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2018年11月25日日曜日

流した量は裏切らない?

 よく「マネーロンダリング」のことを日本語では「資金洗浄」と訳されますが、この論で行くなら「禿頭洗浄」は「ハゲーロンダリング」、略して「ハゲロン」というのか最近気になっています。

 話は本題に移りますが、マネーロンダリング同様に「流した汗の量は裏切らない」、略して「流汗」とは言いませんが、さっきの言葉はよく出てきます。言うまでもなく努力は人を裏切らないという比喩に使われるのですが、たまに運動部とかでは比喩ではなくどれだけ運動量が多いかで決まるみたいに使う人もいるもの、こっちの意味だとこの言葉はウソになると私は考えています。
 何故かというとタダ運動量が多ければ運動能力が上がるとは限らず、きちんと科学的なトレーニング方法を踏んでいなければ徒労に終わり、下手すりゃ怪我のリスクも増します。なので汗をどれだけ流してきたかは、そのスポーツのためにどれだけ努力してきたかは、内実が伴っていなければ実質無意味だと感じるので「だから何?」と内心考えています。

 一方で、流した量を裏切らないものとして、密かに血の量ではないかと私は考えています。もちろんこれはこれまで何十リットル献血してきたかなど実際の流血量ではなく、修羅場をどれだけ経験してきたかという意味の比喩です。それこそ殺るか殺られるかといった命の駆引きとか、どっちを選んでも絶望的な救いのない選択を迫られた、危機を脱するために誰を犠牲にするかとか、こういった修羅場を経験しているか否かは非常に大きいし、この経験は絶対にその人を裏切らず、強くさせると信じています。

 私自身、大した修羅場を経験したと言えるような人間ではないものの、それでも先日たまたまアジア各国に散らばっているのにうまく上海で一堂に会せた友人らを前にして、「よくそんな波乱万丈な人生送ってきたね……(゚Д゚;)」と唖然とさせただけあり、平均的な日本人に比べればまだ経験した修羅場多いのではないかと思っています。
 そんな自分に言わせると、修羅場を経験していると何が強いのかというと、単純に決断の場面でブレないし動じないし冷静に判断できるようになります。例えば時間が限られている中、修羅場経験者とそうでない人間とを比べると決断時の落ち着き様に物凄い差があり、またややレベルの大きな決断、具体的には大金が動くような場面においても修羅場経験者は大根を買うのと同じように冷静に判断を下してきます。実際に自分から見て大方の日本人は、「何故この程度の決断に迷うんだ?」と思うことが多いです。

 そういう意味で修羅場を経験したか否か、いわばこれまでの人生でどれだけ血を流してきたかという経験はその人を決して裏切らず、確実に強くさせると考えるわけです。企業の就活でも恐らく本音ではこういうことを確認するためによく、「これまでに苦しかった体験は何でしょうか?」という質問をよくしてきますが、期待する応えとしては、「困難な課題に対して前向きに解決策を導き出した」というような答えとなるため、修羅場というよりかはやったぜ!体験であって、本筋からぶれていると私は考えています。
 それこそ例えば、「両親が離婚することとなったので父と母、どちらについていくか」とか、「友人がいじめられてて自分もターゲットになりかけ、保身のために友人を切るか否か」、「彼氏(彼女)が浮気をしていて、本人と浮気相手のどっちを殺るか」などという決断を話してくれる人間の方が自分としては将来性があるとみます。突き詰めるとこうした修羅場において何が求められるのかというと、自分がギリギリの状況で何を優先とするかという優先概念です。単純に保身なのか、自らの犠牲を問わないプライドなのか、全体の調和を取るバランスなのか、こうしたものが見えてきます。その上で、「どんな犠牲であれば負うことが出来るのか」というのもはっきりします。

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