ページ

2022年1月16日日曜日

財務諸表に見られる売上げ水増しの兆候



 先日、前から興味があったので上の「会計士は見た!」という本を読みました。この本は執筆当時(2015年)の東芝やソニー、キーエンスなど実際に存在する日系企業の財務諸表を実際に見て、各社の経営状況などを見る上で注視すべきポイントを解説した本です。執筆当時と比べると紹介している企業の情報はやや古くなっているものの、財務諸表を見る上でのポイントは非常にわかりやすい、というより文章が非常に上手くて解説が頭に入ってきやすく、期待していた以上の内容であったと感心しました。

 特に具体例を持ち出して、財務諸表はここ見るべきという解説が非常によくできています。いくつか例を挙げると、リストラに当たり一人当たり給与が減少したコジマと減少しなかった日産の比較、同業間での従業員一人当たり売上高の比較など、ワンフレーズ的に着目箇所を示唆してくれるのはありがたいです。

 中でも自分が読んでて非常に驚いたのは、売上げ水増しといった粉飾を行っている企業において頻繁に見られる財務諸表の特徴をしっかり上げていることです。この例として紹介されている企業は江守商事(現・興和江守)ですが、その特徴というのも売上げや利益が増大しながら営業キャッシュ・フローが減少しているという特徴で、実際に江守商事の破綻間際なんかまさにこの典型ともいえる特徴を見せているだけでなく、何故か破たん直前に株主への配当金が急増しているというおまけまでついています。
 公式には江守商事は破綻理由を中国子会社の不正と書いていますが、自分も財務諸表上から見て売上げの架空計上の末に計画的破綻で、中国子会社ではなく会社全体としての不正だろうと見ています。

 では一体何故、上記の財務諸表特徴が不正の兆候として見ることができるのか。これは非常に簡単で、本の中でも書かれていますが資産項目(売上げや利益など)と比べて営業キャッシュ・フローの金額は実態とは異なる金額を記入し辛いからです。
 営業キャッシュ・フローとはイメージ的には運転資金や流動資金で、売り上げや事業規模が拡大するにつれて基本的には増えていきます。また財務諸表におけるこの科目の金額は、銀行残高確認状などで銀行口座の金額などと照らし合わせて調べられることから、企業側にとって都合のいい金額にはし辛く、実態ある金額を表示せざるを得ない項目です。そのため、売上げや利益については粉飾した金額が登場しても、その成長が架空のものであれば営業キャッシュ・フローとの間で齟齬が出やすく、不正の兆候と見抜くことができるわけです。具体的には、循環取引なんかでは確実にこうした傾向が出るでしょう。

 この不正の特徴については自分もこれまでそこそこ財務諸表を見てきてはいるものの、単に不勉強だったかもしれませんが、今の今まで全く知らなかっただけに、まさに目から鱗でした。非常に単純ながら説得力のある見方で、ぶっちゃけこの売上げや利益と営業キャッシュ・フローとの連動率は開示義務項目にしたってもいいんじゃないかという気すらします。

2022年1月15日土曜日

大型車のタイヤ脱輪激増の背景にあるねじのISO規格問題

ダンプカーのタイヤが歩行者にぶつかった事故、心臓の大動脈が切れて骨が折れまくりだった(ガハろぐ)

 自分の世代だと大型車のタイヤ脱輪というと「空飛ぶタイヤ事件」こと三菱ふそうのリコール隠し事件に絡む死亡事故が真っ先に思い浮かぶのですが、その時の事故と似たような事件がこのほど発生しています。内容なリンク先のまとめ記事を見てもらえばわかるのですが、ダンプカーから脱輪したタイヤが歩行者にぶつかり、即死こそ免れたものの重篤な怪我を負ったとのことです。
 実はこの報道を見る以前から、いずれこういう事件が起こるのではとはっきり予想していました。というのも、大型車のタイヤ脱輪案件は2011年の11件から、2020年には131件と12倍にまで激増しているからです。


 知ってる人には早いですが、この脱輪激走の理由は非常にはっきりしています。というのも激増し始めた年より日本で、トラックのタイヤを締めるねじの規格が左ねじから右ねじに切り変わったためです。

