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2023年7月23日日曜日

比類なきゼネラリストであった原敬

 以前に何かの記事で、「原敬が暗殺された際に元老であった山縣有朋は大いに嘆いた」という記述を見て、強い違和感を覚えました。何故かというと、山縣はかねてより政党嫌いの超然主義者であり、また政敵(最初「性的」と表示されたがこれはこれで間違ってない気がする)であった伊藤博文に引き立てられる形で立憲政友会を引き継いだという立場からも、山縣にとっては完全に線対称でむしろ嫌われる立場にある人間ではないかと考えたからです。
 何故山縣はこのような立場的に対立するしかないような原敬にかような感情を抱いたのか、そうした疑問から以下の「原敬-「平民宰相」の虚像と実像 」(中公新書)を手に取ってみました。


 そもそも原敬について自分は、薩長閥でない初の平民出身の総理となったものの普通選挙法の実施にはやや否定的で、また財閥など大勢力を贔屓にする政策を取ったことから人気を亡くし最終的には暗殺された人物だとみていました。そのほか人柄に関してはやや怜悧な人物で、頭は切れるがやや人望が薄く、慕う人間もそんなに多くなかったという風な印象を覚えていました。

 上記のような私の印象は根本的なところで間違ってはいないものの、あまり語られることが少ない人物でもあることから、その人物の本質については自分はあまり理解できていないかったと今回この本を読んで感じました。具体的には見出しにも掲げている通り、原敬は同時代において比類なきゼネラリストともいうべき人物で、総理になるべくしてなったというような凄まじい経歴と能力の持ち主であったという風に考えを改めています。

 具体的にはその経歴を追う方が早いです。
 盛岡藩の家老の家として生まれるも戊辰戦争後に父はなくなり、家は傾き、立身出世を目指して東京に出てあちこちの学校に入ってはやめてを繰り返して、最終的には法曹官僚育成学校であった司法省報学校に通うようになります。ただここで騒動に巻き込まれたことから退学を余儀なくされ、官界への道は一時絶たれるのですが、伝手を頼りに新聞社(郵便報知新聞)に就職することとなります。

 その後、しばらくはジャーナリストとして活動し、財界ともこの時期にパイプを作ります。ただ新聞社内の派閥抗争に巻き込まれてまた退社を余儀なくされますが、井上馨との縁があり、彼の引き立てでフランス語が使えることから外務省へ入省し、外交官となります。この外交官時代に伊藤博文とも知己を得て、有能ぶりが各所から認められたのですが、その後に外務大臣となり後に政敵となる大隈重信には嫌われ、外務省を追い出される形で今度は農商務省に移ります。そこで新たに上司となったのが、陸奥宗光でした。
 陸奥から信頼されるとともに高く引き上げられた原敬はそのまま陸奥の秘書のような立場となり、陸奥が官界にいる間はずっとサポートし続けます。ただ陸奥が病気となって官界を去るや原もいったんは官僚をやめ、再び新聞社の経営者となりますが、政界、財界、官界にパイプを持ち、尚且つ有能と認めていた伊藤博文の引きにより、立憲政友会の創設メンバーに引き入れられます。

 こうして政治家となった原は伊藤、次いで西園寺公望の片腕となり自他ともに認める政友会の幹部として明治後半期を過ごします。西園寺が政界から引いた後は、自らの人望のなさを自覚してか政友会を集団合議体制にしますが、徐々に党内からも信頼を得たのと、同じ党内のライバルであった松田正久が逝去してからは正式に党首となり、持ち前の頭脳を使って政友会を引っ張り、選挙で度々勝利を収めていきます。

 ただ、総理になるに当たっては当時は元老の指名が絶対必要であり、実質的に藩閥出身者にまだ限られていました。しかし藩閥出身者のうち児玉源太郎や桂太郎などが早くに亡くなり、これという後継もなくなったことで徐々に人選に事欠くようになってきました。チャンスは近いと考えた原は驚くことに、ここで総理就任に当たっての最難関となる山縣有朋を度々訪問し、関係の悪さを率先して修復するように動いたそうです。
 実際、山縣は政党出身者、というより政党に政権を任せてはポピュリズムに走ると懸念していたそうなのですが、原と会って話をするうちに原のことを信頼するようになり、何より政界、官界、財界、果てには貴族院ともパイプを持ちつつ利害調整に長けていた原のことを、物事を総合的に判断できる人物であると信頼するようになったそうです。

 その後、大隈内閣、寺内内閣が世論の批判を受け倒れた後、山縣は当初は西園寺に再登板を促したものの本人が固辞し、またその西園寺からの推薦を受け、原を総理とすることを決断したそうです。

