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2022年7月27日水曜日

旧統一教会の名称変更の黒塗りは逆にヤバイ


 今日も名ばかり管理職(リアル)なのに頑張って残業したため眠いのでささっと書きますが、自分は統一教会が名称を変更したのは相続をめぐるごたごたでそこまで大きな背景理由とかはないのではとこれまで思ってました。ただ今日報じられた上の記事によると、名称変更理由に関する決裁文書の開示を請求したら、黒塗りででてきたそうです。
 これって逆に言えば、公にできない理由があるということがはっきり示されているようにしか見えません。っていうか黒塗り開示文書って、森友以来じゃないのか?

 そんな大ごとだとは思っていませんが、政治的力学が働いて名称変更が承認された可能性がかなり出てきたと考えています。自分が思っていた以上に自民と統一教会はずぶずぶだったようで、二股かけられた公明党とかもっと怒るべきだと思います。
 もっとも野党も結構ずぶずぶだったとみられ、どうもこの統一教会関連の自民党への批判は歯切れが悪いです。っていうか韓国がカルト扱いしている教団をなんで日本が保護してんのかって前から言いたいです。

2022年7月23日土曜日

宗教だったら詐欺をやってもお咎めなし?

 昨日の記事で私は、カルトか宗教の違いはその国の政府がその教団の布教や信仰行動を犯罪とみなし、規制するかによって大きく左右されるという見解を示しました。その点で社会問題を生む宗教を特に規制もせずに放置していた場合、政府の責任は当然重いとし、宗教統制というのは国家にとって非常に重要な仕事の一つであるはずという風にも言いました。

 では国が教団をカルト認定するに至るきっかけや分岐点というのはあるかってことですが、はっきり言えばあります。それは何かというと、その教団が殺人事件を起こしたか否かです。

 日本でこれまで実質的にカルト認定を受けて教祖の逮捕を含む宗教活動の制限が課された団体として、オウム真理教やライフスペースなどがあります。両者ともにその活動において信徒または親類関係者の殺害事件を起こしており、「治療行為の一環であった」と主張したもののそんな言い訳通らずにカルト認定を受けました。
 思うに、現代日本政府が宗教を明確に規制するに至る大きな一手は、殺人若しくは死亡事件が起きたか否かです。逆を言えば、誰か死なない限りはカルト認定されてその活動が制限されることはほぼないのではと思う節もあります。

 具体例を挙げると例の統一教会は、過去にっていうか今でもそうでしょうが、霊感商法と言って先祖の罪を払うとか悪霊を風時kめるなどと言って、壺などをあり得ない金額で信者に買わせたりして社会問題化しました。仮にこうした行為が宗教団体ではなく、一般企業が行った場合、消費者庁などに訴えられたらほぼ間違いなく景品表示法違反などで詐欺罪に検挙されることでしょう。
 ちなみにマジで立件とされたら、被告はその壺に悪霊を払う効果が実際にあるのかなどで、科学的な立証とか求められるのだろうか。どういう風に検証するのか気になるので、誰かやってみてくれないかなぁ。

 話を戻しますが、一般企業が悪霊払うとか、ご利益があるからと言って法外な料金で商品を買わせた場合、金額によっては「悪霊退散効果には個人差があります」などと注意書きしていても、捕まる時は捕まります。しかしこれが宗教だったら、やはり信仰行為の一環としてみなされるのか、どれだけ法外な金額であっても立件されるケースは私が見る限り少ない気がします。そのため言い方は悪いですが、宗教を盾に取れば詐欺行為を働いても、取り締まられるリスクは目に見えて減らせられるような気がします。

 その上で最初の話と組み合わせると、宗教は殺人を犯したら一発アウトでカルト認定されますが、詐欺事件だったら、少なくとも統一教会の例で言えば、それだけ起こしてもカルト認定されないし、立件リスクもかなり減らせられるっていう結論に至ります。商売的にかなりぼろいです。
 実際オウムもヨガ教室から金稼ぎ目的で宗教化していった、っていうか浅原自身が「宗教だと儲かる」と口にしています。こうした不逞な輩を取り締まるためにも、宗教団体による詐欺行為の摘発や捜査をもっと強化するべきではないかと思います。

 具体的には、悪霊払いの効果測定とかご利益検証を、薬事法みたく審査会設けて実験すべきでしょう。自分で書いてて、オカルト研究家が喜びそうな企画である気がします。

2022年7月22日金曜日

カルトと宗教の違いとは?

