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2009年3月17日火曜日

どういう風に職業を選べばいいのか

 このところ東京駅の高速バスの停留所の辺りを通ると、休日でも朝早くなのにスーツを来た若い大学生と思しき人たちをよく見かけます。時期が時期なので彼らは恐らく地方から高速バスに乗って就職の説明会や面接にやって来た学生たちだと思いますが、遠いところから来るなど改めてその活動振りには頭が下がる思いがします。
 そんなわけなので今日はまた就職の話をしようと思うのですが、よく就職情報誌などの質問コーナーなどを見ると、「どんな職業が自分にあっているのか」という自分と職業とのマッチングに関する質問が多く見かけられ、果てにはYES,NO式のマッチングフローチャートなども大抵の雑誌には載せられています。

 つまりはそれほどまでに自分に合った仕事を見つけることが重要だと考える学生が多くいるようなのですが、私はというとそうした考え自体があまりよくないのではないかと、実は一人で危惧をしてしまいます。というのもよく仕事の向き不向きなどは職業論での議論の材料にはなりはしますが、何か一つの仕事に対して強い適性を持っている人間なんて現実にはほとんどおらず、大抵の人間にとって好みの問題はあれこそ、何かの職業が特別向いているというようなことは全くと言っていいほどないと思うからです。
 それこそ他の仕事は一切手につかなかった水木しげる氏(軍隊でラッパも吹けなかったので前線に飛ばされた)のような超特別な人間なら話は別ですが、大抵の一般人にとって世の中一般の仕事は言うなればやるかやらないか程度の問題で、「これしか出来ない」とか「この仕事こそが一番自分に合っている」なんていうことは現実にはほとんどの人にはありえない事態だと思います。

 それでも世の中を見ているとどこか運命論的に、「どこかに必ず自分の転職と呼べる職業があるはず」といったような言質がよく聞こえてくるのですが、ひどい場合には何か一つの職業や職種を挙げてこれ以外はもう考えられないと、自らの就職先の選択を徹底的に狭めようとする人もいます。
 ですが企業なんて入ったところで必ずしも自分の希望する部署に入れるかもわからず、また本当にその企業が自分の思った通りの仕事をしているかもわからないことが多く、人づてに聞くとそうした特定の職種や職業に強いこだわりを持つ人間ほど五月病にかかりやすいそうです。

 では何故学生たちは自らの適性にあった職業を半ば決め付けようとするのかですが、先ほども私が言った通りに、自分の存在価値を職業を限定することで強く自分自身に意識させようというのがあるからじゃないかと個人的には思います。というのもこれは私が中学三年生だった頃に友人が、
「花園君はなりたい職業はある?」
「出来れば作家になりたいけど、なんで?」
「俺にはなりたい職業がわからないんだ。こんなんでいいのかなぁって思って……」
 と、中二病バリバリの時期にこんな会話をしたことがあります。この友人の当時の心境を勝手に推察させてもらうと、なりたい職業がないということはこの世に存在する価値もない、という風にもしかしたら考えていたのかもしれません。

 このように、大抵の人は職業選択の幅を自ら狭めよう狭めようとするのですが、確かに一人で何百社も就職活動をすることは出来ないのである程度狭めることは決して間違いではないのですが、極端に狭めることはかえってマイナスですし、それで希望通りでなければショックを受けると言うのは非常にもったいないでしょう。ではどういう風に選択幅を狭めればいいのか、どんな仕事を自分に見繕えばいいのかですが、私がお勧めするのは最低ラインを定めるという方法です。
 これなんか私が学内で自分の専門性を決める際に使ったのですが、世の中に出ればどんな仕事に出くわすかもわからないが、少なくとも大好きな中国に関わる仕事であればどんなに辛くとも、「チャイナならしょうがねぇ」と思ってまだ我慢できるだろうと思い、中国に何かしら関われるように中国語を専門に勉強することを決めました。

 この方法は「自分に何が合うだろうか」ではなく、「自分は何なら我慢できるか」と、自分と仕事に対して妥協点を探る方法です。この方法なら職業選択の幅を極端に狭めることもなく、また割と一致しやすい範囲で自分の適性と仕事を結び付けられることが出来るのでなかなか使い勝手がいいんじゃないかと思います。また私の場合は「中国」と限定していますが、消去法的に人見知りだから散々人に会うのは勘弁という人は警備会社とか経理関係とかに絞ったりなどとする方法もあります。
 とにかく、何かしらの仕事や企業を自分の天職と考えて限定するのはかえってよくないので、どこまでなら自分は我慢できるのかという価値観で就職活動を行うのを私はお勧めします。まぁ、このご時世では「正社員ならどこでも」と思ってもなかなかうまくいかないかもしれませんが……。

2009年3月16日月曜日

日本の政策決定者たちの誤算

 最近経済系の記事を書いていなかったので、補給とばかりに一本書いておきます。

 まず一番の指標たる株価ですが、先週に一次大きく値を下げて7080円位になるなど6000円台も見えてきたところ、先週金曜日と同じように今日も大きく反発して久々に7700円台まで回復しました。ってか先週の段階だと、この際だから6000円台に一回くらい入ってほしいとか個人的には思いましたが。
 なので日本の株価、ひいては経済は底を打ったのかというと、私はまだまだそんな段階には至っていないと思います。というのも今回の世界的恐慌に対して日本政府があまりにも甘い見通しを持っていたがゆえに、対策が非常に後手後手になっていて以前とこの状態を突破する傾向が見られないからです。

 今の麻生政権が発足した当初、日本政府は「世界的な金融恐慌の中、日本は比較的損害が少なかった」として、麻生総理なんかは日本がまず最初にこの不況を脱して世界を引っ張るなんていっていましたが、最初の政府の見通しは半分正解で半分大はずれだったというのが私の見方です。というのも確かに日本は失われた十年の間に大量の不良債権を処理したおかげもあってリーマンショックの影響を先進国の中では最も受けずにいたのは確かです。
 しかし世界がリーマンショックによって金融が大打撃を受け、それが製造業を筆頭にした実経済にも影響を及ぼしていって不況になったのに対し、日本は先月に発表された2008年10月-12月の四半期GDP成長率が-12.1%と、先進国の中で最も経済縮小が現実に起こっていることが発表されました。もう一度言いますが、他の先進国は金融が大打撃を受けたことで実経済も縮小しているのに対し、日本は金融は先進国の中で最も損失が少なかったにもかかわらず、金融を含めた実経済が最も縮小しているという恐ろしい現状にあるということです。

 何故日本がこのような妙な状態に陥っているかと言うと、単純に言えばこれまで外需に依存し続けた、つまり日本国内には物を売らずに外国でずっと物を売ってきたので、外国が物を買わなくなっても他国のように最低限の内需があるわけでもなく、国内にいたっても誰も物を買えなくなっていたという現状を作っていたからにつきます。
 はっきり言いますが、当初の政府の予測は明らかに現在のような状況を想定していなかったと思われます。確かに年末にかけて行われた中小企業対策などは必要な政策ではありましたが、外需に依存しすぎた体制をどのようにして建て直し、世界経済が安定化するまでいかにして内需を取り戻すかと言う視点が始めから抜けていたために現状でできる有効な対策などをみすみす逃してしまったように私は思えます。

 おまけに徐々に全国で配られている定額給付金ですが、これの配布費用は約二兆円とのことですが、この前政府が発表した失業者対策の費用は一兆円と、力を入れる箇所が明らかに間違っているのではないかと私は強く不快に思いました。それならば給付金の二兆円を全部医療や失業者対策に使っていれば、どれだけよかったことか。

 こうした点を総合し、どうやら今の麻生政権が七月のサミットまで粘って任期切れを測ろうとしている点も考慮し、少なくとも日本の株価は七月から八月にかけての夏に至るまで以前と低空飛行を続けると私は予測します。八月に入れば株価が底を打ったかどうか、今後は上昇していく可能性があるのかなど予測が立てられそうですが、少なくとも現状では一週間ごとに小さな変動はあっても、底を打つことはまずありえないと思います。

2009年3月15日日曜日

格差と情報 後編

 前回の記事にて私は格差そのものの存在より、格差が見えてしまう状態にこそ問題があると主張しました。私が何故こんなことを言い出したのかというと、いくつか過去の文献や話を聞いている限り、明らかに戦前から戦後直後にかけて時代の方が現代より生活格差が大きいにもかかわらず、当時の人間はそれほど気にしていなかったということを示唆する話があるからです。

 まず最初に私がそんな内容を聞いたのは、今も活躍なされているイギリス人学者のロナルド・ドーア氏が戦後直後の上野に来て、そこに滞在しながらまとめた論文でした。その論文は外国人の目から見た日本の様子が描かれており、言われてみるとそうだったと思えるような日本の特殊な事情などが書かれていてそれだけでも面白く、「欧米と比べて日本の社会保障制度は充実しておらず、大半の家庭では有事に備えて貯蓄しているものの、夫が突然病気などをしたら対応のしようがない状態である」などと、今の日本にも通じるようなことが書いていてドキリとしたこともあります。

 それで肝心の今回のネタの内容ですが、まず生活者における貧富の格差についてはそこそこ大きいものがあるとしていながらも、

「住民同士はイギリスのようにお互いにそうした格差を気にすることはなく、同じ町内であれば互いに気軽に接しあっている。しかしある主婦が言うには、以前に比べればそうした収入の違いなどを気にするようにはなってきているらしい」

 という風に書かれています。
 今もそうですがイギリスでは社会的に家格というものが大きく、アッパークラスとロウアークラスでは世帯間で交流はあまりなされず、その世帯がどの家格に属しているかで社会的地位を始めとした生活態度が大きく変わってきます。そうしたイギリスの状況から比べたことからドーア氏が日本は格差に分け隔てなく交流がなされているように思ったのかもしれませんが、それでも最後の主婦が言った、「以前はもっと気にしなかった」という発言が私には気にかかりました。

 ここで話は変わってうちのお袋のはなしですが、うちのお袋は鹿児島の阿久根市というところの出身なのですが、一言で言ってしまえば相当なカオスな社会だったそうです。
 なんでも当時に在日朝鮮人の方が鉄屑屋をやっており、子供でもなにか鉄屑を持って行けばお金に変えられたそうなのですが、その鉄屑屋をやっていた人自体はあまり裕福ではなく厳しい生活を強いられていたそうです。それでも当時はそうした貧乏だとか金持ちだとかそういったものの間に壁はなくみんなで分け隔てなく交流がなされて、よくドラマとかでやっているような貧乏な家だからといって周囲から馬鹿にされるという風景もなければ、今のようにそういった生活水準の差を互いに気にすることもなかったそうです。

 そして極めつけが、「かじどん」の話です。
 当時のうちのお袋の家は割と裕福で自家用電話もあったそうなのですが、当時は電話器が少なかったことからお袋の周囲の家に用があって外から電話がかけられる際はお袋の家が一旦電話を取り、その周囲の家の人を呼びに言ってつないでいたそうです。それでかじどんの家も電話はお袋の家からの呼び出しではあったものの、お袋の家から離れてて山の中にあったので、お袋は電話が来るといつも山登りをさせられて凄い嫌だったそうです。なのでなんでもってかじどんは山の中に住んでいたんだと私が聞いたら、「そりゃ多分かじどんの職業が泥棒だったからだろ」となんでもないように答えてきました。

 別にはっきりとした証拠はないものの、なにか決まった仕事をするわけでもなく生活していたのでお袋を始めとした周囲の家はみんなかじどんは泥棒で、この辺りから盗んだものを売って生活していたのだろうと認識していたそうです。かじどんは泥棒だとわかっていつつも、警察に届け出ることもなく同じ共同体に居続けさせる神経にまず私は驚いたのですが、当時はそうした雑多な雰囲気と言うか、共同体の中でも慣用性が強くあったのだなと思わせられた話でした。

 ここで話は現代に戻りますが、ぶっちゃけこれから出かけなくてはならないので急いでまとめてしまいますが、現代は若者同士だとほんのちょっとの収入の差や生活水準の差に非常に敏感になっているように私は思います。言ってしまえばこういうのは気にしなければ気にしないに越したことはなく、もっと距離的な結びつきなどで共同体が成立しないのかといろいろと考えるネタはあるのですが、何よりも私が気になるのは、いつから日本人は現在のレベル位に格差と言うか、他人との生活水準の差を気にするようになったかです。適当に仮説をあげるのなら資本主義が浸透したからとか、逆に社会主義が平等という概念を作ったからだとか、果てには横並びの昇進が日本の企業で行われていたからだとかとも言えますが、「よそはよそ、うちはうち」という位に、何かしらこう割り切らなければならないものもあると思います。

 かといって一時期のように「セレブ」という言葉が流行したように、格差を強く意識させるようなマスコミ等の報道には正直辟易してしまいます。結論を一言で言えば、格差を際立たせる、意識させるような外部の情報はあまり人間関係上、よくないものなのではないかということです。

2009年3月14日土曜日

格差と情報 前編

 いきなり結論ですが、私は現実にある格差の大きさより、格差が見えてしまう状態こそが一番問題であると考えております。

 これは社会学で最も有名な古典の一つであるエミール・デュルケイムの「自殺論」にて分析されている話ですが、一見すると不況期に自殺は増加するものだと考えられがちですが、統計上では好況期にも不況期と同じ程度の自殺者の増加が起こるそうです。自殺というと生活苦からくるのではと想像しがちなので、不況期に自殺が増えるのはわかるにしても、生活水準が向上する可能性の高い好況期に自殺が増えるなんて、初めて聞いたときには私も妙な風に感じました。
 デュルケイムの解釈をかいつまんで説明すると、どの人間にも「自分はこうあるべき」という自分像があり、その自分像と現実の自分の姿に差異を感じた際に人間は自殺に走るのだと、そうした自殺のことをデュルケイムは「アノミー的(無規範的)自殺」(本店の方でコメントがあり、この箇所は「アノミー的自殺」ではなく「自己本位型自殺」でした。訂正します)と呼び、私としてもこの説を支持します。

 自分像と現実に差異を感じるとはどういうことかですが、単純に言うと比較です。たとえばある人が自分は正社員で働きながらそこそこ収入を得て、かわいい彼女もいて、周りにはいい友達もいるというのを理想の自分像として持ってはいるものの、現実の自分は正社員ではなく、彼女もおらず、周りに友達もいない状況であった場合、いちいち言わなくとも相当不安とかプレッシャーを感じるであろうことがわかるでしょう。それに対して別の人が最初の人と同じ現実の状況でも、その人は別に正社員でなくともいい、彼女もいなくともいいし、この際友達もいなくてもいいという風にいつも考えている人だったら、明らかに最初の人よりは精神的には満ち足りてそうな気がします。

 こんな具合に、「自分が本来あるべきだと思う像」と「自分の現実の状況」の差が大きければ大きいほど人間は不安に感じ、その不安がある種の臨界点に達することで人間は自殺に走るというパターンのことを「自己本位型自殺」と呼びます。
 基本的に自分像というのは個人々々が持つものではありますが、その形成過程は周りから得られる情報に大きく依存しており、たとえば周りの友達皆が大型テレビを持っていたり、皆で結婚をし始めたりしたら、「俺って遅れてんじゃね?(;゚Д゚)」と大抵の人は思ってしまいます。それに対して周りがみんなテレビを持たなかったり結婚もしていなければ、「まだテレビと結婚はいいや(´ー`)」という風に覚え、こんな具合で人間、それも日本人や韓国人みたいに横並びが大好きな民族は周囲の情報によって自分像を大きく変えていきます。

 中にはそれこそ自分一人で、「マツダロードスターさえあれば他に何も要らない」とか「三食食えればそれでいい」というように周囲に影響されずに自分像を確立させてしまう人もいますがそんなのは極少数で、大抵の人は「他の人はああなんだから自分だって」と考えて、皮肉な言い方をすると自分で自分を縛ってしまいます。これが不況期であれば職を失って生活が苦しくなる現実に対し、「なんで自分は仕事がないんだ」というように覚えることから自殺に走り、好況期であれば職があるものの、「周りはあんなに稼いでいるのに何で自分の稼ぎはこれっぽっちなんだ」というように覚えて自殺に走ると、大まかに説明すればこんな感じになります。

 このデュルケイムの理論を援用すると、たとえ不況期であっても皆が皆で貧乏でそれが当たり前であれば、人間はそれほど自殺に走らなくなるということになります。言ってしまえばその通りで、そのような状況であれば少なくとも自殺にかんして、果てには生活上で受けるプレッシャーも少なくなると私は考えています。ここで私が何を言いたいのかと言うと、物質的な面より現代人は精神的な面でプレッシャーを受けやすく、その原因は格差というよりはその格差が見えてしまったり強調されてしまう現代の情報環境にあるといいたいのです。

 これは何も私だけが言っているわけじゃありませんが、日本は戦前から戦後にかけてと現代の状況を比べると、格差で言えば明らかに戦前戦後の方が大きかったです。現代は明らかにあの時代よりも物質的に豊かにもなっているにもかかわらず、テレビをつければみんなで格差格差と連呼し、格差社会の是正が声高に叫ばれています。確かに格差自体は問題ですし是正すべき問題ですが、あまりにも大きく取り上げて問題視することはそれ自体かえって問題ではないかと私は思いますし、また格差を取り上げるマスコミは言うに及ばず、その格差を強く認識してしまう社会自体も問題で、言ってしまえばただ生活する分には日本人も格差を気にしなければ精神的にはずっと充足して生活していけるのではないかと考えます。

 次回は一つそのモデルとなるかわからないですが、うちのお袋が昨日に酔っ払ってのたまった昔話をしようと思います。

ゴディバの話

 結局一度も入ったことはありませんでしたが、多分今もあるでしょうが京都の嵐山に「ピーピングトム」という名前の喫茶レストランが私がいた頃にはありました。この店の名前に私はなるほどと感心したのですが、このピーピングトムというのはベルギーの有名なチョコレートメーカーである「ゴディバ」が命名に使用したエピソードに出てくる名前で、わざわざそんなところからこんな名前を店に使うなんてなかなか洒落ていると思い、今でも折に触れて思い出したりします。

 そのゴディバの名前の由来となったエピソードですが、真実かどうかまではわかっていないものの、昔イギリスのある地方の領主様がその地域の領民に重い税金をかけて苦しめていたのをみて、その領主の后のゴディバが税金を軽減するように領主に訴えたところ、「お前が裸で街中を馬で駆け巡ったら軽くしてやるよ」と、セクハラ親父さならがらの無茶な要求を出してきました。
 ゴディバもさすがにこの無茶な要求にはしばらく頭を抱えて悩みましたが、領民のためを思い、ある日ついに決心をして本当に裸で馬に乗って街中に繰り出したのです。そんなゴディバの心境を領民も察し、ゴディバが街に繰り出すや家々の窓や戸を閉め、ゴディバを辱めないよう皆でその姿を見ないようにしたそうです。しかし仕立て屋のトムだけは好奇心に負けて隙間から覗いた所、この様子を見ていた神様が神罰としてトムの目を失明させたそうです。こうしたゴディバの決死の行動を受けて領主も税金を軽くしたそうなのですが、神様もトムの目を失明させるくらいなら始めから領主に神罰を与えりゃよかったのに……。

 ここまで言えばわかると思いますが、一人だけ覗き見したトムを揶揄して「覗き見トム」こと、「ピーピングトム」という言葉が出来、日本語的には「覗き魔」とか「出場亀」「田代」といった意味で使われています。なかなか小憎らしいネーミングで件の嵐山の喫茶レストランには興味を持っていたのですが、結局行かずじまいで京都を去ってしまいました。
 このエピソードの発祥地はイギリスのコヴェントリーという田舎町なのですが、実を言うとイギリスに旅行をした際に私はその町で一泊した事があり、町の真ん中にあるでかいゴディバ像が建っていたのを見ています。ピーピングトムという言葉も、そこで初めて知りました。

 そんなわけでこのゴディバのエピソードにはそこそこ詳しい自信もあるのですが、この前ふとしたことから領主に諌言したのがゴディバではなく男の大臣とかだったらと妙な想像をしてみたのですが、そしたらやっぱり同じように「裸で走って来い」とか言われて、大の男が「うおー、俺の股間の下は暴れ馬っ!」とか言って町の中を疾駆したのでしょうかね。もしそうだとしても町の人たちも言われなくたってゴディバと同じように窓を閉めただろうな、これだと。

2009年3月13日金曜日

私がスプラッターを好んだ理由

 別に今日に狙いを定めていたというわけではないのですが、私は四歳くらいの幼児の頃からスプラッター映画、っていうかジェイソンでおなじみの「十三日の金曜日」シリーズが大好きで、当時はよくテレビでもロードショーがされていたのでしょっちゅう毛布にくるまって恐がりながら見ていました。何でそんな小さな頃からよりによってこういう映画が好きだったのかというと、今でもそうですが当時は多分、あまりお目にかかれないような珍しいものがともかく好きだったのでそういった物珍しさ(流血なんてそうそうないんだし)から見ていたと思うのですが、小学生になった頃にはなんとなく別の意味も持ってきていたと思います。

 その別の意味と言うのもスプラッター映画特有の残虐性というかアンハッピーな情景や結末というもので、そういったものに対して人一倍強い興味を抱くようになりました。今もそうですが、小学生くらいの頃からテレビやマンガは何でもかんでもハッピーエンドで終わり、最後は皆で幸せになるという描き方に対してなんとなくうそ臭いような気持ちを覚えていき、むしろ世の中そんなに甘くないんだし、最後はどうあがいても救われないという話の方が現実に近いように思えてきたからです。
 我ながらこんな風に考える辺り当時から自分が斜めな性格をしていたのだなという気がしますが、一応成人になったいまでもこうした考えが大きく変わっているわけではなく、血を見るのが苦手でテレビドラマの外科手術シーンの出血描写だけでもくらくらきちゃいますが、残酷な描写のあるホラー、スプラッター映画を始めとして「ヘルシング」や「エルフェンリート」といった描写の激しい漫画も好んで見ています。

 もともとそのような残酷な情景のことを「グロテスクな」という表現がよくなされますが、このグロテスクという言葉の和訳は「生々しい」という意味で、いわば「現実に近すぎる」という意味合いなので、現実というのは本来残酷で見るに絶えないという意味なのかもしれません。
 別にこれに限るわけじゃないですが、私は何事に関してもうそ臭いのは嫌いです。それを言ったらB級ホラー映画自体がうそ臭さの権化みたいなものですがそれはそれでおいといて、普段見るテレビのニュースやドラマで描かれる世界というものに対してこのところそのようなうそ臭さを強く感じる様になってきています。

 だからと言って現実に近い話をドラマ番組として放映したところで、つまらない話だったり後味の悪い話ばっかりになって視聴率も稼げないでしょうが、それでも私は吐き気を催すような現実というものを見ていたいと常日頃思ってしまいます。そんなんだから漫画の「カイジ」も好きなのかな。

2009年3月12日木曜日

満州帝国とは~コラム 張学良

 私が近現代で最も尊敬している人物は今村均氏と水木しげる氏ですが、もし日本人以外でというのならばといのなら私は必ず張学良氏の名前を挙げるようにしております。今日はそういうことで、満州帝国の連載コラムとして張学良氏個人について解説をしようと思います。

 日本史を勉強した方で張学良氏の名前を知らない方はまずいないでしょう。前回の「張作霖爆殺事件」で紹介したように、張学良氏は戦前の中国東北部の軍閥の長であった張作霖の息子として生まれ、張作霖の死後は彼の後を継いで軍閥を率いて蒋介石軍に投降をしました。
 実は前回から「張作霖」の名前には「氏」をつけずに張学良氏にはずっとつけていますが、これは張作霖は時代が大分過ぎていることから歴史上の人物と捉えているからで、張学良氏についてはまだ歴史というほど古い人物ではないと判断しているためです。

 この話をすると驚かれる方が非常に多いのですが、張学良氏はほんの八年前の2001年まで存命しており、この年に満百歳でハワイにて死去しています。この死亡年と年齢から察しのいい人はお分かりでしょうが、張学良氏は二十世紀の始まりの年である1901年に生まれて二十一世紀の始まりの年である2001年に死去し、丸々20世紀という時代を生きて去っていったということになります。さらには1901年という彼の誕生年は、もう一人の20世紀の日中史を代表する人物である昭和天皇と同じ誕生年でもあります。本当に偶然と言えば偶然なのですが。

 さてこの張学良氏が何故日中史において私が重要であるかと考えるかですが、結論から言えば第二次国共合作の立役者であるからです。
 満州帝国の本連載では次回にようやく満州事変を取り上げますが、この満州事変によって中国東北部から張学良氏は強制的に支配地域から追放され、以後しばらくは蒋介石の国民党の下について西安にて共産党の討伐軍を指揮していました。しかし共産党と戦いつつも張学良氏は、今は中国人同士で戦っている場合ではなく一致団結して日本に立ち向かうべきではと考え、極秘裏に共産党の周恩来と会って共闘の道を探り始めていました。そうした中で起きたのが、あの西安事件です。

 西安に視察に来た蒋介石に対して張学良氏は共産党と国民党の共闘を打ち出しますが、当初蒋介石はこれを拒否します。すると張学良はなんと自分の上官である蒋介石を逮捕、監禁し、再度共産党との共闘を脅迫するような形で提案しました。そしてこうした張学良氏の動きに恐らくは示し合わせての行動でしょうが、共産党からも周恩来を始めとした幹部が西安に入って蒋介石との会談を持って合意を作り、蒋介石としては内心忸怩たる思いがあったでしょうがここに第二次国共合作こと、中国において統一された抗日戦線が張られるに至りました。

 私は太平洋戦争はまだしも、日中戦争は紛れもない日本の侵略だったと考えております。そしてこの日中戦争において日本は中国の各主要都市を陥落させはしたものの、もとより占領政策が非常に下手だったこともあり結局大きな勝利を得ることなくアメリカとの戦争に突入して結局は敗北しましたが、もしこの国共合作がなければ、日本は中国に対して最終的に勝利を得ることはなかったでしょうが少なくとも最後まで落とせなかった重慶なども陥落させ、現実の歴史以上に中国の奥深くまで攻め込むことが出来たと思います。そういう意味で、この張学良氏の捨て身の行動は日中戦争における非常に大きなターニングポイントとなったと高く評価しています。

