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2008年7月10日木曜日

日本の若者の発言力 その一

 今日は出張所の方でコメントが入っており、ノリにノッて四本目の記事です。我ながら、体力あるな。

 これもおとといにコメント欄で予告していた内容ですが、実はこれまでにも何度も書こうと思ってはペンを折ってきた内容です。というのも、いくらか話す内容に余計な誤解を広げるような可能性があるからです。なので先に書いておきますが、ほかの記事はともかくこの記事の取り扱いには注意してください。引用、コメントなどはもちろん自由になさって結構ですが、その際には内容を大きく外れないようにすることと、またネタ元であるこのブログのことも話して宣伝しておいてください。

 さて、日本は少子化と言われ始めてすでに久しいですが、それを反映してか現在の人口ピラミッドは見事なまでにいびつな形で、もはや「ピラミッド」と読んでもいいのか、むしろ「人口きのこ」とも言うべき形をとっております。本当はリンクを貼りたいんだけど、なんかいろいろうるさそうなところばかりなので、グーグルかなんかで検索して、是非その目で見てください。

 それでその世代別人口ですが、やはり六十歳前後で大きく膨らんでいるのに対して、下の年代は大きく人口比で劣っているのがわかります。単純な見た目でみても、六十歳前後と二十歳前後で二倍くらい差がある異様に思えます。
 ここで唐突ですが、この人口の差がどのような影響を生むか、考えたことはあるでしょうか。実はこのブログでも何度か匂わせてきたのですが、具体的に言うと発言力や政策の実行力に大きな差があります。たとえば、単純に多数決で何かを決めるとしても、人口の多い集団寄りの意見のが勝つに決まっています。たとえば、
「将来返す借金や負担が増えるとしても、今の老人が死ぬまでは社会保障を充実させたい」
 こんな意見や政策が出てきたとしたら、人口比では老人のが多いから通るに決まっています。たとえ若者らがどんなに反対しようとしてもです。

 このように政策や方針は、あまり言いたくはありませんが今の日本では老人を中心に回っていると言っても過言ではありません。そこには若者の意見は何一つ反映されません。それこそ、現在の不安定な若者の雇用状況も将来の年金設計においても、今の今まで若者の代表者や当事者が国会で答弁したことはなく、またメディアでも発言の機会が与えられたことは今の今まで私は見たことがありません。それでもまだ雇用問題ではいろいろ取り上げられますが、本来、年金制度は老人以上に現役世代の方が関わり深いと思えるのですが、これぽっちも意見が取り上げられません。私だって、言いたいことがいろいろあるのに……。

 ここで結論を言いますが、今の日本の大きな問題点として、当事者であるはずの若者が全く意見を発信できず、結局のところ年齢層が高い壮年世代の間だけで物事すべてが決められて、国家としての将来設計が大きく損なわれていると私は考えています。先ほどの雇用にしろ年金にしろ、果てには借金漬けの財政をこれからどうするかなど、現役世代となって実際にやりくりする若者の側の意見ももっと検討に取り入れるべきでしょう。しかし、先ほども述べたように今でも国会などでは若者を置いてけぼりにした、壮年世代の生活やら老後をどうするかという内容しか討論されません。本来、全世代層に渡って行うべき議論であってもです。

 もちろん中にはこの状況に気づいている人間もいますが、そういった人間の中には若者層と壮年層の対立をただ煽るだけで、問題点を履き違えているのではないかと疑うような人もいます。具体的に世代間対立を煽っている人の名前を挙げますと、「若者はなぜ3年で仕事をやめるのか」という本の作者である、城繁幸氏です。私としてもこの城氏の意見も確かによくわかるのですが、大きな目で見て、若者層と壮年層が争ったところでなんの結果も生まず、むしろ問題がややこしくなるだけだと思います。

 もちろん壮年層の中にもこういった対立を煽る人の動きに逆に気づいている人間もおり、そういう人なんかは、
「最近、生活の不満を上の世代の人間の責任だとして憎悪する若者がいるが、こういうのはよくない」
 というような意見を言う人もちらほらいますが、言っちゃ何ですがこういった人たちもピントがずれてると思います。確かに対立を煽り、もっと若者は反抗しろという城氏のような人もいますが、当の若者はというと生活の苦しさを感じつつもあまりにも政治的な話に無関心で、現在の生活の苦しさの原因の一端が壮年層とのいびつな人口比にあると気づくのはほとんど皆無で、私の周りでも団塊の世代を敵視しているのは一人の変化球が得意そうな友人だけです。

