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2018年8月27日月曜日

さくらももこ死去の中国の反応

动画片《樱桃小丸子》的作者樱桃子因乳腺癌去世 终年53岁(News速递)
《樱桃小丸子》作者去世,谢谢你给我们一个美好的童年(虎嗅网)

 すでに速報を皆さんも見ていると思いますが、「ちびまる子ちゃん」の作者であるさくらももこ氏が亡くなられていたとのことです。今日はブログ書く気ありませんでしたが中国の反応は同かなと思って調べてみたところ思ってた通り反応は大きく、日本でも報道が出たばかりというのに中国でも各所で大きく報じられています。
 っていうか中国の報道見て、本名が三浦美紀ということを初めて知りました。

 知ってる人には早いですが中国でも「ちびまる子ちゃん」は現在進行形で大人気作品です。やはり家族物というのと生活風景が近いことから中国人も身近に感じていたようで、中国でちびまる子ちゃんの悪口は一度も聞いたことがありません。
 ただ改めて思うにつれて、この作品が日中双方で高く評価されたのはやはり作者の力量に負うところが大きいと思います。一言で言って才能の塊と言ってもよく、漫画だけでなくエッセイや作詞でも非常にセンスのある方で、サザエさんもそうですが同一作品でこれほど長く広い年代に支持される作品を作ったというのは紛れもない偉人でしょう。ましてや、国境や文化の壁を越えて評価されたというのですから。

 自分も小学生の頃はこの作品の漫画やアニメを見ていましたが、中学生から高校生にかけていったん離れた後、成人になってから見返すと改めてよくできた作品だと気づかされました。自分が文化芸術というものはどれだけ幅広い層を取り込めるかが重要なポイントだと考えていましたが、間口の広さで言えば圧倒的と言っていい作品で、この作者と同時代を過ごせたというのは将来自慢になるかもしれません。
 なおかつてこのブログで「ちびまる子ちゃん」に言及した記事として、この記事があります。今読み返してみましたが、他の話を差し置いて何故この「ローラースルーゴーゴー」の話が記憶に強く刻まれているのか不思議だと思う一方、「いや、多分他の人も同じだろう」という妙な自信を覚えました。

2018年8月26日日曜日

漫画レビュー「レッド 最終章 あさま山荘の10日間」

 相変わらずDMMで電子書籍のセールが続いているのでこれを機にやたら買いまくっており、「死人の声をきくがよい」という漫画も全巻買いそろえてしまいました。幼馴染、同級生、クラブの部長、アイドル、コンビニ店員た多方面から女の子に囲まれるハーレム系主人公ですが、ほぼ毎回殴られたり蹴られたりするのは当たり前で、頻繁に切られたり刺されたり突き落とされたりしながらも生き続けるという、「ベルセルク」のガッツもびっくりなタフネスぶりには毎回笑わさせてもらってます。あと幼馴染が第一話で腐乱死体ってのも、作者はすごいセンスしてる気がする。

 話は本題に移りますがこのセール中である8月23日に、これまで私が購読してきた山本直樹氏の「レッド」の最終巻に当たる、「レッド 最終章 あさま山荘の10日」が発売されました。サイト上で発売情報を知った際に一瞬買うかどうか何故か迷ったのですが、マウスを持つ手はすでに動いており、やはり買うべきかと思ってそのまま購入に至りました。

レッド (山本直樹)(Wikipedia)

 この本はこのブログでも何度も取り上げてきましたが、あさま山荘事件とそこへ至るまでの山岳ベース事件、さらにそれ以前の連合赤軍結成までの過程を描いたノンフィクション漫画です。連載期間は非常に長く2006年の連載開始から足掛け12年を経ての簡潔で、これまではややもすると進行ペースの遅かった連載から一転し、あさま山荘事件を一冊にまとめ書き切ってあります。
 巻末には作中登場人物である岩木のモデルである植垣康博氏がコメントを寄せており、「創作が一切ない」として、事実に対して忠実に描かれていることを称賛しています。この点については以前、植垣氏に直接会った際にも同じことを口にしており、当事者である側からすれば余計な編集や演出のないこうした表現形式を歓迎しているようでした。

