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2015年12月26日土曜日

マイナンバー制度導入に伴う留学生の就労懸念

 昨夜はクリスマスで別に意図なくブログ休みましたが特に何かしたわけじゃなく、洋食屋行ってピザ食べた後、「無双OROCHI2 ULTIMATE」の「アンリミテッドモード」でずっと遊んでました。ちなみに知り合いの現地採用の女の子は、「クリスマスなのに仕事(;´Д`)」ってほざいててちょい笑えました。

 話は本題に入りますが、このところ何かとお騒がせなマイナンバー制度。私なんかこのところずっと日本にいないのでそもそも通知カードが届いているのかすら把握していないほど無視していますが(マジで外国居留者はどうせいちゅうねん)、この制度に戦々恐々しているのは日本人だけでなく、外国人留学生も大きな心配を抱えていると聞きます。というのも、このマイナンバー制度によってアルバイト時間が当局に把握されてしまうのではという懸念を持っているようです。

<留学生バイトは週28時間が上限>
 自分も今回調べてみるまで知らなかったのですが、留学ビザで日本に来た外国人留学生は日本でアルバイトを行うことは容認されているものの、その労働時間は「週28時間」を上限として定められており、これを越えるアルバイトを行った場合は就労違反と扱われます。なお、学校の長期休暇中は「1日8時間」にまで緩和されるそうです。
 もし就労時間の超過がばれた場合にどうなるのかはあんまり書かれていませんが、一例では大学卒業時に就労ビザが発行されず内定が取り消されたという話がネットで紹介されていました。私の推測ですがそれほど厳しく調べられているわけではなく、あまりにも大きく超過しない限りは黙認されているのが現状ではないかと思えます。

 この規定はどちらからというと留学生よりも、彼らを雇う雇用者向けへの注意として広報されることが多いです。曰く、「週28時間以上働かせてはいけません」的にあちこちで書かれているのですが、留学生側はこうした規制に対しアルバイト先を掛け持ちすることで、週28時間以上働くことを可能にしていると聞きます。なんでかっていうと、一か所のバイト先で週28時間以上とならなければばれないからでしょう。

<マイナンバーで上限突破がばれるのか?>
 しかしこうした掛け持ちによって上限以上に働くというやり方が、今度のマイナンバー制度導入によって不可能になるのではという噂がどうも留学生社会に広まっているそうです。自分もこの辺はあまり詳しくない、というかまだ実施されていないのだから無理ないですが、各雇用主はマイナンバーの導入後、雇用者のマイナンバーを集めそれを元に源泉徴収など給与報酬の額を税務署へ報告する義務が課せられます。これによって税務署側は誰がどこでどれだけ働いているのかを把握することができ、結果的に留学生がバイト先を掛け持ちして週28時間以上の就労を行っている事実を把握できてしまうのでは、でもって処分されるのではというのが不安の中身です。

 実際の運用がどういう風になるのかまだわからないものの、可能性としてはなくもない話です。何で政府が留学生の就労時間を規制しているのかというと留学目的で入ってきて本国への送金のため勉強そっちのけで働き続けるようなケースを防ぐためで、これについては非常によく理解できます。

 しかしその上で述べると、発展途上国などから着の身着のままやってきて、自らの生活費はもとより学費も含めて日本で働きながら調達する苦学生がいることも事実です。実際に私の周りの留学生二はそういう子が多く、卒業式の際にすぐ帰国するのかと聞いたら、「まず帰国費用を稼がなくてはいけない」と言い返したチリ人の女の子は未だに強く印象に残っています。
 私が何を言いたいのかというと、事情によって週28時間以上働かなくては勉強を続けられない留学生もたくさんいると思われるだけにマイナンバー導入後も彼らを追い詰めるようなことはしてほしくないということです。恐らくマイナンバー導入後もいろいろ理由付けたりしてお目こぼしをするんじゃないかという気がしますが、そんなことする位ならあらかじめ免罪規定を設けて、たとえば一定の学費を納める目的での就労であれば上限を緩和するなどといった救済措置を作って上げてもらいたいです。

<現行制度での留学生アルバイトのモデル収入>
・週28時間→月間約120時間  ・時給を1000円と仮定
120×1000=120000  おおよその月間収入:12万円

 この収入額ではよっぽどいい奨学金を得られない限りはとても私立大学、最近は国立も授業料上がっているので国立も含め、学費を納めながら生活していくことは難しいでしょう。

<産業界も大打撃?>
 この上限緩和を主張するという意見はただ単に苦学生が可哀相だという同情心から私は言っているわけではありません。もう一つの理由はかねてからこのブログでも主張しているように日本は現時点ですでに深刻な労働力不足となっており、その労働力を支えているのはほかならぬ外国人留学生のアルバイトです。深夜の居酒屋なんて店によっては「ここは日本か?」と思うくらい外国語が飛び交ってることもあり(調子に乗って自分も友人と中国語で話しだしたことある)、3K労働ではもはや外国人留学生なしでは成り立たない業種も多数あるとにらんでいます。そして彼ら外国人留学生は恐らく、週28時間の上限を越えて働いているのが現状で、この規定が厳格に運用されたら途端にあちこちのお店で従業員不足が深刻化するのではと懸念しています。

 内容をまとめると週28時間ルールを厳格に運用すれば外国人留学生、産業界が揃って損を食う羽目になりかねないので例外規定なり緩和条件を早く準備するべきだというのが私の意見です。もちろん勉強そっちのけでバイトしかやらないような留学生は問題なので、そういった学生は年間取得単位などでビザ更新を止めるなど罰則を設けてやれば、少しは制度も回るのではないかと思います。
 繰り返しになりますが、本当に大変な思いしてまで日本へ来てくれている留学生も少なくないのです。そうした留学生の気持ちに日本で学ぶ、生活する機会を広げてほしいというのが、外国に住んでる私の切実な思いです。

2015年12月24日木曜日

MRJと愉快なライバル達、それと今後の課題

「スター・ウォーズ」新作初日 千葉ットマン“お忍び鑑賞” ストーム・トルーパー姿で客に囲まれる(千葉日報)

 ここ最近で一番、「何やってんだこの人?」と思ったニュースです。ってかこういう人が身近にいればいいなぁ。

 話は本題に入りますが先日初飛行を成功裏に終えた日本国産ジェット機のMRJですが、初飛行を終えて大喝采を上げるのはまだ理解できるとしても、「今後の大成功は間違いなし!」、「性能の優秀さが証明された!」などと、少なくとも私から見ていて過剰に誉め過ぎる記事が余りにも多すぎるような気がします。航空業界に決して詳しくはありませんが販売して、営業飛行させるというきっかりした実績を作るまでは過剰に喜び過ぎずむしろ兜の尾を締める様な態度が必要だと思え、今日は少しMRJを取り巻く業界と今後の課題についてさっき勉強した結果を素人的に伝えようと思います。



 上記の比較表は東洋経済がリンク先の記事にてまとめた表で、素晴らしくよくまとまっててこの図表だけでもうこの記事も完結しちゃうんじゃないかと思うくらいの凄さです。簡単にこの図表とMRJを取り巻く背景を説明すると、まずMRJは乗客100人前後を乗せる「中小型旅客機」というカテゴリーに属し、このカテゴリー内で競合し合う機種というのが上記表にまとめられているわけです。

  中小型機というカテゴリー
 ちょっと脱線しますが中小型機というカテゴリーはどんな飛行機かというと、ジャンボジェットなどと比べて軽量かつ小型であることから燃費が良く、離発着が多い中短距離間を結ぶ航路に向いているとされるカテゴリーです。また今後世界市場でも需要が高まるとかねてから予想されていることから日本勢も参入したのでしょうが、それともう一つ日本国内の航路で需要が高いことも影響しているのではと密かに見ています。というのも日本の地方空港は滑走路が狭く大きな機体では入れられないため、こうした地域インフラを維持する上でも中小型機の国産化の必要性があったのかもしれません。

  MRJのライバル
 話は戻りMRJのライバルたちですが、老舗と呼ばれこれまで市場を握ってきたのはブラジルのエンブラエルとカナダのボンバルディアの二社で、新規参入組となるのがロシアのスホーイ、中国COMAC、日本の三菱重工となります。このうちロシアのスホーイに関してはあまり情報がないのですが、エンブラエルとボンバルディアの機種に関しては既に市場に出回っているものの設計がやや古く、燃費などの性能面ではMRJの方に分があると各日系メディアに書かれてあり私も納得できます。となると気になるのは同じく新規参入組でもある中国COMACのARJですが、隣国ということもあってやっぱお互いそれとなく意識し合う存在でしょう。

  中国のARJの実力は?
 ARJはMRJよりも早くに開発が始まっており、私も記者時代は開発状況とか受注状況などといったニュースの記事をよく書いてました。ぶっちゃけ書きながら、「ほんまこれ飛ぶんかいな?」と内心思ってましたが。
 MRJもそうですが中国にとっては初の国産旅客機開発ということもあって開発は計画通りにとは行かず、これまでに何度もスケジュールの延期を行っております。手元の中国語記事などによると2002年に設計開発が始まり2008年に初飛行、2009年3月に初納品の生産が始まり、2014年12月に当局の合格証を得て、2015年6月に検査で合格し、つい先日に初納入先の成都航空へ納められ近く正式な航空営業証が発行される見通しのようです。

 このARJの性能について日系メディアは、はっきり言えば見下した見方をしているのが大半と言ってもいいでしょう。実際に皆さんも検索して記事を見てもらえばわかるでしょうがやれ客室が狭いとか設計がMRJより古いとか開発経験がないとかメイドインチャイナだなどかなり厳しく書かれており、国際評価でもMRJの方が高いとも書かれてあります。ただこうした見方にはすこし頷けるというか裏付ける状況証拠がないわけでもなく、その状況証拠というのも初納入が成都航空という地方航空会社であるということです。
 中国の威信をかけて開発された機種なのですが何故かその初納品は中国三大航空キャリアこと中国国際、東方航空、南方航空ではなく一地方航空会社の成都航空へ引き渡されました。MRJは恐らく全日空か日航が最初に受け取るであろうことを考えるとやや違和感を覚えるのですが、この背景には中国三大キャリアはそれほどARJを高く評価していないためという噂が出ております。一応発注契約は出してはいますが最初は成都航空に掴ませて性能を確かめる、もとい実験台になってもらうという腹積もりがあり、中国政府も多少自認しているのかその案に乗ったためと、あくまで噂ですがこんな話を聞くわけです。

 なもんだから日系メディアはARJは中国国内でしか発注されず、海外市場では恐らく売れないだろう、MRJの敵ではないだろうなんてことをよく書いてます。なんせ性能ではMRJの方が圧倒的に上なのだから。

  本当にMRJは海外市場で売れるのか?
 ある意味この箇所こそ一番書きたかったところになりますが、やはり今の日本のMRJに対する意識は浮かれ過ぎであるような気がしてなりません。特に中国のARJに対しては、「性能では劣るはずがない」と言い切り、非常に強気な態度で見下す以外の目は持ってないように見える。
 しかし、性能が上だからといって必ずしも売れるとは限りません。インドネシアの高速鉄道の受注で先日、日本が中国に一敗地にまみれたのは記憶にも新しいでしょう。実績、性能で言えば間違いなく日本の新幹線の方が上でしょうが、この時は負けました。何故負けたのかというと中国が安値で攻勢をかけてきたというのもあるでしょうがそれ以上に政治力、いや販売力に差があったと見るべきでしょう。

 鉄道にしろ飛行機にしろ、海外で受注を受けるに当たっては安全性や性能、実績もさることながら何よりも大きく左右するのはやはり販売力です。いい物で値段がお手頃だからって売れるとは限らず、この辺に関する言及が日系メディアに全くと言っていいほど見当たらないことに自分は強い危機感を覚えています。

  楽観視はよくない
 こと販売力というか売り込みに関しては中国は本当にえげつないところがあり、果たしてそのえげつない中国に負けないえげつなさを日本はMRJの販売で発揮できるのか、そしてをそれを実行に移す人材がどれだけいるのか、いなかったり少なかったりするのであれば今この瞬間にこそ人材をスカウトなり育成なりすることが喫緊の課題であるように思えます。
 特に中国の場合、無理矢理海外実績を作るために半端ないダンピング攻勢こと大幅な値下げ戦術を取ってくることも考えられるし、メーカーの赤字分を政府が補填するという裏技も仕掛けてくることだって十分あり得ます。そのような場合に日本側はどう対応していくべきなのか、採算を維持した上でどうやって海外で実績を作っていくのかという戦略なり戦術を今この時だからこそ、相手は性能で劣っているからと言って見下し、楽観視するばかりでなくしっかり戦う準備をして蟻だろうが象だろうが向かってくるものすべてを一撃で叩き潰すくらいの気迫を持って売り込みをかけてもらいたいというのが私の本音です。

 結論を述べると、スペックで勝っていることをいちいち自慢ばかりせず、相手が誰であろうとなにがなんでも本気で売り込んで儲けるという強い気迫を日本は持つべきで、浮かれるのにはまだ早いというのが一素人としての意見です。

2015年12月23日水曜日

愛国心とは何か

 最近買い始めたラブコメ漫画に「女の子同士のキスはノーカウント!」というセリフがあり、これを見たそのまさに一瞬、「なら男同士は?」という妙な疑問がよぎりました。なんだろう、こんな疑問よぎるのって自分だけ?

 話は本題に入りますが、先日ふと道を歩いている最中に「愛国心とは何なのだろうか」という疑問がよぎりました。愛国心と一言で言ってもその定義する内容は使う人間によって大きく変わることが多く、Wikipediaの記述を見ても一番最初に大きく分けて二種類あるとして以下のように記述してます。

 一口に「愛国心」といっても、話者によってその意味するところには大きな幅がある。愛国心の対象である「国」を社会共同体と政治共同体とに切り分けて考えると分かりやすい。

・社会共同体としての「国」に対する愛着は「愛郷心」(あいきょうしん)と言い換えることが出来る。
・政治共同体としての「国」に対する愛着は「忠誠心」(loyalty)と言い換えることが出来る。
(Wikipediaから引用)

 この分け方には私も同感でそもそも愛国心という気持ちの対象が何であるのか、自国の国民なのか、民族なのか、文化なのか、政権なのか、国体なのか、言うまでもなく前三つと後ろ二つでは明確に区切る壁が存在します。そう考えると上記のWikipediaの記述がまさに適当だと思え、その上で述べるならば通常使う「愛国心」という言葉は後者で、前者はむしろ「郷土愛」などと呼んで使い分けを明確にした方がいいように思えます。
 何故このように述べるのかというと「愛国心」という言葉はやはり政治用語のように思え、政権などに対する距離感を言い表すためだけに使うべきだと思うからです。妙な例を作りますが、日本食が大嫌いで洋食しか食べないし歌舞伎や能は興味ないけどオペラ好きではあるものの、日々日本のため汚れ仕事も率先して引き受ける敏腕な諜報員(独身)がいたとすると、この諜報員は前者の意味だと「愛国心がない」ということになってしまいますがそれはちょっと違うんじゃないかと思え、政権のために尽くすという一点でもってやはり「愛国心がある」と言うべきだと思うからです。ってかこんな諜報員いたら会ってみたいよ。

 というわけで愛国心は政権や国体にのみ向けられる気持ちだと整理した上で次の疑問点をだすと、その気持ちが向けられる政権というのはいつの政権なのか。また変な例を出しますが中には徳川幕府復興を志してまだ活動している人もいるかもしれず、その人は現在の政権に当たる日本政府に対して反動分子でありますがかつての政権である徳川幕府には忠を尽くしているわけで、こういう人は果たして愛国者と呼べるのでしょうか。同時に、現政権を打倒して新たな政治体制の確立を目指して活動している人間も呼べるのか。
 この疑問の答えははっきりしていて、やはり時の政権以外であればすべてテロリストでしかなく現代でテロリストを愛国者と呼ぶことはまずないので、愛国心は時の政権以外に向けられたものはもはや愛国心ではないというのが私の考えです。仮に革命がうまく成功して政権が転覆すればそのテロリストたちは愛国者として語り継がれるかもしれませんが、それはあくまで成功した上での話であって成功する前の段階でどうこういうべきではないでしょう。

 長々と整理してきましたが核心部分に入りますと、時の政権に対する一体どういう気持ちが愛国心となるのか。単純にその政権を支持する気持ちが愛国心なのかどうかですが、キーワードとなるのはじ「自己犠牲」があるかないかではないかという気がします。国家のために自分を犠牲にして命も捧げるような感情が愛国心なのか、そこまで行かなくても単純に国のために何かできる範囲で協力しようという気持ちがあれば愛国心と言えるのか。
 これは人によって考え方は違うでしょうが私の中の答えを述べると前者で、命すら捧げる気持ちがあって初めて愛国心と呼べるのであって程度の差なんてものはない気がします。なので「愛国心を育てる教育」なんていうのは間違いであって本来ならば「愛国心を作る教育」と言う方が適切ではないかとも考えます。

 なんでこう極端な物言いをするのかというと途中まで愛国心を考えているうちに、「突き詰めればこれは国家に対する『忠』なのでは」というように思え、儒学の価値観に沿うならすべてを投げ打ってでも仕える対象に尽くして初めて「忠」と言え、命の危険を感じて引き払ったり距離を置いたりするのはやっぱり利己主義であって忠とは異なるように感じたからです。
 なんかこう言うと時の政権の言うままに命を差し出すべきだと言ってる極端な人間のように思われそうだから釘刺しときますが、儒学の忠には「諌止の忠」もあり、「命を懸けて主君を諌める」事も含まれており、私もこういう行動も愛国心だと言えると考えています。政権に対して無批判でなければ愛国心がないというつもりはさらさらありません。

 ゲームの「メタルギアソリッド3」でまさにこの「愛国心」という言葉の定義を主人公と敵役が議論というか一方的にまくしたてられるシーンがありますが、ボロ雑巾のように国家に使い倒されてもなお文句ひとつ言わず受け入れることが国家へのLoyaltyであって「愛国心」であると言い、その上で敵役は主人公に対し、「お前の忠はどこに向けられている?国家か、任務か?」と問います。その後の話をすれば主人公のネイキッド・スネークは国家を「棄て」、兵士が使い捨てられないような世界を目指して自らの「国家」を作っていこうすることになります。
 この例に限るわけじゃないけど、本質的に愛国心と平和は同じ軌道上にはないのかもしれません。

2015年12月21日月曜日

大阪人は何故海外に強い?

 昨夜また前に原稿書いた中国雑誌社の編集者に原稿を依頼され、中国語でバッと記事書いたので疲労困憊です。書く時間はたっぷりあったけど慣れないテーマだったのと、最近ちゃんとした媒体に載せる記事書いてないから吐きそうな気分になりながら必死で900字弱で記事を書き終えました。
 なのでこっちのブログの方はパパッと書けるネタとして、昨日ちょっと飲み会で聞いてきた話を書きます。

 まず言いたいことだけ書くと、日本人の海外勤務では関西人、とりわけ大阪人が多方面で強いです。なんだかんだ言ってストレス多いから身体や精神やられる駐在員は決して少なくないのですが、大阪人でそういうのがやられるという話はほとんど聞かないし日本食屋とか言ってるとでかい声で関西弁がよく聞こえてくるなど、大阪人はどこ行っても大阪人だなと思いつつその海外での強さの秘密は何なのかと気になってました。
 何故気になってたのかというと、大学時代の友人との会話が原因です。その友人は岐阜出身なのですが彼曰く、就職活動の際に周りの大阪人は海外はおろか大阪府、下手すれば大阪市からも出たくないと言う奴が多かったと話しており、実際に私も「東京勤務になるなら仕事辞める」とまで言う人を見たりしました。なおその岐阜出身者は海外勤務になったら会社辞めると言っておきながら、面接時はどこでも行きますよアピールして内定取ったそうです。

 話は戻りますがこの過去の体験を鑑みると大阪人はどっちかっていうと地元に縛られてあまり外向きではないのかなと感じたのですが、実際の海外現場ではどこの出身者よりも元気なのは大阪人です。このギャップが気になってしょうがなかったので昨夜直接大阪人二人に、「なんでなん?」って聞いてみたところ、「若いうちは大阪出とうなかったよ」という回答がもらえました。
 その後はあまり深く突っ込みませんでしたが、あの一瞬の回答から察するに社会に出る前の段階では地元愛が強すぎて外界に対して出ていこうという意識が弱い一方、一旦社会に出ると仕事というか商売にのめり込んでぐいぐい出て行こうとばかりに考えが切り替わるのかなと思いました。もちろん個体差はあるでしょうが。

 でもって海外で強い要因に関してはこれは前からもほぼ確信してますが、概念が揺さぶられないのが何よりも大きいでしょう。自分の常識や価値観に対して目の前の人間なり社会が異なった動きを見せると人間は多かれ少なかれ動揺しますが、この際に相手が正しいのか自分が正しいのか、この迷いが大きくなると不安が高まります。関東というか東京の人は周囲に対してカメレオンのように合わせることを信条としているだけに海外では現地に合わせようと行動するも合わせられる限界を越えてパンクする傾向がありますが、これが大阪人だと自分のやり方のが正しいと思って合わせずにむしろ相手を自分の流儀に引き込もうとするので動揺しないのでは、というのが私の分析です。

 こういったことを話したら昨夜話した大阪人のうち一人が、「せやせや、うちのかみさんも中国語わからへんのに中国人の店員相手に電卓ひとつで必死に値切っとったで」と、我が意を得たかのように話し出したので、自分の見方は当たらすとも遠からずではないかとみております。ちなみにこの自分の流儀を押し付けるというタイプですが中国人も当てはまり、アメリカ行っても中国語でしゃべり続けるあたりはほんと大阪人と相性いいなと思います。