 ここまで書いておいてなんですが、私としても日本社会をこんな風にめちゃくちゃにした、今の壮年世代、というか団塊の世代に対して忸怩たる思いがあります。しかし、世間一般で言う団塊の世代の人、大学時代に左翼闘争をしたり、会社でモーレツ社員としてやってきたという人は本当はほんの一部だけで、実際のこの世代の人たちの多くは、若い頃に集団就職をしてやってきたり、不況期にリストラに遭ったりと、非常に多くの苦労をしてきた人たちというのが大半で、実像に近いと私は考えています。なので、真に憎むべきはこの世代の中の一部の人たちだけで、世代全体をひとくくりにして対立意識を持つべきではないと思います。そして憎んだり対立するより今本当に必要なことは、全年齢的な議論、つまり若者の側も議論に加わることだと思います。そのために、若者の発言力が今必要なのですが、続きはまた次回に。

グッドウィルなどの派遣マージン率

 どうでもいいけど、最近買っている「プロ野球チップス」で、昨日といい今日といいおまけのカードがオリックスの加藤大輔とローズという、オリックスの選手が連日出てきたのがなんか納得いきません。二人ともいい選手だとは思いますが、オリックスはそんなに好きでも嫌いでもないし。去年は巨人の阿部と阪神の林がいきなり出てきてうれしかったけど。阪神の藤川のカードが一番ほしいのに。

 さてそんなんでいきなりマイブームのリンク貼りで、ネタ元はいつもどおりのYAHOOニュースです。

・廃業するグッドウィル社員の平均年収を分析

 このニュースでは今度つぶれるグッドウィルの社員の年収が親会社の「グッドウィルグループ」と、実際に派遣業を行っていた子会社の「グッドウィル」で差があるなどを報じていますが、それ以上に注目すべき点はグッドウィル社の売上原価と売上の比較です。前者は文字通り、グッドウィル社がさまざまな現場に派遣した派遣労働者に支払われた金額で、後者は派遣先の企業からグッドウィル社が受け取る総収入です。これを単純比較すると、売上に対する売上原価の割合は記事にも書かれているように66.4%となり、そのまま援用するなら、派遣労働者派遣先企業が支払うお金の1000円当たり、664円が労働者に行き、残りの336円はグッドウィルがピンはねしていたということになります。

 この数字を冷静に考えてみて、片や電話とメールで労働者を回すだけで三割、片や電話とメールで回されるだけで六割の収入を派遣先の企業からそれぞれ得ていたことになります。一体、何の権利があって三割強ものピンはねが許されるのか、強い疑問を感じます。また私が以前に聞いた話だと、緊急の場合、派遣先は通常よりも高い値段を派遣会社にふっかけられるようですがそれは労働者には還元されず、派遣先が一万五千円を出しても労働者には五千円しかもたらされないという例すらあるようです。

 さらに今日発売の文芸春秋八月号によると、派遣会社エム・クルーでは派遣先が日給として一万九千円をエム・クルーに支払う場合、派遣労働者には七千二百円しか渡されないという、マージンというかピンはね率はここでも37.9%になります。つまり、相場的にはマージンは三割を超えるのが普通なようです。

 私は正直、この派遣労働のマージンは一割を超えても高いと感じます。こうして具体的な数字が出てきているので、もう少し各所で議論がなされることを切に祈ります。

インフルエンザ増殖原因を特定

 今日の朝日新聞の夕刊に、東大の研究チームが、体内でインフルエンザ細胞を増殖させるたんぱく質の存在を突き止めたというニュースが報じられました。もしこれが事実だとすると、そのままインフルエンザ対策にもなりますし、応用すればもっと多大な範囲の治療も行えるかもしれません。今日発売の科学雑誌「NATURE」に載せられたとのことらしいですが、IPS細胞といい、今後の発展に非常に期待の持てるニュースです。

グローバリズムによる弊害

 コメント欄に質問がきたので、今日はちょっと気合入れた内容を取り扱います。その内容というのも、グローバリズムの弊害についてです。

 この問題については私と友人のツッチー、二人の恩師のK先生が詳しく取り上げていた内容で、その影響もあって今じゃ私は立派なアンチグローバリストです。前回にも書きましたが、日本ではグローバリズムは肯定的にしか使われないので、「何でアンチグローバルなの?」と疑問に思われることが多いのですが、グローバリズムというのは一見すると、世界中がつながりあえる、平和的な発達と取られがちですが、実際には経済的な概念が強く、その内実も搾取とも取られかねないものです。

