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2023年9月20日水曜日

90年代末期に言われた「携帯電話依存症」

 確か90年代末期のことだったと思いますが、寝ても覚めても携帯電話でメールを打ち続ける女子高生について「携帯の国のアイコ」などといったタイトルで、携帯電話依存症を啓発する記事を見たような気がします。その記事に限らず、PHSから携帯電話へ普及が移行した当たりの当時、このような若者の間で携帯電話依存症が広まっているなどとする記事がよく見られ、携帯電話を持たせないようにする、または必要以上触らせないようにするべきだという主張がなされていました。

 ただ当時の携帯電話依存症の基準(日中で何時間携帯電話を触っているか)に照らすなら、現代人の八割以上は携帯電話依存症ということになります。

 当時の記事では携帯電話依存症になると対面でのコミュニケーションができなくなったり、ちょっとのことで怒るようになったりとやたらデメリットが強調されていました。前者に関しては確かに現代のスマホ利用で対面でのコミュニケーションを苦手とする人は80年代より増えた感じはするものの、それ以外ではそんな弊害出ているとは私は思わず、単純に「携帯の国のアイコ」は新技術に対する拒否反応に過ぎなかったと考えています。
 にしても当時は「携帯の中にしか世界を持たなくなる」などとよく言われていましたが、そんなこと言ったら現代は逆に「携帯の外にもいくらか世界がある」というくらい、携帯電話を介したネット空間が広がっているような感があります。

 ただこの携帯依存、現代でいえばスマホ依存症ですが、見方を変えるとそれだけ人を引き付けるほどの魅力があるという風にも言えます。実際、単純に遠隔地にいる人間とリアルタイムでコミュニケーション取れるっていうのは最高の娯楽だし、そこへきてスマホゲームやネットサーフィンもスマホでできるようになってからは、あらゆる娯楽がスマホを介して行えるようになったと言え、むしろこれで依存せずにいられるかって話でしょう。そういう意味では反対に、スマホに依存しない人は不感症なのではと冗談めかして言えるかもしれません。

 もっともこういう自分は周りと比べるとスマホをいじくる時間は少なく、ややオールドタイプなのか自宅ではずっとノートPCを触っています。ネット閲覧もやはりパソコン画面で見た方がやりやすいし、何より大量の文字を打つブログではスマホだとさすがに限界があります。スマホでやるのは基本、電話を除くとWeChatとカメラくらいだし。

 ぶっちゃけ、携帯電話の登場から現代のスマホに至るまでの経過、いやそれ以前に固定電話の時代を振り返るならば、こうした小型通信機こそが人間が追い求める娯楽の究極系であるような気がします。仮に今後進化するとしたら何もない空間に映像を投影できるようなスマホか、より深いコミュニケーションのできるスマホとかになるでしょう。
 もっともスマホに機能集約し過ぎると、スマホを壊したりなくしたりするときのダメージがでかくなりすぎるので、なんかこの方面で機能分割があったらいいな、通信機能持ったクレジットカードとかないのかななどと思ったりもします。

2023年9月18日月曜日

中国EVのガラパゴス化の予兆

 去年に新調したノートPCは性能が良くなっているので、Steamで購入したが3D表示があんまよくなく結局あまり遊ばなかった「ブレイドストーム百年戦争」とうPS3時代のゲームをこの前やり直してみたら、きちんと3D表示されたため、また延々と遊んでしまいました。このゲーム、何も考えず部隊を突撃させるだけだから時間が削られる削られる。

崩壊する中国新車販売市場 日産・ホンダ8月「約3割減」の衝撃、日本が今後ウォッチすべきは韓国企業の動向だ(Merkmal)

 話は本題ですが上の記事にある通り、今年に入ってから中国で日系自動車メーカーの販売台数はメーカーを問わず大幅に落ち込んでいます。ただこれについて補足すると、落ち込んでいるのは日系に限らずドイツ系、韓国系、米系も当てはまるのですが、さらに深く見ていくと、実は中国メーカーも大半が落ち込んでいます。何故かというとぶっちゃけBYDがあまりにも急激に大きくなってきており、その他全メーカーのシェアを見事なまでに浸食しているからです。
 一言で言えばBYDの一人勝ちみたいな状況が続いており、テスラを含むその他メーカーが割を食っている有様です。

