体調不良ですっかりまいっている最中にまたぞろ記事化すべき政治事件が多発しているのでこれから徐々に片づけていく所存ですが、真っ先に今日取り上げるのはみんなの党の代表である渡辺善美氏の政治献金疑惑についてです。結論からパパッと書いちゃうとまず間違いなく渡辺代表は年内にも政治資金規正法違反で議員辞職することとなり、分裂したばかりでもあるのでみんなの党も解党し、残った議員は無所属となるか結の党に合流することになるとここで断言します。 今回の渡辺氏の疑惑、ってかもうほぼ事実として確定されつつありますがそれについて簡単に説明すると、2010年と2012年の選挙の直前にDHCの吉田会長から計8億円もの融資を受けていたにもかかわらず政治資金の収支報告書に記載、報告していなかったという、構造的にはこの前会った猪瀬前都知事の事件とほぼ同じ事件です。この疑惑は吉田会 長が週刊新潮に寄せた手記から明るみに出て、その手記によると現時点で5億円超がまだ返済されていないとのことです。 こうした報道に対して渡辺氏自身は融資を受けていたことを認めた上で、政治資金ではなくあくまで個人的な借り入れであると主張し、収支報告書に記載していなくても違法ではないとの主張を行いました。その上でではどういった用途に使ったのかという質問に対しては曖昧な回答に終始し、果てには用途の具体例として「酉の市で熊手を買った」という、小学生みたいな言い訳をする始末でああやっぱりこの人って頭悪いんだなと再認識できました。 会見を見るだけでも渡辺氏が嘘をついていて政治資金として使っていたのだなということは十分わかるのですが、この会見に対 し吉田会長はすぐ反応し、「選挙で金が要るから金銭的な支援(具体的には3億円)をお願い」なんていう内容の携帯メールが残っているということを明らかにしました。これはテレビでコメンテーターが述べていた内容ですが、そのメールによると借り入れた資金は選挙後、当選した人数によって税金から政党へと配られる政党助成金から返済するような内容も書かれてあり、仮にそれが事実だとしたら税金である政党助成金を質にして資金を借り入れたこととなりその悪性性は非常に高いと指摘され、私もこの意見に深く同意できます。 そもそも渡辺氏の裏金問題は今回が初めてというわけでなく、過去にはある意味で日本の政治形態を変えたリクルート事件でしっかり未公開株を受け取っており、父親 の故渡辺美智雄も「息子のおかげで総理になり損ねた」なんて述べてます。あくまで私の印象ですがこういった裏金問題を何度も起こしているのと普段の言動から見て渡辺氏は、どっかの這いよる混沌と同じで、ばれなければ犯罪じゃないと確信犯で考えている気がして、もしかしたら叩けばまだ埃が出てくるかもしれません。 それにしても気になるのは今回の疑惑がどうしてこのタイミングでてきたのかということです。こういってはなんですがタイミングがいいというか、ちょうどこれまで幹事長を務めてきた江田憲司氏が離党して結いの党を作り分裂した直後なだけに、政治に偶然はないというだけあってどっから出てきたのかなぁと邪推したくなります。 もっともそうやって煽りつつも、今回の一件に関しては江田氏は関与してないのではと私は見ています。根拠としては融資元である吉田会長が割とノリノリに取材に答えている様子で、単純に渡辺氏と吉田会長の仲が悪くなったというか関係悪化したことからばらされただけではないかと思えます。 それにしても今回の融資額というか献金額は8億円で、猪瀬前都知事の実に16倍と規模だけはでかいです。重要なのはやったかどうかで金額自体は関係ないのですが、8億借りて熊手を買ったって どんだけ熊手好きなんだよとツッコみたくなる迷回答ぶりです。 |
ここは日々のニュースや事件に対して、解説なり私の意見を紹介するブログです。主に扱うのは政治ニュースや社会問題などで、私の意見に対して思うことがあれば、コメント欄にそれを残していただければ幸いです。
2014年3月30日日曜日
みんなの党・渡辺代表の献金疑惑について
2014年3月29日土曜日
何のために歴史を学ぶのか
このブログを長く見続けている方なら言うまでもないでしょうが私は歴史が非常に好きで、大きく出るとトップとまではいかないまでも歴史の知識量が同学年で上位1%には確実に入る自信もあります。特に自分の強みとしては日本史、世界史の両方を受験勉強している上に中国史では文革を始めとした近現代史に異常なほど造詣が深く、一連の流れをそらで説明できる人物なんてそう相違ないでしょう。
そんな歴史自慢をする私に対してよく、「なんでそんなに歴史を勉強するの?」という質問が飛んできます。そこで今日は何のため歴史を勉強するのか、歴史を勉強する価値について私の考えを述べていくことにします。リハビリ中の身なのに、変則テーマを選んでくるな自分も。かいてて一番楽な政治記事にしとけばいいのに……。
ここで突然昔話をしますが、今からちょうど十一年くらい前に同じテーマで物を考えたことがあります。現在もそうですが私は実学志向で学問は何かしら世の中の役に立たなければ意味がないという意識があり、歴史科目についても何かしら実際に、精神面上でもいいから使える要素を取り出して体系化するべきだと考え、そこで目を付けたのが哲学的要素でした。
歴史を学ばないものは愚かな失敗をする、なんていう文句は昔からありますが、ここまで極端でなくても教訓めいた内容や繰り返される事実を取りまとめ、人生を考察するような学問に昇華できないかと当時の私は考え、この方面で本気で体系化しようと試みたわけですが、結果的に言うとこれは失敗に終わりました。というのも歴史的事実から哲学的要素を取り出していろいろ議論するよりも、本家本元の哲学を学んだ方がずっと手っ取り早かったからです。私が無理矢理哲学めいたテーマを歴史から見出そうとしても、既に哲学が同じテーマで議論し終えており、しかもしっかりと体系化していて変に教訓めいたことを議論したいなら哲学を学んだ方が早いという結論に至りました。
そういうわけで歴史に哲学的要素を求めることはあきらめ、じゃあどういう風に解釈すればいいのかと再考しました。回りくどい言い方はよして結論を述べると、歴史というのは単純にストーリーという娯楽で、その歴史を学ぶということは娯楽の幅を広げるということ、ではないかと思います。
そもそもなんで私が歴史が好きなのかというと、それこそ学んでて面白いと感じるということ以外ありません。なんで面白いと思うのかというとそれは小説や漫画などと同じく歴史というのは一つの流れを持ったストーリーで、根本的に文学や絵画といった芸術と領域を同じくするものではないかと考えています。そもそも、小説などと言った架空のお話しである文学の原初を辿れば人の営みというか歴史に行きつくように思え、歴史=ストーリーと解釈してしまった方が自然なのかもしれません。
更にもう一歩踏み込むと、歴史の価値を哲学めいた言い方したり歴史を学ばないと過ちを繰り返すなどと高所めいた言い方をする人もいますが、私に言わせるとそんな深く考えず素直に娯楽と割り切って楽しんだ方がいいように思えます。更に続けると、日中韓の様に国家間で歴史解釈を巡って深刻そうに議論となったりしますが、私に言わせるとこの議論自体も見て楽しむ娯楽の一つで、各国の代表は我々に娯楽を提供するため真剣に頑張っていると解釈しています。
歴史議論が何故娯楽なのかともう少し書くと、最近はすっかり収まりましたが一昔前の日本最大の歴史議論となると「邪馬台国論争」で間違いないでしょう。これは邪馬台国が北九州にあったのか、近畿にあったのかという位置を巡る論争なのですが、東大や京大の学者たちは真剣に資料を調査し、論拠を挙げるなどして議論し続けましたが、そうやって議論し続ける様は多分見ている一般人としては面白いものだったのではないかと思います。たとえて言うならボクシングの試合を観戦しているようなもので、片っ方が右ストレートとばかりに土器を出土させてくると、もう片っ方がカウンターとばかりに中国の古代資料を繰り出すという応酬で、ほかの人は知りませんが私にとっては見ていて面白い対戦な気がします。
また見ているだけでなく自らリングに上がるというか、自分自身も歴史議論をすると素直に面白いです。あの時あの武将はどうすればあの戦争に勝てたのか、あの政治家はこういう経験があったからこういう決断を下したのではなどと、学生時代は歴史好きの友人に恵まれこのような非常に楽しい議論を何度も出来ました。さすがに文革について議論できる相手はいなかったが……。
このように歴史というのは人生に教訓を与える学問ではなく、むしろ人生を豊かにさせてくれる娯楽だと単純に割り切るべきだというのが私の考えです。となると歴史学者というのはお金をもらいながら必死で我々に提供するべき娯楽を探したり、確認しているということになりますが、私はまさにその通りで、そしてそれらは価値ある行為だとも考えてます。さすがに正面切って歴史学者にこんな風には言えんが。
ここで最初の問いこと「何のために歴史を学ぶのか」に戻ると、私から贈れる回答としては「歴史という娯楽を楽しむための下地作りのため」に学ぶ価値があると言えるかと思います。先程の様に人の議論を見て楽しむため、自分で議論に加わるためには最低限の歴史知識が必要となり、これらを娯楽としてみるために必要な準備が歴史の勉強だと思います。また歴史を学ぶことによって小汚い茶碗や腕が六本ある仏像をありがたく感じられるようにもなり、それまで娯楽として感じられなかった対象に対しても娯楽として感じられる効果が歴史を学ぶことで得られると考えられ、そういう意味で私は歴史を学ぶことで娯楽の幅が広がるのではないかと言いたいわけです。最近太字をよく使うなぁ我ながら。
上記のような考え方から私は、歴史を学ぶと楽しみの幅が増えるという意味で他人に対しても学ぶことを進めるわけです。あとこれはまだ未検証ですが私個人の実感として、歴史好きの人間は好奇心が強いというか自分と関わりのない分野に対しても比較的積極的に踏み込んだり、興味を持てる人が多い気がします。なお今、「好奇心」という言葉を使いましたが、どっちかっていうと日本語的には「数寄」という言葉が、本来価値無き物に対して価値を見出すという意味合いで歴史に対してはより適しているような気がします。
最後に歴史問題について一言意見を述べると、これは完全な娯楽に過ぎないと私は割り切っています。現代の問題に対処する上で過去の歴史を全く無視することはさすがに言語道断ですが、過去の歴史にこだわるあまり現状と、そして未来を軽視することは本末転倒でしょう。この辺について続いて書きたいところですがさすがに体力がいる内容なので、余裕が出来たらまた書きます。
そんな歴史自慢をする私に対してよく、「なんでそんなに歴史を勉強するの?」という質問が飛んできます。そこで今日は何のため歴史を勉強するのか、歴史を勉強する価値について私の考えを述べていくことにします。リハビリ中の身なのに、変則テーマを選んでくるな自分も。かいてて一番楽な政治記事にしとけばいいのに……。
ここで突然昔話をしますが、今からちょうど十一年くらい前に同じテーマで物を考えたことがあります。現在もそうですが私は実学志向で学問は何かしら世の中の役に立たなければ意味がないという意識があり、歴史科目についても何かしら実際に、精神面上でもいいから使える要素を取り出して体系化するべきだと考え、そこで目を付けたのが哲学的要素でした。
歴史を学ばないものは愚かな失敗をする、なんていう文句は昔からありますが、ここまで極端でなくても教訓めいた内容や繰り返される事実を取りまとめ、人生を考察するような学問に昇華できないかと当時の私は考え、この方面で本気で体系化しようと試みたわけですが、結果的に言うとこれは失敗に終わりました。というのも歴史的事実から哲学的要素を取り出していろいろ議論するよりも、本家本元の哲学を学んだ方がずっと手っ取り早かったからです。私が無理矢理哲学めいたテーマを歴史から見出そうとしても、既に哲学が同じテーマで議論し終えており、しかもしっかりと体系化していて変に教訓めいたことを議論したいなら哲学を学んだ方が早いという結論に至りました。
そういうわけで歴史に哲学的要素を求めることはあきらめ、じゃあどういう風に解釈すればいいのかと再考しました。回りくどい言い方はよして結論を述べると、歴史というのは単純にストーリーという娯楽で、その歴史を学ぶということは娯楽の幅を広げるということ、ではないかと思います。
そもそもなんで私が歴史が好きなのかというと、それこそ学んでて面白いと感じるということ以外ありません。なんで面白いと思うのかというとそれは小説や漫画などと同じく歴史というのは一つの流れを持ったストーリーで、根本的に文学や絵画といった芸術と領域を同じくするものではないかと考えています。そもそも、小説などと言った架空のお話しである文学の原初を辿れば人の営みというか歴史に行きつくように思え、歴史=ストーリーと解釈してしまった方が自然なのかもしれません。
更にもう一歩踏み込むと、歴史の価値を哲学めいた言い方したり歴史を学ばないと過ちを繰り返すなどと高所めいた言い方をする人もいますが、私に言わせるとそんな深く考えず素直に娯楽と割り切って楽しんだ方がいいように思えます。更に続けると、日中韓の様に国家間で歴史解釈を巡って深刻そうに議論となったりしますが、私に言わせるとこの議論自体も見て楽しむ娯楽の一つで、各国の代表は我々に娯楽を提供するため真剣に頑張っていると解釈しています。
歴史議論が何故娯楽なのかともう少し書くと、最近はすっかり収まりましたが一昔前の日本最大の歴史議論となると「邪馬台国論争」で間違いないでしょう。これは邪馬台国が北九州にあったのか、近畿にあったのかという位置を巡る論争なのですが、東大や京大の学者たちは真剣に資料を調査し、論拠を挙げるなどして議論し続けましたが、そうやって議論し続ける様は多分見ている一般人としては面白いものだったのではないかと思います。たとえて言うならボクシングの試合を観戦しているようなもので、片っ方が右ストレートとばかりに土器を出土させてくると、もう片っ方がカウンターとばかりに中国の古代資料を繰り出すという応酬で、ほかの人は知りませんが私にとっては見ていて面白い対戦な気がします。
また見ているだけでなく自らリングに上がるというか、自分自身も歴史議論をすると素直に面白いです。あの時あの武将はどうすればあの戦争に勝てたのか、あの政治家はこういう経験があったからこういう決断を下したのではなどと、学生時代は歴史好きの友人に恵まれこのような非常に楽しい議論を何度も出来ました。さすがに文革について議論できる相手はいなかったが……。
このように歴史というのは人生に教訓を与える学問ではなく、むしろ人生を豊かにさせてくれる娯楽だと単純に割り切るべきだというのが私の考えです。となると歴史学者というのはお金をもらいながら必死で我々に提供するべき娯楽を探したり、確認しているということになりますが、私はまさにその通りで、そしてそれらは価値ある行為だとも考えてます。さすがに正面切って歴史学者にこんな風には言えんが。
ここで最初の問いこと「何のために歴史を学ぶのか」に戻ると、私から贈れる回答としては「歴史という娯楽を楽しむための下地作りのため」に学ぶ価値があると言えるかと思います。先程の様に人の議論を見て楽しむため、自分で議論に加わるためには最低限の歴史知識が必要となり、これらを娯楽としてみるために必要な準備が歴史の勉強だと思います。また歴史を学ぶことによって小汚い茶碗や腕が六本ある仏像をありがたく感じられるようにもなり、それまで娯楽として感じられなかった対象に対しても娯楽として感じられる効果が歴史を学ぶことで得られると考えられ、そういう意味で私は歴史を学ぶことで娯楽の幅が広がるのではないかと言いたいわけです。最近太字をよく使うなぁ我ながら。
上記のような考え方から私は、歴史を学ぶと楽しみの幅が増えるという意味で他人に対しても学ぶことを進めるわけです。あとこれはまだ未検証ですが私個人の実感として、歴史好きの人間は好奇心が強いというか自分と関わりのない分野に対しても比較的積極的に踏み込んだり、興味を持てる人が多い気がします。なお今、「好奇心」という言葉を使いましたが、どっちかっていうと日本語的には「数寄」という言葉が、本来価値無き物に対して価値を見出すという意味合いで歴史に対してはより適しているような気がします。
最後に歴史問題について一言意見を述べると、これは完全な娯楽に過ぎないと私は割り切っています。現代の問題に対処する上で過去の歴史を全く無視することはさすがに言語道断ですが、過去の歴史にこだわるあまり現状と、そして未来を軽視することは本末転倒でしょう。この辺について続いて書きたいところですがさすがに体力がいる内容なので、余裕が出来たらまた書きます。
2014年3月28日金曜日
一週間ぶりの投稿
いろいろと不審に思っていた方もいるかと思いますが、実に一週間ぶりにこのブログを更新します。
以前に私はこのブログで、「このブログはほぼ毎日更新でしかも毎日長文を書いているだけに何の予告もなしに一週間くらい更新が無かったらみんな不気味に思うんじゃないかな」と書いたことありますが、今回がまさにそのような休載となってしまい、こういってはなんですが書く側の自分ですら不気味に感じました。実際に何人かの読者の方から「どうしちゃったの?(;゚Д゚)」と心配の声をかけていただき、なんか申し訳ないなと思うのと同時にいい読者に囲まれていることを再確認しました。
今回更新が空いた理由はごく単純に疲労からで、先週、というよりそれ以前からあまり調子が良くなく、更新が止まった先週金曜の夜から急激に持ち崩しました。その先週の金曜日に私は既に記事にもしてますが、朝方は元気で昼には友人と一緒に池袋にある文革レストランに行ってきたほどなのですが、多分三連休に入って緊張感がすっと抜けたせいもあるでしょうが、夕方からだるくて動けなくなり、よく日曜日も家からほとんど出ず漫画喫茶にだけしか外出しませんでしたがそれでも体調はあまり復調しませんでした。でもって体力が戻らないだけでなく精神的にも常にイライラしていて、敢えて芸能人にたとえると常に沢尻エリカ氏(失礼な気もするが)みたいな具合で、言葉遣いとかもやけに荒くなってました。そして今のような感じに文章も歯切れ悪く、全部「でした」などの「た止め」が続いたりとか……。
特に致命的だったのは日曜日で、出来るだけ長く寝ていたかったのに人が来るから朝早くに起きて対応し、しょうがないから寝れなかった分を昼寝で補填しようと別れてから昼寝に入ったらその人物から本当にくだらない理由で電話かけられ起こされて、おまけに来るなと言ってるのに家にまで来られて、これで本当に立ち直り効かないくらいに気力も体力も悪化しました。次の月曜日の出勤なんか文字通り死にそうな顔で(「死ね、死ね……」って呟きながらドアオープンだった)家を出て行きましたが、なんか職場でも「疲れてない?」ってよく聞かれました。ああ、「た止め」が終わらない……。
そんな理由もあって意識的に休もうとしたというより、このところは素直に疲労でブログが書けなかったというのが真情で、しばらくブログを休むという告知記事すら書く気が起きませんでした。このブログで同時進行で進めている「企業居点」というサイトの構築作業も完全ストップで休むことに集中しましたが、今週は水曜日に部内の飲み会、昨日の木曜日は今年医学部に受かった友人と二人で牛角パーティをやるなどこういう時にとばかりにイベントが目白押しでした。いやどっちも楽しかったけどさ。
しかしブログ更新を完全にサボった甲斐もあってやや持ち直したのと、明日土曜日は出勤日ですが思い切って有給を取得して休むことにしたので、今日久々の更新と相成りました。
ここで自分の苦労自慢からやや話の方向を変えますが、今回ブログの更新をサボってみていくつか気づいたことがあります。一つは先ほどにも書いた通りにわざわざ心配してくれる読者がいることで、もう一つはやはり更新が途絶えると心配されるほど普段の更新量が異常だということ、そして三つ目に、自分がこのブログに相当な時間をかけていることです。三つ目に関してもう少し続けると、ブログを敢えて書かないで少し過ごしてみたら自分でも驚くほど一日の時間が余りました。それこそ睡眠時間もとれるし、ゲームをする時間、読書をする時間も余裕があり、言っちゃなんですがかなり楽でした。
たまに自分でもなんでこんなに毎日記事を書くんだと、「誰のため?なんのため?5W1H?」っていう歌詞でラップが歌えるんじゃないかと思う時もあったのですが、実際に書かなくなってみるとかなり自由な時間が持てて、たまっているゲームもみんな片づけられるしまだ納得いっていない科目の勉強も出来そうで、どれだけの時間と労力、熱意をこのブログにかけているんだと我ながら少し呆れました。ちなみにこのブログの記事は一本当たり大体一時間弱をかけており、記事によっては事前に勉強したり資料を整理するので平均すると大体一時間強になると計算してます。仮にこの計算だと、私は年間で400時間くらいこのブログに費やしていることとなります。もしこの400時間を別の方面に使えば……。なんて考えもよぎらなくもありません。
しかし、それでもやっぱり私はブログを書き続けなければならない人間でしょう。先程にも書いた通りにこの一週間は一日の時間が余ったりしましたが、この余った時間は正直に言って何をすればいいのかわかりませんでした。それだけこのブログの執筆が習慣になっているのと同時に、私個人の考えとしても折角自分が蓄えた知識や視点を世に出さないのは惜しいという気持ちが強かったです。
このブログは自分の知識と文章力をひけらかしてちやほやされたいという下心もありますが、それ以上に自分の持っている知識を求めている人がいるなら、役に立つのなら出来るだけわかりやすく解説して届けたいという妙なボランティア精神で成り立っています。ブログを始めて間もない記事にも書いていますが究極的にこのブログは私が大学一回生の頃に、「こんなのあったらいいな(*´∀`)」と思ったものを具現化させたものです。現時点でそこそこ手ごたえも掴んでいるしいい読者にも囲まれているという点である程度この目標は達成できている気がします。
あと、ちょっと本筋からずれますがこのところ意識している作家として松本清張と山田風太郎がおります。どちらも小説家として名を成した人物ですが、松本清張は生前、後進の育成は全くせず新人賞のパーティも嫌々そうに出ていたそうなのですが、同時代の作家によると松本清張はまだ形にしていないアイデアをたくさん抱えていて後進の育成とかやる暇あったら原稿を書いていたいというような人物だったためとされています。次に山田風太郎ですが、彼は戦前から日記を書いていてその時期ごとの事件について彼の視点で鋭い寸評が書かれてあり、当時の状況を知る一つの資料となり得ています。
自分が何を言いたいのか詳述はしませんが、自分の一つの理想は具現化したのだから、これ以前からも意識はしていましたがそろそろまた別の概念を以ってこのブログを続けてこうかと考えてるわけです。そんなわけで明日からまた普段のペースで更新していきます。
以前に私はこのブログで、「このブログはほぼ毎日更新でしかも毎日長文を書いているだけに何の予告もなしに一週間くらい更新が無かったらみんな不気味に思うんじゃないかな」と書いたことありますが、今回がまさにそのような休載となってしまい、こういってはなんですが書く側の自分ですら不気味に感じました。実際に何人かの読者の方から「どうしちゃったの?(;゚Д゚)」と心配の声をかけていただき、なんか申し訳ないなと思うのと同時にいい読者に囲まれていることを再確認しました。
今回更新が空いた理由はごく単純に疲労からで、先週、というよりそれ以前からあまり調子が良くなく、更新が止まった先週金曜の夜から急激に持ち崩しました。その先週の金曜日に私は既に記事にもしてますが、朝方は元気で昼には友人と一緒に池袋にある文革レストランに行ってきたほどなのですが、多分三連休に入って緊張感がすっと抜けたせいもあるでしょうが、夕方からだるくて動けなくなり、よく日曜日も家からほとんど出ず漫画喫茶にだけしか外出しませんでしたがそれでも体調はあまり復調しませんでした。でもって体力が戻らないだけでなく精神的にも常にイライラしていて、敢えて芸能人にたとえると常に沢尻エリカ氏(失礼な気もするが)みたいな具合で、言葉遣いとかもやけに荒くなってました。そして今のような感じに文章も歯切れ悪く、全部「でした」などの「た止め」が続いたりとか……。
特に致命的だったのは日曜日で、出来るだけ長く寝ていたかったのに人が来るから朝早くに起きて対応し、しょうがないから寝れなかった分を昼寝で補填しようと別れてから昼寝に入ったらその人物から本当にくだらない理由で電話かけられ起こされて、おまけに来るなと言ってるのに家にまで来られて、これで本当に立ち直り効かないくらいに気力も体力も悪化しました。次の月曜日の出勤なんか文字通り死にそうな顔で(「死ね、死ね……」って呟きながらドアオープンだった)家を出て行きましたが、なんか職場でも「疲れてない?」ってよく聞かれました。ああ、「た止め」が終わらない……。
そんな理由もあって意識的に休もうとしたというより、このところは素直に疲労でブログが書けなかったというのが真情で、しばらくブログを休むという告知記事すら書く気が起きませんでした。このブログで同時進行で進めている「企業居点」というサイトの構築作業も完全ストップで休むことに集中しましたが、今週は水曜日に部内の飲み会、昨日の木曜日は今年医学部に受かった友人と二人で牛角パーティをやるなどこういう時にとばかりにイベントが目白押しでした。いやどっちも楽しかったけどさ。
しかしブログ更新を完全にサボった甲斐もあってやや持ち直したのと、明日土曜日は出勤日ですが思い切って有給を取得して休むことにしたので、今日久々の更新と相成りました。
ここで自分の苦労自慢からやや話の方向を変えますが、今回ブログの更新をサボってみていくつか気づいたことがあります。一つは先ほどにも書いた通りにわざわざ心配してくれる読者がいることで、もう一つはやはり更新が途絶えると心配されるほど普段の更新量が異常だということ、そして三つ目に、自分がこのブログに相当な時間をかけていることです。三つ目に関してもう少し続けると、ブログを敢えて書かないで少し過ごしてみたら自分でも驚くほど一日の時間が余りました。それこそ睡眠時間もとれるし、ゲームをする時間、読書をする時間も余裕があり、言っちゃなんですがかなり楽でした。
たまに自分でもなんでこんなに毎日記事を書くんだと、「誰のため?なんのため?5W1H?」っていう歌詞でラップが歌えるんじゃないかと思う時もあったのですが、実際に書かなくなってみるとかなり自由な時間が持てて、たまっているゲームもみんな片づけられるしまだ納得いっていない科目の勉強も出来そうで、どれだけの時間と労力、熱意をこのブログにかけているんだと我ながら少し呆れました。ちなみにこのブログの記事は一本当たり大体一時間弱をかけており、記事によっては事前に勉強したり資料を整理するので平均すると大体一時間強になると計算してます。仮にこの計算だと、私は年間で400時間くらいこのブログに費やしていることとなります。もしこの400時間を別の方面に使えば……。なんて考えもよぎらなくもありません。
しかし、それでもやっぱり私はブログを書き続けなければならない人間でしょう。先程にも書いた通りにこの一週間は一日の時間が余ったりしましたが、この余った時間は正直に言って何をすればいいのかわかりませんでした。それだけこのブログの執筆が習慣になっているのと同時に、私個人の考えとしても折角自分が蓄えた知識や視点を世に出さないのは惜しいという気持ちが強かったです。
このブログは自分の知識と文章力をひけらかしてちやほやされたいという下心もありますが、それ以上に自分の持っている知識を求めている人がいるなら、役に立つのなら出来るだけわかりやすく解説して届けたいという妙なボランティア精神で成り立っています。ブログを始めて間もない記事にも書いていますが究極的にこのブログは私が大学一回生の頃に、「こんなのあったらいいな(*´∀`)」と思ったものを具現化させたものです。現時点でそこそこ手ごたえも掴んでいるしいい読者にも囲まれているという点である程度この目標は達成できている気がします。
あと、ちょっと本筋からずれますがこのところ意識している作家として松本清張と山田風太郎がおります。どちらも小説家として名を成した人物ですが、松本清張は生前、後進の育成は全くせず新人賞のパーティも嫌々そうに出ていたそうなのですが、同時代の作家によると松本清張はまだ形にしていないアイデアをたくさん抱えていて後進の育成とかやる暇あったら原稿を書いていたいというような人物だったためとされています。次に山田風太郎ですが、彼は戦前から日記を書いていてその時期ごとの事件について彼の視点で鋭い寸評が書かれてあり、当時の状況を知る一つの資料となり得ています。
自分が何を言いたいのか詳述はしませんが、自分の一つの理想は具現化したのだから、これ以前からも意識はしていましたがそろそろまた別の概念を以ってこのブログを続けてこうかと考えてるわけです。そんなわけで明日からまた普段のペースで更新していきます。
2014年3月21日金曜日
直近一ヶ月間で閲覧数の多いページ
最近になって友人からGoogle Analiticsで閲覧数の多いページのタイトルを表示して順位を見られることを初めて教えてもらい、密かに見ていて楽しんでいます。というのもこれまで閲覧数の多いページはアドレスでしか表示されないと思い込んでおり、検索ワードとかなら以前から見ていましたがページタイトル別ではこれまで把握しておらず、どういう傾向があるのか測りかねていたからです。
そこで折角なので、多分興味を持っている人も多いかと思うので今日は直近一か月間における上位50位くらいまでの閲覧数が多いページを一覧にして初公開します。早速ですが以下がその順位と閲覧数です。
<解説>
まず一位は普通にトップページが着ましたが、2位の「地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡」に関しては時期的要素が強いです。というのもこの記事は地下鉄サリン事件が起きた日である昨日にアクセス数が急増した記事で、事件を振り返る方が大量に訪れたことが原因でしょう。3位の「足利事件の真犯人について」も同じような要素を含んでおり、この記事で紹介している清水潔記者がまさにこの内容で近日新たに本を出されたとのことで、それに付随して閲覧数が増えたのでしょう。
もっとも地下鉄サリン事件の記事に関しては事件全体ではなく医療現場の状況に限定してスポットを当てており、 なおかつ短いテキスト量で割とよくまとめられたという自負があります。この記事を嚆矢として、今後もこの事件に関してはいい記事をかけられたらとも内心考えてます。
上記を踏まえ、そうなると外部的要素なしに一番人気の記事は4位の「漫画レビュー『実は私は』」 ということになってしまいます。6位の「漫画レビュー『シドニアの騎士』」にも言えますが、こういうサブカル関連の記事は検索されやすく地味にアクセスが稼ぎやすいです。特に「実は私は」に関してはまだマイナーさの残る漫画作品でレビューも少なく、このタイトルで検索かけるとレビュー記事として一番上に自分の記事が出た時は本気で焦りました。
このほか際立っているタイトルとしては、やはり7位の「奈良ドリームランドを偲ぶ」でしょう。この記事自体は割と自己満足というかこんなん書いたってそんな反応はないだろうと思っていたら意外や意外にコンスタントに閲覧数が現在に至るまで伸び続けており、地味にこのブログのキラーコンテンツとなり得ました。うちの親戚を始めドリームランドを懐かしい世代が大量にいたのだなと再認識させられるとともに、ある意味でそういった世代にいい記事を提供できたのかなと割と満足しています。
あと今回この順位を見て思ったのは、ブログ開設当初にアクセスゲッターだった「猛将列伝 ~宮崎繁三郎~」の記事を始め、歴史系記事がだいぶ落ちてきたなという感があります。歴史記事は社会ものと比べて時期に関係なくアクセスが来るのでブログ開設当初は意識的に多く書いておりましたが、最近だと自分でも自覚するくらい書く機会も減っており、それらが影響しているのかもしれません。
最後に全体の特徴として述べると、本当に同じ一人の人間が書いているとは思えないほど記事内容がばらけている、と我ながら思います。漫画のレビューを書いているかと思ったらウクライナ情勢とか中国事情、スピリチュアル体験なども書いてあり、その一方で房総半島に自転車乗った話とか日本人の家族関係に関する考察も書いてあって、見る人が見たら複数人で書いているブログではと思うのが自然な気がします。もっとも私の文章は特徴がはっきりしているから途中でやはり一人が書いているとしか思えなくなるでしょうが。
最後にこの中で自身が気に入っている記事をいくつかピックアップしておきます。ほかのはともかく最後のは書いた時期が新しいのと、記憶が鮮明というか生々しいことが影響してます。
・地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡
・上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る
・楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`)
そこで折角なので、多分興味を持っている人も多いかと思うので今日は直近一か月間における上位50位くらいまでの閲覧数が多いページを一覧にして初公開します。早速ですが以下がその順位と閲覧数です。
1 | トップページ | 2391 |
2 | 地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡 | 609 |
3 | 足利事件の真犯人について | 473 |
4 | 漫画レビュー「実は私は」 | 398 |
5 | ホンダ・フィットHVのリコール多発について | 349 |
6 | 漫画レビュー「シドニアの騎士」 | 340 |
7 | 奈良ドリームランドを偲ぶ | 296 |
8 | 近年の漫画雑誌印刷部数の推移 | 198 |
9 | HSK5級、6級の試験対策 | 190 |
10 | 平成史考察~玄倉川水難事故(1999年) | 187 |
11 | ヒトラーが溺愛した姪 | 157 |
12 | 自販機業界の便乗値上げについて(#゚Д゚) プンスコ! | 152 |
13 | 石川啄木と金田一京助 | 143 |
14 | スピリチュアル体験録 | 140 |
15 | 猛将列伝~今村均~ | 137 |
16 | 中国人の好きな男性のタイプ | 132 |
17 | 中川元財務相の泥酔会見の裏側 | 130 |
18 | ソチ五輪の報道を見て感じること | 118 |
19 | 中小企業は本当に人手不足なのか | 116 |
20 | 猛将列伝 ~宮崎繁三郎~ | 112 |
21 | 埼玉県三郷市、千葉県松戸市通り魔事件の犯人逮捕を受けて | 97 |
22 | 理研の会見、そしてSTAP細胞捏造疑惑について | 94 |
23 | PM2.5を排出しているのは誰か | 87 |
24 | 「シドニアの騎士」の11巻について | 86 |
25 | 漫画レビュー「レッド」 | 83 |
26 | さようならOpera | 76 |
27 | 三菱地所の欠陥マンション事件について | 75 |
28 | 素顔同盟の思い出 | 74 |
29 | ウクライナを巡る国際情勢 | 72 |
30 | ソニータイマーの真実 | 72 |
31 | こんなに上がった漫画の価格 | 69 |
32 | 水木しげる伝説 | 69 |
33 | スズキの会長の鈴木修について | 68 |
34 | 豊臣政権が崩壊した原因とは | 68 |
35 | 「極黒のブリュンヒルデ」のアニメ化について | 67 |
36 | 平成史考察~磯野カツオの声優交替(1998年) | 66 |
37 | このブログのアフィリエイト収入額 | 63 |
38 | 疲労のためしばらくお休み(ヽ´ω`) | 63 |
39 | 猛将列伝~木村昌福~ | 62 |
40 | 暗殺者列伝~山口二矢 | 58 |
41 | 房総半島自転車一周地獄の旅 | 58 |
42 | 漫画レビュー:怨み屋本舗シリーズ | 58 |
43 | 最近なくなったコールドスリープの話 | 57 |
44 | 本当に強い剣客は誰なのか? | 57 |
45 | このところの朝日新聞のスクープ連発について | 55 |
46 | 湾岸戦争直前における人質事件 | 52 |
47 | 高齢者層は本当に金融資産を蓄えているのか? | 50 |
48 | 犯罪者の家族への社会的制裁について | 50 |
49 | パソコン本体価格の高騰(;´Д`) | 49 |
50 | 上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る | 49 |
51 | 中華料理の名前とその意味たち | 49 |
52 | 家族関係が異常に希薄な日本民族 | 48 |
53 | 楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`) | 47 |
<解説>
まず一位は普通にトップページが着ましたが、2位の「地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡」に関しては時期的要素が強いです。というのもこの記事は地下鉄サリン事件が起きた日である昨日にアクセス数が急増した記事で、事件を振り返る方が大量に訪れたことが原因でしょう。3位の「足利事件の真犯人について」も同じような要素を含んでおり、この記事で紹介している清水潔記者がまさにこの内容で近日新たに本を出されたとのことで、それに付随して閲覧数が増えたのでしょう。
もっとも地下鉄サリン事件の記事に関しては事件全体ではなく医療現場の状況に限定してスポットを当てており、 なおかつ短いテキスト量で割とよくまとめられたという自負があります。この記事を嚆矢として、今後もこの事件に関してはいい記事をかけられたらとも内心考えてます。
上記を踏まえ、そうなると外部的要素なしに一番人気の記事は4位の「漫画レビュー『実は私は』」 ということになってしまいます。6位の「漫画レビュー『シドニアの騎士』」にも言えますが、こういうサブカル関連の記事は検索されやすく地味にアクセスが稼ぎやすいです。特に「実は私は」に関してはまだマイナーさの残る漫画作品でレビューも少なく、このタイトルで検索かけるとレビュー記事として一番上に自分の記事が出た時は本気で焦りました。
このほか際立っているタイトルとしては、やはり7位の「奈良ドリームランドを偲ぶ」でしょう。この記事自体は割と自己満足というかこんなん書いたってそんな反応はないだろうと思っていたら意外や意外にコンスタントに閲覧数が現在に至るまで伸び続けており、地味にこのブログのキラーコンテンツとなり得ました。うちの親戚を始めドリームランドを懐かしい世代が大量にいたのだなと再認識させられるとともに、ある意味でそういった世代にいい記事を提供できたのかなと割と満足しています。
あと今回この順位を見て思ったのは、ブログ開設当初にアクセスゲッターだった「猛将列伝 ~宮崎繁三郎~」の記事を始め、歴史系記事がだいぶ落ちてきたなという感があります。歴史記事は社会ものと比べて時期に関係なくアクセスが来るのでブログ開設当初は意識的に多く書いておりましたが、最近だと自分でも自覚するくらい書く機会も減っており、それらが影響しているのかもしれません。
最後に全体の特徴として述べると、本当に同じ一人の人間が書いているとは思えないほど記事内容がばらけている、と我ながら思います。漫画のレビューを書いているかと思ったらウクライナ情勢とか中国事情、スピリチュアル体験なども書いてあり、その一方で房総半島に自転車乗った話とか日本人の家族関係に関する考察も書いてあって、見る人が見たら複数人で書いているブログではと思うのが自然な気がします。もっとも私の文章は特徴がはっきりしているから途中でやはり一人が書いているとしか思えなくなるでしょうが。
最後にこの中で自身が気に入っている記事をいくつかピックアップしておきます。ほかのはともかく最後のは書いた時期が新しいのと、記憶が鮮明というか生々しいことが影響してます。
・地下鉄サリン事件、医療現場での奮闘と奇跡
・上越新幹線「とき325号」脱線事故を振り返る
・楽しい楽しい帰宅難民体験(;´Д`)
琴欧州の引退について(ノД`)・゚・。
本日、前から興味があったので池袋にある「東方紅」という文革レストランに友人と一緒に行ってきました。このお店はリンク先のぐるナビの店舗内写真の通り、文化大革命期の中国をイメージした内装となっており何故か24時間営業です。私と友人はランチとしてお昼に赴いたのですが店内は自分たち以外客はおらず、出て行くまで他に人は入ってこない貸切状態でいい気分でした。
ウェイトレスはちゃんと緑色の人民服を着ていて、ランチメニューは宮爆鶏丁や木須肉など一般的な中国の家庭料理が並んでおり、中華料理らしく料理量が多くて夜になっても私はお腹がほとんど減りませんでした。店員は全員中国人のようで(恐らく常連客も)、最初は日本語で我々に対応してくれましたが私が中国語でオーダー取ってからは中国語に切り替えてくる有能ぶり。料理はおいしく量も多く、ランチメニューの価格は500~800円とお得なので割とお勧めです。ただ今回残念だったのは、羊肉の串焼きがメニューには入っているもの材料がなく食べられなかったことです。また今度食べに行こう。
・琴欧洲「体ボロボロ」涙の引退!悔いなし大関在位47場所(スポーツ報知)
話は本題に入りますが、昨日大相撲の琴欧洲関(本名:安藤カロヤン)が引退することを発表しました。琴欧洲関に関して説明は不要でしょうが、欧州出身の力士としては初めて、しかも19場所という史上最速で大関に昇進し、2メートル超の長身を生かした懐の深い特徴的な相撲で観客を沸かせてきました。私はこの琴欧洲関が上位に昇進して来た頃にちょうど相撲を見始めたこともあり、今回の引退発表にはこみ上げ来るものがあります。実際、昨日のテレビ放送を見て本気で泣いてました(ノД`)
