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2009年1月8日木曜日

広瀬健一氏の手紙について

 たった今これより一つ前の地下鉄サリン事件の記事を書き終えたばかりですが、なんというかやっぱり凄い疲労感を感じます。予想していたことですが、内容が重いものなだけに書く側もしんどいです。読む側も大変だろうけど。
 そんな風に疲労していてぶっちゃけ風呂入ってすぐに寝たいのですが、さすがにこれは先の記事と離すことの出来ない内容なだけに、伸ばし伸ばしに温めていたネタをついに今日書くことにします。その内容というのも地下鉄サリン事件の実行犯の一人、広瀬健一死刑囚(上告中)の獄中からの手紙についてです。

 実は昨年末の週刊文春にて、この広瀬氏の手紙が記事にされて紹介されていました。元々はどこかの大学でカルトに引き込まれないにはどうすればいいのかを話し合う授業にて、広瀬氏の意見を聞こうと授業担当者が手紙を出したことに広瀬氏が応じたというもので、それを文春が記事にしたというわけです。
 まずこの広瀬健一氏ですがオウム真理教内では科学技術省の次官という地位にあり、地下鉄サリン事件では丸の内線の電車内でサリンを放出させた実行犯で、オウム関係者の中では確か最も早く地裁で死刑判決が下され、その後の高裁でも同じ死刑で現在判決を不服として上告している最中です。
 教祖の麻原死刑囚に対しては獄中にて信仰をやめ、これは上告理由にしていますが当時は麻原死刑囚のマインドコントロールを受けていたために正常な判断が出来なかったとし、現在では教団とは決別した態度を見せています。

 それで広瀬氏からの手紙の中身ですが、まず最初に語られたのは人生に疑問を持ったことについてでした。なんでも広瀬氏が高校生だったある日に家電屋の前を通った時、店頭で売られている家電が安く値下げされたのを見て、この世の中のものの価値というのはどれだけ希薄なのだろう、少し時間が経ってしまえばたちどころに失われてしまうと考え、それ以降人生そのものに価値が見出せなくなったそうです。そのため大学ではなるべく価値が不変である物理学を専攻するようになり、早稲田大学の大学院にて当時の指導者に、「あのまま研究で残っていれば世界に大きな功績を残した」といわれるほどの成果をだすなど、その秀才ぶりは当時から郡を抜いていたそうです。

 その広瀬氏がどのようにオウムと関わるようになったかというと、書店にてオウムの出版している本をある日手にとり読み終えたその晩、広瀬氏が言うには体内で火山が噴火、爆発するような神秘的体験を体験したそうです。これについては広瀬氏も他人にうまく表現して伝えられないといっており、恐らく自己暗示的な急激な気分の高揚か何かがあったのだと思います。その体験を経て広瀬氏はオウムの言っている事は本当だと信じ、教団に入信するに至ったそうです。
 なお広瀬氏を診察した精神科医によると広瀬氏は暗示にかかりやすい体質の人間であるらしく、この入信への過程はそうしたことも影響したのではないかと言われております。

 その後広瀬氏は持ち前の物理知識を武器に教団内で地位を向上して行き、サリンの製造などオウムの非合法な活動にも手を染めて行きます。そうしてあの地下鉄サリン事件にも実行犯として関わることとなりました。
 この地下鉄サリン事件に対して広瀬氏は被害者の方には本当に申し訳ないことをしたと思っていると手紙にて訴え、実行前にためらいがあったかについてはあったと肯定をしています。しかしそれでも何故実行したかというと、これは他の事件でも同様ですがオウムで人を殺害することを「ポア」すると言い、これは現世で悪業を重ねるようになってしまった人間がそのまま生き続けると死後もその業を解消するために苦しまねばならなくなるため、罪が軽いうちにこの世からあの世へ送ることでその殺害相手を救ってやるのだというように殺害を正当化していました。事件当時の広瀬氏は教団、もとい麻原死刑囚の言うことすべてが真理だと信じ、そのためこのサリンによる大量殺人も必然ある行動と受け取り実行したそうです。
 もっともそうした救済のための殺害でも罪業(カルマ)を重ねる行為に当たるとされ、事件実行後に広瀬氏が自らもサリンの影響を受けてひざを崩した際、自らへの罰だと感じたそうです。

 その後逮捕によってオウムから離れ、現在では前述の通りに過去の自分の過ちを大いに悔いていると手紙にはつづられています。そしてカルトに取り込まれないためにはどうすればいいかということで広瀬氏は、個人の考えを根本から否定してひたすら教祖に従えというような集団を信じてはいけないと答えています。たとえどんな人間にも人権もあれば思考もあり、それをすべて否定するのは絶対的に間違っているといい、そうした集団に入って自分のようなことだけは絶対にしてはいけないと伝えています。

 こうした広瀬氏の手紙を受けてその授業の学生は、これまでカルトというのは自分とは遠い存在だと思っていたが、新ためて身近に潜んでいるものなのだということを再認識したなどといった反応が返ってきたそうで、こうした学生の反応を広瀬氏に伝えると、今の学生は地下鉄サリン事件当時は小学生のような子供たちで事件への実感も薄いだろうから自分の声も一笑に付されると思っていただけに、きちんと受け止められたことに驚いたとまた答えています。