 そのBYDの躍進に対抗するため、テスラは自社の販売価格引き下げに踏み切りました。このテスラの行動に他の中国系EVメーカーも追随する動きを見せており、BYDへの対抗から、全メーカーで車両価格が切り下げられ、EV業界全体の売り上げを押し下げているだけでなく、中国全体でデフレを加速させるような動きが見られます。
 また確かにBYDの販売が驚異的なほど伸びていることは事実ですが、それ以上に中国自動車市場が明確に成長が止まってきており、新車市場が縮小し始めていることも要因として大きいです。なんせ上海ロックダウンが行われサプライチェーンが大いに混乱していた去年と比べ今年の販売台数は伸びておらず、これから年末にかけて前年比マイナスになり、通年でも恐らく販売台数はマイナスになるという状況なだけに、各メーカーは生き残りをかけてしのぎを削るレッドオーシャン化しつつあります。

 とはいえ中国ではEVの販売台数は伸びており、EVメーカーにとっては比較的追い風が吹いている状態ではあります。ただ、世界で最もEV市場が花開いたと言える中国市場ですが、見方を変えると中国のEVがガラパゴス化する予兆とも取れなくもないです。
 こう考えるのも2030年の全面EV化を掲げていた欧州がここにきて態度を軟化してきており、EV以外の車種の販売も認めようかという空気になってきています。欧州が日和った背景としてはウクライナ戦争によるエネルギー懸念の高まりに加え、思ってた以上に各メーカーでEV開発、そして消費者の間での普及が広がらなかったことが挙げられます。経済的に見ても、ここで全面EV化に動いたところで得するのは中国メーカーとテスラだけであり、それだと意味ないじゃんという欧州によくありがちな方向転換ぶりです。

 とはいえ2030年にこだわらず長期的な目で見ればEV化は必定、という声もあるでしょう。私自身もそうした見方を支持する立場ですが、一方でこれから従来型燃料車において何か劇的な技術革新が起こり、それこそリッター100㎞とか、燃料消費は変わらないけどCO2をほぼ全く出さない仕組みが生まれようものなら、一気にEV入らない子的な技術と化すわけです。もちろん夢物語で可能性はほぼないでしょうが、かつてプリウスが叩き出したリッター30㎞も空想のような数値であったことを考えると、こうした燃料車における劇的なイノベーションの可能性を全く排除することはすべきでないでしょう。

 仮にそうなった場合、既にEV市場化に大きく成功した中国はどうなるのか。極端な話、EVは中国国内のみで流通するというガラパゴス化する可能性もあるということになります。折しも中国は一部報道によると、EV関連部品を中国国内から調達するように布令を出したそうですが、外資企業から調達しないことによって上記のガラパゴス化がさらに濃度を増すような気がするだけに、本当にこれでいいのかと少し疑っています。
 むしろ外資企業もEV化によって恩恵を得られるようにする方がEVの普及を助け、中国製EVの輸出にとっても有利になると思うだけに、この方針を聞いたときは少し耳を疑いました。

 以上はあくまで仮定としての話ですが、見方を変えれば燃料車で劇的なイノベーションを引き起こすことで、これまでの中国のEVに対する投資をすべてご破算にすることも理論上は可能ということです。もちろんそんなことしても意味があるのかって話ですが、少なくとも日本の雇用的にはプラスな結果になり得るだろうし、地味にトヨタもそうした方向性というか可能性を捨てていないような気がします。その場合、次に出す車は「メガプリウス」とか「Zプリウス」とかになるのだろうか。

2023年9月17日日曜日

自分の本質を見極める困難

 友人からとある自称進学校のプロモビデオが送られてきたので見ましたが、冒頭から生徒が「この学校では自己実現できます」と如何にも言わされているような感じで言っているのが痛々しい映像だなと正直感じました。それ以前に、自己実現という言葉を軽々に使用していることに強い違和感があります。っていうかカルト系サークルや新興宗教以外でも自己実現って言葉使う連中っているんだな。

 このように考えるのも、そもそもの話として実現以前として自分の本質を見極めることは非常に困難であると私は考えています。自分が何者であるか以前に、自分が何を求めているのか、それをはっきり自覚している人間というのはごく少数であるし、真に限られた存在であるとも考えています。