 以上の原の経歴を追っていくと、ジャーナリスト、官僚、(新聞社)経営者、政党政治家といくつもの経歴を渡り歩いており、また官僚時代は外交や経済分野に携わり、政党に入党してからは党内運営や他党との交渉や対策もこなすなど、マジで何でもかんでもやってきています。唯一、本人が苦手と自覚していたのは財税政策で、「過去に要請があったのだから財務大臣をやっとけばよかった」と述べていたそうです。
 そんなもんだから自分が総理の時は財税においては高橋是清にほぼ一任していたそうです。

 実際に原の総理時代の功績を見ると、非常に利に適っているというか高所的判断による施策が多いです。ただマクロ過ぎる政策のため末端の一般市民からすればないがしろにされているとみられたのも無理なく、それが彼の暗殺を招いたというのは真に不幸というよりほかないです。
 地味に驚いたのは、晩年に特に力を入れていたのは後に昭和天皇となる皇太子の摂政就任だったそうです。前準備として皇太子を欧州歴訪に送り出すなどしており、病気がちな大正天皇に変わる執行システムとして、皇室の継続と運営にもかなり気を配っていたことがわかります。
 なお大正天皇と原敬はかなり仲が良く、大正天皇からは頼りにされていたそうです。

 やはり心があったまるようなホットなエピソードが少なく、怜悧で有能な官僚としてのイメージが強いですが、こと政治家、それ以前にトップ運営者としての才能と実力で原敬は明らかに抜きんでた人物であったと、今回思い知らされました。近年の総理でいえば、福田康夫総理に近かったような気がします。
 一方、同時代の原の政敵であり後に普通選挙法を実現する加藤高明に関しては、完全なポピュリストであり、別に崇高な自由平等思想があったわけじゃなく党利党略のためだけに生きてきた人物だったのだなとやや見下げた印象を覚えました。実際、普通選挙法の施行により藩閥勢力は衰えたけど、その代わり軍部が台頭して日本はおかしな方向に向くことになったのだし。

2023年7月21日金曜日

日本人の見えない理想のリーダー像

 最近頭の中を「草履取りが草履になる」という謎の単語がずっと駆け巡っています。かなりファンタジーな展開だと思う。

 話は本題ですが、かねてから私は昨今の日本の低迷や混乱に関しては「これという人材が世に出てこない」ということが原因だと主張しています。政治家など枢要な職位に関しては維新の会を筆頭に、本人の実力以前にただ単に目立ちたがり屋ばかりがこのところ多く、また政党も票を得るため芸能人をはじめただ目立つ人ばかり候補に採用し、自分の知る過去の時代と比べても政治家の質は間違いなく下がっていると感じます。
 また企業に関してもいわゆるサラリーマン的経営者が多く、事業拡大よりも維持の方に目が行くばかりか、中には世間慣れしてなくて話題のビッグモーターをはじめ口を開けば自社への批判をさらに炎上させるしかないなど、一般人として見てもやばい奴が何故か上の地位に就くことがよく見られます。

 こうした情勢を見て私は、人材自体は全くいないわけではないものの、優秀な人材が上に上がってこない日本の昇進システムに欠陥があるのではないかと睨み、このブログでもそうした持論を展開してきました。そこそこ自信をもって主張している持論ですが、そもそも何故優秀な人材が上に上がってこないのかという背景については、日本人的な保守的な集団思想が大きいと前から思いつつも、そうはいっても昭和はそこそこの人材が上がってきていたことと矛盾もしており、なんか意見が弱いなとこの前ふと感じました。その上で、「そもそも、日本人はどんな人をリーダーとして扱うのだろうか?」という疑問を覚えました。

 最近見ないですが、以前はよく「上司にしたい有名人ランキング」などが行われ、北野武氏やイチローなどがよく上位にいました。最近だとこうしたランキングを見る機会が減りましたが、今やったら恐らくWBCを制した栗山監督辺りが上位に入ってくるような気がします。
 このような上司、リーダーに求められる人材、要素に関して、なんか最近これはという固定的な意見を見る機会が減っているように思えます。具体的なリーダーのモデルを挙げるとしたら、

1、チームを強い目的意識をもって引っ張る理念(カリスマ)型
2、集団の利害を調整してうまく話をまとめる調整型
3、単純に実力が高く誰も逆らえないから従わせられる強権(エース)型

