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2009年1月31日土曜日

韓国政府、L/C発行規制か?

 本当はもう少し情報ソースを確認してから紹介しようと思っていたネタなのですが、この際もったいぶらずに紹介しようと思います。
 まずいきなり本題から言っちゃいますが、どうも今年に入り韓国政府がL/Cこと信用状の発行を規制しているのではないかと各所で言われています。この信用状というのは貿易決済に使う一つの手段で、商品を買う側と売る側の間に銀行を仲介することによってお互いの食いっぱぐれを防ぐ手段で、具体的な例を挙げて説明すると、日本のある会社が韓国の会社に商品の車を売る際、まず買う側の韓国の会社が地元の銀行に信用状口座を開設する申請を出し、それを受けて韓国の銀行が口座開設をするとその旨を車を売る側の日本の会社と取引のある銀行に伝えます。

 そうして伝えられた情報を元に、日本の銀行はその売り側の会社に信用状書類を届けます。日本の企業はその書類を元に貿易書類を作り、運送業者に商品の車を渡す代わりに受け取る書類(荷為替証券)とともに日本の銀行に発行された信用状を届けます。この時点で、売り側の日本の会社は日本の銀行より販売する自動車の代金を受け取ります。
 そして代金を払った日本の銀行は今度は韓国の銀行へその書類を売ります。なぜならこの信用状取引ではその書類自体が商品の所有権を証明する有価証券となるので、いわば車の所有権をその代金で日韓の銀行で取引する構図となります。そうして韓国の銀行へ書類が渡ると、車を買う韓国の会社はその車の代金を銀行に支払うことで商品を受け取るのに必要な諸々の書類を受け取り、最終的にその手に商品を得ることになるのです。

 一見するとややこしいこの取引が何故行われるかというと、国際間の取引では片方が商品を出したところで買う側がお金を払わなかったり、逆に前払いでお金を出していたのに売り側が商品を出さなかったりするというトラブルがよく起こるため、それぞれの国の銀行が仲介することによってこのような問題を解決しようという目的からこの信用状取引が生まれていきました。

 それでこの信用状取引なのですが、なんでもメガバンクに勤めている方から聞くと、今年に入りこの信用状が韓国から全くといっていいほど発行されなくなったというらしいです。単純に韓国側が信用状を発行するということは韓国のお金を外国に流すこととほぼ同義なので、もしかするとこの世界的金融危機に瀕して韓国政府が自国の現金保護のために信用状開設を制限、もしくは規制しているのではないかということが考えられます。

 一部のSF小説家ばりの評論家はこの世界的恐慌がきっかけとなり、世界各国はかつての二次大戦前のように保護貿易が進み対外取引が急激に減っていくのではないかと予想していましたが、この信用状取引の規制も見方によってはそうとれます。
 この信用状の口座開設が少なくなってきていることに関してまた何か続報があればお伝えしますが、単純にいってあまり日韓双方にとってあまりよくない状況なのではないかと個人的には憂えています。

2009年1月30日金曜日

猛将列伝~田単~

 この猛将列伝も本当に久しぶりです。別に忘れていたわけじゃないのですが、このところはニュース以外に書くことなかったら連載記事を優先していたのでほとんど書くことがなくなって来ていました。
 それで今日は「田単(でんたん)」という人物について紹介しますが、この人のことを知っているのはほとんどいないといっていいくらい超マイナーな人物で、よっぽどの中国史マニアでなければまず知らない人でしょう。。

 田単は中国の戦国時代、西暦にすると紀元前三世紀の人物で斉国の下役人でしたが、それ以前に斉が滅亡の寸前にまで追い込んだ燕国が名将楽毅を擁して六カ国連合軍を作って攻撃を始めることによって一転、斉がそれまで所有していた七十城(中国は都市を城壁で囲んで城と呼ぶ。「七十都市」と言い換えても問題ありません)が奪取されてたった二城だけとなり、今度は逆に斉が滅亡の寸前へと追い込まれていました。しかもそんなドサクサにまぎれて二城の一つの莒城では宰相が斉の国王を殺して反乱を起こしこのまま滅亡かと思いきや、皇太子が宰相に逆襲したことによって城内で一致団結が強まり、これは攻め落とすのには難しいと判断した楽毅は軍勢を一旦引き上げ、残りの一城の即墨城(現在の山東省即墨市)へと兵力を集中させました。この城の中に、今日の主役の田単も逃げ込んでいたのです。

