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2021年3月6日土曜日

非常事態宣言延長について

 チェンソーマンの11巻買って読みましたが、四角いゴミ箱に何度も隠れたり出たりするのは映画の「ネバーエンディングストーリー」のオマージュかなと思いましたが。
 その根バーエンディングストーリーですが、よく主題歌のメロディで歌詞を「ゲイバ~エンディングストーリー♪」に変えて一人で歌っています。自分で歌いながら、どんなエンディングなのだろうかやたら気になります。

 話は本題ですが昨日、かねてから予告されていたように菅首相はコロナ流行に伴う一都三県における非常事態宣言の延長を発表しました。結論から述べるとこの決断には私も支持します。

 報道では宣言延長に反対する飲食や観光業界関係者の声が盛んに取り上げられ、どこかは忘れましたが「延長の根拠を示してほしい」という発言も報じられていました。私自身は先ほど述べた通り今回の延長を歓迎する立場ですが、その影響を被る飲食や観光業界関係者がこうした不満を言うのは当然というか仕方の無いものだと思え、心から深く同情します。しかし昨年は宣言を出しながら短期で打ち切り、その後感染者が再び増加に転じて年間を通して流行が収まらなかったことを考慮すると、長期的に見てロスが少なくなるのはやはり延長する方だと私には思います。

 また延長の根拠についてですが、これははっきりと新規感染者数で示されていると思います。都内の新規感染者数は1日300人前後でこのところ推移しており、下げ止まりしていません。非常事態宣言が続いている中にもかかわらず下げ止まらないということは、単純に流行対策が不徹底であるということ以外何物でもなく、そんな中で宣言解除したら増えるに決まっているとしか言いようがないです。
 その上で述べると、気候条件は三寒四温とはいえ日に日に暖かく湿度も上昇して、ウイルス拡散にとって不利な状況へと移りつつあるにもかかわらず、上記の通り新規感染者数は下げ止まっていません。この点は見逃すことができない点で、やはり宣言延長には意義があると思われます。

 それにしても後出しじゃんけんとはいえ、去年の今頃の「コロナはただの風邪」、「対策する方がおかしい」と言っていた人たちの発言や行動とかを動画にまとめて誰か流さないかなと最近思います。後にそれらの発言を誤っていたと訂正した人ならともかく、その後知らんぷり決めてる連中なんかはマジ感染して死ねよとか言いたいものです。
 一部報道によると、コロナ対策の副次的影響として今シーズンのインフルエンザ感染者数は例年に比べ激減したと聞きます。これも見方を変えると、コロナウイルスはインフルエンザウイルスよりも確実且つ遥かに感染力が高いウイルスであると言え、そういう意味ではやはりなめてはならないウイルスなのでしょう。

 それにしても今日髪切りに行ったけど、日本に帰国する度に寄っていた松戸の床屋の人たちは元気にしてるだろうか。下手すりゃ親族以上に何度も会ってた人たちなだけに少し心配です。

2021年3月4日木曜日

虚偽答弁が横行する国会証人喚問

菅首相、NTT接待の調査徹底し対処 谷脇総務審議官、会食認め謝罪 参院予算委(時事通信)

 はいというわけで先日証人喚問で「東北信者以外には接待受けてない」と証言した内容があっさり嘘だとバレた谷脇さんです。ついでに言えば「絶対こいつ他にも接待されてるよ(σ・∀・)σゲッツ!!」と一昨日言ったら、その翌日に当たる昨日に谷脇さんと同じくNTTから接待受けてたことがばれた山田前広報官ですが、こっちはもう一般の方らしくて呼ばれないそうです。給料を自主返納とか言ってたけど、退職金も自主返納したらどうかと誰か提案してもいいと思います。