 こうした見方はいろいろな作品でも取り入れられており、ひとつ例を挙げると漫画「へうげもの」の中で秀吉から無理な命令を強要された際に主人公の古田織部が、「ああこんなことなら、もっと自分の本質を早く見極めておればよかった」と後悔するシーンがあります。少し解説すると、武士としては秀吉の命令を聞かざるを得ないのですが、風流人(数寄者)としてはその命令は絶対に受け入れられないものであり、齢40を超えながらも自分の将来を武士として生きるか、数寄者として生きるかを決めあぐねていたことからこの時に織部は大いに逡巡する羽目となります。この点、先に武士としての役目を降りていた織田有楽斎や荒木村重に対し、織部が羨む心情を見せることで対極的に動いています。
 もっとも最終的に織部は、秀吉から理解者になってほしいという懇願を受けてその命令を受けていますが。

 またもう一つの例として漫画の「ナポレオン」でもこうした自分の本質を見極めることの困難さを描いたシーンがあります。ナポレオンのロシア遠征の際、妻に不倫され人生の希望を失ったあるロシア人男性のセルゲイはほぼ自殺目的で志願兵となりますが、一次大戦以前の会戦としては最も戦傷者が多かったボロジノの戦いでも死なずに生き延びてしまいます。生き延びたセルゲイは不倫した妻と偶然出会い、最初はなじられるものの復縁を求められ受け入れるのですが、翌日にその妻は何か病気や怪我をしたわけでもなく、何故か亡くなっていました。
 この顛末についてセルゲイから話を聞いた老人は、ボロジノの戦いを生き抜いたセルゲイは本当は死にたいとは思っておらず、逆に復縁を求めた妻は後悔から死にたいと思っていたのが本音だったのではと述べ、「人の心というのは本人でもわからない、ましてや他人に至っては」と言ってセルゲイを慰めるのでした。

 このナポレオンの中のエピソードは小さいながらも非常に目を引くエピソードで、へうげもののエピソードと絡めると、自分の本心を理解することは本当に難しいと気づかされます。それを踏まえて言うと、自分の本心を理解しようとする努力を経ずに自己実現なんて言うのは、やはりおこがましいというか人生苦労していない人間の考えや発言だなと思え、軽々にいう言葉ではないと思います。

 などと自称進学校への批判をかましましたが、先ほど引用したナポレオンの最新巻ではこの自己の本質について再び振れる場面が出てきます。

 先月末に発売した最新巻は、一つ前の巻がワーテルローの戦いの前半であったことから今回で最終巻になるかと思っていましたが、敗戦後のナポレオンの退位までが描かれ、まだ物語は続いていました。この巻ではワーテルローの戦いの後半が描かれており、如何にナポレオンが凡ミスを連続して敗戦に至ったかが描かれていてこの点だけでも非常に読みごたえがありましたが、敗戦後に前線を指揮したフランス軍元帥のネイとナポレオンの会話がまた短いながらも見ごたえがありました。

 ナポレオンに会うなり敗戦の責を謝罪するネイでしたが、ナポレオンまずネイを労い、指揮官として不足する点はあったかもしれないが、敗戦の責にはそんなネイに指揮を任せた自分にあると語り掛けます。ただこの敗戦によって勢いづいた連合軍や王党派は自分たちからすべて奪い取っていくだろうと述べ、それには地位も、財産も、称号も、そして命すらも含まれるかもしれないと話します。
 ここで作者の長谷川哲也氏の見せ方のうまさというか、惹きつけるセリフが描かれています。

ナポレオン「だが奪えないものもある。
君がロシアで生還したとき、俺は君を『勇者の中の勇者』と呼んだ。
勇敢さは奪えない、それが君の本質だから
ネイ、お前は今でも勇者だろ」

 解説によると、これがナポレオンとネイの最後の会話だそうです。この後、歴史でネイはナポレオンの加担を理由に銃殺刑となりますが、執行の際に目隠しの布を渡された際に拒否し、「俺がこれまで銃弾の中を駆け巡っていたことを知らないのか」と述べたとされており、この場面が漫画でどのように描かれるのか今から楽しみです。

2023年9月16日土曜日

福島原発処理水を巡る岸田外交の勝利について

 今もなお中国が喚き散らしている福島原発処理水排出に関する問題ですが、こと外交という観点では日本、というより岸田外交の大勝利だと言っていいと思います。あまり評価する声は聴かれませんが、この件に関しては誰が地図作ったかは分からないけど、岸田内閣の準備、対応はしっかりしたもので、優れたものだったと言っていいと思います。

