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2025年3月15日土曜日

死者に人権はあるのか?

 先日に起きた女性配信殺人事件では機能に私も記事に書いた通り、犯人に借金するよう仕向けながら返済しなかった被害者に非難が集まるとともに、そのプライベートな情報も大きく拡散されています。こうした状況に対しネットで「死者だからと言って、さすがにプライバシーが暴露され過ぎでは」という見解を示す人も見られ、「死者に人権はあるのか?」という問いにするならば、一考に値する意見のように私も感じました。

 結論から述べると私は死者に人権はなく、個人情報などもある程度公開されることになってもことさら特別視するべきじゃないかという風に考えています。但し、例外というか限定条件が守られることが前提です。

 ちょっと横道にそれますが死者の敬称について、乃木大将やハマーン様など敬称付きの方が通りのいい人物を除き、がこのブログでは死者に対して「~氏」などの敬称は一切用いないようにしています。大手メディアなどは死後から数ヶ月は敬称を維持するなどの独自ルールを持っているそうですが、私としては生者でないものに敬称は不要だと思うし、失礼な書き方さえしなければ何と呼ぶのも自由という風に考えます。また死後の表彰も無意味だと考えており、表彰するなら生きている間に、またはほかの生きている人にしろという風に見ています。

 話を戻すと、上の敬称に関する考えのように死者に対して余計な遠慮とか配慮は不要で、そんなものするならもっと生きている人を大事にすべきだという風に考えています。こうした考えから死者に対する批判やプライバシー暴露に関しても、そもそも暴露されて困る本人がこの世にもういないんだから気にする方が野暮でしょう。

 またあくまで私の考え方ですがこの手の死者に対する批判やプライバシー保護を変に規制なり配慮した場合、世の中への弊害の方が大きくなると思います。具体例を挙げると安倍晋三やジャニー喜多川などが好例で、「死んだ人を悪く言うのはよくないよ」と変にその生前の行動に関する暴露や報道を止めていたら、後世の公正な評価や現代における対応にも波及する恐れがあったと思います。
 むしろ死んだからこそ追求できることの方が多いだけに、「死者だから」と言って配慮したりするのは悪手この上ないでしょう。

 但し、これはあくまで死者本人に関する事柄に限ります。メリー喜多川氏の関与などどうしても触れざるを得ない部分を除き、まだ生きている遺族に対する誹謗中傷につながるような情報やプライバシーの暴露に関してはそこに公益性があるかないかを判断すべきで、ない場合は極力暴露や批判はすべきじゃないかと思います。私見として述べると、日本の報道はこの辺の境目が特にあいまいで、死者に対する情報の取り扱いで遺族や関係者に不要な社会的批判を招いている節があるような気がします。

 以上の考えの大前提として、私個人としては「死者よりも生者の方が大事」という考えに基づいています。この辺は論語の「生者に対する礼儀もまだ完璧じゃないのに、死者に対する礼儀なぞ語れない」という言葉の影響を受けてるやもしれません。

2025年3月14日金曜日

全く同情されない殺害された女性配信者

最上あい(享年22)、もし1万円返していたら殺されずにすんだ模様(ガハろぐ)

 例の女性配信者殺害事件ですが、一言で言えばこれだけ同情されない殺人被害者は近年稀にみる水準じゃないかと思います。私自身も同じで、殺害行為の肯定こそしないものの、もし自分が犯人と同じ立場にあれば同じことを絶対にしないかと言われればしないと言い切る自信はありません。少なくとも、背後から全力で頭突きするくらいならためらわずにやるでしょう。
 なおこの事件を見て真っ先に思い浮かんだのは、かなり昔の下の事件です。


 すでに各所でこの事件、というか被害者の行動が報じられており裏付けを取る必要もないほど赤裸々な情報が出ていますが、個人的に自分が着目したのは犯人が消費者金融から借金をしたのは被害者の指示だったという点です。もう工面できるお金がないという犯人に対して被害者は「すぐ返すから心配ない」といったことを言って消費者金融、それも複数社から借金させて借りた金を返済しなったそうです。
 言うまでもなくその後犯人は利息に苦しむことを考えるとこれは意図的に犯人の人生を破滅に追い込むような所業であり、重ねて言いますが殺人は肯定はしないものの、被害者は殺されても仕方ない人間だったという風に私は思います。