 そうした点はさておき一部で他の方も指摘してましたが、近年の国会における証人喚問の虚偽答弁の横行ぶりはさすがに目に余ります。「記憶にない」と回答を曖昧に拒否するだけではなく、「それはない」と否定しておきながら文書などを確認すると明らかに事実と食い違っていることが多く、今回の総務省接待問題も明らかに最初から分かっているくせに虚偽の答弁をしたと状況的に推察されます。
 何気にこの虚偽答弁がすさまじかったのは森友問題における佐川元国税庁長官で、文書記録などと明らかに一致意思ない発言を繰り返しながらなんにも処罰されず、起訴も免れています。逆を言えばこれ以降から官僚などの証人喚問において、「記憶違いでした(∀`*ゞ)エヘヘ」と後で言えば、国会で虚偽答弁しても一切処罰されずに許されるという悪しき慣例が出来上がってしまった気がします。

 さっきも言いましたが、かつても「記憶にない」と言い続けてみていて腹立たせる証人は少なくありませんでしたが、近年はさもカレーパンを食べるかのように平然と虚偽答弁をしてのけて、あとでバレてもだから何と居直るようになるなど、明らかにグレードアップしています。刑法的には黙秘権はあるが、虚偽証言を認める権利は確か日本にはなかったと思えるのですが、自然法的になんか成立しそうな勢いです。
 この点について誰の記事か忘れたけど国会軽視もいいところだと指摘されており、私も非常に同感です。真面目にこのまま放置しておくとこの問題はかなり大きくなりそうなだけに、法制化してでも罰則つけるべきだという風に思います。半端な罰金刑じゃ物足りないので最低でも懲役半年くらいにして、また立場的にも虚偽証言が認められるはずのない官僚、検察関係者に関しては、もう一段高い刑罰を設けないとこのままじゃ収まらないでしょう。

 さらに踏み込むと、先ほどの「記憶にない」発言にもそろそろ釘を刺すべき時期にあると思います。具体的にどうすればいいかというと、その発言を行った内容の事実認定に関しては発言した証人の意見は前後一切無視してもよいというルールを作ればかなり良くなるのではないかと思います。
 具体的には、外出や面会記録などで特定人物と会ったとされる記録があれば、「記録にはそう書いてあるけど実際は会っていない」、「数分あいさつしただけ」などという発言の訂正を一切認めず、またそこで何を話したかについても後から何言っても考慮しないという風なルールにしてしまえばオールオッケーな感じします。何がいいかってこれ、適当な人間に「あいつ、こんな人物と会ってああいうこと話してたぜ(ΦωΦ)フフフ…」という風に第三者に言わせればなんだって思いのままにできるってことでしょう。それが嫌なら記憶振り絞って思い出してもらえばいいわけだし。

 ちなみに上記の「覚えてない」発言への対策はリアルでやることがあります。というよりも、私の場合は相手が覚えていない内容まで全部覚えていることが多く、何かに拍子に相手が「覚えてない」と言ったら、「俺は覚えてる」と言って、当時の状況や発言を一から十までひっくり返し、「そんなこと言ったっけ?」と向こうが焦って止めようとしてきたら、「覚えてないと言ったあなたにわかるわけがない。俺は覚えてるけど」と追い打ちかけられます。真面目に論戦になった際、「そんなこと言ったっけ?」、「そうだったっけ?」と相手に言わせたら、もう自分の価値が確定するくらいに自分のペースに持ちこめられます。

2021年3月3日水曜日

いい感じの西洋史解説本がない件について

 その昔、私が日々ストレス漬けであった中学時代(サラリーマンの今よりもずっとストレス値高かった(# ゚Д゚))、中二病的に十字軍にハマりだしてあれこれ十字軍関連のことを調べようとし始めたものの、十字軍について解説する本がなく、本の概略程度しか調べることができませんでした。それはそれとして仕方ないと割り切り、ついでに他の時代の西洋史も調べようとしたものの、当時あまりにも西洋史関連の解説本が図書館になくて難儀しました。
 唯一見つけた通史の本も教師がずっと借りてたので、「読むからはよ返せ(# ゚Д゚)」とリアルに文句言って返させたことがあります。

