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2017年6月16日金曜日

戦国時代はなぜ起こった?


 なんか笑えたので紹介。なおこの画像は「クレイモア」という漫画のワンシーンですが、同じ作者である八木教広氏のひとつ前の作品の「エンジェル伝説」は多分自分が生涯で一番笑ったギャグマンガだと思います。それだけに「クレイモア」でシリアス路線貫いたのは意外だった。

 さて私の知らないところで日本では空前の応仁の乱ブームらしいですが、以前親父の知人にも話しましたが何故応仁の乱がこれまで手つかずというかあまり話題にならなかったのかという理由ついて私は以下の原因があると考えています。

・応仁の乱を舞台にした有名な小説作品が出てこなかった(司馬遼太郎とかが書かなかった)
・対立構図や背景が複雑過ぎて理解するのが困難

 おそらく上記の理由に反対する人はいないかと思います。その上で、一体何故応仁の乱がおこったのかという問いにすぐ答える人なんてそんな多くはいないと思います。なので私が答えるとすれば、単一相続がまだ定着せず分割相続が相次いだ上、分家がやたら力を持ったという点に尽きると思います。

 日本語で「たわけ」というのは「阿呆」という意味ですが、この言葉の由来は「田分け」こと農家の分割相続を指しています。田んぼを分割相続してしまうことで生産力が大きくそがれ、結局別れた二つの家ともども没落するということを指しており、要するにこの言葉が生まれた背景としては分割相続の弊害を指摘することにあると言えるでしょう。

 江戸時代でこそ嫡男による単一相続が徹底されごく一部の例外を除いて大名、一般武士ともども単一相続が行われましたが、鎌倉時代においては分割相続することが当たり前だったそうで、当時には女性の地頭もいたことから女性にも相続権が存在したことが確認されています。室町時代前半に至ってようやく単一相続が定式化していきますがそれでもまだ後継者は嫡男とは限らず、また元から存在していた分家の存在もあり、いわばまだ制度が未整備の段階で単一相続時代へと突入してしまったことから本家跡取りの後継者争いが物凄く激しくなり、応仁の乱に参戦した武将、並びに関わった人間はすべてこの後継者争いが絡んでいます。
 そもそも一番大きな戦争理由は足利幕府九代目将軍が義政の弟か息子かという点でも後継者争いですし、そしてそれにのっかった細川家も山名家も、そしてそれぞれの側についた各家も後継者争いに端を発しています。

 また中央の京都だけでなく関東では足利家は古河公方と堀越公方に分かれ、それを補佐する関東管領の上杉家も本家と分家で争っており、いわば日本全国で後継者争いが勃発したのが戦国時代だったと言っていいと思います。さらに言えば、戦国時代のひとつ前の南北朝時代は天皇家の後継者争いとも言えますし。

 古来からやはり後継者争いほど争いの種はなく、欧州の百年戦争や薔薇戦争など枚挙に暇がありません。それだけに相続という制度がどれだけ社会不安の要素となるのか結構重要な概念だと常々私は思っているのですが、最近の日本だとみんな財産なくなってきたのか前ほど相続でこじれるような話が聞かなくなってきており、相続そのものの概念が危うくなってきたなとも思います。

  おまけ
 以前税理士の方に聞いた話で、ある資産家から相続へ向けて生前に遺書を作成するという依頼を受けてほかの税理士仲間ともどもいろいろ計算した上で作成し終え、ようやく内容がまとまりみんなで打ち上げ会をやっている最中、「いやー実はさ、若い頃遊んで隠し子いるんだよね♪」と資産家が口走ったため、全員宴会どころではなく真っ青となり、ある人に至っては宴会場で電卓叩き始めたということ聞きました。

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