 もっとも、私からすれば初めから徹頭徹尾ノンフィクションに徹するつもりであれば、作中の人物名を仮名とせず、中心人物だけでも本人の実名をそのまま使うべきであったのではと思うところがあります。登場人物をあらかじめ把握出来ない人からしたらこの名前の違いに苦しむと思われるし、実際私からしてもややこしいことこの上ありません。
 既に事件から40~50年経っており、内容的には「犯罪事件」というより「歴史事件」と言ってもいいものなので、余計な気遣いは最初からするべきではなかったでしょう。確か4巻か5巻くらいで行われた作中人物との架空会談も、その会話内容以前に設定の馬鹿々々しさに呆れました。

 とはいうものの、実名で描いていたら2006年当時に存命していた永田洋子がどう反応してたか。この点は確かに怖いので、仮名とすることに全く理解できないわけでもありません。

 最終巻の話に戻りますが、この巻ではあさま山荘へ逃げ込み、立て籠もりから捕縛までの過程を非常に細かく描いてあります。冒頭では警察の包囲から脱出するために冬山を縦走して突破する過程が描かれ(植垣氏曰く、「自分がいたから山を越えられたんだ」)、そして買い出しに待ち得降りたメンバーが捕まり、別荘地に逃げ込むという流れとなっています。
 この買い出しメンバーの捕縛場面で谷川(死刑囚の坂口弘)と並ぶ本作品の主人公である岩木の回想シーンがあるのですが、それは別荘地の湖の上で総括で死んだ彼の恋人とボートに乗りながらこの後の世界はどうなるのかと話し合い、岩木が「この後なんかない。戦って死ぬだけだ」というのに対し恋人が「本当にそうかしら」と疑問を投げかけます。

 場面が切り替わると、「もし街に降りなければ、ここで捕まっていなければ」という岩木の独白とともに警察官に取り押さえられるのですが、この過程に関してははっきりと強いデジャブを覚えました。何故かというと、同じ作者の山本直樹氏が以前に発表した「ビリーバーズ」という漫画のラストシーンにそっくりだったからです。
 似てるも何も、そもそもこの「ビリーバーズ」自体がオウム真理教事件や、連合赤軍事件を下地にして作られたとしており、実質的に「レッド」の準パイロット版ともいうべき内容だからです。「ビリーバーズ」の段階で連合赤軍の総括に言及しており、組織内部の内ゲバというような構造に注目していたようで、私は「レッド」の後で「ビリーバーズ」を読みましたが、ああやはりこういうのが描きたかったんだろうなという風にストンと落ちました。

 よくわからないレビューとなりましたが、2013年に初めて手に取ったこの作品がようやく終わったのだなという感覚とともに、もしかしたらこれで自分の極左団体に対する係わりが完全に断たれるのかなという予兆を感じました。こう言っては何ですがこの漫画を読んで自分の性質が本質的にテロリストに近いのだということを初めて自覚し、読み進めるうちに「他者への共感の強いものほど強烈な暴力性を持つに至る」という結論に至りました。真面目な話、自分を大事にする人間の暴力なんてたかが知れています。
 そういう意味では最初に舞台設定の点でミスがあると指摘はしましたが、情感的には強い影響を受けた作品であることに間違いはありません。別にこの作品を読んだからと言って現代のテロリストへの理解が広がるとかいうことは全くなく、学生団体、ひいては現在の極左団体が近くなることはまず間違いなくありませんが、時代背景とカルトとは異なる明確な倫理目標に立った内ゲバがどうして起こるのかは見える可能性があるのではないかと思います。

2018年8月24日金曜日

書評「しんがり 山一證券 最後の12人」

 日本最後の内戦とくれば今年の大河ドラマでも恐らくやるであろう西南戦争ですが、最後の反乱となるとその直前の佐賀の乱なのかと考えていたら、直近でもう一つ、「清武の乱」があったということを思い出しました。これも絶対的権力者に単身反乱を起こしたって意味ではある意味歴史的事件かもしれませんが、そういえばこの乱の主役である清武英利氏の本で読みたいものがあったことも思い出し、この前買って読んでみました。



 その本というのも「しんがり 山一證券 最後の12人」で、テレビドラマの原作としても使われた本なので知っている方も多いのではないかと思います。なんでこの本を手に取ろうかと思ったのかというと、反乱の後で落飾し、一介のジャーナリストに戻った清武氏がこのところ面白い取材本を出しているということを以前聞いていたのが大きな理由です。
 なお自分の元上司は読売新聞社内で一度清武氏と仕事したことがあって、清武氏については細目に連絡を出すなど非常に卒がなく仕事のできる人だったという印象を持ったと話していました。

