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2018年7月3日火曜日

一発でブチ切れた誤変換

 本業がライターでもないのに毎日恐ろしいくらいキーボードを叩いている私ですが、せっかちな性格も相まってミスタイプする数も非常に多いです。一方、正しく入力しているものの漢字がご変換されることも少なくないのですが、以前に「設計」と入力しようとして「せっけい」と打ち込んで変換したところ、それまで一度として、っていうか普通の人生でまず変換することは今後もないだろうと思う「雪渓」という単語がいきなり出てきたことがありました。
 なんかその時は仕事も忙しくてめちゃくちゃイライラしたこともあってか、職場でありながら「んだとてめぇこの野郎!」って、モニタに向かってリアルに悪態つきました。っていうか普通にこんな単語が真っ先に、しかもそれ以前はほぼ確実に「設計」と表示されていただけに半端なく頭に来ました。

 恐らくこうなった原因は、使用しているパソコンのOSが英語ベースになっているせいだと思います。日本語ベースと比べると同じIMEの日本語入力システムと比べても変換がおかしいことが多く、わざと作業を妨害しているのではないかと思うくらいに誤変換を連発することもあって非常に神経を削られます。
 今日なんか、昨日は夜遅くまで残業してへとへとだったこともあり早く上がってうどん食って帰ってきたこともあり余裕ありますが、本気で披露している時にこういったしょうもない、っていうかあり得ないご変換されるとダメージがでかいです。あと中国語使用のキーボードだとカギ括弧の記号のキー位置もずれているので、これも地味にイライラします。

 最後に全く関係ないですが、自宅キーボードの「K」のキーはほぼ毎回印字が削れて見えなくなってしまいます。これは右手中指の戦端でいつもKのキーを叩く癖があり、爪が伸びているとそのまま印字を削ってしまうからで、他のキーではそんなことないのに毎回Kのキーだけまっさらになってしまいます。ホームポジションとかもうちょっと見直した方がいいのかもしれません。

下ネタなきギャグマンガ

 現在「かぐや様は告らせたい」というギャグマンガを新刊が出るたびに購入して読んでいますが、今度この作品もアニメ化するそうです。つい先日までアニメが放送され好評だったという「ヒナまつり」もそうでしたが、「かぐや様~」も一目見て「ああこれは将来アニメ化するほど人気出るだろうな」とはっきりわかるくらい優れていると思うので、今回のアニメ化発表についても驚かないというか、もっと早くてもよかったのではないかとすら思います。

 この漫画のどこが優れているのか私見で述べると、話によってボケ役とツッコミ役がはっきり入れ替わる点だと思います。大体どのギャグマンガでも毎回ボケるキャラと、それに対してツッコミを入れるキャラという役割が作品を通して固定されますが、このかぐや様に限ってはそうではなく、前の話で終始おかしな行動をとっていたキャラが、別の話ではズレた発言をする他のキャラへのツッコミ役に回ることが珍しくなく、各キャラそれぞれの世間ズレした感覚を別の視点から指摘し合うともいうような後世のなされ方がされています。
 あとがきなどを見ていると割とじっくり考えこんで話を作る作者だと思えるため、上記の構成ももしかしたらはっきりと意識して行われているのではないかと考えています。もっとも主人公の四宮かぐやに限っては、世間ズレが激しくどの話でもほとんどボケキャラに回っているところがある気がしますが。

 話は戻りますがさきほどの「ヒナまつり」ともどもこちらの「かぐや様」も、ギャグマンガでありながら全くと言っていいほど下ネタが存在しない点が共通しています。普通、ギャグマンガと言ったら下ネタがつきものという時代がありましたが昨今はなんかそうでもなく、こうした要素を排除したギャグマンガの方がもはや多くなっている気すらします。
 単純なセールスの観点から言っても、下ネタが入ると女性読者からはまず間違いなく敬遠されるため、熱烈な読者層を囲い込むつもりでなければ排除した方がプラスに決まっています。しかし下ネタなしでギャグマンガを作るとなるとこれまた一工夫いるわけで、その点でさっきの二作品はどちらもうまく昇華して成功していると言えるでしょう。

