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2010年8月29日日曜日

カー雑誌の悲哀

 私自身はそれほど自動車は運転しませんが(、暇な時や長時間の移動をする際にはよくカー雑誌を購入しては読んでたりします。そんなカー雑誌を読むたびにこの頃思うことなのですが、記事に登場する車がどれも古くてこれでは新規の読者、年代的には中学、高校生は手に取らずにおっさんにしか読まれないだろうと強く感じます。

 雑誌の種類にも由りますが、一般的にはカー雑誌はスポーツカーを多く取り上げる媒体です。しかしながら最近はスポーツカーに憧れる若者が減っており、またそういったかっこよさを追い求める車以上に燃費のよい車に注目が集まるようになり、どうにも読者の関心が雑誌のスタイルと適合していないように思われます。さらにいえば自動車メーカー自体がこのところ余力がなくなってきて、スポーツカーの販売数を減らしてきております
 カー雑誌編集部の方からすると取材で取り上げる車の数が減る事はそれだけでも大変なことでしょう。では現在のカー雑誌は主にどんな車を取り上げて記事を書いているのかというと、書いてて笑っちゃいますが全ページの半分以上にすでに生産が中止されている車の名前が出てきております。

 私がよく買っているのは「ベストカー」という雑誌ですが、この雑誌がよくやる特集記事に「○○対××」というように二台の車の性能を評論家が多方面から比較するものがあるのですが、こういった特集記事に頻出してくる車は「マツダRX-7」や「ホンダインテグラ」、果てには「トヨタAE86」など走り屋に愛されていたもののすでに生産が中止され、現在までニューモデルが出ていない生産中止車ばかりです。まぁ「ベストカー」について言えば明らかに他社の車より贔屓されて持ち上げられている「三菱ランサーエボリューション」が未だにニューモデルが出され続けている事は救いですが。

 カー雑誌記者の方でも特集するスポーツカーがメーカーから新規に販売されないために記事の書きようがないのはわかりますが、ただこういった特集する車に普通に「日産スカイラインGTR(R32)」が出てくるほど古いのばかりだと新規の読者はなかなか獲得できないでしょうし、おっさんばかり相手してても先細って行く一方でしょう。
 そういう意味では、ようやく発売日が今年の11月に決まった「グランツーリスモ5」といったゲームや「頭文字D」などといった漫画は、こういった古いスポーツカーなどを比較的若い世代に親しませられることができ、おっさん向けの雑誌を私のような20代でも手に取るきっかけになる事が出来ます。

 まぁこういうものはいくらメーカーや雑誌社がプッシュしてもヒット作が出るものじゃないので登場を期待するのは酷ですが、自動車業界に限らず現在何処の業界でもファン層の拡大よりターゲット顧客層の絞込みが行われてばかりなので、こういった夢が広がりそうな分野くらいはどんどんと外に訴えて行ってもらいたいものです。

 余談ですが、漫画の「頭文字D」で「三菱ランサーエボリューション」は大抵ガラの悪い敵役の車として登場し、ちょっと調べたらトヨタ系やマツダ系と比べてランエボだけ悪く書かれすぎじゃないかという意見まで出ているそうです。私個人の意見だとやっぱ良い意味でモノがモノだけにランエボは主役機にはなれず、こうした敵役の車にならざるを得ない気がします。ランエボでシビックとかに勝ってもだから何って話になるし。

2010年8月28日土曜日

石川啄木と金田一京助

  働けど働けどわが暮らし楽にならざりじっと手を見る

 格差社会、といってもそれ以前から何かしら貧困エピソードが出るたびに引用されておなじみのこの有名な和歌ですが、作者は言うまでもなく明治の詩人である石川啄木です。この和歌を始めとして暮らしの困窮について表現する和歌を多く作っていたことや、死後になって友人らから作成、出版された「一握の砂」によって名を残したという事から、石川啄木は生前には全く評価される事のなかったゴッホと比較されるなど一般的には不遇の詩人としてよく紹介されます。
 しかし事実はさにあらず、近年には大分浸透して来ましたが石川が生前に貧乏な生活をしていたということは本当ではあるものの、その困窮は不遇というよりは彼自身の放漫な性格による行動の結果だったと言われております。

