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2008年11月22日土曜日

元厚生事務次官連続殺傷事件について

 今日は昼から上海人と東京を歩きまくって、帰ったら今度は映画の「レッドクリフ」を見てきて今家に戻ってきました。戻ってくるなりテレビで今日の安馬の対戦を見ようと思っていたら、かねてより世間を騒がせてきた元厚生事務次官連続殺傷事件の犯人が自ら出頭してきたというニュースが、NHKにて特番で報じられていました。

 ちょっと疲労気味で明日から遠征を行う予定もあるのでちゃちゃっとまとめますが、本来、この事件についてあれこれ議論はまだ行うべきではない時期には来ていないでしょう。一体どういう目的で、何のために元厚生事務次官とその家族を殺傷したのか、そしてどういった人間が起こしたのかということについては、これからの犯人の供述を受けてからその是非を問うべきでしょう。そういう意味で桝添厚生大臣がこの事件について、もし厚生省の幹部を狙った連続テロ事件であるならば許せないといった仮定をしての発言は適切だったといえるでしょう。

 ちょこっとネットの掲示板を見てこの突然の出頭について、替え玉説やスケープゴートが出てきたと訝しがる意見がありましたが、これについてはちょっと私はどんなものかとおもいます。というのも、その出頭してきた人物は確実に存在するのだから、今後その人物が本当の犯人かどうかは警察の捜査を経ればわかることですし、何より今回の事件では二件目で襲われた元事務次官の細君が大怪我を負ったものの犯人の顔を見て生きておられるので、まず確実に実行犯かどうかを判別することが出来るでしょう。時間を待つべき事柄に対して、あれこれ詮索するというのは野暮ですし、また大して根拠のない意見はデマとして広まる恐れがあるので、思うだけならともかく発言すらも行うべきではないでしょう。特に、今回のような憶測の飛びやすい事件の場合は。

2008年11月21日金曜日

日本のスポーツ教育といじめ問題についての考察

 またネタにしていろいろな意味で悪いんだけど、今朝の朝日新聞の一面大見出しは「児童生徒の暴力最多」で、文部科学省の発表したデータによると今回の調査で小中高の学校すべてで暴力事件が過去最多となったということを紹介していました。その上で近年はいわゆる「学校裏サイト」によるネットいじめが拡大の一途を辿っており、こちらも大見出しにて「21%増」とでっかく書かれています。
 まぁ言いたいことはよくわかりますし、朝日新聞の記事が決して悪いわけではないのですが、こうしたいじめ問題について警鐘を促す記事を読むたびに私が強く思うのは、一体何故部活内、それもスポーツ系の運動部内のいじめ問題についてはどこも追求や問題視をしないのかということです。

桐生一高生、今度は集団強姦!逮捕直前まで登校!(YAHOOニュース)

 正直、桐生一高の生徒たちには話題に上げて申し訳ないという気持ちがあるのですが、上にリンクを貼ったニュースは高校野球の名門として全国的に名高い桐生一高の生徒、それも軟式野球部の生徒が刑事事件を起こしたというニュースです。この事件の以前には硬式野球部でも同じく刑事事件を起こした生徒がおり、更には同級生をいじめて傷害致死に至らせたとして同級生が三人も逮捕されるという事件も過去にこの学校で起きています。
 詳しく統計などを用意せずに(あるわけないだろうが)言うのもなんですが、私見から言って運動部内のいじめというのは今も全国の学校で激しく行われているように思えて仕方がありません。なにもこの桐生一校に限らずこちらも高校野球の名門で甲子園でも優勝経験のあるPL学園も、数年前に野球部内で暴行行為が行われたとして処分が行われ、やはりこの影響が強かったのかそれ以降は甲子園にめっきり出場しなくなって今じゃ大阪桐蔭にすっかりお株を取られてしまっています。

 もともと、高校野球の甲子園大会というのは青少年の健全な教育を図る一環として組織されたものなのですが、以上に上げた二校のように実際には部活内で同級生同士のいじめから、上級生から下級生への理不尽なしごきなど言語に絶するような行為が行われているという話をよく聞きます。二年前に引退した元日ハムの新庄選手も野球の強豪高に入学したものの、上級生からものすごいいじめに遭って夜中だろうとなんだろうとジュースを買ってこいと言われてはお使いに出されるだけでなく、そのお使いから帰ってきたら来るのが遅いと言われて土下座された挙句に野球のスパイクで目いっぱい手を踏まれたらしく、今でもそのスパイクの傷跡が残っていると以前にテレビ番組内で話していました。

 なにもこうした行為は野球部だけでなく、競馬の騎手として有名な武豊氏の弟の、こちらも有名な騎手の武幸四郎氏がフジテレビのテレビ番組「ジャンクSPORT」内にて、ちょっとはっきり覚えていないのですが騎手の養成学校時代、一年生は食事で食べるパンにバターやジャムをつけてはいけないと上級生に強制され、これがはっきり覚えていないんですが確かピーナッツバターかなんかの調味料しかつける事を許されなかったために毎日それをつけて食べていたらしく、その時の思い出で今でもその調味料を食べることができないそうです。

 はっきり言いますが、こんな行為がスポーツの鍛錬の上で何の意味があるのか理解に苦しみます。第一パンに何をつけるか位で上級生が下級生に対してあれこれ強制するなど以ての外ですし、そしてそんな環境が伝統としていつまでも残っているということ自体が、青少年の教育上に非常に悪いものに思えて仕方ありません。しかし話で聞く限り日本の運動部の大半ではこうした上級生の理不尽な行為が延々と続けられ、そして前述のようにそういったことへの吐け口かのように同級生同士でいじめが行われては退学に追い込まれたりするものが現れたり、過去の事件のように死亡にまで至る事件が起きています。

 断言してもいいですが、現在の日本の部活動は青少年の健全な教育に寄与しているとは言い難く、むしろ逆にいじめの温床となっている例の方が圧倒的に多いです。私自身中学校一年で運動部に入ったらすぐに同級生からいじめを受けたので馬鹿馬鹿しく思ってすぐに部活をやめた経験がありますが、そうしたいじめが実際に起こっているにもかかわらず、上級生が下級生へ理不尽な仕打ちが起きているにもかかわらず私の目からすると教育者、ならびに責任者は「上下関係や大事な礼儀を教える」という言葉の元にそうした行為をわざと正当化して対策を取らないばかりか、むしろ助長させているように思えます。

 よくいじめ問題の原因についてあれこれ議論があり、その対策についてもいろいろと話題には上るのですが、現在に至るまで私はこの運動部内のいじめと上級生から下級生へのしごきが話題が上ったことなどついぞ一回として見たことがありません。何もこれが諸悪の根源だと言うわけじゃないですが、現実に事件化するいじめもあれば外部にて刑事事件を起こす生徒を出したりしているのは事実なので、こうしたスポーツ教育について日本は再考をするのがどう考えても筋じゃないかと思います。

 最後に運動部内でのこうしたいじめやしごきに対して、こうした行為から向上心が生まれて試合にも勝てるようになると言う人もいますが、もしたとえそうだとしても、こうしたことをしていてまともな人間が育つはずなんてないと私は思いますし、そうまでして試合に勝つ価値はどう言い繕ったってないでしょう。そして実際にこういうしごきやいじめが実際に能力の向上に寄与するかといったら、高校生の国際試合とかで日本チームの勝敗を見ていると、こちらもやっぱりないと思います。

2008年11月20日木曜日

シャッターカルテル容疑のニュースについて

 本日朝日新聞の朝刊一面にて、公正取引委員会がシャッターメーカー大手三社に対して価格カルテルを結んだ疑いがあるとして各社へ立ち入り検査したという記事がありました。

 私は以前にこのブログで書いた、「カルテル連続摘発の報道について」の記事の中で、連続して明るみとなった巨大国際カルテルに引き続きこうして日本国内でも十数年ぶりに鋼板会社でカルテルが事件化した背景などについて書きましたが、記事の中には書きませんでしたが、今後しばらくこうしたカルテル事件が続発するだろうと予想していたら案の定すぐにこれです。こんなことならもっとはっきりと言っておけばよかったと、少し後悔してます。

 それはさておき、何気に前回の日本で起こった、立証、処分はまだされていませんが疑いをもたれている大手鋼板メーカーのカルテルの事件も、今回の事件に無関係ではないようです。というのも朝日新聞の記事で今回のシャッターカルテルについて、シャッターの主材料となる鋼板の価格を鋼板メーカーが一斉に値上げしたのを受けて、シャッターメーカーも足並み揃えて原価分の値上げをカルテルにて行った疑いがあると報道しています。その値上げされた分が本当に原価分だけなのかどうかはわかりませんが。

 今回捜査が行われているシャッターメーカー三社は以前にも、77年と89年に二度もカルテルを行っており今回でなんと三度目の捜査ということですが、こうしたことが度々行われることについて朝日新聞はシャッター業界自体が業者数が少ない業界で談合がもたれやすい背景があったと述べていますが、確か2年前にマンホールメーカーの日之出水道器という業界をほぼ独占している会社が不正に全国の販売店に対して価格を統一するように働いていた(我ながら、しつこく覚えているもんだ)ということで事件化しましたが、今回もなんとなくそれに近いような感触を覚えます。

 それ以上に見逃せないのが、今回の値上げが鋼板の値上げを受けてという朝日新聞の指摘です。前回の記事で私は鋼板メーカーがカルテルによる値上げを行った背景には原油高があり、それに便乗して値上げを行ったが、原油価格が下がった現在もその値上げした価格を維持しているという一種の価格のねじれが今回の摘発につながったのではと書きましたが、今日のケースでは原油が鋼板、鋼板がシャッターに変わっただけで構図はほぼ同じで、原材料の値上げに乗じたカルテルです。逆を言えば、原油高に端を発する値上げはほぼすべての産業で今年の前半から行われているので、まだまだこういったカルテルが行われている業界があるのではないかということになります。こうした過程を踏んで、最初に言ったようにまだまだこうしたカルテル事件は続くのではないかと私は考えたのです。
 それにしても急に公正取引委員会もぐいぐい動くようになりましたね。補足をすると経済が上り調子の時にこうした事件を摘発すると全体の景気の足を引っ張る恐れがあるので、今のように景気が後退期に入ったから公に捜査するようになったのではないかと、またも深読みしすぎかもしれませんが考えてしまいます。

 最後にこうした事件について、やはりというか前回の記事を書いた今日に至るまで、前回に取り上げたカルテル事件三つの続報はどのメディアもやりませんでした。あくまで私の見える範囲ですが、割と意識的に情報をチェックしていたので、それにも引っかからなかったことを考えるとどのメディアもやはりというか敢えて追加取材をやらなかったのだと思います。
 こうしたカルテル事件や大企業の事件の場合、ある一定の範囲を超える社会的に大きな不正、例を挙げると全国規模の食中毒事件や利用者が死亡するなどの事件が起こらない限り、企業をスポンサーと仰いで広告料を受け取る側のメディアは機嫌を損ねるのを恐れて、ある程度の事件なら黙殺する傾向があります。それが先ほどの一定の範囲を超えると、今度はその企業に対してメディア総出で総叩きをするので、事件報道的に見るならギャップが大きすぎて一般人は何が問題なのかがわかりづらくなるデメリットがあります。
 雑誌の「週間金曜日」は、自分たちは広告料だけでやっているから真に公正な報道を行っていると主張していますが、これはこれで購読者の中の主な購読層を逃さないために、逆に購読者の機嫌におもねるような報道ばかりになることもあるので、絶対的に正しいということでもないと私は思います。

 じゃあどんなメディアが公正なのかというと、これは言ってしまえば簡単です。購読料に頼るメディア、広告費に頼るメディア、購読料と広告費の両方に頼るメディアと、経営主体が別々のメディアが乱立することです。こうすることにより、社会的には全角度から情報を吸収できます。ある意味でこうした私のブログなんかも一切儲けとは関係なく私個人の意見が展開され、それに加え他の方からコメントがあれば複数人の意見を一つのページにパッケージもできるので、社会的にも価値が全くないわけじゃないと思います。他のメディアがあまり取り上げないこうしたカルテル事件をしつこく書くくらいだし。

2008年11月19日水曜日

麻生首相の医療界への発言について

「社会的常識欠けた医者多い」=麻生首相、全国知事会で発言(YAHOOニュース)

 本日行われた全国知事会議において、上記のリンクに貼ったニュースに書かれているように首相の麻生太郎が「社会的常識がかけた医師が多い」と発言したことが報じられました。生憎ビデオ画像などがないので現時点で発言したと断定するのもなんですが、もし事実だとしたらたとえどのような理由があろうと許せない発言です。

 このブログでも既に何度も取り上げて今すが、「医師は高給」というのは既に昔の話で、長時間の労働に加え最近では医療不作為や妊婦問題などで叩かれ、人によっては裁判に訴えられる方までいるという過酷な仕事環境です。おまけに国は現状のように人口に対して医師が不足することが予測できていたにもかかわらず、今年になってようやく医学部の定員が増加させられましたが、これまでは一貫として減らし続け、現在のような混乱した医療現場を自ら作り出した責任があります。また医療費についても、これまた一貫として下げ続けたため、医師個人の給料はもとより病院経営も成り立たなくなり、医療行為の中には治療に必要な薬品代や人件費が国からもらえる報酬を上回る、やればやるほど赤字となる治療すらあるようです。

 そのため病院の経営を支えることが出来ず、今年に経営を畳んだ病院はここ数十年で最多となったそうです。これが何を表すかわざわざ言うまでもないのですが、病院が減ったことにより残った病院の負担が大きくなり、医師の仕事環境はますます過酷となり、病院内のベッド数もすぐに満杯となって急患を受け入れられなくなるという今の状況となっていったのです。

 それを言うに事欠いて医師に社会的常識がないとは、そっちこそ医療問題の常識がないと私は言い返したい思いです。7時のNHKのニュースにてこの発言の件をインタビューされている映像がありましたが、その際にははっきりと発言したとは明言しなかったものの、「まぁ、まともな医師が不快な思いをしたら申し訳ない」と述べていたので、恐らく発言したのは事実でしょう。
 なんでこんなのが日本の首相をやってるんだろう。

2008年11月18日火曜日

現代の若者は打たれ弱いか?

 なんか最近この手の若者論の話ばかり書いてて、連載とかにしたほうが良かったかなとすら思ってきます。記事を集めたタグもそろそろ作り直さなきゃいけないし、ちょうどいい機会なのでまた今度これまでの連載記事を含めてパッケージしてタグを作り直そうと思います。

 それで早速ですが、よく世の中では「最近の若者は打たれ弱い」、「ちょっとの言葉ですぐ傷つく」という若者論を聞きますが、ひねくれものの私からするとやっぱり腑に落ちない論評だと思います。
 確かに私から見ても今の若者は以前と比べるとキツイ言葉を少しかけた途端に挙動不審なくらいに慌てますし、私も一応若者に属しますが自分でも星一徹みたいな人間を相手にすると考えたらすごく気が落ち込みますし(誰でもそうだろうけど)、その私からしても二、三年下の後輩と話していても、こちらが意識する以上に非常に私の言葉を重く受け止め、ちょっとの注意で落ち込んでしまう子が増えている気がします。

 しかしその一方、先ほどと同じ言葉を重ねますが最近の若者を相手にしていて思うことは、やっぱりこっちの言葉や態度を非常に重く受け止める傾向があり、先ほどの例とは逆にこちらが大して意識していないものに対して非常に感謝したり、ある日突然心を開いてきたりするようなところもあるように思えます。ネットの掲示板で見ていても、会社員の方の言葉で最近の新卒は最初は非常によそよそしいくせに、ちょっと教えたり仕事を手伝ったりすると急に心を開いてくるといった話があり、この話に私自身もなんとなく得心します。

 ここまで言えばわかると思いますが、現代の若者は打たれ弱いと言うよりも、他人の言動や行動を大きく受け止める傾向があるのではないかと思います。ドラクエに例えるのなら、ホイミをかけると通常30ポイント回復するところが60ポイントも回復する一方、ギラを喰らうとこちらも30ポイント位のダメージを受けるという具合に、影響を受けるプラスマイナスの増減がこれまでの二倍になっているような感じだと私は言いたいのです。

 では何故現代の若者がこうなってしまったのかと言うのが一番大事な点ですが、これについては、

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            , ;,勹
           ノノ   `'ミ
          / y ,,,,,  ,,, ミ
         / 彡 `゚   ゚' l
         〃 彡  "二二つ
         |  彡   ~~~~ミ      ……………
     ,-‐― |ll  川| ll || ll|ミ―-、
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/    天      \`i / /  狗   |

 という具合だったら非常に話が早くて私も助かるのですが、さすがにこんな結論で終えることは出来ません。
 仮にこうした議論をすると原因として、まず最初に上がってくるのは教育でしょう。最近の教育がうんたらかんたらという話で、これも結論に持ってきたら非常に話が早い分あまり分析的に面白くないです。そんな結論なら誰でも出せるので、一体何故重く受け取ってしまう若者を生む教育になったのか、そういった背景まで求めてみたいものです。

 なんか先ほどから非常に回りくどいから私の結論をもう言うと、まず一つの原因として社会での責任が大きく問われるようになったからだと思います。それこそ今では被害者が出ていなくとも食品の賞味期限の改ざんくらいで社会全体揃ってパッシングが行われるような時代で、かつての雪印や日ハムが起こした食中毒問題と比べると問題性は瑣末な割に、企業などが被る打撃というのは私見ながら大きくなっているように思えます。
 無論、企業にとどまらずほかのすべての方面でも社会的責任だけが大きくなり、その中で青春期を育ってきた今の若者などはこの影響を受け、社会的制裁を避けるために相手の発言や行動に対して注意深く対応するようになったという具合で、言ってしまえばいじめ問題などでも槍玉に上がる集団心理的な拘束が強まった結果ではないかと私は考えます。

 一例を上げると、これなんかまさに私の例ですが一銭も儲けはなく、いわば私的に書いてネット上でただ公表しているだけのブログでも、何か一部の人間の意図に反する内容の記事を書いただけで激しく批判され、ひどい例などはアドレスをさらされた挙句に散々な罵倒を受ける可能性があります。私としては確かに情報を売ってお金をもらっているマスメディアなどが誤報を流した場合は批判されても仕方がないと思うのですが(嘘という夢を売っている東スポは除きます)、こうしたブログに対して議論的価値のある批判ならともかく、感情をぶつけるだけの批判をするなんて批判者にとってもブログを書く側にとってもあまり意味がない気がします。そんなに嫌な情報なら見なきゃいいだけだし。
 しかしそんなブログでも、昨今では書いた側も思わぬところで持ち出され、批判の対象になってしまいます。もちろん最近流行のミクシでの犯行自供などはこの例に当てはまらず自業自得ですが、何かの発言の門で批判されるということについては、ネット上のほうが規模が大きい分、案外実社会より危険性は高いのかもしれません。

 この辺は「監視社会」の話と組み合わせるともっといろいろ話が広がるのですがそれはまた別にして、少し話がそれましたが、こうした社会的責任の増大が現代の若者のなんでも重く受け止める傾向を作ったのではないかと思います。折も折で教育現場でも、「相手の立場を思いやること」というのが私の時代でも非常に重視されていましたので、そういった影響もあるのではないかとも思います。

 ではこの現状にどうすればいいかですが、私としてはやはりあまりいい現状とは思えず、早急に改善策を図るべきだと思います。というのも、「燃え尽き症候群」といって、人生に一度や二度しかない重要な生き死にの場面に毎日何度も遭遇する看護士の方などが、ある日突然うつ病のような症状を出すということを聞いたことがあり、人間の行動意欲というものには個人個人に限りがあり、何かに気にかければかけるほど行動意欲は減って行き、一定のキャパシティを越えるとやる気などがガクンと削がれるのではないかと考えるからです。
 これまた今の若者は何事にも意欲がないとも言われており、この背景には対人関係や周囲の目に対して今の若者が非常に気を配りすぎていて、自分の限られた行動意欲を無駄に使い過ぎて自分独自の行動を起こせずにいるのではないかと思います。

 では改善策は何かですが、これまた先ほどの「燃え尽き症候群」の予防策ですが、やはり周囲に対して過度に親身になったりはせず、所詮は他人事と思ってある程度割り切ることが良いそうです。やはりタフな看護士というのはこれが出来るらしく、私の家の近くの看護士のおばさんなんか、「あの患者、まだくたばんないのよ」といつも放言していましたが、私的に勉強を続けて今ではある大学にて介護学の正教授を務めています。
 もっとよい好例を出すとしたら、去年前半にベストセラーとなった渡辺淳一氏が提唱した「鈍感力」です。渡辺氏によると気を配る必要のある対象には気を抜かず、逆にその必要のないものには過度に気を配るなということで、いわば自分の神経を集中する方向をきちんと定めろということが主張されており、その例として他人の意味のない批判や暴言に対しても気にしなければ気にしない方がいいという例も本の中で書かれています。

 しかし、このような改善策を提唱しながらもこれを実行するのは私はとても難しいと思います。というのも最初に述べたように今の日本社会は周囲に対して過度に気を配ることを強制しているからです。カスタマーサービスなどでもちょっとでも気を抜けば、「心がこもっていない!」等と批判され、注文の対応が少しでも遅ければすぐに怒鳴られたり、モンスターペアレントなどの問題が拡大するなどこの流れに歯止めはかかっていません。なのでもし本気でこうしたものを改善しようものなら、社会全体で寛容さを持つようにと訴えるとともに、先ほどの渡辺淳一氏のように鈍感力などと言葉を作って文化として広めるしかないと思います。

 ここまで書いといてなんですが、「この言葉はまさに君のためにある」と、この鈍感力を持つようにと言われるほど私は周りから気を配り過ぎだと見られているようです。

2008年11月17日月曜日

失われた十年とは~その十、リストラ~

 今回の連載もようやく二ケタ台。あとどれだけ続くだろうな。

 さて前回では長引く不況に日本式経営の権威がこの失われた十年の間に大きく失墜したと書きましたが、その中でも最も大きなトピックスとなるのがこのリストラです。このリストラという言葉は元はリストラクチャリング、再構築という英語から来ていますが、実質的には従業員数のカットということで、それまでの日本式経営の柱の一つである終身雇用がこのリストラによって大きく否定されることになりました。

 97年の山一證券の破綻によって不況が深刻になる中、企業も利益の減益どころか大企業であろうと赤字を出すようになり、早急なコストカットを図らねば簡単に倒産することが当時は目に見えていました。そのため、そこそこ支払い給料額も大きくなり、必要な人材とそうでない人材がはっきりとわかり始めるようになった40歳以上の中年世代の社員がこの対象となり、この時期に不要と判断された人間は容赦なく首を切られていきました。

 私自身がこのリストラの現場を目の当たりにした経験は一回だけあり、中学生だった私は今の個別指導型の予備校に通っていたのですが、そこでは一人の教師に対して二人生徒がついており、毎週私は自分より一つ年上の高校生の方と一緒に勉強していました。毎週会うもんだから互いに気心も知れて、帰るときには談笑し合うくらいの仲だったのですが、ある日突然その人が来なくなりました。
 どうしたものかと先生に聞いたところ、何でもその人の父親がリストラにあって失職し、高校は続けるものの予備校は費用の問題から辞めざるを得なくなったということだったようです。

 当時、このような話は日常茶飯事でした。テレビでは毎日リストラの問題を取り上げはするものの、人員カットを行わねばならぬほどどの企業も追い詰められているというのが常識であったことから、それほどリストラを行った企業に対しては批判が起きていなかったように思えます。唯一社民党だけが「リストラの全面禁止」を主張して選挙戦を行いましたが、「そんなことやって企業本体が潰れたらどうするんだ」という逆批判に遭い、これもこの後に細かく解説していきますがそのまま左翼政党の失墜へと続いていきます。

 ただこのリストラについては、私の友人のように余計な同情論は無用と言う人も当時から少なからずおりました。というのも日本式経営のもう一つの柱である年功序列制のためにバブル期以前には同期の給料を一律に引き上げるため、無駄なポストを無理やり作っては実権のない中間管理職を日本企業は量産しており、そのコストに見合うだけの効果をほとんど発揮せずに無駄金を使い続けていたという実態がありました。またそのような環境のために実力のあろうとなかろうとそうして出世、給与アップが行われていたため、朝会社に来てから新聞を読むだけで何も働かない人間、いうなれば会社に寄生する人間も数多くいたと私は聞いています。

 確かにリストラされた方の大半は真面目に働いてきた方ばかりでしょうが、組織的にも無駄なポストを量産していたと言うのは紛れもない事実であり、いわば日本式経営の負の側面の清算という意味でもこのリストラは行われたと言うべきでしょう。
 そして極めつけですが、これは友人の言ですが、少なくともリストラされる人間は40代で、会社に入ってから20年もの時間があり、その間に何かしら会社に必要とされるような資格、技術を取ろうと努力せずに首を切られたのは個人の責任だと常々述べています。この意見に、多少厳しいかなと思いながらも一理あると私も同感しています。

 聞くところによると韓国では儒教思想が強く、このリストラが行われるにしても日本とは逆で老人を残すために若手社員から切られていったそうです。それに比べれば社会的にも将来的にも、日本の中年を切るリストラの方が良かったのではと、今の韓国の若者が置かれている劣悪な状況を見るにつけ思います。しかし残された若手社員こと若者も決してこのリストラによってタダでは済まず、人員が減った分一人当たりの仕事量が増えて猛烈な過労状態が各業種で行われるようになっていきました。何もこうした日本の過労傾向はこの時期からではないですが、先ほども言ったように人件費のカットがこの時期に次々と行われ、あらかじめ決められた一定残業代を給料に組み込むことでどれだけ残業しても残業代がもらえない「見なし残業込み給料」と言うものが普及し、残業時間が労働時間に計測されず、また給料上昇も非常に抑えられて日本の労働環境がいろいろおかしいことになり始めたのもこの時期です。

 そういう具合で、この次には当時の若年労働者の状況こと、就職氷河期について解説します。おまけとして、当時に大流行りした綾小路きみまろのネタを載せておきます。
「会社のために手となり足となり、クビとなり」

2008年11月16日日曜日

右翼と左翼、どっちがいいの?