2015年12月19日土曜日

危機を切り抜けた名パイロットたち その四

 このシリーズもようやく手持ちストックを使い切れます。当初は一回で全部取り上げようとしてたけど、四回に分けて正解だった。

11、ノースウェスト航空85便緊急着陸事故(2002年)
事故内容:ラダーの破損  乗客乗員数:404人

 米国・デトロイトを出発して太平洋へと飛び立った同便は安定して飛行していた最中、突然機体が左方向に傾くというトラブルが発生しました。パイロットらは当初、左側のエンジンにトラブルがあるのではと考えたもののエンジン回りは特に誤作動はなく、またありとあらゆる方法で原因を捜したもののやはりわからず、緊急事態であることを管制に告げた上で緊急着陸先のテッド・スティーブンス・アンカレッジ国際空港へと向かいました。先ほどにも述べた通りに期待は常に左側へ傾いたままでした。しかも姿勢を制御する補助翼も操作を受け付けなかったため、パイロットらは左右のエンジンの出力を調整することで機体を見事に制御し、着陸先の空港でも大過なく無事に着陸してのけました。
 着陸後、機体の検査によってわかったのは姿勢を制御するラダー(尾翼についている稼働する羽)が金属疲労によって破損し、左側に傾いたまま動かなくなってしまったためでした。こういったラダーの故障は過去には一例もなく、原因がわからないまま最後まで操縦し続けたパイロットたちは航空会社から大きく賞賛されることとなりました。
 なお、同便の行き先は何気に成田空港だったりします。

12、ブリティッシュ・エアウェイズ9便エンジン故障事故(1982年)
事故内容:火山灰  乗客乗員数:263人

 マレーシアのクアラルンプールからオーストラリアのパースへと飛び立った同便はインド洋上を飛行している際、本来雷雲を通っている最中にしか見えない発電現象の「セントエルモの火」がコックピットの中で確認されました。しかしレーダーでは雨雲は表示されておらず、何故この現象が発生するのかと思っていた矢先、突然4つのエンジン全てが停止してしまいました。
 発電機などはまだ生きていたため最低限の機体操作は続けられ、高度も確保されていたためエンジンが停止したままでも相当の距離を飛行できる状態でしたが、同便の航路途中には山岳地帯があり、11500フィート以上の高度が無ければこの山肌に衝突してしまう危険性が残っていました。機長は必死で操縦を続けましたが、いざとなれば海上への不時着も覚悟していたそうです。
 機長らはエンジンの再始動を繰り返したもののエンジンは戻らず、しかも悪い事態は重なるというかエンジン停止によって機内の与圧が下がってきたことから酸素マスクをつけようとしたところ、副機長のマスクが壊れるという事態に見舞われました。そのままだと副機長は酸素不足から気絶する可能性があるため、やむなく機長は酸素濃度を上げるため維持し続けたい高度を下げる決断をしました。

 既に機体は山岳地帯を越えるのに必要な高度を下回る11400フィートに達し、もはや海上着水もやむなしと思ったその瞬間、突然第四エンジンが復帰し、さらにほかのエンジンも次々と復活しました。蘇ったエンジンで機体を立て直し緊急着陸先のハリム・ペルダナクスマ国際空港へと向かったところ、それまで夜間帯の飛行であったため気づかなかったのですが、コックピットの窓ガラスは一面真っ黒になっており窓の先がほとんど見えない状態になっていました。こんな悪条件の中、わずかに見える隙間を頼りに滑走路に狙いをつけ、無事にそのまま着陸して乗客乗員のすべてが生還へと至りました。

 事故原因は頭の所に書いてある通りに火山灰で、インドネシアにあるガルングン山の噴火によって噴出した火山灰が同便が通過する航路にまで達し、エンジンがその灰を吸いこんだことによって灰が熱でガラス化し、詰まってしまったため停止してしまいました。雨雲を捉える気象レーダーは水蒸気に判別するのですが火山灰は乾燥しきってているため感知されず、レーダー上には表示されなかったためその存在に気付くことがありませんでした。無論、この事故を受けて世界の航空業界では火山灰が大きな事故要因になると見て、火山灰に対する観測も始まることになりました。
 なお何故最後にエンジンが復帰したのかというと副機長の酸素マスクが壊れたことによって機体の高度を下げたところ、高高度にまで飛んでいた噴煙は下げた先の高度にはなく、また詰まった火山灰も剥がれ落ちたため復帰することができました。逆に言えば、もし酸素マスクが壊れず高高度を維持していたら……と思うと非常に怖いものがあると同時に、こうした偶然が不思議な奇跡を生むのだなと感じさせられる一端です。

13、ユナイテッド航空232便不時着事故(1989年)
事故内容:全油圧システム喪失  乗客乗員数:296人(死者111人)

 同便ではデンバーからシカゴへ向かう途中、突然の異常音と共にすべての舵が効かなくなるという異常事態に陥りました。同便には乗務員として乗り込んだ三人のパイロットがいましたが、たまたま非番で乗り合わせたデニス・E・フィッチ機長もおり、事態発生を受けフィッチ機長もコックピットに入り対応することとなりました。
 パイロットらは機体の状態を点検し、機体操作に必要不可欠な油圧システムが一本残らずすべて喪失したことを確認しました。この事故原因は第二エンジンのファンブレード(エンジンの羽)が金属疲労によって飛び散り、吹き飛んだ破片が機体本体に衝突した際に油圧システム全てを切断したためでした。

 油圧システムが使えなくなるということは車で言えばハンドルを動かせなくなるような事態なのですが、フィッチ機長は飛行経験が豊富だったことと、たまたま少し前に全油圧システム喪失を想定したシミュレーション訓練を受けており、残ったエンジンを操作することで機体姿勢を維持する、さっきの車で言えばアクセルワークで上下左右を操るような離れ業でもって緊急着陸先のデモイン国際空港へと飛行し続けました。
 旋回すらおぼつかない中で空港へとたどり着いた同便は着陸直前まで理想的な姿勢を維持したものの、最後の最後で機首が下がり、機体が滑走路に衝突したため炎を上げながら分解するように転げまわってしまいました。ただ待機していた消防隊が迅速に消火、救出活動を行ったことで、111人の死傷者が出たものの185人は生還を果たすことが出来ました。

 見てわかる人はすぐわかっていたでしょうが、全油圧システム喪失という事故原因はあの御巣鷹山の事故こと日本航空123便墜落事故と全く同じものです。ただ日航の事故では全油圧システムとともに尾翼部が吹き飛んでおり、このユナイテッド航空の事故と比べれば姿勢を維持することすら難しい状態に置かれたものでした。
 前述のフィッチ機長が行っていた訓練というのはまさにこの事故を教訓として作られた訓練であって、死傷者こそ出たものの、そういう意味ではあの日航の事故に対して借りを返してくれたような生還劇だったのではないかと個人的に思えます。

2015年12月18日金曜日

自動証明写真撮影機で

 昨日から今日にかけてビザ更新手続きのため上海にある事務所などへ赴いておりました。昨夜上海で夜を明かした翌朝に当たる今朝、目的の事務所へ向かう途中であらかじめ用意しておく必要のある証明写真八枚をまた準備していなかったことに気が付き、「そうだ、あいつを使ってみよう!」とある案が閃きました。

 通常、中国で証明写真を取る際はそこら辺にある広告屋に行ってその場で撮影してもらい、印刷してもらうのが普通です。これだと一枚当たり1元(約20円)とか2元(約40円)と格安ですがまんまデジカメで撮影したのをプリンタで撮影するだけなので、正直あまり写り具合はよくありません。以前に頼んだところなんか白いシーツをもう一人が後ろで構えながら撮影した上、印刷前にもパソコンでやたら光沢を強くしてピカリン星人みたいな写真にされたのでげんなりしました。
 なお中国ではほんとそこらじゅうに広告屋兼印刷屋があり、ちょっとしたチラシや看板、タペストリーなど言えば割とすぐ作ってくれます。使い始めたのはつい最近ですが、案外便利な存在だと気づきつつあります。

 話は戻りますがそんなに写真写りを気にする方ではないもののもうちょいマシな写真にしたいと思い、今回中国では初めて自動証明写真撮影機を使うことにしました。
 こういった自動撮影機(省略しよっと)は日本だとごく一般的で昔からありますが、中国では恐らく上海だけ、しかもつい最近になって出回るようになりました。少なくとも三年前はどこ行っても見つからなかったし。聞くところによると日本からこういった機材を送るようになって使われ始めたそうですが、何気に送る事業に自分の大学のゼミ同期が関わってただけに思い入れが深いです。

 そんなこんだでとある上海の地下鉄駅に設置されてある自動撮影機を見つけ、早速撮影してみました。私の必要な写真サイズは3.5×4.5cmなので6枚撮るのに30元(約600円)かかるのでなんか高いなと思いつつ、20元札二枚入れて早速撮影スタート……と思いきや、「これってどうやって使うの?」、と言っていきなりおばちゃんが乱入してきました
 まだ画面開いて写真サイズを選んでいる最中だったので、「金入れて、写真サイズ選んで、椅子の位置調整して撮影ボタンをピッと押すんだよ」と操作しながら説明し、「それじゃこれから自分の写真撮るからちょっとどいて」といったら、「あら、あんた撮影してたの?」と言うあたり、自分のことをメンテナンス要員かなんかだと勘違いしてたのかもしれません。

 何はともあれおばちゃんどかして撮影し、お釣りの10元取ろうと思ったら何故か出てきませんでした。どうやら吸い取るだけ吸い取ってお釣りは出さない仕様のようです。
 さらに、私が必要な写真枚数は8枚に対してい界の撮影では6枚しか出てきません。そして私の手元には20元札が2枚しかなく、なんかもうわざわざくずすのも嫌になってそのまままた40元突っこんで2回目の写真撮影に臨みました。この際、またおばちゃんに一から操作を説明しつつ……。

 最終的に出てきた12枚の写真はなかなか移り具合がよく、やっぱり証明写真は自動撮影機に限るなと改めて感じました。使い終わった後でおばちゃんに、「椅子を回して高さを調節するんだよ」と言って撮影機を明け渡し目的の事務所へ向かいましたが、その途中で今度はおっさんから地下鉄車内で、「上海南駅にはどうやっていくの?」と道を尋ねられ、「あそこの駅で3号線に乗りかえれば着くよ」と教えてあげました。
 振り返ってみてなんかやたらいろんなことを教える日だったなと思え、自分にも人生の道筋を教えてくれる人でてこねぇかなと思いながらこの記事書くことにしました。

2015年12月16日水曜日

中国での中学生過労死事件とその教育

中学生の「過労死」、中国で問題化 宿題大量、睡眠削り「寝たい…」(with news)

 今日たまたま見かけたニュースですが、見出しを見て「なにこれ?」と目を疑いました。詳細はリンク先に書いていますがなんでも、中国人の中学生がある日教室の中で過労死によって亡くなったそうです。これだけ書くとまるで意味が分からないからすっごいニュースでしょう。
 何故その中学生は過労死したのか。ってか働いてないだろうというツッコミを抑えつつ記事を読むとその子は深夜遅くまで宿題をし続けており、恐らく勉強のし過ぎによる負担が限界を超えて心不全かなんかを起こしたようらしいです。勉強のし過ぎで死ぬなんてと思いたくなりますが、この事件が起こった背景に中国で過剰ともいえる受験競争があるということも記事中では丁寧に解説されています。

 以前に私もこのブログで取り上げたこともありますが、近年の中国における小中高生の勉強ぶりは熱心過ぎるというかもはや過剰な領域にあり、日本人である私だけでなく既に成人した中国人などからも「最近の子供は可哀相だ」などという声がよく聞かれます。学校内では夕方5時や6時くらいまでびっしり授業があり、その後ピアノなどおけいこ事をこなした後は自宅で大量の宿題に忙殺されるというハードスケジュールは当たり前で、記事中にも書かれている通りあまりにも宿題が多いから親が子供の代わりに半分こなすなんて言うのも当たり前です。

 何故が続きますが何故これほど勉強を無理強いするのかというと、近年の中国では大学受験競争があまりの過剰になりすぎており、中学や高校でいい成績や内申が採れないと進学すらままならず、また景気はそこまで悪くはないものの一程度の収入を得るには名門校とされる大学を卒業する必要があり、そこへ受かるためには文字通り血反吐を吐くような勉強が必要とされます。

 こうした中国の受験戦争は既に主要な社会問題として認知されておりますが、ただでさえじんこうが多いってんのに競争がさらなる競争を呼ぶ悪循環が続いており、私の実感でも十年前と比べると今の方がさらに激しい競争になっているような印象があります。友人にこの話題を振ってみたところ、「昔から科挙がある国なだけに受験戦争は珍しいわけでなく、勉強漬けを悪いと思っていないところがあるんじゃないか」となるほどと感じるコメントをくれました。

 それほどまでに激しい勉強を続ける中国の子供たちなだけに以前に実施された国際学力テストでは確か上海の子供が平均で世界一位を記録するなど、さすがという実績を残しています。しかしそういった教育を受けてきた中国の若い世代に何人か話を聞いたりしましたが、彼ら皆口を揃えたかのように「詰め込み教育で発展がない」、「英語とか実践では使えない試験のための受験英語だった」などと、実が伴っているかというやや疑問な所があります。特に想像力を鍛えるような分野に至っては誰もが「改善が必要」と述べており、なんとなくですが日本の昔の詰め込み教育時代を思い出し、今の中国こそゆとり教育が必要なのではと思うところがあります。

 あと最後にちょっと話題が発展した内容を盛り込みますと、中国は日本との国交回復直後に日本へ留学生を送ってきましたが、彼らは半年間だけ日本語を勉強した後で東大に留学生として入学しました。何が言いたいのかというと中国というのは先ほど述べた通りに人口が多いだけあって突出したエリートというのはやはりいるのです。彼らは教えれば教えるほど吸収してしまってそれを物にしてしまうのですが、今の中国の教育はそういったエリート向けの教育をエリートではない一般レベルに課してしまっているから問題なのではと思えてなりません。
 人気漫画の「暗殺教室」にも似たようなセリフが出てきますが、エリートには耐えられる内容でも普通の人には耐えられない教育というものは存在しており、それらを切り分ける棲み分けなり選抜なりがうまく機能していないがゆえに今の中国の教育システムはやや大きな問題を抱えているのでは、というのが個人的な分析です。

  余談
 私は自分のことを「特殊な分野の才能を持った凡人」レベルと自己評価してます。無駄に体力あったりこうした文章書くのにストレス感じないといったところが主な理由で、「エリート」ではないとはっきりと認識してます。
 というのも過去に何人かそういうほんまもんの「エリート」を見ており、個人的にそういう自分が認識できる上限を大きく引き上げてくれた友人に早くに出会えたことは幸運だったと思います。

2015年12月15日火曜日

虚像が独り歩く歴史人物

 昨日の記事で歴史証言者はよく事実とは異なる嘘の証言を突く傾向があるということを紹介しましたが、実際にそのような形で誤った証言が出されたため実態とは異なる虚像が独り歩くようになった歴史人物というのは数多おります。近年はこの方面への研究が進んできてこうした実態とは異なる虚像を正そうとする動きが盛んで以前とは評価が逆転する人物も多く、私も過去に取り上げたように「信長は当時の感覚からすると言われている程残虐ではない」とか、「石田三成はそこまで戦下手ではなかったのでは?」なんていう声も聞こえてくるようになりました。

 そんな中、未だに虚像が独り歩きしている人物も少なくありません。私がそう思う人物の筆頭だと思うのはほかならぬ勝海舟で、彼に至ってはほかの人が誤った証言をしたためというよりは自ら自分の業績を誇張する癖があったためで、しかもやたらおしゃべりでいろんな人間に語り聞かせたりしたもんだから収集つかないような状態となっております。
 一番有名なのだと咸臨丸でアメリカに渡った際は堂々とした態度でアメリカ人との交渉に臨んだと自ら言ってますが、同乗してた福沢諭吉からすると、「ずっと船酔いでゲーゲー吐いてただけじゃねぇかよ」とツッコまれています。また坂本竜馬は当初は勝を暗殺するため訪れたが勝の話を聞いてその場で弟子入りを志願してきたとも勝自ら話してますが、さすがにそれは出来過ぎというか誇張が入っているのではないかと私にも思います。第一、坂本竜馬自体そんなに暗殺仕掛けてないし。

 この勝と同じで自ら嘘をばらまいたというのがマッカーサーでしょう。この人は若い頃から自分を英雄願望強かったためやたら無駄にかっこいい言葉を用意していて「アイシャルリターン」とか「待たせたな、フィリピンの諸君」みたいなことをわざわざ記録させていますが、日本のGHQ統治の際も政治的思惑と共にいろんな嘘つきまくってたもんだから半藤一利氏をして、「こいつのいうことは真に受けてはならない」とまで言わしめています。
 マッカーサーがついた嘘の中で最大級だと私が思うものを上げると、まだ確定ではないものの憲法九条の発案者です。私が子供だった頃までは戦争放棄を謳ったこの法案は日本政府側から発案されたと誰も疑っていませんでしたが、当時からつい先日までがちがちの軍国主義だった日本がこんな内容を発案できるのかと疑っていました。そしたら案の定というかこの九条発案は日本側からだと喧伝してたのはマッカーサーだったようで、恐らく日本が平和協調主義に傾こうとしていることをアピールするために言いだしたんだと思いますが実際にはGHQ内部で発案し、盛り込んだものだったと思われ、近年はこうした考えが段々強まってきております。

 最後にもう一人上げると、これは先の二人とは違って確実に周囲の証言が独り歩きしてしまったと思える者として白洲次郎が挙がってきます。彼ほど近年になって急激にクローズアップされた人物はいないと思え、5、6年前にはやたら本が出版され「GHQ相手に一歩も引かなかったダンディな男」というイメージが付きましたが、堂々とした態度の人だったとは思うものの世間で言われているものはやや誇張され過ぎではと考えています。
 特に一番有名なエピソードとしてあるマッカーサーとの絡みで、昭和天皇からのクリスマスプレゼントを持って行ったらそこに投げといてと言われて、「陛下からの贈り物に失礼なことをするな!」と言い返して無礼を認めさせたというものですが、さすがにこれはどう考えても事実ではないでしょう。Wikipediaにも書かれてますがマッカーサーとの面会者リストに白洲次郎の名前はなく、また届け物を一役人が直接マッカーサーに渡すなんて普通に考えて有り得ず、爆弾ではないかどうかなど必ずセキュリティが一旦受け取って中身をチェックしたであろうと考えるとこれはさすがに虚像じゃないかと思うわけです。

 案外この手の虚像というのは「理性的に考えたら有り得ない」というのを発端にして調べていくと実態が明らかになることが多く、やや自画自賛ですが上記の憲法九条絡みの話は子供ながら疑問を持った過去の自分を褒めてやりたいです。なお歴史科目は子供の頃からやたらめったら強く、多分生涯で見ても100点満点中80点以下は一度も取ったことがないような気がします。

2015年12月14日月曜日

歴史証言者は嘘をつく


 今日の晩はすき家に行って、上記のすき焼き鍋定食を食べて帰ってきました。量、味共に納得できるものでこれで38元(760円)はありがたいです。
 それにしても湯気がえらい出るからパシッと撮ったけど、いまいち新しい携帯のカメラは前のサムスンのより悪いな。この新しいMEIZU(魅族)の携帯もまた今度取り上げます。

 さて話は本題に入りますが、かねてからこのブログでも言っていますが私は歴史研究家である半藤一利氏のファンで、基本的に歴史観はこの人に準じています。もし自分と半藤氏の歴史観で異なる部分があれば半藤氏の見方の方が正しいと見て合わせようとするほどで、世にいろんな論客はいますが彼ほど落ち着いて、なおかつ公平な視点はほかに見当たりません。
 その半藤氏の経験談として私が唸らせられた言葉に、「証言者はよく嘘をつく」という言葉があります。半藤氏は戦後間もなかった頃、文政春秋社に入社してすぐ第二次大戦時の日本側キーマンたちへの取材を行っており、巣鴨プリズンにも何度も入り浸っては軍人や官僚、皇居の侍従や職員などへの聞き取りを行っておりますが、その際に上記の言葉を身を以って知ることとなったそうです。

 一体証言者らは何故嘘をつくのか。多くの理由は自らの失敗や責任を忌避するためで、また自分の功績を実態以上に大きく見せようという動機が大半ですが、中には親友や上司を庇い立てするため失敗の原因を他者に転嫁しようとしたりするものもあり、一人の証言者から聞いた内容は即真実としては扱えないとして必ず複数の証言を比較し、場合によっては異なる証言を言う者同士を集めて直接確かめ合わせるなどして戦中期における詳細な記録を半藤氏はまとめ上げております。
 なお半藤氏の言によると陸軍関係者はお互いに、「あいつのせいだ」、「あいつが悪かった」などと聞いてもないのに悪口を言い出す人が多かったので全体像がすごく掴みやすかったそうです。一方海軍はというと、「サイレントネイビー」という言葉の通りに自分にも他人にも言い訳じみたことを全く言わず黙ってしまう人が多かったので聞き取りにおいて逆に苦労したと述べてます。

 話は戻りますがこの半藤氏の言葉はまさに金言で、歴史を研究する人は必ず胸に入れとかなくてはならない言葉と言えるでしょう。歴史学というのは様々な資料を見比べながら何が真実かを確かめる学問ですが、数多ある証言の中から正解を一つだけ引き抜く推理力みたいなものも要求されるのだなとこの言葉を聞くだに思います。

 ということを、大学で中国古代史を選考していた友人に話すと、「当たり前じゃないですか」とどや顔で言われた上、「だからこそ陳寿の書いた『三国志』は高く評価されてるんですよ」問ことを逆に教えてくれました。
 歴史書の「三国志」は紀伝体という形式で書かれており、これは年表ごとに何があったかを書く編年体とは異なり、登場する人物ごとに歴史事実をまとめるという形式です。劉備なら劉備、曹操なら曹操で独立して完結する内容になっているのですが、子細に各人物伝を比較すると同じ事件に対して内容が異なって書かれている所もあったりします。たとえば「魏延伝」では蜀軍が追撃に成功したと書かれてあるのに「張飛伝」では追撃したものの逆襲されたと書かれるなどといったところです。
 これは当時においてもその事件に関する証言や記録が複数あったということを示しており、いわば両論併記のようなものです。二つの伝にしか書かれてない場合は判別し辛いですが、さらに三人目、四人目の伝と見比べるとだんだん真実が見えてくることもあり、そうした比較が一冊の歴史書でできるという点で三国志は高く評価される歴史書だとの事です。

 ちなみにもし自分が有名になって後年に知人などへ証言が求められたりすると、「あいつはいろいろとアレな人物だった……」、「悪い人ではないけどいい人では絶対ない」なんて正直に言われそうな気がするので、あんま有名にならない方がいいかもしれません。