 大きく区分するとしたら恐らくこの三つに分類されると思います。卑近な三国志の例で言えば、1は劉備、2は孫権、3は呂布みたいなイメージになるでしょう。

 代々、日本においてはやはり2番の調整型がリーダーとして求められる傾向が強く、私が子供だった頃もこの手のタイプがやはりリーダーに推されやすかった気がします。小渕総理なんかまさにその典型でしょう。
 しかし現代において、なんかこの手の調整型はリーダーとしてあまり好ましいと思われていないような気がします。現在の岸田総理なんかまさにこの調整型だと自称していますが、実際にそれだけの調整力があるかどうかは別として、「そんなの求めてない」的に政権の不人気にもつながっているようにすら見えます。

 一方、3番の暴君型ともいうべきタイプは一時期はロシアのプーチンなどが日本でも持てはやされ、強いリーダーが求められたような空気を感じましたが、最近だと同じく独裁色の強い中国などを見てか、日本国内でもこうした強権型はやや距離が置かれている気がします。1のカリスマ型に至っては論外というか、理念よりも経済や賃金などの現実が重視されている時代もあって全くお呼びでない感じすらします。

 さすがに政治家トップレベルとなるとリーダー像でもめるのはわかるのですが、もっと小集団、具体的には企業トップや組織内チームトップに対する理想像でも、なんかあまり今の日本を見ているとこれといった固定的理想像がない気がします。強いて言えばパワハラ、セクハラなど暴力は論外というのが大前提で、それさえ守られればどうでもいいといったような見方があるような気がします。

 思うにこうした求めるリーダー像の欠如が、よくわからないというか上げてはならない人間が上に上がってきてしまう要因の一つになっているような気がします。誰を推戴すればいいのかわからないがゆえに、自らが上の地位に就きたいと望む目立ちたがり屋が空席を取ってしまい、やばい奴が上にきてしまうような構図なんじゃないかというのが自分の見立てです。

 では自分自身はどんな人にリーダーになってほしいかというと、はっきり言えば権限と責任をきちんと区分してくれる人だと助かることが多いです。どこからどこまでを自分の判断でやっていいのかはっきり境界をつけ、その範囲内で自由にやらせてくれると自分としては仕事しやすいのですが、日本型組織だとまさにこうした責任権限の区分が苦手、というかわざと曖昧にするので、日本の組織がいかに自分に合ってないのかを改めて痛感します。
 この手の権限移譲(担当)型リーダーでいえば小泉元総理辺りが近い気がします。よく投げっぱなしなどと言われましたが、あの頃は各大臣の個性もはっきり見られて楽しかった。

2023年7月19日水曜日

ガシャ商法は誰が発明したのか?

 最近このブログでもずっと書いていますが、「アクション対魔忍」をまだ遊んでいます。使用キャラは、

    秋山凛子→桃地凪→甲河アスカ

 という風に変遷していますが、お嬢様ルックな髪型して必殺技がミサイルや正拳突きなどとやたらとごつい設定な甲河アスカは稀有なキャラクターだなと密かに感じています。このキャラが人気出るのもなんかわかる気がします。

 それはさておきこの「アクション対魔忍」はジャンルでいえばいわゆるソーシャルゲームに属します。ソーシャルゲームの定義は恐らくいくつか分かれるものがあると思いますが、比較的幅広く許容される定義となれば以下の条件が当てはまるゲームを指すと思います。

・SNSなどウェブブラウザ上で動作する
・プレイすること自体は基本的に無料(=買い切り型ではない)
・ゲーム内のアイテムなどを有料で販売(=課金)することで売上を得る
・プレイヤー同士の交流要素(対戦、ポイント付与、アイテム交換など)が含まれている。

 以上の条件が基本ですが、これに加えるとしたらやはり主要な課金手段である「ガチャ」も、ソーシャルゲームの絶対条件に含んでもいいと思います。

 このソーシャルゲームにおける「ガチャ」とは何かですが、自分の言葉で言えば「ゲーム内で得られるポイントまたは料金を支払うことでゲーム内で使用できるアイテムなどを取得するくじを引く行為」となります。
 ちなみに中国語だと「盲盒(マンフー、見えないカプセル)」と呼びます。

 基本無料のソーシャルゲームにおいてガチャは、運営側が売上を得る主要な手段となるだけに、ゲームにおいても非常に重要な要素です。それだけに運営側としてはあの手この手でプレイヤーにガチャを引かせようとするのですが、そうした誘導が露骨過ぎればユーザー離れを引き起こすことにもなります。有名なのだと「課金へのこだわり」というパワーワードを出した「ブレスオブファイア」だと勝手に思っています。
 一方、ユーザー側としてはなるべくこのガチャで出費せずにゲームを有利に運ばせたいと思うのが心情です。こうした両者の価値観ギャップをどう埋めるのかが、運営の腕の見せ所でしょう。