琴欧洲関といったらやはりその長身が最大の特徴でもあり武器で、全盛期であれば四つに組んで後ろ回しを掴めたら反射神経が尋常でなかったあの元朝青竜関ですらねじ伏せるほどの地力を持ち合わせていました。ただそのかわりに長身というか足が長すぎるせいもあってどうしても重心が高くなりがちで突き相撲には弱く、自身も突出しなどの手がどうしても腰が入らず終生弱点として付きまとっておりました。
とはいえ実力は高く、なんだかんだ言いながら長期間に渡って大関の地位を保っていたというのは立派な力士の証です。優勝こそ一回しかなかったものの、これは同世代に多くのライバルに恵まれた、というより白鵬関という不世出と言ってもいいほど異常に調子が安定した横綱が立ちふさがったことも大きいのではないかと私は考えます。
そんな琴欧洲関に対してですがここだけの話、ちょっとNHKの解説は酷かったなぁとつくづく思います。琴欧洲関は先ほども書いたように長きにわたって大関の地位を守りましたが二桁勝利することは少なく、九勝六敗くらいで場所を終えることが非常に多い力士でした。この点についてNHK解説は大関なんだから優勝争いに絡むことはもとより、最低でも二桁勝利(十勝以上)をしなければと度々苦言を呈しておりました。言ってることはもっともだし、琴欧洲関へ期待を込めての発言だと思うのですが、同時期に同じ大関の元魁皇関が毎回八勝七敗という奇跡的な勝ち越しターンを一年にもわたって続けていたことに関してはスルーしてたことを見るにつけ、外国人と日本人でなんだこの温度差はと内心いい気分しませんでした。まぁ誰かとは書かないけどさ。
話は引退の件に戻りますが、会見にて「相撲をやれてよかった」と話した上で、「白鵬関と相撲を取れたことが幸せだった」という発言をしている最中に琴欧洲関は涙を流しましたが、自分もこの時に一気にブワーって涙してました。記事にも書かれている通りこのところは大型力士の宿命とも言えますが怪我も多く、見ていて苦しそうなのがはっきりわかるのに大関から陥落しても相撲を取り続けていた姿には深く感銘を覚えていました。また彼がここまで頑張ってくれたことから同時期の黒海関、把瑠都関といった他の欧州出身力士も続き、現役のエジプト出身である大砂嵐関も続けたのだと思えます。、
大相撲の外国出身者の参加は私見だと、「ハワイ→モンゴル→東欧→アフリカ」と徐々に広がっており、モンゴル勢に続く流れを作ったという意味では琴欧洲関の功績は非常に高かったと言えるでしょう。相撲というのはルールが非常にシンプルであるだけでなく力士の体が大きいだけに初見でもどの国、どの文化の人間でも楽しむことが出来るスポーツです。それだけに私は忍者と並んで日本が世界に放つキラーコンテンツにしたいと前から考えており、そのためには外国出身の力士をもっと増やしていくべきだと考えています。そのような観点から、琴欧洲関は今後も親方として後進の指導に当たるとのことですが、是非ともその経験を活かして新たなニューカマーの育成を担ってくれればと思うのと同時に、これまで本当にご苦労でしたとこの場で以って伝えさせてもらいます。
おまけ
今日「東方紅」で友人とこの話をしている際、大相撲協会はこのところ問題を起こしているから外部の元プロスポーツ出身者、具体的にはプロ野球の桑田氏などを招いてもっと改革を進めたらいいんじゃないかという話題になったのですが、
「サッカーだったら誰かいるかな?」
「ザッケローニとか呼んでみろよ。あの人歯に衣着せぬ人だからすごいことになるぞ」
なんて話してました。ってかわざわざ休日に中華料理食うのに付き合ってくれてマジありがと。今日買ったPSVitaはまだ開封してない。
ウェイトレスはちゃんと緑色の人民服を着ていて、ランチメニューは宮爆鶏丁や木須肉など一般的な中国の家庭料理が並んでおり、中華料理らしく料理量が多くて夜になっても私はお腹がほとんど減りませんでした。店員は全員中国人のようで(恐らく常連客も)、最初は日本語で我々に対応してくれましたが私が中国語でオーダー取ってからは中国語に切り替えてくる有能ぶり。料理はおいしく量も多く、ランチメニューの価格は500~800円とお得なので割とお勧めです。ただ今回残念だったのは、羊肉の串焼きがメニューには入っているもの材料がなく食べられなかったことです。また今度食べに行こう。
・琴欧洲「体ボロボロ」涙の引退!悔いなし大関在位47場所(スポーツ報知)
話は本題に入りますが、昨日大相撲の琴欧洲関(本名:安藤カロヤン)が引退することを発表しました。琴欧洲関に関して説明は不要でしょうが、欧州出身の力士としては初めて、しかも19場所という史上最速で大関に昇進し、2メートル超の長身を生かした懐の深い特徴的な相撲で観客を沸かせてきました。私はこの琴欧洲関が上位に昇進して来た頃にちょうど相撲を見始めたこともあり、今回の引退発表にはこみ上げ来るものがあります。実際、昨日のテレビ放送を見て本気で泣いてました(ノД`)
琴欧洲関といったらやはりその長身が最大の特徴でもあり武器で、全盛期であれば四つに組んで後ろ回しを掴めたら反射神経が尋常でなかったあの元朝青竜関ですらねじ伏せるほどの地力を持ち合わせていました。ただそのかわりに長身というか足が長すぎるせいもあってどうしても重心が高くなりがちで突き相撲には弱く、自身も突出しなどの手がどうしても腰が入らず終生弱点として付きまとっておりました。
とはいえ実力は高く、なんだかんだ言いながら長期間に渡って大関の地位を保っていたというのは立派な力士の証です。優勝こそ一回しかなかったものの、これは同世代に多くのライバルに恵まれた、というより白鵬関という不世出と言ってもいいほど異常に調子が安定した横綱が立ちふさがったことも大きいのではないかと私は考えます。
そんな琴欧洲関に対してですがここだけの話、ちょっとNHKの解説は酷かったなぁとつくづく思います。琴欧洲関は先ほども書いたように長きにわたって大関の地位を守りましたが二桁勝利することは少なく、九勝六敗くらいで場所を終えることが非常に多い力士でした。この点についてNHK解説は大関なんだから優勝争いに絡むことはもとより、最低でも二桁勝利(十勝以上)をしなければと度々苦言を呈しておりました。言ってることはもっともだし、琴欧洲関へ期待を込めての発言だと思うのですが、同時期に同じ大関の元魁皇関が毎回八勝七敗という奇跡的な勝ち越しターンを一年にもわたって続けていたことに関してはスルーしてたことを見るにつけ、外国人と日本人でなんだこの温度差はと内心いい気分しませんでした。まぁ誰かとは書かないけどさ。
話は引退の件に戻りますが、会見にて「相撲をやれてよかった」と話した上で、「白鵬関と相撲を取れたことが幸せだった」という発言をしている最中に琴欧洲関は涙を流しましたが、自分もこの時に一気にブワーって涙してました。記事にも書かれている通りこのところは大型力士の宿命とも言えますが怪我も多く、見ていて苦しそうなのがはっきりわかるのに大関から陥落しても相撲を取り続けていた姿には深く感銘を覚えていました。また彼がここまで頑張ってくれたことから同時期の黒海関、把瑠都関といった他の欧州出身力士も続き、現役のエジプト出身である大砂嵐関も続けたのだと思えます。、
大相撲の外国出身者の参加は私見だと、「ハワイ→モンゴル→東欧→アフリカ」と徐々に広がっており、モンゴル勢に続く流れを作ったという意味では琴欧洲関の功績は非常に高かったと言えるでしょう。相撲というのはルールが非常にシンプルであるだけでなく力士の体が大きいだけに初見でもどの国、どの文化の人間でも楽しむことが出来るスポーツです。それだけに私は忍者と並んで日本が世界に放つキラーコンテンツにしたいと前から考えており、そのためには外国出身の力士をもっと増やしていくべきだと考えています。そのような観点から、琴欧洲関は今後も親方として後進の指導に当たるとのことですが、是非ともその経験を活かして新たなニューカマーの育成を担ってくれればと思うのと同時に、これまで本当にご苦労でしたとこの場で以って伝えさせてもらいます。
おまけ
今日「東方紅」で友人とこの話をしている際、大相撲協会はこのところ問題を起こしているから外部の元プロスポーツ出身者、具体的にはプロ野球の桑田氏などを招いてもっと改革を進めたらいいんじゃないかという話題になったのですが、
「サッカーだったら誰かいるかな?」
「ザッケローニとか呼んでみろよ。あの人歯に衣着せぬ人だからすごいことになるぞ」
なんて話してました。ってかわざわざ休日に中華料理食うのに付き合ってくれてマジありがと。今日買ったPSVitaはまだ開封してない。
2014年3月19日水曜日
卒論に関する議論あれこれ
先日にもこのブログに取り上げたSTAP細胞を巡る問題ですが、変に飛び火して早稲田の大学院に関してもあれこれ議論が起こっているようです。
・小保方さん論文コピペ問題 「早稲田の理系はコピペで成り立っている」はてな匿名ダイアリーの記事が話題に(ガジェット通信)
上記は昔私も一回だけお世話になったガジェット通信さんの記事ですが、この記事によると早稲田大学大学院出身の小保方氏がSTAP細胞を発表した論文だけでなく、大学院の博士論文でも大量にコピペしていた形跡があったことについて、ネット上で早稲田出身者と語る人間が「早稲田でコピペは日常茶飯事」と語っているとのことです。何故コピペをするのかというと早稲田の履行では実験などで忙しく論文を書く暇もないため、学生はおろか教授陣の間でもこうした行為が蔓延しているなどと、真偽はともかく書かれています。
私はこの話を友人から聞き、どちらかというとその友人は学生の置かれている忙しい環境に問題があるせいでコピペもやむなしみたいな状況じゃないかという感じで話してくれましたが、その場ではあまり強く言わなかったものの、どんな理由があろうとコピペというか剽窃が許されるわけがないと私は思います。
一言で決着付けようとするならば、仮に剽窃がまかり通るというのなら「引用」という手段が全くいらなくなります。引用なら引用と堂々と断ればいいのだし、他人の文章をさも自分が書いたように書くという行為は底意地が悪い上に非常に卑怯な行為だと私は思うゆえ、忙しいとかそういう事はまったく理由にならず小保方氏を初め剽窃をやった学生なり教授なりは相応の報いを受けるべきでしょう。第一、学問に携わる身でありながらそんな行為をして恥ずかしいと思わない時点で人間としてどうかと思いますが。
と、のっけからかなりかっこいいことを書くなぁなんて我ながら思いますが、論文というか卒論においてちょっとした不正に自分も関わったことがあります。それはどんな不正か正直に述べると代筆で、四回生だった頃にゼミ同期生三人分の卒論を私が代筆しました。
一体なんで代筆したのかというと、当時から文章に関しては相対的な自信があったためこの機会に自分の腕を一つおおっぴらみせてやろうという妙なチャレンジ精神に溢れていたことと、所属したゼミの教授があまり指導に熱心でなく文章指導も疎かだったのに、いきなり卒論で2万字超を書かせるというのも学生にとってはやや酷だなと感じたためです。またゼミのTAがあまりしっかりサポートするような奴(元々は自分と同期の学生で今も友達)ではなかったため、ほかの同期生が卒論でまともなサポートを受けられないと見越していたこともあります。にしても、自分も卒論を書く立場だったのに随分と上から目線でさっきから物言ってるな。
とまぁ上のような問題を抱えていたことと、みんなで笑って卒業したいねなんてとも思ってたので、「卒論で困ったら自分に相談するように」と同期生にはあらかじめ伝えておきました。何度も言いますが当時の自分も同期生たちと同じように卒論を書かなければ立場です。そんなわけで実際に相談してきた代筆してあげたゼミ同期生三人、三人とも女の子でしたが、そろそろ時効だと思うのでそれぞれの特徴を簡単にまとめます。
1、A子
一番最初にかつかなり早い時期に相談してきたため、三人の中では最も作業がしやすかったと同時に代筆量も最も多く、結果的に卒論全体の二分の一超を私が書きました。卒論のテーマがはっきりしていたことと材料集めがしっかりしていたため一、二回聞き取りするだけで全体像が作れたのですが、最後の考察部分に関してA子はあまり具体的なイメージを持っていなかったため、この部分は全部自分が考えて書き上げました。ある意味肝な部分ですが我ながらいい考察をかけたと自負しており、この論文が所属ゼミ代表として冊子に載りました。
2、B子
この子はA子に続いて相談してきましたが、まず卒論テーマが厄介でした。最初にやろうとしていたテーマというのが具体的には書きませんが聞いてて戦慄するほどどうしようもないテーマで、先ほどのTAの友人と二人っきりで、「あれで本気で書こうとしたらやばいよな」なんてゼミ授業の後に話したくらいです。もちろんそんなテーマで書きあげられるわけなく、最初に相談してきた際にはまだ書けられそうなテーマを構築するところからはじめました。
このように出足こそ悪かったものの三人の中で唯一の外部生だったこともあってポテンシャルは高く、テーマを与えたら割としっかり準備してきて自分でも結構な文章量をこさえてきました。私は大体五分の二くらいを書きましたがこの子はちゃんと考察部分は自分で作ってきたので、補填するような感じで文章を膨らませただけで一応出せる論文に仕立て上げることが出来ました。
3、C子
この流れを見ていればわかると思いますが、一番手を焼かされたのはこの子です。相談してくる時期がかなり遅く確か提出期限の二週間くらい前だったような気がします。ちなみに自分は期限の一ヶ月くらい前に書きあげてました。
C子が相談しに来るのが遅かったのはギリギリまで自分で何とかやろうと努力する姿勢があったからですが、生憎その努力に実力が全く追いついていませんでした。B子も大概でしたがC子もテーマ設定からして結構ヤバく、まず最初に聞き取りをした時点でこれじゃ論文にならないからこういう方面からせめてこういう結論に持っていけそうな材料を集めようなどと全体像を組み上げるのに私もかなり頭使い、長い時間話し合って大体の方向性を組み上げたのを未だによく覚えてます。本当に何度も書きますが、当時の私は指導教授でもなければTAでもなく同じゼミの同期生です。
テーマ設定を終えるとさすが自分の出身母校の学生なだけあって内部生でしたがポテンシャルだけはやけに高く、 執筆に必要な材料は比較的早くC子は集めてきました。しかしいかんせん、それら材料をまとめ上げる実力がありませんでした。なもんだから材料を集めてくるそばから聞き取りをしてどういう風な切り口で論文にするかを細かく指示した上、「こっからこの部分は君が書いて、その先の論の発展はきつそうだから俺が書く」などと、工事現場のリーダーみたいな感じで作業工程を細かく分担する計画も私が立ててました。
最終的に私が執筆した量は全体の五分の二程度ですが、C子が書いた文章を出してくる度に何度もかなり修正していたので実際には過半数くらい書いてたかもしれません。A子と違って後半部分を私が独壇場で書くのではなく、C子の場合は出してくる文章を片っ端から書き直すようなもんだったし。
なおこの作業は本当に提出期限ギリギリまで続けられ、確か提出日前日の時点で5000文字、原稿用紙にして10枚分くらい足りてなかったので二人で学内にある共同パソコンルームに入って一緒に作業しましたが、後半部に入って私も文章を練るのに頭を悩ませていたらそのすぐ横でC子は居眠りをしていて、さすがにこの時には温厚な私も「寝るなっ!(#゚Д゚)ゴルァ!!」って起こしつつ本気で怒りました。結局、パソコンルームが閉まり切るまでに作業を終えることが出来なかったので、その後はそれぞれの自宅に帰って、作業が進む度に互いにメールを交換し合って深夜一時くらいに確か完成したような。なおその時の卒論が書かれたテキストファイルは同名だと上書きする恐れがあったので、「卒論 WRX STI versionⅥ」とか「卒論 Evolution Ⅲ」、「卒論 Spirit R」などと、送信する度に毎回趣向を凝らして変えてました。
以上のような具合で、自分の卒論に加えてほか三人の卒論も一緒に書き上げたというのが私の四回生時代の過ごし方です。念のため書いておきますがこの三人からは特に何もお礼はもらっておらず、むしろC子に至っては卒論を提出した後の週末、漫画喫茶に行ってから自宅に帰ろうとしたところ喫茶店でバイトしていたC子に見つかり、売り上げに貢献するためケーキセットを注文させられました。もちろんこれは半分冗談でこの時は自分からケーキセットを注文しましたが、今思うとあの場面はおごってもらってもよかったような……。
なおこの三人以外のほかのゼミ同期生は全員自分で卒論を書いてきたのですが、ほかのゼミ同期生四人中三人は中国人留学生でした。本当は日本語の長文文章に苦しむであろう留学生をメインで支援するつもりだったのになんだかなぁ。
この三人の中国人留学生のうち一人に関しては提出前に文章におかしなところがないか見てほしいと頼まれて最終チェックを自分がやりましたが、その時に自分が指摘したポイントは以下の一つだけでした。
「ねえさ、この部分に『シェンチェン(シェンチェン)』って二度もカタカナで書いてあるけど何か特別な意味あるの?」 (「シェンチェン」とは中国の主要都市「深圳」を中国語で読んだ発音)
これを指摘したらその留学生はえらい爆笑して、私にありがとうと言いつつ、吹き出しつつ修正してました。
最後の最後でまた蛇足ですが、こんな風に苦労して(主にC子のせいで)卒論を提出し終えた後、ある程度やることもなくなりひゅっと手が空いたことからそろそろかなと思い、この陽月秘話を12月に起ち上げました。
・小保方さん論文コピペ問題 「早稲田の理系はコピペで成り立っている」はてな匿名ダイアリーの記事が話題に(ガジェット通信)
上記は昔私も一回だけお世話になったガジェット通信さんの記事ですが、この記事によると早稲田大学大学院出身の小保方氏がSTAP細胞を発表した論文だけでなく、大学院の博士論文でも大量にコピペしていた形跡があったことについて、ネット上で早稲田出身者と語る人間が「早稲田でコピペは日常茶飯事」と語っているとのことです。何故コピペをするのかというと早稲田の履行では実験などで忙しく論文を書く暇もないため、学生はおろか教授陣の間でもこうした行為が蔓延しているなどと、真偽はともかく書かれています。
私はこの話を友人から聞き、どちらかというとその友人は学生の置かれている忙しい環境に問題があるせいでコピペもやむなしみたいな状況じゃないかという感じで話してくれましたが、その場ではあまり強く言わなかったものの、どんな理由があろうとコピペというか剽窃が許されるわけがないと私は思います。
一言で決着付けようとするならば、仮に剽窃がまかり通るというのなら「引用」という手段が全くいらなくなります。引用なら引用と堂々と断ればいいのだし、他人の文章をさも自分が書いたように書くという行為は底意地が悪い上に非常に卑怯な行為だと私は思うゆえ、忙しいとかそういう事はまったく理由にならず小保方氏を初め剽窃をやった学生なり教授なりは相応の報いを受けるべきでしょう。第一、学問に携わる身でありながらそんな行為をして恥ずかしいと思わない時点で人間としてどうかと思いますが。
と、のっけからかなりかっこいいことを書くなぁなんて我ながら思いますが、論文というか卒論においてちょっとした不正に自分も関わったことがあります。それはどんな不正か正直に述べると代筆で、四回生だった頃にゼミ同期生三人分の卒論を私が代筆しました。
一体なんで代筆したのかというと、当時から文章に関しては相対的な自信があったためこの機会に自分の腕を一つおおっぴらみせてやろうという妙なチャレンジ精神に溢れていたことと、所属したゼミの教授があまり指導に熱心でなく文章指導も疎かだったのに、いきなり卒論で2万字超を書かせるというのも学生にとってはやや酷だなと感じたためです。またゼミのTAがあまりしっかりサポートするような奴(元々は自分と同期の学生で今も友達)ではなかったため、ほかの同期生が卒論でまともなサポートを受けられないと見越していたこともあります。にしても、自分も卒論を書く立場だったのに随分と上から目線でさっきから物言ってるな。
とまぁ上のような問題を抱えていたことと、みんなで笑って卒業したいねなんてとも思ってたので、「卒論で困ったら自分に相談するように」と同期生にはあらかじめ伝えておきました。何度も言いますが当時の自分も同期生たちと同じように卒論を書かなければ立場です。そんなわけで実際に相談してきた代筆してあげたゼミ同期生三人、三人とも女の子でしたが、そろそろ時効だと思うのでそれぞれの特徴を簡単にまとめます。
1、A子
一番最初にかつかなり早い時期に相談してきたため、三人の中では最も作業がしやすかったと同時に代筆量も最も多く、結果的に卒論全体の二分の一超を私が書きました。卒論のテーマがはっきりしていたことと材料集めがしっかりしていたため一、二回聞き取りするだけで全体像が作れたのですが、最後の考察部分に関してA子はあまり具体的なイメージを持っていなかったため、この部分は全部自分が考えて書き上げました。ある意味肝な部分ですが我ながらいい考察をかけたと自負しており、この論文が所属ゼミ代表として冊子に載りました。
2、B子
この子はA子に続いて相談してきましたが、まず卒論テーマが厄介でした。最初にやろうとしていたテーマというのが具体的には書きませんが聞いてて戦慄するほどどうしようもないテーマで、先ほどのTAの友人と二人っきりで、「あれで本気で書こうとしたらやばいよな」なんてゼミ授業の後に話したくらいです。もちろんそんなテーマで書きあげられるわけなく、最初に相談してきた際にはまだ書けられそうなテーマを構築するところからはじめました。
このように出足こそ悪かったものの三人の中で唯一の外部生だったこともあってポテンシャルは高く、テーマを与えたら割としっかり準備してきて自分でも結構な文章量をこさえてきました。私は大体五分の二くらいを書きましたがこの子はちゃんと考察部分は自分で作ってきたので、補填するような感じで文章を膨らませただけで一応出せる論文に仕立て上げることが出来ました。
3、C子
この流れを見ていればわかると思いますが、一番手を焼かされたのはこの子です。相談してくる時期がかなり遅く確か提出期限の二週間くらい前だったような気がします。ちなみに自分は期限の一ヶ月くらい前に書きあげてました。
C子が相談しに来るのが遅かったのはギリギリまで自分で何とかやろうと努力する姿勢があったからですが、生憎その努力に実力が全く追いついていませんでした。B子も大概でしたがC子もテーマ設定からして結構ヤバく、まず最初に聞き取りをした時点でこれじゃ論文にならないからこういう方面からせめてこういう結論に持っていけそうな材料を集めようなどと全体像を組み上げるのに私もかなり頭使い、長い時間話し合って大体の方向性を組み上げたのを未だによく覚えてます。本当に何度も書きますが、当時の私は指導教授でもなければTAでもなく同じゼミの同期生です。
テーマ設定を終えるとさすが自分の出身母校の学生なだけあって内部生でしたがポテンシャルだけはやけに高く、 執筆に必要な材料は比較的早くC子は集めてきました。しかしいかんせん、それら材料をまとめ上げる実力がありませんでした。なもんだから材料を集めてくるそばから聞き取りをしてどういう風な切り口で論文にするかを細かく指示した上、「こっからこの部分は君が書いて、その先の論の発展はきつそうだから俺が書く」などと、工事現場のリーダーみたいな感じで作業工程を細かく分担する計画も私が立ててました。
最終的に私が執筆した量は全体の五分の二程度ですが、C子が書いた文章を出してくる度に何度もかなり修正していたので実際には過半数くらい書いてたかもしれません。A子と違って後半部分を私が独壇場で書くのではなく、C子の場合は出してくる文章を片っ端から書き直すようなもんだったし。
なおこの作業は本当に提出期限ギリギリまで続けられ、確か提出日前日の時点で5000文字、原稿用紙にして10枚分くらい足りてなかったので二人で学内にある共同パソコンルームに入って一緒に作業しましたが、後半部に入って私も文章を練るのに頭を悩ませていたらそのすぐ横でC子は居眠りをしていて、さすがにこの時には温厚な私も「寝るなっ!(#゚Д゚)ゴルァ!!」って起こしつつ本気で怒りました。結局、パソコンルームが閉まり切るまでに作業を終えることが出来なかったので、その後はそれぞれの自宅に帰って、作業が進む度に互いにメールを交換し合って深夜一時くらいに確か完成したような。なおその時の卒論が書かれたテキストファイルは同名だと上書きする恐れがあったので、「卒論 WRX STI versionⅥ」とか「卒論 Evolution Ⅲ」、「卒論 Spirit R」などと、送信する度に毎回趣向を凝らして変えてました。
以上のような具合で、自分の卒論に加えてほか三人の卒論も一緒に書き上げたというのが私の四回生時代の過ごし方です。念のため書いておきますがこの三人からは特に何もお礼はもらっておらず、むしろC子に至っては卒論を提出した後の週末、漫画喫茶に行ってから自宅に帰ろうとしたところ喫茶店でバイトしていたC子に見つかり、売り上げに貢献するためケーキセットを注文させられました。もちろんこれは半分冗談でこの時は自分からケーキセットを注文しましたが、今思うとあの場面はおごってもらってもよかったような……。
なおこの三人以外のほかのゼミ同期生は全員自分で卒論を書いてきたのですが、ほかのゼミ同期生四人中三人は中国人留学生でした。本当は日本語の長文文章に苦しむであろう留学生をメインで支援するつもりだったのになんだかなぁ。
この三人の中国人留学生のうち一人に関しては提出前に文章におかしなところがないか見てほしいと頼まれて最終チェックを自分がやりましたが、その時に自分が指摘したポイントは以下の一つだけでした。
「ねえさ、この部分に『シェンチェン(シェンチェン)』って二度もカタカナで書いてあるけど何か特別な意味あるの?」 (「シェンチェン」とは中国の主要都市「深圳」を中国語で読んだ発音)
これを指摘したらその留学生はえらい爆笑して、私にありがとうと言いつつ、吹き出しつつ修正してました。
最後の最後でまた蛇足ですが、こんな風に苦労して(主にC子のせいで)卒論を提出し終えた後、ある程度やることもなくなりひゅっと手が空いたことからそろそろかなと思い、この陽月秘話を12月に起ち上げました。
2014年3月18日火曜日
ロシアのクリミア併合について
つい先ほど速報ニュースが出ましたがロシアが現在軍隊を送っている、ウクライナのクリミア自治共和国を併合することを宣言したようです。昨日くらいまで日本の報道ではクリミア自治共和国内での投票でロシアとの合併を望む票が圧倒的多数となったものの、国際社会の反発を恐れてロシアはすぐに編入する決断には至らないだろうという見方が出ていましたが、生憎というか外れてしまったようです。もっとも外れたとはいえこの見方は決して無分別な見方ではなかったと私は思え、結果から言うなら一般的な感覚を越えたレベルでロシアのプーチン大統領の決断が早かったといったところでしょう。
最初に話しておくと私は中国を初め東欧やあさま山荘など旧共産圏がやけに 好きな人間ではありますが、東欧の政治事情については詳しくなくて素人も同然です。そんな素人としての意見を今日は勝手に並べていくわけですが、今回このクリミアを巡る問題が始まった時に真っ先に思い浮かんだのは、北京の留学中にクラスメートだったウクライナ人です。
こういってはなんですが非常に悪い奴で、北京で禁止されているのに、バイク乗り回してたのですがなんと自国でもバイク免許を持っていないという、国境を越えた無免許運転をやらかしてました。ほかにも別のクラスメートの誕生日会の最中に仲良くしているドイツ人の顔目がけてケーキを思い切りぶん投げたり、授業で空いた時間に映画を見ようかって話になったら、「ポルノビデオ見ようぜ!」って言って先生から止められると、「でもこのドイツ人が見たがっているんだ」って勝手な嘘をつくなど、まぁおもしろい奴でした。
そんなウクライナ人のクラスメートは日本人であることから割と自分に興味を持ってくれて何度かウォッカとかを飲みに出かけたりもしたのですが、確か授業中に国際外交の話が出た時に何かの拍子で、「ウクライナとロシアは兄弟だ!」って大きな声で言っていました。それ以前からウクライナとロシアは歴史的にも関係の深い国だとは思っていましたが、こんなふざけた奴でも強くアピールするほどお互い意識し合っているのかと妙に感じ入ったのを今でもよく覚えています。
その一方で、確か当時のウクライナはロシアとの距離を置いたユーシェンコ大統領の政権で、政府は反ロシアでもこうしてロシアとの密接さを強く訴えるウクライナ人もいる当たり、一枚岩ではないのかなとも考えました。今回のウクライナの問題を見ているとあながちその見方ではずれではなかったようで、それこそこのふざけたウクライナ人のクラスメートはクリミア出身だったのかもしれません。
話は戻りますが今回のクリミア併合、実にスピードの速い政治決断だったでしょう。ウクライナで政変が起こったのはソチ冬季五輪の最中でしたが、さすがに五輪開催中はロシアも遠慮して動きはほとんど見せませんでしたが、五輪が終わった後の決断速度は桁違いな速さで米国やEUなんて経済制裁こそ実行に踏み切りましたが、まともな対策が打てない間にしてやられてしまったように見えます。
一体何故ロシア、というよりプーチン大統領はこれほど素早く対応し、決断したのでしょうか。本当に勝手な予想を上げると、冬季五輪で表立って動けない最中に欧米があれこれウクライナの政治勢力に干渉して政変を起こさせたことに相当腹が立っていたのが原因じゃないかと思います。欧米の勢力がウクライナで新露派政権に対抗する勢力を実際に支援したかどうかはまだはっきりしませんが、私個人の考えとしては先ほどのウクライナ人のクラスメートの様に親ロシアを訴える層が確実にいるであろうことを考えると、やっぱ何かの後ろ盾がないとあんな風に大統領を追い出せなかっただろうなと思うとやっぱりちょっかいかけてたように思えます。
そのまま欧米がウクライナにちょっかいをかけていたこと前提で話を進めると、ソチ五輪という鬼の居ぬ間に好き放題やられて、なおかつロシアに取って裏庭、アメリカにとってのカナダみたいな地域を荒らされたりしようものなら心中穏やかではないでしょうし、だったら政変で混乱している最中に軍事基地もあって重要なクリミア半島を強引にでも取ろう、っていうか取らないとなめられるみたいにプーチン大統領は考えたのかもしれません。あくまで私個人の予想として。
また今回の状況を見てもロシアに取ってやや分がある状況のように思えます。米国はケリーが国務長官になってから外交方針がはっきりしなくなり、対日外交でもそうですがやや不安定になってきています。それにロシアに取って目前のEUこと欧州諸国も債務危機問題でお互いにギスギスし合っているし、米国とも共同歩調を歩めるほどの信頼関係が出来ていないように見えます。なので今後の予想を書けば米国はロシアに対してあれこれ文句を言うものの、欧州はどちらかと言えば併合を追認する方向で動いてくると思います。それを見越しているからこそロシアも即断即決で動いてきたのでしょうが。
最後に今回のクリミア併合がいいことなのか、悪いことなのかを考えると、少なくとも住民投票で九割以上のロシアとの併合を望むという結果が出てしまったことを考慮すれば、仮にロシア軍が撤退したとてもウクライナ政府はクリミアに対してその後どういう措置を取るか、まぁあまり甘い措置は取らないでしょう。それと、仮に欧米が何も干渉せずにこういう結果となるならともかく、連中も連中できな臭い干渉をしていた節があるだけに、そうした高度の結果が今回のロシアの行動と考えると有り得ない歴史ではないかなとも思えてきます。
どうでもいいけど、ロシアのことばっか書いてたら映画「ポリスアカデミー」シリーズの第七作目である「モスクワ大作戦」をまた見たくなってきました。
最初に話しておくと私は中国を初め東欧やあさま山荘など旧共産圏がやけに 好きな人間ではありますが、東欧の政治事情については詳しくなくて素人も同然です。そんな素人としての意見を今日は勝手に並べていくわけですが、今回このクリミアを巡る問題が始まった時に真っ先に思い浮かんだのは、北京の留学中にクラスメートだったウクライナ人です。
こういってはなんですが非常に悪い奴で、北京で禁止されているのに、バイク乗り回してたのですがなんと自国でもバイク免許を持っていないという、国境を越えた無免許運転をやらかしてました。ほかにも別のクラスメートの誕生日会の最中に仲良くしているドイツ人の顔目がけてケーキを思い切りぶん投げたり、授業で空いた時間に映画を見ようかって話になったら、「ポルノビデオ見ようぜ!」って言って先生から止められると、「でもこのドイツ人が見たがっているんだ」って勝手な嘘をつくなど、まぁおもしろい奴でした。
そんなウクライナ人のクラスメートは日本人であることから割と自分に興味を持ってくれて何度かウォッカとかを飲みに出かけたりもしたのですが、確か授業中に国際外交の話が出た時に何かの拍子で、「ウクライナとロシアは兄弟だ!」って大きな声で言っていました。それ以前からウクライナとロシアは歴史的にも関係の深い国だとは思っていましたが、こんなふざけた奴でも強くアピールするほどお互い意識し合っているのかと妙に感じ入ったのを今でもよく覚えています。
その一方で、確か当時のウクライナはロシアとの距離を置いたユーシェンコ大統領の政権で、政府は反ロシアでもこうしてロシアとの密接さを強く訴えるウクライナ人もいる当たり、一枚岩ではないのかなとも考えました。今回のウクライナの問題を見ているとあながちその見方ではずれではなかったようで、それこそこのふざけたウクライナ人のクラスメートはクリミア出身だったのかもしれません。
話は戻りますが今回のクリミア併合、実にスピードの速い政治決断だったでしょう。ウクライナで政変が起こったのはソチ冬季五輪の最中でしたが、さすがに五輪開催中はロシアも遠慮して動きはほとんど見せませんでしたが、五輪が終わった後の決断速度は桁違いな速さで米国やEUなんて経済制裁こそ実行に踏み切りましたが、まともな対策が打てない間にしてやられてしまったように見えます。
一体何故ロシア、というよりプーチン大統領はこれほど素早く対応し、決断したのでしょうか。本当に勝手な予想を上げると、冬季五輪で表立って動けない最中に欧米があれこれウクライナの政治勢力に干渉して政変を起こさせたことに相当腹が立っていたのが原因じゃないかと思います。欧米の勢力がウクライナで新露派政権に対抗する勢力を実際に支援したかどうかはまだはっきりしませんが、私個人の考えとしては先ほどのウクライナ人のクラスメートの様に親ロシアを訴える層が確実にいるであろうことを考えると、やっぱ何かの後ろ盾がないとあんな風に大統領を追い出せなかっただろうなと思うとやっぱりちょっかいかけてたように思えます。
そのまま欧米がウクライナにちょっかいをかけていたこと前提で話を進めると、ソチ五輪という鬼の居ぬ間に好き放題やられて、なおかつロシアに取って裏庭、アメリカにとってのカナダみたいな地域を荒らされたりしようものなら心中穏やかではないでしょうし、だったら政変で混乱している最中に軍事基地もあって重要なクリミア半島を強引にでも取ろう、っていうか取らないとなめられるみたいにプーチン大統領は考えたのかもしれません。あくまで私個人の予想として。
また今回の状況を見てもロシアに取ってやや分がある状況のように思えます。米国はケリーが国務長官になってから外交方針がはっきりしなくなり、対日外交でもそうですがやや不安定になってきています。それにロシアに取って目前のEUこと欧州諸国も債務危機問題でお互いにギスギスし合っているし、米国とも共同歩調を歩めるほどの信頼関係が出来ていないように見えます。なので今後の予想を書けば米国はロシアに対してあれこれ文句を言うものの、欧州はどちらかと言えば併合を追認する方向で動いてくると思います。それを見越しているからこそロシアも即断即決で動いてきたのでしょうが。
最後に今回のクリミア併合がいいことなのか、悪いことなのかを考えると、少なくとも住民投票で九割以上のロシアとの併合を望むという結果が出てしまったことを考慮すれば、仮にロシア軍が撤退したとてもウクライナ政府はクリミアに対してその後どういう措置を取るか、まぁあまり甘い措置は取らないでしょう。それと、仮に欧米が何も干渉せずにこういう結果となるならともかく、連中も連中できな臭い干渉をしていた節があるだけに、そうした高度の結果が今回のロシアの行動と考えると有り得ない歴史ではないかなとも思えてきます。
どうでもいいけど、ロシアのことばっか書いてたら映画「ポリスアカデミー」シリーズの第七作目である「モスクワ大作戦」をまた見たくなってきました。
2014年3月16日日曜日
超然主義の再考
先々週に一週間以内に書くと言いながらまたずいぶんと伸び伸びになってしまいましたが、日露戦争、並びにポーツマス条約前後で日本がどう変わったかについて一筆書きます。結論から書くと、日露戦争によって日本の国民が慢心を持ったことから他国を侮るようになり、その慢心が後の太平洋戦争への無謀な参戦へとつながったと考えております。
まず歴史的事実から簡単に整理しますが、日本は前年に開戦したロシアとの日露戦争で勝利し、1905年にロシアとの間でポーツマス条約を結び戦争を終結します。この日露戦争は海外の目から見ても日本の勝利と位置付けられておりますがその内実は辛勝も辛勝で、当時の日本は既に戦争継続能力が尽きており、仮にポーツマス条約がまとまらなければ戦況がひっくり返ることも十分あり得たでしょう。また歴史の授業では旅順攻略、日本海海戦の勝利によってさも自然とポーツマス条約がまとまったかのように書かれておりますが実際の交渉は非常に難航しており、交渉期限ギリギリにおいても日本側は交渉決裂を覚悟していたとも伝えられます。もっとも確か合意の一日前かに、ロシア側の「樺太の南半分は妥協してもいい」という電信を傍受したことによって、一気に合意へと進んだとされてます。
このように日露戦争は薄氷の勝利と言ってもいいもので勝利したことは確かに誇れるものの、まだ日本は欧米列強の一員完全に肩を並べたとは言えないような状態にありました。この事実に対し当時の日本政府のリーダーたちは理解していた節があり、だからこそポーツマス条約においても賠償金なしという条件を飲みました。ただ日本の国民はどうだったのかというと逆で、これだけロシアに勝っているにもかかわらず条約交渉で及び腰過ぎたと、むしろ日本政府を批判する声の方が大きかったようです。
その結果起きたのが日比谷焼打ち事件で、これは明治以降に都市部で起きた大規模暴動としてはもっとも最初の事件なのですが、政府の条約交渉に不満を持った民衆が日比谷公園に集まった後に官邸や交番が襲撃され、死者17名負傷者500名以上にも上った事件です。明治政府に対する批判や反対行動はこれ以前からもなかったわけではありませんが、政治活動家や団体ではなく一般大衆が政府に対する不満から起こされた最初の事件としてみるならば非常に意義深い事件と言えます。
この日比谷焼打ち事件が起こった背景として、日本におけるジャーナリズム、デモクラシーの勃興があります。既に当時の日本では制限選挙ではありませんが国会も開設されており、それに伴って大都市を中心に新聞社もあちこちにできて一般大衆も一連の政治の動きを追うことが出来る時代になっていました。
ただ当時、と言っても今もそういう面がなくなったわけではありませんが、どの新聞社も部数を伸ばすために読者受けのいい記事を載せる一方、反感を買うような記事は敢えて排除する傾向がありました。 特に日露戦争中は文字通り「煽る」記事が多く出回り、日本政府が戦争への支持をつなぎとめるために戦果を過大に宣伝していたこともありますがどの新聞も日本がさも圧勝しているかのように報じ、条約交渉中も多くの割譲領土ならびに大量の賠償金が得られてさも当然かの様な予想記事が並び、国民もそれを見て過大な期待を抱いたと言われます。
にもかかわらず実際の交渉結果は賠償金が得られないどころか日本が支配権を得た領土も期待より少なく、八万人以上も戦死者を出した一般国民としては非常に不満を覚える内容だったのでしょう。また国民を煽っていた新聞社も条約内容は手ぬるいとして政府を激しく批判して煽り、徳富蘇峰が主宰していた国民新聞が唯一、条約交渉の結果について政府を支持したら猛批判を浴び、日比谷焼打ち事件の際に国民新聞の社屋には五千人が集まり襲撃される事態を招いています。それにしても五千人って、黒田官兵衛もびっくりだ。
言ってしまえば当時の日本のジャーナリズムは未熟で、実態をよく把握せずに部数獲得という俗物的な目的から国民を煽り、余計な暴動を引き起こしてしまったと考えることも出来ます。こうした傾向は大正時代以降も続き、昭和に至って極大化して太平洋戦争へと国民を駆り立てる大きな要因になったと断言してもいいでしょう。こうした歴史の流れを改めて振り返るにつけ、もしかしたら超然主義というのは正しかったのかもなと最近思うようになってきました。
超然主義とは明治初期に維新の元勲内閣が主張した政治姿勢で、平たく言えば「民意を無視して自分たちが考える政策を推し進める」というような姿勢です。この超然主義の代表格とも呼べるのが山縣有朋が首相、または桂太郎など彼の腹心が首相だった内閣で、本当に清々しいほど民意を無視しまくって政策を進めていたので現代における山縣の評価は高いとは言えません。
私は以前の記事で山縣有朋と伊藤博文を主役に置いた小説を書いてみたいと書きましたが、折々に両者の人生とその時代背景を探っていくと、この日露戦争後を初めあの明治という時代において、日本はまだ民主主義をやっていくには早かったのではないかという考えがどんどん強まっていきました。もっともそれを言えばほかの欧米列強に関しても同様ですが。