 しかしこの張学良氏の捨て身の行動は彼自身に大きな代償を伴い、上官を捕縛したことから軍法会議にかけられ懲役刑を科せられて軟禁状態にされ、更には日中戦争後、国民党が共産党に破れると張学良氏も台湾に渡りましたが、やはり相当恨みに持たれていたのか蒋介石によって台湾でも軟禁され続けました。蒋介石の死後は徐々に行動の自由も認められていったそうですが、軟禁年数は実に50年以上にも及びました。
 その後台湾の民主化によって1991年(90歳)に軟禁処置が解かれますが、張学良氏にもいろいろと思うところがあったのか、そのまま台湾には残らずハワイに渡って残りの人生を過ごしました。

 この張学良氏の現存する記録としては1990年に行われたNHKの取材が最も代表的ですが、この時の取材にて西安事件の後に自らの身の危険を考えなかったのかという質問に対し張学良氏は、
「あの時に日本と戦うためにはどうしても強い指導者が必要で、その条件に当てはまるのは蒋介石しかいなかった。だから国共合作後も私は彼を担いだのだ」
 と答えています。

 こうした彼の行動や功績から私は張学良氏を深く尊敬しているのですが、台湾ではどうだかわかりませんが本家中国ではどうやらそれほど高い評価を受けているわけではないようです。私も留学中に非常に知識のある中国人の方(何故か西郷隆盛まで知っていた)に話を聞きましたが、特段評判のいい人物でもなく、国共合作自体が張学良氏の功績だとはあまり言われていないようです。
 実際に私も中国に行ってから気づいたのですが、よく日本にいると中国人は一連の反日運動から日本のことを世界で一番嫌っているように思う方が多いかもしれませんが、実際には台湾への憎悪の方が強いように思えます。中国の歴史教育などでも日中戦争以上にその後の国民党との戦争の方がより詳しくかつイデオロギー的に書かれており、結局戦後は台湾に渡ったことを考えると張学良氏のことを大陸の中国人がよく言うはずがないという気がします。

 そのため一番最初にリンクに張った張学良氏のウィキペディアの記事中の最後部にある、「中国では千古の功臣、民族の英雄と呼ばれている」という記述には首を傾げてしまいます。なんか出典を出せというタグが貼られていますが、私もあるのなら是非見てみたいものです。

2009年3月11日水曜日

満州帝国とは~その五、張作霖爆殺事件

 戦前の日本において本格的に軍が国の主導権を握るようになる国内の最大のターニングポイントは二二六事件であることに間違いありませんが、国外における最大のターニングポイントとくればやっぱり満州事変ですが、その満州事変の嚆矢とも言うべき事件こそがこの張作霖爆殺事件だと私は考えております。

 この事件が起こる直前、中国では蒋介石率いる国民党がそれまでバラバラに各地域を支配していた軍閥を次々と打ち破り、清朝崩壊以後の混乱を納めるべく「北伐」を実行していました。こうした中、蒋介石の軍と戦って敗北するなどして北京周辺の軍閥の勢力が弱体化したのを見て、当時満州地域を支配していた軍閥の長である張作霖は中央に進出する好機と見て首都北京を制圧するも、結局北上してきた蒋介石軍によって完膚なきまで叩き潰され、ほうほうの体で自分の支配地である満州へと逃げ帰ろうとしていました。
 しかしその逃亡の途上、奉天郊外の鉄道駅にて張作霖の乗った列車が爆破され、即死こそしなかったものの張作霖は暗殺されてしまいました。この事件の犯人について当時はあれこれ意見が分かれたものの、現在、というより当時からも日本が保持する満鉄の守護部隊こと、関東軍の河本大作が実行したものだと確実視されていました。

 まず何故張作霖が関東軍に殺される羽目となったかですが、これは単純に日本と張作霖の仲が割れたことによります。日本としては張作霖を満州地域で様々な援助を行って彼を操ることで満州における日本の権益を確保しようと意図したもの、当の張作霖は援助を受けはするものの必ずしもそうした日本の意図どおりに積極的に動いてはきませんでした。
 こうした張作霖の態度に日本の外務省や関東軍は次第に苛立ちを覚え、あまつさえ日本の勧告を受け入れずに北京などの中央地域にまで支配を拡大しようとしたことから、この際張作霖を殺してほかの実力者を操るべきだと言う声が彼の生前から各所から上がっていたようです。またこの頃から関東軍内では後の満州帝国の建国計画が持ち上がっており、その計画を実行するに当たり張作霖が障害になると目されたのも、彼が暗殺される事となる大きな理由となりました。

 このような日本の謀略の元、張作霖の暗殺は実行に移されました。
 ただこの暗殺実行について主犯が関東軍の河本大作大佐によるものとは当時の証言からもはっきりしているものの、日本政府が指示したかどうかまでははっきりしていません。まぁ私の見るところ、この後の関東軍の行動を見ても河本大作を始めとした関東軍内で独自に実行されたと見るべきだと思います。
 またこの事件は日本国内には「満州某重大事件」という名前で報じられましたが、この事件の処理をめぐって当時の総理大臣であった田中義一は関係者の処分をしようとすれば陸軍から強い反対を受け、その後の中国との外交方針も二転三転したことから昭和天皇に厳しく叱責されるまで混乱したのを見ると、日本政府の関与はやはり少なかったと思えます。

 なおこの時、若くして即位した昭和天皇はこの事件について報告が二転三転したことから田中義一首相を強く叱責、それこそ怒鳴ったとまで一部でも言われているほどで、この叱責を受ける形で任務をもう続けられないと田中首相は辞任し、その三ヵ月後には既往の狭心症によって亡くなっています。
 昭和天皇は既に当時に一般化していた美濃部達吉の天皇機関説に反し国政に天皇である自分が強く意見を主張して、挙句には田中首相を遠まわしに死へと追いやってしまったことを非常に後悔し、以後は自分の意思というものを全く表に出さなくなったと言われています。唯一の例外として終戦直前の御前会議がありますが、この前読んだ雑誌記事によると、死の直前に病院内にて水あめをとてもおいしそうに食べているのを見て医師がもう一つ如何でしょうかと薦めたら、「いいのかい?」とうれしそうに返事をして食べたエピソードが紹介されていました。思うに戦後の昭和天皇は、食事をおかわりしたいという意志すらも出していなかったのではないかと思えるエピソードです。

 話は戻りますがその後主犯の河本大作は責任を取る形で辞任し、満鉄に再就職し、結構不気味なのですが満州帝国が崩壊した戦後も中国に残り続けて国民党に協力し、最後は共産党に捕縛されて中国国内の収容所で死去しています。これまた私の意見ですが、恐らくこの人は日本に戻ったところで居場所がないと考えていたのではないかと思います。甘粕正彦もそんなところがあるし。
 そして張作霖死後の彼の軍閥はと言うと、鉄道爆破によって重傷を負った張作霖は部下たちによって秘密裏に自宅へと運ばれそのまますぐに息絶えましたが、彼の第五夫人は彼の死を隠し、自分の息子ではない張学良氏が後を継げるよう様々に根回しをして実現させた後にようやく事実を公表しました。そうして張作霖の跡を継いだ張学良氏は父親を殺された怒りから日本の予想とは打って変わり(張作霖より日本の言うことを聞くだろうと見ていた)、早々に蒋介石に降伏して彼の配下となることで満州の支配権を認められ、日本に対して敵対的な政策をその後次々と実行していきました。

 この張学良氏の降伏を受けて蒋介石の北伐は完了し、毛沢東率いる中国共産党のゲリラ活動を除けばひとまず中国は統一されて、これで安定した秩序が生まれるのではないかという期待が徐々に膨らんできていました。しかしこの統一を快く思わなかったは日本と関東軍(ついでに中国共産党)で、これまで混乱状況にあったからこそちまちまとした工作をしてきたものの、このままではまずいという危機感から徐々に過激な、そして強引に自らの計画を実行していくことになります。そういうわけで次回は前半のハイライト、満州事変を取り上げます。
 にしても、まだ前半かよ……。

2009年3月10日火曜日

二階俊博議員への捜査の広がりについて

 多分今朝の朝刊一面はどこも、自民党の二階俊博衆議院議員にも例の西松建設の献金問題にて疑惑が波及していることに言及していると思うので、今日は敢えてニュース記事へのリンクは省きます。
 そうした今日の新聞やテレビなどの報道によると、今回の小沢氏の秘書が逮捕されるきっかけとなった西松建設OBが代表を務めていた政治団体が二階氏の政治資金を集めるためのパーティーへの参加券こと、通称「パーティー券」を約800万円分も購入していたようで、この購入の事実について二階氏は認めた上で、特に西松建設に便宜を図ったこともなければパーティ券を購入したその政治団体が西松系列だということすらも注意していなかったと追求されている疑惑を否定しています。

 実を言うと私はこの二階俊博氏のことを以前から高く買っており、現役の政治家として非常に高い能力を備えていて、党運営などの実力だけなら一、二を争うような議員だと認識しておりました。多分あまり表に出ていないし私の方でもきちんと裏を取っていない情報なのですが、小泉政権が大勝したあの9.11選挙にて刺客候補の擁立や各地域の選挙運動などの演出を行ったのはなんとこの二階氏で、事実上のあの選挙の勝利の立役者であったとまで言われています。
 というのも本来選挙の要となるはずの幹事長は当時はタフさだけしか取り柄のない武部勤氏で、また小泉下総理の懐刀といわれた元秘書の飯島勲氏はメディア対策などでは非常に手馴れていたものの選挙には特別造詣の深い人物だとは言われておらず、選挙が行われた当時から私は一体誰がこの選挙を作ったのかとずっと気になっておりました。

 そうやっていろいろと当時の選挙の状況について調べていると、どうもあの選挙を演出したのはこの二階氏であるという情報をある日耳にすることが出来ました。その情報を得てからあれこれこの二階氏を調べてみると、確かに選挙当時に二階氏は選挙対策を行う総務局長の役職についており、また選挙においては自民党でも屈指の人物であるという評論を得てますますその情報に確信を持つように至ったのですが、その「選挙に強い」と言われる理由というのも、かつて二階氏が小池百合子氏同様に小沢氏の側近中の側近だったというからなおさら合点がいきました。

 そんな二階氏の経歴を簡単に説明すると、二世議員として父親の後を継いで自民党から政治家になるとすぐに小沢氏を師事する様になり、小沢氏が自民党を下野した際は一緒についていってその後活動をしばらく行動を共にするものの、小渕政権末期にて小沢氏が当時党首を務めていた自由党が連立与党から離脱するとそれに異を唱えて小池百合子氏同様に分派する形で保守党を作り、その保守党が自民党に吸収される形で現在のようにまた元の鞘の自民党に戻ったわけです。
 小沢氏と袂を分かつまでは二階氏は文字通り無二の忠臣だったそうで、当時から選挙に強いと言われた小沢氏の選挙手法を間近で学んできただけあり選挙について裏の裏まで熟知していると言われ、それゆえにあの郵政選挙も成功に導くことが出来たと言われております。

 その二階氏が今回の小沢氏の秘書逮捕の余波を受けて疑惑がもたれていることについて、こんな言い方をするのもなんですが何故どこも、「あいつは小沢と昔つるんでいたから、小沢と同じ所から同じ違法な献金をもらっていたのも不思議じゃない」という評論が聞こえてこないのがかえって不思議です。ワイドショーのネタ的には決して悪くはないし、因果関係的にも強い話だと思うのですが、マスコミも何か考えがあるのでしょうか。
 ただこんなこと書いといて言うのもなんですが、二階氏も小沢氏同様にこの件ではシロだと私は見ています。というより今この段階で二階氏が突き上げを食らうのを見て、その考えが強くなりました。

 話の組み立てはこうです。まず二階氏の政治団体が小沢氏の資金管理団体と同様の手法で献金を受けていたのであれば、何故検察は小沢氏の秘書だけを先週にいきなり逮捕したのかになります。確かに政治団体と資金管理団体であれば政治資金規正法の枠が変わってきますが、違法な献金の手法と目される手法で献金を受けていたのであれば本来ならば同時に捜査されてしかるべきで、何故秘書の逮捕から一週間後の今になって急に思い出したかのように二階氏の名前が出てくるのかになります。

 そしてもう一つ、何故自民党の中で最初に二階氏がこの疑惑の波及を受けたかです。実はこれが肝心なのですが、二階氏は問題となった西松建設系の政治団体に約800万円分のパーティ券を購入してもらっていたため、他の献金を受けていた自民党議員と比べても額が突出しているから疑われている、というニュアンスで今隣で放映されている報道ステーションは言っていますが、これだと明らかなミスリードになります。というのも、自民党の尾見幸次議員は問題となった政治団体からなんと1200万円も、しかも二階氏と異なりパーティ券ではなく現金にて直接献金を受けております。更に更にこの尾身氏の場合は沖縄及び北方対策担当大臣時代にも献金を受けており、東北地方に地盤の強い西松建設からすると北海道での公共工事に一枚かませられる立場にあった人物でもあります。(この一帯の情報源は3/8の「サンデープロジェクト」より)

 二階氏より明らかに額も疑惑も問題性も強い尾身氏を飛び越えて二階氏がこうして槍玉に挙げられるのは何故か、この辺にきな臭さを私は覚えます。考えられる理由としては二階氏は前述の通りにいわば外様の立場で、自民党内の派閥争いに絡めて尻尾きりにあったか、もしくは私が指摘したようにかつての小沢氏との関係を取りざたされる前に検察に自民党から差し出されたか、ではないかと一応は予想しておきます。
 どちらにしろ今回の事件はこうした明らかに怪しい人間が放っておかれておきながら、与党でないために公共工事の口利きが出来ない小沢氏や、与党ではあるもののなんとなく中途半端に怪しい二階氏が槍玉に挙げられるなど、何度も言っているように国策捜査の臭いがプンプンします。これまた何度もこのところ言っていますが、私は小沢氏のことがあまり好きではないものの、もし本当にこれが国策捜査であればそれがまかり通ることだけは何がなんでも許せないために、検察がはっきりとした証拠を出すまで(前に政治団体への小沢氏秘書からの献金額の請求書が出たとか言われたが、その請求書の額がなかなか公表されないのが不思議です)は小沢氏も脅しに屈するような形で民主党代表を辞任すべきではないと強く覚えます。

2009年3月8日日曜日

「徹底抗戦」(堀江貴文著)を読んで

「徹底抗戦」(アマゾン)

 先週の小沢民主党代表の逮捕のニュースを受けて、私の頭にすぐに浮かんだのは「国策捜査」という言葉でした。この国策捜査という言葉を知ったのはいわずと知れた「外務省のラスプーチン」こと佐藤優氏の著作で、言葉の定義を簡単に説明すると、それまで曖昧でルールのないまま半ば黙認されていた事案に対し、国や検察が政策変更や世論の流れを受ける形で何かを無理やり事件化させることでルールの厳格化をはかる事案のことを指します。自らを国策捜査の対象とされたと自称し一躍日本にこの言葉を定着させた佐藤氏は、自分と鈴木宗雄議員の逮捕や捜査はこれまでの中央から地方へ税金をばら撒く形で公平分配を行うというやり方から、首都東京を始めとする都市にすべての資本と人材を集中して中央集権化を強める政策転換を行うということを内外に知らしめるため、小泉政権が党内の権力闘争に絡んで半ば象徴的に国民に見せ付けるために行ったものだと主張しています。

 このように国策捜査というのは、今度また細かく解説はしますが何らかのルール変更や制度の厳格化を行う前段階に起こるものとされ、その性格ゆえに捜査過程を検察が強く見せるという傾向があるとされます。近年に起こった国策捜査の例として佐藤氏があげているのは、村上正邦元議員のKSD事件、自分や鈴木宗男議員の「ムネオハウス事件」(こっちはむしろインターネット事件史としてみたらいろいろと面白い)、そして今回書評を行う本の著者である堀江貴文氏の「ライブドア事件」です。

 一番最初にリンクに貼ってあるのは昨日に私が買った堀江貴文氏が書いた、「徹底抗戦」という本のアマゾンのページです。この本はフジテレビ買収事件から逮捕、拘留の期間を含めた現在までの堀江氏の心境をつづった内容で、全体の感想をまず言えば読んでてなかなか面白かったです。
 それで肝心のライブドア事件についての堀江氏の心境ですが、この本の中では始めから最後まで徹底して自らは無罪だと主張しています。捜査されることとなった子会社との架空取引などについて何が容疑とされて何が違法とされたのか、それに対してどうして自分が無罪だと考えるのかなどが細かくつづられていますが、ぶっちゃけかなり細かい話なのでここでは省略します。

 ただ堀江氏の主張の中でも私が強く納得したのが、強制捜査後に日本の株価が大きく下落したライブドアショックについての堀江氏の反論です。本来ああいうような強制捜査は投資家心理に与える影響が強いので、株価が大きく下落して株式市場に混乱を起こさせないために海外などでは金曜日に行われるものだそうです。そうすれば市場が閉まっている土曜日と日曜日に投資家は頭を冷やすことが出来、捜査による市場の混乱と無用な株主の損失も最小限に止められるのですが、このライブドア事件では週始めの月曜日に捜査が行われ、案の定翌日の東京証券市場ではライブドアショックと呼ばれる大幅な株価下落が起こりました。しかも堀江氏も突っ込んでいますが、当時の東京証券取引所のシステムは世界的に見ても非常に貧相なシステムで、一日五万件しか取引が行えないために途中でシステムがダウンしたことで当時の混乱と株価下落に拍車をかけました。

 こうしたライブドアショックによって堀江氏と法人としてのライブドアは、もう結審したかどうかまでは調べていませんが、ライブドアの元株主などに株価下落による損害賠償請求まで起こされ、刑事裁判でも堀江氏は「市場を無闇に混乱させた」などとこの件が批判材料にされましたが、仮に自分の全財産を出したところでこの時の損失をすべて補填することは出来ず、こうした事態が予想できたにもかかわらず月曜に強制捜査を行った検察と貧相なシステムゆえに混乱に拍車をかけた東証に対してそこまで責任を持たなければならないのかと反論しており、この点については私も深く同意します。

 そしてこの事件で堀江氏は逮捕されて拘置所に収監されるのですが、堀江氏は拘置所生活で何もできない、というより人と話すことが出来ないのが非常に辛かったと語っています。私の目からしても堀江氏の性格で狭い場所に閉じ込められていたらそりゃ相当苦痛だろうと思いますが、本を差し入れられてもすぐに読んでしまい、それでいて狭い部屋で一日何時間も何もすることなく置かれるということに現在も強い恐れがあるとして、今後裁判が進んで懲役刑が確定するにしてもできるならば早く刑務所に移送してもらって労務作業をしていた方が絶対マシだとまで述べています。
 よく無人島に漂流した場合、食料や衣服があるとしても人間は誰かと話をしなければ精神的に追い詰められて簡単に死に陥るという話がありますが、私のイメージ的には拘置所の生活もそんな感じなのだと思います。そんなもんだから検察官との取調べですらまだ会話が出来るので歓迎したとも堀江氏は述べていますが、こうした精神的プレッシャーを与えて筋書き通りに供述させるのが検察の常習手段だと、同じ経験をした佐藤優氏とこれまた同じ内容の言葉を述べているのが印象的でした。

 なおこの本でも名前が出てきますが、やっぱり同じ経験をした仲ゆえか堀江氏と佐藤氏はこれまで何度か対談を催しています。これは佐藤氏の本に書かれていた内容ですが、嗜好品などは拘置所内でも自費で払えば買えるらしいのですが、その購入リストには「メロンの缶詰」というものがあるらしく、変わっているしおいしそうだと思って頼んでみると実際の中身はとんでもなくまずいものだったと、二人とも意見が一致したそうです。そのほか通常の食事では白米ではなく麦飯が混ざったご飯が出されるそうですが、最初は戸惑うものの慣れると非常においしくてやみつきになるという点でも一致したそうです。私から付け足しておくと、出所直後は痩せてすっきりして男前になったのに、現在ではまた元のまんまに太ってしまったのも一致してます。

 こうした拘置所体験から出所後の生活、そして現在の裁判の状況とそこでの自身の主張についていろいろこの本ではまとめられていますが、あの逮捕から三年後の現在になって読んでみるといろいろと私の中でも思うところやこれまでの考えを改める内容がふんだんに盛り込まれています。特に堀江氏の人生観についてですが、私自身は今もそうですがちょっと目先が短すぎてあまり好きになれないところがあるのは変わりませんが、世界一の企業を作って後は民間での宇宙開発に残りの人生をささげるという目標に対して堀江氏が従順に努力をしてきたという事実には正直に頭の下がる思いがしました。
 そして日本の司法制度についても、検察が捜査権と訴訟権を持つのが問題で、彼らから捜査権を奪わなければどんな犯罪も作り出せてしまうと言っているのは時期が時期だけに核心を突いたことを述べており、また逮捕後の過剰なバッシングにも触れて日本のマスコミは検察とグルになっているとして、電話内容を無断で録音されたなどの実例を挙げて批判しているのは、今後の小沢氏の事件を考える上でも重要な指標になってくると思います。

 なんかこのところ文章のノリが急激に悪くなっていますね。今度辺りちょっと趣向を変えた記事でも書いて、心機一転をはかってみようかな。

2009年3月7日土曜日

西松建設事件について続報

 このところ書く話題が多すぎて、ちょっと現実逃避をし始めてきています。そのせいか今日は先週から始めた「俺の屍を越えてゆけ」を延々とやってました。面白いんだよなぁ、このゲーム。

 それはともかく、また西松建設がらみの小沢氏秘書献金疑惑事件について私の見解を紹介します。事件から約一週間経ち、前回の記事を書いてからまた続々と情報が出てきましたが、そうした情報を総合した上での私の現在の見解はというと、やはり今回の事件は国策捜査であるという確信が強くなってきました。

 一つ一つ関連情報をあげて説明をしていきますが、まずは今回の小沢氏の公設秘書の逮捕理由ですが、これは報道でも言われているように虚偽文書記載によるものです。ダミーの団体を通しているとはいえ西松建設側からの政治献金であることがわかっているにもかかわらず帳簿にはそのように書かなかった、というのが公設秘書の大久保氏の逮捕理由ですが、本来、というよりこれまで一度もこのような虚偽文書記載でいきなり逮捕という事例はありません。あったとしても関係者の事情聴取や任意同行くらいなものでいきなりの逮捕は前例のない異常な捜査で、一部報道で今回の逮捕は後に続く大きな事件の布石だという主張がありますが、未だにその大きな事件の背景が見えてこないと言うのは問題だと思いますし、ましてやそれを検察も示さないと言うのはちょっとどうかと思い、やっぱりひとまず逮捕して無理やり汚職事件に結び付けようとしているのではないかという疑念を覚えます。

 次におかしな点は、何故小沢氏の秘書だけが逮捕されたのかです。
 今回の大久保氏の逮捕理由は本来やってはいけないことになっている、政治家の資金管理団体は企業から直接受けてはならない献金を受けたからということになってますが、恐らく今回の西松建設の例のような迂回献金なんてどの政治家も受けているでしょうし、現に小沢氏へ献金を行っていた西松建設OBが代表を務めていた政治団体からは自民党の森元首相、二階議員を始めとした多くの議員が献金を受けていましたし、何も西松建設系の団体に限らなければほぼすべての議員がこのような迂回献金を受けているでしょう。にもかかわらず、今回逮捕、事件化したのは小沢氏だけです。

 この点について私の友人が実に鋭いツッコミを言っていましたが、テレビなどで報道されているように何故小沢氏だけが捜査される事になったかという理由が、その政治団体から一番献金を受けていた(報道では約四千九百万円)というのであれば、じゃあ額が少なければいいのかという話になってきます。少なくとも迂回献金の事実だけで逮捕に至るほど捜査されるのであれば、森元総理をはじめとした他の議員も一緒に捜査されていなければおかしいことになります。

 この点に関して昨日今日と実に興味深い報道が出ていますが、こうした自民党の議員も問題の政治団体から献金を受けていた事実に対してある政府高官が、「自民党にまでは捜査は発展しない」と、何故この段階でそんなことがいえるのか、やはり裏でつるんでいるのではと思わせる発言をしていたようで、今日の朝日新聞の夕刊によるとどうもこの発言をした政府高官というのは漆間巌氏だったようです。リンク先のウィキペディアの記事をみればわかりますが、発言をしたのが漆間氏と聞いて私は「あぁ、こいつならやりかねない」と思いました。
 またこの発言について国策捜査の被害者の鈴木宗雄氏(加害者は福田康夫氏)も昨日のテレビ番組にて、「(検察と)権力側がつるんでいると言う話になる」と批判しています。

 そして私が今回の事件を特に国策捜査だと思わせる一番の理由ですが、今回の事件報道の情報ソースがどれも官公庁発表、つまり全部が全部検察発表という点です。
 大体一昨日くらいから、「迂回献金は小沢氏側からの指示」や「違法と認識しつつ実行した」などといった供述が出たなどと報道されていますが、これらの供述はすべて「西松建設関係者から」とつけて新聞やテレビなどで報道されていますが、こうした捜査情報を持っているのは検察だけです。更に言えば「西松建設側」と呼ばれる供述者というのは間違いなく大久保氏と一緒に逮捕された西松建設の元社員、もしくは今回の事件以前の海外送金などの事件で逮捕された西松建設関係者たちでしょう。

 この辺なんかは国策捜査というものがどんなものかを知っていなければ実感しづらいのですが、逮捕拘留することで被疑者を他の関係者から引き離した上で、日本の検察は自分たちの捜査の筋書き通りに話すのならば執行猶予をつけるなどと持ちかけては、特に家族を置いて拘留されている人物などに供述を強制させるそうです。佐藤優氏の「国家の罠」を読めばこうしたくだりが理解しやすいのですが、どんなにタフな人間でも一日十数時間も取調べを受けて、外からの情報が遮断される環境におかれると抵抗する力をほどなく失い、大抵の人間は検察の筋書きに乗って検察の都合のいい供述調書にサインをしてしまうそうです。なおこうしたことについて社会学でも「囚人のジレンマ」という有名な理論があります。
 それで話は戻りますが、今回の事件の報道、それも小沢氏側に不利な供述などの情報はどうも検察側からしか発表されておらず、塀の外側ことシャバの世界での関係者の供述や証言というものが私が見渡す限りほとんどなく、しかもバンバンと普通は表に出ないような操作情報が流れているのでいわば検察によって事件報道が作られているような状況にあるのではないかと見ています。このあたりも、国策捜査において典型的な経過です。