 ちょっと今朝に怒鳴りすぎてへとへとなので、さらっと書きます。いやね、高速バスを予約しようと思ってJRのバス予約ページに行ったらログイン時に、「そのIDは有効期限が過ぎているのでまた登録しなおしてください」とか言われてムカッときて、しょうがないから同じIDで再登録しようとしたら「そのIDは既に使われています」とか抜かしやがって、だったら使わせろよってんで一時間くらい「アホ!」とか「ボケっ!」とか言って怒鳴り続けました、近所の皆さんごめんなさい。おまけにIDを一新して予約をしたら、支払い方法に何故か説明にあるコンビニ決済がない。電話で確認したら、「あ、そのバスはコンビニ決済が出来ないんですよ」とか言われて、クレーマーにならないように電話を切ってからまた一人で怒鳴り散らしてました。もう二度とJRバスは使わないぞ。

 さて本題ですが、以前に「二変数で見る国家の主義、体制」の中で右翼と左翼の二項対立的な見方は非常に危険だと私は書きましたが、では主義的にはどんなものを持てばいいのか、右翼でも左翼でもないと言うのは一体なんなのという風なことをよく聞かれた上に、「じゃあ君は一体どんな立場なの?」とも聞かれるので、ここで私の立場を表明すると、敢えて言うなら変動型中道派です。

 私だけかもしれませんが、あまり日本では中道派という言葉は政治的スタンスとしてそれほど使われていないような気がします。これはそのまんま右翼でも左翼でもないと言う立場ですが、まぁ日本でこれを主張している連中が非常に中途半端な奴ら(公明党、社民党)が多いからだというのもありますが、基本的な定義としては右翼、左翼のどっちにも与せずにバランスの取れた政策を標榜する集団と言う定義になります。しかしこんないいとこりしようったってうまくいくはずもなく、なんとなく日本でこれの標榜者は毎回政策がころころ変わるだけで、むしろ根っこのない政治集団ほど中道を主張していますね。
 そういう私も一応はこの中道派に属することになるのですが、まぁ自分で言うのもなんですが非常に奇妙なポジションを主張しています。なお、普段の言動では学校の授業中に、「あなた、右翼でしょ」と言われるくらい過激です。

 まず私はこれまでの歴史を振り返ってはっきりと言えることに、極右、極左が支配する社会が最も不幸だという概念を持っています。前者は戦前の日本とナチスドイツで、後者は過去の中国と今の北朝鮮、スターリン時代のソ連です。両方とも一つの思想に凝り固まって、正常な思考判断が社会全体で行えなくなる可能性が非常に高くなります。
 私個人として、何があってもこのような左右どちらにも極端な社会思想が支配する状況だけは避けたいと考えています。ではどうすればいいかですが、単純に両者の真ん中である中道を叫び続ければいいかと言えば、私はこれには疑問を感じます。というのも、ちょうどシーソーを真ん中でキレイに釣り合わせるというのが難しいように、理想的な中立状態と言うのは現実に作ることは非常に難しいですし、また今の段階でどんな状態がその理想中立状態なのかもわかりませんし、往々にしてこうしたモデルは時代々々によって変化しやすいものです。

 ならばとばかりに私が考えたのは、社会で右翼勢力が強くなってきたと感じたら左翼に属し、左翼が強くなってきたと感じたら今度は右翼に属すというように、常にマイノリティーの側に属してバランスを保たせるようとする方法です。先ほどのシーソーの例で言えば、ちょうど真ん中のあたりで左右にぐるぐる走り続けるのが私のポジションと言うことです。
 私自身も未熟ではありますが、その未熟な思考の中でも社会風潮の動きを見てその都度ポジションを替えるようにしています。古くは中学生時代、当時に日本史における自虐史観が強かったことからかなり右翼的な発言ばかりをしていましたが、現在では労働組合を筆頭に左翼勢力がめっきり弱くなって労働問題が頻発していると見ており、左翼的な発言を意識的に多くしております。

 見る人によっては「この蝙蝠野郎!」とか、「地に足がついていない」などと批判をされるかもしれませんが、私の最大優先事項は「社会を極端な思想に持ってこさせない」と言うことにあり、先ほどの批判も甘んじて受けるつもりです。
 結論を言うと、「猶過如不及」こと、「過ぎたるはなお及ばざるが如し」で、右翼も左翼も究極的には思想的にどちらが優れているということはないと思います。如何に時代々々にあわせて、両者を使い分けるかが最も大事だと思います。

2008年11月15日土曜日

非正規雇用型社会モデル

 以前の記事のコメント欄に、日本は国としての社会保障が不十分だから企業がそれを負担してきたのに、いまや企業も社会保障に金をかけずに非正社員を多く雇用して問題があるという意見があり、ちょうど以前から用意していたネタがあるので、ここで紹介しようと思います。

 まず実現可能かどうかを別として、私は日本の被雇用者が全員、正社員ではなくなるという社会について考えてみたいと思っています。

 現在、日本の雇用状況は全体の約四割が長期雇用を前提として労働権もある程度認められている正社員ではなく、権利も立場も不安定な非正規雇用、いうなれば派遣、パート、アルバイトで占められています。かつては労働者の九割近くが正社員であったのと比べると、これは日本社会上での大きな変動と言っていい上に、社会システム上でも問題ある状況です。
 というのも、先ほどのコメント欄の意見の言う通りに日本の社会は労働者、ひいては一家の大黒柱となる戸籍上の家父長に当たる、父親や夫という立場の男性が、すべて正社員であることを前提にシステムが作られているからです。

 まず一つは戸籍制度で、これは家父長を中心に作っているので男性が誰と結婚してどの子を生むかというように、家父長に対してどのような変化があるかという具合で作られていきます。そのため、以前に問題となった離婚後90日以内の子供の戸籍問題など、いろいろややこしいものができるのです。
 次に代表的なのは税法です。日本の国家財政の取材源は直接税こと所得税ですが、これは正社員の人間の給料から直接天引きする税金で、言い換えれば正社員が減れば減るほどこの主財源の取り口が減っていくことになります。

 そして一番問題なのは、何を隠そう保険と年金制度です。
 これは両方とも正社員の場合は会社と本人の給料の折半になりますが、もし正社員でない場合は掛け金を全額丸ごと払わなくてはならず、しかも年金の場合は正社員の厚生年金と分けられ国民年金となり、将来の受給額にも差が生まれます。これも言い返すと、正社員でなければいろんな面で個人の負担が大きくなるということです。

 このように、社会保障から税体系まで何もかもが正社員の家父長がいることを前提に日本の社会システムが出来ており、逆に正社員になれないとするとこうした社会保障を受けづらくなるということです。もともと日本の社会保障政策は先進国としては非常に低いレベルにあるといわれており、最初に挙げた意見の通りに日本はその分の埋め合わせとして企業が独自に年金を設けたり、自宅購入のローンを組んであげたり、ミニマムなのだと毎年の健康診断の費用も負担してきました。
 しかし近年は企業も人件費削減の名目でこうした支出を減らしており、雇用比率も正社員の割合が年々下がったことにより社会補償問題が次第に表面化してきたと言っていいでしょう。
 なお企業が社員保障を減らした一例を上げると、標的にして申し訳ないが松下が以前に業績悪化を理由に退職社員の企業年金額を減額しています。まぁそっくりなくすわけじゃないし、実際にあの時の松下は経営状況が非常にやばかったので私も理解し、裁判にもなりましたがやはり合法と見なされました。

 今ニュースで取り上げられている問題の大半はまさにこういったシステム不全が原因として起きています。国家歳入の低下から医療問題、果てには貧困問題と、すべて現実の状況が変化しているのに社会システムがそのままなために起きております。根本的な事を言うと、こうした問題を解決する方法は二者択一で、システムに現実を合わすか現実にシステムを合わすかです。無論、後者ができるとしたらその人はいろんな意味で神様です。

 ではシステムをどう現実に合わせて変えるかですが、まず以って現実に起きている現象は非正規雇用の増加です。この変化にどう社会システムを合わすかといったら、一番多く主張されているのは企業の雇用に対して規制を設けるという案で、非正規雇用の雇用者に限界割合を設けるとか、一定の雇用期間を越えて雇用する場合は正社員にしなければならないという期間を現行の三年以上からもっと短くするなどの案が提唱されています。
 しかしこれらの意見など中国人に言わせれば「上に施策あれば、下に対策あり」で、現実にこの前中国でも労働法が改正されて一定期間後の正規雇用が厳しく義務付ける法律が出来たら、施行される直前にある企業では職員すべてを一斉に解雇し、次の日にまたすべて再雇用することで雇用義務が発生する期間を下回らせるという荒業をしてのけています。多分、今の日本の企業だったらおんなじことをする可能性があります。

 じゃあどうすればいいかですが、先ほどまでの「非正規雇用を正規雇用へと変えさせる」案に対してここで私が提唱する案は、「今の正規雇用をみんな非正規雇用の立場に変える」という逆説的な荒唐無稽な案です。
 まずは最初にやるのは所得税を九割方廃止します。所得税は年収が1000万円を超える世帯(確か今の日本でこれに当たるのは5%以下)を除き一銭もかけなくします。こうすることによって所得税の算出、徴税に必要な膨大な人員と費用を削減できます。
 では代わりの財源は何にするかですが、ここで消費税を20%に上げます。大分前の記事でも書きましたが、税の三要素で見るのなら消費税は所得税より遙かにハイパフォーマンスです。もちろんこの場合は食料品などの生活必需品には課税せずにするのが条件で、いうなれば所得税と消費税の比率を逆転させる案です。

 こうして税体系を大転換しつつ社会保障についてもこの際現行の目的税にして独立して採算を図ったりずに、すべて一般会計に組み込みます。では現行の企業が負担する社会保険料や年金の掛け金はどこから持ってくるかですが、これは法人税に組み込みます。ただしこれまでのように雇用人員によって算出するのではなく、単年度の売り上げに合わせて変動するようにして、いくら社員を雇用しようと徴税額に変動が起きないようにしておきます。こうすることによって、社員の新規採用に当たって企業が新たに負担する費用は給料だけになるので、事実上現行より負担が減るので新規採用も行いやすくなります。

 そして一番肝心なのが、正社員と非正社員の区別を完全になくすことです。既に先ほどまでの税体系の変更で企業が負担する社会保障額に違いはなくなっていますので、あとは雇用期間やリストラをどうするかですが、これはこの際野球選手みたいに年俸制にしたり、3年契約みたいに雇用期間をあらかじめ双方で決めたりする制度に変えてみるというのが今の私の考えです。敢えて社員の流動性を高めることにより、後進にもチャンスを与えることが出来るので、少なくとも今の身分制のような雇用体系よりはマシなんじゃないかと思います。もちろん、この流動性を実現するには失業後の社会保障がしっかり出来ていることが最低条件ですが。

 ちょっと予想以上に話が長くなりましたが、最初にも言ったとおりに実現するかどうかは別として、正社員という概念がない世界をどうやって作り、回らせるかというのを考えるのは非常に現状を見る上で参考になる案が出てくると思います。私自身、今の日本の社会システムはもともと戦後の混乱期に作ったシステムがそのまま援用されている過ぎず、早くに現状に即したものへと変更するべきだと思います。ちょっと書ききれなかったのですが社会保障が充実することによって将来の不安がなくなり、日本人の世界的にも異様に多い貯蓄も消費へ回るので政策的にも理にかなっています。
 ちなみにイギリス人学者のロナルド・ドーア氏は戦後直後の日本に来て、「日本は社会保障が全然充実していない」と言わしめており、それが今も続いていること事態日本の社会システムが欠陥を持っている最大の証拠だと思います。

最近なくなったコールドスリープの話

 週末なので、適当な記事でもバンバン書く気力があります。というより、ここ数日は細かいニュース解説が多くてちょっと疲れ気味だったのもありますが。

 それで本題ですが、90年前後のSF作品にはよくあったのに最近はすっかり見かけなくなった話の類型として、今回タイトルに上げた「コールドスリープ」があります。これは人間を意図的に極低温状態に置くことで生命を維持したまま生体活動を停止させ、時間をおいた後で文字通り再び解凍による再蘇生をすることで、若さ(肉体年齢)を保ったまま解凍時の世界に舞い戻るという技術です。俗に言う、浦島太郎物のSF技術ですね。

 これを題材に取った歴史的に古い漫画作品というと、まず上がってくるのは手塚治虫氏の「火の鳥」の、確か未来編だったかな。この作品では宇宙船にて航行する搭乗員が通常の航行中はこのコールドスリープで眠り続け、交代で宇宙船を操作する場面が描かれています。他の作品も大体こんなパターンでこのコールドスリープを使っており、長い宇宙航行の間に年齢を重ねないための手段としてよく使われていました。
 こういったパターンに対して、より浦島太郎の話に近づけたパターンとして、過去の超技術があった時代にコールドスリープをした人間が移籍発掘などで掘り出され、何千年も後の現代に蘇るというような話もよくありました。

 しかし、大してチェックとかしてる訳じゃないけど、なんか最近こういったコールドスリープが出てくる話を急に見なくなった気がします。ちなみにこのコールドスリープが出てくる話というのは、そのほとんどが悲劇的な結末に終わっていることが多く、これは恐らく話の原型となっている浦島太郎の話がアンハッピーエンドで終わることが影響していると思われ、大体の話の結末は無事蘇ったものの目覚めた世界は自分の暮らしてきた世界とは大きく変わっており、そのギャップにさい悩まされるという具合になっています。一番それをストレートに書いているのは、藤崎竜氏の短編漫画作品の「WORLDS」かな。

 そういったアンハッピーエンドが多い中、唯一これに対抗したのが光原伸氏のこれまた漫画作品の「アウターゾーン」でしょう。これなんか自分より下の年齢の人にはもうほとんどわからないであろう作品でしょうが、この作品は一話完結形式の作品で、その中ででコールドスリープが出てきた回での主人公はまさにこのコールドスリープの研究者で、現在治療できない病気患者を未来の技術に託すために研究をしていたのですが、ある日同僚の研究者に騙され、自ら人体実験を申し出たことにされてコールドスリープの機械に入れられて研究の功績はおろか、恋人までも奪われてしまいました。

 そうして数十年後、眠りに入った当初はまだ不確実だった再蘇生の技術が確立されたことによって主人公も未来の世界で再び目覚め、すわ復讐とばかりにかつての同僚の前に立ちます。しかし既に年老いた元同僚は貧相な生活をしており、彼が言うには主人公がコールドスリープをした後に主人公の恋人を奪ったものの、実はあの女はスパイで、研究功績を奪われた挙句自分は罪を着せられ今はこのようなヨレヨレの生活をしている、それでもいいなら自分を殺しても構わないと言い、それを聞いた主人公も今更どうしようもないと結局何もせずに別れました。

 そうして冷静になったとはいっても、知人も何もないこの未来の世界でこれからどうして生きていこうと悩む主人公に、同じくコールドスリープから再蘇生したばかりの少女が話しかけ、スリープ以前に不治の病を抱えたがある薬品会社がその病を完治させる薬を新開発したので再蘇生し、以前の病気も治ったことを伝えます。その薬品会社というのも、主人公が生前に株式を購入していた会社で、いまや巨大な企業となっていることから、それこそ寝ている間に思わぬ財産を主人公は得ていたのです。こうした事態を受け、またもう一度やり直そうと主人公は再び生きる気力を持ち始める、というハッピーエンドで終わっています。

 作者の光原伸氏もよく自分の作品解説で述べていますが、どう考えたってアンハッピーエンドで終わる話を無理やりハッピーエンドに持ってくることを心がけていたそうです。何もこの話だけじゃなく、割とホラータッチのおどろおどろしい話が多い中、このアウターゾーンは読後が非常に気持ちよくなるハッピーエンドで必ず終わるようになっており、現在でも話作りの際に私が最も参考にする作品です。

ハリー・モットーシリーズ

 このまえ自転車に乗りながらふとこんなことを思いつきました。

・ハリー・モットーと移籍の意思
・ハリー・モットーと徹子の部屋
・ハリー・モットーと江夏の囚人
・ハリー・モットーと炎の特訓
・ハリー・モットーと不滅の巨人軍
・ハリー・モットーと阪神のプリンス(新庄)
・ハリー・モットーと球界の至宝(イチロー)

 こんなことばっか考えて運転するから、危ない乗り方になるんだろうなぁ。

2008年11月14日金曜日

カルテル連続摘発についての続報

 昨日の今日ですが、昨日書いた「カルテル連続摘発の報道について」で私は何故一斉にカルテル摘発に捜査機関が取り組んだ動機がわからないと述べましたが、今日ひょんなところからその疑問のヒントが出てきて、ある仮説が浮かんだので早速紹介します。

 そのヒントというのも、あるメキシコ人からのメールでした。この人は別に私の知り合いでも何でもないのですが彼の英文のメールにて、「値上げっつったって、お前らが理由にしている原油価格はむしろ下がっているじゃないか!」と書いていたのを見て、はっと今回の仮説に気がつきました。
 彼がこのメールを寄越した背景には、日本のあるメーカーから原油価格高騰を受けて自社製品の値上げを彼のいる会社に通知したのですが、そのメキシコ人からするとこのところは原油価格は逆に下がっており、原油価格高騰による原材料費の高騰、及びそれがしばらく続くとの予測を理由にした値上げには納得できないということをメールで伝えてきたというわけです。

 言われてみるとなるほど、例のリーマンショックのあった9月13日直前に1バレル140円台に達するピークを迎えてから原油価格はその後どんどんと下がり、現在に至っては去年前半に匹敵する1バレル50ドル台をうろつく程に、率にして実に約三分の一になるまで下がっています。しかもそれがここ二ヶ月の落ち込みで起こっているのですから、今年前半の高騰時異常の変動幅で下がっております。

 ちなみにあのリーマンショックが起きた頃に雑誌とか読んでいると、エセ経済学者とか相場屋が証券市場は下がる一方だがその分原油や金といった先物市場にお金が回ってくるようになり、逆にどんどん上がっていくといったことを知った風な口をして言ってましたが、市場にあるお金が株価の全面安によってある日突然消えてなくなったんだから私はそんなの上がるはずがないと思って見てましたが、案の定というか金の先物価格を今調べてみたら原油価格ほど極端ではないにしろ、ほぼ同じ形のグラフを作って今も下がり続けています。金に至っては貴金属買取業者がやっぱりこの下落で非常に苦しい経営を迫られており、下に貼ったニュースにあるように違法な出張買取が横行し始めているそうです。うちの近くの古本&中古ゲーム屋もリーマンショック頃から店の前にでっかく金を買い取る看板を出していたけど、多分今頃大損こいてんじゃないかな。まぁあそこはこの前に店舗改装してから店の雰囲気が気に入らなくなったし、この際潰れてもらっても構わないけど。

「貴金属出張買い取り」に注意! 群馬県内で急増中 知らぬ間に違法行為(YAHOOニュース)

 さて例の如く非常に前置きが長くなりましたが、私が今回カルテル摘発が相次いだ背景にあると思う仮説というのは、ずばり値上げです。去年から現在に至るまで昨今の原油高騰によるコスト高のため、おそらく世界中の全産業で値上げの嵐が起こっています。幸いというか日本ではガソリン代を除いて消費者レベルに至るまでその値上げが大きく反映されるものは少なかったのですが、企業間の取引ではどこもかしこも10%程度の値上げは当たり前で、以前に話を聞いた鉄鋼会社の方などは値上げの交渉が多くなり、交渉の場で担当者同士が黙り合うことも非常に増えたと話しておりました。

 ここではっきり言いますが、この値上げの嵐に乗じていくつかの企業は必要以上の値上げを行っていることでしょう。もちろん大半の企業では相当に苦労して身を切りながらわずかながらの値上げをやっていることに間違いないでしょうが、今回カルテル事件化した鉄鋼、液晶、ガラスの三産業において摘発された企業などは値上げが目立ちにくいこの機に乗じて相互に協議し、不正に一斉に値上げを行ったために今回摘発の対象となっています。ニュース記事を読んでもらえればわかりますが、摘発理由はどれも「不正な値上げ」です。

 それでこれは私の予想ですが、もし原油高があのまま続いていれば今回の摘発は見逃されていたかもしれません。
 というのも最初に挙げたメキシコ人の言う通り、現実には原油価格は下がる一方、というより底が見えないほど下落を続けていますが、原油価格が上がっていた頃に達成された企業の値上げは今もそのままの状態です。実質全産業において価格が上積みされたままでコストは高騰以前に戻っているままという、現在の状態は一部の企業にとってかなりおいしい状態といえます。しかし我ながら異様に深読みし過ぎかもと思うのですが、もしこのままの状態が続けば確かに企業間取引において一部の企業の一取引あたりの利益は大きくなるものの、価格の増大によって全体で取引件数は減り、なおかつ一次、二次加工品を扱う、原油価格の下落の恩恵を受けられない中小企業にとってすれば値上げされたままの苦しい状態が続きます。もちろん、こんな状態では全体の景気にも悪影響を及ぼしかねません。

 そういった懸念を背景に、すでに繰り返された値上げ価格を現在ではむしろ世界的に引き下げる必要性がある、という具合に国際間の政策決定者たちは認識したのかもしれません。そのためひとまず事件の証拠をすでにある程度抑えており、他の産業も目を引く大規模かつ示威的効果もある国際カルテルによる値上げ事件を一斉に処罰した、というのが今回カルテル摘発が相次いだ原因ではないかと私は考えました。

 今回の仮説は過分に私の予想が含まれており、むしろ陰謀論めいた面白おかしい話に仕立て上げた感もあります。しかしこの中で書いた事実は少なくとも現実のものであり、今後の世界経済の動きを見る上でお役に立てるのではないかと思います。特にすでに行われた値上げの問題は非常に根深く、一度上げた価格を原油が下がったからまた皆で一斉に下げ合うことなんてできるはずがないので、ボディブローのようにじわじわと長く効いてくると思います。

  今日の参考サイト
WTIリアルタイム原油価格チャート(商品先物取引ポータル)
東京金&価格チャート(岡地株式会社)

2008年11月13日木曜日

カルテル連続摘発の報道について

 今まで散々一人で騒いできたこの「ブロガー」のリンク問題ですが、昨日になってみるとなんと以前のように編集画面が戻り、私の使用ブラウザ「Opera」でもまたリンクもできるようになりました。何はともあれ、一安心です。

 それで早速今日の記事ですが、まずは直ったばかりの以下のリンク先のニュースをご覧ください。

めっき鋼板、カルテル容疑 東京地検、大手3社立件へ(asahi.com)
米司法省、液晶価格カルテルでシャープなど3社に罰金559億円(Yahooニュース)
旭硝子に制裁金140億円、EUが日欧4社のカルテル摘発(Yahooニュース)

 以上三つのニュースはこの一週間、といっても最初の鋼板カルテルの事件がちょっと前なだけで後の二つは昨日から今朝にかけて一挙に報道された事件です。
 カルテルというのは一種の談合のことで、複数の企業がある商材に対し価格競争を行わないことを互いに約束し合い、値段を吊り上げて自分たちの利益を引き上げる方法のことを指します。たとえば牛乳を買おうとしてお店に行っても、どこの牛乳屋も1000円で売っていたら消費者は1000円で買うしかありません。こういった状況を恣意的に作り出す談合のことをカルテルといい、基本的に資本主義国では市場が歪む恐れがあるのでどこも独禁法を設けて禁止しております。ま、さっき例に挙げた牛乳は酪農家の苦労している現状を知っているので、もう少し全体で価格を引き上げてもいいと私は思っています。

 それで今回明るみになったそれぞれの事件の内容を簡単に説明すると、まず最初の鋼板カルテルの事件は日鉄住金鋼板、JFE鋼板、日新製鋼、淀川製鋼所と錚々たる顔ぶれの大手金属メーカーが住宅用屋根の建材に使う「亜鉛メッキ鋼板」の値段の値上げを、これまでになんと六回も揃い踏んで行っていたということを公正取引委員会によって指摘され、東京地検によって現在捜査と立件の準備が行われています。何気にうちは朝日新聞を取っているのですが、朝日はかなり早い段階からこの事件を一面に持って来て連日報道しており、その甲斐あって後ろ二つの事件への反応もよかったと思えます。

 二つ目の液晶カルテルは日本のシャープ、韓国のLGディスプレイ、台湾の中華映管の三社がテレビや携帯電話の画面に使われる液晶パネルの価格に対して国際的にカルテルを結んでいたのを米司法省によって指摘され、三社もこれを認めて制裁金を支払うことに同意しています。

 三つ目の今朝報道されたガラスカルテルは、日本の旭硝、日本板硝子の子会社でもあるイギリスのピルキントン、フランスのサンゴバン、ベルギーのソリベールの四社が自動車用ガラスにおいて価格カルテルを行っていたということをEUの欧州委員会に指摘され、こちらも制裁金を課せられています。なお、旭硝子はEUの捜査に協力したとのことで制裁金は50%免除(それでも140億円だが)されていることから、事実上カルテルを行っていたことを認めているようです。

 こうして三つの事件を並び立てることで私の意も理解してもらえるでしょうが、一体何故この時期に立て続けに三つもカルテル事件、しかも最初の鋼板カルテルを除いた後ろ二つに至っては国を跨いだ企業同士によって行われた国際カルテルで、それらがほぼ同時期に明るみになったというあまりのタイミングの良さになにか胡散臭さを感じます。また日本国内の事件とはいえ最初の鋼板カルテルについても、こうして日本でカルテル事件が俎上に載るのは91年の包装用ラップでのカルテル以来らしくて実に17年ぶりです。17年ごしに発覚したカルテル事件が何故後ろ二つの国際カルテルと時期を同じくするのか、非常に不思議です。
 しかも後ろ二つの国際カルテルでは両方とも非常に大きい額の制裁金が対象の企業に課せられており、液晶カルテルでは三社に対して総額約560億円という米独禁法では史上二番目の高額で、ガラスカルテルでは対象の四社に対して総額約1690億円というこっちもEUの独禁法としては過去最高額の制裁金です。

 これがもし一つの機関による捜査で明るみになったというのなら、カルテルを一網打尽に処罰するため時期を合わせのだと解釈できますが、鋼板カルテルでは日本の公正取引委員会、液晶カルテルでは米司法省、ガラスカルテルではEUと、見事なまでに全部バラバラです。また対象となる事件がもし金融機関の手数料などのカルテル(日本の銀行なんか確信犯的にやってただろうな)であれば、昨今の金融不安の背景もありますし、公的資金を注入する代わりに国民へのガス抜きとして制裁を課して経営陣をしょっぴくみたいな話もわかりますが、今回のは老舗メーカーの工業用品ですし、この構図は当てはまるはずがありません。

