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2015年11月9日月曜日

スポーツ界の過激・差別表現に対する取り組み

<日本ハム・空港広告>「アイヌ民族に配慮欠きすべて撤去」(毎日新聞)

 先日、プロ野球の日本ハムファイターズが新千歳空港に「北海道は、開拓者の大地だ。」というコピーを書いた広告を出したところ、北海道アイヌ協会から先住民の歴史を無視したかのような内容だとして抗議を受けました。最初のニュースを見た時点で私としては、北海道自体が明治以降は紛れもなく開拓者がたくさん来た土地でもあるから大きな間違いではないし、日ハム自身もここに球団本拠地を置いて野球ファンを「開拓」したのだからそこまで目くじら立てなくてもいいのではと思いつつ、かといって何が何でも出さなければとこだわるようなコピーでもないが日ハムはどう対応するだろうかと気になっていました。
 最終的に日ハムはこの抗議を聞き入れ、ポスターを撤去して新たにデザインし直すことを決めたのが上記リンク先のニュースです。日ハムは以前にもアイヌ語を広告に取り入れるなどアイヌ民族への配慮を行っていたことも影響したのかもしれませんが、なかなかに素早い決断と対応で、東京五輪の佐野ロゴ問題が無駄に長引いた後だけにこの落とし方は傍から見ていて実に見事だったと思います。なんていうか、すぐ対応したわけで見ていてなんか気持ちいいし。

「ぶちくらせ」応援、14人を無期限入場禁止に(読売新聞)

 この日ハムのポスター問題に限らず、このところスポーツ界において表現の仕方が大きく取り上げられるケースが増えてきているように思います。日ハムとは少し方向性が違いますが、上記のサッカーJ2チームのギラヴァンツ北九州を舞台にしたいわゆる「ぶちくらせ」表現問題も密かに注目していました。
 この問題は一部サポーターが横断幕に地元方言の「ぶちくらせ」という言葉を使うことに対してチームが懸念を示して横断幕の撤去を要請したもののサポーターは拒絶したことから、今回チームは件のサポーター14人を撤去に応じるまで無期限入場禁止にしたのが上記ニュースです。

 こちらの「ぶちくらせ」という言葉は地元の言葉で「倒せ」とか「殴れ」という意味の言葉だそうでサッカーの応援に使うには過激すぎるとチームは考えたそうですが、サポーター側の言い分を報じた記事では地元の方言を使って応援したい、そこまで過激な表現ではないというようなことが書かれていました。
 あくまで私個人の所見ですが、特段違和感を感じなかった先程の日ハムのコピーと違ってやっぱり「ぶちくらせ」って言葉は言われたりするとちょっとドキッとするというか、聞いてて少し怖さを感じます。音的に「ぶっころせ」に近くて同じようなイメージを想起してしまいますし、「打ち倒せ」とかと比べるとどうも過激に聞こえるだけになるべくなら使ってもらいたくないと思えこの件でもギラヴァンツ北九州の対応は間違っていないのではと支持します。

 以上、スポーツ界における過激・差別表現に対する取り組みとして二チームの例を取り上げましたが、やはりスポーツというのはエキサイトしやすいものなだけに表現に対して万全な注意を払う行為が必要だと感じると共に、どちらのチームも比較的熱心かつ真摯に対応してよくやっているなと感心します。恐らくと言っては何ですがこうした対応の背景には昨年J1の浦和レッズで起きた差別横断幕事件も担当者の念頭にあったのではないかと思え、スポーツは日本国内だけではなく世界中のファンが見つめる(可能性のある)舞台で、様々な人種や文化を持つ選手が参加するだけにそのリスク意識も高く持っておく必要があるのでしょう。
 なお浦和レッズの事件に関して述べると、当のサポーターはあれこれ言い訳を述べていましたが、「JANANESE ONLY」なんて差別に使う以外ほかに使いようのない表現で全く以って問題外な行為だったと私には思います。レッズもその試合で初めて掲げられたことから果断に対応出来なかったようで少し同情する気持ちもありますが、さすがにこの件に関しては無観客試合という制裁を受けることになるのも無理ない気がします。

 まとめとして述べると、日本のスポーツ界は一般社会よりもこうした過激・差別表現に対して比較的注意深く対応していると見ていて感じます。逆を言うなら日本社会はこうした問題に対してちょっと対応が鈍いのかなと思える節があるので、続きは次回の記事にて最近あまり聞かなくなったヘイトスピーチについて取り上げます。