 最後に止めのおまけを一つ。実は誰かが言うだろうと思ってたから敢えて今まで私は言わなかったのですが、贈収賄罪が適用されるには当たり前のことですが「お金を受け取る側」と「お金を払う側」という二つのキャラクターが必要で、なおかつ「お金を受け取る側」がその賄賂を受けたことにより「お金を払う側」に対して何らかの見返り行動を行うということが絶対条件として必要になります。
 そこで冷静に考えて見ましょう。小沢氏は確かに有力な政治家ではありますが、与党ではなく野党の党首です。そんな野党の人間がいくら賄賂を受けたとしても、西松建設がほしがるような公共事業の工事を受注させることができるかと言ったら非常に疑問です。それで言うならむしろ、与党である自民党の中で献金を受けた議員の方が贈収賄の構図としては成り立ちやすいのではないでしょうか。それでも、今回逮捕されたのは小沢氏周辺だけです。

 いくつか情報を見ていると、今回の秘書の逮捕はあくまで前段階で、検察はもっと大きな事件とその証拠を握っており、今回の逮捕をてこに大きな捜査へと発展していくのだという主張がいくつか見受けられますが、それならば何故その大きな事件を始めから捜査しないのか。また今回この献金の事実だけで逮捕するなら他の自民党議員はどうなるのか。その上今回迂回献金をしていたという団体は数年前に海産さているにもかかわらず、何故今になって事件化したのか。

 こうした点を総合して、私はやはり今回の事件は自民党による国策捜査だとにらむに至りました。かつて国策捜査を受けた佐藤優氏は、本来国家というのは非常に力のある存在で、いわば逮捕をしてから事件を作るというような国策捜査が行われること自体、国家が弱ってきている証拠だとかつて述べています。
 前回にも書いたとおりに私は正直に言って小沢氏が嫌いです。ですがこのような国策捜査は決して将来の日本のためにならないし、こんな行為を仮に自民党がやっていると言うのなら絶対に許すことは出来ません。これまた佐藤氏の話ですが、ロシア人というのは政治家はみんなクソッタレで、選挙と言うのはクソッタレどもの中から一番マシなクソッタレを選ぶ行為だと考えているそうです。この考えに則るのなら、まだ私は小沢氏の方がまだマシなクソッタレなんじゃないかと覚えます。

 今回の事件はいろいろと考えさせられることがあるので、ちょっと勉強しなおそうとかつて国策捜査を受けた堀江貴文氏と佐藤優氏の本を二冊、本日買ってきました。堀江氏の本はすぐ見つかると思っていたのに、本屋を探して五軒目でようやく見つけましたが、期待に違わずなかなか面白い内容なので、明日にでも紹介しようと思います。

2009年3月6日金曜日

日本漫画キャラ傑作選~サブキャラ編~

 マンガというメディアはその表現上、やはりストーリーよりもキャラクターの個性や外見、特徴などで面白さなどが決まりやすいものです。かといって何でもかんでも珍しいキャラクターを出せばいいというわけでもなく、今日はちょっとその辺を詰めるという意味も込めて、私の目から見てひときわ目に付く傑作的なキャラクター、それも主役やヒロインといったものではないサブキャラクターの中から今日はいくつか紹介しようと思います。

1、泣き虫サクラ(餓狼伝)
 ひときわ濃いキャラクターが頻出する「餓狼伝」の中でも、特に際立って読者の記憶に強い印象を与えたのがこの「泣き虫サクラ」です。このキャラは子供の頃に母親によって両目を潰されたため視力を失っているのですが、その母親を喜ばせるために激しい肉体トレーニングを積み続け、視力の代わりに聴力と嗅覚のみで相手の立ち位置から動作まで読み取り、漫画中では絵の具の臭いをより分けることで絵まで書いてしまっています。
 なんていうか文章では伝えづらいのですが、圧巻ともいえる漫画中のその風貌はまず前述の通りに眼球が潰されているために眼窩がくぼんでいるだけでなく、二メートルを越す巨大な身長にしなやかな筋肉、そしてなにより恐らく60歳は越えているであろうというしわくちゃの顔でありながら、アメリカの地下プロレスの覇者として君臨しつづけているというのだからとんでもない設定です。
 こうしたビジュアル的な面にとどまらず、対戦相手のグレート巽(どっからどう見ても猪木)に対して試合中に、
「(君には)悲しみもある、怒りもある。でも……陵辱がないでしょっ!」
 と、ことごとく読者の常識を覆すインパクトのあるセリフを連発し、インパクトだけで言うなら日本漫画史上でも一、二を争うキャラだと私は思います。

2、パック(ベルセルク)
 かつてこの「ベルセルク」の作者の三浦建太郎と「北斗の拳」で有名な原哲夫という二人のマンガの原作を作ったことのある武論尊に、「二人ともマッチョな作画で似ている」といわせただけあり、「ベルセルク」の絵は非常に緻密な書き込みで見るからに重厚そうな印象を覚えます。それに加え元々の漫画のストーリーも暗く沈痛な内容なために自然と読んでいる印象は重く暗い……と思いきや、そんな雰囲気を悉く引っくり返しているのがこの妖精キャラの「パック」です。
 真面目なシーンではファンタジー漫画の妖精らしい格好をしているものの、大半のシーンでは元の造形を全く無視した二頭身の通称「クリパック」の格好で、漫画全体の雰囲気を吹き飛ばすかのようなギャグキャラとして活躍しており、詳しくは原作の漫画を読んでもらえばわかりますが、木の枝に栗のイガをつけて「妖刀ざっくり丸」と称したり、「エルフ示現流」と言ってはいつの間にかヨーダの格好をしていたりと、みるたびに思わず笑いがこみ上げてくるキャラです。多分このパックがいなければ面白いのは変わらなかったとは思いますが、話がずっと暗いまんまで読んでて疲れやすい漫画に「ベルセルク」はなっていたと思います。

3、如月さん(エルフェンリート)
 一見かわいらしい絵柄で始まった「エルフェンリート」の第一話にて、とろい口調で歩いてはすぐにずっこけ、それでも「いつかは室長の役に立つ秘書になるんだ」という夢を語る典型的なドジっ子萌えキャラとして登場し、多分読者はこの「如月さん」がこの漫画のヒロインなんじゃないかとみんな最初は誤解したと思います。ですが同じ第一話にて、その研究室で捕獲していた未知の力を操るキャラ(主人公のルーシー)が脱走してこの如月さんが人質にとられるやわずか4ページ後に「ブチッ」っと、いきなり首チョンパされるという強烈な最後を遂げて第一話でいきなり退場してしまいました。
 別にこの如月さんに限るわけじゃないですが、この漫画ではさも重要そうなキャラが出てきたかと思ったら同じ回の中ですぐに殺されては、逆に脇役かと思ったキャラがやけにその後延々と活躍するなど読者の期待の逆を平気で行く漫画でしたが、この如月さんのいきなりの退場には私も思わず「えっ?」と言ってページをめくり返してしまいました。

4、ドクターキリコ(ブラックジャック)
 手塚治虫の最高傑作との呼び声も高い「ブラックジャック」にて、血のにじむような激しい現場の野戦病院で働いた経験から施しようのない患者にはなるべく早く安息をもたらすべきという信条を持ち、安楽死専門の医師としてこの「ドクターキリコ」は颯爽と登場しました。登場回はいくつかあるのですがそのどの回でも「ほかの何者を持っても命の価値に変える事は出来ない」という信条の元、それこそどんな患者でも治療して見せようとするブラックジャックとは激しく対立し合うのですが圧巻なのは初めて登場した回において、全身麻痺で幼い子供らにこれ以上入院費用などの負担をかけられないとして安楽死を望む母親にその処置を施そうとするものの、当初は報酬額が出せないとのことで治療手術を拒否したブラックジャックがドクターキリコの行為をやめさせるため、意地になって無報酬で手術し治療して見せた回です。

 みごと手術を成功させたブラックジャックに対してドクターキリコは、
「人間の生き死にというのは神が決める行為だ。あの患者はいわば死ぬべき運命にあった患者で、その患者を無理やり治療してしまうお前の行為はいわば神へ反逆するようなものだ。だがお前がいくら頑張ったところで、人の運命なんて変わることはないんだぜ」
 と言い、退院直後に治療された母親とその子供らの親子が交通事故で死亡した事実を伝えます。それに対しブラックジャックも、
「たとえこれが運命に逆らう行為だとしても、俺は目の前の患者を生かし続けるために一生このメスを振り続けてやる」
 と言い放つこのシーンは、現代の医療倫理においても重要な意味合いを持つ会話だと思えます。なお今挙げたセリフは内容を伝えるために私が書き起こしたもので、忠実にセリフ文章を抜き出したものではありません。
 基本的に主人公のライバルキャラと言うのは主人公に対するアンチテーゼを持つキャラクターになるのですが、私は今の今までこのドクターキリコほど強烈なアンチテーゼを持ったサブキャラクターは見たことがありません。

 漫画も作品単位でいろいろと評論されることはありますが、今回ちょっと思い立ってやってみたのですが、案外こういう紀伝体のようにキャラクター単位で評論を書くのも面白いかもしれません。好評だったらまた続きを書いてみようかと思います。

2009年3月5日木曜日

満州帝国とは~その四、満蒙独立運動~

 日露戦争後に日本は満州鉄道とその周辺の付属地を手には入れたものの、満州全土は依然と中国のままで、1931年の満州事変が起こるまでは日本はその地域を完全掌握するには至りませんでした。しかし満州地域の権益の独占と支配の画策は満州事変の直前までなかったかというと実際にはそうではなく、日本は満鉄を手に入れた時点から混乱の続く中国に対して隙あらば付け入ろうと目を光らせており、実際に数多くの謀略を仕掛けては独立工作を何度も実行していました。
 そのような謀略を行っていたのは言うまでもなく陸軍をはじめとした日本の軍部らと、また中国大陸で一旗あげようとしていたいわゆる大陸浪人と呼ばれる人たちで、そうした日本人らにかつての清王朝の再考を夢見る元皇族の中国人こと満州人らたち組むことで行われ、そうした彼らの工作は俗に満蒙独立運動と呼ばれています。

 満蒙独立運動の活動家として最も代表的な人物は、大陸浪人の第一人者である川島浪速です。川島は中国語を学んでいた関係から若い頃から通訳などの仕事を通して中国と深く関わるようになり、その過程で川島の生涯の盟友となる粛親王善耆こと、清王朝の皇族らとも親交を深めていきました。その粛親王をはじめとした清朝の皇族たちは凋落著しい清朝を再興するために、日本の力を借りることで先祖伝来の満州の地にて蜂起、独立する計画を持っており、日本政府としても彼らを支援することで満州と蒙古地域(現在の内蒙古自治区)を中国政府から切り離して独立させることで、より中国大陸へと進出するという野心があり、いわば双方の思惑が一致する線の上で川島を始めとした大陸浪人らが日本と元皇族を結びつけたことから満蒙独立運動が始まりました。

 そうした中で行われたのが、辛亥革命直後に計画された第一次満蒙独立運動でした。1911年の辛亥革命にて清朝が完全に滅ぶや川島らは粛親王らを北京から脱出させ、満州内で兵を集めて挙兵する準備を進めつつ日本陸軍へも協力を打診しました。実際にこの時には参謀本部や外務省などから川島らを支援する目的で多額の資金や武器弾薬が拠出されたのですが、欧米各国がこのような日本の動きに対して懸念の声が挙がったことで、外交問題に発展することを恐れた日本政府より挙兵を中止するべしとの命令が出されたことで最終的には実行には移されませんでした。

 しかしこうした連中がちょっとやそっとで計画を断念することはなく、計画中止から三年後の1914年に欧州で第一次世界大戦が起こっている最中、中国では袁世凱が突然皇帝に即位するという破天荒な行動を起こしたことから中国国内で打倒袁世凱を掲げる「第三革命」が起こりました。この間に日本の大隈重信内閣は中国に対して対華二十一カ条要求という中国に対して屈辱的な外交要求を行うだけでなく、さらにはこの第三革命に乗る形で強気に内政干渉を行っていき、その一貫として再び清朝の元皇族を再び支援することで満州地域の独立を促す第二次満蒙独立工作が行われました。

 この時の計画はかなりの所まで準備が進められ、挙兵の際に障害となるであろう満州地域の軍閥である張作霖の爆殺未遂など実際に実行に移されたのも少なくありませんでした。しかしそうした工作の最中に袁世凱が急死したとことにより、遠政権の打倒という大義名分を失ったことから日本政府はまたも作戦を中止し、満州の独立はあきらめ中国において親日的な政権を応援するという方策に変えました。
 こうした方針の変更に困ったのは、実際にもう挙兵してしまった各地の部隊たちでした。一応日本政府も責任を感じてか部隊の解散費用などが川島らの支援者へ支払われはしましたが、支援のなくなった独立主義者のパプチャックの軍などは張作霖の猛烈な反撃を受けて敗退し、パプチャック自身も戦死しています。

 私などは大学受験時代に毎回相当な高得点を日本史の試験でたたき出していましたがこうした満蒙独立運動については何一つ習ったことはなく、以前に満州史を勉強した際に今回の記事の内容を知った際には、やっぱり日本は当時の中国にいろいろとちょっかいを出していたんだなと、あまり驚きはなくむしろ納得するような感じで事実を受け取りました。
 これは今回資料としている学研から出ている「歴史群像シリーズ 満州帝国」に書かれている評論ですが、特筆すべきはこれらの満蒙独立工作は公然と日本政府や軍部が中国に対して工作を仕掛けていたという点です。よく靖国問題についてあれこれ内政干渉だなんだなどという議論がありますが、当時はこれほどおおっぴらにやらかしていたのかと、今の時代にいるからこそ思うのかもしれませんが当時の日本のあまりの露骨さには時代格差を感じてしまいます。

 ただこうした工作が当時の軍部や政府の主導的な関与があったという事実は、この後に行われる張作霖の爆殺、それに続く満州事変といった一連の軍部の行動も、このような流れに沿ったものだったと考えると突拍子もない軍部の暴走だったとは受けきれないとも私は思います。

2009年3月4日水曜日

満州帝国とは~その三、満鉄の設立~

 満州帝国の歴史を語る上で欠かすことの出来ないものは数ありますが、今日紹介する満鉄はその中で最も代表的なもので、事実上満鉄=満州といえるような面も歴史にはあります。
 実はこの満鉄の記事を書くに当たり対象とする範囲が一気に膨大になってくるので、この際この連載を紀伝体風にやってこうかなとも考えたのですが、多少変則的になりますがこの記事では設立時の状況を説明する導入にとどめ、今後の記事は紀伝体調を強くしてやっていこうかと計画中です。甘粕正彦とか石原莞爾なんて、散逸的に書いてもしょうがないし。

 それでは早速解説を始めますが、この満鉄こと満州鉄道会社は日露戦争後、当時のロシアから満州での鉄道経営権を譲り渡されるのを受けて、その管理を目的に半官半民の組織で設立されました。この満鉄の設立に当たり、前回でも説明したようにロシア側から鉄道のみならず鉄道の付属地を譲り受けることから当地の行政もある程度管理する目的で、日露戦争勝利の立役者である児玉源太郎は占領統治を熟知している旧知の部下こと、台湾の民生局長時代に台湾の衛生環境を劇的に改善させた後藤新平を満鉄の初代総裁に据えようとしました。しかし後藤本人は当初は総裁就任を固辞していたのですが、そうこうしているうちに児玉が病死してしまい、医師だけにその意志を受け継ぐ形で後藤も最終的には総裁就任を承諾しました。

 とはいっても、満鉄は活動開始期から華やかにやってこれたわけではなかったそうです。後藤の腹心で後に二代目総裁となる中村是公はこの時期に東大時代からの親友である夏目漱石を満州に招待していますが、その旅において漱石は急速に近代化が進む付属地の状況を記す一方、ちょっと付属地の中心部を外れると荒涼とした荒地が依然と広がっているとも書いており、日本にいる人間たちからすると満州は遠く離れた僻地という印象が強かったようで、実際に日本以上に寒さの厳しい土地ゆえ鉄道の管理運営もしばしば支障をきたし、また馬賊などの襲撃が度々あっては満鉄社員らも士気が上がらず不祥事もよく起こっていたそうです。
 
 それでも後藤や中村の努力もあって徐々に鉄道網や付属地の経営やインフラの整備は進んでいき、明治末期に満州を訪れた矢内原忠雄も決して満州は僻地でないと、漱石が訪れた時代より大きく発展したことを記録しています。そんな中、満鉄が大きく飛躍するきっかけが外部よりやってきたのです。何を隠そう、第一次世界大戦です。
 この一次大戦にて満鉄にとどまらず日本中でも好景気をもたらせましたが、満鉄にとってなにが一番大きかったというと操業開始より経営の柱としていた鉱山発掘でした。満鉄の設立前にあらかじめ行われた中国との交渉によって日本は付属地近くの鉱山の経営権を獲得しており、この鉄道と鉱山経営は満鉄の設立開始から終末期まで経営の二本柱であり続けました。この鉱山経営が一次大戦の勃発によって重工業製品の需要が伸びたことからこの利益が膨れ上がり、この頃から経営が安定してきたことから名実ともに満鉄は日本を代表する会社となり、東大卒の社員もこの頃から入社するようになります。

 ただこうした一次大戦による経済的地位の上昇以上に、満鉄がその影響力を強めたのはロシア革命によるところが大きいとされます。というのもロシア革命によって世界初の(パリコミューンはもちろん除く)社会主義国家のソ連が誕生したことにより、ソ連と国境を接する満州にある満鉄と関東軍は次第に対ソ最前線の国防上でも重要な地位を帯びるようになっていき、ソ連に対する謀略、諜報の基地的な役割が強まっていきました。こうした流れを受け、付属地の経営や行政を研究する目的で満鉄の設立当初よりあった日本初のシンクタンク……というのはやや大げさな気がして私はあまり信じていませんが、戦前を代表するシンクタンクの満鉄調査部は徐々にソ連や社会主義陣営の偵察、研究、ひいては植民地政策などあらゆる方面を研究する組織へと変貌を遂げていくようになりました。

2009年3月3日火曜日

小沢民主党代表秘書逮捕のニュースについて

西松建設献金で小沢氏公設秘書ら3人逮捕 政治資金規正法違反(YAHOOニュース)

 今日七時のNHKニュースでもトップニュースでしたが、リンクに貼った記事によると本日小沢民主党代表の公設第一秘書が西松建設に絡む不正献金の疑いで逮捕されたようです。結論から言えば、私はこの逮捕撃破やはりきな臭いと思い、インタビューでも鳩山由紀夫幹事長が口にしていましたが、これも国策捜査なのではないかという疑念があります。

 今回の事件は異様とも言える位に構図が複雑なのであらましを簡単に説明すると、まず小沢氏の公設秘書をはじめとした三人の直接的な逮捕理由は、政治資金規制法で禁止されている、小沢氏個人の資金管理団体の「陸山会」に対して西松建設が企業献金を行い、その献金額を秘書が帳簿上の科目を別のものにしていたということからです。自分も今回初めて知ったのですが、政治家の政治団体には企業献金が許されているにもかかわらず、なぜか政治家の資金管理団体にはやってはいけないことになっているそうです。
 それで西松建設がどのように献金をしたかですが、単純に言うと西松建設が自社の社員への給料に小沢氏への献金額を上乗せして、その社員が個人献金という形で小沢氏の資金管理団体に上乗せされた分を献金させたということです。
 細かく言うと更にややこしいことになってくるのですが、一応はそうした給料上乗せ分の献金額は西松建設OBが運営していた政治管理団体の「新政治問題研究会」と「未来産業研究会」を通過することで、要するにダミーとすることで献金されたそうです。なんていうか、書いててあほ臭くなるほど長い過程です。

 私の理解した範囲の事件の構図はこうですが、まず私の正直な感想は、これのどこが悪いのかということです。確かにそうした献金によって変な談合や工事の随意契約の根回しといった不正が行われていたとするならば明らかな犯罪ですが、現在の報道ではまだその辺にまで言及はされておりません。そしていくら政治資金規正法で禁止されているとはいえ、政治団体へはよくとも資金管理団体へ企業献金が許されないというのは一抹の奇妙さを覚えます。言ってしまえば両方とも政治家が代表とする団体であればどっちもその政治家の政治活動に使われるのは明らかですし、その使途に妙な使い方があったのならばなぜそれが容疑とならず、献金をしていた事実のみで逮捕になるのか不思議です。そしてなにより、企業献金は駄目でも個人献金ならいいっていうこと自体、ちょうど以前の記事でも触れたばかりですがなにか問題があるような気がします。

 そうした理由に加え、一番このニュースできな臭いのはこのあまりにも良過ぎるタイミングです。ちょうど先週に予算案が衆議院で通過し、この後の二次補正予算が最終的に可決されることでいよいよ選挙かと言われ始めたこのタイミングで、それこそ致命傷になりかねない政党代表のスキャンダルなんていくらなんでも出来すぎた脚本のように思えます。
 更に言えば、そもそも先月からニュースになっていた今回槍玉に挙げられている西松建設の海外で捻出した裏金の送金問題や、キャノンの工事受注問題など、ありえないほど直前に検察などから集中砲火を受けていたのも変だと感じておりました。

西松建設前社長を起訴 裏金、引き続き捜査(47ニュース)
大賀容疑者、西松建設から数千万円…キヤノン施設工事巡り(読売オンライン)

 これらすべての西松建設への捜査が今回の小沢氏の秘書逮捕の布石だと考えると、というよりそう思えても仕方のないようなタイミングの良さで、佐藤優氏が一気に定着させた「国策捜査」なのではないかと私も疑ってしまいます。狙いはもちろん、小沢氏と民主党です。
 正直に言えば、私は小沢一郎という人物があまり好きではありませんし、小沢氏の持つスキャンダルは私の陽月旦でも触れているように前から知っていました。しかし今回の出来すぎた秘書の逮捕はあまりにも不自然ですし、こんな誰が献金したかとかよりむしろ「陸山会」が所有する不動産物件とその売買と賃貸行為の方が問題性が大きいのではないかと思うと、なんとなく釈然としない気持ちを覚えます。

 無論、今回の逮捕は一つのきっかけで今後捜査が進むにつれて本来の目的や容疑がはっきりしてくることで明確に小沢氏の責任が問われる事態が明らかになることもありますし、私のこの場での主張も杞憂に過ぎなかったということになるかもしれません。しかしそれでも、今回のこのニュースではやや疑問に思える点が数多くあることからあらかじめ私の見方を書いておくことにしました。

 なおもしこの件で本格的に小沢氏の周辺が捜査される事態になった場合、民主党はこの際小沢氏とその取り巻きを徹底的に排除することで、次の選挙でより有利な立場になる可能性もあるのではないかと思います。
 私がそうであるように小沢氏に対してアレルギーを持つ人間は未だ数多くおり、「自民党は応援したくないが小沢が総理になるのはもっと嫌だ」という有権者を取り込む意味合いで、この際徹底的に党内の小沢色を取り除き岡田克也氏あたりを党首に持ってきて、政権奪取時には彼が総理大臣になると確約することで今以上に支持が得られるという可能性もあるのではないかと思います。そこまで民主党が対応力を見せられるかにかかっていますが。

2009年3月2日月曜日

中川元財務相の泥酔会見の裏側

 今更ですが、ようやくあの中川元財務相の泥酔会見にて私がずっと疑問に思っていた点に対して一つの解答を出すことが出来ました。その疑問点というのも、中川元財務省とあの泥酔会見の直前にあった昼食にて同席していた新聞記者についてです。

 あの泥酔会見から約一ヶ月近く経ち、問題となった会見はやはり中川元財務相が泥酔した状態で出席したことによるものだとほぼ確実視されるようになりました。その根拠としては問題発覚後に徐々に明らかになってきた当日のスケジュールによるもので、あの問題の会見の後にも美術館見学にて立ち入り禁止の場所に入って警報ブザーを鳴らすなどと奇行を続けたことから泥酔の件はほぼ間違いなくクロでしょう。
 ではその酒が入ったのはどのタイミングかが次の問題になるのですが、この問題も結局中川元財務相の口からは曖昧なままで突き通されてしまいましたが、当日のスケジュールを精査するとG7会合が終わったあとの各国財務大臣同士の昼食会と、その後に日本の外務省からの同行者らとの間で行われた私的な昼食会とアルコールを取る機会が二回あり、特に後者の私的な昼食会の直後に行われたロシア関係者との会談においてロシア側が中川元財務省がすでに奇妙な態度を取っていたことを言及しているので、私としてもうしろの昼食にてアルコールが入ったと見ております。

 さてこの昼食が実はこれまで私を悩ませてきた一つの原因なのですが、各所の報道によるとこの私的な昼食会において読売新聞をはじめとした何人かのぶら下がり記者も同席していたようで、この事実については読売新聞側も認めております。
 しかし問題発覚後、時間にして約三日間もの間、見方によれば現在に至るまでその時の昼食会にて中川元財務相がアルコールを含んだという事実関係の報道はありませんでした。普通に考えれば同席した記者がいるのならその時に中川元財務相が酒を飲んだか飲んでないか、もしくはその昼食の時点で行動がおかしかったかなんてその場にいた記者ならはっきりわかるはずですし、また当初酒を泥酔するほど飲んではいなかったと中川元財務相はゴックンだかゴックンじゃないとか曖昧な言葉で濁していましたし、その内幕を暴露することでスクープになるような内容を何故隠していたのかと、恥ずかしながら実はこれまでずっと悩んでいました。

 それでこれはあくまで私の推論ですが、やはりあの時に同席した記者らは敢えて中川氏の飲酒の事実を報道しようとしなかったのだという解答に私は落ち着きました。というのも政治家のぶら下がり記者というのは自分たちの出世もぶら下がり先の政治家にかかっているようなもので、担当となった政治家がそれこそ大臣や首相になればそのまんま大臣付きや首相付きの記者となって社内での発言力も増していくそうです。逆を言うのなら担当の政治化が楽そうすればするほど、その記者も立場がなくなっていくことになります。

 そうした打算的な意味合いに加えて、やはり政治家となるような人というのはみんな人間的魅力に溢れている人物ばかりらしく、一緒に接していることでいつの間にやらその人間の個人的なファンになってしまうことが政治家のぶら下がり記者には多く、業界用語で言うと「政治家に淫する」といって、次第に担当の政治家に対して批判的な目や記事を書くことが出来なくなるそうです。

 要は中川財務相のぶら下がり記者らもそうしたところがあり、泥酔会見が発覚してもなかなか「いや、あんたあの時散々飲んでたじゃないか」というような事実を公表することを敢えて行わなかったのだと私は考えています。そしてもしそうだとするなら、書かなかった記者らは早いところ仕事を変えるべきだとも思います。記者がいくら担当の、しかも懇意にしている政治家だからといって、批判的かつ中立的な立場を持てないとするのならその仕事には向いていないとしか言わざるを得ません。