 前略、安倍元総理の銃撃事件以降に統一教会がクローズアップされて、自分的にはかなり久々にカルトという単語をよく見る時代になったななどと感じています。っていうかそういうことどうでもいいから仕事減らしてほしい(´;ω;`)ウッ…
 仕事は減らないけどブログは続けなきゃいけないし、明日も休日作業に追い込まれてる上にJBpress用の記事とか講演用の原稿も書かないといけないけど、このところカルトという単語を見ていて、カルトと宗教の違いというか区別する点はあるのかと思うようになってきました。見た目的には、

カルト=やばい
宗教=市民権を得てる

 的な感じに見えますが、「やばい」の基準がやっぱり曖昧な風に感じます。というのもカトリックやプロテスタントなどについてもやばい団体と思う人もおり、実際宗派によってはかなり過激な連中もいます。
 あとイスラム教に関しては、カルトと呼ぶ人はいないけどニューヨークの事件の後なんかは「テロリスト」と見る人が多かったなと今思い出しました。うちの親父がアラブ人みたいな顔してて会社でのあだ名がマジで「ビンラディン」だったのはずっと覚えてるけど。

 では敢えてカルトと宗教を分けるとしたら、その区別するポイントはどこなのか。いくつかトピックを考えてみました。

1、信者を不幸にさせるのがカルトなのか?
 基本的に宗教は信者の幸福願望をもたらすことがお題目です。キリスト教の様に死後に幸福になる(天国に行ける)と謳うのもありますが、基本は現世利益か来世利益をもたらす教えを広めているだけに、金を巻き上げられて信者が不幸になる場合は宗教ではなくカルトと捉えていいのかなと最初思いました。
 ただ、よくよく考えると散々金を巻き上げられて生活が破綻しながら、「幸せです」と言い切るカルト被害者もたくさんいます。そう考えると個人の幸福感でもってカルトか宗教かは推し量れないでしょう。

2、金を巻き上げる教えはカルトになるのか?
 今話題の統一教会なんかまさにこれというか、営利団体の如く金に対する執着が強く信者からがつがつお金取ります。こんな感じでお金ばっかとるのがカルトと定義できるかと言ったら、実際はそうもいきません。
 仏教にしろキリスト教にしろ、多かれ少なかれその運営はお布施頼みであり、強制されてなくても家財全部捧げる信者もいます。そういう意味ではお金をどれだけとるかでカルトか宗教かは推し量れないでしょう。

3、教えが非科学的なのはカルトになるのか?
 自分で書いててなんですが、科学的な教えってそもそもあんのかよって話です。基本的に宗教は非科学的な話の化身みたいなもので、筋道が立ってるとか立っていないかとかで、まともな宗教なのかカルトなのかって区別できるものではないでしょう。

 以上の様にいくつか挙げましたが、敢えて極端な比較をわざとやりましたが勘のいい人ならわかる通り、カルトと宗教というのは文字通り紙一重な差しかありません。そもそも現在のカトリックやプロテスタントも成立当初は完全にカルト扱いされてましたし、我らが仏教は伝来時こそ割と穏やかでしたが、平安時代の強訴なんかはカルトを通り越したヤクザな行為だし、戦国期の一向一揆なんかもはや軍隊です。基本的に現在一般的な宗教も、特に成立当初は多かれ少なかれカルトとされる特徴を過分に備えており、両者を明確に分けるさというのは少なくとも信仰や布教行為においてはほぼないのではないかと思います。

