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2019年3月31日日曜日

日本の人手不足はいつから始まったのか

 つい最近、それこそここ2年位で人手不足が大きく日本で騒がれるようになりましたが、結論から言えば日本の人手不足はバブル期途中の90年代からすでに始まっていたと私は思います。

 何故そういうのかと言うと、90年台において既に労働力を国外から補充していたからです。具体的には悪名高き技能実習生制度、それと日系ブラジル人移民の受入です。後者は血統主義の観点から日系ブラジル人に限定されましたが実際には審査は曖昧で、旧日本国籍の血縁者でない人間も少なからずいたといいますがそれは置いといて、このように国外から度々労働力を補充し、いわゆる3K労働を支えていました。
 加えて言えば、90年代当時に置いて仮に大学生アルバイトがいなかったらどうなっていたのか。検証するまでもなく、ほぼすべての小売、サービス業は店舗運営が成り立たなくなっていたでしょう。日本では大学生がアルバイトに従事することはさも当たり前のように扱われますが、中国にいる身からすると、大学生すら労働力として扱わなければならないというのはむしろ異常に思え、彼ら大学生に依存していた時点で日本は大幅な労働力不足が続いていたと思うようになってきました。

 またポスト大学生こと90年代中盤からはフリーターという職業が生まれ、定職ではなくアルバイトを継続、点々とし続けるライフスタイルも生まれましたが、これは単純に労働単価の切り下げの末に生まれた結果と言えるでしょう。その上で、アルバイト故に職業訓練の継続、定着が悪化したことで、労働生産性をこれ以降大幅に下げることとなったのではと思う節があります。
 ここ数年でデービッド・アトキンソン氏の指摘により労働生産性の向上の重要性が二本でも叫ばれるようになりましたが、本来この議論は90年代初頭より行い、人口減少の背景を考慮に入れて向上策を忠実に実行するべきだったでしょう。しかし実際はさにあらず、むしろ逆に弥縫策とばかりに外国人労働者を一貫しないまま導入するなどして労働生産性を下げた上、労働生産性の向上に取り組まない業者を延命させ続けました。その結果が現在だと私は見ています。

 要するに何が言いたいのかと言うと、人手不足を議論する時代はもう既に終わっているのではないかということです。じゃあ何を議論するのか、生産性向上なのかという意見もあるでしょうが私の意見は異なり、そういうのはもういいから生き残りだけを考えたほうがいいのではという結論に落ち着きます。

2019年3月30日土曜日

仲間を呼ぶ中国人アルバイト

新入社員時代の「恥ずかしい思い出」、変な敬語で笑いもの、大遅刻…(ダイヤモンド)

 この記事で無駄に過剰な敬語を使った女性社員に「A式部」ってあだ名を付けた会社はいいセンスをしていると思います。

 話は本題に入りますが、先月日本に帰った際にとあるところで中国人アルバイトについて話を聞きました。その商工関係者によると同じ中国人アルバイトでも、国立大学などに通う留学生は非常に物覚えもよく優秀なのに対し、語学専門学校通いだとか、その多目的での来日者は留学生と比べてポテンシャルで落ちるようです。留学生であれば日本人をも上回るくらいのポテンシャルを発揮することもあり、地方の商工関係者からしたら非常に望ましい人材だとして重宝されていると教えてくれました。

 それともう一つ、中国人留学生をアルバイトに雇う上での地味に大きなメリットとして、彼らはドラクエのマドハンドよろしく仲間を沢山呼んでくれるそうです。
 アルバイト経験者ならわかるでしょうが基本どの現場でも人手は不足し、また退職者などが出るとその穴埋めには苦労します。その点、中国人アルバイトであれば友人知人の横のつながりが強いだけに一人雇うとガンガン仲間を呼んでくれるそうで、これが雇用側としては非常にありがたいオプションとなっているという現状を教えてくれました。

 論理的にもよく分かる話だし、中国人留学生がそのネットワークでアルバイト先を紹介し合うという話は自分もかねてからよく聞いていました。またこの話を聞いた直後に私が世話している中国人留学生にも話を振ったところ、「自分もこれまでに何度も紹介したことがある!」と胸を張って主張してきました。
 そういう意味では今に始まるわけではありませんが、外国人留学生の日本の労働現場における重要性を改めて示された感じがします。それと同時に、改めて考えるにつけ、日本の人手不足はいつから始まったのかという点が少し気になりました。この点についてはまた次回にて書きます。

2019年3月28日木曜日

講談社元編集次長裁判の保釈→中止の決定について

東京高裁が保釈取り消し=妻殺害、一審実刑の講談社元編集次長(時事通信)

 個人的に上記の過程が少し気になりました。

 はじめに書いておくと、私は裁判過程やそのやり取り、開示された証拠などは閲覧しておらず、事件当初と第一審判決、そして今回の件に関する報道のみしか見ていませんが、その上で述べると上記の保釈→やっぱり中止という過程は日本の司法史上でも珍しい流れだと強く感じます。
 簡単に経緯をまとめると、自宅で妻を殺害したとして講談社社員(当時)の被告が殺人容疑で逮捕されたのですが、裁判ににて同被告は容疑を否定し、妻は自殺だったと主張しました。第一審では検察側の主張が認められて被告には懲役刑が課されたものの被告は控訴し、第二審(高裁)へと突入したところ、保釈金納付と一定の行動の制限付きで第一審を行った地裁から被告の保釈が本日発表されました。しかしこの発表が出された直後、っていうか今日、第二審を行う高裁は保釈を認めず、結果的には被告の保釈は中止となったわけです。

