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2014年5月14日水曜日

平成史考察~JR西日本福知山線脱線事故(2005年)

福知山線脱線事故(失敗知識データベース)

 このところ事件とか事故ばっか取り上げている気もしますが割とやる気のあったこの平成史考察の連載記事が滞っていたのもあるし、まぁありかなという気もします。ちょっと余談となりますが、私は以前に失われた十年について連載記事を書いており、微妙にこの時の連載に書いた記事とネタが被って困ったりします。まあこっちの連載では事件や事故を単発的に描く目的だから書き方によっては改善できるとは思うけど。

 それでは本題に入りますが、今日は2005年に起きた福知山線脱線事故について書きます。この事故が起きた当時、私は京都にある大学に通っていたため事故発生直後は友人などからまさか事故に遭っていないかなどと心配するメールが何通か届きました。幸いにして私は福知山線を利用していなかったので何の被害も受けませんでしたが、私の通っていた大学の学生がこの事故車両に多数乗っていたため死者が出ただけでなく、一部四肢の切断などという痛ましい体験をされる方も出ました。この事故の死者数は107人ですが、死者数だけでなく負傷者数の562人という数字にその後の生活を一変された人のことを少しでも考えてもらいたいというのが私の願いです。

 事件の話に戻ります。この事故が起きたのは午前中の通勤時間帯で、事故車両には通勤通学のため多くの乗客が乗っておりました。ラッシュの時間帯だったというのもあるのですが、事故車両は事故を起こす前に停車した伊丹駅で70メートルのオーバーランをしております。この車両の運転士は以前にもオーバーランを起こして日勤教育と呼ばれる社内研修を受けておりましたが、この日勤教育についてはあまりいい思い出がなかったと見られていて、そのようにうかがわせる要因として伊丹駅でのオーバーラン後、車掌に対して指令所への報告時にオーバーランした距離(70メートル)を短く伝えてくれるように依頼しております。

 この時の指令所との通信のやり取りは残っていて最初のリンク先のページに詳しく載せられておりますが、やはりこの車掌と指令所とのやり取りに運転士が気を取られ、ブレーキをかけるべき地点を見過ごし制限速度を大幅に超過したままカーブに差し掛かって脱線を引き起こしたと見られます。なお脱線したカーブの制限速度は時速70キロメートルでしたが、脱線時の突入速度は時速116キロメートルで、いろいろ意見はあるでしょうが最大の事故原因はやはり運転士にあるのではないかと私は思います。もっともこの福知山線では私鉄各社とのスピード競争のため一部の区間で制限速度を超過することが日常だったということもあり、彼一人を責めるつもりはもちろんありません。

 ここからがこの事件に対する自分の印象を述べていきますが、まず言いたいことは事故後の検証ははっきり言ってひどいものでした。というのもJR西の労組を中心にこの事故の最大の原因は先ほど述べた日勤教育という、オーバーランなどをした運転士に対する懲罰的な研修にあると盛んに主張したことです。この時に報じられた日勤教育の中身は室内に監禁されて延々と反省文を書かせるとか、草むしりを延々と強制されたりと非常に懲罰的要素が強いものだったのですが、果たしてこの時報じられていた内容は真実だったのか私は強く疑っております。
 疑う根拠として当時、この日勤教育を悪者とする説を主張していたのはJR西に複数ある労働組合の一つだけで、こういってはなんですがなんか政治的な意思があるような気がしてなりません。次に文芸春秋が事故を起こした運転士が実際に受けた日勤教育の日誌を手に入れその内容を公開しておりましたが、その内容は草むしりなどではなく、むしろ回復運転を徹底して戒める教育でした。

 事故を起こした運転士は学研都市線内を運転中にオーバーランをして日勤教育を受けたのですが、その研修では「列車の到着が遅れても、運転速度を引き上げて次の駅までの到着時刻を短縮して帳尻を合わせる回復運転をやろうとしてはならない」という、まさにこの教訓が生きていたら福知山線の脱線事故は起きなかったのではと思う文言が日誌に繰り返し何度も出てきていました。多分このくだりは今時自分くらいしか覚えていないと思いますが、この辺はやっぱり雑誌メディアとテレビメディアの違いかなと皮肉っぽく覚えます。

