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2020年11月8日日曜日

米大統領選のバイデン氏当確について

 仕事が平穏化して体が徐々に冬眠モードに入ってきたのかやたらモチベーションが低いのでまた短くまとめるよう米大統領選の結果についてですが、報道されている通りにバイデン氏が勝ったようです。前回の大統領選でも事前予想が全く宛てにならなかったことから今回は初めから各種予想報道は見ていませんでしたが、少なくともこれほどの接戦を予想していたところはなく、今回も各メディアは世論を読みあぐねていた感があります。
 ただ投開票後の結果については、「大接戦もバイデン氏優位?」的な報道が多かったことから、この辺の調査に関しては割とピタリ的中だったと思えます。

 それでこのバイデン氏の大統領就任についてですが、まぁ中国としては期待半分恐怖半分というところでしょう。というのもトランプ大統領はあからさまに中国を目の敵にして貿易制裁などをかけてきましたが、その代わりわかりやすいというか、目立った政治的成果を持たせてあげればバーターの様にちゃんと制裁解除に動こうとするなど、中国にとっては「先が読みやすい大統領」だった気がします。
 それが今回、一部方面で全く何するか読めないバイデン氏に切り替わることから、トランプ氏よりマシになるのか、それとも的に中国も反応に今困っている状態だと思います。実際この辺は就任後の組閣にも左右されることなので現段階であれこれ予想しても詮無きことと私も思います。

 ただ一ヶ国、バイデン氏当選によって明確に打撃を被る国があります。

“トランプ氏ロス” の金正恩氏――自身を「悪党」「暴君」呼ばわりするバイデン氏に戦々恐々

 それは言わずもがなの北朝鮮で、さっそく出された上記記事がその辺の事情を上手くまとめてくれています。やはり北朝鮮にとっては割とホイホイ首脳会談に応じてくれるトランプ大統領の方が交渉などはやりやすかったと思え(北朝鮮は首脳会談以外に外交手段がほとんどないため)、バイデン氏となったらまず首脳会談は今後開かれないとみられるだけに、完全に手を絶たれることになるでしょう。
 折しも今年、日本は一つの台風も上陸なしというすごいメモリアルイヤーだった一方、朝鮮半島には大型の台風が何度も上陸し、元からのコロナ流行と相まって現在の北朝鮮は非常に厳しい状態にあると聞かれます。

 状況的に判断して上記観測はほぼ間違いないとみており、金王朝の命運も意外と早く来るのではないかと考えています。中国側としても北朝鮮に対する関心は年々低くなっており、崩壊後に中国に傀儡政権を作らせてくれるってんなら多分その崩壊に対し何の手も加えないでしょう。韓国が併合するというシナリオも考えられますが、逆にそれは中国以上に米国が反対するかもしれません。

2020年11月6日金曜日

日本に行ったらやりたいのに今できないこと

 今日も会社では平和だったというか仕事量が少なく、同僚とチャットで「会社案内のあの人の写真、昔と今とでイメチェン激しくね(。´・ω・)?」などと雑談に興じる時間すらありました。その際になんか自分の友人の話になって、「大学時代に凄い友人いたけど、けち臭くて冷蔵庫すら持たず、鍋がないからスパゲッティもやかんで茹でてた」などと妙な友人自慢したところ、「その人とは最近会ってないの?」と聞かれました。
 この問いに対して私は、「実は今年あたり連絡を取って会ってみようかなと思ってたけど、そしたらコロナになって日本に渡航できなくなってしまった」と答えました。これは取り繕った答えじゃなくほんとのほんとで、渡航制限によって結構いろんなことをあきらめています。そんなあきらめた内容をピックアップすると以下の通りです。

・自動車免許証の更新
 かなりガチな問題ですが、既に失効して半年くらい経ちます。コロナによる特別措置でいつでも更新可能とはなっていますが、執行した免許証でも日本国内の本人確認に使えるのか、結構この点って重要な気がします。

・PC購入
 スペックは高いけどデザインと端子位置が気に入らないマウスコンピューター製の今のノートPCですが、購入から3年も経つし、この間にCPUの省エネ性能がかなり上がっていると聞くので思い切って今年買い換えようかなとか思っていたらご覧の有様になってしました。去年からSteamでゲームを購入する機会が増えたからゲーミングPCも欲しいな、でもOfficeないとさすがにやだな(ゲーミングPCには何故かOfficeの購入オプションがないのが多い)とか考えたら、コロナ特需でパソコンが売れに売れて、なんか値上がりしてるっぽいのもいろいろ嫌です。
 前にも書いていますがPCは国ごとの規格の差が結構でかいこともあり、なるべくなら日本国内で調達したいといつも考えています。とはいえ、既に自宅には使わなくなって放置したノートPCが二台あり、これの処理とかどうしようかなとも結構悩みどころです。

