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2009年7月24日金曜日

思考力を鍛える教育

 私が小学生だったころはちょうど詰め込み型教育からゆとり教育へとゆっくりと舵が切られている頃だったので、教育関係の議論となると今日のタイトルになっている「思考力を鍛える教育」が必ず出てきました。当時は詰め込み型教育だとパターン的な思考ばかり育って応用的な力が身につかず、たとえ計算力などの力を多少落とすことになるとしても想像力を育てようなどとと、思考力を鍛える教育法が持て囃されていました。
 しかし当時からそうでしたが、一体どんな教育が想像力を鍛えることとなるのか、どんな教え方が効果的なのかということについてはきちんと検証がなされないまま、適当な教育関係者がそのような教育法を提唱する傍から一時のブームで終わっていき、現在に至っては想像力はおろかまともな学力すらおぼつかなくなってきたので前ほどこの言葉を聞く回数が減ってきたように思えます。

 では結局、どうすれば人間の思考力は鍛えられるのでしょうか。まず基本的なこととして数学や国語、あとできれば理科社会といった基礎学問の知識が私は絶対に必要だと思います。物事を考えるのに最低限の知識は絶対に必要で、逆に知識なしでどうやって応用的な思考ができるのかこっちが聞きたいくらいです。先ほどの詰め込み型教育とゆとり教育については、私は高校生までは余計なことを考えずに基本の知識を身につける期間だと思うので、やっぱり詰め込み型教育に越したことはなかったと思います。

 そうして基礎的な知識を身につけた後はどうするかですが、ひとつ思考力を鍛える教育について参考になる事例があるのでまずそれを紹介します。その教育例というのは江戸時代の薩摩藩で行われていた「郷中教育」での教育方です。
 江戸時代に薩摩藩では青年が少年を、成人が青年を地区ごとに指導する郷中教育というものがが武士の間で行われていました。指導内容は体を鍛えるものもあれば論語を教えるのもあって当時としてもなかなか厳しかったそうなのですが、中には禅問答のようにいろいろな質問をして回答を聞くものもあったそうです。ひとつここでその問いを紹介するので、折角ですから皆さんも考えてみてください。

「ある時、命の危ういところをある武士に救ってもらった。しかしその男は実は親の仇だった。さてこんなときにどうするべきか?」

 見てわかるとおりにこの問いには明確な答えは存在せず、私も何度か友人にこの問いをぶつけてみたのですが、やはり千差万別でみんなそれぞれの答えとその根拠を出してきてなかなか面白かったです。明確な答えは存在しないものの模範解答というものはありまして、その回答内容というのは、

「礼を言って、斬る」

 というものでした。これは私の解釈だと、薩摩武士なりの「恩は恩、仇は仇。決して混同してはならない」という精神を教える問いだと思うのですが、こうした教育こそが私は思考力を鍛える教育だと思うわけです。
 私は究極的には思考というものは、「何を優先するのか」という優先順位をつける行為に行き着くと考えております。何がどのような過程を経て、何を根拠にそれが選び出されるのかという過程こそが思考を指し、またそれを擬似的に行うことが思考力を鍛えることとなると思います。この場合、思考と言うよりは判断と言い換えた方がわかりやすいかもしれません。

 先ほどの問いについて薩摩武士の思考は、「恩も仇も何よりもまず優先して行うべき行為」と考えるわけですが、以前に私がこの問いをしてみた友人は「恩の方が大きい」として仇を忘れると答えましたが、それはそれで恩を優先するという思考があったのでしょう。
 よく思考力を鍛える教育として明確な回答のない問題を与えるというものがありますが、与えるだけでなくどうしてその回答に至ったのかという過程や根拠をできれば集団でお互いに説明し合い、他人は何を優先してそう答えたのかと、何が優先順位として高いのかを考えることが結果的には思考力を鍛えることになると思います。

