としてはこちらはそれほど気になりませんでした。BGMがしょぼいったって初代プレステ、いわんやスーファミ時代のアドベンチャーゲームと比べれば質は優れており、その時代を知っているが故か最新のゲームに音質で劣るとしてもそんな気になる程度じゃありません。少なくとも情景に外れたようなBGMはありませんし、一枚絵に関してもそんな頻繁に用意されたところでシナリオが悪ければ無意味です。
 同時にそういったレビューでは、音声が入っていない点を残念点として挙げる声もありました。この点に関しても、確かに最近のアドベンチャーゲームで音声なしはもはやかなりレアとなってきていますが、あったらあったでいいとは認めるものの、必ずしも必要かといったらそうではないと私は思ってます。やはりアドベンチャーゲームはシナリオがほぼすべてといってよく、音声も演技良ければいいけど、ひどい演技の音声入ったらそれはそれでひどい始末であり、そこまで音声の有無はこだわらなくていい気がします。

 さすがにシナリオのネタバレを書くのは良くないのでそこらへんは自重しますが、この作品について制作陣は、今もなおアドベンチャーゲームの傑作として名高い「ever17」をリスペクトして本作品を制作したと語っています。生憎私はマルクス主義的(意味のない、空虚)な理由から「ever17」を遊んだことはないのですが、この作品を作った打越鋼太郎氏のゲームは先日も取り上げた「AI:ソムニウムファイル」などを筆頭にそこそこ遊んでおり、「ever17」がリスペクトされるというのよくわかります。

 ただ全シナリオを読んで率直に感じたことを述べると、「デイグラシアの羅針盤」はむしろ、うみねこのなく頃に」の制作者がその作品で本来やり遂げたかったであろうテーマを正しい意味で見事にやり遂げているように感じました。

 「うみねこ」の方で多少のネタバレを含みながら説明すると、この作品では「シュレディンガーの猫」箱の解釈に対する選択性、いうなれば読者(プレイヤー)の読後における解釈選択における基準なり規範、方向性というものをシナリオに取り込もうとしていたと考えられますが、はっきり言えばこの試みは完全に失敗しています。
 失敗した理由は明白で、本来はSFに属すジャンルをミステリーと無理やり両立させようとしたためです。また制作者は当初プレイヤーに意図を隠す目的もあってか作品についてのコメントでミスリードを仕掛けた節がありますが、これがらさらにかえって逆効果となり、ミステリー性とSF性の相互背反性を余計に際立たせる結果したもたらさなかったように見えました。

 一方でこの「デイグラシアの羅針盤」は、シナリオジャンルとしては徹底的にSFです。「サイエンス・フィクション」なのか「深海・フィクション」なのかはどっちでも取れますが、ミステリーな謎解き要素もないわけではないものの、大別して計三本のシナリオが同じシナリオベースの上できちんと独立構成されていることから、互いに妨害し合うというコンフリクトを起こしていません。さらにその三本のシナリオは舞台設定を除くと、「白い部屋」というある場面のみによって連結しており、この「白い部屋」をどう解釈するかによって、この作品の真実はどれだったのかということが様々に解釈可能です。
 「遭難した深海遊覧船で、本当のところ何が起きていたのか」について、はっきり明示された回答は用意されていませんが、「恐らくこうなんじゃないのか?」という解釈は複数用意されており、それをどうとるかは完全にプレイヤーの自由です。またその複数ある解釈はどれもしっかり構成されているので、どれを選んでもそこそこ納得感があるため、考察や選択においてはストレスめいたものは感じません。そういう意味で、「うみねこ」にあった「本当の正しい結末の答えが得られなくてストレスが溜まる」という、制作者が実質的に回答を放棄したことで起こった最大の問題点を回避しつつ、読後における大きな解釈余地も「デイグラシア」は両立させており、意図的かどうかは図りかねますが、意図的であれば見事な技術だと思わざるを得ません。

 そういう意味で値段も安いことから、この作品に関してはアドベンチャーゲーム好きであれば文句なしに太鼓判を押せます。実際、ほんの少し前に「AI:ソムニウムファイル」をやっていたのでインパクトがやや薄れた感はありますが、「デイグラシア」も近年稀に見るアドベンチャーの傑作だと思います。



 最後に、自分がこの作品で選んだ結末の解釈についてその選択理由について述べると、冒頭に出てくる「大学院生の~」というセリフからでした。まぁこれ以外にもどの単語、どのシーンを真実と捉えるかによって、解釈はいくらでも変わるのですが。