そのような時代にあって民意を無視して推し進める姿勢、もちろん露骨な選挙干渉とか勧誘物の払い下げといった汚職(山縣は汚職政治家の第一号)も黙認できるわけじゃありませんが、あの時代にあってはそうした超然主義の方が正しかったのかもという考えが強まってきていました。原敬に至っては民意を無視してたら暗殺までされたけど。
翻って現代を見てみると、果たしてどうなのかって話に発展してきます。私は常日頃から民意にだけ従う政治家や政党は間違っているし、また国民を「煽る」新聞も論外だと主張してますが、特定機密保護法案やSTAP細胞に関する初期の報道などを見ている果たして今、必要なレベルに日本は達しているのかななんて思ってしまいます。
少し脱線しましたが話を戻すと、山縣に対する否定的な評価要因は裏返してみると太平洋戦争の遠因にもなりかねず、時代背景を考えると超然主義は今言われているほど否定的に見るべきではないのではというのが私の意見です。それにしても超然主義を支持するなんて、自分も中国共産党に感化されてきたかななんていう気もしてきます。
まず歴史的事実から簡単に整理しますが、日本は前年に開戦したロシアとの日露戦争で勝利し、1905年にロシアとの間でポーツマス条約を結び戦争を終結します。この日露戦争は海外の目から見ても日本の勝利と位置付けられておりますがその内実は辛勝も辛勝で、当時の日本は既に戦争継続能力が尽きており、仮にポーツマス条約がまとまらなければ戦況がひっくり返ることも十分あり得たでしょう。また歴史の授業では旅順攻略、日本海海戦の勝利によってさも自然とポーツマス条約がまとまったかのように書かれておりますが実際の交渉は非常に難航しており、交渉期限ギリギリにおいても日本側は交渉決裂を覚悟していたとも伝えられます。もっとも確か合意の一日前かに、ロシア側の「樺太の南半分は妥協してもいい」という電信を傍受したことによって、一気に合意へと進んだとされてます。
このように日露戦争は薄氷の勝利と言ってもいいもので勝利したことは確かに誇れるものの、まだ日本は欧米列強の一員完全に肩を並べたとは言えないような状態にありました。この事実に対し当時の日本政府のリーダーたちは理解していた節があり、だからこそポーツマス条約においても賠償金なしという条件を飲みました。ただ日本の国民はどうだったのかというと逆で、これだけロシアに勝っているにもかかわらず条約交渉で及び腰過ぎたと、むしろ日本政府を批判する声の方が大きかったようです。
その結果起きたのが日比谷焼打ち事件で、これは明治以降に都市部で起きた大規模暴動としてはもっとも最初の事件なのですが、政府の条約交渉に不満を持った民衆が日比谷公園に集まった後に官邸や交番が襲撃され、死者17名負傷者500名以上にも上った事件です。明治政府に対する批判や反対行動はこれ以前からもなかったわけではありませんが、政治活動家や団体ではなく一般大衆が政府に対する不満から起こされた最初の事件としてみるならば非常に意義深い事件と言えます。
この日比谷焼打ち事件が起こった背景として、日本におけるジャーナリズム、デモクラシーの勃興があります。既に当時の日本では制限選挙ではありませんが国会も開設されており、それに伴って大都市を中心に新聞社もあちこちにできて一般大衆も一連の政治の動きを追うことが出来る時代になっていました。
ただ当時、と言っても今もそういう面がなくなったわけではありませんが、どの新聞社も部数を伸ばすために読者受けのいい記事を載せる一方、反感を買うような記事は敢えて排除する傾向がありました。 特に日露戦争中は文字通り「煽る」記事が多く出回り、日本政府が戦争への支持をつなぎとめるために戦果を過大に宣伝していたこともありますがどの新聞も日本がさも圧勝しているかのように報じ、条約交渉中も多くの割譲領土ならびに大量の賠償金が得られてさも当然かの様な予想記事が並び、国民もそれを見て過大な期待を抱いたと言われます。
にもかかわらず実際の交渉結果は賠償金が得られないどころか日本が支配権を得た領土も期待より少なく、八万人以上も戦死者を出した一般国民としては非常に不満を覚える内容だったのでしょう。また国民を煽っていた新聞社も条約内容は手ぬるいとして政府を激しく批判して煽り、徳富蘇峰が主宰していた国民新聞が唯一、条約交渉の結果について政府を支持したら猛批判を浴び、日比谷焼打ち事件の際に国民新聞の社屋には五千人が集まり襲撃される事態を招いています。それにしても五千人って、黒田官兵衛もびっくりだ。
言ってしまえば当時の日本のジャーナリズムは未熟で、実態をよく把握せずに部数獲得という俗物的な目的から国民を煽り、余計な暴動を引き起こしてしまったと考えることも出来ます。こうした傾向は大正時代以降も続き、昭和に至って極大化して太平洋戦争へと国民を駆り立てる大きな要因になったと断言してもいいでしょう。こうした歴史の流れを改めて振り返るにつけ、もしかしたら超然主義というのは正しかったのかもなと最近思うようになってきました。
超然主義とは明治初期に維新の元勲内閣が主張した政治姿勢で、平たく言えば「民意を無視して自分たちが考える政策を推し進める」というような姿勢です。この超然主義の代表格とも呼べるのが山縣有朋が首相、または桂太郎など彼の腹心が首相だった内閣で、本当に清々しいほど民意を無視しまくって政策を進めていたので現代における山縣の評価は高いとは言えません。
私は以前の記事で山縣有朋と伊藤博文を主役に置いた小説を書いてみたいと書きましたが、折々に両者の人生とその時代背景を探っていくと、この日露戦争後を初めあの明治という時代において、日本はまだ民主主義をやっていくには早かったのではないかという考えがどんどん強まっていきました。もっともそれを言えばほかの欧米列強に関しても同様ですが。
そのような時代にあって民意を無視して推し進める姿勢、もちろん露骨な選挙干渉とか勧誘物の払い下げといった汚職(山縣は汚職政治家の第一号)も黙認できるわけじゃありませんが、あの時代にあってはそうした超然主義の方が正しかったのかもという考えが強まってきていました。原敬に至っては民意を無視してたら暗殺までされたけど。
翻って現代を見てみると、果たしてどうなのかって話に発展してきます。私は常日頃から民意にだけ従う政治家や政党は間違っているし、また国民を「煽る」新聞も論外だと主張してますが、特定機密保護法案やSTAP細胞に関する初期の報道などを見ている果たして今、必要なレベルに日本は達しているのかななんて思ってしまいます。
少し脱線しましたが話を戻すと、山縣に対する否定的な評価要因は裏返してみると太平洋戦争の遠因にもなりかねず、時代背景を考えると超然主義は今言われているほど否定的に見るべきではないのではというのが私の意見です。それにしても超然主義を支持するなんて、自分も中国共産党に感化されてきたかななんていう気もしてきます。
2014年3月14日金曜日
産経新聞の自虐ネタ
なんか朝日新聞の「天声人語」が意味不明な文章だとして盛り上がっているとジェイキャストなどが報じておりますが、その陰に隠れて今日の産経新聞の社説にクスリと来ました。その産経の社説というのも、下の記事です。
・これも右傾化? 3月14日(産経新聞)
この社説ではアンネの日記が都内各所で破られている騒動に触れて、なんかこの事件も日本の右傾化を表しているという中国や韓国からの批判は的外れだということを書いているのですが、その末尾にて、
「ちなみに、『右』寄りの小欄は子供のころ、『アンネの日記』を読んで涙し、今も大虐殺を経験したユダヤの人たちに、深い同情を寄せている。」
うん、「右寄り」ってやっぱ自覚してるんだねと、その潔さになんかクスリと来たわけです。自分だけかな、こういうのがツボに来るのって。
・これも右傾化? 3月14日(産経新聞)
この社説ではアンネの日記が都内各所で破られている騒動に触れて、なんかこの事件も日本の右傾化を表しているという中国や韓国からの批判は的外れだということを書いているのですが、その末尾にて、
「ちなみに、『右』寄りの小欄は子供のころ、『アンネの日記』を読んで涙し、今も大虐殺を経験したユダヤの人たちに、深い同情を寄せている。」
うん、「右寄り」ってやっぱ自覚してるんだねと、その潔さになんかクスリと来たわけです。自分だけかな、こういうのがツボに来るのって。
理研の会見、そしてSTAP細胞捏造疑惑について
先日にも同じテーマで記事を書いておりますが個人的に甚だしく憤りを覚える内容であり、今まで黙っていた理研が妙な会見を開いたので続きを書くことにします。結論から述べると、理研の杜撰な対応もさることながら未だ言い訳に終始する小保方氏についてはもう二度と研究なんてしてもらいたくないというのが本音です。
どっから整理したらいいか非常に迷うところですが、最初は無難に今回の騒動の発端と指摘されている問題点をまとめます。
まず発端となったのは今年初め、理研に所属する研究員の小保方氏がIPS細胞と同じような万能性を持ちながら簡単に作成できるSTAP細胞の存在を示す論文を、世界的に権威のある科学雑誌「ネイチャー」で発表したことからでした。発表当初は画期的な発見だとして大きく注目されたものの、私の記憶では発表から二週間後くらいにはもう論文に使用された画像に流用があるなどと問題点が指摘されました。問題点は画像にとどまらず一部文章も他の論文から引用の示しなくコピペした形跡も見られましたがこれらの指摘に対し小保方氏が所属する理研をはじめ共同執筆者らは、これらは執筆上の軽微なミスであり、論文の核心部分であるSTAP細胞の存在証明は揺るがないとの反論を展開しておりました。
しかし論文のミスに関する指摘は止まらなかったどころかほかのどの研究機関も再現実験に失敗し、研究そのものが捏造ではないかとの声まで上がり始めたところ、今週に入っては核心部に当たる細胞分化を示す画像に、三年前に提出された小保方氏の博士論文の画像が流用されているという指摘まで出てきました。この指摘によって一気に風向きが変わった気がするのですが、共同執筆者も小保方氏に論文の撤回を促すなどして報道も一気に加速し、ついには画像の流用元である三年前の博士論文も全体の五分の二程度のページが他の論文を丸々コピペしていたと指摘される始末で、こんだけ芋蔓状に疑惑が次々と出てきたのは私の中では「疑惑のデパート」こと鈴木宗男氏以来です。まぁ私は鈴木宗男氏のことを嫌ってはいませんが。
こうした数々の不正の指摘を受けて今日ようやく理研が会見を行い、張本人である小保方氏はやはりというか出てきませんでしたが上記の問題点について一通りの回答を行いました。最近中身だしを付けるのがマイブームなので各ポイント別に私が報道で知った内容を下記にまとめます。
1、文章のコピペについて
理研は指摘されている文章のコピペに関しては相似性から言ってそうやったとしか思えないと認めた上で、そのコピペした箇所について小保方氏は、「自分で書いた」と述べていることを明かしました。ただ会見映像を見ていて疑問に感じた点としてその後、同じく小保方氏の証言として「どこから取ってきたのか覚えていない」と言ったことも明かしていて、なんで自分で書いたと言っている傍からどこから取ってきたのかという話になるのか不思議に感じました。まるでコピペしたけど自分で書いたってことにしているような言いぐさです。
2、画像の加工・流用について
こちらも理研側は指摘をほぼ認めており、過去の博士論文からの流用については小保方氏が認めたかどうかはっきりと言及しなかったものの、加工の痕跡が見られた画像に関しては「やってはいけない行為だとは思わなかった」と述べたことを明かし、加工したことを本人も認めていてこれは問題の合うる行為だったと断じております。流用した画像に関しても理研は博士論文に使われた画像と同一であるとしか思えないと説明したものの、悪意があって流用したのかどうかに関しては現在調査中であるなどとお茶を濁したまとめ方をしています。このほか研究全体において不適切な行為があったかどうか、これらの結論も調査中として先送りしています。
3、検証対応が遅れた理由について
こちらに関しては指摘通りに対応が遅れたことをほぼ認めた上で、当初は外部からの指摘に関して楽観視して研究結果は揺るぎないものと考えていたと述べました。なおこの時に回答した理事の方が発言している途中、「研究内容に自信を持っていた、と言ってもいいでしょうか?」と隣にいる、ノーベル賞受賞者でもある野依良治理事長に尋ねるシーンがありましたが、野依氏は一瞥もせず厳しい顔を保ち続けていたので結局その理事の方はその通り話しました。私個人の印象ですが、やっぱり今回の一件で野依氏としては相当腹に据えかねているような表情に見えました。
4、小保方氏の現況
多分一番気になる点はみんなここだと思うのですが、具体的には「内外からの声に非常に憔悴している」という一言だけでしたが、テレビニュースで見た映像の中に気になる別の一言がありました。それは執筆者たちは論文の撤回を決めたのかという質問に対する回答なのですがそれについてある理事が、「論文を撤回してもいいか尋ねたところ、(小保方氏は)言葉を出さず頷いたのでそういう意思があると判断しました」と述べるシーンがあり、勝手な予想ですが小保方氏は数々の疑惑に対して回答できない状態というか、ノックアウト状態でまともに会話できない状態にあるのかもしれません。こういってはなんですが会見に出てこない上に理研の対応が歯切れ悪く遅いことを考えると、本人への事情聴取が出来ない状態だと考えるのが自然に思えるため仮にそうだとしても不思議に感じません。それを考慮した上でなお言いますが、自分でしでかしたことなのだから甘ったれないでちゃんと自分自身でケリつけろ、なんて言いたいです。
5、STAP細胞は捏造か、そうでないか
核心も核心も大核心な部分ですが、ここについては現在調査中だとして明言を避けました。早く決めた方がダメージも少ない気がしますが。
今日の理研の会見についてまとめを書くと、いくつかの疑惑に対して理研としても不正を疑うと認めたことと、そしてその原因が未熟な研究者の経験不足と研究倫理意識の欠如にあると断じたことはまだ評価します。しかし問題点が指摘されだして既に一ヶ月近く経っているにもかかわらずこの程度の内容しか発表できないというのは身内に甘い組織だと言われても仕方ない、というより如何にも日本らしい組織だなと私としては呆れてきます。
既に事態は捏造ではないかと検証する段階ではなく、捏造ではないということを証明する段階にあります。言い換えるなら、前者は問題点や矛盾点を証明する段階で、後者は指摘されている疑惑に対して研究が真実であると証明しなければいけない段階にあるように思えるだけに、今回の会見は消化不良と思える内容でした。さらに強く言わせてもらうと、論文の提出前チェックもしっかりできないような未熟な組織であるならばもうこの際とっとと解体した方がいいように思えます。
最後にどうして私がこの問題で本気で怒っているのかというと、仮にというかそうとしか思えませんが、STAP細胞の研究が捏造だとしたら日本の万能細胞研究に大きく水を差しかねないように思えるからです。言うまでもなく万能細胞研究において日本は山中教授のIPS細胞の研究によって最先端をひた走っており、文字通り世界をリードしております。そんな最中にこんな大々的、世界的に捏造騒動が起こってしまえば、山中教授の業績が揺らぐことはないものの、少なからず日本の研究に疑念の目が持たれるのも仕方ありません。
折角大勢の人間が頑張って発展させようとしている重要な研究に、突然割って入って信頼を損なうような行為をするなんて人として最低な行為の一つとしか私には思えません。それでなくても小保方氏は博士論文でも盗用の疑いが出ており、こんな問題の多い人間が真面目にやっている人の足を引っ張ろうかとしていると考えるとむかっ腹が立ってしょうがなく、関係者たちにはより誠意ある対応を取ってもらいたいという主張を述べて筆をまとめます。
どっから整理したらいいか非常に迷うところですが、最初は無難に今回の騒動の発端と指摘されている問題点をまとめます。
まず発端となったのは今年初め、理研に所属する研究員の小保方氏がIPS細胞と同じような万能性を持ちながら簡単に作成できるSTAP細胞の存在を示す論文を、世界的に権威のある科学雑誌「ネイチャー」で発表したことからでした。発表当初は画期的な発見だとして大きく注目されたものの、私の記憶では発表から二週間後くらいにはもう論文に使用された画像に流用があるなどと問題点が指摘されました。問題点は画像にとどまらず一部文章も他の論文から引用の示しなくコピペした形跡も見られましたがこれらの指摘に対し小保方氏が所属する理研をはじめ共同執筆者らは、これらは執筆上の軽微なミスであり、論文の核心部分であるSTAP細胞の存在証明は揺るがないとの反論を展開しておりました。
しかし論文のミスに関する指摘は止まらなかったどころかほかのどの研究機関も再現実験に失敗し、研究そのものが捏造ではないかとの声まで上がり始めたところ、今週に入っては核心部に当たる細胞分化を示す画像に、三年前に提出された小保方氏の博士論文の画像が流用されているという指摘まで出てきました。この指摘によって一気に風向きが変わった気がするのですが、共同執筆者も小保方氏に論文の撤回を促すなどして報道も一気に加速し、ついには画像の流用元である三年前の博士論文も全体の五分の二程度のページが他の論文を丸々コピペしていたと指摘される始末で、こんだけ芋蔓状に疑惑が次々と出てきたのは私の中では「疑惑のデパート」こと鈴木宗男氏以来です。まぁ私は鈴木宗男氏のことを嫌ってはいませんが。
こうした数々の不正の指摘を受けて今日ようやく理研が会見を行い、張本人である小保方氏はやはりというか出てきませんでしたが上記の問題点について一通りの回答を行いました。最近中身だしを付けるのがマイブームなので各ポイント別に私が報道で知った内容を下記にまとめます。
1、文章のコピペについて
理研は指摘されている文章のコピペに関しては相似性から言ってそうやったとしか思えないと認めた上で、そのコピペした箇所について小保方氏は、「自分で書いた」と述べていることを明かしました。ただ会見映像を見ていて疑問に感じた点としてその後、同じく小保方氏の証言として「どこから取ってきたのか覚えていない」と言ったことも明かしていて、なんで自分で書いたと言っている傍からどこから取ってきたのかという話になるのか不思議に感じました。まるでコピペしたけど自分で書いたってことにしているような言いぐさです。
2、画像の加工・流用について
こちらも理研側は指摘をほぼ認めており、過去の博士論文からの流用については小保方氏が認めたかどうかはっきりと言及しなかったものの、加工の痕跡が見られた画像に関しては「やってはいけない行為だとは思わなかった」と述べたことを明かし、加工したことを本人も認めていてこれは問題の合うる行為だったと断じております。流用した画像に関しても理研は博士論文に使われた画像と同一であるとしか思えないと説明したものの、悪意があって流用したのかどうかに関しては現在調査中であるなどとお茶を濁したまとめ方をしています。このほか研究全体において不適切な行為があったかどうか、これらの結論も調査中として先送りしています。
3、検証対応が遅れた理由について
こちらに関しては指摘通りに対応が遅れたことをほぼ認めた上で、当初は外部からの指摘に関して楽観視して研究結果は揺るぎないものと考えていたと述べました。なおこの時に回答した理事の方が発言している途中、「研究内容に自信を持っていた、と言ってもいいでしょうか?」と隣にいる、ノーベル賞受賞者でもある野依良治理事長に尋ねるシーンがありましたが、野依氏は一瞥もせず厳しい顔を保ち続けていたので結局その理事の方はその通り話しました。私個人の印象ですが、やっぱり今回の一件で野依氏としては相当腹に据えかねているような表情に見えました。
4、小保方氏の現況
多分一番気になる点はみんなここだと思うのですが、具体的には「内外からの声に非常に憔悴している」という一言だけでしたが、テレビニュースで見た映像の中に気になる別の一言がありました。それは執筆者たちは論文の撤回を決めたのかという質問に対する回答なのですがそれについてある理事が、「論文を撤回してもいいか尋ねたところ、(小保方氏は)言葉を出さず頷いたのでそういう意思があると判断しました」と述べるシーンがあり、勝手な予想ですが小保方氏は数々の疑惑に対して回答できない状態というか、ノックアウト状態でまともに会話できない状態にあるのかもしれません。こういってはなんですが会見に出てこない上に理研の対応が歯切れ悪く遅いことを考えると、本人への事情聴取が出来ない状態だと考えるのが自然に思えるため仮にそうだとしても不思議に感じません。それを考慮した上でなお言いますが、自分でしでかしたことなのだから甘ったれないでちゃんと自分自身でケリつけろ、なんて言いたいです。
5、STAP細胞は捏造か、そうでないか
核心も核心も大核心な部分ですが、ここについては現在調査中だとして明言を避けました。早く決めた方がダメージも少ない気がしますが。
今日の理研の会見についてまとめを書くと、いくつかの疑惑に対して理研としても不正を疑うと認めたことと、そしてその原因が未熟な研究者の経験不足と研究倫理意識の欠如にあると断じたことはまだ評価します。しかし問題点が指摘されだして既に一ヶ月近く経っているにもかかわらずこの程度の内容しか発表できないというのは身内に甘い組織だと言われても仕方ない、というより如何にも日本らしい組織だなと私としては呆れてきます。
既に事態は捏造ではないかと検証する段階ではなく、捏造ではないということを証明する段階にあります。言い換えるなら、前者は問題点や矛盾点を証明する段階で、後者は指摘されている疑惑に対して研究が真実であると証明しなければいけない段階にあるように思えるだけに、今回の会見は消化不良と思える内容でした。さらに強く言わせてもらうと、論文の提出前チェックもしっかりできないような未熟な組織であるならばもうこの際とっとと解体した方がいいように思えます。
最後にどうして私がこの問題で本気で怒っているのかというと、仮にというかそうとしか思えませんが、STAP細胞の研究が捏造だとしたら日本の万能細胞研究に大きく水を差しかねないように思えるからです。言うまでもなく万能細胞研究において日本は山中教授のIPS細胞の研究によって最先端をひた走っており、文字通り世界をリードしております。そんな最中にこんな大々的、世界的に捏造騒動が起こってしまえば、山中教授の業績が揺らぐことはないものの、少なからず日本の研究に疑念の目が持たれるのも仕方ありません。
折角大勢の人間が頑張って発展させようとしている重要な研究に、突然割って入って信頼を損なうような行為をするなんて人として最低な行為の一つとしか私には思えません。それでなくても小保方氏は博士論文でも盗用の疑いが出ており、こんな問題の多い人間が真面目にやっている人の足を引っ張ろうかとしていると考えるとむかっ腹が立ってしょうがなく、関係者たちにはより誠意ある対応を取ってもらいたいという主張を述べて筆をまとめます。
2014年3月12日水曜日
人を見る目があるゲームクリエイター
もはや定番となっていますがほんとどうでもいいこととして、マレーシア航空の消息不明となった機体は今も残骸すら見つかっておりませんが今日社内で、「中国軍が撃ち落したんじゃねぇの?」って言う人がいました。もちろん冗談なのはみんなわかってますし目くじら立てるほどのことではありませんがこれの返しとして私は、「イギリスなら今頃UFOのせいにしてますよ」と答えました。多少不謹慎であることは百も承知ですが、ちょっとはこういうユーモアもいるんじゃないかなと思ったわけです。
話は本題に入りますが、まだ疲労が残っているのか左耳が中耳炎の様になんか痛いです。なので今日はブログサボって企業居点の作業(登録拠点数が8000件突破!)だけやってようかとも思いましたが、ネタが有り余っているのとちょっと気分転換にくだらないネタを書きたいと思い、やっぱ書くことにしました。
そんな長い前置きをした上で何を書きたいのかというと、このところの日本は政界はもとい財界や官界、芸能界などにおいても際立つ人物が新たに出てくることがほとんどありません。特に芸能界は深刻で、お笑いBIG3(タモリ、北野たけし、明石家さんま)の後に続く大物司会者が出てこないまま20年近く経っており、明石家さんま氏が既に匂わせているように60歳で引退したら吉本とかどうなるんだろうと他人事ながら気になります。
一体何故日本はこのところ人材不足なのか。結論から述べると人材が不足しているというより才能を持つ人材を見つける、引き上げるような伯楽の不足の方が深刻である気がします。プロ野球界とかならスカウトなど人を見る専門職もおりまだそういう事はありませんが、政界や財界(企業)においては「よりによってどうしてこんな奴を……」と思う人材を支援したり、採用して来たりするから救いがありません。学界でも最近、論文で大量にコピペしてた人に博士号あげるくらいだしな。
では具体的に伯楽はいるのか、いるとしたらどんな人かって話ですが、私が思うあたり一人、確実に伯楽というか人を見る目がすごいと思う人物がいます。もったいぶらずに言うとその人の名は岡本吉起氏といって、ゲーム会社大手のカプコンの元役員で、独立した後はあまり芳しい業績を残していないもののアクの強いキャラで有名な人です。岡本氏は創業まもないカプコンに入社して自ら開発に携わる一方で従業員の採用担当も行っていたのですが、この時に岡本氏が採用した人物らはどれも粒ぞろいだったというか、後のカプコンの躍進につながる人物が数多くみられます。
その中でもまず紹介したいのは船水紀孝氏で、この人は看板タイトルでもあるストリートファイターシリーズだけでなく任天堂の委託で作った「ゼルダの伝説 ふしぎの木の実」などでも開発を指揮しており、私も高く評価している人物です。この船水氏を採用したのは言うまでもなく岡本氏なのですが、その採用理由というのも岡本氏のキャッチボールの相手としてだったそうです。そんな基準で昔のカプコンは採用してたのかよと思いたくなるエピソードですが、結果的に優秀な人材をGETしているのでまあありかなと納得しちゃいます。なおこの船水氏、若い頃は創業まもないカプコンが発売した「ソンソン」というゲームで高得点を出すまで家に帰らせてもらえなかったというエピソードがあります。いじられっ子だったのかな。
この船水氏に関しては多少冗談も入っていますが、岡本氏が採用した人物の中で文句なしに超一流と呼べるのは安田朗氏でしょう。安田氏はデザイナー、イラストレーターとしてカプコンの中興に関わった人物で、代表作としてストリートファイターのキャラデザインがあり、ドット絵に仕上げることを前提としたデザイン設計という分野ではパイオニアに近い存在です。このほかカプコンの外でも活発な活動をしており、有名なのだと「∀ガンダム」のキャラデザインも行っててその独特な画風はさすがだとため息つかされます。
そんなすっごい安田氏ですが、若い頃はなんでも上京してまで入学したデザイン学校を中退(親に内緒で)した後、家の中でじーっとして動かないまま過ごしてたそうです。見かねた同居人に言われてカプコンの採用募集に応じたそうですがなんとその面接にはパジャマ姿で登場し、しかも「帰りの電車賃がないので今日採用してくれたら給料は日割りで欲しい」(Wikipediaより引用)と言ってのけたそうです。更にすごいのはそんな安田氏を見て、「すごい人が来た」と岡本氏は考えて速攻で採用を決断したという事実です。もちろん持ってきたイラストを見た上ですが。
こんな具合というのも変ですが、このように岡本氏はカプコンの中核となる人材を悉く採用しているだけに人を見る目は確かにあるなぁと感心させられます。さらにというか最近、また岡本氏の人物眼に関するエピソードを手に入れたのですが、百聞は一見にしかずというので下の画像をご覧ください。
これはなんかのインタビュー記事でしょうが、カプコンが昔発売した「鬼武者」というゲームでBGMを作曲した佐村河内(実際には新垣氏でしょうが)に対して持った印象を述べています。このインタビュー文で何がすごいかって言うと、「最初、佐村河内さんと会ったときの印象は『こいつ、相当ワルだぞ』って感じでした」と述べており、初見である意味本質を見抜いているっていう点です。変な話、岡本氏はゲーム作っているよりももっと人物批評とかしている方が向いてるんじゃないかな。
話は本題に入りますが、まだ疲労が残っているのか左耳が中耳炎の様になんか痛いです。なので今日はブログサボって企業居点の作業(登録拠点数が8000件突破!)だけやってようかとも思いましたが、ネタが有り余っているのとちょっと気分転換にくだらないネタを書きたいと思い、やっぱ書くことにしました。
そんな長い前置きをした上で何を書きたいのかというと、このところの日本は政界はもとい財界や官界、芸能界などにおいても際立つ人物が新たに出てくることがほとんどありません。特に芸能界は深刻で、お笑いBIG3(タモリ、北野たけし、明石家さんま)の後に続く大物司会者が出てこないまま20年近く経っており、明石家さんま氏が既に匂わせているように60歳で引退したら吉本とかどうなるんだろうと他人事ながら気になります。
一体何故日本はこのところ人材不足なのか。結論から述べると人材が不足しているというより才能を持つ人材を見つける、引き上げるような伯楽の不足の方が深刻である気がします。プロ野球界とかならスカウトなど人を見る専門職もおりまだそういう事はありませんが、政界や財界(企業)においては「よりによってどうしてこんな奴を……」と思う人材を支援したり、採用して来たりするから救いがありません。学界でも最近、論文で大量にコピペしてた人に博士号あげるくらいだしな。
では具体的に伯楽はいるのか、いるとしたらどんな人かって話ですが、私が思うあたり一人、確実に伯楽というか人を見る目がすごいと思う人物がいます。もったいぶらずに言うとその人の名は岡本吉起氏といって、ゲーム会社大手のカプコンの元役員で、独立した後はあまり芳しい業績を残していないもののアクの強いキャラで有名な人です。岡本氏は創業まもないカプコンに入社して自ら開発に携わる一方で従業員の採用担当も行っていたのですが、この時に岡本氏が採用した人物らはどれも粒ぞろいだったというか、後のカプコンの躍進につながる人物が数多くみられます。
その中でもまず紹介したいのは船水紀孝氏で、この人は看板タイトルでもあるストリートファイターシリーズだけでなく任天堂の委託で作った「ゼルダの伝説 ふしぎの木の実」などでも開発を指揮しており、私も高く評価している人物です。この船水氏を採用したのは言うまでもなく岡本氏なのですが、その採用理由というのも岡本氏のキャッチボールの相手としてだったそうです。そんな基準で昔のカプコンは採用してたのかよと思いたくなるエピソードですが、結果的に優秀な人材をGETしているのでまあありかなと納得しちゃいます。なおこの船水氏、若い頃は創業まもないカプコンが発売した「ソンソン」というゲームで高得点を出すまで家に帰らせてもらえなかったというエピソードがあります。いじられっ子だったのかな。
この船水氏に関しては多少冗談も入っていますが、岡本氏が採用した人物の中で文句なしに超一流と呼べるのは安田朗氏でしょう。安田氏はデザイナー、イラストレーターとしてカプコンの中興に関わった人物で、代表作としてストリートファイターのキャラデザインがあり、ドット絵に仕上げることを前提としたデザイン設計という分野ではパイオニアに近い存在です。このほかカプコンの外でも活発な活動をしており、有名なのだと「∀ガンダム」のキャラデザインも行っててその独特な画風はさすがだとため息つかされます。
そんなすっごい安田氏ですが、若い頃はなんでも上京してまで入学したデザイン学校を中退(親に内緒で)した後、家の中でじーっとして動かないまま過ごしてたそうです。見かねた同居人に言われてカプコンの採用募集に応じたそうですがなんとその面接にはパジャマ姿で登場し、しかも「帰りの電車賃がないので今日採用してくれたら給料は日割りで欲しい」(Wikipediaより引用)と言ってのけたそうです。更にすごいのはそんな安田氏を見て、「すごい人が来た」と岡本氏は考えて速攻で採用を決断したという事実です。もちろん持ってきたイラストを見た上ですが。
こんな具合というのも変ですが、このように岡本氏はカプコンの中核となる人材を悉く採用しているだけに人を見る目は確かにあるなぁと感心させられます。さらにというか最近、また岡本氏の人物眼に関するエピソードを手に入れたのですが、百聞は一見にしかずというので下の画像をご覧ください。
これはなんかのインタビュー記事でしょうが、カプコンが昔発売した「鬼武者」というゲームでBGMを作曲した佐村河内(実際には新垣氏でしょうが)に対して持った印象を述べています。このインタビュー文で何がすごいかって言うと、「最初、佐村河内さんと会ったときの印象は『こいつ、相当ワルだぞ』って感じでした」と述べており、初見である意味本質を見抜いているっていう点です。変な話、岡本氏はゲーム作っているよりももっと人物批評とかしている方が向いてるんじゃないかな。
2014年3月11日火曜日
STAP細胞論文の騒動について
今日は311ですが妙な空気に飲まれたくないのでマイペースに記事を書くことにします。ちなみに三年前の311の日に自分は杭州におり、バカみたいな働かせ方させられた会社を辞める日だったのでちょっとテンション上がってました。もっともその日の終業後、夕方に家を引き払ってそのまま上海に予約していたホテルへと移動したので結構慌ただしかったです。次の日には宝山路へ中古ノートPCも買いにいったし。なおその時買った東芝製ノートPCは友人にプライスレスであげましたが、その友人は従弟にプライスレスでまたあげたそうです。
話は本題に入りますが、今まで敢えて無視してきましたが万能細胞の一種であるSTAP細胞の論文に関する騒動が山場を迎えつつああります。論文の内容や使用されている画像、文章に関してこれまでにも数多くの指摘が挙がってきましたが、先週くらいから研究の核心部を示す、STAP細胞から作られた細胞の写真も以前に使われた写真が流用されているのではと報じられ始め、共同執筆者からも一旦論文を撤回するべきだなどという声まで上がってる状態です。
先ほど私もその問題となっている核心部の写真をテレビニュースで見ましたが、筆頭執筆者の小保方氏が三年前に提出した博士号論文に、骨髄から採取したものとして使用していた写真と似ているどころか全く同じで、正直な感想を述べると流用したとしか思えない写真でした。これまでも一部の写真が説明している内容の写真と異なっていると指摘された際には取り違えの事実を認めた上で単純なミスだったなどと執筆者側は主張していましたが、この核心部の写真に関しては、こういう研究の世界のルールについて知らないまでもあくまで素人としての考えですが、もはや取り違えなんてレベルでは済まないように思えるだけに現段階で私はこの研究に真実性を感じることが出来ません。
そもそも、この論文問題では当初から小保方氏、及び小保方氏が所属する理研の態度に一種の奇妙さが見えていました。その奇妙さというのも論文の不備に対する指摘にほぼ全くと言っていいほど反応がなく、むしろ共同執筆者のいるハーバード大学がこうした指摘に対して反論をする始末で、一体何故本来メインであるはずの小保方氏と理研が黙ったままなのか不思議を通り越してきな臭さを感じるほどでした。
そして昨日、山梨大学にいる共同執筆者が論文の一時撤回を口にしてようやくというか理研も会見を行い、プレスリリースでは検証を進めるが「論文撤回も視野に入れている」という文言がはっきり加えられています。皮肉な言い方をしますが、この状況から逆転ホームランはなかなか難しいように思えるし、さらに皮肉を続けると何故理研が一ヶ月間もこの問題にだんまりを決め込んでいたのかというと、案外結論は早くに分かっていてどう着地させるかという対応をこれまで練っていたんじゃないのと勘ぐっております。どっちにしろ、まだ小保方氏本人が表に出てこないというのも切り札として持ってるつもりなのか、あまり悠長なこと言ってる場合じゃないと思うのですがね。
厳しい言葉を続けますが、仮にこの論文の内容が捏造されたものであれば日本としても赤っ恥この上ない失態でしょう。それだけに疑惑がもたれるほど不備の多い論文を発表前に内部で精査できなかった理研の責任は重く、今後どっちに転ぼうが甘んじて批判を受け今後の改善に力を入れてもらいたいものです。
それにしても今年は佐村河内の事件といい捏造・詐称問題が年初から頻繁に上がってくるものだという気がします。それと今回のSTAP細胞はあの天下のネイチャーが載せたのだから日本のマスコミが何の疑いもなくフィーバーして報じたのはまだ仕方なかったと思いますが、個人的に「リケジョ」って言葉を多用したことは強い憤りを感じます。なんで一人で勝手に怒っているのかというと、仮にこの発見が男の研究者だったらここまで取り上げたのかっていうことと、女性だから大きく取り上げるというのは別な意味での女性差別なのではと思うのと、耳障りのする余計な日本語単語を作るなって理由などからです。それこそ、自分だったら「文系男子」だから「ブンダン」とか言うのかよってとこです。
話は本題に入りますが、今まで敢えて無視してきましたが万能細胞の一種であるSTAP細胞の論文に関する騒動が山場を迎えつつああります。論文の内容や使用されている画像、文章に関してこれまでにも数多くの指摘が挙がってきましたが、先週くらいから研究の核心部を示す、STAP細胞から作られた細胞の写真も以前に使われた写真が流用されているのではと報じられ始め、共同執筆者からも一旦論文を撤回するべきだなどという声まで上がってる状態です。
先ほど私もその問題となっている核心部の写真をテレビニュースで見ましたが、筆頭執筆者の小保方氏が三年前に提出した博士号論文に、骨髄から採取したものとして使用していた写真と似ているどころか全く同じで、正直な感想を述べると流用したとしか思えない写真でした。これまでも一部の写真が説明している内容の写真と異なっていると指摘された際には取り違えの事実を認めた上で単純なミスだったなどと執筆者側は主張していましたが、この核心部の写真に関しては、こういう研究の世界のルールについて知らないまでもあくまで素人としての考えですが、もはや取り違えなんてレベルでは済まないように思えるだけに現段階で私はこの研究に真実性を感じることが出来ません。
そもそも、この論文問題では当初から小保方氏、及び小保方氏が所属する理研の態度に一種の奇妙さが見えていました。その奇妙さというのも論文の不備に対する指摘にほぼ全くと言っていいほど反応がなく、むしろ共同執筆者のいるハーバード大学がこうした指摘に対して反論をする始末で、一体何故本来メインであるはずの小保方氏と理研が黙ったままなのか不思議を通り越してきな臭さを感じるほどでした。
そして昨日、山梨大学にいる共同執筆者が論文の一時撤回を口にしてようやくというか理研も会見を行い、プレスリリースでは検証を進めるが「論文撤回も視野に入れている」という文言がはっきり加えられています。皮肉な言い方をしますが、この状況から逆転ホームランはなかなか難しいように思えるし、さらに皮肉を続けると何故理研が一ヶ月間もこの問題にだんまりを決め込んでいたのかというと、案外結論は早くに分かっていてどう着地させるかという対応をこれまで練っていたんじゃないのと勘ぐっております。どっちにしろ、まだ小保方氏本人が表に出てこないというのも切り札として持ってるつもりなのか、あまり悠長なこと言ってる場合じゃないと思うのですがね。
厳しい言葉を続けますが、仮にこの論文の内容が捏造されたものであれば日本としても赤っ恥この上ない失態でしょう。それだけに疑惑がもたれるほど不備の多い論文を発表前に内部で精査できなかった理研の責任は重く、今後どっちに転ぼうが甘んじて批判を受け今後の改善に力を入れてもらいたいものです。
それにしても今年は佐村河内の事件といい捏造・詐称問題が年初から頻繁に上がってくるものだという気がします。それと今回のSTAP細胞はあの天下のネイチャーが載せたのだから日本のマスコミが何の疑いもなくフィーバーして報じたのはまだ仕方なかったと思いますが、個人的に「リケジョ」って言葉を多用したことは強い憤りを感じます。なんで一人で勝手に怒っているのかというと、仮にこの発見が男の研究者だったらここまで取り上げたのかっていうことと、女性だから大きく取り上げるというのは別な意味での女性差別なのではと思うのと、耳障りのする余計な日本語単語を作るなって理由などからです。それこそ、自分だったら「文系男子」だから「ブンダン」とか言うのかよってとこです。
2014年3月10日月曜日
「デスレス」の乙金まどかについて
日本全国そうでしょうが今夜はやけに冷えて指も動かしづらく、ブログを書くモチベーションもやや低めです。なのでどうでもいい話でもと思いつつ日露戦争後に日本人が勘違いしてしまったというむちゃくちゃ重いテーマを書こうとしましたが、やっぱり神経が持たないのでどうでもいい話をちょこっと書きます。
ついさきほど別の記事に頂いたコメントの返信文に、「驕る平家も」という文言を入れたのですが実はこのフレーズ、最近現実世界でも使うことが増えています。なんで増えているのかというと、「エクセル・サーガ」を代表作に持つ漫画家の六道紳士氏が現在、「デスレス」というまた別の漫画作品を書いているのですがこの中に出てくる「乙金まどか」というキャラクターがまさに最新刊で、「驕るがいいこの平家ども!いずれ壇ノ浦の空の下で……」なんていうセリフを述べていたのがやけに印象に残り、すっかり影響されてしまったのか無意識に自分も何故か使ってしまいます。
先に「デスレス」について簡単にあらすじを紹介すると、この作品は法学部に通う女子学生の主人公がひょんなことからヤクザに刺殺されたところ時間を巻き戻す能力のある妖怪に命を救われ、命を救った代わりに残りの寿命分の時間をいただくとばかりに食べられそうになったら逆にその妖怪を取り込んでしまい、その後もハプニングが続いていくという書いてて自分もなんだかよくわからなくなってくるようなストーリーです。