 このように私としても、この一連のカルテル摘発が何故起こったのかという理由の仮説がなかなか浮かんでこないというのが正直なところです。それでも苦しいながら挙げるとしたら、何かしら国際間、というより日米欧の政府間でこうした国際カルテルを含む一連の不正に対して一斉に摘発するという密約があったのかも知れない、という仮説が出てきます。あまりのタイミングの良さに加え、国際カルテルについては捜査対象企業が国境を跨ぐということで、現地の捜査担当者同士で情報を交換し合うことが非常に重要になってきますし、何かしら相互の連携が約束されていたとしてもおかしくありません。そう考えるのならば、この仮説も挙げないよりはマシと思ってここで紹介することにしました。

 しかし上記の仮説でもまだ一向に解けない疑問が残っています。一体何故、国際間でそのようにカルテルに対して厳しく取り締まるようになったのかという動機です。言ってしまえば日本国内だけでも、あからさまなカルテル行為が行われている現場はいくらでも有り余っていますし、暗黙の了解となっているのも少なくありません。実際に立件するのが難しいというのはわかりますが、それでもなお今回このように一斉に摘発するように各国の機関が動くようになったのはどんな背景なのかが一番の疑問です。今起こっている経済危機のせいにすれば非常に私としても楽なんですが、捜査がここまで至っていることを考えると、恐らく捜査機関が手をつけ始めたのは公開捜査が今始まった鋼板カルテルを除いて最低でも去年の時点からでしょう。
 この点に関しては現状では判断に足る情報が不足していると思うので、続報があればまた何か考えてみることにします。

2008年11月12日水曜日

日中の工事現場スローガンの差異

 日本人と中国人は言うまでもなく漢字という文字を共有しています。しかし互いに違う年月を経て、中には両国で全然別の意味となってしまた漢字も少なくありません。代表的なのは「手紙」で、これは中国語では「トイレットペーパー」という意味になります。
 こうした意味の違いから、街中を歩いていても互いにぎょっとするものを見ることがあります。私の経験ではある工事作業現場にてでっかく、

「放心工程」

 と書かれているのを見て、ちょっと思考が止まったことがあります。少し記憶が曖昧で、「工程」のところが「工事」、もしくは「作業」だったかもしれませんが、どれにしても日本人からしたらそんなたるんだ態度でやっていいの? それともフラットな気持ちで行こうって意味なのかと考えてしまいます。
 実は中国語で「放心」と書くと、日本語の「安心」という意味になるのです。なのでさっきの言葉も日本語で言うなら、「安心設計」というような意味合いになるのです。

 しかしこうした作業現場の標語はよく漢字四字が使われるため、中国の方も日本に来てはよくびっくりするそうです。その中でもよく聞くのは「注意一秒、怪我一生」と、日本人なら誰でも知っている作業現場標語の王様のような言葉ですが、これを中国語に訳すと、

「もし一秒でも気を抜くことがあれば、一生俺をけなしてくれ!」

 という意味になります。中国語で「怪」という字は「責める」などという意味になるので、これを見るたびに中国人は、「さすがは技術大国日本、なんて責任感を持って仕事をしていることだろう」というように寒心するそうです。

 なまじっか日中は互いの国について知識や共有する文化が多いため、こうしたとてつもない勘違いを互いにやってしまうのかもしれません。まぁこうしたギャグ程度なら全然構わないので、むしろこうした違いをどんどんと共有していけば互いにいろいろと面白いのかもしれません。

  おまけ
 昨日ネットで見た笑い話で、ある工事現場に「俺がやらねば誰がやる」というスローガンが張られていたそうですが、「誰が」の「が」の濁点が削り落とされ、「俺がやらねば誰かやる」という風に改められていたそうです。この話でひとしきり笑った後、今回の記事のネタを思い出しました。

失われた十年とは~その九、日本式経営~

 久々の連載記事だ(*゚∀゚)=3ハァハァ

 さて前回までは主に経済的に、失われた十年の間で行われた政策を中心に解説していきました。実際にこの失われた十年(最近だと一部で「失われた十五年」と言う人も出てきている)は経済学的な意味合いで使われることが多いのですが、社会学士の私からすると経済的というよりは、日本の社会史上における一大転機として取る場合の方が多いです。
 そういうわけで今回からようやくこの連載の主題である、この時代における社会的価値観の変容について解説していこうと思います。最初に一回目は、もはやほとんど話題にすら出ることがなくなった「日本式経営」です。

 先にこの後に解説するネタを紹介すると、この時代に社会の見方が一気にひっくり返ったのはこの「日本式経営」、「左翼」、「フェミニズム」、「スポーツ」といろいろあって程度も様々ですが、どちらかというと強い権威を持ったものが悉く失墜していく一方で、代わりに力をつけた権威というものはあまり多くない気がします。何かあるのならこの後の記事も非常に書きやすいのですが、

 それで日本式経営ですが、この中身というのは言ってしまえば60年代から80年代まで日本の企業で行われた雇用、経営慣行のことを指しています。具体的な中身を言うと「終身雇用」、「年功序列制」の二本柱で組む雇用体制を指しており、ちょっと細かい点を上げると「株式持合い制度」の元で企業投資を社会全体で非常に抑えて内部留保を蓄え、自社投資を繰り返すという経営方法も含まれます。もしリクエストがあるのならこの中身も詳しく解説してもいいですが、長いので今回はちょっと割愛します。

 この日本式経営もバブル崩壊までは「これが王道だ!」といわんばかりに世界でも持て囃され高く評価され、アメリカ人経済学者に至っては「ジャパンアズナンバーワン」とまで評していたのですが、バブル崩壊が起きると、「やはり日本のローカルなやり方だった」とか、「いつかこういう日が来ると思ってた」などと、特に株式へと全然投資しない閉鎖的な体制を指摘されて今度は逆に世界から批判されるようになりました。
 そこで日本人がいつもの悪い癖で、自分では正しいと思うことでさえ他人に批判されると途端に自信をなくしてしまう癖が出てしまい、この失われた十年の間に日本人の中でも日本式経営について激しく非難するものが次々と現れていきました。

 当時を回想をするにつけ思いますが、子供だった私からしてもあの時代の日本式経営への身内からの批判振りは異常過ぎるほどでした。しかも、それらの批判の大半は理論的にどこがどう問題なのかという点は無視して、どちらかといえば感情的な意見が主で、「こんな古いやり方では世界についていけない」など、他国と協調することが一番大事と言わんばかりの批判でした。
 中でも私が最も呆れるのは、子供の教育現場にすら「日本式経営は駄目だ!」ということを当時に教えていることです。これなんか私の実体験ですが、中学校の公民の時間で、「年功序列制では、実力ある社員のやる気をそいでしまうから成果主義に変えろ」とか、「終身雇用ではなく、様々な生き方にチャレンジを促すべきだ」などといった言葉を使っては、日本式経営の欠点を教えられました。さらに極端な例だと、私の友人は授業の作文にて日本式経営が駄目だということまでも書かされたそうです。

 では何故これほどまでに日本式経営は叩かれたのでしょうか。それにはいくつか考えられる理由があり、まずはなんといってもバブルで浮かれすぎた反動で、急に景気が悪くなったもんだから非常に自分らのやってきたことに対して自信をなくしてしまい、さらにこの時の日本人の後ろめいた気持ちは、物事に対して「どうすれば良くなるか」よりも、「何をしてはいけないのか」ことばかり考えるように思考を持って行ったのではないかと私は睨んでいます。そういうのも、当時のビジネス書のタイトルを思い出すと、「○○が悪い!」とか「××経営の弊害」といったタイトルばかり思い浮かび、ポジティブな本だと大抵が「欧米式△△経営」、「アメリカ人の戦略」などと海外の成功体験ばっかでした。
 こうした状況を踏まえてか、かなり昔に(2004年ごろだと思う)読んだ誰かのエッセイでは、「当時の日本人は失敗の理由ばかりを探して成功する方法を探そうとしなかった」とかかれていましたが、この意見に私も同感です。

 そうやって日本式経営をたたき出した後に持て囃されたのが、既にもう述べた成果主義です。まぁこれについては賛否両論いろいろあり、特に早くにこれを導入した富士通に至っては元富士通の城繁幸氏に激しく批判されており、私としてもこの成果主義がうまく機能することはほとんどないと思います。何気に最近読んだ、クロネコヤマトの生みの親の故小倉昌男氏も自著にて、とうとう個人ごとに成果を評価する制度だけは最後まで作ることが出来なかったと述べています。
 これなんか社会学やってたから私もいろいろ思うところがあり、元々社会学は本来比較し辛い、出来ない人間の心理や行動といった対象を出来るだけ現実にあった形で数値化して比較する手法を持っていますが、これは言うは安しで行なうは難しです。私が去年やった調査なんか、2ちゃんねらーは朝日新聞が嫌いなのかを測ろうと大学生に調査票配ってやりましたが、200人に配ったところで2ちゃんねるをよく閲覧するのは10人にも満たなくて、客観的に足る必要サンプル数が集まらずに断念しました。

 成果主義においても、単純な個人売上で測ろうとしてもこの数字も周りの景気の影響やらで簡単に変わりますし、一概に導入すればかえって運のいい人、リスクをとらない人ばかりが評価されて、積極的に仕事をしてリスクを抱える人などは逆に評価が下がりやすくなるので、私としてもこの成果主義には疑問を感じます。それでも当時の日本人からすると、日本式経営と対極にあることからこういった評価制度をどんどんと導入していきました。
 しかもなお悪いことに、日本式経営でも部分的に見れば非常に優れた経営方法といえる点は数多くあるのですが、この時代に標的にされて潰されていったものはほとんどがそういった優れた点で、逆に日本式経営で非常に問題な点、たとえば無駄に会議が多くて決断や動きが鈍い点は何故だかよく残ってしまい、実際に会社員の方から話を聞いたりするとまるで成果主義と日本式経営の駄目な点が見事にハイブリッドされているのが今の状況のような気がします。

 ここで話が少し変わりますが、確か96年か97年頃に「世界まる見えテレビ」という番組において、あるアメリカの企業が紹介されていました。名前は失念してしまったが、いわゆるIT系の会社で、その会社には社内に託児所から個人用のオフィスまで備えらた、社員にとっては至れり尽くせりという雇用環境で、これについて社長はこうした環境が社員のモチベーションを引き上げるのだと言い、実際にその会社は多くの利益を生み出しているとして紹介が終わりました。見終わったゲストからは、自分達が持っていたアメリカの企業イメージと全然違っていたなどと互いに感想を述べ合っていました。

 90年代後半からアメリカの多くの企業は優秀なIT系技術者を囲い込むために、かつての日本よろしく社員への好待遇を行う企業が増え始めてきていたそうです。もちろんそれは一握りのエリート社員だけで、かつての従業員は皆家族という日本式経営とは異なるものでしたが、キャノンの会長であり経団連の会長もやっている御手洗富士夫などはこうした例を挙げては知った振りをして、日本が日本式経営を捨てている頃にアメリカは日本式経営を取り込み成長し、終身雇用制を守ったキャノンやトヨタが今では日本で勝ち組なのだということを言っていますが、ここで反論させてもらうと、キャノンもトヨタも初めから正社員が少なくて非正規雇用が多かっただけに過ぎません。キャノンに至っては会長が社員は家族といいながら、偽装請負までしているのだから盗人猛々しいとはこの事でしょう。

 しかし現在の日本のSEことシステムエンジニアの現状を見る限り、先のエリート社員に高待遇を与えるというアメリカのやり方も一理ある気もします。日本でも成果主義が導入されているとは言われながらも、実際に優秀な人間は今でもかなりはじかれているように思えてならないからです。

 最後に非常に皮肉な言い方をしますが、日本は失われた十年の間に日本式経営を非難する事によって、企業が社員をリストラできる大義名分を得たのは一つの収穫だったと思えます。それまではリストラは非人道的だと非常に批判されて企業もやり辛かったのですが、成果主義の名の元で不要な人員の解雇が行えるようになり、結果的に経営を一時的に立て直すことが出来たのは事実で、そういう意味ではこうした日本式経営への一連の批判はそれ相応の役割を果たしたといえると思います。

2008年11月11日火曜日

田母神氏の参考人招致について

 本日参議院にて、このところ世間をにぎわせている田母神元航空幕僚長の参考人招致が行われました。細かい内容については他の報道に譲るとしてそこで彼が話した内容を簡単にまとめると、従来の主張を曲げずに自説の正当性、そして今回のこの騒ぎは一種の言論統制に当たると主張しました。

 最近は連載記事ばかりでこういう時事問題をあまり取り扱わなかったのですが、ちょっと今回の件は私としても個人的に意見を持つ内容なので、きちんと記事を書いてみようという気になりました。
 まず田母神氏の主張に対してですが、やはり私としては同意しかねる問題ある意見だと思います。田母神氏は第二次世界大戦における日本の行動について一切の侵略ではないと主張しました。その根拠として、当時の世界情勢の中では他国に領土を広げるのは当然の行為だったと主張していますが、この点については既に第一次世界大戦後のウィーン会議等でみだりに他国の主権を犯すべきでないということも採択されており、そして何より、あの満州事変はどう贔屓目に考えたところで中国に対する侵略行為においてほかなりません。
 この点については右翼の論客……というとちょっと語弊があるかもしれませんが、日本の正当性を強く主張する論者の藤原誠彦氏もアメリカとの戦争はしょうがないとしても中国への進軍は明らかな侵略だったとしており、またこっちは紛れもない右翼雑誌の文芸春秋でも、満州事変については軍部の暴走による侵略だと、よく保坂正康氏と半藤一利氏の昭和史家コンビが対談の度に言っています。

 またアメリカとの戦争についてですが、よく日本への貿易禁輸措置によってアメリカは日本を追い込み、極東国際軍事裁判のパール判事の意見を引用しては日本は無理やり戦争に引き込まれた、打って出るしかなかったという主張がなされていますが、私としてはちょっとこの意見にも無理があると思います。というのも、実はこのアメリカの屑鉄などの貿易禁輸措置が取られる直前に日本は、それ以前に進軍していた東南アジアの北部仏印(現在のベトナム)に加え、1941年7月に南部仏印に進軍しております。

 ちょっと話はややこしくなりますが、この時既にフランスはドイツ軍によって占領されており、ドイツの傀儡政権であったヴィシー政権が名目上フランス政府を代表してはいたのですが、この仏印地域の一部のフランス軍はイギリスにて亡命政府を作っていたドゴール政権を支持しており、日本はヴィシー政府の許可を得て進軍はしたのですがもちろんそういった軍の抵抗にあって戦闘も起きています。
 アメリカやイギリスはもちろんドゴール政権を支持しているので、この南北仏印進駐は日本のフランスへの一方的な侵略だと批判したのですが、日本はそれに耳を貸さずに進軍しています。それでもまだ比較的戦略価値の低かった北部の進駐だけには米英もとやかくは言わなかったのですが、南部仏印の進駐に至ってとうとう侵略行為に当たるとして、禁輸措置などの制裁行為を両国は取るに至りました。

 この時の禁輸措置が原因で太平洋戦争に至ったというのなら、逆を言えば南部仏印進駐が太平洋戦争の大きな引き金となったと見てもいいでしょう。実際にこの後の5ヵ月後に日本は真珠湾への奇襲攻撃を実行しています。
 そしてこの時の南北仏印進駐の動機についてですが、一般的に言われているのは石油やゴムなどの資源獲得のためらしいですが、結果的にアメリカに禁輸措置を取られて余計に資源に苦しむようになったのですし、はたしてアメリカとの徹底的な関係悪化を起こすことが目に見えていたのにこの地域の占領価値はそこまで高かったのかとなると、今の私からすると非常に疑問です。よく日本の取って引き返せるルビコン川にあたるポイントは日独伊三国軍事同盟の締結前だったと言われていますが、私はそれよりもこの南部仏印進駐の方が大きいんじゃないかと思っています。

 こうしたことを考慮し、「中国への進軍は侵略ではない」、「日本はアメリカによって戦争に引き込まれた」という田母神氏の意見は私とは相容れません。そして何より、結果論から言って日本は奇跡的に復興できたからいいものの、あの戦争で失った代償というのは計り知れません。結果的に負ける戦争をしてしまったこと自体が反省すべき歴史であり、奇しくも先月号の東京裁判についての対談記事の中での、これまたタイムリーですが防衛大学教授の戸坂良一氏の発言の、「負けたらこうして(東京裁判のような)仕打ちを受けるのだ。負けるような戦争を始めてはいけない」に尽き、どんな理由であれ当時の日本の行動を正当化するべきではないと思います。

  おまけ
 何気に高校の日本史期末テスト時、今日書いた南部仏印進駐が絡んだ時系列並び替え問題だけ間違えて、学年一位ではありましたが点数が98点になってしまったのはいい思い出です。なお当時に私は学内の日本史のテストは大体トップか二位で、おまけに受験時に世界史も科目として受けており、日本史と世界史を一緒に受ける河合塾の模試などではさすがに全国トップまでは行きませんが、両方とも結構上位に常にいました。それにしても、日本史はともかく学内で当時に世界史で私より下の点数を取った人間はどうなんだろうかと、他人事ながらちょっと心配になりました。

世界同時株安の中の中国株価

 専門が中国語の癖に、中国の株取引をしていないのであまり細かく中国の株価を見ていないのですが、今日改めて中国株価の一つの指標となっている上海総合指数のチャートを見てみると、去年の12月に5000ポイントだったのが、今年の4月には半分近くの3000ポイントくらいまで下がり、今日に至っては1800ポイント台にまで下がってきています。なんかこれ見ると、日経平均が8000円割れしたのがどうでも良くなってきます。

 しかしその一方、世界的にも中国経済はまだ平穏を保っている方だという見方をよく聞きます。ちょっとこの辺は細かく調べていないのでどういう根拠からの見方なのかというのまではわからないのですが、私も向こうのホームページを見ている限り、アメリカや欧州ほど大きな混乱にまでは至っていないような気がします。
 では現在、どうして中国は落ち着いていられるかですが、それについては私の中でもいくつか考えられる理由があります。

 まず一つは、現在世界で一番外貨保有高、つまり米ドルを持っているのが中国政府であり(二位は日本)、海外との貿易決済の際に少なくとも外貨がなくて不渡りが出るという心配がないから。二つ目は、中国の株価が大きく下落したのは今年の4月頃で、リーマンショック以前にすでに大きく下落していたために今回の世界同時株安における一撃のダメージが少なかったから。そして三つ目ですが、今年の下落は中国政府折込済みの下落だったからというのが、今日ここで解説するネタです。

 以前に雑誌の記事で読んだのですが、前述している今年前半の大幅な中国株価の下落は、実は中国政府の壮大な実験の成功だったと言う評論家がいました。この評論家が言うには、中国の主要株の大半は実際にはほとんど市場に流通しておらず政府関係者や共産党幹部たちが握っているらしいです。実際に私が見ていても、「賄賂は社会の潤滑油」とまで公然と言われている中国の主要企業はほとんどがそういった人間に占められているでしょうし、現実に日本以上に政と商が癒着しまくっているので、株もそうした人間によって握られているのがかえって自然な気がします。

 にもかかわらず今年の4月に大幅に株価が下落したのは、政府が自分たちで株価をコントロールできるかを実験するため、敢えて下げるように仕向けたというのです。そして実際に株価が下がって自分たちで市場をコントロールできることを確認した中国政府にとって、この大幅な下落は大収穫だったというわけです。
 この話が本当か嘘かまでは私も検証できませんが、少なくとも現在の世界同時株安の中で中国は日本と同様にまだマシな国によく数えられています。そういう風に考えてみると、中国の主張する「社会主義市場経済」というものはこうした海外からくる影響に対して、非常に強い抵抗力があるということになります。アメリカは何でもかんでも市場に任せて今回の同時株安を引き起こしましたが、それに対して大分緩んだとはいえ未だに政府の統制が強い中国で混乱が少なかったということは、なかなかに参考に足る現象だと思います。まぁ中国は、これから実体経済も賃金の上昇によってどんどん悪くなっていくと思うけど。

2008年11月9日日曜日

100年後の世相について その二、倫理編

 久々に昨日は投稿を休みました。久しぶりに勉強したのがよくなかったのか、夜になってえらい頭痛を起こして夜10時には寝ました。まぁほんとのところはきっと、「スパーキン」って名前のカーブ、チェンジアップ、シンカーがそれぞれレベル3で、スタミナB、コントロールA、最高球速150キロの本格派先発投手を作って一喜一憂したからだと思うけど。

 さて前回では100年後の世界について主に技術面での世界観の予想を紹介しましたが、今回は倫理面での予想を紹介します。既に前回の記事でのコメント欄に、たとえ寿命が延びたとしても人間は幸せになるのかという疑問が呈されていますが、これは現実においても十分問われている問題です。大体戦後初期くらいまでは働き終わった60代くらいで寿命が来ていましたが、今の日本では平均寿命が80歳にまでなり、60歳で定年を迎えるとしても残り20年間は余生がある時代です。その20年をどうやって生活するかという点ですら現代においても明確なライフスタイルというものは決まっておらず、目的が不明瞭なままただ生き続ける老人世代が多いというのは眼前としてある事実です。

 一時は「豊かな年金生活」を謳って趣味に旅行にというライフスタイルが提唱されましたが、どうもこういったライフスタイルは「働かざるもの食うべからず」という日本人の気質に合わなかったのか、お金はあるものの旅行などには費やさない老人が多数派を占めました(今でも老人世代の貯蓄率が高い)。そもそも体力的な面でも、こういったライフスタイルは実現が不可能だった気もします。
 にもかかわらず、前回でも書きましたが医療技術は進歩する一方なので、今後も更に「第二の人生」について目的がないまま延長していくでしょうし、本当に老後をどうするか、そういった方面への議論がこれからも必要になってくるでしょう。

 その議論の中で、私が今後重要度を増してくるのはこれまで重要に取り扱われてきた「生き方」に代わり、今も尊厳死などで議論される「死に方」だと思います。自分の人生や命を何に捧げるか、どの時点に至ったら自分は死を受け入れるのかというように、どうやって死ぬかというのが一般にも深く浸透していき、場合によってはこれから年々自殺数というのも上がってくるのかもしれません。

 しかしそうやって自殺が増えるのは、ある意味世界的にはいいのかもしれません。そういうのも、医療技術の進歩と普及によって何が世界で一番問題になるかといったら、まず間違いなく人口問題です。現在ですら膨張し続ける世界人口なのに、今後は中国だけじゃなくアフリカなどでも人口は拡大するのが目に見え、有り余る人口に対して地球の資源では持たなくなるのが目に見えています。
 それこそ宇宙に殖民できるのならともかく、地球の人口に拡大に対してそこまで宇宙開発技術が追いつくかどうか、難しいところです。そうなるとどうなるかですが、まず世界的に取り組まれるのは口減らしでしょう。これなんかガンダムの世界でよく取り上げられますが、地球環境的には人口が少ないに越したことはありません。そのため資源が追いつかなくなる、つまり食料が先進国の人間にすら行きわたらなくなる事態になれば、こうした口減らしが公然と主張されるようになり、恐らくその影響で人権意識も今後低下していくと思います。
 何気に私は、米ソ対立によって安定した世界情勢が作られていた1980年代こそが人類史上最も人権意識が高かった時代になると思っています。

 こうした人権意識と共に、恐らく今後100年の間に大きく変わっていくだろうという意識はやはり国家意識でしょう。友人なんかがすごい気に入っている言葉ですが、攻殻機動隊の一番最初のプロローグにて、「国家や民族が消えてなくなる程情報化されていない近未来」という言葉が入っていますが、この言葉は裏返すと、情報の公開、共有化が究極的に行われるならば国家という概念は消えてなくなるということを表しています。

 細かい理屈までは語りませんが、確かに情報化が進んだことにより一部では国家の壁というか概念を乗り越えた動きや組織が生まれ、その一方でこうした動きに抗うかのような反動も起こっています。まず前者ですが一番大きいのはやはりアルカイダに代表される、国家を跨ぐ国際テロリストでしょう。これなんか当初はまだイスラム教過激派というくくりが通用したのですが、最近ではただ反米であれば何でも取り込むかのようになっており適用範囲は広がっているように思えます。そして反動というのは日本ではあまり大きくならない、アンチグローバリズム運動です。これなんかは思想的というよりは経済的概念で語られることが多いのですが、戦前の過剰な保護貿易体制が国家間で対立を生んで第二次世界大戦が生まれたとの反省から、戦後はGATT(現在のWHO)体制の下で自由貿易が一貫して西側諸国を中心に推し進められてきましたが、ここに来てEU(欧州連合)やNAFTA(北米自由貿易同盟)などと、こうした動きに逆行して地域ごとに保護貿易圏を作ろうという動きが進んでおり、自由貿易自体が格差を大きく生むのだという主張のもとで欧州では自由貿易自体に反対する組織も生まれています。

 こうした背景から、今後100年間で国家概念はまた乱高下することが予想されます。これなんか私の持論ですが、基本的に世界は歴史的にも互いに開き合う時代と閉じ合う時代が交互にやってきており、近年では2000年代前半が開き合った時代のピークで、今回の世界同時株安を契機に今後はまた閉じ合う時代へとシフトしていくことが予想されます。ただその動きが一貫して続けられるかは怪しく、その閉じ合う時代がある程度続いたらまた今度は開き合う方へ戻ってきます。こんな感じで、三歩進んでは二歩下がるように、徐々にではありますがどっちかと言うのなら世界はオープンな方向へは行くでしょう。情報化は、その一つの起爆剤です。

 最後に、確かアインシュタインの言葉だったと思いますが、世界大戦についての言葉を紹介して終えます。
「第三次世界大戦ではどんな兵器が使われるかはわからないが、第四次世界大戦ならはっきりしている。石と棒だ」

2008年11月8日土曜日

100年後の世相について その一、技術編

 友人からまた不思議なリクエストがあったので、今日はそれについて話をしようと思います。

 実は今年の初め頃に小池百合子氏の講演会を聞きに行ったのですが、その際に小池氏が話したのはちょうど今から100年前のある日本の新聞の話でした。何でも、1901年にある新聞が20世紀の始まりということを記念して、「100年後はこうなる」という特集記事を組んだそうです。その記事の中では100年後の世界では当たり前になっているものとして、まず電信技術が発達し写真や声も瞬時にどこへでも送れるようになり、開発されたばかりの自動車も一家に一台という具合にまで普及するだろうともあり、更には当時の主要エネルギー源だった石炭が今後石油に変わっていくだろうといった予想まで書かれており、なかなかに未来を見通していた記事だったようです。

