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2009年2月9日月曜日

漢字能力検定の立ち入り捜査について

文部科学省が漢字検定協会を立ち入り検査(YAHOOニュース)

 今猛烈に頭痛がするので、短く風刺記事をまとめようと思います。
 リンクに貼った通りに漢字検定協会が本来利益を追求してはならない公益法人であるにもかかわらず、大量の利益を上げている上に使途不明な支出が多いことから本日立ち入りが行われました。確かにここ数年は検定ブームで私の周りでも受けている人が多かったのですが、ここまで利益を上げているとは私も知らず、それほど受験料が高くないので全く盲点でした。
 漢字能力検定は今回の立ち入りが行われる前、ガス抜きとばかりに小中学生には受験料を免除するということを発表していましたが、漢字に親しむことは悪くないので是非そのような制度に変えるのが私も良いと思います。

 それにしても、最近の受験者増の背景には麻生首相がしょっちゅう漢字を間違えるのが一因のような気がしてなりません。下手すりゃ後世の評価として、「漢字教育の必要性を世に認知させた」とか書かれるんじゃないかな。

2009年2月8日日曜日

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について

 本当はもう少し待ってからこの件について記事を書こうと思っていましたが、なんだかネタバレの様相が出てきたのでもう私の感想を書くことにします。
 さて皆さん、俗に言う赤報隊事件というものをご存知でしょうか。この事件の詳細はリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、かいつまんで言うと朝日新聞阪神支局での銃撃によって記者二人が殺害された襲撃事件を始めとして、その前後で朝日新聞社が脅迫された一連の事件のことを指しており、犯行声明で犯人が自称した「赤報隊」という名前からこのような名前で呼ばれております。

 この事件は戦後に日本のマスメディアを対象にしたテロ事件としては二人も殺害されるなど、その残虐な手段と行為、果てには結局犯人が捕まらずに時効を迎えたことからこれまでにも度々「戦後のタブー事件史」等といっては取りざたされてきた事件ですが、週刊新潮の二月五日号にてこの事件の犯人だと実名で名乗り出た人物が独白手記を寄せた記事が載せられると聞き、俄かにまた脚光を浴びるようになりました。
 私としてもこの事件の不気味さと犯人側の目的がなんだったのかがかねてより気になっており、なんだか載せられているような気分もしたものの、発売日に週刊新潮を買った次第であります。

 それで結論から言いますが、二月五日号の発売から結構日にちが経ちましたがどうも週刊新潮の言ってる内容が怪しくなってきており、私としてもこの新潮の記事が悪意のあるものかどうかまではわかりませんが、少なくとも実名で犯人だと名乗り出ている元暴力団員の言っている内容は虚偽のものではないかと思います。

 まずざらっと週刊新潮が記事に寄せている内容を紹介すると、元暴力団員の島村征憲氏が赤報隊事件、もとい朝日新聞社阪神支局襲撃事件の犯人だと名乗り出たことから始まります。何故事件から何十年も経って犯人だと自ら名乗り出た理由として、阪神支局襲撃事件の共犯である弟分が自殺したことを受け、この事件の真実を生きているうちに明かさねばならないと考えたと話しています。
 それで二月五日号では実行犯である島村氏に指示犯のある人物が襲撃を依頼し、それを受けて朝日新聞本社襲撃事件と阪神支局襲撃事件の準備から実行に至るまでの経過が書かれているのですが、私がびっくりしたのはなんとこの号ではここまでしか書いていなかったのです。一番肝心要の犯行指示犯が誰なのか、一体どんな目的だったのかが一切明らかにされず、これだけの重要な事件の手記であるにもかかわらず連載記事にして内容を次号に持ち込むなんて、普通の常識じゃ考えられないのではないかと思いました。

 そんな具合で一発目早々からきな臭いと思いつつも、先週木曜日に発売した二月十二日号も発売日に買って続きの記事を読んでみると、犯行実行時の細かな詳細は確かに書かれているのですが、あらかじめというかなんというか、記事中に島村氏が「もう昔のことだから細部は違うかもしれないが」と断っています。別にこれ自体については私もとやかく言わないのでとっとと犯行目的を言えよと思いながら読み進めていくと、事件発生後に犯行声明を書いたのは当時の大物右翼の野村秋介氏で、これまでの憶測どおりに右翼による左派メディアの代表格である朝日新聞への思想犯説かと思いきや最後にどんでん返しが待っており、犯行指示犯について説明するその部分をそのまま抜粋すると、

