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2018年9月15日土曜日

「死にたい」という人は本当に死にたいのか?

 このブログの設立当初でこそ私は自分の専門を「国際政治」と「社会学」として掲げていましたが、最近だとどちらもあまり勉強しておらず、専門と名乗るのが怪しくなってきました。となると自分は自分には何が残っているのだろうかと考えたところ、何故か「自殺の専門家」というワードが浮かんできたのでまた自殺について考えます。

 さて見出しに掲げた「死にたい」というセリフですが、「自殺志願者マジハマりワードランキング」なんてのを取れば恐らくナンバーワンとる言葉ではないかと思います。しかし改めてこの言葉を考えた際、果たして自殺志願者は本当に死ぬことを望んでいるからこの言葉を口にするのか疑問が湧きました。
 この辺は言葉尻の問題ではあるのですが、いざ実際に自殺を遂げた際に自殺志願者(の霊)が「やったー、死ねたぜひゃっほー!」なんていう言葉を口にするとは思えません。では何故「死にたい」という言葉を口にするのかというと、そのメンタルを汲んだ場合はむしろ、「(これ以上生きていたくないから)死にたい」、つまり「もう生きていたくない」という心境から発せられるのではないかと思います。言い換えれば自殺志願者は死にたいのではなく、生き続けたくないから自殺という手段を検討していると言っていいでしょう。

 その上で、こういった言葉をわざわざ口にするということは、「死への恐怖」というもの自体はをまだ抱えているのではないかと思います。ないならわざわざ口にせず実行するだろうし。

 仮にこういった心境を数直線モデルで言い表すならば、それぞれ下限ゼロ、上限100の「生存忌避」と「死への恐怖」という二つの価値観を示すメーターを用意するとわかりやすいでしょう。
 一般的なメンタルの人間の場合(宇宙人でも可)、生存忌避が20に対し死への恐怖は80くらいだと仮定すると、自殺志願者の場合はこれが80:80、下手すれば90:80のように、これ以上生きていたくないという欲求を示す生存忌避が死への恐怖を上回っている状態にあることになります。
 具体的には大借金を抱えたり、大病を患ったり、ショッキングな裏切りにあったりと、生きる望みを失ったような状態で、人間が本能的に持つ死への恐怖自体は変わらないものの、その恐怖を乗り越えてしまうくらいに生きていたくないという気持ちが強いという意味で、この数直線モデルにおいてはこれが自殺志願者の価値観というか心理的状態だと考えます。

 では、この数直線モデルをさらに発展させ他の数値の組み合わせだとどういう人物像が出てくるのか?まず考えたのは生存忌避は一般人レベルに対し、死への恐怖がゼロという、「20:00」のような状態です。
 先の説明だと、生存忌避が死への恐怖を上回ると自殺が発生するような説明をしてますが、実際にこうしたメンタル状態でも自殺と考えていい行動が発生するだろうと思え、具体的に言えば心中や切腹、尊厳死というような自殺パターンです。

 この状態は一般人同様に生存を忌避しない(=生存欲求がある)一方で、死ぬことに対して全く恐怖がないという状態です。言い換えれば、死そのものに価値を見出して希求しているような状態で、それこそ最初に挙げたように、「死にたい」と言いながら本当に死ぬことを望んでいる状態となります。
 わかりやすい例としては上にも挙げた切腹で、特に本人が望んでの殉死などはこうしたメンタル状態をはっきり反映したものだと思います。殉死を遂げる人間としては死ぬ行為自体に価値を見い出しており、さすがに全く恐怖がないというわけではないものの、最初の自殺志願者のパターンとは明確に異なる背景やメンタルで自殺を検討、実行していることには間違いありません。いうなれば、「まだ生きてたいという欲求はあるが、それよりも早く死にたい」というメンタルでしょう。

 また自殺に限らず、自殺的行為を行う人間もこうしたメンタル状態にあると言っていいでしょう。というのも「生存欲求を持ちながら死への恐怖がない」とはどんな人間かを考えた際、真っ先に浮かんできたのは薩摩兵児こと薩摩の島津家武士達で、関ヶ原の「島津の退き口」や、火をつけた鉄砲を縄で浮かせて空中でくるくる回しながら酒を飲むなど、極端に死への恐怖が感じられないエピソードが山ほどあるからです。
 真面目な話、死への恐怖というかタブー性の低い文化圏や軍隊内では自殺の発生率が明確に高まることが証明されています。ある意味で薩摩の命知らず達もそういったメンタリティだから戦争にも強かったと思え、家康もこんな危ない連中相手にしたくないから島津家を取り潰しにしなかったのもなんとなくわかる気がします。

 話は数直線モデルに戻りますが、このモデルで比較すると「死への恐怖はあるけど生存を忌避する意識の方が高い」自殺志願者と、「生存忌避こそないものの死への恐怖はもっとない」命知らずとで、自殺行為を二つのパターンに分けることができます。現実に自殺研究でもこうした「普通の自殺」と、「心中や切腹及び死ぬとわかっていながらの突撃などによる自殺」は同じ自殺でもなんとなくタイプが違うという風には見られていますが、少なくとも私が把握する限りでは明確な区別はまだされていない気がします。というより、後者はほとんど無視されている気すらするし。
 そこで敢えて私が定義づけると、前者は「死にたくないけどこれ以上生きていくよりかは死んだ方がマシ」という価値観から「消極的自殺」、後者は「死ぬことなんかこわくないぞばっちこーい!」という価値観から「積極的自殺」という風に言い表せると考えます。そして両者とも、生存欲求と死への恐怖のバランスがおかしくなることで誘発されるというのが私の見方です。

 次回はこの数直線モデルの観点に立った上で、自殺志願者への説得の仕方について考えていきます。こうした記事をサクサク書いちゃう当たり、やはり自分の専門は自殺にある気がします。

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