 その記事を引き合いに出し小池百合子氏は、100年前には夢物語だった話も時が経つにつれて当たり前になる、今後も技術は向上するだろうし今では帰宅するとともに携帯電話を充電するのが当たり前になっているが、未来では自動車も電気で走るようになって家に帰るたびに充電するのが当たり前になるかもしれないと講演で話していました。小池氏の言うとおりに、100年も経てば今では夢のような話、それこそ今SFの文物で描かれている世界が当たり前のものになるかもしれません。
 その中でもっとも近い未来にあるものが、先ほどに小池氏が話した電気自動車の話です。現実にもう三菱自動車はi-MIEVという電気自動車を開発しており、来年の発売に向けて現在試作テストを繰り返しているそうです。このi-MIEVの凄いところはなんといっても、本当に家庭用コンセントで充電できるという点です。他の車でのガソリン吸入口の部分にプラグがあり、それこそ家から延長コードを持ってきて差せば充電できるという代物で、燃費効率も劇的にとまでは行かないまでも、現在のガソリン自動車よりは資源の節約につながなるそうで、試乗したテリー伊藤氏(この人は大の三菱党)も予想以上の乗り心地だとべた褒めしています。ちなみに、その記事が書かれていたのも三菱自動車の御用雑誌に近い「ベストカー」です。親父とよく買って私も読んでます。

 こうした従来とは一線を画す未来型の自動車が生まれる一方で、肝心のエネルギーについては大幅な転換が起こることが予想できます。というのもいわゆる石油が枯渇するオイルピーク説で、これなんか相互リンクを結ばせてもらっている「温暖化よりも、脱石油依存、食糧問題、自然農法等が重要だと思っています!!」さんのところでよく取り上げられていますが、石油資源に限度が見え、遅くても2050年までには採掘費用に採算が合わなくなってくると私は思います。ではそうなったらどうなるかですが、これは武田邦彦氏と同じ意見になるのですが、困った時の原発頼みというか、核技術を使った発電がメインになってくると思います。そういうのも、石油に変わる化石資源が今後出てくるかというと非常に可能性が低いからです。
 ただ今のところまだあまり現実味がないですが、深海中にある「メタンハイドレート」という、通称「燃える氷」という化石資源は豊富にあります。しかしこのメタンハイドレートは深海の底にあるために採掘が難しく、目下のところ採算が全然合いません。けどこの前、なんかどっかの国立法人が連続しての採掘に成功したというニュースがありましたから、技術が格段に進歩すればこっちがくる可能性もあるかもしれません。

 それで話は原子力発電の話に戻りますが、これも現在のまま話が推移していくわけではないと思います。たとえば現在日本がやろうと思ってもなかなかやれずにいる、一度原発に使った燃料を絞りきるまで使う「プルサーマル計画」というのもありますし、何よりも現在の核分裂反応を利用する発電方法から逆に重水素を作る核融合反応を利用する発電方法に切り替わる可能性は結構高いと思います。
 ただこの分野については大分前、っても確か4年くらい前になるのですが、立花隆氏が日本政府はこの分野への研究投資額を非常に低く見積もっており、このままでは主要な特許が同じく開発を行っているフランスにすべて取られてしまうと、わざわざ当時文芸春秋でやっていた連載を中断してまで意見を出していました。それから大分時間が経っていますが、生憎この分野には詳しくないために今どうなっているかはわかりません。日本だとやっぱりこういう話題は表に出辛いでしょうし……。

 さて最初にSFで描かれる世界が当たり前になると書きましたが、そうなるとやっぱり一番盛り上がるのは「攻殻機動隊」で描かれる体のサイボーグ化でしょう。こちらの方は大分前に映画の「ターミネーター」が公開されて早くから話題になっていたものの、あまり機械と肉体の融合は私の目には進んでいないと思います。唯一、確かホンダだったと思うけど、身体にくっつけて筋肉運動を補助する機械みたいな物は出来てたと思います。しかし「鋼の錬金術師」ばりの義手義足はまだ実現には程遠そうです。

 その一方で、バイオ技術には今後も大きな期待ができると思います。まずはなんといっても京大の山中教授によって研究が進められているIPS細胞、通称万能細胞が大分実用化の見通しが出来、この前にはマウスにて大脳細胞の誘導、つまりコピーに成功したそうですし、四肢や神経細胞の復元なら近いうちに行えるようになるでしょう。皮膚細胞だったら恐らくすぐにでもできるでしょうし、やけどなどの根本的治療などで大いに楽しみな技術です。

 そしてこのIPS細胞に加えヒト遺伝子の解析も既に完了しており、何気にすこし自慢ですがちょっと前にこの世界的研究に参加していた横浜にある某研究所に入って見学をさせてもらいました。巨大な超伝導磁石を用いているので、中に入る際は貴金属類はすべて外して、建物内部もそういった関係から木材を多く使ってましたね。
 と、ちょっと話が横道にそれましたが、要するに遺伝子分野の研究です。これなんかクローン研究に至っては倫理学的議論をある程度踏めばすぐにでも実行できるレベルにありますし、徳弘正也氏が「狂四郎2030
」という漫画で描いている「理想的な遺伝子配列の兵士」がこれらの研究を利用して作られていくかもしれません。なお、以前に友人と話をした際に、
「ハンマー投げの室伏広治選手のクローンで大軍団を作れば、相当無敵な軍隊が作れそうだ、格闘戦だけなら朝青龍のクローンも捨てがたい」
 という話をしたことがあります。これじゃスターウォーズだなぁ。でも一万人の室伏部隊ってのも壮観だろうなぁ。

 とまぁこんな具合で、バイオ技術は恐らく今後10年で異様な発展を遂げる気がします。それに合わせて人間の平均寿命も、今の日本では大体80歳前後ですが、恐らく100歳も夢じゃなくなってくると思います。アメリカなんか今のブッシュ政権で最近日本でもちらほら見かけるようになった「アンチエイジング」への開発投資が行われ、需要も高いことから発展、普及していくと思います。まぁそうなったら生き方とか年齢の価値観についてひっくり返るから、それに合わせて倫理学の議論が必要になってくるでしょう。

 最後に、最もSF世界で取り上げられる宇宙開発について一言付け加えておきます。恐らく宇宙開発は軍事的な必要性から中国とアメリカ、そしてソ連で研究が進み、こちらも発展していく可能性が大でしょう。日本はアメリカとの密約上これ以上宇宙開発は出来ないと聞きますし、それならば宇宙での運用を想定する工具や機械の開発、言ってみればガンダムの開発をやった方がいいかもしれません。定額給付金をやるくらいならその金使ってガンタンクの一台でも作ってみれば、私も自民党に一票を投じるのですが。

 予想以上に長くなったので、100年後の思想や倫理については次回に書きます。

2008年11月7日金曜日

失われた十年とは~その八、何故不況が続いたのか~

 この記事でようやく経済学的な失われた十年の分析は終わりです。もともとここまでの内容は他でも行われているので敢えて私がやる必要もなく、本音を言うと次回辺りから書き始めるこの時期の社会状況の方が書く側としても非常に楽しみです。

 前回では失われた十年における「平成不況」において、日本の景気を決定的に悪化させるに至った97年の転機について解説しました。その後の日本の経済状況についてはリストラ、合併の嵐で、構造的にも97年から大体03年までの間に日本の社会構造は大きく変換を余儀なくされました。その代表例の一つともいえるが日本の銀行で、今のアメリカの金融機関のように生き残りをかけて各銀行はこの時期にお互いに合併を繰り返した結果、現在において三大メガバンクと呼ばれる三つの銀行に主要行としての機能がほぼ集約されるようになりました。それで、その現三大メガバンクがどのように構成されたのかを列記すると、

・みずほ銀行   (第一勧業銀行・富士銀行・日本興業銀行)
・三菱東京UFJ銀行 (三菱銀行・東京銀行・三和銀行・東海銀行)
・三井住友銀行  (住友銀行・さくら銀行)

 と、こうして書いて見るとほんのちょっと前まで日本にはたくさん銀行があったことがわかります。今でこそ思いますが、以前の日本人はこんなに銀行があるのにどうやって振込とか送金とかしていたんだろう。非常に面倒くさそうな気がするのですが。

 他の業界でもこの銀行業界のように合併が繰り返され、その度に吸収される会社の側では大幅な人員カットことリストラが行われたと言います。その結果失業率も増えるなどして一時的に日本社会は大きく暗く落ち込みましたが、敢えて前向きに取るならこの時の苦しみの経験が今のまだマシな状況を作ったのだと亘がるのなら、決して無駄な時代ではなかったと思えます。

 それでこの平成不況がいつ、どのようにして終わったかですが、これについては私が以前に書いた「竹中平蔵の功罪~陽編~」(http://imogayu.blogspot.com/2008/08/blog-post_02.html)の中で書いてあるので、そちらをご覧ください。正直言ってこの記事は恐らく一番私も力を入れて書いた記事なので、本音を言えばもっと高く評価されてもいいと思ってます。

 ここまででこの平成不況の大まかな概要はほとんど書き終えているのですが、それでは何故これほど長い間日本で不況が続いたのかがまだ疑問として残ります。これまでの記事の中にもちょっとずつその原因を挙げてはいるのですがここで簡単にそれをまとめると、まず第一に政府の政策ミスが挙がってきます。政府としてはバブル崩壊以後の企業の業績不振を単純に、「個人消費の停滞」と判断し、個人消費を浮揚させるために散々公共事業を行いましたがこれは根本的な間違いであり、現在において実際の不況の原因は信用不安にあったとほぼ断定されております。
 この信用不安とはちょうど今アメリカで起こっている経済問題がこれで、お金を貸しても物を売っても、その企業がお金を自分のところに返すか払う前に潰れてしまうのではないかと互いに尻込み、資金の流通が滞ってしまうことを指しています。日本の場合はそれまで資金融資の担保となっていた土地に代表される不動産の価格が大きく目減りしてしまい、金融機関としても損失を明るみにさせないために無理やり融資した資金を取り立てずに不良債権をどんどんと抱え込んだのが不況を長引かせた原因とされています。なので竹中氏がこの不良債権を徹底的に減らした途端に、まぁ中国の景気に引っ張られたのもありますが日本の景気も復活したわけです。

 こうした不況原因の特定ミスともう一つ、この不況を長引かせた原因となったのは根強かった日本経済への楽観論でしょう。
 当初、バブル期は異常ではあったがしばらくすればまた日本の景気はよくなるだろうという楽観論は非常に強かったと思います。その根拠として、当時の各政策決定者たちも不況が始まった当初から不良債権を問題視していたのですが、ひとまず公共事業をやって景気が落ち着いてから対処しようと、皆が皆この問題を先送りにしていた事実があります。この時の状況をたとえて言うなら、火事が起きているのに火元を消さず、自分の周りにだけ水を撒いているようなもんですね。

 何故こうした楽観論が根強かったのか私の考えを言わせてもらうと、やはりバブル期以前に経済大国としての地位を固めたことにより日本人全体で経済に対して強いうぬぼれが生まれた気がします。逆を言えば相当に自信を持っていたために、現実の経済として通用しないことがはっきりした97年の転機によって今度はものすごい自信を失って日本式経営への批判が急に巻き起こっています。そこら辺は次回で解説しますが、こういったことから不況になった当初、真面目に不況対策を考えていなかったのが裏目に出たのだと私は考えています。

 そして最後に、これなんかまんま私の持論なのですが、この連載の「その六、ポストモダンとデフレ」で書いたように日本においてポストモダン化現象が起きたのも原因として考えてもいいと思います。結構さらりと書いてはいますが我ながらなかなか重要なポイントを突いていると自信をもって公開してはいるものの、反響が少なく一人で落ち込んでおります。

筑紫哲也氏の死亡報道について

 今日また例によって知り合いの上海人からこのネタに書いてほしいとリクエストを受けたので、ちょっと思うところを書いて見ます。

・筑紫哲也氏が死去 「NEWS23」メーンキャスター(http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20081107-00000583-san-soci)(YAHOOニュース)

 相変わらずこっちではリンクが貼れません。いい加減、とっととFC2の方に本拠地移そうかな。
 それで本題ですが、いきなり結論から入ると、私は今でも何故この筑紫氏が著名なニュースキャスターとしていられたのか不思議でしょうがありません。ちょっと調べてみると80年代に若者論を出して一気に有名になったということなのでその時代を知らない私だからこういう感想を持つのかもしれませんが、少なくともまだ「ニュース23」に出ていた頃の、番組後半に筑紫氏が時事問題について自分の意見を紹介する多事総論を見ていて参考になったことは、私においてただの一回もありませんでした。

 敢えて筑紫氏の発言や意見を私なりに分析すると、こういうのもなんですが毎回非常に曖昧な結論に終わることが非常に多かったように思えます。なんか他でもあれこれかかれていますが、どうもこの人はしっかりとした意見なんてものは持っておらず、その場その場で周りに都合のいい意見ばかり言っていたんじゃないかとすら思います。それで自分の意見を言う際には、どこにも角が立たないようにそれこそどっちとも取れるように言葉で濁してたんだと思います。

 しかし言うまでもなく、それは言論人としてはなはだしく恥ずかしいことです。あまり一つの意見に偏りすぎるのも問題ですが、基本的に言論人は自分の考えを提示することで視聴者に対して物事を見るモデルを与えるのが仕事です。にもかかわらず筑紫氏はモデルを提示しないあまりか、時局によってころころ意見を変えるなどもってのほかです。

 生前にも何故こんな人間がマスコミの大御所気取って存在していられるのか、怒りまでは覚えませんでしたが世の中は変に出来ているなとは前から感じていました。それならばもっと他にもいいキャスターもたくさんいますし、特に「ニュース23」に至ってはこの筑紫氏が引退して今のキャスターの後藤謙次氏に代わって非常にいい番組になったとすら思います。何気にテレビニュースはTBSが一番幅広く、バランスよくやってくれるので結構重宝してます。フジテレビは深くニュースを解説してくれるますが分野は幅広くはなく、日テレに至っては論外ですし。

2008年11月6日木曜日

失われた十年とは~その七、転換点~

 久しぶりの連載記事です。前から書こう書こうと思っているのですが、別の記事を片付けていると途端にものすごい疲労感があってこの三日間は手が出せませんでした。別に何かで忙しいとかそういうことはないのですが、ぶっちゃけ今も疲労がものすごくてへとへとになりながら書いてます。

 それでは今日は失われた十年全体において、その年を以って前期後期と分けるような象徴的な一年となった97年について解説します。
 この連載の四回目の「個人消費」についての記事で私は、失われた十年の前半期は企業業績が全般的に落ち込みながらも、世界的にも歴史的にも珍しく当時の日本では個人消費はなかなか下降しなかったと解説しました。そしてこの経済の中で唯一好調だった個人消費が落ち込むことでこの時代の平成不況は本格的に深刻さを表してくるのですが、ちょうどこの97年が個人消費が落ち込み始めるようになった年であるのです。

 では何故97年に個人消費が落ち込み始めたのかですが、以前の記事で解説したように世帯ごとの貯金が減っていったなどの継続的な理由もありますが、やはり一番の引き金となったのはこの年より施行された消費税のそれまでの3%から5%への引き上げです。これによって日本全体で物価が底上げされて個人消費が激減したことにより、日本は企業業績が悪化する一方で物価は上がる「スタグフレーション」という、名実ともに底なしの不況へと突入していきました。

 政治界でもこの消費税増税による反発によって自民党の支持が急激に減ったためにこの年の参議院選挙で自民党は大敗し、当時の橋本龍太郎首相も退陣を余儀なくされています。もともとこの消費税の増税は世界中の経済学者が時期的に不適当だと批判されながらも橋本首相が強行した政策であり、結果的には橋本氏のそれが命取りとなったのですから皮肉なものです。なお私自身の橋本元首相への評価をここで紹介すると、彼の在任中の業績は言われているほど低くはなく、特にこちらも強行して取り組んだ行政改革は日本の政治史においても大きな成果であり、これがなければ後年の小泉改革により一時的な成功もなかったものと私は確信しています。もっとも既に書いたように消費税の増税のタイミングは本当に最悪のタイミングであり、この増税を実行したことについての非難はやむを得ないでしょう。

 何はともあれこの年になるとしばらくすればまた景気は回復するだろうとの楽観論も完全に消えうせ、社会全体で先が見えない暗い雰囲気が立ち込め始めてきました。企業の方も上がらない業績に徐々に経営が追い詰められ、データで見てもリンクが貼れないのでアドレスだけ紹介すると東京商工リサーチ(http://www.tsr-net.co.jp/new/zenkoku/transit/index.html)のデータで、92年から96年までは企業倒産数は14000件台から15000件台の間にあるのが97年には一万六千件台に入り、その後も小渕政権でありえないくらいのバラ撒きが行われた99年を除いて18000件台から19000件台という非常に多い数字が2002年まで続きます。にしても、東京商工リサーチはいいデータを公開してくれている。帝国データバンクとは大違いだ。

 そしてこの年の倒産といえばなにより、察しのいい人はもう勘付いていると思いますが、あの山一證券の倒産を抜きにして語ることは出来ないでしょう。
 それまで野村、日興、大和と並んで四大証券と呼ばれ、日本を代表するエリートが集まると言われた大企業の一つ、山一證券がこの年に破綻をして本当に跡形もなくこの世からなくなってしまいました。この時に私は中学生でしたが、未だに当時の野澤正平社長が泣きながら記者会見で、

「みんな私たちが悪いんであって、社員は悪くありませんから! 善良で能力のある社員たちに申し訳なく思います。優秀な社員がたくさんいます。ひとりでも再就職できるように応援してください」

 と、思わず全文を引用してしまうほどの重みを持った訴えをしたのが目に浮かんできます。それほどまでにこの山一證券の破綻は日本社会に大きな影響を与え、もはや大企業といえども安心ではないと、この日を境に社会の空気が一変したと、当時の私ですら感じました。
 また大企業の倒産と言えばこの山一證券が破綻した11月22日のほんの五日前、11月17日にはこちらもエリート街道まっしぐらと言われた北海道拓殖銀行が破綻しております。

 このように、かつては誰もがうらやむ就職先と言われた大企業の連続した破綻が、日本人はもとより世界中にこの不況はただ事じゃないと強く知らしめました。そして本当に景気が申告に悪化していったために続々と中小企業も倒産してゆき、生き残った企業も合併や所有部門の売却、そして後で解説する社員のリストラの実行とタダでは生き残れない厳しい時代を歩むことになりました。

 このように、全体の景気においても社会の空気においても、失われた十年においてもっとも重要な転換期に当たるのがこの97年、更に言えば山一證券が破綻した11月22日がすべての転換点に当たるとして、便宜上これ以前を前期、これ以降を後期として私は失われた十年の期間を二分しております。
 前期はこれまでも語ってきたように「変なものが流行ったりしてなんとなくおかしな感じだけどまだまだ余裕」な頃で、後期は「皆で後ろ向き、フォーエバー!」ってな頃だと勝手に解釈しております。

 不思議と、書き終わってみると書き始めの頃より元気になっています。

技術者不足を解消するには

 なんかこのところ、ブログを書き始めると毎日のように激しい疲労を憶えます。一番の原因は本店のブロガーの方で未だにリンクが貼れない事にイライラするからだと思いますが、それを推しても異様な疲労感です。なんかほかにあるのかな。

 それで本題に移りますが、既にもう何年も前から、日本では若者の理系離れが問題視されています。近年は以前と比べて理系の学部、学科に進学する学生数が減る一方で、さらに団塊の世代の大量退職を迎えてこれまで世界に高く評価されてきた日本の技術の継承が行われずに失われてしまうと懸念されています。
 そのため政府としてもなんとしても現役高校生の理系離れを食い止めるためにいろんなイベントを催したり、税金の無駄遣いと言われながらも東京都内に三つも科学博物館を作るなどしてこの流れに歯止めをかけようとしていますが、効果は一向に現れずに現在に至っても理系への進学者は減る一方で、また現役世代への技術の継承もうまくいっていないとも伝えられています。

 まず政府の対応ですが、こういうのもなんですが真面目にやっているのか非常に疑わしいです。現在においても文系卒者と理系卒者で生涯年収には大きな開きがあるといわれ、また俗に言われるポストドクター職の人間が有り余りすぎて問題になるほど人材をうまく社会に転用できていないなど、システム上の問題を解決しないで現役世代に理系に進むようにといってもそうはうまくはいかないに決まってます。

 ちょっと本気で疲労感がやばいのでもう結論出しちゃいますが、私はこの際現役の高校生に理系教育を施すより、既に現役世代として社会人をやっている、文系の既卒者に対して高等教育を再び施すべきだと考えています。こう言うのも実はゆとり教育が背景にあり、以前に私塾経営者の方に聞いたのですが、以前の高校生と比べて近年の高校生は驚くほど数学の能力はもとより、計算能力でも劣っているという話を聞いており、基礎学力の観点からも現在の高校生、しかもあまり理系学部に興味を持たなくなった世代に理系高等教育を施したところで、果たしてうまく技術の継承が行えるのかという疑問があります。
 それならば年齢的にも老、壮年層に当たる世代に近い上に詰め込み型教育を受けてきた世代の文系既卒者の中から技術系職転向を目指す者を集め、また一から鍛えなおした方が技術継承を行う上では適当だと考えています。

 そういう意味で、まだ割と新しいにもかかわらずすっかり社会に定着した法科大学院ことロウスクールなどよりも、文型既卒者でも気軽に入れて徹底的に鍛えなおす理科大学院のような教育施設を設置することの方が社会的価値は高い気がします。そしたら名前は理科=サイエンスだから「サイスクール」とでも言うのかな、それとも技術=テクニックで、「テックスクール」かな。こっちだとなんか情報系の専門学校にしか聞こえないけど。

2008年11月5日水曜日

オバマ氏の当選について

 まだ本店の方でリンクが貼れなくなったことに怒りが収まらないのですが、本日アメリカで次期大統領選挙が行われて各地の予想通りにオバマ候補が当選しました。
 友人の上海人などはこれまでのブッシュ政権は日本寄りであったから、アジア政策について中国寄りだといわれる民主党の候補が勝った事に素直に喜んでいます。実際にオバマ次期大統領は日本に対する言及は選挙期間中にも少なく、逆に中国については北朝鮮政策などにおいて重要なパートナーとなるなどと多く発言しており、私としても今後のアメリカのアジア政策には転換が起こるだろうと予想しています。

 それよりも、本当はここでリンクを貼らなければいけないのですが何度も言っているようにそれが出来ないので文面で書くと、かなり以前の私の記事で、現在のアメリカの人口で白人とその他の有色人種の比率が既に6:4まで来ているらしいです。それで当時はこのまま行くと移民もどんどんとやってきて、また社会的に貧困層が多い有色人種の家は多産の傾向があり、あと数十年以内に人口比で過半数を逆転するだろうと予想しました。そしてそうなった際、人口の影響で議会に送り込まれる代議士も有色人種の意見を代表する者が増え、アメリカ世界の主導権も逆転するのではと書き、それに対してWASPこと白人有力者層はきっと選挙区の配置をいじるなどして恐らく主導権を譲ることに抵抗を見せるだろうと書いたのですが、まぁこの予想はいろんな意味で外れて、最高権力者に今回いきなり有色人種出身のオバマ氏が来てしまいました。

 個人的な意見を言わせてもらうと、今回の選挙はアメリカにとっても非常に大きな転機になると思います。日本で言うのならそれこそ在日韓国人の方や在日中国人のような人が総理大臣になるようなもので、人種的な壁を乗り越え、実力者が相応の地位に就くべきというアメリカの精神がついに政治権力にまで及んだといえるでしょう。

 恐らく批判される方もおられるでしょうが、私は外国人だろうと宇宙人なんだろうと、本当に日本のことを考えてくれ実力を持つ方ならば相応の地位につくべきだと考えており、現在日本でも問題になっている、在日韓国人などに代表される外国籍永住者の方の地方参政権については認めるべきだという立場におります。こういうのも、そもそも私自身が一般的な日本人の姿から外れていることからこれまで相当に社会的に痛めつけられた経験からの僻みも原因でしょうが、日本人の中だけで果たして本当に優秀な人材を確保できるのかという疑問があるからです。現在の政治問題にしろ社会の情勢を見ていても、この人だったらどんな問題でも解決してくれるのにとはっきりと確信させてくれるような人材が全く見当たりません。

 そんな状況下で、私は日本人という枠にこだわっている場合ではない気がします。かつての歴史でも、出身にこだわらずに優秀だとわかる人材を抜擢して言った人間はその後成功しております。そして地域社会においても、投票ができるかどうかというのは当該社会の団結においても非常に大きな役割を持っております。アメリカはよく人種問題で取り上げられる国ですが、それはこの問題に真正面から取り組んできたことの現れであり、この問題を避け続けた日本とは違うからでしょう。

 折も折で、日本も本当に、真剣に移民について議論しなければならない時期に来ています。外国人の社会の扱いについて、以前に書いた二重国籍の問題と合わせて考えを深めねばならない時に来ているでしょう。なんせいざ実際に日本が大変になった時に、「僕はムーンレイスなんですよー!」って言う人も出てくるかもしれないんだし。

2008年11月4日火曜日

史実としての三国志

 なんか今日のこの「ブロガー」は妙です。通常、記事を書く際の画面ではリンクボタンとか文字を太字にさせるボタンがあるのに今日は表示されません。まぁ使う予定がないからいいけど、何してんだグーグルは。

 それでは本題ですが、昨日の史記の話を書いたところ三国志にはフィクションが多いと聞いたがという質問をコメントで受けましたが、これは実際かなり多いです。
 まず基本知識として一般に三国志と呼ばれる書物には二種類あり、三国時代が終結した直後に陳寿によって書かれた歴史書の「三国志」がすべての原典で、これはもう一つの三国志と分けるために一般には「正史三国志」と呼ばれています。これに対して十四世紀に羅慣中によって脚色をふんだんに入れて書かれたのが「三国志演義」といって、通常三国志という場合はこっちの方を指します。フィクションが多いと言われるのもちろんこっちの方です。

 それでは演義にどれくらいフィクションがあるかなのですが、現地中国においても清代の歴史学者の章学誠が、「七分が真実で三分が虚構」と評しており、書かれている内容の大半は確かに真実なのですがその中にちょびっとずつフィクションが入っているために非常に読者は混乱するとも先ほどの章学誠は述べています。実際に私から見ても大体この割合で演義は書かれており、そのためよく三国志を知っている方でもフィクションと知らずに実際の歴史だと思い込んでいるということが多々あります。