  追記
解散時期「わたしが決める」と麻生首相=農水相発言、官房長官は苦言(YAHOOニュース)

 リンクに貼った記事は先日に石破農水大臣が予算成立後に早く解散総選挙をするべきといった発言に対し、麻生首相が解散時期についてとやかくいうなとばかりに反論したことを報じたニュースです。
 実は昨日に古賀誠選対委員長が石破大臣に近い意見として、補正予算成立後あたりが時期かもしれないと匂わせていたので私は自民党内で合意が出来ていると思ったのですが、今回の麻生首相の発言はそれを真っ向から否定する発言なので、どうやらそうでもないようです。

 それにしてもここまで来ると別にやることもないし本人が信条としている政策目標もないというのだから、麻生首相は本当に一日でも長く自分が総理をやっていたいという理由だけで解散を延ばしているのではないかと、あまり信じたくないのですがそう疑ってしまいます。だとしたら本当に麻生降しが自民党内で起きない限り、選挙は今年九月まで目一杯引き伸ばされてしまうかもしれません。

2009年3月1日日曜日

国会議員の世襲について

衆院選「候補者A」かく闘わんとす(日経ビジネスオンライン)

 昨日に引き続きSophieさんからのリクエストネタです。今日やるネタは私の中でもホットな話題の二世議員についてです。

 さて上記のリンクに貼った記事に書かれているように、日本の選挙はとにもかくにもお金がかかってしまいます。特に私も問題視しているのは、シャレや冗談で立候補する泡沫候補を出させないために、確か200万円の供託金を立候補に当たって選挙管理委員会に出さないといけないという選挙制度です。この200万円ですが、確かに泡沫候補を乱立させないためという理由はわかるのですが、選挙に落選した際に10%の得票率がなければ返還されずに一方的に没収されます。はっきり言いますが、何故この制度に対して司法が平等な被選挙権の侵害だと判断を下さないのか疑問に思います。

 こうした供託金制度にとどまらず、選挙活動をする上で運動員の雇用費、ポスター代などと、記事にも書かれていますが一回の選挙で数千万円の費用がかかるというのはあながち大げさな話ではありません。しかも日本の場合はお国柄か、個人からの献金が一般的ではないために立候補する候補者たちは企業からの献金に頼らざるを得ず、そのため政策面で企業の便宜を図るように動かざるを得なくなるという環境があると以前から指摘されております。そのため地位も名声もない新人議員や候補からすると、地元の支援も満足に受けられずにこうしたお金の問題から政治活動の停止に追い込まれる人も少なくありません。

 元々、日本の政治には「三つのバン」こと、「地盤、カバン、看板」がなければ選挙で戦えないと昭和期より言われてきました。カバンというのは要するにお金で、看板というのは名声で、そして最後の地盤というのは一見すると地元からの支援と見えますが、実際には世襲を表しています。
 世襲議員の場合は親族が元々その地域から選出された議員であることから地元の支援者の協力も得られやすく、また政治資金も親族から政治団体を引き継ぐ形を取れば相続税もかからずに受け取れるので、新人候補に比べると非常に有利な状態から選挙に望めます。そのせいか現在の国会議員における世襲出身の割合は非常に高く、私の陽月旦でも出身欄に「世襲」ばかりと書いていていい加減うんざりしています。

 これは田原総一朗氏の発言ですが、世襲自体がいいかどうかではなく、現実として大半の世襲議員には政治家としての能力が不足しているのは事実ゆえにどうにかするべき、というオフレコ発言がありましたが、私も同じように感じます。
 現在の選挙制度では先ほどにも述べたように非常にお金がかかるため、企業などから献金を受けづらい新人候補は政党からの支援金に頼らざるを得ません。ですが現在の政党、特に自民党では世襲ではなく外部から政治家を志して援助を願う候補者がたとえどれだけ能力があるとしても、やはり人間関係的なもので世襲の議員を応援するように動いてしまいます。そのため外部の人材は選挙に出ようとしても政党の援助もなく選挙区を割り振られないために、事実上締め出されてしまっている状況だそうです。先ほどの田原氏によると、現在民主党に所属している前原誠司議員や長妻昭議員は本音では自民党から出馬したいと願っていたものの、自民党では選挙に出してもらえないことから民主党で出馬して当選し、現在自民党を苦しめる張本人らとなっているそうで、この事実ひとつだけでも世襲では優秀な人材を国会へ送り込めないというのがわかります。

 そして現在、橋本龍太郎以降の首相はすべて世襲議員です。こういうと昔から世襲じゃなければ首相になれないと思われがちですが、実際には戦後になってから初めて世襲議員で首相に就任したのは宮沢喜一首相で、それまではどれも叩き上げの国会議員たちでした。
 そして橋本以降の首相を見ても、橋本、小泉氏はまだしもここ三代の安倍、福田、麻生の三首相に至っては途中で政権を放り出すわ失言は連発するわで、なんでこんな人たちが総理大臣になってしまうのか、日本には本当にこんな人材くらいしか残っていないのかと嘆息させられてしまいます。もっとも、世襲議員とはいえ一応は選挙で勝ち抜いては来ているのですから、そんな人材を国政に送り出す国民に一番責任があることになってしまうのですが。

 最後に、私が知っているある新人選挙候補のお話しをします。
 その人は世襲ではなく官僚出身の候補者ですが、初めて選挙に出た前回の選挙にて残念ながら落選してしまい、次の衆議院選挙にも再出馬する予定の方です。その人から直接話を聞きましたが、やはり落選した際の費用負担は大きく、また家族も奥さんが心労で入院し、子供は学校でいじめられ、おまけに公務員には失業保険なんてないからいきなり無収入になり、ほとほと選挙に懲りてもう政治家の道はあきらめようとしたそうです。
 ですがそんなことを友人に相談したらその友人より、
「自分を大事にするのならそうした方がいい。だが本当に国を思って、国のために尽くしたいというのなら絶対にあきらめるな。私は君のような能力の高い人材こそが本当に国が必要とする人材だと確信している」
 と言われ、もう一度やってみようと決心したそうです。

2009年2月28日土曜日

中国における日本アニメの浸透について

中国”動漫”新人類(日経ビジネスオンライン)

 本日リクエストがあったので、上記に貼った中国における日本のアニメの浸透の記事について解説します。
 まず中国で日本のアニメが流行っているかどうかですが、正直なところ微妙なもので、少なくともヨーロッパやアメリカのようなブームにまでは至っていないというのが私の所感です。

 私自身は2005年から2006年まで中国北京にいましたが、テレビなどで放映されるような熱狂的な日本アニメファンの中国人は見たことがありませんでした。その代わりといってはなんですが、日本に帰ってから知り合った中国人留学生の友人などはまさに根っからのオタクで、別の友人から「ガンダムが好きで日本に来たんだよ」とまで言われる位の執心ぶりでした。
 リンクに貼った記事では一見すると北京大学の学生らが非常に日本アニメに執心しているような印象を受けますが、私はそれは実際のところごく一部の学生でしかなく、ブームというほどの現象にまではなっていないのではないかと思います。とはいえ中国はいわずと知れた人口大国であるので、全体の中のほんの一部といってもそれだけでも相当な人数が集まってしまうので、記事中にもあるように同人誌の即売会などに多勢の中国人が参加したというのもあながち嘘ではないでしょう。

 では何故中国人たちの一部が記事に書かれているように日本アニメにハマるかですが、基本的に日本のアニメを見るのは日本語を学ぶ外語系の学生が多く、日本語を最初に学ぼうとするあたりから日本文化に元から親近性が強いということが予想できます。私自身中学生の頃から中国語を学ぼうと考えていたのもあり、割と中国の文化というか匂いが肌に合っていました。
 そうした学生がどのようなところで最初に日本アニメに触れるかですが、まず一番多いのはテレビ放送でしょう。私自身、留学中に中国のテレビ局で徳弘正也氏の「ジャングルの王者ターちゃん」のアニメが放映されていたので見ていましたし(さすがに一部の下品なシーンはカットされていたが)、人づてに話を聞くとちらほらとそういった日本のアニメ番組が中国でも放送されており、特にジャンプでやってる「NARUTO」も放送されていたのですが、その放送を向こうの子供はみんなよく見ていました。

 そうしたテレビ放送を通して始めて触れる一方、ある意味今日の本題となるもう一つのきっかけこと、海賊版による影響も小さくありません。
 まず一体どれくらい中国に日本のアニメやドラマの海賊版が溢れているかですが、それこそ道端の露店からその辺の本屋さんに至るまで、あちらこちらで際限なく売られています。北京で恐らく一番大きくて権威のある王府井の本屋でも、地下に行ったらありえないくらいの海賊版が売られていたのには驚かされました。値段はDVDやCD一枚あたり大体20元から30元くらいで、日本円に直すと300円くらいから450円くらいで売られています。

 私自身はそういった海賊版を買うことはありませんでしたが、日本人留学生でもアニメに限らずドラマや欧米の映画などをよく買っては暇つぶしとばかりに見ているのもたくさんいました。実際現地での雰囲気を見ていると海賊版があまりにも溢れているので、海賊版を買って何が悪いのといわんばかりの空気だったような気がします。
 やはり日本贔屓の中国人に聞いたりすると、そうした何気なく手にとった海賊版から日本のアニメにハマったという人が多かったです。入手がしやすく、また気軽にそういったアニメやドラマが見れることから、こうした海賊版が中国人が日本に対して興味を持つ取っ掛かりになるということは確かに私もあると思います。

 そうした意味でこうした海賊版のアニメは日中の交流の架け橋となっていると見ることもできるのですが、日本の各メディアでも言われているように著作権が根本から無視されていることから、しばしば双方の争いの種となっていることも少なくありません。一番日本で有名な例は向こうでテレビ放送されて人気になった「クレヨンしんちゃん」(中国タイトルは「鉛筆小新」)が中国で勝手に商標登録されて、日本のおもちゃメーカーが中国でおもちゃを販売しようとするのを差し止めたり、逆にゲーム会社のKOEIがなぜか「三国志」を商標登録しようとして中国人が怒ったりと、実際の視聴者の外では壮絶な争いが主に製作会社間で行われています。また単純に海賊版が出回ることで正規版の販売収入がなくなり、いわばタダ見されること自体を問題視する声もあります。

 こうした問題があることは重々承知ですが、二つ目のタダ見については私はどんなものかなと思うところがあります。私が日本のアニメを見る手段は主にレンタルビデオですが、やはり周りにはファイル交換ソフトで見るという人もおり、中国の海賊版を現在批判したところで日本国内でもタダ見している人間は数多くおり、今更こういうことをどうのこうのとか正規版の販売収入といってももうどうにもならないと思います。それにタダ見してる人がもし海賊版やファイル交換ソフトが撲滅されたところで、素直に正規版を買うかどうかといったら正直疑問です。かといってその二つの違法手段があっていいというわけではありませんが。

 ただこうした海賊版から入った中国人がその後熱狂的なアニメファンになることで、将来的に日本のコンテンツ産業へお金を落とすようになっていったり、日本に対して理解を深めていくということは現実に起こりつつあると思います。私の友人の中国人なんかまさにそうですし、やはりアニメゆえに入りやすい、興味を持ちやすいという特徴は確実にあると思うので、やや複雑な感情になってしまうのですが、一概に海賊版を否定するというところにまでは私は入っていけません。
 また留学中に日本アニメをよく見ていた同級生のフランス人の姐さんからも、「何であんたはネット上で無料公開されている動画を見ないの?」と言われたことがありましたが、日本以外の大半の国ではネット上の違法公開動画などを見ることが半ば当たり前視されているのではないかと私自身思います。こうした違法視聴を徹底的に叩くべきか、それとも見過ごすことで将来の購買層ことアニメファンを増やしていくべきか、実際にアニメを製作している人のことを考えると悩みが尽きません。

 ただ先ほども言ったとおりに、「NAROTO」や「ちびまるこちゃん」といった少年少女向けのアニメは正規に中国のテレビ局から放送されており、こうした番組を子供時代に見ることで将来的に日本に対して好感を持つ中国人が増えていくことは日中間にとっては悪くはない気がします。しかしこれは確か2006年だったと思いますが、中国政府が国内のアニメ産業を保護する目的で、ゴールデンタイムに外国のアニメを放送するなという通達を出したことがありました。その後この通達が本当に実行されているのかまでは確認してはいませんが、私としてはそんなけち臭いことは言わないでほしいというのが本音です。

  おまけ
 以下は私が海賊版を見ていた友人から聞いた、中国語字幕の妙な翻訳例です。左側がアニメの中の日本語セリフで、右側がそのセリフに対する字幕の誤訳です。

・こざかしい!→小坂茂!
・鈴鹿越え→鈴籠へ

2009年2月27日金曜日

権利と義務の関係性

 週末なので、ちょっときわどい内容にチャレンジしてみようと思います。
 先に断っておきますが、私は法学に関してはずぶの素人のしがない社会学士でしかありません。そんな分際でこんな内容をやろうというのも自分でもどんなものかと思いますが、この前電車に乗りながらいろいろと考えるところがあったので読者の方の意見も聞いてみたいので、一つ所見を述べさせてもらいます。
 まず結論から言うと、全部が全部そうだと言うわけではありませんが、私は権利と義務は対立するものではなくむしろ同一直線状にあるものではないかと考えております。

 これは私の持論ですが、「よく権利を主張する人はよく義務を遂行しない人」が多いと考えています。これの代表的な例はいわゆるモンスターペアレントというやつで、給食費を払うという義務を遂行しないでおきながら学校内の子供の扱いにおいて教師らへ様々な権利を主張するという例が数多く報告されており、またモンスターペアレントに限らずニュースに出てくるような数多くの変な団体とかも、言うだけ言っといてやることはやらないのかと見たり聞いたりする度に思わせられます。
 別にこのようなこと、世の中には傲慢な人間たちが溢れているんだということで特段に珍しいことではないのですが、この前ふとしたことからこの逆の構図はありうるのかと、つまり権利をあまり主張しない人は義務もきちんと遂行するのだろうかと考えてみたら、なんとなくその傾向はあるんじゃないかと思いました。

 私の周りを見渡すとやはり社会に対してきちんとルールや義務を行っている一般常識のある人ほど謙虚なことが多く、さらにはことさらに自分の行っている行為を喧伝したりせず、自分はこれだけ義務を果たしているのだからこういうことくらい主張してもいいんだなんてことも全く言いません。となると、先ほどのモンスターペアレントの例と繋ぎ合わすと権利と義務というのは基本的にセットになり、よく権利を主張する人は義務を果たさず、よく義務を果たす人は権利を主張しないという風になるのではないかと考えるに至りました。

 しかしよくよく考えてみると、個人単位でこの両者を見比べるとまるでシーソーのように権利と義務が対立し合って見えるのですが、社会上では始めから権利と義務が一緒になっているものも少なくありません。その代表的なものは主に憲法で規定されている教育や労働で、日本国憲法上で日本人は自らが教育を受ける権利と労働者として守られる権利を持ち合わせていますが、国民の義務として自らの子弟に対し教育を行う義務と労働を行う義務も一緒に課せられています。
 これはちょっと言い方が難しいのですが、権利と義務がセットになっていることでその社会にいる人は、ある場面ではその行為を行う権利者となるものの、別の場面ではその行為を行おうとする人を手助けしなければならない義務者になることもままあるということになります。それは極言をすれば、社会で認められている権利が大きければ大きいほど、その社会が保障しなければならなくなる義務も大きくなっていくということではないかということが、以前に私の頭の中でよぎったわけです。

 これなんか私がよく問題視している例なのですが、ファミレスなどでちょっとでも店員が粗相をしてしまうと感じの悪い客なんかは、「客商売なんだから、もっとしっかりしろよな」とすぐ口に出し文句を言ってしまいます。しかしもしその感じの悪い客がバイトなどで同じような店員をする場合には、自分と同じような感じの悪い客にきちんと接客を行わなければすぐにまた文句を言われてしまいます。
 ですがもし始めから店員に対してきちんとした接客態度という要求がなされないとすると、店員の側もそんなにいちいち細かい挨拶とか言葉遣いに気を使う必要がなくなります。言ってしまえば、客の要求が高ければ高いほど店員の負担は重くなる一方、要求が少なければ少ないほど店員の負担は軽くなるということです。

 このファミレスの例で「要求」を「権利」、「負担」を「義務」と言い換えると、私の言いたいことが読者の方にも見えてくるかもしれません。それこそもしずっと客の側でいられるのであれば要求を言い続けて良い目を見続けることも出来るかもしれませんが、さすがに働かずにずっと生きてけるというのは今の時代には難しいので、同じファミレスでなくとも別の業界にて自分が店員こと社員の立場になって客から同じようにあれこれ要求されることになってしまうかも知れないということです。つまり自らが要求することで権利を社会全体で高めてしまうと、回りまわって自らを拘束する義務になってしまうのではないかというのが私の意見です。

 なにも接客に限らずに社会保障の観点から言っても、いざという時に年金や生活保護を受ける権利があるとしても、その社会で年金や生活保護に使われるお金を出す人がいなければ社会保障というものは成り立たず、言うなればその社会で社会保障が手厚ければ手厚いほど税金は多く必要になってきます。また単純に社会全体で基本的人権が認められるということは、他者に対しても基本的人権を認めなければならなくもなります。
 このようにその社会で認められる権利が多ければ多いほど、その社会の構成員に課せられる義務というものは比例するように増えていくのではないかということです。一見すると権利が広がることで人間は自由や自分の可能性を広げられるとよく言われていますが、その一方で人間を拘束する義務も増大するので、場合によっては自由の範囲が狭まることすらもあるのではないかと思います。

 もちろん最初に言ったように全部が全部こうだとは言うつもりはなく、フランス革命以前は貴族は好き放題出来る一方で大多数の平民に自由がなかったのに対し、革命後に人権思想が広がったことにより元貴族は行動が制限されることとなりましたが大多数の平民には一定の自由が得られ、フランス社会全体で自由の総和というものは増えたのだと私は考えています。
 しかしこの例のように権利が広がることで必ずしもその社会の自由の総和が増大するとは限らず、またモンスターペアレントの例のように、社会の拘束こと義務が減る事でも自由の総和が増大するとも限らないのではないかと、最近企業などへのコンプライアンスの意識が増大することで窮屈さを感じることが増えた日本で考えついたわけであります。

2009年2月26日木曜日

満州帝国とは~その二、二次大戦前の中国~

 日露戦争後、満鉄の経営権を握った日本が後に満州を完全に占領しようとしたのは植民地獲得の野心があったのは言うまでもありませんが、当時の言語に絶するような中国の混乱した状況がその野心を強くさせたというのは間違いありません。今日はそれこそ普通にやっていればまず受験生はまず勉強しないであろう、一次大戦から二次大戦に至るまでの激しい中国の歴史を紹介しようと思います。

 日清、日露戦争の後、中国は今でもトラウマに持つくらいに列強諸国から次々と無茶な要求を出されては領土を割譲されるなど、文字通り国際社会の食い物とされていました。清朝としても内心は穏やかではなかったものの外国に対抗できるだけの力もなく、また国内すらも徐々に抑えきれなくなっていたために要求を受け入れざるを得なかったそうです。
 そうした清朝の態度にタダでさえプライドの高い中国人は納得するまでもなく、こうなれば日本の明治維新を見習い、清朝を倒して強固な体制を新たに作るべきだという主張が徐々に強まっていき、各地で反動勢力が次々と反乱を起こすようになっていきました。

 そんな反動勢力の中で、ひときわ抜きん出た存在となったのが辛亥革命で有名なあの孫文でした。
 彼は外国や軍閥などから文字通り手段を選ばずに支援を仰いで支持者を増やし、最終的には孫文らを討伐しに来た清朝の将軍であった袁世凱との間で、袁世凱を臨時大総統こと革命後のリーダーに仰ぐことで取りこんで清朝を崩壊させるに至りました。
 なお余談ですが、孫文は中国では一般的に「孫中山」と呼ばれていますが、この「中山」という文字は彼が日本にいた頃に中山さんちの表札を見て気に入って自分の名前にしたことが由来で、ひいては彼が着ていたことで後に定着した中国の国民服も「中山式」と呼ばれています。

 こうして清朝が滅んだことにより新体制を作るぞと息巻いたものの、残念ながら中国ではその後全体をまとめる強固な政権がなかなか生まれず、袁世凱のスタンドプレーや孫文の死によってますます統合が緩んだことが拍車となって結局は各地で軍閥が台頭し、あっちこっちで勝手に自分の領地を統治しては縄張り争いをするという、それこそ日本の戦国時代のような群雄割拠の世界が広がっていきました。
 これは首都である北京でも同じことで、ある軍閥が占拠していたかと思ったらすぐに負け、また新たな軍閥が占拠しては新たな統治をするというようなことが全国各地で起こり、それ以前の中国よりずっとこの時代に混乱が増すこととなってしまいました。なおこの時代より少し前の革命期になりますが、魯迅の「阿Q正伝」では清軍と革命軍が交互に地域を占拠するたびに辮髪があるかどうか大問題になるという、当時の不安定で反復常ならぬ世情が描かれています。

 こうした中で日本にとって一番関心の強かった満州において強い勢力を持ったのが、こちらは中学生でも習う馬賊出身の張作霖でした。
 先に馬賊の定義について説明しておきますが、正直なところこの馬賊という名称は誤解を生む恐れがあるためにあまり良くない名前で、日本語の意味合いから言うなら「傭兵団」と呼んだ方が適当だと思われます。既に述べたように当時の中国は果てしなく混乱し、北斗の拳じゃないけど暴力による強圧的な支配から略奪まで日々横行していました。そんな環境ゆえにお金のある地主などは腕に自信のある人間を夜盗であろうと構わず集めては、広大な満州の平原で必須となる馬を援助するなどして自警団を各地で組織するようになっていき、そのようにして生まれた独立した自警団こそがこの当時に馬賊と呼ばれた集団でした。

 これら馬賊は地主などのスポンサーから援助を受けている間は担当地域の治安を守り、支援が打ち切られるや別の地域で活動するかそのまま元の夜盗へと成り下がるかし、言うなれば半兵半盗のような存在でした。
 張作霖などはこうした馬賊のリーダーとして徐々に活動地域を広げていき、支配地域のスポンサーや満鉄を所有する日本も混乱が続くぐらいならまだ力のある人間によって統治されることを望んで彼を多方面で援助したことにより、張作霖の勢力はいつしか現地の行政も担当するようになって軍閥へと発展していったのです。

 とはいえ所詮は軍閥で、他の軍閥との抗争に敗れたり援助が打ち切られたりするとあっという間に勢力を失うので、中国全体で一応の秩序が生まれるには蒋介石による全国統一作戦こと「北伐」が行われるまで待たなければなりませんでした。その北伐を行う蒋介石に敗北した上に日本からも援助を打ち切られた張作霖の最後はまさに落ち目の軍閥党首の典型で、1928年に河本大作によって奉天へと鉄道で逃げ帰る途中で爆殺されてしまいます。
 皮肉なことに、それまでの混乱期ではなく蒋介石の下でようやく統一が行われそうになった段階に至り、日本は本格的に満州へと謀略を仕掛けるようになり、三年後の満州事変によって行動に移されることとなるのです。

2009年2月25日水曜日

満州帝国とは~その一、満州への進出

 今日から満州帝国についての歴史と私見を紹介する連載を始めます。ある程度勉強は終えているのですが、この連載に備えて小林英夫氏の「満州の歴史」(講談社現代新書)を先月に買っていたのですが、まだ他に読む本があったために先にうちの親父に貸したらまだ返してもらえず読むことが出来なかったのが唯一の誤算でした。
 それではまず第一回目として、いつ、どのように日本は満州と関わりを持つようになったのかを今回説明します。

 まず満州とされる地域ですが、これは現在の中国で言う遼寧、吉林、黒龍江の東北三省を一般的に指しています。何故これらの地域が満州と呼ばれるようになったのかですが、日本が戦国時代だった頃、当時のこの地域ではかつて中国において「金」という帝国を作った女真族が各部族ごとに集住、抗争していたところ、ヌルハチというある部族の長が女真族内で次第に統一をはかり、最終的には一つの軍閥として纏め上げ、その際にそれまで「女真族」としていた民族名を「満州族」という名称に改めたことがきっかけで、そのまま民族名が地域名として定着したのが由来だそうです。

 ヌルハチの死後、満州族は混乱の続く中国中心部へと進撃してついには統一を行い、現時点において中国の最後の王朝に当たる「清」を設立することになります。その清の時代も満州地域では漢族の流入が抑えられ、満州族の伝統が守られていたそうなのですが、近代に入るとロシアと国境の接する地帯として紛争が続くようになり戦略上の重要度が時を経るに従い増していきました。
 そんな中、明治維新を断行し日の出の勢いで国力を増していた日本は当初は同じアジア国として朝鮮、中国を支援して欧米の列強の進出を防ごうとしていたようですが、福沢諭吉らなどの脱亜論などのようにこの際アジアよりも欧米のように植民地を切り取っていくような政策に変えるべきという国論も強くなっていき、その目標として日本に定められたのも朝鮮と満州でした。

 そうして国論が次第に変容する中で朝鮮内の甲午農民戦争をきっかけに日中間で日清戦争が起こり、この段階に至って日本ははっきりと中国に対して侵略を行う立場へと変わり、戦後の講和条約にて台湾をはじめとした領土の領有権を中国に認めさえ、その中に満州地域に含まれる遼東半島も含まれ、この時を以って日本は満州と関わりを持つに至ります。

 もっともこの時はその後ドイツ、フランス、ロシアによる三国干渉を受け、遼東半島の日本の領有は当該地域の安全に好ましくないといちゃもんをつけられ中国へ返上することになりましたが、日本には返上を迫る一方で満州内の鉄道敷設権を得るなどどんどんと進出してくるロシアに対して日本は、「俺たちには適当なことを言いやがって!」とばかりに日本は国民感情上でも相当怒り、特に支配権を握りつつあった朝鮮と国境の近いことからも非常に危機感を募らせていくようになりました。
 その後この地域の安全を図る策として「満韓交換論」等が練られますが交渉としてはどれも失敗し、最終的には維新後日本において最大の試練となった日露戦争へと突入し、辛くも勝利を得たことによって日本はこの地域へと本格的な進出を行うに至るようになります。