 話を「アクション対魔忍」に戻すと、ソーシャルゲームらしくこのゲームでも武器やサポーターキャラがアイテムとなっていて、基本的にガチャを通して入手するようにできています。このガチャの仕組みについては漫画で今度ドラマ化する「トリリオンゲーム」でも取り上げられているのですが、如何にしてユーザーからお金を取るか、いろいろ考えられています。

 具体的には、「期間限定キャンペーン」みたいに期限を定めて通常より安く多くのアイテムを得られるキャンペーンを度々打つ。また欲しいものがなかなか取れない人のために、一定回数以上引いた人にはいいアイテムを無償で提供する。このほか、ゲーム攻略上で不足しているアイテムを優先的に取得できるように確率を操作するなど、いろいろ手口があるそうです。

 そうした前知識を持って「アクション対魔忍」を遊んでいると、上記の定石通りなガチャ商法がまさに展開されており、ユーザーにお金使ってもらうためにいろんな工夫をしているんだなと改めて感じます。

 なおソーシャルゲームは過去に「パズドラ」をやっていましたが、当時は完全無課金を通してランク200まで行きました。それ以降は一次大戦後のドイツみたく無限にインフレが続くと感じたため、スパっとやめました。今回の「アクション対魔忍」ではそこそこゲームしてて満足感もあるだけに、運営へのリターンとして1000円以下の範囲でたまに課金して遊んでいます。
 実際に課金してみて思うのは、やはり「得したなぁ」という満足感を得られるかが非常に重要だと感じました。前述のタイムセールみたく同じ特典でも時間限定にすることで満足感は跳ね上がり、また「トリリオンゲーム」でも書かれていましたが、最も障壁が高いのは最初の1回目の課金であり、そこを克服してもらうためにも大盤振る舞いなセールというのは非常に効果が高いというかこの商法において必須だと思います。

 実際自分も300円くらいの時間限定の課金オプションを見て「それくらいならいっか(´・ω・)」と課金してから、一気に心のハードルが下がり、その後もちょくちょく課金するようになりました。

 こうした経験を経て、改めてこのガチャを含むソシャゲの課金商法というビジネスモデルは奥が深いと思うとともに、ゲームの歴史においても非常に革命的な一打であったと感じるようになってきました。これがなければ今のようなソシャゲの隆盛はまずなかったと言えるだけに、一体誰が発明したのかと思い調べてみました。


 ガチャ成立過程について上の記事が非常にきれいにまとめてくれているのですが、それによるとガチャ商法を最初に打ち出したのは2007年にグリーが出した「釣り★スタ」からだったそうで、課金してアイテムを得られる仕組みだったそうです。さすが「任天堂の倒し方」を知っているだけある。
 その後、DeNAが「怪盗ロワイヤル」で「課金+対戦要素」で爆発的ヒットを飛ばすと、このビジネスモデルは一気に普及し、同時に重課金という課金し過ぎてお金が無くなる人が出るといった社会問題も出始めるようになりました。

 そこへきて、ついにガチャ商法を初めて搭載したのが2010年に出た「ドラゴンコレクション」だったそうです。ここに至り、ソシャゲのビジネスモデルはほぼ完成したと言っていいでしょう。
 ただ「ドラコレ」を含む当時のガチャには「コンプリートガチャ」と言って、「特定のレアアイテムを揃えて初めて新たなレアアイテムが取得できる」という、ユーザーに多大な出費を強いるシステムが含まれており、「ガチャ倒れ」が社会問題化する中、このコンプリートガチャについては後に行政からの指導もあって現在はほぼ禁止されています。

 とはいえ、ゲームそのものではなくゲーム内のコンテンツにお金を支払わせるというビジネスモデルは、むしろ今のゲーム業界においては主流です。買い切り型のゲームにおいても同じように追加コンテンツを別料金で販売するのも当たり前となっており、真面目に課金というビジネスモデルはゲームの歴史を変えたと言っていいでしょう。
 まぁ買い切り型のゲームの課金要素、特にアンロック形式については内心どうかと思いますが。

 そういう意味では課金、そしてガチャを発明した人はまじめに名前を残してもいいような気もするのですが、具体名はあんま世の中に出ていない気がします。世間体的なものもあるでしょうが、今後十年間はまだまだこのビジネスモデルがゲーム業界で主流であり続けるでしょう。

2023年7月17日月曜日

自分の人生に影響を与えた漫画

【人生に影響を与えた漫画・男性編】『こち亀』『スラダン』が上位に…圧倒的1位は『ONE PIECE』を抑えた世界的人気作(FLASH)