 では具体的にどの辺がフィクションかですが、やっぱり代表的なのは今映画が公開されている「レッドクリフ」の題材となっている赤壁の戦いの辺りでしょう。演義の中では諸葛亮が風を呼んだり周喩を馬鹿にしたりなど鬼人の如き活躍を見せ、戦いも派手な火計で一挙に総崩れともなるほど大掛かりな戦闘となっていますが、現在の研究によるとこの赤壁の戦いで曹操軍が負けた最大の原因は疫病にあるとされ、また実際の戦闘でも諸葛亮はほとんど何もせず、実質周喩一人で曹操軍を蹴散らした戦いのようです。これは周喩に限るわけじゃありませんが、やっぱり諸葛亮が人気なために彼と相対する人間は相対的に実際の歴史より低く見積もられて書かれてしまいます。曹操軍についても同じように、特に夏候淳や夏候淵らは短慮な武将としてかかれ、実際は優秀な武将であったにもかかわらず引き立て役にされてしまっています。さすがに、張遼は悪く書かれていないけど。

 この張遼ですが、私の中学時代の後輩なんかはこいつが一番好きでゲームでも贔屓して使っていました。この張遼は魏軍の中で呉との最前線に立って守り続けた武将で活躍のシーンも有り余るほどなのですが、彼の場合は非常に珍しく、演義でも活躍しているのに実際の歴史ではもっとすごい活躍をしています。
 何でも呉軍が十万の軍勢を引き連れてきた際には自ら奇襲をかけ、なんと七百人の兵隊で追い返したらしいです。しかもその際に逃げ遅れた部下を見つけるや再び敵軍に突撃し、部下を拾ってから帰還したというのですから化け物です。

 しかしそれにしても、一番演義で悪く書かれてしまって損を食ったのはまず間違いなく魏延でしょう。演義では劉備の元に初めてやってくるなり諸葛亮に、こいつは反骨の相があるからいつかきっと裏切るから殺してしまえとまで言われてしまいます。ちなみにこのシーンでは「ジョジョの奇妙な冒険」の名セリフがパロディされて、
「くせぇー、こいつは反骨の臭いがプンプンするぜっ! 早いとここいつの首を切っちまいな、劉備さん!」
 というネタがあり、一人で大爆笑してしまいました。

 実際にはこの魏延は劉備に深く信頼された知友兼備の武将で、劉備の絶頂期に魏から要衝の漢中を奪った際には皆劉備の義弟の張飛が太守となるだろうと思っていたところ、なんと劉備はこの魏延を大抜擢してその地を守らせています。しかし実際の歴史でも諸葛亮が死んだ際に魏に裏切ろうとして処刑されたため、演義では徹底的に腕力はあるが短慮な武将、たとえるならミニ張飛とも言うべき役柄に不当にもされてしまっています。

 そして極めつけというべきか、私が現代日本三国志の一つのスタンダードとなっている横山光輝氏による漫画版三国志を友人に貸したところ最も多かった感想が、
「魏延、普通じゃんっ!」
 っていうものでした。
 というのも、近年一挙に三国志が広まるきっかけとなったゲームの「三国無双」シリーズで魏延は変な仮面を被って片言の言葉しかしゃべれない世にも奇妙なキャラクターにされてしまい、これから入った友人らはてっきり魏延は異民族などの出身者かと思っていたそうです。まぁ実際、初めて見た時に私もこれはひどいと思いました。「戦国無双」の上杉謙信は石原良純の顔にしか見えないし……。

2008年11月3日月曜日

孟嘗君と馮驩

 大分以前に友人に中国の歴史書の史記の話をしたところ、黙々と非常に面白がって聞いてくれたのでこのブログでもちょっと紹介してみようと思います。今回紹介するのは私が史記の中でも特に好きな話の一つである、孟嘗君(もうしょうくん)についてのエピソードです。
 この孟嘗君というのは中国の戦国時代(紀元前5~3世紀)における有名な四公子(公子というのは王の一族という意味)の一人で、食客と呼ばれる流浪の学者や武術家を3000人も養っていたといわれる人物です。

「夜を込めて 鳥のそら音をはかるとも 夜に逢坂の 関は許さじ」

 この和歌は枕草子で有名な清少納言が作った和歌で、百人一首にも列せられている歌です。清少納言自体は随筆はうまくとも和歌は非常に下手で、何でも歌集の選者に自分の歌をねじこむのを頼みに行ったというエピソードがあるほどですが、この和歌はなかなかリズム感も良い出来のいい和歌だと思えます。
 さてこの和歌の意味は置いとくとして、和歌の中の「夜を込めて鳥のそら音をはかるとも」という言葉ですが、これがまさに孟嘗君のエピソードに題を取った内容です。

 孟嘗君は当時から非常に優秀な人物と名高い人物であったことから、すでに強国となり後に中国を初めて統一する秦国に出身地の斉国の使者として出向きました。そこで当時の秦王(始皇帝ではない)は孟嘗君の才を認めるのですが、かえって危機感を抱いてこの際殺してしまおうと考えました。その秦王の意を途中で察した孟嘗君でしたが、逃げようにも屋敷は既に兵隊に取り囲まれてどうすることも出来ませんでした。

 そこで、秦王のお気に入りの妃に口添えしてもらおうと使者を出したところ、その妃は秦王に孟嘗君が謙譲した毛皮のコートをくれるならと条件を出します。しかしそのコートはすでに秦の国庫の中、さてどうしたものかと思っていたところに一緒に連れてきた食客たちのなかから一人が出てきて、
「なんなら、自分が盗んできましょう」
 と言い出してきたそうです。

 孟嘗君は先ほども言ったとおりに3000人もの食客を雇っており、それこそ一芸に秀でるなら誰でも片っ端から養ったので、中には「盗みなら任せろ」とか、「私は物まね名人です」という怪しい人間もいました。するとこの時に先ほどの盗みの達人が自ら声をあげ、その食客は見事に国庫からコートを盗み出してきて妃に献上し、その妃の口添えで孟嘗君たちは屋敷の包囲を解いてもらって秦を脱出することに成功しました。

 しかし国境に着いた所、間を管理する関所が夜中のために閉じられており思わぬ足止めに遭いました。当時は朝にならないと関所は開かないことになっており、このままでは追っ手に追いつかれるとやきもきしていると、先ほどの今度は物まね名人が出てきて、鶏のまねをしてみようと孟嘗君に献策しました。早速やらせてみたところ、その食客の鳴き声に他の鶏も次々と呼応して鳴き声を出し、時計のない当時はその鶏の声を一日の始まりとしていたことから関所の役人たちもやけに早いと思いながらも関所を開け、こっちでも無事に孟嘗君は脱出に成功しました。

 このエピソードは鶏鳴狗盗といって、これを題材を取ったのが先ほどの清少納言の和歌で割りとこの話は日本でも知られていますが、孟嘗君には実はもう一つあまり知られていない面白いエピソードがあります。

 秦から無事に孟嘗君らが斉に帰国してしばらくすると、ある日馮驩(ふうかん)という男が現れて食客にしてほしいと訴えてきました。何か特技はと聞いたところ、「何もありません」と答え、さすがの孟嘗君も奇妙には思いましたが結局彼を雇い入れました。

 その後孟嘗君は食客を養う経費を得るために自分の領地で農民にお金を貸して利息を取っていたのですが、今のアメリカのサブプライムローン問題のように貸した資金が焦げ付き、なかなか返済を受けないという事態になってしまいました。そこで孟嘗君は一つここはあの変な食客に取り立てをやらせて見ようと思って、馮驩もそれを承諾して早速領地へと派遣されました。

 領地に着くや馮驩は債務者を一度に一箇所に集め、一人一人と面談して貸付額と返済状況を仔細に尋ねました。そして返済能力ありと見た者には返済期限を延ばし、逆にないと見た者にはその借金の証文を次々と預かっていきました。そして全員の面談を終えると、なんとみんなの見ている前で預かった証文を一気に火にくべて燃やしてしまいました。そして唖然とする債務者たちを前にして、
「今回預かった証文の借金はお前たちの生業資金として主人が与えてやったのだ。感謝しろよ」
 とだけ言って、とっとと馮驩は孟嘗君の元へと帰っていきました。しかし貸した金の返済を取り立てるどころか勝手に帳消しさせたことを知った孟嘗君は激怒して、一体どういうつもりだと馮驩に強く問い詰めたのですがそれに対して馮驩は、

「私はまず債務者を一同に集めました。これは見知ったもの同士を集めてその場で嘘をつけないようにさせるためです。そして私は返済できると見た者には返済期限を伸ばして、できない者の借金はご存知の通りに帳消しさせました。
 もし孟嘗君様が返済能力のない者に対して無理やり借金を取り立てたところで、追い詰められた農民は返済をせずに夜逃げを図って逃げていくだけです。そうなった場合、貸した金は返ってこず他の住民もなんとひどい殿様だと思い、孟嘗君様に対する汚名だけ残ります。私は何の役にも立たない借金の証文を燃やすことによって孟嘗君様が如何に領民を愛しているのかということを示し、彼らに恩義を売りつけてやったのです」

 このように馮驩に言われた孟嘗君もはっとして思い直し、改めて馮驩を重く取り立てたそうです。

 ホリエモンと佐藤優氏という、獄中に繋がれた人間二人が獄中で読んで非常に史記にハマったということを聞きます。別に獄中に繋がれなくともこのように非常に面白いエピソード満載で十分に楽しめる歴史書なので、私としても一読をお勧めする本です。

在外投票について

 先ほど夕方のニュースにて何故国政選挙にてネット投票が行われないのかと是非を問う報道がありましたが、このネット投票はもとより以前から私が疑問に感じていたのは在外投票です。
 在外投票というのは呼んで字の如く、長期間海外に滞在している日本人が選挙の際に海外から自分の一票を投じる(大抵は外国内の公館に出す)ことを指しています。グローバル化が進んだ現在に至りほとんどの国ではこの在外投票が一般化しており、特に今日明日に行われるアメリカ大統領選挙ではこの在外投票による票数が勝敗を分ける一つの要素となるまで大きな数となっております。

 それが日本ではどうかというと、一応やろうと思えば出来ます。しかし日本人が在外投票をやる場合は選挙前に現地の公館にてあらかじめ手続きを取っておかねばならず、まぁ言っちゃ何ですがひじょうに面倒くさい手続きです。他国では別にそういった手続きを経なくとも、大使館に自分のパスポートを持っていけばすぐに問題なく投票できるのと比べ、日本の制度は遅れているとしか言いようがありません。
 更に呆れることに日本政府がこの在外投票をする上でこんな手続きを取っている言い訳というのが、
「海外にいる人間は日本国内の選挙戦の情報に不足し、間違った投票をする可能性があるから」
 というものです。

 これだけインターネットが発達した世の中で、こんな言い訳を行うこと自体異常です。さらに以前に私が読んだこの在外投票のコラムでも、
「選挙権は国民の権利であるはずで本来政府にそれを制限する権利はない。また政府はこの国民の権利を守るために最大限の努力を払うべきである」
 と書かれており、私もこの意見に同意しています。

 別にそんなややこしい手続きを取らなくとも、日本人の誰がどこの国にいるのかなんてパスポートによって管理されているので簡単に把握でき、個人の識別でもパスポートがあれば簡単に証明できます。なので単純明快に結論を言うと、もっと日本は投票率を向上させるために努力を払うべきでしょう。

2008年11月2日日曜日

失われた十年とは~その六、ポストモダンとデフレ~

 前回では長引く不況に対して日本政府が景気刺激策の名の元に公共事業を延々とやり続けたが、政策としてはほとんど効果が起こらなかったということを解説しました。今回では何故公共事業が効果を出さなかったのと、それと平行して失われた十年の後半に起きたデフレ現象について解説します。

 まずポストモダンという言葉についてですが、本来この言葉は思想学上で用いる言葉で今回私が使用しようとする意味は全く持っておらず、便宜的に私が別の意味を持たせて造語のように使っている言葉です。この言葉の直訳は文字通りに「近代の次」という意味で、私はこれを経済学の意味合いをもたせて「生活が現代化(欧米化)を完了した次の時代」という意味合いでよく使っています。

 現代化の次、と言っても恐らくピンと来ないでしょうから結論から言うと、ほとんどの世帯に生活必需品と呼ばれるものが完備された後、という意味で私はこの言葉を使っています。
 高校などの歴史の時間に学んだでしょうが、かつての50、60年代には「三種の神器」といって冷蔵庫、洗濯機、テレビの三つの家電を揃えることが一種の生活上のステイタスとなり、国民の消費もこれらの生活家電へと注がれていきました。またこれらがある程度どの世帯にも普及した後には今度は「3C」といって、カラーテレビ、クーラー、自動車が先の三種の神器に代わるステイタスの証として持て囃され、これらの製品も当時の国民はこぞって購入、消費していきました。

 何もこの現象は日本だけでなく、現在発展途上の東南アジア諸国やベルリンの壁崩壊後の東欧などでも歴史的にこういった生活家電や製品に集中的な消費が行われてきており、それこそ日本も当時はお金さえあればすぐにでもほしいといわんばかりにこれらの製品への需要が高かったと言われています。しかし戦後の混乱期をまだ完全に脱出していなかった50年代では三種の神器を揃えるのは至難の業だったようで、うちのお袋の家は早くにこれらを揃えていたことから、夕方になると近所の人が家にやってきてテレビの力道三の試合を皆で見ていたと言っています。

 しかしこれが80年代になるとどうでしょう。言うまでもなく、この頃になると日本もすっかり金持ちになってほとんどの世帯には先ほどの家電がほぼ揃えられていました。しかしこの頃は当時に出たばかりのVHSビデオデッキなどがあり、またテレビの性能もまだまだ発展途上だったので日本人の消費意欲はまだ衰えがありませんでした。しかし90年代に至ると、それこそ生活していく上で「どうしてもあれだけは欲しい」と言われるような明確な製品や商品が完全になくなってしまいます。しいてあげるとしたらWindous95の日本語版発売とともに一気に生活家電入りしたパソコンくらいです。事実パソコンは3、4年くらい前までは売り上げ台数は年々増加していましたが、とうとうピークを割って現在は下降状態です。

 これは私が確か小学六年生くらいの頃だったと思いますが、何で今は不況なのかと親父に聞いたら、皆が欲しいと思って買うような商品がないからだと私に説明しましたが、まさにこの言葉で失われた十年における消費不良を言いまとめることが出来ます。
 私自身も留学時代は毎日自分で手洗いで洗濯をしていましたが、これはやはり結構労力のいる作業でした。洗濯機のない頃の主婦はこれを家族全員の分までやっていたというのですから、その苦労は相当のものでしょう。そんな人間からすれば洗濯機がなんとしても欲しいと思うというのも私は強く理解できます。しかし現代において、それほどまでどうしても手に入れたいと消費者に思わせるような製品というのは私が見回す限りありませんし、90年代はもっとありませんでした。

 その結果日本の国民に起きたのが、お金はあるけど特に使うあてがない、という状態です。そのためいくら政府が公共事業で国民にお金をばら撒いたところで、90年代の後半に至っては一切それが使われずに貯蓄に回ってしまい、個人消費が一切伸びなくなりました。私はこの現象のことを経済のポストモダンと言い、生活水準が先進国に追いつくことで急激に消費が冷え込み、それまでの政策、逆を言えばまだ生活水準が追いついていなかった高度経済成長期には非常に有効であったバラ撒き政策が途端に効果をなくしてしまう現象のこととしています。
 この現象は日本だけでなくそれこそアメリカやイギリスにおいても同じような現象が起きており、こうした状況から有効需要を増やす公共事業の必要性を説いたケインズ政策は過去のものだ、これからは別のスタンダードこと「第三の道」が必要なのだとして、フリードマンの新自由主義政策が生まれていくことになっていきます。

 このように、お金がばら撒かれても個人消費が伸びないものだから企業も製品を安くせざるを得なくなり、このような連鎖が積もり積もって起こったのが平成デフレでした。このデフレは言葉がよく先行していますが内容をよく知らない人が多いのでちょっと説明すると、

1、物が売れない→2、値段を安くする→3、儲けが少なくなる→4、会社が従業員へ払う給料も減る→5、個人がお金がなくて物が買えなくなる→6、もっと物が売れなくなる→7、もっと値段を安くせざるを得なくなる→3に戻る

 といったのが大雑把な過程です。デフレスパイラルとはよく言ったもので、悪循環がこう延々と続いていってしまう現象です。日本の場合はポストモダンに突入していた上に消費税率増加が引き金となって最初の1が起こり、そこからデフレへと突入していきました。

 ちなみに、日本政府が公式にこのデフレが現象として日本に起こっていると発表したのは小泉政権が発足した後の確か2001年になってからで、私はこのデフレを恐らくわかっている人はわかっていたでしょうが政府として早くに認識して対策をしなかったというのが、非常に致命的な政策ミスだったと思っています。
 結果論ですがこのデフレ現象は90年代末期にははっきりと目に見える形で起きていました。96年くらいからは今も全国展開しているダイソーが100円ショップとして生活雑貨を100円で売るようになり、99年にはマクドナルドがハンバーガー一個を従来の半分の価格の60円で売り出し、これを受けて吉野家などの外食チェーンでも猛烈なランチ価格値下げ競争が行われていました。
 普通、こんだけ目の前で起こっていればデフレ懸念が出来たはずだと思うのですが、まぁ私も小さかったので細かくチェックしていませんでしたけど、あまりそういう声は当時はなかった気がします。

 それでも90年代前半は以前の個人消費についての記事で説明したように、急激な個人消費の低下は起こりませんでした。これが本格的に落ち始めるのはその際に書いたように97年の消費税率増加と、バラ撒き策による誤魔化しが通用しなくなったということが原因として挙げられ、個人消費がとうとう低下を始めたことによってようやく日本は不況を実感することになります。
 そういった意味で、個人消費が目に見えて低下し始めたこの97年というのは失われた十年における最も重要な年に当たり、たくさんの意味で大きな転換点となった年でした。次回ではこの97年に何が起きたのか、そしてそれ以前とそれ以後でどのように変化したのかについて解説します。

2008年11月1日土曜日

意識に対するアイデンティティ

 前回の記事で私は身体に対するアイデンティティの比重が下がって逆に意識への比重が上がり、今後身体の半機械化などが進む場合はこの潮流を守るべき……なんだけど、ってところで話をやめました。何故私がこの潮流にちょっと待ったというのかというと、身体に変わるその人物を特定する要因候補の意識に対し、私は本当にアイデンティティを証明する要素となりうるかと疑問だからです。

 これは何も私だけが問題提起をしているのではなく、数多くの作品で展開されている話です。一番複雑かつ丁寧に提起しているのはまたも「攻殻機動隊」で、その中のテレビアニメ第一作目の「攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX」です。このシリーズの話の中で主人公の草薙素子は、ある人物からその人物が持つ記憶をほぼすべて電気信号にて受け取り、その記憶を元にその人物に成りすまして行動するシーンがあります。そして最終話にてその時の行動を振り返り、「あの時に自分は、自分が草薙素子なのかあなたなのかがわからなくなった」と述べています。

 これなんか私が独自に提唱している絶対感覚の世界で非常に重要なテーマになるのですが、もし同じ記憶を持ちえた場合に、物の考え方や意識というのは共通されるのか、つまり同じような思考の人間になるのかということです。また思考だけといわずに同じ記憶を共通する人間が二人いた場合、果たして記憶を共通するその二人を他の人は区別することができるのかということです。

 こういう風に考えてくると、意識というのは他人と区別する上で非常にあいまいなもののように思えてきます。それこそ攻殻機動隊の世界のように記憶をデータ化してコピー、伝心することが可能になった場合、こういったことは簡単に起こり得るでしょうし、まず第一に意識意識とは言いますが、意識とは一体なんなのか、記憶なのか物の考え方の基礎となる思考なのか、こういったメタ理論的な話へも発展していきます。

 ちょっとさっきからわけのわからない話を自分でもしていると思うので、もうちょっとわかりやすい例を出します。これまた漫画でそれも絶賛連載中の「鋼の錬金術師」の話ですが、この作品で主人公の弟のアルは身体が異世界に飛ばされて現世界では鎧に魂だけを封じ込むことでとどまっており、そのため中身のない鎧の姿で行動しています。そのアルが作中にて対峙している相手から、
「お前は身体がないだけで自分自身をお前をその鎧に入れた兄の弟だと思っているが、実際にはお前をいなくなった弟と信じ込ませるような魂をお前の兄が作ったと疑わないのか」
 と言われ、自分が主人公である兄のエドの弟と思い込んでいるだけなのではないかと思い、非常にうろたえるシーンがあります。ちょっと我ながら言葉にし辛いので敢えて無理やり言葉にしませんが、このように記憶や思考だけで人物を特定する、又は自分で自分を区別するというのはとても難しいものだと私は考えています。

 ちなみにちょっと話は外れますが、この鋼の錬金術師は何気に人体損傷の描写が現代の漫画で最も激しい漫画で、身体丸ごと無しで魂だけの存在の上記のアルを筆頭に、主人公のエドは右手と左足を義手義足にしており、また作中である女性キャラは追っ手から逃れるために自らの腕を切り落としています。恐らくこの漫画の作者は確信的に私が今ここで書いている、身体なしでアイデンティティを保てるのかということを作品の中で問いているのだと思います。

 ここに至ってアイデンティティの意義について書き忘れていたことに気が付いたのですが、人間というのは本質的に、自分が他の何かと区別できないととても不安を感じる生物で、その区別された自分(人間)のモデルというのがアイデンティティという言葉の意味です。しかしその一方、逆に他人と大きく区別されすぎる特徴があると、周囲からの目線もあるでしょうがこっちでも不安を感じるようになってます。この辺を社会学ではデュルケイムが「自殺論」という話で、個人意識が強くとも集団意識が強くとも、極端に至れば自殺という行動を取りやすくなると分析しています。なお前者の自殺はアノミー的自殺と言い生活苦などの一般的な自殺を指し、後者は特攻や自爆テロなどの自殺を指します。

 ここまでわけわかんないことをいい続けて最後に何が言いたいのかというと、私は意識だけで今の人間はアイデンティティを保つことが出来ない、やはり身体による区別が絶対的に必要だと言いたいのです。だからといって男女の区別とかをもっとしっかりやるべきだとは言うつもりはなく、たとえ人体のサイボーグ化が進んだとしても、今の状態ではとてもじゃないがそのような時代に対応できないと思うのです。しかし技術的にはそのような世界が近づいてきているため、何を持ってその人物を特定するのか、記憶なのか意識なのか身体なのかはたまたそれ以外の何かなのか、本当に魂というのはあるのかというように、何が一体人間という存在を構成しているのかということを広く検討するべき段階に来ているのではないかということが言いたくて、こんだけ長々書いてみました。あしがらず。

身体に対するアイデンティティ

 ちょっとここで書く内容は我ながら過激だと思える部分もあるので、その点を考慮してお読みください。

 まず最近私が感じている話ですが、どうも十数年前と比べると最近の日本の漫画で、「女性が髪を切られてショックを受ける」という話を見なくなった気がします。
 私自身がはっきりと覚えているのは「らんま1/2」にてヒロインの天道あかねが乱馬と良牙のケンカのとばっちりを食って長い髪が切れてしまい、当事者の二人を思う存分に殴り倒した後ショックを受けて家に逃げ帰るシーン(我ながら、よく憶えているもんだ)ですが、なにもこの話に限らず「髪は女の命」とばかりに長い髪の女性がその髪を切るということに、深い意味が当時は付与されていたように思えます。
 他に憶えている内容だと、よく失恋した後に思いを吹っ切るために女性が長い髪を切るとかいうのも結構ありましたね。

 しかし残念というかなんというか、最近ではこういった描写はほぼ皆無といっていいくらい見なくなり、女性が髪をばっさり切る場合でも特に理由付けなどは行われずに普通に「イメチェン」とかで片付けられてしまいます。またその一方で、男性の方ではこの十数年で逆に長髪が大分普及してきました。きっかけは間違いなくSMAPのキムタクによってロンゲがファッションとして流行ったことでしょうが、改めて考えてみるとこれ以前は長い髪の男性というと左翼かヒッピーくらいしかおらず、半ば女性の専売特許だったような気がします。

 私が何を言いたいのかというと、長い髪=女性という構図が成り立ちづらくなるなど、近年にこういった例がどんどんと増えて身体に対するアイデンティティが随分と薄まったのではないかということです。
 以前に私は「90年代におけるネットをテーマにした作品」の中で、「肉体と意識」をテーマにした作品をいくつか紹介しましたが、私はそろそろ本格的に「何がその人物を特定するのか」ということを真剣に議論する時期に来ていると思います。

 まずこれまでは至って単純に肉体と意識はその当事者に共通していました。しかし前回の記事でも紹介したように、「攻殻機動隊」の中では脳だけ取り出して身体は義体と呼ばれるサイボーグの身体に移すのが一般的になっている世界が広がっています。
 たとえばの話、もし自分の近い人物がこのように身体を義体に移した場合、あなたはその人物に対して同じ感情を抱くことが出来るでしょうか。口で言うのは簡単ですがよくニューハーフの方が親にカミングアウトをするのをためらうと聞きますし、実際に自分の親とか子供がある日突然性転換手術を行ったと聞いたら、多分私は大いにうろたえると思います。こういう風に思うのも、先ほど言ったように肉体と意識が人物を特定する上でセットになっているという前提があるからです。

 このように、その人物の意識や脳だけが別の身体、それこそ攻殻機動隊の義体のように移り変わってしまった場合、その新たな身体となったその人へそれまでと同じ感情を抱けるかは非常に疑問です。ですが世の中の潮流としては、なんとはなくですがそれを許容する方向へ移ってきてはいるのではないかと思います。そう思うのも、前回にも書いたように、近年はネットなどの発達によって肉体の世界に対して意識の世界がどんどんと幅を利かせるようになっており、それとなく意識や記憶がその人物を特定するのだという方へと価値観が変わってきている気がします。

 私自身ネット上で連絡を取り合うようになった人物の中には顔を見たこともない人もいますが、データ(意思)のやり取り、具体的に言うとお互いに名乗っているネット上のハンドルネームだけで相手を識別しており、これこそまさに身体を返さないコミュニケーションをしていると言えます。よくこういう顔の知らない人間同士のコミュニケーションが気味が悪いという人もインターネット黎明期にはいましたが、私自身でもやはり顔の知った人間との方がネット上でコミュニケーションをとる量が絶対的に多いという事実を否むことが出来ません。ですが潮流としては、そのような顔の知らない人とのコミュニケーションに対する抵抗感は絶対的に低くなっていると思います。

