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2022年11月21日月曜日

太平公主記事の裏側


 というわけでまた自分の記事ですが、今回は中国史で、則天武后の娘であった太平公主についてまとめています。自分的にはかなり気に入っている記事なのですが、あいにくアクセスはそれほど伸びておらず残念です(´;ω;`)ウッ…

 詳しくは記事を見てほしいのですが、太平公主は則天武后と唐の皇帝であった高宗の娘で、母親で中国で唯一の女皇帝となった則天武后と比べると皇室の血を引く女性であり、皇帝に就任する正当性は母親以上にありました。それでいて頭もよく、支持者も多くで、本当にちょっとした何かがあれば彼女も女帝になっていたかもしれない人物であっただけに、今回取り上げようと考えました。

 そうした太平公主自身の経歴もさることながら、個人的にうまく引っ張ってこれたと思うのが「武韋の禍」でおなじみの韋皇后の死に関する記述です。Web上の日本語情報では彼女は夫である中宗を毒殺したと書かれてありますが、この中宗の死因について中国史学会では近年疑問視されており、自然死だったとする説が強まっています。この辺の話は私もこれまで知らなかったし、私自身も毒殺説を疑問視することから、中国史学会の傾向を紹介する形で「毒殺は疑問視されている」という記述を盛り込みました。流行るといいけど。

 このほかついでに書くと、この唐の時代が終わって宋に至るまでの五代十国時代はこれまで難しそうで敬遠してきましたが、改めて学びなおしたところ期間にして約50年間で、主要な王朝(五代)に限定してみていけば割かし理解しやすい時代だったと見直しています。この辺もっと小説とかでも取り上げられたら注目されて評価されるのにとすら思う次第です。

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