 また犯人は粘り強く返済を要求しており、司法手続きまで済ませているのに返済されなかったことを考えると、逆にこの人に私は同情を覚えます。以前からも指摘されていますが裁判で賠償命令が出たとしても踏み倒す人間が多く、また強制取り立て措置を取るためにはとてつもない労力が必要ということを考えると、この辺もっと簡単に取り立てられる制度があってもいいような気すらします。離婚時の慰謝料や育児費も支払いがよく滞るというし。

 もっとも今回の事件で被害者は自分名義の口座は空っぽにし、内縁者の口座で自分の収入を管理するなど意図的な取立妨害措置もとっていたため、並の手段じゃ取り立てるのは不可能だったでしょう。っていうかやり方が完全にプロの手口で、指南役がいるかほかにも多くの被害者がいるかのどっちかで、もうしばらくしたら「俺もこの女にやられた」という人が出てくるかもしれません。

 いつの世にも悪い奴はいますが、こういう人間が今回の事件のようにきちんと取り立てられない、処罰されないからこそ被害は広がるものであり、その点を踏まえてもこの手の民事案件に対する強制介入措置をもっと考慮すべきでしょう。

石破首相の商品券配布と政権終了

 長く使っていてそろそろ買い替えかなと思って新しい電気ケトルを買いましたが、大体5回に1回は過熱が止まらず中のお湯が蒸発しきるまで温め続けるので、また買い替えが必要になりそうです。以前はこんなことなかったんだけど、なんか最近は中国の家電にこういう不具合増えてきたような……。

石破首相側から商品券受け取り 議員十数人10万円ずつか 複数証言(朝日新聞)

 話は本題ですが石破首相が議員に金券配ってたそうです。あまり言われないけど朝日新聞はなんだかんだ言いつつかなりすごいスクープをよく拾ってきて、私はこの辺で朝日の記者を評価しています。

 話を戻すとすでに続報生地も出ていて石破首相も配布をしたことを認めているそうです。あえて言うなら石破クーポンともいうべきすが、そんな長く書く話じゃないので続けると、石破政権はこれでもう終わりでしょう。今国会で基礎控除引き上げなど減税や物価高騰対策をうまくやれば次の参院選後も生き残れるかもと考えていましたが、維新の口車に乗って余計な高校無償化やったり、基礎控除も無駄に手間のかかる累進性にしたりしているので、私としても早く政界から去ってほしいの一字に尽きます。

 当初はそれこそ参院選までは続かせると自民党も考えてたでしょうが、もうこれじゃ政権も持つわけなく、参院選より前、早ければ来月にも総裁選が実施されるでしょう。それにしても政治資金問題に国民がピリピリしている中でこんな金券配りするなんて、ここまで無能だとは私も想定していませんでした。悪いことは言わないからどっかで学びなおしてきた方がいいのではないかとすら思います。

2025年3月13日木曜日

責任を放棄しても特権を手放さない米国

まず一つ目の背景としては、戦った人たちが幸せになれないというスパイダーマンならではの設定があげられる。スパイダーマンはアメリカの比喩だから、これは要するにいくら戦っても、悪を退治しても幸せになれないアメリカ、ということになる。
 もっといえば、正義のために戦ってもいつもひどい目にあう主人公ピーター・パーカーは、湾岸戦争やイラクからの帰還兵の多くがPTSDになっているという、厳然たる現実を思い起こさせる。日本人はそうでもないだろうが、一定年齢以上のアメリカ人なら、これはきっと脳裏をよぎるはずだ。

 上の文章は映画評論家の前田有一氏が「スパイダーマン ノーウェイホーム」の批評から引用したものですが、自分もこの意見に同感であるとともに、米国を見るうえでなくてはならない視点だと思います。
 米国としては世界中で戦争をしてはいるけど、それは世界警察としての立派な役目であり、ほかの国からも感謝されるという意識がかつてあったと思います。しかしターニングポイントとなったのはイラク戦争で、フセイン政権を崩壊させて新政権を樹立したもののうまくいかず、結局はベトナム同様に完全撤退する羽目になりました。しかも前田氏が書いている通り多くの兵士の人命が失われたばかりか、帰ってきた兵士も「アメリカン・スナイパー」や「キャプテンアメリカ ウィンターソルジャー」(←マーブル作品の中で一番好き)で描かれたようにPTSDとなった上、諸外国からは「間違った戦争だった」と非難される始末でした。

 そうした経験から、米国人自身も世界の安定や平和維持に米国が率先して血を流すことは必要なのかという疑問を、感覚的には2010年あたりから持ち始めているように見えます。かつてのモンロー主義のような価値観を現トランプ政権は主張していますが、これはトランプ大統領が主張しているというより、少なからぬ米国人自身がそのような希望を持ち始めており、それにトランプ大統領が乗っかったというのが実情じゃないかと思います。