 具体的に岸田内閣はこの事案についてどのように対応したのかというと、まずはIAEAのお墨付きを得たこと、次に最も近くにある韓国で政府の了解を取り付けたことが何より大きいでしょう。韓国に関しては親日親米を取る尹政権であったことが最大の幸運でしたが、批判を続ける韓国野党に対して指示が一向に上がらない点を見ると、排出実施前の事前協議、並びに第三国からの了解取り付けが功を奏しているように見えます。
 少し脱線しますが、私自身も尹政権の親日ラブコールに対してどこまで応じるべきか考えていましたが、検事総長時代に当時の法務大臣に対する不正操作の隠蔽を指示されながら拒否した当たり、尹大統領は原理原則はやはりしっかり守る人物であると信じられるようになってきました。いろいろ意見はあるでしょうが、尹大統領に日本が支援することで、韓国国内の反日勢力の弱めることにつながるだけに、今後も日本は協力できる点は可能な限り尹政権に協力していくべきでしょう。

 話を戻すと、以上のような事前準備が功を奏し、中国を除くその他第三国はこの事案に対して一切批判せず、むしろ一人で批判している中国の孤立が浮き彫りとなってきています。中国自身も自分がどんどん孤立し始めていることに自覚があるのか、ASEANでの会議では日本に対する名指しでの批判を避けています。
 もっとも、ASEANで批判しなかった点は逆に悪手であったと私は思います。本当に国民の健康を考えての抗議であれば批判するべきだったし、それをしなかった辺り、この事案を外交手段としか考えていないというのが逆に証明されたからです。そもそもとっくのとうに孤立しているのに、何故あそこで孤立を恐れて日本批判しなかったのか、中国外交のレベル低下を見ていて感じます。

 以上のような経過について、日本国内、特に漁業関係者から日本政府に対する批判も残っていることから岸田外交を評価する声はあまり見られないものの、私自身は十分に評価していい内容だと密かに見ています。もっとも漁業関係者が風評被害を懸念することも十分理解できるだけに、税金を用いた補償も今回は致し方ないでしょうが。

 逆に、上記でも書いている通り中国の外交のちゃらんぽらんぶりは目に余るというか、正直言って正気かと疑う水準です。第三者となるIAEAのモニタリングすら否定し、欧米メディアからも中国の批判はフェイクニュースだと断じられるなど、自分からますます孤立を深めるどころか頭のおかしい外交だと思われている節すらあります。
 その中国の外交担当に関しては先日、外務大臣に相当する外交部長が突如として失踪し、解任されるなど、普通に考えて尋常じゃないことが起きています。かと思ったら今度は国防大臣が行方不明となり、周りの中国人の間でも「なんかやばくない?(;´・ω・)」とこの異常事態を懸念する見方が広がっています。

 言っちゃなんですが今の中国は、元々トンデモが多すぎていまいち普通な基準がわからなくなる国ですが、政治でも外交でもかなりおかしな状態が続いており、知らず知らずに普通の概念が崩れ始めている気がします。
 その上で昨年のゼロコロナ大失敗を見る限り、習近平は失敗した政策ほど自らの失敗を認めようとせずあきらめずに長く続ける傾向があると私は見ており、恐らく今後も政策転換速度が鈍く、ますます外交上で混乱を続けると予想します。そして孤立路線もどんどん深め、いろいろと悪い方向で先鋭化していくような気すらします。ロシア、というかプーチンに距離を置く判断も、もはや遅いと言っていいでしょう。

2023年9月14日木曜日

溺れるプーチンは北朝鮮をも頼る

 さっき阪神が優勝しましたが、なんとなくこの日はケンタッキーだろうと思って食べてきました。あとカーネル・サンダースに似た人は今日外を歩くべきじゃないような。

 話は本題ですが各所でも報じられている通り、北朝鮮の金正恩が訪露して、プーチンの大歓迎を受けたようです。ロシアとしては北朝鮮に軍需物資の供与を求め、その代わりにエネルギーや衛星、ミサイル技術などを北朝鮮に供与すると指摘されていますが、恐らくその通りであるとみられます。
 ただこの構造、かつては三下国として完全になめ切っていたロシアが北朝鮮に対し、プーチン直々に対応するなどかつてからすると夢にも出てこないような情景です。それだけロシアが追い込まれており、見出しにも掲げた通り溺れる者はなんとやらという言葉が浮かんできます。