 今日たまたま上のような記事を見かけましたが、得票数がどれも非常に小さくなんかあまり真面目に調査してねぇなという感じがプンプンする記事です。それはともかくとして、これ読んで果たして自分の人生に影響を及ぼした漫画を挙げるとしたらなんだろうかと考えてみました。

1位、三国志(横山光輝)
 仮にランキングを取るとしたら、ぶっちぎりでこの「三国志」が自分の人生に影響を与えた、っていうか大きく変えた作品になってきます。これ読んで中国史にはまらなければこれほどまでに中国に係わる人生になるはずがなく、その影響度は下手すりゃ親の教育以上あるかもしれません。
 なお私と三国志の出会いは、ゴミ捨て場に捨てられていた三国志の1巻をたまたま拾って持ち帰り、読んだことがすべてのきっかけでした。まさかあれで自分の人生がこんな中国まみれになるとは全く思わなかった。

2、時の行者(横山光輝)
 小学校中学年の段階で自分は歴史に対する強い興味を持ち始めていましたが、それがはっきりと形になったのは多分、小4の頃に読んだこの「時の行者」という漫画からじゃないかと思います。この漫画がほかの漫画と一線を画していたのは、安土桃山から江戸時代にかけての事件をオムニバス形式で展開していたという点です。またその内容も本能寺の変や島原の乱など有名なものだけでなく、天一坊事件や火付け盗賊改めなどマイナーなものも入っており、特定の人物や年表形式に流れに沿って行く歴史ではなく、紀伝体のような事件単位での歴史の見方を初めて学んだような気がします。
 ちなみにJBpressで連載するに至ったのは、このブログで以前書いた火付け盗賊改めの記事をJBpress編集部が見つけたことがきっかけでした。

3、頭文字D(しげの秀一)
 大学に入ったあたりまで、自分の価値観はやはり精神的、観念的要素が非常に強く、物質的な価値観は非常に希薄だったと思います。そんなもんだから物質的豊かさなんて不要、人はいかに心を強くするかだと言わんばかりにやたら俗世的な価値観や欲望に対しやや蔑むような見方を持ってました。もしかしたら「今もそうじゃん(σ・∀・)σゲッツ!!」とか言われるかもしれませんが……。
 そうした価値観がひっくり返ったのは今思うとこの「頭文字D」からだったように思え、この作品に出会って初めて自動車に興味を持ち、また実用性皆無なのに価格が高いスポーツカーに対して名で多くの人が恋焦がれるかという感覚を初めて理解できるようになった気がします。その変貌ぶりは当時の友人からも、「花園君が車に興味を持つとは思わなかった」と言われたほどでした。
 
 またこうした車への関心を抱くことがなければ、「ものの形、デザイン」というものに興味を抱かず「価格が低ければ低いものこそ価値がある」といった価値観を維持し続け、今のように戦闘機や戦車に興味を持つこともなかったことでしょう。さらに言えば、そうした人々の物質的欲望に対する理解や感覚がなければ、その後に経済記者としてやってくこともできなかったように思えます。
 そう考えるとこの作品も三国志に負けず劣らず自分の人生をかなり左右している感じます。

4、坊ちゃんの時代―秋の舞姫(関川夏央、谷口ジロー)
 自分はこの作品を、中学生の頃に確か床屋の順番待ちの時にたまたま読みました。舞姫というか森鴎外のエピソードについては当時から把握していましたがそれ以外にはバックグラウンドがなく、なんか古臭い絵柄の漫画だなと思いながら手に取りつつ、丁寧にほぐしていくかのようなストーリー展開と、ややもするとシュール感のある谷口ジローの絵を見て変に引き込まれました。
 その後も、タイトルは思い出せないものの舞姫関連であんな漫画を読んだなとずっと覚えており、社会人になった後であの漫画は「坊ちゃんの時代」の一部だと知り、後から全部買いなおして読み直しましたが、今現在においてもこの「秋の舞姫」編が一コマ一コマ強く覚えており、無意識レベルに強く刷り込まれた作品であるような気がします。

 具他的にこの作品を読んで何かが変わったとかそういうのはないですが、元からの歴史好きと相まって、各時代の背景や価値観に対する感覚はこの作品を見て研ぎ澄まされたような気がします。割と平成時代の折々について妙に細かく当時の事件や空気感を自分は覚えていますが、もしかしたらこの作品が原因なのかもしれません。