こういうドタバタ系のストーリーは今時珍しくとも何ともないでしょうが、六道氏は「エクセル・サーガ」の連載後半期から顕著になってきましたが頭身の高い女性キャラクターを描くのが非常に上手く、やややセクシーすぎるきらいもありますがそうした絵柄面で一般の萌えマンガと一線を画す出来となっています。なお「エクセル・サーガ」の連載初期に私が読んでて「何これ?」と思った点を今述べると、一話ごとにキャラクターが着る私服デザインが毎回変わっており、当時は今ほど絵が上手でなかったもののこの作者は独特なセンスがあると当時から見ていました。
話は戻りますがこの「デスレス」は当初こそ絵は一流でもストーリーは並の萌えマンガとみて高をくくっていましたが、連載が進むごとに段々伏線が貼られていって今現在だとストーリーも楽しめるようになってきました。またそれ以上にというか、元々六道氏の漫画キャラクターはどれもテンションが異様に高いキャラばかりで、セリフ回しも読んでてためらうような毒の強い物が多い(昔の作品で、「20世紀中盤にニューメキシコで実験が上手くいくよう陰で働いてやった」なんてセリフも)のですが、この「デスレス」でもみんなぶっ飛んでて、その中でも際立っているのが今日槍玉に挙げる「乙金まどか」というキャラです。
このキャラがどういう人物かというと、当初は主人公の敵役としての立場で登場してくるのですが、実際に絵を見てもらえばわかりますが顔のパーツは揃っていて美女として描かれているものの、どのシーンでも目の焦点が常に合っていないというか常に瞳孔が全開みたいな異様な風貌で、その風貌に負けず劣らず口から出るセリフも常軌を逸しているものばかりです。今覚えているのを片っ端から挙げると、
(夜中に電話に出て)「イエス、グッドミッドナイ!乙金、乙金でございます!」
(両人差し指をこめかみに当てながら)「来ました、電波が!」
(主人公宅に物乞いに来た際)「ところで私、お腹がすきましたわパ〇ラッシュ!」
「あんな~に一緒だったのに~!」(ガンダムSEEDのED曲の歌詞をそのまま引用している)
(両親指を地面に向けながら)「ざ~んね~んしょ~!」
文面では非常に伝え辛いのですが、どのセリフも瞳孔全開でかつ妙なポーズを取りながら発するので、見ていて有り得ないくらいにインパクトが強いです。っていうかこれだけインパクトを受けた漫画キャラクターは「餓狼伝」に出てくる「泣き虫サクラ」以来と言っても過言じゃありません。私はこの「デスレス」を今は漫画喫茶で読んでいる状態ですが、六道氏の漫画なだけに一冊当たりのセリフ量が多くてコンテンツ量が多いし、あとこの乙金まどかがやけに気に入ったのでもうこの際だから電子書籍で買っちゃおうかなと検討しております。
それにしてもというかこの記事を書くきっかけにもなっているのですが、この乙金まどかに関するレビューがネットを見ていてやや少ない気がしました。もうちょっとこの作品は評価されてもいいと思い、なら自分が書いちゃえとばかりに30分でサラリと仕上げた次第です。
おまけ
六道氏のキャラクターは女性キャラクターのセクシーさばかり注目されがちですが、「デスレス」を読んでて、「ごつい男キャラもいけるやん」とちょっと思いました。女の子ばっか書いてないでもうちょっとカッコいいおっさんキャラも増やしたらいいようなと一ファンとして思います。
ついさきほど別の記事に頂いたコメントの返信文に、「驕る平家も」という文言を入れたのですが実はこのフレーズ、最近現実世界でも使うことが増えています。なんで増えているのかというと、「エクセル・サーガ」を代表作に持つ漫画家の六道紳士氏が現在、「デスレス」というまた別の漫画作品を書いているのですがこの中に出てくる「乙金まどか」というキャラクターがまさに最新刊で、「驕るがいいこの平家ども!いずれ壇ノ浦の空の下で……」なんていうセリフを述べていたのがやけに印象に残り、すっかり影響されてしまったのか無意識に自分も何故か使ってしまいます。
先に「デスレス」について簡単にあらすじを紹介すると、この作品は法学部に通う女子学生の主人公がひょんなことからヤクザに刺殺されたところ時間を巻き戻す能力のある妖怪に命を救われ、命を救った代わりに残りの寿命分の時間をいただくとばかりに食べられそうになったら逆にその妖怪を取り込んでしまい、その後もハプニングが続いていくという書いてて自分もなんだかよくわからなくなってくるようなストーリーです。
こういうドタバタ系のストーリーは今時珍しくとも何ともないでしょうが、六道氏は「エクセル・サーガ」の連載後半期から顕著になってきましたが頭身の高い女性キャラクターを描くのが非常に上手く、やややセクシーすぎるきらいもありますがそうした絵柄面で一般の萌えマンガと一線を画す出来となっています。なお「エクセル・サーガ」の連載初期に私が読んでて「何これ?」と思った点を今述べると、一話ごとにキャラクターが着る私服デザインが毎回変わっており、当時は今ほど絵が上手でなかったもののこの作者は独特なセンスがあると当時から見ていました。
話は戻りますがこの「デスレス」は当初こそ絵は一流でもストーリーは並の萌えマンガとみて高をくくっていましたが、連載が進むごとに段々伏線が貼られていって今現在だとストーリーも楽しめるようになってきました。またそれ以上にというか、元々六道氏の漫画キャラクターはどれもテンションが異様に高いキャラばかりで、セリフ回しも読んでてためらうような毒の強い物が多い(昔の作品で、「20世紀中盤にニューメキシコで実験が上手くいくよう陰で働いてやった」なんてセリフも)のですが、この「デスレス」でもみんなぶっ飛んでて、その中でも際立っているのが今日槍玉に挙げる「乙金まどか」というキャラです。
このキャラがどういう人物かというと、当初は主人公の敵役としての立場で登場してくるのですが、実際に絵を見てもらえばわかりますが顔のパーツは揃っていて美女として描かれているものの、どのシーンでも目の焦点が常に合っていないというか常に瞳孔が全開みたいな異様な風貌で、その風貌に負けず劣らず口から出るセリフも常軌を逸しているものばかりです。今覚えているのを片っ端から挙げると、
(夜中に電話に出て)「イエス、グッドミッドナイ!乙金、乙金でございます!」
(両人差し指をこめかみに当てながら)「来ました、電波が!」
(主人公宅に物乞いに来た際)「ところで私、お腹がすきましたわパ〇ラッシュ!」
「あんな~に一緒だったのに~!」(ガンダムSEEDのED曲の歌詞をそのまま引用している)
(両親指を地面に向けながら)「ざ~んね~んしょ~!」
文面では非常に伝え辛いのですが、どのセリフも瞳孔全開でかつ妙なポーズを取りながら発するので、見ていて有り得ないくらいにインパクトが強いです。っていうかこれだけインパクトを受けた漫画キャラクターは「餓狼伝」に出てくる「泣き虫サクラ」以来と言っても過言じゃありません。私はこの「デスレス」を今は漫画喫茶で読んでいる状態ですが、六道氏の漫画なだけに一冊当たりのセリフ量が多くてコンテンツ量が多いし、あとこの乙金まどかがやけに気に入ったのでもうこの際だから電子書籍で買っちゃおうかなと検討しております。
それにしてもというかこの記事を書くきっかけにもなっているのですが、この乙金まどかに関するレビューがネットを見ていてやや少ない気がしました。もうちょっとこの作品は評価されてもいいと思い、なら自分が書いちゃえとばかりに30分でサラリと仕上げた次第です。
おまけ
六道氏のキャラクターは女性キャラクターのセクシーさばかり注目されがちですが、「デスレス」を読んでて、「ごつい男キャラもいけるやん」とちょっと思いました。女の子ばっか書いてないでもうちょっとカッコいいおっさんキャラも増やしたらいいようなと一ファンとして思います。
2014年3月9日日曜日
パソコン本体価格の高騰(;´Д`)
昨日、消費税増税前ということと、体調不良からここ一ヶ月休日はほとんど家から出ていなかったこともあり、気分転換を兼ねて秋葉原へ買い物に出かけました。先に買ったものを述べると、1080円と安かったのでUSB3.0のメモリースティック(16GB)と、下記写真の同じくUSB3.0の外付けハードディスク(1TB)です。
なんで外付けHDを買ったのかというと、単純に使ってて便利なのと今使っている外付けHDは容量が320GBで、なおかつ2010年11月に買ったものであることからそろそろ新しいものに切り替える時期だと考えたからです。HDクラッシュほど恐ろしいものはないし、数年単位での交換あればありかと納得しました。
肝心のお値段は11800円で、数あるメーカーの中からこの東芝製を選んだ理由はデザインが気に入ったためです。写真を見ればわかる通りにシルバーの地をやすりで擦ったような侘寂を感じるデザインで、バッファローとかアイ・オー・データより値段は高かったけど長く使うことを考えて嫌いにならないデザインを選びました。あと自宅に着いてから早速使ってみましたが、今回初めてUSB3.0のHDを使ってみるのですがやはりUSB2.0より段違いに読み込み、書き込みが早いです。特にこういう大容量だと速度の差が大きいだけに、今後購入を検討している方は断然USB3.0を選ぶことをお勧めします。
それで話は本題に移りますが、今回の買い物では外付けHDのほか小型のノートパソコン購入も視野に入れておりました。今現在も15.6インチのノートパソコンを持っておりますが、外出の際に使えるような14インチ以下のノーパソがあればなぁと前から思っていたので、いいのがあったら買おうかと考え乗り込みました。
それでいろんなお店を眺めましたが、一見してどこも価格が高い印象を受けました。そんな中、ソフマップでASUS製11.4インチのパソコンがOffice付きで約6万円だったのでちょっと悩んでたところ店員が寄ってきたので尋ねてみると、こう教えてくれました。
「おっしゃる通りに今どのメーカーも価格を上げています。去年の秋冬モデルから値段が上がり、それ以前と比べ大体2万円前後上がってますね」
たとえば今私が使っているNEC製のノートパソコンは2011年7月に約8万円で購入しましたが、これとほぼ同スペックのパソコン(15.6インチ、メモリ4GB、ブルーレイディスク、Office付)を今買おうとすると冗談抜きで10万円くらい値が張る有様で、さっきの店員の話とピタリと値上げ分が一致します。まぁ三年前にいい値段で自分が買えただけかもしれませんが。なんでどこも値段を上げているのかと続けて聞いてみると、頭の中にはありましたがやはり円安が影響しているのではという答えが返ってきました。
今現在、ノートパソコンはほとんどホンハイなどといったEMSによって中国の深圳か重慶で作られている状態で、多分この二都市で世界シェアの過半数を占めるとおもうのですが、向こうで作って日本に持ってくるわけだからそりゃ円安になれば値段も高くなるのが自然の摂理です。今後価格が下がるかどうかは未知数ですが、少なくとも今このタイミングは買うのに適していないと判断したため結局買わずに帰ってきたわけですが、案外こういう物価動向ってニュースで報じられないもんだねと思った一日でした。
なんで外付けHDを買ったのかというと、単純に使ってて便利なのと今使っている外付けHDは容量が320GBで、なおかつ2010年11月に買ったものであることからそろそろ新しいものに切り替える時期だと考えたからです。HDクラッシュほど恐ろしいものはないし、数年単位での交換あればありかと納得しました。
肝心のお値段は11800円で、数あるメーカーの中からこの東芝製を選んだ理由はデザインが気に入ったためです。写真を見ればわかる通りにシルバーの地をやすりで擦ったような侘寂を感じるデザインで、バッファローとかアイ・オー・データより値段は高かったけど長く使うことを考えて嫌いにならないデザインを選びました。あと自宅に着いてから早速使ってみましたが、今回初めてUSB3.0のHDを使ってみるのですがやはりUSB2.0より段違いに読み込み、書き込みが早いです。特にこういう大容量だと速度の差が大きいだけに、今後購入を検討している方は断然USB3.0を選ぶことをお勧めします。
それで話は本題に移りますが、今回の買い物では外付けHDのほか小型のノートパソコン購入も視野に入れておりました。今現在も15.6インチのノートパソコンを持っておりますが、外出の際に使えるような14インチ以下のノーパソがあればなぁと前から思っていたので、いいのがあったら買おうかと考え乗り込みました。
それでいろんなお店を眺めましたが、一見してどこも価格が高い印象を受けました。そんな中、ソフマップでASUS製11.4インチのパソコンがOffice付きで約6万円だったのでちょっと悩んでたところ店員が寄ってきたので尋ねてみると、こう教えてくれました。
「おっしゃる通りに今どのメーカーも価格を上げています。去年の秋冬モデルから値段が上がり、それ以前と比べ大体2万円前後上がってますね」
たとえば今私が使っているNEC製のノートパソコンは2011年7月に約8万円で購入しましたが、これとほぼ同スペックのパソコン(15.6インチ、メモリ4GB、ブルーレイディスク、Office付)を今買おうとすると冗談抜きで10万円くらい値が張る有様で、さっきの店員の話とピタリと値上げ分が一致します。まぁ三年前にいい値段で自分が買えただけかもしれませんが。なんでどこも値段を上げているのかと続けて聞いてみると、頭の中にはありましたがやはり円安が影響しているのではという答えが返ってきました。
今現在、ノートパソコンはほとんどホンハイなどといったEMSによって中国の深圳か重慶で作られている状態で、多分この二都市で世界シェアの過半数を占めるとおもうのですが、向こうで作って日本に持ってくるわけだからそりゃ円安になれば値段も高くなるのが自然の摂理です。今後価格が下がるかどうかは未知数ですが、少なくとも今このタイミングは買うのに適していないと判断したため結局買わずに帰ってきたわけですが、案外こういう物価動向ってニュースで報じられないもんだねと思った一日でした。
2014年3月8日土曜日
豊臣政権が崩壊した原因とは
前回記事で豊臣秀吉がどうして偉大なのかというと戦国時代を終わらせたことと、自身も超一流の才能を持ちながら各分野で自分以上の才能の持ち主を活用した点にあると主張しましたが、同じく豊臣政権について今日は一体何故徳川政権にとってかわられたのかその崩壊原因を分析してみようと思います。この手の崩壊原因で徳川幕府とかはよく話題に上がるものの豊臣家に関しては、ある程度はっきりしているというのもありますがあまり議論がないように思えるので、ちょっとこの辺りで一本書いてみようと考えた次第です。
崩壊原因1、徳川家を滅ぼさなかった
説明するのもばかばかしいくらいに代表的な原因ですが、後に豊臣家を滅ぼして徳川幕府を開く徳川家こと徳川家康を秀吉の存命中に滅ぼさなかったことが最大の崩壊原因でしょう。秀吉と家康は小牧・長久手の戦いで一度戦っており、この時は徳川家が勝利を収めましたが仮に長期戦となれば動員兵力や兵糧の観点から言って秀吉が勝利していたと断言できます。それでも秀吉が家康との和睦を選んだのは当時はまだ九州や中国・四国地方はおろか、近畿地方ですら各地で抵抗勢力が活動を続けており土台が盤石でなかったことが影響しているのですが、これは逆を言えば天下統一後であれば余裕綽々で徳川家など葬り去ることが出来た証左です。
こういってはなんですが天下統一後にあっても徳川家は豊臣家にとって明らかに危険な存在だったとしか思えません。大阪を中心とした近畿地方を所領としていることから経済力では豊臣家に分があったものの、石高で言えば実は秀吉存命中から徳川家の方が上回っておりました。その上というか家康は若い頃から明らかに腹黒で何考えているかわからない節があり(おまけにスケベ)、いくら名声が高かったとはいえ謀反なりなんなり理由をでっちあげてでも秀吉は徳川家を滅ぼしておくべきだったでしょう。
この辺が秀吉の変に甘い所なのですが、意外と彼は性格的にやさしくて非情になりきれなかった節があります。前漢の劉邦は韓信や彭越、源頼朝は弟の義経や範頼、足利義満は山名氏や大内氏といった功臣を天下統一後に悉く誅殺している所、秀吉は伊達政宗に対してはプレッシャーをかけつつもその他の大名に対しては取り潰しらしい取潰しはほとんど実行していません。
さらには、天下取りにおいては活躍したものの治世下に置いて不要ともいえる加藤清正や福島正則といった武功派武将を切り、石田三成や片桐且元といった文治派武将への切り替えも中途半端で、両者の間で派閥争いを作り後の関ヶ原の要因を作るという大ポカもやらかしています。これは後に天下を取る徳川家とは好対照で、この辺が両家の行く末を分けたと言って過言でないでしょう。
崩壊原因2、親類縁者の致命的な不足
これも徳川家とは対照的な点なのですが、豊臣家においては大きな所領を持つ有力な一族が全くと言っていませんでした。皇族などはよく皇室の藩屏などと呼ばれることがありますが、欧州のハプスブルグ家然りで封建制において血のつながりというのは跡目争いの原因にもなるもののやはり強く、いざって時に譜代や外様の人間とは一線を画した行動が期待できます。それだけ重要なだけに徳川家などでは顕著ですが重要拠点を親族に治めさせることによって長い政権維持につなげましたが、豊臣家ではこうした有力な一族大名は全くと言っていいほどいません。
一体何故いなかったのかというと秀吉の出自によるところが大きく、農民出身であったことから第三親等くらいまでしか親族と認識できる一族はおらず、 また秀吉自身が子供をほとんど作れなかったという不幸な現実がありました。そんな秀吉の一族において唯一と言ってもいいほど頼りにすることが出来たのは秀吉の弟の豊臣秀長くらいで、彼は存命中からも高い人望を集めただけでなく兄譲りの高いオペレーション能力を発揮して当地の難しい紀伊地方(和歌山県)を大過なく治めていたことから有力な藩屏となり得たでしょう。しかし惜しいかな兄よりも早く若死にしており、仮に長生きできていれば中国の周王朝における周公旦の様な人物になっていたのかもしれません。
このほかには一応、正室の寧々の出身である浅野家から浅野長政というこちらもオペレーション能力の高く広島藩の藩祖となった武将がおり、彼なら藩屏としての役割も期待できたでしょうが秀吉の後継には寧々とは折り合いの悪かったとされる淀君の子である秀頼に決まり、私は浅野長政としてはこの点が豊臣家と距離を置く要因になったのではないかと少し思います。
その淀君(最初「淀気味」と変換された)もこういってはなんですが、いわば亡国の姫君で出身である浅井家が既に存在せず、息子の秀頼にとって後ろ盾になる外戚が存在しなかったというのも見逃せないポイントです。仮に淀君が豊臣政権下における有力大名家の出身、それこそ上杉家や前田家、毛利家の姫君であれば歴史は全然違ったでしょう。
崩壊原因3、豊臣秀次の粛清
上記の親類縁者の不足にも絡みますが、秀吉が一度は自分の後継者としてレールを敷いたものの秀頼が生まれたことから邪魔者となり、廃嫡した上に粛清までした豊臣秀次の運命もその後の豊臣家の行く末を決めた要因でしょう。豊臣秀次は秀吉の姉の息子で甥にあたるのですが、若い頃からそこそこ戦場でも活躍している人物で、世間で言われているほど決して無能ではなかったと私は評価しております。ちなみに彼は「殺生関白」と呼ばれるほどむやみに人を殺したりするなど乱行を繰り返していたことも粛清された要因と言われていますが、私はこの説に対しては疑問視しており、むしろ秀吉が粛清に正当性を持たせるために流した主張ではないかと見ています。
この秀次の粛清によって秀吉の後継者は秀頼となりましたが、仮に秀次を秀頼が成人するまでのつなぎに使っていればまた違ったでしょう、裏切る可能性はありますが。なおこの秀次の粛清については石田三成が秀吉に讒言をしたためという説がありますがこれは現在では否定されつつあります。豆知識が続きますが秀次は粛清前に追放され出家していたにもかかわらず切腹を申し渡されており、これは当時としても異例なほど厳しい処置だったそうです。なおかつ秀次の一族は女子供に関わらずほぼ全員処刑されていて、これも当人は処刑されても女子供は生かされるケースの多かった日本史上では珍しいことで、先ほどは秀吉のことを「非情になりきれなかった」と評したものの、この秀次事件に関しては異常なほどの残酷性を秀吉はみせています。
もっともというか、中国史では三国志の曹操を筆頭に「三族皆殺し」はしょっちゅうあることなので、中国史に慣れた私からするとこの秀次事件が特段残酷だったとは思えないほどこのところ感覚が麻痺してます。これはほかの面でも言えるけど、中国人と比べて日本人ってやっぱ変に優しいというか甘いところがある気がする。
崩壊原因5、譜代大名の保守化
上記三つまでの理由はあちこちでも説明されておりそれほど珍しいものではありませんがこの崩壊原因4は私オリジナルの説で、恐らく本邦はおろか全米初公開の意見でしょう。どこだっていいけどさ。
秀吉死後に行われた関ヶ原の合戦では加藤清正や福島正則、そして黒田長政といった豊臣家の譜代武将が悉く徳川家率いる東軍についておりますが、これは彼らが西軍の主導者となった石田三成に対する憎悪が主原因となっているものの、それと共に彼らが「如何に領地を切り取るか」という戦国の気風から「如何に藩を守るか」という保守的な思想に変わったことも大きいのではないかと思います。
幕藩体制というと江戸時代の制度のように思えますが、実際にこの制度を作ったのは豊臣政権で徳川幕府がこの制度を流用して定着させました。これ以外にも石高制や五人組など徳川幕府にも流用された制度は多く、そういう意味で豊臣家は前漢の布石となった秦みたいに思えるところがありますがそれは置いといて、関ヶ原の合戦時点で当時の大名らはそれぞれ領国を持って自身で切り盛りするようになっていました。自身で領国を切り盛りするという点は戦国時代でも同じですが決定的に違ったのは現状以上に領土が広がらないという点で、混乱や紛争の隙を見て隣国の領地を奪い取るという概念は関ヶ原の時点ではもはや通用しませんでした。
これがどういう意味を表すのかというと、当時の大名は領土を広げるというより領土を如何に守るかの方に頭が回っており、いわば損得概念が戦国時代とは大きく異なっていたのではないかと言いたいわけです。切り取り勝手の戦国時代では時には不利な状況でも主家に忠誠心をみせることによって戦後の報償に与かるという立ち回りも出来ましたが、関ヶ原の時点ではそういうハイリスクな行動は通用し辛く、むしろ如何に安定して国が保てるかという観点から徳川家についた譜代武将が多かったんじゃないかとこの前閃いたわけです。
翻って当時の状況を見ると、主家は確かに豊臣家であるものの当主の秀頼はまだ幼く、頼りがいのある安心感で言えば家康の方が圧倒的に上でした。そのため豊臣家に恩顧のある大名でも、心情的には西軍参加に傾きつつあっても抱えている家臣やその家族のことを考えると保守的に動かざるを得ず、寄らば大樹の陰とばかりに東軍についたのではないかと言いたいわけです。
こう考えるきっかけとしては豊臣秀長に見出され大名となった、戦国時代の竜騎士カインこと藤堂高虎で、彼は秀吉が死ぬや真っ先に徳川家への接近を図っております。加藤清正や福島正則などは三成憎しで東軍についたと判断できるもののこの藤堂高虎に関しては英語で言うなら「Nothing to do with 三成」というくらい縁がない人物です。「武士は七回くらい主君を変えねば武士とは言えぬ」というくらい利己的だった藤堂高虎は極端な例であるものの、彼ほど露骨でなくても保守的に自国領土を保つという保守的判断から東軍参加を決めた大名はほかにもいたのではないかと思え、如何に領土を奪い取るかという戦国の気風から安定した時代になって芽生えた大名の保守化も家康にとって有利な状況を作ったのではと考えた次第です。
さらっと書くつもりはなかったものの、我ながらえらい長文となってしまいました。故水野晴郎じゃないけど、「歴史ってほんといいもんですね」って言いたくなるくらいの長文だな。っていうか、二回に分けて書けばよかった。
崩壊原因1、徳川家を滅ぼさなかった
説明するのもばかばかしいくらいに代表的な原因ですが、後に豊臣家を滅ぼして徳川幕府を開く徳川家こと徳川家康を秀吉の存命中に滅ぼさなかったことが最大の崩壊原因でしょう。秀吉と家康は小牧・長久手の戦いで一度戦っており、この時は徳川家が勝利を収めましたが仮に長期戦となれば動員兵力や兵糧の観点から言って秀吉が勝利していたと断言できます。それでも秀吉が家康との和睦を選んだのは当時はまだ九州や中国・四国地方はおろか、近畿地方ですら各地で抵抗勢力が活動を続けており土台が盤石でなかったことが影響しているのですが、これは逆を言えば天下統一後であれば余裕綽々で徳川家など葬り去ることが出来た証左です。
こういってはなんですが天下統一後にあっても徳川家は豊臣家にとって明らかに危険な存在だったとしか思えません。大阪を中心とした近畿地方を所領としていることから経済力では豊臣家に分があったものの、石高で言えば実は秀吉存命中から徳川家の方が上回っておりました。その上というか家康は若い頃から明らかに腹黒で何考えているかわからない節があり(おまけにスケベ)、いくら名声が高かったとはいえ謀反なりなんなり理由をでっちあげてでも秀吉は徳川家を滅ぼしておくべきだったでしょう。
この辺が秀吉の変に甘い所なのですが、意外と彼は性格的にやさしくて非情になりきれなかった節があります。前漢の劉邦は韓信や彭越、源頼朝は弟の義経や範頼、足利義満は山名氏や大内氏といった功臣を天下統一後に悉く誅殺している所、秀吉は伊達政宗に対してはプレッシャーをかけつつもその他の大名に対しては取り潰しらしい取潰しはほとんど実行していません。
さらには、天下取りにおいては活躍したものの治世下に置いて不要ともいえる加藤清正や福島正則といった武功派武将を切り、石田三成や片桐且元といった文治派武将への切り替えも中途半端で、両者の間で派閥争いを作り後の関ヶ原の要因を作るという大ポカもやらかしています。これは後に天下を取る徳川家とは好対照で、この辺が両家の行く末を分けたと言って過言でないでしょう。
崩壊原因2、親類縁者の致命的な不足
これも徳川家とは対照的な点なのですが、豊臣家においては大きな所領を持つ有力な一族が全くと言っていませんでした。皇族などはよく皇室の藩屏などと呼ばれることがありますが、欧州のハプスブルグ家然りで封建制において血のつながりというのは跡目争いの原因にもなるもののやはり強く、いざって時に譜代や外様の人間とは一線を画した行動が期待できます。それだけ重要なだけに徳川家などでは顕著ですが重要拠点を親族に治めさせることによって長い政権維持につなげましたが、豊臣家ではこうした有力な一族大名は全くと言っていいほどいません。
一体何故いなかったのかというと秀吉の出自によるところが大きく、農民出身であったことから第三親等くらいまでしか親族と認識できる一族はおらず、 また秀吉自身が子供をほとんど作れなかったという不幸な現実がありました。そんな秀吉の一族において唯一と言ってもいいほど頼りにすることが出来たのは秀吉の弟の豊臣秀長くらいで、彼は存命中からも高い人望を集めただけでなく兄譲りの高いオペレーション能力を発揮して当地の難しい紀伊地方(和歌山県)を大過なく治めていたことから有力な藩屏となり得たでしょう。しかし惜しいかな兄よりも早く若死にしており、仮に長生きできていれば中国の周王朝における周公旦の様な人物になっていたのかもしれません。
このほかには一応、正室の寧々の出身である浅野家から浅野長政というこちらもオペレーション能力の高く広島藩の藩祖となった武将がおり、彼なら藩屏としての役割も期待できたでしょうが秀吉の後継には寧々とは折り合いの悪かったとされる淀君の子である秀頼に決まり、私は浅野長政としてはこの点が豊臣家と距離を置く要因になったのではないかと少し思います。
その淀君(最初「淀気味」と変換された)もこういってはなんですが、いわば亡国の姫君で出身である浅井家が既に存在せず、息子の秀頼にとって後ろ盾になる外戚が存在しなかったというのも見逃せないポイントです。仮に淀君が豊臣政権下における有力大名家の出身、それこそ上杉家や前田家、毛利家の姫君であれば歴史は全然違ったでしょう。
崩壊原因3、豊臣秀次の粛清
上記の親類縁者の不足にも絡みますが、秀吉が一度は自分の後継者としてレールを敷いたものの秀頼が生まれたことから邪魔者となり、廃嫡した上に粛清までした豊臣秀次の運命もその後の豊臣家の行く末を決めた要因でしょう。豊臣秀次は秀吉の姉の息子で甥にあたるのですが、若い頃からそこそこ戦場でも活躍している人物で、世間で言われているほど決して無能ではなかったと私は評価しております。ちなみに彼は「殺生関白」と呼ばれるほどむやみに人を殺したりするなど乱行を繰り返していたことも粛清された要因と言われていますが、私はこの説に対しては疑問視しており、むしろ秀吉が粛清に正当性を持たせるために流した主張ではないかと見ています。
この秀次の粛清によって秀吉の後継者は秀頼となりましたが、仮に秀次を秀頼が成人するまでのつなぎに使っていればまた違ったでしょう、裏切る可能性はありますが。なおこの秀次の粛清については石田三成が秀吉に讒言をしたためという説がありますがこれは現在では否定されつつあります。豆知識が続きますが秀次は粛清前に追放され出家していたにもかかわらず切腹を申し渡されており、これは当時としても異例なほど厳しい処置だったそうです。なおかつ秀次の一族は女子供に関わらずほぼ全員処刑されていて、これも当人は処刑されても女子供は生かされるケースの多かった日本史上では珍しいことで、先ほどは秀吉のことを「非情になりきれなかった」と評したものの、この秀次事件に関しては異常なほどの残酷性を秀吉はみせています。
もっともというか、中国史では三国志の曹操を筆頭に「三族皆殺し」はしょっちゅうあることなので、中国史に慣れた私からするとこの秀次事件が特段残酷だったとは思えないほどこのところ感覚が麻痺してます。これはほかの面でも言えるけど、中国人と比べて日本人ってやっぱ変に優しいというか甘いところがある気がする。
崩壊原因5、譜代大名の保守化
上記三つまでの理由はあちこちでも説明されておりそれほど珍しいものではありませんがこの崩壊原因4は私オリジナルの説で、恐らく本邦はおろか全米初公開の意見でしょう。どこだっていいけどさ。
秀吉死後に行われた関ヶ原の合戦では加藤清正や福島正則、そして黒田長政といった豊臣家の譜代武将が悉く徳川家率いる東軍についておりますが、これは彼らが西軍の主導者となった石田三成に対する憎悪が主原因となっているものの、それと共に彼らが「如何に領地を切り取るか」という戦国の気風から「如何に藩を守るか」という保守的な思想に変わったことも大きいのではないかと思います。
幕藩体制というと江戸時代の制度のように思えますが、実際にこの制度を作ったのは豊臣政権で徳川幕府がこの制度を流用して定着させました。これ以外にも石高制や五人組など徳川幕府にも流用された制度は多く、そういう意味で豊臣家は前漢の布石となった秦みたいに思えるところがありますがそれは置いといて、関ヶ原の合戦時点で当時の大名らはそれぞれ領国を持って自身で切り盛りするようになっていました。自身で領国を切り盛りするという点は戦国時代でも同じですが決定的に違ったのは現状以上に領土が広がらないという点で、混乱や紛争の隙を見て隣国の領地を奪い取るという概念は関ヶ原の時点ではもはや通用しませんでした。
これがどういう意味を表すのかというと、当時の大名は領土を広げるというより領土を如何に守るかの方に頭が回っており、いわば損得概念が戦国時代とは大きく異なっていたのではないかと言いたいわけです。切り取り勝手の戦国時代では時には不利な状況でも主家に忠誠心をみせることによって戦後の報償に与かるという立ち回りも出来ましたが、関ヶ原の時点ではそういうハイリスクな行動は通用し辛く、むしろ如何に安定して国が保てるかという観点から徳川家についた譜代武将が多かったんじゃないかとこの前閃いたわけです。
翻って当時の状況を見ると、主家は確かに豊臣家であるものの当主の秀頼はまだ幼く、頼りがいのある安心感で言えば家康の方が圧倒的に上でした。そのため豊臣家に恩顧のある大名でも、心情的には西軍参加に傾きつつあっても抱えている家臣やその家族のことを考えると保守的に動かざるを得ず、寄らば大樹の陰とばかりに東軍についたのではないかと言いたいわけです。
こう考えるきっかけとしては豊臣秀長に見出され大名となった、戦国時代の竜騎士カインこと藤堂高虎で、彼は秀吉が死ぬや真っ先に徳川家への接近を図っております。加藤清正や福島正則などは三成憎しで東軍についたと判断できるもののこの藤堂高虎に関しては英語で言うなら「Nothing to do with 三成」というくらい縁がない人物です。「武士は七回くらい主君を変えねば武士とは言えぬ」というくらい利己的だった藤堂高虎は極端な例であるものの、彼ほど露骨でなくても保守的に自国領土を保つという保守的判断から東軍参加を決めた大名はほかにもいたのではないかと思え、如何に領土を奪い取るかという戦国の気風から安定した時代になって芽生えた大名の保守化も家康にとって有利な状況を作ったのではと考えた次第です。
さらっと書くつもりはなかったものの、我ながらえらい長文となってしまいました。故水野晴郎じゃないけど、「歴史ってほんといいもんですね」って言いたくなるくらいの長文だな。っていうか、二回に分けて書けばよかった。
2014年3月6日木曜日
英雄としての秀吉
現在放映中の大河ドラマ「軍師官兵衛」を放送時間に自宅にいる際は見ていますが、先週あたりから織田家や周辺諸国と黒田官兵衛が絡むシーンが増えてきて、序盤に比べて格段に面白さを感じるようになってきました。特に織田家とのシーンに出てくる秀吉が場面を盛り上げており、演じる竹中直人氏はかつての大河ドラマ「秀吉」で演じた同じ役が当たり役だっただけに当時の演技ぶりと重ねつつ楽しく見ています。そんなファンキーでモンキーな秀吉ですが実はここだけの話、日本史上で英雄と呼べる人物はこの豊臣秀吉くらいではないかと私は考えております。なんでそんな高評価をしているのか、さっきからやけに左腕がしびれるけど頑張って今日はその辺を書いてみようと思います。
秀吉がどんな人物であるかについては説明するのも野暮なくらいに一般的ですが、農民の出身でありながら織田信長の草履取りに始まり着々と出世してゆき、城持ち大名になったところにとどまらず最終的には天下を統一して関白職に就任した戦国一の出世頭と呼ばれることが多いように思えます。しかし彼を単に出世頭として形容するのはややもったいないように思え、というのも応仁の乱から日本全国で百年以上も続いた戦国時代を終結させたのはほかならぬこの秀吉で、政権こそ次代に引き継がれなかったものの豊臣政権で実施した石高の統一や五人組制度など、政策の多くは江戸時代でも採用され続けていることなどからも近代日本の礎を作った張本人と考えてもいいと思っております。
そうした業績以上に私が秀吉を高く評価している点として、彼自身が軍略家、施政家、説客としてどれも超一流の実力を持っていたにもかかわらず、各分野において自分以上の才能の持ち主を採用し、活用している点が挙がってきます。具体的には今期の黒田官兵衛や石田三成、小西行長などで、これら数多くの人材を見出して使いこなしていたというのは関白は伊達じゃないといったところでしょうか。
私が何でこの点を大きく取り上げるのかというと、歴史上で一芸に秀でているというか非常に高い才能の持ち主というのは概して自分以上の才能の持ち主に対してあまりいい感情を持たず、その才能を認めようとしないところがあるように思うからです。それこそ中国の劉邦や劉備は確かに数多くの名将名軍師を活用しておりますが、二人とも外っ面がいいだけで自分らはそれほど戦争が上手かったり、知略に優れていたというわけではありません。もちろん両者ともに大人物であることに変わりはありませんが。
それに対して秀吉ですが、彼は間違いなくハイレベルでの軍略を理解していた上に初めて持った所領の長浜を大きく発展させただけでなく、若い頃は竹中半兵衛や美濃三人衆の調略に成功して浅井家との交渉を担当するなど外交手腕も半端なものではありません。にもかかわらず自分以上の才能の持ち主を獲得するとその才能に一任するというか、適材適所に仕事を任せて着実に成果を上げ続けました。
秀吉の主君である織田信長も自身で非常に高い才能を発揮していた上、秀吉を初め明智光秀や滝川一益などどこぞの馬の骨ともわからない人物らでも才能ありと見るや大抜擢させて活躍させている点は同じですが、抜擢した部下の裏切りがあったかどうか秀吉とは大きく異なります。今回この記事を準備するため帰りのバス(乗車時間13分)で記憶をめぐらしましたが、改めて考えてみると秀吉を裏切った武将というのはほとんど見当たらないというか、少なくとも知名度のある大身の人物に限れば全くいないと言っても過言ではないでしょう。むしろ秀吉のために主君を裏切った人物は数知れず、徳川家の石川数正や柴田勝家陣営にいた前田利家など、「人たらし」の異名通りに悉く寝返らせ続けました。
さらに秀吉本人もその気があったというべきか、三国志の曹操同様にやや人材の引き抜きマニアと思える節もあります。具体名を挙げると上杉景勝配下の直江兼続で、その才能を高く評価した秀吉は直属の配下にしようとあれやこれやと誘いをかけ続けたと言われています。
話は戻りますが、自らも超一流でありながら多才な人物を採用したというこの点こそほかならぬ英雄の条件だと私は考えます。英雄というと一般的には古代ローマのカエサルやフランスのナポレオンなどが挙がってくるでしょうが、両者ともに非凡な才能を持ちながらも配下には負けず劣らず個性が強くて優秀な幕僚を取り揃えていました。ただナポレオンに関しては、自分以上とも覚えるほど優秀過ぎる部下(ダブーとか)に対して後年になって意見を聞かなかったり、回想録で辛辣ともいえる評価を述べるなど嫉妬に似た感情を見せており、超一流でありながら他人の才能を認めるということがどれだけ難しいかを感じさせる好例にもなっています。
こうした点を考慮するにつけ、決して低くない評価であるものの秀吉に対してはさらに高い評価をしても良いのではないかとこの頃思えm特に賤ヶ岳の合戦前後は神憑り的な勘や行動力を見せており、総合的に見るなら日本史上で最も才高い人物の一人と見てもいい気がします。不足している点といったらあだ名にもされた猿顔という品のよろしくない外見くらいですが、私は仮に外見までパーフェクトだったら人物的に面白さが落ちていたと思うだけにこれをマイナスポイントとしてみるのはどうかなとすら考える次第です。
それだけにというべきか、晩年の判断ミス連発は誠に惜しいというよりほかありません。というわけで次回は一体何故豊臣政権は崩壊することとなったのかその原因についてあまり活発に議論されていない気がするので、自分なりにまとめた論点を書いてこうと思います。久々だなぁこういう力入れる歴史記事。
秀吉がどんな人物であるかについては説明するのも野暮なくらいに一般的ですが、農民の出身でありながら織田信長の草履取りに始まり着々と出世してゆき、城持ち大名になったところにとどまらず最終的には天下を統一して関白職に就任した戦国一の出世頭と呼ばれることが多いように思えます。しかし彼を単に出世頭として形容するのはややもったいないように思え、というのも応仁の乱から日本全国で百年以上も続いた戦国時代を終結させたのはほかならぬこの秀吉で、政権こそ次代に引き継がれなかったものの豊臣政権で実施した石高の統一や五人組制度など、政策の多くは江戸時代でも採用され続けていることなどからも近代日本の礎を作った張本人と考えてもいいと思っております。
そうした業績以上に私が秀吉を高く評価している点として、彼自身が軍略家、施政家、説客としてどれも超一流の実力を持っていたにもかかわらず、各分野において自分以上の才能の持ち主を採用し、活用している点が挙がってきます。具体的には今期の黒田官兵衛や石田三成、小西行長などで、これら数多くの人材を見出して使いこなしていたというのは関白は伊達じゃないといったところでしょうか。
私が何でこの点を大きく取り上げるのかというと、歴史上で一芸に秀でているというか非常に高い才能の持ち主というのは概して自分以上の才能の持ち主に対してあまりいい感情を持たず、その才能を認めようとしないところがあるように思うからです。それこそ中国の劉邦や劉備は確かに数多くの名将名軍師を活用しておりますが、二人とも外っ面がいいだけで自分らはそれほど戦争が上手かったり、知略に優れていたというわけではありません。もちろん両者ともに大人物であることに変わりはありませんが。
それに対して秀吉ですが、彼は間違いなくハイレベルでの軍略を理解していた上に初めて持った所領の長浜を大きく発展させただけでなく、若い頃は竹中半兵衛や美濃三人衆の調略に成功して浅井家との交渉を担当するなど外交手腕も半端なものではありません。にもかかわらず自分以上の才能の持ち主を獲得するとその才能に一任するというか、適材適所に仕事を任せて着実に成果を上げ続けました。
秀吉の主君である織田信長も自身で非常に高い才能を発揮していた上、秀吉を初め明智光秀や滝川一益などどこぞの馬の骨ともわからない人物らでも才能ありと見るや大抜擢させて活躍させている点は同じですが、抜擢した部下の裏切りがあったかどうか秀吉とは大きく異なります。今回この記事を準備するため帰りのバス(乗車時間13分)で記憶をめぐらしましたが、改めて考えてみると秀吉を裏切った武将というのはほとんど見当たらないというか、少なくとも知名度のある大身の人物に限れば全くいないと言っても過言ではないでしょう。むしろ秀吉のために主君を裏切った人物は数知れず、徳川家の石川数正や柴田勝家陣営にいた前田利家など、「人たらし」の異名通りに悉く寝返らせ続けました。
さらに秀吉本人もその気があったというべきか、三国志の曹操同様にやや人材の引き抜きマニアと思える節もあります。具体名を挙げると上杉景勝配下の直江兼続で、その才能を高く評価した秀吉は直属の配下にしようとあれやこれやと誘いをかけ続けたと言われています。
