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2020年6月28日日曜日

久々の遠出

 中国では端午の節句が祝日なため、先週木曜から土曜にかけて三連休でした。と言っても全く仕事しなかったのは木曜だけで、金曜はほぼフル、土曜は午前にちょっくら仕事していました。とはいえ、この一ヶ月くらいで全く仕事しない日はほぼなかったので木曜に丸一日休めたのは個人的にでかかったです。右手首も曲げるだけで痛かったけど、ようやくその痛みも取れたし。
 ただ今回の仕事の繁忙期、1週間ほど来るタイミングを読み違えました。その一週間の間に夏の歴史特集記事を準備しようと思っていたら仕事に時間とられ、結局現時点でもまだ書き終わっていない状態です。まぁあとちょっとだけど、このタイミングで新しいゲームに手を出す自分も自分です。「Dear My Abyss」がまた意外に面白いし。

 話は変わりますが、昨日は午前中にちょっと仕事した後、午後から知り合いと会うために上海の隣にある昆山市へ行っていました。自転車で直接行くことは多いものの、今回久しぶりに高速鉄道に乗ったら、前と違って自動改札はチケットじゃなく身分証明書となるIDカードじゃないと通れなくなっていたのにちょいビビりました。無論、外国人にはそんなのないので身分証とチケットを直接係員に見せて通らなくてはならないのですが、これがまた無駄に面倒くさい。

 そんなこんなを経て昆山来て久々に他の会社にいる知人らと会ってきましたが、やはり出張とかは一切せず、昆山市内で働く日々だそうです。実際、今回私も上海から昆山に行くだけでいろいろ準備が必要だったというか、健康管理アプリをわざわざ昆山市用の物を用意しなくてはなりませんでした。ホテル等に宿泊する際にはこのアプリが必要で、自分が無感染者であることを示さないといけません。
 こんなのを各地でやろうものなら手間暇半端じゃなく、とてもじゃないですが自治体を跨いで出張なんて行けるどころじゃありません。なおホテルのフロント従業員と少し話しましたけど、やはり外国人だと管理が余計に厳しいそうです。

 そんなわけでまた執筆作業に戻ります。今月はマジ働き過ぎ。

2020年6月25日木曜日

政治家の金の問題の判断ポイント

 河合夫妻が逮捕されてしばらく経ちますが、なんとなく逮捕前の態度とか見ると意外とすぐに白状するんじゃないかという気がします。この手のしぶとさで言えば鈴木宗男氏がぶっちぎりでしたが、そのムネオと比べると何となくタイプが逆じゃないかと思うのがその根拠です。

菅原前経産相を不起訴処分に 香典問題、起訴猶予か(朝日新聞)

 その一方でまたこちらの方でも動きがありましたが、香典一つ取るだけなら秘書が持ってったっていいんじゃないかと自分は思いますが、この人の場合は他にもいっぱい余罪があるからまぁ辞職になったのもしょうがないと考えています。

 とはいえ、政治と金の問題は延々と付きまとうところですが、その一方で日本の選挙関連の規制法がガチガチ過ぎて、内心どうかなと前から思っています。例えばインターネットを使ったアピールとかもいろいろ制限あると聞いており、また個人の看板や広告なども選挙前以外は出しちゃいけないとか、果たしてその好意に意味があるのかと思う点も少なくありません。
 一方、政治資金規正法に関しては確か数年前に1円単位で領収書を必ず添付するよう義務付けられていますが、今回の河合夫妻問題やドリル小渕を始め、この1円単位添付はあまり機能していないように感じます。なお先の二人を分けたのは、ハードディスクドリルだったなとも見ています。

 私自身、どこにどれだけ金を配ろうが内心いいんじゃないかと考えています。寄付金集めもまた政治家の仕事だと思うし、そこらへんも含めて有権者が判断するべきところでしょう。ただ唯一問題視するのは、金の出入りをきちんと記載しているか否かであり、その点で今回の河合夫妻に関してはアウトだと思っています。
 誰からお金をもらい、誰にお金を渡したのか。この点をきちんとつまびらかに明らかにするのなら別にいいのですが、知っての通り今回の河合夫妻は自民党から政党交付金1.5億円が与えられ、その用途について不明瞭な点が多いです。この点は先ほどの政治資金規正法が完全にザルなところですが、用途を縛るくらいならもっと情報公開の責任を高める、具体的には不一致金額につき10倍のペナルティ(資金没収)を設けるくらいやってもいいんじゃないかと思います。

