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2024年8月21日水曜日

日本人が何故体臭で騒ぐのかが不思議

 あまり興味がないのでこれまでブログで取り上げてきませんでしたが、女性フリーアナウンサーが男はもっと体臭を気にしろ、日に三度はシャワー浴びろと公に発言して顰蹙を買い、契約していた会社から契約を切られたニュースがなんか延々と話題になっています。この会社側の処置について解雇は厳しすぎるという声もありましたが、報道を見る限りそもそも雇用契約ではなく仲介登録契約であったようで、であればそもそも解雇じゃないんだし、またあんな発言する時点で危険要素が盛りだくさんなだけに契約切るのは当然だと私的には思います。需要があるなら、拾う会社もあるだろうし。

 それでこのニュースに出てきた体臭についてですが、去年あたりからアイドルの交流会やカードゲーム大会にやってくるお客の体臭がひどい、ヤバ過ぎるというニュースをよく見るようになってきました。実際にそうした現場に行って嗅いだわけでもないためどれほどの体臭なのかは測りかねますが、私個人の見解で述べると、「そんな大騒ぎするほどかよ」と疑問に思う節の方が多いです。何故かというと、日本人で体臭が気になるほど臭う人はそんないないだろうと高をくくってるからです、なんでそんな風に言えるかって、自分が今いるのは中国だからです

 断言しますが、街中で感じる体臭で言えば中国の方が圧倒的にきついです。上海とかならまだマシですが、地方都市なんか行くと周りの中国人ですら表情から見て明らかに引くようなレベルの体臭を出している人間なんて手の指が足りないくらいいます。また上海市内でも、地下鉄とか乗っているとえーって言いたくなるくらい臭う人がおり、でもってそういう人に接近されると大抵その日はダニに噛まれる羽目になり、「臭いくらいなら実害ない」と言いたくなります。

 また私の場合だと北京での留学時代、相部屋のルーマニア人がガチでシャワーを浴びるのは月に1回程度で、部屋の中は体臭に満ちていました。なので玄関ドアとか開けておくとその臭いが廊下中に蔓延して、別の日本人も今日自分が部屋を開けているとエレベーターから降りた瞬間にわかったそうです。
 もっともこんなの慣れてしまえばどうってこともないのですが、数ヶ月にいっぺん、彼が洗濯するときは自分も夜は寝れなくなりました。何故かというと当時の学生寮には洗濯機がなく、基本手洗いで下着とか洗うしかなかったのですが、彼は洗面器に下着を水につけるだけで、ゆすいだりとか以前に洗剤も一切使用しませんでした。でもってそれを部屋干しにするもんだから、さすがにその時は自分も眠れないほどの悪臭に悩まされ、洗面器につけてる間にそっと洗剤を少し蒔くようにしてました。

 そんな私のハードな体験、そして冒頭に書いたように日本人より体臭がきつくてもそんなに気にしない中国での生活を踏まえると、元々異常なくらい臭いを出さないし、普段から割と清潔にしている(中国人基準で)日本人が体臭でどうこう言うのはちょっと過剰過ぎるのではという疑念を持っています。鈍感力じゃないですが、礼儀マナーなどと同様に必要以上に過敏に気にするというのはむしろ社会にとっても本人にとってもマイナスで、逆にそうしたことを気にせず寛容に受け止める西郷さんのような人の方が私は立派だと思います。
 なので日本人は、もっと西郷さんを見習うべきだと無駄に薩摩推しな感情がこのところもたげます。

2024年8月19日月曜日

日本のホラーコンテンツ産業の成り立ち

 
 本題と関係ないけどこちらの上原氏と赤星氏の対談が毎回面白くてつい見ちゃいます。練習が厳しすぎて亜細亜大と駒沢大の試合はどちらもイップス発症者が多く、現広島監督の新井氏なんか典型的なイップスだったから試合でサードにバントし続けるという鬼畜な戦術取られてたとかやばいです。



 でもって本題動画がこちらとなりますが、本日公開されたホラーゲームの金字塔と呼ばれる「サイレントヒル2」のリメイク版ストーリートレーラーです。あいにく私はこのゲームを遊んではいないのですが日本はおろか世界中で最高級の評価を受け、その評価は十年以上たった今も色あせず、こうしてリメイクが作られるに至りました。