 基本的にJBpressで私が解説するのは日本史ネタが多いですが、決して日本史だけしかたしなまないというわけではなく、同じ歴史ということもあって西洋史も人並み以上には嗜んでいます。ただ、私が見る限り西洋史についてはいい感じの解説本がなく、あっても本当に概略程度で手応えの無い物か、やたら専門的過ぎて説明することを放棄しているような極端な本しかありません。また幅広い通史を取り扱う本が多く、特定の時代、特定の国を専門的に扱うようなものは少なく、今なら塩野御大が書いてくれていますが、日本の戦国時代のようだった中世イタリア史なんてかつて興味持った時に全く手がかりがなく、どうして誰も解説しようとしないんだと当時思いました。

 やはり他国の歴史と比べれば自国の歴史の方が話題として盛り上がるし、学術的研究も盛んとなりやすいです。しかし単純にエンターテイメントとして楽しめる余地もあるのに、他国の歴史がこうもあまり取り上げられないというのは、自分自身が触れられないという点もあって非常に残念です。
 今であればインターネットでそこそこ通暁している人が解説しているサイトなどを見比べることもできますが、それでもやはりもう少しわかりやすく、入りやすい感じで専門的に解説する記事や本があってもいい気がします。

 中国史であればまだ比較的日本とも絡むことが多いからたくさん解説本が出ているので苦労しませんが、西洋、特にイタリアやドイツのあたりの歴史はやはり不足気味です。この辺、自分が研究してJBpressで連載してもいいのですが、今まで30年戦争について詳しく教えてくれる友人なんておらず、連載したところで読者が得られるかは未知数すぎます。
 一応、日本人にとって人気なのはフランス史で、百年戦争とナポレオン戦役であればそこそこ読者は獲得できるでしょうが、どちらも私は既にあらかた知識を得ており、個人的にはもうそんな興味ありません。漫画の「ナポレオン 覇道進撃」は面白いからずっと買ってますが。

 なお世界で最も伝記が多く書かれているのはナポレオンらしいのですが、日本で最もゲームに使われるフランス人といったら百年戦争のジャンヌ・ダルクに間違いないでしょう。まさか彼女も何百年も後に萌えキャラとして消費されまくるとは生前思わなかったことでしょう。
 このほかゲームとかでよく出てくる人をイギリス人に限定すると、パッと出てくるのはシャーロックホームズですが、彼を始めイギリス人が出てくるゲームは決まってクソゲーで、尚且つ襲い掛かってくる敵を毎回ステゴロで殴り倒す暴力的なクソゲーが多いです。「ノットトレジャーハンター」に至っては、拳銃を持ってくるもご丁寧に弾は6発しか持ってこないという律義さで、イギリス人は日本のゲーム業界に怒っていい気がします。

2021年3月2日火曜日

山田広報官の辞任について

 既にあちこちで報じられているので今更詳細を語りませんが、例の山田広報官の辞任については非常に残念がっています。というのも、別に質問する機会なんてあるわけでもないのに想定問答集を作ってどんな風な切替えしをおびき寄せてどうやってさらに叩くかを日夜研究していたからです。
 具体的には、

<初期質問>
・7万円あったら何に使いますか?
・7万円で食べるものといったらなんでしょうか?
・7万円おごってもらったらどんなお礼をお返しするのでしょうか?
・普段の外食には1回当たりどれくらい払ってるのでしょうか?
・国会答弁で事実と異なる回答してましたが記憶力等に執務上問題ないのでしょうか?
・飲み会を断らないというけどこの後空いてる?7万円おごってあげますが

<想定回答>
・プライベートなご質問にはお答えできません
・国会や政治と関わりのない内容にはお答えできません
・担当部門の広報にお聞きください

<反回答>
・利害関係者との会合詳細に関する質問が政治と無関係とお思いなのでしょうか?
・あんたにとってはプライベートでも、国民全体にとってはこれはポリティカルな問題だ
・利害関係者との会合がプライベートだと思うほどこれまで頻繁にやってきたのか?
・広報官という立場を自覚してないのか?