2015年12月13日日曜日

南宋末期の襄陽・樊城の戦い

 「樊城の戦い」とくれば三国志マニアにとってはお馴染みの名場面で、魏・呉・蜀がそれぞれの思惑で動き、最終的に関羽が敗死したことで三国間のパワーバランスも大きく変化するなど歴史上でも大きな影響を残した重要な戦いです。しかしこの地こと現在の湖北省襄陽市近郊ではその後の時代においても重要な戦いが起こっており、今日はその一つである南総末期に起こった襄陽・樊城の戦いについて紹介します。

襄陽・樊城の戦い(Wikipedia)

この戦争が起きたのは13世紀の1268年で、この時代の中国は北半分をモンゴル民族が打ちたてた元が治め、南半分を漢民族の亡命政権である宋(区別するため「南宋」と呼ぶ)が治めるという一種の南北朝時代でありました。パワーバランス的には圧倒的に元の方が上でしたが複数の民族の連合政権的な特徴を持っていたことと、当時の中国北方地域は食料や製品などといった物資を南方地域に依存していて交易を続けていたため、南北朝に分かれた後でもなかなか統一実現に動くことはありませんでした。

 しかし当時の皇帝であり日本への元寇でもお馴染みなフビライ・ハーンは長年の悲願でもある中華統一をめざし、南宋への遠征軍を仕立てると重要軍事拠点であった襄陽・樊城へと軍を進めました。この元の遠征軍に対し南宋側は、当時南宋国内でも随一の将軍であった呂文徳と、その弟である呂文煥に守備させることにさせ、長期間の籠城にも耐えられるよう膨大な物資を運びこんだ上で元軍を待ち構えました。

 こうして準備万端整えていた南宋軍でしたが、フビライはかつてこの地の奪取に動いたものの失敗した遠征に同行しており、力攻めが非常に難しいことを理解しておりました。そこでフビライが採った戦法というのも南宋軍と同じく持久戦に持ち込むというもので、補給地をしっかり確保した上で樊城を丸ごと土塁で囲い込み包囲するというこれまたビッグスケールな作戦でした。
 これに動揺というかびっくりしたのは南宋軍で、長距離からの遠征軍だからてっきり力攻めを仕掛けてくると思ったら逆に持久戦を採ってきたので肩すかしを覚えつつも、ただ黙ってみているのではなく包囲の隙を突いて何度か攻撃を仕掛けたりしましたが元軍はほとんど反撃せず守り続けるだけで、仕方なく城内へ引き返すだけという有様でした。

 そして、五年間が過ぎましたとさ……。

 世界史上ではウィーンやコンスタンティノープルなど数年間にも及ぶ包囲戦というのはままありますが、この時の樊城でも長期間の籠城戦が続きました。この間、1271年には兄貴の呂文徳が病死し、また外部から包囲を解こうとほかの地域から送られてきた南宋の援軍が何度か元軍に挑みましたが悉く返り討ちに遭い、この際十万もの援軍を率いた范文虎という将軍は大敗して後に元軍へ降伏しております。
 そんな苦しい逆境にありながらも兄の遺志を継いだ弟の呂文煥は必死の抵抗を続けていましたが、本国へ何度も出す救援要請は以前から折り合いの悪かった宰相の賈似道にあまり相手にされなかった挙句、緊急であるという事実すら皇帝には隠されてしまって文字通り手も足も出ない状態が続きました。そこへきて元軍が新兵器の「回回砲」という原始的な木製大砲を用意して攻撃しはじめ、この兵器によって城壁がもろくも崩れ去っていくのを見て呂文煥もついに降伏を申し出て、足かけ五年にも及んだ籠城戦は1273年に幕を閉じます。

 降伏した呂文煥は敵ながら見事な指導力と持久力を持つとフビライに評価されそのまま元軍の将軍に任命されます。そしてそのまま南宋の首都臨安(現在の浙江省杭州市)に至る途中で各都市を時には陥落させ、時には説得によって無血開城させ、大いに大功を立てたそうです。ただこの進軍中には降伏したと見せかけ、呂文煥を暗殺しようとする将兵が待ち伏せしてて命からがら逃げたということもあったと記録されています。

 ウィキペディアの記述によると、この呂文煥は国家に背いて降伏したもののその戦いぶりから「反逆者」などと非難されることはあまりなく、むしろ同情の目で見られることが多いと書かれています。果たして本当かなと思い中国のサイトなどを覗いてみましたが、中には「漢民族の奸(漢奸)だ!」と非難する人もいましたが、どっちかっていうと「戦うだけ戦いつくした人物じゃないか」、「降伏しなければ元軍に国土が蹂躙されていた」、「それ以外もう手がなかったのでは」などと、確かに擁護する意見の方が多いように見えました。
 私も同意見で、先程見た中国語のサイトだと「五年間籠城していた頃は英雄、降伏してからは反逆者だ」なんていう意見もありますが、死ぬことが必ずしも国への忠かと言ったらそうでもないと考えてますし、またフビライ側も彼を優遇することによって南宋の諸都市に安心感を与え、無血開城させ余計な被害を抑えようとした向きもあり、敢えて言うなら「国破れて山河在り」という言葉を実践するのに大きな役割を果たしたと思える人物です。

 なお呂文煥は南宋滅亡後も元に重臣として仕え、日本への遠征に賛成していたそうです。また樊城の救援に来て元軍に降伏した范文虎という先程出てきた将軍も同じように賛成したところこっちは1281年の弘安の役に従軍させられ、台風で船が悉く沈む中で将兵を置いたまま命からがら中国に戻ってきましたがそれが後年になってから敵前逃亡だと告発され、1301年に時の皇帝である成宗によって斬首されましたとさ。
 南宋末期のキャラは意外と日本にも関わってくるからこの時代は面白かったりします。

2015年12月12日土曜日

荒れ狂う週末


 今日手袋を購入するため立ち寄ったユニクロが入るショッピングモール内で撮影したのが上の写真です。画像が小さいためちょっと見辛いかもしれませんが池の中にいるのは金魚で、見ての通り子供たちが金魚すくいならぬ金魚釣りをやってて、「ほんま釣れるんかいなこんなん」とか思ってたら目の前で一匹釣る人が出てきて、慌てて携帯カメラ出したが間に合いませんでした。
 なお、自分もちょっとやってみたいなと興味はありました。


 そんな金魚釣りを見てから数分後、同じモール内の広場で会ったのがこの遊具です。また急いで撮影したから左の兄ちゃんが主役っぽいですが真の主役は右から中央にあるクレーン車で、なんとこれ、子供用の遊具でした。
 写真の奥の方で子供が乗って動かしてますが、クレーン部分が動いて目の前にある枠の中の砂を掻き出して隣に移し替えるという遊び方のようです。地味にいい動きして、「俺もこれやってみたいんだけど」と思いならシャッター切りました。子供ばっかりずるい。

 話は少し戻りますが今日なんでユニクロくんだり手袋買ってきたのかというと、単純にそれまで使っていた手袋失くしたからです。自分のような自転車乗りにとって手袋はマジ必需品でこれまでは自転車メーカーGIANT純正のでっかい手袋つけてましたが、この前バス乗った際に社内で脱いでポケットに入れてたら車内で片方だけ落としてしまい、泣くに泣けない状態で雨の中打ちひしがれながら帰宅しました。
 仕方ないので買い直そうと今日午前にGIANTのショップ言ってみてきましたが、まぁどれもこれも高いこと。一番安い夏用みたいな薄いんですら99元(約2000円)だからもうちょい安いのを捜そうとあちこち回って、最後ユニクロにたどり着いてヒートテック仕様の手袋を90元(約1800円)でハンマープライスしました。値段そんな差ないけど、もう探すのが途中でばからしくなってしまったので……。

 余談ですがこの手の手袋は自転車屋とかで買うよりも、ホームセンターで工具用手袋を買った方がずっといいです。工具用手袋なら物握った時に滑らないよう滑り止めが手の平部分についてるし、また比較的丈夫で擦り切れないものも多く、私なんかはよく3Mの780円くらいの手袋を買って使ってました。フィット感がたまらなくよかった。

 そんなこんだして昼飯食って帰宅後、家で一本の電話を掛けました。一体何で掛けたのかというとこのところネットの調子がおかしく、何故かルーターの電源切ってるのにそのルーターから発信される電波が飛び続けており、しかも電源オンの時も時たまネット接続が切れるなど軽いホラー入った状態が続いていたからです。
 あくまで仮説ですが、何者かが同じ電波名でWIFI飛ばしているのかもしれません。なんでそんなことするんのかミステリーですが。

 ともかくこうした状態を一回見てもらおうと通信業者から聞いた技術者の電話番号にかけたのですが土曜だから一向に出ず、一回だけ繋がって状況を説明すると、「また後で行く時間とか通知する」と言ったっきり、何も通知してきませんでした。その後何度も電話かけるもやっぱり出て来ず、幸いというか昨日はちょくちょくネット接続切れていたのに今日は安定しているのでもう少し様子見ることにします。ってかそれしかできねぇ……。

 それにしても手袋失くしたりネットおかしくなったりと、2011年の「運の尽きの一週間」の時みたく悪いことって重なるものです。これに加え今週はもう一つ、運営している海外拠点サイトのサーバー移転のトラブルでも神経すり減らされて色々参った一週間でした。

2015年12月10日木曜日

朝日新聞の行き過ぎな配慮

 今日たまたまですが目に留まった記事に、ニュース内容をぼかすあまりに本来の事件内容を誤解させかねないひどい記事を見かけました。

居眠り女性を盗撮し投稿 女子生徒を侮辱容疑で書類送検(朝日新聞)

 上記リンク先がその朝日新聞の記事ですが最初にこれを読んだ際、「電車で居眠りしている女性を無断撮影してネットに上げるのは悪趣味と言えば悪趣味だが、書類送検するほどのものなのか?」と、撮影した女子高生に対してやや大袈裟すぎる対応ではないかと違和感を覚えました。考えられることとしては撮影された側がプライバシーの侵害などで過剰に反応したか、もしくは何かほかに取られてはいけないもの、具体的には下着などが映り込んでいたのかもなどといった考えがいくつかよぎったもののどれも確証は得られず、なんとなく消化不良のような気持ちを抱えたまま一旦は記事を閉じました。
 そしたらそうした不満が何かに結び付いたのかもしれませんが、真相をちゃんと伝える記事にすぐ巡り合いました。

「笑いネタにしたい」障害女性の居眠り姿投稿 侮辱容疑で17歳女子高生を書類送検(産経新聞)

 こちらの記事を読んでようやく得心しましたが、書類送検された女子高生は障害を持った方を撮影した上、嘲笑うかのようにしてネットにアップしていたようです。もちろん、事がこうであるのであれば書類送検もやむなしだと私も納得がいきます。

 逆を言えばどうして朝日新聞はあんな風に記事を書いたのか、こっちの方が今度は気になってきます。恐らく「障害」という言葉を使いたくなかったためああいう書き方を取ったのだと思いますが、事件内容からするとこの場合は絶対外してはならない、というより外してしまったら事実からむしろ遠ざかる記事になってしまう類のものだったと私には思えます。実際に私も撮影された側が過剰な反応を取ったのではと想像してしまいましたし、こんな風に書くのであればこのニュースに関しては一切記事を書かずノータッチにした方が良かったのではという気すらします。

 障害者に対する表現は確かに慎重を期すものでありますが、だからと言って障害という言葉を使ってはならないというわけではありません。そこに存在するものが存在など無いように書くことはかえって失礼に当たるのではないかと私には思え、事実は事実として書いた上で、偏見を産まぬような報道を意識し続けることこそが肝要でしょう。
 今回の朝日新聞の記事に関しては明らかに行き過ぎな配慮が見られ、事実を歪めかねない性質を含んでいると思うだけにこの場で強く批判したいと思います。

2015年12月9日水曜日

危機を切り抜けた名パイロットたち その三

 少し間隔が空きましたがまた航空事故の特集です。

7、エアトランサット236便滑空事故(2001年)
事故内容:燃料漏れ  乗客乗員数:306人

 カナダのトロントからポルトガルのリスボンへ向け大西洋を横断するルートで離陸した同便は離陸してからしばらくは問題なく飛行し続けましたが、離陸から約4時間後にタンクから燃料が漏れ始めるというトラブルが起こり始めました。燃料漏れの原因はエンジンの整備不良で、旧仕様から新仕様へと切り替わった際に一部の部品が切り替わっていたにもかかわらず、手元に新部品がなかったこととと数ミリ単位の寸法の違いしかないことから旧部品を取り付けたため燃料配管とエンジン本体が接触することとなり、飛行中の振動で配管に亀裂が生じてそこから燃料が漏れることとなりました。
 燃料漏れが始まってすぐ機長と副機長は燃料ゲージの異常な現象に気が付いたものの、当初はゲージの誤作動と考え特別な対応をしませんでした。片方のエンジンがとうとう停止したことで事態の急を知ったものの、それからしばらくしてもう片方のエンジンも止まり、燃料切れによって完全なエンジン停止状態で着陸先まで飛行しなければならない事態へと迫られました。

 現在の大半の民間航空機にはラムエア・タービンという非常用風力発電機が備えられているため、無線や舵の操縦に使う最低限の電力は確保されていました。ただ動力が完全に使えなくなったため飛行できる距離は制限され、近隣にあった大西洋上にあるテルセイラ島のラジェス空軍基地へ途中で高度を調整しながら向かい、そのまま無事に一人の死亡者も出さずに着陸してのけました。

8、中華航空006便急降下事故(1985年)
事故内容:5Gの急降下  乗客乗員数:274人

 台湾のフラグシップキャリアであるチャイナエアラインの同便は台北からロサンゼルスへと向かっていた同便はロサンゼルスまであと550キロメートルという太平洋上で乱気流に遭い、機体の速度を自動操縦で慎重に調整しつつ飛行していました。しかしこの時に航空機関士の排気バルブの設定ミスにより第四エンジンが停止し、それによって機体が左右に偏るのを防ぐため自動操縦のシステムは飛行速度を落としたのですが、その結果設定速度のマッハ0.85を大きく下回る0.75まで落ちてしまいました。
 一方、パイロットらは速度の低下に気付かないまま自動操縦でもなかなか姿勢が回復しないので手動操縦に切り替えたところ、ただでさえ落ちていた速度が一気に落ちてしまってそのまま機体は海面へ向かってまっさかさまにきりもみ状で急降下し始めました。その際、搭乗していた人には5Gもの負荷がかかっていたと言われます。

 とてつもない負荷がかかりましたが機体の一部が落下中の衝撃で吹き飛んだため偶然着陸装置が下りたため空気抵抗が増して落下速度が落ち、また機長が元軍用機パイロットで5Gでも操縦できるという強者であったことも幸いし、何とかエンジンを動かして姿勢を戻し、なんと水平飛行を回復してそのまま最寄りのサンフランシスコ空港へとたどり着きました。
 急激な落下であったため機内では怪我人が出たものの幸い死者はありませんでしたが、文字通り真っ逆さまに墜落する直前での九死の一生と言える事故でしょう。

9、カンタス航空32便エンジン爆発事故(2010年)
事故内容:エンジンの空中爆発  乗客乗員数:469人

 シンガポールからオーストラリアへ向かった同便は離陸からわずか数分後、第二エンジンがいきなり爆発しました。爆発したエンジンの破片は周辺の民家などに落ちたものの幸い衝突した住人などはでなかったのですが、その落下物から当初は同便も墜落したに違いないと情報が出たそうです。
 一方、そのころ同便では、パイロットたちが冷静かつ的確に事態へ対応していました。というのも同便には機長に対する定期的な試験のため経験豊富なパイロットが五人も乗っており、爆発を受けてシステムには無数のエラーメッセージが表示されていましたが各自が手分けして対応し、操縦桿を握る機長は操縦にのみ集中することが出来ました。

 ただエンジンが爆発した際に破片が期待を突き破り、配線を損傷させたため燃料の廃棄、並びにエンジンの停止といった操作が受け付けられませんでした。そんな中でもパイロットたちは落ち着いて旋回、並びに着陸をやってのけ、どうしても停止しなかった第一エンジンは着陸から数時間後に消防が消化液を吹きかけたことによって止まり、乗客乗員は誰一人怪我することなく生還を果たしました。
 なおエンジンが爆発したのはメーカーの製造ミスによるものであったため、同型のエンジンを使用していた世界中の航空機が整備・検査のため飛行を見合わせる事態となりました。

10、エアカナダ143便滑空事故(1983年)
事故内容:燃料切れ  乗客乗員数:469人

 なんか今日はやたらと燃料切れ事故ばかり取り上げますがこれもその一つで、カナダ国内のケベックからモントリオールへ飛び立った同便は飛行中、燃料切れが発生して全エンジンが止まってしまいました。
 一体何故燃料切れが起こったのかというと、実は根深いヒューマンエラーが絡んでいました。当時、航空会社のエアカナダではそれまで使ってきた度量衡のヤード・ポンド法をメートル法へと移行を進めており、同便は初めてメートル法によって航続距離、必要燃料を測定して給油される便となりました。空港での給油の際、必要燃料量は正しく計算されたものの残余燃料量の単位計算でミスをしてしまい、結果必要な追加燃料量からかなり少ない量で給油されたため途中で燃料切れを起こしてしまったわけです。しかもコンピューターには正しい燃料量でセットしたため、計器上は燃料に余裕があると表示されてたもんだからパイロットとしてはたまったもんじゃないでしょう。

 突然エンジンが停止したため機内で多くの電気機器が使用不能になる中、機長らはわずかに動く計器類から降下率(一定の高度を降下する間に移動できる距離)を割出し、現在地から着陸できる滑走路を急いで探しました。その結果、副機長のかつての勤務先であるギムリー空軍基地が一番適当だと考えられそちらへ向かったのですが、副機長は知らなかったのですが当時ギムリー基地は民間空港になっており、しかも当日は自動車レースが行われてて多くの家族客が集まっておりました。
 そんな状況もなんのその、元々グライダー飛行が趣味の機長はエンジンなしのまま見事に操縦しつづけ、高度もばっちり合わせて多くの家族客が見守る中で滑走路へ着陸し、無事に停止してのけて見せました。ただ着陸地点からすぐ先には家族客が集まっている場所があり、仮にオーバーランしていれば多くの死傷者が出ていたほどきわどい着陸でした。

 なおこの事故にはオチがあり、乗客乗員全員が無事に生還を果たした陰で、不時着に備え近くの空港からギムリー基地へ向かっていた整備士はその途上、車の燃料切れによって基地にたどり着けなかったとさ。

2015年12月8日火曜日

最近の中国の景況感

 今日知り合いから最近ブログで中国の事を書いていないという苦言があり、反省も込めて自分の肌感覚での中国の景況感について書いてみます。

 結論から述べると、自分が中国に来て移行で言えば現状が最悪なくらいに悪い状態です。しかも現状で底打ちしているのかというとまだわからないだけに、まだまだ楽観はできないといったところです。マクロデータでみると貿易額もこのところ前年比で割っており、また製造業の生産額も大幅な落ち込みを続けていて改善する見込みも余りありません。
 唯一まだ元気なのは自動車産業ですが、これも外資系だけが伸びてて中国民族系メーカーはズルズルと落ちてるだけで見ていてやや痛々しい状態です。何気に日系はトヨタを中心に伸ばしており、VWのこの前の不正を受けてこのままジャンプアップと行きたいところですがこの前知り合いに確認したらそこまでVWは急激には落ち込んでないそうです。

 少し話が脱線しますが、このところ街中でレクサスを見かける機会が非常に増えてきました。昔は乗っているのは日系企業関係者くらいだったもののこのところは明らかに中国人一般ユーザーも乗っているようにみられ、知り合いのホイールメーカー幹部にその理由を聞いてみました。その幹部曰く、レクサスが中国市場で売り上げを伸ばしているのは確かに事実だそうで、何故売れるようになったのかというと中国のユーザーがレクサスの質の良さを理解してきたからだと説明してくれました。
 なんだかんだ言って他のメーカーの高級車と比べても値段に対する品質がレクサスだと高く、「さすが日本車」という具合で購入する人が増えてきているそうです。なお一番見かけるレクサスの車種はステーションワゴンなので恐らくCTシリーズかな。

 話は戻りますが街角景気に関してもほんと悪く、私の近くでも「あそこの工場潰れたんだって」、「あそこも給料の遅配が始まったって」などといった噂が流れたりするなど、やはりどこも不況だねっていう感じでみんな感じてるようです。しかし、こう言いながらなんですがあまり悲壮感めいたものはなく、「どこの会社も大変だね」って割と明るい感じでみんな話し合ってて日本国内ほど切迫じみた印象はありません。

 一体これは何故なのか。原因はいくつかあるでしょうが私がこれはと思うものを述べるならば労働者自身の収入は増え続けているからではないかと思います。最低賃金は現在進行形で毎年引き上げられており、2005年なんか月収500元くらいだった最低賃金が現在は1000元以上となり、上海や深圳では2000元も突破するに至りました。
 そのため全体の景気が落ち込み企業の売上げも下がる中にも関わらず、経営者は前ほど大儲けできなく一方で労働者自体は収入が増えていってるようにみえ、だから中国全体で景気に対する悲壮感は少ないのではと分析しています。また中国の場合は勤め先が潰れたとしても終身雇用制でないこともあってか日本ほど再就職が難しくはないため、「さて、新しい仕事を捜さなきゃ」と切りかえれるのも大きいかもしれません。

 最後にちょっとこの記事準備している最中に気になったこととして、中国の失業率って今どのくらいなのだろうかという点がありました。先程調べてみたらどうやら中国政府はほとんどこの失業率データを公表しておらず、断片的にデータを出したのも2013年が最初だったそうです。よくよく思い返してみると私も記者時代にこの失業率データで記事を書いた覚えがなく、なんていうか久々に中国らしさを感じたってところなのですがニュース記事を検索してみると、以下の記事にヒットしました。

2015年上半年中国31个大城市城镇失业率为5.1%左右(中国青年網)

 上の記事は中国の労働省に当たる部署が記者会見で発言した内容をまとめており、その発言によると全国主要31都市における2015年上半期の失業率は5.1%前後だったそうです。全国規模だと第2四半期(Q2)が4.04%と話していますが、ならなんで31都市のデータもQ2単体で出さないんだと思ってくる当たりがやっぱり中国です。
 一応参考にはなるデータではあるものの、中国なだけに不利なデータはそのまま出さないであろうことから鵜呑みにはできない数字です。もっともそれを言ったら日本の失業率データもちょっと信用に置けないところもあるので他人の事言えませんが、主要都市で5%台の失業率ならばまだまだ低い水準と言えるでしょう。景気こそ落ち込んでいるもののまだ中国ではいくらか労働力不足な状態が続いているようにみられるだけに、先ほどの収入の向上と相まって悲壮感が漂っていないというのが私の見方です。

 逆を言えば、労働力不足してるのに賃金下がり続けているから日本は悲壮感漂いまくりなんだろうな。

2015年12月7日月曜日

統一主義と分離主義

 最近あまり思想めいたこと書いてないので今思いついたことをパパッと書いてみようと思います。

 先日起きたフランス・パリでのテロ事件以降、先進国各国ではテロ組織に対する敵視が一段と強まり、それが影響したかまでは断言できませんが先週米国で起きた銃乱射事件に対してあのニューヨークタイムズが銃規制について言及するなど、何か世論が変わった動きがします。そもそも何故テロ事件が起きるのかですがそれはテロ組織があるからに決まっており、では何故テロ組織が存在するのかですが、イスラム国のようなのはちょっと特殊ですが大抵は統一主義と分離主義の対立が背景にあります。

 同じ記事を読んだ方なら話は早いですが、過去の代表的なテロ組織としてアイルランドの英国からの独立を目指したIRAという組織があります。このIRAは英国内を始めとして世界各国で爆破テロなどを実行しましたが、彼らの主張はアイルランドを英国に取り込むな、異なる存在を認めろというものでした。IRAに限らずとも大半のテロ組織はこういった分離主義を抱えていることが多く、バスク地方、ヨルダン地区などなど、少数派の文化や民族集団が概してテロ組織を発生する土壌にあるということはほぼ間違いないといっていいでしょう。

 ここで出てきた分離主義、そしてその対立軸である統一主義ですが、聞くところによるとこの前発売されたゲームの「メタルギアソリッドV ザ・ファントム・ペイン」でも語られており、この作品では世界から永遠に争いをなくすために世界中の言語を強制的に英語へ統一しようとする組織と、それに対して抵抗しようとする少数派の分離主義者が出てくるそうです。
 多数派から見れば少数派の連中の方が少ないんだし、彼らが従えばグッと物事ははかどるというのに何故抵抗するんだという価値観なのかもしれません。片や少数派は多数派のシマを別に荒らしているわけでもないのにそれまで自分たちが培ってきた言語、文化を何故無理矢理取り上げようとするのか、また自分たちからしたら不都合極まりない要求を何故押し通そうとするのかという価値観なのかもしれません。

 ここで話は日本に持っていきますが、日本という文化は少数派でしょうか、多数派でしょうか?