 事故原因についてはざっとこんなもんですが、ここで書いておきたいのは事故直後の救助活動などについてです。この辺は有名なので覚えている人も多いのではと思いますが、現場近くに工場を構えていた日本スピンドルは事故直後、業務を中断して従業員らで賢明な救助活動を行って後に紅綬褒章を受章しております。
 この日本スピンドルの活躍は間違いなく賞賛に値するのですが、実はこの活躍の陰に隠れて事故後の対応でMVPといってもいい行為を行った人物が一人いました。その人物とはたまたま現場近くにいた通りすがりの主婦なのですが、彼女が何をしたのかというと事故後すぐに近くの踏切に行って非常ボタンを押したのです。

 この辺りのくだりも最初のリンク先の失敗知識データベースに解説されておりますが、事故車両に乗り合わせていた車掌は事故後に防御無線機と言って他の車両に緊急事態を伝える無線機の電源を入れたのですが、この無線機は「常用」と「緊急」でスイッチ位置が異なり、電源が入った際は「常用」になっていたため何の信号も発していなかったそうです。
 仮にこの主婦が踏切の非常ボタンを押していなかったら指令所は事故の発生にすぐ気付かず、事故現場に向かって走っていた別車両を停止させることもなかったかもしれません。特に事故車両は線路をはみ出して脱線していたため、上り下りを問わず二重三重の衝突となることも十分に考えられるだけに、この主婦の行動が無ければと考えると本気でゾッとします。

 福知山線の脱線事故については誰もが知っていますが、この主婦の行動については私の身の回りでは誰一人として知っている人間はおりませんでした。地上の星じゃないけどもっと知ってもらいたいと思うと同時に、やるべきだと思ったことを正しくすぐやったことによって多くの被害を避けられるという事例の一つとして紹介したいと思え、今日はこんな記事を書いた次第です。普通この事故の話となるとJR西の不手際ばかりが取り上げられるだけに、ちょっと毛並みの変わった記事になった気がします。

4 件のコメント:

片倉(焼くとタイプ) さんのコメント...

事故の原因①狭軌の線路だった事
福知山線(というかほとんどのJR路線)はレール幅の狭い狭軌です。そのため、高速化、車両の大型化した
場合安定性が下がり、横転しやすくなります。

事故の原因②私鉄との競争
私鉄との顧客獲得競争が原因の一つです。私鉄との競争は関東でもありますが、関東ではJRの路線と
路線の間の空白地帯に鉄路線があるため、棲み分けが出来ています。(もちろん路線が近く競合して
いる路線もあります) それにひきかえ関西は、京都や大阪神戸といった儲かる路線ではJR線と私鉄
路線が平行して走っています。 そのためJRは高速化に不利な狭軌の路線を高速化する事になりま
した。

事故の原因③JR西日本の弱い収益基盤,
JR西日本は中国地方を中心に赤字ローカル路線を抱えています。 そのため儲かる路線で収益を確保
しなければなりませんが、②で指摘した通り、儲かる路線が私鉄との競争にさらされています。
赤字ローカル線は他社にもありますが、JR東日本は②の通り私鉄との競争が少ない、何より首都圏顧客
需要があります。 JR東海は東海道新幹線というドル箱路線を持っています。
JR西日本が関西圏で増発、高速化を進めたのは、この収益基盤の弱さが原因なのです。


※JRの線路が狭軌なのは明治初期に政府が狭軌を採用したのが原因です。大正時代に後藤新平が
線路を幅の広い標準軌にするべきだと主張しましたが原敬総理が、財政問題、地方路線拡大を優先
したため、ついにJR線のほとんどの路線が狭軌になりました。
福知山線の事故ももし線路が標準軌であれば事故は起きなかった可能性があります。

青函トンネルは、標準軌を走る新幹線と狭軌を走る貨物列車の両方が走るためレールが3本あります。
新幹線と貨物列車が高速ですれちがうと、狭軌で安定性の低い貨物列車が横転する危険性があります。
そのため新幹線は青函トンネル内では減速して走る予定です。 ※新幹線規格で作られている青函
トンネルを新幹線は高速で走る事が出来ないという間抜けな事態になっています。

花園祐 さんのコメント...

 その他の理由についてはあんまいうことないですが、レール幅に関してはごく一部の私鉄と新幹線を除いて狭軌なので、事故原因とするべきではないかななんて考えてます。行ってしまえば、ほかの路線では何故同様の事故が起きないのかってことになりますし。

上海忍者 さんのコメント...

小生も昔この電車をよく利用しました。今、振り返ってみると、テロ事件の可能性もあると思います。政府が何かを隠しているかもしれません。

花園祐 さんのコメント...

 中国じゃないからテロの可能性はないんじゃないかな。まぁでも、そういう可能性も考えたくなるほどの大事故だったね。