 今回例に出した問いでは恩と仇のほぼ二択ですが、長い人生で見れば進学から就職、結婚相手からレストランのメニューまでたくさんの選択肢の中から一つに決断しなければならない場面がたくさんあります。そうした事態において「何を選ぶのが自分にとって一番いいのか」とばかりに、優先順位付けがうまくいくならそこそこ人生を渡りきることができるんじゃないでしょうか。

2009年7月23日木曜日

2005年のヴァンフォーレ甲府のJ1昇格の感動

 なんかもう大分古い話になってしまうのですが、2005年のあるサッカーチームの話を今日はわざわざしようと思います。そのチームというのも、山梨県のプロサッカーチームであるヴァンフォーレ甲府についてです。

 このヴァンフォーレ甲府というチームは元々有志の人間らによって設立されたクラブチームで他の多くのJリーグのチームと違って特定の企業がスポンサーとして初めからついていたチームではなかったために、J2が発足した際にリーグに加入したもののほぼ慢性的に経営難の状態が続いていました。しかもそんなチーム状態ゆえに優秀な選手を集めることもできず試合でもありえないくらいに敗北を重ね、J2加入から三年連続で最下位で終わってしまうなど絵に描いたような弱小駄目球団でした。そんなんだから観客もほとんど来ず、ウィキペディアによるとなんでも一試合の観客動員数が三桁に留まったこともざらだったそうです。

 それゆえにこのまま赤字を垂れ流すのならばこの際解散するべきではと、一時は存続すら危ぶまれた時期がありました。その時のことについてもウィキペディア内の記事でよく取り上げられておりますが、有志のサポーターたちがこの経営危機の際に署名活動などで必死になって存続運動を起こし、そうしたサポーターらの行動がきっかけとなってそれまでそっぽを向いていた山梨県の人たちも徐々に球場にに足を運ぶようになり、山梨県や甲府市が存続のために球団に化した条件(かなり厳しい内容だったが)もなんとすべてクリアして存続することができました。
 それからは地元からの協力体制がしっかりと築かれただけでなく大企業もスポンサーに続々と名乗りを上げ、何故だかプリンセス・テンコーまでもがスポンサー入りして大幅な債務が未だ残っているものの経営状態が大きく改善し、それに合わせて球団も毎年徐々に成績を上げていきました。

 そして来る2005年、当時のJリーグはJ2の年間成績で1位と2位のチームが自動的にJ1の最下位、準最下位のチームとリーグが入れ替わり、さらにJ2の3位のチームとJ1の下から3番目のチームは入れ替え戦を行って先に二勝したほうがJ1に残るという入れ替え戦方式でした。この2005年、ヴァンフォーレ甲府はリーグの最終節においてその年にそれまで一勝もできないほど苦手としていた、すでにJ1昇格を決めていた京都パープルサンガを見事に破り入れ替え戦に望み、選手の年棒額に明らかに大きな差のあった柏レイソルとの入れ替え戦に望みました。
 誰もが社会人サッカー時代からの名門チームであるレイソルの残留を予想する中、結果はなんと二戦連続でヴァンフォーレ甲府が勝ち、一時は存続まで危ぶまれたこの球団がJ1に昇格を果たしたのです。

 私はこのニュースが流れた当時に中国に留学中でしたがインターネットでこのニュース知り、またその際にサポーターたちが存続運動を行っていたということも知ったので素直によかったなぁと思いました。さらにその後、下記のフラッシュを見てなおさらその気持ちが強くなりました。

AA Jリーグ2005(U-KS Loggin')

 もう作られてから大分経つフラッシュなのですが、今でも折に触れて見るたびに涙が止まらなくなることがあります。
 残念ながら現在このヴァンフォーレ甲府は現在J2に落ちてしまっているのですが、あまりJリーグに詳しくなくて試合もほとんど見ない私ですが、陰ながらヴァンフォーレ甲府の再昇格を応援している次第であります。

2009年7月22日水曜日

民主党の学費補助の公約について

 あっちこっちでニュースになっているので、私も例の動画を見てみました。

自民党ネットCM プロポーズ編(YouTube)