 そんな具合で誕生したトランプ政権ですが、ウクライナやイスラエルの対応を見る限りだと世界の平和維持どころか、安全保障すら放棄したいという考えが見られます。要するに、紛争が起きても「自分たちでどうにかしろ。和解の仲介を依頼するなら手土産を用意しろ」的な価値観で、これは前述の通り決してトランプ大統領自身の価値観というより、米国全体の大きな方針であるようにも見えます。
 確かに米国はこれまでに多大な血と汗を流しており、またイラク戦争もあってこれ以上紛争に係わりたくないというのも理解できるのですが、そうした世界秩序の維持を放棄する一方で、これまで同様、いやこれまで以上に諸外国へ要求を突き付けてくることから、色々おかしくなってきているというのが現状だと思います。

 曲りなりにも世界秩序、とりわけ西側の自由主義陣営に安全保障を提供していたからこそ、日本を含む各国は米国の時に理不尽な要求にも受け入れてきたわけです。しかし安全保障の責務を放棄しながらもグリーンランドをよこせだとか米国本土に投資しろなどとこれまで以上に激しい要求をしたところで、言うこと聞く国はかつてほどはいないでしょう。
 実際、このところ欧州は米国抜きでの安全保障を模索しており、フランスの国際的地位が顕著に上昇していますが、不況にあえぐドイツも軍需産業が盛り上がることで恩恵があることから仏英の流れに乗るのではないかと思います。日本もこのままでいいのかという懸念が大きくなっており、そういう意味では次期主力戦闘機の開発パートナーが米国ではなく英国であったのは僥倖だったかもしれません。

 そうした背景もあって、まじめに日本も外交の転換期に入ってきているような気がします。これまでは米国に大きく依存する体を取ってきましたが、その米国自身が日本に対する安全保障に茶々を入れてくる有様であり、また中国も圧迫を強めていることから、色々と懸念が大きくなっています。
 ただ仮にロシアを仮想敵国とするなら、日本もNATOに入る価値はあるのかもという気もしません、仮にロシアがNATO諸国に侵攻した場合、日本も対ロシアに協力、時に参戦するという条件ならば、NATO側としても大歓迎する条件だと思います。あの広大な領土でロシアが二面作戦採れるはずもないし。

 無論、その分戦争に巻き込まれる恐れもありますが、何もしなくても戦争に巻き込まれたのが今回のウクライナであることを考えると、やはり何かしらの備えは必要ではないかという気がします。仮に米軍が日本から撤退する場合などのシミュレーションも必要ですし、場合によっては中国側に通行権を認める(中国が米国と戦争する場合に日本は一切関与しない)など便宜を図ることで紛争回避を図るという手段も考えられます。こうした様々な状況を想定した外交のデザインだけでも、今のうちに持っておく必要があるかなと思う次第です。

2025年3月10日月曜日

コロナ以上の観光業不況はもう来ない

 前にも書いていたかもしれませんが1月に九州地方を旅行している最中、外国人観光客が明らかに増えているのを見て何気なく旅館の女将に「外国人増えてますが景気はどうですか?」と尋ねたところ、「あのコロナの頃に比べたら……」と、今でもはっきり記憶に残っているくらい悲しそうな顔を浮かべました。コロナ流行期に観光業が大きな打撃を被ったことは報道でもちろん知ってはいましたが、やはり当事者たちからすれば報道以上に苦労を受けていたことは間違いなく、その一端を見たような気がしました。

 もちろん青の頃には政府も対策に動いており、雇用助成金をはじめ多くの支援が行われていました。私は当時、確かにこうした支援は必要ではあるもののやや観光業に偏り過ぎていないか、もっと他の産業にも分配したらどうかという印象を覚えており、確かこのブログにも当時書いていました。しかしこうして当事者の声を聴いてみると、ややちょろいと感じますがやはりあの時に観光業を支えて正解だったのかもと考え直すようになっています。
 少なくともあのコロナ期を日本の観光業が生き残ったおかげで今日の観光産業発展があるわけであり、あの頃の支援というか投資は無駄にはならなかったといえるでしょう。

 その上で今後に関してですが、私はかねてからアトキンソン氏のように日本の観光立国化を進めるべきだと考えており、観光業の強化は今後も必要だと考えています。前回記事でも触れましたが観光業への投資であればマネーの海外流出は起こらない上に、製造業と比べても雇用吸収力が観光業の方が高く、極端なことを言えば技術的素養も必要なくすぐ雇用可能という点でも製造業以上じゃないかとみています。