「汚くて、狡猾で、不気味な男なんです。在日アメリカ大使館の職員、佐山という男は」

 これを見て、さすがに私も( ゚д゚)ポカーンとなりました。何でアメリカが朝日新聞を襲わねばならないのか、なんていうか三文小説のプロットに突然なったような感覚を受けました。第一、何でアメリカ大使館職員なのに「佐山」って名前なんだ、仮名でも「ジョーンズ」にしときゃいいのに。

 週刊新潮の二月十二日号はまたも引き伸ばしをはかってここで記事を終えているのですが、このわけのわからない記事に対して週刊文春が食いかかってきています。週刊文春の二月十二日号ではこの週刊新潮の一連の事件手記記事に対して、「朝日が相手にしなかった「週刊新潮」実名告白者」という見出しの対決姿勢満々の記事にて、まず週刊新潮の記事に対して事件当事者である朝日新聞社側の取った反応を紹介しています。
 二月五日の週刊新潮の記事で島村氏は別の事件で服役中、朝日新聞社に自ら実行犯だと名乗り出る手紙を出し、それを受けて朝日新聞から記者がやってきたが記者らの倣岸な態度を見て事件の詳細を話すのをやめたと書いているのですが、朝日新聞側はこの島村氏の証言に対して確かに服役中の島村氏と接見した事実を認めたものの、その際に聞いた島村氏の証言と犯行時の現場などの特徴が一致しなかった点や、島村氏の犯行動機などに曖昧で矛盾する点が数多いことから取り上げなかったと発表しています。
 この朝日の対応については私自身も、週刊新潮の発売直後にasahi.comにて記事の内容と真実は異なると発表しているのを確認しています。

 そうして朝日新聞側の反応を紹介した後、週刊文春では非常にネタバレな内容が書かれており、なんでも島村氏が語る犯行指示犯はやっぱり「米国大使館の駐在武官のJという人物だ」と書いており、なんで朝日新聞を襲わせたのかという動機について、

「阪神支局殺害事件で殺された小尻記者が関西のあるグループから北朝鮮が偽ドル札印刷に使用する銅製の原版を預かり、それを返さなかったことがアメリカを怒らせたからだ」

 という、自分で書いてても胡散臭い、なんかの三文小説みたいな動機が先ほどの朝日新聞社との接見で島村氏が語った内容だと紹介しています。もうのっけから、なんで原版を朝日新聞の記者が手に入れるんだよと突っ込みどころが満載です。

 こういった荒唐無稽な内容から朝日新聞社は取り合わなかったといいますが、私としてもこんな動機を言うくらいだったら始めから「右翼の思想犯による犯行」と言った方がまだ信憑性があったような気がします。再度結論を言いますと、現段階で実行犯と名乗り出ている島村氏の一連の証言は狂言である可能性が高く、新潮の一連の記事もなんども核心部を先送りにしていることといい、適当なでっち上げ記事のように思えてなりません。そんなわけで、来週の週刊新潮は立ち読みで済ませることにします。

2009年2月7日土曜日

今、どんな経済学が求められているのか

 今朝の朝日新聞朝刊の文化欄に、「古典の思想家 再注目」という記事があり、いろいろと私も思うところがあるのでちょっと感想をここで述べます。
 まずこの記事で何が述べられているかですが、記事冒頭のリード文をそのまま抜き出すと、

「スミス、ケインズにハイエク、シュンペーター、ガルブレイス、近現代の経済学、経済思想の泰斗がこのところ引っ張りだこの様相を見せている。100年に一度ともいわれる世界的な経済危機、打開のヒントを、遠ざけられがちだった古典に求める機運が高まっている」

 この文に私も異論はありません。やっぱり去年から今年にかけてかつてのマルクス(サッカー選手じゃないよ)よろしく、近年の経済学ではほとんど研究対象とされなくなったケインズがまたちらほら出てくるようになり、彼の復権が急速に行われているような気がします。