 敢えて言うとしたら、異例の上に異例が続いたとも言うべき状態です。そもそも殺人罪で勾留されている容疑者が保釈されるなんていうことはほぼなく、あるとしても足利事件や袴田事件など判決が一旦は確定したものの控訴審で冤罪がほぼ確実視されたケースくらいで、今回の事件のように二審の真っ最中でこうした判断が出ること自体は異例中の異例でしょう。
 その上で、そうして異例な保釈決定が有罪だと判決を下した地裁から出されたあと、審理中の高裁がストップをかけるというのも、法曹業界には詳しくないのでよくあるのかどうか実際にはわかりませんが、傍目には奇妙なやり取りのように思えます。特に何故地裁が今回保釈決定を出したのか、この辺の訴訟プロセスについて詳しい人がいたらぜひ教えてもらいたいくらいです。

 冒頭でも書いたように、この裁判についてはその過程や主張、証拠などを細かく見ていないので被告の容疑が真実であるかどうかについては私は判断しかねます。しかし今回の保釈決定、そして中止の流れに関しては異例というか明らかに通常とは異なっており、どうしてこのような流れとなったのか、そもそも地裁はどのような判断で保釈を認めたのかが気になります。
 また、何度も言うように真実を検証する材料は手元にないものの、仮にこの事件で冤罪の可能性があるとしたら、やはり注意深く見ていく必要があるでしょう。正直に語れば今回のこの異例すぎる地裁の判断を見て、この事件には冤罪と思しき理由や背景があったのではと私は思いました。無論、これは地裁の判断を見ただけのもので、証拠などを見ての判断ではありませんが。

 なお裁判絡みでいうと、以前というかかなり前に私が取り上げた大津の欠陥マンション訴訟の第二審で、最初の提訴から9年もの長き時間を経て裁判が結審し、来月4月12日に判決が出される予定とのことです。長くフォローしてきた案件でもあるのでこの判決には興味があり、その結果についても注目しています。

2019年3月27日水曜日

横審はヘイト団体か?

 昨夜お腹の調子が悪いから胃に優しいサンドイッチでもと思ってサブウェイのサンドイッチ買ってきたら、なんかやけにマスタードをたくさんかけられてて、食べ終わってからお腹の調子が余計悪くなりました。っていうか中に入っているハムの味が一切わからなかったし。
 そのおかげで今朝も調子悪かったけど、トイレ行ってからは少しは落ち着いたものの、どことは言いませんが座っててしばらくはヒリヒリしました。

また白鵬にダメ出し、横審の苦言に相撲協会も困惑(JBpress)

 本題に入りますが、結論から言えば私も前々から横綱審議委員会は人種差別を行うヘイト団体だと思っています。

 詳しくは上記記事に書かれてありますが、ここ数年の横審は明らかに白鵬や鶴竜などモンゴル人横綱に対する指摘が異常に厳しく且つ細かく、常軌を逸するレベルにまで達しています。
 特にひどかったのは横綱の休場に関する指摘で、稀勢の里が横綱になるまではまだ在籍していた元日馬富士ことダワーニャミーン・ビャンバドルジ氏を含め一回休むごとに「横綱としての自覚が足りない」などと厳しく詰問していたのが、稀勢の里が横綱となって休場しまくってた間は一切言及しなくなりました。それが稀勢の里が引退するやすぐさま白鵬や鶴竜の休場に対して「横綱としての自覚が足りない」とまた言い始め、何故稀勢の里には同じようなことを一切言わずに「激励」などを出していたのか理解できません。

 今回の白鵬の三本締めに関しても、観客も一緒になって手を叩いていることでもあるのだし、「あんまり勝手にやりすぎちゃだめだよ」と注意するくらいならともかく、相撲協会に処分を促してたというのはいくらなんでもおかしいでしょう。第一、記事にも書かれている通り暴行事件などで低迷していた時代を一人横綱で支えてきた白鵬に対する礼儀や経緯が全く感じられず、上記の稀勢の里の一件を考慮に入れると何かしら外国人に対する差別的感情を持っているのではとすら疑えます。少なくとも、これまでの発言に関しては確実に差別的とも言えるほどの温度差があると断言できます。

 こう思うと、朝青龍の最大のライバルと言われた内館牧子氏がいた頃はまだまともだったなぁと思えてなりません。ただ内舘氏にも、朝青龍に話しかけられると途端に彼に甘くなる点もあり、必ずしも独立性がたもられていたかっていうとそうでもありませんでしたが。

2019年3月26日火曜日

新元号について

渋谷JK「新元号?う~ん…タピオカw!」(暇人速報)

