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2025年3月4日火曜日

高校無償化に関する古館氏の意見

古舘伊知郎、維新にチクリ 「高校無償化」にはらむ“危険性”を指摘 「さすがの視点」「本当にその通り」(スポニチ)

 今国会で議論されている高校無償化についてですが、自分も何か意見を書こうかと思っていた矢先に上の古館氏の記事を見かけたのですが、正直言いたいことを全部言ってくれているように感じました。基本的に自分の見解も古館氏と同じで、特に私立高校が無償化をいいことに学費を値上げしてくるという予想は自分も最も懸念していた点であり、結論から言えばこの高校無償化は日本の教育レベルの底上げにはつながらず、むしろ底下げにしか役に立たないだろうと考えています。

 あえて古館氏の意見に付け加えるとしたら、古館氏は進学者が私立校に流れて公立校のレベルが下がり、ひいては国立大学の志願者も低下するのではと懸念しており、これについてもごもっともです。その上で私の見方としては、公立と私立の差がよりなくなり、公立校が教育方針やカリキュラムで私立校へ近づけていくのではという風にも見ています。もちろんこれは教育、国力的にもマイナスにしかつながりません。

 というのも公立校というのは基本的に国が教育方針を定めて、一番オーソドックスな教え方をしていると思います。それに対し私立校というのは公立校と差をつけるためオーソドックスな教え方では漏れるカリキュラムや教育方針を作ることで、その方針にあった親や子供を引き受ける形となります。
 結果的に公立と私立が併存することで異なる種類の人材を育成し、それらがお互いに埋め合って社会をいい方向に形成していくのだと思います。なので公立としては絶対多数的に求められる人材、それに対し私立というのは絶対多数ではなく少数ではあるけど、社会においてある程度供給してほしいタイプの人材を作るというのが理想形です。

 こう考えるのも自分が中学から大学まで私立校にいたせいもありますが、中学高校はともかくとして、大学に関しては言ってしまえばテロリスト養成校みたいな気風がありました。基本的にルールがあれば「まず破れ」と教えられ、反抗することにこそ価値を見出す学校であり、実際教授会でも「おめーがパッとしねぇから受験者数落ちてんだよ!」という学長に対する批判をみんな堂々とやっていたそうです。
 ただこうしが学風から生まれた人材は実際社会のあちこちでやたら反抗的な人材を供給しているそうで、理解ある経営者なんかは「組織がおかしな方向に進みそうなときに、こういう奴らがブレーキかけて軌道修正してくれるんだ」と言って、わざわざ私の出身大学に対し採用枠を設けていると聞きます。実際に私もそうした教えだったと理解しており、造反有理じゃないですがおかしいと感じることにははっきりおかしいといって拒否することが大事だと考えています。

 もっともこんな反抗的な人材ばかりが社会にいたら、文革期の中国のようにまともな社会が形成されるわけありません。あくまでこういう反抗的な人材が少数派で存在するからこそ、企業も国もうまくやってけるのでしょう。
 そうした考えから、私は大多数は公立で、一部の人間は私立に通うという形が教育体制としては理想的だと考えています。その上で学費の差というのはこうした比率を自然形成させる要因であり、これに差がなくなると恐らくいろいろおかしくなるのではという風に思っています。

 さらに付け加えると、機会の平等と結果の平等は基本的に成り立ちません。あえて両方とも平等になるよう取り計らうと、逆にそれ以前よりも平等が崩れることの方が多いとも私は考えています。
 今回の高校無償化は一見すると機会の平等のように見えますが、私は密かに結果の平等に向いた政策であるように考えています。それに対し私は機会の平等を追求する側であり、古館氏の意見や上記の考えもあってこの政策にはあまりいい気分がしません。

 むしろ学費負担の軽減というのなら、高校の教材費に限った無償化の方がいいんじゃないかと思います。学費の差がなくなることで、競争も個性もなくすよりはこっちの方がいいでしょう。

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