 この手の下ネタが全くないギャグマンガで私が最も印象深いのは、90年代に月間ジャンプで連載されていた八木教広氏の「エンジェル伝説」ですが、ある意味この作品がこうした下ネタ排除の漫画の特徴を一番抑えていると思います。この作品は強面だけど実際は心優しい男子高校生を主人公にした作品で、その主人公が周囲からもたれるイメージと、実際の誠実な心根した行動のギャップが面白さにつながっているのですが、この周囲から見られるイメージと実際の行動とのギャップというかズレが、こうした系統のギャグマンガに多い気がします。
 先ほどの「かぐや様」なんかは典型的で、「ヒナまつり」においては大体どの回も神回に化すと言われる「瞳さん回」は、このような周囲の認識と本人の意識・行動のギャップが主軸になっています。逆を言えばこの点が人間にとって笑いを誘うポイントなのかもしれません。

 最後に余談ですが、こっちで家にいて暇だから電子書籍で漫画買いまくってたら、新規に買いたいと思うものがもうなくなってしまって地味に困ってます。今まで買っておきながら数年間開封すらしていなかった「信長の野望 革新」も遊んでみましたが、なんか自分的にはしっくりこず、むしろこの際だから「天翔記」を買いなおして遊ぼうかとすら思っており、地味にエンタメに飢えてきています。
 もっとも現在持っているゲームの中でも「パワプロ2016」なんかはまだ遊び倒しておらず、マイライフをこのまま続けていくのが財布的にも無難そうです。なおこの「マイライフ」モードで私が使うキャラには何故か「オエェ-ッ」って名前を付けて、会話が出るたびに「オエェ-ッ、飯でも食わないか?」などと、みんなえづいてから話しかけるカオスな世界が広がっています。

2018年7月1日日曜日

米中関税摩擦の日本への影響

 詳しくは次の水曜のJBpressで出す記事に詳細を書いていますが、このところ、真面目に数年ぶりと言っていいくらいに毎夜安心して寝られることから体力が戻りつつあります。一方、感覚の変化からなんかブログ記事の質がおかしくなっていましたが、今日久々に感覚を取り戻したというか、てんかんキャリア的に言えば電気信号がよく通るようになったので、久々にまじめな時事ネタ且つ専門分野でもある米中関税摩擦に置ける日本への影響について自分の見解を書きます。
 結論から書くと、不安視する意見や報道が多いですが私個人としてはこれは日本にとって漁夫の利を得る大きなチャンスに見え、腰砕けな能書きばかり垂れてないでチャンスをものにする前向きな意見が欲しいといったところです。それにしても、かつて専門だと主張したのは国際政治でしたが、最近はすっかり経済・税務・コンプライアンスになってしまったのは自分でも歯がゆいところです。

 解説に移りますが、今回槍玉に挙げる米中関税摩擦とはトランプ大統領が米国の膨大な貿易赤字の解消、並びに製造業の米国内回帰を掲げて公約に挙げていた、対米輸出への関税引き上げ政策に端を発します。これは中国に限らず日本やEUなども対象で、すでに一部除外項目を除き鉄鋼の関税を引き上げることを決定しています。今後も引き上げ品目を拡大する方針を示しており、日本もEUとともにWTOの理念に反すると批判に加わりました。
 先ほどは「中国に限らず」とは書いたものの、今回の米国の関税措置が中国からの輸入品を念頭に置いていることには間違いありません。また深圳のエレキメーカーであるZTEへの半導体輸出禁止など個別策も打ち出しており、これに対して中国側も反発して米国からの輸入品に対して報復関税を出すことを決め、先週にも品目リストが一斉に発表されました。実質的に関税を軸に米国と中国は戦争状態にあり、今後の帰結はどうなるのか、政治妥結するのか、それとも両国ともに関税競争がエスカレートするのか予断を見せない状況ですが、今しばらくは後者のエスカレートが続くとみられます。

 こうした米中の関税摩擦について日系メディアは、「日本も巻き込まれて痛手を食う」という分析がやや支配的だなと感じます。実際に株価は影響を食らってやや下がり気味で、為替にもいくつか影響は出ていますが、私自身は非常に楽観視しています。その理由というのも、米国からの輸入分の埋め合わせとして日本製品入り込む余地が広がる可能性が高いとみているからです。

