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2022年9月12日月曜日

冷凍食品記事の裏側

冷凍食品の謎、日本では大人気なのになぜか中国人が食べない中華メニューとは(JBpress)

 というわけで今日出たこの記事ですが、個人的には今年一番目の付け所がプシャーな記事でめちゃ気に入っています。内容は読んでわかる通りに中国の冷凍食品市場の記事で、前々から日本とラインナップが異なることから記事化出来るネタとして温めてきたのですが、先週に他にいいネタもないことだからそろそろ放出しようと書き始めたところで、

「あれ、俺って冷凍チャーハンをここ数年一度も食べたことない?」

 という事実にはっと気が付き、すぐ周りにも確認して中国国内で冷凍チャーハンはほとんど流通していないことを確認しました。

 真面目にこの冷凍チャーハンの真実は、中国在住日本人のほぼすべてが見落としていた事実じゃないかと思います。私自身もこれまで一切気づかず、また同じような話題に触れる人を見たことがありません。日本では当たり前すぎるくらいに存在しているのに、中華料理なのに中国では一切見かけないこの状況はかなりおいしいと思い、また記事にも書いている通りにニチレイがちょっとマーケティングを強めていることも分かったので、一気にこのネタで書き上げました。まさに盲点を突いた記事であると自負しています。
 なお記事中にある、「日本人の方が中国人よりお米のこだわりが強い」というのは割と賢い知人OLのコメントで、このコメントも非常に生きました。マジ賢くて頼りになるあの子(´∀`*)ウフフ

 JBpressのランキングではさすがに1位は取れませんでしたが、4位くらいをうろついており、ウクライナ情勢などホットなニュースが多い中でこの順位は健闘している方だと思います。

 なおこのひとつ前の記事もインスタントラーメンと食品系の記事で出していますが、食品系の記事は調べている最中も書いてても楽しいので割と好きだったりします。というのも、単純に商品の質や価格以上に、文化的な側面が業績に大きく影響する分野であるだけに、自分の専門が社会学でもあるだけに、文化比較的な話で記事書けるのが面白いんだと思います。そういう意味では食品系のマーケティングは文化的な素養や知識が実は一番求められるのだという風にも思え、この点、時間あればニチレイとかにもじっくり取材してみたかったです。

戦場の記憶と記録 後編

 前回記事では漫画「機動戦士ガンダム デイアフタートゥモロー —カイ・シデンのレポートより—」で言及されている、「記憶と記録」の相互比較の重要性について少し触れました。この点についてもう少し触ると、例え本人に関する記憶であっても、時間とともに変化することはままあります。具体的には、十年前にある事実について語った内容が、十年後にはかなり異なる内容になるとかです。
 この点は半藤一利が戦後の旧軍人らへのインタビューで非常に多かったと話しており、大抵は自己弁護のため責任箇所をぼやかしたり、美化したりするような形で変容します。それに対し半藤一利は徹底的に記録を漁り、「当時の任地はここで、あんたはその場にいなかったはずだ」などと事実面から追及してたりしたそうです。
 
 一方、記録についても同じ事実内容が永遠にそのままというわけでもありません。時々の情勢や政治などによって記録が改竄される、都合のいい内容に置き換えられるということは古今数多く、中にはそれほど特段の事情がなくても、枝葉を切り落とすような感じで整理される過程で、なかったことにされる歴史も少なくありません。

 映画「父親たちの星条旗」で語られている内容なぞ、まさにその典型と言えます。現在、米国海兵隊のシンボルともなっている「硫黄島の星条旗」の写真ですが、現代においては当時の細かい事実背景なども詳細に記録されていますが、発表当時はいろいろと現場の事実とは異なる点が多かったそうです。
 具体的には、この写真は硫黄島で2度目に掲げられた旗でした。1度目に掲げた際に旗が小さく見栄えが悪いとのことで、改めて大きな旗を用意して撮影しなおしたものですが、発表当時はこの辺の事実はあまり語られなかったそうです。

 また1度目と2度目で旗を掲げたメンバーも異なっていたほか、2度目に掲げたメンバーも一1人が別人(1度目のメンバーだった)であったりしました。旗を掲げたメンバーらはその後国債募集のヒーローとして全米各地を回らせられるのですが、若干PTSDも入っていたメンバーもおり、その後精神病となった人もいました。
 そもそも、この旗が掲げられた当時はまだ硫黄島の戦闘は終わっておらず、1度目に掲げたメンバーも複数人が戦闘中に亡くなっています。こうした事実は後年になって当事者以外にも明らかになっていきましたが、当事者付近、具体的には遺族らはこうした自らが聞き及んだ事実との相違に苦しんだと言われます。