・聖地巡礼
 前に連載で書いた戦国時代初期の関東における名所とか回ってみたいと前から考えています。具体的には古河公方御所跡とかですが、この辺掘り返したら観光名所になると思うけど、埼玉県民とかその辺気づいてない気がします。
 ちなみに実際に自分が聖地巡礼した場所を挙げるとしたら、地味に榛名山と赤城山が出てきます。赤城山ではリアルにハチロクがバックミラーに写って、ソ連人民の敵である親父とともに興奮してました。

・かっぱ寿司
 この前同僚とも話題になりましたが、中国で生活していて日本に行ったときに回転寿司屋行くと、かっぱ寿司でも感動するくらいうまいと感じるようになります。中国でも寿司屋はたくさんありますがやはり素材間の差はいかんともしがたく、反動でかっぱ寿司がやけに高級寿司店に感じるようになります。

 以上、いくつか挙げてみましたが、結論から言うと実はそんなないことに気が付きます。というのも最近中国だったらSwitchの最新ゲームも普通にダウンロードで購入できるし、日本食も寿司はともかく上海なら何でも食えるし、プラモだって中国や韓国メーカー製のキットはむしろこっちの方が手に入りやすく、意外と不便な点はほとんどないです。
 強いて言えばネット環境が悪いくらいですが、かれこれ6年くらい継続して使っているVPNで時間帯を狙えばダウンロードも高速でできるようになり、すっかり自分も中国の生活に馴染んでいます。逆に日本帰ったらいちいち会計の度に財布開けたりしたりしなきゃならないこととか考えると、そっちの方が不便感じたりするかもしれません。

 ちなみにゲームの話をすると、この前発売した「真・女神転生Ⅲ」のSwitch向けリマスター版はPS2時代にやってなかったので購入してやってみようかなと考えていましたが、ネットの評判みると動作が極端に遅いなど滅茶苦茶悪く、値段下がるまで買い控えることにしました。なおレビューにある個人的には「モッサリマスター」という言葉がやけに胸に刺さりました。いいセンスした人もいるものです。

2020年11月5日木曜日

日本の歴史観~その4、自虐史観

 愚痴った後で連載再開で、今回はある意味昭和後期を代表する歴史観こと、自虐史観です。

 この歴史観、というより戦後の歴史観は基本的に第二次世界大戦の日本をどのように評価をするかがに論点が集中するのですが、逆を言えばそれ以外の点、具体的には江戸時代以前に関してはその前の皇国史観と比べて余計なバイアスが解消されたことで、実証的な研究が花開くこととなりました。

 特に皇国史観においてはある意味否定されていた先史時代に関しては昭和中期から後期にかけて考古学ブームが起こり、それまでの遅れを取り戻すかのように活発に研究が行われるようになっています。
 惜しむらくは平成期において石器発掘捏造事件が起こったことで事実上、それ以前の研究や発掘成果に疑問符がつくこととなってすべておじゃんとなったことです。もっともそれ以前から考古学は恣意的な研究発表や実績考査が絶えなかったとされ、それらが発掘捏造に関しても事前に疑問視されていた声を黙殺していたと言われるだけに、遅かれ早かれ自滅していた気がします。少なくとも現代において、平成期と比べ考古学が日本国内で話題に上がる回数は明らかに少なくなっています。

 また先ほどはバイアスがなくなったのは「江戸時代以前」と書きましたが、正確には明治中期、それも日露戦争の1905年までの時代は自由な議論が許されるとともに、実証的な研究が進みました。一体何故ここで区切りとなったのかというと、私は二つの理由があると思います。
 ひとつは、日露戦争後に朝鮮半島が実質的に日本の支配下に置かれ、後の併合につながるからです。これ以後に日本は「植民地を持つ帝国主義国家」となり、自虐史観が否定した戦前の軍国主義の起点とされてしまい、日露戦争以後の日本の歴史については基本的に否定するものとして自由な議論は許されなくなったと私は見ています。