 このグローバリズムの弊害がもっとも事件化したのは、多分日本人はほとんど知らないでしょうが、90年代末に起きた「アジア通貨危機」です。この事件の中身はウィキペディアかなんかで見ると早いのですが、一番生々しい話が身近で聞きたいというのなら、韓国人留学生に話を聞くのがいいと思います。
 簡単に話のあらましをすると、タイの通貨であるバーツは今の人民元レートみたくドルと連動した固定相場でした。そんな中、折悪くもドルの値段が上がり、それに伴ってバーツの通貨価格もどんどん上昇してきました。これに目をつけたのがアメリカのヘッジファンドたちで、簡単に言うと彼らはどんどんバーツを買っていき、みんなが買うもんだからバーツの値段もさらにどんどん上昇していき、あるところまで高くなったところで、一気に書いためたバーツを売り払ったのです。ちなみに、値段が上昇していく過程は今の原油高と同じです。

 その結果何が起こったかというと、一ドル当たりのバーツの値段が急落し、それによってタイの株式の価格もドル換算で一気に低下し、通貨の信用不安が起こりました。これも簡単に言うと今の原油高みたいなもんで、どんどん原油の値段が高くなって売れなくなったところで、一気に値段が下がって売っても儲からなくなって、さらに追い詰められるようなもんです、強引なたとえだけど。
 そしてこの信用不安はタイだけにとどまらず日本を除くアジア各国に波及し、韓国に至っては、現在も続く経済問題のすべての原因となっています。

 このように、今では何十兆円という資金がパソコンを通してボタン一つで動くようになりました。ミクロな話をすれば、いきなりヘッジファンドが株式を購入することによってその企業に十兆円あげるから、これを使って大きな工場を建ててもっと儲けなよと言い、それを信じた企業が工場を建築すると、いきなり「今の話はなしね」といって、株式を一気に売り、その十兆円を再び持ち去ってしまい、あとには工場を作る費用の借金だけ残るということも、大いに起こりうる話です。

 また多国籍企業の問題も、このグローバリズムとは切っても切れない関係です。この前なんてアメリカのウォールマートが国際条約で禁止されている児童労働を南米で行っていると非難されたら、「彼らは自主的に、ボランティアで我々の仕事を手伝っている。それに対して、我々は彼らにおこづかいをやっているだけだ」と言い訳していました。このように、本国では違法な労働でも他国では平然と行われ、その結果他国の経済格差を広げ、混乱を引き起こすと言われています。中には、「それでも仕事を与えてやっているじゃないか」という人もいますが、それは明らかな詭弁です。言ってしまえば、大きなスーパーがその地域になければ、小さな商店でもそれぞれやっていくことができ、雇用だって大きな差は起きません。仕事を与えるからといって、その国の人間を奴隷のごとく働かせる理由にはなりません。

 このように、書き出したら延々と続く内容なので、続きはまたおいおい書いていきます。ひとまず、これらのグローバリズムの弊害を読み解くのにいい本として、少し古い本ですが、内橋克人氏の「悪夢のサイクル」(文芸春秋社)をおすすめします。文字通り、この問題に理解を広げていないと、日本の学生は世界の流行から取り残されると思います。

2008年7月9日水曜日

洞爺湖サミットについて

 今日はちょっと気合の入るネタを書こうとしていたところ、デスクトップのパソコンがネットにつながらなくなり、しょうがなくこのノートパソコンで書いている始末なので短いネタを扱います。それにしても、また怒鳴って声が枯れちゃったな。

 さて今日で洞爺湖サミットは終了しましたが、私の評価は全くの無価値です。環境についてあれこれ話すとか言ってた割には具体的な目標がアメリカの反対によって何も決まらず、挙句の果てに拉致問題も言及こそしたものの、あまり大きな議題にならず拉致家族の会同様に残念な結果に終わったと思います。

 それよりも、以前にも書いた「日本語にならないアンチ・グローバリゼーション」でも触れた、反グローバリズムの概念がまたも取り上げられませんでした。一部のメディアではそのような反グローバリゼーション団体によるサミット妨害の懸念が取り上げられましたが、その運動内容や精神については誰も何も解説してませんでした。さすがに、今回は日本でやるんだから多少は報道されるんだろうと思ってましたが、個人的に一番残念な点です。