 石川は元々、岩手県にある寺の住職の長男として生まれており、当時としては比較的裕福な家庭の出でした。しかもこの家での待望の長男であったために両親からは大いにかわいがられて食事なども一番良いものが優先して振舞われ、子供の頃からわがまま放題に育てられていたために妹の光子の証言によると何か気に入らない事があるとすぐに蹴ったり叩かれたりしたそうです。それでも妹はそんな兄が好きだったそうですが。

 ともあれ裕福な家ということで石川はきちんとした学校に通わせてもらうも遅刻、欠席、果てにはテストでのカンニング行為の結果、卒業を待たずに退学させられてしまも、その後はいろいろと転々とするもののある年に家族を置いて東京に向かい、朝日新聞社へ就職します。この東京での生活は彼自身が残したローマ字日記によって行跡が辿られるのですがその日記の内容となると破天荒そのもので、就職した朝日新聞社では遅刻、欠勤、給料前借は当たり前で、貧乏だといいながらもいろんな人間から次々とお金を借りてはすでに借りた借金の返済には殆んど使わず、娼妓との遊興費に惜しみなく費やしたということが赤裸々につづられております。ただ石川の変な所というか、お金を殆んど返そうとしないにも関わらず会う人皆が石川の新たな借金の申し出に答えており、石川の方でも律儀に日記でどこそこで誰からどれだけ借金したかを事細かに記録しています。

 そんな石川に最も金づるに使われたのはほかでもなく、彼と同郷で東京での生活も一緒だった金田一京助でした。金田一京助というといろんな辞書に編纂者として名前を連ねており、また小説のキャラクターである「金田一耕助」の名前のモデルとなった人物であるため皆さんもよく知っている人物でしょうが、彼は若い頃から石川の才能を買って東京に来た石川を自らの下宿に招き寄せては生活費など一切合財面倒を見ていました。

 ただこの金田一京助もあの放蕩三昧の石川を囲うだけあって相当な人物だったらしく、ことあるごとに借用を申し出る石川の願いに首を横に振ることなくいつも快く応じ、彼の希望をかなえるために次々と家財道具を質屋へ持って行ったそうです。そうやって献身的に支えられているにもかかわらず遊んでばかりの石川に対して金田一の妻の方が怒り、またも石川に金を貸して欲しいと言われて何か質草があるかと金田一が妻に尋ねると、「もうそんなものはありません」と一度、突っぱねたことがあったそうです。すると金田一は、

「お前の今着ている着物、まだ質屋に出せそうだな( ´ー`)」

 と言って、奥さんの着ていた服をひっぺはがして質屋に持って行きお金を受け取るとそれをそのまま石川に渡し、そして石川はそのお金を浅草で使い切ったそうです。そんな話を妻からよく聞かされていた金田一京助の息子である金田一春彦氏は、石川という姓だけに石川啄木は石川五右衛門の子孫に違いないと子供ながらに考えていたと語っています。

 こうした石川との絡みもさることながら金田一京助にはそのほかにも逸話が多く、前述の辞書の編纂者名についてもお人よしな性格ゆえに、権威付けのために人から頼まれるそばから二つ返事で快諾していただけで、実際には一冊の辞書にも編纂に携わった事がなかったそうです。
 またこれ以外にも自身のスピーチも予定してあった知人の結婚式に出席し、出された食事を平らげたもののなかなかスピーチの出番がなくて係員に確認すると、なんと赤の他人の結婚式に出席していた事が分かって慌てて帰ってきたという話や、息子の春彦氏に来ていた原稿の執筆依頼を自分宛に来ていたと勘違いして慌てて原稿を書いて出していたなど、お人好しで慌てん坊だったという人柄が窺える話が数多くあります。

 最後に蛇足かもしれませんが、知名度で言えば圧倒的に金田一京助の方が息子の金田一春彦氏より上ですが、私の中国語の恩師によると言語学における功績で言えば春彦氏の方が遥かに勝るそうです。本日この記事を書くために春彦氏の略歴を調べてみた所、なんと中国語発音で基本となる四声の研究を初め日本の方言などを詳しく調べており、すごい人物だったのだということに気づかされました。
 これは私の邪推ですが春彦氏は一年だけ京都産業大学に在籍していたそうで、京都なだけにもしかしたら私の恩師はその時期に春彦氏の知遇を得ていたのかもしれません。今度あったら聞いてみよう。