 もう一つは、地味に司馬史観こと司馬遼太郎の「坂の上の雲」効果ではないかと本気で考えています。今述べた通りに日露戦争以後は帝国主義国家となるけれども、「坂の上の雲」では「日露戦争以前の日本は立ち遅れていた状態から西欧に必死でキャッチアップしようと、明治維新を起こして改革していた」という、今風に言えば「美しい日本」的に描いたことで、こうした認知が歴史評価の大きな区切りをつける流れに一役買ったのではと見ています。
 なので西郷隆盛や大久保利通は「歴史上の人」となりましたが、伊藤博文や山縣有朋は「現代人」というようなくくりで、伊藤や山縣以降の時代と人々は歴史的な評価というか議論がしづらいというか実質的に制限される事態を招いたと考えます。個人的に非常に惜しいのは大正時代がこのあおりを受けたことと、昭和というハイスケールな時代に挟まれたことと相まって、あまり話題に出ることもなければ検証もされる機会を失ってしまった気がします。普通選挙に至る過程や原敬などアクのある人物は現代においても取り残されてしまっている感があり、今後の研究が待たれます。

 そんなわけでようやく自虐史観の本体についての話に移れますが、私が説明するまでもなく、この歴史観の特徴は「日露戦争以後~二次大戦以前の日本を否定する」ことで成り立っています。具体的には、

・日露戦争以前の日本には正義があったがそれ以降はただの野蛮な帝国主義国家
・日本の二次大戦は侵略戦争
・アジア諸国に多大な損害を与えてしまった
・ついでに朝鮮にもひどいことをしてしまった
・無謀にもアメリカ様にケンカを売ってしまった

 ざっとした内容は以上の五点に集約されるでしょう。一体何故この自虐史観が戦後にスタンダートとなったのかというと、やはり戦後の日本人自身が強い負い目を感じていたことが大きいと断言できます。特に実際に従軍した方や、戦後の政治家になったものなどはその発言などを聞くと戦争で中国などアジア諸国に対し略奪を始め大きな損害を与えてしまったという後悔を口にしている人が多く、その内容や態度から見て実際にそのような贖罪意識は高かったように感じます。
 それだけに、「こんなひどいことをした日本は間違っていた」、「こんなことは繰り返してはならない」という過去を否定する自虐史観は心情的に受け入れやすかっただろうし、また日本の国際的立場から言っても、そうした殊勝な態度を示すことが国益にも叶うと考えた政策担当者も多かったのでしょう。もちろん日本人自身も戦争で大きな損害を受けたことで、「もう戦争はこりごり」という意識を持ったことも大きかったでしょうが。

 ただこの自虐史観ですが、その名が示す通りともかく戦前の日本を貶めるだけ貶め、中には事実以上に日本のことを悪く批判、否定する声も少なくありませんでした。そうした反発が平成期に花開くこととなるのですが、逆を言えば何故平成に入ってから花開くこととなったのかというと、それはやはり昭和天皇が崩御したということが最大の理由だと考えます。
 ある意味で最大の当事者であった昭和天皇が崩御するまでは、昭和天皇自身も受け入れていたこの自虐史観について、反発を持つ者たちも否定することが出来なかったのだと思います。逆を言えば昭和天皇の崩御がもっと早かった場合、自虐史観からの揺り戻しはもっと早くに起きていたと思います。

 私自身は先ほども書いた通り、戦後の冷戦期という時代においてこの自虐史観が日本でスタンダードとなったことは、国際社会における日本の地位回復において有利な結果を運ぶ要因になったと考えています。極論を言えば、損害を与えたアジア諸国への補償としての政府開発援助(ODA)にかこつけて、日本製品や技術の売りつけや企業進出が果たすことができたし、諸外国も戦前の日本に対する反発を持ちながらも、見た目だけでもへこへこする姿を見て警戒を緩めていったことを見れば、復興期においては非常に役に立ったとみるべきだと私は思います。
 そういう意味では、この歴史観をその身をもって維持させた昭和天皇に関してはよくぞ長生きしてくれたという風にも感じます。あまり言われないですが、昭和天皇の崩御に伴う歴史観の切替えという概念は地味に重要である気がします。