2015年11月8日日曜日

漫画レビュー「飯田橋のふたばちゃん」

 先日、冷凍たこ焼き好きの友人から、「これは是非読んだ方がいい」と、イーロン・マスクの本に続いてある漫画を紹介されました。

飯田橋のふたばちゃん(Wikipedia)

 この漫画はどんな漫画家というと、ごくありふれた女子高を舞台にした女子高生四コマ漫画です。ただ一つ他のゆるふわ系四コマと違うのは、登場人物全てが漫画出版社を擬人化したキャラクターであるということです。
 具体的にいうと、主人公のふたばちゃんは双葉社がモチーフになっており良くも悪くも全く特徴のないキャラで、そのほか集英社、講談社、小学館、秋田書店など有名漫画出版社がモチーフで、それぞれが発行する雑誌の性格や連載漫画の特徴をもっているという設定です。こう説明していてもピンとこないでしょうからいくつか特徴をあげると、集英ちゃんは万能でなんでもそつなくこなすがビジネスライクな性格で芽がないと思ったら10回で打ち切ろうとしたり、講談ちゃんはスポ魂な性格で他人の作文課題にもやたら介入しようとし、小学ちゃんは書類や配布物をしょっちゅう紛失するラブコメ体質ののんびり屋さんで、わかる人にはわかるツボを確実に抑えられて作られています。あ、あと秋田書店はヤンキー。

 そうした各キャラの特徴が一番うまく比較できてるネタとして「鳴かぬなら」で始まるホトトギスの俳句をどう読むかというお題があって各キャラがセリフ言うのですが、折角なので下記に引用します。

「根性で鳴かせろホトトギス」(講談ちゃん)
「ゆるりと待とうホトトギス」(小学ちゃん)
「一年半待とう冨が…いやホトトギス」(集英ちゃん)
「タイマンはろうぜホトトギス」(画報ちゃん←少年画報社)
「喰らってしまえホトトギス」(秋田ちゃん)
「平和(ピンフ)狙いだホトトギス」(竹書ちゃん←竹書房、麻雀漫画多いから)

 わからない人にはちょっと厳しいネタですが、よくもまぁ見事に各出版社の特徴を掴んだネタだと読んでて唸らされました。特に麻雀ネタだと竹書房のキャラがスクウェア・エニックスのキャラに対して、「てめぇのファンタジー麻雀に今日は勝つ」というセリフもあったりして、よく無事に出版できたなぁと思えるくらいきわどいネタが飛び交ったりします。
 もっともきわどいネタ関連で言うと各キャラクターの姉妹関連の方がいろいろとヤバかったです。姉妹誌を妹キャラとして出してくるのですが、スクウェア・エニックスに関してはお家騒動で一部編集者と作家が独立したことから「生き別れの姉妹がいる」と描くのはまだいいとしても、秋田書店に至っては「赤い核実験場」と呼ばれる「チャンピオンREDいちご」をモチーフとした「いちごちゃん」という妹キャラが出てきて、都条例関連でしょっちゅう問題起こしているが大丈夫かという問いかけに、「大丈夫ですよ、本番はNGですから」という、わかる人からしたら本当に恐ろしいセリフを吐かせたりしています。

 書評に戻ると、非常に各キャラクターと出版社の特徴をうまく組み合わせてあり正直に面白い漫画だと太鼓判を押せます。難点としては漫画業界の事件やネタに詳しくないとややわかり辛い所があり大衆向けかというとそうではないですが、なるべくネタ元がわかりやすいようにして作者も描いており、ネットで調べるなどすればまだわかる範囲なのでまだ許容できるレベルだとは思います。
 あとコンセプトだけでなく単純に四コマ漫画としてみても良質で、地味にギャグのテンポが素晴らしかったりします。ボケやツッコミの切れが鋭く、なおかつ三コマ目にボケとツッコみのセリフを入れた上で、四コマ目でさらにボケを入れる畳み掛けのような手法がいくつか見受けられ、作者のギャグセンスとコマ回しには文字通り脱帽しました。仮に出版社を擬人化しただけではこれほどの面白さは得られなかったと思うだけに、コンセプトの発想といいこのテンポの良さ一つとっても大した作家だと思えます。