アントン・ヘーシンク氏の逝去

 本日、東京五輪柔道無差別級金メダリストのアントン・ヘーシンク氏が母国オランダで逝去されたとの報道がありました。

ヘーシンク氏が死去=東京五輪柔道金メダリスト(時事通信)

 ヘーシンク氏については過去に書いた「柔道の精神」の記事ですでに取り上げていますが、改めて彼の柔道国際化における功績や東京五輪で見せた柔道精神を考えるにつけ惜しい人物を亡くしたという気持ちが湧いてきます。

 自分はそれほど柔道の試合中継などを見ることは多くありませんが、一時代を彩るスポーツのエピソードとなると話が違ってあれこれ必死で覚えようとしております。ヘーシンク氏の東京五輪決勝もその一つですが、非常に引用しやすく含蓄のあるエピソードなだけに、当人がなくなった今後も出来うる限り語り継いでいきたいと思います。

  おまけ
 「柔道の精神」を書いたのは2008年ですが、その頃と今とを比べると随分とこのブログの記事の書き方も変わってきております。書いてる側の言い訳ですが、私は元々400字詰め原稿用紙に手書きで小説を書いてきており、句読点などのリズムもその頃に培いました。見ている側からすれば文字なんてどれも一緒に見えるかもしれませんが、フォントの大きさや縦書きか横書きか、そういった種々の要素によって案外文章というものは見方が変わってくるもので、比較的小さい文字で横書きで表示されるブログでは句読点は少なく流し読みしやすい形のがいいと思って現在の形になってきました。誤字、脱字は未だに多いけど。

2010年8月26日木曜日

小沢一郎氏の代表選出馬について

 前々からいろいろ取りざたされてきておりましたが、本日ついに小沢一郎氏が来月に行われる民主党代表選に自身が出馬する事を表明しました。のっけから私の意見を言わせてもらうと、またくだらない事が始まったなぁという風に感じました。

 そもそもの話、今の菅首相が総理職についたのは鳩山前首相の突然の辞任を受けた六月の事でした。それから今までまだ約三ヶ月、間に選挙を挟みましたがこの時点で総理がまた変わるかもしれない代表選を行う事自体まともな状態ではありません。
 第一、民主党は三ヶ月前の代表選で菅氏を自ら選んだにも関わらず選挙が終わるやまた引き摺り下ろしかねない行為を現在行っており、これでは民主党が政権を私物化していると言ってもおかしくないでしょう。民主党の中ではそれは問題ないかもしれませんが、自民党政権時以上に総理をかわるがわる変えてくるというのは国際的な信用をなくさせるだけで、さすがの私もこの始末にはいい加減にしろと言いたくなってきました。

 それで次回の代表選ですが、下馬評ではやはり小沢氏が有利とされています。私自身も現時点では小沢氏が勝つだろうと見ておりますが、まがいなりにも自ら担ぎ上げた菅総理を選挙で勝てなかったからという理由だけで自ら引き摺り下ろそうとするなんて組織として、人間としても民主党は疑わしく感じますし、資金問題で全く説明責任を果たしていない小沢氏がこうして堂々と総理になろうとする事一つとっても異常な気がします。

 私は何も菅総理を支持しているわけでなく、むしろ過去に彼が起こしたカイワレ騒動から資質を疑ってはおりますが、それ以上に小沢一郎氏の資質と人間性を私は疑っております。人間性については言わずもがなで資金問題から岩手めんこいテレビの私物化などからですが、資質についてはもう少し詳しく説明しておきます。

 この辺は姉妹サイトの「陽月旦」にも書いてありますが、かつて彼が導入を主張した政策は小選挙区制を始めとして現時点で大部分実現しております。では現在小沢氏はどのような政策を主張しているのかと言うと、はっきり言いますが小沢氏はここ数年は何一つ政策について公で発言した事はありません。政治的に何を導入したい、変えたいといった考えは恐らく、現在の小沢氏は本当に何も持っていないんじゃないかと思います。

