・鬼束ちひろ容疑者は「自称シンガー・ソングライター」? 朝日新聞が記事修正(J-CAST)
それで本題ですが、昨日に救急車蹴って逮捕された鬼束ちひろ容疑者、それとも鬼束メンバー?について、朝日新聞がその職業について「自称シンガー・ソングライター」と書いたことが各所で波紋を呼んでいます。この件について自分は最初、脳科学者(自称?)の茂木健一郎氏が違和感あると述べたことの報道を見て知りましたが、茂木氏の疑問には自分も同感で、誰もが歌手だと認識している鬼束氏についてなんで「自称~」と表現したのだろうと思いました。
敢えて勝手な推測を述べると、往年と比べて歌手活動が目立たなくなっていたことから、今でも歌手と呼べるのかという点で変に慎重になって「自称」と朝日はつけたんじゃないかと思います。ただかえってこの表現は読者を混乱させる方向にしか働いておらず、はっきり言えば悪手この上ない表現だったと思います。実際に今回、朝日も修正に迫られてもいるわけだし。
ちなみに自分だったら、どうとでも逃げられるように「シンガーソングライターとして活躍した鬼束ちひろ容疑者」と表現します。これなら過去形にしつつ現況に関してどうとでも取れるようになります。
そもそもの話、個人の職業や肩書なんてその本人のみならず周囲の人間においても個人の裁量が大きく作用するものだと思え、むしろ自称以外の職業や肩書なんてあんのとすら内心思います。それこそ古いのだと「ハイパーメディアクリエイター」というのもありましたが、これについても「自称ハイパーメディアクリエイター」と書いた記事は過去に見たことありません。
また複数の肩書がある場合、たとえば橋下徹氏なんかは「弁護士」とも書けるし「元大阪市長」とも書けるし「芸能コメンテーター」とも言えます。けどこれ全部羅列したら「弁護士兼元大阪市長兼芸能コメンテーターの橋下徹氏」になりますが、誰もこんな風に言う人はいないでしょう。でもって上記肩書のどれを使うかは、大きく事実から外れてさえいなければそれこそ紹介する人や記事書く人の裁量で好きに決めるべきであって、こうじゃなきゃダメと限定するのは野暮もいいところでしょう。仮に本人が、「こっちの肩書で紹介してほしい」と普段からアピールしてるなら別ですが。
もっともそう言いながらですが、この件でちょっと思い出したのは過激な発言で知られる漫画家の平野耕太氏のエピソードでした。平野氏は以前、同じ漫画家(自称)の江川達也氏について、「現在漫画を一切書いてないのにテレビに出て漫画家と名乗っている」と述べて激しく批判していました。
実際に江川氏は昔は売れっ子漫画家だったけど描かなくなって久しく、にもかかわらずテレビなどのメディアに出る際は漫画家という肩書を使っており、これにはこれで私もいくらか違和感を感じます。漫画家として名乗るには連載を抱えている必要はないとは思うものの、果たしていまの江川氏は立ち位置的に漫画家と名乗るのはどうなのかなというもやもや感は確かにあります。
なおそういう平野氏は自分の職業について一時期、「江川達也をテレビで見るたびに舌打ちをする係」と名乗ってました。
なお私は電話取材とかする際には「フリージャーナリストの花園祐です」と名乗りを上げますが、これはこれで実態とは少しずれがあります。実際の私はメディア業とは関係ないサラリーマンだし、生涯のキャリアにおいて正式な記者として活動した期間もわずか2年と極端に短いです。とはいえ取材でいきなり「某社でサラリーマンしている花園祐です」と名乗られたら企業広報もビビるだろうし、取材目的という立場をはっきり示すように敢えて「フリージャーナリスト」などとうそぶいて名乗っています。
じゃあどんな肩書が自分には適切なのかですが、敢えて言うなら「兼業ライター」あたりが一番いいかもしれませんが、これはこれで名乗っても相手が分からなくなって困りそうです。ほか思いつく辺りで挙げるとしたら、
・歴史コラムニスト
・名ばかり松戸市民
・元品質管理従業員
・サイクリスト
・ハイパー中国記事クリエイター
こんなのが出てきますが、意外と自分はハイパーメディアクリエイターって肩書気に入ってんだなって気がします。あと散々ネタにしている松戸市については、実は一度も住民票を入れたことがなかったりします。