 大体こんな感じですが、ぶっちゃけ「このまま生きてても人の足しか引っ張ることしかできないのでは?」とストレートに言いたいものの、さすがに言い過ぎかなと思ってこれは想定問答集には入れませんでした。まぁ想定問答集自体、実際には作ってないけど。

 まぁ呆れたというか下手すりゃ小学生でもわかるくらい受けちゃいけない接待を平気で受けて、尚且つその後に撮影した動画で「自分は飲み会を断らない女だ」と豪語するなど、馬鹿のオンパレードを一人で絶賛開催するような頭しているなという気がします。真面目に初期質問の最後にあやふやな回答でもしようものなら、「てめぇ菅の息子はいいってのに、俺の酒は飲めねぇってのか!」と怒っていいでしょう。

 なんでも内閣広報官はこの人が女性初だということですが、こういう馬鹿な女性が自分の能力の限界や立場の自覚もなく出てくるから、しっかりしたまともな女性の社会進出が遅れるのだと私は思います。まぁ引き上げる人間にも問題があるとは思いますが、山田広報官に関しては男性か女性か以前にまともに使える人材ではなかったということでしょう。
 確証こそないものの、前後の発言や当初留任を発表してからの突然の辞任ぶりから推察すると、反回答に書いた「あんたにとってはプライベートでも~」の質問が一番クリティカルだと思われます。どういうことかというと、他にもこうした利害関係者との会合や接待行為を受けている可能性が高いのではと思えてなりません。そういう意味で「他にもこうしたことは?」という質問をしてみて、「絶対にない」と答えるか、曖昧に答えるかは一つの見極めになったのでしょうが、その機会が失われて残念この上なく、日本の記者には天下り先にも「これからはバンバン接待受けられますね!」と声を変えてほしいものです。

2021年3月1日月曜日

二匹目の武将記事の裏側

結局、あの将軍は名将だったのか?愚将だったのか?(JBpress)

 そういうわけで自分の記事の紹介ですが、この記事は前に書いた評価逆転記事の続編です。評価逆転記事を書いた時点で今回ピックアップした3人は当たりを付けており、反響に応じてこの記事を書くかどうかをあらかじめ決めていました。前回の記事がそこそこ当たり、ヤフコメも盛り上がっていたので書くことにして、先月はマジ世を忍ぶ仮の本業が忙しかったので、あまり物事考えたくなかったこともあってこの記事を投入することとしました。
 なお次の記事もあまり準備とかしたくないから、前から温めていた記事ネタの放出となりそうです。昨日書こうかと考えてたけど、プラモ作っててできなかった(´・ω・`)

 そんな二匹目のどじょうならぬ二匹目の武将記事ですが、JBpressランキングでは6位前後を徘徊しているものの、JBpressの他の歴史記事が軒並み順位を上げており、Yahooなどの二次配信サイトの私の記事を介してJBpress本サイトへのアクセス流入を呼び込んだとみられ、JBpressに対する貢献はそこそこ果たせたと自負します。歴史記事は内容が腐ることないからこういうトラフィック誘導面ではめちゃ優秀です。

 記事内容への解説は特に裏テーマなども設けてないので余りすることはないのですが、今回ヤフコメを見ていて意外だと感じたことが数点あります。一つは、「この作者はわかっていない!」的な知ったかぶりの歴史マニアによる私への批判が少なかったことです。記事自体が三人の人物の賛否両論を併記していることもあるでしょうが、議論の多い人物を選んでいるだけに何かしら批判されるだろうと思っていたらあまりなかったので意外でした。まぁ悪いことではないのですが。

 次に意外だったのは、乃木希典への擁護意見が相当多かった点です。他の二人に対する擁護意見も批判意見以上に多かったのですが、どちらかと言えば批判意見が多くなると思っていた乃木については8割方擁護意見であったように思え、自分の知らないところで彼の評価も逆転しているのではないかと今回気づきました。
 一体何故乃木の評価が逆転しているのか、その理由について敢えて推測で述べると、司馬史観が廃れてきているからではないかと思います。記事中でも触れていますが、乃木の批判意見の大半は司馬史観によるものですが、乃木こと日本陸軍への評価が海軍善玉論の崩壊に伴い相対的に向上していることもあって、乃木自体の評価が向上しているのかもしれません。この辺の話はまた別に記事にするのもありかもしれません。