話は戻りますが、自らも超一流でありながら多才な人物を採用したというこの点こそほかならぬ英雄の条件だと私は考えます。英雄というと一般的には古代ローマのカエサルやフランスのナポレオンなどが挙がってくるでしょうが、両者ともに非凡な才能を持ちながらも配下には負けず劣らず個性が強くて優秀な幕僚を取り揃えていました。ただナポレオンに関しては、自分以上とも覚えるほど優秀過ぎる部下(ダブーとか)に対して後年になって意見を聞かなかったり、回想録で辛辣ともいえる評価を述べるなど嫉妬に似た感情を見せており、超一流でありながら他人の才能を認めるということがどれだけ難しいかを感じさせる好例にもなっています。
こうした点を考慮するにつけ、決して低くない評価であるものの秀吉に対してはさらに高い評価をしても良いのではないかとこの頃思えm特に賤ヶ岳の合戦前後は神憑り的な勘や行動力を見せており、総合的に見るなら日本史上で最も才高い人物の一人と見てもいい気がします。不足している点といったらあだ名にもされた猿顔という品のよろしくない外見くらいですが、私は仮に外見までパーフェクトだったら人物的に面白さが落ちていたと思うだけにこれをマイナスポイントとしてみるのはどうかなとすら考える次第です。
それだけにというべきか、晩年の判断ミス連発は誠に惜しいというよりほかありません。というわけで次回は一体何故豊臣政権は崩壊することとなったのかその原因についてあまり活発に議論されていない気がするので、自分なりにまとめた論点を書いてこうと思います。久々だなぁこういう力入れる歴史記事。
2014年3月5日水曜日
このブログのアフィリエイト収入額
前回日曜日の記事で予告した通り、休載期間を終え本日から更新再開です。とはいえ今も頭にもやがかかったような具合であまり調子が良くなく、今朝も電車の中で寝ていたら隣に座っていた高校生らしき男の子が肩で自分の眼鏡を当ててくる荒業によって起こされた際、「ぶっ殺すぞこのクソガキ」って激しい殺意を抱いたほど精神的に不安定な状態が続いています。にしても、寝ていて眼鏡に物当てられたのは生まれてこの方初めてだ。
というわけで本題に入りますがよくこのブログを知り合いに紹介した際、「こんなに本格的なブログをほぼ毎日更新しているならアフィリエイト収入もすごいんじゃないの?」とよく言われます。アフィリエイトとはネット広告の一種で、実際にこの陽月秘話ではGoogle AdSenseが提供している広告と一部記事においてAmazonのバナー広告を載せておりますが、結論から述べるとほとんど大した収入になっておらず、ずばり金額を明かしてしまうと一ヶ月当たり大体700~800円程度しか収入はありません。この金額がどういう価値を持つのか、ブログのアフィリエイトについて興味を持っている方も多いと思いますので今日はこの辺について解説します。
まずこのブログの現況について簡単に紹介しますが、 このブログの一日当たりのPV(訪問者)数は約350人で、個人で運営しているブログとしてはそこそこ誇れる人数だと思っております。こう思うのもブログ開設から一年くらいまでは一日20人くらいがやっとで、本当に毎日、「どうやったら一日100人くらいくるサイトにできるのだろうか」などということを考えてて三桁に乗るなんて夢物語だと思っていた時期があったからです。それだけに現在のPV数を支えてくれる固定読者の方々には本当に頭が下がり、記事の質も読者数の増加に伴って良くなっているとも思え文字通り読者に支えられているブログだと考えております。
然るに、というのもちょっと妙ですが、毎日350人もアクセスしているにもかかわらず広告収入は一ヶ月当たり700~800円しかなく、見る人によっては少ないのではと思うかもしれません。なおこの金額はすべてGoogle AdSenseによる収入でAmazonの広告に関してはほぼ無きに等しく、今年1~3月の第1四半期は以前に私がレビューを書いた「実は私は」という漫画の1巻と2巻が1冊ずつ買われていっただけで、これによって私の懐に入ってくる紹介料は28円です。まぁAmazonの広告はそれほど頻繁にバナーを貼っていないというのもありますけどね。
話はGoogle AdSenseに限定して進めますが、ほぼ毎日ブログを更新、しかも読んでて嫌になるくらいの長文で、なおかつ一日350人くらい来て700~800円の収入というのがこの陽月秘話です。なお私が通っている漫画喫茶の3時間パックがちょうど800円なので、感覚的には毎月漫画喫茶一回分の収入を自分はブログで稼いでいると豪語しています。もっとも漫画喫茶にはほぼ毎週行ってますが。
その気になればですが、この広告収入は現在よりも増やせる自信があります。どうやって増やすのかというと広告バナーの位置をもっと上部、具体的にはトップページを開いた時すぐ目につく位置に置いたり、集客を意識した記事を連投するなどいくつかありますが、この陽月秘話ではそういった利益優先な行動はとらず自分の主張を思うがままに書きつづりたいとの考えから実行には移しません。Google AdSenseのバナーを置いているのも収入を得たいというよりも、これがどういう仕組みなのかを測りたいという興味から置いてみただけで本気でこれで稼ごうというような気持ちはありません。
たまにネットを徘徊していると、「ブログでアフィリエイト収入をGET!」なんていうキャッチフレーズとともに、ブログを開設すればこづかい収入をアフィリエイトで稼げるというような宣伝文句を見かけます。しかし断言しますがよほど集客力の高いコンテンツや芸能人並の高い知名度がない限り、ブログでそこそこのアフィリエイト収入を得ることは不可能でしょう。それこそ、このブログ以上のコンテンツや更新頻度を作ることが出来るのかってとこです。
ではどうすればそのような集客力の高いブログを作れるのか。いくつかキーワードを挙げるとペット系や芸能ネタはブログアクセスランキングで上位に入りやすいためこういったジャンルを手掛けるのがまだベターかなと思います。それらと共にもう一つ、これは以前に私が利用していたgooブログで顕著でしたが嫌韓嫌中のような排他的なブログもアクセス数が伸びやすい傾向があります。
実際にこのgooブログのアクセスランキングを見てもらえばわかりやすいですが、あまりこういう表現は好きではありませんが極右的な傾向が見えるブログが上位にたくさん入り込んでいます。勝手な言葉を述べると、これら極右的なブログのいくつかは自らの政治信条に基づいてブログを運営しているというよりも明らかに集客を狙って憎悪を煽りたてるような記事を載せているような気がします。言うまでもありませんが、このようなブログを私は好きではありません。
ブログに限らなくてもこのところ中国や韓国に対して批判的な内容の書籍や週刊誌の記事が増えていますが、このような文章が単純に売れるから増えていると出版関係者も述べているそうです。韓国はどうか知りませんが中国の批判本に関しては明らかに常軌を逸しているというか事実と乖離した内容であるにもかかわらずさも自信たっぷりに、「中国はもうすぐ崩壊する」と書いているものが多く、確信犯ででたらめを書いて不必要に日本人の中国人に対する憎悪を煽るこの手の人間には強い怒りを覚えます。それこそシャドーバンキングが中国の大きな問題だと書いている本の作者は例外なく見当違いも甚だしいカスで、中国経済を十年勉強して来いと言ったって許されるでしょう。
ちょっと話は脱線しましたが、アフィリエイトは正攻法じゃほとんど稼げず、本気で稼ごうとするのなら多少のズルというかテクニックが必要です。ですのでブログは基本稼げないものとして、稼ぐ目的で解説してみようという方は初めからやらないことをお勧めします。何も得られなくてもいいから主張したい、っていう人にはうってつけですけど。
最後に自分が運営するもう一つのサイトこと「Comlocation 企業居点」についてですが、このサイトはさくらサーバーのレンタルサーバーを借り、独自ドメインを使っているので一ヶ月当たり750円(サーバー:500円 独自ドメイン:250円)の費用が掛かっています。こっちはコストをかけている分、ある程度広告収入を得ることを目的に設計しているためバナー広告もあざとい所に設置していますが、こちらの先月の広告収入は1771円で無事黒字化を達成しました。
一日当たりのアクセス数は平日か土日かで大きく変動しますが、人が来る平日に限れば大体200人強でこの陽月秘話よりも少ないです。ただ閲覧する人は基本的にサラリーマンで、使用するパソコンはオフィスに置かれたものだと予想されることからクリック一つ当たりの広告収入がやっぱり大きい気がします。アクセス数はまだ右肩上がりが続いていますし載せるデータも一体いつまで続くんだっていうくらいあるのでまだ伸びていくと予想していますが、そろそろ陽月秘話と連動した企画記事も書いてかなきゃと思っているところです。
というわけで本題に入りますがよくこのブログを知り合いに紹介した際、「こんなに本格的なブログをほぼ毎日更新しているならアフィリエイト収入もすごいんじゃないの?」とよく言われます。アフィリエイトとはネット広告の一種で、実際にこの陽月秘話ではGoogle AdSenseが提供している広告と一部記事においてAmazonのバナー広告を載せておりますが、結論から述べるとほとんど大した収入になっておらず、ずばり金額を明かしてしまうと一ヶ月当たり大体700~800円程度しか収入はありません。この金額がどういう価値を持つのか、ブログのアフィリエイトについて興味を持っている方も多いと思いますので今日はこの辺について解説します。
まずこのブログの現況について簡単に紹介しますが、 このブログの一日当たりのPV(訪問者)数は約350人で、個人で運営しているブログとしてはそこそこ誇れる人数だと思っております。こう思うのもブログ開設から一年くらいまでは一日20人くらいがやっとで、本当に毎日、「どうやったら一日100人くらいくるサイトにできるのだろうか」などということを考えてて三桁に乗るなんて夢物語だと思っていた時期があったからです。それだけに現在のPV数を支えてくれる固定読者の方々には本当に頭が下がり、記事の質も読者数の増加に伴って良くなっているとも思え文字通り読者に支えられているブログだと考えております。
然るに、というのもちょっと妙ですが、毎日350人もアクセスしているにもかかわらず広告収入は一ヶ月当たり700~800円しかなく、見る人によっては少ないのではと思うかもしれません。なおこの金額はすべてGoogle AdSenseによる収入でAmazonの広告に関してはほぼ無きに等しく、今年1~3月の第1四半期は以前に私がレビューを書いた「実は私は」という漫画の1巻と2巻が1冊ずつ買われていっただけで、これによって私の懐に入ってくる紹介料は28円です。まぁAmazonの広告はそれほど頻繁にバナーを貼っていないというのもありますけどね。
話はGoogle AdSenseに限定して進めますが、ほぼ毎日ブログを更新、しかも読んでて嫌になるくらいの長文で、なおかつ一日350人くらい来て700~800円の収入というのがこの陽月秘話です。なお私が通っている漫画喫茶の3時間パックがちょうど800円なので、感覚的には毎月漫画喫茶一回分の収入を自分はブログで稼いでいると豪語しています。もっとも漫画喫茶にはほぼ毎週行ってますが。
その気になればですが、この広告収入は現在よりも増やせる自信があります。どうやって増やすのかというと広告バナーの位置をもっと上部、具体的にはトップページを開いた時すぐ目につく位置に置いたり、集客を意識した記事を連投するなどいくつかありますが、この陽月秘話ではそういった利益優先な行動はとらず自分の主張を思うがままに書きつづりたいとの考えから実行には移しません。Google AdSenseのバナーを置いているのも収入を得たいというよりも、これがどういう仕組みなのかを測りたいという興味から置いてみただけで本気でこれで稼ごうというような気持ちはありません。
たまにネットを徘徊していると、「ブログでアフィリエイト収入をGET!」なんていうキャッチフレーズとともに、ブログを開設すればこづかい収入をアフィリエイトで稼げるというような宣伝文句を見かけます。しかし断言しますがよほど集客力の高いコンテンツや芸能人並の高い知名度がない限り、ブログでそこそこのアフィリエイト収入を得ることは不可能でしょう。それこそ、このブログ以上のコンテンツや更新頻度を作ることが出来るのかってとこです。
ではどうすればそのような集客力の高いブログを作れるのか。いくつかキーワードを挙げるとペット系や芸能ネタはブログアクセスランキングで上位に入りやすいためこういったジャンルを手掛けるのがまだベターかなと思います。それらと共にもう一つ、これは以前に私が利用していたgooブログで顕著でしたが嫌韓嫌中のような排他的なブログもアクセス数が伸びやすい傾向があります。
実際にこのgooブログのアクセスランキングを見てもらえばわかりやすいですが、あまりこういう表現は好きではありませんが極右的な傾向が見えるブログが上位にたくさん入り込んでいます。勝手な言葉を述べると、これら極右的なブログのいくつかは自らの政治信条に基づいてブログを運営しているというよりも明らかに集客を狙って憎悪を煽りたてるような記事を載せているような気がします。言うまでもありませんが、このようなブログを私は好きではありません。
ブログに限らなくてもこのところ中国や韓国に対して批判的な内容の書籍や週刊誌の記事が増えていますが、このような文章が単純に売れるから増えていると出版関係者も述べているそうです。韓国はどうか知りませんが中国の批判本に関しては明らかに常軌を逸しているというか事実と乖離した内容であるにもかかわらずさも自信たっぷりに、「中国はもうすぐ崩壊する」と書いているものが多く、確信犯ででたらめを書いて不必要に日本人の中国人に対する憎悪を煽るこの手の人間には強い怒りを覚えます。それこそシャドーバンキングが中国の大きな問題だと書いている本の作者は例外なく見当違いも甚だしいカスで、中国経済を十年勉強して来いと言ったって許されるでしょう。
ちょっと話は脱線しましたが、アフィリエイトは正攻法じゃほとんど稼げず、本気で稼ごうとするのなら多少のズルというかテクニックが必要です。ですのでブログは基本稼げないものとして、稼ぐ目的で解説してみようという方は初めからやらないことをお勧めします。何も得られなくてもいいから主張したい、っていう人にはうってつけですけど。
最後に自分が運営するもう一つのサイトこと「Comlocation 企業居点」についてですが、このサイトはさくらサーバーのレンタルサーバーを借り、独自ドメインを使っているので一ヶ月当たり750円(サーバー:500円 独自ドメイン:250円)の費用が掛かっています。こっちはコストをかけている分、ある程度広告収入を得ることを目的に設計しているためバナー広告もあざとい所に設置していますが、こちらの先月の広告収入は1771円で無事黒字化を達成しました。
一日当たりのアクセス数は平日か土日かで大きく変動しますが、人が来る平日に限れば大体200人強でこの陽月秘話よりも少ないです。ただ閲覧する人は基本的にサラリーマンで、使用するパソコンはオフィスに置かれたものだと予想されることからクリック一つ当たりの広告収入がやっぱり大きい気がします。アクセス数はまだ右肩上がりが続いていますし載せるデータも一体いつまで続くんだっていうくらいあるのでまだ伸びていくと予想していますが、そろそろ陽月秘話と連動した企画記事も書いてかなきゃと思っているところです。
2014年3月2日日曜日
疲労のためしばらくお休み(ヽ´ω`)
気づいている方は気づいているでしょうが、先週辺りからこのブログの文章にやたら「ファッキン」とか「死ね」などと激しく攻撃的な言葉が頻出しています。なんでこんな言葉が増えてきたのかというと単純自分の性格が攻撃的ということが第一ですが、それと共に疲労が溜まってきていることも大きく影響しているのではないかと思えてきました。
もともと体力にはそんな自信がある方ではありませんが、このところ忙しいというか体力の消耗が激しく、数日前には左耳が痛くなったり目の焦点が合わなくなってきたりと露骨に影響が出てきたりとあんま芳しくない状態となってました。自分の苦労自慢をするのはあまり好きじゃないのですが、今の勤務先は通勤に一時間半かかる所でかつ始業が八時からなので、毎朝六時に家を出るため気象は五時半くらいです。それだけ朝が早いというのなら夜は早めに布団入ればいいものを、このブログ書いたり「企業居点」の作業をしたりするせいか就寝はいつも十二時くらいで、睡眠時間は平日は大体五時間くらいとなっています。
平日の睡眠時間が少ない分、休日には寝貯めするようにしているのですが、先週はブログにも書いた通り使用していたブラウザのOperaでトラブルを起こし、これの対応で作業が進まないばかりかイライラして余計に披露する羽目となりました。疲れていることを見越したのか先週日曜にはうちの親父が銭湯に連れて行ってくれましたがあまり効果なく、誇張抜きで先週一週間は仕事していて本当にしんどかったです。
おまけに今の会社はメーカーであることもあり、四月からの消費税増税を見越して客先各社で今のうちに流動品の在庫を買っておこうと注文が集まっており、一月に入ってからずっと忙しくなっています。そのせいか自分もそうですが、なんか周りの同僚も顔つきが厳しくなっててやや殺伐とした空気が流れています。
なもんだからこのブログの更新も減らそうかと考えましたが、ちょうどというかウクライナ情勢だったりアベノミクスの破綻予想とか時期を外せないネタが増えており、腹をくくって月~木に書き続けました。どうにかこの土日まで持ってくれば休日に休んで何とかなるだろうと考えて頑張っていましたが、木曜日の晩に突然、「明日関東行くから泊まるところなければ泊めてー(原文ママ)」という、大学の先輩からのウィルコム同士による無料メールが届きました。正直、なんでこんなタイミングなんだよと思わざるを得なく、でもって次の金曜日には「泊めてください(原文ママ)」と案の定来るし。
もっともこの先輩も急な訪問ということもあって気を使ってくれ、土曜日は朝食、昼食共にそこそこいい所でおごってくれたため思ってた以上に自分も疲労を感じなく、むしろちょっと元気になれたくらいでした。けどお昼に帰ってった後、二時間くらい何も感じれないくらいに眠り続けたけど。
そして今日日曜日。昨夜十二時に就寝してから午前十時まで寝続けて計十時間という、平日に比べ実に二倍の睡眠時間を堪能しました。多少は体調がよくなったというか勘も戻りつつあり、さっきも晩飯のハンバーグを練りながらハイテンションに「ハンバーグ、フォー!」とか某HGみたいな奇声を一人で挙げるほど回復(?)しましたが、溜まっている作業はほとんど片付いておらず、今後しばらくは気張り続けなければならなそうです。
以上のような状況から、しばらくこのブログの更新をお休みしようかと思います。再開は3/5(水)か3/6(木)を見込んでおり、そこそこいいネタを抱えていて自分でも勿体ない気がするだけにこの予定は厳守できると思ってます。
それにしてもこのところは本当に仕事が忙しい。実は先々週に休養しようと有給を申し込んだのですが、「あまりにも人手が足りないからもうちょっと我慢してくれないか」とリアルに慰留されました。慰留されるのも十分理解できるので特に反感は持ちませんでしたが、逆を言えばそれだけ今忙しいんだよなぁ。
もともと体力にはそんな自信がある方ではありませんが、このところ忙しいというか体力の消耗が激しく、数日前には左耳が痛くなったり目の焦点が合わなくなってきたりと露骨に影響が出てきたりとあんま芳しくない状態となってました。自分の苦労自慢をするのはあまり好きじゃないのですが、今の勤務先は通勤に一時間半かかる所でかつ始業が八時からなので、毎朝六時に家を出るため気象は五時半くらいです。それだけ朝が早いというのなら夜は早めに布団入ればいいものを、このブログ書いたり「企業居点」の作業をしたりするせいか就寝はいつも十二時くらいで、睡眠時間は平日は大体五時間くらいとなっています。
平日の睡眠時間が少ない分、休日には寝貯めするようにしているのですが、先週はブログにも書いた通り使用していたブラウザのOperaでトラブルを起こし、これの対応で作業が進まないばかりかイライラして余計に披露する羽目となりました。疲れていることを見越したのか先週日曜にはうちの親父が銭湯に連れて行ってくれましたがあまり効果なく、誇張抜きで先週一週間は仕事していて本当にしんどかったです。
おまけに今の会社はメーカーであることもあり、四月からの消費税増税を見越して客先各社で今のうちに流動品の在庫を買っておこうと注文が集まっており、一月に入ってからずっと忙しくなっています。そのせいか自分もそうですが、なんか周りの同僚も顔つきが厳しくなっててやや殺伐とした空気が流れています。
なもんだからこのブログの更新も減らそうかと考えましたが、ちょうどというかウクライナ情勢だったりアベノミクスの破綻予想とか時期を外せないネタが増えており、腹をくくって月~木に書き続けました。どうにかこの土日まで持ってくれば休日に休んで何とかなるだろうと考えて頑張っていましたが、木曜日の晩に突然、「明日関東行くから泊まるところなければ泊めてー(原文ママ)」という、大学の先輩からのウィルコム同士による無料メールが届きました。正直、なんでこんなタイミングなんだよと思わざるを得なく、でもって次の金曜日には「泊めてください(原文ママ)」と案の定来るし。
もっともこの先輩も急な訪問ということもあって気を使ってくれ、土曜日は朝食、昼食共にそこそこいい所でおごってくれたため思ってた以上に自分も疲労を感じなく、むしろちょっと元気になれたくらいでした。けどお昼に帰ってった後、二時間くらい何も感じれないくらいに眠り続けたけど。
そして今日日曜日。昨夜十二時に就寝してから午前十時まで寝続けて計十時間という、平日に比べ実に二倍の睡眠時間を堪能しました。多少は体調がよくなったというか勘も戻りつつあり、さっきも晩飯のハンバーグを練りながらハイテンションに「ハンバーグ、フォー!」とか某HGみたいな奇声を一人で挙げるほど回復(?)しましたが、溜まっている作業はほとんど片付いておらず、今後しばらくは気張り続けなければならなそうです。
以上のような状況から、しばらくこのブログの更新をお休みしようかと思います。再開は3/5(水)か3/6(木)を見込んでおり、そこそこいいネタを抱えていて自分でも勿体ない気がするだけにこの予定は厳守できると思ってます。
それにしてもこのところは本当に仕事が忙しい。実は先々週に休養しようと有給を申し込んだのですが、「あまりにも人手が足りないからもうちょっと我慢してくれないか」とリアルに慰留されました。慰留されるのも十分理解できるので特に反感は持ちませんでしたが、逆を言えばそれだけ今忙しいんだよなぁ。
2014年3月1日土曜日
ビキニ水爆実験について
今日から新たな相互リンク先として、下記のブログをリンク欄に追加いたしました。
・中国のすゝめ
このブログは現在、具体的には多分先週から中国の陝西省西安市へ語学留学に行った友人が始めたブログで、また投稿記事数は少ないですが今後に期待しましょう。ここだけの話、この友人は自分の交友範囲の中で最も行動力に優れてて、文字通り何するかわからないところがあるので今後は派手なエピソードとか乗っけてくれるんじゃないかと思います。なおこの友人を除けば、中国にいきなり現地採用を目指して渡るなど自分が最も行動力が高いと自負します。
話は本題に入りますが、各所のテレビニュースなどで今日はあのビキニ水爆実験からちょうど60周年に当たる日という事なので、ビキニ水爆実験とはどういう事件だったかを自分の寸評を交えて紹介します。
・キャッスル作戦(Wikipedia)
今回紹介するキャッスル作戦、通称ビキニ水爆実験とは1954年に米国がビキニ環礁で行った水爆実験です。当時は米露の冷戦下にあって両国で核兵器開発競争が繰り広げらえている最中もあり、両国ともに時刻が保有する核兵器の威力を内外に知らしめるため示威的な実験を行っておりました。
そうして行われた数々の核実験の中でもこのビキニ水爆実験が特筆的に取り上げられるのは、その甚大な破壊力に伴い放射性物質が広範囲にばらまかれ、実験前に設定していた立入禁止地域以外にも放射能汚染が広がったためです。その結果、ビキニ環礁周辺の島嶼で住民が居住できなくなるほどの重度の放射能汚染が起こっただけでなく、周辺で漁を行っていた日本のマグロ漁船、第五福竜丸の船員も放射能に汚染された塵こと「死の灰」を浴び、同船員の久保山愛吉氏が事件から半年後に放射能汚染と疑われる症状で亡くなる事態となりました。
この事件の大きな特徴は、被害を受けた方々に何の罪もないばかりか米国の警告通りに実験区域を離れていたにもかかわらず生死にかかわる事態に巻き込まれた点です。特に第五福竜丸の船員らは広島、長崎に次ぐ第三の被爆と呼ばれ、世界で唯一の原爆を受けた日本の人間が戦争以外でも再び被爆することとなった歴史には閉口する以外ありません。しかし当時の日本政府は米国に逆らえるような力がなかったことから公に非難することも出来ず、、また米国も事件自体をなかったことにするため被爆者に対してあくまで義捐金という形で金を配っただけで、事件の真相調査などには妨害するありさまでした。
原爆被害というと広島、長崎への原爆投下が大きく取り上げられますが、正確には水爆被害ですが、私はこのビキニ水爆実験についても日本人は忘れるべきでない歴史だと考えます。同時に、これほどまで放射能の被害を受けその恐ろしさを知っているにもかかわらず福島原発の事故を起こしてしまったことに関しても同時に意識しなければならないでしょう。
最後にちょっとした豆知識というかなんかですが、グラビアモデルが着る水着としてお馴染みのビキニ水着ですが、この水着の語源はなんとこのビキニ水爆実験からという説があります。ウィキペディアの解説によると1946年に米国がビキニ環礁での水爆実験を発表(実際に実験したのは1954年)した際、この水着のデザイナーがその過激さを原爆の威力にかけ合わせるために「ビキニ」と命名したことによるそうです。
私自身、言葉狩りという行為を非常に嫌っておりますが、ちょっとこの由来を聞くとビキニという言葉を使い続けていいものかと悩みます。代替案としては普通にセパレート水着くらいしか浮かびませんが、今更切り替えるのはさすがに難しいでしょうね。
・中国のすゝめ
このブログは現在、具体的には多分先週から中国の陝西省西安市へ語学留学に行った友人が始めたブログで、また投稿記事数は少ないですが今後に期待しましょう。ここだけの話、この友人は自分の交友範囲の中で最も行動力に優れてて、文字通り何するかわからないところがあるので今後は派手なエピソードとか乗っけてくれるんじゃないかと思います。なおこの友人を除けば、中国にいきなり現地採用を目指して渡るなど自分が最も行動力が高いと自負します。
話は本題に入りますが、各所のテレビニュースなどで今日はあのビキニ水爆実験からちょうど60周年に当たる日という事なので、ビキニ水爆実験とはどういう事件だったかを自分の寸評を交えて紹介します。
・キャッスル作戦(Wikipedia)
今回紹介するキャッスル作戦、通称ビキニ水爆実験とは1954年に米国がビキニ環礁で行った水爆実験です。当時は米露の冷戦下にあって両国で核兵器開発競争が繰り広げらえている最中もあり、両国ともに時刻が保有する核兵器の威力を内外に知らしめるため示威的な実験を行っておりました。
そうして行われた数々の核実験の中でもこのビキニ水爆実験が特筆的に取り上げられるのは、その甚大な破壊力に伴い放射性物質が広範囲にばらまかれ、実験前に設定していた立入禁止地域以外にも放射能汚染が広がったためです。その結果、ビキニ環礁周辺の島嶼で住民が居住できなくなるほどの重度の放射能汚染が起こっただけでなく、周辺で漁を行っていた日本のマグロ漁船、第五福竜丸の船員も放射能に汚染された塵こと「死の灰」を浴び、同船員の久保山愛吉氏が事件から半年後に放射能汚染と疑われる症状で亡くなる事態となりました。
この事件の大きな特徴は、被害を受けた方々に何の罪もないばかりか米国の警告通りに実験区域を離れていたにもかかわらず生死にかかわる事態に巻き込まれた点です。特に第五福竜丸の船員らは広島、長崎に次ぐ第三の被爆と呼ばれ、世界で唯一の原爆を受けた日本の人間が戦争以外でも再び被爆することとなった歴史には閉口する以外ありません。しかし当時の日本政府は米国に逆らえるような力がなかったことから公に非難することも出来ず、、また米国も事件自体をなかったことにするため被爆者に対してあくまで義捐金という形で金を配っただけで、事件の真相調査などには妨害するありさまでした。
原爆被害というと広島、長崎への原爆投下が大きく取り上げられますが、正確には水爆被害ですが、私はこのビキニ水爆実験についても日本人は忘れるべきでない歴史だと考えます。同時に、これほどまで放射能の被害を受けその恐ろしさを知っているにもかかわらず福島原発の事故を起こしてしまったことに関しても同時に意識しなければならないでしょう。
最後にちょっとした豆知識というかなんかですが、グラビアモデルが着る水着としてお馴染みのビキニ水着ですが、この水着の語源はなんとこのビキニ水爆実験からという説があります。ウィキペディアの解説によると1946年に米国がビキニ環礁での水爆実験を発表(実際に実験したのは1954年)した際、この水着のデザイナーがその過激さを原爆の威力にかけ合わせるために「ビキニ」と命名したことによるそうです。
私自身、言葉狩りという行為を非常に嫌っておりますが、ちょっとこの由来を聞くとビキニという言葉を使い続けていいものかと悩みます。代替案としては普通にセパレート水着くらいしか浮かびませんが、今更切り替えるのはさすがに難しいでしょうね。
2014年2月27日木曜日
進む石田三成の再評価
このところ疲労が溜まっているのか仕事中にリアルに、「ファッキン、死ねクソっ」っておびただしい作業の合間にツイッター感覚で呟くようになったので、今日はリラックスすることを願い自宅で半身浴を試みました。半身浴と言ってもただ単に湯船いっぱいにお湯貯めるとガス代と水代がもったいないので底の方に少しだけ貯め、左腕を枕にしながら左半身だけを無理やりお湯につけるという入浴の仕方で、耳の中とか鼻の中に水が入ったりしながら数分間その姿勢を続けました。果たしてこれが効果あるのか非常に疑問ですがあしゅら男爵みたいな感覚に陥りつつ、「半身浴って下半身浴と上半身浴で別れるのかな。後者だとただの犬神家だけど」などと考えるあたりほんと疲れてるんだなって気がします。
話は本題に入りますが、大分以前に「信長の評価の再逆転」という記事で近年になって信長の評価像が変わり始めており、歴史というものは時代によって変わるということを述べましたが、今日も疲れているので似たようなネタとして、関ヶ原の合戦の主役とも言っていい石田三成に対してこのところ、信長同様に従来唱えられていた評価が変わりつつある気配を感じるので、疲れていてもどうとでも書ける歴史ネタなので今日はこれで済まそうと思います。それにしても左目の焦点がマジで合わないし、本当に疲れてるなぁ(ーー;)
・石田三成(Wikipedia)
石田三成がどういう人物だったかはほとんど言わずもがなで、豊臣政権下の能吏として日本全国の度量衡の統一という大事業を成すなど日本史における代表的なテクノクラートの一人です。しかしそんなテクノクラートとしての側面よりも関ヶ原の合戦で実質的に西軍を率いたものの徳川家康に敗北したという事実の方が有名で、三成というと「敗軍の将」というイメージが一般的だと思います。
1、三成は戦下手だったのか?
この三成に対する評価ですがまず第一に多いものとして、「内政能力は高いものの戦下手」というものでしょう。こうした評価は関ヶ原の戦いで敗北したことに加え、豊臣秀吉による関東の北条家征討戦において忍城攻撃軍を指揮したものの、水攻めをかけるなど大規模な作戦を実行したにもかかわらず忍城をなかなか陥落させることが出来ず、最終的に開城させられたのは北条家の本拠である小田原城が陥落した後でした。なお北条家の支城で最後まで陥落しなかったのは忍城で、十分な兵力を与えてもらったにもかかわらず城一つも落とせなかったとして長らく三成の否定的評価の材料となっていました。
しかしこの忍城への攻撃ですが、水攻めの実行を決断したのは三成ではなく総大将の秀吉で、むしろ三成は水攻めを実行することに反対していたと近年では言われております。水攻め自体が過分なデモンストレーション的戦術とされており、実際の戦術的価値以上にかつて毛利家の高松城で秀吉が実行したことを再現するという目的で実行されたと見られており、三成はむしろそんな無理な作戦に付き合わされてメンツを失っただけだと、まるで無茶なプロジェクトに付き合わされた中間管理職だったのではという分析がこのところ広がってきています。私としても秀吉の性格からすると水攻めという派手なデモンストレーションをやりかねないと思え、この説を支持する立場であります。
このほか敗北を喫した関ヶ原の戦いでも徳川軍の行軍ルートを予見した上で関ヶ原で陣を敷いて待ち構えるなど、戦略面では実に手堅い決断を三成はよく取っております。また以前にもこのブログで紹介したエピソードですが、関ヶ原の戦いの後に藤堂高虎から、「私の軍は如何だったでしょうか?」と問われて、「鉄砲隊が悪うございます。隊長に自信がないためとみられる故に替えさせるべきでしょう」と答えており、この答えに高虎も、「自分もそのように考えておりました。ご指導ありがとうございます」と述べて満足そうに帰っていったそうです。この話の通りだったら細かい部隊に対してもその運用の仕方をしっかり理解しているように見え、戦上手だったかはまだ疑問ですが、少なくとも戦下手ではなく軍隊の運用知識やその分析に関しては人並み以上にあったのではないかとも思わせられます。
2、人望無き酷薄な吏官か?
戦下手だったという見方とともに三成に対しては、「頭はいいけど性格に難があり気遣いが出来ず、人望はなかった」という見方も強いのですが、この説に対しても完全にひっくり返るほどまで行かないまでも、このところやや見直しがされてきているように見えます。
そんな三成を慕っていた人物の筆頭は島清興こと島左近で、主君とケンカして厳しい浪人生活中だったところを若い三成が雇用し、「三成には過ぎたる家臣」と言われるほど真摯に仕え続け、関ヶ原でも東軍相手に大いに奮戦しております。同じく関ヶ原で戦った仲間には大谷吉継もおり、彼等は敗戦することを予期していながらも親友三成のために参戦を決断しております。
また遠隔地でも佐竹義宣が三成との信義を優先し、家中の反対を押し切り西軍入りを決断しており、所領である近江の領民も三成の死後ですらその治世を讃え、実際の関ヶ原の合戦でも兵士らは奮闘していたと伝えられています。こうした話からすると人付き合いが下手だったとも思えず、ただ単に豊臣政権武功派とだけ折り合いが悪かった、しかもそれは対人というより文治系と武功系という派閥対立という側面もあり、たまたま文治系の筆頭であった三成に憎悪が向いたのではないかとも考えられます。
マジで疲れているのでそろそろ締めますが、最後にこのところちょっと思うところとして三成の人となりが悪かったというよりもそのケンカ相手こと、福島正則の方が人格的に問題があったのではないかという疑いがもたげます。というのも正則は最も激しく三成打倒を主張していた人物であるのですが、関ヶ原の合戦の後には部下同士の諍いから徳川家の家臣に対して強硬に切腹を求めたり、大阪の陣の最中には大坂方として参戦こそしなかったものの兵糧米を大阪城に運んだりと、いまいち空気を読めない人物像が見えてきます。正則は最終的に勝手に城の補修を行った門で徳川家から領地を没収されますが、もしかしたらこいつが言うほど落ち度のない三成を勝手に嫌い、豊臣家臣団に亀裂を作った張本人ではないかと思えてきました。この辺りのくだりもまた今度書こうっと。
話は本題に入りますが、大分以前に「信長の評価の再逆転」という記事で近年になって信長の評価像が変わり始めており、歴史というものは時代によって変わるということを述べましたが、今日も疲れているので似たようなネタとして、関ヶ原の合戦の主役とも言っていい石田三成に対してこのところ、信長同様に従来唱えられていた評価が変わりつつある気配を感じるので、疲れていてもどうとでも書ける歴史ネタなので今日はこれで済まそうと思います。それにしても左目の焦点がマジで合わないし、本当に疲れてるなぁ(ーー;)
・石田三成(Wikipedia)
石田三成がどういう人物だったかはほとんど言わずもがなで、豊臣政権下の能吏として日本全国の度量衡の統一という大事業を成すなど日本史における代表的なテクノクラートの一人です。しかしそんなテクノクラートとしての側面よりも関ヶ原の合戦で実質的に西軍を率いたものの徳川家康に敗北したという事実の方が有名で、三成というと「敗軍の将」というイメージが一般的だと思います。
1、三成は戦下手だったのか?
この三成に対する評価ですがまず第一に多いものとして、「内政能力は高いものの戦下手」というものでしょう。こうした評価は関ヶ原の戦いで敗北したことに加え、豊臣秀吉による関東の北条家征討戦において忍城攻撃軍を指揮したものの、水攻めをかけるなど大規模な作戦を実行したにもかかわらず忍城をなかなか陥落させることが出来ず、最終的に開城させられたのは北条家の本拠である小田原城が陥落した後でした。なお北条家の支城で最後まで陥落しなかったのは忍城で、十分な兵力を与えてもらったにもかかわらず城一つも落とせなかったとして長らく三成の否定的評価の材料となっていました。
しかしこの忍城への攻撃ですが、水攻めの実行を決断したのは三成ではなく総大将の秀吉で、むしろ三成は水攻めを実行することに反対していたと近年では言われております。水攻め自体が過分なデモンストレーション的戦術とされており、実際の戦術的価値以上にかつて毛利家の高松城で秀吉が実行したことを再現するという目的で実行されたと見られており、三成はむしろそんな無理な作戦に付き合わされてメンツを失っただけだと、まるで無茶なプロジェクトに付き合わされた中間管理職だったのではという分析がこのところ広がってきています。私としても秀吉の性格からすると水攻めという派手なデモンストレーションをやりかねないと思え、この説を支持する立場であります。
このほか敗北を喫した関ヶ原の戦いでも徳川軍の行軍ルートを予見した上で関ヶ原で陣を敷いて待ち構えるなど、戦略面では実に手堅い決断を三成はよく取っております。また以前にもこのブログで紹介したエピソードですが、関ヶ原の戦いの後に藤堂高虎から、「私の軍は如何だったでしょうか?」と問われて、「鉄砲隊が悪うございます。隊長に自信がないためとみられる故に替えさせるべきでしょう」と答えており、この答えに高虎も、「自分もそのように考えておりました。ご指導ありがとうございます」と述べて満足そうに帰っていったそうです。この話の通りだったら細かい部隊に対してもその運用の仕方をしっかり理解しているように見え、戦上手だったかはまだ疑問ですが、少なくとも戦下手ではなく軍隊の運用知識やその分析に関しては人並み以上にあったのではないかとも思わせられます。
2、人望無き酷薄な吏官か?
戦下手だったという見方とともに三成に対しては、「頭はいいけど性格に難があり気遣いが出来ず、人望はなかった」という見方も強いのですが、この説に対しても完全にひっくり返るほどまで行かないまでも、このところやや見直しがされてきているように見えます。
三成に人望がなかったと言われるのは関ヶ原で小早川秀秋や吉川広家、脇坂安治など多くの武将に裏切られたことや、そもそもの関ヶ原の合戦の原因となった福島正則や加藤清正といった豊臣家の武功派との折り合いの悪さなどからですが、衝突する人間が多い一方で三成には周囲の人間によく慕われていたエピソードも非常に多くあります。
そんな三成を慕っていた人物の筆頭は島清興こと島左近で、主君とケンカして厳しい浪人生活中だったところを若い三成が雇用し、「三成には過ぎたる家臣」と言われるほど真摯に仕え続け、関ヶ原でも東軍相手に大いに奮戦しております。同じく関ヶ原で戦った仲間には大谷吉継もおり、彼等は敗戦することを予期していながらも親友三成のために参戦を決断しております。
また遠隔地でも佐竹義宣が三成との信義を優先し、家中の反対を押し切り西軍入りを決断しており、所領である近江の領民も三成の死後ですらその治世を讃え、実際の関ヶ原の合戦でも兵士らは奮闘していたと伝えられています。こうした話からすると人付き合いが下手だったとも思えず、ただ単に豊臣政権武功派とだけ折り合いが悪かった、しかもそれは対人というより文治系と武功系という派閥対立という側面もあり、たまたま文治系の筆頭であった三成に憎悪が向いたのではないかとも考えられます。
マジで疲れているのでそろそろ締めますが、最後にこのところちょっと思うところとして三成の人となりが悪かったというよりもそのケンカ相手こと、福島正則の方が人格的に問題があったのではないかという疑いがもたげます。というのも正則は最も激しく三成打倒を主張していた人物であるのですが、関ヶ原の合戦の後には部下同士の諍いから徳川家の家臣に対して強硬に切腹を求めたり、大阪の陣の最中には大坂方として参戦こそしなかったものの兵糧米を大阪城に運んだりと、いまいち空気を読めない人物像が見えてきます。正則は最終的に勝手に城の補修を行った門で徳川家から領地を没収されますが、もしかしたらこいつが言うほど落ち度のない三成を勝手に嫌い、豊臣家臣団に亀裂を作った張本人ではないかと思えてきました。この辺りのくだりもまた今度書こうっと。
2014年2月26日水曜日
アベノミクスの破綻リスク
先週からこのブログで聞き取っていたアンケートが先日に締め切られ、安倍政権を支持するかどうかという問いに対して下記のような投票結果が出ました。
Q、安倍政権を支持しますか?