 上記にリンクを張った動画の内容はというと、プロポーズの場面に合わせて明らかに鳩山由紀夫氏を模したキャラが相手に何でも約束するのですが、その約束を実行する裏づけがないというオチで、暗に民主党を揶揄している動画です。なかなか民主党の痛いところを突いていて動画自体の質は悪くないのですが、日本人は国民性ゆえかこういった相手を卑下して自分の優位を主張するCMことネガティブキャンペーンに対して逆に嫌悪感を持つことが多く、現実にこれまでにこの方法が日本で成功した例はほとんどありません。そういうわけで私もやっぱりこのCMは逆効果のほうが大きいと思うのですが、広告業に携わる人間なら誰でも知っているのにどうしてこんなものを作っちゃったのかの方が気になります。誰が入れ知恵したんだろ。

 またそうやって民主党が公約に掲げている大盤振る舞いの内容に実現性はほとんどないと批判する自民党ですが、こっちはこっちで昨日に解散するということが一週間前からわかっていたにも関わらず選挙後にどのような政策を行うか、何を公約とするのかを今日に至るまで一切全く掲げておりません。元々なにも具体的な政策を持っていないのが麻生政権の特徴でしたが最後の最後までこの始末では小泉元首相の影というか、前回郵政選挙にて掲げられた政策を見ることに慣れた有権者を納得させるのは相当難しいでしょう。
 とはいえ、やっぱり私から見ても民主党の公約は七割方実現は不可能だと考えております。言うなれば自民党と民主党は、「何も掲げる政策がない」か「できるわけがない政策しか掲げない」の違いだけだと思います。そういう意味で次回の選挙はどれだけ役にも立たない自民党の老人らを引き摺り下ろすかに意義のある選挙ではないかと、内心考えているわけです。

 ただ民主党について言えば、無理だとは言え政策を掲げるだけは自民党よりはマシかもしれないと思うところもあります。政策実行のための財源がないのを歳費の無駄を省くことで埋め合わすと主張していますが、最低限その無駄撲滅に取り組もうとするだけでも全く取り組もうとしない自民に比べればマシで、またその過程で官僚改革もわずかながら期待するところもあるのですが、そんな中で私が今現在で民主党が掲げている公約の中で特に疑惑の目を向けている、やろうとすること自体我慢ならない公約がひとつあります。その公約というのも、高校の学費無料化を筆頭とした学費補助です。

 この点なんかを自民党も「そんなのできっこない」と激しく追求しているのですが、現在民主党は政権をとった暁には来年度から公立高校の学費をすべて国負担とし、また私立高校の生徒らにも一律で教育費を配ると主張しています。確かに教育にお金をかけること自体は間違いではなく立派な志だと思うのですが、私が何でこれにここまで食いつくのかというと、あまり真面目に勉強しようとしない生徒にも国がお金を出してしまう点です。
 これなんか私の体験ですが、大学時代に奨学金をもらっているにもかかわらず授業にはほとんど出席せず、毎日遊びほうけている学生が周囲にたくさんいました。聞くところによると最近は不況の影響もありますが借りた奨学金の返済が滞っており、育英会も文字通り首が回らなくなってきたとまで言われております。どうして勉強する気もないのに大学に来るのか、しかもお金を第三者から借りてまでと、今でもそのような学生らには理解に苦しみます。逆に私なんか毎日授業に来るもんだから、「不倒の花園」とまで言われてたんだけど。

 聞くところによると最近は高校の生徒でも勝手に授業をサボったりする輩が増えているといい、また勉強をほとんどしなくても前ほど留年を出さなくなったので卒業できてしまうとも聞きます。仮にそんな授業をサボってばかりの生徒にも一律に教育費の補助を出すというのなら、納税者の側からするとどうにも納得いかない気持ちになります。
 それであれば一定の出席率や成績を出すことを条件にして、真面目に勉強しようとする生徒らに対して返済義務のない扶助方式の奨学金を設けた方がずっと理に適っている気がします。元々欧米の奨学金は日本の貸与方式ではなくこの扶助形式が主で、日本には逆に少ないと言われてきていました。それをこの気に民主党が一律なんて馬鹿なことしないで設けるというのなら、まだ評価するのですが。