 現在、日本のどこの大学でも経済学の授業で教えられる内容のはそのほとんどはミルトン・フリードマンの提唱した新自由主義であることに間違いありません。この新自由主義が何故これほどまで力を持つようになったかを簡単に説明すると、戦後にジョン・ケインズ(198センチの大男。)の提唱したケインズ経済が支配的だった70年代ごろ、日本やドイツといった敗戦国の経済がアメリカがイギリスといった戦勝国に追いつくようになり、もはやケインズのやり方では通用しないという具合で、歴史的にはイギリスのマーガレット・サッチャーが政策の中心に導入したことを初めに、徐々に世界で新自由主義が支配的になっていきました。
 特にアメリカではレーガン政権がフリードマンを政策顧問に置くほど傾倒し、事実アメリカもドル体制の下でこの経済政策で一時的に成功を収めたのですが、今回の金融危機によってそれが破綻し、やっぱりこんなやりかたじゃ駄目だったんだと現在は逆に総スカンが巻き起こっています。

 これなんか私もこの前までやっていた「失われた十年」の連載をしていて感じていたのですが、やっぱり何かに躓くことにより、社会というのはそれまで信奉していた概念とか理論に対して急激な反動を起こすところがあると思います。そもそも70年代に新自由主義が力を持った背景というのも、ケインズ経済学が通用しなくなってきたことに対してケインズ経済学と真逆である、生前のケインズと学説上で激しく対立していたハイエクの陣営の経済学であったことが原因だと思えてなりません。

 ここまで言えば察しがつくかもしれませんが、ケインズがなんでまた現代に復権しているのかというと、その最大の原因は新自由主義と真逆の学説だからではないかと私はにらんでおり、もし本当にそうであるのならば安易な転換は行われるべきではないかと思います。
 一気に結論を言いますが、新自由主義が今回の世界的不況で否定されたからといって、そのすべてを否定して真逆の学説を採ったところで、感情への気休めにはなっても何の問題の解決にもならないと思います。

 確かに今だからこそケインズ経済学の中から見直すべき説、採用すべき説というものもいろいろ見えてくるのは確かです。しかしケインズ経済学は必ずしも万能の経済学というわけでもなく、少なくとも公共投資による有効需要の創出には限界があるということは現代ではほぼ証明されており、フリードマンが駄目だったから何でもかんでもケインズへというのはあまりにも安直で、また自滅へと向かう道にもなりかねません。
 じゃあ一体どんな経済学を信じればいいかですが、やはり理想はこれまでの学説を個人個人が再び再読することに尽きると思います。それこそマルクスの資本論からケインズとハイエクの学説、今回批判されているフリードマンに彼と最も対立していた宇沢弘文先生の意見など、世の中のありとあらゆる経済学を勉強しなおして何が有効なのか、かつてない今の時代だからこそかつてない新たな知恵を出すことに尽きます。

 一番危険なのは、何度も言いますがフリードマンが駄目だったからまた元のケインズへと、思考を停止して二項対立的に選択をすることです。
 これは昔に聞いた話ですが、戦後の日本の官僚が優秀だったことについて、戦後教育では社会主義経済学と資本主義経済学が同時に東大などで教えられていたことから、双方の長所と短所を理解して相互に有効に組み立てられたからだという意見がありましたが、これなんかなかなか参考になる意見だと思えます。一つの学説にとらわれず、いろんな学説を見比べて何を政策に移すか、そうした総合的な知恵こそが今の時代に必要なんだと思います。

  追伸
 私の基本の行動パターンはアンチセントラリズムこと、反中央主義的にいろいろものを考えて行動します。需要のないところだからこそ自分が補填するとばかりに、経済学の学説とかでもブームの過ぎ去ったものとかを割合に勉強することが非常に多く、また今では誰も話題にすることがなくなった古い議論や学説なども、自分が伝承者になるのだと妙にいきがってこのところよく調べています。
 今回話題にした、というより朝日新聞の記事でコメントしている京大教授の間宮陽介氏の「ケインズとハイエク」という本を手に取ったのもそういった思惑からで、そもそもフリードマンの前身者たるハイエクというのは一体どういう人なんだろうとK先生に相談したことから紹介を受けました。