この質問は私のブログの読者がどういう政治姿勢を持っているのか大まかでいいので知りたかったためにやってみたわけですが、極端に片方に偏ることなくそこそこ別れたなというのが正直な感想です。ただそれにしても質問項目を作った本人ながら、「そんなことよりおでんを食べたい」に投票した人は一体どういう目的でこれを選んだんだ? 贔屓目に見るなら安倍政権を必ずしも支持していないもののほかに支持するに足りる政党や政治家がいないからこれを選んだのかも……なんてことはないか。
そんなネタに使った安倍政権ですが、このところちょっと暗雲というかあまりいい先行きが見えてこないように思えます。結論から述べるとアベノミクスは今後、破綻する可能性が高いように思え、今日はその理由と今後の日本経済の先行きについて思いのたけを話そうと思います。ちょっと強気に出ると、当たるかどうかは未知数であるものの現時点としてはかなり長期的な予測をここまで立てられるのはあんまりよそにいないでしょう。
1、改善どころか悪化する貿易収支
まずアベノミクスですが、昨年は安倍政権の肝煎りで日銀が大幅な金融緩和を実行すると宣言したことから大幅に株価が回復し、円安にも大きく振れたことから全体景気は大幅に向上したように報じられました。しかしその一方で貿易収支は単月としての赤字額が現在に至るまでほぼ毎月更新を続けており、確か先月には日本という国家全体の財布で赤字か黒字かを見る経常収支も赤字を記録しています。
一体何故円安となったにも 関わらず数字がついてこないのかというと、これはほかでも解説されておりますが円安によって輸出産業は多少は盛り上がったものの、期待されるほどは盛り上がらなかったことが大きいです。盛り上がらなかった筆頭はシャープ、パナソニック、ソニーの電機系赤字三兄弟ですが、この三社を内包する電機系、あと機械系業界は既にほとんどの会社で部品の買い付けから組み立てまで中国など海外ですべて済ませてしまう現地化が徹底されており、円安となっても為替差による利益があまり積み上がらない状態となっておりました。皮肉なことにこうした現地化は極端に円高となったリーマンショック以降に、円高対策として進められたものでもあります。
このように円安による恩恵が想定以上に下りない中、原発停止に伴うエネルギー燃料の輸入量増大に伴って輸入額は円安によって急激に膨れ上がることとなりました。もっとも一部で聞いた話だと原発停止以降のエネルギー輸入量は実はそれ以前とそれほど変わってはないないという意見もあるのですがそれは今回置いといて、少なくとも円安によってアベノミクス以前と以後では輸入額はぐんと上がったのではないかとみています。またエネルギー燃料ばかり注目されていますが、地味に食品輸入でも円安が関連企業にダメージを与えていると聞き、海外子会社の現地従業員にシステムを組ませるITアウトソーシング企業も同様に円安による直撃を受けているという話もあります。
2、伸び悩む賃金がネック
とはいえアベノミクスによって株価は急上昇し、景況感も上向いていることは間違いありません。私は決してアベノミクスを批判するつもりはなくむしろ評価しておりますが、金融緩和を行ったところまではよかったもののその後の具体的な成長戦略を欠いていることは大きな欠点で、それが先行きへの不安につながっている点は批判せざるを得ません。その上でもう一つアベノミクスの欠点を述べると、景況感が上昇して企業収益も全体的と言ってもいい改善が起こっているにもかかわらず賃金の上昇ペースが悪い点があり、これがアベノミクスのつまずきにつながると私は見立てています。
元々アベノミクスの順序としては金融緩和によって円安、株価上昇を引き起こし、企業収益の改善を図る。これによって上記のように貿易収支の悪化が起こることは懸念されておりましたが、その穴埋めとばかりに収益が改善した企業から賃金の引き上げを行っていき国内消費の活発化を促す、めんどいのでもう矢印でまとめ直します。
アベノミクス→企業収益の改善→賃金上昇→国内消費活発化→企業収益のさらなる改善
大雑把な図ですが、ざっとこういう「良い景気循環」を政策担当者は目指しておりました。しかし現在に至るまで賃金の上昇を「業績も回復してきたしそろそろやろうかなぁ」っていう経営者の言葉は出てきても、実際に「〇%引き上げました!」とか「〇万円上がったぞ!」という景気のいい発表や声はびっくりするくらいついぞ聞こえません。確か去年の十月くらいに名前は言わないけどコンビニチェーンが引き上げるとか言ってたけど、本当に実行したか怪しいし。
最近ニュースで春闘の話題が増えていて、トヨタの労組とかも何年振りかのようにベースアップを要求することが度々取り沙汰されておりますが、多分今の大手企業経営者の発言や態度を見ているとベースアップはほとんど実行されないかあってもスズメの涙程度。ほかはボーナスで反映するなどというリップサービスで乗り切っていつも通りに曖昧な終着点に落ちると私は予想します。
このように予想する理由としてもう一つ上げると、現在5%から8%への消費税増税を控えて駆け込み需要が起こっておりますが、この駆け込み需要によって4月以降は消費がググッと落ち込むことが予想されます。春闘はメーデー前の4月がある意味本戦みたいな時期ですが、この時期は消費減退によって各企業の売り上げは落ち込むと見られ、仮にそうなったら経営者としては「足元では不安定感が強い」などという言い訳をしやすく、ベースアップも夢と消えていくのではなんて考えてます。
3、景気悪化の原因は大企業にアリ
しかし消費税増税によって一時景気が落ち込むものの、企業が賃金を引き上げる余裕がないというわけではありません。というのも日本企業ではバブル崩壊以降、余剰資金ともいえる内部留保がずっと増え続けているからです。具体的に言えば大企業であればどの会社もバブル絶頂期より今の方が内部留保金は多く、一部の評論家からはこうした大企業が金を貯めこんで市場に流さないことこそが日本の経済を悪化させている最大の要因だと指摘されており、私自身も同様の見解を持っております。
そのように考えると一応アベノミクスで企業収益は改善されてきているし、株価も上がっているから資金にもやや余裕が出来たことを考えると今すぐにでも各社で賃金を引き上げ、日本全体の景気活性化を促すべきでしょう。然るに先ほどにも述べたように各企業は未だに賃金引き上げに及び腰、というか明らかにやる気なく適当な言い訳でやり過ごそうという態度が見え見えで、これまた先ほどにも述べたように「引き上げてみようかな?」なんてリップサービスで終わるというのが私の見方です。
極論を述べると、消費税が3%引き上げられるのに合わせて全体の平均賃金も3%引き上がり、日本全体で3%のインフレが起こることが最も理想的なのです。しかしそうなる可能性は現状であまりあるとは思えず、安倍政権の運営の仕方というよりも大企業の及び腰が原因でアベノミクスは破綻するのではという結論に至ったわけです。そう考えると、安倍首相も大企業に足引っ張られてついてないな。
4、来年のさらなる消費税増税は……
安倍首相は消費税増税による景気の落ち込みを7月までにとどまらせ、それ以降は再び上昇気流に乗せると宣言していますが、今の状態だと私はこの目標通りにはいかず、4月以降はずっと落ち込むか停滞が続くんじゃないかと悲観的に考えており、株価もずるずるとまた落ちていくのではと予想します。その上で大きな議論となるのは再来年4月、予定通りに消費税を8%から10%へ引き上げるかどうかです。
昨年も今年の3%引き上げが大きな議論となりましたが、オリンピック招致決定という追い風もあってそれほど大きな反対なくすんなり通りましたが、私は今年はそうは簡単にはいかないと見ており、現時点だと10%への引き上げは再来年以降に延期する公算が高いように思えます。安倍政権としてはこのような延期も景気刺激策だと主張できるわけだし。なので今言えることは、輸出関連銘柄の株は早めに処分しておいた方がいいというおせっかいな意見ということです。
おまけ
春闘でベースアップの話題がほんとこのところ多いですが、これもまた今度書くけど日本の労働組合もなよなよした組織になっちまいやがったなぁと感じることが多いです。なおベースアップというと以前に知り合いが、「俺、この前会社の労働組合にベースアップ20万円を経営層に要求しようと主張したんだけど、逆に労働組合の方が俺を止めてきやがった」と、ぶっ飛んだことを話していました。その知り合いによると会社の収益から従業員数を計算するとこの要求が実現したとしてもちゃんと利益出て会社を維持できるそうで、なんで金はあるのにこういう要求しないんだと吠えてました。
Q、安倍政権を支持しますか?
- 支持する 6 (33%)
- 支持しない 8 (44%)
- そんなことよりおでんを食べたい 4 (22%)
この質問は私のブログの読者がどういう政治姿勢を持っているのか大まかでいいので知りたかったためにやってみたわけですが、極端に片方に偏ることなくそこそこ別れたなというのが正直な感想です。ただそれにしても質問項目を作った本人ながら、「そんなことよりおでんを食べたい」に投票した人は一体どういう目的でこれを選んだんだ? 贔屓目に見るなら安倍政権を必ずしも支持していないもののほかに支持するに足りる政党や政治家がいないからこれを選んだのかも……なんてことはないか。
そんなネタに使った安倍政権ですが、このところちょっと暗雲というかあまりいい先行きが見えてこないように思えます。結論から述べるとアベノミクスは今後、破綻する可能性が高いように思え、今日はその理由と今後の日本経済の先行きについて思いのたけを話そうと思います。ちょっと強気に出ると、当たるかどうかは未知数であるものの現時点としてはかなり長期的な予測をここまで立てられるのはあんまりよそにいないでしょう。
1、改善どころか悪化する貿易収支
まずアベノミクスですが、昨年は安倍政権の肝煎りで日銀が大幅な金融緩和を実行すると宣言したことから大幅に株価が回復し、円安にも大きく振れたことから全体景気は大幅に向上したように報じられました。しかしその一方で貿易収支は単月としての赤字額が現在に至るまでほぼ毎月更新を続けており、確か先月には日本という国家全体の財布で赤字か黒字かを見る経常収支も赤字を記録しています。
一体何故円安となったにも 関わらず数字がついてこないのかというと、これはほかでも解説されておりますが円安によって輸出産業は多少は盛り上がったものの、期待されるほどは盛り上がらなかったことが大きいです。盛り上がらなかった筆頭はシャープ、パナソニック、ソニーの電機系赤字三兄弟ですが、この三社を内包する電機系、あと機械系業界は既にほとんどの会社で部品の買い付けから組み立てまで中国など海外ですべて済ませてしまう現地化が徹底されており、円安となっても為替差による利益があまり積み上がらない状態となっておりました。皮肉なことにこうした現地化は極端に円高となったリーマンショック以降に、円高対策として進められたものでもあります。
このように円安による恩恵が想定以上に下りない中、原発停止に伴うエネルギー燃料の輸入量増大に伴って輸入額は円安によって急激に膨れ上がることとなりました。もっとも一部で聞いた話だと原発停止以降のエネルギー輸入量は実はそれ以前とそれほど変わってはないないという意見もあるのですがそれは今回置いといて、少なくとも円安によってアベノミクス以前と以後では輸入額はぐんと上がったのではないかとみています。またエネルギー燃料ばかり注目されていますが、地味に食品輸入でも円安が関連企業にダメージを与えていると聞き、海外子会社の現地従業員にシステムを組ませるITアウトソーシング企業も同様に円安による直撃を受けているという話もあります。
2、伸び悩む賃金がネック
とはいえアベノミクスによって株価は急上昇し、景況感も上向いていることは間違いありません。私は決してアベノミクスを批判するつもりはなくむしろ評価しておりますが、金融緩和を行ったところまではよかったもののその後の具体的な成長戦略を欠いていることは大きな欠点で、それが先行きへの不安につながっている点は批判せざるを得ません。その上でもう一つアベノミクスの欠点を述べると、景況感が上昇して企業収益も全体的と言ってもいい改善が起こっているにもかかわらず賃金の上昇ペースが悪い点があり、これがアベノミクスのつまずきにつながると私は見立てています。
元々アベノミクスの順序としては金融緩和によって円安、株価上昇を引き起こし、企業収益の改善を図る。これによって上記のように貿易収支の悪化が起こることは懸念されておりましたが、その穴埋めとばかりに収益が改善した企業から賃金の引き上げを行っていき国内消費の活発化を促す、めんどいのでもう矢印でまとめ直します。
アベノミクス→企業収益の改善→賃金上昇→国内消費活発化→企業収益のさらなる改善
大雑把な図ですが、ざっとこういう「良い景気循環」を政策担当者は目指しておりました。しかし現在に至るまで賃金の上昇を「業績も回復してきたしそろそろやろうかなぁ」っていう経営者の言葉は出てきても、実際に「〇%引き上げました!」とか「〇万円上がったぞ!」という景気のいい発表や声はびっくりするくらいついぞ聞こえません。確か去年の十月くらいに名前は言わないけどコンビニチェーンが引き上げるとか言ってたけど、本当に実行したか怪しいし。
最近ニュースで春闘の話題が増えていて、トヨタの労組とかも何年振りかのようにベースアップを要求することが度々取り沙汰されておりますが、多分今の大手企業経営者の発言や態度を見ているとベースアップはほとんど実行されないかあってもスズメの涙程度。ほかはボーナスで反映するなどというリップサービスで乗り切っていつも通りに曖昧な終着点に落ちると私は予想します。
このように予想する理由としてもう一つ上げると、現在5%から8%への消費税増税を控えて駆け込み需要が起こっておりますが、この駆け込み需要によって4月以降は消費がググッと落ち込むことが予想されます。春闘はメーデー前の4月がある意味本戦みたいな時期ですが、この時期は消費減退によって各企業の売り上げは落ち込むと見られ、仮にそうなったら経営者としては「足元では不安定感が強い」などという言い訳をしやすく、ベースアップも夢と消えていくのではなんて考えてます。
3、景気悪化の原因は大企業にアリ
しかし消費税増税によって一時景気が落ち込むものの、企業が賃金を引き上げる余裕がないというわけではありません。というのも日本企業ではバブル崩壊以降、余剰資金ともいえる内部留保がずっと増え続けているからです。具体的に言えば大企業であればどの会社もバブル絶頂期より今の方が内部留保金は多く、一部の評論家からはこうした大企業が金を貯めこんで市場に流さないことこそが日本の経済を悪化させている最大の要因だと指摘されており、私自身も同様の見解を持っております。
そのように考えると一応アベノミクスで企業収益は改善されてきているし、株価も上がっているから資金にもやや余裕が出来たことを考えると今すぐにでも各社で賃金を引き上げ、日本全体の景気活性化を促すべきでしょう。然るに先ほどにも述べたように各企業は未だに賃金引き上げに及び腰、というか明らかにやる気なく適当な言い訳でやり過ごそうという態度が見え見えで、これまた先ほどにも述べたように「引き上げてみようかな?」なんてリップサービスで終わるというのが私の見方です。
極論を述べると、消費税が3%引き上げられるのに合わせて全体の平均賃金も3%引き上がり、日本全体で3%のインフレが起こることが最も理想的なのです。しかしそうなる可能性は現状であまりあるとは思えず、安倍政権の運営の仕方というよりも大企業の及び腰が原因でアベノミクスは破綻するのではという結論に至ったわけです。そう考えると、安倍首相も大企業に足引っ張られてついてないな。
4、来年のさらなる消費税増税は……
安倍首相は消費税増税による景気の落ち込みを7月までにとどまらせ、それ以降は再び上昇気流に乗せると宣言していますが、今の状態だと私はこの目標通りにはいかず、4月以降はずっと落ち込むか停滞が続くんじゃないかと悲観的に考えており、株価もずるずるとまた落ちていくのではと予想します。その上で大きな議論となるのは再来年4月、予定通りに消費税を8%から10%へ引き上げるかどうかです。
昨年も今年の3%引き上げが大きな議論となりましたが、オリンピック招致決定という追い風もあってそれほど大きな反対なくすんなり通りましたが、私は今年はそうは簡単にはいかないと見ており、現時点だと10%への引き上げは再来年以降に延期する公算が高いように思えます。安倍政権としてはこのような延期も景気刺激策だと主張できるわけだし。なので今言えることは、輸出関連銘柄の株は早めに処分しておいた方がいいというおせっかいな意見ということです。
おまけ
春闘でベースアップの話題がほんとこのところ多いですが、これもまた今度書くけど日本の労働組合もなよなよした組織になっちまいやがったなぁと感じることが多いです。なおベースアップというと以前に知り合いが、「俺、この前会社の労働組合にベースアップ20万円を経営層に要求しようと主張したんだけど、逆に労働組合の方が俺を止めてきやがった」と、ぶっ飛んだことを話していました。その知り合いによると会社の収益から従業員数を計算するとこの要求が実現したとしてもちゃんと利益出て会社を維持できるそうで、なんで金はあるのにこういう要求しないんだと吠えてました。
2014年2月25日火曜日
ウクライナを巡る国際情勢
各所でも大きく報じられておりますが、先月頃から反政府デモ隊と警察の衝突によって大きく混乱していたウクライナでとうとう大統領が逃亡、政権が崩壊へと至りました。現在は暫定政権が樹立されたことによって落ち着きを取り戻しつつあり、この後に予定されている大統領選には野党勢力で前政権では首相も務めた東欧版鉄の女であるティモシェンコ氏が立候補を表明しており、私の見立てだと何事もなければこの人が無難に次の大統領になるでしょう。
そんなウクライナ情勢ですが、ウクライナ国内はもとよりその周辺各国でも様々な思惑が渦巻き、渦巻きなだけにさながら大きな波紋を描いているようです。そもそも今回の政権崩壊は親ロシア政策を掲げていたヤヌコビッチ政権がヨーロッパ諸国連合ことEU寄りの政策に転換しようとしたところ、ロシア側がかなり過激な干渉を書けたことによって再びロシアの側に立ち、国内の反政府運動やデモ活動を禁止しようとしたことがきっかけでした。つまり崩壊自体が国内の政策や問題ではなく周辺国との外交に起因したものであるだけに、ヨーロッパ各国の駆け引きは今後ますます活発化していくものとみられます。
ここで近年のウクライナの政治史について簡単に説明しますが、まず一つの端緒となったのは2004年に起きたオレンジ革命です。 それ以前のウクライナはCISに加盟するなどロシアの衛星国として経済や軍事に関してもロシアに依存する傾向が強かったのですが、この年の大統領選挙では今回の政権崩壊によって逃亡したヤヌコーヴィチが一度は当選したものの、選挙戦の最中に不正を行ったとの疑惑から反対運動が起こり、また対抗馬であったユシチェンコがヤヌコーヴィチ側に毒(ダイオキシン)を盛られたとも主張したことから再選挙となり、その結果としてEU寄りの外交や政策を主張するユシチェンコがさっきも出てきた鉄の女、ティモシェンコが陣営に着いたことによって逆転勝利を収めました。これがオレンジ革命です。
このオレンジ革命によってウクライナは一気にEUへも加入かとも私は思ったくらいなのですが歴史はそのようにはならず、というのもユシチェンコの政権運営がうまくいかず、ティモシェンコ陣営もついたり離れたりしたことによって支持を失ったばかりか、ウクライナのEUへの接近を快く思わないロシアが天然ガスの供給停止をちらつかせるなどかなり激しい揺さぶりをかけてきたこともあって支持を落とし、2010年の選挙では前回でも大統領職を争ったヤヌコーヴィチに負けてしまいます。
こうしてヤヌコーヴィチが再びウクライナの手綱を握ることとなったのですが、経済的な市場の大きさから彼もEUとの関係構築を図るものの、ここでもまたロシアが邪魔してきます。報道によるとなんでもロシアは前回同様に天然ガスの供給停止をまたちらつかせたほか、ウクライナ製品の全面禁輸にも踏み切ったそうで、これには背に腹を変えられずヤヌコーヴィチも再びロシア寄りの立場を取らざるを得なくなったそうです。
なお少し話が脱線しますが、中国は尖閣諸島沖の漁船早突事件の後で日本に対しレアアースだけを禁輸してきました。日本と中国だけでみれば中国はなんて理性のない国だ(実際その通りだが)と思えてきますが、これにロシアを加えるとまだ良心的な奴に見えてくるほどロシアは虎狼の国だと言えそうです。
ざっと上記のような経緯を辿って今回の政権崩壊へと至ったわけですが、ロシアとしては散々に干渉してきたにもかかわらず新ロシア政権が倒れてしまって骨折り損のくたびれもうけって具合でしょう。また今回の政権崩壊を語る上で外せないのは先日まで開催されていたソチ五輪で、下手に政治的な発言や行動をしてしまうと影響が出かねない大イベントなだけにウクライナで混乱が続いている最中、ロシアは何も介入することが出来なかったのではとみております。逆にウクライナの反政府勢力やそれを支援するEUの組織達もそうしたロシアの足元を見て、短期間に決着をつけようと過激な手段を敢えてとったのでは……なんて妄想も出来たりするわけです。
それで今後のウクライナはどうなっていくか、一部のニュース解説でもありましたがEUとロシアの綱引きが今後も続くと私は思います。そんな今後を占う上で重要なのが次に大統領でそれになりそうなティモシェンコですが、彼女は三国志で言えば司馬懿仲達みたいに信頼のおけない人物で、当面はEU寄りの発言をするでしょうが条件次第では簡単にロシア側へ寝返ることも十分考えられますし、ウクライナの地域性を考えるとそうなるのが自然の様にも思えます。
一方、周辺諸国というかロシアとEUですが、ロシアはここ数年で急激に大国意識を増してきており、昨年のシリアへの空爆是非を問う国連の会議でも空爆実施を支持する米国を抑え結論を空爆見送りへと持っていくなど、実際に国際発言力も年々高まっております。まぁロシアが高まっているというよりは米国が落ちてきているというべきですが。
対するEUですが こうしたロシアの拡大を日本とは違って肌でビリビリと感じる立場なだけに何としてもと抑え込みにかかろうとするでしょう。しかしEUは債務危機問題で加盟国同士でもぎくしゃくしており、米国の後ろ盾を得てもどれだけ抑えられるかあまり大きな期待はできないのではというのが私の見方です。
では日本としてどっちを応援するべきかという論点ですが、それは今後どのような外交方針を持つかによって変わります。これまで通り親米路線を歩むというのならEUを応援した方が絶対得ですが、先ほども言った通りに米国はこの十年で明らかに国際的発言力を落としているだけでなく、世界全体におけるGDPシェアもかなり落ちてきています。今後も超大国でいることは間違いありませんが、かといって正午を過ぎた太陽をいつまで頼みに出来るかは残り時間を気にしなければなりません。
ハイリスクハイリターンを至上に掲げる私としてはもっと面白い道を探さないかと言いたいわけなのですが、やはり今後の世界情勢を見るにつけ軍事、経済の米国、軍事と領土とプーチンのロシア、そして圧倒的な人口シェアと共産党による一党独裁体制の中国が真面目にビッグスリーになっていく気がします。この中で最も理性的なのは米国で間違いありませんが、中国とロシアだけで比べると果たしてどっちがマシか、言うまでもないですが中国のが絶対マシだと断言できます。
外交というのは多面的に考えねばならず、親米路線を続けるにしろほかの二大国に対してどういうアプローチをかけてどんな距離を保つかを考えることは重要です。それこそ、中国を抑えるためにロシアとの関係を強化したらロシアに取って食われてた、なんて未来もあるかもしれないのだし、逆にロシア&米国を抑えるために中国と手を組む未来もあるかもしれません。
最後に以前にも書きましたが、中国は本気でロシアに対して強い恐怖感を抱いていると共に警戒心を一切解いていません。我々からしたら中国は平気で約束を破るしやり方も強引な国に見えますが、そんな中国からするとロシアはもっと強引な国に見えているようで、こうした中国を通したロシアの見方は一つの側面として日本人からしても参考になるのではないでしょうか。 ちょっと持ち上げ過ぎな気もしますが、何するわからないという意味でまだ中国はロシアに比べてわかりやすい気がする。
そんなウクライナ情勢ですが、ウクライナ国内はもとよりその周辺各国でも様々な思惑が渦巻き、渦巻きなだけにさながら大きな波紋を描いているようです。そもそも今回の政権崩壊は親ロシア政策を掲げていたヤヌコビッチ政権がヨーロッパ諸国連合ことEU寄りの政策に転換しようとしたところ、ロシア側がかなり過激な干渉を書けたことによって再びロシアの側に立ち、国内の反政府運動やデモ活動を禁止しようとしたことがきっかけでした。つまり崩壊自体が国内の政策や問題ではなく周辺国との外交に起因したものであるだけに、ヨーロッパ各国の駆け引きは今後ますます活発化していくものとみられます。
ここで近年のウクライナの政治史について簡単に説明しますが、まず一つの端緒となったのは2004年に起きたオレンジ革命です。 それ以前のウクライナはCISに加盟するなどロシアの衛星国として経済や軍事に関してもロシアに依存する傾向が強かったのですが、この年の大統領選挙では今回の政権崩壊によって逃亡したヤヌコーヴィチが一度は当選したものの、選挙戦の最中に不正を行ったとの疑惑から反対運動が起こり、また対抗馬であったユシチェンコがヤヌコーヴィチ側に毒(ダイオキシン)を盛られたとも主張したことから再選挙となり、その結果としてEU寄りの外交や政策を主張するユシチェンコがさっきも出てきた鉄の女、ティモシェンコが陣営に着いたことによって逆転勝利を収めました。これがオレンジ革命です。
このオレンジ革命によってウクライナは一気にEUへも加入かとも私は思ったくらいなのですが歴史はそのようにはならず、というのもユシチェンコの政権運営がうまくいかず、ティモシェンコ陣営もついたり離れたりしたことによって支持を失ったばかりか、ウクライナのEUへの接近を快く思わないロシアが天然ガスの供給停止をちらつかせるなどかなり激しい揺さぶりをかけてきたこともあって支持を落とし、2010年の選挙では前回でも大統領職を争ったヤヌコーヴィチに負けてしまいます。
こうしてヤヌコーヴィチが再びウクライナの手綱を握ることとなったのですが、経済的な市場の大きさから彼もEUとの関係構築を図るものの、ここでもまたロシアが邪魔してきます。報道によるとなんでもロシアは前回同様に天然ガスの供給停止をまたちらつかせたほか、ウクライナ製品の全面禁輸にも踏み切ったそうで、これには背に腹を変えられずヤヌコーヴィチも再びロシア寄りの立場を取らざるを得なくなったそうです。
なお少し話が脱線しますが、中国は尖閣諸島沖の漁船早突事件の後で日本に対しレアアースだけを禁輸してきました。日本と中国だけでみれば中国はなんて理性のない国だ(実際その通りだが)と思えてきますが、これにロシアを加えるとまだ良心的な奴に見えてくるほどロシアは虎狼の国だと言えそうです。
ざっと上記のような経緯を辿って今回の政権崩壊へと至ったわけですが、ロシアとしては散々に干渉してきたにもかかわらず新ロシア政権が倒れてしまって骨折り損のくたびれもうけって具合でしょう。また今回の政権崩壊を語る上で外せないのは先日まで開催されていたソチ五輪で、下手に政治的な発言や行動をしてしまうと影響が出かねない大イベントなだけにウクライナで混乱が続いている最中、ロシアは何も介入することが出来なかったのではとみております。逆にウクライナの反政府勢力やそれを支援するEUの組織達もそうしたロシアの足元を見て、短期間に決着をつけようと過激な手段を敢えてとったのでは……なんて妄想も出来たりするわけです。
それで今後のウクライナはどうなっていくか、一部のニュース解説でもありましたがEUとロシアの綱引きが今後も続くと私は思います。そんな今後を占う上で重要なのが次に大統領でそれになりそうなティモシェンコですが、彼女は三国志で言えば司馬懿仲達みたいに信頼のおけない人物で、当面はEU寄りの発言をするでしょうが条件次第では簡単にロシア側へ寝返ることも十分考えられますし、ウクライナの地域性を考えるとそうなるのが自然の様にも思えます。
一方、周辺諸国というかロシアとEUですが、ロシアはここ数年で急激に大国意識を増してきており、昨年のシリアへの空爆是非を問う国連の会議でも空爆実施を支持する米国を抑え結論を空爆見送りへと持っていくなど、実際に国際発言力も年々高まっております。まぁロシアが高まっているというよりは米国が落ちてきているというべきですが。
対するEUですが こうしたロシアの拡大を日本とは違って肌でビリビリと感じる立場なだけに何としてもと抑え込みにかかろうとするでしょう。しかしEUは債務危機問題で加盟国同士でもぎくしゃくしており、米国の後ろ盾を得てもどれだけ抑えられるかあまり大きな期待はできないのではというのが私の見方です。
では日本としてどっちを応援するべきかという論点ですが、それは今後どのような外交方針を持つかによって変わります。これまで通り親米路線を歩むというのならEUを応援した方が絶対得ですが、先ほども言った通りに米国はこの十年で明らかに国際的発言力を落としているだけでなく、世界全体におけるGDPシェアもかなり落ちてきています。今後も超大国でいることは間違いありませんが、かといって正午を過ぎた太陽をいつまで頼みに出来るかは残り時間を気にしなければなりません。
ハイリスクハイリターンを至上に掲げる私としてはもっと面白い道を探さないかと言いたいわけなのですが、やはり今後の世界情勢を見るにつけ軍事、経済の米国、軍事と領土とプーチンのロシア、そして圧倒的な人口シェアと共産党による一党独裁体制の中国が真面目にビッグスリーになっていく気がします。この中で最も理性的なのは米国で間違いありませんが、中国とロシアだけで比べると果たしてどっちがマシか、言うまでもないですが中国のが絶対マシだと断言できます。
外交というのは多面的に考えねばならず、親米路線を続けるにしろほかの二大国に対してどういうアプローチをかけてどんな距離を保つかを考えることは重要です。それこそ、中国を抑えるためにロシアとの関係を強化したらロシアに取って食われてた、なんて未来もあるかもしれないのだし、逆にロシア&米国を抑えるために中国と手を組む未来もあるかもしれません。
最後に以前にも書きましたが、中国は本気でロシアに対して強い恐怖感を抱いていると共に警戒心を一切解いていません。我々からしたら中国は平気で約束を破るしやり方も強引な国に見えますが、そんな中国からするとロシアはもっと強引な国に見えているようで、こうした中国を通したロシアの見方は一つの側面として日本人からしても参考になるのではないでしょうか。 ちょっと持ち上げ過ぎな気もしますが、何するわからないという意味でまだ中国はロシアに比べてわかりやすい気がする。
2014年2月24日月曜日
日用消費品の品揃えの少なさについて(;一一)
昨日、一昨日と一日で記事二本も投下したんだから今日くらい休んで作業を進めようかとも考えましたが、真面目にこのところ描かなきゃいけないネタが多くて休んでられないのが実情です。でも作業を優先するので今日はパパッと書ける日常ネタで納めることにします。
先週、毎日奇声(?)上げながらシャワーを浴びる風呂場で使う石鹸が切れてしまったので、うちの近くにあるイトーヨーカドーの日用品売り場へと繰り出しました。目当ての石鹸は初めから決めており、具体的に言うとDOVEの石鹸を買おうと考えていました。人それぞれ好みはあるでしょうが私はこのDOVEの石鹸が上海で使っていた際に一番泡立ちも香りが良くて一貫して使うくらい気に入ってるのですが、訪れた日用品売り場ではDOVEのノズルを押せば泡状で出てくる洗顔石鹸水は売ってたものの、固形石鹸ではDOVEはありませんでした。
しょうがないのでライオンの「植物物語」を買ってきましたが、泡立ちは悪くないものの無香料がウリな石鹸のようで石鹸特有の甘い香りがほとんどしません、こちらも無香料がいいという人もたくさんいるでしょうが私は石鹸のにおいが嫌いでなく、買いためた石鹸を敢えてタオル置き場に放り込んでタオルにも臭いをしみつかせようとするくらいなのですが、ちょっとこの「植物物語」ではそういう荒業はしにくいです。
と、長々と妙な石鹸トークが続きましたが、この石鹸に限らず日本の日用品売り場やドラッグストアを訪れる度に、なんでこんなに品揃えが少ないんだと思うことが多いです。そんなDOVEの石鹸がなかっただけでと思うかもしれませんが、この時に行った日用品売り場では何故だかライオンと花王の石鹸ばかりが置いていてほかのメーカーの石鹸はほとんどりありませんでした。もしかしたら陳列責任者が「外資系日用品メーカー製品なぞいらぬ!」という強い意志を持っていたのかもしれませんが。
そんな石鹸以上に違和感を覚えるのはシャンプーの陳列棚です。シャンプーもちょっとこだわりがあって上海にいた時、ってかそれ以前からもずっとLUXのシャンプーを使っていましたが案の定というかその売り場にはなく、代わりにまた花王のシャンプーがずらり。一体どれだけ日本製好きなんだよとツッコみたくなるのは置いときますが、花王のことは置いといてもその陳列棚に並んでいるシャンプーの種類はやけに少ないようにいつも感じました。
結論をそろそろ述べると、中国のお店に比べて日本のお店はこうした日用消費品のアイテム数が極端に少ないように思えます。こう思うのも私が向こうでよく言っていたのはウォルマートとかカルフールなど大規模ショッピングストアだったからかもしれませんが、それにしたって置いてあるシャンプーの種類がこんなに日本は少ないのかと感じざるを得ません。たとえばさっきのLUXにしたって、中国だと黒髪が映える(と謳っている)タイプや保湿性の優れた物、サラサラになりやすい物など常に五種類くらいのLUXのシャンプーが置いてありました。もちろんその五種類全部、容器の大きさ別にさらに三種類に分化して売られてて、LUXブランド一つだけでも陳列数は非常に多かったです。そして言うまでもないですが、中国のお店だとLUXに限らなくても日本の花王のシャンプーもあれば中国メーカー製もあり、シャンプーのコーナーだけで大体10メートルくらいは棚が並んでました。
考えすぎかもしれませんが、こうした日用品というのは商品需要を測る上でなかなか有意義なバロメーターではないかと思います。自分に合ったいい商品を選びたい、この欲求ほど消費欲を左右させるものはなく、特に価格差が小さく毎日使う日用品などはその種類数こそが重要で、そういう意味で私は中国はやはり消費意欲が活発である一方、日本は一時期に比べてアイテム数が減少しているように思えることからまだ消費が減退気味なのかなと思うわけです。それこそマツモトキヨシが山口もえ氏のCMを放映していた時期(1999年)なんかもっとアイテム数が多かったように思えるだけにいろいろと複雑な気持ちも湧いてきます。
なお石鹸、シャンプーに限らず歯磨き粉やシェービング剤どれをとっても日本のお店のアイテム数は中国のお店のアイテム数に比べ少ない気がしますが、唯一染髪剤こと髪染めに関しては日本のどこのお店も大量に置いてあり、中国と比べると多いなぁと思わせられます。この背景は日本の方が茶髪や金髪に染める文化が中国より強いことにあるでしょうが、このところは黒髪がまたぞろ流行ってきているので年々売り上げは落ちてきていると聞きます。
ちなみに自分は染髪剤を使うと髪へのダメージが多いと聞いてたので今の今まで一度も染髪したことはなく、その甲斐あってか未だに白髪が出たこともなければ毛髪量も散髪屋に行くたびに多いと言われます。その一方で職場などでは、「年齢に比べて不思議なくらいに落着いている」などと言われることが多く、なんか老けた感じに見られてるようです。
先週、毎日奇声(?)上げながらシャワーを浴びる風呂場で使う石鹸が切れてしまったので、うちの近くにあるイトーヨーカドーの日用品売り場へと繰り出しました。目当ての石鹸は初めから決めており、具体的に言うとDOVEの石鹸を買おうと考えていました。人それぞれ好みはあるでしょうが私はこのDOVEの石鹸が上海で使っていた際に一番泡立ちも香りが良くて一貫して使うくらい気に入ってるのですが、訪れた日用品売り場ではDOVEのノズルを押せば泡状で出てくる洗顔石鹸水は売ってたものの、固形石鹸ではDOVEはありませんでした。
しょうがないのでライオンの「植物物語」を買ってきましたが、泡立ちは悪くないものの無香料がウリな石鹸のようで石鹸特有の甘い香りがほとんどしません、こちらも無香料がいいという人もたくさんいるでしょうが私は石鹸のにおいが嫌いでなく、買いためた石鹸を敢えてタオル置き場に放り込んでタオルにも臭いをしみつかせようとするくらいなのですが、ちょっとこの「植物物語」ではそういう荒業はしにくいです。
と、長々と妙な石鹸トークが続きましたが、この石鹸に限らず日本の日用品売り場やドラッグストアを訪れる度に、なんでこんなに品揃えが少ないんだと思うことが多いです。そんなDOVEの石鹸がなかっただけでと思うかもしれませんが、この時に行った日用品売り場では何故だかライオンと花王の石鹸ばかりが置いていてほかのメーカーの石鹸はほとんどりありませんでした。もしかしたら陳列責任者が「外資系日用品メーカー製品なぞいらぬ!」という強い意志を持っていたのかもしれませんが。
そんな石鹸以上に違和感を覚えるのはシャンプーの陳列棚です。シャンプーもちょっとこだわりがあって上海にいた時、ってかそれ以前からもずっとLUXのシャンプーを使っていましたが案の定というかその売り場にはなく、代わりにまた花王のシャンプーがずらり。一体どれだけ日本製好きなんだよとツッコみたくなるのは置いときますが、花王のことは置いといてもその陳列棚に並んでいるシャンプーの種類はやけに少ないようにいつも感じました。
結論をそろそろ述べると、中国のお店に比べて日本のお店はこうした日用消費品のアイテム数が極端に少ないように思えます。こう思うのも私が向こうでよく言っていたのはウォルマートとかカルフールなど大規模ショッピングストアだったからかもしれませんが、それにしたって置いてあるシャンプーの種類がこんなに日本は少ないのかと感じざるを得ません。たとえばさっきのLUXにしたって、中国だと黒髪が映える(と謳っている)タイプや保湿性の優れた物、サラサラになりやすい物など常に五種類くらいのLUXのシャンプーが置いてありました。もちろんその五種類全部、容器の大きさ別にさらに三種類に分化して売られてて、LUXブランド一つだけでも陳列数は非常に多かったです。そして言うまでもないですが、中国のお店だとLUXに限らなくても日本の花王のシャンプーもあれば中国メーカー製もあり、シャンプーのコーナーだけで大体10メートルくらいは棚が並んでました。
考えすぎかもしれませんが、こうした日用品というのは商品需要を測る上でなかなか有意義なバロメーターではないかと思います。自分に合ったいい商品を選びたい、この欲求ほど消費欲を左右させるものはなく、特に価格差が小さく毎日使う日用品などはその種類数こそが重要で、そういう意味で私は中国はやはり消費意欲が活発である一方、日本は一時期に比べてアイテム数が減少しているように思えることからまだ消費が減退気味なのかなと思うわけです。それこそマツモトキヨシが山口もえ氏のCMを放映していた時期(1999年)なんかもっとアイテム数が多かったように思えるだけにいろいろと複雑な気持ちも湧いてきます。
なお石鹸、シャンプーに限らず歯磨き粉やシェービング剤どれをとっても日本のお店のアイテム数は中国のお店のアイテム数に比べ少ない気がしますが、唯一染髪剤こと髪染めに関しては日本のどこのお店も大量に置いてあり、中国と比べると多いなぁと思わせられます。この背景は日本の方が茶髪や金髪に染める文化が中国より強いことにあるでしょうが、このところは黒髪がまたぞろ流行ってきているので年々売り上げは落ちてきていると聞きます。
ちなみに自分は染髪剤を使うと髪へのダメージが多いと聞いてたので今の今まで一度も染髪したことはなく、その甲斐あってか未だに白髪が出たこともなければ毛髪量も散髪屋に行くたびに多いと言われます。その一方で職場などでは、「年齢に比べて不思議なくらいに落着いている」などと言われることが多く、なんか老けた感じに見られてるようです。
2014年2月23日日曜日
「少年ジャンプ」のテーマパーク建設の提案
発想自体は昨年末の北京旅行中に出来ておりましたが、記事を書くのが遅れに遅れてしまって今日に至りました。結論から述べると日本はコンテンツ産業を本気で海外に売ってくつもりがあるのなら、四の五の言わずに週刊マンガ誌の「少年ジャンプ」のキャラクターを使ったテーマパークを今すぐ作り始めるべきです。
「少年ジャンプ」については何も説明する必要はないでしょうが、「ドラゴンボール」や「ONE PIECE」 、古くは「聖闘士星矢」や「キン肉マン」といった大ヒット作を生み出した少年漫画界における王者と言ってもいい漫画雑誌です。これらのコンテンツは日本のみならず海外でも高く評価されており、特に「聖闘士星矢」に関しては2012年にテレビアニメが新規に放映されましたが、何故か中国の新聞が、「日本で聖闘士星矢のアニメが新規放映!」って具合で、でかい紙面で報じておりました。ってか中国で放映するわけじゃないのに……。
これらのコンテンツは現状でも十分お金を稼いでいると言ってもいいのですが、やはり世界のコンテンツ市場で戦っていくには何が足りないかというと私はテーマパークの存在ではないかとかねてから考えています。その根拠というのもコンテンツ界の覇者と言ってもいい「ミッキーマウス」擁するウォルト・ディズニーが何故君臨し続けているのかというと、やっぱりあの「ディズニーランド」の存在が大きいように思えるからです。ただ漫画やゲーム、関連グッズとしてあり続けることよりもアトラクションなどに乗って実際に体験するということはコンテンツを享受する上で非常に大きく、日本の漫画やアニメコンテンツがこれだけ多種類に渡って海外(中国も含む)から高い評価を得ながらディズニーの後塵を拝しているのかというと、やはりこのテーマパークがあるかないかに尽きる気がします。
こうした考え、というより発想の原点は「如何にディズニーを打ち倒すか」という我ながら闘争本能に満ちた問いからテーマパークの存在に突き当たったわけなのですが、一体何故それで「少年ジャンプ」を推すのかというとこれまた理由があります。一番大きな理由は「少年ジャンプ」がこの雑誌海外で戦っていく上で必要な人気コンテンツを単独で揃え切れるということにあり、裏を返せば複数の漫画雑誌を横断して一つのテーマパークを作ることはまず不可能だと考えたからです。
理想を言えば「少年ジャンプ」だけの枠内にとどまらず各ジャンルで確実に売れる作品を結集、具体的にはアニメなら「新世紀エヴァンゲリオン」、少女漫画なら「セーラームーン」などを一堂に集めたいところですが、あくまで予想ですが各出版社の版権の扱いや利益の分配をどうするかで確実に揉めることが目に見え、まとまる話すらまとまらなくなることが目に見えているからです。
日本は自動車業界などはこの前のブリヂストンみたいにカルテルや談合やらかすほど横のつながりが強いものの、ことコンテンツ業界に関してはコラボレーション企画などはほとんど皆無に等しく、それどころか各出版社間で非常に仲が悪いです。今日広島に左遷された異なるうちの親父にも聞いてみたけど、集英社と小学館は同じ企業系列だがこの二社の編集部同士はやっぱり険悪な関係だそうです。
こうした見方から、どうせ実現性の低い企画よりもまだ実現の可能性があり、またもっとも主要なコンテンツを集めきれるということとなると「少年ジャンプ」こと集英社に期待するしかないというわけです。ただテーマパークの運営となると集英社だけですぐできるわけではないのですが、幸いというか日本にはこの方面で世界屈指の実力を誇る、「東京ディズニーランド」の運営企業であるオリエンタルランドが存在します。大きく出ると必要なコンテンツをオリエンタルランドに渡せば確実に儲けを生むテーマパークを作って運営してくれるという確信に満ちた期待を私は持っており、集英社とオリエンタルランド、後いくつかの企業に出資してもらえばそこそこ面白いテーマパークが出来るんじゃないかという考えに至りました。