 なお上記にも書いてる通り読んでて大丈夫かと思うくらいきわどい業界ネタが多いのですが、あとがきによるとこれは作者も気にしたものの、普通に出版してくれた双葉社はすげぇと思ったそうです。また作者は双葉社の担当者(「うち妻に出てくる人だ」と作者は言及)から、「体力ないから一発当てたいんだけど」と言われた上で女子高生四コマを提示され、出版社を擬人化することで了解を得たものの、女の子を書くのは苦手で作画は別の人に任せようと捜したところ、「アタシが描く」と言って同じく漫画家の嫁さんが手をあげてくれ、何気に漫画か夫婦の合作だったりします。


  

2015年11月7日土曜日

日本で働く外国人留学生

 先月、横浜の映画館ですいかさんと落ち合った際、映画を見終わり外に出てすいかさんが出てくるのを先に待っていたところなかなか出て来ず、「もう入口におりまっせ」とメールも打ちましたが反応はなく、ほぼすべての観客が出終わっても姿が見えず長い時間経ってやっとこさ出てきたのをちょっと不思議に思ってました。そしたら今日アップされたすいかさんのブログにてその時に何が起こっていたのか、具体的に言えば財布失くしかけて慌てていたという内幕が書かれてありましたが、本人もよっぽど恥ずかしかったのか当日は一切この事実を教えてもらえなかったなぁ( ・ω・)

 そんな財布ネタにかけるわけじゃないですが、この前の記事にも書きましたが以前に日本語を教えていた中国人の男の子が先月、日本への留学に旅立ったところ、着いて早々財布を無くすというポカをやらかしました。メールでその事実を聞くや、「お前海外なめてんじゃねぇぞ!前から遅刻も多いし、注意力をもっとつけろ!」って感じで叱咤する返信を送り、警察などにちゃんと届出するようにと伝えました。その後また聞いてみるとどうやらまだ財布は戻ってきていないようです。

 かといって落ち込んでいられるわけもなく日本での留学生活に向けていろいろと活動しているようで、最近はアルバイトの面接で忙しいと言ってきています(ってか細かいメールを乱発してくるからたまに相手するのに疲れる)。一応中国にいる間も学費や生活費などをある程度貯めてきてはいたものの、日本で留学していくにあたっては現地でアルバイトをしなければ到底お金は足りないため、文字通り死活問題として動いてるようです。
 アルバイト先は工場あたりがいいんじゃないのか、日本語もまだ不十分だしと入ったもののあまり口はなく、結局のところ飲食店が多く、なんか松屋の夜間時間帯になりそうだとさっき書いてきました。一瞬、「それってワンオペ?」って少し頭をよぎりましたが夜間ならそれほど日本語が流暢でなくても務まるのと、時給がいいというメリットがある一方、昼間の授業には影響が出ることは必定です。とはいえ他に選択肢もないだけに、このまま無事決まってほしいと陰ながら祈っております。

 なにもこの中国人元労働者に限らず、アジア諸国からくる留学生はみんな同じ問題を抱えており、同時に日本のサービス業も彼ら留学生という労働力なしではもはや経営は成り立たないでしょう。確かに彼ら外国人留学生に就業の機会を与えることで彼らの費用負担は軽くなりますが、その一方で深夜働きながら勉強もしなければならないという、厳しい環境に置いているのも事実でしょう。
 もっともそんなことを言ったら日本人学生も最近は似たようなものかもしれません。先日日本で会って話をしてきた学生(日本人)によると最近の学生はみんな生活が苦しいのか深夜のアルバイトを率先して選ぶ傾向があるとのことで、そのような学生は授業もやっぱり来ることが少なくなっているそうです。金さえあれば万事解決、となるかもしれませんが、労働力は日本の構造問題だから果たしてそううまくいくのかなんて自分でも疑問に思えてきました。

 またいつもながらまとまりのない記事ですが最後にもう一つだけ付け加えると、上記の中国人労働者とのメールのやり取りの最中、「飲食店に中国人留学生がアルバイトかぁ」って考えたら何故か「アームロック」という単語と、「それ以上いけない」ってセリフが頭をよぎりました。こんなことを思い浮かべる当たり、あの「孤独のグルメ」って漫画は凄い作品だなとつくづく思います。

2015年11月5日木曜日

漫画レビュー「DEATHTOPIA」(一巻のみ)