 米国の関税政策は中国のみならず日本も入れられていますが、中国の報復関税の対象は米国のみであり、日本やその他国々は含まれていません。また中国の米国輸入品の多くは食料などで、これらの代替輸入先の確保はそこまで難しいとは思えず(半導体関連を除き)、現状では中国側がやや有利な状況と私は見ます。また米国内でもハーレーダビッドソンが、「こんなんじゃやってらんない」と、米国内回帰どころか欧州への生産移転を発表するなど、逆方向への効果が起こるなど米国にとって不利な状況がどんどん起きています。

 第一、今回の米国の急な関税引き上げは明らかに国際秩序を乱すものであり、理念的にも日本が応援する義理はなく、かつてでこそ中国もレアアース輸出規制をやらかしはしたものの、今回に限っては中国や欧州とともに日本も米国を批判するべき立場に回るべきです。同時に、これを機に中国へ売り込みをかけ、米国製品を締め出してそのお株を奪うべきでしょう。
 具体的な製品を挙げると、一番狙い目なのはエタノールやゴムといった化学原料、次に完成自動車、そして最後に食料といったところです。何気に日本は中国と距離面で圧倒的な有利があり、代替輸入先として手を挙げることでこれまで米国から輸入してきた分をそっくりそのまま得られるチャンスが大いに広がっています。また中国側もこのところの米国との貿易摩擦を受けて日本との関係構築に目を向けてきており、先日の李国強総理の日本訪問もそうした期待があってのものとみて間違いありません。将来的にはどうなるかわからないものの、今この場は商売に徹して中国と関係を深めるべきだというのが私の考えです。

 既存メディアについてはどうして上記のような視点が一つも出てこないのか、そもそも米中貿易摩擦にどう巻き込まれるのかがどこも具体指摘しておらず見ていてイライラを通り越して、ここまで日本には人材がいないのかと不安になってきます。米国の完成自動車輸入関税引き上げについても、1社だけまさに同じ指摘をしていましたが、現時点で日系メーカーは米国現地生産率が高いため、この関税引き上げでダメージを負うのは米国に工場のないマツダくらいでしょうに。

 何もこの件に限るわけじゃないですが、状況の変化をマイナスと見るかプラスと見るか、この一点でも人間の良し悪しはわかってくるでしょう。無論、上記の私の見解もあくまで「チャンス」であり「現金」ではなく、実現するかどうかは今後によるものの、チャンスと捉えて行動をするか、チャンスだと気づかずに見過ごすかでは過程は大きく変わるものです。この点、やはり日本は全体としてもうチャンスをチャンスとして見られなくなっているのかという懸念ももたげます。

中小企業に対する目の変化

 いつも日本の問題点ばかり挙げているのでたまには今後の日本にとって希望が見える点を挙げようかなと考えた際、真っ先に浮かんできたのは見出しに掲げた中小企業に対する社会の目の変化でした。具体的には、以前ほど中小企業が大事だ、保護しろとは言わなくなり、やや怜悧になってきているという意味で、長い目で見ればこれは明るい材料だと考えます。

 2000年前後、一部地銀の破綻が相次いだ時期によく、「日系企業の大半は中小企業だ」、「日本を支えているのは中小企業だ」、「これを保護しないとえらいことになるぞ」みたいなフレーズが大手メディアを中心に盛んに喧伝されました。その後、竹中平蔵氏が金融担当大臣になって各銀行に厳しい締め付けを行ったことによって貸し剥がしが多くなると先ほどのフレーズは勢いを増し、中小企業を潰す竹中大臣は悪の権化だと言わんばかりに批判され続けました。
 なお竹中氏もこの時のことは結構根に持っていたのか、「三年で不良債権を半減化すると言ったら野党はできるはずないと批判したが、実際に二年半で私はやってのけた」と雑誌のインタビューで答えています。ただこの件については私も野党の肩を持つというか、実現不可能だと思われたことを有言実行してしまった竹中氏の方が凄すぎたと思います。

