先日、ネットのまとめ掲示板にて過去に起きた様々な航空事故を取り上げた記事があり、興味深く読む機会がありました。日本で航空事故というと御巣鷹山墜落事故がよく取り上げられますが世界中にはこれに負けず劣らず十分注目に値する大きな事故例がたくさんあり、それらの事故例から何を学び次への教訓へと生かすかというのがこの業界においてどれだけ大事なのかと読んでてつくづく学ばせられる記事でした。
その記事に影響されたこともあり読後に自分でも調べ始めたのですが、航空事故というのはどれもほんの些細な不具合、ミス、整備不良から大きなトラブルへと発展し、乗り合わせたパイロットたちはそれらの原因を突き止める手段すらないまま事故機の操縦を迫られるケースが多いです。状況的には圧倒的逆境ともいえ、後に判明した事故原因を見るだに事故死した乗客、並びにパイロットたちにはその不憫さをつくづく思い知らされます。
しかしそうした圧倒的逆境下において、パイロットの見事な判断や操縦によって奇跡的に死傷者の発生を食い止めた事例も少なからず存在します。折角調べたこともあるので、ちょっとしばらくはこうした危機を切り抜けた名パイロットたちが登場する航空事故例を紹介していこうと思います。
1、リーブ・アリューシャン航空8便緊急着陸事故(1983年)
事故内容:プロペラのぶっ飛び 乗客乗員数:15人
アラスカ州とワシントン州の定期路線を結ぶ同便はその日もいつものように離陸していつものように空路を飛んでいましたが、離陸から間もなくどこから異音が聞こえたため機長は機関士に客室の窓からエンジンの様子を確かめるよう指示しました。機関士と客室乗務員がエンジンを見ようとしたまさにその時、第四エンジンのプロペラが吹っ飛び、あろうことかそのまま飛行機本体に直撃して客室通路に50cmもの穴が空くという事態に陥りました。機内に穴が空いたことによって機内では空気が洩れると共にあっという間に霧が立ち込め、また機体も受けたダメージによって操作系統に障害が起こり、機体が右に傾きだすも操縦桿が反応せず姿勢すら維持できない状態に陥りました。
この際、機長は咄嗟に自動操縦へと切り替えたことによって姿勢はなんとか復元し、エンジン制御すらままならない中で管制と連絡を取り合って近くの空港へと飛行し、着陸アプローチまでどうにか持っていきました。着陸に入る際、それまで反応しなかった操縦桿が奇跡的に復元し、一度目は降下角度が作れず断念したものの、二度目の着陸は非常ブレーキなどを活用して見事に着地してのけ乗員乗客全員が無事に生還することとなりました。
事故原因はわからずじまいだったものの最後に操縦桿が復元した理由については判明しており、プロペラ直撃によってひしゃげたフレームが操縦桿とつながるケーブルを挟み込んだため反応しなくなったものの、飛行中にパイロットらが押したり引いたりしているうちにケーブルが隙間に動いたことによって復元したとのことです。
2、アメリカン航空96便貨物ドア破損事故(1972年)
事故内容:貨物ドアぶっ飛び 乗客乗員数:67人
デトロイトからバッファローへ向かって飛び立った同便も離陸からしばらくはいつも通り特に問題なく飛行していたものの、突然機体後方で大きな音が鳴ったかと思うや着座していたパイロットたちも大きな衝撃を感じるほど機体は大きく揺れました。客室では後方に設けられた床が陥没して穴が空き、数人の客室乗務員がその穴に落ちたものの救出されましたが、この際に通常なら見えるはずのない夕焼けの光を目撃しています。
原因は貨物ドアが空中で吹っ飛んだことにありました。この機体の貨物ドアには欠陥があり完全にロックされていないにもかかわらずロックされたように見えてしまう要因があり、半ドア状態のまま離陸してしまっため空中での衝撃に耐えられなくなり吹っ飛んだわけでした。なおメーカーのマグドネル・ダグラスは事故後もこの欠陥に対する対策を怠り、二年後にロッキード事件で購入がキャンセルされた機体でトルコ航空DC-10パリ墜落事故を起こしております。