 最近めっきり書いてませんでしたけど久々に漫画のレビューします。今日書くのは「DEATHTOPIA(デストピア)」という漫画です。

DEATHTOPIA(Wikipedia)

 なんでこの漫画を手に取ったのかというと、なんか刑事物の漫画が読みたいなぁって思ってたのと、この漫画の作者が「エデンの檻」という漫画を書いてた山田恵庸氏だったからです。
 ここだけの話、「エデンの檻」は一度も読んだことはないのですが連載開始当初に起こった、「何がクニだよ、○○○しろオラァァァ」という女性キャラのセリフが大いに世間を騒がせたという事だけは知ってて、てっきりこの騒動の余波受けてすぐ連載切られるのかと思いきや意外や意外に四年以上も続いた人気作となり、あの作者どうしてるんだろう、といっても「エデンの檻」を今から一から読むのもなぁと思っていたところでした。

 そう思っていた矢先に今回取り上げる「デストピア」という新しい漫画を連載していると聞いて、新進の漫画家チェックにもなるしいい機会だからとりあえず一巻だけ買って読んでみようとKindleで購入してみました。読んでみた感想はというと、「二巻以降はもういいや」でした。

 ひとまず簡単にあらすじを紹介すると、ある日事故で一時的に目が見えなくなった主人公は怪我が治るや外見は普通の格好してても、サイコパス的に犯罪係数高そうな人は異様な姿に見えてしまい、まぁ要するに変な人を見分けられるようになりました。そんな主人公を何故だか襲い掛かってくる犯罪係数高そうな人もいて、そしたら公安に所属するという若い女性三人が助けてくれて、今後は主人公も捜査に協力するようにとそのヒロイン三人と何故か共同生活を開始するというのがこの一巻のあらすじです。

 そんなわけで早速感想を述べていきますがこの漫画、絵は小奇麗なのですが作者本人も認めているくらいにストーリーの破綻ぶりというかつまらなさがとにもかくにも目につきます。この一巻単体でとっても二~三話が仮に無くても話が成立してしまうというか、二~三話はなくてもいいじゃんと思うくらいダラダラしたストーリー展開ぶりで、なんでこんなにページはあるのに話が進まないのだろうと読んでてリアルに感じました。
 またストーリー展開の遅さに加え各キャラクターが薄いというか感情移入できないというか、まるでキャラクター性がないのも見ていていろいろとアレでした。特に致命的なのは主人公をハーレム状態にするためヒロインを三人にしたという点で、キャラが三つに分かれてることから個性も見事に三分割になってしまい、誰ひとり印象に残らないほどキャラが異常に薄いです。言い方キツイですが主人公を含めて一巻に出てくるキャラはすべて、少年ジャンプで連載している「銀魂」に一話限りで出てくる脇役よりもキャラが薄いです。

 もちろんまだ始まったばかりの一巻なんだからと擁護すべき点も確かにありますが、それにしたってこれほどペラペラなキャラクターは私の中では近年稀にみるレベルです。濃いキャラクターであればいいわけではないですが、単行本一冊使っておきながら誰一人感情移入できなければ名前すら覚えられないというのは一読者の視点からして問題点に挙げざるを得ません。

 などときついことを書きましたが、個人的にはテコ入れすれば良くなる要素も少なくない作品だとは思っています。上記の指摘も素人の意見であることはわかっていますが、こうしてほしいという改善点として敢えて書くことにしました。
 光っているポイントとしては刑事物に必要なグロ要素を惜しみなく入れている所です。刑事物というのはドンパチやって、重要人物死んでなんぼなところありますし、この辺を意識すればグッとよくなるのではという期待があります。もっとも、グロ要素に作者お得意のエロ要素を入れてエログロ作品を目指している趣向も見えますが、一巻時点ではエロもグロも中途半端で見ていて逆にうんざりさせられることのが多かったけど。なおエログロで言えば私の中だと「GANTZ」が白眉です。

 結論を言うと私が読んでて決して面白いと思う漫画作品ではありません。ならなんで紹介すんねんと言われるかも知れませんが、同じ感想持った人はほかにいないのかなぁという、つまらない映画を見て「あの映画クソだったよなぁ」、「わかるわかる」みたいな掛け合いというか共感をしたいなと少し感じたからで、もし他にこの作品を読んでいる人がおられたら是非コメント欄に書いて行ってください。