 そしてその用途、具体的には他の政治家への献金具合も有権者に公開し、それを有権者がどう思うかも含めて民主主義だと思います。企業から献金受けることについては、年間100万円くらいで上限設ければいい気がします。
 何よりも私が重視するのは情報公開と一致性であり、この辺に関してもっとマスメディアもいろいろ提言してもらいたいところです。

2020年6月22日月曜日

宦官だよ、全員集合!

中国史の影の主役、宦官とは何者だったのか(JBpress)

 というわけで今日出した記事ですが、昔と比べてライターに強敵が増えたJBpressの中ではそこそこアクセス面で健闘している模様です。

 この記事を書いたきっかけとしては、帰り道で何故かドラクエ4コマのことを思い出し、「ガンガン行こうぜ→宦官行こうぜ→宦官ネタおもろいやんけ(・ω・)」という成り行きでした。ただ見出しは「宦官行こうぜ」だと抽象的過ぎるので、このブログ記事にしている「宦官だよ、全員集合!」にしましたが、やはりこちらも抽象的過ぎると思われたか編集後には副見出しにされていました。

 それで書き始めたこの記事ですが、書いててめっちゃ楽しかったです。宦官をテーマにした専門書籍はたくさん出ているものの、こうした概要解説系のコラムは多分今まで出ていなかったと思われ、そういう意味でうまいこと空白を突いたような記事になったかと思います。記事内容も具体的人物とか十常時は12人いるとか、じゃあジャイアントロボの命の鐘の十常時は誰なの的に上手く掘り下げられた気がします。
 にしてもジャイアントロボの話すると十傑衆走りがしたくなる。

 このほか書いてて思った、というか連想していた人物は何気にIKKOさんです。ヤフコメにも似たようなコメントがありましたが、宦官は去勢されているから現代のオカマっぽい人もいたんじゃないかと思い、「案外オカマに心を許す女性は多いから、後宮での仕事はめっちゃ向いてたんじゃないかな」などと考えていました。それこそ妃らに、「ねぇちょっときいてよー、アタシさっきそこの廊下で超イケメンの進士に色目使われちゃったんだけど―」みたいな感じで話している姿を想像していて、適材適所のように思えてきました。

 なお改めて宦官について述べると、地味に宦官って漢字よりも長い歴史があり、その歪な特殊性と相まって中国の伝統性を表す上では非常に大きな存在であること間違いありません。しかもこの記事で書いたように、宦官と反乱と英雄の三つが三種の神器みたく揃うと中国では革命が起きるというのが通常パターンです。そういう意味では見出しに銘打った「中国史の影の主役」というのも言い過ぎでないと考えています。

2020年6月21日日曜日

史上最高のインプレッサ

 連日の休日作業で身も心もボロボロなため今日はブログ書く予定なかったのですが(ヽ''ω`)、ふと突然、「あれ中国で検索したらどう出るのだろう?」と思って検索してみたところ、出てきたのが以下の画像を含むたくさんの記事でした。


 ランエボやRX-7といった多くのライバルたちがそのシリーズ名を失う中、現在もスバルの主力車種としてインプレッサはその歴史を続けていますが、数多くあるインプレッサの中で「史上最高のインプレッサとは何か?」と問われるなら、恐らく多くの人は上記の「22Bインプレッサ」を挙げると思います。

500万円が2日で完売! 伝説の22B STi バージョン驚きのポイントとは?【インプレッサ生誕20周年】(クリッカー)

 知ってる人には早いですが、これはWRCカスタム仕様のコンプリートカー(改造済み車)として限定販売に出したところ、500万円というそこそこ根の張る中、わずか2日間で400台すべてが完売したという伝説の車種です。その最大の特徴はでかいリアフェンダーはもとよりインプレッサとしては唯一の2ドアという形状で、ボディ剛性的には4ドアに劣るものの完璧なまでのレース仕様なスタイルに憧れる人も多いでしょう。