 ではそれでも何故現代において、カルトと宗教という言葉が分かれて存在しているのか。ほとんど同じなら同義語として成立してもいいはずですが、やはり分かれています。
 ここで結論を言うと、両者を決定的に分けるのは、その団体が犯罪行為に係っているか否かが最大のポイントだと考えています。さらに言えば、その犯罪行為を定義するのはいつの時代であろうと国家であり、言い方を変えれば、国家がその活動を認めれば宗教、認めなければカルトという定義になると言えます。

 現代日本でカルトとくればまずオウム真理教で、現在も後継団体は存続していますが公安の監視対象とされており、一般人も宗教というよりはカルトとしてみなしているでしょう。このようになっているのも地下鉄サリン事件をはじめとする過去の犯罪行為が原因ですが、こうした犯罪行為が露呈するまでは、危ない連中とは思われながらも、一応宗教として見られていたのではと思います。

 もうひとつ例を挙げると、大分前にライフスペースという団体が以前あり、この団体では重病の患者をシャクティパットで治療すると称して連れ出し、その後の患者の死亡を直接誘引したとして教祖が逮捕されました。この団体も当時はカルト団体などと言われましたが、やはりそのきっかけは彼らが治療行為と称する行為が犯罪行為として立件されたからで、先のオウムといい、その団体の信仰や布教などの宗教的行為が犯罪行為と認定されるのがカルトとして認定される一番のポイント担っているように思えます。
 さらに言えば、国が犯罪行為が存在すると認定した宗教団体は、ほぼ例外なく監視や活動制限など、国からの弾圧を受けることなります。こうした点などから言っても、究極的にその信仰団体が宗教かカルトかを決めるのは、国(政府)の判断次第だという風に思えてきます。言うなれば、国が認めれば宗教行為で、認めなければ犯罪行為となるといったところです。

 そもそも、政治の「政」とは「まつりごと」と読み、当初の政治は文字通り宗教統制が肝でした。江戸時代においても寺社奉行が旗本最高ランクに置かれるなど重要視され、宗教というのは歴史的に国が管理、統制するものであり、「宗教であるか」の定義も、突き詰めれば国家が決めているような気がします。
 そういう立場に立つと、国内で邪教が広まる場合、その責任はやはり国がきちんと管理統制していないせいだとも言える気がします。実際そういう立場で、先ほどのオウムやライフスペースなどの団体は活動が制限されているわけだし、カルトを国内で流行ってしまうのは国がきちんと取り締まれていない証左にもなってくるでしょう。思想の自由があるとはいえ、特定宗教団体絡みで被害者を生む、増やす場合、国が何も対策を採らないのは文字通り「政道」から外れると言えるかもしれません。

 そこで統一教会に戻すと、ここはまさに霊感商法の総本山な団体ですが、少なくとに日本では彼らの集金活動は社会問題にはなったものの、犯罪行為としては未だ認定されていません。そのため、上記の私の定義ではカルト認定も受けず、今も昔も信者の親類縁者を中心に、明確に被害を被ったと主張する人間を増やし続けていますが、事実上、国は黙認を続けたまんまです。なので統一教会、というかその後継団体がカルトかどうかって話で言えば、少なくとも日本ではまだカルトとは呼べないでしょう。

 ただ、カルトではないから統一教会は真っ当な団体と言えるかと言ったら話は別で、私に言わせれば日本社会に負わせたコストで言えばカルト認定されたライフスペースなんかを遥かに上回るし、存在しなければ、規制されていれば死なずに済んだ人間もたくさんいたと思います。単純な損得勘定で言えば支払うコストの方が大きい団体であり、信者に対する精神的衛生ケアを考慮したとしても、国家運営面ではいない方がマシな団体だと考えています。
 これらを踏まえて言うと、そんな赤字事業部みたいな統一教会を放置し続ける日本政府に関しては、単純に運営者としての資質も疑うし、宗教統制という政治の重要な仕事を怠っているという風にすら思っています。金の話をすると、一体こいつらを介してどれだけの金が日本から韓国、そして北朝鮮に流れたんだって言いたくなるし、思想の自由云々以前に、その活動や送金を規制せずに放置し続けたのは怠慢以外の何物でもないとすら思います。極端なこと言えば、目の前にアルカイダがいるけど何もしないで見つめている、ただそれだけのような感じです。