 そのサイレントヒル2を含め輸出競争力という観点で見ると、意外と日本のホラーコンテンツ産業は侮れない実力があります。美少女アニメコンテンツとかよりもずっと稼いでいるように思えますし、またソフトパワーという観点でも非常に食い込みがよく、アニメファン以外からも支持を得ている点で範囲が広いように思います。
 などと日本のホラーコンテンツにこの前友人との会話から着目した矢先にこのストーリーオレーラーが出たのでこうして書いていますが、そもそもいつから日本はホラー映画やホラーゲームが世界的コンテンツになるほど成長したのか。案外この点は語られることが少なきがします。

 敢えて私の独断と偏見で語らせてもらうと、日本のホラー産業の始まりは海外作品の影響が端緒であったように感じます。それは何かというとズバリ映画の「羊たちの沈黙」です。それ以前からもホラーコミックが少女漫画を中心にありましたが、この作品からサイコスリラーというジャンルが日本でも広がり、「幽霊なんかよりも本当に怖いのは人間」というオチをつけたがる日本人に新たな成長の種を蒔いたかのように思います。
 こうしてサイコスリラー作品が日本でも模倣的に作られ、またオウム真理教などマインドコントロールを行うカルト団体が世間で認識されるに伴い、漫画や映画だけでなく、ゲームでも述べる系を中心にホラーゲームが徐々に増えていった気がします。具体例を挙げると「クロックタワー」シリーズや、最近はアクション路線に入りましたが「バイオハザード」シリーズなどが代表的で、こうしたホラーゲームが後々海外で稼ぐ下地が90年代中盤からみられるようになりました。

 そこへきて一気に日本のホラーコンテンツが花開く作品として、貞子でおなじみの「リング」が1998年に映画化され、大ヒットを飾ります。今になって思うとこの作品のヒットは日本のホラー産業にとって非常にでかかったように思え、前年に同じく映画化された「パラサイト・イヴ」と合わせてホラー小説→実写ホラー映画というコンテンツセットを確立し、その後も同様の工程フローを経たホラーのヒット作品が次々と生まれていきました。今じゃあんまり存在感ないけど、当時は「角川ホラー文庫」こそが角川書店を代表するコンテンツで影響力も強いものがありました。

 話を戻すと「リング」、その後に続く「呪怨」などのホラー映画作品のヒットは日本国内にホラー愛好家を増やしただけでなく、ハリウッドでも映画が製作されて「ゴジラ」以上に大ヒットを決めるなど、一気に日本製ホラーが海外で売れるようになりました。これ以降は明らかに海外で売ることも視野に入れてホラー作品が作られるようになり、また実際にヒットを連発し続けるになって、日本のホラーコンテンツ産業が一躍スターダムになった気がします。
 私自身は「リング」の小説については確かに文章が読みやすく展開の運びは非常にうまいと感じたものの、オチがやや突飛だし強引な感じしてあまり好きではなく、ヒットの要因はどちらかというとあの貞子のビジュアルを映像化して再現した映画関係者による貢献が大きいと考えています。ただそんな私の評価は別として、日本製ホラーが海外で花開く嚆矢となったのは間違いなくこの作品であり、その点で言えばオリジネーターとしてもっと評価されてもいいとすら感じます。

 話を続けると、その後にPS2が発売されてゲームのグラフィックが強化されると、ホラーゲームでも国内外でヒットする作品が連続します。その代表こそまさに冒頭で挙げた「サイレントヒル2」で、舞台が米国であるためか欧米に受け容れられやすく、こちらもハリウッドで映画化を果たしています。
 また舞台も世界観も完全に和というか日本色の強い作品であるものの、自分もよくやっていた「零」シリーズも海外でヒットを飛ばします。無論、この間も先に挙げた「バイオハザード」シリーズは売れ続け、今日に至るまで派生作品が出続けています。

 ただ大体時期にして00年代中盤、PS3が出たあたりから映画でもゲームでも国内外で高い人気を得る新規のホラー作品が急にでなくなってきたように思います。先述の角川ホラー文庫も存在感をなくし、「この夏絶対に見逃せない」的なホラー作品もなくなって「サマーウォーズ」とか「君の名は」などのアニメ作品の方が夏に強くなってきました。でもって「サイレントヒル」も「零」もシリーズがその後打ち切られるし。
 一応、ホラーゲームとしては今でも日本は結構作られていますが、そのどれもが同人、インディーズゲームで、一般のゲーム会社がプロモーション込みで作る作品は本当に見なくなりました。今やホラーゲームはインディーズが主体で、「青鬼」などをはじめ映像化を含むマルチメディア化される作品もありますが、往年と比べるとその勢いには陰りが見えます。