2020年11月4日水曜日

日本の歴史観~番外、やらなきゃよかった編

 今日「チェンソーマン」の最新刊に当たる9巻を電子書籍で購入して通勤中に読んでましたが、余りの衝撃的展開の連続でいろいろショックが大きく、1日中仕事が手につかなくなりました。ジャンプ本誌で読んでる人たちからするとこの後の展開の方がさらに激しくなるとのことで、真面目に伝説に立ち会っているの感じます。
 前も少し書きましたが、この漫画の作者はある意味で従来の漫画表現を否定するかのような破壊的表現で連載を続けています。やはり本人も映画好きだと言っている通りにその表現手法は映画に近く、一般の漫画がストーリーを追っていくのに対し、この人の漫画は演出を追うためにストーリーを負わせるというべきか、演出を何よりも優先している感じがします。

 真面目にこれだけで話を終えてもいいのですが話を本題に映すと、先月からやっているこの「日本の歴史観」の連載はやらなきゃよかったと真面目に後悔しています。なんで後悔しているのかというと、一本記事書くのに物凄い負担が大きいというか、書き終えた後にめっちゃ疲労するため、書く前の段階から尻込みします。
 実を言うと今日は本当は連載の続きで自虐史観について書く予定でしたが、チェンソーマン……じゃなく会社の仕事でやや疲労気味だったために、どうしても書く気が起きませんでした。自虐史観自体はこの連載の中でも書きやすい部類のネタで、ひとつ前の皇国史観と比べたらずっと楽なのですが。

 そもそもこの連載を始めたのは、内容が良ければまたJBpressのコラムにも流用できるだろうという当て込みからです。自分もJBpressでコラム連載してから丸4年経ち、いい感じに手を抜く手法を磨いてこれてます。
 書き始める前の段階で徳川史観、皇国史観、自虐史観、そして平成期における史観プラスワンの五本立て、連載中に思い浮かんだらもう一本という筋立てで始めたのですが、意外と平成期の史観については考察を深めると実は現在、ほとんど整理されていないという事実に気が付きました。また誇張しすぎかもしれませんが、平成期における史観については整理するのは私がはじめてになるんじゃないかと内心思え、参考となる資料とか分析もない中で一からその史観について分析、論証する羽目となりました。これがほんとしんどかった。

 他の人はどうだか知りませんが、私はゲームしてる時とプラモ作っている時以外は常に何か考えています。ご飯食べてる最中も「虫の進化が虫を食べる動植物の進化にどう影響したのか?」とか、風呂入っている最中に「三種のマジックリン(バス・トイレ・ガラス)のうちゴキブリを殺すのに最も適しているのはどれだろう?」とか常にくだらないこと考えています。
 ブログネタも大体トイレしている最中か歩いている最中に「今日何書こう?」的に考えていつも決めていますが、この連載の下準備は三日くらい通勤途中にずっと考えて練っています。これは自分にとってもかなり異例で、これ以前の分析が足りなかったのもあるものの、意外と考察すれば深くなるという特徴があります。

 前回の皇国史観も、最初は南朝贔屓で実証主義から離れていったということだけ書こうと思っていたのですが、よくよく検証すると皇国史観が流行り出したのは明治後期であるということに気が付き、この時点で「時の政府が強制したのではなかった」ということにも気が付き、当たりを付けて調べて言ったら案の定というか政争の具として発展していった系譜を知りました。何気にこの辺の過程を知ったのもこの連載の準備を始めてからで、「史観」というワードに着目したのは意外と発見であったと気づくとともに、いざ各段階になると苦労が半端ないということにも気が付きました。

 連載初めに書いた通り、歴史というのは決して中立ではなく何らかの思想に立って評価分析されるというのが私の持論です。現代史はもちろんのこと先史時代も未だに邪馬台国論争を言う人もいるくらいで、スイスの様に「完全中立」なんてのはなく、如何に中立に近づくかというアプローチでないと歴史はやっぱり語れないでしょう。
 そういう価値観で見ると、歴史観というのはやはりその時代ごとの世論というか状況に左右されることが多く、そうした社会背景を分析しながら追っていくとまた見えてくるものがあります。その点をこの連載では上手く反映できるように意識して書いていますが、内容が深まり過ぎて果たしてJBpressでも使えるかとなると結構不安になってきました。

 なおJBpressの次の原稿は既に提出しており、今日ゲラ来てオッケー出しました。また中国社会ネタですが、友人からは「いつもと方向性が違う(;゚Д゚)」と言われました。自分でもそう思う。
 逆に最近JBpressで歴史ネタから遠ざかっているから、そろそろまた何か歴史ネタ書こうかなとか考えています。個人的な欲求ですが、一回でいいからキスカ島ネタは公のメディアで記事を出し、「キスカについては俺も書いたことあるぜ(^ω^)」と言える立場になりたいです。阿川弘之なども書いているから、自分が書いていいものか凄く悩むのですが。