5、水木しげる伝(水木しげる)
 ぶっちゃけ自分のバイブルというか、何度読み返したかわかりません。大学時代、1000円出すのも30分は躊躇するほどケチだった自分がこの水木しげる伝に関しては何の躊躇もなく購入しており、その後の価値観、特に幸福に関する意識には間違いなく多大な影響を及ぼしています。
 秋の舞姫同様に具体的にその後の人生に物理的な影響は及ぼしてはいませんが、割とその後の人生で結構周りにもひかれるくらいの逆境に何度か置かれつつも、くじけず、っていうか逆境になればなるほど妙な底力を発揮できたのはこうした水木しげる伝から得た価値観が源泉だったように思います。特にこの本の中にはないものの、「戦争で左腕を失ったことを惜しむ気持ちはないか」という質問に「全くない。生きて帰ってこれたのだから」という水木しげるの言葉は今も自分の心を強く打ち続けています。

 以上の五作品が自分の人生に影響したと思う漫画ですが、改めてみるとどれもかなりの影響を及ぼしているような気がします。それを踏まえて言うと、今の自分は「横山光輝が40%、しげの秀一、関川夏央(谷口ジロー)、水木しげるが20%ずつ」で構成されているということになります。だからなんだと言われたら困りますが。まぁもっと厳密に言えば水木しげるが40%で、しげの、関川は10%ずつかなという気もしますが。
 それにしても「東京ラブストーリー」じゃないけど、あの日あの時あの場所(=ゴミ捨て場)で三国志に出会わなかったら、本当にどんな人生歩んでいたんだろうかと思うくらい全く別の人生になっていたかと思います。真面目に中国語の読解に関しては若干極めつつある領域に入ってきてるし(;´・ω・)

2023年7月16日日曜日

中国の 今年の景気 すぐれない

 何故か無駄に七五調の見出しにしましたが他意はなく、中国の今年上半期の景気はほんとよくなく、後半にかけてもっと悪くなりそうな気配を出しています。

 具体的データを出すと、一番騒がれているのは輸出額です。今年上半期の中国の輸出額は税関の米ドル換算データで前年同期比3.2%減です。一見すると微減に見えますが、昨年の中国は3-5月に上海の完全ロックダウンを含め各地でロックダウンを行い、この間ほとんど生産活動が行われていなかった上に港湾なども閉鎖されて貿易活動がほとんど止められていたことを考えると、今年は二桁増くらいの数値が出ないとおかしいと指摘されていました。それがふたを開けると二桁増どころかマイナスで、6月単月に至っては前年同月比12.4%減と二桁減となっており、昨年後半はロックダウン措置が緩和されたことを考えると、下半期にかけて落ち幅はさらに拡大してくとみられます。

 その他の指標もあんまよくないのばかりですが、自動車に関しては上半期は前年同期比9.8%増とそこそこのプラス値ですが、これに関しても去年のロックダウンに伴う比較対象基数が低いことが原因です。なお伸び幅の大半はEVであり、EVラインナップの少ない日系メーカーは軒並み前年割れしていて、川下の部品メーカーを含め結構業績が酷いことになっています。下手すりゃ、日系自動車産業の中国市場売上げはすでにピークを過ぎているかもしれません。

 自分の見立てで述べると、中国政府としても上記のような製造業の不振は想定外だったのではないかと思います。コロナ対策の制限措置を緩和すれば景気は回復すると明らかに楽観視している節がありましたが、上記のような現実を前にしてどうするか。単純にインフラ投資を進めて建設業から巻き返しを図ると思いますが、それ以上に金の流れを抜本的に改革しないと真面目に厳しくなるように思えます。

 来年以降に関してはさすがに予想できませんが、今年下半期に関しては中国は確実に指標上で景気が悪化し続けると断言できます。この辺も含め、このところの中国は90年代の日本とほんと被って見えてきます。

2023年7月15日土曜日

ビッグモーター事件における損保ジャパンの怪しさ

 今日は自転車で20分の日本料理屋に昼間行った際、到着してから自転車のカギを持ってくるの忘れたことに気が付いて一度帰宅し、再び戻るという1時間のサイクリングを行った結果、その後で熱中症になり吐きそうでした。1時間のサイクリングで熱中症になる情けなさもさることながら、マジあのわんこそばを無理やり食わせられ続けるような吐き気は辛いです(新井さん風)。


 話は本題ですが、中古車大手のビッグモーターが車検時に敢えて車体を傷つけ、保険金を過大に請求していたという事件が大きな話題になっています。自分はこの事件を上記の今年4月に出たフライデーの記事で知ったのですが、その驚愕するような報道内容に対して当時の世論の盛り上がりは非常に小さいものでした。この点について他のメディアやフライデー自身も報じていましたが、報道に対しビッグモーターは一切悪びれることなくノーコメントを貫き、企業側がダンマリを決め込むのを見てたの新聞やテレビなどの大手メディアも黙殺していたということが背景にあります。