 なんでホラー作品が前ほど親しまれなくなったのかに関しては、ホラーというよりグロ系作品が増えたからという意見をよく見ますが、理解できないほどではないものの本当にこれなのかという一抹の疑問を私は覚えます。かといってほかにめぼしい理由があるというわけでもなく、単純にコンテンツとして飽きられた、映像が鮮明じゃなかった昔の方が恐怖感を煽れた、粗製乱造による質の低い作品が溢れたなどの複合的結果なのかもしれません。
 そう思うと90年代後半から00年代中盤までの10年足らずの間が日本のホラーコンテンツの短い黄金期だったと言えるのかもしれません。なかなか特殊な時代を過ごしたものだと、今更ながら感じ入ります。

 ちなみにトイレでは幽霊を見るよりも水が流れないことに恐怖を感じる私が心底怖いと感じたホラー作品は、ちっちゃかったせいもありますがスーパーファミコンの「弟切草」と「学校であった怖い話」、セガサターンの「ディープフィアー」、漫画だと「殺し屋イチ」とかが挙がってきます。押切蓮介氏の「ミスミソウ」は全く怖くなく、「サユリ」は1巻だけならやや怖いと感じました。伊藤潤二氏の「富江」は不気味さを感じましたが恐怖はそこまでありませんでした。
 ああそうだ、近年は海外で売れるホラー作品が減ったとは言いましたが、伊藤潤二氏は現在絶好調というか海外でも売れまくっています。まぁホラー漫画のくくりでいれば「彼岸島」も入るけど、あれは怖いと思うシーンよりも圧倒的に「そうはならんやろ」と爆笑するシーンの方が多すぎる。

2024年8月18日日曜日

日本は次どの産業を育成すべきなのか

 候補者が乱立する気配を見せている自民党総裁選ですが、敢えて各候補者に何か一つ質問できるとしたら、日本は今後、どの産業を国家として育成していくつもりなのかを聞きたいです。というのも、国際競争力という観点では日本が持つ中でコンビニ業界こそが最強だと信じて止みませんが、外貨を稼ぐ輸出産業という観点ではもはや自動車と化学品など素材産業しかなく、自動車が倒れたら一気に傾きかねない状況になっていると思うからです。

 かつての日本であれば繊維、家電、鉄鋼、半導体、ゲームなど数多くの強力な輸出産業が存在しましたが現在においてはもはや見る影もなく、ほぼ自動車一本足打法のような状態になってきています。もちろんまだ自動車が力を持っているだけマシなのですが、EVを含む転覆的技術が自動車業界では現れてきており、過去の積み重ねが文字通りひっくりかえされる状況も今後発生する可能性もあるだけに、自動車偏重で行くのはかなり危険だと考えています。
 であれば国家としてどの産業を今後育成し、日本の主力とするのかを政治レベルで決めていかなければなりません。その点について書く政治家に聞いてみたいのですが、ぶっちゃけどれを推していくかは私の中でもいまだ確としたものはありません。

 アプローチ方法は主に二つあると思え、一つは全く未知の産業に挑むという方法です。現在であれば、いまだ技術や規格が確立されていない3DプリンタやAIといった類で、ある程度知られていればいるほど競争も激しくなるだけに、誰も手を付けていない分野ほど成功確率も高いものの、そのまま市場が成立せず失敗に終わる可能性もあります。
 もう一つは、既存技術の水平再利用みたいなもので、いくつか例を出すとPHSの電波を使った全く新たな通信網とか、すでに確立された技術に対して新たな応用分野を作るというものです。自分の中ではドローン対策で効果を発揮しているゲパルトがいの一番に来るけど。