 従来、日本では上記のねじ規格、というよりねじを回す方向はタイヤの回転方向とは反対の左ねじが採用されていました。左ねじが採用されていた理由としては、ねじに緩みがあればタイヤの回転によって自然と締まるようにするためでした。
 しかしそれがどうも2010年、ISO規格に合わせるという名目で右ねじに切り替えられてしまいました。その結果、タイヤの回転方向とねじが緩む方向が同じとなり、タイヤの脱輪を誘発するのではないかと懸念されていたようです。実際にというか、ねじ規格の切替え以降より大型車のタイヤ脱輪事故が物の見事に激増しており、はっきり言ってこのねじ規格が原因としか思えない有様となっています。

 冒頭の三菱ふそうの事件は三菱のリコール隠しが原因でしたが、今日本で起きているタイヤ脱輪事件の激増に関しては、上記の通りねじ規格が原因であれば、官製多段事故といってもいいでしょう。明らかに理に適っていない改変であり、これ以上事故被害者を出さないためにもねじ規格は元の左ねじに戻すべきでしょう。
 なおISO規格に関しては、左通行の日本(及び英国)と右通行のそれ以外の国との差によってねじ種類が違っていたという説を前にネットで見ました。だとすれば日本の交通事情にハナからあっていない改変だったと言わざるを得ず、なんでこんな切替えしたんだと日本の官僚の馬鹿さ加減に反吐が出ます。

2022年1月13日木曜日

江歌事件に対する中国の反応

日本で起きた中国人留学生殺害めぐる訴訟、元ルームメートに経済損失と慰謝料支払い命じる判決―中国(レコードチャイナ)

 この記事の見出しは当初は「中国人留学生殺人事件」にしようかとも考えましたが、中国人留学生が絡む殺人事件はこれまでに日本で何件か発生しており、混同を招く恐れがあるとして被害者である江歌の氏名を取りこの見出しにしました。

 この事件に浮いては自分も今日出ていた日本の報道で知ったのですが、なかなかに衝撃的であるとともに、その後ネットで見てみた中国人の反応も極めて大きいことに素直に驚きました。
 発端となった事件のあらましについては、以下の日経ビジネスの記事が非常に詳しく書いております。


 自分の方から簡単に説明すると、2016年に中国人女性留学生の江歌が別の中国人男性留学生(陳世峰)にナイフで刺殺されるという事件が起きます。この中国人男性留学生はかねてから別の中国人女
性留学生(劉鑫)と交際していたものの喧嘩別れし、相手に対し復縁を執拗に迫っていました。具体的には、復縁しなければリベンジポルノをお前の両親に送るなどと言っていたようです。
 こうした行為を受け劉鑫は知り合いの江歌を頼り、江歌も彼女を自宅アパートに匿ったのですがその住所(中野区)も陳世峰に嗅ぎつけられ、江歌と劉鑫が二人で帰宅したところ待ち伏せされていました。三人は部屋の前で口論となってこの際に陳世峰が刃物を抜いて暴れ出そうとしたところ、劉鑫は隙を見て部屋の中に入り込み、まだ江歌が外にいるにもかかわらずドアのカギを締めたそうです。

 これに逆上した陳世峰が江歌を刺殺したというのが事のあらましで、いうなれば別のカップルの痴情のもつれに巻き込まれて江歌が殺されてしまったという事件でした。事件後に逃げた陳世峰はその後日本国内で捕まり、日本の裁判で懲役20年の判決が出て現在も収監されています。

 ただこの事件はこれで終わりではありませんでした。事件後、江歌が1歳の頃に夫と離婚してから女手一つで彼女を育ててきた母親が事件直後、劉鑫に当時の状況を尋ねたところ、劉鑫は自分が江歌を見殺しにしたことを隠したどころか、相手が自分の元カレだということも言わず、突然見知らぬ男性に江歌が殺されたなどと話したそうです。
 その後、犯人が捕まって劉鑫が保身のため嘘をついたことがわかるも、劉鑫側は一切謝罪の言葉を出さず、母親との連絡も一切断ってきたそうです。

 こうした状況を受け母親はネット上で事件内容と劉鑫側の態度を公開した上で、犯人の陳世峰の死刑嘆願の署名を集めるなどの活動を行いました。それに対し劉鑫は中国側の報道を見ると、どうも母親について「娘の死を金稼ぎの手段にしている」などと発信したほか、「江歌は同性愛者だった。日本のバイト先も風俗店だった」などと事実と異なる発信を繰り返したそうです。
 度重なる侮辱、それ以前に娘を見殺しにした事実から母親は劉鑫を「娘の生存権を脅かした」という事由で提訴し、今月10日の審理で裁判所は母親の訴えを認め、劉鑫に対し約1300万円の賠償金を支払うことを命じる判決を出したわけです。なお母親は、この賠償金はすべて学費に困窮する子女の支援に用いる予定だと話しています。