 具体的にどの程度進出したかですが、まずロシアが中国より租借していた遼東半島の先端に当たる関東州、そしてこれまたロシアが中国に認めさせて敷設していた東清鉄道こと、後の満州鉄道の経営権と付属地が日本に譲渡されることとなりました。
 ちょっとこの辺が自分も今まであまりよくわかっていなかったところなので詳しく解説しますが、この時点で日本は満州の大半の地域を獲得したわけではなく、あくまで満州鉄道とその周辺地域の支配権だけを得たに過ぎませんでした。というのも日露戦争前にロシアは中国より満州内に鉄道を敷設する権利を受けてその鉄道の管理権、及び線路を中心にした幅六十二メートルの付属地の支配権を握っていたので、それがそのまま日本のものとなったわけです。とはいっても当時の物流はすべて鉄道によるものなので、満州における鉄道の経営権を握ることはその地域の経済源をすべて握るといっても過言ではなく、この時に日本が得たものは決して少なくはありませんでした。

 そういうわけで、日露戦争後に日本が満州に得た領土は遼東半島の一部と、満州に敷設されている鉄道線路を中心にした幅六十二メートルの付属地でした。その後付属地は日本側によって「関東州」と称され、この地域を防衛、守備するために作られた部隊が「満州駐箚軍」こと、後の「関東軍」となるのです。

2009年2月24日火曜日

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その四

 まさか昨日の今日にこの件で続報を書くことになるとは思いもよりませんでした。

新潮社に虚偽と抗議 「本社襲撃」手記で元米大使館員(asahi.com)

 今朝の朝日新聞の朝刊で私はこの記事を確認しましたが、昨日に引き続き週刊新潮による一連の赤報隊事件の犯人手記に対してその内容を事実無根だとする非難記事を発表しており、特に今朝のはなかなか面白いことが書かれているのでまた紹介します。

 まずなにが凄いかって、新潮側が犯行の指示犯とする元アメリカ大使館職員の、週刊新潮の記事中で佐山と仮名されている方が出てきていることです。もちろん実名は伏せられていますが、何でも今回の新潮の記事によって「犯行の指示役に仕立てあげられた」として朝日新聞に実名で連絡を寄せてきたそうです。
 もうこの時点で本当にこの方が犯行指示犯だとすればありえない事態で、新潮の言っている内容、取材が如何にいい加減だったかがよくわかるのですが、前回の記事で私も奇妙だとして指摘した、犯行の実行犯と自称している島村氏と指示犯とされるこの方の一月十九日に撮影されたツーショット写真について、島村氏に貸した金を返すとの連絡を受けて秋葉原で会ったところを隠し撮りされた物だとした上、新潮側からの一月二十六日の取材にてこの事件の関与を全否定したにもかかわらずその旨が記事では書かれなかったと主張しています。

 前の記事で書いたように、あの写真が撮影された日と取材日が異なっているのが妙だと思っていたら、案の定あの写真は隠し撮り写真だったということで、そう考えるならこの日程の違いにも納得がいきます。更に新潮の記事ではさもこの男性が赤報隊事件当時に東京のアメリカ大使館に勤務していたように書いているのですが、実際にはこの時この方は福岡の領事館に勤務していたとも朝日新聞には書かれており、現在のアメリカ大使館の報道官もこの事実を認めています。

 他のメディアでもこの新潮の記事についていぶかしむ声は多く、新潮側はもっと確たる証拠やこれらの批判に対して応答すべしという意見が載せられていますが、私としても同じ意見です。前回の記事でも書きましたが、こんなあやふやな島村氏の証言だけでこんな記事を書いて公表したのだとしたら、事件にて殺害された記者への冒涜にしかほかなりません。

  追伸
 昨日今日とNHKへライフルの実弾が入った封筒が、「赤報隊」と書かれた紙と一緒に郵送される事件が起きており、うちのお袋なんかは今回の新潮の記事に対して、「適当なこと言いやがって、俺が本当の赤報隊だ」と、朝日新聞での真犯人が言うためにやっている事件なんじゃないかとまで言っています。もちろん新潮の記事に便乗した愉快犯が行っている可能性もありますが、なんとなく不気味な事件ですし、このような報道機関への脅しはどこをどうみたって最低の行為なので、早くこんなことはやめてもらいたいと個人的には思います。

中国と日本の現役層のバックグラウンドの違い

 前にも一回書きましたが、出張所のFC2ブログの方ではクリックするだけでその記事を評価したことになる拍手ボタンというものがついており、案外目立たないのですが管理者の側からすると一ヶ月前までの履歴はすべて把握でき、やっぱり押してもらっているとなかなかうれしいものです。それがまた他の記事より手の込んだものであればなおさらというものでしょう。
 それでこの前ふとしたことから出張所の方で文化大革命の連載記事を読み返していると、「紅衛兵」についての記事だけ七拍手も集まっており、ほかの連載記事とは一線を画して拍手が多いということに気がつきました。実際にこの紅衛兵の記事、ひいてはその次の下放に関する記事はつたない知識ながらも頑張って書いた記事だったので、これほど拍手が集まっていたのは素直にうれしく思いました。

 それにしても、この紅衛兵と下放の下りは読み返す度にいろいろと思うことがあります。その現実としての歴史の凄まじさは言うまでもありませんが、果たしてこんな時代を生き抜いてきた中国人に対し、自分たち日本人は対抗できるのかという疑念も必ず湧いてきます。
 意外と知られていない、というより報道なんてほとんどされないで当たり前ですが、現在中国の常務委員のメンバーにて次期総書記として最も有力視されている習近平氏、そしてその次に有力視されている季克強氏の二人ともこの下放を受けており、特に習近平氏なんて父親が元副総理という立場ながら追放された上での下放でしたから相当な経験をされたことが予想されます。

 下放についてはリンク先の記事でも書いてあるのでここでは細かく語りませんが、それこそ一生を賭すような壮絶な体験です。そんな体験や苦難を乗り越えてきた彼ら二人に比して、今の日本の政治家の中でそのような塗炭の苦しみを乗り越えた人間がいるかといったらまずいないと言っていいでしょう。
 更に言えば、今の中国において財界、政治界で指導者として活躍している壮年層のほぼすべてはこの下放を乗り越えて現在の地位におります。なんでも文化大革命が終了した後、中国政府は文革で失った人材の穴埋めをするために全国からエリートを集め、半年間猛勉強させた後に大量の留学生を東大に送りこんでいます。なおその際の入学試験はもちろん他の学生と同じ日本語の試験だったそうで、この時に日本に留学した者たちが現在の中国の財界のリーダーとなっているそうです。

 なにもなんでもかんでも苦労すればいいってもんではありませんが、それこそ生死の狭間を歩き、自らの概念を毛沢東思想などの様々な影響の中で反芻してきた末に乗り越えてきた文革世代に対し、とてもじゃないですが私なんか敵う気がしません。幸いというか私の世代に当たる1980年以降に生まれた世代は中国でも「80後(パーリンホウ)」といって、恵まれた環境下で甘やかされて育ってきた貧弱世代とも言われているようで、直接的にぶつかる同世代の相手は文革世代に比べればまだ互せそうな相手ですが、少なくも現役指導者世代の人材の質を見る限り、今の日本の政治界の混乱振りを見るにつけ中国の方が遥かに上だと私は考えています。

 若いうちの苦労は買ってでもしろとは言いますが、やはり人材全体の質の底上げという意味では、皮肉な言い方ですが悪い時代というのは格好の時代となります。現在の日本は若者の雇用が年長世代のために犠牲になっているなどあれこれ言われていますが、逆を言えばこの時代を乗り越えることで他国にも負けない強靭な世代を作れるのだという前向きに捉えることも出来ます。また私自身は現在割合に恵まれた環境下で公私共に充実した生活を現在送っていますが現在不遇を囲っている同世代の若者に強く言いたいこととして、現在の苦労は決して無駄にはならないし、中国のあの文革が行われた時代からも這い上がった人たちはたくさんいるので、今つまずいているからといって希望を決して投げ出さずに自己研鑽に励んで頑張ってほしいということです。

 ところでまた話は変わりますが、中国の文革期のように日本にも多大な苦難があった時代を乗り越えた末に各界に大量に優秀な人材を生み出していったある時代と場所があります。もったいぶらずに言うと、それは満州こと、わずか十数年で滅んだ戦前の満州帝国のことです。
 以前から友人にこの時代のことを書いてくれといっていたので、次回からあの満州帝国はなんだったのかという近現代史の分析という意味でまた連載を始めますので、どうぞよろしくお願いします。

2009年2月23日月曜日

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その三

 ちょっと書くのが遅れていましたが、ちょうどいい具合に続報が入ってきたのであながち無駄ではありませんでした。

<朝日新聞>週刊新潮の襲撃犯手記「真実性なし」(YAHOOニュース)

 以前に書いた記事で私もリンクに貼った記事に書いてあるように、週刊新潮で連載された自称赤報隊事件の犯人手記の記事は非常に疑わしいと書きましたが、本家本元、というより事件の当事者である朝日新聞側がとうとう怒って公然と批判を行ったようです。結論から言うと、私もこの件では朝日新聞の肩を持ちます。

 さてその肝心要の犯人手記の連載記事ですが、ちょうど先週木曜日発売の二月二十六日号で連載は終了しましたが、はっきり言って読み終わった後は言いようのない怒りを私も覚えました。前回でも不満だと私が言ったこの事件の核心部に当たる指示犯の動機については類推だけで確たる事実については一切書かれず、結局謎のままだという尻すぼみな内容に終わっているどころか、二月十二日号で新潮のこの連載記事を批判した週刊文春の記事への逆批判という、私からするとあまり事件の本質に関係ない内容に大量の紙幅を割いているなどこれだけ引っ張っといてこんな終わり方かよと憤懣を持ちながら家に帰りました。ついでに言うとこの日はマンガの「ノノノノ」の五巻の発売日なのに一軒目の本屋には置いておらず、ただでさえイラついていたのもあったのか電車に乗った際に車窓に映る自分を見ると目つきが異様に恐かったです。

 それはともかく、今回の新潮の記事は私が見ても穴だらけです。犯行指示犯が元アメリカ大使館員という荒唐無稽さもさることながら、その情報を公開する前に週刊文春に言わんとする内容で先を越されるわ、果てにはFBIとCIAという名前を出してくるなど、朝日側も言っているようにこの事件で死亡した記者を冒涜するようなひどい内容です。
 特に私が一番疑問に感じたのは、二月十九日号の末尾にて件の犯行指示犯と新潮側が主張する元アメリカ大使館員の佐山(仮名)が新潮の電話取材に答えるシーンにて、「自分の存在が表に出ないのであれば自分が知っていることも話さないわけでもない」と、取引を持ちかける場面があるのですが、この佐山の言葉を真に受けるのであれば、新潮側はその取引に乗らずに指示犯は元アメリカ大使館員という事実を公開したために犯行動機を得られなかったということになるのですが、そう考えるには不自然なものが連載記事中に二回も出ています。それは何かというと、犯行実行犯と自称する島村氏と佐山が公園のベンチで並んで座る2ショット写真、ご丁寧に「佐山(左)と島村(撮影・今年1月19日)」とまで書いてくれちゃっています。

 まさか実行犯の島村氏がわざわざ佐山を呼んでプライベートにて男二人で写真を撮ったなんて考えられず、普通に考えるのならこの写真は新潮側が今回の取材過程で撮影したものと思っていいでしょう。つまりは新潮側はこの連載記事の取材過程で、この二人が直接会った現場にもいたということです。確かに二月十九日号で一月十九日に島村氏と佐山が直接会って会話した内容が掲載されていますが、なぜかその会話には新潮側の質問や取材した形跡はなく、わざわざ数日後に佐山に対して電話取材をして先ほどの佐山の回答を受けているのですが、何故島村氏と佐山が直接会っている現場にてこんな2ショット写真を取っているのに、必要な質問がなされなかったのか明らかに不自然です。

 そして連載終了記事に至ると、前号で取材した佐山は島村氏の告白の中でしか登場せず、新潮側が佐山に対して追加取材した形跡は一切ないままでした。多少言いがかり的なものを自分でも感じますが、この尻切れトンボみたいな妙な終わり方に私は違和感を覚えました。新潮側は今回の取材が真実であるという証拠として佐山と島村氏の会話などをすべて録音していてすぐにでも出せると言っていますが、そんなの本人が表に出てこなければその音声が誰のものか確認できるわけないので証拠になりうるわけありません、こんなことくらい中学生でもわかるだろ。

 こんなくだらない記事に約一ヶ月も付き合わされた怒りもあるので、腹いせに今年に入って新潮が負けた裁判ニュースと、松本サリン事件の河野義行氏の件のウィキペディアのリンクを貼っておきます。もう二度と新潮なんて買わないぞ( ゚д゚)、ペッ

名誉棄損:野中氏が勝訴 新潮社に賠償命令 東京地裁
報道訴訟:楽天・三木谷氏の捜査報道で新潮社に賠償命令
貴乃花親方・名誉棄損訴訟:新潮社社長にも責任 「対策講じてない」--東京地裁判決(以上、毎日jpより)
松本サリン事件(ウィキペディア)

2009年2月22日日曜日

派遣制度の有効性について

 私はこれまでこのブログでは一貫して労働者派遣制度に対して批判的な姿勢を取って来ましたが、実はその裏では本当に派遣制度を完膚なきまで全廃していいものだろうかという疑問が頭をもたげていました。この疑問の端緒となったのは確か2007年にNHKにて派遣制度について是非を問う討論番組があり、派遣労働者に1000人にアンケートをとったところ、確か率にして55%ほど、過半数の方が派遣はいい制度だと思うと回答したことがきっかけでした。
 まさか過半数が派遣を肯定的に取るなんてと正直面食らったのですが、よくよくその番組を見ているとアンケート対象の方がコメントを寄る際に簡易プロフィールが出るのですが、その大半が30代以上の女性ばかりだったのでようやく合点がいきました。

 実はこれ以前からもお袋の知り合いで派遣労働をやっている方から話を聞くと、下手なアルバイトより全然収入も大きくまた仕事もオフィスでのお茶汲みや簡単な入力作業ばかりで非常に助かっていると、先ほどの番組同様のコメントを私は聞いていました。そうした話を聞いていると、なんだかんだいって現在の派遣制度は一家の家計を養う男性、特に既婚者の方にとっては非常に迷惑な制度ではあるのですが、逆に結婚を期に職場を離れた既婚女性が再就職する際には非常に有効な制度なのではないかという気がするのです。

 知っての通り現在でこそ出産のための一時休暇などが日本でも大分認められてきましたが、それでも未だに出産を期に職場を離れることが多いために日本の女性就職率はいわゆるM字カーブといって、30歳前後で就職率が谷のように急激に落ち込んで40歳前後でまた上昇するという、欧米と比べると非常に偏った形を毎年とっております。出産のために職場を離れなければならないというのはまだわかるにしても、キャリアや実力のある女性労働者がその後再就職するには非常に大きな障害があると言われており、育児が終わったり家計のために働きたいと願っても、なかなかいい仕事が見つからないという話は今に始まるわけでもなく昔から言われてきました。労働力が不足しているといわれるこの日本で。

 それに対し現行の派遣制度であればこうした既婚女性、特にオフィスワークを相応にこなすことが出来る方などは再就職が容易でかつ条件にあった職、それこそ最初に言ったアルバイト以上正社員未満くらいの職ならば簡単に見つけることが出来、こうしたことが影響してNHKの番組で肯定的な意見が多かったのだと思います。
 不安定な雇用環境や伸び悩む収入(収入についてはまだ議論の余地があるが)など、日本で家族を養っていくにはやはり派遣では限界がありこうした雇用制度に問題があるのは間違いありません。しかし先ほどの既婚女性の例や、男性でも独身で音楽活動など自分の時間を有効に使いたいという方にとっては見方によれば非常に有意義な制度となる可能性もあり、やはり勢いに任せて全廃すべし制度のようには思えません。

 ほかの議論などでもよく出てきますが、やはり派遣という制度は残して問題のある箇所、社会保険や労働保険、そして派遣会社のマージン率の公開などそういった面で改正していくのが派遣制度に必要なのではないかと思います。

2009年2月21日土曜日

日本の教育における想像性の問題

 昨日に引き続き日本の教育制度への批判記事です。
 去年にノーベル賞を受賞した益川氏がよくセンター試験などの現在の試験制度には、子供の想像性を問うような問題がないなどといって激しく批判していたことは恐らく読者の方も記憶に新しいと思われます。実は益川氏の主張は現実に確認されていることで、国際学力テストなどで日本の子供は定理や公式などの知識はあるものの、それを応用する力が非常に低いということがテスト結果で現れています。
 一例を出すと、平行四辺形の面積を「底辺×高さ」で出す問題については正解率が高いものの、街路地図を見せて平行四辺形の形となっている部分の面積を求めたところ、街路の区画などから底辺と高さの長さが簡単に類推できるにもかかわらず、先ほど正解した日本の子供の多くが解答できなかったという結果が報告されています。

 実際に予備校で講師をしている友人にこの件で話を聞くと、最近の子供は本当に書かれている文章の内容が読み込めない人間が多いと聞きました。それこそ算数や数学の文章問題となると、図形の角度を求めているのに解答欄に長さとか、ひどい場合には変な四角形の図を書き込んだりする子供もいるらしく、一昔前のCMみたいに何から教えていいのかわからなくなる時が多々あるそうです。

 ここで話は変わって私の体験談ですが、一応私の時代からも日本の子供には想像(創造?)性が低いという指摘がよく教育界でされており、またもそういった言質を真に受けた当時の私は何を思ったのか、数学などならともかく何かを説明する国語の記述問題などは誰も思いつかないような、突飛な回答にこそ真の価値があると信じ込んで、今思うとものすごい答案を毎回提出していました。
 そんなもんだから、中学校の頃の成績というのはひどいものでした。当時は大体180人中160番台くらいだった気がします。

 しかし中学三年生位になった頃、ちょっと思うことがあってあることを実験しました。
 それまで私は前述の通りに自分で物を考えてオリジナルな回答を出した方が評価されると思っており、教師が授業中に言っていること、それこそ国語なんかは先生が授業中に説明した解釈とはなるべく異なる回答を出すように心掛けていたのですが、ある日試しにテストの回答に教師の授業中の解釈そのまんまを書いてみたのですが、そしたら自分でもびっくりする位に正解率が上がっていきました。

 そのあまりの成果に私も驚き、それ以降授業中に私は理科や数学といったほかの科目でも教師が言う言葉を細かくチェックするようになり、授業中のちょっとしたアクセントや表現の違いからどこがテストに出るのかを予想しては当てることによって当時に成績はぐんぐんと上昇して行きました。あんまりにもどこが問題に出るのかを当てるもんだから、高校に入った頃なんかは予想屋として友人らの得点上昇に一役買っていました。
 しかしこうして成績を上げることについて、私自身は素直に喜べませんでした。言ってしまえば自分が考える余地をなくして教師の言う事通りにテストの回答に書くことが、果たして自分の能力の向上につながるのか疑問だったからです。そうはいっても成績を上げねば親からもにらまれるし、これは本意ではないと自分に言い聞かせながら高校時代のテスト期間を過ごしていました。

 そんなもんだから、益川氏の教育制度についての話を聞いたときには私も素直に納得しました。数学だって問題を工夫すれば解答に至るアプローチが複数あるものが作れるのですが、試験には単一のアプローチしかないようなものほど使われている気がしますし、国語の問題に至っては解釈なんて人それぞれなのに問題作成者の意図に沿ったものを出さないと正解が得られない。こんな試験で、どんな人材が育つのか私は不安です。
 更に言えば、国語の記述式解答で50文字など制限してあるのは、45文字以上書かないと正解にならないという暗黙のルールにも不愉快さを覚えます。私は文章というものは短く表現できるに越したことはないので、20文字であろうと30文字であろうと核心をついていれば正解を与えるべきだと思うのですが、そんなことしてたらすごい点数になってしまいます。

 以上のように、日本の教育にはたくさんの問題がありますが、試験制度それ自体にも問題があるというのが今日の私の意見です。

2009年2月20日金曜日

個性が強いゆえに日本で起こる問題

 このブログを読んでいればわかると思いますが、私は基本的に反権力的な思考の人間です。それでなんで私がこんな風になったかと思い起こすと、きっかけはやはり日本の教育に反感を持ったのが原因だと思います。
 私が日本の教育に始めて疑問を感じたのは、我ながら呆れますが小学生四年生くらいの頃でした。自分で言うのもなんですが私は傍目にキャラが濃い人間らしく、友人からも「一度会ったら忘れられない」、「夢に出てくる」などといったことをほぼ知り合った人間全員に言われながら今まで生きてきましたが、それだけの強烈な個性というのは日本の社会の中ではやはりマイナスに働くことの方が今までの人生で多かった気がします。

 私がそれをはっきりと認識し始めたのがまさに小学四年生くらいの頃で、多少の自意識過剰も入っているかもしれませんがこの頃から周りから思いもよらないやっかみを受けたり、なんの根拠のない陰口などが言われるようになってきたと思います。そしてその原因が隠し様のない私の個性が原因だということも、当時からなんとなく気がついていました。
 私としても原因がわかっているのだから何も対処をしてこなかったわけじゃないのですが、多分それでも隠しきれなかったと言うべきか、その後中学から高校へと進学しても周りからの言われのない評価に困らされて続けてきました。

 別に私はなにか犯罪をやったり、周囲に対してなにかしら妙な干渉をしてきたつもりはないのですが、恐らく周囲を気にせずに自分が正しいと思うことを自分自身に行ってきたのが周りからは目に付いたのか、むしろ私と何の関わりもない、それこそ一言も話したこともない人間ほど私に対していろいろと言っていたようです。後年に話すようになった中学の友人に言わせると、やっぱりその友人の周囲で私は「変な人間」という風に言われていたそうです。
 それこそなにかの拍子に殴り合いとかした相手にいろいろと悪口を言われるのならともかく、今まで何も話したことも接したこともない人間から悪し様に陰口を言われていたというのは今でもよく不思議に思います。

 その原因は一体なんなのだろうと、恐らく一番頭使って考えたのは徐々に周りから孤立し始めてきた小学校四年生の夏休みくらいでした。確かその時はそれこそ朝から夕方くらいまで一人で外を自転車で走りながら(友達が本当にいなかったから)あれこれ自分の状況について考えていましたが、その結果思いついたのが日本の教育のせいじゃないかという結論でした。
 すでにその頃辺りから、「日本人はもっと自分だけの個性を大事にするべきだ」という教育方針がアメリカから輸入される形で入ってきており、小学校などでも先生がそんなことを言っていたのですが、恐らく大概の日本の子供は、「そうは言っても、周りに合わせないとやっぱハブられるだろ」、と悟っていたところ私だけがアホだからその方針を真に受けて、出来るだけ周りと自分を差別化させるように行動していたので、なんというか右を向けと言われて私一人だけが右向いちゃったような状態だったんだと思います。

 現在の私としてもモンスターペアレントの問題のように、何でもかんでも個性として認めるべきではないということは重々承知ですが、集団に流されず自分で自分の行動を思考する独立した自己という意味の個性は未だ日本人には必要だと考えています。ですが既に述べたように日本の教育下ではそうした個性ほど摘み取ろうとする傾向があり、過剰に集団性を強化するところがあるのでいじめ行為や集団万引きといった、冷静に考えるのなら異常な行為が学校現場などで起こっているのだと私は思います。
 大体こんな感じの結論に小学校四年生で達した私はどうしたかというと、前述の通りにいくら周りがみんなしてやっている行為とはいえ、明らかに間違っていると自分が思う行為に対してはたとえ自分ひとりになっても一緒にやってはならないという変な原則を作ってしまい、その後の人生で浮いた存在のまま今に至っております。中学高校時代も、制服のYシャツの第一ボタンは必ず留めていたし。

 私は別に日本人の集団性が強いことが悪いと言うつもりはありません。中国人の日本人観の一つに、「あいつらは一人一人だと弱っちいが、集団になるととてもじゃないが敵わなくなる」というのがあるように、日本人の団結力はそれはそれでたいしたもんです。
 しかし私のように恐らく先天的に個性が強い人間、もといキャラが濃過ぎる人間というのは日本には本当に居場所がありません。今でこそ必死になって猫かぶって自分の個性を抑えながら何とかやりすごして生きてきていますが、知り合いの中でも別にそいつが何か悪いことをしたわけでもなく、むしろ周りに対して思いやりもあって向学心のある人間ほど周囲から奇異の目で見られることによって悩まなくていいことで悩まされてきた人間を数多く見てきています。

 私が言いたいのはただ一つ、自分たちにも居場所をくださいということです。個性の強い人間の一人や二人、直接的な迷惑が起こらない限りは追い出そうとせず、こんな奴もいるんだなというくらいに普通の人には見てもらいたいです。

当てにならない評論家たち

 友人になにかブログに書くネタはないかと先ほどメールしたら、「無駄な予想をするなと(世の中に)言いたい」という返信が来ました。正直、私自身もこのブログで最近外しまくっている予想ばかり書いているのでドキッとしちゃいました。
 この友人の言を私がもう少し解説すると、恐らく世界は不況だ不況だと言われる中でそれこそ二年後には景気は回復するとか先々週あたりに各週刊誌で書かれていた、「二月十三日の金曜日、世界株大暴落」などと根も葉もない、しかもどちらかといえば不安を煽り立てるような予想や評論について、現在は全く先が読めない状況なのだからわざわざそんな不安を煽るような行為はやめろと言いたかったのだと思います。

 私としてもちょっとどの記事に書いたか忘れましたが以前に、当たり外れは多少運の要素が絡むので仕方ないが、いい予想というのはきちんと筋道立って説明がされているから外れたとしても状況の理解に役立つものだと言いましたが、そういう目で見たら世の中に氾濫している予想というのはどれも筋道から外れた、それこそ先ほども言いましたが人の神経を煽るようなものばかりで、友人が怒るのも仕方がないことでしょう。
 まぁこんなえらそうなことを言っている私もくだらない予想ばかりして周りに迷惑かけていますが、以前に読売テレビで放映されている「たかじんのそこまで言って委員会」という番組にていまや石を投げれば評論家に当たるというくらい、テレビでチャンネルを回すといくらでも素性のわからない妙な評論家が登場していることはいかがなものかというテーマで討論がされていました。

 この問題提起がされると番組内では登場しているゲストたちに、「あなたが評価する、もしくは良くないと思っている評論家は誰だ?」という質問がされ、それぞれのゲストがフリップを持ち上げて思い思いに名前を挙げていましたが、確か三宅久之氏と宮崎哲弥氏の二人が揃って、すぐ目の前にいる勝谷誠彦氏の名前を挙げていました。理由は二人とも、勝谷氏はきちんとしゃべればいいのにすぐに下品で過激な話に持っていくとして、さすがにこの二人に言われては勝谷氏も返す言葉がありませんでした。
 そして三宅氏は逆に評価する評論家として櫻井よしこ氏と屋山太郎氏を挙げていましたが、この二人については私も話を聞いてて非常に参考になることが多く深く同感しました。