 どちらにしろ日本が世界で戦える、なるべくなら製品まで日本国内で作って輸出して外貨を稼げるような産業を、急ぎ日本は育成する必要があるでしょう。こうした新規産業に対する意識はまだ20年前、それこそ森元総理ですら「IT革命」などというなど当時の政治家は意識していましたが、近年においては口にする者すらいなくなり、密かに憂えています。最近唯一こうした危機感を持っていると感じたのは神田元財務官で、そういう点からも彼が今後日本の経済政策で主要な地位につくのをこれまた密かに期待しています。

2024年8月17日土曜日

朝からエイリアン(/・ω・)/<シャー

 最近友人が「朝一で映画を見るのが楽しい。明日はコナン見に行くんだ(´∀`*)ウフフ」などと言うので、「野郎、負けてられっか……」などと無駄に対抗意識を持ち、何かいい映画がないかと最寄りの映画館(チャリで10分)のプログラムを見たところ、「エイリアン・ロムルス」が昨日8/16から公開されていました。
 前にも書いたように、中国では同性愛とか幽霊が出てくる映画は非科学的だとして検閲で排除する傾向にあるのですが、何故だか宇宙人に対してはやたら寛容で、検閲とかでも「宇宙人ならOK(´・ω・)」として通すことが多いそうです。なのでこの「エイリアン・ロムルス」も中国では問題なく検閲をパスしたのではないかと密かに考えています。

 さてこの映画、日本ではまだ公開されていないとのことですが端的に言って面白かったです。内容はエイリアン1とエイリアン2の間の時代設定で、エイリアン1でエイリアンが出てきた星が植民星となってそこで働いている人が主人公らパーティとなります。エイリアンに襲われる舞台は放棄された巨大宇宙船で、舞台といい逃げ方といい、エイリアン1に非常に近いものとなっていました。
 またエイリアンにお馴染みの要素ももれなく出てきます。フェイスハガーはもちろんのこと、アンドロイドや揺れる椅子など、往年の回顧ファンからしたらどれも懐かしさを感じるとともに「わかっとるやんけ」と納得させられるオマージュ要素が盛りだくさんでした。

 ストーリーもエイリアン1のように閉じ込められた宇宙船の中でいかにエイリアンの襲撃から逃げつつ脱出するとかというもので、最近のCGを使ってエイリアンを画面狭しと大量に出すわけでもなく、きちんと場面を選んで登場し、むやみにセールのようにばらまかないことできちんと恐怖感を出す見せ方は見事だと感じました。
 それ以上に、単純に俳優の演技が非常に良かったです。主演のケイリー・スピーニーは往年のシガニー・ウィーバーに負けず劣らずの体当たりぶりを見せ、脇を固める俳優らもいかにもティーンエージャーっぽい探索者を演じていました。ただこうした俳優陣の中で群を抜いてよかったのは、アンドロイド役を演じていたデヴィッド・ジョンソンでした。

 脚本や演出の力と見ることもできますが、最初はとっぽいものの慈愛に満ちた視線を見せながらも、途中でバージョンアップするや機敏で冷静な判断を下す冷徹なアンドロイドへと変貌し、その作中における演じ分けの見事さが他の俳優を一線を画すレベルで非常に高いものありました。もしターミネーターで新作を作るなら、彼に敵役のターミネーター役を演じさせるのがいいのではないかと個人的に思います。

 唯一ケチをつけると、中国版のタイトルは「異形:奪命艦」となっていることです。今回の舞台となる宇宙船の区画名が「ロムルス」なのですが、「奪命艦」だと全くその名残がありません。この「ロムルス」という単語は暗に今回のエイリアンを指し示すワードとなるだけに、もう少し中国語版タイトルはどうにかできなかったものかと思いやられます。

2024年8月15日木曜日

エンドオブ岸田デイズ

 すでに各所で報じられている通り、岸田首相は次の自民党総裁選に出馬しないことを表明しました。現在の人気が来月末であるにもかかわらず、八月に入っても出馬を一切表明してこなかったことからもう辞めるつもりではないかと思っていただけに、あまり驚きはありません。しかし私個人としては就任直後は不安だったものの、その後は岸田首相の手腕を高く評価していただけに、今回の発表は素直に残念に思います。
 今思うと、優生保護法の国家責任認定、謝罪について前のめりな対応をしていた時点で腹をくくっていたようにも感じます。先週も麻生が「岸田はよくやってるよ」と言ってましたが、多分これも何らかの意を受けての発言だったのでしょう。

