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2019年4月27日土曜日

不動産の保証人制度の弊害

 先日、同僚と日本の不動産事情について話をした際にやり玉に上がってきたのが、言わずとしれた保証人制度でした。同僚の家族らはほぼみんな海外に居住しており、勤務する会社がどれだけグローバル大企業であっても日本の不動産会社は保証人としての資格を認めず、日本に残った両親の賃貸住宅契約の際には保証会社と契約するよう求めてくるそうです。
 そもそも賃貸契約で保証人を立てること事態が私にとっては異常としか思えず、私自身もかつて契約した際に、「半年分を前もってまとめて払うからこんな無駄なことやめようよ」と不動産会社に離したところ、「法律でそういうことはできなくなっているんです」と言われ拒否されたが、無論そんな法律などなく、面倒だから嘘ついて拒否しただけだったのでしょう。あのアパマンめ。

 中国の場合、基本は1ヶ月分の敷金を支払った上で翌1ヶ月分、または2ヶ月分の家賃を前払いするというパターンが主です。私は後者で、2ヶ月毎に2ヶ月分の家賃を大家に支払っていますが、これだととりっぱぐれはあるはずもなく、仮に家賃を滞納した場合でも1ヶ月以内に交渉し、退去を迫れば敷金によって大家の権益は保証されます。
 そういう意味で、私がかつて提案したように半年、または1年分を前払いするという方式であれば保証人を立てる必要もなく、翌年のよくわからない更新料を伴う更新時に契約延長の医師を確かめれば損することは理論上起こりえず、無駄な中間業者を太らせることもありません。っていうか考え方次第によっては、家賃を前払いした賃貸人にこそ住宅保証をすべきで、保証金を大家に請求するのが筋ではないかと思います。

 これに限らず、日本の場合はよくわからない、保証にもなっていない保証に金を払うことが多く、リスクと対価が見合っていない取引が多く見られます。
 少し方向が違いますが、先日友人がある会社から取引を持ちかけられたところ個人事業主だと伝えたら、「商社を通すように」と言われ、向こうから持ちかけられてきた取引なのに拒否されたそうです。友人はカネを払うのではなく受け取る方だというのに何をもって商社を噛ませようとするのか私には理解できず、そこそこ大きな企業だったそうですが、ケツの小さい話でしょう。

 不動産に関してはいろいろと最近勉強しているので、また今度詳しくまとめてみようかなとも考えています。

  追伸
 日本旅行して帰宅したら天井から漏水があり、勤務しながらそれに対応していて今週は疲れたのか、昼間横たわったら4時間位死んだように昼寝してました。

2019年4月24日水曜日

隙間なき日本のマンション敷地

 今回日本に滞在していて改めて感じたこととして、マンション、特に築年数が浅い新築のものほど敷き詰めた設計をしているなと強く思いました。具体的にいうと敷地内目いっぱいに立体駐車場を含めた建物を建てており、空余地的な共有空間がほぼまったくないといったマンションです。はっきり言えばあまり住みたくはないと思うようなマンションです。
 空余地がないとどうなるかというと、まず第一に窓から眺めた景観が悪くなります。これは高層階ならまだカバー効くかもしれませんが、近くに同じような余裕のないマンションがあると低層階同様の結果となるでしょう。次に、こっちのほうが影響大きいかもしれませんが日当たりが確実に悪くなり、特に低層階は近くに同じようなマンションあると本当にごく短い時間しか日差しを期待できなくなるでしょう。

 なんとはなくですが、やはりデベロッパー側も余裕がないからこういうマンションをバンバン建てているのかなと推測しています。敷地目いっぱいに建物を置くことで1戸当たり部屋面積、戸数は稼げるというメリットはありますが、住心地という点では確実に低下するでしょう。ましてや、こういったマンションが最近バンバン立っていることから、どこもかしこも空余地のないマンションばかりが立ち並ぶ都市風景が広がりつつ有り、都市全体でみてもそれが見えづらく、あまり住んでて楽しくない世界が広がる気がします。この辺は中国とか香港いて普段から強く感じていますが。

 不思議なのは日本全体で人口が減っているにもかかわらず、こういった余裕のない設計をしたマンションが増えていることです。もう少しくらい満足度を高めるような設計をしてもいいのではと思うのですが、敷地を目一杯使うために建物の向きが道路などに合わせられず変に斜め向いたものとか見ると、時代に逆行しているような感じもします。
 やはり空余地があるかないかでは住環境は全然変わる上、街中でも敷き詰められた建物が並んでいるといくらか圧迫感を覚えます。