2015年11月4日水曜日

タカタはこれからどうなるか

 結論から言えば倒産するリスクもはっきり出て来たのでは、というのが私の見方です。

ホンダ、新モデルでタカタ製エアバッグ使用停止(読売新聞)
タカタ取締役「ホンダの意向は確認していない」 ホンダ開発車種の取引中止で (日経新聞)

 かねてからエアバッグの不良問題で騒がせていた自動車部品メーカー大手のタカタについて今日、タカタの最大顧客で一部出資も受けているホンダが「今後一切タカタ製のエアバッグを使用しない」と発表しました。この発表理由についてホンダは、詳細こそ報じられていませんが報告されたデータに不自然な点というか故意に弄られていた点があったとして、強い不信感をのぞかせるような書かれ方がされています。
 一方、当事者であるタカタはこのホンダの発表を事前に聞かされていなかったようで、日経新聞の記事ではちょうど今日米国政府との和解金について記者会見を開いていており、その席で通知のなかったことを認めています。この点をとっても、ホンダ側のタカタに対する不信感を強く感じます。

日産、8車種を再リコール=エアバッグ異常破裂で(時事通信)

 このホンダの動きにいち早く追随したのが上記の日産です。最初に発覚した運転席側のエアバッグの不具合に続いて助手席側でも日本国内で異常破裂が起こり、乗っていた人が怪我をしたという事故が起こりましたが、これへの対策として既に一度改修が済んでいる車両も含めてもう一度リコールを実施すると発表しました。もちろんこれの一部費用もタカタへ請求が行くでしょうし、ホンダや日産以外も続いていくことでしょう。

 最初に発覚したエアバッグの不具合や米国の制裁金などの経緯についてはこの記事では省略しますが、私見ながらこれまでのタカタの対応というか態度は見ていて疑問を感じずにはいられないものでした。いくつか具体的に述べると、一つには米政府への報告書に数百ページものとんでもなく分厚い報告書を出して委員からは、「報告するつもりというか読ませようという気が感じられない」と駄目だしを喰らいました。多少経験ありますが、いくら何でも不具合対策書で数百ページはいかないだろうなぁと個人的に思います。
 二つに、この不具合に対するタカタの言い分です。言ってはなんですが「米国政府との認識の違い」という言葉が何度も繰り返されており、製品に欠陥があったとは何故か素直に認めようとしてなかったように見え、どこか他人事のように言うなと感じました。でもって米政府唐の再三のリコール実施要求についても、「それは自動車メーカーが決めること」として突っぱね続け、反省する態度は微塵も感じられませんでした。
 最後三つ目ですが、今年の株主総会でこのリコール問題について説明する、報道陣に対しても外部モニターで中継して公開すると事前に発表していましたが、何故か当日になって急遽中止して非公開でやってのけており、普通に「なんで?」と思うような妙な対応を見せています。それにしても、我ながらいやらしく覚えてるなこんなことも。

 総じて述べるとタカタの対応はどれも誠意、危機感に欠けると感じるところが多く、それだけに最近杭打ちでも多いですがデータの偽造が行われていたというホンダの発表を見ても正直、「やってるかもしれない」と思わざるを得ません。
 今回のホンダの発表を受けてタカタの株価は今日、郵政三社の新規上場で市場が盛り上がる中で13.4%もの大幅下落を記録しました。むしろこれまでのタカタの株価は巨大な不具合発覚にも関わらず思ったよりは落ちていなくて友人と共にすごい奇妙に感じており、主要顧客のホンダあたりが買い支えているんじゃないかなどと余計な邪推をしておりましたが、その後ろ盾であるホンダが今回このような行動を取ったことからさすがに今度は落ちるところまで落ちるのではという気がします。

 今後の先行きについても、報道で見ている限りですとタカタのエアバッグインフレーターは他社と比べても独特で、すぐ不具合に対応した製品を作れるかと言ったら難しく、また安全用具であるだけにこれだけのイメージダウンはもはや致命的でシャープと共に「次はあそこか」と見られるには舞台が整ってきたのではと思います。

 最後に余談ですが、これで再びタカタ製エアバッグを搭載した車種の大量リコールが起こると予想されますが、一部の記事で一連のリコールに対応した補修作業で現場はへとへとだという記事が見受けられます。労力的には確かにへとへとでしょうがうちのどうでもいいことをよく知っている親父によると、リコール補修を対応するディーラー点としては作業費を請求することが出来るため、経営的には逆に助かっているという話を聞き、私もそれが事実だと思います。風が吹けば何とやら、不具合が起こればディーラーは助かるといったところでしょうか。