 最初にも書いた通り、この事件に対する中国側の反応は非常に大きく、ネットで検索をかけたところ多くの人やメディアがこの件について取り上げています。反応は基本的に「正義は勝つ」、「頑張ってきた母親が報われた」などと判決に対し肯定的なものばかりで、むしろ否定的なものは見られません。私自身も同じような感情で、母親に対し非常に同情を覚えるとともに報われる結果になってよかったという気がします。

 もっとも実際に殺害した陳世峰についても、母親は日本での懲役を終え中国に帰国した際に必ず裁判を起こして死刑に追い込むと話しており、まだその戦いは完全には終わっていません。ありのままに言うと、この際日本は陳世峰を適当に理由つけて仮釈放して中国に送り返した方が母親にとってもいいのではという気がします。中国なら期待を裏切らず、速攻で陳世峰を死刑にしてくれそうだし。

 もう少しこの事件について触れると、先にも書いた通りに中国側の反応は非常に大きく、自分が見た記事では殺害現場となったマンションの廊下の写真まで掲載しているほか、陳世峰が食べているであろう日本の刑務所の食事も写真付きで紹介し、必要以上に豪華だなどと書いてたりしてました。また江歌とその母親についても細かに紹介していて、「ナルト」が好きで日本語を専攻するようになったなどと書いてあったほか、貧乏ながら他の子と差をつけないように母親が大事に育てていたことなどが紹介されていました。

 自分自身も現役や元中国人留学生などと交流することがあり、その親とも会うこともありましたが、やはりどの親も自分の子供が異国の地で暮らしていることについて非常に不安そうにしていることが印象に残っています。それだけに異国で、しかも完全な巻き添えで殺されてしまった母親に対しては強い同情を覚えるとともに、恐らくほかの中国人も同じような気持ちでこの事件に対する注目が強いのだろうと想像されます。
 いつの世もクズが生き残り、しっかりした善良な人ほど死んでしまうというケースが非常に多いですが、だからと言ってそれが当たり前と割り切るのは違うと自分は思います。だからこそクズを殺し、善良な人を生かす努力こそもっとみんなでやるべきだと思え、この母親の活動こそまさにそうした応援すべき活動であるように思うというのが自分の結論です。

2022年1月12日水曜日

お金があっても欲しいものはない

「もう買いたいモノがない」日本人の消費のリアル(東洋経済)

 上の記事は読んでみてよく今の状況書いてるなと思ってましたが、あちこちの掲示板まとめ記事にも引用されており、恐らくほかにも多くの人が同じようなことを感じたのだと思います。自分も以前に成人男性の消費志向を調べた際、本当にこれと言って成人男性がお金をかけてほしがるようなものが見当たらず、強いてあげれば髪の毛くらいだったのでアデランスの株買ったところ痛い目見ました(ヽ´ω`)

 それこそ90年代くらいであれば自動車が男性の大きな消費先でしたが現代においてはごく一部の人間にしか当てはまらなくなり、PCも自作する人はおろか、パッケージ製品でもスマホにやられて個人で購入する人も減ってきているように見えます。スマホは一時期はまだ消費先として成立してましたが、最近だと中古スマホがよく売れているというニュースが出てくる辺り、こちらももう高額な商品を率先して買おうという人はかなり減ってきている気がします。バルミューダはどうだか知らんけど。

 何気にこの状況、実は中国も同じで、この前女性の同僚とその旦那と一緒に食事した際にいつもの癖で根掘り葉掘り聞いてみたのですが、まず中国の成人の場合は夫婦なんか特に住宅ローンに追い立てられており、個人としての消費でも女性はともかく男性にはこれと言って明確な消費集中先はないという見解が示されました。敢えて挙げるとしたら車とのことで、私自身の見方も同感であり、感覚的には今の中国が90年代の日本に近い消費感覚である気がします。