 即墨城に燕軍が攻め込んだことによって即墨も最初は応戦したものの、相手はあの諸葛孔明も尊敬したという楽毅とのことであっさり大敗し、その戦闘で即墨側は将軍が全滅するという非常事態に陥りました。そこでまだ兵学を勉強したことがあるということで重臣らは田単を将軍にしようと呼び出すのですが、当の田単は相手が楽毅では自分だとどうしようもないと固辞するものの、講和条件をよくするだけでもいいとせがまれてしぶしぶ承諾しました。
 そうして田単が将軍になった直後、なんと燕の国で突然国王が病気で死亡してしまいました。田単はこのニュースを受け、楽毅が今度国王となる皇太子とそりが合っていなかったという噂から、ひょっとすれば何とかなるかもしれないと希望を抱くのでした。

 田単はまずスパイを放ち、楽毅は遠征を続けるのは実は反乱や独立を考えているからだという噂を燕国内に流しました。これを真に受けた皇太子は楽毅に対して遠征の労をねぎらうという目的で将軍職を解いて交代する将軍まで派遣したのですが、楽毅としても新しい国王とはそれまで仲がよくなかったこともあり、その帰還命令に従えば帰国するや誅殺されると読んでそのまま帰国せずに他国に亡命してしまいました。
 こうして最大の障害である楽毅を排除すると田単はまず、城内の人間に対して毎日先祖へお供え物を出すよう命令を出しました。するとすぐにそのお供え物を狙って鳥が城内に飛び集まるようになり、これは神が降りてくる前兆だとして適当な人間を神の使者に仕立てて選ぶと城内の兵士に対し、
「これからはこの者の口から出る神の作戦を取る。命令をよく聞くように」
 と訓示し、それまで下役人ゆえに見くびって命令に従わなかった兵士を統率しました。

 そうして城内をまとめると田単はまたもスパイを使って燕軍の中に、
「捕虜は鼻そぎの刑にあっているらしい」
「城の外のお墓が荒らされたらどうしよう」
 という根も葉もない噂を流し、またもそれを真に受けた燕軍は相手の戦意が落ちるだろうと考え片っ端からその流された噂を実行して斉軍に見せつけました。すると斉軍は思ってもないそれらの暴挙に怒り、必ずや逆襲して見せるとますます団結力が高くなり、田単の思うとおりに事が動いていきました。

 ことここに至り決戦の時期だと考えた田単は燕軍に使者を送り、城内の反対する人間を説得したら降伏するから五日の猶予をくれと、偽の降伏を燕軍に申し出ました。燕軍としてもそれを聞いて長らくの遠征がようやく実ったと将兵揃って大喜びし、申し出通りに五日の猶予を与えてしまいました。
 すると田単はその日のうちに城内の食料をすべて放出して兵士に与えて体力をつけさせると、一部の城壁に穴を空けて城内の牛をねこそぎ集め、その牛の角に刃物をくくりつけて夜を待ちました。そして夜に入るや、田単は集めた牛を一挙に城壁の穴から追い立て、その後にはそれまでの斉軍の暴挙に怒りを持った兵士を突入をかけるという奇襲を行いました。対する燕軍はすっかり相手は降伏するもんだと油断していたのもあり突然の奇襲になすすべもなく、楽毅の代わりにきた将軍もその夜のうちに討ち取られて城を包囲していたのが一挙に敗走にまで追い込まれました。

