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2023年7月21日金曜日

日本人の見えない理想のリーダー像

 最近頭の中を「草履取りが草履になる」という謎の単語がずっと駆け巡っています。かなりファンタジーな展開だと思う。

 話は本題ですが、かねてから私は昨今の日本の低迷や混乱に関しては「これという人材が世に出てこない」ということが原因だと主張しています。政治家など枢要な職位に関しては維新の会を筆頭に、本人の実力以前にただ単に目立ちたがり屋ばかりがこのところ多く、また政党も票を得るため芸能人をはじめただ目立つ人ばかり候補に採用し、自分の知る過去の時代と比べても政治家の質は間違いなく下がっていると感じます。
 また企業に関してもいわゆるサラリーマン的経営者が多く、事業拡大よりも維持の方に目が行くばかりか、中には世間慣れしてなくて話題のビッグモーターをはじめ口を開けば自社への批判をさらに炎上させるしかないなど、一般人として見てもやばい奴が何故か上の地位に就くことがよく見られます。

 こうした情勢を見て私は、人材自体は全くいないわけではないものの、優秀な人材が上に上がってこない日本の昇進システムに欠陥があるのではないかと睨み、このブログでもそうした持論を展開してきました。そこそこ自信をもって主張している持論ですが、そもそも何故優秀な人材が上に上がってこないのかという背景については、日本人的な保守的な集団思想が大きいと前から思いつつも、そうはいっても昭和はそこそこの人材が上がってきていたことと矛盾もしており、なんか意見が弱いなとこの前ふと感じました。その上で、「そもそも、日本人はどんな人をリーダーとして扱うのだろうか?」という疑問を覚えました。

 最近見ないですが、以前はよく「上司にしたい有名人ランキング」などが行われ、北野武氏やイチローなどがよく上位にいました。最近だとこうしたランキングを見る機会が減りましたが、今やったら恐らくWBCを制した栗山監督辺りが上位に入ってくるような気がします。
 このような上司、リーダーに求められる人材、要素に関して、なんか最近これはという固定的な意見を見る機会が減っているように思えます。具体的なリーダーのモデルを挙げるとしたら、

1、チームを強い目的意識をもって引っ張る理念(カリスマ)型
2、集団の利害を調整してうまく話をまとめる調整型
3、単純に実力が高く誰も逆らえないから従わせられる強権(エース)型

 大きく区分するとしたら恐らくこの三つに分類されると思います。卑近な三国志の例で言えば、1は劉備、2は孫権、3は呂布みたいなイメージになるでしょう。

 代々、日本においてはやはり2番の調整型がリーダーとして求められる傾向が強く、私が子供だった頃もこの手のタイプがやはりリーダーに推されやすかった気がします。小渕総理なんかまさにその典型でしょう。
 しかし現代において、なんかこの手の調整型はリーダーとしてあまり好ましいと思われていないような気がします。現在の岸田総理なんかまさにこの調整型だと自称していますが、実際にそれだけの調整力があるかどうかは別として、「そんなの求めてない」的に政権の不人気にもつながっているようにすら見えます。

 一方、3番の暴君型ともいうべきタイプは一時期はロシアのプーチンなどが日本でも持てはやされ、強いリーダーが求められたような空気を感じましたが、最近だと同じく独裁色の強い中国などを見てか、日本国内でもこうした強権型はやや距離が置かれている気がします。1のカリスマ型に至っては論外というか、理念よりも経済や賃金などの現実が重視されている時代もあって全くお呼びでない感じすらします。

 さすがに政治家トップレベルとなるとリーダー像でもめるのはわかるのですが、もっと小集団、具体的には企業トップや組織内チームトップに対する理想像でも、なんかあまり今の日本を見ているとこれといった固定的理想像がない気がします。強いて言えばパワハラ、セクハラなど暴力は論外というのが大前提で、それさえ守られればどうでもいいといったような見方があるような気がします。

 思うにこうした求めるリーダー像の欠如が、よくわからないというか上げてはならない人間が上に上がってきてしまう要因の一つになっているような気がします。誰を推戴すればいいのかわからないがゆえに、自らが上の地位に就きたいと望む目立ちたがり屋が空席を取ってしまい、やばい奴が上にきてしまうような構図なんじゃないかというのが自分の見立てです。

 では自分自身はどんな人にリーダーになってほしいかというと、はっきり言えば権限と責任をきちんと区分してくれる人だと助かることが多いです。どこからどこまでを自分の判断でやっていいのかはっきり境界をつけ、その範囲内で自由にやらせてくれると自分としては仕事しやすいのですが、日本型組織だとまさにこうした責任権限の区分が苦手、というかわざと曖昧にするので、日本の組織がいかに自分に合ってないのかを改めて痛感します。
 この手の権限移譲(担当)型リーダーでいえば小泉元総理辺りが近い気がします。よく投げっぱなしなどと言われましたが、あの頃は各大臣の個性もはっきり見られて楽しかった。

2 件のコメント:

ルロイ さんのコメント...

リーダーを含む人間の正当な評価を下す文化がない、というのが現実でしょうね。
だから同じ大学出身だとか、飲み友達だとか、職歴の順番とかの頭を使わなくていい理由て決めちゃったりしています。
女性の管理職の登用が少ないのも、単に仲間内から決めてるからというだけで、そんなに女性を差別しているからというわけでもないのかなと思います。
逆に女性管理職の登用を求めている層も、ただ数字上の平等を機械的に求めているというだけで、能力や適性で評価しろという声が上がってこないのがまた日本人らしいなと思います。
目的や効果を考えずにただお題目を達成することだけを考えるから、ビッグモーターが除草剤を撒くようなことになるんですが。

花園祐 さんのコメント...

 ほんといつもの如くおっしゃる通りで、男性と女性で隔てのない公平な昇進基準などの制度を作るならまだしも、女性幹部を一定員数にしろと数値目標だけ作る辺り、なんか根本から間違っているとしか言いようがないですよね。そもそも、中間管理職レベルですらどんな人材が適任だとか、どういった人に適正あるかも考えておらず、社歴くらいしか見ていないでしょう。