 前述の通り、私としては岸田政権を高く評価しており、小泉政権以降であれば最高の内閣であったようにも思っています。ただ世間の岸田総理に対する評価が低いというのは、理解できないわけではなく、在任中は統一教会問題や派閥のパーティ券代プール、略してパーケンプールの裏金問題などが発覚し、与党総裁という立場を考慮するとその批判の矛先になるのも無理からぬ立場でありました。
 とはいえ先の二つの問題は岸田首相というより主に安倍派の自民党議員の問題で、岸田派も若干プールしてましたがどちらかと言えば巻き込まれにあったようなもんでした。むしろこの二つの問題に対し自民党内から反発が強かったにもかかわらず、きちんと処分や対応に動いただけでも大したものだと思います。処分に物足りなさを感じる人が多かったようですが、きつい処分ができたなかったのはそうした人たちが岸田首相を支持せず、岸田首相も党内に強い行動が取れなかったためでしょう。

 特に後者の問題は自民党の派閥解消においては非常に大きな動きを見せました。ネットですでに言及している人もいましたが、自民党の派閥政治打破を目指した小泉元首相以上に岸田首相は党内の各派閥の影響力を弱めています。
 仮に岸田首相でなければ、統一教会を含めここまで対応を取ることはなかったでしょう。それこそ事の張本人にもあたる安倍元首相であれば、検事総長の定年を延長してでもこれらの問題をもみ消そうとしてと断言でき、私自身としては前述の通り岸田首相は良く逃げずにこの問題の処理を手掛けたものだと感じます。

 また外交に関してはサミットやウクライナ支援を含め申し分なく、経済に関しても円安誘導によるデフレ脱却を見事に果たしており、最後はプライマリーバランスの回復だけ残ってましたがその道筋をはっきりつけており十分評価に値します。中には先週の株価の乱高下に際して岸田首相を批判する人間も見られましたが、あれで総理や日銀を批判する人の方が私には理解できませんでした。実際、今週に入ってからはその手の責任追及論も一切なくなったし。

 唯一、岸田首相自身が招いて批判されもやむなしな失策としては、出来の悪い息子を秘書官に据えたこと程度でしょう。あれに関しては親心もわかりますが秘書官にするまでの教育が悪かったとしか言いようがなく、据える前にもしっかり見極めとくべきだったでしょう。

 今後に話を移すと、次は誰が総理をやるのかになります。明日から実質的に総裁選がスタートすることとなりますが、候補としては石破氏、河野氏、小泉氏の従来からの候補に加え、要職ながらいまいちキャラの出ない茂木氏も入ってくるかと思います。最低限の基準として、先のパーケンプール問題にかかわった安倍派議員は出馬してはならない気がしますが、今の安倍派にはタレントもいないしどのみち誰も出れないだろうとみています。
 現状では誰が勝ち上がるのか全く読めないし今後の展開によっていくらでも情勢はひっくり替わるので予想するだけ無駄でしょうが、敢えて次の総理に期待したいというか一番私が優先してみるのはウクライナに対する支援姿勢です。国内からどれだけ批判があるとしても、ウクライナを支援し続け、資金拠出も辞さない人に来てもらいたいです。

 もっとも外交に関しては米国との関係がより重要で、その米国が次の大統領にどっちがなるかがかなり読めないだけに、立候補者たちもあまり外交については姿勢を表明しなくなると思います。内政に関しては金融政策とかは下手に弄らずこのまま日銀の植田総裁に任せてればいいので、どの産業を育成するのかを口にする人を個人的には評価したいです。

2024年8月13日火曜日

みんなが注目するダイエー松戸駅西口店の行く末

ダイエー松戸駅西口店の跡地はどうするべきか?