2009年7月21日火曜日

北京留学記~その七、交通

 大分日が空いてしまいましたが、連載中の北京留学記です。今日は中国に行く人も行かない人も知っといて損はない、北京市の交通事情について解説します。最初にいきなり書いてしまいますが、北京市の交通事情は現地人ですらはっきりと「非常に悪い」というくらいで、お世辞にも住み易い交通だとは言いがたいです。

 恐らく私くらいの年代の日本人ならば、北京の交通と聞いてすぐに天安門広場を大量の自転車が通り過ぎる風景を思い浮かべるかと思います。私が小学生くらいだったころは中国といったら自転車大国と言われ、老いも若きもみんなして自転車に乗ってはなんちゃって超人集団が十人乗りとかしている場面がよくテレビに映っていました。
 しかし残念ながらそのような風景はすでに過去のもので、現在の北京では全くいないわけではないのですが自転車乗りはもうほとんどいません。ではかわりに北京っ子は何に乗って移動しているのかというと、これなんかは日本でも時たま報道されていますが四輪自動車です。

 日本も速度的には異常なほど早くモータリゼーションを達成しましたが、中国での普及はその日本の速度をはるかに超えて現在の北京市は道路を埋め尽くさんばかりに毎日自動車が走り回っております。そのため自転車はおろかオートバイクのような二輪車だと車道に出ると明らかに危なく、現実に毎年中国全土でおびただしい数の交通事故死者を出しております。そのような環境ゆえに自転車は自然と廃れ、私も琵琶湖一周をやってのけるくらいに自転車好きですが向こうでは危ないと判断して結局ほとんど乗らずじまいでした。なおオートバイクについてはやはりそのような環境ゆえか、北京市では運転については厳しく制限されております。

 それくらい氾濫している四輪自動車ですが、これがしょっちゅう渋滞を起こす程度ならまだ我慢ができるのですが、問題なのはその自動車乗りたちが初めから交通ルールを守ろうとせずに赤信号だろうとなんだろうと隙があればどんどんと飛び出してくる点です。中国に行った事のない人なら信じてくれないかもしれませんが向こうは赤信号になっても平気で発進させてくるので、青信号だからといえども歩行者は安心して道路を渡れるとは限らず、なかなか渡り出せずに信号がまた元に戻ってしまうこともざらでした。
 では歩行者はどんな風に車道を渡るかですが、ここはやっぱり度胸が物を言います。それこそ車より先に自分が車道に飛び出し、「そのまま来たら俺をはねちまうぞ。それでもいいのか?」と、向かってくる自動車に視線を向けて無理やり止めて渡ります。なので中国でのこのやり方にすっかり慣れた私は日本に帰国した直後、信号のない車道での横断時に周りから飛び出しすぎだとよく怒られました。最も楽なのはほかの中国人が先に飛び出して車が止まるのをみて、それによって動き出す周りに合わせて横断するという人海戦術のやり方ですが、やっぱり一人で渡るときは最初から最後まで常に怖かったです。

 そんなんで車だろうと自転車だろうと歩行だろうと立っているのすら怖い中国の道路事情ですが、先にも述べたようにあまりにも人と車の数が多いもんだからすぐに道路は渋滞します。その分地下鉄は日本ほど正確ではないものの時間通りに来てくれるので助かるのですが、ここはやっぱり中国で、朝から晩まで延々とラッシュが続いているためにただ地下鉄に乗るのすら体力が要ります。おまけに地下鉄の駅沿いに住居や目的地があればいいのですが北京市は私がいたころよりも整備されてはいますが、まだ地下鉄網が完備されているとは言えず路線網から外れた地域も少なくありません。そういったところへの庶民の交通は路線バスで補完されているのですが、これがまた地下鉄以上に体力の要るもので、狭い車内がすぐにぎゅうぎゅうになるだけでなくしょっちゅう渋滞するために急発進と停止が繰り返され、24時間あのバスを乗り続けられるというのなら相当の剛の者だと思っていいでしょう。