 そうは言うもののあんまり現代で話題にならないもの(それを言えば経済学自体が私の専攻ではない)を調べるもんだから、先ほどの「ケインズとハイエク」を読むのには非常に苦労しました。文章は日本語ですがハイエクの思想論のところなんて何度読んでも頭に入ってこず、二年前に一度読むのをあきらめて、先月からもう一度読み始めてようやく今日になってようやく読破できました。読み終えた感想として、苦労した分いろいろな新たな概念を得ることが出来ました。それとともに今回題材とした記事に間宮陽介氏や神野直彦氏など、まだ著作を読んだことのある学者がコメントしているのを見て、なんだかんだいってやってることが身についてきたなと思った日でした。

私とK先生

 最近小説を書いていないので、ちょっと小説じみた私の個人的な体験談を今日はして見ようかと思います。内容は私とK先生との馴れ初めの話です。

 K先生はこのブログでも何度も出ていますが、直接的に「弟子にしてください」と頼んだことはないものの、実質私が組み立てる経済学の基本を指導、教育を行ってくれたのはK先生であるので勝手ながらお呼びしています。
 私とK先生が出会ったのは学校の授業にて、単位獲得のためにそれほど意識して選んだ授業ではなかったものの、二時間連続で合計四単位の授業なので取ってて損はないだろうと受けたのがきっかけでした。授業内容について言えば、ここで私がこういうもの変ですが非常に特殊な授業形式であったと今でも折に触れて思い出します。

 K先生の毎回の授業の流れというのは、まず指定した教科書の内容をそれ以前に指定された担当者が解説をし、その解説を受けて他の授業参加者がその内容に対してどのように思ったかを感想を述べ合います。ここが特殊なところなのですが、この感想を述べ合うところは自発的に手を挙げる人間が発言するのではなく、それこそローラー順と言うか、端っこから順々に強制的に学生に何かを言わせる方法でした。
 この方法だと適当に授業を受けて単位を取ろうと思っている学生でも、何かしら場に合わせて発言しなければならなくなります。授業参加人数が少なかったからこういう形式が出来るというのもありますが、それこそゼミでやるようなことを一授業で、しかも毎時間にやるというのが一風変わっていました。

 基本、学校の授業というのはやる気のある人に対してない人の方が圧倒的に多いものだと私は考えています。なもんだからこの授業でもそうして強制的に発言させられる人たちの中でも、やっぱり議論をリードする人とそうでない人とで別れていくのですが、面白いことに授業開始当初はそれこそ「まぁいい考えだと思います」といったような適当な発言ばかりしていたやる気のない学生でも、段々と回を重ねるごとにこちらが思わないような意見を言い出したり、積極的に議論に参加するようになって行きました。K先生に言わせると、やっぱり無理やり発言させることによって芽を出す学生というのは結構多いらしく、別にうちの学校だけでこんな授業形式をやっているわけではないらしいですが、どこでもつついてみると非常に授業が面白くなっていくそうです。

 まぁこんな感じでいろいろと意見を言い合い、一通り全員の意見が揃うと今度は論点を絞って、それに対してまたどう思っているか、今度は逆ローラー順にまた強制的に発言させていきます。この段階になると論点が絞られているのもあり、「あなたの意見はそうだけれでも」という具合に反論が出たり、また新たな意見が出るようになります。
 別に私は意識をしてはいなかったのですが、周りからは私ともう一人の女子学生がいつも授業をリードしていると思われており、確かに思い返すとその女子学生の方と毎回激しい応酬になっては、「女の人でも、こんなに意見の鋭い人がいるのか」と、向こうも私のことをそんな感じに思ってくれていたらしく、互いに尊敬しあいながらいつも授業を盛り上げていました。ちなみにその人に言われた一番びっくりした意見に、「前から思っていましたが、あなたは右翼ですか?」、というのもありました。友人なんか横で爆笑してたし。

 そんな感じで私も回を追うごとにこの授業にハマっていき、授業後には個人的にK先生にあれこれ質問をするようになっていきました。当時私たちが授業で使用していたのは「人間回復の経済学」(神野直彦著)でしたが、この本の中では高付加価値を追求する社会モデルとしてIT技術向上の奨励などが書かれていたのですが、ちょっと腑につかない点があってある日こんな質問をK先生にしました。