 とまぁこの番組で取り上げられていたように、最近は本当に評論家というかコメンテーターがありえないほど溢れている状況です。確かに中には学識もあって立派な方もいるのですが、やはり大半は聞いててあきれるような事を言うばかりか、恐らくテレビ受けさせるために大した信条もないくせにわざと過激で人の不安を煽るようなコメントをする人間も少なくありません。前に愛弟子に進められて「ラストニュース」(原作:猪瀬直樹)というテレビ業界を舞台にしたマンガを読みましたが、この中でもテレビ業界にはカメラの前では威勢のいいことを言うくせにテレビ裏になると急にすぼんだ態度になる人間が出てきますが、やっぱり現実もそんなものなのではないかと思います。

 特に私が現在最も見ていて呆れさせられるのは、さきほどのたかじんの番組でゲストの誰かが「良くない評論家」の一人として挙げていた、報道ステーションの古館一郎氏です。そのゲストの言葉を借りると、ニュースの後の彼の解説を聞くたびに彼がどれだけ勉強していないのがよくわかる、と言っていましたがこれについても私は強く同感します。なんていうか、いろいろと関連する問題があって一言で言い切れるわけがない事件や問題についても何が何でも古館氏は一言でまとめようとするので、その結果多くの関係事象が見落とされかねないコメントをするのが私にとっても頭にきますし、今までなるほどと思わせられるようなコメントは一度として彼から聞いたことがありません。

 まぁそうはいっても彼ら評論家からするとなにかしらしゃべることが生活の種なので、それこそ問題でもないことでもさも問題性があるように話さなければならないというお家事情があるのは理解できます。かといって、根も葉もない事象から人の不安を煽るような行為にまで至るともはや笑って許せる問題ではなく、報道する側のテレビ局などはそこら辺をぜひ考慮してもらいたいものです。まぁ人の不安を最も煽っている環境問題において、武田邦彦氏のコメントなんかは聞いてて別な意味でいろいろ不安になっちゃいますが。

2009年2月19日木曜日

ブログを読む側と書く側の感覚の違い

 先日友人から、
「実は俺もブログをやっていたんだよ」
 と突然言われました。
 なんでも半年くらいは続いていたそうですがやっぱり段々と書くことがなくなって続けられなくなり、そのブログは今じゃ放置状態になっているそうです。

 別にその友人がそうだと言うわけじゃないのですが、私の見ている限りまだブログを始めたことがない人なんかは他の人がやっているブログを見て、「こんな簡単そうなの、自分でも出来るだろう」と思う方が多いんじゃないかという気がします。しかし実際に始めてみると読む側と書く側では全然感覚が変わるもので、ちょっと簡単にその辺の部分で私が思うことを書いておきます。

 まず私の体験ですが、私は2007年の年末からこの「陽月秘話」をやっていますが、それ以前からもいくつかのブログは読んでいました。それで他の人のブログを見ていてよく思っていたのは、「なんでこいつらはこんなに更新が少ないんだ」ということでした。
 やっぱり定期的に人に読ませるなら最低でも一週間に一回、理想なら今の私のペース並に短くともいいから毎日更新しないとついてこないだろうとよく思い、原稿用紙一枚分の四百文字くらいで毎日更新するくらいなら自分なら余裕だろうと思って始めました。結果はとても四百文字じゃ満足できず、アホみたいに毎日長文を書くことになりましたが。

 それでこの文字数についてですが、私の感覚だと書く側が大体一時間くらいかけて文章を書いても、言ってて結構無常ですが読む側からすると五分で読まれてしまう量にしかなりません。これだと経済的に見たら文章を書く労力に見合わせるには最低でも二十人に読んでもらわないとペイできません。このように読む側からだと想像し辛いのですが、文章というのは書く側になると恐ろしい時間と労力が必要になってくるので、読んでて自分にも出来そうだと思った方は書き始めるとそのギャップに打ち負かされることが多いんじゃないかと思います。
 もちろん技術力の向上次第でその一時間を五十分、四十分にも短縮することができますが、それでもとことん突き詰めても三十分は読む側に五分読ませるのに書く必要があるでしょう。私の場合は調子や書きやすいテーマにもよりますが、やや長めの記事を書くのには一時間くらいはいつもかけています。

 ここで強く言っておきたいのですが、文章というのは意外に書けそうで書けないもので、やっぱり自分の思うまま、伝えたい内容を確実に伝えられるように書くには相当な訓練が必要です。個人的に到達段階に当たる訓練量を挙げていくと、まず原稿用紙百枚(四千字)を越える一つの文章を書くと一皮向けて、その後生涯執筆量で千枚(四万字)を越えた辺りからいろいろと面白くなってきます。
 なのでブログをやっている方は、ひとまず四万字を越えるくらいまではだらだらしてもいいから続けるべきだと思います。そうすると表現技法などが段々とわかってきて、昔の文章と比べることによっていろいろと成長する実感が湧いてくるでしょう。

 そして今度は逆に読む側に伝えたいのですが、見ていて「なんだ、これっぽっちか」と、文章量が短か過ぎると思っても、書く側はその短い量を書くのに凄い労力をかけているので馬鹿にしたりはせずにきちんと見てあげてください。私の場合は自分でも長すぎる気がして、読む側がかえって負担になってるんじゃないかと心配するくらいですが。

  補足
 これまた私の感覚ですが、手書きで文章を書くとペースは好不調に関わらず一時間で原稿用紙六枚です。キーボードの場合は昔の話だと一時間に十枚くらいが平均的なペースですが、キーボードの場合は頭で文章を組み立てるより早く文字がかけてしまうのでペースが一定でなく、好調の時は十二枚とか行きますが、不調の場合は八枚くらいにまで落ちることがありました。
 今このブログで書いている内容は結構頭を使うものも多く、書きながらあれこれ調べたりするのでペース的には一時間当たり六枚くらいじゃないでしょうかね。

今後の政局

 大体材料が集まってきたので、そろそろまた政治解説でも始めようと思います。
 まず今週最大のニュースとくれば言わずもがなの中川財務相の電撃辞任です。しかもその理由が酔っ払って会見に出たという、宇野宗佑元総理並にくだらない理由ゆえに世論からも大きく批判され、前の日曜日には日テレが恐らく仕込んだ結果でしょうが内閣支持率が9%台と発表されたのを皮切りに、他の報道各社でも10%前半という惨憺たる結果が続き、ただでさえ低い支持率がそれこそ森政権以来の低調ぶりを見せ始めております。

 そこへもって小泉元首相の先週の会見です。公然の場ではっきりと、しかもきつい表現を用いて麻生内閣を批判し、その上昨日に至ってはモスクワにてもし二次補正予算案が衆議院で再投票されるのなら棄権すると明言したことにより、小泉氏に続いて麻生政権に反感を持っている自民若手議員も同調することで本当に三分の二可決ができるかどうかも怪しくなってきました。
 しかも現実に後藤田正純衆議院議員のように、若手(しかもちょっとイケメン)でありながら公然と麻生総理に禅譲を迫り、代わりの候補としてぶれないという理由から石破茂氏と野田聖子を挙げてくる人物が出てくるなど、無鉄砲さが売りの渡辺喜美氏以外でこんな声も出てくるなんて私も予想だにしませんでした。どうでもいいですが、今朝のテレ朝のニュースでは後藤田氏の発言の中で石破氏を挙げたところでVTRを切り、野田聖子の名前を敢えて出そうとしていませんでした。私もこの人は嫌いなので、思わずグッジョブと思っちゃいました。

 また先ほどの後藤田氏ほど直接的でないものの、麻生政権に元から批判的だった山本一太氏ももし選挙前に総裁が変わるのならば小池氏と石原氏を昨日のインタビューにて候補として挙げ、それを受けてか今朝のスポーツ新聞の見出しには「ポスト麻生」と書かれたリストを載せているのがたくさんあったように思えます。
 誰かは忘れましたが今年初めの段階で麻生内閣は持たなくなり、選挙前ではあるものの自民はまた総裁を変え、恐らくその際には与謝野馨氏が総理に就任して総選挙になるだろうと予想した評論家がいましたが、現実に自体はこれに近い形で推移してきています。

 こうした事態に対して麻生内閣を支える立場の自民党執行部の動きはどうかというと、脇雅史参院国対筆頭副委員長は「小泉元首相発言「笑っちゃう」 自民参院幹部が批判」の記事によると小泉氏の発言を「笑っちゃう」と非難していますが、正直この状況下で笑ってる場合かとこの人の危機意識をすこし私は疑います。
 今回の小泉発言が大きく扱われるのも、なんだかんだいって国民が小泉氏の発言に同調する部分が大きいことからだと私は考えています。特に私は小泉氏の発言の中で、

「(自民党)執行部は若手が批判すると後ろから鉄砲を撃つなと批判するが、今の執行部は前から鉄砲を撃っているようなものじゃないか」

 と言っていたのには非常に納得させられました。こうした例のように、国民が現政権にもつ苛立ちを理解せずに小泉氏の発言を非難するあたり、やっぱりこの小泉氏の言葉の通りという気がします。

 さてこうした事態に対して野党の民主党はどんなものかというと、今日はなかなかいい論説があったのでまずそれを紹介します。

【政論探求】これぞ「小泉アンコール劇場」だ (産経ニュース)

 このところ産経はとんちんかんな事ばかり言っているかと思ったら、今回の論説は非常に内容も鋭く面白いことが書かれています。まずこの記事で小泉氏の発言力の大きさを改めて取り上げ、今回の発言によって再び小泉劇場といわれる政治状態が生まれるのではないかといい、実はそれで一番困るのはキャラ的な主導権を奪われる形となる民主党だと分析しているのには私も納得します。案の定というか、先週の小泉発言以降民主党の報道がめっきり減ってしまっています。

 それで最後に今後どのタイミングでまた政局が動くかについてですが、やはり予算案が成立するであろう四月辺りが大きく動く可能性があります。もし自民が延命策をとろうとするのならここで麻生政権を総辞職させて現段階で与謝野氏が最も可能性が高いですが、また新たな総裁を出してくるでしょう。それに対して世間や党内の批判を無視して麻生政権が任期切れまで必死で逃げ切るか、はたまた民主党や自民党内の反乱勢力が押し切り一気に解散総選挙になるか、各プレイヤーの動き次第でしょう。

 ちょっと踏み込んだ予想をすると、もし自民党執行部が報道されているように小泉氏が二次補正予算案に欠席することで何かしら党として処分を行おうとするものなら、恐らく小泉氏だったら離党をして、次の選挙で引退を宣言しているので代表にはつかないでしょうが、後見役のような立場で新党を作りかねないのではないかと思います。そうした場合は自民や民主の若手が集まるでしょうし、私としても理想的な政界再編の枠組みが作られる気がします。

2009年2月18日水曜日

中国留学生の親中嫌韓化

 何度もこのブログでも書いていますが、私は中国の北京に一年留学したことがあります。留学中はそれこそ今思い出してもおかしくなるくらい楽しく過ごしていましたが、その中で私が私と同じ日本人留学生に対して強く感じたのが今日紹介する「親中嫌韓」です。
 前もって断っておくとこの言葉は私の造語で意味はそのまんま、「中国が好きになって韓国が嫌いになる」という意味です。面白いことに、中国に留学した日本人の大半はこの傾向の意識を多かれ少なかれ持つようになって帰ってくるのです。

 以前にも「なぜ中国をかばうのか」という記事で一回書いていますが、中国というのは非常にあくの強い文化を持っている国で、例えるなら東京出身者が関西でしばらく過ごすと関西弁がその後抜けなくなるというように、外からやってきた異邦者をその文化の内側に取り込む作用が強い国であります。
 留学生に対してもほぼ同様で、日本人留学生はやってくるとまず対応の悪い学校側や学生寮の手続きなどに辟易して非常に遅れた国だと口々に批判します。しかしある程度生活に慣れる留学して三ヶ月目位に入ると、突然中国に対して「やっぱり歴史の深い国だ」、「日本なんかよりフラットな中国の感覚がいい」などと急に誉めそやすようになります。

 まぁこれは中国に限らないようで、留学経験者は大抵留学先の国のことを好きになる傾向があり、特に本国に帰った後に周囲から留学先の国を批判されることで急速にそんな態度が発現しやすくなるそうです。かくいう私は中国に行く前から中国が好きだったので、留学を終えて変わったことといえば相撲が好きになったことくらいです。

 こうした中国への親近感が強まる一方、中国に留学する日本人は男女ともに韓国人に対して猛烈に批判的になっていく傾向があります。私は留学中にこれといって韓国人と深く交流をしなかったのでそんなに嫌いになることはありませんでしたが、学生寮で相部屋(大抵相部屋に住まわされる。私のルームメイトはルーマニア人でした)の相手が韓国人だった方に至ってはこの傾向が顕著で、日本人留学生が三人も集まればたちまち韓国人への陰口大会がいつでもどこでも始まるほどでした。
 では韓国人のどういうところが嫌われるかですが、韓国人留学生と相部屋だった友人の話を聞くと、

・冷蔵庫にキムチを入れられ、自分の食べ物も全部キムチ臭くなった。
・テレビのチャンネル主導権を握られる。
・夜中まで平気で大音量で音楽を鳴らし続ける。
・夜中でも友人を連れてきて大騒ぎする。
・物を貸すと返す際にいろいろとついてくる。

 などで、やはり「周囲を気にしない」ということが日本人と合わず、特に夜に騒ぐことで眠れないと文句を言う人間が多かったです。
 更に面白い証言を紹介すると、「韓国人はつかなくともいい嘘を平気でついてくる」と、まるで判を押したかのように同じことを言う日本人留学生が多いので詳しく背景を探ってみると、今の証言を言う日本人留学生は皆韓国人の女の子と一時付き合い、別れた奴ばかりでした。

 この中国の留学先で韓国人が嫌われる傾向にあるのは何も日本人の間だけではなく、欧米などといった他の国の人間も同じでした。私と同級生だったフランス人の姐さんなんか、

「この前タクシーに乗ったら運転手が、お前はフランス人だからいいけど、俺は日本人と韓国人は乗せたくないんだと言いやがった。私の知っている日本人はみんな良い人ばかりなのに、本当にひどい奴だったわ。ま、韓国人はしょうがないけどね( ^∀^)」(ごついフランス人の姐さん)
「それを僕の前で言うの?('A`)」(ちょっと気弱な韓国人の男の子)

 何故これほどまでに韓国人が中国の留学先で嫌われるかについてですが、原因は単純に韓国人が留学先で圧倒的大多数派になるからだと思います。実は中国では日本以上に韓国との交易関係が強いせいもあって留学生もたくさん来ており、ちょっと細かいデータは失念してしまいましたが確か中国への留学生人口第二位の日本人の二倍もの人数が毎年来ていたと思います。この傾向は中国に限らず、私がイギリスの語学学校にいた時はブラジル人が一番多かったのですが、やっぱりここでもブラジル人が他の国の人から嫌われていました。

 なぜ多数派になると嫌われるかですが、まず一つに多数派ゆえのおごりが生じ、同胞人同士で集まると行動が横柄になるというところがあると思います。人数が多ければ行動も起こしやすくなったり、他の外国人を巻き込んで何かを実行するのでも決定力が強まり、更にはいろいろな制度的な面も多数派に合わされやすくなっていくので少数派からすると鼻持ちならなくなるのも自然な気がします。

 一応苦言を呈しておくと、この傾向は日本人留学生にも当てはまるところがあります。韓国人には負けても現在中国の留学生人口第二位は日本人で、やっぱり集団で固まっては横柄なところを見せる輩も少なくありませんでした。
 更に言えば、中国人社会においてすらも中国における韓国人留学生のマナーが段々と問題視されてきています。韓国人の国民性なのか私が先ほど説明した多数派ゆえのおごりかまではわかりませんが、留学先の大学でたびたび問題行動を起こす韓国人留学生に対して徐々に中国人の視線が厳しくなってきているのもあり、これを対岸の火とさせずに日本人留学生の方も厳に行動を慎み、日本人ばっかりで固まったりせずに中国現地でいろんな人間と交流してほしいと願っております。

2009年2月17日火曜日

外国生活でのアイデンティティのぶれ

 昨日に中川財務相を擁護した傍からいきなり辞任かよ( ゚д゚) ちょっとだけなのでついでに書きますが、中川氏の後釜には現経済産業相の与謝野氏が据えられる予定らしいですが、中川氏が財務相と金融相を兼務しているので与謝野氏はコレで実に三役も兼務することになります。元々大蔵省が財政と金融を二つ兼ね備えるのが国政上で大きな問題になるとして財務省と金融省分けたのに、経済産業相まで一緒になるのは私にもちょっと不満です。も一つおまけに言うと今桝添氏がやっている厚生労働省も、元々は厚生省と労働省と二つの省が合併して出来ました。しかし一時期は社保庁による年金問題とC型肝炎問題が同時に表面化し、傍目にも過重すぎる任務に当時は桝添氏に私は深く同情し、厚生労働省は分けてしかるべきではと今では考えています。

 それでは今日の本題ですが、基本人間というのは母国を離れて外国で生活をすると否応なしにアイデンティティが揺さぶられ、母国にいる時以上に不安を感じやすくなると言われています。心理学などでこの方面はよく研究されていますが、私の実体験としても中国に留学した当初はちょっとのことでも不安に感じたり、気が滅入ったりすることが日本にいる時以上に確実に多くなりました。また日本国内においても、幼少よりずっと育ってきた関東から関西に移って生活をし始めた当初もいろいろと大変でした。
 これなんか関東にずっと住んでいる人に強く言いたいのですが、私から見て関東の人はテレビ番組などがやはり東京中心に作られることもあり、自分らの周りの光景が日本全体の一般形と勘違いしやすく、同じ国内でどれほど地域差があるかなどというものへの関心や知識が少ないように思えます。そういう私もそれほど地域差について詳しくはないのですが、少なくとも「関東光景=日本の光景」という前提概念をお持ちの関東の方にはそれをすぐに投げ捨ててほしいです。関東は日本の中でも特殊な方だと私は思っています。

 話は戻りますが基本的に外国は文化から生活習慣、果てにはその地域の人たちの考え方などが根本から母国と異なっております。前にも少し書きましたが、その当人が無意識に当たり前と思う世界観が現実の世界に適合していればいるほど人間は安心をし、逆にズレがあればあるほど人間は無闇やたらに不安を感じます。
 そういう意味で、外国生活というのは人間が不安を覚えるには絶好の場所ということになります。そのため私が授業を受けた心理学の講師ははっきりと外国に行って全く不安を覚えない人間はいないと断言した上で、例外といえるタイプは二種類あると言いました。その二種類のタイプとは、一つはまさに国際人とも言うべき先天的に環境の変化に対して全くストレスを感じないという人間。そしてもう一つは、なんらかの宗教を熱烈に信仰している人間だそうです。

 その講師の説明と私の解釈だと、信仰心が強い人間は自らのアイデンティティを周囲の環境などとは切り離した宗教という概念によって深く保障させるため、ちょっとやそっとの目の前の世界の変化で精神がビクともしないので海外に行っても全然不安にならないそうです。考えてみると戦国時代にイエズス会を始めとしたキリスト教徒のヨーロッパ人がたくさん日本に来たり、三蔵法師こと玄奘がインドに経典を取りに行き、吉備真備といった仏教徒がガンガン遣唐使として中国に行ったのも、この話を聞いた後だとなんとなく納得できます。
 逆に言うなら、いわゆる国粋主義的に日本の風土や文化に強くアイデンティティを依存している人なんかは海外に行くと逆に相当なプレッシャーを覚えそうなのですが、新渡戸稲造や内村鑑三なんかは武士道などといった日本古来の伝統的価値観を持ったまま海外で活躍しているので、あながちそうは言えません。

 ちょっと蛇足かもしれませんが、私自身の実体験として外国に行くと大抵の人は母国への感情が二極化するような気がします。それまであまり日本に対して誇りを持たなかったのが急に誇りを持ったり、逆に強い自尊心を持っていたのが「日本は遅れている」などと批判するようになったりと、原因はちょっとまだ分析していませんが。
 じゃあ私は? ということになりますが、やっぱり周りと比べると留学前から中国の事情についていろいろ勉強していたのが影響したのか、それほど強く中国に飲まれなかった気がします。今じゃあまり信じなくなりましたが前なんかはキリスト教への信仰もわずかながらあったのでそういうのも原因かもしれませんが、私以外の日本人留学生の大半が「親中嫌韓」になるところ私は留学以前と以後で中国に対する親近感は大きく変化しなかったように思えます。北京は好きになったけど。

 この辺の話は私が独自にまとめた留学体験記に収めているのですが、折角なので次回は日本人中国留学生に起こる「親中嫌韓」について説明しようと思います。

2009年2月16日月曜日

懐かしい曲で盛り上がること

 昨日書いた「懐かしい曲を聴いて思うこと」の記事のコメント欄に新たに私も書き加えていますが、はっきりこそ書きませんでしたが前の記事で私が提起した問題というのは、良い曲に当時の良い思い出が重ねられるのか、良い思い出がその当時の良い曲に重ねられるのかという、卵が先かひよこが先かというような議論でした。ま、人それぞれにどっちもあると思うけど。

 まぁそんなことはさておきやっぱり古い曲だと思い起こすことも多く、特に映画やゲームに使われるような曲だと作品のストーリーを一挙に思い出させる力があり、私なんかもゲームのサントラをよく集めていたこともあって時折それら引っ張り出しては悦に入ることがあります。さらに言えば同じ映画やゲームに触れたことがあるもの同士でそれらの曲を聴くと、相乗効果に近いようなものがあるのかいろいろとその母体作品について話に華が咲くことも多い気がします。

 私の実体験だと、かつてエニックスが出したスーパーファミコンゲームソフトの「天地創造」のゲームミュージックサントラを私が持っていたこともあり、何故だか知らないけど下宿で友人が遊びに来ている最中に脈絡なく流したらその友人も「天地創造」をやったことがある人間で、「懐かしいなぁ、これ」といってはゲームのエンディングやら内容やらでえらい勢いで盛り上がり、CDのトラックが変わるたびに「この曲の流れるところは……」といっては、そのゲームをやったことのない別の友人を一人置いて始終二人で盛り上がったことがありました。

 また「天地創造」以外にも、かつてSNKが出したファミコンソフトの「怒」というゲームについても、友人と何気なくお茶を飲んでいる最中にまたも脈絡なく私が、
「ちゃっ、ちゃっ、ちゃらら、ちゃっ、ちゃっ、ちゃららー、たーららー、らーらー……」
 と、メインBGMのメロディーを口ずさむとやっぱりやったことのある友人なら反応を示したりしていろいろと面白かったです。

 この手の話をすると本当に際限なく広がってしまうのでいい加減やめますが、その一方でこうした聴き方とは別にちょっと特殊な使い方をしている曲が私にはあります。その曲は只のポップスの歌なのですが、その歌をよく聞いていた時期は私にとって非常に辛い時代で、それこそ毎日家に一人でいてはめそめそ涙を流していた時期でした。なのでその歌を聴くとやっぱりその時代を思い出すのですが、徳川家康が三方原の敗戦後の肖像画を後年に何度も見つめたというエピソードじゃないですが、私も現在に至るまで一週間と間を空けさせずにその歌を聴いては辛かったあの時期を思い出し、当時よりマシな今の境遇に感謝するとともに身体に冷水を浴びせさせるように気を引き締めなおさせています。

中川財務相の釈明について

中川財務相、ろれつ回らず陳謝=原因は風邪薬、深酒を否定-G7会見(時事ドットコム)

 リンクに貼った記事に書かれているように、イタリアで行われたG7会議の後の会見において中川財務相がろれつの回らない口調で、見るからに酒に酔ったような姿を見せてしまい国内に大ひんしゅくを買ってしまいました。先ほど私もNHKニュースで件の会見を動画で見ましたが、まともに文章を読むことも出来ないばかりか記者が質問をしている最中に突然「どこだ?」と、目の前で質問してる記者の場所すらわからなくておっさんくさい口調で叫んだりと、言い方が悪いですが見ていていろいろ笑えました。

 このたるんだ会見の原因を中川財務相は前日に飲んだ風邪薬だといっていますが、見る限りだとどう見ても深酒にしか見えません。また仮に酒が原因でなくとも、これだけの醜態を見せるくらい体調が悪かったのなら会見をキャンセルすべきだったでしょうに、海外のメディアも来ている中であんな姿を見せたというのは辞任すべしとまでは言いませんが重々反省をしてもらいたいものです。
 先ほど麻生首相は今回の件で中川財務相を罷免しないと発表しましたが、まぁそれはそれでいいんじゃないかというのが私の意見です。こんな一回の失敗くらいで首切られてちゃしょうがないし。

 ただ個人的に、もし中川財務相が飲んだ風邪薬というのがタミフルだったりしたら、いろいろと面白い話になりそうな気がします。まぁ飛び降りたくなるのは正気に戻った今なのかもしれませんけど。

2009年2月15日日曜日

最近の政治停滞について

 今日は陽月旦の更新か、自転車をこぐかのどっちかな一日でした。前から考えが煮詰まるとすぐに自転車に飛び乗ってどっか行くの、そろそろやめにしないとなぁ。

 それでは本題ですが、最近政治家を見ていてどうもスケールが小さくなったなという思いがまだ二十代のくせにしてきました。具体的にどういうことかというと、今後、それこそ十年や二十年先の日本をどのような社会にしていきたいのか、またどんな手段を用いてそうしたいのかというようなグランドデザインが今の政治家にはほとんど見えてきません。政治家の普段の発言を見ていても今ある問題に対してどんな対策をするのかというようなものばかりで、確かにこっちも非常に重要なのですが今後のグランドデザインについてはほとんどと言っていいほど発言が聞こえてきません。

 思えば小泉時代は私にとっては結構楽しい時代でありました。外交面では親米を維持するか、北朝鮮に対してどんな態度を取るか、靖国問題を日中韓でどうするかといったことが常に議論に上り、また内政面でも経済対策としてメガバンクの国有化が実現するかや不良債権処理といった目下の問題に対する対策手段が議論され、今後の日本の国家像として大きな政府か小さな政府かで郵政民営化や道路公団改革などといった議論などと目白押しで、これらがほぼすべて同時平行で為されていたのを思うと今の国会の矮小さには毎回泣かされています。
 というのもこのブログを始めて既に一年以上経ちますが、実はここ一ヶ月くらい結構困った事態に陥っています。その事態というのも、国会で全然議論が進展しないもんだから政治系のニュースで解説するようなものがほとんどなく、ブログで政治系の記事が書けずにいるという事態です。

