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2016年11月20日日曜日

肌感覚で判断する重要性 後編

 前回に続いて世論などを肌感覚で感じ、判断する重要性について書いてきます


 私がこうした肌感覚について明確に意識したのは実は早く、大学四回生の頃でした。当時私は既に第二外国語の単位を既に取り終えていましたが以前から興味があったこともあってロシア語の初級講座を四回生時に受けていました。この授業では、別に悪い話しじゃないので敢えて実名を出しますが関西の私大を中心にロシア語を教える北岡千夏先生が受け持っており、マイナー言語ということもロシア事情の解説などを多く盛り込んだ、言いようによっては単位の取りやすい授業をしてもらえました。
 この授業時、確か私がマスコミ志望かなんかを口にした時だったと思いますが、「あんたやめときな、マスコミときたらクズだよ」みたいに言って、自身がかつて学生時代に朝日新聞でアルバイトをしていた時のことを話してくれました。旧ソ連時代に留学したこともあってその方面の仕事を手伝っていたそうですが、ソ連崩壊のきっかけとなった8月クーデター時に、誰でもいいから現地の人に連絡取って情報を集めてくれと言われ北岡先生は片っ端から電話をかけていたそうです。そしてひとしきり電話をかけ終えた後、

「多分これ、三日くらいで終わりますよ」

 と、北岡先生が述べた瞬間、周囲の朝日の記者たちは、「何を言うかこの小娘」みたいな視線を一斉に向けてきたそうです。しかし実際のところこのクーデターはまさに三日で終わり、この時のことについて北岡先生は、「偉そうにふんぞり返ってるくせに何もわかっていない」と憤懣やるかない素振りでしたが、現実に予想を的中した意味では北岡先生の言う通りでしょう。
 なおこの時に何故北岡先生は「三日で終わる」と予想したのかというと本人曰く、「電話で話した相手が全然焦っておらず、なんか事件が起きている根みたいな感じで他人事だったから」だったそうです。この事件ではゴルバチョフ大統領(当時)が監禁されるなど一見すると国家の一大事ではあったものの、現地の人間の肌感情というか空気ではそれほど大事と受け取られておらず、その感覚を見て出した北岡先生の予想が結果的に正しかったということになります。

 このソ連のクーデターのように、表向きな情報以上に現地で生活した経験、そして現地の人間の反応の方が案外正しかったりすることが多いというのが私の意見です。先の米国大統領選挙でも現地メディアの情報以上に一般市民の声の方が案外正鵠を得ていたというか、そもそもメディアが現地の声なり現地住民に対してインタビューや見方を尋ねたという話を日系に限ってはほとんど見られず、結果的に思い切り予想を外してしまったというのが私の見方です。

 こうした「現地の声や反応」を無視するという行為は中国に関する報道でも根強く、やっぱり私から見ていて日系メディアの中国に関する報道は日本にいて中国について何も知らない人間が適当な資料を基に書いたり、現地メディアが報じる内容をそのまま垂れ流すだけのものが非常に多く、それによって無用な誤解を生んでいる節もあります。
 もちろん現地の声や反応、また自身の感覚を信用して記事などを書くと偏った情報となる可能性も大いにあるだけに、何でもかんでも信用できるわけではありません。しかし私の場合だと、たとえば中国や政治関連の記事を見た際に何かしらの言葉にできない違和感を覚えた場合、本当にその報じられている情報が正しいのかを確認するようにしています。この確認の過程で報道内容が事実であるとわかれば考えを改め、逆に報道内容が誤りであるような事実や根拠、疑惑が見つかった際には信じないようにと、普段はここまで慎重ではありませんが肌感覚で違和感を持った記事に関しては疑ってかかるようにします。

 それでこれまでの経験から言うと、やはり違和感を感じる記事は誤っていることが多いです。世論にしても事実報道にしろ、「本当にこれで合ってるの?」という感覚を持つものには何かしらおかしな背景だったり作為的な意思がある程度働いています。具体的には経済指標の数字とかで、売れる車がないのに妙に売り上げが伸びてたりすれば、売れる理由を見落としている書かれてないとか、後は偽装があるわけです。記者の勘といえば大層な言い方になりますが、理由がなくても感じる違和感というのは非常に大事で、そうした違和感をどれだけ拾えるかというのがある意味重要な分岐点になるかと思います。

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