 まぁ統一教会が放置され続けたのは言うまでもなく、政治の力が働いているのは間違いないです。岸信介との関係は言うに及ばずで、政治とは無関係と言っている人間がいたらもうそいつの言うことは一生効かなくてもいいくらいの周知の事実です。その放置、っていうか保護してきたツケが回り回って、安倍元総理のところで破裂したいうのも過言ではないとすら思います。

2022年7月19日火曜日

何でも中国のせいにしとけばいい

 本題と関係ないですがどうもJBpressのサイトが中国政府によってアクセス禁止対象になったのか、先週からVPNなしでは見られなくなりました。自分の中国マフィア記事が刺激したとでも言うのか(´・ω・)

中国より恐ろしい「ESGの罠」、大統領が逃亡した破産宣言スリランカの誤算(JBpress)

 話は本題ですが、このところ読んだ中で非常に感銘を受けたのが上の遠藤氏の記事、でもってその記事をさらに補足的に追加したのが下の杉山氏の記事です。

 先日、国家破産したスリランカについて日系メディアはみんなして「中国の債務の罠に陥ったせいだ」と中国のせいにして批判してましたが、遠藤氏の記事が出るやその手の主張が一瞬で消え去りました。実際に遠藤氏や杉山氏が指摘しているように、スリランカの中国からの借款比率は実はそうでもなく、また国家破綻を直接誘引したのはESGの罠こと、現実度外視な化学肥料の使用禁止、有機農法の強制にあったことが間違いないでしょう。
 にしても未だに社会主義国家みたいなことしてたんだなスリランカ。

 私自身もあまりスリランカ事情に詳しくなくて当初は中国の借款が破綻理由になったと思っていましたが、両氏の主張と裏取りからすると、この認識は明らかに間違いでした。では何故他の連中はみんな中国のせいにしてたのかって話ですが、まぁぶっちゃけなんでも中国のせいにしとけばいいって話なのでしょう。
 中国を悪者に書いたところで日本で非難する人はいないし、またアクセスも確実に稼げます。なので破たん原因の詳しい検証もせず、中国が借款していたという事実だけを結び付けてああいう記事や主張が出回っていたのでしょう。せっかくだから中国借款説を挙げてた人をまとめておきます。



 また上の記事は近藤氏の記事ですが、内容はというと「スリランカを破綻に追い込んだのは中国と言われているが、破たんされて困るのは中国」という事実をうまくまとめています。特に3ページ目の中国融資ハイリスク国ランキングは一見に値し、やっぱりこういう数字をちゃんと出さない記事というのはあまり信用すべきじゃないなと思えてきます。っていうかJBpressのライター、このところみんないい記事書くなぁ。

2022年7月18日月曜日

円安と暗殺

不況の最中に規模拡大、三井財閥トップを襲った血盟団事件(JBpress)

 というわけで泣かず飛ばずに終わったこの連載の3本目ですが、目下の問題はこの仕事でクソ忙しい中でどうやって次の記事を書くかです。強気に出て言うと、今の自分の作業内容と作業時間をぶつければ、人一人廃人にせしめることも可能だと思います。しかも身内の裏切りによって、本来不要な作業を増やされていたことが今日分かるし。