 私の答えを述べると多数派で、そう思うきっかけは留学中にルーマニア人のルームメイトと会ったためで、彼曰くルーマニア語は世界的にそれほどメジャーな言語ではないからちょっと調べ物しようとしてもルーマニア語のサイトだけでは不足すると話していました。それに対して日本人ですが、少なくとも1億人以上の話者は存在しており、難しい問題や手続きでもネットで検索すれば誰かしら解説するサイトを開いているはずです。また高等教育においても各分野の専門家が日本には揃っているため明治時代よろしく、英語で講義を聞かなくてはならないというハンデは他の言語と比べると少ないでしょう。話者で言えば世界最大の中国語においてすらもこの高等教育での言語においてはハンデがあるため、見方によっては日本語の方が世界では強いということもできるかもしれません。

 ここでもう一つ問いたいこととして、日本人は言語や文化を取り巻く自分たちの現状についてちゃんと認識しているのか否かです。これもはっきり答えを言うとそもそもそれほど考えたことはなく、自分たちが多数派なのか少数派なのかは意識していないというのが実態でしょう。
 これ自体は別に問題はありませんが、少数派に対してどういう風な態度で接するのかはもうちょっと考えた方がいいと思います。日本国内でもアイヌ民族という少数派がおり、また最近は減ってますが南米からの労働移民、そして技能研修生という名の奴隷制度でやってくるアジア人、彼らは紛れもなく日本社会では少数派です。

 日本は島国ということもあって割かし統一意識が高く、知らず知らずのうちに統一主義的な考えや行動を取る傾向があるのではと密かに見ています。もちろんこれ自体は何も悪いことではないですが、もう少し少数派こと異なる文化や言語を持つ人に対しても対応を取組めばもっと日本社会はよくなるのではという気がします。少なくとも部屋の保証人制度は廃止してもらいたいと思っており、外国人などはこれのせいで部屋探しに半端ない苦労を負うと聞くだけに。

 私自身は日本人ではあるものの、日本社会では常に少数派に回ってきたと自負できます。そのためやや自分でも過剰だと思うくらいマイノリティに対して思い入れを持つ傾向があり、だからこの記事でもどちらかと言えば分離主義的な発言が続くのでしょう。しかし長い時間で見るならばやはり文化や概念、価値観は統一されていくべきだと思っており、そうすることによって地球連邦のような世界統一組織が生まれることも願っております。
 ただそうした統一までにはどうしても時間が必要です。ゆっくりゆっくり自然と各文化や概念を合わせて行く必要があり、それを無理やり統一しようものなら対抗する動きことテロリストが生まれるだけに、決して急いではならないというのが私の持論です。そして同時に、多数派もまた少数派に少しずつ合わせていくという態度も必要であるとも考えています。

 本当に勢いで全部書いたので全くまとまりがない記事になりましたが、結論としては「急いで取り込むな」ということと、もうちょっと少数派に気兼ねしてほしいという要望です。

2015年12月6日日曜日

平成史考察~明治大学法学部大量留年事件(1991年)

携帯料金会議 格安スマホの普及に独自サービス必要との声(毎日新聞)

 上記リンク先はちょっと古い11月26日の記事ですが、現在値下げ議論で盛り上がっている携帯料金について有識者会議の議論内容を伝えているものです。この携帯料金の値下げ議論については以前にもこのブログで書いていますが、この記事で私が注目したのは乗り換えする人への過剰な優遇どうこうではなくこの会議の取りまとめ役をしているある人物の名前でした。
 その人物というのも新美育文明治大学教授で、この人はかつて明治大学で起こったある事件で非常に有名になった人物です。最初この名前をこの記事で見た時は「どっかで見たような……」というくらいの反応しかできませんでしたが、やや気になったので検索してみたところようやくこの人の経歴を思い出せたので、折角だからここでもかつて起きたその事件を紹介しようと思います。
 それにしても、この名前だけで反応できたのは我ながら凄いと思う。

明治大学法学部大量留年事件(Wikipedia)

 その事件が起きたのは1991年の明治大学でした。当時、日本はバブル絶頂期で明治大学ほどの有名大学の学生であれば卒業後の進路は引手数多で卒業を控えた四年生の学生は誰もが有名企業の内定を得られ、後は卒業を待つだけの身でした。
 そんなバラ色の将来が確約されのんびり過ごしていた学生に激震が走ったのはこの年の3月。この時、明治大学法学部は四年生の学生257人に対し留年させることを決定し、このうち147人は新美教授が担当する必修科目「債権法」のみが未修了であったことから卒業が認められませんでした。

 この発表に対し慌てたのはもちろん学生たちで、卒業後の進路も決まっていた状態でこの通知が来たもんだからまさに青天の霹靂のように受け取り、多くの留年学生が新美教授に対し採点の再考、つまり単位を出して卒業させるよう求めたそうです。しかしこうした学生たちの訴えに対して新美教授は「あくまで厳正な採点の結果」であるとして突っぱね、ならばとばかりに学生が詰め寄った小松俊雄法学部長も明治大学の「独立・自治」の建学精神を引用し、新美教授の判断を尊重するとして卒業を認めませんでした。

 一見すると新美教授は厳しい採点を強行して多くの留年者を出したように見えますが、実態はそうではなかったようです。問題となった「債権法」の授業は二年生時から履修できる科目で、四年間で卒業する学生は都合、三回履修する機会がありました。しかし留年した学生らはその三回の機会に未履修、または落第し、更には夏に行われる再試と、卒業間際の三月に行われた特別試験でも満足な成績が残せませんでした。
 採点を行った新美教授は最後の特別試験の結果を鑑みてさすがに留年者数が多過ぎると感じ、試験を難しくし過ぎたのかとも感じたそうです。しかし改めてリポートなどで各学生の学力を確認するとやはり学生個人らの学力が不足していると思え、厳しい判断になることは承知の上で大量の「不可」を出すことにしました。

 この決断について新美教授は取材に対し、簡単に内定が得られる時代もあってか最低限の勉強すら行わない学生が増えていると話したそうです。学会内でもこの新美教授の決断に対し、授業への取り組みに対し警鐘を促してくれたなどと好意的な意見が多く集まるなど歓迎され、事件が大きく報道されるにつけ大学入学後は勉強しなくなる学生をそのまま放置して卒業させることに問題があるなど大学教育全体を問う議論へと発展していきました。

 ここから私の所見となりますが大体90年代中盤から後半に至る間、猛勉強して大学入った後は何も勉強しない学生というのがちょっとした社会問題になり、「分数の出来ない大学生」などといった本も出版されていました。実際に昨日会って話聞いた人も午前中に大学行って麻雀のメンツ集めるとそのまま雀荘へというのが普通で、授業なんてほとんど出なかったと述懐しており、こういってはなんですがやっぱり自分の世代とは違ってたんだなぁって気がします。
 この新美教授の行動はその後の世論を考えるだに、勉強しない学生に対する警鐘としては最初期に当たるものだったのではないかと思います。少なくとも一回こっきりのワンチャンスにめちゃくちゃ難しい試験で振り落すということはしておらず、むしろ何度もチャンス与えた上での決断ですから至極真っ当な判断で教育者としては実に立派な態度と言えるでしょう。それだけに最初の有識者会議も仕切っていると聞いて、この件でこの人が関わっているというだけでなんとなく良くなるんじゃないかという期待感が持てます。

 なおこの記事を書くに当たって明治大学出身の友人に、「この人知ってる?」と振ってみたところ、「直接授業を受けたりとかはないが、伝説となっている教授」だと返信が来ました。

  おまけ
 私が学生だった頃、よく大学教授からは「最近の学生はちゃんと授業に出席する」とよく言われ、先ほども言った通り時代というのは大きく変わってきており大学に入って遊び放題する方が今は少数派なのかもしれません。さらに、私はその中でも特別授業に出席する方で、卒業単位は124単位で足りたけど興味ある授業に片っ端から出てたためか最終的には160単位を数え、単位認定されない授業も含めれば180単位くらいは取っていたように思います。なのであんま、大学でもっと勉強したかったと思うことはないな。

漫画レビュー「ちおちゃんの通学路」

 また漫画に関する記事ですが、一ヶ月くらい前から準備しておきながらこれまでほかの記事を優先するため執筆にこぎつけなかったのがこの作品、「ちおちゃんの通学路」です。
 この漫画を知ったのはたまたまAmazonのページ内に表紙が映っていたのを見たことがきっかけですが、その時表示されていたのは2巻の表紙で、タイトルと共に街角らしき場所で爆発が起こっているのを尻目に不敵な笑みを浮かべる女子高生が描かれており、一見して「なにこれ?」と思って興味を持ちました。調べてみるとまだ三巻までしか発売されていないことから全巻揃えるのは容易だし、試しに一巻だけ買ってみてその内容を見てから続きを買うかどうか検討しようと決断し、結果的にはすぐに三冊全部揃えることとなりました。

 この「ちおちゃんの通学路」がどんな漫画かというと、タイトルの通りにちおちゃんという女子高生が主人公の通学にまつわる話です。最初見た感じ、ドジな女子高生が通学途中に毎回トラブルに巻き込まれて遅刻しそうになる漫画なのかなと思って読み始めましたが、実際には遅刻しそうになるのは第一話だけで、それ以降の話は無駄に運動神経良くて出てくるのは銃とオヤジとゴリラみたいな女性キャラだけな海外ゲームをやりこんでいるコアゲーマーな女子高生が通学途中の行く先々でトラブルを引き起こすという内容でした。自分で書いてて思いますが、改めてみるとやたら濃い設定な気がします。
 具体的にちおちゃんがどういうトラブルを起こすのかいくつかあらすじを抜粋すると、

・スクールカースト上位の同級生に声かけられきょどり、SWATターン決めて逃げようとする
・同級生が男子から告白されるのを友人と共にのぞき見しようとしてばれそうになる
・暴走族に絡まれハッタリかまして切り抜けようとする
・洋ゲー特集雑誌を買おうとして寄ったコンビニでBLゲー雑誌を手に取る
・車からポイ捨てされる煙草をダイビングキャッチして鉄柱に鎖骨を強打する
・回り道して坂道上るよりショートカットになると思って舗装された壁面をよじ登ろうとする

 どの話でも共通するのは主人公のちおちゃんが無駄に行動力が有り余ってて悉く「やらなきゃいいのに」と思うようなことに首突っこんではピンチに陥るという点です。特に一番笑った回の話では橋の上を歩く友人を見かけて、「こういう時、ゲームだったら橋の縁にエルード(ぶら下がり)してにじり寄る」ということを思い付き、それをそのまま実行してしまうというゲーム脳ぶりを見せます。無論、女子高生の腕力なので友人を驚かせる前に途中で力尽き、どうせ川に落ちるくらいなら諸共に落ちようと友人の足を掴んで引きずり込もうとしますが。

 どの話もテンポがよく、なおかつ高いテンションで描かれているのでギャグ漫画としての勢いは十分な作品です。それとともに個人的に注目したのは各キャラの表情の描き分けと、漫画における特殊効果です。前者はギャグ漫画を描く上でギャグセンスと共に重要なものであることは言うまでもありませんが、後者に関しては集中線や遠景、下からのズームなどあらゆる漫画表現が効果的に駆使されており、地味にこの作者は器用な人だと感心させられました。
 またどの話もきちんと通学路上での話に絞っており、よくこれだけ限定された状況下で毎回話を作れるなという点でも感心させられます。ほかにはセリフ回しも案外凝ってて、個人的にツボにはまったのは、「昭和生まれの世代はゆとり教育を受けていないため、新聞の配達が少しでも遅れると理性を失ってしまう(物凄く怒る)」というセリフです。

 以上が私の分析ですが、現在出ているギャグ漫画の中で一番はまっていて文句なしにお勧めできる作品です。ちょっとほめ過ぎなような気もしますが、興味を持たれた方にはぜひ手に取ってもらいたいです。


     

2015年12月5日土曜日

パソコン三社の事業統合報道について

パソコン3社が事業統合 東芝・富士通・VAIO交渉へ (日経新聞、12/4 2:00)
東芝と富士通、パソコン事業で合弁交渉(読売新聞、12/4 3:15)
<東芝>富士通とVAIO パソコン事業統合検討(毎日新聞、12/4 11:20)
東芝、富士通、VAIOの3社がPC事業を統合か--報道に対し3社が否定のコメント(CNET Japan、15:01)

 本日、各メディアで東芝、富士通、VAIOのパソコンメーカー大手三社が事業統合を検討していることを報じるニュースが飛び出してきました。私が確認する限りだとこのスクープを物にしたのはやはり日経のようで、いろいろ調べた中では最も早くかつ具体的、そして簡潔に報じております。
 この日経の報道を受けてすぐ後追いで記事を出したのは読売で、日経の配信から約1時間後に記事を配信しています。ただ読売の記事では東芝と富士通しか触れておらず三社目のVAIOについては名前すら出てきません。恐らくこれはVAIOに関しては裏付けがきちっと取れなかったため安牌を切るようにほぼ確実そうだと見込めた先の二社に限って報じたのでしょう。そのかわり2014年の日本国内パソコン市場シェアを引用して統合後はNEC、レノボ連合を追い抜くと説明している辺りは好感が持てます。

 読売の報道から大きく時間が経った11時台に報じたのは毎日ですが、ここはスクープに追いつけなかった代わりに後追い取材が丁寧になされており、東芝に対して行った取材(恐らく電話取材)の回答内容を詳細に乗せた上で今後の展望などをしっかり書いてる当たり合格点です。逆にふざけてるというか「てめぇもう記者辞めろ」と言いたくなるのが最後のCNET Japanの記事で、ここは見出しに「報道に対し3社が否定のコメント」と載せていますが、後追い取材を行ってはいるもののそのコメントを見る限りだと否定しているとは言い難いものです。大まかなコメント内容を抜粋すると下記の通りです。

  東芝
「報道は当社が発表したものではないが、事業編成を含め様々な可能性を検討している。まだ合意、決定した事項はない」

  富士通
「報道は当社が発表したものではないが、パソコン事業の分社化は既に決まっており、分社化後の展開に関しては様々な可能性を検討しているがまだ決定した事項はない」

  VAIO
「憶測記事に対してコメントは差し控える。現時点においてVAIOとして交渉を行っている事実はない」

 これらのコメントを見る限り、報道されている通りに事業統合を検討をしていることを暗に認めているとしか思えません。要はまだ完全合意になって決定したわけではないけど、検討している案の中に統合は入っており、でもって完全否定できないほど現実味は持ち合わせているってことでしょう。何をどう読んだらこれで「報道を否定」だなんて言えるのか、この会社はあんま深く知らないけどいい加減で取材力のない記者もいるもんだなと読んでて呆れます。
 ちなみにVAIOにこんな返答された場合私は、

「じゃあ日経の記事は間違った報道だって言うんですか?誤った事実が世の中に伝播することに御社は黙って見過ごすってんですか?VAIOとして交渉を行っていないってのはどういう意味で、役員がスタンドプレーで交渉してるとでもいうのかっ!」

 って、早口&怒鳴りで次の回答を引き出します。
 こうした取材では相手広報への余計な容赦は必要なく、記者は徹底的に攻めなくてはなりません。だからこそ記者って人間性を段々失っていくんですが。

 ちなみに、同じ後追い取材でも実力の差がはっきり出てしまったというか、毎日の方では検討している事実を相手先に認めさせています。以下、その箇所を抜粋しましょう。

「東芝関係者は毎日新聞の取材に対し、統合検討の事実を認めた上で『各社のブランドをどうするかも固まっておらず、いつ合意できるか分からない』と指摘。また、VAIOの関係者は統合に慎重な見方を示しており、東芝・富士通だけの統合になったり、統合自体が白紙になったりする可能性もある。」(上記リンク先の毎日の記事より)

 この毎日の取材内容と比較するにつけ、CNET Japanの記事の書き方は誤報と言ってもいい内容です。普通こういう時は曖昧にして逃げるんだが、よくデスクもこんな見出しでOK出したなぁ。

 なお三社のパソコン事業統合の可能性について私個人の見方を述べると、十分あり得る話かなというのが正直な感想です。ノートパソコン事業は既に斜陽産業となっており、その機能の大半はスマートフォンに取られたため今後再浮上する可能性はほとんどないでしょう。特に東芝に至っては不正会計をした中にこのパソコン事業も入っていたと見られており、いまいち実態が明らかになりませんが既に赤字事業と成り果てている可能性すら有り得ます。
 となるとまだ息してる間にほかの会社と事業統合するというのは次善の策であり悪くはなく、また三社とも明らかにブランド力が落ちているのでここらが潮時かなというのが寂しさと共に感じます。先程も友人に延々と説明し続けましたが、このところ日系パソコンメーカー各社は値段と性能が釣り合わないというか、レノボやASUSのパソコンと比べても性能は同じなのに値段は高いだけというラインナップが目立ちます。しかもデザインもこう言ってはなんですがどれもダサく、特にかつてはデザインの良さで一世を風靡したVAIOに至っては現在のラインナップを見て、「正気か?」と思うくらいダサいです。表面カバー本体に「VAIO」って書いてあるだけで、ぶっちゃけ「FUJITSU」とか「NEC」、「dynabook」と書き換えたらそれで済みそうなくらいダサいです。

 逆にというか、この統合話に入っていない会社の方こそ注目に値するような気がします。NECに関しては既にレノボと連合組んでいるのでそれほど言及することはありませんが、パナソニックは「レッツノート」のブランドで「頑丈でタフなパソコン」というイメージを幅広いユーザーに認知させており、業界において独自で確固たる地位を築いているのではないかと見ております。実際私の周りのIT関係者もレッツノートを絶賛する人間が多く、将来はわかりませんが今回の話に入っていないだけなかなか有力株なのかもしれません。パナソニックの製品は系列会社にいる友人がアホみたいに働かされている(月間残業時間200時間オーバー、みなし残業で)から買うつもりないけど。

2015年12月4日金曜日

ある警備犬の逝去に触れて

<警備犬>レスター号死ぬ 中越地震で男児突き止め(毎日新聞)

 小さなニュースですがどうしても取り上げたいと感じるニュースなのでこのブログで取り上げることにします。詳細はリンク先の記事に書いておりますが警備犬として災害救助の現場で活躍したレスター号が本日、都内の警察犬訓練所にて老衰で亡くなったそうです。このレスター号ですが2004年の新潟県中越地震時にも出動しており、その際には土中に埋まった車を発見して災害発生から92時間後に2歳児が救出されるという奇跡に導いています。
 少し話が脱線しますがこの時の救出は非常に印象的で私もよく覚えており、その車には母、姉、弟の家族三人が乗っていたのですが母と姉は地震発生直後に即死していたものの、土中に埋まったまま食べ物も何もない中で実に四日以上も2歳児の男の子は一人で生き残り続けました。通常であれば栄養状態の悪化、または不安から発狂するなどといったことも考えられる状況でっただけに、まさしく奇跡のような救出であったと思います。

 話はレスター号に戻りますが、人が他県中越地震後も警備犬として活躍し続け、なんと四川大地震の際にも出動していたそうです。そして2011年に引退した後、救出へとつなげた男の子から手紙をもらったりなどつつがない余生を送っていたと報じられています。
 小さなニュースと言えばそれまでですが、人の命をたくさん救ってくれた犬について触れる人間が多少はいてもいいと思え、このブログにも書き残すこととしました。

2015年12月3日木曜日

水木しげるは反戦だったのか?

