2018年2月25日日曜日

山形有朋と社会学

 このブログでも散々語っている通り、よく中国語を専攻していたと勘違いされますが私の学部での専攻は社会学です。ついでに言えば歴史については専門的に学んだことはなく、あくまで趣味の一部でしかありません。

 その社会学ですが正式な設立時期については諸説あるものの、一番根強い説としてはこの分野の大家に当たるマックス・ヴェーバーとエミール・デュルケイムが活躍した、産業革命期後半に当たる19世紀後半だと言われています。日本でもこの時期に社会学の講義が始まっており、仮にこの説に則るならば、かなり早い時期から日本でも社会学は始まっていたと言えるかもしれません。

 その社会学ですが、実は日本での始まりにおいて山縣有朋が少しかかわってきます。なんでも、東大で社会学講義を置こうとしたら、名前を見て勘違いしたのか「そんな社会主義者を増やすような学問なんて認めん!(゚Д゚)」とストップをかけようとしたそうです。しかしその後、講義担当者が建部遯吾だと教えられるや、「なんだ建部か。ならいいや(´・ω・`)」とすぐにOKを出しなおしたそうです。
 仮にこの時に山縣に止められていれば、日本の社会学は今ほど広く講義されていなかったかもしれません。逆に言えばこの事件は、当時の日本の大学教育は政府の意向が強く反映されていた証左ともいえる内容で、現在も日本ではそれほど大学の自治が強いとは言えませんが、官製学問というものがどれほどだったのかを示す好例でもあるかなと勝手に考えています。

 なお私の進学先は正式には社会学部ではなく、文学部社会学科でした。このようになっていたのは進学先の大学は早期から社会学講義を置いていたことに由来するためだったそうですが、現在は学部として既に独立を果たしています。ただ私個人としては社会学は学部として独立できるほど体系だった学問であるかと言われれば疑問で、元々幅広いジャンルを取り扱う学問でもあるのだし、やはり文学部の枠の中に敢えて納めておくべきだったのじゃないかなと思うところがあります。就活では「文学部卒」になるから苦しくなるだろうけど。

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