 では小沢氏が総理になったらどうなるか。私の予想では多分すぐに自民党と大連立して主な政策運営は自民党の連中に任せて、本人はその政策の進行に合わせて私腹を肥やしていこうとすると思います。すでに沖縄普天間基地の移設先付近の土地は購入済みだそうですし。

 悪口ばっかであまりまとまりのよくない記事になりましたが、また政治が政策ではなく政局によって停滞する事となったのは非常に残念です。まだ政策論争で代表選が行われるならともかく、今回は初めから数取りゲームだしなぁ。

2010年8月25日水曜日

住宅ローン破産の増加について

 先日、つっても二週間前の朝日新聞の記事で、近年住宅ローン破産が増加しているとの報道がありました。

住宅ローン破綻増加、競売6万戸 甘い審査が落とし穴(朝日新聞)

 私がこのブログを始めた当初に書いた「日本版サブプライム問題」の記事にて、経済評論家の荻原博子氏が「ゆとりローン」の問題性を指摘しこのような住宅ローン破産が今後増えると指摘していた記事を紹介しておりますが、その予想は見事に当たり、その後のリーマンショックを受けて景気が大幅に悪化したのを受けてこのような住宅ローン破産は増えているそうです。

 今回朝日新聞の記事にて取り上げられたローン破産者のケースは住宅購入以前に消費者金融に借金があったにもかかわらずローンを組んでおりお世辞にも計画性があるとは思えず私はそこまで同情を覚えませんが、実態的には堅実な人生設計をされていた方でもローン破産に追い込まれて家を手放さざるを得ない人が多数いるかと思います。
 ただこれら住宅ローン破産で本当に怖いのは、家を手放さざるを得ないと言う事以上にその後も手放した住宅のローンを支払い続けなくてはならないという事です。

 わざわざ説明するまでもないかもしれませんが車にしろ住宅にしろ、新品で購入した時点でその財産の資産価値はどれも半減します。ですので2000万円で住宅を購入して500万円までローンを支払った後で手放したとしても、販売価格は多く見積もっても1000万円で、差し引き500万円を最初の住宅購入者はその後も支払い続けなくてはなりません。しかもローンは三者は家を手放したのだから今度また新たに自分が住む部屋を借りなくてはならず、その部屋の賃貸料も合わせて支払っていかねばなりません。これは姉歯元建築士の強度偽装事件でも同様で、強度の足りていない住宅を出た元居住者には二重ローンという大変重い負担がのしかかり社会問題となりました。

 そんな住宅ローン破産ですが、つい最近に知ったのですがアメリカではこのような事態は起こらないそうです。というのもアメリカでは住宅ローンが払えなくなった場合、居住者は担保となっているその住宅をローンを貸し付けている銀行に差し出す事で一切の返済を免除されるそうです。

 最初これを聞いた時は私も少し驚きましたが、後から冷静になって考えてみると日本の制度、というより日本の銀行が行っている住宅ローンのやり方のほうがいびつな様に思えてきました。
 日本の住宅ローンの場合ですと、銀行は住宅購入資金を購入者に貸し付けた時点で利息分の儲けがほぼ確定します。それゆえに今回の朝日新聞の記事で取り上げられた例やかつての住専問題のように、実際には支払能力のない、将来ローン破産を起こしかねない人間を半ば騙す形で貸し付けたとしても全く損害を受けるどころか安全に利益を得られます。それに対し住宅購入者はローン破産というリスクを持たされた上で銀行に対してローンの支払いと共に利息を払い続けねばなりません。

 私は商道というものは基本的に、リスクを持つ者が利潤を得るべきだという風に解釈しております。然るに日本の住宅ローンの場合はリスクを全く抱えない銀行が安全に利息を稼ぐ一方で、巨大なリスクを抱える住宅購入者が銀行に利息を払っており、どう考えても銀行がずるい商売をやっているようにしか見えません。実際にこのような制度ゆえに日本の銀行はローン開設者への審査が甘いといわれ、ローン破産者の発生を誘発させているという指摘もあります。

 こういう風に考えるのであれば、不用意に支払能力のない人間にローンを組ませると銀行がしっぺ返しを食らうというアメリカの制度の方がずっと理に適っている気がします。まぁそれゆえにサブプライムローン問題では銀行が一気に不良債権を抱える事となって大混乱となったわけですが、私はこの際日本の銀行もアメリカを見習って、ローン破産が起きた場合には残った債権額を破産者と折半させるくらいのリスクを持たせた方がいいと思います。