 上の記事は閉店が決まっているダイエー松戸駅西口店について5月に書いた記事ですが、なんかやたらとアクセス多くてビビってます(;´・ω・) きっとみんなそれだけこの店に思い入れがあるのと、この先どうなるのかについて思いを馳せているのではないかと思います。

 書くいう私自身もこの店がかつてDマートと呼ばれていた時代はしょっちゅう訪れており、映画を見たりプラモを買いにきたりと松戸に来たら確実にこの店に寄っていました。また細かい思い出話をすると、小4の頃に何故か南流山から松戸まで一人マラソン大会をやろうと企図し、冬休みに実際やった際、Dマートを訪れ地下のフードコートで無料の水飲んで帰ったのも覚えています。っていうかあの地下フードコート懐かしい。

 そんなこの店に直近で訪れたのは2022年の10月で、上海のロックダウンを経て約2年半ぶりに日本を訪れ、馴染みの床屋で髪切ってもらおうと平日午前に行ったら11時からのオープンだったため、自転車求められるし店が開くまで時間潰しとばかりにダイエーを訪れました。
 その際、電池が切れて止まっていた腕時計もあったので2回の修理屋さんにもっていって直してもらい、これまた時計が直るまでの間はお店の中をぐるぐる回りつつ、ふと思い出したので友人に電話をかけ、「もしもし、俺今松戸にいるんだけど」とオレオレ詐欺みたいな切り口で無駄に松戸にいることをアピールしてました。ちなみに向こうはこっちの電話番号も登録しておらず、急に松戸に現れたことにビビってました。

 個人的に上の体験がダイエーとの最後の思い出になるのかと思うとなんか若干物足りないというか妙なことをしたなという気がして満々であるものの、今後リニューアルされるのであればキテミテマツド同様にまた訪れることもあるでしょう。そのキテミテマツドの方は出だしこそ丸々空いているフロアもあったりと不安な漕ぎ出しでしたが、出入りこそ激しいもののテナントは結構埋まり、また年数も重ねて定着していったことから、ほかの都市の大規模店舗跡のリニューアルとしてはまだ成功した部類じゃないかと思います。関東以外の地方とか、結構悲惨なリニューアルとかも珍しくないし。

 ただこのキテミテマツドの存在は、ダイエーのリニューアルにとっては一つの障害になる可能性もあります。まっつど駅周辺ではこのほかにも東口にイトーヨーカドーもあり、狭いエリアに中大規模商店が密集しており、ダイエーもこれが閉店の一つの要因になったと思う節があります。私自身としては前回の記事にも書いたように駐車場などになって、松戸駅前の道路混雑緩和に貢献してほしいとか思っていますが、もし商店で行くならば近くのキテミテマツドとどう差別化するのかが最大の懸念事項になると思います。

 いっそのこと、商店というよりかはアミューズメント施設みたいな感じにした方がいいかもしれません。もしくはすでに松戸で絶えて久しい映画館にして、映画館に付帯する施設として飲食店を中心にするのがベターかもしれません。松戸にある有力なラーメン屋とかにも出店してもらいミニラーメンアリーナみたいにしたら意外と人来るかもしれません。まぁ自分としてはカレーの方が好きだけど。

2024年8月12日月曜日

四苦八苦と安楽死による救済是非

 先日「ドボポプププププ」という記事で描いた「女神転生外伝 新約ラストバイブル2」というゲームを昨夜クリアしました。Steamのレビューを見るとUIが古いとか勝手が悪い、エンカウント率が高いなどという批判をよく見ますが、ファミコン時代のゲームを体験している私からすればあんなの障害に入らず、実際気になることありませんでした。むしろエンカウント率高いから、普通に戦ってればレベリングの必要なくていい感じだった気すらします。

 さてこのゲームですが女神転生シリーズの亜種として世界観は西洋ファンタジーで、出てくるキャラクターも歌舞伎っぽいのもいますが基本西洋名で、武器もドスを除けばファンタジーチックです。なのにシナリオのテーマは仏教で、ラスボスも「衆生無辺誓願殺」などと漢字いっぱいな仏教用語で攻撃してきます。
 っていうかゲームバランスはかなりおおざっぱで、終盤のボスはこっちが先に必殺技を食らわせるか、向こうが先にこちらをワンパンかましてくるかの二択でした。この辺はちょっと難ありで批判されても仕方ない気がします。

 話を戻すと前述の通りシナリオのテーマは仏教が大本となっており、ラスボス前の前座となるボスキャラも「四苦」と「八苦」というキャラでした。この四苦八苦ですが自分も今回初めて知りましたが単なる四字熟語ではなく実は仏教用語でその意味は臨済宗円覚寺の解説によると以下の通りらしいです。