 ちなみに昨日プラモ作りながら、ありそうでない記事として、日本海軍ではなく日本陸軍の戦闘機特集記事とかあったらおもしろいかもとか思いました。日本の戦闘機というと一に零戦、二に紫電改と揃って海軍機しかなく、自分が贔屓にしている飛燕、ひいては五式(タイプファイブ)なぞ知ってる人の方がレアです。隼を含め、へっぽこ扱いされている陸軍機を自分が作ったプラモと一緒に紹介とか考えましたが、手元にあるのは飛燕と疾風しかなく、五式のキットはさすがに中国で手に入れるのはハードなことから企画倒れになりそうです。

2021年2月28日日曜日

森の最大の功績

 90年代の日本の金融業界を調べるために小説の「金融腐蝕列島」シリーズを読んでますが、一言感想を述べると「やくざがいっぱいたのしいな♪」といったところです。どうでもいいですがメガテンシリーズ屈指の名言は「ヤクザをころしてへいきなの?」だと思います。
 あとまた関係ないけど、第二次スパロボαみたいに部隊名を好きに決められるゲームだと部隊名を「ヤクザ」にすると「ええい、またしても邪魔しに来たかヤクザめ」などと敵キャラに言われます。なお自分はこういう時にはいつも「回し下痢」という部隊名にしています。

 話は本題ですが、先日に例によって失言で降りた森こと森喜朗について友人が、「森の生涯最大の功績はラグビーワールドカップだろうな」と言った際、「いや、それは違う。村山政権成立時の暗躍だろう」と私は答えました。
 詳細はその辺のWikipediaにも書いていますが、1993年に自民党は単独過半数を割り、細川連立政権が成立して野党に転落するという、55年体制の崩壊が起こりました。当時の自民党について在職していた議員らは、「官僚が途端に相手をしてくれなくなって与党でなくなったことを思い知らされた」と話しており、内外で大きな影響を被ったことには間違いありません。

 ところがそうしてできた細川政権が短期間に終わると次にできた羽田内閣も急場で作られた内閣故に求心力不足からすぐに店終いとなり、次はどこが組閣するかが大きな議題となります。ここで森や亀井静香といった自民党内の一部中核メンバーが、何としても「与党に返り咲くため」として、小沢一郎ら新進党との連立に不満を持つ社会党の一部メンバーと接触し、社会党の当時の委員長である村山富市氏を首班指名して連立することを打診します。これらは内々のうちに進められ、自民党内の反発しそうな人(中曽根とか)には内緒で、黙ってると抵抗してくるけどまだ拙速できそうな人(小泉とか)には説得するなどして下地を作っていきました。

 こうした根回しの上、首班指名を誰にするかの会議で森が「自民党は村山富市で行く」と発表したわけです。ただ自民党内には宿敵ともいえる社会党との連立に反発を示す議員も依然と多かったことから、この発表時には相当な怒号が飛び交ったと言われます。その中でも森は態度を崩さずにあくまで村山首班指名を貫き通して会議を終えたとされ、その会議後に亀井が泣きながら「森さん、よくやった」と抱き着いたというエピソードを聞いたことがあります。

 結果論で言えば、最終的に首班指名投票で海部俊樹と争ったものの村山富市が多数票を取り村山内閣が成立し、自民党も連立与党として与党に返り咲くことが出来ました。そして村山の次には同じ連立攻勢で橋本龍太郎が総理となり、名実ともに自民党が完全な与党として復活したことを考えると、当時の森や亀井の策動は結果的には見事成功したと言え、もし仮にあの「社会党抱き込み戦略」がなければ、自民党はあのまま野党として落ちるところまで落ちていった可能性もあったでしょう。そういう意味では、歴史を変える一撃を打ち込む上で、森はかなり重要な役割を果たしていました。

 こうした点を見るにつけ、森は政党内部や国対方面においては非常に高いパフォーマンスを発揮するタイプで、以前から私も主張しているように、表に出てあれこれ取り仕切るのは逆に全く向いていない人間だと改めて思います。自分の得手不得手を把握していない、または把握していても場違いな場所に配置されるほどの人の才能の不幸はないと私は常々思いますが、森に関しては彼にとって総理にさえならなければ今以上に高い評価がなされていたのではないかと思えます。
 そう考えると、小渕恵三の急死は森にとっては天啓ではなく、むしろ死兆星っぽい出来事だったのかもしれません。まぁあれがあったから森派での小泉純一郎氏の会長就任が来て、その後の小泉政権に続くわけなのですが。

2021年2月26日金曜日

本を読んだら作文が上手くなるの?