 ただ製造業と比べると観光業は景気の変動を受けやすいと指摘されます。この点に関しては私も同感で、ちょっと不況や何かしらの事件による風評被害が起こると観光業は確かにダメージを受けやすいです。もっともこの点に関しては製造業にもなくはなく、極端なオンリーワン技術とかなら別ですが、製造業も為替の影響を受けやすく、景気変動の影響を受けないわけじゃないです。
 その上で観光業についてもう少し述べると、少なくともいえることとしては、あのコロナ期以上の不況はよほどのことがない限り今後数十年間は起きないと思います。あのコロナ流行はまさに未曽有の大災害と言ってもいい時期で、あの時期を乗り越えた今の日本の観光業関係者は進撃の巨人で言えばシガンシナ区住民のようだといっても過言ではないでしょう。

 おそらくコロナ期には旅行会社をはじめ多くの観光業関係者が淘汰されたかと思います。ただ結果的には非常に力のある観光業企業のみが生き残っており、だからこそ今現在の観光業の盛り上がりを支えていられるんだと思います。前述の通りコロナみたいな自体はそれこそ戦争でも起きない限り自分の生きている間はもうないと思え、あの時期を乗り越えたんだから景気の変動くらいへっちゃらとまではいかずとも、日本の観光業関係者はきっとまた乗り越えられると信じています。

 その上で今後についていえば、もはや日本国内で観光業の競争が始まっているような状態じゃないかと思います。おみやげ品の開発や流通、宿泊施設のキャパ、誘致できる観光資源など、日本の地域ごとに観光客を奪い合う時代がもはや始まっており、下手に国際競争するより国内競争を通して日本の観光業の実力をさらにスリム化、強化していく必要があるでしょう。

 個人的な経験で述べると、今回回った九州はどこも地元名産はいい具合にお土産製品化しており、そのあと関西に行ってお土産屋を見てもこれはと思うパッケージや製品をあまり見ませんでした。地味に九州の人たちはお土産開発能力が高いように見え、ほかの地域も九州の人のように創意工夫して商品開発力をつけていくべきじゃないかと思います。
 っていうか熊本が何でもかんでもくまモンつけてお土産作るのはずるいと思った(´・ω・)

2025年3月9日日曜日

観光産業勃興によって初めて活きるゼロ金利政策

 自分でも思うところありますがほぼ常に何かしら考えていて、歩いている最中も本当にどうでもいいことを何か考えてたりします。先日もそんな感じでエスカレーター乗ってる最中に、「そうだ、観光産業が盛り上がってきたからこそ今日本でゼロ金利が効くようになったんだ」と思いつきました。

 かつてこのブログで私は、平成期にゼロ金利政策が行われながら実質的に日本国内の経済循環というか投資促成にはあまり効果を果たさなかったと主張しました。というのも平成中期から日系企業、特に製造業は中国をはじめとする国々への海外進出を重視するようになった、というより日本国内市場が成長しないので日本国内には投資せず、ゼロ金利で得た融資の大半を海外に投資していました。
 そのためゼロ金利で企業は確かに融資を受けるものの、受けた融資は国内には流れず、ほかの国に投資されて現地での雇用拡大にしかつながらなかったという見方です。まぁその投資で得たリターンこと配当金は日本本社に回ってくるので全くのマイナスというわけではないですが、そうして得た配当金も大体ほかの国の投資に使われてたでしょうが。

 以上の分析からゼロ金利政策はグローバル化された現代においては景気浮揚に対しあまり効果がないのではと考えていたのですが、これは日本経済が製造業中心だったからこそ起こった話で、そうじゃなければ効果あるのかなと最近思うようになってきまいた。何が言いたいのかというと現在、日本の主力産業はマジで転換しつつあり、観光産業がかなり大きなウェイトを占めるようになってきています。
 さすがに自動車産業にはまだ追いついていませんが、エレキと比べるならあっちは全く成長性がないのに対し、観光産業はまだ成長性もあるうえ、雇用吸収力も絶対的に高いことから、もはやエレキ以上に観光産業は日本にとって重要だと考えます。