 そりゃ書こうと思えば内閣支持率の低迷とか解散はいつ頃になるのかといったような記事はいくらでも書けますが、前みたいに実際に法案が議論されていて、その法案の中身を解説しながら私の意見はどっちの支持なのかというような議論は皆無に等しいです。定額給付金なんて、解説するのも馬鹿馬鹿しいくらいだし。
 特に今後の日本としてのあり方を考えるグランドデザインの問題については新自由主義路線が崩壊した今だからこそ非常に求められている議論だと思うのですが、敢えて言うとしたら官僚主導の政策路線を改めるべきか維持するかというくらいの議論しかなく、高福祉高負担か低福祉低負担かの議論も白熱せず、また今後どんな産業を柱にするかというような産業議論も小さいです。

 更に言えば、これなんて既に目前まで来ていますが今後の外交姿勢も議論があまりにもなさ過ぎます。米政権が日本寄りの共和党から中国寄りの民主党に変わったことにより、今後は日本の頭越しに米中が接近することも大いに考えられます。その際に日本はアメリカを日本につなぎとめるのか、それともアメリカとはこの際決別して別のパートナーと組むのか、もしくは米中の接近を妨害するような方法を取るのかなどといろいろと考える時期に来ていると思うのですが、麻生首相からは首相になる以前に提唱した外交政策案の「自由と繁栄の弧」も最近はとんと聞こえないままです。蛇足ですが、「自由と繁栄の弧」はすぐに忘れ去られるだろうと思って私はあんまり中身を調べませんでしたが案の定そうなりました。なのにどっかのテストではわざわざ中身を聞いてきて、もっとマシなことを聞けよとカチンと来たことがあります。

 なんにしても、今の政治家に強く言いたいのはもっと大きく物を見て意見を言ってもらいたいということです。なんだったら年金問題の抜本的解決のために国民背番号制の導入と合わせて税制体系も直接税から間接税を主流にするなどといったことなど、無謀でもいいからとにかくぶち上げた方がいいと思います。
 それにしても、政治の停滞ってのは評論家泣かせなんだなと思わせられる日々です。

懐かしい曲を聴いて思うこと

 最近昔に買ったCDを引っ張り出してはよく聞いているのですが、いろいろと懐かしいこともあって聞いててやっぱりテンションが上がることが多いのですが、この前ふとこんなことを思いました。

「俺はこの曲を聞いてテンションが上がっているのか、それともこの曲を聴いてて昔のよかった時代を思い出してテンションが上がっているのか、どっちだろう?」

 ここで私が言うまでもなく、聴覚というのは五感の中でも際立って人間の感情を揺り動かす感覚だといわれ、映画「タイタニック」の監督のジョージ・ルーカスも「観客を感動させる最後の止めは音楽に限る」といって歌付きのエンディングテーマを入れたといいますが、なんとなくその言わんとしていることはわかります。それで私の今回の体験ですが、個人的に一番過去を想起させるのは私は「匂い」だと考えていますが、音楽も使い方や状況によっては匂いに負けず劣らず強く昔を思い出させるものだと考えています。

 最近CDの売り上げがよく伸び悩んでいるといわれ、その原因として音楽コピーが容易にできるようになったとか単純に音楽の質が下がっているとかいろいろ言われており、ご多分に漏れず私もここ数年はめっきり音楽CDを買うことが減り、原因としてはやっぱり後者の質の低下ではないかと思っています。なので今回私が昔のCDを引っ張り出してその曲をいい曲だと感じるのは当初、現代にいい曲がないので単純に以前の質のいい曲を聴くから夜中にえらいテンションになってしまったのだと思っていたのですが、本当にそうなのかなとふと疑問に感じたわけです。

 大分以前に書いた「日本語の「懐かしい」の価値」の記事でも書いたように、日本人はとにかく後ろ向きに過去を美化する傾向があると私は考えています。そんな私も日本人として同様に、音楽の質というよりはその曲をよく聞いていた時代、具体的には学校が大嫌いではあったものの小説を書くのに多分一番打ち込んでいた中学校くらいの時代を、その懐かしい曲を通して思い出していい気になっていたんじゃないかというわけです。ちょっとこの論を発展させて言うと、いわゆる懐メロの類が売れるというのも、かつての名曲というよりは日本が今みたいにくらい時代ではなく明るかったころを視聴者に思い起こさせるから売れるのかもしれないという説につながってきます。

2009年2月14日土曜日

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について その二

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について

 前回に書いた記事の続きです。前回には週刊新潮に載ってある話が胡散臭くなってきたのでもう買わないと書きましたが、それくらいケチるなとお袋に言われたので結局今日買ってしまいました。

 さてそれで本題ですが、かつて朝日新聞が脅迫されて二人もの死者を出した赤報隊事件の実行犯人と名乗る者が現在週刊新潮にて実名でその顛末を告白しています。しかしこれは前回にも書きましたが、これだけの重大事件の告白手記であるにもかかわらず核心部をぼかしながらずるずると引き伸ばし、挙句に犯行を指示したのはアメリカ大使館の職員だなどというトンデモ説を主張し、目下私はこの連載記事は告白者である島村氏のでっち上げではないかと疑っていると前回の記事にて書きました。

 それでは今週号はどんな風に書いているかですが、まず結論から言うと最後にはまた「以下次号」と、指示犯の犯行目的といった肝心要の部分が書かれておらず引き伸ばされています。いい加減、読んでて頭にくるのですが、前回の記事で紹介した週刊文春などの事実内容に疑いがあるという指摘については大幅な紙幅を割いて「事実無根」だとして、なんだか突然作ったかのような犯行に関わったという物証(島村氏所有の数珠の繊維。これが声明文の封筒に含まれていると主張している)を提示して改めて自分が実行犯だと主張しています。

 まぁその辺は本当に新潮側に自信があるのならとっとと警察に持って行って確認すりゃいい話ですが、今回の記事でちょっと私が気になったのは、実行犯の島村氏と元在日アメリカ大使館員と名乗る佐山氏の会話文中の以下の部分です。

佐山「(犯行に絡んだ)鹿島って言っている奴はC、CIA」
島村「鹿島はCIAかい」
佐山「うん……。で、FBIはね、必ず俺にフィードバックしてくる」

 なんで突然CIAとFBIが出てくるのか、特にCIAはともかくFBIが海外の事案に関与するのか、元々この両機関は仲が悪いということで有名ですし、素人考えですがちょっとありえないとすぐに思いました。
 そういったことを踏まえ、この連載記事の今後の帰結についてちょっと早いですが私なりにいくつか仮説を立てて見せます。

・仮説一 すべて島村氏、週刊新潮の狂言
 要するに、記事の内容すべてが部数獲得のためのでたらめということです。これだったら最悪ですね。

・仮説二 実行犯は島村氏、しかし指示犯や動機については狂言
 朝日新聞側が行った犯行現場の状況と島村氏の供述は一部食い違っていはいるものの、この連載の一、二回目で島村氏が供述した行動や内容は非常に仔細なもので、見ていてなかなか説得力のあるものでした。なので実行犯は島村氏で間違いないものの、動機や指示犯については脚色が加えられているという一部狂言説。

・仮説三 真犯人の存在
 島村氏がこの事件の真犯人に何らかの形で接触、交流があり、その真犯人から聞いた話を島村氏が自分のことのように話し、曖昧な箇所については脚色が加えているという説。そのため犯行現場などについては異様に仔細に富んではいるが、動機については曖昧という記事になった。この場合、真犯人は既に死亡している可能性が高い。

 まぁ立てては見たものの、実際にはどんなものかもう少し続報を待たねばなりません。それにしても、段々金払うのが嫌になってきました。この連載が終わったらもう二度と週刊新潮なんて買うものか。

2009年2月13日金曜日

今後の中国について

 また朝日新聞が朝刊一面に、「中国が原子力空母 二隻建造へ 遠洋展開狙う」という記事を載せ、2020年に二隻の原子力空母の保有を目指すという記事を、同じ一面でも昨夜の小泉氏の爆弾発言より大きく載せてきました。最近中国に対して手厳しいな、朝日……。

 それはともかくとしてちょっと今日は今後の中国の予想される展開について、特に誰が政治的主導権を握るかについて解説します。
 まずこれは別のブログのコメント欄にも書いたのですが、現中国政権、もとい中国共産党の中で本気で共産主義による社会実現を信じているのはもういないと断言してもいいでしょう。では何故共産党の支配が今の中国でも続いているかですが、政策実行者たちも本音では相次ぐ汚職事件(年間二万件だったっけ?)に頭を抱えてて本音では民主主義に移行したいものの、ソ連崩壊の例があるためにやめるにやめられないと考えていると言われています。

 これなんかも本来解説すべき内容なのですが、旧ソ連ことソビエト連邦はその末期のゴルバチョフ政権において、それまでのソ連からすると考えられないほど開放的な政策や情報公開が行われ、国民もまた民主主義の実現を強く待望しました。その結果、政権内部で急進派と保守派の争いが激化し、最終的に保守派のクーデターから急進派のエリツィンが台頭したことによってソ連が崩壊して現在のロシアが国家として生まれましたが、急激な社会転換によって経済から行政の隅々に渡って混乱が起き、確か2000年くらいのデータだと自殺率もリトアニアに次いで世界二位(日本は確か八位くらいだったかな)となるほど、社会の全面でロシアは大いに疲弊しました。

 このように政体を共産主義や社会主義から民主主義になれば今ある問題が一気に解決できるわけでなく、一つの問題を解決した一方でたくさんの問題を生んでしまったのが現在の東欧諸国の歴史です。中国共産党もこの辺のことをよく研究しており、また同じ中国国内の地方格差によって広東州を始めとした南方の州が中央に対して反感的であるように、一党独裁くらいの強い権力を政権を握っていなければ即分裂する可能性も孕んでいることから、共産主義による弊害を理解していながらも現状で最も有意義な選択として現在の中国の政治指導者は政治の舵取りを行っています。

 それで現在の実質的な最高指導者である胡錦濤総書記への私の評価ですが、日本人としては競争相手ということもあってあんまり喜ぶべきではないのですが、十年以上前に生前の鄧小平に指導者として指名を受けるだけあり実力面で非常に優れている指導者で、これほど難しい現状の中国をよく切り盛りしている方だと思えます。
 日本は今も年金とかワーキングプアーなど様々な国内問題がありますが、中国における国内問題の数と質はメラミン混入事件から環境問題に至るまでどれも日本とは比べきれないほど大きなものばかりで、また国民の意識もきちんと統一されているとは言いがたく、一歩間違えれば地方から果てには軍部まですぐに反乱を起こしかねない状況で、そんな中で確かにいくつか問題が表面化はしていますがそれでもよく押さえ込んで運営している方だと思います。もし今の中国の指導者が今の日本の政治家だったら、三日で国家が破綻するんじゃないかな。

 それだけにこの胡錦濤氏の後、中国共産党は五年ごとに党大会を開いており、総書記は二期十年を務めて次の総書記にバトンタッチをするのですが、胡錦濤2002年に総書記に就任して前回2007年の党大会で権力を不動のものにし、次の2012年で引退することがほぼ決まっています。その2012年の党大会で次は誰が総書記に決まるかですが、私は現状から言って現最高幹部の一人の習近平氏に決まったと見て間違いないと思います。
 2007年の党大会ではかつての江沢民元総書記の取り巻きが最高幹部こと中央政治局常務委員から外され、代わりとして若手の習近平氏と李克強氏が入閣し、当時の彼らの年齢からもこの時点から両者のうちのどちらかが次の総書記になると言われていました。

 私は当初、胡錦濤氏と同じく中国共産党のエリート養成組織の共産党青年団出身の李克強氏が有力ではないかと思っていましたが、その後国際外交やオリンピックなどの表舞台に関わる仕事は将来に向けた帝王学教育とばかりに習近平氏が担当することが多く、周囲の目も私同様に習近平氏へと注目されるようになって来ました。
 それに対して李克強氏は非常に地味な役回りが多く、かつて地方幹部を多く歴任していることから次の中国政権では李克強氏が総理、習近平氏が総書記になると見られており、私もその説を支持します。

 ついでに補足すると、中国共産党には意外と学閥というものが強く、日本で言うと東大と京大の関係に当たるのが北京大と精華大で、ちょうど李克強氏が北京大学出身で習近平氏が精華大学出身で、構図的にはなかなか見ていて面白いです。今の胡錦濤氏は精華大学の出身で総理の温家宝氏は中国地質大学の出身なのですが、中国地質大学には私も何度も行ったことがあり、その学内にあるレストランにて誕生会をしてたらウクライナ人とドイツ人がふざけあって誕生ケーキを投げあい、レストランの一室をケーキまみれにしてしまったのはいい思い出です。

2009年2月12日木曜日

郵政見直し論争と今後の政局

「笑っちゃうくらいあきれた」=郵政見直し発言、首相を批判-自民・小泉氏(YAHOOニュース)

 ここ数日の麻生首相の郵政民営化の見直しとも否定とも取れる一連の発言に、とうとう民営化の立役者である小泉元首相が口を開いてその思いを語ったのが、リンクに貼ったニュース記事の内容です。
 この小泉元首相の発言について私の感想を述べると、小泉首相はかねてより「首相を引退したものは老害になりやすく、あまり後進に影響力を行使してはならない」と、自らが煮え湯を飲まされ続けた田中角栄元首相へのアンチテーゼを常々語ってきており、記者に聞かれるがままに当たり前のことをぺらぺらしゃべる森本首相とは一線を画して安倍、福田、麻生の三政権で発言を控えてきていました。その小泉元首相がはっきりと、しかもこれほどまでに攻撃的な発言をしたというのは相当腹に据えかねていたというべきか、実際の会見も私もテレビで見ましたがやっぱり表情が明らかにいつもと違っており、相当な覚悟を持って発言したことが伺えます。発言者が発言者なだけに、明日の自民党関係者のコメントが今からとても楽しみです。

 さてこの郵政民営化見直しについてですが、事の発端は鳩山邦夫総務大臣の「かんぽの宿」の売却見直し発言から始まりました。この発言が出た当初に私が気になったのは朝日新聞の社説で、隔日ではありましたが二回にもわたって鳩山総務大臣を批判し、もはや不良債権となっているかんぽの宿は値段がいくら安いからといってもとっとと売り払うべきだなどと、どっちかというと朝日新聞は鳩山総務相の肩を持って見直しを支持するかと思っていただけに意外でした。死刑論争が前にあったからでしょうかね。
 それはともかく、私も当初は朝日新聞同様に不良債権を早く処理すべしという立場でしたが、最終入札には売却先のオリックスしか参加していなかったという事実や、またある郵政施設が一万円で売られたところ六千万円で転売されたとの報道を受け、現在はもう少し様子を見るべきかと徐々に態度を変えてきています。

 しかし、これと郵政民営化の見直しの必要性は全く別問題でしょう。また仮に見直しをやるにしても、今この時期にそんな議論が本当に必要なのか非常に疑問です。
 かねがね麻生首相が自分で言っていたように、現在の経済状況は一国の猶予もないような状況です。そんな状況だからこそどんな経済対策が必要なのか、また議論次第にそれをすぐに実行しなくてはいけないにもかかわらず、郵政民営化についてあれこれ議論を蒸し返して無駄に時間を費やすなど愚の骨頂です。かんぽの宿問題は事実究明ということで議論と並行をして調査することも出来、また確かに無視できない一面があるものの、郵政解散時に賛成であったとか賛成でなかったとか、四分社化が本当にいいのかどうかというのは現状で優先度が高い議題とはとても思えません。いろいろと今になって見直すところがあるというのは私もよくわかりますが、やるのならもう少し落ち着いた頃にやるべきではないでしょうか。

 ここで私が自民党、民主党に言いたいのは、優先度の高い問題から議論せよということです。民主党もしつこく食い下がらずに経済問題に集中し、自民党もこれ以上の内輪もめはひとまずやめるべきでしょう。そして何より、わけのわからない発言で今回の郵政民営化の是非の議論を蒸し返してしまった麻生首相には相当の反省が必要であるとともに、定額給付金についても使うとか使わないとかころころ発言を変えたりせず、もっと背骨の通った態度を示してもらいたいと思います。

2009年2月11日水曜日

書評「就活のバカヤロー」

 ちょっとリンクを結ばせてもらっているSophieさんを見習って、私も書評をやってみようと思います。今回題材に取り上げるのは、光文社新書の「就活のバカヤロー」(石渡嶺司、大沢仁)です。

 結論から言うと、威勢のいいタイトルの割には中身はやや貧弱気味であまり人には薦められない本です。内容は学生、大学、採用企業、就職情報会社の四つの主体の視点から昨今の大学生の就職活動について、それぞれが抱える問題や足を引っ張り合っている現状について解説が為されています。
 作者が前書きで言っているように、確かにこの手の就職本というのはどれか一つの主体の視点からしか書かれることが多く、この本のように就活に関わる主体全体を総合的に取り扱う本はあまりなく、また各主体が抱える問題や学生から見る企業、企業から見る学生といったような相対する別の主体に対する本音などがよく取材されていると思えますが、残念ながら結論が、

「みんながみんなで気持ち悪いことをやりあっている」

 ということで終わっています。こんなことくらいなら誰でも言えるだろう、というのが率直な感想です。

 この本を読むに当たって私が個人的に期待していたのは、一体どんな形が大学生の就職活動として学生と企業、ひいては教育機関の大学にも具合がいいのか、そういったモデルの提示があれば文句はなかったのですが生憎現状の就活が抱える問題性ばかりがことさら強調されるだけで、そういったことにはほとんど触れられていませんでした。
 この就活の問題性については前に私も何度かこのブログで取り上げており、また内定取消しについても一回記事を書いたことがありましたが、結論から言うと私は内定という制度自体が最も問題性があるのではないかと考えています。内定取消しの問題についても、実際に入社する一年近く前に学生に採用内定を出すもんだからその後の経営悪化に対応できなくなって内定を取り消すことになるのだし、また本来学業に打ち込む期間にある学生から無用に就活の時間を奪うことで学力低下につながるなど、こういったことすべて入社の遥か以前に採用を決めるこの内定制度が諸悪の根源にしか思えません。

 じゃあどういう風な採用モデルがいいのかというと、私の私案を言うのならそれはやはり内定制度の廃止事、卒業前の学生へ企業が採用活動を行うことを厳禁するということに尽きます。
 こうすることによって学生は卒業までの四年間をみっちり大学での学業に費やせますし、また卒業後から就職活動が皆一斉に始まるので、大学での授業や行事に煩わされることなく就職活動に集中することが出来ます。そして企業の側も、既に卒業している学生を対象に採用活動を行うので双方の合意が取れ次第すぐさま入社させることが出来、直近の状況に合わせて採用人数も増減させることが出来ます。

 今の就活の制度(=慣習)に問題があるのは明々白々なので、私は今すぐにでも今の状態をどうにかするべく、それこそ国とかがはっきりと規制するなりして一定の方向性に絞るべきだと考えています。その方向性が私の提唱するモデルでもいいですし、なんだったらかつての就活制度よろしく、四回生の十月以降から就活一斉スタートというように昔に戻すだけでもいいです。今みたいに四回生の四月から、場合によっては三回生の夏休みからインターンシップやら説明会の開催などとバカなチキンゲームを皆でやるくらいなら、それこそ内定取消しを行った企業だけじゃなく、必要以上に就活を早めようとする企業名も国は公表するべきではないでしょうか。

2009年2月10日火曜日

湾岸戦争直前における人質事件

 いきなりですが、現在めちゃくちゃブルーな気分です。例えるならビデオに録っていた番組を家族に勝手に上書きされてしまったような喪失感のようなもので、ちょっと元気がないのですが気を取り直して頑張って書こうと思います。

 さて皆さん、いきなりですが「イラク、人質」と聞いて何を連想するでしょうか。恐らく九割以上の方が2004年に起きた三人の日本人がテロリストにより拘束された人質事件を連想するでしょうが、実はこの二つのキーワード上にはもう一つの、私が思うに日本人は絶対に忘れるべきでなく、また現代において再考する必要が大いにある大きな事件があるのです。その事件というのも1990年、イラクのフセイン政権下で起きた国家的人質事件です。

 まずおさらいですが、私がこのブログを始めた初期に書いた「今更ながらフセインさん」の記事でもすこし触れていますが、1990年にフセイン政権下のイラクは隣国のクウェートに侵攻したことにより、翌年にはアメリカを中心とした国連軍による攻撃を受ける形で湾岸戦争が勃発しました。このクウェート侵攻を何故フセインが強行したかについて補足しておくと、なんでも在イラクのアメリカ大使に前もってフセインはクウェートに侵攻する意図を伝えたところそれに対してアメリカは何の干渉もしないような答えをして、それを真に受けたフセインがいざ侵攻を実行をしたらアメリカは大使の返答とは裏腹に猛烈な抗議を行うとともに武力攻撃も辞さないという強硬な態度を取りました。

 このアメリカの態度の急変に、フセインは大きく慌てたそうです。というのもそれまでのイラン・イラク戦争などでアメリカは一貫してイラクを応援し続けており、当時は中東でも随一の親米国家であったほど両国の関係は良好だったからです。もちろんそんな具合だったのでアメリカが強硬な態度を取るとは全く予想しておらず、国内の防衛計画も何もなかった上に国際世界で急に孤立するなど、この時期にフセインは一挙に窮地に追い込まれました。
 そこでフセインが窮余の策として取ったのは、今でこそいい響きのする言葉のように扱われていますが「人間の盾」こと、当時クウェートとイラクに在留していた外国人の国外脱出を禁止することによって人質を取るという卑劣な手段でした。

 この人質には在イラクのアメリカ人はもとより、アメリカ寄りの日本やイギリスといった国の人間が特にターゲットにされ、合計すると約400人強もの日本人がこの年の8月からイラク政府によって人質にされてその後イラク政府が人質の全員解放を行う12月までの四ヶ月間も不安な状態に留め置かれていました。
 あんまり詳しく調査していない私が言うのもなんですが、この時期の各部署の対応の詳細はあまり明らかにされていないような気がします。明らかになっていない理由として、この事件自体がちょうどエアポケットみたいな大きな歴史と歴史の間にあることと、中途半端に新しい歴史ということもあってまだあまり検証が為されていないというのが原因だと思いますが、この事件について私が知りえる情報といったら当時のニュースを見ていたうちの両親やわずかな伝聞ぐらいしかありません。そのせいか、ここ一ヶ月であちこちに「この事件を知ってる?」と尋ねまわったものの、私と同世代のほとんどの方は全く知っていませんでした。

 そんなわずかな情報の中から当時の動きを私なりに組み立てていくと、まず目に付くのが日本外務省の不作為です。
 その辺の詳しい内容は当時の外交白書に大まかに書かれていますが、まずイラクのクウェート侵攻を受けて在クウェート日本大使館はクウェート内の日本人を大使館に保護しましたが、その後何を思ったのか保護した日本人を在イラク大使館へと移動させています。この辺の意図や実行に至る過程が未だに曖昧でよくわからないのですが、結果的にはこれが致命的になり、その後にフセインによってイラク国内の外国人の渡航が禁止されたことによってイラクにいた日本人と合わせて人質状態に置かれる事になりました。
 そしてその後も先ほどの外交白書で外務省は必死に交渉したと自己弁護しているのですが、当時のニュースを見ていたうちのお袋によると、その後に開放されて帰国した方が成田空港にて、「外務省は何もしなかった!」と凄い剣幕で怒っていたのを覚えているあたり、先ほどの外務省の言い分はどうも怪しいのではないかと思います。

 もうひとつ外務省の言い分を私が怪しむ理由として、当時のアントニオ猪木氏の行動があります。
 今の若い世代なんか想像しづらいでしょうが、当時アントニオ猪木氏は参議院議員をしており、折も折でこの中東方面の委員会にも出ていたそうです。その猪木氏がこの時の人質事件発生の際、かねてよりイラクでプロレス興行を行っていた関係もあり直接イラクに出向いて人質解放の交渉を行おうと外務省にかけあったのですが、外務省は危険だとか交渉が面倒になるなどの理由をつけては猪木氏の申し出を拒否し、果てには個人として交渉に行こうとする猪木氏に対して日本の各航空会社に働きかけるなど様々な方法で渡航を妨害していたそうです。

 最終的に猪木氏はトルコ航空(イラン・イラク戦争の折も日本人はお世話になっている)のチャーター便を猪木氏が自腹で費用を出すことで渡航が決まり、また人質となっていた方らの家族も外務省からいろいろ言われたそうですが、イラクにいる家族と会うために猪木氏に賭けてこのチャーター便に同乗してバグダッドを訪問しました。
 表向きこの訪問はスポーツ交流の一環ということで行われ、猪木氏が連れてきたレスラーの試合や日本の伝統文化などがイベントとして数日間演じられ、その間に猪木氏とともに訪れた家族らは再開を果たし、猪木氏はイラク政府と人質解放の交渉を行ったそうです。
 しかし交渉ははかどらず、帰国日になっても人質解放は達成されずあきらめかけて帰国の飛行機が飛ぼうとする直前、突然イラク政府から猪木氏に会談の申し込みがあり、その後イラク政府より日本人の人質解放が発表され、その二日後にはすべての外国人人質が解放されることが発表される運びとなりました。

 このくだりについてはいろいろと疑問の声も挙げられており、猪木氏の売名行為に近いただのパフォーマンスだったり人質解放はすでに決まっていたなどという意見もあってこの時の猪木氏の功績については未だ評価がはっきりしていませんが、少なくとも自腹でチャーター便を取って家族らを再会させたという事実については私は高く評価してもいいと考えています。

 その後は教科書に載っている歴史どおりに、アメリカ軍の攻撃によって湾岸戦争が勃発し、その後もフセインは行き続け、つい最近のイラク戦争へと物事は運んでいくのですが、私はこの時の人質事件はぜひとも今の日本は再考をして議論をしなければいけない歴史だと考えています。
 というのも、日本という国家はいざという時に本気で国民を守るのか、この点について白黒をはっきりさせるわけじゃありませんが、緊急時の対応として何が政府に求められ何をどう実行するのかをはっきりさせておく必要があると思います。