 こうした現場の事実と報道されている事実の相違を「父親たちの星条旗」は細かく取り上げており、私は見た当初は「そこまで気にするような内容なのかな」と正直思いました。しかし冒頭に挙げた「カイ・レポ」を読んで、実際に戦場を共にしたメンバーやその遺族らからすると、ほんの小さな事実の相違とはいえ、現場の記憶と報道内容との差はいかんともしがたいストレスを感じるものになりうるもので、それほどまでに戦場の記憶というのは深いものがあるのだという風に思えるようになりました。

 この点は今のウクライナ戦争においても言えるかもしれません。ロシア軍の軍人はロシア国内では正義のための戦争に出征していることになっていますが、実際は何の大義もなく、また多くの民間人が被害に遭い、ロシアを疎む現実から脱走兵も多いと言われ、実際に亡命した兵士らもロシア国内とウクライナの現場とのギャップに我慢できなかったとも語っています。
 戦場というのはやや特殊な環境であり、その刻まれる記憶も日常のものとは一線を画すとされ特に戦友との記憶は深いものといわれます。そうした戦争体験の記憶が報道、公式記録とギャップがあれば、他の一般人からしたらそうではないものの、当人らにとっては耐え難いものにもなりうる気がします。

 一方で冒頭でも語ったように、記憶は時とともに変容しやすいです。そうした意味でも、記憶と記録をともに絶対視せず、時折比較するということは非常に重要なプロセスとなりうると思います。そうした価値観を身に着けるに当たり、この漫画はマジおすすめです。



  

2022年9月11日日曜日

戦場の記憶と記録 前編

 中国は明日が中秋節でお休みなため三連休の真っただ中にあります。ちょうど自分の毎年における繁忙期が先週に完全に終わりをつげ、またJBpress記事も先週に出して(明日配信)今週は書く必要がないため、かなりリラックスした気持ちになれているのですが、緊張感がなくなって疲れが出たのか今日は割と重めの頭痛をして頭痛薬を先ほど飲んでテンション上げています。

 先月の段階ではそれこそ土日返上でずっと働いててキーボードの叩き過ぎで常に手が痛む状な状況だったのですが、DMMの電子書籍が半額セールしていて、ストレスが溜まってたこともあってか割と目につく漫画を片っ端からやけ買いしてました。そうして買っていた漫画の中に、ことぶきつかさ氏の「機動戦士ガンダム デイアフタートゥモロー ―カイ・シデンのメモリーより―」が含まれていました。


 この漫画はアニメのガンダムに登場するカイ・シデンというキャラクターを主人公に置き、彼の目から見たガンダム本編の裏側を見る、言い方を変えると作品設定の行間というか隙間を埋めるような作品となっています。最初に発表されたのはZガンダムを舞台にした「カイ・シデンのレポート」、通称「カイ・レポ」でしたが、非常に評価が高かったこともあり続編が期待されていました。
 その後、数年のインターバルを挟んで、「逆襲のシャア」の後の時代にいるカイが、初代ガンダムの1年戦争を振り返るという切り口で描かれたのが「カイ・シデンのメモリー」こと「カイ・メモ」でした。

 結論から言うと非常によく面白く、その作品構成上からセリフが異常に多い漫画なのですが、漫画の描き方が非常に巧みなこともあって読んでて文字の多さが気にならないほど滑らかに進行されています。またガンダムのキャラデザを元祖である安彦良和氏が推薦したというだけあって、ことぶき氏の描くガンダムキャラクターはどれも非常に原作に近く、雰囲気からして他の作家と一線を画すなど、再現性の高い作画となっています。
 特に圧巻なのが、主人公であるカイのセリフです。読んでて全くキャラに違和感がないというか、原作のカイだったら間違いなくこんな風に話すだろうと思わせる語り口で、ことぶき氏もカイが非常に好きなキャラだと話していますが、その本質を完全に掴み、カイというキャラの新たな姿をものの見事に生み出しているとすら感じます。