「先生、この本の中ではIT技術を今後の日本の産業の柱にすべしと書かれていますが、自分は日本は人口が多い国なため、大量の雇用が必要となる製造業を中心とした二次産業を中心にしていかなければいけないと思うのですが」
「私もそう思いますよ」
「しかしこの本で謳っているIT化はいろんな作業の手間を省いてしまい、結果的には必要な人員が要らなくなり失業が増えるのではないでしょうか?」
「確かに一見するとそうだけど、この本の作者の神野さんは恐らく、日本に必要な製造業をIT化によってより盛り上げようと言っているのではないでしょうか。何もIT一本に絞れとは言ってないと思いますよ」

 こう言われ、その後非常に猛省をすることになりました。
 確かに神野氏の先ほどの著作ではIT化の必要性が強く訴えられていますが、なにもそれ一本に絞れとはどこにも書いていません。にもかかわらず私は脊椎反射的に、ちょうど折も折でITバブルが弾けた後だったからIT革命やらそういった方向へ目指す主張に批判的な態度を当時の私は取っていたため、妙な風に神野氏の主張を誤解するばかりでなく、二次産業と組み合わせるという発想に全く至りませんでした。
 それこそ頭をかなづちで叩かれるような衝撃を受け、それからはK先生の言われることに素直に言うことを聞くようになり、その年で授業の単位を取ったものの、次の年とその次の年もまた同じ授業を受け、議論に参加するなどしてK先生の薫陶を受け続けました。

 さてそんなK先生ですが、めがねを取ると火曜サスペンスに出てきそうな渋いおじさんで非常に落ち着いた口調も優しい先生ではあるのですが、以前に先生の若い頃の話を聞くと、どうも今のイメージとギャップを感じてしまいます。なんでも高校時代のK先生はバリバリの社会主義信奉者だったらしく、少しでも左翼運動などに興味を持っていない学生を見ると、「資本論を読んで来いっ!」ってな具合で激しく活動されていたそうです。
 もちろん今ではそれほど社会主義経済学を主張したりすることはないのですが、やはりその方面の知識から各経済学の体系には非常にお詳しく、先日にも戦前の社会主義陣営の「講座派」と「労農派」の違いについてメールでお尋ねしたところ、非常に詳細な解説をいただけました。

 なおそのメールでK先生は、それこそ今の経済状況はかつて例のない異常な事態で、かえって昔の議論を検証しなおすのもいいかもしれないという風に付け加えていました。私も今そう考えてあれこれ古い議論とか学説を読み始めているのですが、こういうときにいい指導者がいて本当によかったと思えます。

 最後に先生が昔過激だったことについて、私も負けず劣らずに過激な性格をしていると本店のコメント欄にて指摘がありました。なにもこのコメントに限らずあちらこちらで周囲から私は過激だと言われていますが、そういう私自身も「みんな大人しい奴ばっかだなぁ」と思うくらい、今まで自分以上に考えが過激な人間を見たことがありません。
 自他共に認めるほど過激な性格をしている私ですが、外見はと言うとこれまた周りからの評価ですが非常に大人しそうに見えるらしく、そのせいか初対面の人なんか私が話し出すとその見かけとのギャップにみんな驚くそうです。
 K先生も見た目とか話し方は非常に落ち着いていられることもあり、案外思想が過激な人間というのは見かけは皆大人しそうに見えるものなのかもしれません。

2009年2月6日金曜日

80年代のある中国農村調査

 今日は一つ、私の手持ちのネタの中でも飛びきり特大の秘蔵ネタを紹介しようと思います。先に言っておきますがここで紹介する話はまず間違いなくまだ世の中に出回っていないネタで、私のこのブログが初見となることでしょう。

 今回紹介する話はもうこのブログで何度も名前が出ている、東大名誉教授の宇沢弘文先生が講演で話した話です。その講演自体がそれほど宣伝されて開かれたものでなく、参加者もそれほど多くなかったので自分で言うのもなんですが非常にレアな話で満載の講演となりました。
 ちなみにこの宇沢先生ですが、私の経済学における師匠と呼べるのがK先生で、そのK先生が所属する学派のトップが宇沢先生なので私にとっても直系の師匠筋に当たる先生でもあります。それでこれは軽い自慢ですが、一度だけK先生の紹介で私も宇沢先生に話をさせてもらう機会がありました。まず出身を聞かれて鹿児島県の出水氏だと答えると、水俣病の調査で訪ねたことがあると言われ、簡単に当時の水俣病の話を伺いました。