 詳細がはっきりしていないということでこの時の事件については私もあまり強く言う気はありませんが、やはり歴史的に見ても日本の政府、ひいては外務省は国民を守る意識が低いとしか私は思えません。古くは太平洋戦争中の沖縄戦にて、現地の沖縄の人を戦闘でまるで盾のように使ったり、米軍に解放された人をスパイだと疑って殺害するなど、本来国民を守るべき軍隊が国民を逆に害す行為があったり、どうも守るべき矛先が国民というより実態のはっきりしない国とか国体の方に向いてばかりいた気がします。
 またそれほど昔じゃなくて先の2004年のイラク人質事件でも、毎日新聞が当時に流行した自己責任論について反論する形で書いた社説にて、

「国民が平時において税金を国家に納めているのは、いざという時に国家に国民を守らせるためである。確かに渡航の危険性が伝えられている中でイラクに入った三人の人質経験者は軽率だったかもしれないが、命の危機に瀕した際に政府が彼ら国民を守るのは当然の行為で、それについて自己責任とか帰国に使用した航空機の費用を彼らに負担させるべきだなどという議論は全くもって必要ない」

 さすがに五年も前なのでちょっと曖昧ではありますが、大まかにこんな内容の社説が毎日新聞に載ってあるのを書いているのをみてなるほどと私は思いました。またそれと同時に、本当に日本政府は国民を守る気があるのか、北朝鮮の拉致事件でもそうでしたが外務省はどっちを向いているのか、改めて当時にいろいろ考えました。

 今回取り上げた湾岸戦争勃発直前のこの人質事件でも、私が知りえた情報の範囲内では外務省は本気で国民を守ろうとしたのか、何度もいいますが詳細が曖昧ではあるもののやはり疑問を感じずにはいられません。
 そこでこの事件の詳細を得ようと、ちょっと細い伝手を頼ってこの時にイラクで人質に遭われた方へ手紙で直接インタビューを申し込んだのですが、本日その方からインタビューを辞退する返信を受けたので冒頭に書いたようにブルーな気分となった次第であります。まぁこんな事件に巻き込まれて、その際の顛末を赤の他人の私に話そうとするなんて普通じゃ考えられないことですし、恐らくあまり思い出されたくない過去であることも考えれば無理もないことです。

 そういうわけで、もしこの事件について何かしら当時のニュースを見て覚えていることがある方や、情報を持っている方がおられれば是非コメント欄に一筆お願いいたします。

2009年2月9日月曜日

漢字能力検定の立ち入り捜査について

文部科学省が漢字検定協会を立ち入り検査(YAHOOニュース)

 今猛烈に頭痛がするので、短く風刺記事をまとめようと思います。
 リンクに貼った通りに漢字検定協会が本来利益を追求してはならない公益法人であるにもかかわらず、大量の利益を上げている上に使途不明な支出が多いことから本日立ち入りが行われました。確かにここ数年は検定ブームで私の周りでも受けている人が多かったのですが、ここまで利益を上げているとは私も知らず、それほど受験料が高くないので全く盲点でした。
 漢字能力検定は今回の立ち入りが行われる前、ガス抜きとばかりに小中学生には受験料を免除するということを発表していましたが、漢字に親しむことは悪くないので是非そのような制度に変えるのが私も良いと思います。

 それにしても、最近の受験者増の背景には麻生首相がしょっちゅう漢字を間違えるのが一因のような気がしてなりません。下手すりゃ後世の評価として、「漢字教育の必要性を世に認知させた」とか書かれるんじゃないかな。

2009年2月8日日曜日

週刊新潮、赤報隊事件の犯人手記について

 本当はもう少し待ってからこの件について記事を書こうと思っていましたが、なんだかネタバレの様相が出てきたのでもう私の感想を書くことにします。
 さて皆さん、俗に言う赤報隊事件というものをご存知でしょうか。この事件の詳細はリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、かいつまんで言うと朝日新聞阪神支局での銃撃によって記者二人が殺害された襲撃事件を始めとして、その前後で朝日新聞社が脅迫された一連の事件のことを指しており、犯行声明で犯人が自称した「赤報隊」という名前からこのような名前で呼ばれております。

 この事件は戦後に日本のマスメディアを対象にしたテロ事件としては二人も殺害されるなど、その残虐な手段と行為、果てには結局犯人が捕まらずに時効を迎えたことからこれまでにも度々「戦後のタブー事件史」等といっては取りざたされてきた事件ですが、週刊新潮の二月五日号にてこの事件の犯人だと実名で名乗り出た人物が独白手記を寄せた記事が載せられると聞き、俄かにまた脚光を浴びるようになりました。
 私としてもこの事件の不気味さと犯人側の目的がなんだったのかがかねてより気になっており、なんだか載せられているような気分もしたものの、発売日に週刊新潮を買った次第であります。

 それで結論から言いますが、二月五日号の発売から結構日にちが経ちましたがどうも週刊新潮の言ってる内容が怪しくなってきており、私としてもこの新潮の記事が悪意のあるものかどうかまではわかりませんが、少なくとも実名で犯人だと名乗り出ている元暴力団員の言っている内容は虚偽のものではないかと思います。

 まずざらっと週刊新潮が記事に寄せている内容を紹介すると、元暴力団員の島村征憲氏が赤報隊事件、もとい朝日新聞社阪神支局襲撃事件の犯人だと名乗り出たことから始まります。何故事件から何十年も経って犯人だと自ら名乗り出た理由として、阪神支局襲撃事件の共犯である弟分が自殺したことを受け、この事件の真実を生きているうちに明かさねばならないと考えたと話しています。
 それで二月五日号では実行犯である島村氏に指示犯のある人物が襲撃を依頼し、それを受けて朝日新聞本社襲撃事件と阪神支局襲撃事件の準備から実行に至るまでの経過が書かれているのですが、私がびっくりしたのはなんとこの号ではここまでしか書いていなかったのです。一番肝心要の犯行指示犯が誰なのか、一体どんな目的だったのかが一切明らかにされず、これだけの重要な事件の手記であるにもかかわらず連載記事にして内容を次号に持ち込むなんて、普通の常識じゃ考えられないのではないかと思いました。

 そんな具合で一発目早々からきな臭いと思いつつも、先週木曜日に発売した二月十二日号も発売日に買って続きの記事を読んでみると、犯行実行時の細かな詳細は確かに書かれているのですが、あらかじめというかなんというか、記事中に島村氏が「もう昔のことだから細部は違うかもしれないが」と断っています。別にこれ自体については私もとやかく言わないのでとっとと犯行目的を言えよと思いながら読み進めていくと、事件発生後に犯行声明を書いたのは当時の大物右翼の野村秋介氏で、これまでの憶測どおりに右翼による左派メディアの代表格である朝日新聞への思想犯説かと思いきや最後にどんでん返しが待っており、犯行指示犯について説明するその部分をそのまま抜粋すると、

「汚くて、狡猾で、不気味な男なんです。在日アメリカ大使館の職員、佐山という男は」

 これを見て、さすがに私も( ゚д゚)ポカーンとなりました。何でアメリカが朝日新聞を襲わねばならないのか、なんていうか三文小説のプロットに突然なったような感覚を受けました。第一、何でアメリカ大使館職員なのに「佐山」って名前なんだ、仮名でも「ジョーンズ」にしときゃいいのに。

 週刊新潮の二月十二日号はまたも引き伸ばしをはかってここで記事を終えているのですが、このわけのわからない記事に対して週刊文春が食いかかってきています。週刊文春の二月十二日号ではこの週刊新潮の一連の事件手記記事に対して、「朝日が相手にしなかった「週刊新潮」実名告白者」という見出しの対決姿勢満々の記事にて、まず週刊新潮の記事に対して事件当事者である朝日新聞社側の取った反応を紹介しています。
 二月五日の週刊新潮の記事で島村氏は別の事件で服役中、朝日新聞社に自ら実行犯だと名乗り出る手紙を出し、それを受けて朝日新聞から記者がやってきたが記者らの倣岸な態度を見て事件の詳細を話すのをやめたと書いているのですが、朝日新聞側はこの島村氏の証言に対して確かに服役中の島村氏と接見した事実を認めたものの、その際に聞いた島村氏の証言と犯行時の現場などの特徴が一致しなかった点や、島村氏の犯行動機などに曖昧で矛盾する点が数多いことから取り上げなかったと発表しています。
 この朝日の対応については私自身も、週刊新潮の発売直後にasahi.comにて記事の内容と真実は異なると発表しているのを確認しています。

 そうして朝日新聞側の反応を紹介した後、週刊文春では非常にネタバレな内容が書かれており、なんでも島村氏が語る犯行指示犯はやっぱり「米国大使館の駐在武官のJという人物だ」と書いており、なんで朝日新聞を襲わせたのかという動機について、

「阪神支局殺害事件で殺された小尻記者が関西のあるグループから北朝鮮が偽ドル札印刷に使用する銅製の原版を預かり、それを返さなかったことがアメリカを怒らせたからだ」

 という、自分で書いてても胡散臭い、なんかの三文小説みたいな動機が先ほどの朝日新聞社との接見で島村氏が語った内容だと紹介しています。もうのっけから、なんで原版を朝日新聞の記者が手に入れるんだよと突っ込みどころが満載です。

 こういった荒唐無稽な内容から朝日新聞社は取り合わなかったといいますが、私としてもこんな動機を言うくらいだったら始めから「右翼の思想犯による犯行」と言った方がまだ信憑性があったような気がします。再度結論を言いますと、現段階で実行犯と名乗り出ている島村氏の一連の証言は狂言である可能性が高く、新潮の一連の記事もなんども核心部を先送りにしていることといい、適当なでっち上げ記事のように思えてなりません。そんなわけで、来週の週刊新潮は立ち読みで済ませることにします。

2009年2月7日土曜日

今、どんな経済学が求められているのか

 今朝の朝日新聞朝刊の文化欄に、「古典の思想家 再注目」という記事があり、いろいろと私も思うところがあるのでちょっと感想をここで述べます。
 まずこの記事で何が述べられているかですが、記事冒頭のリード文をそのまま抜き出すと、

「スミス、ケインズにハイエク、シュンペーター、ガルブレイス、近現代の経済学、経済思想の泰斗がこのところ引っ張りだこの様相を見せている。100年に一度ともいわれる世界的な経済危機、打開のヒントを、遠ざけられがちだった古典に求める機運が高まっている」

 この文に私も異論はありません。やっぱり去年から今年にかけてかつてのマルクス(サッカー選手じゃないよ)よろしく、近年の経済学ではほとんど研究対象とされなくなったケインズがまたちらほら出てくるようになり、彼の復権が急速に行われているような気がします。

 現在、日本のどこの大学でも経済学の授業で教えられる内容のはそのほとんどはミルトン・フリードマンの提唱した新自由主義であることに間違いありません。この新自由主義が何故これほどまで力を持つようになったかを簡単に説明すると、戦後にジョン・ケインズ(198センチの大男。)の提唱したケインズ経済が支配的だった70年代ごろ、日本やドイツといった敗戦国の経済がアメリカがイギリスといった戦勝国に追いつくようになり、もはやケインズのやり方では通用しないという具合で、歴史的にはイギリスのマーガレット・サッチャーが政策の中心に導入したことを初めに、徐々に世界で新自由主義が支配的になっていきました。
 特にアメリカではレーガン政権がフリードマンを政策顧問に置くほど傾倒し、事実アメリカもドル体制の下でこの経済政策で一時的に成功を収めたのですが、今回の金融危機によってそれが破綻し、やっぱりこんなやりかたじゃ駄目だったんだと現在は逆に総スカンが巻き起こっています。

 これなんか私もこの前までやっていた「失われた十年」の連載をしていて感じていたのですが、やっぱり何かに躓くことにより、社会というのはそれまで信奉していた概念とか理論に対して急激な反動を起こすところがあると思います。そもそも70年代に新自由主義が力を持った背景というのも、ケインズ経済学が通用しなくなってきたことに対してケインズ経済学と真逆である、生前のケインズと学説上で激しく対立していたハイエクの陣営の経済学であったことが原因だと思えてなりません。

 ここまで言えば察しがつくかもしれませんが、ケインズがなんでまた現代に復権しているのかというと、その最大の原因は新自由主義と真逆の学説だからではないかと私はにらんでおり、もし本当にそうであるのならば安易な転換は行われるべきではないかと思います。
 一気に結論を言いますが、新自由主義が今回の世界的不況で否定されたからといって、そのすべてを否定して真逆の学説を採ったところで、感情への気休めにはなっても何の問題の解決にもならないと思います。

 確かに今だからこそケインズ経済学の中から見直すべき説、採用すべき説というものもいろいろ見えてくるのは確かです。しかしケインズ経済学は必ずしも万能の経済学というわけでもなく、少なくとも公共投資による有効需要の創出には限界があるということは現代ではほぼ証明されており、フリードマンが駄目だったから何でもかんでもケインズへというのはあまりにも安直で、また自滅へと向かう道にもなりかねません。
 じゃあ一体どんな経済学を信じればいいかですが、やはり理想はこれまでの学説を個人個人が再び再読することに尽きると思います。それこそマルクスの資本論からケインズとハイエクの学説、今回批判されているフリードマンに彼と最も対立していた宇沢弘文先生の意見など、世の中のありとあらゆる経済学を勉強しなおして何が有効なのか、かつてない今の時代だからこそかつてない新たな知恵を出すことに尽きます。

 一番危険なのは、何度も言いますがフリードマンが駄目だったからまた元のケインズへと、思考を停止して二項対立的に選択をすることです。
 これは昔に聞いた話ですが、戦後の日本の官僚が優秀だったことについて、戦後教育では社会主義経済学と資本主義経済学が同時に東大などで教えられていたことから、双方の長所と短所を理解して相互に有効に組み立てられたからだという意見がありましたが、これなんかなかなか参考になる意見だと思えます。一つの学説にとらわれず、いろんな学説を見比べて何を政策に移すか、そうした総合的な知恵こそが今の時代に必要なんだと思います。

  追伸
 私の基本の行動パターンはアンチセントラリズムこと、反中央主義的にいろいろものを考えて行動します。需要のないところだからこそ自分が補填するとばかりに、経済学の学説とかでもブームの過ぎ去ったものとかを割合に勉強することが非常に多く、また今では誰も話題にすることがなくなった古い議論や学説なども、自分が伝承者になるのだと妙にいきがってこのところよく調べています。
 今回話題にした、というより朝日新聞の記事でコメントしている京大教授の間宮陽介氏の「ケインズとハイエク」という本を手に取ったのもそういった思惑からで、そもそもフリードマンの前身者たるハイエクというのは一体どういう人なんだろうとK先生に相談したことから紹介を受けました。

 そうは言うもののあんまり現代で話題にならないもの(それを言えば経済学自体が私の専攻ではない)を調べるもんだから、先ほどの「ケインズとハイエク」を読むのには非常に苦労しました。文章は日本語ですがハイエクの思想論のところなんて何度読んでも頭に入ってこず、二年前に一度読むのをあきらめて、先月からもう一度読み始めてようやく今日になってようやく読破できました。読み終えた感想として、苦労した分いろいろな新たな概念を得ることが出来ました。それとともに今回題材とした記事に間宮陽介氏や神野直彦氏など、まだ著作を読んだことのある学者がコメントしているのを見て、なんだかんだいってやってることが身についてきたなと思った日でした。

私とK先生

 最近小説を書いていないので、ちょっと小説じみた私の個人的な体験談を今日はして見ようかと思います。内容は私とK先生との馴れ初めの話です。

 K先生はこのブログでも何度も出ていますが、直接的に「弟子にしてください」と頼んだことはないものの、実質私が組み立てる経済学の基本を指導、教育を行ってくれたのはK先生であるので勝手ながらお呼びしています。
 私とK先生が出会ったのは学校の授業にて、単位獲得のためにそれほど意識して選んだ授業ではなかったものの、二時間連続で合計四単位の授業なので取ってて損はないだろうと受けたのがきっかけでした。授業内容について言えば、ここで私がこういうもの変ですが非常に特殊な授業形式であったと今でも折に触れて思い出します。

 K先生の毎回の授業の流れというのは、まず指定した教科書の内容をそれ以前に指定された担当者が解説をし、その解説を受けて他の授業参加者がその内容に対してどのように思ったかを感想を述べ合います。ここが特殊なところなのですが、この感想を述べ合うところは自発的に手を挙げる人間が発言するのではなく、それこそローラー順と言うか、端っこから順々に強制的に学生に何かを言わせる方法でした。
 この方法だと適当に授業を受けて単位を取ろうと思っている学生でも、何かしら場に合わせて発言しなければならなくなります。授業参加人数が少なかったからこういう形式が出来るというのもありますが、それこそゼミでやるようなことを一授業で、しかも毎時間にやるというのが一風変わっていました。

 基本、学校の授業というのはやる気のある人に対してない人の方が圧倒的に多いものだと私は考えています。なもんだからこの授業でもそうして強制的に発言させられる人たちの中でも、やっぱり議論をリードする人とそうでない人とで別れていくのですが、面白いことに授業開始当初はそれこそ「まぁいい考えだと思います」といったような適当な発言ばかりしていたやる気のない学生でも、段々と回を重ねるごとにこちらが思わないような意見を言い出したり、積極的に議論に参加するようになって行きました。K先生に言わせると、やっぱり無理やり発言させることによって芽を出す学生というのは結構多いらしく、別にうちの学校だけでこんな授業形式をやっているわけではないらしいですが、どこでもつついてみると非常に授業が面白くなっていくそうです。

 まぁこんな感じでいろいろと意見を言い合い、一通り全員の意見が揃うと今度は論点を絞って、それに対してまたどう思っているか、今度は逆ローラー順にまた強制的に発言させていきます。この段階になると論点が絞られているのもあり、「あなたの意見はそうだけれでも」という具合に反論が出たり、また新たな意見が出るようになります。
 別に私は意識をしてはいなかったのですが、周りからは私ともう一人の女子学生がいつも授業をリードしていると思われており、確かに思い返すとその女子学生の方と毎回激しい応酬になっては、「女の人でも、こんなに意見の鋭い人がいるのか」と、向こうも私のことをそんな感じに思ってくれていたらしく、互いに尊敬しあいながらいつも授業を盛り上げていました。ちなみにその人に言われた一番びっくりした意見に、「前から思っていましたが、あなたは右翼ですか?」、というのもありました。友人なんか横で爆笑してたし。

 そんな感じで私も回を追うごとにこの授業にハマっていき、授業後には個人的にK先生にあれこれ質問をするようになっていきました。当時私たちが授業で使用していたのは「人間回復の経済学」(神野直彦著)でしたが、この本の中では高付加価値を追求する社会モデルとしてIT技術向上の奨励などが書かれていたのですが、ちょっと腑につかない点があってある日こんな質問をK先生にしました。

「先生、この本の中ではIT技術を今後の日本の産業の柱にすべしと書かれていますが、自分は日本は人口が多い国なため、大量の雇用が必要となる製造業を中心とした二次産業を中心にしていかなければいけないと思うのですが」
「私もそう思いますよ」
「しかしこの本で謳っているIT化はいろんな作業の手間を省いてしまい、結果的には必要な人員が要らなくなり失業が増えるのではないでしょうか?」
「確かに一見するとそうだけど、この本の作者の神野さんは恐らく、日本に必要な製造業をIT化によってより盛り上げようと言っているのではないでしょうか。何もIT一本に絞れとは言ってないと思いますよ」

 こう言われ、その後非常に猛省をすることになりました。
 確かに神野氏の先ほどの著作ではIT化の必要性が強く訴えられていますが、なにもそれ一本に絞れとはどこにも書いていません。にもかかわらず私は脊椎反射的に、ちょうど折も折でITバブルが弾けた後だったからIT革命やらそういった方向へ目指す主張に批判的な態度を当時の私は取っていたため、妙な風に神野氏の主張を誤解するばかりでなく、二次産業と組み合わせるという発想に全く至りませんでした。
 それこそ頭をかなづちで叩かれるような衝撃を受け、それからはK先生の言われることに素直に言うことを聞くようになり、その年で授業の単位を取ったものの、次の年とその次の年もまた同じ授業を受け、議論に参加するなどしてK先生の薫陶を受け続けました。

 さてそんなK先生ですが、めがねを取ると火曜サスペンスに出てきそうな渋いおじさんで非常に落ち着いた口調も優しい先生ではあるのですが、以前に先生の若い頃の話を聞くと、どうも今のイメージとギャップを感じてしまいます。なんでも高校時代のK先生はバリバリの社会主義信奉者だったらしく、少しでも左翼運動などに興味を持っていない学生を見ると、「資本論を読んで来いっ!」ってな具合で激しく活動されていたそうです。
 もちろん今ではそれほど社会主義経済学を主張したりすることはないのですが、やはりその方面の知識から各経済学の体系には非常にお詳しく、先日にも戦前の社会主義陣営の「講座派」と「労農派」の違いについてメールでお尋ねしたところ、非常に詳細な解説をいただけました。

 なおそのメールでK先生は、それこそ今の経済状況はかつて例のない異常な事態で、かえって昔の議論を検証しなおすのもいいかもしれないという風に付け加えていました。私も今そう考えてあれこれ古い議論とか学説を読み始めているのですが、こういうときにいい指導者がいて本当によかったと思えます。

 最後に先生が昔過激だったことについて、私も負けず劣らずに過激な性格をしていると本店のコメント欄にて指摘がありました。なにもこのコメントに限らずあちらこちらで周囲から私は過激だと言われていますが、そういう私自身も「みんな大人しい奴ばっかだなぁ」と思うくらい、今まで自分以上に考えが過激な人間を見たことがありません。
 自他共に認めるほど過激な性格をしている私ですが、外見はと言うとこれまた周りからの評価ですが非常に大人しそうに見えるらしく、そのせいか初対面の人なんか私が話し出すとその見かけとのギャップにみんな驚くそうです。
 K先生も見た目とか話し方は非常に落ち着いていられることもあり、案外思想が過激な人間というのは見かけは皆大人しそうに見えるものなのかもしれません。

2009年2月6日金曜日

80年代のある中国農村調査

 今日は一つ、私の手持ちのネタの中でも飛びきり特大の秘蔵ネタを紹介しようと思います。先に言っておきますがここで紹介する話はまず間違いなくまだ世の中に出回っていないネタで、私のこのブログが初見となることでしょう。

 今回紹介する話はもうこのブログで何度も名前が出ている、東大名誉教授の宇沢弘文先生が講演で話した話です。その講演自体がそれほど宣伝されて開かれたものでなく、参加者もそれほど多くなかったので自分で言うのもなんですが非常にレアな話で満載の講演となりました。
 ちなみにこの宇沢先生ですが、私の経済学における師匠と呼べるのがK先生で、そのK先生が所属する学派のトップが宇沢先生なので私にとっても直系の師匠筋に当たる先生でもあります。それでこれは軽い自慢ですが、一度だけK先生の紹介で私も宇沢先生に話をさせてもらう機会がありました。まず出身を聞かれて鹿児島県の出水氏だと答えると、水俣病の調査で訪ねたことがあると言われ、簡単に当時の水俣病の話を伺いました。

 話は本題に戻りますが、その講演で宇沢先生は鄧小平がまだ存命だった頃、恐らく80年代に中国政府の依頼で中国の農村を調査したらしいです。そして調査を終えていざその結果を報告する際、並み居る中国共産党の幹部が居並ぶ席上でこのような報告を行ったそうです。

「資本主義には市場原理があることによって限界があるが、共産主義の搾取には限界がない」

 自分で書いてても笑いがこぼれてくるのですが、こんな恐ろしい調査報告を当事者である共産党の大幹部たちの前でやってしまったそうです。確かに非常に的を得た意見なのですが、射過ぎてしまっているというか。
 案の定、その時の状況について宇沢先生は「これはもう日本には帰れないかも」と思うほど共産党の幹部らは激怒し、こんな奴を生かして帰すななどと言っては激しく突き上げられたそうです。
 そんな中、ある幹部が唯一人、

「いや、彼の意見も一理ある。詳しく報告を聞こう」

 と言ったそうです。何を隠そう、後の第二次天安門事件の際の総書記であった趙紫陽でした。

 恐らく、私くらいの世代では中国関係の専門家でなければ趙紫陽氏の名前すら知らない方が大半でしょう。なぜか私の愛弟子だけが妙に詳しく知っていてびっくりしたのですが、彼を除けば未だかつて知っているという友人はまだ見たことがありません。
 詳しくはリンクに貼ったウィキペディアの記事を読んでもらえばわかりますが、非常に実務能力の高い人間で彼が指導を任された地域では餓死者が出ないというほど手腕に長け、実質鄧小平の右腕として文化大革命後の改革開放期に活躍した政治家でした。

 この趙紫陽氏は胡耀邦氏の失脚後に総書記となりましたが、形式上は最高権力者でも当時の実際の最大権力者は依然と鄧小平であることに変わりはなく、その後の第二次天安門事件を引き起こした責任を取る形でこの趙紫陽氏も失脚しましたが、趙紫陽氏はかねてより中国の民主化に対して理解があったらしく、天安門事件の際には抗議を続ける学生らに理解を示す態度を取っており、事件の発生以上にその態度に鄧小平が激怒したことが失脚の原因とまで言われています。
 そのため失脚後は比較的緩い軟禁生活を続けて2005年に亡くなられましたが、今でも趙紫陽氏の命日にはたくさんの民主派の活動家が彼の遺宅に尋ねるそうで、その日が来るたびに北京の警察は警備を厳重にしています。

 さて話は戻って宇沢先生の話ですが、私が言うのもなんですがこの宇沢先生というのは非常に攻撃的な方で、K先生に至っては「あの人は一日一回は文部科学省の悪口を言わないと気がすまない」とまで言うくらい、とかく口角の鋭い方であります。特に先ほどの文部科学省と並んでかつての同僚でありライバルであったミルトン・フリードマンが死去した翌週には、「これで世界はまた一つ平和になった」とまで言うのを私も生で聞きました。

 そんな宇沢先生が、この趙紫陽氏に対しては非常に立派な人物だったと先ほどのエピソードと合わせて強く褒め称えていました。そして趙紫陽氏との話で、なんでも彼の自宅で宇沢先生が彼と話しをしていると、いつの間にか多勢の学生が今にも襲ってきそうなばかりに血気だって趙紫陽氏の家を囲んだそうです。慌てる宇沢先生をよそに趙紫陽氏は、周りを取り囲む学生を一人、また一人呼んでは彼らとゆっくりと話し、最初は激しい調子だった学生らも趙紫陽氏と話をするとどんどんと納得して帰っていき、いつの間にか囲みがすべて解けてしまったそうです。

 なんだか聞いてて嘘のような話ですが、改めてあの時代の中国と、生前の趙紫陽氏の経歴を見ると本当にあったことなのではないかと私は思います。