 話は戻しますが、当時が当時だったのかもしれませんがここ最近においては中小企業の保護なんて言葉はほとんど聞かれなくなりましたし、むしろ潰れるなら仕方ないというような雰囲気すら感じます。
 現実に苦境に陥っている中小企業は単純に経営能力が低いからこそ苦境に陥るわけで、そう言った起業を救済することは社会全体の経済効率を下げるのに努力するも同然です。この辺、みんな大好きアトキンソンことデービッド・アトキンソン氏がこっぴどく主張していますが、日本はダメな経営者が多すぎて足を引っ張ってるとはまさに金言でしょう。こうしたアトキンソン氏のような考え方というか真理が、徐々に一般社会にも広がってきているのかもしれません。

 翻って中国の話をすると中国は中小企業の保護を叫ぶどころか、「潰せ、一匹残らず!」と言わんばかりの行動をとっています。具体的には「ゾンビ企業」と揶揄して、キャッシュ・フローがマイナスにもかかわらず銀行などの融資によって生きながらえている企業はむしろ率先して潰すか、同業他社へ売却するべきという方針を取っており、特に採算割れしている国有企業らがターゲットになっています。はっきり言いますが、日本よりも中国の方がこの点では賢かったでしょう。

 そもそも、実力のある中小企業は国が保護しなくても十分一人でやってけるうような企業達ばかりです。国が保護しなければならないという点でその中小企業には問題があり、たとえ従業員が路頭に迷うとしても彼らを救うために日本全体を沈没させてはまるで意味がなく、そんな意味のない行動を90年代に率先して行ってきたというのが失われた十年の根本的原因でした。
 幸いというかそうした腐った価値観はこのところはどうも駆逐されてきたように思えます。いわゆる地元斡旋型の議員が減ってきたということもあるでしょうが、国会議員も地方再生こそ口にするものの、むやみやたらに中小企業の維持や保護を叫ぶ人は減っています。またブラック企業問題も相まって、問題のある会社はむしろ淘汰すべきという価値観も社会全体で共有され始めてきたと言っていいでしょう。

 こうした価値観の変化は日本にとってプラスでしょうが、20年前に到達すべき点でもありました。今更とはいえ、アトキンソン氏のようにもっと強く且つ過激にこうした意識を高め、「駄目な中小経営者は殺せ、生かして返すな!」ぐらいの熱意をもって淘汰に動くべきというのが、私個人の意見です。

2018年6月28日木曜日

すっとんきょんな天才なき世の中

 最近歴史ネタを書こうと思っても浮かばないというか、もうこれまででほとんど書き尽くしている感がありなかなか書けなくなっているのですが、今日もなんか書こう、それも文化人にしようといろいろ考えあぐねていたところ、「最近、すっとんきょんな天才ってのを見たことがない」とふと思いました。

 かつて文豪というのはその大きな事績とともに、プライベートでの奇妙な振舞いというか豪快なエピソードを数多く持っているのが普通でした。漫画家も然りで働きづくめでいたずらすることも多かった手塚治虫は言うに及ばず、水木しげるに至っては逆に何もかもがすっとんきょんな行動ばかりで、むしろ常識的な行動の方が少なかったのではと思う節すらあります。
 最近、この手の奇行の多い天才となると将棋の加藤一二三氏が最後なのではないかと思うくらい見当たらなくなりました。作家、漫画家、スポーツ選手にしろ、なんか最近はまともな人が多くなり、ぶっ飛んだエピソードの多い文化人となると正直あまり浮かびません。作家に至っては、発言が物騒な人はおろか小説以外の分野、具体的には政治や言論などに出てくる人は明らかに減っています。

 何が言いたいのかというと、あまりある才能に対してその他のぶっ飛んだ面を許容する寛容さがこのところ失われてきているのではないかということです。もしかしたら私が知らないだけかもしれませんが、アクの強い文化人がこのところほとんど見られず、一方で礼儀正しくまともな人は増えていて、これはこれでいいのかもしれないけど何か面白みに欠けるような気がしてなりません。
 特に文芸においては近年の出版不況もあるでしょうが注目に値する作品はなかなか出てこなくなり、ドラマや映画も漫画を原作にするパターンが増えてきています。ドラマのオリジナル脚本も以前と比べれば大人しいテーマが多く、かつての「人間失格」など世の中にものすごい議題を突きつけるような作品ともなると皆無です。そのあたりが、すっとんきょんな天才がいなくなったことも影響しているのではないかと思うわけです。