 私自身の感想としては広瀬氏が最初に述べている、「この世の希薄さ」という話に深く考えさせられました。友人などはこの世のものすべてに価値などないとはっきりと割り切っていますが、私自身はそれでも人間が生きていく上で追い求めるべき価値はあると信じていますが、時折広瀬氏のように何もすべて意味がないのではとやる気が急激に失われていくようなことが起こります。そうした虚無感とも言うべき緩衝にカルトはつけ込んでくるのだろうと、改めて広瀬氏の手紙で認識するようになりました。

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 カルトにかからない方法としては、兄と同じ考えです。それは、自分以外は厳密には信用してはいけないということです。他人は、自分に危害を与える生き物だと認識していれば、大丈夫ではないかと思います。

花園祐 さんのコメント...

 サカタさんの兄さんにこのカルトについて語らせたら、とんでもなく長くなりそうだね。でもサカタさんの言う通りで、単純に利己主義的な価値観を持っていればこうした組織への防衛にはいいかもしれません。やっぱりこういうカルトとかに引っかかる人って、他人に対して思いやりとか妙に貢献意欲の高い人が多い気がしますし、
「動くものはみんな敵だ(゚Д゚)」
 くらい思うのもありかもしれません。

 かく言う私も一回だけ中国でハニートラップに引っかかったことがあり、「性善説で人を見るのはもうやめよう」とその時に決心しました。

もんでん さんのコメント...

 ネットへの書き込みは好きではなく、たまに読むだけなのですが、今オウム関連書物を読みふけっていて御サイトにあたり、つい書きたくなってしまいました。ちょっとだけ失礼します。

 性悪説と性善説の二元論で、「性悪説」なら対カルト安全、というのは、少し短絡的だと感じます。

 麻原彰晃氏の生い立ちを読むと、強烈なコンプレックスの中、心の深層で世界の人々を自分の敵のように感じていた心理が見受けられます。
 また、アドラー心理学をご存知ですか?
神経症にかかる人は他人と自分とのへだだりが深く、他人を自分に危害を加えるものという恐れでとらえている確率が高いのです。
 それはその本人が悪いというのではなく、そういう体験を幼児期~児童期の精神形成期にしてしまったことが多いのですがー。
 そういう「世界に対する不信頼」の病理の治癒は、自ら意志をもって、プラスの体験をひとつひとつ創り上げていくことが基本となります。(詳しくはアドラー心理学・野田俊作氏の書物をご参照ください。)

 じつは私も、オウム真理教の教義やサマナ(出家信者)達の道程を探求しています。
 人を殺す思想に導かれてしまったこのサマナ達。
 別れ道は、「自分の感性をすべて捨てて、生きている人間に絶対帰依してしまったこと」にあると思います。広瀬氏が「個人の考えを根本から否定してひたすら教祖に従えというような集団を信じてはいけない」と言っている、まさにそこです。
 つまり、グル(師)が命ずることはたとえ自分がおかしいと感じても敢行することが修行とする「グルイズム」思想自体に危険性があります。麻原氏は、このグルイズムをチベット密教の教義からとってきて利用しました。(つまりこのチベット密教自体も、その面では危険性を多いに含んでいるということです。)

自分の感性は自分にとって一番尊いのです。それと同じように、他人の心も尊い。その信頼の方法や相手の選び方の直観力は、自分がどういう世界を生きたいかで鑑みて、たくさんの経験と自らの取り組みで、死ぬまで試行錯誤して磨いていくしかないものだと思います。

 単純に自分を否定して特定の他者に帰依することも、それと逆に単純に他者をみんな敵と見ることも、方法としては迷いがなくて簡単ですが、どちらも非常に空虚ですよね。

 「動くものはみんな敵だ」と思いながら周囲の世界と関わって生きるならば、それこそ、いったい何が喜びで、なんのために生きるのでしょうか?
 そこから考えてみてほしい、と思ってしまいましたー。

 私はいろんな国で、危険な目にも遭いましたが、またいろんな国で人を深く愛し愛されることの至極の幸せをも、たくさん体験しています。
 ですので、単純な二元論を見ると、痛切な悲しさを感じます。

 書かずにはおれませんでした。
 ありがとうございました。

 

花園祐 さんのコメント...

 もんでんさん、コメントありがとうございます。

 誤解をさせてしまったのなら申し訳ありません。コメント中の言葉はカルト対策の心構えとしてはあまり深く考えたものではなく、単純に「人を信用しすぎるのも良くないよ」ということを言いたいがために書きました。かくいう私もものすごい笑顔で人に騙された経験があり、「ああ、人ってこんな笑顔で騙すこともあるんだな」と思って書き込みました。

 基本的には私も広瀬氏の言うように絶対に他人の人格や人権を否定してはならないというのが、カルトへの防御姿勢としては正しい姿勢だと思っております。ただいくつかのカルトは最初親身に相談に乗ってくれて大分信用したところで自分らの集団に引き込み、気がついたときには抜けられない状態にさせられていたという話も良く聞くので、最初のコメントの内容につながりました。