話は戻しますが事故発生によって機体は右に大きく傾き、また操作系統にも異常が発生して方向、エンジン制御もままならない状態となりました。このような状況下で機長は補助翼とエンジン推力を駆使して機体を維持し、出発したデトロイト空港へと戻ると滑走路から少しはみ出したものの無事着陸にも成功して乗員乗客全員が無事に生還を果たしました。
3、ブリティッシュ・エアウェイズ5390便不時着事故(1990年)
事故内容:窓ガラスぶっ飛び、機長頭出し 乗客乗員数:81人
イギリスからスペインへ向かうため飛び立った同便ですが離陸から十数分後、飛行も安定してきてやれ一安心と思ったその瞬間、突然の爆発音とともにコックピットの窓ガラスが吹き飛びました。高空での空気が機内へ一気に入り込み一瞬で深い霧が発生するとともにコックピットでは激しい風が吹き込みだすのですが、なんとこの際にティム・ランカスター機長が空いた穴に吸い込まれ機体の外へと引っ張り出されてしまいました。
幸いというかなんというか膝が操縦桿に引っかかって上半身が飛び出たところで踏ん張ったものの、機体の外はマイナス何十度もの低温かつ機体の飛行に伴う凄まじい風圧が襲う上、呼吸すらままならないほど薄い空気という最悪の条件でした。このコックピットの異変に対し客室乗務員のナイジェル・オクデンは咄嗟にランカスター機長のベルトを掴んで彼の全身が吸い出されないよう抑え、その間に副機長が操縦を自動操縦に切り替え姿勢を復元し、風によって管制との通信がほとんど聞き取れない中で緊急着陸先のサウサンプトン空港へと目指しました。
機体は不安定ながらもなんとか操縦はできたものの、窓の外へと吸い出されたランカスター機長を引っ張り込むことはできずにいました。しかも吸い出す力が強い上に凍傷になるほど極寒の風が吹きすさぶため機長を掴んでいたオクデンの負担も大きく、途中でとうとうその手を放してしまいました。そのまま全身が吸い出されるかと思われたランカスター機長でしたが窓を挟み込むように体をくの字に曲げたことによって何とか持ちこたえ、その間に別の客室乗務員二人が再びその体を抑えつけました。もちろんこの間も機長の上半身はずっと外に出たままで、しかも気流を受けて窓ガラスにバンバンと音を鳴らしながら何度も頭を打ち就けづ受け、生きてるのか死んでるのかもよくわからない状態だったそうです。
このような壮絶な状況下にも拘らず副機長は空港へと機体を持っていき、事故発生から約20分後にサウサンプトン空港滑走路へ無事に着陸を果たしました。着陸完了後、乗客らが空港へ降ろされる中でランカスター機長もレスキュー隊に救出され、凍傷や複数個所の骨折をしていたもの命はあり、彼も奇跡的な生還を果たしました。
事故の原因はコックピット内の窓ガラスを締めるボルトにあり、事故直前に交換された窓ガラスに対して規格とは異なるボルトが多数使われていたことで強度不足となり、吹っ飛んだそうです。しかも整備の際にこのボルト種類などがきちんと確認されておらず、不適切な状態のまま飛んだことによって大きな事故となりました。
この事故で何がすごいかって、言うまでもないですがランカスター機長でしょう。物凄い高空をこれまた物凄い速度で飛ぶ飛行機の上で上半身を晒したまま約20分間飛び続けて生還するなんて、なんかのギネスレコードになるんじゃないかとすら思える水準です。しかも更にすごいのがこの機長、この事故から半年も経たないうちに職場復帰し、そのまま定年まで空を飛び続けたって言う点です。ダイハードもびっくりなタフネスぶりですが、その辺の過程は以下の記事にも書かれているので興味ある方は是非一読ください。
・コックピットの窓が吹き飛び、機長の半身は機体の外に...でも、全員生還!(ギズモード・ジャパン)
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