 かくいう私も器用貧乏な性格していて、一点突破的なキャラは実はあまり好きじゃなく、野球で言えばユーティリティプレイヤーを好むところがあり、私自身もそんな性格からか金属切断作業から貿易アレンジまで幅広くこなす業務経歴を持っています。もっともそれ以上にライターとして対応できるテーマの幅広さの方がもっと如実にその性格を表しており、客観的に見たとしても、社会的なテーマから歴史、政治、経済、ホビーに至るまでありとあらゆるジャンルを書ける器用さに関してはライターとしても誇れると自負します。

 そんな自分が言うのもおかしいですが、何か一つの才能のために他のすべてを台無しにしてしまったような天才が不足、というよりも世の中から出てこないというのが、今の日本の苦しい現状を一部反映しているような気がします。持論でもありますが、寛容性のある社会の方が基本的に強く、その点で今後の日本について不安を感じる次第です。

2018年6月27日水曜日

Googleの驕り?

 実は二ヶ月ほど前から、このブログで異変が起きていました。どんな異変かというと、コメントが書かれてもメールで通知されないのです。

 これまでブログ設定の箇所でメール通知欄に自分のメールアドレスを登録することで、コメントがあり次第に通知が来ていました。それが二ヶ月ほど前から急に来なくなり、どんなにアドレスを再設定しても全く反応しなくなりました。新しい機能ならいざ知らず、これまでできていたことが出来なくなるという不始末で、おまけに不具合として通知しましたが何の返事すら来ません。
 そもそもGoogle自体がもうこのbloggerのサポートを放棄している節すらあり、ガジェットなど新しい機能はもう何年も追加されていません。まぁそれを言ったら他のブログソフトも似たようなもんでしょうが。

 またこれはついさっき体験しましたが、先日にまたGmailが新たなバージョンに更新されましたが、この新しいバージョンでメールアドレスの登録を行おうとしたところ、アドレス帳を開くことが出来ませんでした
 実際にこれはGmailを使われている方に試してもらいたいのですが、画面内をいくら探してもアドレス帳を開くボタンが全く見つからず、メールソフトでありながらアドレス帳という表示すらないいびつな構造になっていることに気が付きました。

 最終的にネットで検索して、「こんなんわかるかよ」と思う個所にボタンがあることが分かって編集できましたが、この編集画面も使いづらいし見づらいしで、他のソフトともども、昔に比べてGoogleが使いづらくなってきたという印象を覚えます。なんとなくですが、ソニーに特に顕著ですがユーザビリティよりも自己満足なシステムを押し付けられているような印象を覚えます。
 そういったこともあり、希望的観測でもあるのですが案外シンプルにこざっぱりまとまった、それこそ中国系のアプリが得意とするようなソフトやサービスが出始めたら案外あっさりとGoogleも天下取られるんじゃないかとふと思いました。そもそもIT業界自体がトップの入れ替わりの激しい業界ですし、システムが複雑で何でもできることよりも、意外と機能を限定してシンプルなアプリの方が、以前に比べても今の方が俄然需要が高いように思えるからです。

 なお先ほど挙げたソニーについてですが、やはりゲーム機のUIに関してはPS3とPSP時代のUIの方がよかったという声をネットで見ますが、私も同感です。非常にセンスに溢れ尚且つ操作しやすく最初にPS3で触った時は軽く感動したくらいだったのですが、PSVitaはスマホ以下のUIに成り下がり、ガッカリ大賞を自分の中でもらいました。まぁVitaはそれ以上に、プレイ中に誤爆にしかならない背面タッチパッドというインターフェースを取り付けたという設計上の瑕疵の方が大きいですが。

 最後にあまり関係ないですが、先週発売された「Newガンダムブレイカー」というゲームがAmazonで、日一日ごとに数%ずつ値段が下がり続け、まだ発売から約1週間なのにとうとう値引き率が50%を超えたのが笑えます。ある意味凄い記録ですが、多分今年一番のガッカリゲーとなるでしょう。
 実際、ゲームシステムについてみていると、「これ作った奴ヤク(ルト)でも決めてるんじゃないのか?」と思うくらい歪です。どうしてこんな半端なくゲーム作りに向いていない人間がゲーム作っているのかわからないというレベルですごいです。