 なお自分の世代からすると、あの「セイバーマリオネット」のキャラデザをやって、「いけいけぼくらのVガンダム」を描いてたことぶき氏なだけに、こんな骨太な作品とのギャップを激しく感じます。まぁセイバーのキャラデザは確かに一時代を築いたけどさ。

 話を本題に戻しますが、二つの作品のうち「カイ・レポ」に関してはまだ、ジャーナリストであるカイから見たZガンダムの裏側的な物語で、面白くはあるけどよくあるガンダム系派生作品という印象でした。一方、「カイ・メモ」に関しては圧巻というべきか、安彦氏も述べているように「戦後」をはっきりと実感させられる唯一のガンダム作品といえ、その構成の妙は群を抜いていると感じます。

 具体的なあらすじを述べると、「逆襲のシャア」の戦後の時代において、かつてのジオン公国であるコロニー(サイド3)で、1年戦争展が行われることとなり、その監修としてカイが招かれます。案内役のコンパニオンのロゼを伴いながら、かつて自分が戦ったホワイトベースの企画展を回るカイですが、その見学中に自分の記憶とは異なる点をいくつか発見します。
 具体的には、第三者の介添えのあった戦果が当時のエースであったアムロや自分の戦果としてカウントされていたり、短いながらも一緒に戦った戦友が存在ごとなかったことにされたりしていました。

 どれも戦争全体からすれば些細な違いでしかなく、この企画展の目的(連邦が正義的)から察するに戦争の英雄であるアムロの存在を際立たせるための措置と考え、コンパニオンすら抗議するも、カイ自身は展示内容の修正を要求せず見なかったことにします。また「ジオンは悪、連邦は正義」という図式の展示内容と、次の戦争ビジネスのために元ジオン国民をやや煽るような展示に対して会場周辺では反対運動が起きており、それに対してもカイは他人事として見て見ぬふりを決め込もうとするのですが、展示会場内で自分のジャーナリストの原点ともいうべきあるものを見つけ、その初心を取り戻すと、一つの決心を行うというお話となっています。

 この作品のテーマは、上記にも書いた「記憶と記録のズレ」で、作中でも何度か言及されています。具体的には、「記憶は感情によって変化し、記録は情勢によって改竄される」と言明し、同じ過去の出来事であっても記憶と記録の間にはしばしばスレが生じるという事実をはっきり指摘しています。これは歴史学においても非常に重要な概念であり、まさにその通りというべきポイントです。
 その上でカイは作中にて、こうして記憶と記録を折に触れて比較することに価値があるとし、記録を見た上で、各自がそれぞれ異なる記憶を持ち合うことが大事であるということを口にします。暗に、記録は必ずしも絶対的なものではないというような意見であると自分には感じました。

 このくだりを読んで、自分は始めて映画の「父親たちの星条旗」の意味を理解することが出来ました。この点については、また次回に掘り下げます。


  

2022年9月10日土曜日

よんとつ


 こちらも作ったのは結構前ですが、二次大戦におけるドイツの4号戦車突撃砲のプラモを組み立てました。




 こちら戦車といっても突撃砲と呼ばれる兵器で、その大砲は普通の戦車と違って回頭せず、ほぼ真正面にしか撃てません。これは一体何故かというと、クソでかい大砲を置くために回頭する構造(砲塔)を取っ払って、大砲だけ乗っけたからです。


 なんでこんな戦車が生まれたのかというと、最大のきっかけはソ連のT-34という戦車でした。このT-34ですが、登場した時代を考えるとオーパーツ的に性能が極端に優れており、当時のドイツの3号戦車、4号戦車ではいくら砲弾を命中させても破壊できない一方、T-34からの砲撃をくらうとこっちは逆に一発で沈む有様だったようです。有体に言えば、初めてガンダムと戦ったザクみたいな状態だったそうです。
 なんでT-34がそんなすごかったのかというと、正面の装甲が目線に対して斜めとなる斜形装甲をしていたからです。砲弾が飛んでくるベクトルに対し装甲が斜めに入ることでその貫通力を劇的に抑えることができ、これにより同じ厚さの装甲でも、それ以前の戦車とは比べ物にならないほど耐貫通能力を持つに至りました。また装備している砲もやたら当時としては強力で、文字通り攻守に圧倒的に秀でる戦車でした。