 バスの料金は基本的に一元(地下鉄は三元)で非常に安く、また行きたい目的地の近くまで乗り継げば大体どこでも行けるので使いこなせば便利なのですが、やはり時間帯によっては相当な覚悟を必要としました。そんなバスですが私が留学していたころは社内で乗員のおばさんに一元を渡して切符を買うというシステムだったのですが、2007年にまた訪問した際には日本のSUICAやICOCAのようなICカードがいつの間にかできており、中国人がみんなでパッとしてピッと乗っていたので非常に驚かされました。実際にぎゅうぎゅうの車内だと切符を買うのにも一苦労だったので、私は利用しませんでしたが相性のいい組み合わせだと思います。

 そんな感じであまりいい思い出のない北京の交通事情ですが、なぜだかあの頃の窮屈さが時々懐かしくなってしまうことがあります。こういう灰汁の強さが中国なんでしょうが。

ネイキッドカウボーイ、NY市長選に出る

「裸のカウボーイ」市長選へ=NYの名物男、現職に挑戦-米(時事ドットコム)

 前にも私が取り上げたあのネイキッドカウボーイが、なんと今度はニューヨークの市長選に出るそうです。本人は「市政の透明性を高める」と主張しているそうですが、あんたがこれ以上透明性を高めたら大変なことになると思わずにはいられなくなるニュースです。

 最近まじめなことばかり書いていましたが、こういうニュースを嬉々として書くあたりはまだ私も捨てたもんじゃないなと思います。
(*´ー`) フッ

2009年7月20日月曜日

東国原知事の出馬騒動の顛末について

 都議選を控えた先月末から今月はじめより、東国原宮崎県知事の次期衆院選の総裁選出馬騒動ががどの局でも大きく取り上げられていました。私もこのブログにて騒動が起こった当初、「東国原知事の出馬要請に対する返答について」の記事にてこの騒動を取り上げていますが、私はその時点で東国原知事は敢えて無理難題ともいえる要求を自民党に言って遠回しに要請を断るつもりなのだろうと考えていたのですが、その後も古賀選対委員長(当時)が交渉を続け、また東国原知事の方も会談に応じるなどこの騒動はなかなか終わらずにいました。

 結果からいうと私が当初に主張した「遠回しに断る」というのは間違いだったことになるのですが、多少の言い訳をすると東国原知事に最終的に出馬を断念させた北野たけし氏も当初は私と同じような見方をしており、問題だったのは総裁選に出させろという無理難題に対して古賀氏が思った以上に食いついてしまって交渉を続けたことだったと述べていました。おそらく北野氏の見方は、当初は東国原知事が遠回しに断ろうとしたところを自民党が思った以上に相手してくれたので、これならいけるかもしれないと色心を出したのが騒動が延々と続いた理由ではないのか、といったような見方で、終わってみれば私もそんな気がします。

 しかしその一方、東国原知事が初めから今回の自民党の総裁選候補にさせるという要求が自民党に通ると思っていた節も一概に否めません。元々東国原知事はかねてより国政転身について言及しており、本人としたら知事で政治人生を終えるつもりがないのはほぼ間違いありません。折も折で自民党が下野する可能性を秘めて大きく政界再編が予想される現在、そんな混乱の折に一気に頂点まで上り詰められるかもしれないという野望を持ったのかもしれません。もしそうだとすると、東国原知事には大きな過信があるということになります。

 東国原知事はこの騒動のさなかに何度も、「国民の信頼を得ているのは自分だ」とする発言を繰り返しており、それこそ要求すべてが通って自分が総裁になればまるで自民党が次回選挙にも勝てるかのような発言までしておりました。しかしこの騒動中の各種アンケートでは国政転身について任期途中で辞任させられる宮崎県内において反対が八割近くを閉めただけでなく、全国のアンケートでも「理解できない」とする回答がどこも過半数を占めていました。
 こうした調査が公表されるにつれて露骨に東国原知事もトーンダウンしていき、最初の勢いはどこ吹く風とばかりに弱気になり、最後は北野たけし氏に出馬を引き止められたことを理由にして幕引きを図りました。