 その一方で起こっているのが最初にあげた、身体へのアイデンティティの低下です。多少国ごとに違いますが日本においてはニューハーフは以前に比べて大分許容されるようになり、また「男は短髪、女性は長髪」といった役割アイデンティティとも言うようなパターンも徐々に崩されてきている気がします。
 折も折で、そろそろ真面目に身体の機能喪失者に対して医療的に半機械化が行えるほどに技術が向上してきました。私が以前にテレビで見た番組では、視力能力の喪失者に対しその人の脳に直接カメラ機械と接続して、カメラを通して映像情報をを神経に送ることで視力能力を、あくまでほんの少し見える程度ですが見事復活させた例がありました。またこれに限らず、以前のコメントで義足の選手がトラック競走でのタイムで健常者を上回ったという事例を教えてもらい、今後は身体能力強化という目的で人間の半機械化が行われる可能性も大です。

 こういった時代を迎える上で、今後人間のアイデンティティを身体ではなく意識へと求めていこう……と言えたらどんだけ楽か。いや実際にこういうことだけを言うだけならこのままの潮流を守るだけで結構です。しかし私が問題にしているのは、その意識って一体なんなのか、っていうことです。長くなったので、続きはまた次回……というよりこのまま書きますけど。

失われた十年とは~その五、公共事業失政~

 前回ではバブル崩壊後に日本全体で景気は落ち込んでいながらも、世界的にも現象としては珍しく当時の日本は個人消費がほとんど落ちなかったということを説明しましたが、何故個人消費が落ちなかったのかという原因の一つが、今日解説する公共事業です。

 多分今でも中学や高校の政経の時間ではニューディール政策の中の財政出動、いわば今の麻生政権もやろうとしている公共事業の必要性を説いていると思いますが、これは一種のカンフル剤的な効果しか全体の景気には及ぼさず、一時的な個人消費の増加が起こった後は元通りになり長期的に見るならほとんど景気に影響を与えないということがほぼ証明されています。
 詳しく言えばこのニューディール政策はよくTGVというダムの公共事業ばかり取り上げられていますが、真に優れていたと思われる点は私はやっぱり金融対策だったと思います。銀行などに貸し出し猶予を与えるなどして体力をつけさせ、ひとり立ちできるまでのつなぎとして公共事業を行ったというのが政策の肝なのですが、どうも後ろのつなぎの政策にしかならない公共事業ばかりに注目が行ってしまい、日本は馬鹿をやったのではないかと考えています。

 以上のように日本の政策決定者もただ財政出動をして国民にお金をばら撒けば、自然と景気はまたよくなっていくだろうと考えていたのでしょう。それこどこにどのように配るかすらもきちんと考えずに、自分たちの票田となるかといって政治家も土建屋や不動産業界へひたすらお金を回し続け、いざそれが立ち行かなくなると必要以上に膨れ上がっている業界なため、倒産が相次ぐようになったというのが現在の状況です。

 ちなみにこのような土建屋へお金をばら撒くために政府が考えた手段は、いわゆる観光事業の促進、つまり夕張市が破綻する原因にもなった巨大なテーマパークや観光施設などの建築です。90年代はこのように中央の政府から地方の政府へ箱物を建てろと強く命じ、夕張市などはこの中央の指示を真に受けどんどんと国から借金をして愚にも付かないものばかり作っていって破綻しました。そのためこの頃は中央政府から夕張市は逆に政策優等生だと誉めそやされていたと言われ、なにも夕張市にも限らずに他の各地方自治体もこのようにして今の財政難の原因とも言える借金を作っていきました。
 こうした中央と地方揃っての激しい財政出動は結果的に、客もなにも来ない無駄な施設と建物、90年代の大衆文化、積もり積もった借金だけを残しただけでした。まぁこの時期に青春時代を過ごしたというのもあると思いますが、私はこの頃の音楽とか漫画、小説といったものが非常に好きです。江戸時代も元禄時代の文化が一番評価が高いのですから、やっぱり文化というのは無駄遣いをした分だけ発展するものなのかもしれません。

 しかしこういったバラ撒き政策をしていても、不景気の根本的原因であった金融問題をずっとほったらかしにしていたために景気対策においては何の効果も挙げませんでした。
 そうこうしている内にとうとう頼みの綱であった個人消費にも陰りが出てきました。その時期というのも97年、橋本内閣で消費税の3%から5%への引き上げた行われた頃です。この引き上げの結果物価が上昇し、個人消費が急激に減少してその後のデフレ現象へとつながっていきます。

 この時期については後でまた詳しく解説しますが、これに焦った政府は政策の反省を全く行わず、もっとお金を配るしかないとばかりに小渕内閣では現在に至るまで過去最高額の公共事業へ予算が割かれ、さらにはちょうどタイムリーなネタになりますが、連立政権に公明党を引き入れる代わりに公明党が要求する政策を飲んだ結果、あの地域振興券の配布が行われることになりました。
 この地域振興券自体については詳しく解説しませんが、世界的にもこの政策に意味があるのかと疑問視する声は当時からあり、フィナンシャルタイムスに至っては「ミルトン・フリードマンが喜ぶであろう」という皮肉までしています。結論から言うと、本当に何にもなりませんでした。

 これは結果論、といってもちょっと考えれば誰でも行き着くことが出来たくらい簡単な話なのですが、同じバラ撒きをやるにしてももっと未来のある産業へ行っておけば現在の状況は全然違いました。それこそ必要以上とも言えるくらい過剰に土建や不動産業界に金をバラ撒いて姉歯事件でのどうにもならない欠陥建築物を作るより、今問題となっている介護や農業といった業界へバラ撒きが行われていれば雇用問題から食糧問題の規模も現在より全然小さくなっていたはずです。また途中で全然効果が上がらないのだからとっとと政策転換を行っていれば、今ほど国の借金も膨れ上がらなかったのに。
 最終的にはかねてより公共事業に異を唱えてきた小泉元首相の登板によりこれらの一連の政策は改められましたが、それまでに払ってきた代償は決して小さくなく、恐らく私と同じ世代の日本人は死ぬまでこの代償に追い立てられることになるでしょう。まぁもしかしたら、これからまた別の負担を背負うことになるかもしれないけど。

 次回ではちょっと手のかかる内容ですが、デフレについて解説しようと思います。ちょうどいい機会なのでポストモダンの経済政策についてもどんどん書いて行きますが、書く前からしんどい内容になるだろうなぁというのが目に見えています。
(;´Д`)ハァ

2008年10月31日金曜日

麻生政権の政策減税について

 本当はタイムリーだから今連載中の記事と合わせて書いたほうがよいのですが、ちょっとこれからパワプロを遊びたいのでこれだけ独立して先に書いておきます。

 昨日、麻生首相は公明党の要望に加え昨今の経済情勢を受けて政策減税を行うと発表し、その方法も前々から情報の出ていた金券の配布という形にするという発表を行いました。
 しかし、これは前もって断言しますが完全な無駄に終わるでしょう。というのも前回に、「自民公明合流記念」の名の元に98年に配布された地域振興券の場合は個人消費を刺激するとはとても言えず、また政府の対応の下手さから国民に配布する振興券の金額以上に配布人員の整理などへの支給給料が上回ってしまったというお粗末な結果でした。

 そしてなによりこの地域振興券で問題だったのは、配った分の金額がほぼそっくりそのまま貯蓄へと回されてしまったという事実です。これは将来への不安によるもので、当時は不況真っ只中ということもあっていざお金を手にしたところでそれを消費に回すより、国民はいざという時のための貯蓄にする方を選んだと言われています。そのため目的としていた個人消費の活性化は何も起こらず、ただ単に国庫のお金を減らしただけにしかなりませんでした。

 そのため、また今度金券を配布したところで同じ結果になるのは目に見えています。これを話すと長くなるので今日はしませんが、いわゆる「ポストモダン」の世界ではニューディール政策における公共事業などのバラ撒き政策は一切効果を発揮しないということは世界的にも証明されており、また金券の配布は前回にも失敗していてその頃と何も状況は変わっていないのにそれをまたやろうというのは、言い方は悪いですが一度はまった落とし穴に自らまた入りに行くのとかわりがないでしょう。

 でもって昨日の麻生首相の発言で耳を疑ったのは、何故この情勢下で消費税を三年後に増税すると発言したのかです。私としても将来的に消費税率は上げていかねばならないと考えていますが、与謝野氏のように今までずっとそう主張しているのならともかく、非常に株式市場が敏感になっているこの時期にマイナスの影響を与えかねないこんな発言を突然行う気が知れません。もし本当に実行する気があるとしても、私ならそれを絶対に口外はしませんし、もしするとしてもそれは次の総選挙で勝ってからです。

 なんでかマスコミも、この点には誰も突っ込んでいませんね。カップラーメンの値段よりずっと重要だと思うのですが。ただ今朝のテレ朝のニュースでコメンテーターが最初の金券給与について、
「何が給与だ。それはもともと我々の税金だ。偉そうな事を言うな!」
 と、コメントしたのは見事でした。

現代の若者論の間違いについて その二

 前回の「現代の若者論の間違いについて」の記事のコメントを受けてちょっと思い出したことがあるので、それについてここで細かく解説しておきます。

 まず寄せられたコメントの内容ですが大雑把に言うと、かつての60年代から70年代の全共闘の時代の学生、つまり当時の若者はそれなりに社会主義国家の建設など、方向性はともかく夢があったのに今の若者にはそういう夢もなければ追いかけるという行為もない、という内容でした。

 これを受けて私も思い出したのですが、現代の若者に意欲がない原因には私が挙げた「将来がすぐに決まってしまう」のともう一つ、「目指すべき社会モデルがない」というのも挙がってきます。
 現代の歴史評論家がほとんど一致した見解を持っているもので、戦後のあの混乱期から日本が驚くべき復興を果たすことが出来たのは、国民全員でなんとかこの国を復興させようという強い意欲があったからだといわれています。このように、はっきりと形にされない物ながらも社会の目標というのは意外に人間を強く動かすものであります。それこそ私が紹介した文化大革命での上山下放運動で農村に入った若者が恐ろしい勢いで土地を開拓、中にはそれこそ土を掘りぬいて山と湖を一挙に作ったという例もありますが、こうした行動が出来たのは国家への強い意識があったからだと私も確信しています。

 そして日本の大学で学生運動が華やかなりしころも、ひとまずは社会主義国家建設という大きな目標を若者たちは共通して抱いておりました。結果から言うと社会主義国家像はソ連の崩壊とともに完全にその姿を失ってしまったのですが、やはりあの時代の大学生たちが友人の言葉を借りるとゲバ棒を振り回してあんだけはちゃめちゃにやれたのは、こういった目指すべき社会像を明確に持っていたからだと思います。

 それに対して現代はというと、はっきりいますが目指す社会像というのは個人レベルは除くとして、ある程度の集団単位で共通したモデルは一切ないといっていいでしょう。自民党にしろ民主党にしろ、今じゃ全議員に統一した意見すらほとんどない状態ですし。
 これは何も私だけでなく佐藤優氏も同じようなことを述べています。どんな国にするかというのは本当に生活の中ではごくごく些細な意識かもしれないが、全体で見るとこの社会モデルは非常に大きな力になり、本来ならば政治家が作らなければならないところを今の日本ではそれを作れる政治家がいなくなったと言い、逆にそういったモデルをこれから作っていく上で期待しているのは小説家だと佐藤氏は述べています。

 もちろんこういった社会モデルの欠如に対して危機感を持っている人は少なくなく、最近では恐らく「国家の品格」の藤原誠彦氏が強い問題提起とともに自らの提案を広く主張している人物の一人でしょう。藤原氏はかつての日本は「富と平和」という社会モデルがはびこったがバブル崩壊とともにそのモデルは崩壊し、これからは武士道に則った「教養のある国、日本」というモデルを日本人全員で共有すべきだとその著書の中で主張しています。まぁ私も、モデルが何もないよりかはこういう風なモデルを持つべきだと思います。

 もう一人新たな社会モデルを提言している人間を挙げるとすると、こちらは藤原氏以上に政策的なモデルとして、東大教授の経済学者の神野直彦氏が「スウェーデン型高福祉社会」というものを唱えています。この説はワーキングプアーなどが注目を浴びた2006年位にはそこそこ広まったのですが、心なしかこのところは急激にトーンダウンしているように見受けられます。

 この目指すべき社会モデルというのは言い換えると、「どこに誇りを持つか」というようにも考えることが出来ます。自分の国はこういうところに誇りがある、そしてそれを維持していかねばならないというような漠然とした意識でも、人間はこういうものによって行動意欲が強化されると私も考えています。
 では私はどんな理想の社会モデルを持っているのかとなりますが、単純に言って「真面目な人が損をしない社会」というのが私の理想です。敢えて名づけるなら、「アリとキリギリス型社会」といったところでしょうか。少なくとも、これは別のブログでも取り上げられていましたが、日本はもう少し博士号取得者に対して社会的に正当な評価をするべきだと思います。あの中国ですら、きちんと企業でも給与などで評価をしているのに……。

2008年10月30日木曜日

失われた十年とは~その四、個人消費~

 実はどの辺から書き始めればいいか、今結構悩んでいます。文化大革命の連載では時系列的に書けばよかったのですが、こっちだと社会的な話から政策的な話と時系列が行ったりきたりするので、しょうがないので政策の話をひとまず全部やろうと思います。

 さて一般に「失われた十年」とこの時代の不況はひとくくりに言われていますが、実際のところ本格的にこれは不況だと認知され始めたのは90年代の後半に至ってからでしょう。はっきり言いますが、バブル崩壊で株価がものすごい下落をしたものの90年代の日本は滅茶苦茶なまでに余裕しゃくしゃくで、恐らく事態の深刻さに気がついていた人間は全くといっていいほどいなかったと思います。

 それがきちんとデータとして現れているのが、今回のサブタイトルにもなっている「個人消費」です。恐らく現在に至るまで日本以外で起こってないであろう事例なのですが、実はバブル崩壊以後に企業業績が振るわずに社会的にも明らかに不況と言える状態であったにもかかわらず、90年代前半の日本では個人消費が一切減りませんでした。普通不況になれば今のアメリカみたいに個人消費というものは冷え込んで減っていくものなのですが、何故だか日本だけはこれが全然減りませんでした。

 当時に個人消費が一切落ちなかったことを表す一つの例として私はよく、当時の音楽CDの販売数を人に紹介しています。90年代前半から中盤まで音楽CDの売り上げは文字通りに右肩昇りで、今じゃ年に一曲か二曲しか出ないミリオンヒットもなんと毎年二十曲以上は出ていました。また似たようなものとしてテレビゲームにおいても98年のピークを迎えるまで売り上げ本数は年々伸びており、逆にそれ以降は音楽CD同様に今度は右肩下がりに売り上げが低迷し、現在両方の業界はともに苦しんでおります。
 せっかくだから自動車の販売台数も出そうと思ったら、なんか月別のデータしかなくて調べられませんでした。これだから三等統計国は……。

 とまぁこんな具合で悪化する経済を尻目に、日本人は消費者的にはそれ以前よりずっと豊かに生活を送っていました。では一体何故、企業の売り上げが低迷しているにもかかわらず個人消費が奮ったのでしょうか。これはなんというか非常に簡単で、理由を挙げろというのなら実はいくらでもあげることが出来ます。

 まず一つが、日本人の貯蓄体質です。最近はずっと目減りしているのですが当時の日本人は本当に貯金と預金が大好きで、そのために経済情勢が悪化しても豊富な貯蓄があったために消費は継続された、という感じです。
 そして二つ目に、当時はまだ終身雇用が生きていたからです。企業業績が悪化しても当時は終身雇用がはっきりと守られており、定期昇給から残業代支給まで今から考えると大盤振る舞いともいえるような俸給が被雇用者、つまり消費者に配られていました。
 でもって三つ目、これが非常に重要なのですが、この時期に政府は景気刺激策の名の元に公共事業政策、要するにバラ撒き政策を大々的に行ったからです。

 この公共事業については次回に詳しく解説しますが、こうしてあげたいくつかの理由によって日本の個人消費は非常に好調で、事実当時の日本経済は企業の業績悪化をよそ目に個人消費に頼って生きながらえていました。しかし最初の貯蓄は使ってけばどんどん減っていくのは当たり前で、二つ目の終身雇用はさすがに企業も被雇用者にいつまでも大盤振る舞いをしてられなくなり、三つ目の公共事業は小泉内閣が出来るまで続けられたのですが、結論を言うと90年代の後半に入ると日本経済で唯一好調だった個人消費もとうとう干上がってしまいます。その時期を具体的に言うと97年で、この年に消費税が5%に引き上げられたことによって個人消費も一気に冷え込み、この時になってようやく日本は事態の深刻さに気がつくというわけです。この辺もまた後で解説します。

 私の目から見ても、90年代前半は豊かな時代だったと思います。さすがにバブル期ほどの悪趣味な散財というものは見なくなりましたが、それでも漫画からゲーム、音楽からファッションといったものへの消費が社会全体で活発で、ファッションにいたっては当時は安室奈美恵などアイドルも数多く現れ、こういった服飾品への支出が非常に煽られていた気がします。今じゃ安いユニクロとH&Mが流行ってるあたり、時代格差を感じます。

現代の若者論の間違いについて

 大分以前の記事で、現代の若者を評価する論説のほとんどが年長者からの上から目線で語られていることが多く、その世代の人間を基準に「お金を使わなくなった」とか「車に乗らなくなった」などと、やや偏った意見が多いと私は指摘しました。
 これとは別で私が最近巷で語られる現代若者論の中で致命的だと思う欠点は、
「今の若者は先の見えない世の中に人生に意欲をなくしている」
 といった言質だと思います。

 確かに現代の若者は将来に対して強い不安感を持ち、そのために以前と比べるのなら行動意欲などの点で大きく低下しているのは事実だと思います。以前から大分減ってはいましたが最近だとデモ行進もなければ座り込みや、ハンスト活動……ちょっと極端なものばかり挙げていますが、身近な例だと地域自治体活動などに参加する若者は私の実感でも減っている気がします。

 しかしこういった事例に対して先ほどの主張は根本から間違えていると思います。もったいぶらずに言うと、「先が見えない」からやる気をなくしているのではなく、「先が見えてしまう」からやるきをなくしてしまうというのが本当の理由でしょう。
 以前は学歴社会といわれながらも、しっかりと勉強していい大学に入れば社会的地位も向上すると考えられていましたが、それに対して現在はいい大学を出たからといって必ずしもいい所に就職できるとは限らなくなり、また学歴社会と言われた以前より高卒の人間に対する就職状況が、ここ二、三年は好転しているものの、非常に狭められており、例を挙げると大企業メーカーの工場作業員も正社員はほとんどおらずに派遣社員などにされるなど以前より環境は悪化しております。

 そして何より、終身雇用のレールから外れると一生まともな生活をすることが出来なくなると学歴社会の頃から言われていましたが、現在は当時以上にこの言葉が重みを持ってきただけでなく、不安定な雇用環境からさきほどの「レール」から外れやすくなっているのも、不安感を増大させている原因となっているでしょう。
 そのため一旦失職、下手すりゃ最初にまともなところに就職できなければその後一生は暗いままで終わる、といった具合に若者も達観しているために、一旦レールから外れるとやる気をなくしてしまうのだと思います。将来に不安を持つといっても、わからないというより一生駄目なままというのがわかりきっているというのが根本的な問題でしょう。

 ついでに書くと以前は定期昇給といって毎年勤め続けるごとに月々の給料は増えていきましたが、現在はどの企業も職能給という制度にほとんど移っていてこの定期昇給を維持しているところなんて極わずかでしょう。
 何だかんだいって戦後に日本社会が非常に大きな活力を持てたのは、「先が見えなかった」からだと思います。今じゃ信じられないような人、ヤクザくさいハマコーとか野中広務が国会議員になれたり、街工場の一小企業がいつの間にか世界のソニーと呼ばれるようになってたりなど、ありていに言えば下克上はいくらでも起こせるという空気が日本人を真に強くさせたのだと思います。

 私としても何事もわかりきっている世の中よりやはり何が起こるかわからない世界の方が生きてて楽しそうだと思います。信長の野望でも天下統一が確定的になって近づいてくるとかえってつまらなくなるし、逆に生き残るかどうかの瀬戸際で遊ぶ方が楽しいしなぁ(・∀・)

2008年10月29日水曜日

時価会計見直しについて

 今日友人、ってかツッチーから、「今、時価会計の見直しがされているそうですね」という直球メールが来たので、これは是非打ち返してあげねばと思うのでこれについてすこし解説します。

 詳しく会計学を学んでないで言うのもなんですが、企業は自分たちの持っている資産がどれほどの価値があるか年度ごとの会計報告で公開しなければならないのですが、その公開する価値というのは確かまだまちまちだったと思います。

 まず一般的に多いのは「簿価」という単位で、これはその資産の取得時にいくら払ったかという価格で、会計報告時には多分まだこれが主流で使われていると思います。しかしこれは以前から批判されているように実態にあっていない価格が報告されることが多く、たとえばの話で40年前に買った土地を簿価で書かれても、それ以後の物価の上昇を考えると果たして現在その簿価の価値どおりかといったらまずもってそんなことはありえません。
 最近でこういった価格の差異が大きく目立った例は確か2004年に起きた村上ファンドの阪神電鉄買収騒動の時で、阪神電鉄が持っている阪神百貨店と甲子園の土地の価格が数十年前の購入した際のまさにこの簿価で会計報告されており、もし仮にこれらの土地を売り出したり担保として銀行にかけるとしたらその簿価の数倍の資金が調達できると言われていました。恐らく、それは事実でしょう。

 こうした簿価に対して、会計報告する資産は実際の価値で報告する方が市場の透明性という観点からも望ましいとして取り入れられたのが「時価」です。これは簿価と違ってそのまんま、会計報告時の評価価格の事を指しています。たとえば100万円で買った証券が数年後の会計報告時に90万円に目減りしていた場合、簿価会計では取得価格の100万円と報告するところを、時価会計では90万円と報告しなければなりません。

 この時価会計は恐らくまだ株式のみで、詳しく確認はまだ取ってないのですが先ほどの土地などの不動産には適用されていなかったと思います。ですが21世紀に入ってからはアメリカの圧力の下で日本もどんどんと取り入れていき、その結果それまで株式持合いが続いていた日本の大企業連中からすると帳簿上の価格を急激に落とさねばならず、参照しているサイトによると以前に三菱電機はこの変更の際に250億円の黒字から140億円の赤字に転落したとまで書かれています。

 結論を言うと、私は時価会計の方がやはり望ましいと思います。というのも簿価ではやはり実体にそぐわない数字が並び、投資をする際にも企業の情報透明化の観点からも外部者に弊害が生じやすいからです。それこそ簿価で1000万円の株式資産を持っていると言うからその企業に投資をしたところ、実際にはその株はもう100万円程の価値しかなかったら大変なことで、業績は悪くとも資産があるから安心だと思っていたら突然その企業が倒産するということもあり、もしそうなったりしたら投資した方がそれは詐欺だと思っても仕方がないでしょう。

 また逆に資産価値をわざと低く見積もることによって、その資産にかけられる資産税を企業側は軽減することも出来ます。多分先ほどの阪神電鉄なんてそういう意図でわざと不動産価値を低く見積もっているのでしょうが、これなんか見ようによっては立派な脱税ですし、資本流通の促進という観点からもあまり望ましくありません。

 ちょっといろいろ参照したところ、この時価会計の導入に反対している人は結構多くいるそうです。その人たちの主張を見ると、時価会計にすることで実業で赤字を出しても時価の上昇を利益として計上することによって赤字隠しの粉飾決算が行われてしまうといった指摘をしており、有名な「エンロン事件」で破綻したエンロンもこの手法で赤字を隠していたそうで、納得できる真っ当な指摘だと私も思います。
 しかしそれを考慮しても、簿価会計では資産所有者の企業がどう見ても有利になるだけで投資家にとっても社会にとっても時価会計より弊害が大きいと思えます。

 ここでツッチーの振ってきた話になるのですが、

「時価会計見直し」論まで出る、サブプライムの痛手の深さ

 リンクに貼った記事によるとツッチーのくれた情報通りに、かつては日本に時価会計を迫ったアメリカがこの時価会計をやめようじゃないかと言い出しているそうです。その狙いは下がり続ける株価が企業の会計報告時に大きな損失額を計上し、それを見た投資家がさらに資金を引き上げる悪循環を生むから、といったあたりでしょう。
 しかしそれは記事の執筆者である山崎元氏の言うとおりに、経営者の失態隠しにしかなりません。もっともらしい事を言ってはいますが、恐らく時価会計をやめたところでこの株安が止まる事はないでしょうし、隠したところでその企業が倒産なんか起きたらそれこそ投資家がその損失をまともに被ることになるので、私も山崎氏同様にこの動きには絶対に反対です。

 自分で書いててなんですが、最近自分はまたアメリカ人っぽくなってきたなと思います。「孤独に強くあれ日本人」の記事でもそうですけど。

失われた十年とは~その三、政治的混乱~

 前回までの記事が導入に当たり、この記事から本題に入っていきます。しばらくは政策的な話が続きそうです。

 さてこの「失われた十年」。ほかの不況と一線を画す特徴は言うまでもなくバブル以後から約十年間にも及ぶ長い間、何の進展もなかったという点でしょう。では一体何故それほど長い間に何の進展もなかったのかですが、私じゃこの原因はこれだと言い切るような一つの原因というものはなく、複数の大きな要因が作用していたためだと考えています。新自由主義が大流行りな昨今の時代では巷に流通している一般の経済書などには恐らく、それまでの日本独特の雇用形態や金融システム、国際スタンダードに乗り遅れたなどを理由として挙げているものばかりでしょうが、確かにそういったものも重要な要因だとは認めますが、私はそのどれよりもちょうどバブル崩壊期に起こった政変と、それによって続いた政治的混乱こそが複数の要因の中でもひときわ大きな原因になっていると考えます。