極端な話、このテーマパークに対しては政府も200億円くらい出資してもいいように思えます。日本のキャラクターコンテンツを海外に発信する上でこのテーマパークは非常に重要な意義を持つと期待でき、集英社だけえこ贔屓になるのではという声が確実に上がるでしょうがそういう声は蟻の如く踏み潰してやって、日本のソフトパワーの発信に国全体で取り組むべきでしょう。なお、中国や韓国でも一企業に対して政府からの財務支援はしょっちゅうやっています。
その上で私がここで言いたいのは、果断なく今この瞬間から急ぎ計画の策定に入って準備するべきだということです。仮に中国だったら計画策定から施設建設まで二年くらいでやって来れるけど、いろいろと無意味で面倒な手続きが多い上に実行力に乏しい日本だと施設完成まで最低でも五年は食うと予想されます。何故それほど急ぐのかというと、仮に本気でこういうテーマパークをやる気があるというのならたとえ何があったとしても2020年の東京オリンピックまでに入園開始にこぎつけたいからです。
オリンピックは言うまでもなく世界屈指の大イベントで期間中は外国人も大勢日本を訪問することが予想されます。まさにその瞬間に「少年ジャンンプ」のテーマパークに来てもらうことによってテーマパークを世界全体で売り込むことが出来るだけでなく、オリンピックを目的とした日本旅行でもこのテーマパークの訪問もツアー予定に組み込むことが出来たら、海外にいる日本の漫画、アニメファンなどは結構来てくれて相乗効果が激しく期待できるように思えます。東京オリンピックまであと六年ですが、そこから逆算するとなると本当に今年中にも計画案を出さないと間に合わない計算なので急いでほしいわけです。
最後にこのテーマパーク、実際にアトラクションとして使えそうな作品ですが、先ほども挙げたように「ドラゴンボール」、「ONE PIECE」、「聖闘士星矢」あたりがまず無難で、このほか「NARUTO」や「SLUM DUNK」などもありかもしれません。人気作であることはもとよりなるべく長期連載作品の方が幅広世代を取り込めるかなと考えて候補を選びましたが、「これやったらなんか別のテーマパークになるのでは……」と考えた作品が一つあり、さくっと書いてしまうと「ジョジョの奇妙な冒険」です。
この作品も長期連載作品で且つ人気作でありますが、その独特過ぎる世界観からほかの作品と一緒にやってけるのか自分もファンでありながら不安に感じます。多分やるとしたらジョジョのアトラクションがある所だけ「ジョジョ園」とか呼ばれ、なんかビルの上の方に花京院らしき物体が常に突き刺さってたり、アトラクションは「吸血鬼の館(DIO)」とかになるんだろうなと思うにつけ、むしろ単独で作ってもらえないかなと思ったりするわけです。
この記事の執筆時間は約30分で、まぁいいペースで書けましたね。変に構想が長かった分、文章自体は頭の中でほぼ出来上がっていたというべきか。
「少年ジャンプ」については何も説明する必要はないでしょうが、「ドラゴンボール」や「ONE PIECE」 、古くは「聖闘士星矢」や「キン肉マン」といった大ヒット作を生み出した少年漫画界における王者と言ってもいい漫画雑誌です。これらのコンテンツは日本のみならず海外でも高く評価されており、特に「聖闘士星矢」に関しては2012年にテレビアニメが新規に放映されましたが、何故か中国の新聞が、「日本で聖闘士星矢のアニメが新規放映!」って具合で、でかい紙面で報じておりました。ってか中国で放映するわけじゃないのに……。
これらのコンテンツは現状でも十分お金を稼いでいると言ってもいいのですが、やはり世界のコンテンツ市場で戦っていくには何が足りないかというと私はテーマパークの存在ではないかとかねてから考えています。その根拠というのもコンテンツ界の覇者と言ってもいい「ミッキーマウス」擁するウォルト・ディズニーが何故君臨し続けているのかというと、やっぱりあの「ディズニーランド」の存在が大きいように思えるからです。ただ漫画やゲーム、関連グッズとしてあり続けることよりもアトラクションなどに乗って実際に体験するということはコンテンツを享受する上で非常に大きく、日本の漫画やアニメコンテンツがこれだけ多種類に渡って海外(中国も含む)から高い評価を得ながらディズニーの後塵を拝しているのかというと、やはりこのテーマパークがあるかないかに尽きる気がします。
こうした考え、というより発想の原点は「如何にディズニーを打ち倒すか」という我ながら闘争本能に満ちた問いからテーマパークの存在に突き当たったわけなのですが、一体何故それで「少年ジャンプ」を推すのかというとこれまた理由があります。一番大きな理由は「少年ジャンプ」がこの雑誌海外で戦っていく上で必要な人気コンテンツを単独で揃え切れるということにあり、裏を返せば複数の漫画雑誌を横断して一つのテーマパークを作ることはまず不可能だと考えたからです。
理想を言えば「少年ジャンプ」だけの枠内にとどまらず各ジャンルで確実に売れる作品を結集、具体的にはアニメなら「新世紀エヴァンゲリオン」、少女漫画なら「セーラームーン」などを一堂に集めたいところですが、あくまで予想ですが各出版社の版権の扱いや利益の分配をどうするかで確実に揉めることが目に見え、まとまる話すらまとまらなくなることが目に見えているからです。
日本は自動車業界などはこの前のブリヂストンみたいにカルテルや談合やらかすほど横のつながりが強いものの、ことコンテンツ業界に関してはコラボレーション企画などはほとんど皆無に等しく、それどころか各出版社間で非常に仲が悪いです。今日広島に左遷された異なるうちの親父にも聞いてみたけど、集英社と小学館は同じ企業系列だがこの二社の編集部同士はやっぱり険悪な関係だそうです。
こうした見方から、どうせ実現性の低い企画よりもまだ実現の可能性があり、またもっとも主要なコンテンツを集めきれるということとなると「少年ジャンプ」こと集英社に期待するしかないというわけです。ただテーマパークの運営となると集英社だけですぐできるわけではないのですが、幸いというか日本にはこの方面で世界屈指の実力を誇る、「東京ディズニーランド」の運営企業であるオリエンタルランドが存在します。大きく出ると必要なコンテンツをオリエンタルランドに渡せば確実に儲けを生むテーマパークを作って運営してくれるという確信に満ちた期待を私は持っており、集英社とオリエンタルランド、後いくつかの企業に出資してもらえばそこそこ面白いテーマパークが出来るんじゃないかという考えに至りました。
極端な話、このテーマパークに対しては政府も200億円くらい出資してもいいように思えます。日本のキャラクターコンテンツを海外に発信する上でこのテーマパークは非常に重要な意義を持つと期待でき、集英社だけえこ贔屓になるのではという声が確実に上がるでしょうがそういう声は蟻の如く踏み潰してやって、日本のソフトパワーの発信に国全体で取り組むべきでしょう。なお、中国や韓国でも一企業に対して政府からの財務支援はしょっちゅうやっています。
その上で私がここで言いたいのは、果断なく今この瞬間から急ぎ計画の策定に入って準備するべきだということです。仮に中国だったら計画策定から施設建設まで二年くらいでやって来れるけど、いろいろと無意味で面倒な手続きが多い上に実行力に乏しい日本だと施設完成まで最低でも五年は食うと予想されます。何故それほど急ぐのかというと、仮に本気でこういうテーマパークをやる気があるというのならたとえ何があったとしても2020年の東京オリンピックまでに入園開始にこぎつけたいからです。
オリンピックは言うまでもなく世界屈指の大イベントで期間中は外国人も大勢日本を訪問することが予想されます。まさにその瞬間に「少年ジャンンプ」のテーマパークに来てもらうことによってテーマパークを世界全体で売り込むことが出来るだけでなく、オリンピックを目的とした日本旅行でもこのテーマパークの訪問もツアー予定に組み込むことが出来たら、海外にいる日本の漫画、アニメファンなどは結構来てくれて相乗効果が激しく期待できるように思えます。東京オリンピックまであと六年ですが、そこから逆算するとなると本当に今年中にも計画案を出さないと間に合わない計算なので急いでほしいわけです。
最後にこのテーマパーク、実際にアトラクションとして使えそうな作品ですが、先ほども挙げたように「ドラゴンボール」、「ONE PIECE」、「聖闘士星矢」あたりがまず無難で、このほか「NARUTO」や「SLUM DUNK」などもありかもしれません。人気作であることはもとよりなるべく長期連載作品の方が幅広世代を取り込めるかなと考えて候補を選びましたが、「これやったらなんか別のテーマパークになるのでは……」と考えた作品が一つあり、さくっと書いてしまうと「ジョジョの奇妙な冒険」です。
この作品も長期連載作品で且つ人気作でありますが、その独特過ぎる世界観からほかの作品と一緒にやってけるのか自分もファンでありながら不安に感じます。多分やるとしたらジョジョのアトラクションがある所だけ「ジョジョ園」とか呼ばれ、なんかビルの上の方に花京院らしき物体が常に突き刺さってたり、アトラクションは「吸血鬼の館(DIO)」とかになるんだろうなと思うにつけ、むしろ単独で作ってもらえないかなと思ったりするわけです。
この記事の執筆時間は約30分で、まぁいいペースで書けましたね。変に構想が長かった分、文章自体は頭の中でほぼ出来上がっていたというべきか。
新車の初月受注台数データの怪しさ
フィットHVの記事を書いたばっかなので、同じく自動車業界にまつわる経済記事をまた書いてみます。上海の記者時代もそうだったけど、自動車業界関連の記事書くこと多いなぁ自分も。
このところ各自動車メーカーは新車を出すたびに、「発売から一ヶ月間で単月販売目標台数の3倍を受注しました」などと景気のいいプレスリリースをすることが多く、リリース内容を報じるメディアも額面通りに受け取ってそのまま記事を書いて出してきています。結論から言うとこれらのはっぴゅ内容は非常に怪しく、はっきり言って報じる価値もない大本営発表とみてもいいのではないかと思っています。こうした初月販売台数データの何が怪しいのかというと、言うなればその数字が実態を持っているかほとんど検証できないばかりか、水増しに近い行為を各自動車メーカーがやっている節があるからです。
結論から述べると初月販売台数にカウントしている台数の大半は、系列企業や下請け会社の従業員に無理やり買わせた数字が主力となっているのではと見ています。というのも二ヶ月目、三ヶ月目の単月販売データを出す企業はほとんどなく、また自動車業界関係者から話聞いていると新車が出る度にノルマに近い台数が課されるとか、聞いてて独禁法とかどうなのよと思う話がちらほら聞こえてきたりします。
こうした疑惑について指摘するメディアはほとんどなくて大本営発表を垂れ流すメディアが大半ですが、唯一というか「ベストカー」というランエボが世界最速と信じて疑わないカー雑誌が記事に取り上げ、去年に発売したトヨタの「カローラHV」がこれまた目標台数の何倍も売れているというトヨタのリリースについて、「関連企業に業務用社有車として一社につき数台買わせるだけでこの数字は達成できる」と、身も蓋もないことを書いてました。ちなみに「ベストカー」に限るわけじゃないけど、カー雑誌をとりあえずトヨタ批判をすれば記事が書きやすそうにみえます。その一方で三菱自動車は自分ですらフォローし辛いんだけど。
先ほどから大本営発表という言葉を使っておりますが、この自動車の初月販売台数といい、小もない内容をさも体操に報じることほど無意味なことはありません。ちなみに中国の経済データだと、地方別GDPを合計させると毎年必ず全国GDPを上回る数字になって、中央政府も「地方はいい加減、GDPを水増しするのをやめろ」という事態になっています。この地方別GDPの合計が全国データと一致しない内容は自分の上海時代の上司が最初に突っ込んだと自慢してましたが、ここで取り上げた初月販売台数データも誰か、「このうち関連会社が購入した割合は何%?」ってメーカーに突っ込んでくれないかなぁ。このところ思うけど、こういう毒のある記事が最近減りましたね。
このところ各自動車メーカーは新車を出すたびに、「発売から一ヶ月間で単月販売目標台数の3倍を受注しました」などと景気のいいプレスリリースをすることが多く、リリース内容を報じるメディアも額面通りに受け取ってそのまま記事を書いて出してきています。結論から言うとこれらのはっぴゅ内容は非常に怪しく、はっきり言って報じる価値もない大本営発表とみてもいいのではないかと思っています。こうした初月販売台数データの何が怪しいのかというと、言うなればその数字が実態を持っているかほとんど検証できないばかりか、水増しに近い行為を各自動車メーカーがやっている節があるからです。
結論から述べると初月販売台数にカウントしている台数の大半は、系列企業や下請け会社の従業員に無理やり買わせた数字が主力となっているのではと見ています。というのも二ヶ月目、三ヶ月目の単月販売データを出す企業はほとんどなく、また自動車業界関係者から話聞いていると新車が出る度にノルマに近い台数が課されるとか、聞いてて独禁法とかどうなのよと思う話がちらほら聞こえてきたりします。
こうした疑惑について指摘するメディアはほとんどなくて大本営発表を垂れ流すメディアが大半ですが、唯一というか「ベストカー」というランエボが世界最速と信じて疑わないカー雑誌が記事に取り上げ、去年に発売したトヨタの「カローラHV」がこれまた目標台数の何倍も売れているというトヨタのリリースについて、「関連企業に業務用社有車として一社につき数台買わせるだけでこの数字は達成できる」と、身も蓋もないことを書いてました。ちなみに「ベストカー」に限るわけじゃないけど、カー雑誌をとりあえずトヨタ批判をすれば記事が書きやすそうにみえます。その一方で三菱自動車は自分ですらフォローし辛いんだけど。
先ほどから大本営発表という言葉を使っておりますが、この自動車の初月販売台数といい、小もない内容をさも体操に報じることほど無意味なことはありません。ちなみに中国の経済データだと、地方別GDPを合計させると毎年必ず全国GDPを上回る数字になって、中央政府も「地方はいい加減、GDPを水増しするのをやめろ」という事態になっています。この地方別GDPの合計が全国データと一致しない内容は自分の上海時代の上司が最初に突っ込んだと自慢してましたが、ここで取り上げた初月販売台数データも誰か、「このうち関連会社が購入した割合は何%?」ってメーカーに突っ込んでくれないかなぁ。このところ思うけど、こういう毒のある記事が最近減りましたね。
2014年2月22日土曜日
さようならOpera
まるで全力疾走をしたかのような脱力感で今いっぱいなのですが、ついさっきまでいろいろと八つ当たりしていて声も完全に枯れてます。明日とかずっと喉痛いだろうな。そもそもなんでそんな激しい八つ当たりをしたのかというと、これまでこのブログでも何度も取り上げてきたマイナーブラウザのOperaで、ちょっとというかかなり納得できないことが多くここ数ヶ月で最大級なくらいに一人で怒っていたからです。
事の起こりは本日正午ごろ。ひとつ前のホンダのフィットHVをディスる記事を書き終えてアップした後、記事に問題ないかこのブログのトップページを開こうと指示したら何故か無反応。そんでもって「該当のページはURLとか間違ってません?」とか表示され、 どういう事だと思ってYahooのページなども試してみるとこちらも開かない。そのくせ何故か楽天証券は開くし……。
この時点でかなりカチンと来ていたのですが、もしかしたらブラウザの設定がおかしいのかと思って一旦アンインストールして再インストールをしてみても全く変わらず。ついさっきまで開けられたページが開けないことへのいらだちから何か物を投げたい衝動に駆られ、右手で握っていたものをリアルに全力で投げつけたらマウスが窓に当たって一発でぶっ壊れました。にしてもワイヤレスマウスは投げやすいから駄目ですね、あと窓割らなくてよかった。
一体なんでこんな妙な現象が起きたのか全く理解できませんが、予兆というものは実はありました。その予兆というのもアカウント認識、具体的にはGメールなどといったGoogle関連のページを開く際にエラーが出て、一部の画像が表示されなかったりページ内の一部内容が閲覧できない状態がずっと続いておりました。それだけに、Yahooメールの認証が必要なYahooのページもうまく開けなかったんじゃないかとも考えています。
と、これだけだったらマウス壊した程度で済んだでしょうが、まだまだ続きがあります。 もしかしたらOperaの最新版をインストールしてみたら変わるかなと思い、これまで使っていたVer12.11から最新版のVer19.00をダウンロードして入れてみたところ、文字通り面喰いました。何に驚いたのかというとデザインが一新されていたのはいいとして、これまで使えていたオプションがほぼすべて使えなくなっていたからです。具体的に何が使えなくなったのかというと、
・Opera mail(ブラウザを使ったメールソフト)
・ブラウザ上部のメニュ表示
・ブックマーク(お気に入り)メニュー
・ブラウザ右上部にある検索ツールバー
これら機能はどれも私が重宝していて、逆を言えばこれらの機能とマウスジェスチャーがあったからこそOperaを使っていたと言っても過言ではありません。更にこれまで自由にカスタマイズが可能でホームボタンや印刷ボタンなどを自由に置くことが出来た外観もほぼ固定されてなにも弄れなくなったほか、ホームページを表示させるためのホームボタンは完全になかったことにされてました。
あと凄まじく納得いかなかったのはブックマークメニューの廃止です。OperaにはSpeedDialといってクリック一つで空白ページから指定のページを開く機能があるのですが、これだと大量のページを管理し辛く、私はブックマークメニューと並行して使っていました。にもかかわらず新しいOperaではこれが廃止されており、代わりにブックマークバーといって画面上部の狭い所にしかブックマークを表示することが出来なくなっておりました。簡単に調べてみたところ、Ver15.00からブックマークメニューをなくしていたようで、なくした理由というのも「大半の人が使わないから」と、本当かよと疑いたくなる理由を発表していたそうです。もっともその後に批判が相次いだことから、さっきのブックマークバーを後から追加したそうですが、ブックマークバーも最初無かったというのは何考えてるんだとちょっと問いたいです。
このほか動作もなんかもっさり気味で、相変わらずアカウント認証は不安定で、これではもはや使えないと判断した結果、Operaの使用を今日この日を持ってやめようと思います。既に代替として今現在使っているFire Foxにマウスジェスチャー、キーボードショートカット、スピードダイヤルのアドオンを導入してそこそこ満足する設定に持ってこれました。もっともこの前にGoogle Chromeを入れてしばらく動かしていましたが、何故かポップアップ広告の表示を禁止しているにもかかわらずどかどか出続け、Yahooのページですら文字がほとんど見えないくらいに広告で埋め尽くされ、挙句には詐欺サイトの広告も平然と表示されてあまりの怒り心頭からキーボードも叩き壊す寸前にまで行きました。物に八つ当たりするのはよくないと思いつつも、まだわかないなぁと自分で思います。
幸いというかFire Foxで今現在、機能にそこそこ満足しているので何とかやってけそうです。っていうかスレイプニルとかも試したけど、メニュー表示のできないブラウザがやけに多すぎるような気がします。閲覧するだけならそれでいいだろうけど、自分なんかこうしてブログも書くし「企業居点」のサイト編集もするためブラウザ上で作業することが多いだけに、生半可なブラウザだとストレスたまりまくります。
それにしても今日はこのブラウザの再設定などで非常に時間を取られ、やりたいと思っていた作業がほとんど何もできませんでした。ブログも今日は大量に書いて、あと企業居点も数百件データを追加しようと思っていたのに。もっとも遊ぼうと思っていたレースゲームの「グランツーリスモ6」に関しては、昼過ぎから親父と合流して実家のホンダ・フィットを久々に運転することで多少は満足しましたが。それにしても実家の車がフィットなのに、あんだけフィットHVを批判するのもまた珍しい。
非常に八つ当たり的な内容で読んでる方も困惑されていると思うでしょうが、本当にこういうやり方でしか怒りの向け先がないというのが正直な所です。最後にもう一回書きますが、これまで私は熱烈なユーザーで一切浮気をしてこなかったと自負しますが、もうこれ以上はOperaを使う気にはなれません。感覚的にはVer10.00に移行したあたりから更新されるたびに違和感を覚えることが増えておりましたが、今回のOperaの理解のしようがない改悪にはほとほと熱も冷めました。
おまけ
Operaに関してはやはり去年あたりからなんでと思うことが増えており、タブレットPCのNexus7を手に入れた際もブラウザはOperaで行こうとインストールしたものの、何故だか妙に動きも表示も悪かったことから結局アンインストールしてしまいました。シンプルイズベストが売りだったのに、無駄な機能に無意味なシンプルさにまみれていて、もはや自分の好きだったOperaはここにはありません。
おまけ2
Fire Foxへ使用ブラウザを移行するに当たってブックマークに入れていたサイトのアドレスを移行させようとした際、一気にデータを取り込めないかと検索してみたら、Operaの公式サイトのヘルプにデータのエクスポートの仕方が載っていました。早速このやり方でやってみようと試してみたところ、何故か説明に書かれているエクスポート実行のボタンがありませんでした。調べてみるとどうやらほかの人も同じことを経験しているようで、どうやらヘルプにやり方を指導している癖にエクスポートの機能を実装していないようです。こんなにひどいブラウザってほかにあんのかよ。
事の起こりは本日正午ごろ。ひとつ前のホンダのフィットHVをディスる記事を書き終えてアップした後、記事に問題ないかこのブログのトップページを開こうと指示したら何故か無反応。そんでもって「該当のページはURLとか間違ってません?」とか表示され、 どういう事だと思ってYahooのページなども試してみるとこちらも開かない。そのくせ何故か楽天証券は開くし……。
この時点でかなりカチンと来ていたのですが、もしかしたらブラウザの設定がおかしいのかと思って一旦アンインストールして再インストールをしてみても全く変わらず。ついさっきまで開けられたページが開けないことへのいらだちから何か物を投げたい衝動に駆られ、右手で握っていたものをリアルに全力で投げつけたらマウスが窓に当たって一発でぶっ壊れました。にしてもワイヤレスマウスは投げやすいから駄目ですね、あと窓割らなくてよかった。
一体なんでこんな妙な現象が起きたのか全く理解できませんが、予兆というものは実はありました。その予兆というのもアカウント認識、具体的にはGメールなどといったGoogle関連のページを開く際にエラーが出て、一部の画像が表示されなかったりページ内の一部内容が閲覧できない状態がずっと続いておりました。それだけに、Yahooメールの認証が必要なYahooのページもうまく開けなかったんじゃないかとも考えています。
と、これだけだったらマウス壊した程度で済んだでしょうが、まだまだ続きがあります。 もしかしたらOperaの最新版をインストールしてみたら変わるかなと思い、これまで使っていたVer12.11から最新版のVer19.00をダウンロードして入れてみたところ、文字通り面喰いました。何に驚いたのかというとデザインが一新されていたのはいいとして、これまで使えていたオプションがほぼすべて使えなくなっていたからです。具体的に何が使えなくなったのかというと、
・Opera mail(ブラウザを使ったメールソフト)
・ブラウザ上部のメニュ表示
・ブックマーク(お気に入り)メニュー
・ブラウザ右上部にある検索ツールバー
これら機能はどれも私が重宝していて、逆を言えばこれらの機能とマウスジェスチャーがあったからこそOperaを使っていたと言っても過言ではありません。更にこれまで自由にカスタマイズが可能でホームボタンや印刷ボタンなどを自由に置くことが出来た外観もほぼ固定されてなにも弄れなくなったほか、ホームページを表示させるためのホームボタンは完全になかったことにされてました。
あと凄まじく納得いかなかったのはブックマークメニューの廃止です。OperaにはSpeedDialといってクリック一つで空白ページから指定のページを開く機能があるのですが、これだと大量のページを管理し辛く、私はブックマークメニューと並行して使っていました。にもかかわらず新しいOperaではこれが廃止されており、代わりにブックマークバーといって画面上部の狭い所にしかブックマークを表示することが出来なくなっておりました。簡単に調べてみたところ、Ver15.00からブックマークメニューをなくしていたようで、なくした理由というのも「大半の人が使わないから」と、本当かよと疑いたくなる理由を発表していたそうです。もっともその後に批判が相次いだことから、さっきのブックマークバーを後から追加したそうですが、ブックマークバーも最初無かったというのは何考えてるんだとちょっと問いたいです。
このほか動作もなんかもっさり気味で、相変わらずアカウント認証は不安定で、これではもはや使えないと判断した結果、Operaの使用を今日この日を持ってやめようと思います。既に代替として今現在使っているFire Foxにマウスジェスチャー、キーボードショートカット、スピードダイヤルのアドオンを導入してそこそこ満足する設定に持ってこれました。もっともこの前にGoogle Chromeを入れてしばらく動かしていましたが、何故かポップアップ広告の表示を禁止しているにもかかわらずどかどか出続け、Yahooのページですら文字がほとんど見えないくらいに広告で埋め尽くされ、挙句には詐欺サイトの広告も平然と表示されてあまりの怒り心頭からキーボードも叩き壊す寸前にまで行きました。物に八つ当たりするのはよくないと思いつつも、まだわかないなぁと自分で思います。
幸いというかFire Foxで今現在、機能にそこそこ満足しているので何とかやってけそうです。っていうかスレイプニルとかも試したけど、メニュー表示のできないブラウザがやけに多すぎるような気がします。閲覧するだけならそれでいいだろうけど、自分なんかこうしてブログも書くし「企業居点」のサイト編集もするためブラウザ上で作業することが多いだけに、生半可なブラウザだとストレスたまりまくります。
それにしても今日はこのブラウザの再設定などで非常に時間を取られ、やりたいと思っていた作業がほとんど何もできませんでした。ブログも今日は大量に書いて、あと企業居点も数百件データを追加しようと思っていたのに。もっとも遊ぼうと思っていたレースゲームの「グランツーリスモ6」に関しては、昼過ぎから親父と合流して実家のホンダ・フィットを久々に運転することで多少は満足しましたが。それにしても実家の車がフィットなのに、あんだけフィットHVを批判するのもまた珍しい。
非常に八つ当たり的な内容で読んでる方も困惑されていると思うでしょうが、本当にこういうやり方でしか怒りの向け先がないというのが正直な所です。最後にもう一回書きますが、これまで私は熱烈なユーザーで一切浮気をしてこなかったと自負しますが、もうこれ以上はOperaを使う気にはなれません。感覚的にはVer10.00に移行したあたりから更新されるたびに違和感を覚えることが増えておりましたが、今回のOperaの理解のしようがない改悪にはほとほと熱も冷めました。
おまけ
Operaに関してはやはり去年あたりからなんでと思うことが増えており、タブレットPCのNexus7を手に入れた際もブラウザはOperaで行こうとインストールしたものの、何故だか妙に動きも表示も悪かったことから結局アンインストールしてしまいました。シンプルイズベストが売りだったのに、無駄な機能に無意味なシンプルさにまみれていて、もはや自分の好きだったOperaはここにはありません。
おまけ2
Fire Foxへ使用ブラウザを移行するに当たってブックマークに入れていたサイトのアドレスを移行させようとした際、一気にデータを取り込めないかと検索してみたら、Operaの公式サイトのヘルプにデータのエクスポートの仕方が載っていました。早速このやり方でやってみようと試してみたところ、何故か説明に書かれているエクスポート実行のボタンがありませんでした。調べてみるとどうやらほかの人も同じことを経験しているようで、どうやらヘルプにやり方を指導している癖にエクスポートの機能を実装していないようです。こんなにひどいブラウザってほかにあんのかよ。
ホンダ・フィットHVのリコール多発について
なかなか興味深い記事があり、かつ最近経済記事を書いていないので簡単な解説を付けて紹介しようと思います。
・ホンダ「フィット」に不具合が多発する理由(東洋経済)
上記リンク先の記事によると、昨年九月に発売されたホンダの主力車種である「フィットHV」で不具合が多発しており、なんと発売から現在までの約五ヶ月間に全車両を対象としたリコールを三度も実施しております。記事によるとリコール原因はデュアル・クラッチ・トランスミッション(DCT)を使ったHVシステムにあるとのことですが、これは言うなればハイブリッド車技術において最も重要かつ難関なゼロ発進システムに起因するもので、この問題背景などについて素人であることを自認しつつも解説します。
まず具体的にフィットHVで何が問題になっているのかというと、要するに変速機の制御プログラム設定が上手くいっていないようです。変速機の制御プログラムと言っても今回のフィットHVは通常の車両とはちょっと異なっており、モーターとエンジンを組み合わせたやや複雑な構造となっているためその点で難儀している模様です。
ただモーターとエンジンを組み合わせたと言ってもフィットHVは今回のモデルチェンジ以前の車両でもハイブリッドシステムを導入しており、なにも初めての経験ではないのではと思う方もおられるでしょう。ところがどっこい前モデルと現モデルではフィットHVはほとんど別車種といっていいほどの動力システムが変更されており、具体的には始動時にエンジンが起動しているか否かで異なっています。
ここでハイブリッド車がどうして燃費がいいのかを簡単に説明しますが、蒸気圧で動くエンジンは静止した状態から動き出すまでにエネルギーを消費しやすい一方、ある程度速度が乗っかった状態だと効率的に稼働するようになっています。逆に電気で動くモーターは高速時は回転数がエンジンほど上がらずエネルギーを食いやすいですが、始動時や低速時にググッと力が入りやすく、静止した状態から動き出させるまではエンジンに比べて低いエネルギー量で出来ます。ハイブリッド車はこうしたエンジンとモーターでそれぞれの長所を役割分担させる車で、低速時はモーターで動かすことによって、高速時にはエンジンで動かすことによって高い燃費効率を実現しているわけです。
となると車を動かし始める際はぶっちゃけモーターだけで動かさせてエンジンは黙らせていた方が燃費がいいのですが、実は前モデルのフィットHVは始動時からエンジンがずっと起動しており、動かしはじめる際はモーターがエンジンをアシストさせるような形で燃費を向上させていました。はっきり言ってしまいますがこれは特段すごい技術というほどではなく、多分やろうと思えば1990年代にも量産車ベースで実現できていた技術でしょう。
にもかかわらず何故ホンダがなかなかハイブリッド車を量産できなかったのかというと、始動時にエンジンを黙らせてモーターだけで動かさせるという、いわゆる「ゼロ発進」が技術的にどうしてもうまく作れなかったたからです。具体的にはモーターだけで走っている状態に、途中からエンジンを動かしてスムーズに両者の動力を組み合わせる制御プログラムというのが非常に難しく、これがなかなか作れなかっために、エンジンとモーターをある程度独立して動かさせるのではなく、エンジンはずっと動いたままでそれにモーターの動力をアシストさせるという形でしか作れなかったわけです。ああもう説明が難しいなぁ(;´Д`)
言うなればモーターアシスト形式は純粋なハイブリッドというわけではなく私に言わせれば出来そこないのニュータイプ……じゃなくてハイブリットで、むしろハイブリッドなどと名乗らず「モーター付きエンジン自動車」とでも名乗ってもらいたかったです。ただそんなホンダも今回のフィットHVでゼロ発進を実現したと謳っていたため、ようやくまともなハイブリッド車を作れるようになったかと思っていたら今回のリコール多発で、未だこの方面の技術を確立したとは言い難い所でしょう。難しい技術であるというのは理解できますが。
ちなみにホンダが今回のフィットHVでゼロ発進を実現したと発売前に発表した際に私は、「ホンダは実に16年も遅れて、トヨタの初代プリウスに追いついたのか」などと周囲に話していました。この発言が何を意味するのかというと、トヨタは1997年に発売した初代プリウスの時点でエンジンを止めながらモーターだけで自走する「ゼロ発進」技術を導入しています。
私は他に仲間が誰もいない三菱自動車党であって決してトヨタの方を持つ立場ではなく、むしろ決算の度に純利益の額を自慢している余裕あったら従業員の賃金上げてやれよと批判する側ですが、このトヨタのハイブリッド技術に関しては文字通り他の追随を許さないほどの高い技術を保有していると評価しています。少なくとも私の知る限りでゼロ発進が出来るハイブリッド車を大量に量産しているのはトヨタだけで、新たに導入したホンダがこれほど苦戦しているのを見るにつけまさに「十年以上先の未来の技術」を初代プリウスの時点で確立させていたと言えると思います。
たまにネットの掲示板で、「トヨタはハイブリッド技術に関する特許を独占して他社が作れないよう、この特許を使用禁止にして妨害している」などという書き込みを見ますが、先ほどにも書いた通りにハイブリッド技術で一番難しいのはエンジンとモーターを別個に制御するプログラムにあり、そんなプログラムに特許とかそういうものがあるとはとても思えないために先程の指摘は的外れもいい所だと私は考えています。第一、特許だったら金払えばすぐ使えるんだし。
・ホンダ「フィット」に不具合が多発する理由(東洋経済)
上記リンク先の記事によると、昨年九月に発売されたホンダの主力車種である「フィットHV」で不具合が多発しており、なんと発売から現在までの約五ヶ月間に全車両を対象としたリコールを三度も実施しております。記事によるとリコール原因はデュアル・クラッチ・トランスミッション(DCT)を使ったHVシステムにあるとのことですが、これは言うなればハイブリッド車技術において最も重要かつ難関なゼロ発進システムに起因するもので、この問題背景などについて素人であることを自認しつつも解説します。
まず具体的にフィットHVで何が問題になっているのかというと、要するに変速機の制御プログラム設定が上手くいっていないようです。変速機の制御プログラムと言っても今回のフィットHVは通常の車両とはちょっと異なっており、モーターとエンジンを組み合わせたやや複雑な構造となっているためその点で難儀している模様です。
ただモーターとエンジンを組み合わせたと言ってもフィットHVは今回のモデルチェンジ以前の車両でもハイブリッドシステムを導入しており、なにも初めての経験ではないのではと思う方もおられるでしょう。ところがどっこい前モデルと現モデルではフィットHVはほとんど別車種といっていいほどの動力システムが変更されており、具体的には始動時にエンジンが起動しているか否かで異なっています。
ここでハイブリッド車がどうして燃費がいいのかを簡単に説明しますが、蒸気圧で動くエンジンは静止した状態から動き出すまでにエネルギーを消費しやすい一方、ある程度速度が乗っかった状態だと効率的に稼働するようになっています。逆に電気で動くモーターは高速時は回転数がエンジンほど上がらずエネルギーを食いやすいですが、始動時や低速時にググッと力が入りやすく、静止した状態から動き出させるまではエンジンに比べて低いエネルギー量で出来ます。ハイブリッド車はこうしたエンジンとモーターでそれぞれの長所を役割分担させる車で、低速時はモーターで動かすことによって、高速時にはエンジンで動かすことによって高い燃費効率を実現しているわけです。
となると車を動かし始める際はぶっちゃけモーターだけで動かさせてエンジンは黙らせていた方が燃費がいいのですが、実は前モデルのフィットHVは始動時からエンジンがずっと起動しており、動かしはじめる際はモーターがエンジンをアシストさせるような形で燃費を向上させていました。はっきり言ってしまいますがこれは特段すごい技術というほどではなく、多分やろうと思えば1990年代にも量産車ベースで実現できていた技術でしょう。
にもかかわらず何故ホンダがなかなかハイブリッド車を量産できなかったのかというと、始動時にエンジンを黙らせてモーターだけで動かさせるという、いわゆる「ゼロ発進」が技術的にどうしてもうまく作れなかったたからです。具体的にはモーターだけで走っている状態に、途中からエンジンを動かしてスムーズに両者の動力を組み合わせる制御プログラムというのが非常に難しく、これがなかなか作れなかっために、エンジンとモーターをある程度独立して動かさせるのではなく、エンジンはずっと動いたままでそれにモーターの動力をアシストさせるという形でしか作れなかったわけです。ああもう説明が難しいなぁ(;´Д`)
言うなればモーターアシスト形式は純粋なハイブリッドというわけではなく私に言わせれば出来そこないのニュータイプ……じゃなくてハイブリットで、むしろハイブリッドなどと名乗らず「モーター付きエンジン自動車」とでも名乗ってもらいたかったです。ただそんなホンダも今回のフィットHVでゼロ発進を実現したと謳っていたため、ようやくまともなハイブリッド車を作れるようになったかと思っていたら今回のリコール多発で、未だこの方面の技術を確立したとは言い難い所でしょう。難しい技術であるというのは理解できますが。
ちなみにホンダが今回のフィットHVでゼロ発進を実現したと発売前に発表した際に私は、「ホンダは実に16年も遅れて、トヨタの初代プリウスに追いついたのか」などと周囲に話していました。この発言が何を意味するのかというと、トヨタは1997年に発売した初代プリウスの時点でエンジンを止めながらモーターだけで自走する「ゼロ発進」技術を導入しています。
私は他に仲間が誰もいない三菱自動車党であって決してトヨタの方を持つ立場ではなく、むしろ決算の度に純利益の額を自慢している余裕あったら従業員の賃金上げてやれよと批判する側ですが、このトヨタのハイブリッド技術に関しては文字通り他の追随を許さないほどの高い技術を保有していると評価しています。少なくとも私の知る限りでゼロ発進が出来るハイブリッド車を大量に量産しているのはトヨタだけで、新たに導入したホンダがこれほど苦戦しているのを見るにつけまさに「十年以上先の未来の技術」を初代プリウスの時点で確立させていたと言えると思います。
たまにネットの掲示板で、「トヨタはハイブリッド技術に関する特許を独占して他社が作れないよう、この特許を使用禁止にして妨害している」などという書き込みを見ますが、先ほどにも書いた通りにハイブリッド技術で一番難しいのはエンジンとモーターを別個に制御するプログラムにあり、そんなプログラムに特許とかそういうものがあるとはとても思えないために先程の指摘は的外れもいい所だと私は考えています。第一、特許だったら金払えばすぐ使えるんだし。
2014年2月20日木曜日
ソチ五輪の報道を見て感じること
自分は見ていませんでしたが昨夜の女子フィギュアではメダルが期待されていた浅田真央選手が不調に終わっていたようで今朝はネットもテレビもその話題で持ちきりでしたが、後出しじゃんけんみたいで少し申し訳なく思うものの、私は浅田選手は今大会でいい成績は取れないだろうなと少なからず感じていました。フィギュア団体戦も金メダルを取った男子の羽生選手とは対照的に転倒するなどあまり調子が良くなく、そして何よりも公開練習時の表情が異常に硬く、見ていてちょっと痛々しかったことからも演技面に影響でるだろなとか思ってました。一方で練習時の鈴木明子選手の表情は柔らかかったことからメダルを取る可能性があるとしたら彼女だろうと思ってましたが、浅田選手とここまで順位に差がつくとは完全に予想外だったというところです。
蛇足ではあるもののもう少し続けると、浅田選手に関しては演技前の報道においてひどい偏りがあったように強く思います。というのも姉の浅田舞氏をはじめ、みんなジャンプの調子がいいなどと浅田選手のジャンプに関する事ばかり口にしていて、フィギュアのもう一つの評価項目である表現力については何故か話題にすら挙げておりませんでした。厳しい言い方をすると浅田選手の表現力はジャンプに比べ劣っている、さらに言えば韓国のキム・ヨナ選手に負けている点であることがはっきりわかっているためでしょうが、長所だけを持ち上げて短所を隠そうとするのは評論を行うに当たって控えるべき行為でしょう。リアルに現実でも常々言っていますが、評価というのは過大であっても過小であっても好くなく、短所長所をしっかり見極めて発言するべきです。然るにこのところのこういったスポーツ報道では明らかに長所ばかり取り上げて短所を覆い隠そうとする傾向があるように私には見えます。
同じくソチ五輪ネタで続けると、女子スキージャンプの高梨沙羅選手に関しても同じ様であったと記憶します。自分はスキージャンプの愛好家でもないただの素人ですが、高梨選手に関して言わせてもらうとスキージャンプの一流選手の中にあってあれだけテレマークの姿勢が悪い人はそんないないんじゃないかと内心思っていました。テレマークというのはジャンプ着地時の姿勢のことで野球の審判が「セーフ」っていう時のポーズに似た物ですが、これを着地時にきちんと決められないとスキージャンプでは飛形点が減点されます。具体的に言えば100メートル飛んだとしてもテレマークが悪ければ95メートルとしてカウントされちゃったりするわけです。
高梨選手のテレマーク姿勢が悪いのは五輪前から度々報じられてきて同選手の課題だと言われてきましたが、いざ五輪が始まるとこの課題とやらが触れられなくなり、ただ飛距離ばかりが評価点であるかのようになって高梨選手はきっと金メダルを取るだろうということばかりしかコメンテーターは口にしませんでした。そういう報道の仕方で金メダル取れてればそりゃいいけど、こういう結果もあるんだし過大な期待をかけるのは選手にとって良くないんじゃないのかとつくづく思えますし、大げさかもしれませんがいい面ばかりに着目して悪い面は見て見ぬ振りするのは古より続く日本人の悪い癖でしょう。
ここで話は変わりますが、私はよくリアルに空気を読まない奴だとよく批判されてます。しかし私に言わせるならば私ほど空気を読める人間なんてそんじょそこらにはおらず、よくわかっている後輩なんか、「花園さんは周りを見過ぎです」とうまく指摘してくれました。じゃあなんで空気が読めないと言われるのかというと、単純に空気を読まない発言をするからで、なんでそんな発言をするのかというと確信犯で空気をぶち壊そうと動くからです。
日本人のいわゆる「空気」に関する研究はこれまでにもたくさん出ていますが、総じて日本人は場の空気、たとえば盛り上がっているところでは盛り上げる発言、厳粛な雰囲気には慎重な物言いをすることが求められてかつ自然と合わせる傾向があります。たとえばイケイケドンドンで勢いに乗って行動するような場面では私も合わせますが、その逆で実際は芳しくない状況にもかかわらず楽観的な予測ばかりする場面、大したことでもない事態をさも深刻そうに騒いだりする場面においてはその場の空気とは真逆な「空気を読まない発言」をするように私は本気で心がけています。なんでこんな妙なことをしているのかというと、集団の意識が空気に飲まれてしまうと概してよくない結果を生むことが多く、それであれば批判されること覚悟で冷や水を浴びせるような要素というか人間になろうと17歳の春ごろに決意したからです。自分のことながら、ほんと訳が分からない高校生だったなぁ。