 水木しげる氏の逝去を受けて各メディアでこのところ、水木氏の往時の業績や辿った人生についてまとめる記事が数多く出されております。ただこうした記事について一部ネットで、彼の戦争体験を引用しては無理に戦争批判へと繋げようとする報道があり違和感を覚えるといった意見が出ており、かくいう私もその違和感を感じた一人でした。
 有名なので知ってる方も多いでしょうが、水木氏は戦時中に徴兵されて南方の激戦地であるラバウルに派遣されそこでの空爆を受けて左腕を失う大怪我を負いました。この戦争時の体験については自伝漫画にも詳しく記述され当人にとっても激烈な体験であったことは想像に難くなく、また軍隊内では持ち前のマイペースな性格が災いして度々ビンタを喰らってたりなど、当時の上官らに対しては不満があったことを率直に書いております。

 こうした本人の証言からか、「水木氏は戦争に対して批判的であった」などという風に書くメディアを実際に私も数多く見たのですが、先ほども述べた通りにこうした報道に対して何となく違和感を覚えました。もちろんこれは水木氏の作品や証言をどう読み取るかによるもので絶対的に何が正しいか否かはよほど明確な証言記録が残っていない限り、本人が逝去した今だと確認のしようがないものです。それでも敢えて私の理解を述べるなら、水木氏は「反戦」というよりは「鎮魂」を訴えていたのではないかと思えてなりません。

 まず話の前提として、水木氏はかなりのミリタリーマニアことミリオタであったことはほぼ間違いありません。出征時に乗り込んだ船が日露戦争時にバルチック艦隊を信濃丸だと知って驚いたり、戦後も売れない漫画家時代に知人から融通してもらったプラモで奥さんと一緒に連合艦隊の再現に取り組んだりと、意外と軍事・兵器関連に妙な造詣を見せております。なお水木氏の直弟子にあたる漫画家の池上遼一氏も、最近「ガールズパンツァー」にはまっているとカミングアウトする当たり、師弟揃って意外とミリオタだったようです。

 もちろんミリオタであっても平和主義者はいるでしょうからおかしいってことではないものの、なんとなく水木氏の作品を読んでいると戦争を根本的に否定するような素振りはなく、自身の体験以外だとやはり独特の視点というかやや皮肉っぽく他人事のように戦争を描いているように見えます。少なくとも、殊更悲惨さや空しさを強調しているようには見えませんでした。
 しかしその一方で、「総員玉砕せよ!」に代表されるように自身の体験に根差した戦争作品を大量に書いているのは事実で、それらの作品に対する思い入れは深いと生前に度々話していました。そうした水木氏の作品をみていて私が感じるのは先ほども述べた通り反戦ではなく、むしろ敢え無く散っていった戦友や同胞たちに対する深い鎮魂の意思じゃないかと感じられました。

 水木氏の戦争作品ではどれも指揮官目線ではなく末端の兵士、または前線隊長の目線で語られ、厳しい戦況や無茶な作戦に振り回され散っていく話がフィクション、ノンフィクションの区別なく数多く描かれています。特にほぼ実体験である「総員玉砕せよ!」では死にゆく兵士らに対して強い同情心を覚えさせられるように描かれており、これらの作品を読む限りと私は水木氏はどちらかというとあの戦争で死んでいった兵士らへの鎮魂、そして彼らを知らない日本人にも彼らという存在があったことを知ってほしいという目的で描いていたのではないかと思います。

 確かに言い方を変えればこうした視点も「反戦」と言えるかもしれませんが、本来の意図通りに述べるならば「鎮魂」こそが水木氏の戦争作品のテーマだと思え、反戦という言葉で引用するのは少し方向性が違うのではないかという気がします。
 言うまでもなく水木氏は妖怪漫画の大御所としてこの分野の裾野を広げた漫画家ですが、そんな経歴なだけあって神霊や超常現象に関しては興味や造詣が深く90年代などは世界各地を飛び回っては観察、紹介しおります。それだけあって死語の世界や魂、成仏、怨霊、地縛霊などといった存在や価値観についてもあれこれ思索していることを書き残しており、そんな水木氏だからこそ散っていった何百万ともいう兵士たちへ強い同情心を覚え、彼らの魂を慰め、鎮めたいという気持ちも強かったのではないかと私には思えてなりません。

 あくまで上記の解釈は私個人の解釈によるもので自分の意見が絶対正しいなんていうつもりは全くなく、ただ自分はこう読みとったというものでしかありません。その上で私は、あの戦争あ正しかったのか悪かったのかという肯定か否定の議論以上に、亡くなられた兵士や民間人の方々に対しその存在を知り、哀悼の意を持ち続けることこそが何より大事だと考え続けていこうと思います。

撃墜に対するロシアの反応を見て

プーチン氏がトルコへの追加制裁表明、撃墜事件は「戦争犯罪」(ロイター)

 一言で言って、「よく言うよ……」って思いました。
 自分らは散々ウクライナで好き勝手やらかした挙句、供与した武器でマレーシア航空の旅客機が撃ち落とされているというのに、よくこういうこと言えるなって思うあたりがやっぱロシアです。ほんと油断ならんな。

NATO震撼、トルコが撃墜 なぜロシア機は旧型だったのか(週刊朝日)

 でもってこれに関連して興味深い報道がありました。記事内容はリンク先を見てもらえばいいのですが簡単に述べると、今回トルコ軍に撃墜されたロシア機はSu24という30年以上前に開発された旧型機だったそうです。仮に最新鋭機であれば攻撃から逃れていたとした上で、Su24には内臓のGPS装置がないため恐らく外付けで、そのため位置情報を誤って領空侵犯を侵したのではないかという分析がされており素人的になるほどと思わせられました。どちらにしろ、ロシア機が領空侵犯していたのはほぼ間違いなく、それに対してトルコ軍も警告をした上で撃墜しているのでロシアから非難される筋合いはないでしょう。

2015年12月2日水曜日

私の身近な大阪人

 先ほど友人とスカイプでチャットしている最中、「ハリウッド映画に出てくる黒人はおしゃべりでお調子者が多いが、日本映画となるとこの役には間違いなく大阪人が充てられる」と述べました。この意見に反対する日本人はまぁいないでしょう。
 現代日本において一番キャラが立っている地方人とくれば大阪人がまず挙がってきて、その特徴となると「明るい」、「うるさい」、「ボケる」の三拍子でしょう。かくいう現在の私にも身近に大阪人がいるというか参加しているサイクリング部には大阪出身者が数多くいて、飲み会の最中にはよく大阪の地名を挙げてはあそこはああだったとか、昔はこうやったなどと盛り上がります。

 私自身は関東育ち(マッドシティ近辺)ですが学生時代は京都にいて関西地域に多少は土地勘があるためこういった話にもついて行けるのですが、正直言って話のペースとなると全くついていけません。みんな我先に俺が俺がと話し続けるし、しかも自分と比べてみんな年齢と経験を重ねた大物ばかりでどっちかっていうと聞き役に回ることが多くなります。

 なおここだけの話ですが中国には大阪人がいっぱい来てますし、本人らも東京の連中らと比べたらわしらの方が海外は強いんじゃと言って憚りません。私個人の見方としても関西人の方が海外勤務を精力的にこなせる率が高いように思えるし、何よりも未開の領域へ突っこもうというパワーにおいては関西人は関東人より上な気がします。その一方で、学生時代にいた周りの関西人は海外はおろか大阪からも出たくないという人が多く、どうしてこう外へ向かうという意識で両極端なタイプが混在しているのかまだ答えが出せていません。

 話は戻りますが周囲の大阪人の方々は誰もが長い海外駐在経験を務めており、人のいうことを聞かないことに定評がある私ですら素直に言う事を聞くぐらいためにもなるし、説得力もあります。先日聞いた話でも、「中国人従業員を辞めさせる時は有無を言わさず即切り、その場で家に帰らせろ」というのがあり、なんでも最後に会社を出ていく際に備品を盗んだり壊したりする例が多いからだと実体験込みで教えてもらえました。「あの工具、ほんま高かったのに盗みおって……」と悔しげでしたが。

 そんな身近な大阪人の中でも、ひときわ強烈なのが東大阪出身というコテコテのおじさんです。飲み会ともなるとずっとしゃべるしずっとボケるしで、明らかにほかの大阪の人と一線を画す存在感があります。高校生時代の話となると、「あいつら、ケンカとなるとモノ持ってくるからこっちも武装せなあかんねん」とかきわどい話になれば、ちょっと前の話でも新地のお店でどこそこが昔通ってたとかやたらディープな話も飛んできて、黙って聞いてても本当に面白い人です。
 ただ最近残念というかこれまでツッコミ役だった駐在員がこの前帰国してしまって、それからはツッコミ役がいなくて一人でボケとツッコミもやらなくてはならなくなったためか前よりはややペースが落ちました。それでもしゃべり続けることに変わりはなくこの前も、「うちの従業員も最初入った頃は全く日本語しゃべれへんかったけど今やったらほんましっかり話せて見積りも取ってくるわ」と、話してましたが、

(そりゃあんたの傍にいたら嫌でも日本語覚えるよ)

 と、密かに思ったことはここだけの内緒です。

2015年12月1日火曜日

原節子の逝去と昭和映画界

 二日続けて訃報記事となりますが、一回書こうとして見送ったもののちょっと昨日に気になる記事を見つけたので折角だから書くことにします。

原節子さんの訃報は喪中はがきが“知らせた”?!/芸能ショナイ業務話(サンスポ)

 上記のリンク先記事は原節子の訃報が報じられたその当日、サンスポ編集部内での取材と記事出稿を巡る内幕が書かれてあるのですが、喪中葉書が親類に届いたことから電話取材をしたところ入院しただけでもうすぐ元気になると回答されたため、第一稿では「原節子、入院」と書いたそうです。しかしその後で共同通信が「逝去」と報じたため慌てて電話取材をし直すと、さっきのは嘘で実は……という話だったそうで、出稿間際で慌てて記事を書きなおしてヒヤリとしたと書かれてあります。
 恐らく遺族の方は悪気はなかったと思いますが、このサンスポのデスクの方には本当に心から同情します。仮に第一稿のまま出していたらほかのメディアが逝去と報じている中で誤った生存を伝えたらシャレにならない大事で、この責任でクビが飛んでもおかしくなかったでしょう。それだけにこの内幕記事は読んでるこっちが冷や汗かきそうで、何はともあれ誤報を出さずに済んで本当によかったですねと言ってあげたいです。

 話はその原節子に戻りますが三年前、最近左遷先の名古屋で引っ越した親父に対して「原節子ってまだ生きてるそうらしいね。親父なんか知ってる?」と振ってみたところ、「そんな馬鹿な、昔の人だからとっくに死んでいるだろう」と否定されました。結果から言えば私の方が正しかったのですが親父がこう思ったのも無理はなく、というのも1963年を最後にかれこれ半世紀も公の場に出て来ずついた呼び名が「幻の名女優」と言われたほどで、同時代の人でも彼女が既に亡くなったものと考えていた人は多かったと思います。

 私が原節子を見たのは小津安二郎監督の「東京物語」という映画で、これは何も私が映画マニアだからというわけでなくたまたま大学の授業で見させられただけでした。ただその映画の中でも存在感は際立っていたというか、当時としては比較的長身な女性であったこともあるでしょうがそれほど映画に見慣れていない私ですら仕草がきれいな人だと印象に残り、それから数年後に今敏監督のアニメ映画「千年女優」で登場する主人公のモデルがこの原節子だと知り、それから興味をもって経歴を少し調べ始めました。

 「千年女優」の主人公もそうですが、原節子は戦中から戦後にかけて第一線で活躍した女優でしたが先ほど述べた通りに1963年を境に女優業を引退し、その後はまるでマスコミを避けるかのように公の場から完全に姿を消しました。このような経緯からよく元アイドルの山口百恵氏と比較されることが多いですが、それにしても半世紀も全く音沙汰なかったにも関わらずその逝去がこれほど大きく報じられるというのは他に例はなく、それだけ多くの人間の記憶に強く刻まれていた証左でもあるでしょう。
 なお一番気になる失踪した理由については、一説では信頼していた小津安二郎監督に殉じたためだと言われています。最後に姿を見せたのも小津安二郎の通夜だったとされ、それ故に当時のマスコミから色々と書かれたそうですが本人もなくなった今となっては、何かしらの資料などない限りはもはや確かめる術はないでしょう。

 最後にこの方の逝去を受けて私の感じたことをありのまま(れりごー)に述べると、最後の昭和映画人がいなくなったのかなと思いました。この場合の昭和映画というのは言うまでもなく戦前から戦後しばらくの間を指し、昭和後期は含まれていません。
 何故こんな区分をするのかというと、この時代はまだテレビが今ほど普及、発達しておらず、庶民が映像を娯楽として楽しむ媒介としては映画が主流だったからです。そのため映画は現代と比べ人々にとっては特別大きな存在で、それを撮影する人、演じる人はまさしく別世界の人間だったのではと思う節があり、その昭和映画を形作っていた象徴的な人物である黒沢明、大島渚、高倉健といった人々に今回の原節子が続き、まさしく最後の大物が亡くなったことによって一つの時代が完全に終わりを遂げたのかなと思えました。

 なお昭和の区分の仕方についてもう少し述べると、昭和を二分するのは言うまでもなく1945年の終戦ですが、仮に三等分するなら終戦に加えて1970年の大阪万博だったんじゃないかと密かに考えております。大阪万博は昭和を中期と後期を分ける分水嶺たる象徴的なイベントで、だからこそ当時を生きた人々にとって強く印象に残り、漫画の「20世紀少年」 でも主要なテーマとして扱われてるんじゃないかというのが私個人的な考えです。

2015年11月30日月曜日

そこにゲゲゲがあった日々

 今日昼ごろ、ネットニュースに表示された見出しを見て文字通り身体がビクッと一瞬跳ね上がり、いずれ来るとは分かっていながらもとうとうその日が来てしまったのかと深くため息をつかされました。皆さんも知っての通り本日、「ゲゲゲの鬼太郎」に代表される数多くの人気漫画を生み出しながら妖怪分野の研究において第一人者でもあった水木しげる氏が亡くなりました。

 このブログでも私は常々水木氏のファンであるということを書き綴っており、またかつて読んだことのある彼の作品を何度か紹介しております。現時点においても一番好きな本はと聞かれたら「水木しげる伝」と即答するほどで、先日も高校生になったという知り合いの娘さんへ、「これ読んでいい大人になれよ」といって上中下の三巻をプレゼントしており、ガチな水木フリークに比べればまだまだですが私個人としてはかなり熱狂的だといえるほどのファンだと自負しております。

 私が何故水木氏とその作品に対してこれほどまで愛好するようになったのかというと話せば長くなりますが、子供の頃にアニメが放映されていた「ゲゲゲの鬼太郎」や「悪魔くん」を見ていたことはもとより、成人してから京都大丸でやっていた水木氏の作品展(大・水木しげる展)を訪れ、改めて水木氏が生み出したキャラクターの造形や性格、そして水木氏自身の数奇な人生を単純に「すごい!」と感じたことが大きかったです。ちなみに今でも後悔してるけど、その作品展で売られていた一反木綿の携帯カバーを買っとけばよかった……。

 知られている通りに水木氏は少年時代からのんびりし過ぎというか特徴的な子供で、そして成人後に出征して片腕を失くしながらも日本への帰還を果たします。しかし帰還後も苦しい生活は続き、食うや食わずの中で漫画を描き続け40歳を超えて初めてヒット作(「テレビくん」)に恵まれ、その後も本人が子供の頃から好んでいた妖怪をモチーフとした作品群でヒットを続け漫画界のみならず民俗学の分野においても多大な功績と数多くのフォロワーを生み出しました。事実、水木氏と柳田國男なければ妖怪という言葉は現代ほど定着はしなかったと思え、もしそうなっていれば「妖怪ウォッチ」もなければ「トイレの花子さん」もなく、下手すれば「ポケットモンスター」も生まれてなかったかもしれません。

 話は戻りますがどうして私が他の漫画家とは一線を画すほどまでに水木氏へ入れ込んだのかというと、単純に作品が面白かったことに加え、水木氏の人生観と死生観に強く惹かれたことが大きかったと思います。元々が特徴的な思考をしているだけに水木氏の価値観は際立っていたというか常人からは見ることのできない視点からの意見が多かったのと、それ以上に激戦地で死線を潜り抜けながら目の前で何人もの戦友を失うという壮絶な体験に根差した死生観にはえもいわぬ迫力がありました。
 生前のインタビューでも若者の自殺が近年増えていることについて、「彼らにとってそれが楽だというのであれば死なせてあげなさい」と述べた上で、「戦争の時代、若者は生きたくても生きられなかった」と付け加えていましたが、一見すると前後の文脈が噛み合っていないようであるものの、水木氏の人生を知るにつけて強烈なインパクトを持つ言葉の様に感じられてきました。ただ単に「自殺はよくない」と言う訳ではなく、どのような生が正しいのか悪いのか、そもそも生が正しくて、死は正しくないのかと問い直すような生死の比較対立構造すら揺さぶりかねない視点のようにも思え、自分には辿り着けない領域をこの人は見ているのだなとも覚えました。

 確か荒俣宏氏だったと思いますが、「水木氏の最高傑作は水木氏自身だ」と述べており、まさにその通りで水木氏が生み出してきた作品以上に水木氏という人物がとんでもなく凄かったと私にも思えます。この人の作品に出会えたこと、そして同時代を過ごせたことは紛れもなく幸福だと思いますし、この尊敬の念は今後一生変わり続けることもないでしょう。この偉大な水木サンに対して、この場にて改めて哀悼の意を表したいと思います。

2015年11月29日日曜日

真のブラック企業大賞

「ブラック企業大賞」、2015年はセブン-イレブン・ジャパンに(ねとらぼ)

 毎年続けてきた甲斐もあってか段々知名度も高くなってきたこのブラック企業大賞ですが、今年の栄えある大賞にはセブンイレブンが見事入賞されたそうです。私自身はセブンイレブンにそんな思い入れもなく、どっちかっていうと特別賞に入ったアリさんマークの引越社が今年は来るんじゃないかと思ってただけにちょっと意外に感じると共に、そもそも真に糾弾されるべきなのはこうしたブラック企業を放置しながら何も働こうとしない労働基準監督署じゃないのかと思った次第です。そもそも労基は企業じゃないかとツッコまれそうですが、ブラック企業を生み出している真の黒幕って考えならアリじゃないかと個人的に考えています。アリさんマークなだけに(*´∀`)

 ついでに書くと、労働者的には別にブラックではないですが今年一番黒かった会社となると私の中では不正経理がばれた東芝と、その監査法人である新日本監査法人が挙がってきます。正しく公開すべきIR情報を意図的に粉飾して投資家をだました両法人ですが、米国であれば責任者は確実に懲役となっていたでしょうが経済犯罪には甘い日本だったため証券市場での上場廃止すら免れています。あとこの事件の内幕は大手マスコミが東芝に対して確実に及び腰となっているためあまり議論されませんが、東芝と新日本監査法人の関係を追っていくといろいろと見えてくるものがあるだけに根は案外深いように感じます。

 前提から整理すると、新日本監査法人は東芝という会社から依頼されて一部の部署や役員が実態とは異なる不正な経理を報告していないかをチェックするという仕事を担当したわけです。しかし彼らのチェックが甘く杜撰だったために不正な経理報告書が市場に出てしまったわけですが、東芝は何故か新日本監査法人に対して、

「お前らのチェックがいい加減だったせいでえらい目にあったぞ(# ゚Д゚)カス!!」

 などと怒ったりクレームを言うこともなく、改めて仕切り直しとなった財務監査を再び新日本監査法人に依頼しており、恐らく来年以降の監査もここに依頼することでしょう。急いで正しい報告書をまとめるために同じ監査法人を使わざるを得ないという理由はまだ理解できないまでも、普通の感覚なら東芝は新日本監査法人に何かしらクレーム入れてきちっとチェックしきれなかったんだから約10億円(報道によって9億8000万円~11億円と別れている)もの監査報酬の一部返還を求めるのが筋であるような気がしますが、そういうことは一切行わないどころかむしろ同法人をかばうかのように「巧妙な隠蔽」などといった言葉の発言を繰り返しました。

 おまけに事件を調査した第三者委員会の報告では全くと言っていいほど同監査法人への批判はなされず、控え目に言っても東芝側の意向が強く働いた委員会だったのではないかと思わざるを得ない内容でした。これは何も私がおかしな感覚で物を言っているわけではなく、この委員会の法告訴を見た弁護士らも、「ふざけてんじゃねぇよてめぇ……(#・∀・)」とばかりに第三者委員会を強く批判しています。まぁ一般の感覚したらこう思うのが普通でしょうが。

「東芝のためだけに作成」 格付け委、第三者委報告書を低評価(SankeiBiz)

 何故東芝はこれほどまでして新日本監査法人を庇うのか。結論を言えば今回の不正経理は両法人が結託して生まれたコラボレーションであって、初めから新日本監査法人は知ってて不正を見逃そうとしていたからとしか思えません。しかも最初に不正が発覚してからもなおばれていない他の不正は隠そうとしていたようで、東芝子会社の米ウェスチングハウスの巨額損失を報告せず見逃しており、ここまでズブズブの関係でよく監査法人を名乗れるなと見ていて呆れるし同法人に対して一切捜査、処分を行わない経産省にも呆れてきます。
 逆に、今回ウェスチングハウスの巨額損失の事実を暴いた日経BPの記者は実に見事な仕事を果たしたと思えます。経済部門においてであれば間違いなく今年最大のスクープと言っていいほどの功績でしょう。

 話をまとめますがこれらの事実から何が言えるのか。東芝はまだ隠し玉というか報告していないマイナス材料を持っている可能性があるということと、新日本監査法人はほかのクライアントの企業に対しても同様の不正見逃しを行っている可能性があるということです。っていうかそう思わない方がおかしいと思える事件内容ですし。
 おっかなびっくりきわどい予想をまたここで書くと、二年か三年後には同法人のクライアントの中から今回と同様の粉飾事件がまた出るんじゃないかというのが私の見方です。マスコミもこれくらい書いたっていいと思うのですが、それくらい同法人の今回の失態は目に余るものがあり投資家は今後の投資に当たっては頭に入れておいた方がいいような気がします。

 ついでにと思って書き始めた内容の方が本題になっちゃいました。当初は本気で労基の事だけ触れようと思ってたのですが……(ヽ´ω`)

危機を切り抜けた名パイロットたち その二

 昨日に引き続きまた航空事故もののネタです。微妙に反応ないからどう思われながら読まれているのか気になりますが、昼飯に牛丼食べたしあまり考えないようにしましょう。

4、USエアウェイズ1549便不時着水事故(2009年)
事故内容:ハドソン川の奇跡  乗客乗員数:155人

 この事故は有名なので知っている人も多いかと思います。
 ニューヨークを飛び立ちシャーロットへ向かった同便は離陸直後に空を飛んでいた鳥がエンジンに吸い込まれ(バードストライク)、一瞬で左右両方のエンジンが停止するという事態に陥りました。突然の事態に機長は元の空港へ戻ろうと即決断しますが何分離陸直後の事ゆえ、戻ろうにも高度も速度も足りない状態でした。そこで機長はどのような行動を取ったのかというと、なんと陸上ではなく近くを流れるハドソン川に緊急着陸をしようと決断し、管制などへ状況や目的を伝えてすぐその着陸を実行しました。