 これは自分も経験あるのでよくわかるのですが、テレビや新聞などの大手メディアは記者クラブ外の週刊誌メディアを低く見ている節があり、彼らが報じた内容について「週刊誌のフライデーの報道によると――」などとニュース引用をすることを意図的に避ける傾向があります。実際に過去にあるニュース番組が週刊文春の報じた内容をほかにソースがないにもかかわらず文春の名前を隠した上で勝手に引用したことがあり、文春側の抗議を受けて後から渋々「文春さんの報道を引用しました( ゚д゚)、ペッ」みたいな感じでいかにも嫌そうな態度で体裁を取ったことがあります。

 仮にフライデーの報道を受けてビッグモーター側がコメントやプレスリリースを出した場合であれば、「ビッグモーターの発表によると――」という風に報じることができるので、大手メディアも報じていたことでしょう。ただ前述の通りビッグモーター側は大手メディアのそうした週刊誌軽視の風潮を知ってかこの件に関して一切何も反応を出さず、ダンマリ戦術で逃げようとしていた節がありました。しかし事件の大きさや内容のひどさ、そして恐らく不必要な保険求償を受ける羽目となった保険会社側の抗議もあってか外部調査を入れざるを得ず、その報告書が今回発表されたことを受けて大手メディアもようやく重い腰を上げ、今になって雪崩を打つかのように報じるようになったと私は見ています。

 上記のような背景から、最初にこの事件というかビッグモーターの従業員がタイヤに穴をあける衝撃的な内部告発動画を報じ、ビッグモーターにも他のメディアにも黙殺される中も続報を出し続けたフライデーに関しては、その粘り強く報じ続けた姿勢に感嘆するとともに、もっと世の中に評価してもらいたいと陰ながら感じています。不正に関する報道自体は以下の2022年8月に出た東洋経済の記事が先行しており、恐らくこれが初報だったのではと思いますが、今回はっきりと事件化にまで至らせたのはフライデーの功績も小さくないでしょう。


 さてそのビッグモーター事件ですが、自分の目から見ていくつか不審な点があります。一つは、何故監督当局はビッグモーターに対し査察を行わなかったのかという点です。
 最初の東洋経済による保険金の不正請求報道に関しては疑惑レベルだったのでまだしも、フライデーの報道に関しては故意にタイヤに穴を空けることを指導する不正以外の何物でもない行為が、歴とした動画で公開されました。私はこの時点で陸運局など国交省傘下の監督当局から何かしらの査察なり調査に入るかと思っていたのですが、前述の通り大手メディアがスルーするほどなにも音沙汰がなく、これほどの不正を見て見ぬふりする行政の態度の方がビッグモーターの態度以上に驚きを感じました。

 もう一つの不審な点はほかならぬ保険会社、それも損保ジャパンの怪しい動きです。

ビッグモーター不正請求、窮地の損保ジャパン(2022年9月、東洋経済)
ビッグモーター、保険金不正の真相究明に新展開(2022年12月、東洋経済)
ビッグモーターと損保ジャパン、不正請求の蜜月(2023年7月、東洋経済)

 この事件での損保ジャパンの動きに関しては東洋経済がいい意味でしつこく、詳細に報じ続けています。不正の実態に関してはフライデー、保険過大請求に関しては東洋経済がこの事件の報道で本当に活躍されています。

 話を戻すと、上記の東洋経済の報道によると不正疑惑が持ち上がった当初、本来なら保険金を過大に求償された被害者の側である損保ジャパンは、ほかの保険会社と違って何故かあまりビッグモーターを追求せず、ビッグモーター側の言い逃れを受けるや「はい終わり、この問題は終わり!」的に早々に幕引きを図ろうとした節があったそうです。実際にフライデーの報道以降、私の方でも保険会社の動きも軽く見ていましたが驚くくらいにビッグモーターへの批判や追及がなく、大手メディアはともかくとして何故保険会社も黙っているのかと不思議で仕方ありませんでした。

 それもそのはずというか、一部で指摘されていますが保険会社としてはビッグモーター側の府政によって払う必要のない保険金をビッグモーターに支払うことになるものの、その後に車両の保有者に対し保険金支払いを口実に保険等級を引き下げ(=保険料を引き上げ)ることで、後々回収に至ることができるという構図が成立します。言い方を変えると、ビッグモーターが保険金を求償することで保険会社は保険料の引き上げを行うことが可能となり、最終的に両社はWin-Winで儲かる一方、負担は消費者個人にだけ向かうわけです。そのため当初より、ビッグモーターと保険会社、特に怪しい動きを見せていた損保ジャパンは癒着しており、その不正も知ってて黙認または推奨していたのではないかと東洋経済も暗に指摘しています。