 さてこの北朝鮮とロシアの接近ですが、一部メディアでは本当なら中国も何らかの代表者が来て、三者会談となるはずだったという報道も出ています。状況的にあり得なくはないと私も思え、ロシアが反米国を集めて自身の支援を東アジアで求めるというのも自然な考え方でしょう。
 しかし実際には今回中国はノータッチで、ロシアに対する制裁回避に協力はしつつも、軍事支援に関しては完全に一線を置いています。実際、中国が支援したところでロシアがウクライナ戦線を挽回するとは思えず、また米国に中国に対する制裁の口実を与えるだけなので、こうした中国の対応はこのtころ混乱が見られる中国外交にしてはまともな判断だと私も思います。

 その上で敢えて東アジア情勢に目を向けるとしたら、韓国的には今が祖国統一のチャンスになり得るのではないかと思えます。今後、北朝鮮は戦車をはじめとする兵器をロシアに供与するとみられ、ただでさえ整備の追い付いていない軍備が余計に空洞化する可能性があります。これを奇貨として一気に北朝鮮へ電撃戦を仕掛けることも選択肢としては十分入ってくるように思えますが、仮にそうなったとしたら韓国国内の経済混乱も少なくないレベルで起こるだけに、実際には発生しないでしょう。
 個人的にはここで禍根断つ方がいいような気がするのですが。

2023年9月12日火曜日

ジャニーズ事務所の出演妨害というもう一つの疑惑

 余計な小ネタを挟まず本題から入ると、性的虐待問題に対する批判が続くジャニーズ事務所に関して「もう一つの疑惑」を追求するメディアが出てこないのが、密かに不思議に思っています。正確に言えば一部メディアはそれとなく言及しているものの、ジャニーズ事務所に対して直接取材を試みたり、関係者の証言を取ってこないあたり、一定の忖度が働いているように見えます。
 ではそのもう一つの疑惑とは何かですが、いわゆる「やめジャ二」ことジャニーズ事務所を退所したタレントに対する出演妨害です。


 正直に言って日刊ゲンダイは端から信用の置けないメディアだと思っていますが、上の記事に関しては当時の背景状況などを分析していてなるほどと思わせられました。

 ジャニー喜多川の性的虐待と同様、ジャニーズ事務所を退所したタレントに対する出演、活動妨害は公然の秘密でした。このジャニーズ事務所の妨害は若干妄執的なところがあり、SMAPを辞めたボートレーサーの森氏に至っては過去の出演動画から特殊画像処理してまでもその存在自体を消そうとしていたとも報じられています。
 もっとも森氏は芸能界からボートレース界に転身したため仕事に対する直接的な損害はそれほど大きくなかったと思いますが、退所後も芸能界に残ったタレントに対する妨害は文字通りの営業妨害と言ってよく、言うまでもなく現行法でも完全な違法行為です。あくまでジャニーズ事務所は「直接出演を妨害した覚えはない」と言って各メディアの忖度だと言い張るでしょうが、この言い分を真に受ける人間がいるとしたらただの馬鹿だと断言してもいいでしょう。

 自分が知ってる範囲で露骨に営業妨害を受けていたと感じるのは、山Pこと山下智久氏です。映画「あしたのジョー」で伊勢谷友介氏にも劣らない熱演ぶりを見て大した役者だとかねてから評価していたのですが、ある時期を境にぷっつり露出しなくなりどうしたものかと思っていたら、2020年にジャニーズ事務所を退所していたと知って合点がいきました。
 実際にWikipediaの出演リストを見ると、2020~2021年において日本国内の映画、ドラマには一切出演していません。この間は海外で主に活動していて実際に米国でのドラマには出ているようなのですが、真面目に彼には日本国内での活動で何か妨害があったのでは、今がある意味チャンスだから教えてくれないかなとほんとのところを聞いてみたいものです。

 もっともその山下氏は2022年に入って自分も漫画を購読し続けている「正直不動産」の主役を張ってヒットを得ており、それからはほかの日本国内の作品にもこのところよく出ています。この経過を見る限り、やはり去年ごろからジャニーズ事務所の影響力が落ちてきている証左と言えるかもしれません。