 軽く書いていますが水上に、しかもエンジン噴射の調整なしで飛び込むなんて普通なら有り得ない行為ですし、成功させるには超高難度な技です。しかし機長はこの着陸を見事に成功させ、着陸時の衝撃で乗客数人が怪我を負ったものの結果的には誰ひとり死ぬことなく生還を果たしました。しかも着陸時、マイナス数℃という川の水が機内に浸水する中、機長は何度も機内を見て残っている人間がいないか確認するという冷静な周到さを見せています。


5、タカ航空110便緊急着陸事故(1988年)
事故内容:フレームアウトによるエンジン完全停止  乗客乗員数:45人

 中央アメリカのベリーズという国から米国のニュー尾綸子へ向けて飛び立ち順調に飛行していた同便は途中、雨雲の中へ入った際にエンジンが雨水や雹を吸いこんだことによってフレームアウトと呼ばれるエンジン停止状態に陥ることとなりました。このフレームアウトは今日ではほとんど発生しないよう対策が施されていますが当時はまだそうでもなかったようで、同便も警戒こそしていたもののこの突然の発生によってすべてのエンジンが完全に停止するという事態に見舞われました。
 機長はエンジンの再始動を何度も試みるも上手くいかなかったため、到達できる範囲内にあったNASA組立工場敷地内の草地へと飛行し、なんとそのまま滑走路のない草地へ向けて不時着を敢行してしまいました。でもって、無事に着陸してのけた上に火災も発生させず、乗客乗員を誰一人危険にさらすことなくミッションを達成してのけてしまい、地味にすごい腕を持ったパイロットだったと思える事故例です。

6、アロハ航空243便事故(1988年)
事故内容:金属疲労による機体外壁損傷  乗客乗員数:94人(1人死亡)

事故機写真(Wikipediaから引用)

 ハワイ島内の空港を結ぶ定期便を飛んでいた同機はその日もいつも通りに離陸して安定飛行へと入ろうとしたその時、突然轟音と共に前方部の機体外壁がめくれ上がり、引きはがしたかのように大きな穴が開きました。乗客はシートベルトを締めていたため吸い込まれることはなかったものの、たまたま穴周辺に立っていた乗務員一人が一瞬で空へと放り出され、そのまま行方不明となる事態となりました。
 原因は高温多湿という厳しい環境下での金属疲労で、ハワイの海上を飛び続けたこの機体には目にははっきりと見えなかったもののダメージが蓄積されており、金属内部で亀裂が走りまわり、それがこの時の飛行で限界に達して機体が破れ、またそのまま与圧洩れに伴う強力な衝撃が続けて襲ったことによって一挙に剥がれたのだと考えられています。

 先ほど述べた通りに乗客は座席でシートベルトを締めていたため飛ばされなかったとは書きましたが、開いた穴からは気流によって生まれる豪風が吹きすさび、いつ吹き飛んでもおかしくない状況だったそうです。また吸い込まれなかった一部の乗務員はたまたま体が機内設備に引っかかり命をつなぎとめましたが、飛行中ずっと強烈な風を受け続け重傷を負いました。
 機体も穴が空いた影響でバランスを崩したもののすぐに墜落するほどの物でなかったため、姿勢を復元すると機長はすぐに最寄りの空港へと運び、そのまま無事に着陸を成功させました。

 この事故は現地のテレビ番組で再現ドラマが作られ、日本でも放送されたことがあります。たまたまですが私が子供だった頃にその番組を見ており、機内から雲が見える状態のまま飛び続け、乗客は物凄い風を受け続け息も絶え絶え、機長もすぐ後ろでぽっかりと大きな穴が飛ぶ中で必死で操縦し続けるという壮絶な状況を再現しており、見終わった後はしばらく飛行機がトラウマになりました。今は全然平気だけど。

2015年11月28日土曜日

危機を切り抜けた名パイロットたち その一

 先日、ネットのまとめ掲示板にて過去に起きた様々な航空事故を取り上げた記事があり、興味深く読む機会がありました。日本で航空事故というと御巣鷹山墜落事故がよく取り上げられますが世界中にはこれに負けず劣らず十分注目に値する大きな事故例がたくさんあり、それらの事故例から何を学び次への教訓へと生かすかというのがこの業界においてどれだけ大事なのかと読んでてつくづく学ばせられる記事でした。
 その記事に影響されたこともあり読後に自分でも調べ始めたのですが、航空事故というのはどれもほんの些細な不具合、ミス、整備不良から大きなトラブルへと発展し、乗り合わせたパイロットたちはそれらの原因を突き止める手段すらないまま事故機の操縦を迫られるケースが多いです。状況的には圧倒的逆境ともいえ、後に判明した事故原因を見るだに事故死した乗客、並びにパイロットたちにはその不憫さをつくづく思い知らされます。

 しかしそうした圧倒的逆境下において、パイロットの見事な判断や操縦によって奇跡的に死傷者の発生を食い止めた事例も少なからず存在します。折角調べたこともあるので、ちょっとしばらくはこうした危機を切り抜けた名パイロットたちが登場する航空事故例を紹介していこうと思います。


1、リーブ・アリューシャン航空8便緊急着陸事故(1983年)
事故内容:プロペラのぶっ飛び  乗客乗員数:15人

 アラスカ州とワシントン州の定期路線を結ぶ同便はその日もいつものように離陸していつものように空路を飛んでいましたが、離陸から間もなくどこから異音が聞こえたため機長は機関士に客室の窓からエンジンの様子を確かめるよう指示しました。機関士と客室乗務員がエンジンを見ようとしたまさにその時、第四エンジンのプロペラが吹っ飛び、あろうことかそのまま飛行機本体に直撃して客室通路に50cmもの穴が空くという事態に陥りました。機内に穴が空いたことによって機内では空気が洩れると共にあっという間に霧が立ち込め、また機体も受けたダメージによって操作系統に障害が起こり、機体が右に傾きだすも操縦桿が反応せず姿勢すら維持できない状態に陥りました。

 この際、機長は咄嗟に自動操縦へと切り替えたことによって姿勢はなんとか復元し、エンジン制御すらままならない中で管制と連絡を取り合って近くの空港へと飛行し、着陸アプローチまでどうにか持っていきました。着陸に入る際、それまで反応しなかった操縦桿が奇跡的に復元し、一度目は降下角度が作れず断念したものの、二度目の着陸は非常ブレーキなどを活用して見事に着地してのけ乗員乗客全員が無事に生還することとなりました。

 事故原因はわからずじまいだったものの最後に操縦桿が復元した理由については判明しており、プロペラ直撃によってひしゃげたフレームが操縦桿とつながるケーブルを挟み込んだため反応しなくなったものの、飛行中にパイロットらが押したり引いたりしているうちにケーブルが隙間に動いたことによって復元したとのことです。


2、アメリカン航空96便貨物ドア破損事故(1972年)
事故内容:貨物ドアぶっ飛び  乗客乗員数:67人

 デトロイトからバッファローへ向かって飛び立った同便も離陸からしばらくはいつも通り特に問題なく飛行していたものの、突然機体後方で大きな音が鳴ったかと思うや着座していたパイロットたちも大きな衝撃を感じるほど機体は大きく揺れました。客室では後方に設けられた床が陥没して穴が空き、数人の客室乗務員がその穴に落ちたものの救出されましたが、この際に通常なら見えるはずのない夕焼けの光を目撃しています。

 原因は貨物ドアが空中で吹っ飛んだことにありました。この機体の貨物ドアには欠陥があり完全にロックされていないにもかかわらずロックされたように見えてしまう要因があり、半ドア状態のまま離陸してしまっため空中での衝撃に耐えられなくなり吹っ飛んだわけでした。なおメーカーのマグドネル・ダグラスは事故後もこの欠陥に対する対策を怠り、二年後にロッキード事件で購入がキャンセルされた機体でトルコ航空DC-10パリ墜落事故を起こしております。

 話は戻しますが事故発生によって機体は右に大きく傾き、また操作系統にも異常が発生して方向、エンジン制御もままならない状態となりました。このような状況下で機長は補助翼とエンジン推力を駆使して機体を維持し、出発したデトロイト空港へと戻ると滑走路から少しはみ出したものの無事着陸にも成功して乗員乗客全員が無事に生還を果たしました。


3、ブリティッシュ・エアウェイズ5390便不時着事故(1990年)
事故内容:窓ガラスぶっ飛び、機長頭出し  乗客乗員数:81人

 イギリスからスペインへ向かうため飛び立った同便ですが離陸から十数分後、飛行も安定してきてやれ一安心と思ったその瞬間、突然の爆発音とともにコックピットの窓ガラスが吹き飛びました。高空での空気が機内へ一気に入り込み一瞬で深い霧が発生するとともにコックピットでは激しい風が吹き込みだすのですが、なんとこの際にティム・ランカスター機長が空いた穴に吸い込まれ機体の外へと引っ張り出されてしまいました
 幸いというかなんというか膝が操縦桿に引っかかって上半身が飛び出たところで踏ん張ったものの、機体の外はマイナス何十度もの低温かつ機体の飛行に伴う凄まじい風圧が襲う上、呼吸すらままならないほど薄い空気という最悪の条件でした。このコックピットの異変に対し客室乗務員のナイジェル・オクデンは咄嗟にランカスター機長のベルトを掴んで彼の全身が吸い出されないよう抑え、その間に副機長が操縦を自動操縦に切り替え姿勢を復元し、風によって管制との通信がほとんど聞き取れない中で緊急着陸先のサウサンプトン空港へと目指しました。

 機体は不安定ながらもなんとか操縦はできたものの、窓の外へと吸い出されたランカスター機長を引っ張り込むことはできずにいました。しかも吸い出す力が強い上に凍傷になるほど極寒の風が吹きすさぶため機長を掴んでいたオクデンの負担も大きく、途中でとうとうその手を放してしまいました。そのまま全身が吸い出されるかと思われたランカスター機長でしたが窓を挟み込むように体をくの字に曲げたことによって何とか持ちこたえ、その間に別の客室乗務員二人が再びその体を抑えつけました。もちろんこの間も機長の上半身はずっと外に出たままで、しかも気流を受けて窓ガラスにバンバンと音を鳴らしながら何度も頭を打ち就けづ受け、生きてるのか死んでるのかもよくわからない状態だったそうです。

 このような壮絶な状況下にも拘らず副機長は空港へと機体を持っていき、事故発生から約20分後にサウサンプトン空港滑走路へ無事に着陸を果たしました。着陸完了後、乗客らが空港へ降ろされる中でランカスター機長もレスキュー隊に救出され、凍傷や複数個所の骨折をしていたもの命はあり、彼も奇跡的な生還を果たしました。

 事故の原因はコックピット内の窓ガラスを締めるボルトにあり、事故直前に交換された窓ガラスに対して規格とは異なるボルトが多数使われていたことで強度不足となり、吹っ飛んだそうです。しかも整備の際にこのボルト種類などがきちんと確認されておらず、不適切な状態のまま飛んだことによって大きな事故となりました。

 この事故で何がすごいかって、言うまでもないですがランカスター機長でしょう。物凄い高空をこれまた物凄い速度で飛ぶ飛行機の上で上半身を晒したまま約20分間飛び続けて生還するなんて、なんかのギネスレコードになるんじゃないかとすら思える水準です。しかも更にすごいのがこの機長、この事故から半年も経たないうちに職場復帰し、そのまま定年まで空を飛び続けたって言う点です。ダイハードもびっくりなタフネスぶりですが、その辺の過程は以下の記事にも書かれているので興味ある方は是非一読ください。

コックピットの窓が吹き飛び、機長の半身は機体の外に...でも、全員生還!(ギズモード・ジャパン)

2015年11月25日水曜日

トルコのロシア軍機撃墜について

 他にも書きたいネタがあるという時に限ってなんでこういう事件起きるんだろうと思いつつ取り上げますが、昨日トルコ軍は再三の警告にもかかわらず領空侵犯を続けたロシア軍機を撃墜したと発表しました。

 現時点の報道によると領空侵犯をしていたのは二機で、このうち一機は警告を受けて離脱したものの1機はなおも侵犯を続けたため撃墜されたとされます。ロシア側はあくまでシリアの領空を飛んでいたと主張しているものの米国をはじめとする周辺各国はそれぞれの観測結果を見る限りトルコ側の主張の通りだと述べており、私も恐らくその通りだと思います。
 撃墜されたロシア軍機のパイロットは機体から脱出したものの、シリア領内の武装勢力によって射殺され(空中でとの報道も)、また救出に向かったロシア軍のヘリコプターも襲われこの際にも一人殺害されたとされます。

 ロシアのプーチン大統領はこの事件についてトルコに対し厳重な抗議を行い、対するトルコ側も領空侵犯とトルコ・シリア国境近くへの空爆に強く抗議し返しています。既に報復も検討していると明らかにするロシアに対して米国などの第三国は両国に対して落ち着いた対応を取るよう求めているものの、現時点ではなお非難合戦が続いています。

 この事件について昨日早速上海人から電話でコメントを求められたのですがコメントとしましては「ロシアはやはり危険な国で、日本や中国もおちおち安心していられない。むしろ対ロシアについてはもっと協力すべきじゃないか」と、述べました。ロシアは昨年クリミアに侵攻したことは記憶に新しく、また過去の歴史をさかのぼっても条約なんてなんのそのとばかりに平気で破って侵攻してくるわ、抑留するわで、中国には「虎狼之国」という表現がありますがまさにロシアがこれにぴったりだと私は考えています。
 特にプーチン政権になって以降は経済力の高まりと共に強引な行動に出ることが増えており、ロシア国内での高い支持率に支えられていることもあってかその権力は絶大で、こうした外交問題が起きたところで国内で引き摺り下ろされたりすることはほぼないでしょう。私自身はロシア人とそれほど絡んだ経験は多くはないですが、いろいろ話に聞く限りだと非常に刹那的というか自分の命を大事にしない分、他人の命も大事にみないような部分があるように感じられ、だからこそ突然恐ろしい行動を平気で実行してくるのかなと考えています。

 そんな分析してるもんだからロシアに対する警戒感は多分、日本人の中でも私は相当高いと思います。このブログでも何度も書いていますがよく中国は何する変わらないため危険だと多くの日本人は言いますが、ロシアの方がもっと何するかわからなくないかと声を大にして言いたいです。日本なんかはまだ海挟んでるからいいけど、中国なんか陸続きからロシアに対しては本気で怖がっているように見えるし。

 それだけに今回の撃墜事件を受け、シリアでのロシアの軍事行動に歯止めをかけるきっかけにすべきではないかと密かに考えています。ロシアはアサド政権に対して支援しており反政府軍へ空爆を行っているようですが、それに対してNATOや米国は反アサド政権派を支援していてなんか昔の冷戦みたいな構造となっており、それ故にシリアの内戦も長引きISISが跋扈する余地も生まれています。それこそシリア領内でISIS以外への空爆は完全禁止という形に持っていかないと収拾がつきません。まぁそれができればとっくに……ってところなんですが。

 それにしてもシリアで内戦が始まった際、これほどまでに周辺各国、並びに先進国まで巻き込む事態になるとはだれも予想しなかったでしょう。アラブの春によってイスラム世界各国では政権崩壊が続きましたが、最初に焼身自殺した若者からここまで発展していくとはだれも予想していなかった当たり国際政治の複雑さをかみしめられます。

2015年11月24日火曜日

大阪ダブル選挙の選評

 ちょっと日が空いたけど先週末に行われた大阪ダブル選挙について私なりの選評を書いてきます。結論から述べると予定調和の選挙でどなたにとってもハッピーな結果だったんじゃないでしょうか。

 最初にお断りというか言い訳を書いておくと政治好きだと標榜しながら今回の選挙は事前にあまりチェックしてきませんでした。なんでチェックしなかったのかというと単純に興味が持てなかったのと、どこもそれほど真面目に選挙戦やっているように見えなかったからです。選挙結果は報道されている通り橋下代表が率いる方の維新の会メンバーこと前職の松井知事が再選を果たし、いくつかのニュース記事には名前も出て来ない方が市長に受かりましたが、この選挙で一番肝心なのは案外ここじゃないかという気がします。
 この名前の出てこない受かった市長といい、自民党候補も全く知名度のない人物が立候補しており、維新の会はまだともかくとして自民党の方は初めから真面目にこの選挙をやる気がなかったのではと言いたいわけです。

 報道では自民党の選挙対策部は選挙協力に応じなかった公明党に対して非常に怒っているなどと書かれていますが、率直に言って私はこれらの報道を疑っております。というのも安倍首相を中心とした自民党執行部はこのところ橋下代表率いる維新の会を応援しているかのような節があり、彼らが現在進めている民主党を解党した上での合流を望んでいるかのような態度が見られるからです。
 何故自民執行部が橋下市長を応援するのかその理由を推察すると、一番大きいのは衛星野党を作ることと見て間違いないでしょう。衛星野党というのは私の造語ですが、要するに与党と対決する姿勢を示しながら裏では政策協力、投票協力に応じるような野党の事で、安全保障や憲法改正などの点で選挙協力をやらせる代わりにそこそこ彼らの意見も取り上げる、場合によっては連立に組み入れることなども視野に入っているかもしれません。そうした野党を橋下代表を中心にしてつくらせようっていうのは真の腹ではないかと思ってるわけです。

 そのような方針であることからこの大阪ダブル選挙も、元々が維新の地盤でもあるということだし本気でやる気は最初からなかったでしょう。世間の注目も初めから薄かったですがそれは自民党自身が選挙活動を熱心にしてなかったこともあるように思えますし、とりあえず候補だけ立てて選挙しているように見せればよかったのかもしれません。
 メディアの方はどういう風に見ていたかは計りかねますが、どこも得票率を大きく取り扱わず「維新圧勝」という文字ばかり書いてた点に奇妙さを感じました。もっとも投票率は前回選挙時と比べると明らかに落ちてて、いくら受かったとはいえ維新の会への支持は以前に比べると確実に落ちているように見え、今回の選挙も維新を応援してというよりほかにまともな候補がいないからという消極的な投票結果だったと見るべきでしょう。

 あと維新の会が掲げる大阪都構想ですが、前回の住民投票の結果といい現段階でもこの政策については府民の支持は低いままなのではないかと見えます。今回の選挙でも詳細な説明は省いていたようですし、この選挙結果を受けて見直されていると考えるのはちょっと大袈裟でしょう。何がいいたのかというと、国政選挙に出ても今の維新の会では予想以上に議席は取れないと思うって言いたいわけです。民主党を吸収したとしても、です。
 ましてや地元大阪ですら地盤沈下が進んでるわけですし、全国での維新の会への支持はますます下がっているように思え、橋下代表はその辺をどう考えているのかメディアは単刀直入に聞かないのかなぁって思えてなりません。もっともほかにまともな野党もないし、自民党が安倍首相の後継でミス人事をしない限りはこのまま自民一興が続くのかなと思えます。

2015年11月22日日曜日

野田聖子議員の問題ある見識

呆れた不見識…野田聖子氏の「南シナ海は関係ない」発言に批判の嵐(産経新聞)

 もう少し大きく扱われるのかと思っていたら上記の産経以外あまり取り上げようとしないこのニュース。内容はリンク先を見てもらえばわかりますが、現在中国が出張って埋め立てやり始めて緊張が高まっている南シナ海問題について自民党の野田聖子議員は、「日本には関係ないのだから関わらない方がいい」というとんでもない見識を披露してくれました。
 この見識が如何に問題があるかについては記事中でも指摘されている通りに、南シナ海は日本にとって石油などの重要物資のシーレーンでもありひとたび事が起これば大きな影響を受けかねない地域です。また尖閣諸島での問題と合わせて近年における中国のむやみやたらな拡張主義を抑えるためにも、近隣諸国が一致団結して領土線の変更を認めないという姿勢を見せることこそ日本の利益にも叶いうるだけに、何をどういう理屈でこんなことを突然言い始めたのか本気で理解に苦しみます。まぁ単純に頭の中すっからかんだというのが実際の所でしょうけど。

 前からもこのブログで主張していますが、私はこの野田議員が大嫌いです。
 そもそもこの人は親のコネで帝国ホテルに入り、親の地盤を引き継いで議員になるなど何一つ自分の力で達成しておらず、議員となった後も何かこれという功績を遺したことはおろか独自の政策論を作ったことすらありません。どれだけこの人に中身がないのかについては、郵政選挙後に郵政民営化法案に選挙中の公約とは真逆に賛成票を投じた点を一つとっても保身しか頭にないということが伺えます。
 もっとも保身ともう一つ、無駄に功名心があるというからなおさら始末に置けません。上記のように政治家としてというか一市民としても同化と思える人物ながらもマスコミなどから、「初の女性首相候補」などと書かれて本人も浮かれてか先の自民党総裁選に立候補しようなどと身の程知らずも大概といったところでしょう。しかもその総裁選に向けて独自の政策論は何も全く作れておらず、「政治家として果たしたい政策はないけど総理になりたい」などという理解不能な行動を取っています。

 先ほどから非常に激しい言葉で罵り続けていますが、これだけ私が罵るのもこの人を総理はおろか議員にしては絶対にいけない人物だからだと思うからです。これまでの経歴や発言一つとっても政治家として致命的な欠陥を抱えていることは明白ですが、何故だか日本のマスコミは先ほども書いた「日本初の女性首相候補」などと持ち上げてて「一体何故なんだ!?」と中国からでも怒鳴りたくなるような紹介の仕方をしています。最初の南シナ海に対する発言も2週間以上経過したにもかかわらずまともにツッコんでいるのは産経新聞位で、普通に考えれば議員辞職要求が出てもおかしくないような失言なのにマスコミも野党もやけにダンマリ決め込みます。仮にほかの男性議員だったらこうもいかなかったと思うだけに日本のマスコミ、特にさっきの女性首相候補云々を書いた記者はもうこの世界には関わるなと言いたいです。