 こうして即墨を救った田単はその後も燕軍に奪われた城へ攻撃をかけると、一度は降伏したそれらの城の軍勢も悉く田単に呼応して燕に対し反乱を起こしたために、あっという間に田単は首都を含む奪われた七十城をすべて奪い返してしまいました。その功績に対し、首都に戻ってきた国王は田単に多大の領地を与えてその救国の功績に報いました。
 前にも書いたように、史記には才能も実力もある人物がほとんど報われない話が多く、作者の司馬遷はそれを評して「天の力は微なり」という言葉を残していますが、そんな史記の中でこの田単のエピソードは数少ない成功したエピソードで、私が史記の中で一番好きな話でもあります。

今月の陽月秘話の成分

 実は内緒にしていましたが、先月からとうとうこの陽月秘話の本店ページにも「Gogle analytics」を入れてどれくらい訪問者がいるのかとかを調べていました。出張所のほうではアクセスカウンターがついているものの、本店の方ではどれくらい毎日閲覧者が来ているのかとかどんな検索ワードで私のページが引っかかるのかとかはこれまでずっと謎で、運営している私としても内心ハラハラで興味をずっと持っていました。
 そうして入れたアナリティクスですが今日を持ちましてひとまず導入から約一ヶ月が過ぎたということもあり、以前から友人らにも入れたら結果を教えてくれといわれていたので今日はそれらの情報を公開しようと思います。

 まず一番重要な閲覧者数ですが、あんまりアナリティクスの用語をわかっていないのですが「ページビュー」で見てみると、十二月三十日から一月二十九日までのこの一ヶ月でなんと2268もあり、一日平均で約70人もの人が見に来てもらっているという計算になります。出張所のアクセスカウンターは大体30~40人で推移しているので、多分見る人は同じだろうから本店でもそれくらいかなと予想していただけにこの数字には私もびっくりしました。下手すら毎日四、五人くらいだと思ってたし……。

 そして検索ワードについてですが、これはやっぱり見ていていろいろ面白かったです。
 まず現在までで一番検索ヒット数が多い用語はやっぱりタイトルの「陽月秘話」で77回でしたが、実は最近までこのワードは二位で、それまで一位だったのは何かというとなんと「宮崎繁三郎」で、このワードは現在までに63回もヒットしています。これには私も全くの予想外だったので試しに自分でもググって見ると、本当にトップから三番目に私のブログが来ています。自分で言うのもなんですが、手抜きしたわけではありませんがあんな拙い記事でこんなにヒットしていいものかと今でも大いにたじろいでいます。

 それで他の検索ワードですが、やはり目に付くのは「竹中平蔵」の四文字です。大抵はこの「竹中平蔵」に対して「功罪」や「評価」などという言葉がくっついてワード結果としてはばらついているのですが、それらをすべて合計したらまず間違いなく検索ワードとして一番ヒットを稼いでいるでしょう。これについては私の方としても異論はなく、このワードで検索に引っかかる「竹中平蔵の功罪~陽変~」の記事は私も胸を張って他人にお見せできる記事……だといいたいのですが、改めて読んでみると内容は自信がありますが結構文章が荒れていますね。まだブログ記事の書き方に慣れていない頃だったからだけど、こんど書き直そうかなぁ。

 そのほか多くて気になる検索ワードは「日本の法人税」についてです。これは私もそうでしたが、案外この法人税について国際比較をきちんとまとめたサイトや資料というのはあまりネット上になく、私が記事中で使用したように紙媒体の記事でしかまだ参考に足る資料は見たことがありません。つくづくニッチなところに私のブログはひっかりますね。
 逆に全く意味がわからない検索ワードで、「猥褻なネットカフェ」というものがありました。これを検索した人は私のブログに何を期待したのでしょうか。

 なんにしてもこんな文字ばっかでお堅い内容のブログに対してここまで閲覧者数があるとは全く予想もしておらず、改めて閲覧者の方たちには本店、出張所を含めてこの場で厚くお礼を申し上げます。
 ここで本音を書いてしまいますが、私は中学生の頃に文章に目覚めてから将来はその分野で生きていける小説家かジャーナリストになろうと、それ以降の半生はずっと知識の収集と文章技術の向上に努めて牙を磨いてきたつもりだったのですが、自分でも納得のいき辛い経過を辿って敢え無くその夢は未だに叶えられずにいます。