 話は日本に戻りますが、真面目に今の日本人男性に関してはお金があっても使い道がない状態になっている人が自分を含め少なくないでしょう。自分自身も最後に物欲かき立てられたのはメタリックブルーの不動明王像くらいで、これ以降となるとお金いくら払ってでも欲しいと感じたものはこの数年間一つもありません。
 「頑張った自分へのご褒美」的に高島屋で茶碗を買ったりすることはあるものの、これもどちらかというとストレス解消のため無理して買っている感が自分でもあり、明確に欲しいと感じて買うケースではないです。ゲームに関しても、前と比べて早く遊びたいと感じるほどのゲームはほとんどなく、11月に買ったPCのRPGゲームはまだ楽しめたし買う前から期待が高かったものの、それ以外となると本当に買って遊びたいと感じることすらほとんどありません。

 では自分は何にお金使っているのかというと、強いて言えばたまに行くスーパー銭湯くらいで、あとはこれまたたまに、といっても月1で確実に買っているプラモくらいです。そのプラモも主要な現行戦闘機は作り終え、自動車もある程度こなしてきたため、やはり以前と比べると情熱が落ちてきています。まぁ買うけど。

 ただ状況が違えばいろいろ買ってみたいものとして家具ことインテリアがあります。今の部屋はそんなスペースもないためあまり弄れないのですが、もし自由に弄れるスペースがあれば敷物とか引き出しに意匠を凝らして、入った人がぎょっとするような謎の部屋とかをいろいろ作ってみたく、そのためだったらお金を消費することも厭いません。そう考えると自分の場合は、かえって今の生活が安定し過ぎているために消費が疎かになっている感があります。

 後今思いついたけど、ペット市場の拡大も根本的にはこの問題が影響しているのかもしれません。お金の消費先がないからペットのために無限に消費できているのかもというわけで、市場も人間よりペット向け商品の開発に力入れている感じすらあります。元を辿れば「高くても買いたい」と思わせる商品の開発を放棄し、「安くて売れる」商品ばかり日系企業が開発してきたのが今の現状だと考えているのですが。

 最後に、やや文学的な言い方となりますが、今の日本人が本当にお金をかけてでも買いたいものは何かというと、ずばり「安心」だと思います。リタイアから昇天に至るまでの生活を完全に保障するサービスで明確な価格を示せば、多分売れるんじゃないかな。

奈良グルメ

冬の奈良・白毫寺から奈良市内の絶景が見えた(JBpress)

 上の記事は自分が書いた記事じゃないですが、これが掲載されているのを見て、「JBpressも載せる記事が他にないのか、こんな記事見て誰が喜ぶんだ俺以外」にと思いました。ぶっちゃけ掲載されている写真見て、「あ、あの辺りやな」とか思ったりしてます。

 そんな奈良観光についてですが、大分前にも同じこと書いた気がしますが、奈良は鹿というキラーコンテンツを抱えているだけでなく、歴史的文化的にも東大寺や興福寺、石舞台古墳など重要史跡を大量に抱え、且つ飛鳥山を始め自然も満ち溢れています。もっとも奈良南部に行けば人類に牙向くくらい自然に溢れすぎているんだけど。
 そんな奈良にとって唯一、観光面で明確な弱点となっているのはグルメです。奈良には名物といえる料理や食べ物がガチで全くなく、これが一番の泣き所になっていると自分は分析しています。交通アクセスは無視しておいて。

 この件について親戚の奈良大好きおじさんとも話しましたが、一応は奈良漬けや茶粥という独自の料理はあるものの、どちらもかなり癖のある料理で汎用性には欠けます。もう少しとっつきやすい、且つなるべく若い女性が好みそうなものはないかと話したところ、「せや、奈良は意外と洋食が強いんやで!」と言われましたが、「いや、それ奈良以外の人誰も知らない(;´・ω・)」と私は答え、ちょっとくくりとしては弱いし、洋食だと京都相手だとやや分が悪い気もしました。

 じゃあどうすればいいかとなると、この際だから一から新しい名物料理を作った方がむしろ早いと考えています。そのため日がな私も新たな奈良料理について模索し続けているのですが、

・鹿バーガー:さすがにやばい
・ナラミス:ティラミスを改造してやれば……
・奈良せんべい:ライバルはぬれせんべい
・奈良ん茶:イタリアマフィアは関係ない
・ナラドナルド:自分でも迷走してきたと感じる
・奈良式タイ料理:上の奈良大好きおじさんがタイ料理好きでよく一緒に行くから
・柿料理:法隆寺とセットならイメージを持たせやすい

 このようにいろいろ考えては口に出さずに腹に抱えるだけの毎日となっています。っていうか本当に意味の分からないことを自分でもしているなという気がします。
 でも本当に最近里心出てきたというか、奈良で2DKの部屋借りて毎日一人で茶会とかしていたいと夢想する毎日です。そもそも奈良は自分のお里ではないですが。

2022年1月10日月曜日

コロナでブラック企業減ってない?