 すこし論点が変わりますが、近年はいわゆるタワマンことタワーマンションの売れ行きが伸びていますが、この背景としては相続税対策もあります。タワマン高層階は価格が下落しにくいことから、死ぬ間際の資産家が購入して、持ち家登録することで通常より割安な相続税で近親者に相続することができます。
 このためタワマンの活発な売れ行きは相続税対策という一面も持っているのですが、こうした事由、実際にはほとんど住まずに財テクとして用いられることが多いということも敷き詰められた設計での高層マンション続出に拍車をかけているのではとうがっています。

 なお上記のタワマン相続ですが、実行できるのは高所得の資産家に限られて且つそのメリットも非常に大きいことから高所得者優遇との見方もあり、規制すべきではないかという意見も聞かれます。私としては相続税に関してはどうでもいいですが、これほど敷き詰めた設計の高層マンションが増え続けると都市全体の住心地を低下させる恐れが高いと思うだけに、規制されるならされたほうがいいのではと考えています。

2019年4月23日火曜日

セブンイレブン

 昨日までまた日本に一時滞在していましたが、同僚の中国人に頼まれたお土産を予め友人にネットで買わせておいて、落ち合った際に私が代金を支払って品物を受け取る際、「おい、札束そんなバラっとテーブルに広げるな。運び屋にしか見えない」と友人に言われました。もっとも、もはや純然たる運び屋なのですが。

 話は本題ですが今回の滞在でももはや定宿となっているルートインに泊まったのですが、チェックインを済ませて鍵を受け取った際になにか違和感を覚えました。一体なんだろうと思ってもその場ではわからず、しばらく外を歩いていた際にハッと気が付きました。その後、ホテルに戻ったあとでフロントに、

「あのさ、この部屋番号はやっぱ、裏で『セブンイレブン』とか呼んでたりするの?」

 と、部屋番号711と書かれた鍵を見せながら尋ねましたが、「いや、そんなの初耳です」と笑いながら否定してくれました。
 何となく自分の中では、「セブンイレブンに1名様ご案内!」とか、「あいつ、何も知らずに鍵を受け取りやがった。セブンイレブンだとも知らずに……」などと言い合っているのを想像していましたが、他のホテルとかどうなんだろうか気になってます。

2019年4月20日土曜日

自我を削ぎ落とす教育

 先日知人と話をした際、日本の教育について話題が及びました。知人からは日本の、特に学校現場の教育は従順な子供を作ることが強調されているような気がすると、中国での学校と比較して述べたのですがそれに対し私は、「従順な子供を作るのは目的であってそれは正しいと思いますが、では手段は何だと思いますか?」と尋ねました。一思案したあとすぐ降参した知人への答え合わせとして私は、見出しに掲げた「自我を削ぎ落とす教育手法こそがその手段で、日本の教育の根源的な哲学は個々にあると思います」と話しました。

 自我を削ぎ落とすとはどういうことかというと、端的に言えば個性を認めずむしろ排除する、個人的欲求を認めず集団に従うことが最上であると教える、周囲の人間と同じ価値観を持つと信じ込ませるなどなどです。この中でも一番理解されやすいと思うのは、「集団に従うのがベスト」という点だと思え、日本の学校だと小中校のどこでも集団に溶け込むことこそが最大の美徳であることが強調されているのは事実以外の何物でもないでしょう。
 逆を言えば集団に溶け込めない、いじめによって排除されたり、身体的・出身的特徴で差別されたりすると途端に学校には居場所がなくなるわけで、真面目に全人格を否定されかねないような事態すら招きます。何故こうなるのかと言うと、私自身はやはり集団の価値観が強すぎることと、集団への服従強制が異常過ぎることが大きな要因ではないかと考えています。

 もちろん人間が社会で生活していくためには集団性を持たなければならず、集団生活やその価値観を教える必要性までは否定しません。ただ日本の場合は、それでもやはり集団の価値観が強すぎるきらいがあるように思え、ちょっとこの方面の教育ではやりすぎと思えるところがあります。

 次に個性を奪うという点ですが、一番わかり易いのは制服と丸刈りでしょう。髪型とかに関して私は本人の自由だと思うので気にしませんが、一定の髪型を校則で強制したり、部活動などで丸刈りに統一するといった行為は、強制する側がどのような意図で行っているとしても確実に個性というか自我が薄れ、他の同一集団内のメンバーとの差異が減少します。制服も同様ですが、自我を削るには何が一番いいかと言うと、周囲の他の人との区別をなるべくできない環境に置くことが手っ取り早い方法であり、そういう意味ではこういった行為は実に理に適っています。
 なお中国の学校では制服はあまり見られません。

 この他にも、英語の授業とかで実際には正しい発音してるのに、他の未熟な生徒の発音と異なっていれば笑われたりする(教師も黙認)のは、ある意味日本の教育の賜物かもしれません。私自身はあまり気にせずに発音してよく授業中に笑われていましたが、あの時教室にいた誰よりも今英語が上手であるという自身はあります。