 上のまとめ記事見ていて、案外「タピオカ」でも悪くないのではないかと私も思えてきました。語呂もいいし、省略形もコメントにあるように「タ」であれば、「明 大 昭 平 タ」で違和感がありません。

 それはそうとしてイギリスだったらブックメーカーも立っているであろうくらい盛り上がっている震源号ですが、私個人としてはあんまり興味はなく、「ああ、そういえば来月発表だったのか」と上記のまとめ記事見て思い出したくらいでした。前からも主張していますが元号自体を作るのは構わないけど、流石に現代社会で公文書や履歴書などで元号暦を使い続けるというのは時代にあっているとは思えず、そういうのはもう西暦でも構わないと言う風に整理してから新元号についても話を進めてほしかったのが本音です。
 日本人本人とかはまだ対応するけど、留学生をみているとやはりこの元号対応で苦労するとよく聞きます。ついでに書くと日本に来た留学生は印鑑もいちいち作らなきゃいけないそうで、印鑑文化に関しては維持している方が偽造リスクなどを高めるだけに早く葬るべきでしょう。

 話は戻って元号ですが、ぱっと考える範囲で述べると、私の中では「文」の字を頭に入れればそれなりに決まるし、無難でもあるのでいいんじゃないかと思ってましたが、さっき検索かけたらやっぱり人気の一文字だったようで、二文字目にいろいろ試してみましたがどれも既に使われていました。このほか斬新に行くなら「鹿」とか「熊」など動物系、ニルヴァーナ的なら「蓮」、好みでいくなら「葉」の字がありますが、多分これらはまず採用されないでしょう。

 っていうか自分の免許証の期限は平成表記のままというのが内心嫌です。海外にいると通知も来ないし、っていうか更新のためだけに帰るのとか地味に面倒だったりするので、この辺も現地大使館とかでできるようにしてもらいたいのが本音です。

2019年3月25日月曜日

夫婦別姓訴訟の初期判決について

サイボウズ青野社長「棄却は最高裁まで来いというメッセージ」 夫婦別姓訴訟、控訴へ(弁護士ドットコム)

 前から気になっていた裁判でしたが今日判決が出て、上記の通り夫婦別姓を求めたサイボウズ社長らの主張は棄却されました。詳細な内容は論点はすべて上記記事に書かれてあるので私から言うことは特にありませんが、私としては原告らが主張するように選択式の夫婦別姓は早く認めるべきであり、女性の社会進出を促す上でも重要な一手だと考えております。
 それにしても法律条文で明らかな矛盾があるのに違憲判決出さない裁判所も見ていてどうかと思う一方、今更日本の司法にそういう期待自体するのもどうなのかもしれません。

 ちなみに自分は本名の名字とかもそんなにこだわりはなく、変わるなら変わるでそんなに気にしないし、姓名判断がどう変わるのかがとかで期待を膨らますと思います。あと本名で姓名判断したら人間関係について、

「円満な家庭に育ち、争いごとを好まず、平和主義です。人を思いやる心も深く、信頼関係のある友人が集まります。目標達成への意志もしっかりしているので、人の上に立つ素質を充分もっています。」

 って出ましたが、読んでてこれ嘘だなとか自分でも思いました。闘いのない世界では生きていけないというのに。

2019年3月24日日曜日

平成の大横綱

「黒い山の黒猫」と町を救った猫伝説(JBpress)

 私事ながら密かに上記記事を始めとする新美敬子氏の記事にハマっています。それにしても今回の「暴君ネロ」に例えられている黒猫の写真は本当に面白い。
 新見氏の猫写真を見ていてよく思いますが、やっぱり国によって猫の顔つきもなんか変わってきます。どういうところが影響するんだろうか。

平成最後の優勝は白鵬!全勝で決めた 3場所ぶり42度目(スポニチ)

 で本題、といってもバンザイ言うだけの内容ですが、平成最後の場所にて白鵬関が全勝優勝を果たしました。周囲から衰えも指摘される中で全勝、そして史上最多を更新する42度めの優勝と文句のない成績で、これでも片腕を怪我されているとのことですから恐ろしい以上の何者でもない実力ぶりです。
 「平成の大横綱」とくれば先日相撲協会から完全に引退した元貴乃花氏がかつては持ち上げられていましたが、やはり平成という時代でくくるとしたらやはり白鵬こそこの呼名が最もふさわしいでしょう。私も彼が関脇の頃からずっと見ており、何気に関脇の頃の左手で前みつ掴む相撲とか今も見てみたいと思ったりしますが(対策取られてからやらなくなった)、これだけなガキに渡り横綱の地位を最前線で守ったということは偉大以外の何ものでもありません。それだけにこの平成最後の場所でもきっちり優勝を取ってくれたことは個人的には非常に嬉しく思います。

 なおあまり関係ありませんが、平成時代で最も角界を騒がせた力士となるとそれはやっぱり朝青龍以外いないでしょう。その朝青龍の伝説の一番と来たら、お互いほぼ全盛期における白鵬との優勝決定戦ともう一つ、下の琴ノ若戦が挙げられるでしょう。改めて見なおしたけど本当にこれはすごい一番だ。