2020年11月2日月曜日

大阪都構想案再否決について

 昨日の選挙で否決された大阪都構想案ですが、率直に言って否決されてよかったんじゃないのというのが本音です。

 大阪都構想案に対する私の見解はちょうど五年前の選挙開票時に書いた記事で書いた通り、っていうかあれから五年も経ているにもかかわらず訴える政策内容に何も変化がないというのは別な意味ですごいといったところです。この辺は五年前の記事にて、

「確かにこの投票ではイメージ先行で具体的な政策中身については各政党もあまり話題にしてこなかったというのは間違いありません。特に旗振り役の維新の党でこれが顕著で、なんでかっていうと細かく検証するとあまり目に見えたメリットが出てこないということが有権者にわかってしまうと本人らも自覚していたのではと思える節があります。」

 という風に書いていますが、今回の選挙はさらに輪をかけてイメージ先行であったと指摘されています。
 さすがに日本国内の現場にいなかったのでリアルな空気感は図りかねますが、ネットでの反応を見ていると維新の会側は今回の都構想の実現の暁には大阪市が消滅するという事実をひた隠しにしていた節があるようです。仮に事実だとしたら、それは維新の会が堂々と言えない事情、改革に伴うデメリットが大きく存在すると自供しているようなものでしょう。実際、この点を選挙直前に反対派が大きく喧伝して説明したことが、賛成派の切り崩しに大きく買ったとも指摘されています。まぁ有権者もそれまでこの事実を知らなかったってのもまた不安にさせられますが。

 五年前にも述べた通り、この大阪都構想自体が元々政策としての効果よりも維新の会のシンボル的役割を担うことを期待されて作られた政策であり、中身自体はほとんどない、というよりも予算デメリットの方が大きい政策でした。早いとこ放棄すればいいだけなのに放棄したら維新の会は存在意義や結党意義を失いかねないとしてこれまで掲げ続けられた側面が見られ、正直五年前に否決された時点で維新の会は終わるのかと思いましたが、今回はどうなるかやや先が楽しみです。

 大阪都構想について批判するのはいい加減にして別の地方自治政策に目を向けると、この大阪都構想が出てきたせいなのかすっかり下火となったのは道州制議論です。それこそ維新の会は大阪都構想ではなく近畿で一つの政策意思決定機関について議論してればよかったんじゃないかと個人的に思います。
 それこそ大阪以外の周辺自治体も巻き込むような議論にすれば発展の余地があるものの、大阪という狭い枠内に自ら陥っていったようにもみえ、こんな感じでなにを書いても大阪都構想の批判になってしまいます。

次期戦闘機を自動車メーカーが作ったら

トヨタ:エンジンをハイブリッドにする
ホンダ:マクラーレンにエンジンが駄目だと貶される
日産:外国人社長が高い報酬を持って行く
マツダ:似たようなデザインのバリエーション機をたくさん作る
スバル:雪上でも離着陸できるようにする
ダイハツ:スズキのデザインをパクる
スズキ:ダイハツのデザインをパクる
三菱:燃費を改竄する
いすゞ:民間機は作らないとやたらPRする

2020年11月1日日曜日

財布を開けたら……

 昨日買ったガラスマジックリンですが、めっちゃ窓きれいになります(´・ω・`)

 話は本題、と言ってもこっちも大した内容ですが、今日クリーニング屋に行って会員カードを財布から出そうと財布を開けたところ、軽い違和感を感じました。もったいぶらずに言うと、財布にカビ生えてました
 恐らく、財布自体は常に持ち歩くけど財布を開くこと自体ほぼなく、それこそカードを出す時しか開けないもんだから湿気が溜まったんだと思います。でもって、カードを出すため開けること自体はまだ月に数回くらいあるけど、これまではあまり気が付かなかったんだと思います。

 真面目にスマホ決済に慣れてしまうと財布を持つ意味が分からなくなり、次買うとしたら「お札も少し入るカード入れ」になるんじゃないかと思います。マジこんな状況なので中国では現在、贈り物に財布を選ぶこと自体減ってきており、地味に財布メーカーは岐路に立たされてる感じです。