 話は本題に戻りますが、その講演で宇沢先生は鄧小平がまだ存命だった頃、恐らく80年代に中国政府の依頼で中国の農村を調査したらしいです。そして調査を終えていざその結果を報告する際、並み居る中国共産党の幹部が居並ぶ席上でこのような報告を行ったそうです。

「資本主義には市場原理があることによって限界があるが、共産主義の搾取には限界がない」

 自分で書いてても笑いがこぼれてくるのですが、こんな恐ろしい調査報告を当事者である共産党の大幹部たちの前でやってしまったそうです。確かに非常に的を得た意見なのですが、射過ぎてしまっているというか。
 案の定、その時の状況について宇沢先生は「これはもう日本には帰れないかも」と思うほど共産党の幹部らは激怒し、こんな奴を生かして帰すななどと言っては激しく突き上げられたそうです。
 そんな中、ある幹部が唯一人、

「いや、彼の意見も一理ある。詳しく報告を聞こう」

 と言ったそうです。何を隠そう、後の第二次天安門事件の際の総書記であった趙紫陽でした。

 恐らく、私くらいの世代では中国関係の専門家でなければ趙紫陽氏の名前すら知らない方が大半でしょう。なぜか私の愛弟子だけが妙に詳しく知っていてびっくりしたのですが、彼を除けば未だかつて知っているという友人はまだ見たことがありません。
 詳しくはリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、非常に実務能力の高い人間で彼が指導を任された地域では餓死者が出ないというほど手腕に長け、実質鄧小平の右腕として文化大革命後の改革開放期に活躍した政治家でした。

 この趙紫陽氏は胡耀邦氏の失脚後に総書記となりましたが、形式上は最高権力者でも当時の実際の最大権力者は依然と鄧小平であることに変わりはなく、その後の第二次天安門事件を引き起こした責任を取る形でこの趙紫陽氏も失脚しましたが、趙紫陽氏はかねてより中国の民主化に対して理解があったらしく、天安門事件の際には抗議を続ける学生らに理解を示す態度を取っており、事件の発生以上にその態度に鄧小平が激怒したことが失脚の原因とまで言われています。
 そのため失脚後は比較的緩い軟禁生活を続けて2005年に亡くなられましたが、今でも趙紫陽氏の命日にはたくさんの民主派の活動家が彼の遺宅に尋ねるそうで、その日が来るたびに北京の警察は警備を厳重にしています。

 さて話は戻って宇沢先生の話ですが、私が言うのもなんですがこの宇沢先生というのは非常に攻撃的な方で、K先生に至っては「あの人は一日一回は文部科学省の悪口を言わないと気がすまない」とまで言うくらい、とかく口角の鋭い方であります。特に先ほどの文部科学省と並んでかつての同僚でありライバルであったミルトン・フリードマンが死去した翌週には、「これで世界はまた一つ平和になった」とまで言うのを私も生で聞きました。

 そんな宇沢先生が、この趙紫陽氏に対しては非常に立派な人物だったと先ほどのエピソードと合わせて強く褒め称えていました。そして趙紫陽氏との話で、なんでも彼の自宅で宇沢先生が彼と話しをしていると、いつの間にか多勢の学生が今にも襲ってきそうなばかりに血気だって趙紫陽氏の家を囲んだそうです。慌てる宇沢先生をよそに趙紫陽氏は、周りを取り囲む学生を一人、また一人呼んでは彼らとゆっくりと話し、最初は激しい調子だった学生らも趙紫陽氏と話をするとどんどんと納得して帰っていき、いつの間にか囲みがすべて解けてしまったそうです。