 扁桃腺が痛む前まで、つまり去年までは常に時間が足りてなかったのに、なんか扁桃腺で痛い思いしてからやたら時間余るようになり、仕方ないので買い置きしていたゲームの「オクトパストラベラー」しています。じゃあ時間なかったときは何に忙しかったのかというと別のゲームで忙しく、もしかして積みゲーが減ってきているだけなのかもしれません。
 時間余ってるし、今度計画している財閥の歴史記事を今のうちにもう書いちゃおうかなぁ。

 話は本題ですがコロナが流行してからなんかブラック企業の話題減ったなという気が今日しました。かねてから具体的な評価指標もなく報道数だけで大賞を決めていると批判してきたブラック企業大賞ものぞいてみたところ、なんか「労働問題で忙しいから今年は選出を中止した」というよくわからない理由が書かれてありました。そもそも報道数だけでしか見てないのに忙しいもクソもない気がするのですが、その肝心のブラック企業の報道が去年とかほとんどなかったのが真の原因でしょう。

 では何故ブラック企業関連報道が減っているのか。単純にコロナが原因でそれ以外ないでしょう。
 まずコロナで一部リモートワークが実施されるなど、労働者側で雇用形態に幅が広がり、単純にこの点は勤務負担の軽減という面でプラスになったと言えるでしょう。またブラック企業が発生しやすい飲食を含むサービス業界は、皮肉なことにコロナで営業そのものができない事態となっており、従業員をバカスカ働かせようにも営業できないという自体からこの手のブラック企業行為も激減しているのではないかと予想しています。

 無論、目に見えないだけでブラック企業は今もどこかでたくさん存在するでしょうが、それでも以前と比べるとかなり目立たなくなっているように見えます。ある意味ブラック企業というのは、経済がよく回っている環境だからこそ成立する面もあり、かえって不況期の方がその存在は小さくなるものなのかもしれません。
 また日本の場合だと雇用調整金が割ときちんと配られたこともあり、深刻な雇用不安問題はまだ起きていないように見えます。この点もブラック企業減少に一役買っているところがあるでしょう。

 ただ、エレキを中心に産業競争力をまるきり失っている業界とか出てきていることの方が、ある意味ブラック企業より恐ろしいのかもしれません。前にも記事書きましたが今の日本は自動車と素材産業くらいしかまともに外貨稼げるものはなく、サービス業なら一応コンビニ業は世界最強だと思うけど、それ以外の産業で海外と渡り合えるものって言ったらほんと何も浮かんでこない始末です。
 一応、医療機器なら一部セグメントでまだ有力なものがあり、この際だから家電業界への補助金すべてを医療医薬業界に全部回すのも手であるような気がします。といってもこの分野も中国が今かなり金かけてきているので、競合する恐れがあるから避けた方がいいのかもなぁ。

2022年1月9日日曜日

一澤帆布裁判の後出し遺言状問題について

 この前伊達騒動を調べていたら、「伊達騒動→お家騒動→一澤帆布」にたどり着いたので、もうだいぶ年月経ったけど一澤帆布の例の裁判問題について、改めて一審がおかし過ぎると感じるのでその辺まとめます。

一澤帆布工業(Wikipedia)

 一澤帆布とは京都にある老舗カバンメーカーで、業界では高い知名度と評判もあってブランド力が高く、なんや同志社小学校もわざわざここにランドセル作らせているそうです。そんな老舗カバンメーカーの一澤帆布ですが、時分が学生時代で京都にいた頃、一番お家騒動がホットな会社というか、裁判がかなり盛り上がっててよくニュースにも取り上げられていました。