 更にこう言っては悪いですが、この野田議員といい小渕優子議員といい明らかに欠陥を抱えた人間が親の力とかで間違って議員になったりするもんだから女性の社会進出は遅れるのではとすら思います。以前にも書きましたが、本当にやる気があって実力のある女性ではなく無駄に目立ちたがり屋な無能な女性が変な力で目立つ地位に立っちゃうもんだから男性の側も「これだから女性は」と感じてしまうような気がします。女性を応援するのと、おかしな女性を応援するのは全く以って真逆のベクトルなだけにメディアもこの辺しっかり叩けよと、いいたいことだけ書いて筆をおきます。

正直者は何を見る

 このブログには度々私の友人である上海人が出てきますが今日はその彼のお話し。

 彼は私と同じ大学のゼミ同期生で、正確には元々学年は一つ違っていましたが私が中国留学のため一年間休学したので復学後に同学年となり、ゼミも一緒となりました。同じ学年なもんだから卒業ももちろん一緒で、就職活動の時期も同じだったのですがこの時のことについて後年、度々彼と話すある話題がありました。

 私はお世辞にも就活上手とは言えず、決して景気が悪くない時期であったものの書類選考を含めて百社は落ちておりそこそこ苦労はしたのですが、上海人も順風満帆にとはいかず、大手企業とされるところには全部お断りされてしまいました。その中でもある大手電機メーカーには最終面接までこぎつけたもののそこで落とされてしまったのですが、この原因について面接時のある質問に対する回答が原因だろうと彼は分析しております。

 それはどんな質問だったのかというと、「将来、中国に帰りたいですか?」というものでした。この質問に上海人は、「出来れば、中国の赴任地で働かせてもらえるとありがたいです」と答えたのですが恐らくこれが命取りとなったと分析しており、私も彼の考えに同感です。
 基本的に日系企業の面接は服従と肯定しか許されないのは言わずもがなで、さっきの質問時には「日本に骨をうずめる気持ちで働きます」とか、「仕事がある限りは日本でずっと頑張るつもりです」などと答えていればOKだったことでしょう。上海人自身もそういう日本の価値観を理解していながらもこの時は敢えて正直な気持ちを出したところ落とされてしまったわけです。

 本人もこの時の体験は相当衝撃が大きかったのかお互い社会人になって昼間から上海のバーで飲み合ったりする際、大体年に一回はこの話題を持ちだしていました。数ヶ月前に会った際も話題になり上海人は、「あの時、もし別の言い方をして受かっていれば僕の人生はどうなっていたんだろうか」という風に洩らし、それに対して私はこう応じました。

花園「そうだよね。なんせあの、シャープだしな( ・∀・)」
上海「せやでほんま。きっと今頃僕はリストラされてるか転職迫られてるかで安定なんてしてられへんかった。危なかったわ(;><)」

 念のため言っておきますが別に作っているわけでなくこれら全部事実です。友人が最終面接までこぎつけたシャープは現在経営再建中、というよりマグロの解体中で大量のリストラはもとより若手社員の流出も続き今後の先行きもよっぽどの名経営者かスーパーな発明が出ない限りはある程度見えてきているでしょう。
 少なくとも自分が直接見聞きした中ではりこれほど見事な「塞翁が馬」ともいうべきエピソードは見当たらず、なんというかやっぱ人生は正直でいる方が日が当たるんだなと思えてきます。言い方変えて意地悪な言い方すると、正直な気持ちを吐露する人間より心にもないこと言う人間ばかり採ってたからこうなったんじゃないかな。

2015年11月21日土曜日

朝青龍の北の湖理事長への追悼コメント

元朝青龍 北の湖理事長を悼む「悲し涙が止まらない」(スポニチアネックス)

 さっきまでスカイプで話してたので短い記事を一言いれますが、本日元横綱で相撲協会の理事長であった北の湖理事長が亡くなりました。この突然の訃報に各所からコメントが出される中、こちらも元横綱で現役中は北の湖理事長といろいろとやり取りのあった朝青龍ことドルゴルスレン・ダグワドルジ氏のコメントがなかなかに目を引きます。
 現役中は北の湖理事長と対立している、仲が良くないなどというようなことも言われてましたが、この突然の訃報に対してリンク先記事の見出しにある「悲し涙が止まらない」とその死を強く悔やむコメントが書かれてあり、見ているこちらもその悲しみが伝わってきそうな言葉で表現されています。

 朝青龍はツイッターなどで日本語文書をこれまでも書いて発信しておりますが、彼の日本語会話は外国人でありながらほぼ完璧だと思う水準にあるものの、ツイッターにて出される文書はちょっと拙いというかきちっとした日本語文書になっていないことが多いです。とはいえ外国人でこうやって文書書くだけでも大したものというべきか、そもそも自分も中国語できちんと文書を書く自信がないだけに「下手でもいいから発信するのが大事なんだ」と常々感じさせられるのですが、こと今回の追悼コメントに関してはかえっていい表現になっているような気がします。

 追悼コメント中には「悲し涙」という言葉が使われていますがこの言葉はあまり一般的ではなく、こういった場面で使う日本人は多分いないと思います。恐らく音からして「悔し涙」という言葉から感情を表す漢字を置き換えて使ったのではないかと思いますが、あまり見ないだけに新鮮であり斬新で、なおかつ「かなしなみだ」という音も聞いてて悪くありません。
 一般的ではない表現、さらに文書の拙さもあってストレートな表現ですが、悲しみを表現する上でこの拙さはかえって伝わりやすい表現ではないかと思います。それだけに今回のコメントからにじみ出る朝青龍の気持ちは見ているこっちも感じやすく、素晴らしいコメントを残してくれたと彼には感謝と共に高く評価する気持ちを送りたいです。

  おまけ
 朝青龍の現役時代のライバルといったら「青白時代」と一時期言われたように現在も横綱を張っている白鵬関が普通は上がってきますが、実際は横綱審議委員会の内館牧子氏との土俵外のバトルの方が見ていて一番熱かったし、彼の真のライバルだった気がします。またいつかやってくれないかなぁ。

2015年11月19日木曜日

中国のファーストフード市場 その2、大手チェーントップテン

 ようやく風邪が直りつつあるのか昨夜に比べれば大分体のだるさも取れて記事執筆に迎えます。何というか抵抗力が落ちてたのか昨日は左耳が中耳炎になったのかずっと痛かったし、あと早朝髪の毛を櫛でといていたら何故か根本からバキッて折れるし。櫛を折るなんて人生で初めてだよ……。

2014年中国快餐连锁十大品牌企业排行榜(中商情報網)

 そういうわけで昨日に引き続き中国のファーストフード市場について紹介していきます。今日引用する元記事は上記のリンク先ですが、こちらはビジネス関連情報の記事を発信している「中商情報網」というサイトの記事で、2014年8月に出されたやや古い記事であるものの中国におけるファーストフードチェンのトップテンを独自に選びランクづけています。なお中国の経済メディアは何故だかこういうトップテンとか100強、500強といったランク特集をしょっちゅう組んでおり、ランクをつけるのが明らかに好きであるように感じます。共産党が序列主義だからかな。
 などとどうでもいいことはほんとどうでもいいので、早速そのトップテンにランクされたチェーンを下記に列記します。

<中国ファーストフードチェーンのトップテン>
1位  ケンタッキーフライドチキン(肯德基KFC)
2位  マクドナルド(麦当劳)
3位  真功夫
4位  Dico's(ディコス、德克士)
5位  ピザハット(必勝客)
6位  永和大王
7位  麗華
8位  味千拉面
9位  馬蘭拉面
10位 大娘水餃

 上記の順位を見た私の感想を述べるならば、恐らくこの順位で大きな間違いはないだろうと行ったところです。中国で生活している私の肌実感でも大体こういう順位というか思い当たるファーストフードチェーンがしっかりと入っているように感じます。

<ケンタッキーのがマクドナルドより多い>
 個別解説に移りますが、日本でファーストフードチェーンの王者と言ったらマクドナルド以外の何物でもなく、これに誰も異論を挟む余地がないでしょう。しかし中国ではなんとケンタッキーの方が人気で、実際街歩いていてもケンタッキーとマクドナルドの店舗数で言えば3:1くらいの割合で断然ケンタッキーの方が多いです。
 そのケンタッキーですが売っている代物は日本とはこれまで異なっており、日本でお馴染みのフライドチキンが去年まで全く売られずにバーガー系メニューを中心に、手羽先っぽい奴とかフライドチキンとはまた別な唐揚げで、最近だとご飯にお惣菜が付いた定食メニューみたいなのも用意してます。去年の夏ごろからお馴染みのフライドチキンを中国でも売るようになったのですが、なんで今までなかったんだろうかと不安に思いつつこのところはそのフライドチキンを毎週一回は食べに行ってたりします。

 マクドナルドのメニューに関しては基本的に日本とも共通していますが、日本オリジナルの「てりやきチキンバーガー」がないかわり、中国オリジナルの「ピリ辛チキンバーガー」みたいなのが用意されています。ケンタッキーでもそうですが売れ筋のメニューはどちらかというとこういった鶏肉を辛めに揚げた具材をバンズ挟んだバーガーで、これは間違いなく中国人の嗜好に合わせたメニューでしょう。また同時に、中国人自体が牛肉を食べ慣れていないことからビーフハンバーグを具材に使ったバーガーがほかの国と比べると勢いが低いのではと推測しています。まぁもちろんビッグマックとか中国人も食べますけどね。

<中国オリジナルのファーストフードチェーン>
 3位に入っている「真功夫」は日本人には馴染みが薄いものの、中国ではどこ行っても見かけられるファーストフードチェーンです。ここでは丼物っぽい料理を始めとした中華料理のファーストフードを出しており、スープやおかずがついた定食形式で頼んでからチンして出すのか、マクドナルドのようなカウンターで支払いと受け取りをやって店内で食べたり、持ち帰ったりすることもできます。私自身も何度も利用しており、トラックスーツを着たブルース・リーのロゴは嫌でも目立ち、中国らしいファーストフードとして上手く成立している印象を覚えます。

 そして4位の「Dico's(ディコス、德克士)」ですが、実はここには前から注目しています。というのもここはマクドナルドと同じようなハンバーガーを中心としたファーストフードチェーンですがケンタやマクドと違って欧米からのフランチャイズではなく、先の「真功夫」同様に完全中国資本、中国オリジナルのファーストフードチェーンだからです。このディコスも何度か利用しましたが味的にはマクドナルドに大きく劣るようなものではなく、メニューにも工夫が見られ決して悪くない印象です。更にディコスの店舗はこのところ明らかに増えており、上海市内でも気が付いたらここにもディコスがと思くらい拡大を続けていて、中国オリジナルのハンバーガーチェーンなだけにどこまで成長するのか実は楽しみに見ているところがあります。
 ちなみにディコスは西安に上海人と旅行に行き、現地にいる後輩と合流して3人で何度も入りました。三日間の西安旅行で休憩の度に入っていたからどれくらい行ったのかわからないくらい入りました。

<味千拉面が日系で唯一のランクイン>
 中国には今後の成長を見込んで数多くの飲食チェーンが進出しておりますが、その中で最も大きな勢力を持っているのは間違いなく8位の味千拉面です。中国経済を多少なりとも触れた人間なら誰もが知っているであろう熊本発のラーメンチェーンで、大都市はもとより地方都市でもしょっちゅう見かけるくらいにその店舗数は圧倒的で、日系としては唯一このランキングに入るのもうなずける話です。
 ただつい今さっき大学の先輩にもスカイプで解説しましたが、味千がなんでこれほど多く店舗数を広げられたのかというとフランチャイズの条件が緩いためだとされ、日本国内でも「餃子の王将」がまさに当てはまりますが、店舗によって料理の味の差が大きいところがあります。同じ市内の店でも食べてておいしい店もあればなんじゃこりゃというくらい不味い店もあり、私もこのところは昆山市内でおいしいと思う店にしか足を運びません。スープ自体は工場で粉末状にして各店舗に配ってるそうなんだから普通は差が出ないはずなんだろうけど、なんだろう、店によって薄められてるのだろうか。

<その他短評>
 そのほかランクインしたチェーンについて短評を加えると、ピザハットは日本同様安いピザを高値で吹っかけている、もといやや高級路線でやってます。「永和大王」は中国ラーメンを中心としたチェーンで、何気に上海来て最初に食べた料理がここの牛肉麺だったのをやけに覚えてます。7位の「麗華」は自分は使ったことがなく、調べてみたらケータリングのお弁当配達がメインのお店のようです。9位の「馬蘭ラーメン」も街中で見かけるものの使ったことはありませんが、10位の「大娘水餃」は餃子のチェーンで、鉄道部と組んでるんじゃないかと思うくらいどの鉄道駅構内にもお店があります。街中にも多くあって、前は「大娘(おばちゃん)」ってことからデフォルメしたメガネのおばちゃんがロゴデザインでしたが、最近変わってマダムっぽい女性の後ろ姿になりました。

 ファーストフード、というよりは飲食チェーンの解説となりましたが、どうも中国では飲食チェーンとファーストフードチェーンの区別があいまいで、有名レストランのチェーン以外は全部ファーストフードチェーンのカテゴリに入れてしまっているように見えます。といっても日本でもこの辺のカテゴリ分けは案外独特で、同じチェーンでも「ファミレス」、「バーガー&チキン」、「牛丼」という感じに分けられ、ファーストフードとされるのは真ん中の「バーガー&チキン」だけです。冷静に考えたら「牛丼」もファーストフードに入れるべきではと思えてくるのですが。

 これはあくまで私の持論ですが、中国と日本の飲食チェーンで決定的に異なっているのは「ファミレスチェーン」というカテゴリが中国にはないということです。今日のランキング内ではピザハットが一番これに近いと思うものの、日本のガストやココスといった要職を提供するファミレスの形式はまだ主流ではなくむしろマイナーな部類に入ります。
 しかし需要は全くないわけではなく、むしろ家族間のつながりが強い中国なだけに逆に求められているのではと思う節があります。そう思うのも日本の「サイゼリヤ」がこのところ中国で躍進しており、中国でファミレス市場を開拓するかのように店舗を増やしていっているからです。時期はまだはっきりと言えませんが、この記事の続きとして今度は中国における日系飲食チェーンの調査記事を準備ができ次第にアップします。

2015年11月18日水曜日

中国のファーストフード市場 その1、概要

 先日、潮風大使さんより「中国のファーストフード業界について紹介してほしい」というリクエストを受けたのですが、このリクエストには素直に魂が震えました。というのもこれまであまり中国のフラーストフード業界をテーマにした記事を見ておらず、成長が見込める市場なのにやけに解説が少ないので自分が手掛けてみたら意外と面白いかもしれないという妙なジャーナリズム魂が動きました。
 そんなわけで密かに下調べを進めておりましたがなんにせよこのところほかにも書きたい記事ネタがやたら集中しており、先週土曜もなるべく消化するため一挙に4本も記事をアップしましたがそれでも他に優先する記事が多かったため、今回のこのテーマでの出稿が遅れに遅れました。当初は先々週にもアップしようと思ってたのに。

 そうした事情は置いといて、このテーマは分野別に攻めていった方が面白いのでしばらく連載形式で取り上げていきます。一発目の今日は見出しにもある通りに概要で、中国のファーストフード業界を取り巻く各種のマクロデータを紹介します。

1、飲食業界の市場規模
盘点:2015年快餐行业发展现状和趋势(天財商龍)

 データの引用元は上記リンク先の記事です。と言っても中国語ですので、閲覧する際は中国語使いをつけて読んでください。

 まず中国のファーストフード業界を含む総合的な飲食業界の市場規模の解説から入りますが、率直に言って大幅な成長を続けています。同業界は2008年の年間市場規模が1兆2650億元だったのに対し2014年は2兆7860億元と、6年間で倍以上の成長を見せ、この間の複合年成長率も15.1%に達しています。今年2015年の中国経済は製造業がどこもガタ落ちしていますがサービス業は全体的に好調を維持しており、ファーストフード業界も1~9月の市場規模が前年同期比11.7%増の2兆3071億元となって二桁の高成長を保ちました。
 雇用面でも飲食業界は経済に対して非常に大きな貢献をしており、関連企業は300万社以上にも上り従事者数も1億人を超えるとされ、この雇用数は不動産、自動車業界に次ぐ水準とされています。仮に中国の人口を13億人と見積もるならば、8%前後が飲食関連業界で働いているってことになるのかな。

2、ファーストフード業界の各種データ
 成長著しい飲食業界の中でも、ファーストフード業界の成長は特に著しいと上記記事では指摘しており、ここ数年の複合年成長率は17.5%に達したと紹介されています。成長が著しいだけでなく潜在的な成長性はまだまだ高いと見られ、その根拠として中国における一人当たりのファーストフードへの年間消費額は63.7米ドルで、欧米が600米ドル以上であることを考えるとまだまだ低い水準としています。もっとも年間消費額についてはほかの項目でも欧米と比べて大幅に低いだろうから、ファーストフード業界に限るわけじゃないけど。

3、中華系ファーストフード
 日本でファーストフードと言ったらマクドナルドやケンタッキーに代表される洋食系のチェーンが思い浮かび、和食のファーストフードと言っても牛丼がギリギリ入るくらいでしょう。もっとも市場的に前者がファーストフード業界、後者は牛丼業界って感じで分けられることのが多いですが。
 中国では事情が日本とは異なっており、中華料理を中心としたチェーン店もファーストフード業界に加えられております。こうした中華系ファーストフード店は私もたまに利用しますがお店はマクドナルドみたいにカウンターで注文して料理が出される形式で、メニューは餃子や点心、丼物などそこそこバラエティに富んでいます。

 では中華系と洋食系ではどっちが多いのかですが、これは中華系の方が軒数で言って圧倒的に多いのではないかと示唆するデータがあります。中国はマクドナルドもケンタッキーも電話一本でどこでも配達してくれるほど何故だかケータリングがやけに普及しており、中華系ファーストフード店も洩れなく電話一本出前一丁で持ってきてくれるのですが、中華系シンクタンクの調査によるとこのケータリング件数を比較すると中華系が63.4%、洋食系は17.5%だったとのことです。売上げ比較ではないので一概にこのデータだけで判断できませんが、街中を歩いていても店舗数、特に地方を含めると洋食系よりは中華系の方が多いという気がします。まぁ運営企業別の売上げなら洋食系チェーンの方が圧倒的に大きくはなりますが。

 以上が元記事データを丸々引用した内容となります。もう少し続けたいけど昨日から風邪気味でめっちゃ体だるいので続きはまた次回に回します。次回では中国の各飲食チェーンブランド別の人気度というかファーストフードトップテンを取り上げる予定です。まだ今日よりはオリジナリティが含められる記事になると信じてます。

2015年11月16日月曜日

上海蟹レポート


 昨日は自分の所属しているサイクリング部のメンバーと共に、上海蟹を食べるため昆山市内にある陽澄湖へ行ってきました。この一文を読んで、「なんで上海蟹なのに昆山に行くの?」と思った方もおられると思いますが、元々上海蟹というのは昆山市内にある陽澄湖という湖から陸揚げされる蟹を指しており、昆山が上海の隣であることからネームバリュー的に「上海蟹」という名称が定着して今に至るわけです。なんとなく、千葉県にあるのに「東京ディズニーランド」的なノリを感じます。

 上海蟹のシーズンは9月の秋口からで、これは質の悪い蟹が先を争って市場に出るのを防ぐために毎年販売解禁日が設けられています。とはいえ9月だとまだ走りであるため味はそれほどよくなく、おいしいとされる旬の時期となるのは11月から12月の初旬くらいで、1月にもなるともうほとんど食べられなくなります。
 ちなみに今年は市場に出回る量が多い、もといぜいたく禁止令で共産党幹部への付け届けが減ったせいなのか値段は例年に比べて安いと言われています。

お土産用に箱詰めするおじさん

 陽澄湖は昆山市内中心部から西へ約20km行った蘇州市との境にあ広い湖でかなり広いです。なお湖のほとりには公園とリゾートホテルがありますが、このリゾートホテルは昆山市内で一番高いと言われ一泊どんだけ安くても1000元は下回りません(約2万円)。逆に安いとこだったら130元(約2600円)くらいで泊まれたりしますが。

 話は戻りますが、今回訪れたのは陽澄湖近くにある上海蟹専門店が軒を連ねるレストラン街の一店です。食事に入る前に蟹を見せてくれと言ったらすぐに案内してくれて上記写真の様に生きた蟹を一匹ずつ縛っては箱に詰め込んでいる様子などが見られました。っていうかこの写真、いい感じに腕がぼやけてるな。


 そんなこんだで出てきた料理がこれです。
 上海蟹は基本的に縛ったまま茹でて、雄蟹と雌蟹の二匹を同時に食べます。上の写真だと上に乗っかっているのが雄蟹で、下が雌蟹です。両者の違いは雄蟹は体がやや大きく蟹肉が多いのに対し、雌蟹は卵を持っているので蟹味噌おいしいというところで異なっており、どちらかと言えば雌蟹の方がおいしいとされるので先に雄蟹から食べるのが一般的だそうです。

 さてここまで話を進めてきてなんですが、知ってる人は知ってるでしょうけど実は私は蟹を始めとした甲殻類、そして貝類といったいわゆるシーフード系の食べ物はあまり好きじゃなかったりします。別に食べられないというわけではなく単に食べるのが七面倒くさい割には食べられる量が少なく、しかも値段がやや高いというのであまり率先して食べたいとは思いません。そんな施行しているもんだから今まで上海蟹をそのまま食べるということは一回もなく、以前に香港でスープなど料理にされた物しか口にしたことがありませんでした。

 なもんだから何気に今回が初めて口にする上海蟹だったので、あまり好きじゃないという素振りはほかのメンバーに対して微塵も見せずに面倒だと思いながら殻割って食べてみました。食べてみた感想として最初に思ったのは、生臭い臭いというかいわゆる蟹臭さがほとんどなく、手づかみにも拘らずそれほど手もかゆくなったりはしませんでした。ここら辺は海水と淡水の差なのかもしれません。
 そして肝心の味については定説通りに雌蟹の方がおいしく、雄蟹もまずくはないですがどっちかっていうとといったところです。こう思うのも上海蟹はそれほど大きな蟹ではないため蟹肉も食べれるところはそれほど多くなく、必然的に蟹味噌の部分を一番多く口にするからです。
 なお蟹肉、特に足部分は上手い人はさっと糸通しみたいに蟹肉だけ抜いて食べてましたが、私はそんなに器用ではないので片っ端から奥歯で殻を噛み砕いてから食べてました。最近固い物かじってないけど、その気になれば多分今でも胡桃の殻くらいなら歯で割れるほど無駄に丈夫です。