 こういうところがあるから、銀行屋はどうも好きになれない。

2010年8月24日火曜日

円高株安と日銀の対応について

 ちょうど昨日一昨日と友人とこの話題について話をしたので久々に時事ネタとばかりに、今日のトップニュースを飾った円高株安と無策と批判されている日銀の対応について私の意見を書こうかと思います。

 まず円高株安についてですが日本円は昨日の時点で1ドル85円と、まるで1ドルが100円以上だった時代が遠い昔のように感じられるまでに値上がりしております。言うまでもなく日本は自動車を始めとして工業製品の大量輸出によって経済を成り立たせており、対ドルレートが1円変動するだけでもその影響は凄まじく、去年くらいの情報ですが確かトヨタは1円円高になるたびに200億円、ソニーは40億円くらい差益が減少すると報じられてた気がします。任天堂はどうなんだろうか、イチローの給料は安くで済むようになるだろうけど。

 そんなわけで日本は建前としては円安に、それも1ドル100円前後で推移する事が一番望ましいとされているのですがここまで円高になってしまうとにっちもさっちも行かず、円高につられる形で株価も下がって今日はとうとう日経平均が9000円を割りました。このような事態を受けて日銀や政府が何かしら為替介入などといった強い経済対策を出すのではないかと取りざたされましたが、今に至るまで具体的な発表がなく市場関係者からも落胆する声が上がってきております。

 ここから私の意見になりますが、まず現段階で日本人はやや大騒ぎしすぎな気がします。確かに企業経営者にとっては頭の痛い事態ではあるでしょうが一般庶民はトレードでもしてない限りは株価がいきなり実生活に影響するわけでもなく、日本経済の行く末をいちいち心配しててもしょうがないでしょう。また円高についても確かに輸出については不利になりますがその逆の輸入に対しては全く逆で、円高となれば日本はこれまでより安くで外国から物資を購入する事が出来ます。日本は工業製品輸出国である一方で化石燃料といった資源の大量輸入国でもあり、それを反映してか今年上半期は円高が続いていたにもかかわらず貿易収支は一貫して黒字が拡大し続けておりました。まぁこれは一時的なものかもしれませんが。

 あくまでこれは私のざっくばらんな見解ですが、私は今の日本経済の実態に近い日経平均株価は実質的には8,800円くらいと見ております。この数字ははっきり言ってほぼ私の勘で出してますが、この数字を出した根拠としてはデフレが続いている事と、日本の財政に対して信頼性が減っている事、そしてなによりも未だに市場において排除と淘汰が進んでいないという事を考慮してのものです。なもんだから、今のこの株価の状況についても実態に近づいてきていて、8,800円を下回ったらむしろ日本株は買いかなぁとか呑気に思っています。

 円高についても似たような感覚で、日本と中国が必死で買い支えしてきたドルがようやく化けの皮が剥がれたというか、日本としては困るかもしれないけど本来あるべき数値になりつつあるという風に見ております。
 またこの円高に対して日銀の対応がよく批判されていますが、確かに日銀は五年位前から偉そうにしている割には何一つまともに動いておらず、利上げを行わなかった事で当時に竹中氏からもこっぴどく批判されていました。私もここ数年の日銀の対応には給料泥棒だと言いたくなる点が少なくありませんが、昨今の急激な円高については友人の、「今回のはFRBの発表を受けて起こった世界的な動きだから日銀一人が逆立ちした所で食い止められるものではない」という意見に同感で、日銀を攻めたところでしょうがない気がします。

 またすでにゼロ金利政策を長年やってきている事で日銀が取りうる手段がないというのも事実ですが、昨日の「テレビタックル」で勝谷誠彦氏が、

「日本には未だに大量のタンス預金があると言われているのだから、聖徳太子の肖像画が描かれている一万円札は今年までにしか使えないと期限を切ってデフォルトを行うと宣言すれば皆急いで銀行に預金するのでは。そうすれば一気に大量の資金が流通するようになるだろう」

