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2018年8月26日日曜日

漫画レビュー「レッド 最終章 あさま山荘の10日間」

 相変わらずDMMで電子書籍のセールが続いているのでこれを機にやたら買いまくっており、「死人の声をきくがよい」という漫画も全巻買いそろえてしまいました。幼馴染、同級生、クラブの部長、アイドル、コンビニ店員た多方面から女の子に囲まれるハーレム系主人公ですが、ほぼ毎回殴られたり蹴られたりするのは当たり前で、頻繁に切られたり刺されたり突き落とされたりしながらも生き続けるという、「ベルセルク」のガッツもびっくりなタフネスぶりには毎回笑わさせてもらってます。あと幼馴染が第一話で腐乱死体ってのも、作者はすごいセンスしてる気がする。

 話は本題に移りますがこのセール中である8月23日に、これまで私が購読してきた山本直樹氏の「レッド」の最終巻に当たる、「レッド 最終章 あさま山荘の10日」が発売されました。サイト上で発売情報を知った際に一瞬買うかどうか何故か迷ったのですが、マウスを持つ手はすでに動いており、やはり買うべきかと思ってそのまま購入に至りました。

レッド (山本直樹)(Wikipedia)

 この本はこのブログでも何度も取り上げてきましたが、あさま山荘事件とそこへ至るまでの山岳ベース事件、さらにそれ以前の連合赤軍結成までの過程を描いたノンフィクション漫画です。連載期間は非常に長く2006年の連載開始から足掛け12年を経ての簡潔で、これまではややもすると進行ペースの遅かった連載から一転し、あさま山荘事件を一冊にまとめ書き切ってあります。
 巻末には作中登場人物である岩木のモデルである植垣康博氏がコメントを寄せており、「創作が一切ない」として、事実に対して忠実に描かれていることを称賛しています。この点については以前、植垣氏に直接会った際にも同じことを口にしており、当事者である側からすれば余計な編集や演出のないこうした表現形式を歓迎しているようでした。

 もっとも、私からすれば初めから徹頭徹尾ノンフィクションに徹するつもりであれば、作中の人物名を仮名とせず、中心人物だけでも本人の実名をそのまま使うべきであったのではと思うところがあります。登場人物をあらかじめ把握出来ない人からしたらこの名前の違いに苦しむと思われるし、実際私からしてもややこしいことこの上ありません。
 既に事件から40~50年経っており、内容的には「犯罪事件」というより「歴史事件」と言ってもいいものなので、余計な気遣いは最初からするべきではなかったでしょう。確か4巻か5巻くらいで行われた作中人物との架空会談も、その会話内容以前に設定の馬鹿々々しさに呆れました。

 とはいうものの、実名で描いていたら2006年当時に存命していた永田洋子がどう反応してたか。この点は確かに怖いので、仮名とすることに全く理解できないわけでもありません。

 最終巻の話に戻りますが、この巻ではあさま山荘へ逃げ込み、立て籠もりから捕縛までの過程を非常に細かく描いてあります。冒頭では警察の包囲から脱出するために冬山を縦走して突破する過程が描かれ(植垣氏曰く、「自分がいたから山を越えられたんだ」)、そして買い出しに待ち得降りたメンバーが捕まり、別荘地に逃げ込むという流れとなっています。
 この買い出しメンバーの捕縛場面で谷川(死刑囚の坂口弘)と並ぶ本作品の主人公である岩木の回想シーンがあるのですが、それは別荘地の湖の上で総括で死んだ彼の恋人とボートに乗りながらこの後の世界はどうなるのかと話し合い、岩木が「この後なんかない。戦って死ぬだけだ」というのに対し恋人が「本当にそうかしら」と疑問を投げかけます。

 場面が切り替わると、「もし街に降りなければ、ここで捕まっていなければ」という岩木の独白とともに警察官に取り押さえられるのですが、この過程に関してははっきりと強いデジャブを覚えました。何故かというと、同じ作者の山本直樹氏が以前に発表した「ビリーバーズ」という漫画のラストシーンにそっくりだったからです。
 似てるも何も、そもそもこの「ビリーバーズ」自体がオウム真理教事件や、連合赤軍事件を下地にして作られたとしており、実質的に「レッド」の準パイロット版ともいうべき内容だからです。「ビリーバーズ」の段階で連合赤軍の総括に言及しており、組織内部の内ゲバというような構造に注目していたようで、私は「レッド」の後で「ビリーバーズ」を読みましたが、ああやはりこういうのが描きたかったんだろうなという風にストンと落ちました。

 よくわからないレビューとなりましたが、2013年に初めて手に取ったこの作品がようやく終わったのだなという感覚とともに、もしかしたらこれで自分の極左団体に対する係わりが完全に断たれるのかなという予兆を感じました。こう言っては何ですがこの漫画を読んで自分の性質が本質的にテロリストに近いのだということを初めて自覚し、読み進めるうちに「他者への共感の強いものほど強烈な暴力性を持つに至る」という結論に至りました。真面目な話、自分を大事にする人間の暴力なんてたかが知れています。
 そういう意味では最初に舞台設定の点でミスがあると指摘はしましたが、情感的には強い影響を受けた作品であることに間違いはありません。別にこの作品を読んだからと言って現代のテロリストへの理解が広がるとかいうことは全くなく、学生団体、ひいては現在の極左団体が近くなることはまず間違いなくありませんが、時代背景とカルトとは異なる明確な倫理目標に立った内ゲバがどうして起こるのかは見える可能性があるのではないかと思います。

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