 どういった裁判だったのか概要を説明すると、2001年に先代に当たる会長が亡くなり、顧問弁護士に預けられていた遺書に従って会社株式は家業を継いで当時から社長だった三男に2/3を、同じくカバン職人となっていた四男に1/3を継承することとなりました。なお、家業を継がずに遠隔地で銀行員になっていた長男には預金が残され、次男については既に物故していました(以下、名前を書くとややこしいため長男、三男などと表記)。
 ところが遺言書の開封から4ヶ月後、「実は俺も遺言書を受け取っていた」と何故かいきなり長男が新たな遺言書を持ってきました。その内容というのも、長男に株式の80%を、四男に20%を継承させるという長男と四男に異常に有利な内容で、家業も継いでないのになんでこうなんねんと大騒ぎになりました。

 しかもその長男が後だしでもって来た遺言書ですが、

・便せんにボールペン書き(最初の遺言状は巻紙に毛筆)
・印鑑の文字が先代が使うことを嫌っていた「一澤」になっている
・作成日付時点で先代は脳梗塞でまともに文字が書けない状態だった

 以上のようにツッコミどころが満載で、もしかしたら面白いギャグのつもりで出してきたのかもしれませんが、何を思ったかどちらの遺言状が本物かで裁判になり、第一審では「偽物とは言い切れない」という判断から、日付がうしろということもあり長男側の遺言状に従い相続が行われることとなってしまいました。

 この結果、当時社長だった三男は会社から追い出されたのですが、これに会社の職人たちは反発して出ていき、三男とともに新会社を作って対抗することとしました。一方、長男と四男はタッグ組んで元の会社で新たに職人を雇い、ここに二つの「一澤帆布」が生まれることと相成ったわけです。

 その後の経過ですが、訴訟権の残されていた三男の嫁が提訴することで二審へと至ることができ、その二審で「長男の遺言状は偽物」という結論から一審の効力がなくなり、三男は無事に元の会社の経営権を取り戻すことが出来ました。
 たださらっと書いたこの経過ですが、二審判決(2008年)まで約7年の時間が経過しており、また三男の復帰時に長男側が雇った職人との解雇紛争も起きているなど、当事者方の負担は相当なものだったと推察されます。また長男側についた職人である四男はやっぱ追い出され、独立してカバン作ってるそうです。

 この裁判について自分の意見を述べると、やはり第一審の判断がおかし過ぎるということにつきます。判決理由は上にも書いた通り「偽物とは言い切れない」というものですが、むしろこれ逆で、「本物とは言い切れない」というべきだったのではないかと思います。仮にこの主張が通るのであれば、後出しで「偽物とは言い切れない」遺言状を出すことで、いくらでも世の中の相続を大混乱に追いやることが出来ちゃいます。
 それこそ仮に長男が父親の死亡直後に遺言状をすぐ出してきていたらまだ議論の余地はあったかもしれませんが、4ヶ月後になってこんな怪しい遺言状出してきておいて、その効力を裁判所が認めるなんて頭おかしいにもほどがあるでしょう。その結果として上にも書いた通り、関係者が長年にわたり多方面で面倒ごとに晒されたと考えると、一審の裁判官は日本を混乱するために送り込まれたKGB職員なのではないかとすら思えてきます。

 ただこういう相続というものは揉めないということはまずあり得ない儀式です。自分の親類でも結構いろいろあって、ひとつ例を出すと生前に親類から300万円借りていた人が、貸し手が死んだ後に知らんぷりして遺族に返済しようとしなかったことがあり、人の欲は深いなと当時思いました。
 自分に関してはソ連人民の敵である親父に対し、「親の遺産を頼っては名折れになる」といって一切の相続を拒否する意向をすでに示していますが、内心自分でも今の立場だからそんなこと言えるのであって、もし金銭的に苦しい立場に置かれたら同じことを今後も言い続けられるのかという点で正直自信がないです。まぁそもそも相続するほど親父そんな財産もってないけど。

 そこで何が言いたいのかというと、相続の形式や手法についてそろそろ見直す時期に来ているんじゃないかなということです。電子情報化も進んでいるのだし、この一澤帆布のような後出しを防ぐような制度や手段を取り入れたり、コンビニ行く感じで遺言登録できるようなシステムとか国が整備して作ってもいい気がします。でもって相続者は、そのシステムにアクセスすることで現在の総資産からどれだけ自分が相続できるのかという試算がいつでも見られたらなおいいでしょう。
 もっとも試算がすぐ見られたら、「今相続した方がお得だ(・∀・)」みたいになって、妙な殺人事件とか誘発しちゃったりするかもしれないけど。