 文句ばっか言っていてもしょうがないので記事について少し触れると、この記事では昭和期における金本位制復帰に纏わるドタバタで、財閥がドル買いしてしこたま儲けたエピソードを載せています。この辺りの内容を書いてた最中、ちょうど今の日本の空前の円安が続いていただけに、なんか現実と被るよね的に一人で思ってました。
 その後、血盟団事件の団琢磨暗殺について書きましたが、タイミングが重なったというか、安倍元総理の銃撃事件がこの前起きて、世相的になんか当時と被るところがあるのかと思うところがあります。まぁ偶然だろうけど。

 もっとも昭和前期は文字通り餓死者も出るほど経済の混乱が極まってたことを考えると、現代は円安とはいえまだまだ余裕のある状態です。っていうか今の日本の物価上昇率は中国だと例年レベルなだけに、これくらいでガタガタ言うなとか内心思います。

 一例を挙げると、今住んでいる部屋は6年前に借りてずっと住んでますが、家賃は月4300元(8.6万円)でした。大家に言われたわけではないものの、周りの家賃も上がり続けていることから2年経過ごとに200元ずつ自主的に引き上げており、現在は4700元(9.4万円)です。部屋によってはもっと上昇率の高い部屋もあると思われるし、家賃に限らず飲食費もどんどん上がってます。
 もちろん中国全体の所得も上がってはいますが、日本の場合はなんか中抜き業者の実入りだけが上がっているように見え、この辺でスタグフってるのかなとか見ています。真面目に日本経済を見る上で、尼崎市を始め、中抜きエコノミーは語らずにはおけないくらいでかくなっている気がします。

2022年7月16日土曜日

マミる

「仕事が忙し過ぎて、マミりそう(ヽ´ω`)」

 昨日、WeChatで友人に送ったメッセージがこれですが、この「マミる」という動詞は某「魔法少女まどか☆マギカ」というアニメ作品に登場する、巴マミというキャラクターから生まれた故事成語です。どういう意味かというと、さも重要そうなキャラクターが何の前触れもなく突然頭を丸ごと齧られるなどして惨殺されるというエピソードから、突然の退場とか惨め結末に至るという意味合いでよく使われます。なおこのほかにも、「調子に乗って油断したところをやられる」という意味合いでも使われます。

 とにもかくにも自分の今の悲惨な現状を友人に伝えるためにこの「マミる」という言葉を使いましたが、まどか☆マギカが放映していた10年以上前は大変流行したものの、現代においてはこの言葉を使う以前に知っている人もごく限られてきているかと思います。まどか☆マギカは放映時、「エヴァを超えるブームでは?」などとも言われてましたが、エヴァのブーム当時を知っている身からすると話にならない意見で、十年後の現代を見ても、確かに一大ヒット作品であったことは間違いないものの、エヴァほどの影響力には到底及ばないというのが自分の見方です。

 それはさておき、このマミるような描写がある作品が他にないのかなと今回考えてみました。すぐ浮かんできたのは「進撃の巨人」の作者も大好きな「マブラブ」というゲーム作品で、自分は遊んだことがないのですが主人公の指導役となるお姉さんキャラの死亡シーンがまさに「マミる」ようなもので、グロ画像として有名なことからそこだけ動画で見ました。具体的には、戦闘後で油断していたところ、突如やってきた敵に頭かち割られて目玉が飛び出すというショッキングなもので、何より1枚絵とともにこの描写が見せられるので当時のプレイヤーに衝撃を与えたとかなんやら。
 まどか☆マギカといい、ライターはこういうマミる展開が好きなのだろうか。