 一見すると性的虐待問題とこのやめジャ二の出演妨害問題は分野の異なる問題で、一緒くたに語るべきではないようにも見えますが、芸能界における強大な影響力を行使してメディアに忖度を強要したという点で共通する問題だと私は思います。真に問題があるのはそうした強要にホイホイ従ってやめジャ二の出演を閉ざしたメディアにありますが、こうした強要や脅迫を行ったジャニーズ事務所がそもそも問題であることも間違いありません。
 そういう意味では性的虐待報道を見合わせたメディアらは、今こそジェリド・メサの如く汚名挽回とばかりにこの問題についても余計な忖度をやめ、弱っている今だからこそジャニーズ事務所をもっと叩くべきであるのがメディアとしての反省を示す態度ではないかと思います。いや言い方を変えるなら、今ここでこのジャニーズ事務所の営業妨害問題を取り上げられないのであれば、そのメディアは自らが公平公正をかなぐり捨てた資本主義の走狗であることを証明することになると言っていいでしょう。まぁ社会主義国のメディアも忖度しまくりだけどさ。

 自分が本当に見ていて不思議に感じるのは、今だからこそ全力でジャニーズ事務所を叩くことができるし、また叩くことで視聴率や閲覧数を稼ぐアタックチャンスだというのに、未だに多くのメディアは歯に衣を着せたかのように批判に鋭さがないという点です。
 確かにこの前の記事でも書いたように、本質的にジャニーズ事務所を今批判していいのはかねてから性的虐待を指摘し続けた文春だけだとは思います。しかし本当の意味で過去の報道を見合わせる忖度的態度を反省しているというのなら、本来許されないジャニーズ事務所の問題点、疑惑を今ここで追及しないでどうなのかとも思います。性的虐待に関しては今でも文春以外は報じるべきじゃないと思いますが、この出演妨害に関しては実際に協力してきたメディア(特にテレビ)だからこそ報じられる事実も多いだけに、ここで報じないで何がメディアだ、何がジャーナリズムだと私は思います。

 敢えて多くのメディアが未だにこの出演妨害疑惑に関して忖度して報道を控える理由を推量するならば、ジャニーズ事務所がこの危機を乗り越え再び芸能界で影響力を持つとまだ考えている、またはジャニーズ以外でも特定タレントの出演妨害を行っているほかの芸能事務所に対する忖度が働いているの二択、または両方だと考えています。
 であればこそ、ジャニーズ以外の芸能事務所の出演妨害もこの際暴露しさえすれば、完全な汚名挽回となるわけです。そうした本来あるべき報道をきちんと行うメディアがきちんと現れることを、私は密かに期待しているわけです。

2023年9月10日日曜日

何故松戸はレトロになったのか

 昨日、ゲーム関係の仕事をしている中国人の友人が日本から送られてきたある写真を自分に転送してきました。その写真というのもレトロ喫茶店にあるテーブル筐体のゲーム機で、こんなゲーム機があるなんて知らなかったと伝えてきました。
 なお筐体と画面に映る「ジャレコ」のロゴから、多分その写真のゲーム機はスーパーリアル麻雀じゃないかと推測しています。

 この昔懐かしいテーブル筐体ゲーム機もさることながら、発信地が千葉県松戸市となっていたことに自分の方は反応しました。でもって 改めて中国の百度で松戸市と検索してみると「昭和風のレトロな街」として写真と共に紹介するブログが見つかりました。まさか中国人にもレトロな街と言われるとは思ってみなかったなと思うとともに、何故松戸がレトロな街になったのかちうのをちょっと考えてみました。

 松戸市は都内のベッドタウンとして主に1970年代、80年代に発達した街で、住宅情報を見てもこの時代に建てられた建物が大半だという事実も裏付けています。それに加え、バブル崩壊以降はいわゆるドーナツ化現象がぴたりと止み、再び都心へと回帰する動きが広がって、90年代以降は大きな再開発も行らなかった点もあるような気がします。
 もっともこの条件だけなら恐らくほかの地方都市にも当てはまると思いますが、松戸の場合はそこそこ都心に近く、人口も多かったこともあり、昭和にできた街が崩壊せず経済的にそのまま持続し続けることができたのではないかと推測しています。関東以外の地方都市などはアーケードがシャッター街となるなどレトロな街並みどころかゴーストな街並みを呈しているところが多く、それらと比べればまだ松戸は保存状態がいいと思えてきます。

 以上は観点な自分の当て水量ですが、レトロであるということはレトロな状態で維持、残り続けたと言い換えることもできます。その点では松戸は比較的よく持ちこたえた方だなとは思いますが、このところはようやくここにきて再開発も広がっており、また新たな転換を迎えるかもしれません。その転換は悪い方向に向かう可能性もあるでしょうが、個人的にはレトロなまんまでやってく方が松戸にとってもいいんじゃないかと思っています。