 本来、私がこうして得た知識とそれを表現する技術はそれを使う職に就くまではじっと封印しておこうと、2006年に本格的にブログがブームになった時でさえ本音では始めたかったものの開設をせずにまで取っておいたつもりでしたが、その後しばらくはそのような職に就くことが叶わないことが確定したため、あくまで主目的は普段なかなか会うことの出来ない友人らに対して情報を流し続けることですが、ブログを始めたのには自分の実力が本当に足らないのか、半ば意趣返し的な理由も含んでいることは否定できません。
 最近ではいろいろなコメントをいただけるようになり、まがりなりにも自分は情報を発信しているのだという実感は強くなってきています。他の人から見たら不思議に思われるかもしれませんが、ただこうして自分の思うことを書き続けられ、また見てもらえるということこそが表現者としての私の至上の幸福に当たります。

日本人の文化的特性

 前に「中国人の好きなタイプ」という記事を書いたところ、このような文化的、民族的な違いの話は面白いとコメントが来たので、今日はちょっと趣向を変えて私がよく思う日本人の文化的な特性について書いてみようと思います。

 まず私が日本人が持つ中で代表的な特性だと見ているのは、「洗練」に対する意識の深さだと思います。これは映画の「ラストサムライ」でトム・クルーズが日本人を見て言う一言ですが、

「日本人は誰に誉められるわけでもないのに、工芸等の分野で真摯に技術を日々高めようと努力する民族だ」

 この一言は外国映画ながら、聞いてる日本人の私でも深く考えさせられた一言でした。この言葉の通りに、私自身も言われてみると日本人はそれが直接地位や収入の向上につながるわけでもない、というよりつながらないような場所であるほど何故だか物事に対して執着し、洗練を重ねようとするところがあります。
 いくつか例を挙げると、私の場合だと掃除が好きなもんで今日は昼間に暇だったので家の掃除をしてたのですが、もうそれこそありとあらゆる場所を掃除して、またこれまでの経験から油と埃が混ざった箇所は雑巾を使わずにティッシュでふき取るテクニックを使い、細かい場所には爪楊枝にていちいち穿り返すようにして掃除しました。どうでもいいですが、私は爪楊枝を本来の用途ではなく掃除で使う回数の方が圧倒的に多いです。

 これに限らず、ゲームにおいてもただ単純にクリアするだけでなく、いわゆる縛りプレイなどもこうした日本人の洗練に対する特性の現われだと思います。代表的なのは私はやりませんでしたが「バイオハザード」でのナイフクリアなどで、こうした縛りや一つの技術に対して向上を図ろうとするのは日本のあちこちで見られるはずです。
 そうした特性が実社会の利益に結びついている例だと、やはり機械などの小型化が一番の好例です。今は昔ほど言われていませんが、高度経済成長期はアメリカが発明した家電機器などを片っ端から小型化して持ち運びやすくするのは日本人の役割とまで言われていました。小型化した中で私が一番影響力が強かったなと今思うのは、今も携帯電話などに使われている電池の分野で、実際90年代における急激な電池の小型化成功によって携帯電話から電子辞書までここまで実用化されるに至っています。

 また小型化に限らずとも、かつてのホンダの低公害型CVCCエンジンの開発でも、元々の原案はソ連で考案された原理を実用化にまで持ってきた例など、何かを掘り下げるというメンタリティの分野では日本人は世界でもトップクラスだと私は考えています。
 しかし掘り下げるという高いメンタリティの分だけ、皮肉な話ですが逆にそれまでにない全く新しい発想を持つという力こと、グランドデザインの面では非常に能力が低いと言わざるを得ません。この点なんかは大国意識が強いところがやっぱり強いのか中国人とかアメリカ人が強いような気がしますが、日本人はやっぱりこういうところは駄目駄目で、むしろ日本人同士で何か突飛な発想をする人間を排除しようと内側からブレーキをかけているところがあるような気がします。