 まず、以下の表を見てください。

首相名称    在任期間                    任期
昭和
田中角榮  1972年07月07日- 1974年12月09日  886日
三木武夫  1974年12月09日- 1976年12月24日  774日
福田赳夫  1976年12月24日- 1978年12月07日  714日
大平正芳  1978年12月07日- 1980年06月12日  554日
鈴木善幸  1980年07月17日- 1982年11月27日  864日
中曾根康弘 1982年11月27日- 1987年11月06日 1806日
竹下登   1987年11月06日- 1989年06月03日  576日
平成
宇野宗佑  1989年06月03日- 1989年08月10日   69日
海部俊樹  1989年08月10日- 1991年11月05日  818日
宮澤喜一  1991年11月05日- 1993年08月09日  644日
細川護熙  1993年08月09日- 1994年04月28日  263日
羽田孜   1994年04月28日- 1994年06月30日   64日
村山富市  1994年06月30日- 1996年01月11日  561日
橋本龍太郎 1996年01月11日- 1998年07月30日  932日
小渕恵三  1998年07月30日- 2000年04月05日  616日
森喜朗   2000年04月05日- 2001年04月26日  387日
小泉純一郎 2001年04月26日- 2006年09月26日 1980日

 これは田中角栄から小泉純一郎に至るまでの総理大臣の任期を、ウィキペディアから拝借してきた図を元に見やすく簡略化したものです。まず注目してもらいたいのは「失われた十年」の期間内における総理大臣の数で、前回に定義した開始時期である91年の海部俊樹からスタートして数える事なんと九人にも上り、平成年間で見るならば宇野短命内閣も入って十人もこの時期に総理大臣が輩出されています。これは72年の田中角栄から89年に任期を終える竹下登までが七人である事を考えると、この失われた十年に如何に多くの総理大臣が出現したかがわかるでしょう。また十年スパンで考えても以下の表のように、


注:★マークは任期が二年以上

 といった具合で、事の異常さは一目瞭然です。
 こうしてみると失われた十年に当たる平成年間がどれだけ総理大臣のバーゲンセールなのかがわかり、また任期一つを取ってみても海部俊樹から小泉純一郎まで十二年間で九人の総理大臣で、単純計算で一人頭は約12÷9=1.333……と、平均するとこの時期の首相の人気は約1.3年しかありません。最近じゃ皆一年も持たないんだけど。

 現実にこの失われた十年の間に在任任期が二年を越した大臣はというと海部俊樹、橋本龍太郎、小泉純一郎の三人のみで、他の大臣はというと計算通りにほとんどが一年から二年目の間に辞職しています。
 このように首相が代わる代わる交代していった原因はまず間違いなく、93年に初めて自民党が選挙で大敗した挙句に野党に転落した、55年体制の崩壊が原因です。この時に自民党は野党に転落し、またその後も与党に戻ったものの単独政権ではなく連立政権で、更にそれを取り巻く野党らも合従連衡を繰り返していたという、政治的に不安定な状態が続きました。なお最終的に今のひとまず落ち着いた状態に至ったのは小渕政権時の自民、公明の連立以後でしょう。この時には民主党も成立しており、その後は小沢一郎率いる自由党が民主党に合流したくらいですし。

 こうした政治的に不安定な状態が続いたことの結果として、政権基盤が不安定なために与党となっても長期的な展望にたった政策を打ち出すことが出来ず、また党を支えるはずの国会議員たちも目下の経済政策より党利党略に神経を使うようになっていったのではと私は思います。
 これは私の推論ですが、この時期に議員達はその政局の流動性から大物議員であれちょっとしたことで選挙にも落選しやすくなり、そのため政策以上に自らの選挙対策に神経を使うようになっていったのではないかと思います。実際にバブル崩壊以後から小泉政権の誕生に至るまでに景気対策の名の元に大型の公共事業がいくつも行われており、その公共事業を地元の選挙対策として利用した議員も少なくはなかったでしょう。だとすると、場合によってはそういった公共事業は景気対策以上に選挙対策といった目的の方が強かったとも言えると思います。

 このような政治面での不安定さが「失われた十年」を政治的、社会的にもより進展のないものにさせた最大の原因と私は睨んでいます。私の不勉強によるものかもしれませんが、どうも巷に出ている書籍はこの点をあまり追究していないような気がします。まぁ今の状況も似たようなものなんですが。

2008年10月28日火曜日

友人の一言

 本日政府から文化勲章の授与者の発表があり、その中で私が以前に書いた「国民栄誉賞について」の記事の中で紹介している古橋広之進氏も授与者として入っていました。私も水泳をやっていたこともあり、古橋氏の戦後の苦しい時期に日本人を水泳で勇気付けたという功績を考えると我が事のようにうれしく思えます。別に古橋氏に限るわけではありませんが、やはり自分が尊敬する人物が世間で高く評価をされると非常にうれしいものです。
 
 かくいう私は、多少過剰な被害者意識も入っているでしょうがこれまで自分はかなり周囲に冷遇されてきたと自認しています。面と向かって狂ってるとか頭がおかしいと言われたのはザラですし、根も葉もないことを陰でよく言われていたと知り合いに教えてもらいました。特にそれが一番激しかったのは中学高校時代で、私自身も周りがそういう風に自分を見ているのを知っていたのでなるべく付き合わないようにしていました。

 そんな風に、恐らく傍目にも非常に暗い時代だったある日、席が隣同士でまだ話が出来る友人に対して自分は今こんな状態で非常に冷遇されている。良くも悪くも自分をちゃんと見てくれる人間はいないなどと愚痴っていました。するとその時友人は、

「周りが君に対していろいろ言っているのはよくわかるよ。でも君は以前に僕を助けてくれたし、僕はそのことにずっと感謝しているし君を高く評価してるよ」

 と、いうように言ってくれました。
 実はこの会話時よりちょっと前に、授業中に携帯電話が鳴り出して犯人が名乗り出てくるまで家に返さないと教師が出て行って残った生徒同士で犯人は誰だという風になった時、クラスの一人が、「ぶっちゃけ、携帯電話持ってる奴は手を挙げて」と呼びかけた時、不用意にその友人はあまり話を聞いてなかったにもかかわらず手を挙げてしまいました。

 それ以前にも何度か「とりあえず携帯持ってる奴は?」と聞かれていて、その友人は当時は携帯電話を持ってきてなかったのでそれまで手を挙げていなかったのですが大体三回目くらいのその呼びかけに間違えて手を挙げてしまったところ、「やっぱりお前、持ってきていたんじゃないか!」ってな感じで、何も事態がわかっていないその友人は他の生徒から突然激しく糾弾されそうになりました。
 実を言うと、ちょうどその友人と私のいる辺りの席から携帯音がしており、恐らく他の生徒は、「あの中の誰かだ」と見ていたのだと思います。そこで最初は持っていないと(実際に持っていないが)言っていたのに後から手を間違ってあげちゃったもんだから、その友人に対してものすごい反応をしたのだと今更ながら思います。

 友人も突然激しく糾弾されるもんだからますますパニックになって、「えっ、えっ?」といっては何も反応することができずにいました。席が隣で横で見ていたこともあり事態がわかっていた私はすぐに立ち上がると、「彼は何もわかってなくて、周りが手を挙げているのを見て間違って挙げちゃっただけだ」と、友人が携帯電話を持ってきていないと改めて説明し、その場はすぐに元通りに収まりました。

 私としては特別な何かをしたと思っていなかったのですが、友人はこのことを非常に感謝しており、それで最初に書いた内容のセリフを私に言ってくれたのだと思います。時期も時期だったのでこの友人の発言は私にとって非常にありがたく、今でも折に触れてほとんど交流はなくなってしまったこの友人のことを思い出します。またそれと同時に、この友人が評価してくれたのだから、自分はその評価に値するだけの立派な人間にならなくてはならないと毎回思い直しては自身の研鑽を図りなおしています。友人からすればほんの些細な一言だったのかもしれませんが、その一言は未だに私を動かす大きな原動力となっております。

 どうでもいいけど、引用した過去の記事に今日引退発表をした高橋尚子のことも書いているは因果だなぁ。

失われた十年とは~その二、期間~

 この連載を始めるに当たってまずやらねばらないのは言うまでもなく、この「失われた十年」が何を指しているのかという定義です。そこで連載一発目の今日はその辺を詳しく定義します。

 実はこの「失われた十年」という言葉は日本で初めて出来た言葉ではなく、もともとはイギリスにおいて二次大戦後、経済的発展が少なく閉塞した時代であった1945~1955の十年を指す言葉だったらしいようです。もっとも今現在でその事実を知っているのはニュース解説者でもほとんどいないでしょう。
 では実質的にどのように使われているかですが、まず世間で流布している一般的な定義としてはバブル崩壊以降の何の進展もないまま延々と不況が続き、気が付いたら十年も経ってしまった、といったような意味合いが主でしょう。別にこの説明に特段疑義を私も持ちません。

 しかしここで重要になってくるのは、実際にいつからいつまでがこの失われた十年の期間に当たるかです。この点は各種の評論においてもいくつか意見が分かれているのですが、始まった時期についてはどの意見も共通してバブルの崩壊時として、年数で言うのならこの場合は日経平均株価が下がりだして本格的に景気が悪化し始めた1991年を指しています。

 株価自体は1989年12月29日の大納会に38915円87銭という最高値を記録してからは下がり続けて90年には一時2万円を割るものの、その後しばらくは日本全体で好景気が続いていました。しかし企業業績の落ち込みが続いてそういった好景気も立ち行かなくなっていき、本格的に「バブル崩壊」という言葉が使われ始めたのはやはり91年頃だったと子供心に私自身も記憶しています。また国際的にもこの年に去年処刑されたサダム・フセイン元イラク大統領によるクウェート侵攻によって湾岸戦争が勃発しており、国際情勢が大きく転換した年でもあるのでひとつの時代のパラダイムとしては適当だと思います。

 問題なのはこの失われた十年が終わった時期です。
 これには様々な意見があるのですが、文字通り91年から十年後で2001年とする説と、昨日までここ十数年のうちで最低株価記録の7607円88銭を出した2003年4月28日という二つの意見が今のところ強いです。
 私の実感で言うと、後者の03年の初期が最も暗いイメージが社会に蔓延していた時期で案の定株価も大底を出しましたが、その大底を境に株価は一応のところ下げ止まり、全体的に暗くはあったものの少なくとも今日より明日はマシなのではないかという実感が徐々に込み上げてきた年だったと思います。株価もその年の10月には11000円台にまで回復し、それまで歴史的な就職氷河期であった大学生の就職戦線も2001年を底にして徐々に採用がまた増え始めてきた頃でした。

 こうしたことを考慮すると、確かに01年が大企業の倒産が相次ぎ実業面で恐らく最も苦しい時期ではあるのですが、そうした状態から脱したという意味合いで03年の方が終結年としては適当な気がします。またこれはちょっとした偶然なのですが、何気に03年はイラク戦争の勃発年でもあってこの年の年末にはフセイン元大統領もアメリカ軍によって拘束されてます。既に述べたように開始年とする91年は湾岸戦争が勃発しており、文字通りフセインに始まりフセインに終わる「失われた十年」と考えるのもなかなか
乙な気がします。

 以上のように、この連載における「失われた十年」というのは1991年から2003年を指す事にします。とはいっても2001年までという説も定義的には決して悪いわけでもなく、先ほどの説明に加えこの01年はその後の政治的、社会的変動の中心となる、小泉内閣の誕生年でもあります。
 その評価はともかくとして小泉元首相がこの失われた十年の構造不況を改革したのは間違いなく、そういった意味で03年が社会実感の転換点としての定義に対し、こっちは社会構造の転換点としての定義とすることも出来ます。そして蛇足ではありますが、01年は日中戦争を代表する人物である張学良がこの世を去った年でもあり、中国とか関わりの深い私としてもこの理由にあわせて01年説を持っていきたくなりそうです。

 なのであえてこの両説を平行して使うのなら、広義としては91~03年、狭義として91~01年と考えるのが失われた十年の期間として適当だと考えます。本連載では先にも言ったとおり基本的には広義を採用するので、2003年に至るまでの事例を思いつくまま解説して以降と思います。

2008年10月27日月曜日

失われた十年とは~その一、予告~

 7607円88銭

 今日はこの数字が非常によく出回った一日でした。この数字、というよりも価格が何を表すかというとニュースを見てればわかりますが、これは「失われた十年」と呼ばれた平成不況期の真っ只中である03年4月28日に記録した、今日以前のバブル崩壊以後としては日経平均株価の最低価格です。
 その最低価格も今日の終値でとうとう更新して、これからまたあの失われた十年の再来、もしくはあの時代以上の不況が日本を覆うのではという悲壮感に溢れた意見が飛び交っていますが、そもそもあの失われた十年とは一体なんだったのか、これはかなり以前から私が考えていたことでした。

 それで、一度はやろうとしました。やろうと思ったのですが、ちょうど去年の今頃からちょこちょこ書いて原稿用紙80枚を越えた時点で何故だか飽きて書くのをやめてしまいました。理由は恐らく、私が当時に別の論文の作成で忙しくなったせいだと思います。
 よくこの失われた十年は経済用語として使用されることが多いのですが、私としては専門の関係もありこの時代を日本の現代史、社会史として位置づけており、経済以外の点でもいろいろと今だからこそ検討する材料に溢れた時代だと考えています。

 折も折でこれまで最低だった前述の株価を今日は更に下回り、今後の経済情勢を占う上でこの時代の分析が真に必要なのは今の時代なのではないかと思います。私としてもやりかけた仕事ですし、ちょっと前まで連載していた「文化大革命」の連載を終えて、
「案外、このブログで連載していても、そこそこまともな論文が書けそうだ」
 という確信を持つに至りました。おかげさまでその文化大革命についての連載については様々な方から反響をいただき、また自身で読み返しても胸を張って人に見せられる内容だという自信があり、これならば失われた十年についてもちょっとずつ書いていけそうだと思い、この度連載を始める決心がつきました。

 また私にとっても都合がいいのは、この連載の場合は今後しばらくは昔に書いた内容に補足する程度で進められる点です。はっきり言って前回の文化大革命の際は資料をまた読み返したり、ネット上で情報の確認を取ったりと、書いてて非常に面白かった分、労力も半端じゃありませんでした。けど今度の連載の場合は開始しばらくは楽が出来そう……と思ってたのですが、書き溜めた論文を今読み返すと文章が敬体じゃなくて常体で書かれてました。結構手直しが必要になりそうです。

 ともかくそういうわけで、しばらく普通の記事と平行してこの失われた十年について分析を行う連載をはじめます。それでは今日の最後として、ちょうど一年前の私が書いた論文の前書き部をそのまま引用してお見せします。思えば、この論文を投げたあたりからこのブログも始めたんだなぁ(´ー`)

「結論から述べるとこの「失われた十年」は言い換えると「モラルパニックの十年」と表現できると考えている。明らかにこの時代を境に日本人は変わったし、また国際世界も変わっている。何も変わらなかったのは案外、同世代では自分くらいなんじゃないかなとかちょっぴり思ってたりもする」

解散と選挙の時期について

 簡単にぱぱっと書きますが、日本は国全体でもっと衆議院の解散時期について考えるべきだと思います。

 先週末辺りから与党の議員を先頭に、「今の経済的危機状況で解散などするべきではない」といった発言が公にも増えてきました。それに対して民主党の側もちょっと遠慮し始めてきたのか、こういった与党側の発言を受けて、恐らく逆批判を避けるためでしょうかいささか解散総選挙への主張にトーンダウンが見られます。

 しかし、私としては現時点でも可能な限り早くに選挙を行うべきだと思います。
 その理由としてまず第一に挙がってくるのが、たとえここで解散を引き伸ばしたところで来年四月には任期切れにより解散しなくてはならないからです。遅かれ早かれ選挙が行われるなら何も今に急がなくともという方もおられるかもしれませんが、来年に任期が切れるということで現在の麻生政権は長期的な政策が打ち出せないという致命的な欠陥が生まれるため、私としては勝つにしろ負けるにしろ、早く選挙をやるべきだと思うのです。

 もし次の選挙で自民党が負ける場合は民主党を中心とした内閣となり、政策が根本から改められることとなります。そしてたとえ自民党が勝ったとしても、恐らく三分の二を越える現有議席は失い、これまでのように強引な参議院の否決にあっても衆議院による強引な採決が行いづらくなります。このように、どちらにしろ政策の見通しが立たないために現状では一年先を見据えた政策が何も打ち出せないという状態にあると言えます。
 そして市場の反応でも、現在の麻生政権は来年四月までに終わってしまうのではといった不安感が強く、選挙前という非常に敏感な時期が続けば続くほどこの不安感は継続されてしまいます。

 こうした第一の理由に加えて私が心配している第二の理由は、果たして引き伸ばした挙句に今より状況が好転するかという疑問です。恐らく、一ヶ月前の時点で日本の株価がこれほどまでに下がると予想していた人はほとんどいないでしょう。それは逆に言えば今後の状況も全く見通しが立っていないということで、下手をしたら解散を伸ばしに伸ばした挙句にタイムリミットである来年九月を迎えたら、今以上に本当にどうしようもない状況下になっているとも限らないからです。

 折も折で、選挙はもうすぐですが任期によって来年にはアメリカの大統領も変わります。その変わり目にまた何かあるのではと、ちょっと心配しすぎかもしれませんが考えずにはおられません。一番最悪なのは言うまでもなく、にっちもさっちもいかない状態で任期切れで解散するしかないという状況です。それならばまだ日程を選択できる今の状況の方が、いくらか予防線を張るという意味でいいのではないかと思います。

2008年10月26日日曜日

90年代におけるネットをテーマにした作品

 ちょっとこっちは不確かで私の所感でしかないのですが、90年代前半にはいわゆるサイバーパンクともいう近未来の宇宙を舞台にしたハードボイルドな漫画作品が非常に多かった気がします。このジャンルの代表的作品は寺沢武一氏の「コブラ」が最も有名ですが、90年前後にはガンダムでも「逆襲のシャア」や「F91」等の大型SF映画作品も作られ、ガンダム以外でも大友克洋氏の「AKIRA」が公開されるなど環境的に充実していたのが流行した理由なのだと思います。当時の同人誌等を見ていると明らかにこれらガンダム作品を模した巨大ロボットものの作品が多く、また「コブラ」同様にアメコミの画風を取り入れたものが非常に多くありました。

 そしてこうした90年代前半の流れを受けたのか、90年代後半に続く頃にはインターネット時代の幕開けとともに今度はネットをテーマにしたSF作品が次々と生まれていきました。 
 このジャンルの最高峰ともいえるのは言うまでもなく士郎正宗氏による「攻殻機動隊」で、この漫画の中で書かれた「意識と肉体の同一性」というテーマはこれに続いた他の同ジャンルの作品でも一貫して取り上げられています。

 ちょっと攻殻機動隊について簡単に説明すると、この漫画の中の世界では脳だけを取り出して体は全身サイボーグ化することが当たり前に行われており、漫画版では軽くギャグ調に書かれていますが、映画のアニメ版では一つのメインテーマとして、サイボーグ化した自分が本当に脳を持っているかを自らの目で確認することがもちろんできないので、今こうして考えている意識は本当に自分の脳が行っているのか、もしかしたら自分が自分と思っている意識は実はAIが行っており頭の中には脳ではなくコンピューターチップが入っているのでは、といったような疑問が提起されています。
 哲学の言葉で恐らく最も有名な、少なくとも今ここに物事を考える自分が存在しているのは確かであるという、「我思うゆえに、我あり」という価値概念すら、「その自分の意識はもしかしたらAIなのでは?」という疑問でひっくり返すという面白い概念が描かれています。

 ちなみに自分の意識は本当は脳ではなくAIが行っているのではというような話は何も攻殻機動隊が最初ではなく、それ以前にも自分が人間だと思っていたら実はサイボーグだったというような話はよくあり、木城ゆきと氏の「銃夢」(1990~1995)という作品に至ってはある未来都市の住人すべてが成人するとそれまでの記憶をデータ化してコンピューターチップにするとそれを脳のかわりに入れられ、自分が脳をなくした(肉体はそのまま)と知らないまま生き続けるという話が書かれています。

 このように、それまで魂と呼べるような意識と物理的に存在する肉体は基本的にその人個人に対してセットで存在しているのだという前提に対し、90年代前半頃からこれに強く疑問を提起する動きが見え始めてきました。そうした中、ついにインターネット時代に突入するのです。
 インターネットというのは基本的にデータだけの世界です。そのデータの中にはこの私のブログのように意思がこめられた文字データがあれば、チャットのように音声の発生と聞き取りという物理現象を解さずに(キーボードの打ち込みはありますけど)互いの意思を交換することもあり、いわば肉体を解さずに交流される、意識だけが存在する世界とも言えます。

 日本でインターネットが始まったのは1995年からですが、このインターネットの仕組みをヒントにしたのか「データ」、「意識」といった言葉をふんだんに使用して、「もはや肉体と意識は完全に別々に分けられているのだ」というような主張をテーマにした漫画やアニメ作品がこの頃から続々と出てきました。その主張は先ほどに説明したような具合に、インターネット世界というのは完全な意識だけの世界だということを前提にネットに出ることで物理世界から意識だけを開放する……といった具合です。

 攻殻機動隊の中でも意識をネットに接続することによって他者の記憶に干渉する、中には意識そのものを乗っ取るといった描写が展開されていますが、90年代後半に至っては現実世界と意識世界そのものを逆転したMMR的に、
「実はこの世界はネット世界と同様に、コンピューター上のデータの世界だったんだよ!」
「な、なんだってー!?」
 ってな感じで言い出すのも結構ありました。これだと一番代表的なのはアメリカの映画、「マトリックス」ですが、この監督自体が攻殻機動隊の大ファンだしなぁ。

 ちょっと話が二転三転していますが、当初は「肉体が変わっても、意識はそのままなのか」という議論から、「肉体と意識はもはや別々なのは確かだが、果たして我々が認識するこの世界は肉体の世界なのか、意識の世界なのか」といったように徐々にシフトしていったように思えます。私の言葉に直すと、それまでは肉体と魂がセットの一元論の疑問から、肉体と魂は別々という二元論に加え世界も二元なのかという疑問といった具合です。

 そこで90年代後半において最もこういったテーマを強く打ち出しているのが、かなり贔屓も入っていますが「Serial experiments lain」というアニメ作品だと思います。これなんかコアなファンが今でも多くいるのですが、この作品では「記憶=データ」という前提が存在しており、その上我々が知覚する現実世界というのは我々が遊ぶオンラインゲーム上のような世界で、人間の意識(とされるもの)には本質的に他者の意識と接続する能力が備わっているとして、そうした意識同士が接続されあって出来た世界というのがこの世界という具合に話が展開されます。ちなみに、その接続されてできる世界でも上位の接続が出来る人間においてはデータをいじくる権利があり、記憶等の我々が知覚する世界に干渉することが出来るようになってます。

 こういった作品が流行したことについては、やはりインターネットの拡大という影響があったことは間違いないでしょう。ネット上が意識だけの世界ということで、意識だけで世界は成立するのでは、肉体はその存在価値はまだあるのかなどといった様な疑問が次々と出て行ったのだと思います。なお、「バカの壁」の作者の養老猛氏も、現代の世界は意識だけが大きく幅をきかしており、木から落ちて怪我をするといったことがあまり取り上げられもしなければ起こることも減り、肉体の実感が非常に薄くなってしまったというようなことを言っていたと思います。

 本当は漫画のテーマの流行り廃りだけをこの記事で書こうと思ってたのですが、予想以上にわけのわからない内容になってしまいました。また別に質問等があれば細かい解説をしてこうと思いますが、この記事ではとりあえず妙な翻訳はせずに私の言葉で詰め込めるだけ詰め込むことにしました。なので適当にわかる内容で面白いと思ったものだけ拾って読んでください。

 最後にこういった「肉体と意識」をテーマにした作品の現状について私見を述べると、このところはめっきりこういったテーマを取り扱う作品が少なくなったと思います。売れなくなったのか、流行らなくなったのか、はたまたインターネットの拡大が非常に大きくなって一般化してしまったからかもしれません。

2008年10月25日土曜日

社会的共通資本とは

 初めに断っておきますが、今日の内容は紹介こそすれども私は完全に理解している自信はないので、あくまで私の解釈として受け取ってください。そしてできることなら原典である、宇沢弘文先生の「社会的共通資本」(岩波新書)をお読みすることを強くお勧めします。

 さて今朝まで連載していた「悪魔の経済学」の記事の中で私は、新自由主義経済学の最大の欠陥的思想は人間の心理、行動から二酸化炭素に至るまですべてのものに対して金額をつけて計算しようとする点だと主張しました。それに対して東大名誉教授である宇沢弘文先生は真っ向からこれに反対する主張をしており、その説のことを「社会的共通資本」と呼ばれています。

 この説の考え方というのは割と単純(だと私は考えている)で、何でもお金に換えて計算する新自由主義とは逆で、社会公益性が高い物に対しては下手に損得勘定を計算できないように市場から完全に切り離して独立させ、原則的にどんなに費用をかけてでも守っていくべきという思想です。

 こういったものとしてまず挙げられているのが自然環境です。基本的に現代では市場に任せておけば森林や山地はどんどんと開発されていきますが、かつての江戸時代に日本の社会は山林に対し「入会地(いりあいち)」という概念を持ち、周辺の住民同士の共有財産として木々を必要な分だけお互いに消費し、また山林の保護も共同で行ってきました。
 それが明治時代に入ると土地などに私有財産の概念が持ち込まれ、こういった共同管理されていた土地は数少ない例外を除いてほぼすべて国有地として吸収され、それまで共同で使用、保護されていた土地は途端に周辺住民が立ち入ることすら出来なくなりました。

 私の恩師のK先生などは社会的共通資本の考え方はこの「入会」だとよく説明してましたが、私の解釈もこれに同じくします。要するに、社会公益性が高いものに対しては経済上の「私有」という概念から外して、社会で「共有」することによって保護していくという考えです。こうすることにより、たとえば周辺住民が反対している土地に住宅会社が無理やりでかいマンションを建てるなど、一個人や一事業者の勝手で社会の公益性が損なわれるのを防ぎ、その上個人では難しい管理や保護を共同にすることによって負担を分配していけるようになります。

 こうした考え方の一つの実例として、私も参加した講演会では中国にあるどこかの川では周辺住民によって年に一回程度、氾濫を防ぐために流れを緩めさせる底石を川底に並べられているという例が紹介されていました。これだと周辺住民が総出でやればそれほど時間がかからず、その上作業に使うのはほんとただの石だけで費用もゼロな上に環境負荷もゼロというお得ぶり。
 この例は日本の防災ダムとの比較がなされていたのですが、よくダムさえ作れば最初に費用はかかるとしても電力も作られ防災にもなって更には半永久的に使えると誤解されていますが、実際にはダムの寿命というのはそれほど長くはないのです。