 という意見を言っていて、これは聞いてて少し面白いと感じました。
 まぁ円高傾向はまだしばらく続くでしょうし、あんまり慌て過ぎずに嵐がやむのをゆっくり待つ落ち着きも必要かと思うのが今日の私の意見です。

2010年8月22日日曜日

未来を見る視点距離

 人間誰しも、人それぞれに未来を見る視点というか視野に入れている未来があるかと思います。例えば大学受験を控える受験生であればどの大学に入ってどんな生活をしたいか、就職を控える就活生ならばどんな会社でどんな仕事をしていきたいのか。またこうした進路に限らず漠然と何歳くらいで結婚して、何歳くらいで部長になって、何歳くらいで引退するなどの未来でも構いません。
 こうした未来を見る時間軸はそれこそ千差万別で同じ個人にとっても状況によっては違った未来図があるかと思います。ただこの時間軸はいうまでもなく長短があり、ありていに言えば遠い将来を見越して行動している人もいればその日をどうするかだけしか考えずに行動している人もいるでしょう。

 一般的には五年先、十年先など将来を遠く見越せる人の方が偉いような言われ方をしていますが、私に言わせるならば何でもかんでも予想通りに上手くいくことなんてほとんどないんだし、あんまりにも先のことを細々予想し過ぎる人もどうかと考えています。諸葛亮みたいにピタリピタリと当てられるなら話は違うけど。
 特に近年は社会変化がただでさえ早く、そういう意味では現代人は今と言うか近い未来に集中して素早く対応するようになってきて、十年先といった将来に対して強いビジョンを持たない人、特に若者の間で多くなっているような気がします。

 ただこの傾向は若者に止まらず、穿った見方をすれば社会全体、それも政治の世界でこそ強いのではないかと私は考えています。これはどういうことかというと、今の日本の政治は突き詰めていえば「バブル崩壊前のあの栄光の時代を如何に取り戻すか」という議論ばかりで、日本を今後どのような国に変えていくかという意見が全く見当たらないからです。

 バブル崩壊前の栄光の時代というのは言うまでもなく「経済力の強い日本」というイメージで、経済力が国として大事なのは間違いありませんがそれにしても他の国と比べて日本は経済力に対して強い執着がある気がします。これなんか以前に会った人が言っていたことですが、日本の株価や為替が一般的な庶民の生活にはほぼ直結しないにもかかわらず日本人はいちいち大騒ぎしすぎるきらいがあるとして、なんだか言われた自分も少しドキリとしました。

 私も何度かこのブログで書いていますが、人口が減り続けている社会は労働力がそれだけ減るので自然と経済力も低下していきますが、その分社会を支えるために必要とされる労働力も減るので日々の生活が即貧しくなっていくということはありません。ただ年金を始めとした社会保障などは計算方法が変わっていくので制度をいじる必要はありますが、ゼロ成長にはゼロ成長に対応すればいいだけで成長がないからといってすぐ国が破綻するわけではありません。
 それを今の日本の政治家はなんとしても昔のあの良かった時代を取り戻そうとしてあれこれ金をつぎ込み、結果的には借金だけを残してしまったのですが。

 この話が最初の未来を見る視点距離とどう関係しているのかと言うと、私は今の日本の政治家、並びに大半の日本人はもう失って取り戻す事の出来ない過去を無理に取り戻そうとして破滅しかかっている、言うなれば未来を見ずに過去だけしか見ていない状態なのではと言いたいわけです。また個人レベルでも何も考える必要のなかった子供時代、気楽にできた学生時代ばかりを懐かしんでは未来の幸福を追わないという、これは今に始まったわけじゃありませんが過去へのしがみつきがちらほら見られます。

 私は何も遠い将来を見越せとまでは言うつもりはなく、家に火のついたような状態であれば今をどうやって生きるかに集中する事の方がずっと大事です。ただ一番まずいのは過去を省みるのではなくしがみつくということで、これは時間だけを消費して何も残るものはないでしょう。

 ちなみに私は今、とある事情で「今」をどう生きるかに強く集中するようになっております。何もサバイバルな状況にあるというわけじゃありませんが、五年後、十年後をあまり考えず、今年と来年をどうやっていくかだけを考えて行動を取っております。まだまだ冒険したい年頃なのかもしれません。