 しかしその一方、なんというかこれは島国根性とでも言うのですか、普段は周りを気にしすぎるくらい気にしているくせに変なところで全く気にしないところがあり、他の国からしたら信じられないようなことを一般的なものと思って日常化させてしまうようなところは多々あります。
 社会学的な一つの例としてあるのはいわゆる「一家心中」で、日本なんかはこうした事件に対して同情的な目を向けますが、欧米では精神病による異常行動と取るそうで、言われてみれば私もそんな気がしてきます。

 先ほど私は日本人は突飛な発想を日本人同士で妨げるメンタリティがあると述べましたが、この「無意識に突飛な行動を取る」分野では逆に世界的にも真新しく、珍しい文化や技術を創る力は存分に溢れているように思えます。今の日本のアニメやマンガも、まぁ言ってしまえば手塚治虫という明らかに常人離れした大天才がディズニーに影響を受けたとはいえ日本に存在したことが成立した最大の要因でしょうが、変に海外に輸出されずに日本国内だけで熟成されてきたからこそ今海外で受けているのだと思います。

 最後に二つほど今回私が挙げた二つのメンタリティが発揮された代表的な例を紹介します。
 実は日本で飛行機の設計が初めて行われたのは江戸時代の末期で、ある男性が独自にプロペラ式飛行機を考案して日露戦争中には軍部に対して敵軍の偵察を行う道具として開発を願い出たそうですが却下されてしまい、それならば独自に開発しようと研究を重ね、動力源となるエンジンの調達を視野に入れて資金を貯めている間にライト兄弟によって先に開発されてしまったそうです。ま、開発したライト兄弟もその後は特許権の争いで決して幸福ではありませんでしたが。

 もう一つの例は、これは伝聞での情報なのですがある世界的に有名なロックバンドがアルバムのジャケット写真になんと六歳くらいの裸の女の子の後姿を写したものを使用したところ、世界各国からは児童ポルノだ、不謹慎だとして発売が差し止められたそうですが、日本だけは、
「局部は写っていないのですね(´ー`)」
 の一言で、発売を許可したそうです。世間知らずもここまで来ると凄いものだ。

2009年1月29日木曜日

中国脅威論の現実化

 恐らくあまり中国について専門的に研究しているという方でなくとも、「中国脅威論」という言葉を一回くらいは聞いたことくらいはあると思います。この中国脅威論の元ネタは実は日本で、それも防衛大学の教授が現状の中国の国軍こと人民解放軍はまだそれほど脅威ではないが、もし今のペースのままで増強が続けられた場合は将来お大きな脅威になると言った事から生まれました。
 そうして生まれた中国脅威論という言葉ですが、実際に使われている回数が多いのは実は日本以上にアメリカで、主に軍関係の幹部が中国脅威論を強調しては自分とこの部署の予算獲得の方便としていました。しかし実際にはそうした予算をふんだくる連中を含め、人民解放軍は世間で言われている以上に実力はないという認識は学者や関係者などの間で一致していました。

 これは大分前の文芸春秋の記事で書かれていた内容ですが、人民解放軍は確かに兵数こそ二百万を越え、準軍隊の武装警察などを含めると三百万人という大所帯ですが、この人数は実際には有り余る失業者や食い詰め物対策の公共事業的な要素が強く無理やり雇っている数で、鄧小平の時代には百万人もの削減を行ったに飽き足らず今でも幹部らはこの多すぎる人数を減らしたいと考えているそうです。
 それで肝心の兵装ですが、実は主力兵器は日本と同様に戦車で、こと海軍の艦船ともなると質、量ともに他国に劣り、潜水艦に至っては音が大きいので日本領海に入ってくるたびに簡単にばれてしまっています。聞くところによると実際にはニュースにならないだけで何度も領海侵犯しているそうですが、日本、米国側としてはそのほとんどの行動を監視しているそうです。