 今回の騒動を見て私が感じたのは、思っていた以上に東国原知事は甘い見通しを持つのだなということでした。結果からいえばこの騒動が自民党の都議選に与えた影響は少なくなく、もしなければまだあと一人や二人は自民党出馬の候補が受かっていたように思えます。それほどまで国民から冷たい目で見られていたにもかかわらず本当にうまくいくと思ったのか、これまではそこそこ評価していましたが今後はちょっと考え直さざるを得ません。
 政治家に限るわけじゃないですが、すこしちやほやされたことですぐに浮かれないというのは人間として大事な部分です。

2009年7月18日土曜日

何故若者は結婚しないのか

 少子化問題特集シリーズも三回目で、これでようやく完結です。まずはこれまで通りに今までのおさらいですが、前々回の「日本の少子化対策の問題点」の記事で私は日本の少子化の原因として日本人の未婚率の増加が問題ではと分析し、前回の「少子化問題と若者問題」記事で未婚率の増加は現在の日本の若者の置かれている不安定な雇用環境に代表される経済的影響が強く及ぼしているところがあり、いわば少子化問題は若者問題と同一線上にあると分析しました。しかしその一方で出産はともかく文化的要素の強い結婚にまで経済的影響が強く及ぼすのかという疑問もあり、では何故日本の若者は結婚をしなくなったのか、そしてどうすれば結婚するようになるのかということについて私の考えを紹介します。
 最初に結論を言えば、私は経済的影響は実際は言われているほど大きな要因ではなく、若者が結婚をしなくなったのは意識的な要因の方が断然大きいと考えています。そしてその結婚しなくなる意識を作っている主犯はマスコミだと睨んでおります。

 これはもう五年くらい前の話ですが、前東京財団会長の日下公人氏が雑誌上にてこんなことを書いていました。

「昔あるアメリカの学者が、テレビの画質が高画質化するにつれて婚姻率は下がると主張したことがあった。この発言の意図する意味とは視聴者が高画質のテレビを通して容姿の美しい異性の役者や芸能人を見慣れることによって、実際に周囲にいる異性に美を感じられなくなってしまうからだという」

 こう前置きをした上で日下氏は、現実に日本でも婚姻率の現象と共に少子化問題が起こっているので、ここは一つこの問題を解決するためにテレビ局などのマスコミに協力してもらって美形の芸能人の露出を控えてもらってはどうだろうかと冗談めかして主張していましたが、案外的を得ているようにも思えます。ドラクエでいうなら「けんじゃ」に慣れてしまうと「まほうつかい」はもう使えなくなるように、やはり芸能人に見慣れてしまうと現実にそこらにいる異性の容姿では物足りなくなるのもごく自然でしょう。

 こうした容姿の見方の偏りもさることながら、これなんか私も力を入れて以前に「男女が異性に求める理想像のすれ違い」の記事で書きましたが、異性へ持つ理想像と同性像の歪みも見逃せません。詳しくはリンクに貼った前の記事を読んでもらいたいのですが、各マスコミが「こんな風にすると異性にもてるよ」と言っては自分たちのマーケティングに合った適当な同性像を提供するために、異性からすると決してモテるわけでないファッションや振る舞いが流行してしまうことが過去から現在に至るまで多々あります。

 実際に私の視点からしても、別になんか恨みがあるわけじゃないけどどうして浜崎あゆみ氏や倖田來未氏のファッションが女性に持て囃されたのか未だにわかりません。はっきり言ってこの二人のファッションは見た目にもそれほど美しいと思わないし、振舞い方についても浜崎氏の「あゆは~」って自人称にむしろ引いてしまいます。じゃあどんなのが好みかって言ったら私は井上和香氏と多部未華子氏が好みなのですが、何故この両極端な二人が一緒に挙がってくるのか自分でも不思議です。