 話は戻りますが、清武氏自身への興味もさることながら改めて山一證券の破綻について調べてみたいというのもあって買いました。内容はどちらかというと山一證券破綻の真相に迫る部分もないわけじゃないですが、それよりも破綻調査に関わった面々の苦しい状況を中心に描かれており、経済ルポというよりかは名もなき社員らの奮闘劇という面の方が強いです。読み応えは悪くはないのですが、会計方面の経済ルポを期待するとがっかりする点はあるかと思います。

 2008年のリーマンショックは世界証券大手のリーマンブラザーズの破綻をきっかけにして起きていますが、やはり改めて歴史を追うと日本の「失われた十年」も、バブル崩壊もさることながら、本格的にその色を深めたのはこの山一證券が破綻した97年からだったのではないかと思います。その点について少しこの本でも触れられており、まだ97年は平成不況の初頭であったことから山一証券の元社員の再就職は全体としてはつつがなく行われたと触れられています。もっともそれ以降から不況が増したことによって、一旦別の証券会社に転職しながらもすぐリストラに遭う人もいたと触れられてました。

 債務飛ばしの方法に関しては割と古典的な海外法人を絡めた債務の移し替えで、読んでて感じたのはオリンパスの時の手法と似ており、単純だけどやっぱり見つかり辛いもんだなという気がします。また現在もそうですが、こうした会計不正事件の責任者に対する処罰が日本では生温いとこの山一証券の事件でも覚え、恐らくこのような刑罰基準が続く限りは今後もこうした事件が続くでしょう。
 なおはみ出した内容を触れると、西田について中の社員たちは「こんな大変なこと引き起こしたくせに自分はのうのうと死にやがって」と言っているそうで、既に亡くなっているとはいえこうした批判は彼については寄せられても仕方ないだろうと私も思います。

 最後にもう一つ読んでて思ったこととして、この本の主題は山一證券の破綻過程、原因を探るために起ち上げられた社内調査委員会メンバーの奮闘ですが、こうした調査委員会自体がちょうど今問われている時期なのではないかと思います。例えば日大のアメフト事件でもすったもんだ挙句に弁護士をはじめとした調査員会が立ち上げられて、その報告内容などについて大きな注目が集まりました。同じスポーツ関連だとこのところ不祥事のラッシュで、女子柔道のパワハラ問題などでもパワハラはなかったとする協会の主張を鎧袖一触して「あり過ぎ」と調査委員会が断じた上で、その実態についても細かに報告されました。
 一方で森友学園の問題は結局トカゲのしっぽ切りで終わってしまうなど、不完全燃焼で終わる不祥事もまだ少なくありません。また独立した弁護士による調査委員会と言っておきながら、企業・団体側の息のかかった弁護士によって構成されて虫のいい報告が挙がってくる例も少なくなく、法整備まで行くとやり過ぎかとは思うものの、「何をもって独立した調査委員会と報告というのか?」という点についてもっと社会で議論すべきじゃないかと思います。

 同時に、そうした「独立した」価値観や視点を持つ人間を今後、企業がどれだけ抱え、この山一証券の例のように外部調査に頼らず社内調査によってきっちり自分のケツを拭けるかというのが、コンプライアンスとして問われてくるかと思います。基本的に企業というのは会社に忠実、言い換えれば不正に目を瞑る人間を採用したがりますが、その結果が上記の山一証券や東芝の末路であり、そのようなリスクに対して事前に対処できるか、対応できる人材がいるか、そうした社風があるか、こうした方面に力を入れる企業をきちんと評価できる社会があって成り立つところもあるでしょう。

2018年8月22日水曜日

カウントダウン

極貧寺の蓮如、圧倒的「子だくさん力」でカリスマに(JBpress)

 今日出た私の記事ですが、書き上げて提出したのは6月のことで、時間が経っているせいか他の記事と比べると( ・´ー・`)って顔にはあんまなりません。ただ今年年初に年間目標として歴史記事を強化しようと決め、具体的には一向一揆で何か記事を出そうと白鳥座に誓っていたので、とりあえず目標達成的な安堵感は覚えます。
 記事はこの後2回続いて計3回の連載となります。内容について強いて言えば、「ビッグダディも驚くほどに蓮如が子沢山だったという点が大きいでしょう。」という個所は編集段階で削除されるだろうと思っていたのですが何故かそのまま通って掲載されたのが意外でした。まぁわかりやすい比喩表現だと思うけどさ。