 他にも細かい点をあげたらキリがないですが、私から見て日本の教育は生徒の自我を削ぎ落とすことに全力を注いでいるように見えてなりません。「個性を伸ばす教育」などという標語をたまに謳いますが、これは真に受けたが最後、空気が読めないやつだと思われ確実に教師にマークされますし、現実に日本人で個性に溢れた人材が生まれるのは稀な方でしょう。少なくとも自分より個性が強い人はあまり見ないし。
 他の国とかでも多かれ少なかれこういった自我を削ぎ落とすプロセスはあるでしょうが、それにしても日本のやり方はやや強すぎるように思え、なおかつ私が子供だった頃よりも今のほうが更に程度が増しているのではと思う節があります。具体的に言えば、生徒だけでなく教師も学校内で更に個性を削がれているような。

 その上で言えば、やはり世界で戦っていく上では一定度の個性こと自我が必要不可欠です。周囲にいる誰もが敵となる状況下で自分を保ち闘い続けるためには、周りが否定する言葉を浴びせたとしても自ら信じ続けるような頑固さが時には求められます。全く周りを省みないのはもちろん問題ですが、周りしか見ていない人間なぞ最初から役には立ちません。
 そういう意味で、今日本の教育下では突然変異的な無駄に自我が強い人間か、自我を保ちつつそれを表に出さずうまくまわりとに合わせる振りができる人間しか、使い物になる人材が生まれてこないのではとまで考えています。自分の場合は圧倒的に前者ですが、言い訳をすると少年期はやはり今考えても圧倒的に理解者がおらず、そのため自分の方針が正しいということを認めさせるためにやや躍起になっていましたが、一人くらいちゃんとした理解者がいれば牙を隠すこともできた気がします。

 自我を育てる教育、なんていうと一歩間違えるとテロリストを生む可能性があるだけに、私個人としては自我を潰さない教育あたりが標語としては有りなんじゃないかと思います。少なくとも、名前と成績以外で他者との違いを認識把握できない人間は作るべきではないというのが人文主義ゆえの立場です。

2019年4月18日木曜日

Amazonの中国撤退報道について

米アマゾンが中国のネット通販撤退へ(共同通信)

 時間がないのでさらりと書きますが、まぁそうなるよなというのが本音です。
 中国でのネット通販は中国系、というかソフトバンクが支援していたアリババグループの一社独占状態のような市場で、他にも中国資本のネット通販会社がありますが正直比較にならないほど小さい存在です。
 また日本においてアマゾンは支配的地位を築いていますが、中国は小売業界については外資に開放しすぎたとの反省から、ネット通販業界の外資参入に対しては非常に厳しい制限をかけ、米ウォルマートに至っては中国資本との合弁によって参入を果たし、徐々に資本比率を上げてこうとしていましたが、その度に政府が待ったをかけて止めていました。

 一見するとこれらは閉鎖的な措置に見えますが、今日のGAFAことネットサービスで支配的地位を築き米政府に個人情報を差し上げ、ハッカーにパスワードを漏らすようなフェイスブックなどの存在を考えると、こういうやり方もありっちゃありだったのかもなと思うところがあります。日本もこういった超巨大ネットサービス企業への規制が議論されるようになってきましたが、租税回避問題を始め、私自身も規制がなさすぎると思うがゆえにこうした方向を歓迎しています。
 ただ、日本の政治界にこういったIT方面の政策がわかる人間がいるのかという点でやや不安が残ります。例の兵庫県警の問題もそうですが、かつてのなりすまし誤認逮捕事件など行政レベルでとんでもない規制運用の仕方が一部見られるだけに、逆におかしな方向でネット規制が行われるのではという懸念もあります。

 今更ながらですが、かつてのWinny事件の裁判でもこういった方面の政策議論はあまり進みませんでした。どうせやるならあのときにしっかり議論し、ちゃんとした制度を作り、その上で支配的地位を乱用する外資等を厳しく制限すべきだったのかもしれません。

2019年4月17日水曜日

弱小球団の思わぬ活躍

 今日発売の「五等分の花嫁」最新刊がめちゃ面白かったです。っていうか、前から腹黒いとは思ってたけど全力で妹たちを蹴落とそうとする長女が凄かった……。

 話は本題ですが、プロ野球はシーズン開幕から数週間経て一巡し、対戦成績も徐々にさが開いてきました。今年は番狂わせが多いと言うか、ここ数年我が世の春を謳歌してたカープがぶっちぎり最下位に沈んでいるということもさることながら、シーズン開幕前にそれほど期待されていなかったチームが検討するなど、去年の実績があまり参考にならないという状況を呈しています。