①〔仏〕生・老・病・死の四苦に、愛別離苦・怨憎会苦・求不得苦・五陰盛苦を合わせたもの。人生の苦の総称

 この説明の通り、ゲームのラストバイブル2では上記の苦しみの種類がゲームイベントを通してプレイヤーに示されます。特に激烈なのは「病」で、ゲーム中の世界は不治の病が流行しており、感染して末期症状の患者には植物状態のようになる薬によって延々と寝かしつけたりしています。
 また薬が手に入らない人の中にはあまりの苦しみから自殺を選ぶ人もおり、あるイベントではそのような患者に敵キャラが安楽死を施すシーンすらあります。もちろん主人公たちは勝手なことはやめろとこの敵キャラを倒して安楽死を食い止めるのですが、その後助け出された患者は病の苦しみから結局自殺することとなります。このほか無理やり恋人を死に追いやられたパートナーの男性も夜を悲観して自殺するというイベントもあり、全編において陰鬱なストーリーが展開されます。

 多少ネタバレで話すと、このゲームのラスボスはそのような世の中の不条理や苦しみ続ける人たちを見て、「生きているからこそ苦しみがあり、悲しみが繰り返されるのだから、いっそ人類全員安楽死させる方が苦しみから解放させることとなる」として、人類絶滅を企図することとなります。これに対してやはり主人公らはそんなことさせないと抵抗するのですが、「お前らがやろうとすることは世の中で、人の苦しみを増やすだけだ」と向こうにも言われたりします。まぁこの辺はお約束か。

 ただこの辺の「生きているからこそ苦しみも生まれる」というのは、確かに一種の正しい見方だと思います。上記の四苦八苦の概念もまさにその点をついており、円覚寺の解説によると生きることそのものが苦であり、不完全であり、一時の幸福感は苦の裏返しでもあるという風に説明されています。これ自体に私も異論はなく、安楽死というのも一つの救済手段であるという風に感じます。

 まぁゲームでは最終的に人類絶滅を図るラスボスを倒して計画を食い止めるのですが、生き残った仲間の一人は実際にこれでよかったのかと戦後に自問しつつ、かつて生きろと言ってくれた者らの思いに応えるため今後も生き続け、世の中の多くの人の苦しみを少しでも減らしていくため努力すると言って幕を閉じます。落としどころとしては、まぁこんなもんでしょう。

 以上の流れを見て自分の中でポンと浮かんできたのが、地味に「進撃の巨人」でした。この作品の中では特異な能力を持つために世界中から迫害される民族について、迫害から守りつつ今いる人たちを救う手段として、今後この民族から子供が生まれないようにして民族全体でゆっくり安楽死する案が提唱されます。ちょっと観点は違うかもしれませんが、生まれながらに迫害という苦を追う民族に対し、民族そのものを消滅させることでその苦から解放するという見方では、上記のラストバイブル2のラスボスとも共通する箇所があると思います。

 ただ進撃の巨人でも、「子供は未来そのものであり、そんな手段は認められない」として主人公勢力は上記案に抵抗することとなります。もっともその中の一人は、「迫害する他民族を絶滅させればいいじゃん(・∀・)」って結論に至って実際に実行するわけなのですが。

 こうした創作の中だけではなく仏教においても、「生きていくことは苦に満ちてはいるが、自殺や安楽死によって解放されるわけではない」という風に説かれているように思えます。あくまで自分の理解ですが、苦も楽もともに受け入れることで初めて生を理解する一歩が踏めるという風に解釈しており、苦は忌避すべきものではないと言っているように感じます。

 この辺、考えれば考えるほど追い付かなくなっていく面もありますが、かといって考えないとそれはそれでもったいない概念ではないかとも見ています。最初に私は、安楽死は苦の解放手段の一つと申しましたが、今回こうしてラストバイブル2のエンディングを見て進撃の巨人とか見た後だと、果たしてそうかなという疑問が少しもたげました。元々安楽死については肯定派なのですが、この辺に関してはもっと仏教関係者とも話してみたくなりました。

 どちらにしろ、現代社会は幸福について論じたり考えることを求めることが多いですが、苦についてももっと考えるべきかもしれません。大前提としては苦を否定してはならない、一方で安楽死のように苦を求めてもならないといったところじゃないかと思いますが、これらを踏まえて「苦とは何か」、「自分にとっての苦とはなんなのか」といった点や、避けるべき苦、受け入れるべき苦とは何なのかとかももっと考えてみた方がいいのかもしれません。