 話は本題に入りますが、いちいちリンクは貼らないものの本日スルガ銀行がストップ安を記録しました。後輩からも「花園さんの大好きなスルガ銀行」とまで揶揄されるほどこのブログで取り上げていますが、今年3月の段階で「足利銀行以来かも……」と、はっきり言えば近く破綻するだろうと予言していますが、この言葉を本気で信じた人はいたのか、そしてこの段階で私と同じ見解を持っていた人はいたのだろうかというのは未知数ですが、現時点においては私と同じ見解を持つ仲間たちはたくさんいるでしょう。私はもう、独りぼっちじゃないんだ( ゚Д゚)

 今日のストップ安の原因は日経の報道からです。その内容というのも、スルガ銀行の総融資額約3兆円のうち不動産投資融資は約2兆円で、このうち半分の約1兆円が適正な審査を経ずに融資された、いうなれば不良債権リスクの高い融資だとのことです。シェアハウス問題が本格化した後にスルガ銀行が積みました貸倒引当金は約150億円でしたが、大抵こういうのは実態よりも大幅に低い金額しか積まれず、現実には十倍の1500億円、少なく見積もっても1000億円は損金が出るだろうと見越していましたが、今回の報道が事実だとしたら私の想像を大きく超える額に膨らみそうです。

 今回出てきたこの1兆円という数字ですが、これはあくまで「リスクのある融資残高」で、この金額が丸ごと損金になるわけではないでしょう。ただシェアハウス問題でも明らかになったように、実際には返済能力や担保能力のない債務者へスルガ銀行は多額のローンを組んでおり、また将来の返済計画も杜撰であったことから、損切り覚悟の債権回収を行ったところでどれだけ回収できるかは未知数というか無謀もいいところでしょう。
 私個人が楽観的に見積もったとして、この半分の5000憶円は回収不能となるのではないかと思います。では現実的な見積りをした場合はどうなるかというと、8000憶円くらいに上るのではと見ています。なお山一證券は簿外債務とはいえ2600憶円で飛びました。たとえがあるとやっぱわかりやすい(´・ω・`)

 この見積金額の根拠はやはりシェアハウス問題の時の報道です。融資額に対して本来担保となるべき物件価値は十分の一くらいしかなく、債務者から身ぐるみ引っぺがしたとしても奪えるのは十分の一が関の山ではないかということから回収率は20%と読み、そこからさらに大甘な勘定を入れたとしても半分回収できるか否か、また今これだけの問題となっているにもかかわらず一向に対応が進んでおらずプレスリリースも相変わらず上から目線で一部怪しい表現も見られるため改善は期待できないことから、どれだけ楽観視しても50%が限度じゃないかと考えました。
 ましてや来年か再来年かには不動産価格は都心中心部を除いて全国で一斉に値下がりすると私は予想しており、となるとますます損失は膨らむでしょう。現状、スルガ銀にとって追い風となる条件はなく、また債務者も社会の反応を見て強気な態度で交渉に臨むと思われ、スルガ銀に全債務を押し付ける可能性もありますしまた金のにおいがする弁護士団がつくかもしれません。そう考えると、5000億っていう数字も私の中では現実味を感じさせてくれます。

 問題はもはやこの後、国がどう処理するかでしょう。破綻するか否かはもはや問題ではないでしょう。私は最初、足利銀行以来かもと考えていましたが、案外そうはならないかもしれません。その上で今日株式がストップ安になったのを見て、未だに株を持っていた人間がいたのかと呆れました。

2018年8月21日火曜日

購入オプション付き賃貸住宅

 経営者や設備管理者じゃないとなじみが薄いかもしれませんが、設備リースには俗に言う「購入オプション」というものが付けられることが多く、リース期間が終了した設備や物件を、追加料金を支払うことで貸主から借主が購入する(所有権が移る)ことが出来ます。
 具体例を出すと、毎月1万円、リース期間が2年のリース料でパソコンをリースし、満2年経過時点でプラス1万円を支払うことで、パソコンを貸主に返却する必要なくそのまま借主が自分のものにする権利のことを、こうした購入オプションと言います。