 もう一つ浮かんできたのは、「ジョジョの奇妙な冒険」に出てくるモハメド・アヴドゥルの死亡シーンです。仇敵であるDIOの館に乗り込む際、仲間のポルナレフに「お前が殺されそうになっても、DIOを倒すのを優先するため助けない」などと死亡フラグなセリフを口にする辺りは前振りありますが、館に入ってすぐに亜空間を操るヴァニラ・アイスの攻撃を受け、とっさにポルナレフを庇ったところ「ガオン」されて、両腕だけ残して一瞬で消えてしまいました。
 第3部冒頭から登場し続けてきた重要キャラクターといい、戦闘シーンが始まる前に一瞬で殺害される点といい、まさしく「マミる」というべき展開で、当時の読者に大きなインパクトを与えました。何気に、自分が人生で初めて読んだ「ジョジョ」はまさにこの回だったので(確か幼稚園児)、めちゃくちゃなインパクトを感じるとともにこの直後にポルナレフが叫んだ「アヴドゥルーー!!」というセリフが未だ目に焼き付いています。そのせいか、物を手元から落とすと未だに「おっと!」みたいな感じで「アヴドゥルッ!」と口にする癖があります(リアル)。

 そう考えると、まどか☆マギカでこの手の展開は有名になったものの、ひょっとしたら「マミる」より早く「アヴドゥる」という単語が成立していたやも知れません。ちなみにジョジョ系の言葉で前からいつか一度は言ってみたいと思っているセリフに「新手のスタンド使いか」というのがありますが、未だ使用機会がありません。個人的に第3~5部は非常にマッチョイムズに溢れた言葉遣いが多くて気に入っており、最近のジョジョはなんか哲学めいたようなセリフが多いのであんま好きじゃないです。
 いやまぁ「もいっぱぁっーーーつ!」など7部は大好きだけど。

2022年7月12日火曜日

心霊写真は何が怖いのか?

 このところ毎日10時間くらいキーボード叩いているせいか、左手が腱鞘炎気味です。具体的には左手の親指と人差し指の間にあるヒレみたいなところが痛く、多分キーボードを打つ時に親指を常にスペースキーの上に載せるよう固定ポジションを保ち過ぎているせいだと思います。変なところが痛くなるもんだ。

 なので書いてて楽しいことでも書こうと思い、何故か心霊写真が浮かびました。夏真っ盛りですが今この時代においては心霊写真はほとんどテレビにも出ず、ネットでも心霊写真系の掲示板はとんと見なくなりました。理由はフィルムカメラからデジタルカメラへの移行の際、幽霊たちがデジタル化への波に乗り切れず、フェードアウトしたためというのが主要な説ですが、単純にデジカメになってフィルム特有の写り込みとかぼやけがなくなって、心霊写真っぽい写真が出なくなったためでしょう。
 というと、これから心霊写真撮ろうってんなら富士フイルムのチェキが一番いいのだろうか。あと今日ニコンが一眼レフの開発中止を発表して、時代の流れ感じます。前にニコン向けのレポートとか書いたりしたけど、「ニコンはミラーレスに乗り遅れている」とかかなりきついこと書いててこれほんまにニコンに出すんかいな度と当時思いました。

 話を戻すと、ほとんど出回らなくなったけど確かに心霊写真見るとぞくっとするというか、恐怖感は覚えます。ではその恐怖感は何かというと、やはり「あるはずもないものがそこにある」という、説明できない認知の不一致が一番大きいのかなと思います。
 というのもこの前、買ったことをすっかり忘れていた小物を引き出しの奥に入っているのを見つけ、「一体誰がこれ置いたんだ?」と考えたら不気味に感じたというか、若干の怖さを覚えたからです。よく窓辺や鏡に人の顔が浮かんでくるというのが恐怖映画とかのお決まりですが、やっぱこういう不意を突くというか、そんなはずないという感覚が恐怖を駆り立てる気がします。

 それ系で言うともう一つ最近同じような体験があり、諸事情から日本でやったことないのに中国でこの前確定申告する羽目になったのですが、初計算の結果、未納分でこれから納めなければならない税金額がかなり想定の上を行く金額で、計算表がはじき出した数字を見て「そんなはずは……」的に恐怖を感じました。と言ってもじたばたしてもしょうがないので払いましたが。
 これが現金だったら多分3日くらい眠れなかったでしょうが、WeChat決済なら現金見ずに払えるので、ダメージもまだ抑えられます。っていうか、幽霊見るより税金額の方が怖い気がする。