週間ダイヤモンド記事に対する疑問

 先日友人に日本の株価について聞かれた際、「近く郵政株上場があるから確実に今よりは上がるよ」と答えました。そしてやってきた今日この日、続に言う郵政三社が揃って上場を果たし、久々の大型上場ということもあって終値は三社とも売り出し価格を大きく上回りメディアも上々の滑り出しと評しております。
 ただこの郵政上場の前に、少し読んでて気になる記事を見かけておりました。

日本郵政、熱狂なき大型上場の前途多難(週刊ダイヤモンド)

 この記事は郵政三社が上場する前の昨日に配信された記事ですが、読んでもらえばわかるようにどちらかと言えば今回の郵政三社の上場というか先行きに対して不安視するようなトーンで書かれており、上場した所で株価も安定するのかと暗にディスっているようにみえます。もちろん初値はよくても今後株価は安定するかはまだ未知数なのでこういう予想を書くこと自体は問題ありませんが、問題はその記事の書き方で、私個人の視点で言えば随分と恣意的に悪く書いているように感じました。

 具体的にそれはどんな箇所かというと今後の事業の成長性について書かれた部分で、郵便事業は赤字で今後成長するのかと書いてある部分です。確かにこの記述は間違いではないと思うのですが、何故それを三社ひっくるめてここで書くのか、圧倒的な資金力と国のお墨付きを背景にしているゆうちょ銀行とかんぽ生命保険は逆に先行きが明るいのではと思うのですがそれについては一切触れられておらず、ただ景気の良くない郵便事業のみしか取り上げていません。
 言い方は悪いですが上場による完全なる郵政民営化を批判したい目的でもって、結論ありきでこの記事は書かれたのではないかと思う節があります。

 私の考え過ぎならそれでいいのですが、何もこの記事に限らずこのところのダイヤモンドの記事は読んでて疑問符が付くというか、「それはお前の主観でしかないだろう」と思うような記事が非常に多く目立ち、このところネットで見出しを見てもダイヤモンドだとわかると読まないことが増えています。同じ経済誌でも日経BP、東洋経済なんかはどれも読んでてなるほどと思わせるほどいい記事が揃っており、特に東洋経済に至っては、「これが知りたかったんだ!」と、興味に対してベストストライクな記事を数多く見かけ非常に高く評価しています。

 単純に私の好みの差かもしれませんが、ダイヤモンドの記事には強い疑問を持っております。偉そうなことを言える立場ではないですが、もう少し読者を唸らせる記事を見せてもらいたいものです。

2015年11月3日火曜日

B、C級戦犯

 先日、名古屋に左遷された親父に進められて角田房子著の「責任 ラバウルの将軍今村均」という本を読みました。なんでこんな本を進められたのかというとブログで何度も今村均について書いてたのを親父が読んだためですが、自分もこれまで彼のまともな評伝を読んだことがなく、読んでみて今まで知らなかった点や有名なエピソードの背景などについて知ることが出来てそんなに悪くなかったです。

 ただ、この本は作者による入念な取材の上で今村均の人生を描き切っていてそのどれもが見ていて惚れ惚れするほどの見事な取材ぶりなのですが、その中でも特に前半部に描かれているB、C級戦犯について書かれた下りは読んでいて強い衝撃を受けました。
 説明するまでもないかもしれませんがB、C級戦犯とは二次大戦中の日本軍人の中で、捕虜や現地住民に対して虐殺、虐待などの戦争犯罪を犯したとして裁かれた人を指します。日本で戦犯というと基本的には「侵略戦争を拡大させた」という政治的理由で裁かれたA級戦犯のことを指しますが、そのA級戦犯の陰に隠れてこのB、C級戦犯は日本だけでなく東南アジア諸国に設けられた収容所、そして裁判所で刑が執行されており、死刑となった者は千人を超すとまで言われております。