 この購入オプションは構造的には、借金して設備とかを購入するのと実質そう変わりがありません。100万円のフォークリフトを購入するのに銀行から2年定期で100万円(返済時の総支払金利は10万円)借りるのと、リース期間2年で合計支払リース料が100万円(購入オプション料金は10万円)では、条件的には全く同じと言っていいでしょう。
 だったら銀行からお金を借りればいいのにどうしてこんなリースという形式を取る人がいるのかって話になりますが、リース形式をわざわざとる理由としてはいくつかあり、

1、財務バランス上のメリット(借入金を負債計上しなくてよい)
2、中途解約可能であれば突然の設備更新において有利
3、費用の期間分割

 などなどありますが、これら以上に地味に一番大きいのは金融機関でなくても金利売買取引が可能になる点でしょう。リース業者側にしてもリースする側にとっても、余計な仲介者(銀行)を挟まずに金利取引を活発に行うことができるため、リース会社に必要な設備を買わせて、それを実際に使う企業が後々の購入オプション付きでリースする(ファイナンス・リース)というのも一般的です。っていうかむしろこれこそがリースの真骨頂だし。

 自分の知識整理も含めてまとめましたがそろそろ本題に移ると、住宅の賃貸も一種のリースに含まれますが、真面目にそろそろ購入オプション付き賃貸ってのも始めた方がいいのではないかと思います。もしかしたらもうあるのかもしれませんが、ネットで検索する限りそうしたサービスが見つからなかったので今書いています。

 この購入オプション付き賃貸というのはそのままに、住宅を一定期間借り続けた場合、期間満了時にオプション料金を支払うことでそのまま住宅を購入できるという賃貸契約を指します。
 具体例を挙げると、時価1200万円の住宅を家賃60万円/年(5万/月)を20年借り続けた場合、プラス100万円でその住宅を購入できるというようなのを想定しています。これによってどんなメリットがあるかというと、貸主は時価以上の金額(1200万>1300万)で住宅を販売でき、貸主は賃貸期間に支払った家賃がそのまま住宅購入資金に成り代わるという点が挙げられます。

 賃貸でよく言われるのは、「借りている間に支払ったお金は一切自分の資産形成に寄与しない」という点で、「それならば借金してでも早く家を買った方がいい」という意見が良く出されます。しかしそうして勢い住宅を買ったところ金利や返済に悩まされたり、あまりよろしくない隣人が来てしまったり、最悪なのは災害によって住宅が損壊を受けるというリスクはどうしても付きまといます。
 逆にこうしたリスクに対して強いのが賃貸で、厄介な隣人が出来たり、災害でダメージを受けたりしたら引っ越すだけで逃れます。このようにリスクを入れて考えると、賃貸もデメリットばかりというわけではありません。

 そこでこの購入オプションですが、これだったら気に入った賃貸住宅であれば長く住み続けることで購入、そして資産形成につながるので、多少家賃が高くても購入オプションなしよりは借主は夢が持てます。大家こと貸主にとっても、オプションを付けることでプレミアムがつき、家賃額を引き上げる根拠にできるほか、借主の転居動機を引き下げ賃貸契約関係の維持にもつながります。また償却期間が過ぎ、価値も下がって売却処分のしづらくなった住宅がこの購入オプションによって済み続けた人の手に渡ることで、空き家の低減につながるのではという期待というか狙いが私にはあります。
 同時に、この購入オプション付き賃貸住宅の普及の狙いとしては、日本の住宅相場の健全化です。仮にこの購入オプションが普及したら、間違いなく日本の新築住宅の値段は下がり、中古住宅や賃貸家賃は上がる(オプションなしを除く)でしょう。日本の住宅価格は新築が極端に高いにもかかわらず、一旦購入した後は極端に寝下がる傾向があり、それによってローン破産も誘発しているように見えます。私の狙いとしては新築住宅価格が下がる代わりに中古住宅価格を高め、もっと住宅取引の流動性を高め市場を健全化させたいという狙いがあり、その一手としてこの購入オプションは手段になりえないかと考えたわけです。

