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2018年7月1日日曜日

中小企業に対する目の変化

 いつも日本の問題点ばかり挙げているのでたまには今後の日本にとって希望が見える点を挙げようかなと考えた際、真っ先に浮かんできたのは見出しに掲げた中小企業に対する社会の目の変化でした。具体的には、以前ほど中小企業が大事だ、保護しろとは言わなくなり、やや怜悧になってきているという意味で、長い目で見ればこれは明るい材料だと考えます。

 2000年前後、一部地銀の破綻が相次いだ時期によく、「日系企業の大半は中小企業だ」、「日本を支えているのは中小企業だ」、「これを保護しないとえらいことになるぞ」みたいなフレーズが大手メディアを中心に盛んに喧伝されました。その後、竹中平蔵氏が金融担当大臣になって各銀行に厳しい締め付けを行ったことによって貸し剥がしが多くなると先ほどのフレーズは勢いを増し、中小企業を潰す竹中大臣は悪の権化だと言わんばかりに批判され続けました。
 なお竹中氏もこの時のことは結構根に持っていたのか、「三年で不良債権を半減化すると言ったら野党はできるはずないと批判したが、実際に二年半で私はやってのけた」と雑誌のインタビューで答えています。ただこの件については私も野党の肩を持つというか、実現不可能だと思われたことを有言実行してしまった竹中氏の方が凄すぎたと思います。

 話は戻しますが、当時が当時だったのかもしれませんがここ最近においては中小企業の保護なんて言葉はほとんど聞かれなくなりましたし、むしろ潰れるなら仕方ないというような雰囲気すら感じます。
 現実に苦境に陥っている中小企業は単純に経営能力が低いからこそ苦境に陥るわけで、そう言った起業を救済することは社会全体の経済効率を下げるのに努力するも同然です。この辺、みんな大好きアトキンソンことデービッド・アトキンソン氏がこっぴどく主張していますが、日本はダメな経営者が多すぎて足を引っ張ってるとはまさに金言でしょう。こうしたアトキンソン氏のような考え方というか真理が、徐々に一般社会にも広がってきているのかもしれません。

 翻って中国の話をすると中国は中小企業の保護を叫ぶどころか、「潰せ、一匹残らず!」と言わんばかりの行動をとっています。具体的には「ゾンビ企業」と揶揄して、キャッシュ・フローがマイナスにもかかわらず銀行などの融資によって生きながらえている企業はむしろ率先して潰すか、同業他社へ売却するべきという方針を取っており、特に採算割れしている国有企業らがターゲットになっています。はっきり言いますが、日本よりも中国の方がこの点では賢かったでしょう。

 そもそも、実力のある中小企業は国が保護しなくても十分一人でやってけるうような企業達ばかりです。国が保護しなければならないという点でその中小企業には問題があり、たとえ従業員が路頭に迷うとしても彼らを救うために日本全体を沈没させてはまるで意味がなく、そんな意味のない行動を90年代に率先して行ってきたというのが失われた十年の根本的原因でした。
 幸いというかそうした腐った価値観はこのところはどうも駆逐されてきたように思えます。いわゆる地元斡旋型の議員が減ってきたということもあるでしょうが、国会議員も地方再生こそ口にするものの、むやみやたらに中小企業の維持や保護を叫ぶ人は減っています。またブラック企業問題も相まって、問題のある会社はむしろ淘汰すべきという価値観も社会全体で共有され始めてきたと言っていいでしょう。

 こうした価値観の変化は日本にとってプラスでしょうが、20年前に到達すべき点でもありました。今更とはいえ、アトキンソン氏のようにもっと強く且つ過激にこうした意識を高め、「駄目な中小経営者は殺せ、生かして返すな!」ぐらいの熱意をもって淘汰に動くべきというのが、私個人の意見です。

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