 今日は金曜日で、しかも今週激務が続いたので帰り際に自宅前にできたローソンに寄り、ポテトチップスといちごシューを購入して一気食いした後、元宵節だからと大家が餃子っぽい皮に包んだ肉団子を作って持ってきてくれて、後回しにするのやだからそれも一気食いしてのけました。なんか餓え過ぎてるような。


 それで本題ですが、上の記事を読んだときに私はどう思ったのかというと、

  そう、関係ないね
  ゆずってくれ、頼む
☞殺してでも奪い取る
 
 というロマサガっぽいチョイスが浮かんだわけではなく、「読むだけ無駄」という感想でした。まず絶対的な事実として述べると、こと文章執筆技術に関しては読んだ量よりも書いた量の方が圧倒的に影響します。それこそ1万字の文章を読むくらいなら1千字の文章を読んだ方が遥かに効率が良く、読む暇あったら日記でもいいから何か文章を書いた方がいいと私は思います。

 なんで実際に書いた方が文章技術は上がるのかというと、単純に書く際に表現を「考える」からです。それこそアクション映画のワンシーンをそのまま文章に書き起こせと言われても、大抵の人はまずどういう風に書いたらいいのかがわからないでしょう。そこから「シュワルツネッガー演じる主役は無言で相手の右手にある拳銃を叩き落とすと、続けざまに重たいボディーブローを入れた。あまりの痛みに相手がうずくまるとそのまま顔面を蹴り上げ、失神したのを確認してからその場を立ち去った」というように、動作とか情景、あと記述する順番とかを意識して考えるようになります。こうした文章表現における意識、あと「こういう時にはどう書くのか」は、やっぱり書かないと覚えないでしょう。

 ただ仮に百歩譲って「読んで鍛える」っていうつもりなら何を読むべきかとなると、自分の場合は記者出身ということもあってやはり記事、それも内容の複雑な金融や不動産系の解説記事を読むことを薦めます。複雑な内容の説明というのはある意味、多くの一般人が文章を書く上で最も求められる能力であり、自分が見ていても書き手の実力がはっきり分かれる分野です。
 こういったところを鍛える上、というか見本にする上ではやはり記者の文章が一番お手頃で、それも実力ある記者の解説記事やコラムなどはそのまま書き写すだけでも価値があります。

 その逆に、お勧めしないのは小説です。引用したまとめ記事ではラノベは良くないと書かれていますが、ラノベじゃない小説でもあんまり読まない方がいいと内心思います。特に、明治や大正頃の文豪が書いた小説は現代とは表現が異なることからも、ストーリーを楽しむ上ならともかく、文章技術向上を目的に参照すべきではありません。あの辺の小説の表現技術を学んだところで、普通の人が生かせるところなんてほぼありません。

 なんとなくですが、「文章を読めば作文が良くなる」というのは、「食べながらダイエットできる」に近い概念だと私は思います。どうせ食べるんならガチで太らないこんにゃくとかそういうのだったら多少は効果あるけど、食事を厳選するくらいなら運動した方がもっとずっと体型整えるのにはいいに決まっており、文章においても全く同じです。
 第一、昔と比べて現代は原稿用紙買わなくてもパソコンで文章書いて残せるのだから書きまくればいいじゃんと思えてなりません。自分が中学くらいの頃はガチで原稿用紙買い過ぎて小遣いがなくなったという儚い思い出があります。でもってそのころはよくラノベっぽいの書いてたけど、高一の段階で社会批評コラム書いたら自分でも「あ、才能あんなσ(゚∀゚ )オレ」とか思ってたら、案外本当にそれで仕事できるようになって自分でも内心驚いてます(;゚Д゚)