 そして一番人民解放軍で致命的だったのは、実は空母を持っていなかったということです。先ほどの記事によると中国には確かにミサイルや兵数といった高い攻撃力こそ保有しているものの、目標地に上陸して占領するための艦船や空母が存在しないため、たとえ台湾と戦争が起こったとしても屈服させることは出来ず、米国の補助がつけば勝利することすら難しいと分析し、先ほどの主力兵器が戦車ということとかけて、「人民解放軍こそ自衛隊である」と分析していました。
 言われてみて私の方でも調べてみましたが、記事に書いてある内容は確かに真実で、いざ戦闘が起きたとしてもこと防衛だけなら日本の自衛隊でもそこそこ対応できるのではないかと私も考えるようになりました。

 しかし先々週あたりの朝日新聞の一面記事にて、「中国、空母の建艦に着手」と書かれた見出しを見るに至り、いよいよ脅威論が現実化したかと私も見方を変えさせられるに至りました。これ以前にも中国は去年にフランスからお古とはいえ古い空母を払い下げてもらっており、近々自前でも空母の建艦に入るだろうといわれていましたが、ここまで動きが早いとは思いもよりませんでした。
 これを受けて先週の朝日新聞の社説には、ここ数年で中国はそれ以前と比べて大分軍事予算の情報公開を行うようになってきたと前置きした上で、それでも未だ非公開の部分が多く、今年も前年比二桁増しの予算の上に自前で空母の建艦も始めようとしていることは非常に問題のある行動だと指摘し、極東アジアの平和維持のためにも今以上の情報公開が必要であるという主張が書かれていました。あまり空母建艦のニュースが流れない中、なかなかよくまとめている上に警鐘を促している立派な社説です。

 よく2ちゃんねるの人たちは朝日新聞は中国の悪いニュースを報じないと批判しますが、逆に私はなんでこの中国の空母建艦開始のニュースがあまり報じられないのかが凄い気になります。他紙は今はチェックしていないのですが他は当時どうだったんだろうなぁ、朝日の言う通りに、極東アジアのパワーバランスが一気に崩れかねないほどの重大なニュースだと私は思うのですが。

スーパーファイヤープロレスリングの思い出

 突然ですが、「スーパーファイヤープロレスリング」というゲームを知っているでしょうか。これはスーパーファミコンのゲームで、タイトル通りに内容はプロレスのゲームなのですが、私が小学生だった頃に友人らとよく一緒に遊んだゲームの一つです。
 私たちが遊んでいたのは「スーパーファイヤープロレスリング3」で、このゲームでは今じゃ「エキサイティングプロレス」で有名なレスラーエディットといって、自分で好きなレスラーキャラを作る機能が搭載されていました。

 当時、このゲームを持っていたのは友人なのですが、私が言うのもなんですがその友人は非常にセンスに溢れた友人で、このゲームでよく及びもつかないレスラーを作っては私たちを驚かせていました。何が凄いかって言うとレスラーの名前で、私が覚えている彼が作ったレスラーの名前を挙げますと、

・シンジュクダイヒョウホームレス
 取り立てて名前以外は特徴のないレスラー。

・全身タイツZOP27号
 頭のてっぺんから肌の色、つま先に至るまで全部真っ白なキャラ。

・久怪タダノアホ
 ごつい身体のレスラー。得意技は毒霧殺法。

・今泉牛肉大好
 ドラマの「古畑任三郎」に出てくるキャラが名前の由来。裏技ですべての能力がMAXにされており、コンピューターに任せると手がつけられないキャラだった。

 こんな具合で、どこをどうしたらこんな名前が小学生だったあの友人から出てきたのか今でも不思議です。

 こうしたエディットキャラを使い、私たちはよく「今泉牛肉大好」と「久怪タタノアホ」をコンピューターに任せてタッグ戦で戦ってたのですが、相手キャラがもう強いの何ので、ちょっと油断したらすぐに毒霧ぶっかけられてから固め技に持っていかれてしょっちゅう負けていました。あんまりにも負けるもんだから先にレフリーをラリアットで気絶させて判定負けをなしにした上で、ほとんど勝てはしなかったものの必死で抵抗を続けていました。
 またあるときには無駄なアクションを徹底的に追求しようと、リング上でむやみやたらに「火吹き殺法」をやり続けたり、相手をダウンさせてからコーナーポストに上りフライングタックルをかけると思いきや何もせずにポストを降りたりと、飽きもせずにアホなことをやり続けていました。多分友人の家に行けば、まだあるんだろうなぁ。