 それでこの車、中国で「22B」と検索すると出るわ出るわで、例えばこの記事だと「伝説の22Bが香港に!?」という見出しで、路上の22Bが激写されています。またこの記事では「拓海って金持ちのお坊ちゃん?文太の最強Subaru 22B」という、頭文字Dならすぐ「ははーん( ・´ー・`)」とくる見出しで22Bが特集されています。
 このように多くの22Bに関する記事が検索でヒットする中、「広州番22B路」というバスの路線案内も検索にヒットするのが微妙に受けます。

 真面目にかなり久々に私も22Bの写真を見ましたが、なんていうかかなり元気とか出てきます。っていうかなんで最近のカーメーカーはこんなデザインの車作れないんだとかマジ思います。

 それにしてもこういうの見るとまたプラモとか作りたくなりますが、22Bのプラモは一時限定版で出ていたようですが、現在は販売していないようなので作りようがありません。っていうか32のプラモを買ったまんまずっと組んでないのですが、多分あと3週間は忙しいからまだまだ作れそうにありません(´;ω;`)ウッ…

FNNの世論調査不正入力について

 今さっきBloggerの新しいユーザーインターフェイスフォームに切り替えて、投稿画面も一新されていますが、なんか複雑になった分だけ利便性が損なってきているような気がします。理系って、複雑にすればするほど利便性が上がると思ってる人が多いような気がしますが、この手の物はシンプルイズベストで、複雑な処理や設定に関しては別枠、若しくは完全にサービスを切り分けた方がいいのではと思います。

FNN世論調査で一部データを不正入力(FNNプライムオンライン)

 さて本題ですがこちらは昨日のニュースですが、フジテレビと産経新聞のフジニュースネットワークことFNNの世論調査で、実際には聞いてないにもかかわらず調査を行ったとして、いわゆる「積み増し」といった不正が行われていたことが明らかにされました。第一印象としては、よく中国の世論調査は操作されていると言いますが、この手の主張を特によく繰り返す産経新聞辺りは説得力があるなと感じました。

 積み増し自体は世論調査業務の委託先が行っていたとのことで、偏見かもしれませんが、日本はこの手の調査、並びに調査会社の職業意識というか倫理があからさまに弱いような気がします。昨年の政府による給与統計調査でも露骨な不正が行われていますが、マンパワーもかけていなければ効率化手段も模索せず、調査手法も不効率なばかりで、言ってしまえばこのような不正が起こるのも当然の成り行きのように見えます。なのでこうした案件は表に出ないだけで、よそで多かれ少なかれあると考えています。

 そういう意味では今回、素直に不正があったということを発表したFNNについて私個人は評価しています。ある一点を除けば。
 その一点とは、積み増された票の結果に思想や傾向があったかについて触れていないという点です。具体的には内閣支持率調査などで、積み増された票が全体統計結果と差異がなかったのか、支持もしくは不支持に偏って積み増されていなかったのかという点です。単純な水増しで全体得票比率に合わせて支持、不支持を上乗せしたのであればともかく、どちらか片方に比重が載せられていたのかどうか、これによって過去の統計結果は大きく変わります。言ってしまえば、世論操作が行われていたかが焦点です。

 はっきり言えばこの点について何も触れていない辺り、やましいところがあるのではと勘繰らざるを得ません。逆に勘繰らない方がおかしいとすら私は思います。FNNが持って行きたい世論の方向に調査結果を弄っているか否か、過去の調査結果報道記事を削除する暇があったらこの点についてもっと踏み込んだ報道をするのがメディアとして正しい姿、否、ジャーナリストが追うべき対象ではないかと私は思います。
 前回の賭け麻雀騒動といい、なんか産経は身内に緩いよなという気がしてなりません。なおこうした方面では共同通信はガチで、所属の記者がなんかやらかしたらその記者本人のみならず上長も問答無用で、どんだけ優秀な人であっても処分を食らいます。何度か見たことあったけど、「え、このケースでも(;゚Д゚)」と思うくらい内部に厳しくて、この点は共同はすごいと本気で思っています。

2020年6月20日土曜日

主張の一貫性が崩れる瞬間

110番通報悔やむコンビニ店長、警察署長がかけた言葉(朝日新聞)

 非常にいい内容の記事だと思うのですが、朝日新聞公式サイトの記事リンクつけようとしたら、どうやってもアクセスできませんでした。なんだろう、海外からのアクセス遮断してんの?