 実はダムというのは水は通すのですが、上流から流れてくる砂はなかなか流れずに時間とともにダムの壁際にどんどんと堆積していってしまうのです。もちろん堆積していくとえらい山になって川底を押し上げ、防災上にも発電上にも悪影響が発生し、ダムとして使い物にならなくなってしまいます。かといって機能を維持するためにその堆積した砂を地上から掘り返そうものなら、これまた異様なくらいにお金がかかってしまうのです。
 元祖注目知事だった田中康夫なんて今じゃかなり落ちぶれちゃっているけど、長野県知事就任当初の「脱ダム宣言」にはこういったことが指摘されており、社会史的に見るなら非常に意義深い問題提起をやっていたのだと私は評価しています。

 それが最初に紹介した中国の川、っていか今急に思い出したけどこれって「都江堰」です。調べてみると世界遺産にもなっており、古代に整備されたものですが現代においても非常に技術的に高い構造となっているそうです。
 こっちの都江堰と日本のダムを比較した場合、前者は毎年の管理、整備は必要としますが基本的に周辺住民がボランティアで行い資材費もいらないので費用はゼロです。それに対して後者は建設時にものすごい費用をかけた上、時間が経ったらまたすごい費用をかけて整備しなければいけません。
 またダムの場合は砂とともに川の中の栄養も遮断してしまうので大抵は下流の水質が悪化してしまうので、無理やりダムを作ろうとする行政側とそれに反対する市民団体が議論するダム問題は現在も日本各地で行われています。なおこの際の勉強会では、四国のダム建設に反対する市民団体の方も参加しておりました。
 ついでにちょっとかくと、この都江堰に準ずる日本が世界に誇る水利施設と呼べるのはあの「信玄堤」です。これなんかメンテナンスいらずで半永久的に使っているんだから、実はとんでもない代物らしいです。

 こんな感じで、社会公益上で価値が高いものについては共同管理、しかも行政の手に寄らない独立した管理をすることこそが保全、維持につながるというのが社会的共通資本の考え方です。何もこの対象は自然環境に限らず、医療や農業、文化も対象として挙げられ、医療なら下手な厚生省の役人に任せずに医療問題をきちんとわかっている現場の医師や専門家などによって経営や運営を決めていくべきだと宇沢先生は主張されています。また運営上に費用が必要だというのなら、社会全体でこの方面へどんどん投資するべき、何故なら医療も農業も欠くことのできないものだからとも言われております。

 この概念を新自由主義と比較するなら、新自由主義では市場に任せればすべて解決されるのだから規制を取っ払って何でもかんでも商業ベースに乗せればいいという考え方で、社会的共通資本では公益性の高いものは市場に任せるとろくなことにはならないから専門家や周辺住民による共同管理をした上で費用をかけてでも守っていくべき、というような感じになります。

 先ほどの医療を例に取ると、新自由主義では医師同士で経営や技術を競争することによってサービスは向上されて消費者も万々歳なのだから、極端な例だと医療行為の費用も医師個人で決めさせるべきだという主張まであります。そうなると同じ盲腸の手術でも、東京で受けるのと鹿児島で受けるのでは費用が変わり、まぁあえて批判するとお金のない人は医者にかかることすらできなくなる可能性があります。
 それに対して社会的共通資本は、勉強会でいらした医師の方などが主張していたのですが、「いい医療を維持存続させるには、やっぱりお金がいるのだ」と言っておられ、現在は全然足りていないのだから社会はもっと医療に予算を分けるべきだと主張していました。社会的共通資本は新自由主義と違い、公益を守ることをまず前提としてそのためにどうやりくりしていくかを重視し、そのためにかかる必要最低限の費用は議論の余地なく出すべきとしています。新自由主義だと如何に採算を合わすかしか考えないしね。

 大体こんな感じが私の社会的共通資本の理解です。本当はまだまだ紹介するべき例があるのですが書ききれないので、もし興味をもたれた方は宇沢先生の本を手にとることをお勧めします。私なんか最初に「社会的共通資本」を読んだ際、えらくはまって何度も読み返しました。

悪魔の経済学 その三

 前回の「悪魔の経済学 その二」において、新自由主義経済学の最大の欠陥は、本来換算すべきものに対してすらも金額に直して価値を算定し、社会的に不条理とも言えるいえるような行動についても安易な損得勘定から犯してしまうと私は説明しました。今日はその一例とも言える、排出権取引の欠陥について簡単に解説します。
 まず結論から一気に攻めると、排出権取引でCO2排出権を得る費用がCO2削減につながる設備投資費用を下回った場合、逆にCO2排出を余計に誘発するという欠陥があります。

 この排出権取引というのは京都議定書などで算定されたCO2の削減目標を国や企業が達成できなかった場合に、目標を超えた分のCO2排出量の分だけ発展途上国に「CO2削減投資」という名目で資金援助を行うか、逆に目標を超えて排出量を削減できた他の国から超えた分だけお金を払って「排出権」を購入する取引のことを指します。
 たとえば日本のある企業がCO2の削減目標が10トンであるのに対して8トンまでしか削減出来なかった場合、隣の中国でCO2を排出している鉄鋼会社などからCO2の排出を削減する名目で2トン分のCO2削減につながる(であろう)額の投資を行うことが義務付けられます。また発展途上国でなく先進国であっても、その国や企業が目標以上に削減したところから超過した削減量2トン分を先ほどもいったように排出権として購入することによっても、当該企業は削減目標を達成したと認められます。

 この排出権取引によって欧米などの国では、国や企業は削減目標を超えたらよそに販売して利益を出すことになり、逆に目標を下回ったらコストを支払うこととなるので利害的にCO2削減を積極的に行うようになるだろうと主張していますが、この主張には実はある前提が必要になります。というのも、CO2の排出権価格です。

 たとえば先ほどの例だと日本のある企業は目標を達成するのにあと2トン削減しなければいけないのですが、仮にその2トンを削減するのに自社の工場などへ設備投資をするとしたら10億円かかるのに、他国や他企業から排出権2トンを購入するのに5億円しかかからなければ、利害的に設備投資は行わずに利害的に排出権を企業は率先して買っていくでしょう。

 この排出権を購入したところで結局世界中で排出されるCO2の総量というのは変わらず、逆にもし排出権取引自体がなくて削減目標が厳しく義務付けていられれば、その企業は10億円を払って設備投資を行ってCO2は2トンも排出量が減ることになります。
 この話は先月の文芸春秋で載っていた記事に書かれていたのですが、確かにこういう風に考えると、なんとなくこの排出権取引のおかしな点が見えてきます。

 それにそもそも設定される削減目標自体に国や企業ごとに差があり、ちょっとダジャレて言うと中には「エコ贔屓だ!」と主張したくなる例も数多くあります。代表的なのは日本とEUの削減目標の大きな差で、バカ真面目に京都議定書を履行するくらいならアメリカを見習ってとっとと脱退した方がいいんじゃないかとすら最近私も思っています。議定書が結ばれた京都国際会館にはよく入り浸っていたんだけど。

 実際に今履行していて色々問題が起きていて、やっぱり当初見込んでいたよりもCO2排出権の価格が世界中でなかなか一定にならなかったりと、日本の企業も削減努力そっちのけで中国など発展途上国からバンバン購入するようになったりとうまく運用できていないそうです。

 ここまでくれば私の言いたい事も勘のいい人ならわかるかもしれませんが、私はこの排出権取引に対して、そもそも二酸化炭素に価格をつけようという価値観自体が間違いだったのだと考えています。この排出権取引の価値観の後ろにはどうも、「商業ベース(市場)に環境問題を乗せれば競争原理が自然に働き、理屈はないけどきっとうまくいくだろう」という考えが見え隠れしており、新自由主義経済学のもう一つの欠陥である「市場至上主義」も働いているであろうと思われます。

 しかし世の中何でもかんでも市場に任せればいいってわけじゃなく、最低限のルールこと規制(あり過ぎてもよくないけど)の上に物事を行わねば何もうまくいくわけでなく、そもそも商業ベースに乗せること事態間違いなものも数多くあります。
 こうした考えの経済学こそ私が一応は属している……と言えるのかぁ、第一、経済学じゃなくて社会学が私の専門ですし。
 まぁそんな疑問は置いといて、こうした考えが展開されているのが私が信奉している宇沢弘文先生の「社会的共通資本主義経済学」です。時期も時期ですし、この「社会的共通資本」の概念については次回に解説します。このところ経済ネタの記事が多いなぁ。

2008年10月24日金曜日

日経平均株価七千円台突入について

 連載の途中ですが、本日の日本株価の大幅な下落について急遽友人とメール会談を行ったので、ちょっとそれについての補足と今日の株価について解説します。

 まず本日日経平均株価は八千円台を切って終値でも7000円台という、十数年ぶりともいえる歴史的な安値を記録して取引を終えました。今回何故これほど日本の株価が下落したかというとその原因はまず間違いなく二つあり、まず直接的な引き金となったのがソニーの経営見通しの下方修正です。今期の世界的な大不況の影響を受けてソニーが今期の売り上げを当初見込んでいたものより大幅に少なくなるという予測から下方修正を行ったところ、このニュースが波及効果を及ぼして他の銘柄の株価も急激に下がったという見方でまず間違いないでしょう。そしてもう一つの株価下落の背景にある実原因、ソニーが下方修正するに至った要因はここ数週間の急激な円高です。

 前にNHKのニュースで報道されて私も以前の記事に確か書きましたが、何でも1ドルに対する円価が1円上がるごとにトヨタだと400億、ソニーだと40億円も売り上げが落ちることになるらしく、実は円高というのは輸出を主力としている企業、ひいてはそういった企業に頼りきっている日本からするとものすごい悪影響を与えるのです。
 なのでここで断言しても良いですが、今日明日の経済記事の一番の見出しが下がった株価のメディアは下で、上がった円価を載せているのは上です。実際、今私がYAHOOの情報を見ると何でももう1ドル=92円と、ちょっと前まで108円位だったということを考えると、トヨタはこの時点で6400億円の売り上げ低下といえることになります。実際にはこれ以上になること確実ですけど。

 今回株価が下がったのを順序だてて説明するならば、まずアメリカで金融危機が起こりドルの通貨価値が急激に下がりだし、比較的サブプライム問題の影響の少なかった日本の円価がまだ安定している通貨だと世界の投資家に見られたことにより逆に上がることとなった……というのが今日の事態に繋がったと見て間違いないでしょう。

 それでこの下落について友人は、「株価は全然実態を反映していないね」と言ったのですが、厳しいことを言うと、それは違って実体経済も今の株価並みにボロボロだというのが私の意見です。
 というのも、今の日本経済は完璧なまでに輸出頼みで成り立つように作られており、いざ海外、それも消費力の高いアメリカなどが駄目になると途端に一緒になって駄目になるような仕組みとなっており、それを挽回しようと思っても国内市場を放置してきた分、もはや取り返しがつかない状態となっているからです。

 これを細かく解説すると、基本的に経済というのはたとえ100の生産力があっても、50の消費力しかなければ結局50の経済価値でとどまってしまいます。日本は十年くらい前から国の経済体制を大きく改造し、大企業を優先して強くさせて生産力を限りなく上げていったのですが、その代わりに日本国内の消費力、つまり個人が持つお金の量をどんどんと減らしていきました。個人が持つお金の量が増えれば基本的に消費力というのは上がっていくのですが、日本政府は派遣雇用などで個人給与を減らしていき、企業もその政府の動きにあわせて非正規職員を増やすだけでなく残業代といった正規職員の給与までもどんどん減らしていきました。

 その結果、企業は支払う給与が減るのでその分を自社投資に回して生産力を増大させていったのですが、肝心の消費が国内ではそれに追いつかなくなっていきました。そこで政府は国内のかわりに、ガンガンと海外への輸出を誘導することによって消費を補っていく政策を行っていきました。実際うちの親父なんか知った顔して、「今の企業は海外に出ることなしではどこもやっていけない」とよく言うのですが、これは裏を返してみるなら経済のコントロール力、いわば日本経済の生殺与奪権をみすみす外国に握らせるも同然です。そして今実際に、日本企業はサブプライム問題で他国ほど影響は受けず、また金融機関の財務状況も非常に安定しているにもかかわらずここまで株価の下落が起きてしまっているのです。

 ちょっと込み入っているので、先ほどの生産力と消費力の変遷をちょっと図にすると、

    生産力 日本の消費力 海外の消費力
十年前 100   80     20
 今   150   50    100

 といったような感じです。やや極端な数字にしていますが、こんな具合に十年前と今は移り変わっていると考えてください。
 では日本はどうするべきだったか、輸出頼みに舵を切るべきではなかったのかという話ですが、私はあの失われた十年に海外重視に政策を打ったのは大正解だったと思います。しかしその政策をいつまでも続けたというのは、評価が難しいとはいえ結果的には失政だったと言えると思います。もし2006年のまだ日本全体で余裕が戻ってきたあの段階で国内の消費力増加に取り組む、具体的には派遣労働の禁止とか給与の底上げ、減税などさえ打っていれば、今の状況とはまた全然違ったものになっていたと思います。

 最後に、友人は今の状態は政治的な強権が発動されなければもはやどうにもならず、市場メカニズムに任していても解決できるはずがないと言っていましたが、後半は正しいのですが前半の部分は、私もそうあってほしいものなのですが、実際にはほとんど期待できないと思います。
 まず日本の今の麻生内閣はただでさえ解散を控えて不安定であり、その上今の経済混乱に対応できる人材が政治界にいるかとなったら非常に疑問です。田原総一朗氏はこの前のサンデープロジェクトにて、この状況下で中川昭一財務、金融大臣が切り盛りしていてよかったと誉めましたが、この人が具体的にどんな政策を打ち出そうというのかが私にまでさっぱり伝わってこないことを考えると、やはり力不足なんじゃないかなという気がします。少しうぬぼれもありますが。

 そして何より、前回G7、先進七カ国財務大臣会議にて歩調を合わせて持ち前の資金をどんどん流すと約束したにもかかわらず世界中で株価下落を下げとめられなかったことを考えると、日本程度の一国がいくら権力使ったところでどうにもならないのではと思います。
 じゃあどうすればいいかというと、ありていですが耐えるしかないというのが私の意見です。

2008年10月23日木曜日

悪魔の経済学 その二

 本当は続けるつもりはなかったのですが、前回の記事を書いてる途中にふと、よくアメリカ型の新自由主義は弊害の多い考え方だと批判する意見は数多いのですが、一体どこにどんな弊害を生む要素があるのかという説明は実は少ないということに気がついたので、ちょっとその辺を解説しようと思います。

 まず巷によく出ている意見で多いのは、「市場に任せれば何もかもうまくいく」という価値観が、この新自由主義経済学の欠陥だというものでしょう。この指摘自体は間違ってはいません。小泉政権時に行われた規制改革路線もこの考え方で行われ、それによって規制を皆取っ払われた全国のタクシー業界は現在競争過多となってタクシー運転手から事業者に至るまで、「規制をもっと増やしてくれ」と国に嘆願書を出すまで追い込まれており、基本的に今の時代で全く規制をせずに経済がうまくいくということはないでしょう。ちょっと専門的な事を言うと、規制のない無法経済はどれもゼロサムゲームになるのがオチです。

 ちなみにこれは昨日歩きながら思ったのですが、この新自由主義経済学の説明の際に、「無政府主義」という言葉は何で出てこないんだろうなぁと気がつきました。まぁ死語なんだけどさ。
 この無政府主義ではバクーニン(どうしてこう、ロシア人って極端なんだろう)という人が有名ですが、あまり勉強していないで解説するのもなんですけと、この思想は基本的には共産主義以上に左翼思想が強く、経済に対して国家は一切の関与を行うべきではなく政府はただ国防のみを行えばいいという思想の一派です。非常に幅の広い思想で一概に私が言ったようなもので定義できるというわけではないのですが、私の定義を言い表す有名な言葉で「夜警国家」というものがあり、これは先ほどの「国防のみを行えばいい」という姿を一言で説明した言葉です。この言葉と私の定義を聞いて、はっと気がついた人とは私と仲良くなれそうです。

 これはあまり人が言わないのですが、私から見て新自由主義というのは見方を変えるとこの無政府主義と言っても過言じゃない気がします。そして先ほどの夜警国家の概念についても、アメリカのブッシュ政権での極度な軍事化を見ていると、規制自由化と国防強化はやはり同一線上にあるのかなとも思えます。日本も海外にまで自衛隊を派遣するようになったし。
 佐藤優氏はアメリカのネオコンは思想的にはトロツキスト、要するに世界革命を目指す古い共産主義的な思想だと説明しており私もこれには納得しますが、政策で言うなら無政府主義の方が近い気がします。

 まぁそんな説明はほっといて本題に戻りますが、最初の規制を何でも取っ払うという価値観は確かに欠陥で、こういったことを指摘している経済学者やコラムニストの方はまぁちゃんと仕事をしていると思います。しかし中にはこの新自由主義に対して、「儲け第一主義」が良くないとかいう批判をする人も多くいますが、私はこれには呆れてしまいます。何故かというと基本的に経済を担う企業はそれこそ「儲け第一主義」ですし、今更それを否定してもしょうがないと思うからです。またその価値観がどのような弊害を生むのか、大抵の人は「強者がのさばり弱者が苦しむ」といいますが、儲け主義がこれに直結するかというとどうも腑に落ちません。それよりは先ほどの「市場第一主義」のほうが強盛弱衰に繋がるという指摘の方が的確です。

 そこで私の意見ですが、確かに市場第一主義とかいろいろ突っ込むところはあるのですが、あまり表に出ていない新自由主義の欠陥的価値観というのは、何でもかんでも金銭に置き換えて勘定をするところだと思います。
 昨日の記事でも書いたように、浮気をすることによる損害リスクと快感をわざわざ金額に置きなおして比較したりするなど、新自由主義経済学にはどうも人間の感情など、本来金銭に置きかえれないものまで無理やり置き換えた上に計算をしようという特徴がある気がしてなりません。なにもこの浮気の話だけでなく、「動物を買うことによってかかるエサ代と、動物によって和む心的ストレスの緩和に貢献する価格比較」とか、「金のかかる美人と金のかからないブスの生涯の費用対効果」などと、かなり無理やりな計算比較を連中は当然のように行います。

 そして実際の経済活動においても、ブランドイメージを金銭に置き換えたり、知名度やメディアへの出演時間の計算など、本来お金に換えるに適当でないものまで金額を出してしまいます。特に私がよく疑問に感じるのは、「~の経済効果は○○円です」などという触れ込みです。以前の宮崎県知事の「東国原旋風」の頃はテレビの露出時間からクソ生意気な電通が「広告料に置きなおすと○億円の経済効果が宮崎にあります」などとしたり顔で説明してやがったが、どこをどういう風に計算したらそうなるのか、また実際に宮崎の生産高がこの時期に「○億円」増えたのかというと滅茶苦茶怪しい数字な気がします。
 しかしこの発表があった当時はどこも検証することなくこの数字を出して、見ている側も何がなんだかわからないまま「へぇ、すごいんだなぁ」と感心してました。しかし数字の根拠は未だに不明で、今思うと東国原旋風に便乗して衝撃的な数字を出し、自分らへの注目を集めようとする策謀だったような気がします。同様のもので、「阪神優勝による経済効果」ってのもあります。こっちも、数字の根拠をずっと私は追っているのに未だにわからずじまいです。

 こういった本来金額に直すことの出来ないもの、人間の感情までも含めて無理やりに勘定してしまう、これこそが新自由主義の一番問題のある欠陥だと私は思います。具体的にどんな弊害があるかというと、前回の記事で書いたアメリカの自動車会社の例のように、取るべき行動を決める際に、絶対やってはならないことという行為までも費用対効果で比較してしまう弊害があります。前回の例だと、車の事故などは本来絶対に起こしてはならないものであるのに、遺族への保証金額と車の欠陥対策費を比較し対策を行わなかったりと、お金で比較するべきでない行為までも比較対象にすることにより、返って社会に対して重大な損害を与える行動を取ってしまうという点こそが、この価値観の最大の欠陥だと私は思います。

 竹中平蔵氏と同様に日本での新自由主義の第一人者である、前日銀総裁の福井俊彦も小学生に対する講演で、
「皆さん、大事なものはみんなお金に変えてください。お金に換えておけばその価値をいつまでも保存することが出来ます」
 という、頭のおかしいことをのたまったことがあります。真に大切なものはお金で価値が換算できるはずもなく、またお金で換算せずとも、たとえ何億円を積まれてもまげてはならない道理(殺人など)も世の中にはあります。そういったものを根底から覆しかねないのが、この新自由主義の価値感でしょう。

 本当は今日で終わるつもりだったのに、また明日も続きます。明日はちょっとこういった部分に関係する環境問題、それも二酸化炭素の排出権取引の欠陥について解説します。

2008年10月22日水曜日

悪魔の経済学 その一

 今も株価暴落などでお騒がせのアメリカ経済ですが、現在のアメリカ経済の主流を占めているのは効率崇拝主義とも言うべく、フリードマン学派による新自由主義経済です。日本では私も過去に記事を書いている竹中平蔵氏がこの流派に属していますが、この新自由主義経済というのは基本的に「費用対効果の効率が+であるものはすべて正しい」というような価値観ですべてを語れます。そのため具体的にどのような社会を作るかではなく、如何に自分の取り分を多くするかということに注力しており、実際的には経済学よりも商学的な性格が強い流派です。
 この新自由主義が如何に世界に害毒を撒いたかについては、いろんなブログや出版されている書籍などで解説されているのでいちいち私も解説しませんが、この価値観を当てはめられたために生まれた一つの企業の話を今回紹介しようと思います。

 先ほどから言っているように、この新自由主義の価値概念はほぼすべて「費用対効果」で語られると言っても過言ではありません。そのため以前にはあるアメリカの経済学者がこんな試算を作ったことがあります。

「浮気をすることによる快感が浮気によって失う損失(離婚による賠償金額)を上回るなら、浮気という行為はどんどんと行うべきである。その際に計算される快感には、浮気相手の容姿や性格、果てには本人の浮気をすることによるストレスの緩和量などが考慮される」

 とまぁこんな感じで何でもかんでも無理やりな計算に当てはめては、「どうだ、これまで計算することの出来なかった価値観を俺は計算してのけたぞ!」って自慢するアメリカ人が一時は後を立ちませんでした。こんなことを自慢して、そもそも計算してなんになるのかといったら非常に疑問ですが、日本でも昔にある数学者が「ナンパの成功確率式」という計算式を作ってましたからあんまり人のこと言えません。

 まぁこの程度だったらよくある「~心理学」とかいう冗談めかした本で出版する程度なのでまだ許せる範囲ですが、この効率の計算がとんでもない場所で使われた例がありました。
 それが行われたのはアメリカのある自動車会社(名前は失念しました)で、そこで開発されているある車に数千台に一台の割合で、致命的な事故を引き起こす欠陥が確認されました。ところが、この欠陥を徹底的に根絶するためにかかる費用は非常に高かったので、経営者たちはこの費用に対して別の費用と比較することにしました。その費用というのも、事故が起きた場合に被害者やその遺族に支払う賠償金額です。

 そしてなんと両方の費用を比較した結果、少ない確立で起こる事故を起こす欠陥をなくすより、遺族に払う賠償金額の方が少ないとわかり、はっきりと欠陥を認識しているにもかかわらず対策を行わずに発売をしてしまいました。そして当初の計算通りに、その車は数千台の一台の割合で事故は起こり、被害者も続出しました。
 その後の結末を話すと、続発する事故に不審を抱いた国の調査機関が捜査したところ前述の経営判断が行われたことがわかり、その自動車会社は激しい社会的非難を受けるとともに不買運動が起こり、それによって受けた損失は欠陥対策を行っていた場合の費用を上回りました。

 日本でちょうどこれと同じケースに属するのが、2003年前後に起きた、私の愛する三菱自動車グループの欠陥隠し事件です。この事件でも販売していた自動車の欠陥を早々に経営陣は認識していたにもかかわらず、一切その対策を行わなかったために欠陥による事故が続いて被害者を出していきました。そして結末も、普通の会社なら明らかに潰れているはずだった程の大損失を受け、かつては国内シェア8%だったものが現在では確か3%にまで落ちています。それでも一時期よりは大分よくなって、「ギャランフォルティス」とか「i」とか、すごいいい車を作るようになっており、特に「ⅰ」については前回の失敗に相当懲りたのか、雪国での走行に多少問題を起こす可能性があるとして、普通なら見過ごしてもいいような対策のためにわざわざリコールをして無償修理を去年に行いました。これは評価してもいいと思います

 なにもこの三菱自動車だけにとどまらず、日本には他にもたくさんこういった例があります。三菱自動車だけあげつらうのもかわいそうなので他にも挙げると、雪印乳業も工場内の汚染を知っていながら表沙汰にならなければ損失は発生しないだろうという安易な発想の元に食中毒事件を起こし、猛烈な売り上げ低下を自ら招いています。ちなみに当時の社長の記者会見でのセリフは、「私は寝てないんだ」と、他人事なセリフでしたね。

 よく今の中国食品問題で日本のメディアは知った風な口をして「これだから中国は」という批判をしていますが、確かに「毒餃子事件」や「メラミン混入事件」に対して社会的注目を行うのは当然だとしても、かつての、それもほんの十年弱くらい前にもたくさんの日本企業がこのように同じようなことをしていたと考えると、感情的になるのを避けてもっと冷静に批判するべきではないかと思います。少なくとも、「後進国」とか「衛生に対するしっかりとした発想がない」などという言葉は使うべきではないと思います。事実今年になっても日本でも「事故米流出」事件が起きており、他国を批判する前に自国の衛生環境に対してもっと気を配るべきではなかったのかと疑問に感じます。

 こういった事件の背景にあるのは効率重視……というよりは、安易な損得勘定だと思います。こうしたくだらない経営判断によって、社会の被害者から企業の従業員までが損害を受けないためにはどうするべきかと友人と相談したところ、やっぱり企業の社会的責任を今以上に高く設定するより他がないという結論になりました。そういった不正を行い、それが発覚した場合に起こる不買運動などの大幅なコストをはっきりと経営者側に意識させること、これが最大にして唯一の方法でしょう。
 ただこの方法が効果を発揮する最低条件として、「不正をしてもいつかはばれる」という不文律が必要で、そういった意味で先ほどの日本のメディアへの私の疑問へと繋がって行くのです。まぁ後は内部告発とかだけど、これの保護問題とか話してたらまた長くなるので、今日はこれだけにしておきます。