 その上で先ほどの話に戻りますが、製造業と違い、観光産業の投資対象は日本国内にほぼ限定されます。海外への投資に使うとしたら現地旅行代理店などの拠点くらいなもので、9割以上は宿泊施設や運送手段などの整備に使われ、それがそのまま雇用拡大にもつながります。その点で言えば、投資を促すためのゼロ金利政策が日本国内へダイレクトに使われる意味でも、観光産業が盛り上がってきた今になって初めて効くようになったように感じます。
 これは逆を言えば、景気拡大をする上ではやはり国内にどれだけ投資を起こすかが重要で、先ほども書いたように海外進出というか海外に投資が使われる産業を応援してもあまり意味がないのかもしれません。先ほど書いたように確かに配当金収入は手に入りますが、少なくとも海外投資では雇用拡大にはつながらず、失業者対策には効果がないどころか、今の自動車産業のように国内産業の空洞化を招くかもしれません。

 言いたいことをまとめると、金利優遇政策は国内投資に限定させること、または観光業のように国内にしか投資できない産業に限定させる方がいいかもしれません。観光業以外だとインフラなど建設産業もありますが、こっちは外貨獲得には貢献しないため、優先度で言えばやっぱここでも観光業となるかもしれません。
 もっとも観光業は景気の影響を受けやすいというデメリットがあるという人もいるかもしれませんが、この点についても思うところがあるのでまた次回にでも。

2025年3月7日金曜日

シーマ様とバラライカは共通点が多い?

 以前に「評価が大きく逆転したガンダムキャラ」という記事を書きましたが、この中でガンダムの0083に出てくるシーマ様ことシーマ・ガラハウという悪役の人気が年月とともに上昇し、今や「悲劇のヒロイン」の如く高い人気を持つに至ったことを書きました。この傾向は今も変わらず、関連解説記事を見ると彼女の魅力について延々と語る人もいれば、公式の外伝作品でもどんどん過去情報が補完されているようで、ガトーをはじめほかの0083キャラが語られなくなりつつある中でシーマ様のみうなぎ登りしている感すらあります。
 まぁニナ・パープルトンもいまだに語られることが多い気がしますが、悪い方で。

 そんなシーマ様ですが、この前解説記事を読んでいる最中にふと、「あれ、なんかキャラ設定がバラライカと同じじゃね(。´・ω・)?」ということに気が付きました。バラライカというのは漫画「ブラックラグーン」に登場するロシア系マフィアの女ボスで、この作品屈指の人気キャラであるとともに「統制された暴力」という本作品のテーマを代表するようなキャラです。
 なおアニメでは小山茉美氏が声優を演じていますが、作品を視聴した人は誰もが口を揃えて「これ以上のはまり役はない」と言い切るほど、イメージと声が合ったキャラとなっています。実際、私も初めて視聴したときに「あ、バラライカの声だ(´・ω・)」と思いました。

 話を戻すと、シーマ様とバラライカには下記の共通点が存在します。

・元正規軍人だが、色々あって軍を追放された
・元部下たちを養うために海賊(マフィア)業に身を落とす
・部下たちからはめっちゃ信頼されている
・性格がキツイ
・身長がデカい
・身内に優しいが敵には滅茶苦茶容赦ない
・軍人時代の体験がトラウマ

 ざっとこんな感じですが、キャラ造形的にはほぼ同一背景を持ったキャラであるように思えます。もちろんどちらかがパクったというわけではなくたまたまそうなったとはっきり言えますが、逆を言えばこうしたキャラ設定は読者の人気を得やすいのではと思う節があります。

 実際、どちらもありきたりな美少女キャラとは程遠いキャラクターながらかなりの人気を得ており、本編外で外伝作品がいくつも作られるなどキャラの深堀が公式、ファン層ともにかなり盛んです。ではその人気の源泉は何かというとやはり先に上げた「身内に優しいが敵には滅茶苦茶容赦ない」という要素が特に大きい気がします。

 こう考えるのもかつて中東のテロリストの親玉がインタビューにて、「キツめの女が一人いると、組織というのはバシッとする」ということを話しており、何となくシーマ様とバラライカを見ていると「そうなんじゃないかな」と感じさせられるというか説得力を覚えます。それ以上に、小悪党的なポジションに落ちぶれてでも部下を食わしていこうとする世話焼きなところが、キツめの性格といい感じに組み合わさって「あ、この人なら支えてあげたい」的に思わせるんじゃないかと思います。

 ただ、こうしたキャラはメインヒロインのポジションに置くことはできないでしょう。あくまで登場キャラの一人としてこういうキャラがいると作品も映えるんじゃないかと思います。そういう意味では創作において上記設定は結構有用なキャラ設定となりうると思うわけです。

 にしても最近のシーマ様は女子高生姿が描かれたりとかはっちゃけてるな。漫画の「アラサーOLハマーン様」とかでもシーマ様出てこないかな。