 話は本題ですが、そんなあまり主張しませんがこと論理の構成と組立に関して私はそこそこ自信があり、特にバックグラウンドのない議論においてはまず負けることがないと自負しています。なんでそこまで自信過剰なのかというと、学生時代の友人らがこと議論に強く、論理の組み立てから頭の回転も速く、彼らとの議論を通して恐竜的な進化をいつの間にか遂げてしまいまいた。実際、社会人になってから何かのきっかけで誰かと議論になると、意識しなくても相手の四手先くらいまでの発言が読めるし、「なんか物足りない(´-ω-`)」と思いながら落としどころに突き落とすことしかしていません。

 その上で、こと議論において自分が他人にはない圧倒的に有利な特徴を持っています。それは何かというと主張の一貫性で、単発の議論において揺らぐことはほぼなく、方針を構えたらそこからピクリとも動かない特徴があります(議論中に相手の意見に賛同して考え方を変える場合を除く)。なんでそんな堂々と「一貫性がぶれない( ー`дー´)キリッ」と言い切れるのかというと、知ってる人には早いですが私の場合はすべての価値観においてノーガード、いわば身を守るという行為を全くしないという、本人ですら異常だと考える妙な特徴があるためです。実際、格闘ゲームでもほとんどガードしないで突っ込む癖があります。

 逆に言うとですが私から見て、人間が議論や主張においてその一貫性が崩れる瞬間ことポイントはほぼ間違いなく保身に走った瞬間だと思います。それまで自分なりの理屈や根拠に基づいて一貫性を保っていた人間が、過去の発言内容を無視またはひっくり返すかのように一貫性を崩す場合、その背景というか主因に保身がよぎったためだと見ています。

 この辺りは政治家の発言の変遷などを見ればわかりやすいと思いますが、それ以前と比べて特定のキーワードを使わなくなる、または過去の発言についてそれまでになかった意味を説明しだす瞬間というのは、ほぼ確実にその一貫性を崩した本人が保身を意識し始めたタイミングと重なっているはずです。この逆というか、人間「守り」ではなく「攻め」に走っている時というのは、主張はかなり一貫性を保ち続ける傾向があり、人によってはそうした一貫性のある姿勢を見て周囲が共感というか応援するようになることもあるでしょう。

 前述の通り、私の場合プライベートでもオフィシャルでも自分でも呆れるくらい保身に走ることがなく、むしろ死地や逆境を見つけると自らをそこへ放り込もうとするところがあります。実際議論でも攻め一辺倒で、「守りに入るくらいなら死ぬ」、「一撃必殺に命をかける」というなんか薩摩の示現流みたいな変な思想に凝り固まっています。
 その副作用というか最近になって気が付いたのですが、私の議論時における殺し文句に、「で、何の話してたんだっけ?」というセリフがあります。これは議論が発展していくにつれて話題が枝葉末節にずれていった場合、突如最初の論点に話を戻して(相手の意識を戻す)、相手の動揺を誘うとともに議論をリードする手段です。

 真面目に割と不思議なのですが、世間一般ではプライマリな論点をほとんど意識しないまま話を進めて途中で論点を完全に見失う人が多いです。私は逆に常に意識するよう心掛けており、相手が、大体無意識に論点をすり替えた時にはこれ幸いとばかりに、「それ論点と何の関係が?」と言って引きずり戻します。なお相手がこうした無意識の話題のすり替えを行っった場合、大抵単純な悪口や人格批判にたどり着き、恐らく私以外の相手だったらお互い悪口合戦に発展するのだと思います。
 時と場合によっては敢えてその悪口合戦に軽く乗って、しばらく言い合いを続けた上で、「で、何の話をしてたっけ?」と言って相手が論点を完全に忘れたころに引きずり戻すことがあります。最近の議論はこれでほぼ決着つくので正直物足りないのですが。