2008年7月8日火曜日

最近の近況

 涼しいので、今日はもう一本書きます。私の近況です。

 もともと、私は英語が大嫌いで、あのセンテンスの魂のなさといい、それで反発とばかりに中国語に執心していたところもあったのですが、現在はとある理由で毎日英文のメールを打っています。もちろん、自発的にじゃないですよ。こういうのもなんですが、すごい私にとって苦しいです。これならまだロシア語を無理やり勉強させられる方がマシ、ってか逆にロシア語は大好きなんだけどね。

 このところの週末には何故だか高校時代に知り合った人間とばかり会っています。ここで書くのもなんですが、清流派か濁流派かを二者択一的に言うなら、確実に私は清流派の人間で、友人も比較的おとなしい人間を選びがちです。その影響なのか、このところ会っている友人を思い浮かべると、非常に自分の好みのタイプを体現しているおとなしい人間ばかりです。そりゃまぁ、濁流派の友人もいることはいるけど。

 ちなみにこの清流派と濁流派の話で、三国志の英雄である曹操は濁流派ではあるが、彼の参謀の荀彧は清流派の代表格で、曹操ではなく彼を慕って数多の清流派の人間が曹操の下に集まり、彼は天下を取る事ができたという評論がありましたが、なるほどと私もそう思いました。かといって曹操も、現代に残るほど中国古代詩を残しており(古代詩は曹操親子で以って完成されたとされる)、全く濁流一辺倒というわけではないですが。

「利益分配」の時代から「負担分配」の時代へ

 もう三日も続けて田原総一朗氏の講演内容をやっていますが、多分今日当たりが最期の話で、一日目に話した内容の復習です。

 田原氏は、高度経済成長の頃は日本が得た利益を如何に分配するかが主な政治課題で、そのために「バラ撒き財政」の仕方に長けた人間ほど政治家の資質があった時代と評した上で、もうあの頃以上に成長が望めない、それどころか少子化のため逆に経済力が下がる可能性の方が高い現代では、誰がどれだけ社会の負担を抱えるか、「負担分配」を考えなければならない時代だと述べました。
 その上で年々上がる社会保障や取り沙汰される消費税の増税議論についても、しっかりと国民を含めて考えねばならないとし、今の政治家にはその負担の分配理由をきちんと説明できる資質が問われると断言しました。

 この田原氏の意見について、私も基本的に同意見です。それこそ消費税が二桁に増税するとしても、結果的に今の子供たちの世代の負担が軽くなるというのなら、甘んじて高い税金を受けるつもりです。しかし現状では上げた分の税金が効率的に使われる可能性が低いため、ただ財政難だから税金を上げるという理由だけでは賛成しかねる立場です。テレビなどでも多くのコメンテーターが述べてますが、税金を上げる前にすることがある、つまり予算の無駄使いをまず国からやめてもらわなければとても国民の側としては承服しかねます。田原氏も、まずは国が血を流さねばならないとして、自分の見積もりとして国家公務員はあと10万人はリストラできるとまで言いました。具体的な数字は別として、社保庁の問題からしていらない公務員の首切りは今すぐにでも必要な処置だと私も感じます。

 こっから別ネタになるのですが、この田原氏の話を聞いた際に思い出したのが、数ヶ月前の文芸春秋の記事でした。その記事の内容というのも、豊臣政権から徳川政権への移り変わりの話で、豊臣政権では朝鮮半島に侵攻するなど、あくまで収入を大きくするための拡張路線を採ったのに対して徳川政権では、今ある収入、要は日本国内の全石高の中で、如何に皆で耐え忍んで食っていくかを考える、持久力をもつ路線を採ったと書かれていました。江戸時代は確かに何度かの新田開発を経て石高は上昇したものの、領地という点ではほんの少しも広がりませんでした。土地がすべての資本であったあの時代、これは成長が全く見込めないも同然です。そのために徳川政権は大名や武士の身分を固定し、外国との交流を閉じるといった政策を採り、結果的に二百年以上に及ぶ長い統治に成功したのだろうと、その記事にはまとめられていました。

 ここまで話せばわかると思いますが、田原氏の言う「負担分配」の時代に必要な政策モデルに当たるのが、まさにこの徳川政権の政策だと私は思いました。成長はないが、持続できる社会。それは人口抑制かもしれませんし共産制かもしれません。ですが、こういった観点で議論を行えば、何かしら新たないいアイデアも生まれるのではないかと期待しております。