 また先ほども言及しましたが日本の空き家問題は非常に根深く、この空き家を減らすとともに不要な住宅を減らす努力も必要です。長く借り続けることで自分のものになる住宅が増えることによって住宅へのケアも高まり、尚且つ余計な住宅は淘汰されるのではという期待もありますが、どこかこういう購入オプションを手広くやってくれないかな。

2018年8月20日月曜日

江戸時代の終了時点はどこか

 私がまだ「バロック~歪んだ妄想」というゲームを遊んでいた頃(他にも遊んだ人っているのかな?)、鎌倉幕府の成立年代はまだ1192年でした。これは源頼朝が征夷大将軍に任命された年ですが、近年は平家を追討した段階で支配体制が固まったと判断されたことから壇ノ浦の戦いがあった1185年に改められたそうです。
 このように、具体的な事件とかならともかく支配体制というか時代の区分については各時代の判断によるというか、何をもってどう判断するかで一方的に決まるためやや曖昧さを持っています。江戸時代に関しても同様で、現在ではまだ徳川家康の征夷大将軍就任のあった1603年を開始年とする声が強いように見えますが、もうしばらくしたら関ヶ原の合戦のあった1600年に改められるかもしれません。どちらにしろ、江戸時代の開始年はこのどちらかであることには間違いないでしょう。

 一方、江戸時代の終了年はいつになるのかについては現在においてもやや曖昧なまま棚上げされています。候補をいくつか書き出すと、

・1867年 大政奉還
・1868年 江戸城無血開城、徳川家追放
・1869年 函館開城(戊辰戦争終結)
・1871年 廃藩置県

 最後の廃藩置県はちょっとおふざけで自分が入れたものですが、幕藩体制の完全なる崩壊と武家社会の終結という意味ではあながち暴論というわけではないと考えています。まぁ候補としては弱いですが。
 以上の候補のうち最も有力且つ一般的なのは2番目の1868年です。西郷、勝会談によって徳川宗家の政権からの追放と江戸城無血開城がなった年で、旧勢力の棟梁たる徳川家が降りたことから徳川時代の終了という意味では確かに最も適切と言えるでしょう。

 しかし、敢えて私がこの中で「江戸時代の終わった年」として推したいのは、既に元号も改められ明治二年となった1869年の函館戦争終了時点です。何故この年にしたいのかというと、この戦争に参加していた新選組副局長であった土方歳三が五稜郭陥落の直前にて戦死しており、彼の死をもって江戸時代が終わったことにしたいからです

 別に私自身は新選組フリークというわけではないのですが、この土方の死については時代を重ねていろいろ思うところがあります。平民の出で武士に憧れ、恐らく日本史上最強の人斬り集団を率い、念願かなって武士になったのは武士の時代が終わろうとする時だったというこの皮肉な時代のめぐりが、新選組というより土方歳三を大きく彩っているように考えています。また皮肉なことに彼自身も武士の時代が終わるということを自覚していたのか新選組内でも西洋式調練に積極的であったとされ、他のものに先駆けて洋装を始めたとも伝えられます。
 そうでありながら、戊辰戦争において彼が指揮した戦闘は武士そのものな斬りかかり戦法だったとされ、実際に斬り合いになると土方の部隊は非常に強かったと言われており、皮肉を通り越したようなそのアンバランスさ、まさに濁ったような時代の分かれ目を象徴しているかにも見えます。そして彼の死を待っていたかのように五稜郭は陥落しており、土方の生き方と死に方がまさに江戸時代が終わるということを体現している気がします。

 勝海舟だったかちょっと忘れましたがこの函館戦争で五稜郭川の主将であった榎本武明について、「もし函館で戦死、自刃していたら日本において古今無双の殉死者として扱われただろう」と評されていましたが、あながちこの評価は間違いではないでしょう。それだけになおさらこの戦争で死んだ土方については、、やはりもっと象徴的に扱うべきではないかと思うわけです。また家族に自分の写真を託したという死の直前のエピソードからも、土方の場合は初めから死ぬ覚悟が強かったこともうかがわれ、彼自身の江戸幕府への忠誠心がどこまであったかははっきりしないどころかやや怪しいですが、武士という概念を粉々にするまで体当たりでぶつかってきたのは私が知る限り彼以上の者はいません。

2018年8月19日日曜日

The man with the Goza

 昨日の記事でベルトの切れた安楽椅子をニトリで買ったスーツケース用のベルトで突貫修理をしたことを紹介しましたが、この修理に使ったベルトとともに、「これを買ったらもう後に戻れないかも」と約1時間悩みつつ、最終的にあるインテリア商品を買ってしまいました。