2018年6月26日火曜日

情報過多の時代において

年々右傾化する若者、原因は情報過多にあり(JBpress)

 恐らくJBpressで一番アクセスを稼いでいる伊東乾氏の記事ですが、種々のデータを使って日本人が保守化している現状を相変わらずうまく説明しています。この保守化の原因として伊東氏はインターネット普及による情報過多を指摘していますが、私も基本同感です。

 私自身は少年期からインターネットが存在する世代ですが、そんな私にとっても情報は「求めなければ得られないもの」でかつてありました。特に大学進学で京都へ移った際は関東、東京周辺の情報が周りから全く入らなくなり、直近の流行や関心事、新規インフラなどの情報を得るために関東の友人らにあることをメールなどで教えてくれと頼みましたが、どうも勘の鈍い奴らだったためか私の言っている意味を理解せず、もとい関西においては東京の情報が入ってき辛いという状況がわからなかったのかついぞ一つも連絡は来ませんでした。

 それが現在において、私は上海にいながら日本のかなり細かい話題などもこうしてブログで取り上げています。何故こうなれたのかというと、インターネットがあるからというよりも、どんな細かい情報もネットに上がるようになったからという影響の方が大きいと思います。例えばノートパソコンの情報も価格コムやAmazonなどを活用すれば手に取るようにわかるし、何が売れ筋なのかも簡単に分析できます。また日本のテレビ番組についても、ネット掲示板……よりも最近はテレビの視聴率を取り合えるネットニュースを見ればどの番組が受けていて、どの芸能人が人気が出てきたのかもわかってしまいます。

 一方で、これは私自身が実際にこのブログで強く実感したことですが、ネットに挙げられない情報に関しては驚くほど共有、認知されない傾向が以前よりも強くなってきています。具体例を挙げるとかつて宮崎県で口蹄疫が流行した際に最初に感染認定された牛が出てきた牧場についてネット上では、韓国人研修生を以前受けれていたことから彼らが口蹄疫を持ってきたという主張が支配的なまでに流行しましたが、実はこの牧場は他の牧場から口蹄疫感染牛が見つかった後で何故か「感染第一号」認定されるという、不可解な経緯がありました。また文芸春秋の取材によると、そもそもこの牧場は外国からの研修生を受け入れた事実などはなく、ネット上で支配的なまでに流行した情報は完全なデマでした。
 しかしこの文藝春秋の記事が出た後も、以前と韓国人研修生犯人説が強く唱えられ続け、誰もその事実の検証はせず、そもそも文春の取材も既に存在していたというのに、同じ主張をその後も取り上げられ続けました。

 実際にその時にいろいろ検索して調べましたが、文春の記事について言及する人間はほぼおらず、この時に私はネットに挙げられていない情報、この場合は雑誌情報は、ネット上では驚くほど共有されないと感じました。

 話は戻りますが、今回の伊東氏の記事でも外国語の情報はネットを通して手に入れられるようになっているにもかかわらず、誰も原典には当たらず、むしろいい加減な解釈や予測の記事を読んで海外事情を誤認する人間は前より増えていると私も日々感じています。私の場合は中国語と英語しか読めませんが、これらの言語のメディアを見ていると日本国内の海外報道の少なさに驚くとともに、「いい加減な報道しているな……」と感じる日系メディアもよく見られます。
 それこそ、東スポとか週刊実話のような中国メディア(大紀元とか)の記事を翻訳して報じるようなのです。中国人も信じないメディアの記事が、日本では中国事情として報じられるわけです。

 今自分がJBpressでやっていることについてよく周りに、「日本人に現実を見せる仕事だ」と説明していますが、それにはこういった背景があります。情報量がネットの隆盛によってあからさまに増えた一方、明かなデマ情報も増え、またそれに対してなんの警戒もなく受け入れる、情報の取捨選択ができない人間は増えているでしょう。
 何も自分だけが真実を報じられるだなんて自惚れちゃいませんが、なんとなくこの方面に危機感を持って仕事しているのはウソではないです。