 今村均もこの時に戦犯指定を受けてインドネシアなどの収容所に送られた時期があり、その当時についてもこの本では詳しく開設されているのですが、収容所を管理するオランダ軍の無用な虐待が過剰な労働は日常茶飯事で、また収容所設備もひどいものだったと環境的には最悪だったそうです。ただ今村均はこうした虐待に対して現地責任者に対し毅然と抗議をし続けたので、彼のいた収容所はどこも統率がとれており、逆に彼がいなくなるや再び虐待が始まったなどいうことは多くの証言者の間で一致しております。

 しかしそんな今村均でも死刑判決を受けた旧軍の士官ら戦犯に対しては救う手立てはなく、またそのような死刑判決者は日本に残す遺族らへ遺書を書くことすら許されずに悉く処刑されていったそうです。また死刑とされる判断理由も戦犯裁判であるが故というべきか過分にオランダ軍の報復的要素を含んでおり、出所のわからない情報でありながら捕虜虐殺をしたと訴えられ、実際には無実であったかも知れない死刑判決者も多数いたとされます。有名なものだと、自分たちの食糧すらままならない中で捕虜へなけなしのごぼうを食べさせたところ、「木の根を無理やり食べさせられた」と虐待と見られてしまい、その士官は死刑判決を受けたという話もあります。

 裁判過程も非常に偏ったもので、通訳すら満足に用意してもらえなかったほか有利な証言は悉く否定されたり、また元兵士や日本軍が雇った民間業者といった相手証言の矛盾を突こうにも証言者は最初だけ出廷して後の裁判には出て来ず、無実であるという証明はほとんど通用しなかったとされます。誰かが犠牲にならざるを得ない事態も多く、かの仲間を助けようと複数いる被告の中から自分が行ったと自ら自白することによってほただ一人で刑に服すといった行為も多く見られたそうです。

 このような目で見ると同情に余りあることこの上ないのですが、その一方で作者は、弾劾されるのも仕方のない事例もあったとこの本の中で指摘しています。
 それはどんな事例かというと、日本軍が占領した離島で戦時中、墜落した飛行機に乗っていた米国人兵士二人を駐留していた日本軍の部隊が捕虜とせず、殺害したことがあったそうです。その後、終戦を迎えた後で捕虜殺害がばれるのを恐れたその部隊は何をしたのかというと、民兵の様に日本軍が訓練していた現地住民四百人(二百人だったかもしれない)を口封じのためすべて殺害したそうです。

 元々その島には現地住民がいたのですが戦争が進むにつれて女子供老人はほかの島へ避難させた上で、若い男性たちは島の防衛に使おうとして残した上で訓練を施していました。彼ら島の男性らは米国人殺害を知っていましたが、かといって直前まで日本軍と敵対していたわけでもなく、むしろ互いに協力し合う関係でもあったのに戦犯になることを恐れた日本軍によって全て抹殺されてしまいました。無論こんな人数を殺しておきながらばれないなんてことはなく、戦争が終わったにも関わらず一向に戻ってこないことを不審に思った家族らによって事が明るみとなり、この虐殺を指揮した士官らは懸念した通りに戦犯となってそのまま死刑を受けることとなりました。
 作者はこの事件を取材の過程で伝聞形式で知り、なんとか詳細を確認できないかと思っていたところたまたま知り合った元軍人の人物がこの時の虐殺に関わったと自ら切り出す場面に遭遇します。その場面について作者は文字通りに体が震えたと同時に、本当に事実であったことを確認できたと書き記しております。

 自分もこの辺の下りは読んでいて体の震えを感じましたが、二人殺害したことを隠蔽するため四百人を殺害するという、何故こんな本末転倒なことをと思うと同時に、ここ数年で久々に「狂ってる」という印象をまざまざと感じました。先程も書いた通りにいくつかの戦犯は無実でありながら懲役や死刑に服すなどして同情に余りある一方、本当に処刑されても仕方のない戦犯もいたのだと思え、そして日本はこういった者たちに自ら裁くべきだったのでは、それがないから責任が未だに曖昧なのではと複雑な気持ちにさせられました。

 まとめとなりますが日本では戦犯というとA級戦犯ばかり取り上げられるものの、もっとB、C級戦犯にも目を向け、あの戦争の中で何が起きていたのか、またどのように処分されたのかをもっと検証すべきじゃないかという気がします。戦争というのはマクロではなくミクロな視点が求められると大学で口を酸っぱくして教えられましたが、この本を読んだことによってその点が前以上に強く意識するようなった気がするし、まだまだ勉強が足りないと反省する次第です。