 このT-34ショックを受けてドイツ軍では急ぎ対策が立てられたのですが、T-34の装甲をぶち破る砲を載せるとなると既存の戦車のシャシー(車台)では支えられないことがわかりました。そこで仕方ないので、でかい砲を載せるため、真正面しか撃てないけど砲塔を取っ払って無理やりシャシーに砲を乗っけるという案で生まれたのがこの4号戦車突撃砲、通称「四突(よんとつ)」でした。
 なお3号戦車バージョンは「三突(さんとつ)」といわれます。

 既存のシャシーをそのまま流用することからコストは比較的抑えられ、且つすぐ量産できて数を揃えられたことから、実際の戦闘においても活躍したそうです。ただ真正面にしか砲が撃てないことから側面の守備に弱く、対策としてつけられたのが「シュルツェン」と呼ばれる防弾壁でした。
 「シュルツェン」とはドイツ語で「エプロン」を意味する言葉で、薄い鉄板や金網で作られ、弾が当たった際にほんの少し弾道をそらすことで戦車内部への貫通を防ぐ役割を持っていました。今回このよんとつを自分が作ろうと思ったのも、このシュルツェンを付けた姿がかなり独特で見た目的におもろいと感じたからです。なんとなく両手シールドっぽく、ガンダムで言えばギャプランのようなイメージがあります。

 なお突撃砲にとって最大の敵は、戦車ではなく対戦車ライフルだったそうです。垂直に組み立てられた装甲のもろさはいかんともしがたく、至近距離から対戦車ライフルを打ち込まれるといい感じに操縦室に弾が入り込んで兵士を死に至らしめてたそうで、その対戦車ライフに対してもシュルツェンが結構役に立ったそうです。

 出来上がりの感じとしては、やはり砲塔がないため先に作ったT-34やシャーマンと比べるとやや見劣りする印象を覚えましたが、やはりその独特な形状、そしてシュルツェンを付けた姿(取り外し可能)から、徐々に味を感じるプラモとなっています。ただ元のキットが作られたのがやや古く、組立て時はやや組み立て辛さのようなものを覚えました。またオプションパーツもシャーマンと比べると少なかったです。

2022年9月7日水曜日

やっぱ国葬反対(^o^)丿

 今も話題が尽きない安倍元総理の国葬について私は先月、在任期間も長かったし外交の手段にもなるのだからやるだけなら別にいいのではと、賛同を示す記事を書きました。ただ現在、というより今準備されているこの国葬の中身を見て、節操がないと自覚しつつも一気に反対の方向に考えを改めました。

 直接的な原因としては、この国葬を仕切るイベント会社があの桜を見る会に係っていた会社だということを知ったからです。最初見た時はそれこそ本当に何かのギャグかと疑ったほどで、ある意味で安倍元総理に深い関係を持つ会社だろうけど、あれだけの騒動の中心にあった会社をここで使うなんて、国民を馬鹿にするのにもほどがあるでしょう。しかもあまり入札もせず1社単独応募というか発注だったそうで、最近何かと話題のオリンピックといい、いろいろよからぬ背後関係があるのではと思わざるを得ません。
 っていうか最低限、相見積りくらい取れよ。またはコストカットのためにカルロス・ゴーンでも呼んで来いとすら思います。オリンピックもゴーンに任せときゃ自分の懐に直接お金は入れただろうけど、全体のコストダウンはやってのけた気がします。

 また諸費用に関しても当初は2.5億円といっていたのが、もっともっとかかるよと話が進んできてから言い出すあたり、確信犯でしょう。さすがに批判の声が多かったことから警備費用などで16.6億円になると、当初隠していた具体的な金額をこのほど発表しましたが、実際にはもっとかかり、百億にも行くのではという観測が早くも出ています。
 内心、当初発表した2.5億円以上の費用に関しては、自民党が自己負担すりゃいいんじゃないかという気すらします。そしたらみんな丸く収まるだろうし、自民党も自己負担となれば費用について試験にコストダウンを検討するだろうから、誰もがハッピーになるでしょう。

 それにしても本当に岸田政権は目に見えて迷走してきています。円安対策もウクライナ対応も非常に中途半端になってるし、早けりゃ今年中かもしれません。

2022年9月4日日曜日

買ってはいけない(アウディ)

「テメェ遅えよ!!」ガススタの店員さんに横柄な態度の某自動車ディーラー営業が晒されるwwwwwwwww(ハム速)