 セリーグにおいては下馬評が低かった中日が健闘していて、今季から就任した与田監督としてはほっと一安心といったところでしょう。ただそれ以上にすごいのがヤクルトで、首位に立ったこと以上にカープとの延長戦で1回12得点を叩き出すなど、明らかに打撃力が他のチームを凌駕しています。実際に青木、山田、バレンティンと続くクリーンナップはスポーツ新聞にも「メジャー級」と書かれていましたが、あながち間違った表現ではないと思うくらい強力なクリーンナップです。やはり2番に強打者を置くのは有りなのかもしれません。

 パリーグではロッテに元日ハムのレアードが加入したことで、これまで、っていうか過去のチーム史においても一貫して弱点として有り続けた長打力が一気に補強されたのがなかなかに見ものです。それにしてもレアードは本当に打つな。
 それ以上に注目しているのは実はオリックスで、かねてから評価していましたがここの4番の吉田正尚選手が徐々に調子をあげてきて、それとともにチーム順位も上昇してきました。吉田選手についてはやはりここぞというところでホームランを打つイメージが強く、将来は筒香選手に続く形で日本の4番を背負うのではないかと密かに期待しています。
 その同じオリックスでは先日9回1安打完封をしてのけた、今年から先発復帰した山本選手に目を見張ります。エースの金子選手(ネットでの愛称は「ちひろたん」)が抜けたことでどうなるかと思ってましたが、早くも次のエースが出てきて、これにて投打の柱が確立されるのではないかとも思えてオリックスの動向が気になってます。

 この他のチームも当初の予想とは異なる選手が活躍したりするなどいろいろと面白い要素があり、仕事中とかもよくチラチラニュース見ています。っていうか今日気がついたけど、去年まで自分が担当していた仕事を今年もやりつつ、別部署で2.5人くらいが対応していた業務も今自分が一人でやってて、なんかおかしくねとちょっと思えてきました。っていうかマジで増員ほしい。

2019年4月16日火曜日

ちょっと凝らした表現

中国の伝統的“建築コンサルタント”、風水師の実態(JBpress)

 このところ忙しいというか、社内で自分だけ二部門(二社?)に跨いでサポート業務していておかしいくらい働いてるので更新が遅れましたが、昨日上記記事がJBpressでアップされました。こちらの記事は昔友人が風水師になろうとしていたのを思い出して書いた記事で、その友人からは大好評だったのと私自身も非常に気に入っている内容ではあるのですが、いかんせん地味ゆえかアクセスは芳しくありませんでした。まぁいいけどさ。

 内容に関しては読んでもらえばいいのでいちいち解説しませんが、この記事の中でいくつかちょっと凝らした表現を盛り込んでいます。具体的にどこかと言うと3ページ目の「自己研鑽派」に関する説明で、「ニューウェーブ系」、「風水マニア」などという風に紹介していますが、実はこの表現はある作品から着想を得たと言うか引っ張ってきた表現です。それは何かと言うと、今も一部で引用されることのある「ラーメン発見伝」という漫画だったりします。

 というのも最近通っているスーパー銭湯においてあるので行く度にちょこちょこ読んでいるのですが、この作品では主人公の壁となり、何度もラーメン対決で苦渋を舐めさせてその度に現実的な意見を吐いて圧倒しながらも、実は最も理想を追っているラーメンハゲこと芹沢というキャラクターが登場します。
 このキャラは作者の目線に立つならば一番言いたいことを漫画の中で言わせる、ある意味裏主人公的なポジションに立っています。そんな彼が理想ばかり追う主人公を揶揄してよく「ラーメンマニア」と呼んでおり、風水師の自己研鑽派が他の風水師二派からやや馬鹿にされて見られているという状況を見てすぐ、「そうだ、芹沢さんだ!」と思って、中国語では「票友」という表現でしたが、敢えて「風水マニア」と訳しました。

 続いて「ニューウェーブ系」という表現もこの漫画からで、豚骨ラーメンブーム以降に広がっていた新しいジャンルのラーメンをよく「ニューウェーブ」と説明されてて、「ここまで来たらこのまま行こう!」と、推敲を重ねる途中でこの「ニューウェーブ」という表現も加えました。個人的には割とイメージしやすい言葉をうまく盛り込めた気がします。

 あともう一つ裏話をすると、当初は日本の建築に関して「機能性ばかりやたら負いすぎて床面積や建材を始め、空間に余裕のない設計が多い」という批判も入れていたのですが、これは編集段階でマイルドにされました。この点について風水師志望だった友人は、「無駄なものを敢えて建築に取り込むなんて、一種信仰じみた思想がなければ行われないだろう」と述べましたが、この風水を含め、実際その通りだと思います。逆を言えばどういった思想のもとで無駄を建築やインテリアに取り込むのか、こうした思想が存在するのかが建築の価値を左右するように言われて思いました。
 なのでもし日本に帰ることがあれば不動産屋に、「この部屋にはどういった思想がある?」とか聞いてみたいですが、多分不動産屋からしたらうざい客としか思われないだろうなって気がします。