 話を戻しますと、多分本人も無意識だと思うのですが、議論とかで攻められて守りに入ろうと下途端に主張の一貫性を保つことを完全に忘れてしまい、「今助かるなら何でもいい」みたいな蜘蛛の糸状態に入って、一貫性が崩れるのだと思います。無論、主張の一貫性を崩さずに守る手段も当然存在するのですが、その場合映画の「SAW」じゃないけど何かを犠牲にする、具体的には一定の譲歩こと損切りがほぼ確実に必要となるのですが、一貫性を崩す人というのはこの譲歩をしたくないあまりに余計なドツボにはまっていくように見えます。議論において、無傷で守りへ切り替えられるというのは基本ないと私は考えます。

 以上を踏まえると、議論で完璧な一撃死へ追い込むためにはやはり、相手に保身を意識させるというのがいいのかもしれません。これまで一撃死へ追い込むときは敢えて主張を弱めて、こちらが弱っているようなふりして相手に調子乗らせて勢いづかせたうえでいきなり激しく反撃するという手法を取ってきましたが、今度何か議論があればプライドなどをくすぐり、保身を意識させるようにじわじわ攻めてみようかと研究しています。

2020年6月17日水曜日

レグザフォン

 昨夜友人がチャットで、「最近の無印はメイソウ気味」という謎の名言を残しました。

REGZA Phone(アンサイクロペディア)

 今まで知らなかったのですが、2010年前後に東芝と富士通の日系電機大手2社が夢のタッグを組んだ夢のようなスマートフォンがあったそうな。どれくらい夢のようなスマホなのかというと、

・新着メールを受信出来ない、受信出来たら出来たで一斉受信
・SIMカードを認識しているのに電波を受信しない
・アプリが起動しない
・スリープモード中に電源が切れる
・必ず一日1回以上は勝手に再起動する
・ひどい時は電話中に強制再起動することもある
・画面をタッチするだけでフリーズ
・電源が入らない
・防水のはずなのに水濡れ故障
・充電できない
・発売日当日に発売停止
・その他多数

 あまりのひどさっぷりから携帯ショップですら、購入を止めたという伝説もあり、日本のガラケー化に拍車をかけたとも言われます。いろいろ自分で調べたところ実際に知人がこのスマホを持っていたという方のブログでは、その知人と電話で話していたところ、

「ゴメン、本体が熱くなりすぎてもう持てない。一旦電話切る」

 という、なんか冗談みたいなエピソードまで載せられていました。今まで存在すら知らなかったスマホですが、なんか実際に触ってみたくなる不思議なエピソードです。

 何が言いたいのかというと、この2010年頃という時点で日本のエレキは既に亡んでいたのではということです。上記のような半端ない初期不良のエレクトリカルパレードに発売日当日に発売停止に至っているなど、品質管理がまともに行われていたとは思えない体たらくです。現在、日本の電機は設備系を除くと洗濯機から冷蔵庫、あと販売台数ならテレビでもコンシューマー系はほぼオールジャンルで中国、韓国勢の後塵を拝しています。スマホに関してもはっきり言って中華スマホの方が安くて段違いに性能が良く、日本の携帯売場でやたら値段が高いくせにスペック低い形態を見て逆にビビるくらいです。

 中国のエレキ勢が台頭してきた頃、多くの日系エレキメーカーは、「日本は技術はあるのだがマーケティングが下手だ」等とよく言い訳してましたが、上記のレグザフォンのエピソードを見る限り、単純にまともな技術すら持たなくなったからあっさりこの世から消えただけだったのではと認識を改め始めています。

 ちなみにこのレグザフォンを私は、「日系企業は多くのスマホ部品を作っているのに、何故スマホそのものは世界シェアを取れなかったのか」といった内容のまとめ記事で知りましたが、これは地味に重要な問いかけだと思います。単純な結論を出せば、セットアップの技術がなかったからともいえますが、明らかな不良品を市場に出す体質一つとってももはやまともなレベルじゃなかったとみるべきかもしれません。