2009年1月28日水曜日

歴史の断絶について

 おととい電車に乗ったところある週刊誌の中吊り広告にて、「御手洗よ、メザシの土光を見習え!」と書かれた見出しが目に入ってきたのですが、なんというか見た瞬間に言いようのないむなしさを私は覚えてしまいました。別にこの見出しが悪いわけでなく、むしろ現在の経団連会長であるキャノンの御手洗に対してかつて同じく経団連会長を務めた土光敏夫氏と比較するあたりなかなか着眼点がいいと思うくらいなのですが、肝心要なこととして、恐らく私と年の近い二十代の人間からすると「メザシの土光」と言われても恐らく何の意味だかわからない人が大半だろうという事実が、先ほどのむなしさを感じさせたのだと思います。

 簡単に説明すると、リンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますがこの土光敏夫氏というのは少し以前の経済界の重鎮で、その質素な生活ぶりから当時は日本中で大人気で、特に国鉄民営化の際には中曽根元首相によって臨時調査委員会が組織されて土光氏も委員に名を連ねたのですが、その高い人気から「土光臨調」とまでその会議が呼ばれたほどだったそうです。
 恐らく自分らより上の世代の方ならほとんどの人が知っている名前なのですが、これが若い世代になると逆にほとんど知られていないのが実情でしょう。何もこの土光氏に限らず、私が失われた十年の連載で書いた事実も今の十代の方には知らなかった事実も多いと思います。

 歴史というのはこのように、遠い昔以上に案外近い時代の方が隔絶というものが起こりやすいといわれています。その事実自体はわかるのですが、それを推しても近年の世代間の断絶、年齢的に言えば今の四十台を境にした上と下で事実ごとに知っている、知っていないが真っ二つに分かれる事例が今の日本には多すぎるような気がします。それこそこれまた私が連載して紹介した「文化大革命」についても、まぁ教える学校がないというのが一番の原因ですが、あれだけの影響の大きい大事件ですらほとんど知らないという人間が私の世代には数多くいる一方、やはり大事件だったということもあり同じ時代に直接伝え聞いている私の親の世代などは紅衛兵についても別に中国について勉強していたわけでもないのによく知っており、そのギャップにはなにか考えさせられてしまいます。

 何もこれだけに限らず、、もし今ここで羅列しろというのならそのような世代間隔絶の激しい事例を相当な量を挙げる自信が私にはあります。確かに今回の土光氏の名前など細かいものについて実感が湧かないことから知らないというのも私もわかるのですが、文化大革命や赤軍派の事件など今聞いてもショッキングで大きな事件が上と下の世代間でこれだけ認知に差があるのはやはり問題でしょう。それこそ上の世代がいなくなったら、その事件の影響力は無視されて一気に忘れ去られるのではないかという危惧が私にはあります。
 そのためこのブログでもなるべく、「あまり世間で紹介されていないちょっと前の大きな事件」というものを積極的に紹介するようにしております。文化大革命も失われた十年も、そういった意識が一つのきっかけとして書こうという気になりました。

 これは私見ではありますが、やっぱりこうした認識の隔絶が異世代間で無用な意識の差を生んでしまうのではないかと思います。そういう意味で知らないよりはやっぱり知っている方がいいと思うので、私個人ではこういった戦後から現在に至るまでの歴史について意識的に収集に努めています。
 今日はちょっと昔を思い出してブルーになったのが影響しているのか、どうも文章のノリが悪いですね。情けない話ですが今でも中学、高校時代を思い出すと涙が止まらなくなることが多々あり、今日もなぜか「ゼルダの伝説」でマスターソードを手に入れた瞬間にぶわっと泣き始めてしまいました。