 そんなこんだでいろいろ食べて、ほかの料理と合わせて最後の清算時に支払った一人当たりの金額は160元(約3200円)でした。サイクリング部のメンバーがお土産用に雄雌一対を帰り際に買ってましたがその値段は120元(2400円)で、上海で買うよりずっと安いと話していました。蟹に興味ないから安いか高いかと言われて正直わからないのが本音です。

 あとどうでもいいですがこの日は9時半に昆山市内で合流して自転車乗ってレストラン行きましたが、前日の晩は何故だかこの時期にもかかわらず蚊が室内を飛んでおり、時折耳元で羽音を鳴らすもんだから夜中2時に起こされたりとやや睡眠不足気味でした。翌朝、準備を整えて出発する間際に窓ガラスに蚊が一匹張りついているのを見て速攻ではたき、地面に落ちたところをスリッパの裏でグリグリと踏み潰してから出ていきました。
 最近休日は一切昼寝せず睡眠不足だというのに。

2015年11月14日土曜日

昆山市のアウトレットモール


 今日はこれで四本目の記事ですがそれは置いといて、昼食を馴染みの日本料理屋で食べた後で自転車を走らせ最近出来たばかりという昆山市内のアウトレットモール「首創奥特莱斯」へ行ってきました。

 アウトレットの定義に関しては省略してなんでここへ来ようと思ったのかというと、自分が参加している自転車クラブのメンバーが先日の会合の際、ここでいいGジャンを安くで買えたと教えてくれたからです。その人が言うには品質は悪くないし金額は明らかに安く、それまで日本国内でもあまりアウトレットモールを利用したことなかったが今回行ってみてまた通いたいというほどという大絶賛ぶりで、昆山のローカル情報取り上げる人なんてそうそういないんだし自分も行って取材してくるかと思ったのがきっかけでした。

 また地味に気になった点として、「中国でGジャン買えるの?」とも反応しました。というのもGパンはどこでも売ってますが意外とGジャンは中国だと取り扱っている店が少なく、前も上海で必死こいて捜したものの見つからず泣く泣く日本帰国時に上野で買ったこともありましたが、本当に昆山で買えるのならどんな店かと見てみたいという興味を持ちました。元々、真冬でもGジャン一枚でどこへでも行くことから大学時代は「ダブルデニムの花園」という異名が陰でリアルで付けられていた私ということもあってGジャンにはこだわりがあり、一昨年の年末もマジでGジャン一枚で北京へ乗り込み万里の長城へ行って凍死しかけました。

 話はアウトレットモールに戻りますが、場所は市内中心部から東へやや離れた郊外にあり、歩行者の少ない道路を昨日パンクしてすぐ修理した自転車すっ飛ばして乗り込みました。到着したモール内は駐車場こそそこそこ埋まっていたものの、よく晴れた週末の昼過ぎにもかかわらずちょっと人はまばらだったような気がします。イベントスペースには人がそこそこ集まっていたけど、各店舗内はほぼ無人だったし。
 入っている店舗はほとんど海外ブランドで、ナイキやJeep、Diplomatとかとかとか。施設は新しいだけあってどこもきれいでまだテナントの入っていないスペースもそこそこありましたが、一見すれば日本にあるアウトレットモールと区別がつかないくらい立派な施設でした。飲食店のコーナー(3F)はまだテナントが決まってないのか工事が終わってないのかまだ入ることすらできなかったものの1Fにもいくつか飲食店はあり、私は今日買い物を済ませてから一軒入ってバナナジュース飲んできました。意外とこのバナナジュースも中国だと飲める所少ないからマジでうれしかった。



 そんなわけで、今回購入したのが上のスニーカーです。なんでGジャンじゃないのかと肩すかしくらったかと思いますが、実は先週急に寒くなったので近くのスーパーで薄手のデニムジャケットを買ってしまい、Gジャンは日本の潜伏拠点にもあるし今回はいっかと見送ったわけです。一応はLevisの店で売っていることを確認しており、気が変わったら買いに行こうかと思います。
 なお先週買ったそのデニムジャケットは室内で着ており、外出する際には必ず脱いでいます。意味わかんないだろうけど私は動くとすぐ発熱するから外いる時は着てて熱く、逆にあんま動かない室内にいる時のが寒さを感じる妙な体質してるからです。

 それで今回どうしてスニーカーを買ったのかというと、単純に靴がなかったからです。今年の2月に一足スニーカーを買いましたが、今年はやたら大雨降ることが多くその靴履いて何度もザブザブ水に浸かったもんだから先月に靴底がべろっとめくれるわ側面に割と大きな穴が開くわで、ガチで破損させてしてしまいました。中国製だからやわとかそういうもんじゃなく、過酷な扱いをしてしまってその靴には本当に申し訳なかったです。
 ひとまず今日までは前に履いていた別のスニーカーを履いてました、このスニーカー、デザインは悪くないものの靴底がやたら薄く、歩いていると地味に足裏がジンジン来るので出来ればほかの靴底厚いスニーカーが前から欲しかったりしました。
 なおその靴は普通に履く分には全く問題ありませんが、私の場合だと知ってる人には早いですが歩く速度と距離が尋常じゃありません。友人曰く、まるで軍人のように走るように歩く上、その距離も絶対おかしいというくらい数キロ単位で移動します。だから今回は山靴みたいに靴底厚くて丈夫そうなのを選びましたが、お値段はアウトレット価格323元(約6400円)でケチな自分にしてはよく払ったなという気がします。

駐車場近くから撮影した写真。手前は自分の自転車

気高き医師たち

 ひとつ前の記事でちょこっとだけ出てきますが、人気作でドラマ化された「Dr.コトー診療所」という漫画を連載中は購読していました。最初に読んだのは高校二年生の時でそれから最新刊が出る度に買ってはクラスメートの間で回し読みさせるくらい熱中し、現在においても文句なしに素晴らしい漫画だったという評価に変わりありません。やや残念な点としては、本人もブログで書いていますが作者の体調不良によって2010年以降は連載が中断しており、このまま未完の作品として終わりそうであるということです。
 なんでまた急にこの漫画の話をするのかというと、主人公のモデルとなった鹿児島県の下甑島で長年離島医をされていた瀬戸上研二郎医師がこのほど退任されるというニュースを見たからです。

「Dr.コトー」のモデルが退任へ…離島医療37年(読売新聞)

 上記リンク先の記事によると瀬戸上医師は74後歳となる今年まで37年間も下甑島で離島医をされていたとのことで、離島医療の現状を伝える活動など様々な方面で活躍されてきたとのことです。漫画の中でもまともな医療設備もなければ輸血用の血液にすら事欠く有様が描かれていましたが、都市部で暮らす人間からは想像もつかないような苦労が数多くあったと思われるだけに瀬戸上医師の長年の勤務については本当に頭が下がります。

 このニュースについて友人と話したところ、「そうは言っても地方の医師は漫画ほどうまく地域に受け入れられないんじゃないのか?」と切り返してきました。私はこの返答でぱっと思いついたのですが、以前に限界集落ともいうようなとある村に外部から医師が赴任してきたところ、なんと村八分にあってせっかく来てもらったのに辞めざるを得なくなったというニュースがありました。村名を出すのはなんか忍びないので、興味ある方は自分で検索して調べてみてください。

 恐らくこの友人のいう通りに、どの医者も村の人間たちとの関係も築けて上手くやってけるというわけではないでしょう。しかし現実問題として日本の各地では無医療無医村ともいうべき限界集落は増えており、該当する自治体では赴任してもらう医師の確保に苦しんでいるとも聞きます。村八分の恐ろしさはもとより、都会と比べて不便な地方での生活、給与面での問題など様々な障害はあり、普通に考えればなんでもってそんなところへ働きに行かなきゃならないんだと傍観者的な価値観からすると思えてしまいます。

 しかし、以前というかかなり昔に読んだコラムで、ある人(名前や団体は失念)こうした無医村に医師を斡旋する活動を始めたところ本人が思っていた以上に多くの医師が応募してきたと書いてありました。応募してきたどの医師も自分が地方の医療を支えるんだという強い意志を持っており、また都会の大病院では大量の患者を診るため文字通り「患者を捌く」ように診療しなければならないため、もっと患者とじっくり向き合って診療をしたいという希望を持つ方もいたそうです。
 仮にこの話が本当であるならばなかなか世の中も捨てたもんじゃないと思えると同時に、気高い医師というのは存外に多いのではとも思えてきます。実際、医療現場の方々は看護師にしろ医者にしろ全体的に高いモラルを保っているとされ、彼らの献身あって予算も人員も減らされるなかギリギリのラインで医療現場は水準が保たれているという話をよく聞きます。

 しかし、残念ながらというか彼ら気高い医師たちよりもメディアはどちらかというと不祥事を起こした医者の方をより多く取り上げようとします。かなり昔ですが「ポケット解説 崩壊する日本の医療」鈴木厚医師の講演を聞いたことがありますが、彼曰くテレビに出てくるようなゴッドハンドとか呼ばれ名医とされる医師たちはテレビに出る時間だけ診療をサボっている医師で、もっと毎日現場を底辺で支えている「ゴッドハート」のような医師たちこそ取り上げるべきだと強く主張されていました。もっともそのすぐ後、「ならお前もこんなところ講演してる場合かと言われるのですが」と、自分でツッコミを入れていましたが本当に漫才師かっていうくらい話のうまい医者でした。

 しかし鈴木医師の言わんとしていること、現場を支えている日の当たらない医師たちこそもっと注目すべきであるというのは同感です。離島医をされていた瀬戸上医師もそうですがこういった医療の最前線ともいうべき場所にいる医師というのはなかなか知る機会がなく、彼らが日々どれほど診療し、どんな勉強をして、どんな治療を行っているのか、普通は目に入ることはありません。
 これは前にテレビで見たある獣医師の例ですが、朝から夕方まで診療し、一時帰宅して食事を取ると夜間の急患対応に出て、夜寝る前に外国の医療論文を睡眠時間を削ってまで読むなどして勉強をするという、本当に頭の下がる生活をされていました。このような生活リズムはこの獣医師に限らないことでしょう。

 少子高齢化が進み医療問題が紛糾する中、ついつい医療費の制度とかばかりに目が行きがちですが医療の根本ともいうべき医療従事者にももっと目を向けるべきではないか、その上で現場を支える気高い医師たちをもっと知るべきだと友人と会話していて思ったわけです。

漫画レビュー「健康で文化的な最低限度の生活」

 あんまりやっちゃいけないと思いつつもこのところ紹介はしておきたい漫画が多いので続いている漫画レビューですが、今日は柏木ハルコ氏の「健康で文化的な最低限度の生活」という漫画を紹介します。書いてて思ったけど「今日は」っていうより「今日も」だな。

健康で文化的な最低限度の生活(Wikipedia)

 タイトルがなかなか凝ってありますが、この漫画は生活保護をテーマにした作品です。主人公は東京都の区役所に入った新人ケースワーカーの女性で、彼女と彼女の同期を中心に生活保護を受給している人たちとその支援の姿を追った作品であります。テーマがテーマなだけに連載開始当初から各方面から注目されて朝日新聞などにも取り上げられたそうなのですが、確かにこの「生活保護」というのは嫌が応にも普段生活していて気になるというか目に入るキーワードでもあり、また某売れっ子お笑い芸人の家族が受給していた事件が取り沙汰された時も大きな話題となっただけに、「年金」と並んで日本国民の関心事でトップ3には入るんじゃないかと思います。もう一つは今だったら「くい打ち」かな。

 作品の展開は基本的に主人公たちが担当する生活保護受給者とその家族が中心で、彼らへの就業支援や生活状況確認を通してトラブルを発見し、解決への道筋を探っていくような流れになっています。巻末には取材協力者、団体の一覧が載せてありますが、確かにこの作者は作品を読んでて生活保護というかケースワーカーについてよく取材しており、その仕事描写などは非常によく描けている印象があります。生活保護と言ってもそのシステムや受給に至るまでの過程、受給後の支援などはどうなのかは案外知る機会が少ないのですが、そうした部分へのとっかかりの様に生活保護とはどんなシステムなのかを知る上ではよく出来た構成になっていると太鼓判を押せます。
 あとこれは私の主観ですが、よく取材しているなぁと感じた点として主人公たちの着ている服に注目しました。一体どんな服かというと男性キャラは基本Yシャツにネクタイ姿ですが女性陣はブラウスにスカートやズボンが多く、しかもその組み合わせが程よくダサいというかババ臭かったりします。偏見かもしれませんがなんか役所の人たちってこういう服着ている人多いなぁというかパシッとした格好の人が少ないと前から思ってただけに、よくそういう情景見ていると変な所ですが共感しました。

 と、ここまで解説しておきながらですが現在この作品は連載が中断しております。公式発表では作者の体調不良だそうで、現在単行本は2巻まで出ておりますが連載は現在も再開されておらずその目途も経ってない状態なので続刊がでるかとなるとやや微妙な状態になっております。
 しかし、敢えて言わせてもらうとこのまま続きは出さない方がいいのではないかと私は考えています。あくまで私の評価ですが、今後連載が続いたとしてもこの作品は面白い展開が広がっていくとは思えないからです。

 先程にも書いたようにこの漫画は決して面白くないわけではなく人に全く薦められない作品ではありません。にもかかわらず何故このような評価をするのかというと、読んでていくつか気になった点があって連載を続けていくにはちょっと厳しいのではないかと感じたからです。

 気になった一つ目のポイントは、展開される話が取材で聞きかじった内容そのままなのではないかと思えた点です。各話で個別の生活保護受給者の状況と彼らへの支援の姿が描かれてはいるのですが、そのどれもがどこかで「生活保護者の実態」などのような特集で見たり聞いたりしたかのような内容で、「えっ、こういうケースとかあったんだ」と思うような意外性がほとんど感じられませんでした。
 私の想像ですが、取材で聞いた内容をほんの少し弄ってストーリーが作られているのではと思う節があり、取材内容を元に換骨奪胎させて自分の作品として仕上げるために付け加えるオリジナリティが余りにも欠けているような気がします。生活保護の実態をありのままに描くという目的で書かれているのかもしれませんが、結局それでは制度紹介漫画に終始してしまうこととなりかねず、「漫画家の作品」としてみるならばこれは大きなマイナス点になるのではと私は見ます。実際、回を重ねるごとに面白味が薄れていったし。
 なお、この取材内容にオリジナリティを付け加えるという点では「Dr.コトー診療所」が非常に優れていたと考えています。離島医という普段の生活ではなかなかお目にかかれない存在をテーマにしつつ、普通じゃあり得ない難手術を次々と成功させるというあのストーリー展開は今読み返しても見事だったと思える作品でした。

 もう一つの気になったポイントは、これは作者に対して過剰な要求であるということを承知した上で述べると、生活保護を選ぶというテーマ設定は抜群に良かったものの、そのテーマで漫画の舞台を東京都の区役所にしてしまったのは最大の失敗だったと思います。わかる人にはもう私が何を言いたいのかを想像していると思いますが、生活保護制度の問題というのは東京都内とそれ以外の自治体とでは本質が大きく変わってくるからです。具体的に言えば金というか予算の問題で、東京都は比較的予算が潤沢であるのに対してそれ以外の自治体はどこもカツカツの状態の上で税収は右肩下がり、なのに受給世帯は増えていて膨れ上がる支給費に対して限られた予算をどう使うのか、下手すれば生活保護申請をどこまで受け入れるのかというのが深刻な問題として横たわっております。
 実際にこの漫画の中ではそうした予算の話はほとんど出て来ず、生活保護者に対しても支援するのが当たり前のように描かれていて予算の面で切羽詰った場面は出てきません。ひどく汚い話ですが読者としてはそうした金にまつわるドロドロしたグロテスクな部分こそ一番見たがっているように思え、そうした場面を描けない、描き辛い東京都の区役所を舞台(恐らく取材先でもある)にしてしまったのはテーマはいいだけにとても勿体なかったという気がしてなりません。いい子向けの漫画じゃないんだからさ。
 理想を言えば最も多くの生活保護世帯を抱える大阪府、または人口減で限界集落すらも抱える自治体がこのテーマの舞台としてはうってつけだったでしょう。さすがに「闇金ウシジマくん」ほど激しい描写はいりませんが、やっぱり私も「一体どういう人が生活保護を受給するのか、できるのか」が一番見たかったです。

 以上のような評価から、決してつまらなくはないけど連載再開したとしても劇的に面白くなっていく可能性が低いというのが私の見方です。我ながら厳しい評価の仕方だと思いますが、生活保護ってどんなもんなんだろうと知りたい方にはまだ薦められる作品であることだけは述べておきます。


 

パリ同時多発テロについて

 各種の報道で皆さんも知っておられるかと思いますが、このほどパリ市内の複数の公共施設でテロと思われる事件が同時に発生しました。特に市内劇場では銃の乱射も行われ死傷者が百人を超すほどの大惨事となり、仏オランド大統領が国内で非常事態宣言を発したほか各国のフランス関連施設では警備が増すなどその影響は計り知れないほど広がっております。

 この事件を私は今朝のネットニュースで知りましたが、恐らくほかの人もそうでしょうが真っ先に思い浮かんだのは2001年のNY同時多発テロで、影響で言えばこの事件に次ぐ規模と見て間違いないでしょう。そして今後についても同様で、これ以前からもフランスではテロ事件への警戒は強かったですがこれからはますます強まり、具体的に言えば移民や難民、そして国内のイスラム教徒に対する審査や監視が強まることが予想されます。
 その上でまだ犯人グループの正体についてははっきりしていないものの、各種報道や事件現場にいた方たちの話からフランスによるシリア空爆への参加を快く思わない連中が引き起こしたものなどと見られ、仮にそうだとすればフランスやヨーロッパ各国はシリアへの更に強めるのではないかと思います。この過程は言うまでもなく、9.11以後の過程と同じです。

 では今後日本はどうするべきか。私としてはかつてから主張してきたように日本が欧米に肩入れしようがしまいがただ「貿易をしている」という一点でもってテロリストは日本も標的に入れると思われることから、目立たない形でもいいからISISを始めとしたイスラムテログループの撲滅活動を支援すべきだと考えます。今度の事件を受けてフランス政府は犯人らを、「人類の敵」と呼んだそうですが、無関係の人間を標的にして自分たちに都合のいい主張をする様を見るだに私もまさにその通りだと思え、日本は無関係だからと無視していいものかと言ったらやはり違うような気がします。既に述べている通り、日本がどのような態度を取ろうが彼らは日本人も狙ってくるだろうと思うからです。

 その上でテロが起きる度に攻撃をするという、米国がアルカイダに対して行った行動を再び繰り返せばいいのかという点についてはやや疑問があります。それについてはちょうどこの前に「中心無きイスラム世界」の記事で述べた通り、如何にしてイスラム教圏でまとめさせるかについてもっと具体的で効果のある施策を取る必要がある気がします。こう言っては何ですが、思想無き連中を片っ端から叩き続けても結局はいたちごっこに陥りかねないからです。彼らテロリストグループはイスラム教の教義を唱えてはいますがそれを真に受ける人間ははっきりいって馬鹿でしかないし、その馬鹿どもを如何に別方向へ誘導させればいいのか、汚い言葉で言いましたが結局はこの点こそが真剣に議論すべき個所だというのが私の意見です。

  追記
 なお中国でこの事件はどう報じられているのか少し調べてみたところ、基本的には日本と同じくトップニュース扱いで被害情報といった現地の事実報道を報じております。また習近平総書記がオランド大統領に見舞い電を出し、テロリズムには断固として反対の立場を取ると言う声明を出したことを新華社が報じています。
 ついでに見つけた記事で、何故か日刊ゲンダイのどうでもいい記事を引用して「安倍首相の次は女性首相就任か?」というくだらない記事ものっけてました。


2015年11月12日木曜日

今年の流行語大賞の候補

 本題と関係ありませんがAmazonでの段ボール箱に関するレビューが本来の用途と全く違った用途で話されてて面白いです。

 それで本題ですが今年の流行語大賞の候補が各メディアで発表されたものの、正直言ってどれを見てもピンとこないものばかりで、もう今年は該当なしでいいんじゃないかと思う低調ぶりでした。まだ流行したなと感じられるのは「爆買い」で、それ以外だとそもそも聞いたことない単語ばかりです、「刀剣女子」ってなんやねん。

 逆に自分の中で今年熱いと持った単語をあげるとすれば、やっぱ「佐野デザイン」と「トートバッグ」の二つです。去年は小保方氏、佐村河内氏、野々村元議員を始めとして大物が多数で田中今年はなかなかニュースな人物が現れなかったところ、佐野研二郎氏が彗星の如く現れて話題をかっさらってきたことからやっぱこの人に関連したキーワードを候補に入れるべきだったんじゃないかと思います。一応、「エンブレム」って単語は入ってるけどこれじゃないような。

 なお今年の自分にあったマイブームを述べると、漫画なら近々レビュー書こうと思っている「ちおちゃんの通学路」、ゲームならPSPの「メタルギアソリッド ピースウォーカー」です。

 ちなみに関連するかやや微妙ですが、先週から左側頭部から左首にかけてやけに鋭い痛みが頻繁に走るようになり、9月に中国人からスチール棒で殴られた箇所とちょうど重なっていたことから後から悪いの来たのかな、治療できるのかななんて思いながら痛みに耐えていました。しかし首を回しても痛みはなく、その一方でことある毎に痛みが走り、左耳の奥もジンジンと痛むので筋肉ではなく神経的な痛みではないかと推測して、何か左半身の神経を痛めるようなことはなかったかと反芻してみたところ、「もしかして、パズドラが原因では?」という結論に至りました。

 というのもパズドラを私は左手でタブレットPCを持ちながら遊んでいますが、この際に左手首を自分に向けて返したままタブレットを支える形になり、なおかつ同じ姿勢を長時間維持することから腕から首にかけて左側の神経に負担を抱え、その結果悼むようになったのではと分析しました。以前にもデータ収録作業でCtrl+CとVを交互に押す作業を続けた際も同じ症状があり、ひとまず対策として机に置いてパズドラをやり始めたらあら不思議、痛みがどんどん緩和していきほぼなくなってきました。
 最近になってパズドラは中国でも遊べるようになり、私もこっちで毎日楽しく遊んでいるわけですが、ちょっとはまりすぎだぞ俺と反省しきりです。でも4日前、覚醒イシス取れてマジ嬉しかった。