 なんだか聞いてて嘘のような話ですが、改めてあの時代の中国と、生前の趙紫陽氏の経歴を見ると本当にあったことなのではないかと私は思います。

2009年2月5日木曜日

日本にいる外国人について

 前回の記事の続きになりますが、やはり私が明確な親中派ということもあるでしょうが今の日本の外国人に対する見方にはいつも不愉快な気分にさせられます。中国人や韓国人と来るとすぐに犯罪者だとネットでは言われ、移民の議論についても感情的に否定される意見ばかりが目立ち、偏見とまでは言いませんがもうすこしちゃんとした見方はないのかといつも残念に思います。

 特に移民についてですが、既に日本は外国人の労働力なしではたくさんの産業が立ち行かないところまで追い詰められています。自動車産業ではブラジル系、看護や介護ではフィリピン系、そして面白いのは深夜の居酒屋産業では中国、韓国系などと、それこそところ狭しに外国人労働者が日本中で働いています。
 最後の居酒屋産業についてもうすこし詳しく話しますが、先月に派遣切りにあった人たちを救おうと去年から今年にかけていくつかの居酒屋を経営する企業が大量募集をかけたところ、ほとんど人が集まりませんでした。原因は雇用条件が短期であったり給与条件がよくなかったりと言われていますが、私としてはなによりも仕事がきついと思われたことが敬遠された理由だと思います。

 私は居酒屋などでバイトはしたことはないのですが、やっぱり経験者に聞くと毎日わけのわからない酔っ払いを相手にして、少しでも配膳が遅れると怒鳴られるなど相当にきつい職場らしいです。そのため今回の派遣切りが行われる以前からもこの業界では慢性的に従業員が不足しており、アルバイトも時給を少し上げただけではほとんど集まらないという状況だったようです。
 そういった背景からなのでしょうか、どうもここ二、三年間、夜に居酒屋に行ってみると働いているのは中国や韓国の留学生ばかりになっているように前から思っていました。すると実際にそうらしくて、居酒屋経営者のインタビューによるとどんなにきつくとも外国人でもバイトをやらせてくれるということで留学生が集まり、近年はそんな留学生たちが主力として働いているそうです。しかもそれら留学生はただ働けるからといった理由だけでなく、昼間に受ける学校の授業に影響がないからという理由ででも深夜バイトを選ぶというのですから頭が下がります。

 事実私も何故だか知らないけど変に外国人にモテるところがあり、一時期はチリ人、中国人、韓国人に囲まれていろいろ面白い生活を過ごしましたが、彼らに共通しているのは皆勉強に熱心で、日本での生活も費用面で少しでも学費を出している両親の負担を軽くしようと皆バイトにも励んでいました。チリ人の女の子に至っては、卒業する際にすぐ帰国するのかと聞いたらこれから帰国費用を稼ぐんだとまで行っていたし。

 正直なところをいえば、私の出会った外国人留学生たちは皆遊んでばかりの日本人の大学生よりも、ずっとずっと立派な人たちばかりでした。確かに外国人犯罪の発生件数は年々増えて犯罪率も高いというデータもしっかりとでていますが、だからといって外国人皆を犯罪者のように見たりするのだけは日本人の方にはやめてもらいたいと強くここでいいたいです。彼ら外国人は日本で正社員になるのにも壁があるだけでなく、その他いろんな面で日本で生活する上でハンデが科されます。

 これは私自身の経験ですが、やっぱり海外にいってその国の人にいろいろよくしてもらった国には今でも強く恩を感じる一方、変な人とかに絡まれたりした国にはあまりいい感情を持ちづらいです。私としては日本に来ている外国人にはやっぱり日本のことをよく思ってもらいたいと思うので、今週末にもまた友人の上海人とランチをする予定です。

  追伸
 よく中国産野菜は危ないと言われていますが、実は日本の国産野菜ですら現在は中国人が作っているものばかりだそうです。農繁期には大量の人手が要るのですが、昔は学生バイトなどが農家に来たもののここ数年はほとんどこず、代わりに中国からの出稼ぎ農民に来てもらってレタスやキャベツが作られているそうです。いわば、日本の国産農業も中国人なしではやってけない状況だそうです。

同一賃金同一労働への壁

 どうでもいいですが先週に熱出して寝込んで以来、どうも文章の書き方が自分でも変わってきているような気がします。今までもそういうことがなかったわけじゃないですが、こうも毎日書いているとなぁ。