 見ての通り、買ってきたのは折り畳みできるござ布団でした。なお値段はシーズン末ということもあってかセールで140元(約2380円)でした。

 なんでこんなの買ったかっていうと一言では語れませんが、敢えて言うなら地べたで寝たかったからです。自宅にはやたらでかいダブルベッドがありますがもともと日本でも畳を敷いて、夏に至っては敷き布団すら敷かずに寝ており、ベッドのスプリングはどちらかといえばない方がうれし買ったりします。また夏場はダニに苦しめられており、布団、ベッド、もしくは両方に潜んでいるのかなかなか退治しきれず、安楽椅子に座っている最中も「この際こっちで寝た方がいいのでは?」とか、会社の昼休みに昼寝している時も、「こっちの方が良く熟睡できているような?」とか思ってたりしてました。
 そんな矢先にこんなの見つけちゃったもんだから、さすがに500元(約8500円)とかだと失敗したらハートに来る(ルー語)もんですが、140元ならあかんくってもまだあきらめがつくと思い、使用法とかも煮詰めないまま思い切って、と言っても1時間悩んだ末に買いました。

 設置場所はこれまで安楽椅子のあった場所で、安楽椅子自体は折りたたんで窓際に立てかけることでスペースを確保しました。その上でこの窓際の一角の細長いスペースに敷いたところ、サイズ的にはぴったり収まりました。
 写真はないですがこのござ布団は4ブロックに分かれており、場合によっては二つ折り、また一つ折状態で牢名主みたいな座布団としても使うことも考慮しましたが、幅が60センチしかないことから座りに使うとやや落ち着かない幅でした。二つ折りならまだ活用の方法ありますが。

 となるとどうすべきか。やはり本来の購入目的同様に敷布団として使おうと考え、昨夜早速これで寝てみました。ぶっちゃけ寝てみた感じ、日本の家屋と違って窓や家具が高い位置にあってやはり地べたに体を置くスタイルだとやや目線が狭くなります。まぁすぐ寝るなら問題ないけど。
 寝てみた感じではやはり幅が狭いのと、すぐ隣にごついコンクリの壁があるため寝返りは全く打てませんでしたが、ベッドとは違ってスプリングがないため背中が平面となり、朝起きた時は背中側の肩甲骨が伸び広がったような感覚があり悪くありませんでした。睡眠自体も、4時くらいに暑さで一瞬目覚めた以外はしっかり眠れ、質的にも悪くありませんでした。後地味に安楽椅子なくなり、部屋の空間が広がった感じもします。

 このござ布団の購入は来客時の簡易ベッドとしての役割も期待したものでしたが、今回寝てみた感じとしては十分に機能することが確認出来ました。また冬場はともかくとして夏場ならベッドよりもやはりこっちの方が寝やすく、やはり硬めの敷布団の方が健康にもいいというので、今後こっちをメインで寝ていくつもりです。
 問題は冬場で、今のところ活用方法が浮かびません。この際安楽椅子を友人に押し付けるなど処分し、別にもっと広いござとか買った上で座椅子を買うというのも選択肢に入れています。っていうか、ベッドがでかすぎて邪魔過ぎて、これさえなければいろいろ弄れるのにという気もしないでもないですが。

 日本に住んでた頃はパソコンもこたつの上で打つほどの地べた生活だったこともあり、やはりそっちの方が体に合っている気がします。日本に帰るかわからないけど、もし帰ることがあったら忍者屋敷風のデコレートしたFoot on the groundなインテリアを実現させたいです。っていうか外国人向けに忍者屋敷風アパートとか経営したら儲かるかも。住人の誰もが知る秘密の出口とか作ったりして。

 最後に、中国でもこうしたござというかい草を使った敷物や敷布団の類は以前から存在しており、スーパーなどに行くと見つけられます。ただどちらかというとい草よりも竹を使った敷物の方が多く、夏場はベッドの上に敷いて使うことが多いそうですが、自分は一回それやって、それが原因かはわかりませんがめっさダニの襲撃受けたのですぐやめました。今回のござ布団は昨夜に限ってはまだ襲撃受けてないので、このまま頑張ってほしいです。