日本人が空気に飲まれて完全な暴走を行った最大の例は太平洋戦争で、どっからどう見たって勝ち目のない米国との戦争を決断するに当たって、「アメリカ人は精神力がない」などと根拠のない理屈を並び立てては最も勝敗を左右する生産力や連合国と枢軸国の国際関係を無視した過去があります。これは戦後に東大総長に就任した南原繁は戦後直後の演説にて、「日本があの無謀な戦争へと突入したのは個々人が自我を持たず全体の流れに大衆が付き従ったためで、二度とあのような愚行を犯さないためにもしっかりとした自我を持ち正邪の区別を個々人が行わなければならない」、というようなことを言ったそうですが、恐らく現代日本人にとっても耳の痛い演説内容なんじゃないかと私は思います。
先ほどからずいぶんとえらそうなことを並び立てていることは百も承知ですが、私に言わせても日本人はあまりにも自我を持たなさ過ぎです。たまに飲食店の店員と話をしていると人形と会話しているような感覚を覚えたりしますが、みんな周囲から目立たないように決められた役割を必死で演じているように見えます。好きなこと言わせてもらえば、気に入らない奴がいるなら大怪我させない程度に殴り倒せばいいんだし、つまんないことばっか言う奴には「死ねボケ」って言ってもいいし、カレーが好きなら栄養とか気にせず一週間連続で食べ続けたっていいんだし、もっと自分の志向や欲求に対して直接的に行動した方が楽だよと言いたいです。まぁさすがに路上で殴り掛かるほど自分も直接的ではないですが、中国から帰ってきてからは「じゃあ表に出ろこの野郎」って発言が妙に増えています。高校生の頃に比べれば目つきとか嫌になるくらい軟らかくなっちゃてるけどね。
結論としては日本人は空気を読まない発言や行動をすることを文句なしに悪だと考えがちですが、時と場合によってはそうした行動こそが大事であるし、むしろ空気に飲まれがちな日本人が多い日本社会にあってはそういう人間がもっと必要だと言いたいわけです。もう最初に書いたフィギュアスケートの話題からずいぶんと遠ざかっておりますが、なんか持ち上げてばっかの報道が見ていて気持ち悪いと思ったので毒入れてやろうと普段よりも遠慮なく書くことにしました。
蛇足ではあるもののもう少し続けると、浅田選手に関しては演技前の報道においてひどい偏りがあったように強く思います。というのも姉の浅田舞氏をはじめ、みんなジャンプの調子がいいなどと浅田選手のジャンプに関する事ばかり口にしていて、フィギュアのもう一つの評価項目である表現力については何故か話題にすら挙げておりませんでした。厳しい言い方をすると浅田選手の表現力はジャンプに比べ劣っている、さらに言えば韓国のキム・ヨナ選手に負けている点であることがはっきりわかっているためでしょうが、長所だけを持ち上げて短所を隠そうとするのは評論を行うに当たって控えるべき行為でしょう。リアルに現実でも常々言っていますが、評価というのは過大であっても過小であっても好くなく、短所長所をしっかり見極めて発言するべきです。然るにこのところのこういったスポーツ報道では明らかに長所ばかり取り上げて短所を覆い隠そうとする傾向があるように私には見えます。
同じくソチ五輪ネタで続けると、女子スキージャンプの高梨沙羅選手に関しても同じ様であったと記憶します。自分はスキージャンプの愛好家でもないただの素人ですが、高梨選手に関して言わせてもらうとスキージャンプの一流選手の中にあってあれだけテレマークの姿勢が悪い人はそんないないんじゃないかと内心思っていました。テレマークというのはジャンプ着地時の姿勢のことで野球の審判が「セーフ」っていう時のポーズに似た物ですが、これを着地時にきちんと決められないとスキージャンプでは飛形点が減点されます。具体的に言えば100メートル飛んだとしてもテレマークが悪ければ95メートルとしてカウントされちゃったりするわけです。
高梨選手のテレマーク姿勢が悪いのは五輪前から度々報じられてきて同選手の課題だと言われてきましたが、いざ五輪が始まるとこの課題とやらが触れられなくなり、ただ飛距離ばかりが評価点であるかのようになって高梨選手はきっと金メダルを取るだろうということばかりしかコメンテーターは口にしませんでした。そういう報道の仕方で金メダル取れてればそりゃいいけど、こういう結果もあるんだし過大な期待をかけるのは選手にとって良くないんじゃないのかとつくづく思えますし、大げさかもしれませんがいい面ばかりに着目して悪い面は見て見ぬ振りするのは古より続く日本人の悪い癖でしょう。
ここで話は変わりますが、私はよくリアルに空気を読まない奴だとよく批判されてます。しかし私に言わせるならば私ほど空気を読める人間なんてそんじょそこらにはおらず、よくわかっている後輩なんか、「花園さんは周りを見過ぎです」とうまく指摘してくれました。じゃあなんで空気が読めないと言われるのかというと、単純に空気を読まない発言をするからで、なんでそんな発言をするのかというと確信犯で空気をぶち壊そうと動くからです。
日本人のいわゆる「空気」に関する研究はこれまでにもたくさん出ていますが、総じて日本人は場の空気、たとえば盛り上がっているところでは盛り上げる発言、厳粛な雰囲気には慎重な物言いをすることが求められてかつ自然と合わせる傾向があります。たとえばイケイケドンドンで勢いに乗って行動するような場面では私も合わせますが、その逆で実際は芳しくない状況にもかかわらず楽観的な予測ばかりする場面、大したことでもない事態をさも深刻そうに騒いだりする場面においてはその場の空気とは真逆な「空気を読まない発言」をするように私は本気で心がけています。なんでこんな妙なことをしているのかというと、集団の意識が空気に飲まれてしまうと概してよくない結果を生むことが多く、それであれば批判されること覚悟で冷や水を浴びせるような要素というか人間になろうと17歳の春ごろに決意したからです。自分のことながら、ほんと訳が分からない高校生だったなぁ。
日本人が空気に飲まれて完全な暴走を行った最大の例は太平洋戦争で、どっからどう見たって勝ち目のない米国との戦争を決断するに当たって、「アメリカ人は精神力がない」などと根拠のない理屈を並び立てては最も勝敗を左右する生産力や連合国と枢軸国の国際関係を無視した過去があります。これは戦後に東大総長に就任した南原繁は戦後直後の演説にて、「日本があの無謀な戦争へと突入したのは個々人が自我を持たず全体の流れに大衆が付き従ったためで、二度とあのような愚行を犯さないためにもしっかりとした自我を持ち正邪の区別を個々人が行わなければならない」、というようなことを言ったそうですが、恐らく現代日本人にとっても耳の痛い演説内容なんじゃないかと私は思います。
先ほどからずいぶんとえらそうなことを並び立てていることは百も承知ですが、私に言わせても日本人はあまりにも自我を持たなさ過ぎです。たまに飲食店の店員と話をしていると人形と会話しているような感覚を覚えたりしますが、みんな周囲から目立たないように決められた役割を必死で演じているように見えます。好きなこと言わせてもらえば、気に入らない奴がいるなら大怪我させない程度に殴り倒せばいいんだし、つまんないことばっか言う奴には「死ねボケ」って言ってもいいし、カレーが好きなら栄養とか気にせず一週間連続で食べ続けたっていいんだし、もっと自分の志向や欲求に対して直接的に行動した方が楽だよと言いたいです。まぁさすがに路上で殴り掛かるほど自分も直接的ではないですが、中国から帰ってきてからは「じゃあ表に出ろこの野郎」って発言が妙に増えています。高校生の頃に比べれば目つきとか嫌になるくらい軟らかくなっちゃてるけどね。
結論としては日本人は空気を読まない発言や行動をすることを文句なしに悪だと考えがちですが、時と場合によってはそうした行動こそが大事であるし、むしろ空気に飲まれがちな日本人が多い日本社会にあってはそういう人間がもっと必要だと言いたいわけです。もう最初に書いたフィギュアスケートの話題からずいぶんと遠ざかっておりますが、なんか持ち上げてばっかの報道が見ていて気持ち悪いと思ったので毒入れてやろうと普段よりも遠慮なく書くことにしました。
2014年2月18日火曜日
このところの朝日新聞のスクープ連発について
またブログの右上に投票アプリを設置しましたので、興味のある方にはぜひボタンクリックで投票してください。今回の質問はストレートに安倍政権を支持するか否かで、このブログの読者はどっちなのかなと思ったので設置した次第です。
久々に前置きが少ないまま話が本題に入りますが、このところ朝日新聞が猛烈な勢いでスクープを連発しております。一つ目は二月十二日に掲載された下記の記事で、大きな話題とはなっておりませんがよくこんなニュースを見つけて来たもんだと、初めて読んだ際は本当に驚きました。
・検事、証人に「想定問答集」 鈴木宗男氏の汚職事件公判(朝日新聞)
記事内容を簡単に説明すると、元国会議員で「俺たちのムネオ」である鈴木宗男氏の贈賄に関する裁判で、検事側証人として出廷した企業の専務に対して東京地検が裁判出廷前に想定問答集こと、「こう聞かれたらこう答えろ」という書類を覚えさせていたとのことです。「書類」と書きましたがこういうところでは本来「メモ」と書くべきなのですが、記事によるとその証人が東京地検から渡されたのは「B4判38ページの書類」とのことで、もはやメモと呼べる量ではないでしょう。
書類を受け取った書類は一部の記述に対して事実とは異なると主張したものの、「そこが大事だから」などといって地検は相手にしなかったそうです。出廷する証人に対して意図的な発言を指せるこのような行為は言うまでもなくこれは偽証といってもいい行為であり、当事者である鈴木宗男氏氏はもとより連座して捕まった佐藤優氏がかねてから主張していたようにこの裁判は結論ありきの裁判だったと言えるでしょう。
この記事の凄い所は証人が裁判に出廷した2004年から十年も経っているにもかかわらずこうして当時の事実を明らかにしている上、問答集の現物もどうやら手に入れているということです。古い事件ながら決して放置せず、新たな事実の発見に伴ってこうして記事にする辺りは見事だと深く感じ入ります。
・全日展、架空人物に知事賞 主催者が偽名で書道出展(朝日新聞)
もう一つのスクープはこちらの全日展の問題で、こちらは「俺たちのムネオ」と比べて扱いも大きく、NHKを始め他のメディアも後追い取材に走っていることから見知っている方も多いと思います。リンク先の記事中に「朝日新聞の調べで分かった」とも書いてありますが、私はこのニュースを朝日新聞のネット記事で初めて読んでおり、すぐにほかのメディアもチェックしましたが他はまだ報じてすらおらず、紛れもなくこの記事は朝日の単独スクープでしょう。
こちらも内容を簡単に説明すると、書道の公募展示会である全日展で各都道府県別に入賞者を出す「知事賞」で、応募者の少なかった都道府県では適当な作品をあらかじめ用意し、架空の受賞者を出していたとのことです。この事件では各都道府県ちょっとチェック不足だった問題もあり、受賞者の選考はすべて全日展に任せており、受賞者がどういう人物なのか、どこに住んでいるのかもチェックせず賞状を作ってたそうです。まぁ普通の神経してたらこんな呆れたことをするとは思えないんだし、都道府県のチェック不足はまだ理解できなくもないですが。
既に全日展会長はこの事実を認めた上で責任を取り辞任したと明かしておりますが、なんでもってこんな無意味で妙ちきりんな行為をしたのか、オモシロ中国人が時たまやらかす不可思議なハプニング並に全く理解できません。真面目な話、この架空受賞をやらかした当事者は早く精神病院に入るか、小学校に入り直すかした方がいいように思えます。
上記二つのスクープは私の目から見て社会的にも大きな影響を与えるし、非常に価値あるスクープ記事だったと高く評価しております。なにもこの二つに限らずここ数年、朝日新聞は質のいいスクープを連発しており、記事文章は読んでてつまらないがスクープだけは多かった毎日新聞がすっかり日陰に追いやられている感もあります。なんで今日こんだけ朝日新聞を持ち上げる記事と書こうとしたのかというと、朝日新聞というかメディアの評価がやや一面的だとよく感じるからです。
朝日新聞というとネット上では偏向的な報道をするメディアだとして貶す人はいても、誉める人はほとんどいない新聞媒体です。確かに朝日新聞の政治記事は私から見ても偏向が激しく、安倍首相に対してカツカレーを絡めてまで妙な批判をするほど狂った記事を連発しております。こうした政治記事は実際によく批判されるているし私もそれが当然だと思うのですが、その一方で秀逸と言えるほどの社会記事を朝日新聞が出しても誉められることはほとんどありません。
かなり以前、具体的には10年前に高校の後輩が2ちゃんねるにすっかりかぶれて朝日新聞をこっぴどく批判していたことがあったのですがその際に、
花園「ところで君は偽装請負は知っているかね?」
後輩「もちろん知ってますよ。あれは労働上、よくないですよね」
花園「その偽装請負という言葉を世間に一般化させたのは朝日新聞だ。2003年にキヤノンと松下がこうした行為を行っている事実を一面で報じたが、朝日新聞にはこの後この二社からすぐ広告が切られた。知ってたかね?」
後輩「いえ、知りませんでした」
ざっとこんな具合で、いい記事は無視される一方で悪い記事だけ取り上げられがちです。いい面も悪い面も両方しっかり見た上で、プラスマイナスを相殺したりせず双方の特徴を掴んだうえで総合的に評価する、こうした姿勢こそが評論をする上で大事だと常日頃から私は考えております。このブログのタイトルに「陽月」という言葉を置いたのも、物事の陰と陽をしっかり両方見極めるという決意表示からで、今回最初に挙げた二つのスクープも朝日のお手柄とあまり取り上げられていない状況から記事にして取り上げようと思った次第です。
最後に蛇足ですが、さっきにも書いた通りにこのところ朝日新聞は本当にスクープを連発しております。しかしというかこれはメディア関係者ならほとんどの人間が知っていることですが、こうした朝日のスクープ記事を書いている記者はほぼ間違いなく中途採用の記者です。逆を言えば、プロパーの記者がスクープ記事を出すことはほとんどありません。
これをどう見るか、朝日の人事部が優秀なのかどうなのかわかり辛いというべきか、新人記者の育成方法がどうなのか、まぁ難しい所です。少なくても私が言えることは、記事の執筆量やトップ記事の執筆機会で言えば自分みたいに傍流メディアに身を置いた人間の方が遥かに多い、っていうか大手新聞社だとトップ記事を書く機会を新人はほとんどもらえない現状があります。小記事だけど、多い時は自分も1日10本以上書いてたしなぁ。
久々に前置きが少ないまま話が本題に入りますが、このところ朝日新聞が猛烈な勢いでスクープを連発しております。一つ目は二月十二日に掲載された下記の記事で、大きな話題とはなっておりませんがよくこんなニュースを見つけて来たもんだと、初めて読んだ際は本当に驚きました。
・検事、証人に「想定問答集」 鈴木宗男氏の汚職事件公判(朝日新聞)
記事内容を簡単に説明すると、元国会議員で「俺たちのムネオ」である鈴木宗男氏の贈賄に関する裁判で、検事側証人として出廷した企業の専務に対して東京地検が裁判出廷前に想定問答集こと、「こう聞かれたらこう答えろ」という書類を覚えさせていたとのことです。「書類」と書きましたがこういうところでは本来「メモ」と書くべきなのですが、記事によるとその証人が東京地検から渡されたのは「B4判38ページの書類」とのことで、もはやメモと呼べる量ではないでしょう。
書類を受け取った書類は一部の記述に対して事実とは異なると主張したものの、「そこが大事だから」などといって地検は相手にしなかったそうです。出廷する証人に対して意図的な発言を指せるこのような行為は言うまでもなくこれは偽証といってもいい行為であり、当事者である鈴木宗男氏氏はもとより連座して捕まった佐藤優氏がかねてから主張していたようにこの裁判は結論ありきの裁判だったと言えるでしょう。
この記事の凄い所は証人が裁判に出廷した2004年から十年も経っているにもかかわらずこうして当時の事実を明らかにしている上、問答集の現物もどうやら手に入れているということです。古い事件ながら決して放置せず、新たな事実の発見に伴ってこうして記事にする辺りは見事だと深く感じ入ります。
・全日展、架空人物に知事賞 主催者が偽名で書道出展(朝日新聞)
もう一つのスクープはこちらの全日展の問題で、こちらは「俺たちのムネオ」と比べて扱いも大きく、NHKを始め他のメディアも後追い取材に走っていることから見知っている方も多いと思います。リンク先の記事中に「朝日新聞の調べで分かった」とも書いてありますが、私はこのニュースを朝日新聞のネット記事で初めて読んでおり、すぐにほかのメディアもチェックしましたが他はまだ報じてすらおらず、紛れもなくこの記事は朝日の単独スクープでしょう。
こちらも内容を簡単に説明すると、書道の公募展示会である全日展で各都道府県別に入賞者を出す「知事賞」で、応募者の少なかった都道府県では適当な作品をあらかじめ用意し、架空の受賞者を出していたとのことです。この事件では各都道府県ちょっとチェック不足だった問題もあり、受賞者の選考はすべて全日展に任せており、受賞者がどういう人物なのか、どこに住んでいるのかもチェックせず賞状を作ってたそうです。まぁ普通の神経してたらこんな呆れたことをするとは思えないんだし、都道府県のチェック不足はまだ理解できなくもないですが。
既に全日展会長はこの事実を認めた上で責任を取り辞任したと明かしておりますが、なんでもってこんな無意味で妙ちきりんな行為をしたのか、オモシロ中国人が時たまやらかす不可思議なハプニング並に全く理解できません。真面目な話、この架空受賞をやらかした当事者は早く精神病院に入るか、小学校に入り直すかした方がいいように思えます。
上記二つのスクープは私の目から見て社会的にも大きな影響を与えるし、非常に価値あるスクープ記事だったと高く評価しております。なにもこの二つに限らずここ数年、朝日新聞は質のいいスクープを連発しており、記事文章は読んでてつまらないがスクープだけは多かった毎日新聞がすっかり日陰に追いやられている感もあります。なんで今日こんだけ朝日新聞を持ち上げる記事と書こうとしたのかというと、朝日新聞というかメディアの評価がやや一面的だとよく感じるからです。
朝日新聞というとネット上では偏向的な報道をするメディアだとして貶す人はいても、誉める人はほとんどいない新聞媒体です。確かに朝日新聞の政治記事は私から見ても偏向が激しく、安倍首相に対してカツカレーを絡めてまで妙な批判をするほど狂った記事を連発しております。こうした政治記事は実際によく批判されるているし私もそれが当然だと思うのですが、その一方で秀逸と言えるほどの社会記事を朝日新聞が出しても誉められることはほとんどありません。
かなり以前、具体的には10年前に高校の後輩が2ちゃんねるにすっかりかぶれて朝日新聞をこっぴどく批判していたことがあったのですがその際に、
花園「ところで君は偽装請負は知っているかね?」
後輩「もちろん知ってますよ。あれは労働上、よくないですよね」
花園「その偽装請負という言葉を世間に一般化させたのは朝日新聞だ。2003年にキヤノンと松下がこうした行為を行っている事実を一面で報じたが、朝日新聞にはこの後この二社からすぐ広告が切られた。知ってたかね?」
後輩「いえ、知りませんでした」
ざっとこんな具合で、いい記事は無視される一方で悪い記事だけ取り上げられがちです。いい面も悪い面も両方しっかり見た上で、プラスマイナスを相殺したりせず双方の特徴を掴んだうえで総合的に評価する、こうした姿勢こそが評論をする上で大事だと常日頃から私は考えております。このブログのタイトルに「陽月」という言葉を置いたのも、物事の陰と陽をしっかり両方見極めるという決意表示からで、今回最初に挙げた二つのスクープも朝日のお手柄とあまり取り上げられていない状況から記事にして取り上げようと思った次第です。
最後に蛇足ですが、さっきにも書いた通りにこのところ朝日新聞は本当にスクープを連発しております。しかしというかこれはメディア関係者ならほとんどの人間が知っていることですが、こうした朝日のスクープ記事を書いている記者はほぼ間違いなく中途採用の記者です。逆を言えば、プロパーの記者がスクープ記事を出すことはほとんどありません。
これをどう見るか、朝日の人事部が優秀なのかどうなのかわかり辛いというべきか、新人記者の育成方法がどうなのか、まぁ難しい所です。少なくても私が言えることは、記事の執筆量やトップ記事の執筆機会で言えば自分みたいに傍流メディアに身を置いた人間の方が遥かに多い、っていうか大手新聞社だとトップ記事を書く機会を新人はほとんどもらえない現状があります。小記事だけど、多い時は自分も1日10本以上書いてたしなぁ。
2014年2月17日月曜日
憲法の解釈議論に関する私の意見
先週はやや更新数が落ちましたが基本的にこのブログは毎日更新です。たまになんでこうも毎日長文をだらだら書いているのだろうかとラップでも口ずさみたくなりますが、それでも続けているということはやっぱりいいストレス解消になっているのでしょう。なお記者だった前職の職場で同僚に、文章を書くことに対して何もストレスを感じないと話したら同じ仕事をしている同僚にすら驚かれてました。
話は本題に入りますが先日に安倍首相は憲法解釈に会する答弁で、一部分、といっても噛んで含めるように言っていたから曲解ではないと考えるのですが、憲法解釈は総理大臣が全責任を負うと共にその解釈を決める権利がある上、法制局は国の位置機関であって総理の解釈に口をはさむことはできないというような発言をされました。この発言は言い換えるなら、憲法解釈は総理大臣が恣意的に決めることが出来るとも取れる発言、というよりそれ以外に取りようがない発言であり、さすがに自民党内からもこの安倍首相の発言に対して批判が集まったことから安倍首相もこの件に関する話題には敢えて触れないようにしているように見えます。
この安倍首相の発言に対する私の意見を述べると、あんまり与したくはないけど社民党とか共産党の連中と同じく法治国家の根幹を揺るがしかねないほどの問題ある発言で、やはり座視することはできないと考えたことからこうして記事にしています。もっとも私は日本は法治国家ではなく、程度や志向の差こそあれ中国と同じく役人らのさじ加減でいくらでもルールが変わる人治国家であると前から思っていますが。
具体的に安倍首相の発言の何が問題なのかというと、総理の判断である程度隙に憲法の解釈を変えられるということになったら、総理が代わる毎に憲法解釈が変わってしまうことです。法律というのは改正されない限りずっと同じ効力を持つからこそ価値があるのであって、ある政権ではOKとされることが次の政権では禁止されてしまっては誰も法律を信用しなくなり、ルールを守る人間は減っていきます。信なくば立たずとはこういう事ですが、これすらもアリだと安倍首相は言ってしまったと私は考えています。
更に憲法というのは一般的な法律を規制する「法の法」です。法治国家(日本は違うけど)であるならば非常に重要な概念であって、その性格は過去には国王や皇帝、現代においては首相や大統領といった最高権力者の権限範囲を制限するものであって、それが逆に最高権力者によって恣意的に運用されるというのならもはや存在しないといっても同然でしょう。
なお昨日会った友人は今回の安倍首相の発言について、馬脚が出たというか本音が出たと評していました。その友人曰く、安倍首相はアベノミクスとか経済政策には端から興味なんて何もなく、ただ支持を得るために嫌々やっているにしかすぎず、本当は憲法改正しかやりたくないんだろうとのことで、私もこの友人と同意見を持っております。
ここで少し話題を変えますが、そもそも何故日本ではこうした憲法の解釈議論が延々と続くのでしょうか。寒くてこのところ体力消費が激しく食事量も80%くらい増えている(体重はむしろ減っている)状態なのでもう結論を書きますが、憲法の定義にどうあってもそぐわないほど現状が変わっているにもかかわらず憲法改正が難しいという一点に尽きると私は思います。
はっきり言ってしまえば自衛隊は英語だと「Self difense force (SDF)」と書く辺りからも明らかに軍隊であるため憲法違反だし、成人の年齢規定でも少年法との兼ね合いから言ってもはや有名無実化していると私は考えます。ただこれらの憲法違反は成立した直後の状況と現状があまりにも乖離しており、現状の課題を克服するためには必要な憲法違反であると私は考えており、社会を有益にさせる憲法違反であるならばもういっそ憲法自体を変えてしまった方がいいと考えることから改正派の立場を以前から取っています。
然るに何故日本の憲法は改正されないのか。理由は単純に言って日本の憲法は改正するまでの条件が厳しい硬性憲法であるからです。国会で三分の二以上の改正同意が必要であること、国民投票で過半数の賛成が必要なことというこの二条件が主なハードルでありますが、なかなか改正できないにもかかわらず現状の課題に対応するためには無視するしかないため、「条文は同じだが解釈を変える」という、如何にも日本人らしいしょうゆ臭い妙な価値観でこれまでやり過ごしてきました。
しかしこの解釈を変えるという手段ですが、逆を言えば解釈次第でどうとでもなる悪しき前例を作っていると言っても過言じゃありません。極論を言えば今の状態ならば解釈次第で日本は宣戦布告することすらできるのではないかと見ております。
ちょっと前置きが長かったかなと反省してますが私が何を一番言いたいのかというと、改正することが難しい硬性憲法では解釈主義に走りがちとなり憲法は有名無実化しやすく、それであるならば改正しやすい軟性憲法に変えた上で解釈主義を徹底的に排除するべきではないかということです。現状では解釈次第でなんでもかんでも実行できかねない状況で、かといって一切の条文違反を認めないとなると国政が滞るのは目に見えています。ならば後世の判断に任せるという意味合いでも、憲法改正手続きの条件を緩和する代わりに一切の条文批判を認めない、敢えて私の言葉で表現するなら「縛りの緩い硬性憲法」から「縛りのきつい軟性憲法」へと変えるべきだとここで主張します。
なんで軟性憲法にした方がいいと私は主張するのかというと、硬性憲法において悪しき前例を過去に見ているからです。それは19世紀に成立したある国の憲法ですが、国家元首から国民へと与えるという欽定憲法という形で発布したため、不可侵性を持つ憲法として改正されることはタブーとされた憲法でした。それによって何が起きたかというと現代日本と同じく解釈主義に陥り、それ以前は全く問題とされなかった条文が解釈変更によって強い拘束性を持ち、やれ天皇機関説とか統帥権の干犯だとか、政治闘争のための批判材料として無意味な抗争のために散々利用されることとなりました。決して誇張ではなく、誰も言わないから自分が言うけどだから滅んだんだよこの国は。
もちろん軟性憲法であればそれはそれなりにデメリットはあるでしょう。しかし日本の曖昧で適当な解釈に走りがちな民族性を考慮すると今の硬性憲法はリスクが高すぎるように思え、それであれば安倍首相が現在提唱しているように、国会での憲法改正動議の条件を現状の三分の二から過半数へと緩和する方がいいように思えます。安倍首相を批判しているのか持ち上げているのかよくわからない記事となったなぁ。
話は本題に入りますが先日に安倍首相は憲法解釈に会する答弁で、一部分、といっても噛んで含めるように言っていたから曲解ではないと考えるのですが、憲法解釈は総理大臣が全責任を負うと共にその解釈を決める権利がある上、法制局は国の位置機関であって総理の解釈に口をはさむことはできないというような発言をされました。この発言は言い換えるなら、憲法解釈は総理大臣が恣意的に決めることが出来るとも取れる発言、というよりそれ以外に取りようがない発言であり、さすがに自民党内からもこの安倍首相の発言に対して批判が集まったことから安倍首相もこの件に関する話題には敢えて触れないようにしているように見えます。
この安倍首相の発言に対する私の意見を述べると、あんまり与したくはないけど社民党とか共産党の連中と同じく法治国家の根幹を揺るがしかねないほどの問題ある発言で、やはり座視することはできないと考えたことからこうして記事にしています。もっとも私は日本は法治国家ではなく、程度や志向の差こそあれ中国と同じく役人らのさじ加減でいくらでもルールが変わる人治国家であると前から思っていますが。
具体的に安倍首相の発言の何が問題なのかというと、総理の判断である程度隙に憲法の解釈を変えられるということになったら、総理が代わる毎に憲法解釈が変わってしまうことです。法律というのは改正されない限りずっと同じ効力を持つからこそ価値があるのであって、ある政権ではOKとされることが次の政権では禁止されてしまっては誰も法律を信用しなくなり、ルールを守る人間は減っていきます。信なくば立たずとはこういう事ですが、これすらもアリだと安倍首相は言ってしまったと私は考えています。
更に憲法というのは一般的な法律を規制する「法の法」です。法治国家(日本は違うけど)であるならば非常に重要な概念であって、その性格は過去には国王や皇帝、現代においては首相や大統領といった最高権力者の権限範囲を制限するものであって、それが逆に最高権力者によって恣意的に運用されるというのならもはや存在しないといっても同然でしょう。
なお昨日会った友人は今回の安倍首相の発言について、馬脚が出たというか本音が出たと評していました。その友人曰く、安倍首相はアベノミクスとか経済政策には端から興味なんて何もなく、ただ支持を得るために嫌々やっているにしかすぎず、本当は憲法改正しかやりたくないんだろうとのことで、私もこの友人と同意見を持っております。
ここで少し話題を変えますが、そもそも何故日本ではこうした憲法の解釈議論が延々と続くのでしょうか。寒くてこのところ体力消費が激しく食事量も80%くらい増えている(体重はむしろ減っている)状態なのでもう結論を書きますが、憲法の定義にどうあってもそぐわないほど現状が変わっているにもかかわらず憲法改正が難しいという一点に尽きると私は思います。
はっきり言ってしまえば自衛隊は英語だと「Self difense force (SDF)」と書く辺りからも明らかに軍隊であるため憲法違反だし、成人の年齢規定でも少年法との兼ね合いから言ってもはや有名無実化していると私は考えます。ただこれらの憲法違反は成立した直後の状況と現状があまりにも乖離しており、現状の課題を克服するためには必要な憲法違反であると私は考えており、社会を有益にさせる憲法違反であるならばもういっそ憲法自体を変えてしまった方がいいと考えることから改正派の立場を以前から取っています。
然るに何故日本の憲法は改正されないのか。理由は単純に言って日本の憲法は改正するまでの条件が厳しい硬性憲法であるからです。国会で三分の二以上の改正同意が必要であること、国民投票で過半数の賛成が必要なことというこの二条件が主なハードルでありますが、なかなか改正できないにもかかわらず現状の課題に対応するためには無視するしかないため、「条文は同じだが解釈を変える」という、如何にも日本人らしいしょうゆ臭い妙な価値観でこれまでやり過ごしてきました。
しかしこの解釈を変えるという手段ですが、逆を言えば解釈次第でどうとでもなる悪しき前例を作っていると言っても過言じゃありません。極論を言えば今の状態ならば解釈次第で日本は宣戦布告することすらできるのではないかと見ております。
ちょっと前置きが長かったかなと反省してますが私が何を一番言いたいのかというと、改正することが難しい硬性憲法では解釈主義に走りがちとなり憲法は有名無実化しやすく、それであるならば改正しやすい軟性憲法に変えた上で解釈主義を徹底的に排除するべきではないかということです。現状では解釈次第でなんでもかんでも実行できかねない状況で、かといって一切の条文違反を認めないとなると国政が滞るのは目に見えています。ならば後世の判断に任せるという意味合いでも、憲法改正手続きの条件を緩和する代わりに一切の条文批判を認めない、敢えて私の言葉で表現するなら「縛りの緩い硬性憲法」から「縛りのきつい軟性憲法」へと変えるべきだとここで主張します。
なんで軟性憲法にした方がいいと私は主張するのかというと、硬性憲法において悪しき前例を過去に見ているからです。それは19世紀に成立したある国の憲法ですが、国家元首から国民へと与えるという欽定憲法という形で発布したため、不可侵性を持つ憲法として改正されることはタブーとされた憲法でした。それによって何が起きたかというと現代日本と同じく解釈主義に陥り、それ以前は全く問題とされなかった条文が解釈変更によって強い拘束性を持ち、やれ天皇機関説とか統帥権の干犯だとか、政治闘争のための批判材料として無意味な抗争のために散々利用されることとなりました。決して誇張ではなく、誰も言わないから自分が言うけどだから滅んだんだよこの国は。
もちろん軟性憲法であればそれはそれなりにデメリットはあるでしょう。しかし日本の曖昧で適当な解釈に走りがちな民族性を考慮すると今の硬性憲法はリスクが高すぎるように思え、それであれば安倍首相が現在提唱しているように、国会での憲法改正動議の条件を現状の三分の二から過半数へと緩和する方がいいように思えます。安倍首相を批判しているのか持ち上げているのかよくわからない記事となったなぁ。
2014年2月16日日曜日
花粉症の根本的解決法とは
自分と同時期に上海で働いていた大学の先輩から先日、「この時期は中国の方が空気がいい」ということを言われました。その心は如何にと問うと、見出しにも掲げているのでわかるでしょうが向こうでは花粉症がないため、花粉症キャリアのその先輩にとって春先にかけては日本よりも中国の方が過ごしやすいとのことです。でもってこれから書く内容をブログに書いてくれというので、このブログを開始した初期にも書いておりますが閲覧者数も増えていることだし、日本の花粉症問題とその根本的解決方法について今日は書いてくことにします。
まず日本人があまり意識していない事実を述べると、花粉症というのは日本特有の風土病で、少なくとも私が知る限り同じような症状は他国や他地域で一切見られません。それは上記のとおり大気汚染の激しい中国でもそうで、そういう意味では先輩が述べたように花粉症キャリアの方は春は中国に避難するのも案外ありかもしれまん。
一体何故日本でしか花粉症がないのかというと、以前の記事にも書いておりますが農水省の不作為によって生まれた病気だからです。花粉症の原因は主にスギ花粉ですが、日本では戦後に農水省が主導した植林事業によって全国各地に有り得ない量の杉の木が植樹されました。何故杉がこれほど植樹されたのかというと、空襲などによって荒れた山々を回復させる狙いと共に、杉であれば木材資材として使えるため一挙両得という皮算用でした。
結果から言うとこの植林事業は大失敗でした。杉の木を植えたはいいけどその後、日本の人件費が上昇したことによって木材価格は輸入品が下回り、国内産の木材は市場で売れ残って行くこととなりました。その上、売れないもんだから次第に杉の木を伐採する人もいなくなり、手入れの為に必要な間伐すら行われなくなったためにむしろ山は荒れていき、百害あって一利ないとはまさにこういう事でしょう。
なお上記の植林事業を開始する際に事業の説明を受けた昭和天皇は、「針葉樹ばかり植えて広葉樹を無視したら生態系が崩れるのでは?」と疑義を呈したそうです。この昭和天皇の指摘は正しく、近年クマがたくさん人里に下りてくるようになったのは餌となる広葉樹の木の実が減ったことなどにあるのではと私は見ています。
話は元に戻しますがこうした経緯を経て生まれた花粉症によって、実は日本の製薬会社は非常に儲けています。というのも花粉症は先ほどにも述べた通りに日本の風土病であるため、海外の製薬メーカーは治療薬を持っておらず、事実上日系メーカーが独占して製造・販売している状況に近いです。こちらのサイトによると治療薬やマスクといった花粉症関連商品の市場規模は約1000億円と推計しておりますが、ワンシーズン当たりだと私はもうちょっと大きいんじゃないかと思います。まぁ自分は花粉症キャリアじゃないので、実際どれくらい金かけるかとなるとあんま実感ないが。
で、こっから本題ですが、毎年花粉症対策にお金をかけることが気に食わないと大学の先輩が言っており、だったら基金を設立して、花粉症の根本的原因である杉の木を片っ端から伐採していく方が有益じゃないかと提案してきました。この先輩の提案は私も以前から提唱し続けており、年間1000億円と言わず数百億円でもそこそこの効果を期待できる規模で伐採は実施できるのではないかと考えています。さすがに一年だけでみんな伐採することは不可能でしょうが、数年かけることによって大幅に花粉量を減らせるのではないかと期待でき、減った後には対策グッズを買わなくて済む上に花粉症による集中力の低下も抑えられて生産性の上昇もあり、さらに伐採後に広葉樹を植えることによって山の生態系も良くなるのではないかと素人考えで思っています。
と、ここでクエスチョンですが、一体何故こうした伐採を農水省、もとい林野庁はやろうとしないのでしょうか。花粉症の根本的解決にも繋がるし生態系の回復、ひいては山林手入れの雇用対策にもなり得るのに、何故何故とはてなマークでいっぱいです。
あくまで推論ですが、林野庁は確信犯でやろうとしてないのではないかとみています。だってやってしまうと花粉症治療薬を売っている製薬会社にとっては困るし、なにより林野庁の不作為を認めてしまうことになります。
ここだけの話、林野庁を含む農水省というのは実は日本の省庁の中でも厚生労働省に次いで問題のある機関であると前から思っており、この花粉症対策でも以前に呆れたことをやってのけてます。
・ウソをついてなお言いつくろう林野庁(あつまれ!花粉症の仲間たち)
ちょうどいい感じにまとめられているサイトがあったので引用しますが、林野庁は2002年から花粉症対策として、花粉を出す雄花の多いスギを選んで間伐するという事業を行っておりました。こうすることによって花粉量を減らせると言っていたのですが、間伐によってむしろ日当たりがよくなって調査地点によっては花粉量が増えたという、惨憺たる結果を生んでくれました。しかも報告書には実際の調査データではなく、自分たちの妄想というか「20~30%も減ったよ!」なんて嘘八百を並べて各自治体に同様の事業を行うよう推進していたとのことで、はっきり言えば救いようのないカスでしょう。しかもそうした偽装がばれたらばれたで開き直って誰も処分しなかったというし。
これ以外にも農水省はミニマムアクセス米の管理問題でも呆れた対応をしていてこの際だから解体して国土交通省と厚生労働省の下に置いた方がいいと考えています。なもんだから花粉症対策でお国は頼りにならないので、真面目に花粉症キャリアの方は基金でも作って自力で伐採を進めていった方が前向きでしょう。自分がフリーな立場ならそういう基金発足を推進してもいいけど、今忙しいからなぁ。
まず日本人があまり意識していない事実を述べると、花粉症というのは日本特有の風土病で、少なくとも私が知る限り同じような症状は他国や他地域で一切見られません。それは上記のとおり大気汚染の激しい中国でもそうで、そういう意味では先輩が述べたように花粉症キャリアの方は春は中国に避難するのも案外ありかもしれまん。
一体何故日本でしか花粉症がないのかというと、以前の記事にも書いておりますが農水省の不作為によって生まれた病気だからです。花粉症の原因は主にスギ花粉ですが、日本では戦後に農水省が主導した植林事業によって全国各地に有り得ない量の杉の木が植樹されました。何故杉がこれほど植樹されたのかというと、空襲などによって荒れた山々を回復させる狙いと共に、杉であれば木材資材として使えるため一挙両得という皮算用でした。
結果から言うとこの植林事業は大失敗でした。杉の木を植えたはいいけどその後、日本の人件費が上昇したことによって木材価格は輸入品が下回り、国内産の木材は市場で売れ残って行くこととなりました。その上、売れないもんだから次第に杉の木を伐採する人もいなくなり、手入れの為に必要な間伐すら行われなくなったためにむしろ山は荒れていき、百害あって一利ないとはまさにこういう事でしょう。
なお上記の植林事業を開始する際に事業の説明を受けた昭和天皇は、「針葉樹ばかり植えて広葉樹を無視したら生態系が崩れるのでは?」と疑義を呈したそうです。この昭和天皇の指摘は正しく、近年クマがたくさん人里に下りてくるようになったのは餌となる広葉樹の木の実が減ったことなどにあるのではと私は見ています。
話は元に戻しますがこうした経緯を経て生まれた花粉症によって、実は日本の製薬会社は非常に儲けています。というのも花粉症は先ほどにも述べた通りに日本の風土病であるため、海外の製薬メーカーは治療薬を持っておらず、事実上日系メーカーが独占して製造・販売している状況に近いです。こちらのサイトによると治療薬やマスクといった花粉症関連商品の市場規模は約1000億円と推計しておりますが、ワンシーズン当たりだと私はもうちょっと大きいんじゃないかと思います。まぁ自分は花粉症キャリアじゃないので、実際どれくらい金かけるかとなるとあんま実感ないが。
で、こっから本題ですが、毎年花粉症対策にお金をかけることが気に食わないと大学の先輩が言っており、だったら基金を設立して、花粉症の根本的原因である杉の木を片っ端から伐採していく方が有益じゃないかと提案してきました。この先輩の提案は私も以前から提唱し続けており、年間1000億円と言わず数百億円でもそこそこの効果を期待できる規模で伐採は実施できるのではないかと考えています。さすがに一年だけでみんな伐採することは不可能でしょうが、数年かけることによって大幅に花粉量を減らせるのではないかと期待でき、減った後には対策グッズを買わなくて済む上に花粉症による集中力の低下も抑えられて生産性の上昇もあり、さらに伐採後に広葉樹を植えることによって山の生態系も良くなるのではないかと素人考えで思っています。
と、ここでクエスチョンですが、一体何故こうした伐採を農水省、もとい林野庁はやろうとしないのでしょうか。花粉症の根本的解決にも繋がるし生態系の回復、ひいては山林手入れの雇用対策にもなり得るのに、何故何故とはてなマークでいっぱいです。
あくまで推論ですが、林野庁は確信犯でやろうとしてないのではないかとみています。だってやってしまうと花粉症治療薬を売っている製薬会社にとっては困るし、なにより林野庁の不作為を認めてしまうことになります。
ここだけの話、林野庁を含む農水省というのは実は日本の省庁の中でも厚生労働省に次いで問題のある機関であると前から思っており、この花粉症対策でも以前に呆れたことをやってのけてます。
・ウソをついてなお言いつくろう林野庁(あつまれ!花粉症の仲間たち)
ちょうどいい感じにまとめられているサイトがあったので引用しますが、林野庁は2002年から花粉症対策として、花粉を出す雄花の多いスギを選んで間伐するという事業を行っておりました。こうすることによって花粉量を減らせると言っていたのですが、間伐によってむしろ日当たりがよくなって調査地点によっては花粉量が増えたという、惨憺たる結果を生んでくれました。しかも報告書には実際の調査データではなく、自分たちの妄想というか「20~30%も減ったよ!」なんて嘘八百を並べて各自治体に同様の事業を行うよう推進していたとのことで、はっきり言えば救いようのないカスでしょう。しかもそうした偽装がばれたらばれたで開き直って誰も処分しなかったというし。
これ以外にも農水省はミニマムアクセス米の管理問題でも呆れた対応をしていてこの際だから解体して国土交通省と厚生労働省の下に置いた方がいいと考えています。なもんだから花粉症対策でお国は頼りにならないので、真面目に花粉症キャリアの方は基金でも作って自力で伐採を進めていった方が前向きでしょう。自分がフリーな立場ならそういう基金発足を推進してもいいけど、今忙しいからなぁ。
登録:
投稿 (Atom)