 仮に損保ジャパンもグルだった場合、最初の監督当局が全く調査に動かなかった理由にもつながってくるのではないかと思います。これは具体的根拠のない完全な私の憶測ですが、損保ジャパンほどの大企業なら一定の政治力を有しているだけに、監督当局に対し「自分たち保険会社の方で調査するから」などと言って、ビッグモーターへの査察にブレーキを掛けていたというシナリオも、可能性レベルならありうる気がします。かなりぶっ飛んだ推測だと思いますが、それほどまでに自分は行政がこの問題に当初全く動こうとしなかったのが不思議に思っており、東洋経済の損保ジャパンの報道を見てこれが背景なら納得できると初めて得心を得た次第です。

 とはいえ、損保ジャパン以外の保険会社はこの問題に対しビッグモーターへの不信を高めており、またビッグモーターをかばう幹事保険会社の損保ジャパンに対しても反感を持ちつつあると報じられています。まぁ実際、下手すりゃ関電に騙されたほかの電力会社みたくカルテルの疑いをかけられる恐れもあるだけに、ちゃんととるべき対応を取らなければほかの保険会社も相応の打撃を被ることでしょう。

 それにしてもこの事件、消費者への補償を行うとなると相当な金額に上ることは間違いないでしょう。補修範囲がどこまで故意なのかが明確に区別できない以上は、過去に請求した保険金額全額が補償対象になり得る可能性もあり、また保険金支払いを口実に保険会社が保険等級を引き上げていた場合、加算分の保険料も補償しなければ話にならないでしょう。後者の負担に関しては、補償するのはビッグモーターなのか保険会社なのかでまた揉めると思われますが、それだけにほかの保険会社は責任を損保ジャパンにうまくもっていかないとえらいこっちゃになるでしょう。
 それ以前に、明確な不正対策が実施されていないにもかかわらず未だビッグモーターが営業停止になっていないという事実に日本の闇を感じます。中国だったらこの辺わかりやすいくらいにすぐ行政が制裁をぶつけるか、損食わされた消費者が「金返せ!(# ゚Д゚)」的に雪崩を打って店舗や会社に突撃するので展開早いのですが、日本はジャンプ漫画の引き延ばしみたく展開が遅いのでこの辺はもっと中国見習った方がいいなという気がします。

2023年7月13日木曜日

真夏の夜に見た夢

 昨夜、こんな夢を見ました。

 前振りは一切なかったものの、なんか呪いとかそういうので学校内に閉じ込められていたのですが、あれこれイベントなり手順を踏んだ甲斐あって学校から出られることとなりました。ただその場にいる自分を含めた三人のうち一人は挙動がおかしく、意味不明なことをブツブツ言ってて、なんかこの世界の管理人らしき奴が「彼はこの世界に溶け込み過ぎた」と言うので置いてけぼりにすることにしました。
 そんなわけで自分ともう一人の男だけで昇降口から外に出ようと1階に向かって階段を下りて行ったところ、階段脇に潜んでいた顔面がのっぺらぼうの女子生徒が突然飛び出し、一直線に自分たちへ向かって追いかけてきました。急な登場に反応が遅れ慌てて逃げ出そうとするもそののっぺらぼうな女子生徒に鬼ごっこでタッチされるかのように叩かれるや、さっきの管理人みたいなやつの声がまた響き、「そいつに捕まったからもう出られないよ」と言い放ってきました。

 話が違うと抗弁するも、「それとこれとはまた別の話だ」とよく分からない切り返しされた後、はっと午前5時に目が覚めました。自分の視界には明かりがなく暗いものの、普段見慣れた自分の寝室が移っていたものの、「ここ、あの学校じゃねぇよな?Σ(゚Д゚;≡;゚д゚)」などと妙な恐怖感に駆られ、そっと再び目を閉じて二度寝に入りましたが、しばらくはちょっと怖かったりしました。

 一体なんでこんな夢見たのかいろいろ不思議ですが、ちょっと前にゲームの「SIREN」を話題にした掲示板とか見たせいじゃないかと思います。でもって姿形はともかくとして、突然出てきた相手に全力で追いかけられるというのは半端なく怖いなと感じました。
 なおそんな夢はたくさん見る方じゃないですが、過去に見た中で一番意味不明だったのはこれです。