 それはともかくさらにこうしたモテるであろう同性像の歪みに加え、こっちは贅沢になったというのか分を知らないというのか、相手の異性に求める桁外れな高望みも未婚率に大きく影響しているでしょう。
 特にこれが激しいのが女性が見る男性相手の年収で、このところ世の中に流布しているという「婚活」の特集番組などを見ると、30代くらいの女性の方が平然と結婚相手に求める年収として1000万円以上を主張する方を見たりします。前にも一回書きましたが、少し古いデータ(2003年頃)では年収一千万円の世帯割合は全体の5%弱で、20代や30代でそれほど稼ぐ人ととなるとそれこそホリエモンみたいなの、って言うとちょっとひどいですがそれくらいしか残らなくなります。データを知らないにしてもそれくらい現実離れしたハードルを交際相手に平然と課してしまうのも、結婚情報誌とか週刊誌とかで適当な情報を流しているマスコミの影響だと言わざるを得ません。

 上記のような意識に及ぼす影響こそが現代の若者を結婚から遠ざけてしまう主原因だと私は考えており、これらすべての作為者であるマスコミが少子化を産んでいると睨んだわけです。
 原因がわかったところでじゃあどうすればこの少子化ならぬ未婚者の増加を止めれるのかですが、やはりマスコミのこの様な行為を規制するのが一番でしょう。それこそ最初に挙げた日下氏の提言のように毎日朝から晩まであまり見た目が綺麗じゃない芸能人に出演し続けてもらえば、例に挙げるのも悪いけど最終的には千原せいじ氏のような人でも普通の容姿に思えるようになるかもしれません。どうでもいいけど、ドッキリ番組で素人女性の前にキムタクと思いきや千原せいじ氏が出てきたら、あまりの容姿のギャップに女性が腰を抜かしてへたり込んだことがあったそうです。

 しかしこの方法を実際にするとなると誰もテレビを見なくなる可能性も否めず効果が限定的になる恐れもあり、必ずしも有効とは言える作戦ではありません。じゃあ他にどんなのがあるかといったら、こちらはそれこそ何をしてもいいと言うのなら私がやってみたい方法で、理想の夫婦像を強く国民に見せ付けることです。
 どんな方法かというとそこそこの容姿の芸能人男女一組を秘密裏に選び出し、普通の芸能情報としてその男女が交際していく過程から結婚し、その後の生活までも逐一テレビなどで報道し、「理想の夫婦像はこんなもので、結婚っていいもんだね」っていうのを飽きるくらいまでとことん日本人に見せ付けるやり方です。前回の記事でも書きましたが結婚というのはやはり文化的な要素の強い行為なので、文化的な慣習として色濃く根付かせることこそが単純に効果があるように思えます。

 それこそ戦前までは結婚しなければ男女共に一人前として見られないという世間の見方が結婚に走らせていましたし、「それが当たり前」という認識ほど結婚へ誘導させるのに強い武器はありません。また先ほどの理想の夫婦像を見せ付けるやり方は一見強引な方法に見えるかもしれませんが、はっきりいって戦後の日本人の結婚観は現平成天皇と美智子様をモデルに作られたと言っても過言ではなく、決して前例のない方法というわけじゃないと思います。まぁ皇太子夫婦と芸能人じゃ効果に差があるでしょうが。

 価値観が多様化していると言われる現代ですが、その一方で私の目からすると「こうすればいい」という固まった価値観を現代日本人は欲しているような面もあるような気がします。結婚についてもそうで、「出来ちゃった結婚」が一つのパターンとして確立されたのもそういった流れの上であるような気がし、それであればてこ入れできるところもまだあると思います。そうしたところをお上でもいいし下からでもいいし、とにかく持ってきて黄金パターンとして確立させることが未婚率の減少、ひいては少子化問題の対策になるのではないかという結論で以ってこの連載をまとめさせてもらいます。