 上のまとめ記事でアウディディーラーの店員がガソリンスタンドの店員に失礼な口きいたそうですが、これ見てあんま驚きないというか、やっぱそうなのかって気になりました。っていうのも、うちも以前にアウディにかなりやられてるからです。

 昔、ソ連人民の敵でドイツのものならなんでも信奉するうちの親父が見えはってアウディの車を買ったことがあったのですが、これがやばいくらい故障が多く、修理代だけでもう1台買えるほどの虚弱振りでした。結局その後三菱のギャランに乗り換えたのですが、こちらは逆にやばいくらい故障がなく、飲酒運転車に横腹へタックルされるまでほぼ一切故障することなく走り続けました。

 この体験、そしてよく外国車は壊れやすくて修理代が高いという評判から私自身、あまり外国車に対してあまりいい印象を持ってないのですが、前に見た報道では外国車が壊れやすいというよりも、輸入車を出荷前に整備するディーラーの不作為の方が大きいと書かれてありました。
 やはり本国と日本の車道では環境も異なり、また納車前の部品の検査や確認、必要なオーバーホールなどは、ディーラーの対応次第で仕上がる車が大きく異なってくるそうです。この点でベンツの特約代理店だったヤナセはそこそこよかったのか、日本では外国高級車ではベンツが強い立場となっています。まぁアウディも、ヤナセがやってた時代もありますが。

 なんとなく、上のアウディディーラーの対応の話を見て、やっぱ車本体よりもディーラーの質の方がその後の走行に大きく影響してくるのかなという気がしてきます。不動産みたく売りっぱなしではなく、自動車の場合はアフター消費の方がむしろでかいだけに、普通のディーラーは末永い付き合いを念頭としたサービスを行うのですが、外車だとその辺がやや売りっ放し的な価値観になりやすいのかもしれません。まぁどっちにしろ、自分がドイツ車を買うことは今後も一生ないでしょうが。

2022年9月2日金曜日

超級任天堂風遊戯手柄


 最近ストレスたまっているのか一人で爆買いしていて、電子書籍の漫画とかならともかく、何故かPCゲーム用コントローラーを買いまくっています。

 きっかけはこれまで使ってたのが「アストリブラ」で酷使し過ぎたのか方向キーの反応がおかしくなったので、折角だから今度は無線USBのコントローラー買おうと買ったところ、ちょい手持ち重く、また無線だと反応が少し遅れるというか変な挙動も感じたのですぐまた別のとして、上の写真のような有線USBコントローラーを買って、今日通販で届けられました。
 なお普通に撮影したのに、何故か写真は上下逆に反転させられて保存されました。顔認識されたのだろうか(;´・ω・)

 このコントローラー、見ての取り往年の「超級任天堂」ことスーパーファミコンのコントローラーを模したものとなっています。「8bitDo(八位堂)」というブランドの商品ですが、一目見て面白そうと思ったのと、タオパオだと先に買った二つのコントローラーを販売している「北通」というブランドの商品ばかりしか見当たらなかったので、別ブランドも試したかったのでこれにしました。
 なお値段は115元(2300円)で結構高かった(;´・ω・)この前に買った北通の無線コントローラーも同じくらいした(;´・ω・)

 早速箱を開けて本体を手に取ってみると、非常に小さいという印象を受けました。恐らくこれはかつてスーパーファミコンを遊んでいた頃と比べ自分の手が大きくなったのと、やや大きいプレステ用コントローラーに慣れてしまった反動故と思われます。ただ、表面にはそれこそかつてのスーパーファミコン用コントローラー同様のややザラザラした表面処理がなされており、手に持った感じの感触はかなり良かったです。
 でもって、さっそくこのコントローラーを使って「アストリブラ」を遊んでみましたが、思ってた以上にボタン押してて楽しかったです。やはり一番でかいのは任天堂が特許まで持っているあの十字キーがきちんと再現されており、これがかなり押しやすかったりします。もちろんアナログジョイスティックもあるのでこっちも使えますが、やっぱあの十字キーの形はかなり神ってたんだなと再認識ました。

 また最初気になったコントローラーサイズの小ささも使っていると段々気にならなくなり、他にも使えるコントローラーあるのに無駄な買い物したかなという気持ちもあったものの、案外こうして買ってみて良かったかもと今は満足感があります。

 にしてもこの8bitDo、このマウスはかなり反則な気がする。調子に乗ってまた買ってしまうべきかマジ悩む(´・ω・)