 それで本題に入りますが、さてどっちを向いても不況不況の現在、企業はどこも経費削減を行っておりその一貫としてワークシェアリングや前に私も書いた一時帰休ことレイオフなどの制度導入を議論し始めています。その一方で首切りの真っ先の対象であった派遣社員らとの格差問題に触れ、同一賃金同一労働の議論も一部では行われています。

 この同一賃金同一労働の中身というのは、要は単位時間当たり同じ作業を行う人間は年齢、職位、性別、正規雇用か不正規雇用かの区別なく同一の賃金を払うべきだという考え方で、この制度を現在のところ先進国で唯一実施、維持しているのはオランダで、昔見た統計だと確か正社員と非正社員の単位辺り賃金の差が90%と、実際にほとんど差がなく推移しています。なお日本の同じ統計結果では60%くらいだったかな。

 言ってしまえばこの制度、当たり前といえば至極当たり前の制度と言えますが、現在の日本では同じマクドナルドの仕事でも正社員とアルバイトでは受け取る給料額に大きな差があるだけでなく、残業代などが真っ当に支払われないことから正社員同士でも職位によってやたらめったらな給料差があり、労働の内容というよりも待遇の違いによって給料が決まってしまう、なんかこう書いてて身分制じゃないかというような社会が続いています。
 もちろんこんな社会では社会に活力が生まれるわけもなく、自分でもくどいと思いますが日本の若者が派遣や非正社員といった不遇な立場が見えており、何をしたところで、どんなに頑張ったところで報われないというあきらめの意識からやる気をなくすのも自然なことで、そういう意味で同一賃金同一労働によって、ある程度その労働によって報われる社会を目指そうとするのもあながち方向性としては間違っていません。

 しかし私はここで断言しますが、この同一賃金同一労働は不完全な状態ならともかく、完全な状態で実施されることは今後50年間はないでしょう。それはなぜかというと、外国人労働者の問題があるからです。現在派遣切りの問題がクローズアップされてその対策なども各地で行われていますが、私は今最も深刻な状況に追い込まれているのは愛知県や群馬県などで出稼ぎで働いていた外国人労働者たちだと考えています。
 彼らは日本国籍がないために日本人に適用される最低賃金枠がないためにそれこそ時給あたりに換算すると奴隷のような待遇で働かされ続けてきましたが、今回の世界的不況のあおりを受けて真っ先に解雇されたのも彼ら外国人労働者たちで、以前の報道で見た内容では帰国費用すらままならないまでに追い詰められている方もおられるそうです。

 正直に言えば、私はこの外国人労働者の状況を聞くたびに日本人として非常に申し訳ない気持ちになります。散々安い賃金でこき使った挙句にいらなくなったらぽいっと捨てて、挙句に日本人の派遣労働者みたいに保護や対策も一切為されずにおります。中にはここは日本なのだから日本人を優先して当たり前だと言われる方もおられるかもしれませんが、彼ら外国人は日本語も日本の文化もわからず、生活や家族のために日本の企業に請われてやってきています。そんな状態で職もお金も尽きるとなると、その不安も相当なものでしょう。ましてや外国人であるために再就職をしようともなかなかうまくいかず、行政の援助や支援も全く行われない状況ではもはやどうしようもないでしょう。

 こんな風に思うのも、私が留学経験があるからかもしれません。やっぱり外国ではちょっとしたことでもものすごい不安を感じ、感情の起伏が大きくなって急にハイテンションになったかと思えばがくっとやる気をなくすことも留学当初はあり、やはり母国で過ごすのと比べていろいろと大変なことが多くありました。そういった背景があるため在日の外国人に対して強い同情心を覚えているのかもしれませんが、やはり今の状況は見過ごすことが出来ません。

 大分話がそれましたが、たとえ今回の不況が去ったとしても今後日本は大量の移民労働者を抱えなければならない事態に遅かれ早かれなることが予想され、そんな時代において国籍までも問わない同一賃金同一労働は達成されることはなく、外国人賃金という一段低い賃金率はますます世の中に横行することが予想されます。
 私は日本の事を思ってくれて、実力のある人間ならば正当に平等に評価されるべきだと考えています。しかし日本人の中でも未だに実力通りに正当に評価されない現在においては、そんなことは夢のまた夢なのかもしれません。